| 日付 | 2025年1月21日 |
| 参加者 | エーデルワイス、ANNE、雪割草、ルパン、ハリネズミ、すあま、しじみ71個分、きなこみみ、花散里、マリナーズ、ハル |
| テーマ | ケニア |
読んだ本:
原題:BURN MY HEART by Beverly Naidoo, 2007
ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳
徳間書店
2024.03
〈版元語録〉1950年代のイギリス植民地時代のケニアを舞台に、11歳の白人少年と兄弟のように育った黒人少年が、白人から土地を取り返そうとするキクユ人の集団<マウマウ>の蜂起にのみこまれていく様を描く。
山本悦子/作 佐藤真紀子/絵
金の星社
2023.11
〈版元語録〉ケニア人の父と日本人の母のもとに生まれた少女・リイマ。同級生男子に「黒人」と言われたことで、自分は日本人だという確信が揺らいでいく。複雑な思いを抱えたまま、父の故郷・ケニアへ行く機会が到来し…。
ぼくの心は炎に焼かれる〜植民地のふたりの少年
原題:BURN MY HEART by Beverly Naidoo, 2007
ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳
徳間書店
2024.03
〈版元語録〉1950年代のイギリス植民地時代のケニアを舞台に、11歳の白人少年と兄弟のように育った黒人少年が、白人から土地を取り返そうとするキクユ人の集団<マウマウ>の蜂起にのみこまれていく様を描く。
エーデルワイス:題名から内容が想像できたので覚悟して読みましたが、素晴らしい作品で紹介して頂き感謝しています。二人の少年のどちらの側からも描かれていて、最後二人の少年が本当に炎に焼かれるような心情が伝わってきました。白人のマシューは普通の少年で、良心も持ち合わせているし、好奇心もあれば冒険もしたいと、不自由なくすくすく育っているのに対し、ケニヤ人のムゴは、白人に従うことを義務とし、賢い子で機転も利いて、生きる術を身につけています。主従関係でありながら友情も感じていた二人でしたが、根本的に世界が違うと、どうすることもできない。永遠の別れのシーンは切ないです。できたら続編で成人したムゴとマシューのそれぞれの希望に溢れる幸せな姿を読みたいと思いました。
ムゴのお父さんは白人と同じ教育を子どもたちに受けさせて、白人から土地を取り戻そうと考える人格者ですが、理不尽な取り調べで投獄されるところは、やりきれません。1950年代アフリカから遠く離れたイギリスの子どもたちが「マウマウがくるぞ」脅かされていたとすれば、よほど恐ろしいものだったのでしょう。日本でも鎌倉時代に2度蒙古襲来がありますが、昭和の時代、夫が子どもの頃何か悪いことをすると祖母に「もうこくるよ」と脅されたそうです。子どもの時はなんのことか分からないけれど、恐いものの象徴ですね。読んでいてケニヤの壮大な自然、植物、鳥、動物の様子を思い描くことができました。冒頭の「だれも、ほかの人のように歩くことはできない(ルビ:ゴティレ・オキニャガ・モキニェレ・ワ・オンゲ゙)」やp221「心の中の言葉は、語ることによってひきだされる(ケレ・ンゴロ・ケルタグ・ウォ・ナ・メアリオ)」をキクユ語の発音で実際に聴いてみたいと思いました。
ANNE:タイトル・内容ともに、自分自身の選書ではきっと読まないジャンルの物語だと思います。今回、一読の機会をいただき、出会えて良かったと心から思える一冊でした。白人の少年マシューの父親は、周囲の人々と比べると使用人に理解があり、決して現地の人を迫害している様子はないのですが、それでも「絶対に彼らに銃を渡してはいけない」と息子に言い聞かせているという言動があり、切なくやるせない気持ちになりました。時代背景や社会状況を鑑みると致し方ないことだったのでしょうが。この物語はハッピーエンドとは言えない結末を迎えます。できれば、マシューもムコも幸せに暮らしているという続編を読みたいと思いました。
