なたね:じつは、読む前には「たぶん、こんな本なのだろうな」と思っていましたが、いい意味で予想が裏切られてよかったです。戦争を描いた子どもの本は「ああ、かわいそう!」というものがほとんどで、読んだあと悲しくなったり憂鬱になったりしてしまう。大人だってそうなのだから、いくら学校や図書館ですすめられても読む気がしないという子どもたちの気持ちは、わかるような気がしますね。けれどもこの本は、読んだあとも犬の体温が感じられるようなあたたかい気持ちになりました。それでいて、子どもたちの心の奥底には、シベリアに抑留されて悲惨な目にあった人たちがいたという事実がちゃんと残るのではないかしら。こういう事実があったことも初めて知ったし、追跡取材しているのが、とてもよかった。若いころの「松尾さん」の写真と、おじいさんになったときの写真を見比べたりしてね。朝日新聞の写真も感動的ですよね。うちは家族そろって犬が大好きなので、「見て、見て!」と救助されたときの写真と記念写真を見せてまわりました!

みっけ:まず、シベリア抑留については、原爆とか大空襲ほど取り上げた作品がない中、それについて取り上げているのがとてもいいと思います。シベリア抑留は悲惨なことがいろいろあったはずだけれど、この本は読後感があたたかい。それはクロという犬と抑留者との交流があるからで、子どもの本として、このスタンスは大事だと思います。悲惨なだけだとむしろ拒否反応を引き起こすことになるし。ただ実際には本当にひどい状況だったわけで、そのことは、たとえば親友の骨を襟に縫い込んでいたら、金目のものかと思った誰かに抜かれたとか、あちこちにさらっと書いてあるのだけれど、そこに深入りしていないのもうまいと思いました。子どもの興味を、クロが見つかってしまうのか、というハラハラドキドキでつなぎ、最後はクロが日本で暮らして子孫を残せたという明るいトーンで終えていて、子どもの本としての構造がしっかりしていると思いました。今がこのテーマを取材できるぎりぎりのときで、そこでこれを出した意義は大きいと思います。最後の写真でリアルさが増す一方で、この挿絵のかわいいところも、本のトーンの決め手になっている気がしました。

ハリネズミ:シベリア抑留の体験談だと、大人の本ですが高杉一郎さんの『極光のかげに——シベリア俘虜記』(岩波文庫)がとてもいいですよね。

レジーナ: 現実の話が持つ力を感じました。希望を感じさせる結末もよかったです。題材も新鮮です。すごく意地悪な人が登場しないので、読んでいて安心できます。ただ、それまで絆を育んできた過程が描かれている分、最後に川口さんが犬を手放してしまったときは、納得できない思いが残りましたが……。それから、タイトルは作者の意向によって決まったのでしょうか。「〜してきた」というタイトルをあまり聞いたことがないので……。

クモッチ(編集担当者):ネタバレのタイトルなので、著者ともに悩んだのですが……

レジーナ:シベリア抑留を経験した芸術家といえば、『おおきなかぶ』(トルストイ再話 内田莉沙子訳 福音館書店)を描いた彫刻家の佐藤忠良を思い出します。

メリーさん:この話についても、こういうことが実際にあったなんて知りませんでした。犬がつないだ人と人、シベリア抑留について、うまく書かれていると思いました。著者の井上さんは犬を題材にした著書が多いと思いますが、この本のように、犬の物語を入り口として、戦争について描くという方法は効果的だと思います。また、ノンフィクションなので、本文や装丁には写真を使うほうがよかったのではないかとも思ったのですが……。でも今回の犬のイラストはとてもかわいかったです。

シア:3冊の中で一番最初に読みました。表紙のイラストがかわいいので、最初に手に取ったんです。犬を使うのがずるいな……と。とても感動的な美しい話ですね。ノンフィクションですが、ストーリー性があって引き込まれました。章ごとにイラストが入っているのは、小学生の読者にもいいと思います。犬の描写が非常にかわいいですね。ただ、最後に川口さんがクロを手放すところは、子どもはわからないのではないでしょうか。私もなぜ北海道に連れて行かないのか疑問に思ったくらいですし。それにしても、ずっとイラストできていて、最後に写真が入っているというのがよかったと思います。物語感覚で読んできて、最後に現実だとわかる衝撃。最初からリアルなおじさんが出ていたら、小さな女の子にはちょっと……。そういう全体の構成がよかったと思います。

