『しゅるしゅるぱん』
おおぎやなぎちか/著 古山拓/挿絵
福音館書店
2015.11

版元語録:解人(かいと)は父の田舎、岩手県朱瑠町に引越してきた。その家は曾祖母と祖母が住んでいて曾祖母は殆ど寝たっきり。解人の周り不思議な男の子が現れ始める。

ルパン:タイトルがおもしろくて、前から読んでみたいと思っていたのですが、読んでみたらどうにも期待外れでした。急いで読んだせいか、腑に落ちないところが多々ありました。太一(三枝面妖)という作家の奥さんは人間なんでしょうか? 聡子は早死にしたそうですが、それには意味があるのでしょうか? そもそも、恋人同士がそれぞれ別の人と結婚し、互いの恋心だけが残ってしまって、「二人の子ども」として妖怪のしゅるしゅるぱんが生まれ、その別々の結婚によって生まれた本当の子どもたちの前に現れる、という物語のわけでしょう? 妖怪を産んでしまうほど想い合っていたのなら、なぜ結婚しなかったのかさっぱりわからないし、そこまで強い想いがありながらほかの人と結婚して、しかも近所に住んでいて…というのは、児童文学としていかがなものでしょう。面妖は妙さんを裏切る必要はまったくないのだから、しゅるしゅるぱんが生まれる必然性もないはずだし。『ユタとふしぎな仲間たち』(三浦哲郎著 新潮社)に出てくる座敷童のような悲しみがないから、共感できず、読後感も気分のいいものではありませんでした。

ハリネズミ:おもしろく読んだのですけれど、大きな疑問が残りました。解人が、川で溺れかけている自分の父親を助ける場面があります。p203には解人の思いがこんなふうに描かれています。
【(そうだ、パパは川でおぼれかけたことがある。それがこの時だったんだ。助けないと、ぼくが助けないといけないんだ。ここでパパが死んだら・・・。この手を放すわけにはいかない。ぜったいに放さない)/「きら、死んじゃダメだ!」解人はあらん限りの声をはり上げた。】
だけどね、解人が実際にこの世に存在しているということは、父親はこの時に死ななかったという事実が既にあるわけですよね。歴史的事実としては、父親の彬は、息子の存在と関係なくこの事故を生き延びている。そのあたり、時間的ファクターが矛盾していて、いい加減な感じです。それと、この家系の者ではない宗太郎には、しゅるしゅるぱんは見えないのですが、なぜか溺れかけている子どものときの彬の幻は見える。それもファンタジーの文法としてどうなのだろうと、疑問に思いました。ラノベだと時間軸の有り様を無視した作品がいっぱいあるでしょうけれど、これはラノベじゃないですからね。

アンヌ:SFでは過去の改変はいけないということが前提ですが、例えば『時間だよ、アンドルー』(メアリー・ダウニング・ハーン著 田中薫子訳 徳間書店)のように、過去の少年を現代に連れてきて病を治して過去に帰すというような物語もないわけではないので、私は、この場面にはそう疑問を持ちませんでした。ウェールズに直接影響を受けたネズビットも、かなり自由なタイムトラベル物を書いています。

ハリネズミ:ネズビットは家計の必要からじゃんじゃん書いた人なので矛盾もいっぱいあるのですが、この作品と同じような矛盾は私は感じなかったけどな。

パピルス:タイトル、表紙や目次がユニークで、この本は一癖二癖あるぞと思わせてくれる作りになっています。登場人物の名前(主人公の「解人」など)は意味がありそうで意味が無く、残念でした。描き方が中途半端と言う意見もありましたが、自分にはちょうど良かったように思います。活字を読むのが久しぶりで億劫になっていましたが、おもしろく一気に読みました。印象に残ったのは、太一と妙の出会いのシーンでした。

