オカリナ:「テーマをもって書く」というのは、大事なことだよね。YAの作家にありがちな、心の揺れを描くのも大事だけど。この本は、メッセージははっきりしすぎるくらいはっきりしてるけど、もっと工夫してほしかったな。工夫したと思えるところは、刷り色がページによって違ってるのと、全部のページに絵が入ってるということくらい。だいたい、この表紙で、子どもが読むかな。主人公は中国人で1944年に日本に連行されてきた耿諄という人なんだけど、日本の鉱山で働かされて、どんなにつらい目にあわされたかということばかり、めんめんと綴られている。そういう話をちゃんと聞くのは大事なんだけど、重要だから聞けって子どもに押しつけても、おもしろくなかったら子どもは敬遠しちゃうでしょ。編集の人が、もっと手を入れればよかったのにね。誤植もあるし。矛盾というか、誤解を招きかねない表現がいっぱいある。「日本人だって、米が4合にメリケン粉が1ぱいです」ときいて、同じくらいだから「しかたないと思った」って書いてあるんだけど、それですんじゃうのなら、たいして踏みつけにされてるわけじゃないじゃんって思っちゃう。「○○があった。○○があった」ってただ羅列してるだけだから、主人公に感情移入もできないし。読んだ子が、自分と主人公を重ねあわせるのが、とても難しい書き方。伝えたいもののあるこういう本こそ、ちゃんと子どもの手に届くように工夫してほしいものです。

ねむりねずみ:あとがきに「才能がないのを知った上で書きました」って書いてあるんだけど、まず文章が読みにくくて、つまずいた。中身に興味のある人間だったら読めるけどねぇ・・・。うわーすごかったんだ、ユダヤ収容所みたいなことを日本人もやってたのね、っていう事実の重さはたしかに伝わるけど、文学というより資料の積み重ねみたいなものだから。社会科学的な読み方のできる人でないと楽しめないかも。これは、物語になってない。学校の先生の資料用にはいいかもしれませんがね。

愁童:ぼくも、つまんなかったな。子ども向けの配慮がされてない。当時、日本のあちこちにこういうことはあったわけだから、ここだけ書いても、しょうがないよな。意味レス。ただ単なる残酷物語になっちゃってる。

オカリナ:ペルフロムの『第八森の子どもたち』ではドイツ兵、『花岡1945年夏』では日本人を悪者として描いてるけど、今書くのなら、それだけでは意味がないよね。なぜ普通の人がこれだけ酷くなれるかってところが検証されないとね。

愁童:そうそう! これじゃ、新聞読んでるのと一緒なんだよ。

オカリナ:子どもに伝わるように書かなくちゃね。

愁童:自虐意識は、子どもには理解できない。普遍的なものに結びつけないとね。

モモンガ:戦争のこと、民族のこと・・・子どもに伝えなきゃいけないことだからこそ、工夫しないとね。

オカリナ:パロル舎と、さ・え・ら書房には、もうちょっと子ども向けの本の工夫をしてほしいわね。

モモンガ:さ・え・ら書房は、心根がいいってことによりかかりすぎてるって感じ、ない?

ウンポコ:せっかくいい本が多いんだからさ、さ・え・ら書房は。もうちょっとがんばってもらいたいね。

(2000年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)