作者別: sakuma

2023年04月 テーマ:人生はひみつに満ちている

日付 2023年4月18日
参加者 ネズミ、ヨシキリ、ルパン、花散里、すあま、アカシア、アンヌ、西山、サークルK、ニャニャンガ、ヒダマリ、雪割草、まめじか
テーマ 人生はひみつに満ちている

読んだ本:

『春のウサギ』表紙
『春のウサギ 』
ケヴィン・ヘンクス/著 大澤聡子・原田勝/訳   小学館   2021.04
SWEEPING UP THE HEART by Kevin Henkes, 2019
〈版元語録〉陶芸工房に通うアミーリアは、ウサギの置物作りに熱中していた。春休みになり、いろんなポーズのウサギを毎日作って並べて楽しんでいた。そこで出会ったケイシーと意気投合。誰にも話したことのない悩みを話すようになる。アミ―リアは、小さいころに死に別れたお母さんと会いたいとケイシーに打ち明けた。すると、ケイシーはある提案をする。「あそこにいる女性がお母さんだと仮定してみようよ」と。物語は、思わぬ方向に展開していくのだが…。


『ひみつの犬』表紙
『ひみつの犬 』
岩瀬成子/著   岩崎書店   2022.10

〈版元語録〉小学5年生の羽美は、黒が好きで、服も持ち物も黒。同じマンションに引っ越してきた細田くんの相談にのるうちに、まわりで起きた事件が気になり、その真相をつきとめるべく、犯人さがしにのめりこんでゆく。パトカー、誘拐、空き巣、カエンビン、へんな手紙……複雑に謎がからみあう。とりまく大人たちの間でさまざまな問題にぶつかる、羽美、細田くんとトミオ。ゆれる心境をこまやかに描く。

(さらに…)

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『ひみつの犬』表紙

ひみつの犬

ヨシキリ:岩瀬さんの作品は、どれも人間がしっかり描けていますよね。それも、形容詞で表現するのではなく、黒い色にこだわる羽美、狭いところにはまる細田くん、時間割が好きなお姉ちゃん、子どもにビラ配りを頼む整体医の佐々村さん等々、具体的なことで人物をあらわしている。良いところも悪いところもあり、一風変わったところもあるという、一面的でない人間像が魅力的です。同じ作家の短編集『ジャングルジム』(ゴブリン書房)も、人間がしっかり描けているという点では同じですが、この作品は犬のトミオがどうなってしまうのかというサスペンスと、いったい佐々村さんとは何者なのかというミステリーで、最後まで読者をひっぱっていく。かなりページ数はありますが、小さい読者もしっかりついていけると思いました。また、トミオを守りたい一心の細田くんと、佐々村さんの正体を探りたい羽美の気持ちのすれちがいが描かれているところもおもしろかった。それにしても、人間の気持ちをしっかり分かって我慢しているトミオの姿が切ないですね。ラブラドール・レトリバー好きの私はじーんときました。

西山:すごい作品だと思いました。岩瀬さんは次々と新作を発表されるけれど、そのたびに新しい人間が出てきて、本当にすごいと思います。ちょっと常識からずれたような不思議な行動をとる大人と子ども。コミュニティって、こんなふうに不可解で、気に食わない人たちもいっぱいいるものだというのが、図式的でなく、人間のおもしろさとしてすくい取られていて本当に興味深かったです。「子どもの権利」という観点でも、「先生が怒ると生徒があやまる」(p3)とか、「もしかしたら大人に利用されているんじゃないか、と、子どもはいつも注意を払ってなきゃいけない」(p62)とか、随所ではっとさせられて、徹底して子どもの側に立っている作品だと思いました。

花散里:一つ一つの文章が読ませる内容ではある、というのが全体的な印象でした。登場人物、一人一人を実にうまく描いていると思います。細田君の犬など、はらはらさせられるところや、カイロプラクティックの箇所など。ほっとするところと、そうではないところのつなげ方も上手だと思いました。図書館員のお父さんがスマホを片手に川柳を作っているというところは、そういう見方をされているのかとも思いましたが…。読後感としては、大人は共感するけど、子どもはどんなふうに読むのかという点で、手渡し方が難しい本のようにも感じました。

ヒダマリ:とても魅力的な本でした。今まで読んだ岩瀬成子さんの作品のなかで、一番好きかもしれません。ものごとの善悪をシンプルに考える時期、自分もあったなぁ、と子ども時代を思い出させる本でした。それぞれの登場人物の心理がていねいに描かれています。主人公は思い込みが激しく、プライド高く、大人に対して疑いを持っています。強いキャラだけれど、揺れ動く。そのブレがとてもよく掴めました。また、細田くん、お姉さん、そしてお母さんも、さらに犬のトミオまで、それぞれの生きづらさが伝わってきました。犬がどうなっちゃうのか、脇山さんに見つかっちゃうのか、佐々村さんは、本当はどんな人なのか、椿カイロプラクティックを攻撃しているのはだれなのか、なぞが重なって、一気に読ませる工夫もありました。そういう引っ張る力が、他の岩瀬さんの作品よりも強かった気がします。1つだけ気になったのはp154「煮詰まる」という言葉が誤用されているところ。「二人とも煮詰まってるぞ。煮詰まっちゃいかん。ろくなことにならんよ、煮詰まると」。煮詰まるは、話し合いなどでじゅうぶん意見が出尽くして、そろそろ結論が出る、という意味合いが本当ですよね。お父さんが間違った意味合いで使っているにしても、フォローがないので、作者が誤用しているというふうにしか読めません。編集者、校閲が気づくべきだと思いました。

アカシア:子どものときに、こんなふうに子どもの感受性を子どもの視点で書ける人の作品を読みたかったなあ、と思います。羽美は黒いものばかりにこだわり、細田くんは狭い隙間にはさまるのが好き。どちらもちょっと変わっていますが、羽美については、担任がきっちりした人で小言ばかり言う描写があったりしますね。細田くんのほうは犬のトミオを飼っていることを秘密にしなくては、なんとかトミオの居場所を確保しなければ、といつも緊張している。子どもは、ちょっとしたことで他と同じ規格品にはなれないんですよね。羽美が、ササムラさんを疑ったり、証拠をつかまないとと焦ったり、探偵ごっこまがいのことをしたりするのは、この年齢ならではの正義感をもつ子どもらしいし、それよりトミオが心配な細野くんとの距離があいていくのもよくわかります。ただ、怪しい人物についての謎が、前にこの会でも取り上げたシヴォーン・ダウドの『ロンドン・アイの謎』のように解明されていくわけではなく、羽美の勘違いという結末になるので、そこを多くの子どもが読んでおもしろいかというと、そうでもないように思います。いろいろな人が出てきて、物語の本質からしてどの人も善悪では割り切れないので、くっきりしたイメージを持ちにくいですね。ただ、好きな子どもはとても好きだと思います。さっき、『春のウサギ』が岩瀬成子的とおっしゃった方がありましたが、私はそんなふうには思いませんでした。岩瀬さんの言葉には、ひとことで10か20の背景を思い起こさせるふくらみがあり、そこが『春のウサギ』とはかなり違うんじゃないかな。

ニャニャンガ:これまで読んだ岩瀬成子さんの作品の中で、いちばんおもしろく読んだのは大人目線だからでしょうか。犬を飼ってはいけないマンションで犬を飼っている状況にドキドキしながら読みました。細田くんのトミオを思う一途さがかわいかったです。この作品には大人のずるさや利己的な面が書かれている一方で、狭い世界で生きる羽美が、自分のものさしの短さに気づいてゴムのようにのばすことができたのがよかったなと思います。人にはさまざまな面がある(羽美の姉、羽美のお母さん、佐々村さんなど)のを学んだのではと思います。羽美が犯人探しに夢中になるあまり、細田君の犬のトミオの引き取り手探しがおろそかになるあたりは子どもらしく感じました。大道仏具店のおばあさんがトミオを引き取ってくれそうだなというのは薄々わかったものの、そこから椿マンションに引っ越せるとわかるまでは想像できませんでした。学校の先生の指導に違和感を覚えたり、正義感を通そうとしたりする羽美に共感しつつ、こだわりの強い子だなと思うのは自分にも似た面があるからかもしれません。

まめじか:大人の欺瞞にだまされまいと気をつけていたのに、それでも自分は見抜けなかったと、羽美がくやしさをおぼえる場面があります。そうやっていろんな経験を重ねる中で、羽美は自分をふりかえり、また周囲のことも少しずつ理解していきます。正義感から突っ走ってしまう羽美に対し、親は事なかれ主義の対応をしますが、子ども対大人の単純な構図にしていないのが、すばらしいなあと思いました。子どもにも大人にも、見えているものと見えていないものがあるんですよね。それがとてもよく描かれていますね。時間割をつくることで何かと戦っているようなお姉ちゃんは、子ども時代と自分を切り離そうとしているようで、羽美をとりまく人たちもそんなふうに、厚みのある人物として感じられました。

ネズミ:岩瀬さんの物語は、登場人物を一方的に決めつけないというのが徹底していると思いました。黒い服を着ている主人公とか、狭いところに入る細田君とか、奇妙に見えるけれど、だからといって特別視しないし、何かの型にはめたりもしない。分断しないから、読んでいると、こういう見方もあるなと、目をひらかされていきます。物語としても、犬がどうなるかというのと、左々村さんの謎があって、先にひっぱられていきますね。主人公の論理は、やや独善的にもなるのですが、それがまわりにも本人にも自然に伝わり、ゆるやかに本人が変わっていく書き方がみごとだと思いました。冒頭の先生との掃除の場面と、仏具屋のおばあさんのネコの場面に、呼応する場面が最後にあるのもいいですね。

