『シャングリラをあとにして』
マイケル・モーパーゴ/作 永瀬比奈/訳
徳間書店
2002.08
原題:ESCAPE FROM SHANGRI-LA by Michael Morpurgo, 2001

版元語録:11歳の女の子、セシーの前に、ある日突然あらわれた浮浪者のようなおじいちゃん…。記憶を共有することで深まっていく親と子、祖父と孫の絆を鮮やかに描く。

ケロ:読みやすいし、話の展開もわかりやすいですね。ただ、おじいちゃんの記憶をなくす過程が、ちょっと安易な気がしました。また、おじいちゃんが「シャングリラには行きたくない」とうわごとのように言うので、シャングリラってどんなひどい場所かと思うのですが、結局これはおじいちゃんが友だちから最近聞いた老人ホームだった、とわかります。そこが、どうも納得いかなかったですね。自分がどこに住んでいるかなど最近のことをショックで忘れている、という状況の中で、「シャングリラ」は書名にもなっているし、何をあらわすのか興味がわいたのですが、それがただの老人ホームだったとは! もっと、おじいちゃんの根元的な何かの記憶と結びついているのかなと思っていたので、ひっかかってしまいました。最初の場面で、このおじいちゃんは雨の中にずっと立っているわけですが、そこはあんまりリアルには感じられませんでしたね。

ミッケ:以前読書会で取り上げた同じモーパーゴの『ケンスケの王国』(佐藤見果夢訳 評論社)が今ひとつだったので、どうかなあと思いながら読み始めたんだけれど、これはとてもおもしろく読めました。自分は捨てられたと思っている息子と父の再会という要素と、老人の自主決定権の問題という要素と、戦争の傷という要素、この三つの要素がうまく絡み合っていて、ぐんぐん引っ張られる本。それに、このおじいちゃんのありようも、私はかなりリアルだと思いました。息子から見ればひどい仕打ちをしているにも関わらず、どうしても会いたいといって押しかけて来ちゃったり、それで歓迎されないと今度はひどく落ち込んじゃったりする、ちょっとお調子者な感じも、とてもよくわかる。それと、自分の暮らしを自分で決めていきたいという気持ちも。最後が、会いたいと思っていた人に結局は会えない、というのもいいと思う。これが会えちゃったりすると、嘘くさく甘くなるけれど。こういう本を読むと、欧米には戦争体験をちゃんと次の世代に伝えようとする人がいるんだな、と感じられますね。この作品は、作者が様々な作品を発表するようになってだいぶ経ってから書いたようですが、そのあたりも、興味深いなあと思いました。

エーデルワイス:私もよくできているな、という印象を受けました。ただ、子どもの本だな、という感想も。というのは、悪い人が出てこない。シャーリーはいじめっ子ですが、反省して途中から和解するし。たしかに老人ホームの鬼ばばというのも出ではきますけど。おじいちゃんは若かりし頃に、ルーシーアリスに助けられ、恋をする。おそらくルーシーは、敵をかくまっていたことがばれて、どこかへ連れていかれ、殺されたんでしょうね。そんな過去を持ったおじいちゃんがとてもうまく描けていると思いました。ビートルズの曲が要所要所に登場しますが、とてもうまく使われています。「ひとりぼっちのあいつ」という訳になってる曲は、原題は「Nowhere Man」で、どこにもいない男、ということですよね。まさしくこのおじいちゃんのことを言ってるんだなあ、と思いました。

げた(メール参加):以前読書会で読んだ『カチューシャ』(野中ともそ著 理論社)を思い出しました。『カチューシャ』の祖父の過去が十分伝わってこなかったのに比べて、こっちは、おじいさんの過去を探ろうとするセシーの姿から過去が読者によく伝わってきているのではないかと思いました。お父さんやお母さんの気持ちよく伝わってきました。その他の登場人物もその性格がはっきり伝わってきて、読み取りやすかったと思います。

アカシア:老人ホームの人たちが脱走して船出するところなんか、とってもおもしろいなと思いました。おじいちゃんの元恋人捜しとか、このおじいちゃんの素性とか、謎もたくさんあって、戦争を扱っていると言っても楽しく読めます。私もシャングリラについては、ケロさん同様インパクトは弱いと思いましたが、おじいちゃんのキャラは全体から浮かび上がってきました。それと、シャングリラっていうのは、英語では架空の楽園という意味だから、この書名には「想像上の楽園を捨てて、厳しくはあっても現実と向き合おう」っていうニュアンスが含まれているのではないかな? 日本語にしてしまうとなかなか通じないけど。モーパーゴという作家は、戦争を自分のテーマの一つにすえて、説教くさくなく楽しく読んで、しかも考えてもらおうという点に心を砕いています。別れ別れになった親子ということでは、モーパーゴ自身が、お父さんのことを知らずに育って、後に再会しているんですね。再会してから30年近くたって、自分の体験も書けるようになったのかな、と思いました。P199に「ベル」と出てきますが、これは「鐘」のことでは? ともあれ、『わたしは生きて行ける』と比べると、少女の一人称という点では同じなのに、こっちの方がずっとずっと読みやすい。編集力の差でしょうか?

(「子どもの本で言いたい放題」2006年12月の記録)