雪割草:力強く、心がざわついたままいろいろな感情が残る作品で、読むことができてよかったです。大学院時代にアフリカ文学のゼミをとっていたことがあり、グギやアチェべなどの作品を読みました。あとがきにも、作者はグギ・ワ・ジオンゴのことを書いていますが、グギの『一粒の麦』(小林信次郎訳 門土社 1981)を思い出しました。主人公が同じ名前のムゴで、この作品でムゴが木彫りの象をつくりますがグギの作品にも家具職人が出てきます。この作品では一粒の麦ならぬ「ビスケット」がモチーフになっています。マシューがムゴにビスケットを渡そうと思って地面に落としてしまう場面は、マシューと作者自身が重なり、断絶された他者へ手を伸ばそうとしても、個人の努力では決して手の届かないことへの悲痛な思いが、読んでいて痛いほど伝わってきました。ポストコロニアルのアフリカの作家の作品との出会いは、私にとって衝撃的でしたが、この作品も怒りと悲しみが渦巻き、グギの作品に迫る力強さを感じました。
ルパン:非常に「読ませる作品」だと思いました。それぞれの階級社会におけるムゴとマシューの気もちがあますところなく描かれています。親しいけれど、ほんとうの友達にはなれないふたりの宿命のようなものが感じられます。ムゴはあくまで使用人であり、マシューに対して自分の意見を通すことができない。はじめから対等でなかった、ということにムゴが気づく最後のシーンがいいです。ビスケットを渡せば自分の立場も気持ちもわかってもらえるだろうというマシューの甘い期待と、「あの白人の男の子」と、つきはなすムゴの対比があまりにも切なくて、読後感はけっしてよくない。その分、これからどうなるんだろう、どうしたらいいんだろう、ということを考えさせる作品になっていると思います。「読み終わって終わり」でないところがすごいと思いました。
ハリネズミ:この作品は、作者のナイドゥさんの子ども時代を大きく反映しているんじゃないかと思います。白人の彼女は、大学に入るまでは白人の視線で白人の社会の事柄だけを見ていて、黒人の人たちのことはほとんど見えていなかったそうです。大学に入ってから、社会に対する視野が広がり、不公正なアパルトヘイト体制がおかしいと思い、抗議行動に参加して逮捕されたりしています。なので、マシューには、その「気づいていなかった」子供時代の自分を重ね合わせているのではないかと思うんです。この作品は、単に二人の友情が破綻した悲劇というのではなく、マシューは白人入植者の歴史を否応なく背負っており、ムゴは否応なく差別された黒人の居場所におかれてしまっている。二人の少年は、現在だけを共有しているのであれば、友情も成立するのかもしれませんが、何かが起こって、侵略者の側と、侵略されて奪われた側の間に亀裂が走ると、不信感も強く大きくなっていってしまいます。子どもにふりかかる理不尽さは、白人と黒人でその重さが違うんですね。白人の子どもの方は、両親に照らし合わせてじっくり考えたり、一時的に忘れたりすることができますが、黒人の子どものほうが一挙に生存さえ脅かされてしまう。
だったら、白人の方は自由なのかというと、それも違うんですね。南アフリカ出身のノーベル賞文学賞作家は、ナディン・ゴーディマーとJ.M.クッツェーでどちらも白人です。でも二人とも、他者を暴力で抑圧する欺瞞的な社会では、白人も不自由で檻の中におかれている、ということを書いてます。p11で、マシューが感じる檻と、ムゴたちが閉じ込められる檻が、差別社会では、差別する側も差別される側もいわば檻に入っているようなもので、自由ではないということを象徴的に語っているのだと思います。
ムゴは、この状況を経て、おとなになっていきます。p208でまだ子どものままのマシューは、「せめてビスケットをムゴにわたせれば、ムゴもわかってくれるだろう。マシューがあやまりたいと思っていること、いかないでほしいと思っていることを」と思うわけですが、ムゴのほうはそんな段階はとうに置き去りにしてきている。
また、ムゴのお父さんは教育によって奪われた土地を取り戻そうとしますが、ムゴのお兄さんは、そんなことでは取り戻せないと気づいています。個人がどんなにがんばっても、問題は解決できないことが、この作品ではとてもうまく表現されています。「イッチマエ鳥を殺すな」というのは先住民に伝わるタブーですが、それを白人のランスが破り、マシューも加担せざるをえなくなることによって、結局罰が下るというストーリー展開にも、先住民の文化を尊重したい作家の気持ちが表れていると思います。