ルパン:岩瀬成子は好きなんですけど、この作品はちょっとすっきりしませんでした。私の理解力が足りないのかもしれませんけど。まず、最後のほうでお姉ちゃんが突然饒舌になるところに違和感があったのと、あと、この子の「黒」へのこだわりや、細田君が狭いところにはさまりたがるところなども、おもしろいんだけど、それが何につながっているのかなあ、という不完全燃焼感がありました。佐々村さんはちょっといやな大人で、疑われたってしょうがないじゃない、と思ってしまいました。

雪割草:次が気になってどんどん読めました。羽美とお姉ちゃんとの会話など、この年代の子の心もようの描写が上手で、いつもすごいなと思います。佐々村さんは理解できなかったし、子どもの権利的にも批判されるべきだけれど、こういう大人はいると思うので、リアルに感じました。それから良い、悪いについても、役に立ちたいと思って相手を傷つけてしまったお姉ちゃんの話があって、それに対して羽美は、最初は自分のことばかり考えてやっていたことが、結果的に感謝されるなど、良い、悪いは見方によって変わるのだということが体験を通じて理解できました。岩瀬さんの動物へのまなざしも好きです。

アカシア:細田君は、犬のトミオのことがものすごく心配で、それが棘のように心に刺さっているんですね。それが、はさまるという行為につながっている部分もあるんだと私は思いました。羽美が黒い服を来ているのも、感受性が鋭くて、何かを棘として感じてるからじゃないかと思います。わけのわからない変わってる子を出してきてるというより、どの子にもありうることなんじゃないかな。細田君は、羽美が同じような棘を抱えていることを感じたから、ひみつの犬のことを話したんでしょうね。私は、『春のウサギ』よりこの作品のほうが、ずっと印象に強く残りました。

ヨシキリ:『春のうさぎ』には棘のようなものは書かれていないので、あまり印象に残らないのでは? ヘンクスは、子どもの本なので、そこまでは書かないと決めているのかも。

アカシア:ヘンクスには引っかかりが少ないっていうことですか。

ヨシキリ:子どもの読者には、ゴミを捨てるおばあさんや、佐々村さんのことを、「いやな人だな!」と思ってほしくないな。岩瀬さんも、そう思っているんじゃないかしら。まだ文学を読む力が育ってない子は、そういう感想になるのかもしれませんが。

西山:細田君がすきまにはさまる理由は、p75に出てきますよね。「ぼくは成長しているでしょ。(略)大きくなると入れなくなるんだよね。そして一度入れなくなったら二度と入れないの」って、子どもは子どものままでいられないという、成長とは何かを失っていくことでもあるという、深遠で切ないような真実がふいに突きつけられた気がしたところです。

ヨシキリ:「成長をたしかめる」というのは、細田くんがついたウソですね。細田くん自身も、うまく説明できないのでは? 自分の部屋や戸棚に閉じこもって、うずくまっているのではなく、真昼間に街なかではさまっている。実は私、この作品の中で一番気に入っているところです!

西山:はさまるとか、黒い服をいつも着てるなんていくところがおもしろいので、子どもはそういうところに惹かれて読めるかと思います。

アカシア:岩瀬さんは日本からのアンデルセン賞作家部門の候補ですが、翻訳が難しい作家かもしれません。余白とか行間を読み取るという部分がかなりあると思うので。

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エーデルワイス(メール参加):これまた主人公の石上羽美ちゃんの心の声がずっと聞こえる本でした。冒頭で担任の先生から注意される羽美ちゃん。p62「大人に利用される・・・・」もうこれだけ読んでいて心がめげそうになりました。5年生の羽美ちゃんは黒にこだわり、4年生の細田君は狭いところにはさまろうとする。二人とも相当のものです。飼ってはいけない家でなんとか犬と一緒にいたいと思う子どもの物語は、岩瀬さんにかかるとこのような独特な物語になるのですね。正しさを振りかざす脇山さん、綺麗好きで孤独な今井さん、時間割にこだわるお姉ちゃん、いつも疲れているお母さんなどなど大人がたくさんでて、善悪をひとくくりにできないことを伝えていますが、ちょっと教訓っぽい感じです。最後、犬のトミオと細田君が離れることなく、が幸せになれてとにかくよかった。

(2023年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『春のウサギ』表紙

春のウサギ

雪割草:おもしろく読みました。「エピファニー」という言葉とその描写には、懐かしい児童文学のにおいを感じました。たとえばp72には、「一瞬」のなかに、アミーリアが自分という存在や世界との出会いを見出すさまが描かれています。それから、父の恋人のハナを通じて、アミーリアは、記憶にも残っていない母と向き合うことができます。ケイシーと恋愛もして、父を一人の人間としてみることができるようになります。オブライアンさんのような、寄り添ってくれる大人がいてよかったです。ときどき、ケイシーの発言は無神経に感じることはありました。原題は”sweeping up the heart”のところ、邦題はいいなと思いました。

ルパン:オブライエンさんは何歳なんだろう、というのが気になりました。70代のお友達をぞろぞろ連れてくるのでおばあさんなんだろうなと思って読んでいたのですが、p128に「結婚してすぐだんなさんが亡くなり、そのことがきっかけでオブライエンさんとアミーリアのお父さんとのきずなが強くなった」とあります。アミーリアのお母さんが亡くなったのはアミーリアが2歳のときで、アミーリアは今12歳か13歳。オブライエンさんの夫が「結婚してすぐ亡くなった」のが10年前ならオブライエンさんもお父さんと同年代ということになります。ところが、そうかと思うと最後のほうでアミーリアはオブライエンさんが死んでしまうことを心配している。いったい、この人は何歳でどういう人なんだろう、というのが引っかかります。それから、アミーリアは友だちから「変人」と呼ばれているけれど、どういうところがどのくらい変人なのかがわからず、ちょっとストレスでした。以上2点が気になりましたが、お話はおもしろかったです。

ネズミ:繊細なお話だなと思いました。お父さんが外に出かけるのが好きではなくて、どこにも行けない春休み。母親が亡くなってから立ち直れない父親が描かれていて、こういう父親像って日本の作品ではあまり見かけないけれど、前にこの読書会で読んだ作品にもあったので、海外では一定数あるのかなと思いました。陶芸教室の場面がよかったです。ただ、ときどきちょっとぴんとこない文章がありました。たとえば、p40からp41で、名前をつけて、どんな人物か考えて遊ぶところ。「なんて楽しいんだろう」とあるのですが、会話を読むと、そんなにおもしろいと思えなくて。状況はわかるのですが。

まめじか:子どもの頭の中で想像がどんどん広がっていき、それが現実と混ざってしまったり、茫漠とした不安やよるべなさを感じていて、これから続く人生の大きさに圧倒されていたりする感じは、よく伝わってきました。ただ、好みの作品かどうかというと、全体としてなんかぼんやりした雰囲気で、あまり印象に残らず…。

アンヌ:最後はすべてうまくいく、とてもほっとする物語だとは思うのですが、どうも私はこのお父さんが受け入れがたくて、納得がいきませんでした。「かわいそうにとみんながいう」ような家庭状況におかれていて、母が死んでから10年以上、旅行にも連れて行ってもらったことのいない小学生である主人公。そうなったのは、お父さんがずっと辛い思いをして動き出すこともできないからなんだと思っていたら、とっくに、自分自身は新しい恋をしていたという話になっていくので、あれれと思いました。オブライエンさんについても、実の祖母のように賢く主人公を愛し保護してくれているようだけれど、先ほどルパンさんがおっしゃったように、子供が欲しかったという記述から見ると、何か年齢的なずれがあるようで、ここら辺の関係も奇妙に思えて、主人公自身の物語に入り込めませんでした。

ニャニャンガ:ケヴィン・ヘンクスの読み物が大好きで、本作は翻訳された4冊目だと思います。刊行後すぐに読んだものの内容が思いだせず、今回読み直したところ、ヘンクスらしいナイーブな作品で新鮮に楽しめました。口数の少ないお父さんは存在感が薄いですが、お向かいに住むオブライエンさん、陶芸工房のルイーズさん、親が離婚間近のケイシーたちの、包み込まれるような愛に囲まれているアミーリアは幸せだと思いました。それでも、2歳で母親を失ったことはアミーリアにとっては欠けたピースのようにいつまでも埋まらない穴であり、埋めたいのだなと感じます。ケイシーの突飛な発想には少しハラハラしましたが、ふたりの距離が縮まり恋に発展するようすをほほえましく読みました。エピファニーと名付けた人が父親の交際相手でハナだったことは偶然の幸運といえるし、ちょっと出来過ぎとも思いました。読み始めではオブライエンさんの年齢がわからず、もしかして父親のことが好きなのかもと想像しましたが、詩のサークル仲間が70代ということからそれはないとわかりました。それでもアミーリアに無償の愛をささげ続けてきたオブライエンさんが、父親の再婚を機に疎遠になったとしたら、少しかわいそうな気もします。

