『みんなワッフルにのせて』
ポリー・ホーヴァート/著 代田亜香子/訳
白水社
2003
原題:EVERYTHING ON A WAFFLE by Polly Horvath, 2001

版元語録:港町に住む少女プリムローズの両親が嵐の日に海で行方不明になり、町の人は死んだと決め込む。それを信じない少女が巻き起こす珍事件を素敵におかしく描いたニューベリー賞オナー賞受賞作。
*ニューベリー賞オナー賞受賞

ブラックペッパー:読みやすくて、さっと読めたんですけど、笑っていいものなのかというのがわからない。「明るいブラックユーモアで定評のある作家」らしいけど、指をなくしたりするのも明るいブラックユーモア? 指をなくす場面も、それほど痛そうじゃない。得るものと失うものがあることを示す一つとして指を失うのかもしれないけど、でもなんでそんなショッキングなことにならないといけなかったのか、そういうところがわからない。章の終わりにレシピがついていて、私はレシピを読むのが好きなのでうれしく読んだのですが、ちょっと気になったのはバニラエッセンスの分量。p35の「ティリーおばさんのレモンシュガークッキー」とp73の「ティービスケット」では小さじ2はい。p64の「シナモンロール」では小さじ1ぱいとなっているのですが、日本でよく売られているものは、ほんのぽっちりでいい(材料1kgにつき2〜3mlと表示されています)ので、そんなに入れたら多いのでは……? カナダのものは味の濃さが違うのかしら? それともさじの大きさが違うとか? 1カップの分量も日本は200ccだけど、国によって違ったりしますよね。

ケロ:私は、こういう話はけっこう好きです。章立てで、「足の指をなくす」? えー、なんて思ってたら、「また指をなくす」なんてあって、ブラックだなあ、と笑いながら引っ張られるように読みました。このようなお話なら、「親は帰ってこない、でも、乗り越えたよ」という展開がふつうだと思うんですが、なんていうんだろう、このお話のとぼけた感じとか、不思議なことが起こりそうな感じからか、途中から、両親は帰ってくるんじゃないかな、と思いながら読んでいる自分に気づきました。そんな、ファンタジーとリアリティの中間のふわふわする感じを描くのがうまいなあと感じました。それは、痛そうな話をリアルに描かないこととか、幽霊が出てくるところとかから、作り上げられているのかな?とも思います。それと対照的に、気持ちの流れ、感情は、とてもリアルに描かれていて面白いですね。まわりの大人が、すごく面白かったです。ハニーカット先生とか、すごくいやなやつなんだけど、あー、こういう人いるかもね、と気の毒になりながら読んだりして。

うさこ:ファンタジーではなく、生活物語だと思って読みました。なのに、浮かんでくる映像が、実写ではなく、どこかアニメの映像をみているような気がしました。実質的な人間の世界のことではないというのか……。この子自身が、明るいというか強いというか冷静で、弱さや痛みがあまり書かれていないせいか、胸に迫ってくるものが弱く、感情移入するところまでいきませんでした。わざとリアル感を薄めようとしたのかもしれないけど、あまりにも感覚的な物語で着地しています。
 レシピを集めてどうしたんでしょう? 何か気持ちを整理できたということでは、この子の心の支えとなったのかな……。章ごとに出てきた食べ物をレシピとして紹介しているのは、2時間ドラマのTVコマーシャルで「ちょっとティーブレイク」的な感じもしましたが、深刻な話のなか(特にp81)に、(レシピはのちほど)とあると、話がぬるくなり、効果的ではないように思います。それにレシピはおいしそうだったけど、カットが弱い。せっかく絵を入れるなら、もっと読むのを助けるカットにしてほしかった。レシピでできたものを見てみたいと思うのに、素材ばかりが並べてありますもんね。イラストの役割をもっと大事にしてほしかった。
この本、主人公は11歳なのに、図書館では一般書コーナーにありましたよ。YAシリーズの位置づけが、図書館でも書店でもあいまいなんですね。読む年令と書棚にギャップがあって、読者にきちんとこの本が届いているかどうか疑問に思いました。レイアウトは字が小さくて、しかも教科書体は意外に読みにくいという印象です。書体や行間なども、もう一工夫してほしかった。