マリンゴ:たたずまいが素敵な作品でした。人から人へ、命が伝わっていくこと、遠い昔の誰かがいて、今の私がいるのだということ――そんなメッセージを受け止めました。ただ、これだけ丁寧な文章なのに、一部駆け足になっているところがあって、そこをもっと読みたいと思いました。例えばp189ですが、“同い年のいとこに去年負けたから、今年は勝ちたいとあせっていた”とさらりと説明していますが、もっとその部分を読みたかったです。ついでに言うと、結局リレーのシーンで、いとこに勝ったのかどうかわからず、そもそもいとこがまったく出てこない、というあたりはとても気になってしまいました。

ペレソッソ:冒頭を読んで、「好き!」と思ったのですが、読み進めると人物関係がこみいっていて、わかりにくかったです。一つの物語として、何がしたかったのかはっきりとした像を結ばないという印象です。それから、たとえばp203に出てくる「やばくね?」といった言葉は、全体の言葉の雰囲気を乱している気がします。

カピバラ:日本の古い村の風景、山、川、木などを見たときに、その風景を見ながら生きてきた人々の思いを感じるということがありますよね。特に古い家屋敷のなかに自分の身を置いたときに、そこに代々暮らしてきた人の息遣いを感じることがあると思います。私も子どもの頃父の故郷にあった古くからの家に泊まったり、蔵のなかを見たり、そばの川で遊んだりしたときにそんなことを感じたのを思い出しました。そういった、一つの場所に代々息づいて、今につながっている人々の思い、というものが描けていると思います。解人という現代の少年が主人公で、おばあちゃんが口にする「しゅるしゅるぱん」という言葉に読者もすぐにひきつけられる導入はうまいですね。聞いたことのない言葉なので、タイトルから「何だろう?」と興味をもたせます。この言葉の響きには不思議さもあるけれど、ちょっとユーモラスな感じもあって、悪いものではない、という印象があるのが良かったです。表紙のデザインもそういう感じを出していて好感をもちました。2章目で急に道子という読者には全然誰かもわからない少女の話に代わるのがちょっと唐突ですが、すべてはしゅるしゅるぱんという存在の謎ときにつながっていくことがわかり、だんだんおもしろくなってきます。この正体は、座敷童とか、風の又三郎的なものかなと予想しながら読むのですが、だんだんにそうではなく、予想以上に複雑な事情がからんでくるわけですね。これは小学校5、6年生から読んでほしい物語だと思いますが、子どもにとって両親、祖父母までの流れはわかるけど、さらに上の人の子ども時代の話までさかのぼるのはちょっと複雑すぎるのではないかと思いました。おばあちゃんが家系図を書いて説明してくれるのはとても良い工夫ですが、もう少し早めに説明してくれたら良かったのに。謎ときにつられておもしろく読めたのですが、最後に振り返ってみて何か釈然としないことが二つ。まず、結局しゅるしゅるぱんは、三枝面妖と妙の思いの強さから生まれた存在なのですが、この二人のことが、ほかのどの人たちよりもうまく書けていないのです。

ハリネズミ:祖先の因縁だけではなくて、群青池に身を投げたあやめという娘がたたるという伝説まで出てくるので、よけい複雑になっていますね。

カピバラ:お父さんであるアキラや、おばあちゃんである道子の子どものころの情景はよく書けているのに、現代まで死んでも死にきれない存在を生み出してしまうほどのことか、という点が伝わってこないんですよ。桜の木の使い方もいまいち。もう一つは、やはり読者にとって主人公は解人なので、解人の気持ちになって読むと思うのですが、結局解人にとってしゅるしゅるぱんは何だったのか。最後は競技会のリレーで友だちとの友情を確かめ合うわけですが、結局何がどうなったのかな…という疑問は残りました。細部をうまく書ける作家で、例えば道子のかすれたような低い声がしゅるしゅるぱんと似ているとか、そういうところはおもしろいと思いましたが、ゆるぎないストーリー性という点ではまだ弱いのかな。

レジーナ:妖怪が人の情念から生まれるものだとしても、面妖と妙が、それだけ強く想い合っているようには感じられなかったので、しゅるしゅるぱんの正体がわかった場面では拍子抜けしてしまい、違和感が残りました。桜の木としゅるしゅるぱんのつながりも弱いような……。

