アカシア:絵を一枚ずつ見ながら物語が進んでいく構成は、おもしろいと思いました。ただ、リーガン家の人々が、拒み続けているように見えるホリスに飽くまでも執着する理由がわからないんですね。ホリスの魅力がじゅうぶんに伝わらないから、なるほどと思えないんだと思うの。それにスティーブンが冬の山荘にいろいろなものを運んでくるところなんか、リアリティがなくて、ご都合主義的な『小公女』みたいに思えてしまう。ホリスが里親をたらいまわしにされていたという設定は、キャサリン・パターソンの『ガラスの家族』(偕成社)とも共通してますね。でも『ガラスの家族』には突っ張り具合が具体的に書かれていてリアルだったけど、この作品はあまり具体的な記述がないので、その後ホリスが人間を受け入れる存在に変わっていく部分が、逆にうまく伝わらない。とにかくリアリティが希薄でしたね。

ハマグリ:現在の進行と過去の回想が立体的に構成されているけれど、凝っているわりには内容が薄いですね。リーガン家との出来事の回想が間に挟まっていて、過去に一体何が起ったんだろうと思わせるけど、それが少しずつ小出しに延々と続くので、いい加減に言えよ!と思ってしまう。そこまで引っ張っておいて、ラストは何だ!と拍子抜けしてしまう。絵を一枚一枚出してくるのも洒落ているけれど、あまり効果がないように思いました。リーガン家の人たちがなぜホリスをそこまで受け入れようとしているのかも今ひとつ理解できないし、なぜホリスが彼らだけにそこまで心を開いたのかも分からなかった。ジョージーに対してこれほど優しくできるというのも、納得がいくようには描かれていません。心の動きが伝わってこないのね。もっとホリスのことが知りたいのに、回想シーンに邪魔されてしまう感じもあるし。

ケロ:そうですね、私も、引っ張りすぎだよ、とつっこみを入れながら読んでしまいました。でも、リーガン家との出会いのシーンは、なかなかいいと思いましたよ。24ページ。ゲームをしてわざと負けてあげるあたりの優しさがうまく描かれているので、斜に構えるホリスが、この家族を「かけがえのない家族」と思えることに説得力があります。また、ホリスに帽子をかぶせて鏡にうつすシーンで、ホリスがとても美しい、というところなど、あっ、そうなんだー、とホリスのイメージを少しずつ軌道修正しながら読むところがありました。

ブラックペッパー:そこは、愛情を持っている人から見ると可愛いということかな、って思ったけど。顔立ちが整っているわけではないのだろうと。

ケロ:そうか、そうですよね。だいたい、全体に「ホリスってどんな子なんだろう」と思いながら読んでいた感じがします。それだけつかみにくかったのかな、ホリス像が。読み進めていると、あっさり読んでしまうのだけれど、あとで「何で?」とひっかかってしまったり、浅い感じがしたりするところも、『ノリー・ライアンの歌』と似ている印象を受けました。あと、わざとそういう印象をあたえる設定にしてるのかもしれないけど、スティーブンは死んだんだ、と思って読んでしまいました。

トチ:『マイのいた夏』のマイが死ななくて、スティーブンが死ねばよかったってわけ? というのは冗談だけど。私も、主人公がこれだけスティーブン一家に対してしでかしたことで悩んでいるのだから、死んでるにきまっていると思って読んでいたので、最後まで読んで拍子抜けしてしまったわ。それに、ホリスという子がどうしても好きになれなくって・・・・・・スティーブン一家や彫刻家のおばあさんが気に入るような娘には、とても思えなかった。訳文のせいかしら。ホリスのモノローグでストーリーが語られていくわけだけれど、12歳の女の子が語っているようにはとても思えない。「おやじさんはスティーヴンを愛している。当然ではないか」なんて、12歳の女の子が言うと思う? 原書では、もっとみずみずしい、いかにもこの子らしい語り方をしているんじゃないかしら。それから田舎の少年であるスティーブンが自分のことを「オレ」といっているのに、なんでホリスのことを「きみ」なんて気取って呼んでるのかしら?

