『ユーウツなつうしんぼ』
アンドリュー・クレメンツ/著 田中奈津子/訳
講談社
2005.03
原題:THE REPORT CARD by Andrew Clements, 2004

オビ語録:天才少女反乱!/Cが一つに、あとはオールD。これがノラの成績。でも、じつは彼女、IQ180以上の超天才!

ショコラ:頭のいい子ってすごいんだなと思いました。アメリカの学校の生活、兄弟関係、両親の気持ち、学力への取り組みなどが出ていて、現実的なお話として読みました。最後に、『自分の内面を充実させることが大切』と書かれていましたが、子どもたちはこの部分でほっとするのかな。

ハリネズミ:今回取り上げた3冊はリアリスティックフィクションに分類されると思うんですが、どれもファンタジー的な要素を取り込んで、作品に深みを出してますよね。『銀のロバ』は、間に挿入される兵士の物語がそうだし、『となりのウチナーンチュ』は、青蛙神みたいな不思議な存在を登場させるところ、そしてこの作品は、主人公の女の子のノラ自身がそうです。ふつう、通信簿にこだわるのは意味がないって言おうとすると、成績は悪いけど人間的にいい子みたいなのを主人公にするわけだけど、クレメンツは切り口が違う。超天才少女を出してきて、そこから見たらどうなのだろうというふうに書いていく。私は笑いながら読んだんです。リアルでないところはいっぱいあるけれど、現実の問題をとりあげて、子どもの興味をひこうとする工夫があります。ノラのお母さんは、最初ステレオタイプの教育ママかと思わせるんだけど、そうではなくて、1人の大人としてちゃんと書かれている。そこもいい。

ササキ:ノラ自身がファンタジーといわれると、すとんと落ちますね。作者が感じているアメリカの学生が受けなければいけない試験システムへの警鐘とも感じることができました。コネチカット州は裕福な人の多い州なので、それも影響しているかもしれません。ひとつ注目したいのは、学校司書の人がよく書かれている点です。作者自身の経験を踏まえているんでしょうか。日本の作品にはあまり司書が出てこなくて残念です。

紙魚:『こちら「ランドリー新聞」編集部』『ナタリーはひみつの作家』(そちらも田中奈津子訳 講談社)など、子どもたちが新しいことに気づきながら、具体的な力を得て、大人の社会に参加していく姿を描くクレメンツは、大好きな作家です。一歩踏みだそうとした子どもたちに、力をあたえてくれる大人が必ずいるというというのも、すてきです。作家自身が子どもたちへ、自らの大人の責任を示しているようで、安心感があります。ただ、この『ユーウツなつうしんぼ』は、これまでの作品に比べると、ちょっと印象が違いました。「学力」をテーマにしていることもあって、読み終えた後に、具体的なアクションをどう起こせばいいのかわからなくて、もやもやするんです。きっとクレメンツ自身もそうはわかっているのだけれど、「学力」について問いたかったのだと思います。そのせいか、装丁も、これまでの中〜高学年対象というより、もうちょっと上の趣ですね。むしろ、大人が読んで考える本かもしれません。

セシ:テンポよく読めました。だけど、あまりにも頭のいい子のお話なので、読む人は気を悪くしないかな? 両親や先生との子どものかかわり方が、日本とは違うかなと思います。通信簿を読みあげなさいと言われたときに、ノラが拒否して親が根負けしてしまうところとか。このくらい意地っ張りの子もいるけれど、日本の親だったら、親の権威でねじふせるかもしれないな。ただ、今の中学生を見てて感じるんですけど、問題はむしろ通信簿のいい悪いによる自尊心うんぬんよりも、二極化した子どもたちが、学ぶことに対してあまりにも無関心になってしまうこと、大人の示す価値に後ろ向きなまま育ってしまうことにあるように思えるんです。とすると、そういう子たちの多くはこの話では救われない。

紙魚:これまでのクレメンツの作品だと、主人公の行動をおもしろく読んでいくうちに、自分もその気になって何か私にもできるかも!と思わされるのだけれど、今回のはそれが持ちにくいんですよね。