アカザ:私も、しゅるしゅるぱんの正体は、いったい何なのだろうと思いつつ最後まで読みましたが、肩すかしを食わされたような……。太一と妙の出会いと別れも、よくあるようなもので、座敷童が生まれるほどの執着というか、激情というか、念のようなものを感じなかったので、違和感がありました。そんなことで座敷童が生まれるんだったら、日本全国そこらじゅう座敷童だらけになってしまうのでは? 母を慕う子どもと、その子の気持ちに気づかない母の話というのは涙をそそるし、それに桜の木がからんでくると、なんとなく美しい場面になって、「ああ、いい話を読んだなあ」って感じるのかもしれないけれど。p175からの面妖の独白も、自己陶酔しているようで、あまりいい感じはしなかった。今の妻の正体が今でもわからないが、それでも彼女のおかげで小説が書けるようになった……なんて! 東京から連れて帰った、芸者さんをしていた妻の描き方に作者の愛情が感じられなくて、かわいそう。

カピバラ:伏線もないしね。

アカザ:解人にとってなにより大事なリレーと、しゅるしゅるぱんが結びついていないのよね。

カピバラ:解人中心に描かれているけど、現在父親との関係が悪いわけではなく、父親の子どものころを知ったことで何か関係が変わるわけではないし……。

シャーロット:挿絵に登場人物が描かれていないことで、想像がふくらみます。友だちの父と自分の母が恋人同士だったことがあり、しかも母は捨てられたのだということがわかってしまう場面では、児童文学でこの設定はいかがなものかと思いました。小学校高学年を読者対象としているようですが、系図や時間軸など小学生には理解しづらいところがあると思います。母親に気付いてほしくてイタズラをしていたしゅるしゅるぱんの心情を思うと、切なかったです。

アンヌ:この物語は、現実生活の場面、例えば、都会からの転校生である主人公が田んぼの泥に足を取られたり道に迷ったりするところとか、リレーのエピソード等は、とてもうまく書けています。川の場面等の情景描写も美しい。でも、肝心のファンタジーの謎がうまく描けていない気がします。しゅるしゅるぱんの存在の謎がうまく解けていかない。大人向けの怪奇ものなら、死んだ赤子の霊に桜の木の霊が混じり合うなんて感じですが、ここでは、妙と面妖の思いをもとに桜の木の霊が生み出したもののようです。でも、その割には二人をはっきり父母としている。どこでどう育ったのかもはっきりしないし、しゅるしゅるぱんが消えても桜の木が倒れたり枯れたりしないのも、なんだかすっきりしません。そのほか、面妖の妻の謎も解けないままです。「おひこさん」は、ひいおばあさんとか妙おばあさんで通していれば、家系図も必要なかった気がします。

ハリネズミ:私は、この作者はあえて最初は家系を説明してないんだと思います。バラバラに存在しているように見えた人物たちが実はつながっていたということが読んでいくうちにわかってくる。そこを狙っているんだと思うけど。

アンヌ:名前の謎は、キラ=彬だけでじゅうぶんだった気がします。作者は、面妖という作家を描きたかったのかもしれないけれど、その正体も謎のままなので、私は勝手に、今市子作の『百鬼夜行抄』(朝日コミック文庫)という漫画に出てくる蝸牛という作家と水木しげるさんを合わせたような人だと思って読んでいました。妖怪を見たり接触できて、描くこともできる人。でも、ここでは、その能力で何かしたとは書いていない。面妖や妙おばあさんの若い頃のこの土地はものすごく危険で、霊や妖怪がうごめく場所として描かれているのに、その後どうなったのかはわかりません。面妖が小説を書いたせいで変わったのかもしれませんが、蔵のなかの本もなくなってしまうので、何もわからないまま終わってしまうのが残念でした。

(「子どもの本で言いたい放題」2016年3月の記録)