童心社が出しておいでの「母のひろば」2022年5月15日号に「子どもの本で平和はつくれる?」という原稿を書きました。
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昨年『子どもの本で平和をつくる』(小学館)という訳書を出した。この絵本には、IBBY(国際児童図書評議会)やミュンヘン国際児童図書館を創設したイエラ・レップマンという女性が登場する。レップマンはドイツに生まれたユダヤ人で、第二次大戦中はナチスの毒牙から逃れるため2人の子どもを連れて国外に避難していたが、戦後ドイツに戻って、子どもの本を通して平和を築いていこうと考えた。具体的には、まず世界の子どもの本を集めて展示会を開いたのだが、荒廃したドイツの子どもたちに文化の香りを伝えるだけではなく、本を通してほかの国の子どもたちと友だちになってもらえば、2度と戦争を起こしたりしなくなるのではないかという考えも、そこにはあった。
アメリカのキャサリン・パターソンも1998年に国際アンデルセン賞を受賞したとき、レップマンのこの考えに呼応して、「私たちはアメリカの子どもに、イランや韓国・北朝鮮や南アフリカやセルビアやコロンビアやチリやイラクに暮らす友だちをあたえていかなければなりません。どの国の子どもとも仲良くなってもらわなくてはなりません。人は、友だちが暮らしている国に害をあたえようとは思わなくなるからです」とスピーチしている。
子どもの本にかかわる人の多くは、レップマンを知る知らないにかかわらず、子どもの本で儲ければそれでいいとは思っていないはずだ。本を通して子どもの居場所が少しでも心地よくなったり風通しがよくなったりすればいい、と思い、戦争ではなく平和を願っているはずだ。レップマンの意志を継承しているIBBYの支部は、ウクライナにもあるしロシアにもある。ロシアは、前回のIBBY大会(「子どもの本の世界大会」)の主催国でもあった。
それでもロシア軍のウクライナ侵攻のようなことが実際に起こって、多くの人々が犠牲になってしまう。常軌を逸した権力者の前では、人道主義など何の力ももたないように思える。「子どもの本で平和をつくる」など、夢のまた夢のファンタジーかもしれないという疑いも生じてくる。
でも、それでも……。そう、私たちは思い直す。地震国の海沿いに、外からの攻撃に対して無防備な原発をたくさん並べておいて、核共有とか敵基地攻撃とか言っている政治家のほうこそ、現実を見ずにエセファンタジーに酔っているのではないか、と。子どもの本をつくる立場にいる私たちに、絶望している暇はない。子どもにとってどういう社会が実現すればいいのかを、これからも考えながら本をつくっていきたい。(さくまゆみこ)
平和な世界を願って 子どもの本にできること
「こどもの本」2023年3月号(日本児童図書出版協会)に「平和な世界を願って 子どもの本にできること」というエッセイを書きました。
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本さえ読めば平和が来るとは思わないが、平和につながる道を少しずつ作っていくことは、本にもできるのではないだろうか。私が訳した『子どもの本で平和をつくる』(キャシー・スティンソン文 マリー・ラフランス絵 小学館)には、イエラ・レップマンという女性が登場する。彼女はドイツ生まれのユダヤ人ジャーナリストで、ヒトラーが政権を握ると命の危険を感じて、子どもたちと一緒にイギリスに避難していた。
戦後故郷に戻ったレップマンは、ドイツの子どもたちの窮状を目の当たりにして二〇の国に手紙を出した。それぞれの国のすぐれた子どもの本を送ってもらえないか、と依頼したのである。周囲からは、「戦争でドイツと戦った国々が本を送ってくれるはずがない」と批判されもしたが、幸い一九の国からは、すぐに児童書が送られてきた。でも、一か国からは、「私たちは二度もドイツに侵略されているので、残念ながらご希望にそうことはできません」という手紙が届いただけだった。
レップマンはそこであきらめずに、もう一度手紙を出した。「ドイツの子どもたちに新たな出発をさせてやりたいのです。他の国々から届いた本を見ることによって、子どもたちはお互いにつながっていると感じるでしょう。戦争がまた始まらないようにするには、それが一番ではないでしょうか」と書いて。
すると、その手紙を読んでレップマンの意図を理解したその国ベルギーからも、素晴らしい児童書のセットが届いたのだ。レップマンは、届いた本を国内巡回して子どもたちに見せ、ドイツ語に訳して読んでやり、それをもとにしてミュンヘンに国際児童図書館をつくった。そして、一九五三年には様々な国が子どもの本について話し合うための国際組織IBBY(国際児童図書評議会)も設立した。
私が今会長を務めているJBBYも、一九七四年にIBBYの支部として発足し、「本、子ども、平和」をキーワードにし、ボランティアベースで多様な活動を行っている。詳しくはウェブサイトをご覧いただきたい。https://jbby.org
一九九八年に国際アンデルセン賞を受賞したアメリカの児童文学作家キャサリン・パターソンは、受賞スピーチの中で、「アメリカの図書館には自国で出版された本がすでにたくさん並んでいるせいか、外国からの翻訳作品も必要だということを忘れてしまいがちです。でも、私たちはアメリカの子どもたちに、イランや韓国・北朝鮮や南アフリカやセルビアやコロンビアやチリやイラクに暮らす友だちをあたえていかなければなりません。つまりどの国の子どもたちとも仲良くなってもらわなくてはなりません。人は、自分の友だちが暮らしている国に害をあたえようとは思わなくなるからです」と語っている。
こうした人たちの言葉は、子どもの本が平和につながりうることを示唆している。
子どもの本にかかわる人の中には、子どもがおもしろがればそれでいい、と考える人もいる。楽しい、おもしろいというのは、子どもの本にとって不可欠な要素だと私も思う。立派なテーマを掲げた本でもおもしろく読めなければ、子どもの本としては失格だ。でも、「おもしろい」というのは、表面的なおもしろさだけではないだろう。読んですぐは、ゲラゲラ笑ったりするようなおもしろさを感じなくても、子どもの心の中に種として残り、その種が芽を出し花を咲かせることもある。そういう種を持ったような本をつくっていければ、と私は思う。種には、平和の種もあれば、好奇心の種もあり、生きるエネルギーを生み出したり、ちょっと一休みするすべを学んだりするための種もあるだろう。
また平和を生み出すためには、偉い人に言われればそのまま従うような人ではなく、自分の頭で考え、自分の心で感じ、しかも客観的に判断できる人を育てていくことが必要だ。そのための種をまくには、本をつくる側の私たちも、これからはどんな社会が望ましいのかを、考えておく必要があるだろう。
本が売れるというのはうれしいことだし、出版を続けるためには重要な要素でもある。でも、それだけを考えていると、どんどん子どもの本は種なしの、中身も味も薄い消耗品になってしまう。つくり手の側が利益だけではなく、子どもの中で育つ種があるかどうかの質を見分けられる「目きき」になることも、とても大事なことだと思う。
それともう一つ。「理想的なことばかり言っていても始まらない。現実は違うのだよ」と言う人がいるが、子どもの本にたずさわる者としては、あえて理想を口にすることも必要だと私は思っている。(さくまゆみこ)