アカシア:出てすぐに読んだのですが、タイトルのせいもあってか、どんな話だかぱっと思い出せませんでした。どんなウサギの話だったけと思ったりして。で、もう一度読んだのですが、いつもの原田さん訳の作品と違って、すっと入ってこないもどかしさがありました。もしかしたら、それは共訳のせいかもしれないですね。若い翻訳者を育てるという意味では共訳も必要なのかもしれませんが、私はもっとなんというか言霊みたいなものがあると思っていて、その作品のエッセンスをどうとらえるかは人によって微妙に違っているので、ばらばらの言霊が聞こえてきてしまうのかもしれません。子どもの言語感覚が分かる人に下訳をしてもらうという人もいますが、共訳の場合たいていは波長の違うちぐはぐなうねりを感じて、とまどいます。p66に「わたし、名字なしで名前だけの人が好き」とありますが、そういう人はめったにいないので、「名前だけのほうが好き」くらいでしょうかね。それと、冒頭で、オブライエンさんがアミーリアのことをしょっちゅう「かわいそうに」と言う、とありますが、本文では言ってないみたいだし、それですますような人にも思えないので、ちょっとひっかかりました。まあ、私が「かわいそう」って上から目線だと思っていて好きではないからかもしれませんが。でも、アミーリアの心情に沿って読めるところはたくさんあって、たとえば父親からこれまで声に出してほめられたことのなかったアミーリアが、ハナも呼んでの食事のとき、二人からほめられてうれしくなったり、そのあと自分の意見が否定されたと思って怒る気持ちなどは、寄り添って読めますね。

ヒダマリ: うーん、読んでいるときは先が気になるし、読後感もさわやかなのですが、あまり残らない作品でした。実は、1年半前に1度読んでいるんだけれど、今回、内容をすっかり忘れてしまっていました。印象が弱い理由を考えて、2つあるのではないかと思いました。1つは、主人公が恵まれていること。2歳のときにお母さんが亡くなって、お父さんは理解がない、ということが冒頭で強調されていますが、オブライエンさんは、おそらく実の母以上に優しく、常に理解してくれるし、途中から現れる父の交際相手のハナ・バーンズさんも理想的ないい人です。友人のケイシーは、元気づけてくれて、工房の先生も優しいんですよね。もう1つの理由は、主人公が常に受け身であること。内向きな性格でさびしい思いをしている、というのはわかるんですけど、自分から行動せず、常に与えられるものによって、少しずつ変わっています。特に気になったのは、ハナ・バーンズとの件が佳境にあるとき、一度たりともケイシーのことを思い出さないんですよね。この子の視野の狭さが浮き彫りになっているストーリーならいいのですが、頑張ってるいい子として描かれているので…物足りなさを感じました。

花散里:2021年に刊行されたときに最初に読みました。その時、評価が高い本だったと記憶していますが、今回、タイトルを聞いたときに物語がすぐに思い出せませんでした。読み直して、1章「かわいそうなわたし」から、お母さんが亡くなっていることなどを思い出しました。お父さんが前半ではオブライエンさん任せきりで、子育てに関心がないように描かれていますが、p165、後ろから5行目の文章「あなたが小さいころ、お父さんは、あなたをねかしつけるために毎晩抱っこして歩いていたこと。(中略)すぐに泣いてしまうから」が印象的でした。お父さんがうまく愛情表現できないのを、上手にオブライエンさんがカバーしてくれているということが全般的に良く伝わってきて、お父さんにとってもオブライエンさんが欠かせない存在であることも良く描かれていると思いました。アミーリア自身、友だちの作り方がうまくいっていないなかでケイシーと出会ったことなどが、子どもたちにも好感を持って読まれるのではないかと感じました。『春のウサギ』、このタイトルと表紙がそぐわないように感じました。子どもたちが読んでみようかなと本を手にするとき、タイトル、そして表紙の画は大事だと思います。どうして「春のウサギ」なのかなと。この物語を子どもたちに手渡すときの印象からすると、違ったほうが良かったのではないかと思っています。

西山:今回、岩瀬さんの作品と抱き合わせにして続けて読んだせいもあるでしょうが、すごく岩瀬成子的と思いながら読みました。大きな事件が起きるわけではなくて、筋は忘れてしまう気がしますが,読み返したら随所がおもしろくて、何度でも味わえそうです。人間観がやわらかくて好き。子どもの身体性を伴った、包まれている安心感というのが描かれていて、その温かさを新鮮に感じました。『春のウサギ』というタイトルは、全体を覆う温かなものに包まれた安心感にあっているのかもしれません。私も、最初はオブライエンさんと「教授」の関係が気になっていましたが、「教授」との恋愛感情があるとかないとか、そうじゃないんだなと思うに至りました。愛し合う男女がペアになって子どもを育てるという定型ではなく、お向かいのおばさんがこんなにアミーリアを無条件に受け止めてくれる、こういうあり方は新鮮でした。「教授」の不器用さはひどいとも思いましたが、p175の6行目ではっきり自覚されているように、アミーリア自身お父さんに似ています。おもしろい人間像を見せてもらったという感じです。「教授」の「あの子がおまえと遊ばなくなって、よかったと思っている。意地の悪い子だと思ってたんだ」(p177)というひとことなど、普通言うかそんなこと、とびっくりしましたが、そういう、馴染んだ人間観をこえてくるところがおもしろかったですね。

ヨシキリ:主人公の心の動きを繊細に描いた、温かくて、感じのいい物語だと思いました。ふと見かけただけ女の人を、実のお母さんであってほしいと思うアミーリアの心情は、両親が離婚寸前というケイシーに影響を受けているんでしょうね。お父さんはアミーリアを虐待しているわけではなく、鬱状態にあるだけだと思います。不器用な人なんですね。また、オブライエンさんも、アミーリアたちに無償で尽くしているのではなく、きちんとした雇用関係に基づいて働いていて、そのうえで春のようにアミーリアを包みこむ愛情は本物だと思いました。タイトルも表紙も、私は好きですね。こういう名前のカフェがあったら、入っちゃうかも。後漢の歴史家がのこした「養之如春(これを養うこと春の如し)」という言葉を思いだしました。春のように子どもをふんわりと見守るというのと、ウサギのように一歩前へ跳びだすという意味を兼ねているような感じがして…。原書のタイトルに使われているエミリー・ディキンスンの詩は、物語の結末とは違うような気がして、なかなかトリッキーなタイトルだと思いますので、そのまま訳しても読者に届くかどうか。まあ、私は子どものときに読んだ本でわからないことがあっても、大人になって「ああ、そうだったのか?」と思うことがよくあり、それはそれで読書の楽しみのひとつだと思いますが。訳書のタイトルのつけ方は、本当に難しい!いくら子どもが手に取りやすいからといって、「謎」とか「秘密」とかいう言葉をやたらにつけるのもどうかと思いますし…。

花散里:子どもたちが本を選ぶとき、タイトルは大きいと思います。

サークルK: 4月の課題本として3月半ばから読み始めたので、イースターの季節にぴったりのタイトルと表紙の緑色やウサギの絵に手に取った時から心が和みました。様々な表情のウサギたちは、アミーリアの作る粘土のウサギのことだったのだと読み始めてわかり、あらためて眺めることになりました。作中の表現で特に心に残ったのは、登場人物たちの「ふれあい」です。p28で友達になったケイシーが「2度ほど、自分の腕をアミーリアの腕を軽くかすらせた」とかp162-3ページでは「ハナの腕がアミーリアの肩に触れたが、やわらかな感触がびっくりするくらい心地よかった。」とか、p165「知ってる?あなたが小さいころ、お父さんは、あなたをねかしつけるために毎晩抱っこして歩いてたこと」など、さびしい心持をしているアミーリアに温かい人の手が何度も差し伸べられ、実際に「手当されている」ということがよくわかります。彼女は決して放っておかれているわけではなく、皆さんの感想にもあったように実はとても恵まれているのだと思えます。p112でオブライエンさんの手が「急にあわただしく動きはじめ」、「アミーリアの髪をなで、両肩をぎゅっとつかんだかと思うと、シャツについていたごみをはらいおとし、ほほにふれた」とあります。髪にふれるという行為は、p167にはハナが「なにも言わずにポケットに手を入れ、小さな青い玉のついたヘアゴムを取り出して(中略)ベッドの上ですわりなおすと、アミーリアの髪の毛をていねいにたばね、おだんごにまとめた」という形で再現されています。大人の小説だと、官能的な愛情表現につながるような行為ですが、親しいものがこのようにして子どもの髪をなでるという表現には独特の親密さや言葉にはしにくいながらも優しさや温かさが表現されていると感じました。続く最後の行、「きつすぎず、ゆるすぎず。ちょうどいい感じに」という表現は特に素敵でした。大人がべたべたと、あるいはずかずかと子どもの心に入ろうとしているのではないことがよくわかったからです。

すあま:このタイトルだとどんな話かわからないので、ブックトークなどで紹介しないと手に取りにくいかな、と思いました。夏休みの物語は多いけれど、春休みの話はあまりないかも。日本とは学校の学期の始まりや休みが違うからかもしれません。春であり、1999年という年であることに意味がありそう。アミーリアとケイシー、一人はお母さんが亡くなっていてお父さんしかいない、もう一人は両親が離婚しそうな状態で、どちらも家族についての悩みや痛みを抱えています。そこに家族ではないけれども、支えてくれる大人がいるというのをきちんと書かれているのがとてもよかったです。家ではない居場所があり、そこでは家族ではない人が自分を見守ってくれている。物語の最後、何もかも解決したわけではないけれど、アミーリアの成長が感じられて、この先いろんなことがうまくいきそうな予感を残していたので、読後感がよかったです。

