『なみだの琥珀のナゾ』
及川和男/作 中村悦子/画
岩崎書店
2000.12

<版元語録>美咲は小学校6年生。おばあさんのカズさんは、琥珀のペンダントを大切にしている。「なみだの琥珀」と名付けたペンダントに秘められたナゾを解くために、美咲はカズさんと夏休みに岩手県の久慈市を訪れた。

愁童:反戦とかが中心にあって書いていくのかと思ったら、結局これはルーツさがしなんだね。『雨ふり花咲いた』(末吉暁子著 偕成社)と構成が似てるけど、あっちの方は、子どもに読ませるんだという情熱が伝わってくる。児童文学作家としての姿勢の違いを感じた。謎解きなんだけど、人物描写がまるでない。主人公の設定が内気だとか、人見知りだとかいうことになってるけど、作中の言動には、そんなことを感じさせる表現がない。琥珀を恋人同士が持っていて、戦争がおこって、という着想だけなんだよね。今の子どもたちに何を伝えたいのかはわからない。登場人物のイメージも感動も残らないしね。これじゃあ、登場人物は泣いても、読者は泣けない。琥珀をたよりに、自分のルーツをさがしにいくという着想はいいんだよ。でも、主人公がすんなりおばあちゃんについてっちゃう、なんて、違和感持っちゃうなあ。あまりにも素直すぎる。子どものものにかぎらず、本を書くっていうのは、フィクションの世界を自分も楽しむとか、自分の世界に読者をひきずりこんでやるぞというのがなくちゃ。自分だけ感動してる感じがして、読者を置いてかないでよ、って思った。宮沢賢治なんかも出てくるけど、岩手県だからなのかな。でも出てくるのも必然性がないんだよね。

トチ:私は、児文協の児童文学って感じがする。

愁童:教育的配慮もあるし、理念もわかるんだけど、みさきを出して何を伝えたいかはわかんないよね。琥珀が博物館に飾られるといういきさつをただ書いている気がしてね。すいすい読めることは確かだけど。

トチ:文体とか表現はいいってこと?

愁童:というか気になんないですよね。まあ、筋にひっぱられるて、すいすい読める文体。うまいのかな?

スズキ:私の感想は・・・(てんてんてん)なんですよ。というのは、なんか読み終わったときに、よく書けましたって言ってもらいたいレポートみたい。自分のルーツをさかのぼる旅をした人がその時の事をまとめたレポートの印象があります。悪い作品とは決してないと思いますが、かといって読み終わったときに残る物があまりにもなさ過ぎる気がします。物語の展開やキャラクター一人一人の描き方が薄っぺらい気がしました。あくまでも私の感想ですけど。

紙魚:うーん、私もこの本に関しては言うことがないんですよ。今日の会で言うことないなって困ってしまいました。本って、いろいろな層の本がありますよね。経験もそうだけど。どの本もすべてぴったりくるわけじゃない。どれもが感動するわけじゃない。夏休みに100冊読んでも、どれもがおもしろいわけじゃない。でも、嫌いではないけど特にびびっときたわけでもない本があるから、よけい好きな本が際立つってことあるじゃないですか。この本は、そういうその他に含まれるような印象。

愁童:後書きに書いてあるけど、人と人とのつながりは大事、みたいなところに立っているから、人が書けてないんだよ。課題図書とかにはなるかもしれないよ。感想文はきっと書きやすい。

トチ:ルーツ探しをテーマにするときは、ルーツ探しが主人公の子どもにとって、どれほど深刻で重要な意味があるかを書かなければ、読者を物語の世界にひきこむことができないんじゃないかしら。『蛇の石(スネークストーン)秘密の谷』(バーリー・ドハティ著 中川千尋訳 新潮社)は、主人公自身のルーツ探しだから、もちろん深刻だし、感動的な作品にしあがっていた。『雨ふり花さいた』は、タイムスリップというテクニックを使って、読者を物語の世界にひきこむことに成功していた。この作品には、そういう工夫というか、テクニックがないので、夏休みの作文みたいになってしまったんじゃないかしら。

愁童:児童文学に対する情熱が違うんじゃない。

トチ:日本の作家って、どれくらい海外の作品を読んでいるのかしら?

オカリナ:読んでる人もいるけど、数は少ないと思うな。私は、この作品はいいと思えなかったし、まあまあだな、とさえ思えなかった。ストーリーが必然的に進んでいくという感触がまったくなかったんですよ。たとえば、p32で、琥珀の中の空気を、琥珀の涙というところ。まだおばあちゃんのことがわかったわけじゃないのに、どうして涙なんていう安直な言葉をここで出してしまうんだろう? それから、認知症になったおばあさんに民宿の人がきいて、かずさんが泣くとこ。海女なんですよ、と泣く。そこで泣く必然性が書きこまれてないから、読者はおいていかれて、しらけちゃう。あともう一ついやだなと思ったのは、みさきが「おばあちゃんはみなし子なんだ。かわいそうに」って言うところ。孤児イコールかわいそうっていう出し方が安易だし、実際にどんな苦労があったのかを書く前に、こうやって外側から「かわいそう」というレッテルを貼っちゃうのは、文学とは言えないんじゃないかしら。

愁童:同世代の人でも、こういうふうには思わないな。

オカリナ:私は、「かわいそうに」なんていう言葉を安易に使う作家は、信用できないなって思ってるの。かわいそうって、自分が上に立たなきゃ言えない言葉でしょ。

(2001年07月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)