すあま:読んでいてつらい話でしたが、知らなかったことがたくさん書かれていました。主人公二人の視点により、交代で物語が進んでいくのはおもしろいのですが、時間が飛んだり視点が移り変わったりするので、ある程度読書力のある子でないと難しいかもしれないと思いました。二人の少年の視点から描かれ、大人の側の視点がないので、状況や実際に何があったかなど書かれていないことも多く、知識がないこともあり、物語についていくのが難しかったです。子どもに紹介するなら、あとがきを先に読んでもらうとか、関連する本も合わせて紹介するといった工夫がいるかもしれません。
二人の少年、その父親同士、どちらも長いつきあいで、仲が良いように思えるけれど、やはり圧倒的な立場の違いがあるので、友達ではない、友達にはなれないんだな、ということもわかり、寂しい気持ちになりました。そんなに長くない作品で二人の少年が交互に描かれるので、二人に共感しながら読むというよりも、二人の目を通して当時の出来事を知る本なのだと思いました。タイトルは、原題からそうなるのだと思うけど、ちょっときつい、怖い印象で、手に取りにくいのでは? ラストも唐突に終わる感じで、この先彼らがどうなるのか、歴史や背景を知っていれば想像がつくのかもしれないけれど、読者にとって難しい終わり方だと思いました。
しじみ71個分:本当に重厚な、素晴らしい本で、読めてよかったです。ただ、まだ全然ちゃんと読み込めてないので、これからも考えていきたい作品です。ひとつ、深く心に残ったのが、マシューは悪い子ではないし、父親も悪い農場主ではないですが、マシューも白人の子どもで、社会の構造的に強い立場にいる子どもであるからこそ、子どもらしい、ちょっとした我儘を、従順にならざるを得ない使用人であるムゴに甘えて言ってしまうところです。それがどのようにムゴや家族たちを危機に立たせ苦しめるのか、まったく想像できない。その無自覚さが差別の構造の危なさなのかも、と思いました。たとえ、マシューがムゴを対等だと思っていたとしても、構造的に最初から上位に立っていて、従順さを共感だと履き違えて、相手を傷つける悲しさ……。本当の友情でなかったと、後から気づくと、恥ずかしく、辛い、罰のような傷になりますよね。社会の構造が分断を招いて、子どもたちを傷つける残酷さが刺さりました。
一方で、使用人であるムゴの方には、だんだんに怒りが生まれ、燃え盛っていく過程が、鮮やかに対比されて、非常にうまく描かれていると思いました。こうやって、心の炎、怒りを抑えられない状態が双方に折り重なって、暴力の応酬が起こっていくのかもしれないとも思いました。面白いのは、白人の子ども同士である、ランスとマシューの間にも権力構造というか、上下関係みたいなものがあって、人が人をいじめたり、マウントを取ろうしたりする構図が、さまざまな場所で描かれていることにハッとさせられました。肌の色や、力の強弱、貧富、疑心暗鬼などが、人と人のあいだに境目=分断を作られ、そこに差別や暴力が生まれていくのが恐ろしいと思いました。これは本当に、白人と黒人というだけではなく、古今東西、世界中で見られる構造ですよね。人間の性なのでしょうか……暗澹とした気持ちになります。
また、前書きの、マウマウについて書かれているところ(p8)でイギリスの主張が、「アフリカの人々は子どもと同じで、独立するにはまだ早い」というものだったと紹介されていますが、白人が指導しないといけない、未熟な民族という、根拠のない優越感には既視感がありました。まさに、日本とアジアとの関係にも通じるものだと思って、これも胸にグサッと刺さりました。分断と差別の構造は、本当に世界中で起こっていますし、この構造はいまだになくならないし、乗り越えられていないわけで……。人が人を力ずくで虐げる構造を、強烈なパンチ力で、つぶさに物語の中で見せられた気持ちです。ですが、これは本当に読まなければならない、読まれなければならない本だと思いました。この物語は、中脇初枝さんの『伝言』(講談社、2023)を思い出させますね。