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エーデルワイス(メール参加):時代設定は1999年。確かに携帯(ガラケー)もまだまだこれからでした。主人公のアミーリアは寡黙なお父さんとあまり意思に疎通がないようだけれど面倒をみてくれるオブライエンさんいて平和な日常をおくることができています、オブライエンさんの手作りマフィン、クッキー、ケーキ、アミーリアの通う陶芸教室などゆったり感満載ですね。両親の離婚問題で悩むケイシーとカフェに行くなんて。12歳なのにオシャレです。通りかかる人に勝手に名前をつけてその物語をつくる遊びは高度。二人とも成熟していると感じました。アミーリアのお母さんは亡くなっているはずなのに、見かけた女性をお母さんかもしれないと想像を膨らませるところはいじらしいです。その女性はお父さんの恋人でしたが、この本の続編が書かれるのかもと思ったりしました。アミーリアの心の軌跡が丁寧に書かれていると思ったし、装丁と挿絵はいかにも日本らしいと思いました。

(2023年04月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2023年03月 テーマ:他者の靴をはいてみる

 

日付 2023年3月16日
参加者 ルパン、花散里、すあま、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、まめじか、西山、サークルK、マリオカート、雪割草
テーマ 他者の靴をはいてみる

読んだ本:

『ロンドン・アイの謎』表紙
『ロンドン・アイの謎 』
シヴォーン・ダウド/著 越前敏弥/訳   東京創元社   2022.07
THE LONDON EYE MYSTERY by Siobhan Dowd, 2007
〈版元語録〉12歳のテッドは、姉といとこのサリムと観覧車ロンドン・アイに乗りにでかけた。見知らぬ男がチケットを1枚だけくれたので、サリムは大勢の乗客と一緒に観覧車のカプセルに乗りこんだ。だがカプセルが一周しても、サリムは降りてこなかった。閉ざされた場所からなぜ、どうやって消えてしまったのか? 「ふつうの人とはちがう」脳の仕組みを持ち、大人顔負けの論理を駆使する少年テッドが謎に挑む! カーネギー賞受賞作家が贈る清々しい謎解き長編。


『笹森くんのスカート』表紙
『笹森くんのスカート 』
神戸遥真/著   講談社   2022.06

〈版元語録〉笹森くんのすらりとした引きしまった長い脚が、今日はまた一段と際立っていた。 笹森くんが、ひだの均等なスカートを穿いていたから。 教室の入り口でそれに気が付いたぼくは、ゆっくりと二度瞬きした。・・・篠原智也 夏休みあけ、いきなりスカートで登校をはじめた笹森くんをめぐる4人の物語。

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『笹森くんのスカート』表紙

笹森くんのスカート

すあま:さらっと読みやすかったので、小学校高学年くらいでも読みやすいだろうと思いました。1章ずつ主人公(語り手)が変わっていく手法に新しさは感じないけど、クラスのいろんな子の視点で描いていくのは嫌いじゃないので、よかったと思います。セリフなど、今の高校生という感じはよく出ているけれど、はやりの言葉や道具は賞味期限が短いので、時がたつと古さを感じてしまうことになるから難しいですね。テーマ的にも、今読んでもらえればいいということなのかもしれないけど。ストーリーについては、笹森君がスカートをはいたことで、周りのみんなが自分に引き付けていろいろと考え、それぞれの性格の違いが直接質問したりできなかったりする行動の違いに表れていたところはおもしろかったです。最後は、笹森君がスカートをはくことにした理由がわかり、ある意味解決したように思うので、この後はどうなるのか、スカートをはくのをやめるのかな、と気になりました。この学校は校則もゆるそうなので、ある程度レベルの高い学校なのかな。物語の設定なのでこれはこれとして、制服を選べるようにするくらいなら、私服にすればいいのに、というのが私の考えです。

ハリネズミ:笹森君(ひろ)のキャラが、理想的ないい人として描かれていますね。彼は、リアルな人物というより、まわりの人の思いを映す鏡的な存在なので、あえてそういう設定にしているのかもしれません。いろんな視点から描かれているので、中高生にも多様な考えがあるということが伝わると思います。高校生男子を主人公にした作品だと、たとえば川島誠とか昭和初期の男性作家の作品とか、性を描かないとおかしいくらいのスタンスで描かれたものもたくさんあって、それは逆に多様じゃないなと思っていたので、この作品に性的な要素がほとんど登場しないのが逆に新鮮でした。

コアラ:おもしろく読みました。装丁や文字の大きさが、高校生が主人公にしては幼いと思ったし、登場人物たちの恋愛も、高校生にしては幼く感じたので、どのくらいを読者対象にしているのかな、と思いました。さわやかなイケメンがスカートをはいてきた、とか、ぽっちゃりして外見にコンプレックスを持っている女の子が面食いで告白しまくっては振られるとか、ありがちな設定だけれど、ありがちだからこそ、さらっと読めてメッセージが伝わりやすい物語になっています。読みやすい中で、ところどころに、目が引っかかる、心に引っかかる言葉が挟まっていて、たとえばp28の後ろから3行目の「敗北感」とか、p39の終わりから3行目からの「傲慢」とか、さらっとしているだけじゃない成分が入っているのはいいと思いました。制服で、女子がスラックスをはいたり、男子がスカートをはいたりするのに、特段の理由がなくてもいい、自由に選べるようにすればいいんじゃないか、というようなメッセージが書かれていて、新鮮な感じはないけれど、こういうメッセージが増えれば、固定観念に縛られずにラクになる人も増えるかもしれないと思います。それから、今回の読書会のテーマが「他者の靴をはいてみる」ですが、この本はどんぴしゃりだと思いました。

マリオカート:多視点の物語で、それぞれの登場人物の事情や個性がよくわかり楽しく読めました。特に私は、「わかるわかる」を繰り返す倉内さんというキャラクターが興味深くて注目していました。あとは、つるまない女子の西原さんが、カラオケに強引に連れていかれる場面も好きです。p76「部屋にはタンバリンやマラカスもあり、ここは鳴らして盛り上げるべきなのかもと一瞬迷ったけど。スクールバッグを人質に取られている私がすることじゃないな」という文章から、西原さんって根はやさしくてユニークな子なんだなというのが伝わってきました。最後、笹森くん自身が登場し、スカートにした理由も納得できる展開だったのですが、お父さんとお母さんが妙に物分かりがよすぎる気がしました。あと、私が注目していた倉内さんが、最後の章にまったく登場しなかったのが残念です。ところでひとつお聞きしたいことがあります。p86の最後の行で、「「カッコいー」」と、カギかっこが二重になっていますよね。これは、2人が同時に言っているという表現で、児童文庫では当たり前になってますが、いわゆる普通の児童書でも、スタンダードになってきているんでしょうか?

コアラ:たまに見かけるようになりました。

ハリネズミ:私も見たことはありますが、そっちが多くなったということはないと思います。

マリオカート:エンタメ特有の表現かと思っていましたが、だんだん広がっているのかなぁ、と。

花散里:制服のことを取り上げていて、性的マイノリティがテーマである作品かと思いました。中・高校の図書館に勤務しているので、今の高校生のことを、しっかりと描けているのだろうかと感じながら読みました。スカートをはいた笹森君に対して、章ごとに変わる主人公が、どのように考えているのかという構成はおもしろいとは思いましたが、それぞれの登場人物を描き切れていないように感じました。p83「母親が二人いるの」というところなど、もっと踏み込んで書いてほしかったと思いました。登場人物は高校生ですが、グレードは中学生くらいからでも読めるような軽い感じがしました。

サークルK:『ロンドン・アイの謎』(シヴォーン・ダウド著 東京創元社)を先に読んで盛り上がってしまって、特別な感想が持てない状況になってしまいました。軽く読めるけれど,言葉の使い方が今風すぎてついていけないな、中高生とは話ができなくなっているかも、とあきらめにも似た気分になりました。笹森君はかっこいいし、中学生だったらおもしろく読んでしまうのかもしれませんが、軽さと内容の繊細さの微妙なライン上にある作品だと思いました。繊細な内容というのは細野さんの体形にまつわる「ルッキズム」、笹森君は単純にはいてみたかった“スカート”が象徴する「セクシャリティ」のカミングアウトのことです。もう少しそれぞれの心の内をしっかりした筆致で読みたい気持ちがしたし、確実なことが言えないところが中高生らしいのかもしれないし、悩ましいところです。中高生のアイドル的な存在の人の中にも最近では自分に正直に生きる、自分の嗜好/志向を表明する人が増えてきているようなので(例えばりゅうちぇるさん、ぺこさんのカップル等)、重たくならずに多様性の問題を考えるきっかけとするには手に取りやすい本だと思います。

雪割草:読みやすかったです。ひとつのことについて、違う人物の視点で語る構成で『ワンダー』(R・J・パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版)を思い出しました。同じ外見のことでも、服と身体的なこととの違いのためか、『ワンダー』に比べて内容も軽く感じましたし、スカートをはくという行動は勇気がいったと思うし、もっと深いところを知りたくはなりました。でも、他人の目を意識する日本の若者のリアルさは伝わってきました。私も小学校に入ってすぐに、絵の具セットを買うので青を選んだら、全校の女子はみんな赤で、男子はみんな青だったのでいじめられたことがありました。ジェンダーレスな制服より、私服でいいのではと思ってしまいます。

西山:地元の図書館でずっと貸し出されていて,読み返せていません。手元に本がないので、具体的に話せなくてすみません。この作品、高校生が主人公の割に、造本が幼いという指摘がありましたが、中身としては、高校生だからこその物語だなと思い、そこがもっとも印象的だった所です。これが、中学生たちだったら、「ふつうじゃない」同級生に攻撃的に干渉してしまったのではないかと思うんです。『笹森くんのスカート』の高校生たちは、やはり、中学生とは違う「おとな」であって、違いを認めなければならないという価値観を持っています。ですから、排斥などしないけれど、でも確実にかき乱されている。そこが新鮮でとてもおもしろかったです。違いが攻撃される軋轢をドラマにして、「違ってもいいんだよ」というメッセージに行くのではなくて、いろんな人がいることは当たり前の前提なのだけれど、そこでどうしてもざわざわしてしまう自分の正直な現実をまず受け止める物語は、新しい切り口だと思います。