ヒーラ:ノンフィクションとはいえ、写真を先に出すより、最後に写真が来ているのが効果的です。犬がそこまでするのかなと思わせながら読んできて、最後に新聞記事にもなったと知らせるやり方はいい。クロの出現以前の抑留中の話は比較的早いページで終えて、クロのいた数カ月に比重をおいて書いた構成で、なかなか読ませます。

クモッチ:抑留された場所によって、ぜんぜん待遇が違っていたようです。そして、最初の1年が設備も整わず、悲惨だったようです。亡くなった人のほとんどが抑留されて1年ほどの間に亡くなっています。

プルメリア:題名を見て南極観測隊の犬の話かなと思っていました。本を手にした時、表紙の犬クロがとてもかわいかったです。犬のイラスト(各ページ・パラパラマンガになっている)がたくさん描かれているのも目を引きました。きびしい自然との戦い、励まし合って生きる人々、登場人物のそれぞれの性格。戦争は終わっても、まだ終わっていなく苦労していた人々がたくさんいた事実・・・シベリア抑留について書かれているのがとてもよかったです。最近の作品では職業犬や悲惨な待遇をされている犬がとりあげられることが多いなか、クロのような犬がいて外国で不安な人々の心をなごませていたことは読者の心をとらえるのでは。クロが追いかけてくるクライマックス、フィクションではないかと思わせ、巻末の写真で本当のことだとわかるのが感動的です。最後に登場人物の写真があり、現在の様子が書かれた本の構成がいいです。念願の日本に帰国したのにクロを手放したところは、淡々としているように感じ、クロをふるさとに連れて帰れない事情や別れるのがつらくさみしい気持ちをつけ加えればよかったのではないかなと思いました。

ハリネズミ:ネットで内容紹介を見て、あざとい感動ものなのかと思い、警戒しながら読みはじめたのですが、私が犬好きなせいもあって引き込まれてしまいました。ただ、書名はなかなか覚えられませんでした。ほかの人に紹介したときに思い出せなかったんです。人間と犬が相互に依存しあっていく状況がとてもよく書けているし、歴史の一端をこういう形でのぞいてみるのも、とてもいいと思いましたが、犬好きの私としては、川口さんがせっかく日本まで連れてきたクロをどうして舞鶴で手放してしまうのか、そのあたりが理解できなくて……。何か大きな事情があるなら、そこを知りたいと思いました。川口さんが命の危険もかえりみずクロを大事にしていたということが切々と書かれているだけに、肩すかしを食らったような気がしたんです。亡くなられているご本人には取材できませんが、当時のいろいろな状況からもう少し説明ができなかったのでしょうか?

クモッチ:当時は、犬を汽車に乗せることはできなかったのではないかと思われます。また、年末に近い時期に日本についたので、自分が帰るだけで精一杯だったのでしょうね。この本は、井上平夫さんの「クロ野球」についての新聞記事を見たのが発端でした。2008年になって話を聞きに行きました。その後、新宿の平和祈念展示資料館で、松尾さんが北海道新聞に投稿されたクロを囲んで仲間が写っている集合写真が出てきたんです。シベリア抑留に関する新聞記事を見て、松尾さんと郡司さんに話を聞くことができました。そこで、彼らの班でクロを飼っていたんだということがわかりました。興安丸は、引揚最後の船で新聞記者が乗っていたので、クロを海から救助する写真もとれたようです。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した辺見じゅんの『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文藝春秋)にも「クロ野球」の話は出てきます。エピソードはすべて事実ですが、それに著者の井上さんの想像力が加わった。事実の確認も改めてしながらの作業になりました。抑留だけの本は、児童書としては難しかったのですが、そこに犬と人間のふれあいという要素があることで、子どもが時を越えてシンクロできるようになると思いました。

ハリネズミ:戦争を伝えるのに、悲惨な状況をこれでもかこれでもかと描くのも必要かもしれませんが、それだけでは今の子どもにとって「いつかどこかであった、自分とは関係ない話」になってしまうのではないでしょうか。だから、クロという犬を通して書くというこの切り口は、とてもいいと思いました。

みっけ:シベリア抑留といえば、画家の香月泰男もそうで、日本海の絵を何枚も描いていますが、それらすべてが明るく光るように描かれています。それはその向こうに故郷日本があるからだと言われています。井上ひさしも亡くなる年に、シベリア抑留について『一週間』(新潮文庫)という作品を発表していますよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年11月の記録)