モモンガ:今回の読書会は、これといったテーマはなかったのよね。主人公が15歳前後っていうだけで。私、最初てっきりゲイがテーマなんだと勘違いしちゃったの。『少年と少女のポルカ』も『クレージー・バニラ』も、ゲイが出てくるから。でも、この本には出てこないから、私ったら、どこかにゲイが出てきたのに、気づかなかったのかしらと思ってよくよく見たんだけど、やっぱりなかった。

一同:わはははっ。(笑い)

モモンガ:この作品、ちょっとした感覚をとらえるのはうまいと思うけど、とくに「心に残ったこと」というのは、なかったんです。ボリュームも足りないし。なんか軽くて、ふわふわっとどこかへいっちゃいそう。今の子がいいそうなセリフとか、しぐさはちりばめられているんだけど・・・。

ウォンバット:私も読んだことは読んだんだけど・・・。無味無臭だった。

ねねこ:バニラの味もしなかったの?

ウォンバット:うん、何の味も。感想は特にないので次の方どうぞ。

愁童:この作品、最初に読んだんだけど、この会に出ようとしたら、全然思い出せないんだよね。それで、あわててもう1度読み返したんだけど、2回読んだら、案外いいかなって思った。ここに出てくるような子たちって、たしかにいるしね。とくに印象に残っているのは「フォールディングナイフ」「電話BOX」「ノブ」。「フォールディングナイフ」の主人公タケルの家は、お父さんが別の女の人と暮らしていて、月に1度しか帰ってこないっていう、ほとんど崩壊した家庭なんだけど、お母さんはそういう現実を受けとめたくなくて、クリスマスにお父さんが買ってきたケーキを家族みんなで食べるってことに執着してる。タケルはそういう母にいたたまれないものを感じている。そしてそのつらい日をのりきろうと、自分のためのクリスマスプレゼントとしてナイフを買いにいったのに、ナイフは売り切れ。おまけに雨まで降ってくる。仕方なく雨宿りした公園で、3歳年上のリカコにばったり会うわけだけど、そこでの会話がいいんだな。リカコは、コンビニのおむすびを渡しながら、「悲しいときには飯を食え」っていうんだけど、それはタケルの母にいわれたことだっていうんだよ。1か月くらい前に、すごい迫力でそういってコロッケの包みをくれたって。あんな母がそんなことをいってたなんて、そしてリカコはその言葉に救われてたんだってことがわかって、タケルはハッとするんだよね。「電話BOX」も、最後に電話をかける少年の気持ちがとてもよく描けている。「ノブ」は芥川龍之介の『トロッコ』が出てくるんだけど、これなんか痛烈な国語教育批判だよね。この作品、日本児童文学者協会の賞をもらってるでしょ。昔、心象風景とか「そこはかとない感動」というものを徹底的に批判していた日本児童文学者協会が、こういう作品を賞に選ぶというのは、どういうことなんだろね? でも、こういうタイプの作品が児童文学に入ってくるのは、悪いことじゃないと思うんだけど、どうだろう? これはウンポコさんが好きそう。

ねねこ:そうでもない、みたいよ。

愁童:えっ、ダメなの? 意外だなあ。作者のあったかい視線が感じられていいと思うんだけど。まあ、でもちょっと迫力は足りないかもな。

ひるね:私はこの作品、ちょっと印象うすかったんだけど、今愁童さんの解説を聞いて、思い出したわ。

ウォンバット:私も愁童さんの解説聞いて、もう1度読みたくなった。

ひるね:スケッチで、全体をなんとなく示唆するというか、いろんなことの側面をスライスするような感じよね。それは伝統的な日本文学の手法だと思うんだけど。私、このところイギリスの短編をいろいろ読んでいるの。アン・ファイン、ジャクリーン・ウイルソン、メルヴィン・バージェス、ティム・ボーラーとかね。彼らの作品は何か決定的な出来事がおこるから、短編でも、読んだ後になにかしら強い印象が残る。日本の文学も、書きたいことをもう少しはっきり書いてもいいんじゃない? 心象風景ばっかりだと、こういうことを書いてなんになるのと思っちゃう。たとえば「電話BOX」で、老人が一人で食事をするのを見るのは悲しいっていう感覚なんかは、私もティーンエイジャーのとき、ほんとにそう思ったし、とてもよくわかるの。でもこの会話のカコの口調は、今の高校生のしゃべる言葉じゃないわね。「フォールディングナイフ」のリカコは、今の女の子の口調そのもので、とてもいいと思ったけど。やっぱり、2度読まないといけない作品なのよ。っていっても、10代の子は2回読まないと思うけどね。