エーデルワイス:楽しく読みました。「ぼくもわかるよ 篠原智也」の章が好きです。思い込みの強い倉内さんが責められても仕方ないところを、それでも倉内さんのことを好きだと思う篠原君はいい子だと思いました。ただスカートをはいてみたかったと淡々と言ってのける笹森くんが、本当の理由が従妹のためだということが分かり、推測していなかったので新鮮でした。最後のバンド演奏でバンド名「スカーツ」で全員スカートをはいてのステージは素敵です。「きみなら話せる 西原文乃」の章には、二人の母、母親と同姓のパートナーの話がでてきます。『君色パレット(2)いつも側にいるあの人』(岩崎書店)の中にあった、いとうみくの「にじいろ」と同じ設定ですね。私の中高は普通の公立でしたが、北国のせいか女子はスカートのみということはなくスラックスをはいても全くかまいませんでした。また昔はそれほど服を買えなかったように思います。私など高校まで服を買ってもらえず母の手作りの洋服を着ていました。そういう意味では制服は、昔は必要だったのかもしれません。

アンヌ:去年の九月くらいに一度読んだのですが、LGBTQXに触れているようで触れていないような話で、最後に「笹森君がなぜスカートをはいたのか」という種明かしもされていないなと思って、がっかりしました。でも、こうやって皆さんのお話を聞いていると、主題はそこではないのですね。今回読み直してみると一応は、いとこの真緒が制服を選ぶには強制的なカミングアウトのような状況に追い込まれると知って不登校になった。その苦悩を知るために、あえてカミングアウトと誤解されるようなスカートをはいたのだと語られていました。でも、「スカーツ」の演奏を聴きに行った真緒は、突きつけられた自分自身への疑問や学校の体制への不満から、果たして自由になれるのかな?などと、いまだに思い悩んでいます。

ルパン:おもしろく読みました。残念なのは、最後の笹森君のところがほかの子のところほどおもしろくなかったこと。「笹森君」は、それまで、みんなの目からミステリアスに描かれていたので、最後まで出てこないほうがよかったかも。まあ、ないならないで文句を言われるだろうから仕方ないですが。出すなら思いっきりドラスティックな理由でスカートはいたか、逆に「え、それだけでそこまでやっちゃうの?」という肩透かしくらいならおもしろかったかな。中途半端に優等生な理由で、おもしろくなかったです。それならいっそ冒頭に出しちゃって、「たったそれだけのことなのにまわりがめちゃくちゃふりまわされる」というほうがよかったかも。

まめじか:笹盛くんは苦しんでいるいとこを見て、スカートをはくってどんな感じなんだろうと思って、はいてみるんですね。笹森くんがスカートをはく経緯が、少し軽いのではないかという意見もありましたが、私はこの軽やかさがいいと思いました。理解してあげなきゃって思いつめると、みんなが息苦しくなってしまうので。さわやか男子の笹森くん以外の登場人物も、眼鏡を取ったら美少女とか、声が高くて人気のある女の子とか、少女漫画っぽさが少し鼻につく感じはありました。

ハリネズミ:この作品はジャンルからするとエンタメだと思んです。LGBTQとか、友人関係の問題を深く追求しているわけではない。でも、エンタメでこういう作品が出ることがおもしろいし、とってもいいなあ、と思います。他者の立場になってみるためにちょっとやってみました、っていうのも新鮮でした。マイノリティの描き方にしても、深く考えるばかりじゃなくて、さりげなく出てくる作品も必要だと思っています。たとえば、椎野直弥さんの『僕は上手にしゃべれない』(ポプラ社)は吃音の中学生が主人公で、自分の悩みや困難や、それを乗り越えていく過程を語っていきます。つまり吃音の克服をメインテーマにしてその問題と正面から取り組んでいます。一方ヴィンス・ヴォーターの『ペーパーボーイ』(原田勝訳 岩波書店)も同じ年頃の吃音の少年が主人公ですが、吃音は作品の多様な要素の中の一つにすぎません。でも、伝わるものはあるし文学としてもすぐれています。LGBTQにしても、翻訳作品だとさらっと登場する場合が多いですよね。そのほうが多様な世の中をあたりまえに感じることができるような気もします。
それから制服なんですけど、最初は私も制服をジェンダーレスにするより撤廃したほうがいいと思ってたんですけど、貧困問題の側面から考えると、そうばかりも言えないような気がしています。制服だと「あいつ1週間同じ服着てるよね」と言われたりはしない、ということもあるかと。私自身は制服は大嫌いですけど。

雪割草:通っていた高校が旧制男子中学校だったので、男子だけ制服で女子は私服でした。でも、制服がほしいというニーズもあり、今は女子の制服もできたと聞いています。

すあま:経済状況との関わりでいうと、逆に制服が高いので私服にしてほしいとの声もあり、制服のリサイクルもあるそう。制服があって同じ格好をしている方が安心とか、おしゃれな制服で学校を選ぶというのもあり、制服はなくならないのかもしれません。

(2023年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『魔導師の娘』表紙

魔導師の娘

イギリスのファンタジー。「クロニクル千古の闇」シリーズは完結したかと思っていたら、10年以上たって続巻が出ました。この7巻目では、表紙の絵は酒井駒子さんですが、中のイラストは原書の絵をそのまま使っています。また6巻目までとは体裁も少し変わりました。

今から6000年くらい前の、まだすべてを人の手で作り出さなければ暮らしていけなかった時代。ひとりでこっそり出ていったレンを追ってトラクは極北へと向かいます。いつの間にか、先を行くレンのそばにはナイギンいう若者が。レンはなぜ出ていったのか? ナイギンとは何者なのか? 愛するレンとトラクを引き裂いたのは誰なのか? 謎が次から次へと生まれ、それがどう解きほぐされていくのか、ハラハラします。ウルフの活躍にも胸がおどります。

舞台となる地に著者が足を運び、綿密に文献も調査して書いているので、大自然の描写や、その中で生き延びていく当時の人々の暮らしや考え方など、物語世界がリアルで入り込めます。(冬に読むと寒くなりますので、ストーブのそばか、こたつに入って読むことをお勧めします)

(編集:岡本稚歩美さん 装丁:水野哲也さん)

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『わたしにまかせて』表紙

わたしにまかせて!〜アポロ13号をすくった数学者キャサリン・ジョンソン

アメリカの絵本。非白人や女性差別が色濃く残る時代、小さい時から数をかぞえるのが大好きだったキャサリンは、数学にかかわる仕事をしたいと思い、少しずつ夢を実現していきます。

やがてNASAで数学者として働くようになり、「アポロ13号」の燃料タンクが爆発事故を起こしたときは、必死で軌道を計算し直し、宇宙飛行士たちの奇跡の生還に貢献しました。映画「ドリーム」(原題Hidden Figures)の主人公になった人でもあり、その後オバマ大統領から勲章を授けられます。映画でも表現されていたように、当時キャサリンの活躍は隠れていたのですが、今ではNASAの二つの施設にキャサリン・ジョンソンの名前がついています。女の子をエンパワーする作品です。

(編集:二宮直子さん 装丁:藤本孝明さん、藤本有香さん)

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『いつかきっと』表紙

いつか きっと

アメリカの絵本。家の前には、みんながゴミをポイポイ捨てる場所がある。なんとかしたい。でも、みんなは「やってもむだだ」とか「かわりはしないさ」とか「そのうちなんとかなる」とか言う。でも、子どもたちは少しずつそこを花や野菜が育つ畑に変えていく。絵に描かれたストーリーはそう語っていますが、それだけではない広がりがあります。

アマンダ・ゴーマンは若き詩人。シングルマザーに育てられ、子どもの頃は発話障害に悩まされたがハーバード大学で社会学を専攻し、22歳の時にはバイデン大統領の就任式で自作の詩「わたしたちの登る丘」を朗唱し、世の中を声と言葉の力で変えていこうとしています。

クリスチャン・ロビンソンは、私が大好きな『おばあちゃんとバスにのって』でコールデコット賞銀賞にかがやいた画家です。

(編集:山浦真一さん 装丁:タカハシデザイン室)

 

<紹介記事>

・2023年11月19日 朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一さん)

「あいてが大きすぎる」と、みんなはいう。でも、とっても小さいものが大きいものをうごかすことだって、あるんだよ。──アマンダ・ゴーマン

どうしようもないことだとか、やってもむだだとか、そのうちなんとかなるとか、醒めたようにつぶやく人が多いと、米国の詩人はいう。でも、悲しいし怖いし腹も立つけど「どうしていいかわからない」ことに囲まれたら、すぐにあきらめずに、みなで力を合わせ少しでも押し返そうと。絵本『いつか きっと』(さくまゆみこ訳)から

 

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『ウサギのソロモン、へんしんする』表紙

ウサギのソロモン、へんしんする

以前『くぎになったソロモン」というタイトルで、セーラー出版から出ていた絵本ですが、翻訳が小さい子ども向けにやや簡略化されているように思い、新たに訳し直しました。翻訳も装丁も、いちいち原書出版社に送って了解を得なければならず、編集の方たちが大変でした。

今回またじっくりスタイグの絵を見ることになったのですが、ウサギやネコの表情など、簡単な線でありながら、とっても味わい深いと再認識。それにしても、ウサギのお父さんは家の中でもいつもスーツにネクタイ姿なんですよ。おもしろいですね。

(編集:高尾健士さん、小島範子さん  装丁:鳥井和昌さん)