カワセミ:成績や通信簿のことは日本の子どもたちにとっても大きな関心事なので、その点ではおもしろく読めると思うけれど、主人公のノラの考え方があまりにも大人びていて、あまり共感できないのではないかと思ったんです。学校では、成績のよしあしによって、何もかも決められてしまう。成績の悪い子は自分はバカだと思い、良い子はますます鼻が高くなっていく。成績にふりまわされて、どの子も競争したり比べたりし始める。親や先生は子どもを支えてくれるはずなのに、がんばれがんばれってもっとテストを出してしめつけるだけ。それに対する反発心には共感できる。でも、本当は良くできるのに、それを隠してDをとるのはあまり楽しい話ではないし、先生たちがだれもそれに気づかないというのは現実味がなさすぎる。ノラの考え方が大人びているというのは、語り手が本人だからということもあるけど、たとえば次のような感じ方を、子どもがするかしら?
p181の5行目(最後に教育長まで来て会議になる場面。教育長と校長の様子を見て、ノラが言う場面)「みんなの目に明らかだったこと。力のある、知性あふれる女性が二人とも、つぎの一歩を踏み出すのをためらっているのだ。私は二人がとても気の毒になった。とどのつまり、みんなをこんなに混乱させた張本人は、この私だからだ。なんとかしてあげたいと思った。」賢い子だからなのかもしれないけど、ちょっと子どもらしくないのでは? p191の最後から4行目からの、全校生徒を前にしてのノラの大演説の口ぶりも、立派すぎます。
これまでのクレメンツの作品は、『合言葉はフリンドル!』『こちら「ランドリー新聞」編集部』『ナタリーはひみつの作家』など、大人顔負けの子どもが活躍して、スカッとする話だから、ずっと子どもらしくてよかった。読んだ後にやる気が出るような感じがあったしね。こちらは装丁を変え、読者対象を上げたのだと思うけど、中学生が読むには、主人公の年齢が低いからおもしろくないのではないかしら。

小麦:クレメンツの作品は初めて読みました。私はノラが小5の女の子には思えなかった。プロフィールで著者が小学校の先生だったという情報を得てしまったせいか、どうも著者が教育現場で感じたもやもやを、ノラの口をかりて言っているように感じてしまって……。ちょっと前に、学校について人と話す機会があったんですけど、今は不公平にならないようにみんなに同じ分量の台詞を言わせる主役のいない学芸会や、1位を決めずに全員で手をつないでゴールする運動会があるそうなんですね。これって、抜きん出た才能をならして目立たせないってことですよね。ノラもせっかくの才能をひた隠しにしている。横並びが好きな日本ではそうだろうけど、アメリカでもそうなのか、と思いました。物語運びはテンポよく楽しめたんですけど、読み進むうちに、なんだか教育現場や子どもをとりまく状況についてじめじめ考えこんじゃって、私がユーウツになってしまいました。

ショコラ:でも、ファンタジーとして読むと、読み方がまったくちがってきますね。

紙魚:ノラに、もうちょっと奇天烈なところがあるとよかったのかな。IQは高いのだけれど、どこかものすごく変てこなところがあるとか。「頭がいい」というファンタジー性をもっと高めると、かえって問題が浮き上がることもあったかもしれません。

ショコラ:片づけができないとかね。

小麦:でも、ノラにも憎めないところありますよね。頭がよすぎるわりには、出てくる作戦が中途半端だったり。緻密に計算したわけじゃなく、とりあえず悪い成績をとっちゃえという。それで事態が大きくなっていって、どうしていいかわからなくなっちゃうあたりは、子どもらしくてリアリティがありました。

メリーさん:自分とまったく違う考えの人の頭の中をのぞきこむような物語(『アルジャーノンに花束を』のような)は、とてもおもしろいと思う反面、本当にそう思っているのかな……などと思いながら読みます。このノラの物語は無理なく、おもしろく読めました。もちろん天才的な頭脳を持っている子どもの話なのですが、イメージとしては、クラスの中でも少しだけ大人な女の子の話、という感じです。話中で好きだったのは、ふつうになりたい、と願う彼女に理解者が現れるくだりでした。バーン先生は、子どもが救われる気持ちになる、大人という意味では一番大きな存在ですし、スティーブンはいつのまにか彼女のことをよく理解する「パートナー」になっています。「ふつう」になりたい、という言うこと自体、自分と他人を相当比べている証拠ですが、比べる対象が少しでもこちらを理解してくれると、その子は救われるのだな、と思いました。ノラは自分が、孤独ではないとわかったときに、自分の才能も受け入れることができたのではないかと思います。ページをめくらせる、おもしろい物語でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年5月の記録)