きなこみみ:私は今回選書担当だったのですが、この本を選書したいと思ったのは、植民地というものに最近興味があって。野坂悦子さんが訳された『どんぐり喰い』(エルス・ペルフロム 作、福音館書店、2021)を読んでいろいろ調べたとき、植民地主義というのが、西欧には骨の髄までしみ込んでいるんだなと思ったんですが、そのあともガザのことがずっと頭にあって。第二次世界大戦も植民地思想がその発端ですが、この全世界を構造的にとりまくものの根深さについて、この年になってようやく尻尾ぐらい見えてきたような気がしています。そのときにこの本を読んで、ほんとに小さな部分まで考え尽くして書かれているなと。でも、アフリカについては私もまだまだ知らないことが多すぎて。どちらかというと大人の作品…クッツェーや、チママンダ・ンゴズイ・アディーチェなんかは読んでいるんですけど、子どもの視点からこんな風に植民地のことが書かれている作品を初めて読みました。恐ろしい差別の構造を子どもの目から描いた作品だなと思います。支配する側と、支配される側。二人の少年の視点から書くことで、非対称性や、まなざしの違いがくっきりと鮮やかです。
冒頭、マシューがムゴをブッシュに連れていくエピソードで、ムゴはずっと台所の下働きの自分の仕事のこと、後で怒られるとかいうことがずっと気になっているのに、マシューはそんなことにちっとも気が付かないんです。無自覚なんですね。マシューがピカピカの空気銃を持っている、というのは、その二人の非対称性、二人の裂け目にあるものをくっきり表しています。有無をいわさず抑え込む圧倒的な武力の象徴をマシューは持っているんです。子どもなのに、もう構造的な力に支配されてる。そこにとてもドキドキしました。でも、マシューが一方的に支配する側なのかというと、それも違って、やはりランスという居丈高な少年との間に、上下関係がある。寄宿学校というのは、非常に上下関係が強いところで、マシューもそこでの自分の地位が非常に気になるようです。ランスのような少年をトップにするヒエラルキーがあるんだなという描写もあって、まさに上下関係の「構造」のなかに子どもたちが生きていることがあって、私たちはいつもそこに支配されてしまうのかと思ったりします。
でも、少年たちの心には、それだけでは収まらない様々な感情があって、揺れ動いていく。そこを読むのが物語の醍醐味だなと。二人の心が揺れ動いていく過程をていねいに描いていて、読んでいるあいだ、ずっと心が引き裂かれます。この、心が引き裂かれる感覚を持ち続けられることが、物語の力だなと思います。子どもたちが構造のなかに生きてる。それを感じるのがp182のランスがマシューを見る眼差しですが、もうひとつ、物語のなかでマシューはムゴのことを「ムゴ」と名前で呼ぶんですが、ムゴはマシューを絶対名前で呼ばない。「ぼっちゃん」なんですが、事件が起こって、最後にムゴが居留地にいく車のなかで自分にクッキーを渡そうとしたことを思い出すとき、マシューのことを「あの白人の男の子」と呼び始める。非常に遠い、心を動かされる存在じゃなくなるんです。p213に「その炎に心まで食われてはだめだ」という言葉があるんですが、この言葉がこれからのムゴにどのように育つのか。続きが非常に気になる結末でした。それは自分で考えることなのかもしれないんですが。見事な作品だと思いました。続きをぜひ読みたいです。
花散里:イギリスの植民地だったころのケニアを舞台に、白人の少年マシューと黒人のムゴ、二人の少年の視点から物語が展開されていき、白人から土地を取り戻そうとするマウマウの独立闘争など、ケニアの歴史を知る思いで読みましたが、ムゴの兄はどうしたのか、これで物語は終わってしまうのか、という希望が見いだせないような読後感でした。白人に土地を奪われ、使用人として働いていたムゴの父、「静かな戦士」という意味の名前であるカマウは、兄・ギタウを学校に入れ、ムゴも学校に行かせたいと思っていました。そのカマウがマシューに昔話を語る場面(p61)が印象に残りました。マウマウの時代、ケニアやアフリカの歴史を知っていくうえでも、中高校生に読んでほしい作品だと思います。
マリナーズ:ケニアにこのような戦いがあったことを知りませんでした。戦いというのは、敵と味方の二つだけではなくて、その間にさまざまな立場や思いの人たちがいるのだ、ということも改めて教えてもらった気がします。黒人のムゴが、戦いの構図の全貌や解決の難しさを把握しているのが印象的でした。ただ、白人読者にとって読み心地のよいストーリーになっているようにも思いました。比較的良心的な一家が物語の中心にいて、雇っている黒人たちにも親切にして、あまり恨まれる覚えはないのに、争いに巻き込まれてしまう、という不条理がクローズアップされているように読めました。あと、タイトルが強烈で、子どもの頃だったら、怖いなと思って、手に取らなかったかもしれないなと思いました。
ハリネズミ:白人の側の不条理を感じたということですか?