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『パッチワーク』表紙

パッチワーク

編集部で考えてくれたオビの言葉は、「すべての子どもたちへのあたたかなエール」。

小さいときに、「男だから青が似合うよね」「ダンスをするためにうまれてきたんだね」「ボール競技が得意だね」「いつも上の空じゃないか」「やさしすぎるんじゃないの」なんて言われ続けたとしても、それにとらわれなくてもいいのです。この絵本は、「みんなと同じでなくてもいいんだよ。今のまんまが続くと思わなくてもいいんだよ」と、詩的な言葉とすてきな絵で語りかけています。

きみがもっている音は、ひとつじゃない。
きみは、いろいろな音をだせる。
きみは、シンフォニーなのだ。
きみが行った場所、出会った人たち、
感じてきたこと、
それがみんな、きみの音や色になる。
きみは、ブルーでピンクで、さびしくて、うれしい。
時とともに集まったさまざまなものが
ぬいあわさって、
きみというパッチワークができていく。

と、デ・ラ・ペーニャは言い、最後は

わたしたちは、みんな美しいのだから。

という言葉で終わります。

(編集:松原あやかさん 装丁:高橋デザイン事務所)

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『ギゾギゾ!』表紙

ギゾギゾ!〜ゾンゴぬまのものがたり

ガーナで出版された絵本です。

もともとはIBBYのオナーリスト(世界の優良図書リスト)でこの絵本を知って、「世界の子どもの本展」の出版クラブでのオープニングのときにお披露目し、その後も動画で紹介したりしたら、目をとめてくださった犀の工房の方から、翻訳を頼まれました。

カメとカニとクモが主人公の、環境汚染をなんとかしようとする物語です。ウィリアムソンさんが開いたワークショップの中で出てきた子どもたちのアイデアを活かしてお話ができ、子どもたちが作ったキャラクターをもとに絵が描かれています。近くに実際にあるゾンゴ沼をなんとかきれいにしたいという子どもたちの気持ちがよくあらわれています。巻末にはワークショップの写真も載っています。

犀の工房さんは、小さい会社のようですが、一所懸命に本づくりをなさっています。

(編集:賀来治さん)

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『ティーカップ』表紙

ティーカップ

オーストラリアの絵本で、移民・難民をテーマにしています。最後の文がないところがいちばん大事なところなので、そこをちゃんと見てもらえるとうれしいです。移民・難民の人たちは自分が生まれ育った場所の文化をもって新たな天地にやってくるということが象徴的に表現されています。移民が多く多様な文化を受容してきたオーストラリアならではの絵本でもあり、今の世界が直面している問題についても語っていると思います。

IBBYのオナーリストにオーストラリアから推薦されて掲載されていた絵本で、絵がとてもいいのです。ただ原著はマットコート紙なのに、日本語版は上質紙なので、ちょっとそこがもったいなかったかな。

(編集:田村由記子さん 装丁:神波みさとさん)

『ティーカップ』本文絵

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『ロンドン・アイの謎』表紙

ロンドン・アイの謎

エーデルワイス:作者がこの作品を発表してから2か月後に47歳で亡くなっていることにショックを受けました。ミステリーの犯人捜しが苦手な私は、読んでいて謎を解き明かすことができません。作者の独特な言い回しのせいか、なかなか読み進めませんでしたが、中盤から一気に読めました。読み終えてから、あそこにここにとヒントがあったのですね、と。主人公テッドの口癖「んんん」は原文でも「nnn」なのでしょうか?出番は少ないのですが私服の女性警部、ピアース警部が素敵です。グローおばさんとサリムのニューヨーク行き飛行機のチケットを待ってもらうなんて、良心的な飛行機会社ですね。サリムのパパがインド系、サリムの親友のマーカスの母がバングラデッシュ、父がアイルランド……というように他民族そして差別も描いています。サリムの行方不明事件の顛末は、日本でしたら親が世間から非難されそうですね。

西山:おもしろく読みました。いきなりの「序文」で「真相にたどり着くための手がかりは、ひとつ残らずこの本のなかに書かれています」しかし、謎を解くのは「一度読んだだけでは至難の業でしょう」って、なんだ、いきなり読者への挑戦状か?! と思いまして、受けて立とうじゃないのと身構えて読み始めたのですが、そのうちそれも忘れて、ただおもしろく読んでいました。あ、でも、ロンドン・アイでサリムが乗り込んだはずのカプセルから降りてきた人の数は数えて、乗り込んだのと同じ21人であることは確認しましたけれど。“症候群”のテッドの感性と考え方から生まれるユーモアや、例えば人がかっこいいかどうかとか分からないテッドは「ぼくには、どの人もその人にしか見えない」(p25)というところなど、すてきな人間観として読めて、謎解きだけで引っ張られるわけではない、細部を楽しめる読書となりました。

雪割草:おもしろくて、先が気になってどんどん読み進めることができました。序文で、「テッドが真相にたどり着くための手がかりは、ひとつ残らず本のなかに書かれています」とあったので、細部に注意したつもりでしたが、いろいろ気が付けず、仕掛けが見事だと思いました。また、ミステリーでありながらそれだけに終始せず、サリムが母とふたり暮らしだったり、父はインド系だったり、学校でいじめにあったり、社会的な背景などいろいろ描きこんでいるのもわかりました。それから、テッドは「症候群」と自分で言っていて、あとがきにはアスペルガー症候群と書かれていますが、その率直な観察視点で描かれるのも、ミステリーやこの作品に合っていると思いました。p33でテッドとサリムが会話しているのが描かれていますが、サリムはおとなっぽいというか、ミステリアスなところがあり、それも魅力的に思いました。

サークルK:ミステリーとしても子どもの成長物語としても、本当におもしろい内容でぐいぐいと引き込まれてしまいました。これぞ本を読む喜び!という感覚で、あまりのおもしろさに続編(ダウドが亡くなってしまったので原案のみで、本書の序文を書いたロビン・スティーブンスが本編を執筆した『グッゲンハイムの謎』)も一気に読んでしまいました。テッドが自閉症スペクトラム「症候群」であるために、家族の心配りがどうしても必要でそのしわ寄せを引き受ける「きょうだい児」の姉カット、母親の姉であるグロリアの家族の問題も盛り込まれて、現代のロウワーミドルクラスにあたるような一家の状況は一筋縄ではいかないのですが、お互いに文句を言いながらも温かい家庭であることが伝わってきました。そこにいとこの行方不明事件が勃発!これはおもしろくならないわけがありません。お互いに面倒くさいなと思いながらも姉弟が協力して、ひとつひとつ可能性をつぶしながら真実に近づいていく様子がていねいに描かれていました。ダウドご本人の作品がもう読めないのが残念でたまりません、もっともっと読みたかったです!

花散里:『ボグ・チャイルド』(ゴブリン書房)など、40代で逝去してしまったシヴォーン・ダウドの作品はとても心に残っていたので、本作も注目して読みました。2022年に読んだ本の中で、特に印象深い作品でしたが、続編の『グッゲンハイムの謎』(シヴォーン・ダウド原案 ロビン・スティーヴンス著 東京創元社)もとてもおもしろく読みました。自閉スペクトラム症のテッドが鮮やかな推理で解決していくというミステリーで読み応えがありました。

マリオカート:ロンドンにはずいぶん長いこと行っていないので、このロンドン・アイのある風景を知らず、見てみたいなーと思いました。物語の途中まで、ミステリー的にそんなに絶賛されるほどの作品かな、と思っていたのですが、終盤で一気にたたみかけてくる展開に圧倒されました。主人公のキャラクターが秀逸ですよね。“症候群”の様子が、気象をモチーフにした本人のモノローグでよく伝わってきます。彼が何か言おうとしても、大人たちは聞いてくれない場面が多々あります。前回の読書会で読んだ本には、物理的に会話できない主人公が登場していました。今回の主人公も、言葉を発することはできるけれど実質大人に届いていないわけで、少し近いものを感じました。それでもあきらめない主人公が、最後はとてもカッコよくて、読み応えがありました。著者が早く亡くなられたのがとても残念です。

コアラ:おもしろかったです。自分で推理するつもりで読んでいきました。私も、サリムがそもそもロンドン・アイのカプセルに乗らなかったんじゃないかと最初のうちは思っていました。でも途中でその説が却下されたので、あとはいろいろな可能性を考えながら読みました。サリムがどこにいるか、ということでは、父親の家に行っているんじゃないかと思っていました。最後の解き明かしは、読者が本文中に明かされた手がかりだけでは推理できないことだったので、ミステリーとして素晴らしいというほどには感じなかったのですが、やっぱり子どもが活躍するというところで、おもしろかったです。気になったところと言えば、訳文がちょっと気持ち悪いところがありました。たとえばp27の後ろから8行目などですが、ストーリーに引き込まれてからは気にならなくなりました。印象に残ったのはp33からの「夜のおしゃべり」の場面。テッドは、グロリアおばさんや姉のカットからも、変てこな存在だとみなされていますが、サリムはテッドと同じティーンエイジャーの男の子同士として話をしていて、とてもいいなと思いました。あと、テッドがよく「んんん」と言いますが、その、唸っているという、言葉になっていないけれど、ちゃんと反応しているというのが、テッドらしさを表している表現に思えて、しかも字面が「んんん」ってなんだかかわいらしくて、やさしい気持ちで読むことができました。すごくプラスになっている翻訳というか表現だと思います。