アカシア:足の指のところがブラックユーモアだとは、私は思わなかったな。ブラックユーモアというとダールを思い出しますが、それとは違いますよね。主人公の女の子は、まわりの人みんなが親は死んだというのに、生存を信じて待っている。待っている間に、親がいれば出会わないような様々な人に出会うという話。パーフィディさんとかハニーカット先生とかジャックおじさんとかバウザーさんとか、脇役の人たちにリアリティがあって面白い。「作者は明るいブラックユーモアの作風で人気」と訳者後書きには書いてありますが、この作品がブラックユーモアを基調にしているとは私は思いませんでした。訳は軽快で、心地よさがあります。現実には大変なことがいろいろ起こるけど、明るい気持ちでなんとか生きていこうとするこの子の感じが、いいですよね。ただ明るいだけじゃない、という微妙な感じがもう少し出ると、もっと面白かったかな。この作品は、『コラライン』と違って、生活もちゃんと書こうとしてるんですよね。だから生活に密着したレシピも出してくるのかな、と私は想像しました。p63だって、深刻な話をしているのに、生活者のバウザーさんは手を休めない。コララインはゲーム的ですが、この作者はもう少していねいに状況や人物を描写しています。ただ、最後に両親が帰ってくる場面は、この子の夢が報われてハッピーエンドになるのはいいけれど、なんだかバタバタと唐突な感じがして、もう少していねいに書いてほしかったな。読者は、プリムローズといっしょになって読んでいるので。

愁童:両方読んで、印象がごちゃごちゃになってしまった。かたっぽは、ファンタジックなおばけのところをぐるぐるまわる、こっちは現実のいろんな人のところをぐるぐるまわる。主人公が、積極的に周囲の人や状況にかかわっていくようには描かれていない。ご近所の人たちのようすは、よく書けているけれど、主人公の女の子が何を考えているのかよく分からない。おじさんが町を再開発しようとしていて、町の人の反発の様子も書かれているのに、肝心の主人公はどうなのか全然解らない。

アカシア:おじさんの再開発計画についても、主人公の女の子はまだわからないんだと思います。バウザーさんとの対立はちゃんと書かれていますよ。

愁童:まだらボケのおばさんに預けられた後、その家を出て、着るものを忘れてきたのを思いだして取りに行ったら無かった時の女の子の気持ちなんかもう少しきちんと書き込んでくれてもいいんじゃないかな。ここではむしろマダラぼけのおばさんの描写のエピソードとして使われているだけで、主人公側への目配りが薄い気がした。なんか、隔靴掻痒というか、主人公の女の子が何を考えているのかわからない。

ブラックペッパー:そう、女の子が何を考えているか、最後までよくわからない。

アカシア:私はそこは想像できたんですよね。主人公の内的な動きではなくて、表の意識にのぼるものだけを書いて想像させるという手法なんだと思ったんです。だって、この子は本当はつらいんです。だけど、つらいとか悲しいとかを書いていったら、逆につまらなくなる。

ちゃちゃ:この作品は少女の一人称で、一人称の場合、その年代の意識や分析能力などの制約を受けますよね。この場合は、この少女の一人称であることによって、痛みの感覚が完全に切り離されてしまっているのかもしれません。でも、アカシアさんが言われたように、ほんとうは痛いんだけれど、というところがもっと読者に伝わらないと奥行きが出ない。なんだかつるっとした奇妙な感じで、バタバタと終わったような印象を受けました。すらすらと読んだんですけど、最後のところで親が唐突に帰ってきたのは、かなり興ざめでした。

カーコ:私はけっこう面白く読みました。ちゃちゃさんがおっしゃったように、さびしいとか辛いとか痛いとか、負の感情はほとんど出てこないんですね。独立心旺盛で、人に依存しまいとしている主人公像を感じました。それに、脇役がユニークで面白い。人のために動いているようで、実は自分中心のハニーカット先生。ジャックおじさんは、面白そうだけど、近くにいたら大変そう。パーフィディさんのクッキーが、防虫剤臭いというのが、すごくリアルでおかしかったです。そういう細部がとても面白かった。最後に両親が帰ってくるかどうかは、どっちでもいいと思いました。