マリナーズ:この物語は、主人公がムゴ一人でも成立するような気がしたのです。その方が、不条理な状況や怒りが伝わりやすくなったかと思います。でも、それだと、欧米の白人読者にとっては“読み心地の悪い”作品になるので、作者は読まれる工夫として、白人のマシューと黒人のムゴ、二人の視点からの物語にしたのではないか、と。それがいい悪いではなく、伝えたいメッセージを届けるためにはどういう構成にしたらいいのかということを作家は考えるものなのかなと思ったのでした。
ハリネズミ:私は、作者の生い立ちから言っても、白人と黒人の二人を主人公にする必要があったと思っています。白人農場主がすべてランスの父親のような人ではないし、黒人に理解を示すマシューのお父さんのような人もいたのですよね。でも、「いい白人」も社会構造的には抑圧者の側に立っているので、疑念が生じたときには結果としてひどいことに無意識に加担してしまう。それによって個々の子どもの友情などは簡単に引き裂かれてしまいます。この時代のケニアでは、見ようと思えばそうした状況がすぐ目の前にあったわけです。
この作品は、むしろ「いい白人」(それは、過去の作者自身でもあるのでしょうが)に鋭い刃を向けています。「いい白人」も、簡単に抑圧者に変わってしまうのですから。
しじみ71個分:植民地に入植してくる白人の階層というのは、お金持ちじゃない層なのでしょうか? 満州の開拓団を想像してしまいますが……
ハリネズミ:私もそこはよく知りませんが、ケニアが独立して半世紀以上たった今でも、白人が広大な土地を所有していたりしますね。
しじみ71個分:貧しさから抜け出して、一攫千金を狙っていく人もいるのかな、と思ったのですが……。
雪割草:デンマークからケニアに移住し、その経験を書いたアイザック・ディネーセンという作家がいて、その作品はハリウッド映画「愛と哀しみの果てに」で知られていますが、ディネーセンはむしろ貴族で裕福な家庭でした。なので、そういうわけではないかと。
しじみ71個分:日本の満州開拓などの場合は、国策として貧しい農家の次男坊以下に積極的に入植や移民を勧めましたよね。でも、一方で、植民地で銀行やら何やら、ホワイトカラーのお金持ちもいましたよね。そもそも、人の土地を奪って、どうしてそれが正当化できると思うのか、そこがどうしても理解できないです……。
ハリネズミ:その頃は、白人が優秀で黒人は劣っているから、管理してやったり、治めてやったりするのは当然で、いいことだと思っている人も大勢いたと思います。ガボンで医療をおこなったシュヴァイツァーも、アフリカの人たちを子ども扱いしていたと今は批判されています。「暗黒」とか「未開」といわれる場所にも、独自のすばらしい文化があるという理解が広がっていくのは、歴史的にはもっと後のことになります。
しじみ71個分:侵略の背後には、侵略側が被侵略側に対して、文明化の恩恵をもたらすという考え方があると思うのですが、その無自覚な高慢、傲慢は本当に恐ろしいと思います。自分の身に置き換えると、同じようなものが自分の中にも芽があるかもしれないと思うと、こわいです……。マシューも無自覚な高慢を知らないうちに持たされた子どもとして育つわけで、本人の問題ではなくて、むしろマシューは優しい子なので、構造的な問題だからこそ、こわいです。
きなこみみ:イスラエルとパレスチナのことを見ても、結局パレスチナにヨーロッパのつけを押し付けてしまったところがあって。そこにもヨーロッパの差別構造とか意識の違いがあって。自分たちは上の立場だと無意識に思ってるところが、自分たち、日本も含めてすごく根が深いなと思います。その根深さに刺さるような作品で、この作品を見つけて翻訳された徳間書店は、ほんとに目が高いなと思いました。
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(メール参加)ハル:読んでいてほんとうに苦しかったです。怒りも悲しみも湧きました。生まれたときはみんな無垢だったはずなのに、すっかり染まってしまったランスのことを思っても悲しかったし、この先、この子たちが、また大人たちも、「その炎に心まで食われ」ずに生きていけるだろうか思うと、絶望的な気持ちにもなりました。作家がこうして物語に書き起こしてくれたこと、それを日本語で読めること、物語を通して、何も知らなかった私も、日本の子どもたちも、過去に目を向け、想像することとが希望を生んでいくことになるんだと思います。
(2025年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)
わたしに続く道
山本悦子/作 佐藤真紀子/絵
金の星社
2023.11
〈版元語録〉ケニア人の父と日本人の母のもとに生まれた少女・リイマ。同級生男子に「黒人」と言われたことで、自分は日本人だという確信が揺らいでいく。複雑な思いを抱えたまま、父の故郷・ケニアへ行く機会が到来し…。