ハリネズミ:ミステリー仕立てというだけでなく、人間模様がていねいに描かれているのがすばらしいですね。ダウドがすごい作家だということがそこからもよくわかります。アスペルガー症候群(とあとがきに書いてあります)をかかえ、ひとりで電車に乗ってこともなかったテッドが、その推理力で、いとこの命を助ける活躍をします。アスペルガー的な数へのこだわりや、決まった手順へのこだわり、ウソがつけないなどの特性を活かしながら、事件を解決していくところがいいなあと思いました。テッドの意見に家族が聞く耳を持たないときに、女性刑事がちゃんと話を聞いて解決に役立てるという設定もいいですね。人種のからむいじめの問題、アスペルガーの人が抱える問題、労働者階級の子どもの教育の問題なども描かれています。教育の部分は、バングラデッシュ人の母とアイルランド人の父を持つマーカスは、スクールカーストの最底辺にいるし、兄のクリスティは警備員の仕事もまじめにはやらず、いつもお金に困っていることなどから感じました。グローおばさん(グロリア)は、最初はとんでもない人かと思ったのですが、p224からの描写にはこうあります。「マーカスがドアへ向かおうとしたとき、グロリアおばさんが立ちあがった。/『マーカス』部屋は静まり返った。マーカスは立ち止まったけれど、振り返りはしなかった。/『聞いてちょうだい、マーカス。サリムの母親として言います。あなたは何も悪くないから』この一言でイメージを逆転させているんですね。見事だと思いました。

アンヌ:私は推理小説が好きで『名探偵カッレ君』(アストリッド・リンドグレーン著 岩波少年文庫)や江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズで育ってきたので、おもしろいと評判だったこの本を選んでみました。読んでみたらおもしろくて2冊目の『グッケンハイムの謎』(ロビン・スティーヴンス著 シヴォーン・ダウド原案 越前敏弥訳 東京創元社)も読んでしまったのですが、やはりこちらの方が、主人公のテッドのASDについて、特性や苦悩がていねいに書いてあると思いました。インド系のサリムやその友達が受けている差別など、今のイギリス社会の状況もしっかり描かれていると思います。推理小説としては謎が二つもあり、特に後の方は時間との戦いというスリリングな要素もあって実に見事だと思いました。また、大人たちが誰も話を聞いてくれないのに、女性の警部に電話して問題が解決されるという展開は、警察への信頼感があって、古き良きミステリーのようなほっとする感じがありました。

まめじか:よくできているミステリーだと思いました。家族の目は発達障碍のあるテッドに向きがちで、そんな中、姉のカットが感じている思い、サリムを見つけようと奮闘する中で二人の心が近づいていく過程もていねいに描かれていますね。若干気になったのは、p67「ナースは女の人の仕事だけど、ぼくは男だ。ナースにはなれない」とか、p68「よくあるのとは逆で、女の人のほうが責任者だっていうことだ」など、ジェンダーバイアスを感じさせる部分です。この本では、女性の警部がとても好意的に描かれていますし、きっと作者にそういう意図はないのでしょうが、読んでいて引っかかってしまいました。この本が書かれたのは2007年なんですよね。今の児童書だったら、こういう書き方はしないと思います。そういうところは、日本語版を出すときに訳で工夫してもよかったかもしれません。

すあま:この著者の作品は以前『ボグ・チャイルド』(ゴブリン書房)を読んだことがあります。生前発表された作品が少ないので、翻訳されたのがうれしいです。『ボグ・チャイルド』とは違う雰囲気ですが、ミステリーとしても楽しく読みました。登場人物がそれぞれ個性的で、どんな人なのかくっきりと描かれていました。主人公のテッドは発達障碍なんですが、読んでいてそれが才能や個性だと感じられるような描き方をされていたと思います。特に、お姉さんのカットは、テッドのような弟がいる姉の気持ちがよく伝わってきて、ていねいに描かれているな、と思いました。それから、テッドが仮説を立てて一つ一つ検証していくところは、調べ学習の進め方のようでもあり、おもしろかったです。

ルパン:おもしろかったです! ただ、謎解きの点でいうと、この主人公、いつもいろんなものの数を数えていて、サリムが観覧車に乗るときもちゃんと人数を数えてるんですよ。なのに、降りたときはわざとのように数えてない。それで、降りた人の数を足してみたら21人だったから、絶対変装だ、ってわかっちゃったんですよね。だから、推理小説としては私の勝ちだな、って思っちゃいました。

(2023年03月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2023年02月 テーマ:頭の中でおきていること

日付 2023年2月14日
参加者 小方、ハル、アオジ、ルパン、ハリネズミ、アンヌ、コアラ、オカピ、しじみ71個分、西山、さららん、サークルK、ANNE、ニャニャンガ、サンマリノ、雪割草、(エーデルワイス)
テーマ 頭の中でおきていること

読んだ本:

『チェスターとガス』表紙
『チェスターとガス 』
ケイミー・マガヴァン/作 西本かおる/訳   小峰書店   2021.09
CHESTER AND GUS by Cammie McGovern, 2017
〈版元語録〉テストに通らず、補助犬になれずにいたチェスターは、自閉症の少年ガスが暮らす家に迎えられることに。何とかガスの助けになりたいと願うチェスターだが…。落ちこぼれチェスターと孤独な少年の密やかな友情の物語。


『たぶんみんなは知らないこと』表紙
『たぶんみんなは知らないこと 』
福田隆浩/著   講談社   2022.05

〈版元語録〉「いってきまーす! みんなには聞こえないけど、私は大きな声を上げた」知的障害のある小五のすずと兄、周りの人達の優しい物語

(さらに…)

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『たぶんみんなは知らないこと』表紙

たぶんみんなは知らないこと

アンヌ:大変感動して読みました。作者が特別支援学校の先生ということも知り、心の中で生徒の言葉をずっと聞いていて書いたのだろうと思いました。物語の中で成長していく子どもの様子が見えてくるのは感動的です。けれど、すずもらん君もそれぞれ状態が悪くなる可能性も書かれています。そんな子どもたちがフェスタで披露する劇に対する親たちの思いや、子供の成長を促してフェスタで見せようとする先生たちの活動も胸に迫りました。みのり小学校とかなで特別支援学校との交流会の後の、男の子の手紙は理想的すぎると思いましたが、水族館で携帯電話に夢中になる父親の様子とか、バスの中のおばあさんとか、ダメな大人もしっかり描けているし、さらにそれぞれを救い上げているところも素晴らしいです。少し理想郷じみたこの支援学校ですが、すずが転校することも最初から描かれています。そして、少しずつ成長しているすずだから次の場所でも頑張れるだろうなという希望と共に読み終えられるところも、素晴らしいと思いました。

さららん:福田隆浩さんの本をはじめて読みました。「わたし」の語りで始まる文章が最初は読みにくく、例えばp10~11はオノマトペのオンパレード(ばらばらばら、びりびり、どんどん、くるくる、ぐるぐる、ぶるぶる、くねくね)で、うーんと立ち止まってしまいました。でも、主人公すずちゃんの独特の感覚は、きっとそういうふうにしか伝えられないんだと割り切って読み進むうちに、だんだんおもしろくなってきました。p64の、「ぺんぎんさん」を見ている「わたし」の現実と想像の折り重なり方など、うまいなあと唸りました。すずちゃんのふわふわした語りの中で「いったいなにが起こってるんだろう?」と読者を宙ぶらりんにさせ、連絡帳や学級通信、お兄ちゃんの辛口のブログで、出来事をきちっと補っていく構成が巧みです。「かなでフェスタ」では、子どもたちの発達と興味に合わせたおはなしを先生が考えて、大勢の人の前での発表につなげ、子どもたちが一歩先に踏み出せるようにするところなど実際の指導のための手引書のようでもありましたp125にはステージ配置図までついていたので、福田さんの勤務する特別支援学校で、これに似た発表があったのでしょうか。機会があれば確認してみたいです。

ニャニャンガ:しんやゆうこさんの表紙が、ふんわりしていていいなと思いました。実際の保護帽子は、残念ながらかわいい感じがしないので配慮されたのかもしれません。小学5年のすずちゃんの心のうちを描けるのは、特別支援学校勤務の作者ならではと感じ、子どもによりそった作品を作られていた絵本作家のかがくいひろしさんを思いだしました。すずちゃんをとりまく環境はリアルですし、複数の視点で書かれることで全体が見え、考えさせられました。障碍のある子が身近にいない、まったく知らない人に読んでもらうことで距離が縮まる可能性を感じます。

ハル:おばあさんが蝶の髪飾りをくれる場面、思い出しても泣けてきます。バスの中で急に後ろから髪の毛を引っ張られたら、驚きますよね。ただ、思わずどなってしまうまではあるとして、登場人物のひとりであるおばあさんに、ここまでひどいこと言わせなくてもいいじゃない、とも思いましたが、人間、カッとなったり、心に余裕がなかったり、追い詰められたりすると、想像以上にきつい言葉を吐いてしまうものですね。野間児童文芸賞の講評を読みましたが、「登場人物が並べて理解ある人々であることに、わたしは違和感を覚えた」「善意に支えられた世界」といった意見があり、確かに、良い人ばかりで、もしかしたら現実はもっと冷たいのかもしれませんが、読者である子どもたちに、善意だけを見せたらいけないんだろうか、とも思います。特に、普通学級の子供たちとの交流で、「お世話をする」「何かしてあげる」のではなく、いつもと同じように接する、という考え方は、読者にとってもなかなか得がたい発見になったのではないかと思います。

