M・G・へネシー/作 杉田七重/訳
鈴木出版
2021.05
ハル:ここ何回か、里親と里子の家族のお話を読みましたが、今回はだめな里親というか、里親自身も成長していった点が新鮮でした。理想的ではないのかもしれませんが、それでいいようにも思うんですよね。「だめ」の程度にもよるとは思いますが、心が成熟した素晴らしい大人しか里親になれないというんじゃなくてね。p184の観覧車から海を見るシーンが印象的でした。「きっと世界は、そんなにひどいところじゃない」という1行には、励まされもするし、この子たちのこれまでの日々を思ってつらくもなります。
ネズミ:それぞれの声で語りながら、4人の里子や里親の様子がだんだんと見えていく構成、物語としての盛り上がりなど、非常によくできていて、おもしろく読みました。ただ、声をかえての一人称語りは、すぐには状況がつかみにくく、特に日本では、読者を選ぶだろうとも思いました。父親だけ国にかえされてしまった、エルサルバドルからきたヴィク。言葉が出ない、スペイン語圏出身のマーラの状況など、外国から来たということも、よくわからないかも。とてもいい作品だけれど難しそうだなと。
アンヌ:以前読んだ同じ著者の『変化球男子』(杉田七重訳 鈴木出版)では、作者が読者に伝えたい知識──ホルモン剤とか支援団体の存在とか──がかなり盛り込まれた作品でしたが、今回はあとがきに作者の「里親制度」についての思いが書かれてはいるのですが、表立ってはいません。物語も登場人物もおもしろくて、その中で、絶望させない、偏見を持たせないような感じで、里子のことを分からせてくれます。なんと言ってもヴィクの持つスパイ妄想がおもしろくて、夢中で読んでいると話がクエンティンをママに合わせようという「作戦遂行」に移っていき、気がつけば子どもたちがみんな揃って旅に出ていました。ナヴェイアの視点でイライラしながら進んでいく道中の途中で、子どもたちが思いがけず遊園地や海で「楽しむ」ということを知ったり、大声で笑いあったりする場面に行きつきます。クエンティンに母親の死という重要なことを知らせるのに、海辺で砂遊びをしながら話すというところでは、海の持つ力が見事に生かされていると思いました。家に帰った後、ヴィクもナヴェイアもミセス・Kもそれまでと変わっていて、気づかないまま肩の力が抜けている。家族として互いに肩を貸しあって、少しずつ楽になっているという終わり方には感心しました。
マリトッツォ: 読み終わってから、『変化球男子』の著者の方か、とびっくりしました。作風がまったく結びつかなかったです。この本は今回、課題本にしてもらってよかったと思っています。もし自分でたまたま手に取って読み始めていたら、途中、かなりしんどくてやめてしまっていたかもしれないからです。終盤で、ぱっと未来が開かれていくような、なかなか他の本では味わえない満足感があります。これは中盤までの閉塞感があってこそですね。里親を称賛するわけでもなく否定するわけでもない、このリアルさは、著者がこういう活動をしている方だからか、とあとがきを読んで深くうなずきました。クエンティンのような自閉症の子の一人称は、掴みづらいことが多いのですが、他の二人のパートで状況が説明されているのでわかりやすく、バランスが絶妙だと思いました。いろいろ好きな表現があります。たとえば細かいところですが、「足にまだ砂がついていて、シーツにも砂がこぼれてるのがうれしい。ビーチもぼくたちのことが好きになって、それで家までついてきたみたいだった」(p260)という部分、素敵ですよね。一つだけ戸惑ったのは、観覧車の部分です。え、安全バーが必要で何周もするの? と、驚きました。
さららん:里親のミセス・Kのもとで暮らす年齢も境遇も異なる4人の子どもが、1つの家族になっていくまでのお話です。数か月ぶりに読み直してみたのですが、いいものを読んだという印象は変わらず、4人それぞれの在り方がずっと心に残っています。自分も「お姉ちゃん」として育ったので、特にナヴェイアに心を寄せて読みました。しっかり者のいい子に見えますが、自分の未来の夢をかなえるために、ある意味打算的に手の焼ける年下の子たちの世話をしています。でも、クエンティンのママの病院へみんなで行くという1日の冒険を通して、ナヴェイアは大きく変わり、他の子の在り方をまるごと受け入れていくのです。みんなで観覧車に乗って初めて海を見る場面、そのあともう1度病院を抜け出して海にいく場面が、ほんとに効果的で、象徴的です。会話のなかで、4人の関係が少しずつ変化するのがわかり、互いにいたわりあえるようになっていきます。(最後はミセス・Kに対してまで!)自分のことで頭がいっぱいのクエンティンが、英語がほとんど話せないマーラと心を通わす場面など、とてもよかったです。ロードムービーのような展開のため、刻々と場所が移るにつれて感情や考えもゆれ動く、いってみれば「目に見える」物語なので、読者の記憶に深く残るような気がします。それまで英語をほとんど話さなかったマーラが、最後のほうで「まったくうちの家族ときたら」(p277)と首をふりふり言うところ、そこが実に自然で、マーラを抱きしめたくなりました。