マリナーズ:テーマがはっきりとした物語で最終的な着地点が見えるんですけども、とても面白く読みました。序盤はちょっと、ギスギスしているかなぁ、と思う部分もありました。リイマもレオもカイもそれぞれのクラスで、黒人ルーツであることを多少なりともいじられていたので。ただ、中盤からケニアに行って一気に開放的になりますね。普通はルーツを探す旅、というと、重苦しい感じになるけれど、ツアーに参加する、というところが新しいと思いました。最終的にお父さんに会えて、人類のルーツまで話が広がって、読了感がさわやかなのはさすが山本さんですね。ひとつ気になったのは、p166で押し売りの女の人たちを追い払った部分の表現。「アイさんがもどってきて、女の人たちを追っぱらってくれた」とあります。物売りの人を追っぱらう、というのは大人が使いがちな表現ですが、子ども(リイマ)視点でこの言葉が出てくるのは、ちょっと適切ではないかなと思いました。
花散里:褐色の肌、くるくるの髪の毛で、同級生に「黒人」と呼ばれている主人公の学校での様子、シングルマザーとして3人の子を育てていた母親の再婚、新しい父親との関係、再婚先で、祖母となった元中学教員とのやり取りなどが、とてもうまくまとめられています。元教員だった作者・山本悦子さんの視点が生き生きとしていて、これまでの『神隠しの教室』(童心社)、『夜間中学へようこそ』(岩崎書店)などとともに本書も良い作品だと思いました。外国籍の子どもたちが通っている学校が増えて、人種差別やいじめなどの問題が多くなっていることも踏まえて、子どもたちに読んでほしい作品だと思いました。祖母とともにケニアに行き、父親と再会し、自分の名前の意味が「慈悲」であることを知ったこと、巻末の「わたしがわたしだってこと」という言葉が、リイマの毅然とした後ろ姿を描いた佐藤真紀子さんの表紙画と重なり、「わたしに続く道」という意味深いタイトルとともに印象的で、読後感もよかったです。図書館で表紙を面出しして手渡ししたいと思います。
すあま:日本人だけど見た目が外国人、という子どもが主人公の本はあまりないかもしれない、と思って読みました。自分は何者か、というテーマではあるけれど、親の再婚で新しい家族ができる、知らない人たちと家族になっていく話でもある、と感じました。気になったのはタイトルで、『わたしに続く道』では、読み終われば納得するけれど、題名だけではどんな話が伝わらない、読んでみようという気にならないかもしれないので、紹介しないと手に取ってもらえないのではないかと思いました。また、おばあちゃんは元先生だった、という設定なのですが、それにしては子どもとの距離感や接し方がうまくないので、リイマのような子に理解がある、ということなのかもしれないけれど、先生である必要があったのかな、とも思いました。
ハリネズミ:日本人だけど見た目が外国人という主人公は、『セカイを科学せよ』(安田夏菜 著 講談社)にも出てきていますね。この本がいいなと思ったのは、レイシズムや差別について、日本の子どもたちが感じるさまざまな気持ちを取り上げながら、身近なテーマとして真摯に考えようとしているところです。「アフリカルーツの人は足が速い」とか「歌や踊りがうまい」というのも差別になるというのは、日本の子どもたちにはなかなか理解できないことだと思いますが、そのあたりをうまく表現しています。日本で生まれたけど「外国人」などと呼ばれて屈折していたリイマが、おばあちゃんとのケニア旅行をきっかけに変わっている様子も、リアルでした。マミーも、シンちゃんも、おばあちゃんも、サクラさんも、芯はいい人たちだという描かれ方もすてきでした。ちょっと表紙が古い感じで、今の子どもたちが手に取りにくいのかな、とも感じました。一箇所だけ気になったのですが、p238にでてくる「類人猿」は「猿人」の間違いじゃないかな。
ハル:途中までとっても面白かったんですけど、後半の展開が私には腑に落ちませんでした。この子は、自分のルーツに悩んでいたわけじゃなくて、まわりから投げられた言葉をどう処理しようかということを考えているわけですよね。「模様が違ってもキリンはキリン」とか「大自然の中では人間の悩みなんて小さい」では、なにも解決していなくないですか? それと、見かけで判断されて英語で話しかけられるのは不快だというのは、気持ちはわかりますが、それを「無意識の偏見だ」なんて言われたら、どうしたらいいんでしょう。特に英語はメジャーな言語なんだから、許してほしいです。それと、ツアーのおじさんが英語で話しかけて失敗したことを、「かっこつけて英語で話しかけるから」だとか言うの、ほんとにやだなーと思って。旅先でコミュニケーションを取るために勉強したことを、こんなふうにばかにするの、ほんとにいやだ。だから私みたいに、何年たっても英語が話せないひとが出てくるんです、とひとのせいにしてしまいましたが(笑)。
