むう:おもしろかったです。もう、1行目の「おーい、モギぼう! たーんと腹ぁへらしとるか?」で、あちゃあ、つかまっちゃった!という感じでしたね。前半はわりとほんわかと人と人との交流や何かで読ませて、後半は旅に出るところから畳みかけるように次々といろいろなことが起こるので、ぐいぐい引っぱられて転がるようにラストに行き着きました。これも、アメリカにいる人が韓国という異文化を書いているんだけれど、お話自体がきちっとできていて人物にも共感できておもしろい。だからこそ、お話を楽しむなかで、へえ、こうなんだとか、どうしてこうなのかなあというふうに疑問が広がっていくし、よく書けてると思います。訳もとても読みやすかった。みごとです。ここに書かれている生活はとてもハードなんだけど、ユーモアがあるから決して重たくなく、気持ちよく読めました。よく考えると、追いはぎをのぞくと悪人も出てこないんですよね。これは青磁の話ですが、今までけっこう好きで自分でも見ていた青磁の器にこういう秘密があるってはじめて知りました。象嵌っていうのはすごい技法で、それが作り出された時に舞台を設定するというのもとてもドラマチック。思わずインターネットで青磁の写真を見直してしまいました。物語の筋や表現が特に新しいというわけではないのだけれど、いわば定番の安定感がプラスに働いていると思います。個人的には橋の下のおじいさんがとても好きです。

愁童:ぼくも、同じような感想です。韓国の文化に着いての描写も違和感なく読めた。焼きもの師夫妻の主人公に対する気持ちの近寄り方も、すぐハグハグするんじゃなくてね。少々、通俗的だけど、子どもの本て、こういうわかりやすさとハッピーエンドって大事だと思うので、『ナム・フォンの風』に比べれば、ずっといいと思った。

カーコ:人物がくっきりしていて、筋もドキドキしてとてもよかったです。弟子入りしたモギが、だんだんに焼き物のことがわかってくる過程がとてもうまく書かれていて、すごいなあと思いました。特に、99ページの、粘土の漉しのことがわかる場面。修行を積むうちに、ふっと上に行けた感じが伝わってきて、とても印象的でした。名人の師匠なのに、焼成だけは思うようにいかないというのも、人生の一面が出ていますね。モギがわからなくても考えるのが好きと言って、あれこれ考えるのがおもしろかったですね。ひとつ難を言うなら、絵がきれいすぎるかなと思いました。表紙の絵も中の絵も、貧しい感じが私はあまり感じられなかったので。

紙魚:私も、モギが粘土を漉していて、ふっと指先が全てを感じた部分では、かなり興奮しました。まるで私の指も何かに触れたかのように感じたくらい。私は、好きなことを懸命に志し、手に職つけていく話って大好きなんですよね。今、『13歳のハローワーク』(村上龍著 幻冬社)が話題になっていますが、あの本の考え方はとても大切だと思うんです。ついこの前までは、日本には、学校に行って企業に勤めることが幸せにつながるという幻想がありましたが、「好きなことを仕事にする」ことこそが、個人にとって幸せだし、国家の経済や未来のためにもなるという考え方は、大人こそが身につけるべきです。「好きなこと」を手がかりに自分の生き方を選んでいくという考え方は、モギの姿にも重なり、フィクションでもノンフィクションでも、そういうことを伝えていくって、すばらしいと思いました。

ケロ:翻訳ものだとは思わず読んでましたね。日本的だと感じたのは、おじいちゃんの教えを身にしみこませていくような感覚のせいでしょうか。何かができるようになる、修練をつんでうまくなっていく話というのは、ある意味、カタルシスになるというか、読んでいて気持ちいい。ゲームをクリアしていくのと根はいっしょなのかもしれないけれど、現実の地に足がついているところが違う。このような話は、小さい頃から好きでした。これまで青磁ってあまり変化が無く、魅力を感じなかったんですよね。すみません、という感じです。韓国で書かれたものって触感が違うかと思っていたんですけど、アメリカを経由しているからか、さらりとした触感に変わっていて読みやすいのかな。

Toot:小さな希望と絶望がくりかえされていく。それぞれの人物が、ひがんだりせず凛として書かれている。トゥルミじいさんの言葉が、作者のメッセージなのかな。おかみさんにしても、だらだらと語ってはいないのだけど、1行であらわすのがうまい。確かに、絵はきれいすぎますね。あと、タイトルは、手にとって読みたいという気持ちになりにくい。