雪割草:この作品は、里子の子どもたちを通して新しい家族のかたちを描いているのかなと、読んでみたいと思っていました。最初の印象は、ヴィクがうるさくて口調が老けているように感じました。でも、口調は父親を尊敬しているからでは、と言われて納得しましたし、2回目に読んだときは、ADHDの特徴がよく描かれていると思いました。作品全体を通じては、厳しい状況にある子どもたちが、海の美しさに圧倒されるシーンのように、世界を肯定できるような、希望をもてるような体験をすることや、仲間の存在が生きる力につながるということを、改めて感じることができました。また、原題にある「漂流者」や、「わたしたちは、ひとりでやっていかないといけないの……。」(p161)にあるように、子どもたちの心情もよく描かれていると思いました。私の友人や友人の親が里子を育てていますが、そういった家庭は日本では少ないと思うので、里親制度や、子どもを社会やコミュニティで育てるといった考え方が広まっていくといいなと思いました。「オナカスッキリ! ナヤミスッキリ!」(p180)は子どものセリフとして違和感がありました。
アカシア:これは、吊り広告の言葉をそのまま繰り返してるんじゃないですか?
まめじか:いい作品なんだろうな、とは思ったのですが……。シビアなテーマの作品なのに、今ふうの軽い言葉がいっぱい入ってるのが浮いてるようで、二次元のキャラみたいに感じてしまいました。たとえばヴィクのせりふで、「当ててみ?」(p6)、「オタク、ちょっとヘンタイ趣味入ってます?」(p8)、「タルい」(p30)、「マジ、こわいんですけど」(p155)。一方で「世を忍ぶ」(p11)、「迷惑をこうむる」(p179)など、11歳にしては大人っぽい言葉づかいをするのが、どうもしっくりこなくて。そんな感じで読み進めたので、訳者あとがきの「この世界には、こんなにも、こんなにも素晴らしい子どもたちがいる」という最後の一文でひっかかってしまいました。もちろん、この本に出てくる子たちの状況はとても大変なものですが、そうした子はほかの本の中にも、現実にもいっぱいいるし。あと些末なことですが、マーラがホームレスの男の犬にチョコレートをやっていますが、チョコレートって、犬に絶対食べさせちゃいけないものの1つですよね。p3のクエンティンの語りで、「女の人はこまった顔になって」とあるのですが、アスペルガーのクエンティンは人の気持ちを読みとるのが難しいと思うので、どんな表情が悲しい顔なのか習ったからわかったということですよね。
アカシア:普通は、学習を経てわかるようになると言われていますよね。これまでの多くの作品は、ハンデを持っている子どもが1人という作品が多かったのですが、この作品は、ADHDとアスペルガーの子が登場し、マーラという小さな女の子も何らかの発達の遅れを抱えているのかもしれません。なので、書くのが難しいかと思ったのですが、年齢や性別や障碍も違うのでちゃんと書き分けられ、ひとりひとりが独立した存在に描かれているのがすごい、と思いました。ナヴェイアは、成績のいい子で、ハンデを持っているわけではないと思いますが、黒人なので生きにくさはやっぱり感じています。ナヴェイアがクェンティンを連れていこうとしたときに、白人の女の人に疑念をもたれる場面もありました。生きにくさをそれぞれ抱えている子どもたちだからこそ、お互いとを自分のことのように感じてわかり合えるのだと思いました。ナヴェイアが優等生の自分の殻を脱ぎ捨てて海辺でみんなで楽しもう、という場面は、とても印象的でした。この作品には助ける大人が出てこないので、子どもがお互いに助け合います。しかも、やっぱり問題を抱えている大人のミセスKに子どもたちが保護者的な視線を送っているのもおもしろいと思いました。4人でクエンティンのお母さんを探しにいこうというあたりからは、展開も速くなるのでハラハラしましたし、子どもたちの関係がだんだん密になっていくのもわかって、おもしろく読みました。わからなかったのは、さっきまめじかさんもおっしゃった犬にチョコレートをやるところ。それからp15にミセスKが「養母」として出てきますが、養子ではないので「里親」なのでは?