雪割草:読後感が爽やかな作品でした。主人公が自分のルーツを知る旅に出かけ、アフリカで広大な自然やときに厳しい自然のなかで生きる動物たちとの出会い、人類という大きな視野で見ることができるようになる、自分は自分だと気づく展開は好感がもてました。私もベナンで生活していたときに、地平線の近くに浮かぶ太陽がとても大きくて驚いたのを覚えていますが、p188の日の出のシーンは作者自身がきっと体験されて書いたのだろうなと思いました。マサイの村のシーンなど少し観光客目線だなと思うところはありますが、日本の子どもがアフリカに触れて興味をもつきっかけになるのではと思いました。
ANNE:構えずにさらっと読めるタイプのお話でした。ケニア人の父と日本人の母のもとに生まれた少女リイマが、さまざまな出来事を通して自分のアイディンティティを確立していく様子が爽やかに描かれていると思いました。リイマの足が速いことを「黒人だからずるい」という男子、「それは人種差別」だと決めつける女子など、小学校での児童のやり取りがとてもリアルで、現場を良くご存じの方の作品だなと感服しました。箱根駅伝や実業団駅伝などではアフリカ系の選手の方が活躍されていますが、選手として走れなくなった時にあの方たちはどうやって生活していくのかしらと、いつも思っていました。リイマの本当のお父さんが選んだ道は、それも一つの生き方なのでしょうね。リイマとレイとカイ、そして産まれてくる赤ちゃんが幸せでありますように。
エーデルワイス:面白く読みました。主人公の主人公リイマは自己主張ができて強い子。偏見に対して「漢字検定6級」「ことわざ検定7級」と叫ぶところが共感できました。子どもたちに分かりやすい展開です。前半は家庭と学校、後半はおばあちゃんとケニア旅行とメリハリがありました。リイマがケニア旅行中水や食べ物ではなく、精神的にお腹が痛くなり食べられなくなる場面には、子どもたちが共感すると思いました。ケニア旅行の内容に惹かれました。リイマが石けんで顔を洗う場面。p11「白くなれ 白くなれ 白くなれ……。スーパースターの故マイケル・ジャクソンが整形を繰り返し、肌を白くしようとしたことを思い出しました。最後にリイマが人種を乗り越えて、『人類』に意識がいくところで終わり、読後感が爽やかでした。
きなこみみ:爽やかに読めた本でした。リイマがすぐに「ことわざ検定7級」「漢字検定6級」と言い出すところが、とても好きです。親友の真子ちゃんがとても良いキャラクターだなと思います。差別がテーマである物語なんですけど、リイマを支える周りの大人や親友が性格よく書かれているので、難しいテーマでも安心感をもちながら読めるのかな、と思いました。p45に純太が「黒人なんて、速いに決まってるじゃん」と言うんですけど、こうして書いてある言葉で読むと「そんなことないよ」と思うんですが、陸上競技を見てるときとか、自分のなかにも、そんな感覚があるような気がして。ドキッとしました。そして、この物語が深いなと思ったところはp53で、リイマが、競技大会に出したらずるい、という純太に対してではなくて、「人種差別に反対します!」と、一見正しいことを言う三島さんに怒りが沸くというところです。純太の「ずるい」は能力の違いに向いているんです。しかし、三島さんが「人種差別」ということによって、それが人種の問題にすり替わってしまう。だからもやっとした気持ちが生まれてしまうんだと思うんですけど、「人種」って、ほんとは無いんですよね。学術的に、科学的にも「人種」なんていうものは存在しなくて、DNAなんかを調べても全く「人種」の違いなどという科学的な根拠は何もないんですが、「人種」っていう言葉をぽろっと使っちゃうところに、言い難い呪いみたいなものがある。そこを提起できた山本さんの視線はいいなと思います。
リイマの弟たちが「自分の国に帰れ」と言われる、っていうのが出てくるんですけど、ネットにもそんな言葉がものすごくあふれてて、うんざりします。ほんとに普通に書かれていたり、言われたりしてるので、子どもたちもちょっとネットを見ると、そんな言葉にぶち当たってしまうんじゃないでしょうか。そんなとき、「自分の国に帰れ」という言葉が、どんなに人を傷つけるのかを、こういう物語を読んで知る、というのは、とっても大事なことだなと思いながら読みました。日本人の排他的なところとか、マジョリティとしてのいやらしさも、きちんと書かれてるのがいいなって思います。距離のあったツンデレのおばあちゃんとケニアにいってからの展開は、いろんなエピソードが詰め込まれているんですが、最後に「わたしは、リイマ」というところにたどりつく、リイマっていう、ひとりの人間なんだよ、っていうところにたどりつくのはとってもいいと思います。読後感がとても良い作品でした。