アカシア:ストーリーの進め方は、児童文学の定石どおりで、貧乏だけど気立てのいい少年が精一杯努力をした結果幸せをつかむ。でもリアリティが感じられて、気持ちよく読めました。作者は、親の世代がアメリカに移住してきたコリアン・アメリカンですよね。扉に「青磁象嵌雲鶴文梅瓶」の写真(イラストかな?)がありますけど、きっと作者はこれを韓国の美術館で見てイメージをふくらませていったんじゃないかしら。いったん物語が終わったあとで、「韓国の国宝のひとつに、高麗時代に作られた青磁の梅瓶がある。象嵌で仕上げたその美しさはほかに類がない。意匠の主役は鶴(トゥルミ)である。四十六個の丸文のひとつひとつに、のびやかに翼を広げて鶴が飛ぶ。(中略)その名を『青磁象嵌雲鶴文梅瓶』という。作り手については、なにもわかっていない。」と、作者は書いて、モギがこの作品を作ったのではないかという可能性を読者に想像させる。うまいですよね。この作品を書くにあたって作者はいろいろと調べたんでしょうけど、翻訳者も実際に韓国を訪れて細かく取材している。だから作品が嘘っぽくないし、しっかりしたリアリティに支えられている。とても好きな作品です。

トチ:翻訳がすばらしい! アカシアさんの話を聞いて、ずっと前に聞いたアラン・ガーナーの講演を思い出したの。ロシア語の翻訳者がガーナーのイギリスの自宅に来たとき、「〜〜という木はどんな木ですか?」ってきいたんですって。ガーナーが、近くの森に連れていって、その木を教えてあげると、翻訳者はその木に抱きついて手触りを確かめ、葉っぱの匂いをかぎ、五感でその木を知ろうとしていた。ガーナーはそれを見て、翻訳者ってこういうものなんだ、翻訳ってこんなにすごいことなんだって感激したっていうのね。ガーナーがそんな風に感激したって話を聞いて、私もまた感激しました。作品の魅力はみなさんがおっしゃったとおりすばらしいものだけど、その魅力を十二分に引き出しているのは、片岡さんの翻訳の力だとつくづく思いました。
それから、こういう職人話って私も大好きなんだけれど、児童文学にとってはとっても大切なことよね。指揮者の大町陽一郎が音楽を志したのは、子どものときに『未完成交響曲』っていう映画を見たからだっていう話を聞いたことがあるけれど、1冊の本、1本の映画が子どもにとっては未来につながる力を持っているのよね。
紙魚さんと同じように、わたしも「日本の児童文学者はなにをしてるんだ。こんなに書くことはたくさんあるのに」と思ったわ。

アカシア:日本の児童文学作家も書いてはいるけど、これだけ力のあるものは出てきてないんじゃない。

紙魚:日本の作品は、社会問題と物語が、なかなか溶けこんでいかないんですよね。物語の中で、急に「はい。ここからが問題です」という感じになり、問題提起する部分が浮いてしまう。

ペガサス:極貧の生活をしていながら、人間として豊かな生活をしていたというところが、それこそ今の日本児童文学にはない点ですね。そうそう、疑問に思ったのは、「モギ」って何語?

一同:韓国語でしょ。「きくらげ」っていう意味の。11ページにそう書いてある。

ペガサス:原書だと、”tree ear”ってなってるので。じゃあ、訳す時に日本語でなく、韓国語にしたのね。トゥルミじいさんも原書では"crane man"だけど、日本語の「鶴」ではなく韓国語のトゥルミにしている。主人公の名前が「きくらげ」だと変だからかしら。あとね、青磁とか象嵌とかって、子どもにはよくわからないと思うので、絵を扉だけでなく他にも入れたほうがいいと思う。それから韓国と日本の位置関係がわかる地図も入れたほうが子どもにはわかりやすい。

トチ:コリアン・ジャパニーズの子にとっても、力になる本よね。

ペガサス:私ね、サブタイトルに「ちいさな焼きもの師」ってあるから、いつモギが焼くのか、焼くのかと思ってたのね。だから、あ、ここで終わってしまうのかという感じだった。焼きもの師になる前の話だからこのサブタイトルは少し違うよね。それからキムチの入ったお弁当がとてもおいしそうだった。白いご飯と赤いキムチと干物、それに箸がわたしてあって。このお弁当は印象的だった。

紙魚:モギが半分残しておいたお弁当を、おかみさんが毎日いっぱいにしてあげますよね。あそこの部分を読んだとき、ふと、今の我々の日常に、相手に見返りを望まないで何かをするという気持ちが、薄れてきているのではと感じました。すっかりギブ&テイクが当然という風潮になっているような。

アカシア:サブタイトルだけど、日本語の「焼きもの師」っていうのは陶工のことだから、必ずしも焼かなくてもいいのよ。それから、表紙の絵の服装が貧乏な子に見えないという意見が出たけど、私はこれでいいと思うの。だって、親方の代理で偉い人に会いにいくんだから、いい服を着てて当然なのよ。