西山:一気に読みました。作者のあとがきで、現実のことがくわしく書かれてて、これがロサンゼルスの里親制度の抱える問題ということは明示されているわけですが、日本の読者が読んだときに、日本の里親制度にネガティブな印象をもたないかな、とちょっと危うく思いました。海を見た幸せな1日を経て、子どもたちの関係が親密に変化してからの様子に、『かさねちゃんにきいてみな』(有沢佳映作 講談社)を思い出しました。抱えている背景の深刻さは違うとはいえ、異年齢の子どもたちのその年齢らしさや、互いへの気遣いが重なって、状況が違っても普遍性を持っている子どもの本質的な部分を見せてもらえた気がします。(以下、言いそびれとその後考えたことです。クエンティンが他者の中でなんとかやっていけるように、お母さんがたくさんのアドバイスをして、クエンティンがことあるごとに、その言葉を思い出すことでパニックを回避している姿がとても印象的でした。読書会が終わって、つらつら思い返していて、こんなに彼を導いていたお母さんなのに、どうして自分の死を受け入れられるようにする手立てをしていなかったのかとふいに思い至りました。癌を予期できないとしても、いきなりの事故死ではないし、病気にならなくても、いずれ自分の方が先に死ぬのだという現実を、クエンティンが受け入れられるように用意することは最大のミッションなのではと。そう思うと、ちょっと冷めました。)
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ニャニャンガ(メール参加):クエンティン、ヴィクの視点ではじまるため、物語に入るのに少し時間がかかりましたが、ナヴェイアが登場して全体像が見えはじめ、さらにクエンティンのために旅に出たところかにはすっかり引き込まれていました。ミセスKが心を閉ざして子どもたちの世話をしないせいで、ナヴェイアが年下の子たちの面倒を引き受ける姿には胸をしめつけられます。ほかの3人の面倒をひとりでしていたナヴェイアが限界に達したとき、ヴィクが頼りになる存在になり、子どもたちの絆が強くなって、ほんとうによかったです。しらこさんによる表紙も、とてもいいと思いました。ロサンゼルスの里親制度をよく知る作者だからこそ書けた作品です。
しじみ71個分(メール参加): ロサンゼルスの里親制度の実態をリアルに描写していて、子どもたちの切実な実情を伝える本だと思いました。養育に欠ける子どもたちがたくさんいるために、里親にあまり向かないような状況の人のところにも里子が引き取られることがあるというのは、ロサンゼルスに特徴的な事象なのか、全米的な問題なのでしょうか。いずれにしても大変な状況だとまず思いました。最年長のナヴェイアが我慢を重ねて小さい里子たちの面倒を見て、大学に進学して自立することを願う姿はいじらしく、特にp95で、突然「涙が目に盛り上がってきた」という場面には共感して、こちらもウルウルしてしまいました。いろんなことに疲れてるんだろうなぁって思い……。ADHDのヴィクは頭の中に言葉があふれていて、うるさいですが、私には可愛らしく見えて、とても好きなキャラクターです。新入りのクエンティンがアスペルガーで、小さいマーラはスペイン語しか話さないという、それぞれ異なる難しさを抱えた子どもたちがどうなっていくのか、興味に引っ張られて最後まで読み通しました。海を初めて見たシーンは特に印象的で、困難にある子どもたちには子どもらしい家族とのあたたかな思い出や楽しい経験がない、あるいは奪われたりかもしれないということに気付かされて、胸がつまりました。クエンティンの母を探して旅をして、海と出合ったことが、4人の共通の喜びの経験となり、家族として結びついていくきっかけになっていて、そこはとてもうまい装置になっているなと思いました。失意のために、養母としての役目が果たせてこなかったミセスKが、最後に子どもたちのおかげで気力を取り戻し、立ち直るという結末も読後感がよかったです。
(2021年12月の「子どもの本で言いたい放題」より)