しじみ71個分:今回は、きなこみみさんからたくさんご提案をいただいたので、とても楽な選書係だったのですが、『ぼくの心は炎に焼かれる』(ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳 徳間書店)でケニアが出てきたから、ケニアつながりでどうでしょう?という、なんともお気楽な選書理由でした。すみません。この物語はとても明るくて、読後感もいいので、一緒に読むならバランスが取れるかな、とも思いました。主人公のリイマは、ママやしんちゃん、友人の真子ちゃんと、温かい人間関係の中で暮らしているのもあると思いますが、自己肯定感が高くて、前向きで、読んでいてとても気持ちよいキャラクターです。ですけど、よく考えてみたら、それでなくても思春期で心が揺れたり、アイデンティティに揺らぎを覚えたりする時期なのに、加えて、肌の色が話題になったり、新しい家族の問題とか、いろいろ重なってあったら、心のバランスを取るのが難しいだろうな、と思いました。そのような境遇にある子どもたちがいたら、辛いだろうと思います。
物語の前半では、日常生活の中で、リイマや弟のレオ、カイが出合うマイクロアグレッション、みのりおばさんや従妹の愛花の悪口のように、小さな悪意をはらんだ言葉などを、並べて提示してくれています。無知や偏見から生まれる歪んだ認知には、こんなものがあると、子どもたちにも分かりやすく並べて出してくれているように思いました。カイがクロちゃんと呼ばれることや、黒人だから足が速いとか、本当に日常的によくありそうな、子どもたちの反応事例を文字で表しているので、それを読んで自分たちのことを振り返って、同じようなことをしちゃったなとか、ああ、普段こんな風に思っていたなとか、自らの中のマイナーな部分を羞恥と共に気づかせてくれるように思います。私自身を振り返っても、肌の色の違う人が普通の日本語を話していると、つい驚いたり、違和感を持ったり、つい英語で話しかけたりしてしまう、偏見だらけの自分がいるのを感じました。誰もの心の中にありそうな、差別の意識を感じて、気づいてほしいという作者の気持ちが込められているように思いました。たとえば、亮がリイマが黒人だから足が速いと言ったのを、三島さんが人種差別はいけないと咎めましたが、リイマはなぜ三島さんの発言の方をより不愉快に思ったのか、亮と何が違うのか、リイマに簡単に語らせず、作者として説明もせず、読む人に考えさせるように問題を提示して終わらせています。
子どものつかみ方が大変リアルですし、子どもたち自身に考えさせるという点で、さすが山本悦子さんは先生だった方だな、と思ったところです。後半は、おばあちゃんと二人で、ケニアまでルーツ探しの旅に行くわけですが、ケニアでダディーに会ったり、マサイの人々の暮らし見たり、ケニアが人類発祥の地と言われていることを知ったり、おばあちゃんとも打ち解け合っていきますよね。その中で、だんだんに自分は自分であることに気づき、自分を肯定できるようになる様子は、希望に満ちて、読んでとても清々しい思いがしました。
小学校高学年はちょうどティーンエイジャーの入口に立つ年代で、ゆらゆら揺れる思春期の始まりだと思うのですが、とても明るい印象を残して終わるので、子どもたちにも安心して読んでもらえるし、本当にとても上手だと思いました。みなさんがおっしゃるように、ケニアの旅の描き方は少々、軽いと思いますし、物売りを追い払う場面なんかも、もしかしたら山本さんのケニアツアーの体験が表れているところかもしれないですよね(笑)。この本を『ぼくの心は炎に焼かれる』と対比させて読んでみると、同列に並べて論じるタイプの本ではないと思いますが、だからこそムゴの物語からリイマの物語まで、とても長い時間の経過と地理的な距離を感じて、印象深いところでした。ケニアの人々が自分たちの土地を奪われて、押し込められている時代から、日本まで来て日本人と結婚する時代までの時間的、地理的な距離です。やはり日本の人が人種問題をとらえると、こんなふうに、遠い感じになるのかな、という気がします。距離的な遠さが視点の遠さにつながるといいますか……。
でも、世界の国々は、実際は相変わらず遠い一方で、もう既に、様々な肌の色の人、言葉の違う人たちが日本に来て、直接、言葉を交わし触れ合う世の中になっています。自分の中の差別とか、偏見とか、そういう問題をちゃんと意識したり、自覚したりする前に、いろいろな人と直接出会ってしまうのが今の世の中なので、人種差別の問題は常に自分に跳ね返ってくるなーと思うと、ちょっと痛いです。肌の色の違う人を見れば、外国の人だと思い込むし、「こんにちは」ではなく「ハロー」と言ってしまいがちな自分が実際にいます。この身についてしまった、無意識な差別あるいは区別、偏見は、本当に意識して解消していくのは難しいよなーと、この本を読んでつくづく思いました。なので、リイマが狭い日本だけにおさまらずに、世界に飛び出して、自分のルーツを確認したという、視野の広い物語になっているのは、本当に良い、大事なポイントだなと思いました。
(2025年01月の「子どもの本で言いたい放題」記録)