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もしも、詩があったら

アーサー・ビナード『もしも、詩があったら』
『もしも、詩があったら』
アーサー・ビナード/著
光文社新書
2015.05

『もしも、詩があったら』をおすすめします。

アーサー・ビナードはこんなふうに始める。

「もしも」と言っただけで、まわりの世界が、ちょっと違って見える。
「もしも」から出発して、想像をめぐらしてみると、新天地に到達することがある。
「もしものとき」にそなえて、ぼくらは生きのびようとする。
詩が生まれるきっかけになるのも、この「もしも」だ。

そう、確かに。
もしも、と仮定してみただけで、今とは違った世界が見えてくる。

本書は、シェークスピアだのウィリアム・ブレイクだのジャック・プレヴェールだのから、ボブ・ディランやまど・みちおや吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」まで、「もしも」にまつわる古今東西の詩を取り上げている。

取り上げるといっても、これは教科書ではないし、ただ単に詩を紹介する本でもない。アーサーの生きてきた道の途上にあったあれこれのエピソードや、それぞれの詩に触発された思索が書かれているので、奥行きがある。

アーサーの日本語の言い回しには時にはっとさせられるし(これは、ほかのエッセイの本でもだけど)、「日本語だと鳥の翼も〈羽〉だし羽毛も〈羽〉だけど、英語ではこの二つを同一視することはありえない」(アーサーは、同音異義語と言ってるけど、これもその範疇なのかな?)なんていう豆知識も手に入る。たいていの場合、英語の詩と、それを日本語に訳したものとが載っているので、比べてみて、あーだのこーだの言うこともできる。ところどころに入っているアーサーのイラストも、なかなか趣があっていい。つまり、いろんな楽しみ方ができる本だ。

最後に載っているアーサー自身の詩「ねむらないですむのなら」は、ほかのどの詩よりも辛辣なので、心して読んでほしい。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年8月10日号掲載)


戦場

亀山亮『戦場』
『戦場』
亀山亮/著
晶文社
2015.01

『戦場』をおすすめします。

「戦場カメラマン」と呼ばれる人たちも、いろいろです。生と死の間をかいくぐる体験を積んでいるうちに刹那的になる人もいれば、逆に哲学的になる人もいます。その体験をくぐり抜けて自分のやりたいことを見つける人もいるし、その体験を売り物にしてバラエティ番組で稼ぐ人もいます。

本書は、そんな戦場カメラマンの一人であり、戦場で片目を失った著者が、「若い頭と心」で見聞きした戦場と、戦争にさらされた人たちを写真と文章で描いています。取り上げられているのは最初がパレスチナで、あとは主にアフリカの国々。恐怖やとまどい、迷いや悩みも書かれているので、若い読者たちも、身近なものとして読めるかもしれません。

多くの戦場カメラマンたちは、日本ののんびりした日常と、戦場の緊迫感の間でとまどい、どちらが本当の現実か考えたりいらだったりし始めます。そのあたりも、あえて整理せず迷うままに書かれているのがリアルです。それと同時にこの著者は、戦争は憎しみや差別が引き起こすものというより、経済・政治のシステムが引き起こすものではないかということに気づいています。たとえばこんな文章。「爆撃で人が死ねば死ぬほど莫大な利益を得てほくそ笑む人間たちが存在する。巨大な経済システムがうごめいて、知らないあいだに人々は殺す側と殺される側に隔てられていく」。

そう、戦争をとめようと思ったら、「戦争をさせている力」について考えてみることが必要なんですね。この国の政治家が言っていることを鵜呑みにしていたのでは、ますます戦争に近づいていきます。総理大臣が唱える「積極的平和主義」にちょっとでも疑問を持った人には、特におすすめです。

(「トーハン週報」Monthly YA 2015年4月13日号掲載)