アカシア:原文では、セリフにもっと繊細さがあるのかもしれないわね。

トチ:自分の絵について話しているところも、原文ではもっと繊細なのかもしれない。それから彫刻家のおばあさんに「〜してあげた」ではなく「〜してやった」とずっと言っているのも気になった。尊敬している目上の人に対する言葉としては、乱暴よね。それから、これは原文のほうもそうだと思うのだけれど、ケースワーカーをこれでもかとばかり嫌らしく描写しているのが、嫌な感じ。彫刻家のおばあさんは映画スターのように美しいので、初対面のときから気に入ったけれど、ケースワーカーはいつも同じ服装で、サイズもXLだから嫌だ・・・・・・なんてねえ。
それから、里親制度も日本とアメリカでは違うと思うんだけれど。日本は里親になる人たちは本当に奇特な人だけれど、アメリカでは自分の利益のためになる人もいると聞いています。そこのところを知らないと、「せっかくうちで育ててあげるといってくれているのに、なぜいろいろな文句をいっているのか」と、日本の読者は不思議に思うんじゃないかしら。

アカシア:ホリスはこの作品の最後では、里子ではなくてリーガン家と養子縁組をするのよね。里子は一時的に預かってもらうということだけど、養子は親子という恒久的な関係を法的にも結ぶということですよね。そのあたりも、訳文の中なり後書きなりではっきりさせておかないと、最後のホリスの安心感が日本の読者には伝わりにくい。それと、さっきトチさんから「きみ」が変だという話が出ましたけど、私はスティーブンが父親を呼ぶときの「とっつぁん」にもひっかかりました。スティーブンのほかの部分の口調と合ってない。

ブラックペッパー:やっぱり不思議なのは、リーガン家の人々がなぜホリス・ウッズをこんなに好きになって、ホリス・ウッズもまたなぜリーガン家の人々をすぐに受け入れたのか、ということ。だって、ホリス・ウッズって、こんなに「悪い、悪い」って言われてて態度も悪かったのに、すぐにうち解けて相思相愛になるなんて、ちょっと変じゃない? そういうところが全体に雑な感じ。作者の中では、世界が緻密にできあがっていたのだと思うけれど、描かれていない部分が多いから読者には伝わりにくい。そして構成が凝っていることで、よけいにその描かれていない部分、すかすかしたところが目立っちゃう。骨太なストーリー展開で大きなうねりに引き込まれるような作品だったら、描かれていないところがあっても気にならなかったり、想像をふくらませて自分で補うことができたりするけど、この作品はぶつぶつと途切れながら進んでいくという構成だから、どうしても「すかすか」が気になる。
訳も気になるところがいくつかあった。たとえば73ページに「アメリカ南西部へ行く」ってありますよね。日本語では、日本の中を移動するのに「日本の〜地方へ行く」とは言いませんよね。「アメリカ南西部」と言われると、えっ、今いるのはアメリカではなかったの? と思っちゃう。こういうところ、もうちょっと工夫できるのではないかしら?

アカシア:リーガン家の人々は、何でも許してくれるやたらに優しいだけの非現実的な存在に思えてしまうわね。リーガン家の人も、ホリスも、立体的な存在として伝わってこない。

ハマグリ:ホリスが魅力的になっていないのは、この口調にもその一因があるよね。

むう:カレン・ヘスの『11の声』(理論社)やロイス・ローリーの『サイレント・ボーイ』(アンドリュース・プレス)のように何枚かの写真を使ってそこから物語を構成していくという作品もあることだし、目次を見て、この作品は絵をいくつか使って物語を構成しているらしいと思って読み始めました。話としてはけっこう波瀾万丈なのだけれど、読み終わったときには、軽いというか浅い本という印象しか残らなかった。私も途中はずっと、スティーブンが死んでしまったんだと思っていました。思わせぶりな感じがしますよね。ホリスは、自分が加わることでスティーブンの家族の平和を壊してしまったと思ったから家を出ていくわけなんでしょうけど、そのホリスにとっての重さをもっときちんと描かないと伝わらない気がする。読者にすると、「え? スティーブンが生きてたんだったらいいじゃない」みたいになる。それと、再会したスティーブンがホリスに、「きみは、まだ家族ってものを知らないんだよ」と言いますよね。ここでホリスは、実際の家族はいつも和気藹々としているわけではない、ということをはじめて知らされる。著者はこの瞬間を書きたかったのだろうけれど、一つ一つの人物や情景の書き込みが足りなくて、平板になってしまっているから、読者にすると、ただ「ああ、そうですか」となってしまう。

ハマグリ:この子がどんなに悪い子でも、よく描けていれば読者は応援したいという気持ちになるものだけど、これはそうならないのよね。

トチ:人間に対する見方も意地悪よね。ソーシャルワーカーは訳のわからない、鈍い人だときめつけている。ユーモアもないわね。ソーシャルワーカーの特大サイズトレーナーはもしかしたらユーモアを書いている部分なんでしょうか?

ブラックペッパー:私も、ここは面白いと思うべきところなのかな、と思ったけど、ユーモラスとは思えなかったな。

(「子どもの本で言いたい放題」2004年10月の記録)