:深みのあるいい作品になりそうなのに、完成度が低いのが残念だと思いました。人生の真実のようなことをまわりの人がさりげなく言ったり、この子が両親が生きていると信じ続けるとか、魅力的な要素はたくさんあるけど完成度が低い。というのは、大事なバウザーさんが唐突に現れますが、もっと早い段階で現れるべきだったし、重要な役目のおじさんが場所によってイメージが違って全体像がつかめないところなどに、そう感じました。またしゃれたジョークっぽく、レシピはのちほどとか、小見出しでドキッとさせるなど演出がありますが、そういうのが邪魔で、もっとシンプルに書いたほうがぐっと深みが増すのではないでしょうか。それから一人称の文章というのは難しいなとあらためて思わせる作品でした。「レシピはのちほど」は、誰に向かって言っているのかなと。

:時間がなくてp67までしか読めなかったんです。でも、この子のつらさはp16の「こうしてあたしは、服や身のまわりの物を三か所にわかれて待つことになった。まず、ジャックおじさんが買った家。それから、パーフィディさんの家。ここにはお母さんに編んでもらったセーターを、虫に食われないようにおいておいた。それから、もともと住んでいた家。ここはおじさんが貸家に出した。そんなわけであたしは、体が三つにわかれているような、おかしな夢心地みたいな気分だった。あたしはもう、どこでも生活していない……お母さんとお父さんを待つために桟橋にいくとちゅう、あたしは思った。あたしの心は体の中にうまくおさまってない。きわどいところをただよっている。ふわふわ浮かんでいる」なんていう所に表現されていると思いました。現実を横にを置いておかないと苦しすぎるんだなあ、と私には思えました。

きょん:「理由もないのに心の奥に確信していることある?」と、繰り返し出てくるその言葉が、プリムローズの心の叫びなのかな? いろんな大人が出てきて、人物がとてもよく書けていて、そのエピソードがさりげなく断片的に出てきていて、淡々とした感じ、あっけない感じが、この本の魅力でしょうか? ただ、そういうふうにいろんな人やものを書くことで、それらに取り囲まれた主人公プリムローズが浮き彫りになっているところが上手だと思いました。セーターがなくなっちゃうと聞いて、どうなっちゃうのかなと気になってひきつけられる。そんなふうに、いろんなエピソードにひかれながら、読めていく。ラスト、「だけど、べつにかまわない。だって、わたしは知っているから。ここに住んでいれば、なんでも好きなものが手にはいるってことを。しかも、ワッフル(レシピはのちほど)の上にのって。」のところが、すごく好き。ただ、訳者あとがきに「この物語を読んでいたら、希望や喜びというものは人間に本来備わっているものなのではないか、ほんとうの絶望なんてありえないものなのではないか、と思えてきました」とありますが、これはちょっと言い過ぎかしらと思い、不快でした。ハッピーエンドをいっているのかもしれないけど…。

ケロ:p91に、「…きっと喜びって、両親とか、十本そろった足の指とか、自分で必要だと思ってるようなものがなくても生まれてくるんだ。それ自体、いのちを持っているんだな」とあって、そこにもつながっているのかも。私はそこが好きだったんですけど。

小麦:ホーヴァートは大好きな作家です。世の中から3センチくらい浮いた「変な人」を書くのがうまくて、「変なの〜」なんて油断して楽しく読んでいると、いつのまにか最後のところですっと感動させられたりする。おもて向き、いかにも「感動作」なんて顔をしていないし、なんとも飄々としているので、こちらも構えずに読んでいる分、最後の作者の優しさやメッセージが、すっと素直に入ってきます。最近出た『ブルーベリー・ソースの季節』(目黒条訳 早川書房)もそう。「変だけど、それなりに一所懸命生きてる」という、私の好きなキャラクターがたくさん出てくる、好きな作品でした。
帯に「完全なスラップスティックコメディー」とあるように、私もこの作品をある種のコメディーだと思って読みました。帯に引っぱられた部分は大きいとは思いますが。編集の方は、あのラストシーンを読んでこの帯を書いたんじゃないかな? 次々困難に襲われながらも、ことさら騒いだりしない、淡々としたプリムローズの姿勢は、笑っちゃうと同時に共感も覚えます。ほんとうに、困った事が起きた時って、私もこんな風なんじゃないかな、なんて思って。この本はヤングアダルトというカテゴリーに入るんだとは思うけど、組みや造本は大人向き。テキストの量を考えたら仕方がないのかもしれないけど、こういった本をもっと子どもたちに読んでほしいなと思ったので、そこはちょっと残念でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年10月の記録)