愁童:中高生は、どうかなあ。でも、日本の小説はこういうのたくさんあるから、これが児童文学にあるっていうのは自然だと思うよ。

ねねこ:中高生が読むかしらねえ。特にこういうつくりでは。

ひるね:完成度にもよるでしょ。

ねねこ:こういうのって、教科書にはのりやすいと思うけど。

オカリナ:私も1か月くらい前にこの作品読んだんだけど、もう印象が薄くなってますね。最近そういうことも多いんだけど、『少年と少女のポルカ』のほうは、最初の方読んだら思い出したし、『クレージー・バニラ』は、ああ写真を撮る男の子の話だったなとよみがえってきたけど、この作品は表紙を見てもよく思い出せなかったの。でも、中学生のときだったら、私こういうの好きで読んだかもしれない。昔、清水眞砂子さんが、大江健三郎を引用して、文学には日常を異化するっていう意味もあるんだってこと言ってたの、思い出したな。この作品は、きわめて日本文学的な作り方をしてると思うんだけど、日本文学の構成って、私は俳句と同じだと思ってるの。心象風景を切り取ってつなげていくやり方だと思うのね。西洋の作品は、まず背骨を作って、そこに肉づけしていく方法で構成されてる。だから、日本の作品の独自性を無視して単純に批判することはできないと思ってるし、こういう日本的な作品もあっていいと思ってるんだけど、この本はどういう読者を想定してるのかな? 子どもの手の届くところにあるのかしら。

モモンガ:日本文学のよさっていうのはわかるけど、子どもにはおもしろくないかも。

ひるね:やっぱり完成度の問題じゃないかしら。こういうタイプの作品でも、おもしろいものはおもしろいのよ。乙骨淑子さんの『13歳の夏』なんて、すばらしかったわ。特に1章が。それから庄野潤三も、日常のこまごましたことばかり書いてるけど、私は、好きよ。おもしろいもの。完成度が高ければ、読めるのよ。この作品は、何が書きたかったのか、見えなさすぎなんじゃない?

:私はこの作品、最初、短編集だと思わなかったの。終わりがはっきりしないから、次に続いてるんだと思っちゃった。ま、それはいいとして、この挿絵でいいのかな? 特に75ページの絵。

オカリナ:雰囲気を出したかったんじゃないの? 人気のある絵描きさんだけど、この本にはあってなかったのかな。

:あと、内容と本の体裁があってないでしょ。ストーリーは中学生向けだけど、本のつくりは小学校高学年くらいの感じ。

ねねこ:推薦がとりやすいのよね、小学校高学年にしたほうが。販売的戦略かな?

:でも、だれが読むのかな? なんか私、そんなことばっかり気になっちゃって味わうところまでいかなかった。

:なんだかみなさん否定的だから、私がサポートしなきゃっていう気持ちになってるんだけど・・・。この作品は、意味もない現実を拾おうとしているんだと思うのね。となると、ひとつの大きな物語ではなくて、短編にする、寄せ集めるしかなかったんじゃないかな。言葉にならないことを、あえて言葉にしようとしてるのよ。つまんないことなんだけど、これが現実なわけでしょ。そして、若者は無感動だとか言われてるけど、本当はちょっとしたところで心が動いているのよね。そういう瞬間を集積して1冊にしたんだと思うの。特に「電話BOX」は、それがうまくいってるかな。忘れちゃうような作品かもしれないけど、こういうのもあっていいと思う。

モモンガ:意味のないことをすくいあげようとしたんじゃなくて、意味のない毎日だけど、そこに意味を見つけようとしてるんじゃない?

ねねこ:長崎夏海さんの作品って、これまではけっこう熱かったよね。常に、今の子どもたちを励ましたいと思ってる作家だから、クールに書いていても、思いにあふれていた。この作品は、そうしたプロセスを経た後、少しさめて、距離をおいたところで、今の子どもたちに共感を得られそうなシーンをスケッチしたっていう印象。今までの長編がクサくなりがちだったから、ワビサビの世界を描いたのかなあ。

愁童:子どもたちの「ぼくはここにいるよ」っていうのを代弁してる感じはあるよね。でも、日本児童文学者協会賞っていわれると、うん? という思いはあるな。

ねねこ:んー、いいんだけど、華がない。華がないから、1回読んだだけでは、よさがわかりにくいし、印象に残らない。

ひるね:やっぱり意味のないことを書くにしても、書き方があると思う。バージェスの短編でも、主人公がものすごく変わるわけでもないし、すごい事件がおこるわけでもないのに、とても魅力的っていう作品あるもの。それは、お父さんとお母さんが離婚することになって、いざお母さんが家を出ていくっていって、荷物を運び出したりしているときに、お父さんがもくもくと巨大な穴を掘りつづけるっていう話なんだけど(“Family Tree”という短編集の中の‘Coming Home’)。視覚的なことなのかしら。小川未明の作品なんかも、まさにその瞬間が目に浮かんでくるものね。

オカリナ:完成度の問題じゃない?「Little Star」でも、小さなほころびが気になるものね。だって幼稚園の子にむかって「おまえ」ってよびかけるのは、ヘンでしょ。なんか年齢不詳なしゃべり方してる。ラストも、これで終わっちゃうと思わなかったし。

(2000年06月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)