エイダン・チェンバーズ『二つの旅の終わりに』
『二つの旅の終わりに』
原題:POSTCARDS FROM NO MAN`S LAND by Aidan Chambers, 1999
エイダン・チェンバーズ/作 原田勝/訳
徳間書店
2003

版元語録:アムステルダムを訪れた17歳のジェイコブはオランダ戦線で戦った同じ名前をもつ祖父の秘密を知ることになった。祖父の青春をたどり直し、さまざまな形の恋などが展開する。 *カーネギー賞、マイケル・L・ブリンツ賞受賞

:久しぶりにページが減っていくのが寂しくなる本でした。おもしろいので、もっとゆっくり読まないともったいない気分になりました。主人公のジェイコブのオランダでの日々と、ヘールトラウの手記が交互に出てきて、これがどんなふうに繋がっていくのか、楽しみでした。物語の最初からジェイコブの不安、苛立ちや不快感が伝わってきて、どんなお話になるのかと思ったけど、ヘールトラウの手記に惹きこまれ、156Pのディルクの農場に移るあたりから、手記だけを読んでしまった。手記だけでも、ひとつの物語として読むことができましたね。戦争から開放されると喜んだ矢先に戦争の実態を思い知る場面や、一家が巻き込まれていく様子が、映像のように浮かんできて。トンとか、助けてくるおばさんとか、出会った人たちの存在感があって、心の通い合いが伝わってきました。ジェイコブとダーンの会話の引用文のとらえかたも、おもしろかった。

すあま:去年読んだ本のなかでは、とても印象に残っています。一昨年オランダに旅行に行ったので、ジェイコブと一緒に、追体験しました。以前友人がちょうどこの作品に出てくる記念式典の時にアルネムを訪れていて、ホテルに勲章をつけた人たちがいた、と言っていたのを思い出して、その友だちにこの本をすぐに紹介しました。そんなこともあって、私にとっては個人的に興味深かった。物語が二重構造になっていて、いったいこれからどうなっていくんだろうという謎の部分があり、どんどん読んでいった。昨年末にチェンバーズが来日した時、講演会に行ったんですけど、北欧やオランダの人たちに人気があるという話がありました。

むう:私ははっきりいって苦手でした。なんかてんこ盛りで、げっぷが出そうだった。作者の思いを受け止めきれないという感じ。それと、出てくる人がともかく饒舌でしょ。恋人候補とでもしゃべるしゃべる。彼我の差を感じちゃった。ヨーロッパの人は言葉で言わなくてはわからないという思いが強いんですよね。その通りだと頭ではわかるんだけど、こっちの体力がないときに読んだせいか、すごくしんどかった。それに、ジェイコブの言葉が著者の言葉に聞こえて来ちゃって。あんまり好きじゃないんですよね、ジェイコブが。この人の本を読んで若い人がいろいろなことを考えさせられるという感想を持つのは納得できます。たしかにいろいろな問題が扱われていて、それもオープンエンドになっているから、いろいろなことを考えるきっかけになる。この本は構造がダブルになっていて、しかも現代のほうにはホットな問題が山盛り。「人間には過去もけっして無縁でないし、今生きていくこと自体じつに大変なんだ」というのはよくわかる。でもあまりに問題が多いから印象が拡散している。たいへん誠実な本だとは思うんですが。ところで、日本には、こういうふうに社会的な存在としての人間を書いた本は何があるのかな。それと、原題は「緩衝地帯からのハガキ」じゃないですか。それが訳書では『二つの旅の終わりに』となっている。それと、訳書で章タイトルが「ジェイコブ」となっているところは、原書では「ハガキ」となっている。このあたりはどうなんだろうなあと思いました。チェンバースさんの講演会に行って、作者のすごさ、誠実さを感じて、この本が今回課題になったのをきっかけに著書を3冊も読んだんですけど、たとえば『おれの墓で踊れ』と比べても、これが最高峰という感じは受けませんでした。

カーコ:「ハガキ」とか「ポストカード」となっていたら、もう少しジェイコブのほうに、読者の目線がいったかもしれませんね。

:でも、あんまりジェイコブって魅力的じゃないのよね。

アカシア:すごい本なんだけど、ふつうの中学生とか高校生に読ませるのは難しいんじゃないかしら。確かに緻密で骨が太いんだけど、ユーモアがないと思ったの。子どもの本だったらユーモアがほしい。原書は、もっと文体に変化があるし、緩急があるんじゃないかな。オランダ人のしゃべる英語も、いかにも文法に忠実な外国人の英語という感じで、そこはかとないユーモアがある。イギリス人の子どもが読んだほうが、おもしろいのかもしれない。

トチ:最初の章で、ジェイコブがアムステルダムのカフェに入っていくところなど、原文で読むともっと軽い感じがしたんだけど。

ブラックペッパー:タイトルから真面目な本なんだと思って読み始めたら、イケイケ青春ものっぽくなってきて、「よしっ」と思ったら戦争の話で、やっぱりそうよね……と思った。ヘールトラウと祖父の間に子どもが生まれてたことも、やっぱりとは思うものの、それもよしよしという感じで、満足感がありました。ぎっちり中身がつまってるけど、重たすぎるということはなくて、いやではなかった。ただちょっと、これはどうなのかなと思ったのは、17歳の男の子が、アンネ・フランクを恋人のように思ってること。それから、おじいさんのジェイコブの死が突然すぎる。まあ、戦場で死んでは遺品が残らないけど。あと、ダーンは両刀で、そうか、両刀はやっぱりカッコいいのかとか。でもね、全体としては、満足。

