げた:チェルノブイリの話は、『アレクセイの泉』(本橋成一/アリス館)のあと児童書ではあまりなかったと思います。被災者した子どもたちを預かった家族が、なんで離れ離れになって、悲しい結末を迎えることにしなくちゃならないんだろう? チェルノブイリの話をとりあげるのなら、もっとあたたかい、ハッピーな形で終わる物語にはできなかったのかなあと思いました。セリョージャに対する気持ちは、自分のことを省みられなくなって、やきもちをやいているということじゃなくって、実はセリョージャに恋していたんだということは、後のほうでわかるんですけど、僕にはわかりませんでしたね。お母さんのことなんですけど、12歳でなくなった長男の身代わりのような形でセリョージャを迎えて、セリョージャが帰ってしまうと、その思いを断ち切りたいから、北海道を離れていく。なんで、そうなるの? 家族関係を壊すことないじゃないの? ちょっと納得いかない部分ですね。

アカシア:私はこの表紙や題名からは意外だったんですが、読んだらおもしろかったです。チェルノブイリの事件を日本の子どもも大人も忘れかけているときに、こういう取り上げ方もあるんだ、と思って。セリョージャだけだと、いい子で出来すぎかもしれませんが、レオニトっていうわがままな子も出てくるのが、いいなあと思います。ボランティア団体の恩恵を受ける側なんですけど。子どもらしくていい。お兄さんが亡くなって主人公の家族が暗いんですけど、セリョージャと暮らしているうちに、家族の関係が変わっていくんですね。たぶんお父さんとお母さんとみかちゃんは、セリョージャに対してそれぞれ違う思いを抱いていたんだと思います。三者三様の思いが書かれています。短い作品なので書き込めてないところもあると思うんですけど、こういう書き方もあるのかと感心しました。

驟雨:時間をかけてじっくり読めなかったというせいもあるのかもしれないけれど、私はなんだか入っていけなかった。ああチェルノブイリのことか、ああお兄ちゃんがいなくなっていろいろあった家庭のことか、という感じで、作者の書きたいお題目が次々に頭の中に浮かんできて、それでおしまいという感じでした。

アカシア:私は作者が書きたかったのは初恋だと思うのね。

驟雨:なんか、そういうふうには読めなかったです。最初の、お兄ちゃんが死んで家族がバラバラになりそうだ、というところから、途中のチェルノブイリときて、その段階で完全に構えが決まっちゃったようで、うまく読みとれませんでした。

ネズ:私も最後のところを読んで、「ああ、初恋を書きたかったんだ!」と思いました。どうりでセリョージャのイメージが、少女マンガに出てくる王子さまのようだと納得。でも、導入部はマンガとは大違いで、とにかく暗い。「なんだろう、この暗さは!」と思って読むのが辛かったけれど、金色の林檎の種が出てくる場面で、やっとイメージがはっきりしてきて、なかなかいいなと思うようになりました。幼いレオニトとかニコラウも登場して、動きも出てきておもしろくなった。けれども、やっぱり書きたかったのは、初恋なのかと、ちょっとがっかり。今の日本の児童文学はーーなんて威張って言えるほど読んでないけどーー自分の身の回り何メートルかのものを、ちまちまと書いているような感じがするんですね。この作品はチェルノブイリを扱っているので、もう少し広がりのある作品なのかと期待していたけれど、そういう問題も家族とか初恋とか、自分のまわりの小さな世界にぎゅっと吸い寄せてしまう日本の児童文学の力って、ある意味すごいなと……大上段にふりかぶった児童文学が必ずしもいいというわけではないけれど。

アカシア:でも、チェルノブイリ被爆者のことを日本の子どもにも引き寄せてフィクションで書こうと思ったら、こういう書き方になるんじゃないかな。確かにセリョージャは少女マンガ的だけど、初恋って相手のことがちゃんと見えなくて美化するようなところあるじゃない?

げた:日本にも、里親として、3か月ぐらいの期間、被爆した子どもたちの面倒を見て、体を強くして帰してやるという活動をしている人がいるというのを、初めて知りましたね。

アカシア:たとえ1か月だけでも健康な暮らしをするのがよいというのは、初めて知りました。今まで、新聞で受け入れる人たちの話を読んでも、自己満足じゃないかと思ってしまっていたんだけど。

驟雨:今、みなさんのお話を聞きながら、はじめのほうをめくってみたんですが、やっぱりべたーっとした印象で、好きになれません。息が詰まりそう。途中でやんちゃ坊主が出てくるところは、唯一息がつけましたが。

ネズ:林檎というのは、西欧の人々にとって、まさに「生命の木」というような特別な意味がありますよね。エデンの園の林檎ともイメージが重なって、生命の始まりと、チェルノブイリに象徴される人間の滅亡というようなーーチェルノブイリというのは、黙示録に出てくるニガヨモギを意味するときいたことがあるけれど。そういうイメージの美しさとか、力強さは感じられたけれど、とにかく暗いというか、ユーモアが無いのよね。ところで、こういうスカスカな、1行ずつ改行するような書き方って、よくあるのかしら。

ジーナ:『世界の中心で愛をさけぶ』のような大人向けのベストセラーも、改行だらけですよ。

アカシア:でも『レネットーー金色の林檎』って、この題でよかったのかしら。リンゴではなく、林檎って?

ネズ:「サヤエンドウのさやをむく」とか、「するっとさやをむく」という記述が度々出てくるけれど、これは「サヤエンドウの筋を取る」ってこと? それとも、グリンピースのことかしら?

(「子どもの本で言いたい放題」2007年6月の記録)