紙魚:『麦ふみクーツェ』が「生きる」ことを書いた作品ならば、『二つの旅の終わりに』は「よく生きる」ことを書いた作品。少し長く生きた人が、次の世代や、次の世界に対して持つ「願い」のようなものがこめられていて、それがいいなと思いました。児童文学って、やはりそういうものがあってほしい。しかも、とてもこの作家はきちんとした人なので、尊厳死とか、同性愛だとか、生きるうえで考えるべきことを、ちゃんと物語の中に組み込んでいる。ただ、それがなんだか「はい、ここで問題です」と言われているような感じもしなくはありません。先に読んだ『麦ふみクーツェ』に、あまりにも人が生きる熱を感じてしまったので特に、この本にそういった空気を感じましたね。しかも、とっても配慮がゆきとどいているんですね。たとえば、165ページの「オランダにもナチスがあったという事実」なんていうのは、非常に配慮を感じます。お手本のような作品です。それから、17歳という年齢設定は違和感を覚えますが。自分が何を好きなのか、自分が何者であるかまだわからない少年の心の動きは、よく書けていると思いました。

アカシア:「オランダのナチス」の部分は原書と少し違って、日本の読者のためにわかりやすくしたんだと思う。

Toot:『麦ふみクーツェ』は、今生きている人。『二つの旅の終わりに』は、生きることを振りかえった人。やっぱり、ヘールトラウが胸にしまっておけないところが小説になっていると思う。途中からは、手記の方に興味が出てきて、ジェイコブの方は軽く斜め読みしてしまった。これは、児童文学にあてはめないほうがいいんじゃないかな。

カーコ:私は生真面目な性格なので(笑)、好きでした。読み応えがある作品。夫婦のあり方の問題、戦争の問題、性の問題、安楽死の問題など、たくさんの問題を投げかけますよね。ダーンのおばあさんが戦争中にこういう体験をしていることを提示しているのも、モラルどおりにならない、生きることの複雑さが見えて、いいなあと思った。あと、会話がうまいですね。会話をしながら、話題が変化していくでしょう。例えばジェイコブとアルマとの会話。どこに行きつくんだろうという感じがあって、確かに会話ってそうだなと感心しました。高校生くらいで読んでほしい、手渡したい本ですね。どうでもいいばかりじゃない、人生には大事なことがあるんだよと、考えさせられる。それにしては、装丁が子どもっぽいかな。高校生が自分で買うようなつくりにしてほしかったですね。

アカシア:チェンバーズさんとしては、中学生くらいから読んでほしいのよね。

カーコ:でも、日本の中学生にはどうでしょう。長いけれど、最後に物語がどこに行きつくのか気になって、読めました。これぞリアリティって本。

トチ:チェンバーズは、書く前の下調べにとても時間をかけるという話を聞いたことがあるのね。だから、ヘールトラウの話を書くにあたっても、オランダの女性からどっさり話を聞いたんじゃないかしら。その事実の重みも感じられて、ヘールトラウの告白のほうは、ぐいぐい引き込まれて読みました。女性の生理的な衝動や感じ方がよく書けていると世界各国の読者から言われるということだけど、私もそう思いました。407ページの「人は、なぜこうも、告白せずにはいられないのでしょうか・・・・」という下りも——作者自身日本での講演で引用したところを見ると、とても気に入っているんでしょうけど——とても美しい個所だと思ったし。ところが、ジェイコブの章になると、あまりにも盛りだくさんで、どうも人物も物語も立ち上がってこないのよね。混沌としていて。
でも、この作品で私がいちばん感動したのは、「どうしても自分はこれを子どもたちに語りたい」という、作者の志の高さ。これはロバート・ウェストールの『弟の戦争』(徳間書店)でも感じたことですけど。作者は自分の語りたいことを子どもに伝えるにはどういう手法が良いか考えぬいたすえに、現代と過去をつなぐためにこういう語り口を使ったのよね。内容ももちろんだけど、手法そのものに作者の熱い気持ちを感じる。『麦ふみクーツェ』もすばらしいけれど、社会的な存在としての人間を描く、こういった大きな作品も児童文学には無くてはならないものだとつくづく思いました。

ケロ:『二つの旅の終わりに』の中で、『過去』の話の方にみなさんどうしてもひかれるのは、戦時下という状況はある意味とてもわかりやすい価値観があるからでしょう。いつまで生きられるかわからない、という中で巡り会った二人は、他の状況に左右されない強さを持つし、説得力もある。それに対して、現代にはいろいろな問題があって、混沌としている。その中で、若者はどれを選ぶか、どう生きるか、つねに選択を迫られている。『現代』の方の描き方が盛りだくさんすぎるという意見がありましたが、それだけ混沌として「おまえはどうなの?」と問いつめられる脅迫観念があることが伝わるので、対照的で良いのではないかと思いました。それから、一度も出てこなかった「おばあちゃん」に、会ってみたかったですね。読んでいてもはっとしましたが、たしかにこのおばあちゃんは知っていたのではないかな? などと思ったので、(おそらくカッコいいであろう)本人に登場して一語りしてほしかったです。
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