サークルK:当事者のすず、母親、その兄、支援学級のクラスメート、担任の先生、交流先の子どもたちなどの様々な視点からの語りによって一つの光景を作っているので、それぞれの文体に読み慣れるとわかりやすかったです。すずの周囲の人がみな、“良い人”(妹を持て余して時折意地悪をしてくる兄もブログでは妹への理解を吐露しており)で、温かい気持ちで読み進められました。しかし、すずにとって近しい人であるはずの父親だけが一人称の語りには登場せず、鈴鹿らも物語からも遠い存在に感じられました。経緯は不明ですが母親と離婚が決まり、すずと2人だけで水族館に行った時に、彼女を置いて誰かからの電話に出てしまう(しかも楽しそうに!)というエピソードに、それまで築いた家庭が彼にとって重く、それらから逃避したかったのではないかという気配を感じました。
交流先の子どもたちの作文に、すずを邪険にしてしまった反省文らしきものがありました(p55)が、その中の「[すずのような仲間をお世話するという意識を持たないように]もっとがんばりたい」という一節があり、子どもにそういう心持にさせてしまう社会の息苦しさを少し感じました。起承転結の求められる良い作文、先生に褒められる作文の最後の締めの言葉として「もっとがんばります」という言葉はとても都合の良い言葉と思えます。それだけに、p98~99の「…そんなことより早く家に帰ろうと思った。だからおれは妹と手をつなぎ、ゆっくりと歩いた。」という兄の言葉はとても意義深く読みました。矛盾する言葉が並んでいるように思われますが、本当に人に寄り添うということの難しさと行動はシンプルでよいのだという安心感が伝わりました。

雪割草:私もすずの擬態語の多用が気になって、最後の方になってやっと慣れる感じでした。でも、作者が特別支援学校の先生だけあって、連絡帳のやりとりや、かなでフェスタなどから学校の様子がよくわかりました。この作品は、どんな読者に向けて書いているのだろうかと正直わからなかったのですが、お兄ちゃんの視点が、読者が共感しやすいところなのかなと思いました。お兄ちゃんはブログを書いていて、p27では、もっと妹はひとりでできるはずなのにと愚痴っているけれど、p151では歩いているように見えるけれど、妹にとっては走っているのが兄だからわかると自信をもって言っているところなど、妹に対し反発しながらも、ちゃんと大事に思っているきょうだいの距離感をうまく描いていると思いました。中学の頃に読んでとても心に残っている『ぼくのお姉さん』(丘修三作 偕成社)のことをふと思い出しました。

ANNE:学級だよりの文面や、連絡帳の書き方など、現役の学校の先生ならではの世界観が随所に感じられました。主人公のすずちゃんの一人語りで淡々と描かれていますが、転倒用のヘッドギアを装着しているとか、オムツをしているなど、彼女の障碍がとても重いものだということが読み取れました。私の勤務している公共図書館にも、さまざまな障碍を持った方が来館されます。皆さん、それぞれお好きな本も違うし図書館での過ごし方もいろいろですが、自由にこの空間や時間を楽しんでいてくれると嬉しいなぁ。

しじみ71個分:読書量が少ないせいではありますが、自分が読んだ日本の子どもの本では、障碍のある子の一人称語りの物語を読んだことはなかったんで、すごい!と思って、大きなショックを受けたというか、感動しました。実際、福田さんは特別支援学校の先生だとのことで、そうでなければここまでは描けないのではないでしょうか。表現も見事、本当にうまいなと思うところが随所にありました。たとえば、p6に「でもこの帽子はとくべつの帽子。ふつうのお店とかにはきっと売ってない。病院の先生が頭のあちこちをなんどもはかって、……かぶってると、どんとぶつかってもごろんとひっくりかえっても、だいじょうぶなんだって」とこの部分だけで、すずちゃんにてんかんがあるらしいことがわかりますし、子どもの読者も転んだり倒れたりする子なんだと伝わるのではないでしょうか。また、おしゃべりができない、おむつをしているなどの描写から、かなり重度の障碍がある子どもなんですね。
本当に先生として細かく子どもたちを観察して、こういうときにいやと言うんだな、こういう勉強をいやだと思っているんだな、と反応をひとつひとつ見て記憶しているからこそ、その時々のすずちゃんの思いを代弁できるんだなぁと、ただ感心してしまいました。また、子どもの一人称語りの物語だと、その中に大人の気持ちを描きにくいように思うのですが、それを連絡帳やおたよりといった形にすることで、大人の気持ち、周囲の状況などをうまく説明して、不自然さがありません。これもすごくうまいし、とてもいいと思いました。
以前読んだ『家族セッション』(辻みゆき著 講談社)では、主人公のお母さんの一人称の語りをはさむことで、赤ちゃんの取り換え事件や病院の立場などを説明してしまったため、とても違和感がありました。それと比較すると、非常に自然に大人たちが子どもたちを思う気持ちが表されていると感じました。ランちゃんやリュウちゃんについても、どんな症名でどんな障碍で、ということを説明しなくても、行動からどんな障碍があるのか、どんな気持ちなのかが読み取れ、障碍のある子の気持ちをうまく描いていて本当に感動的です。バスの中で髪を引っ張られて、つい意地悪なことを言ってしまうおばあさんも再登場させて、すずちゃんを救う場面を設けることで、おそらく彼女自身の老いの辛さや孤独から、お兄ちゃんとすずちゃんに意地悪を言ってしまった、彼女自身も傷ついた存在だったんだと読者に想像させるのも優しいなぁと思いました。
ただ一点、惜しいのは、みのり小学校の5年生の男の子の反省文です。ちょっとあまりにも正しい、前向きなことばかり書かれていて、子どもの反省文らしさが欠けてしまったところが残念でした。作者が言いたいことを登場人物に書かせてしまったのかなと思います。ですが、この交流会の最後の場面で、ミヤ先生が「みんなはもっとソーゾーリョクを持ちましょうね」(p53)と話すところは素晴らしくて、先生が具体的に語った内容は少しも書かれていないけれど、想像力を持つってどういうこと?と考えさせる問題提起になっていると思います。障碍のある人たちばかりではなく、ありとあらゆる困難を抱える人たちと共に生きるには「想像力」を持って相手を思うことが必要なんだと端的に伝えてくれていると思います。すずちゃんの両親が離婚しているという設定も、実際に当事者の人たちや支援している人たちから話を聞いたところ、障碍のある子どものいる世帯では本当に離婚率が高いそうで、しかもかなり重度の場合も多いとのこと。こういった実情もおそらく現場の先生として見てこられたんだろうと、本当にリアルだなと思いました。

ルパン:私もこのお兄ちゃんがいいなと思いました。現実には障碍を抱えた子のきょうだいには重い課題があるのだと思いますし、「いい子すぎる」という意見もあるかと思いますが、同じ境遇の子が励まされ、そうでない子に少しでも理解が深まったらいいなと思います。それにp98に「すぐに根にもつうちの妹のことだから」とあるように、ちゃんとすずちゃんの性格というか、個性をちゃんとつかんでいて、こういうところは兄ならではだなと思います。ずっと以前ですが、NHKで、実際に脳性麻痺の子どもたちが演じるドラマがあって、アフレコでその子たちの気もちが語られるんですけど、それを見て、見かけだけで判断してはいけないことがよくわかりました。話せなくても、動けなくても、知能や感情はハンデのない人と同じだけあるということをそのとき初めて知りました。この本もそのような手がかりとなるといいなと思います。

サンマリノ:主人公の一人称のほか、家族、担任などいろんな視点から語られているので、物語を理解しやすかったです。特別支援学校勤務という著者のプロフィールから、実際にたくさんの経験をされているのだろうなと、説得力を感じました。でも逆に、だからこそ書きづらいこともあるのでは、と思います。交流する小学校の子たちが、よだれに対して嫌がる反応をするけれど、すぐに反省しますよね。その感じが、ちょっといい子過ぎる気がしたのです。が、教育の現場にいる人として、子どもを「悪意のある存在」としては描きづらいのではないかな、と思いました。あとは、ラストの部分がちょっと残念です。こういう子は、環境が変わって適応するのがすごく大変な気がするので、引っ越すところで終わっているのが消化不良でした。物語の2/3あたりで引っ越して、その先を見せてほしかったなと思います。

コアラ:優しい物語だと思いました。すずの目で捉えた世界と、それを補う大人やお兄ちゃんの文章のバランスがとてもよかったです。p105あたりから、かなでフェスタで行う劇について、リュウちゃんやすずが好きなものを登場させる『セッケンくんのぼうけん』を新しく作ったというところは、先生たちはすばらしいなと思いました。嫌なことを言われたおばあさんとも、最後に仲良くなれたし、みんないい人で、がんばりすぎず、できる範囲でやっている、というところも、優しい、癒しのある物語でした。障碍のある子どものことを、何をしでかすかわからない、とか、何を考えているかわからない、と関わりを避けるのではなく、こういうことを考えているのかも、と内面を想像してみる、という意味では、いい本だと思います。仕事で教育関係の雑誌に携わっているので、インクルーシブ教育システムというのはよく目にします。障碍のない子どもたちと特別支援学校の子どもたちが交流することは増えていくと思うので、子どもたちがこの本を読んで、相手のことを想像するといいなと思います。ただ、一人称で、すずに感情移入できるように書いてあるからこそ、私は、障碍のある人が本当にこんな風に考えているかわからないな、と用心してしまいます。科学や技術が進歩して、コミュニケーションが取りづらい人が何を考えてどういう感情を持っているか、直接知ることができるようになればいいなと、この本を読んで改めて思いました。

ハリネズミ:言葉が出せない子どもがどんなことを感じ、どんなことを考えているのかを書くのはとても難しいと思うのですが、この本は、いつもそういう子どもたちを間近に見ている人が一人称で代弁し、それに加え、親や教員からの連絡帳、お兄ちゃんのブログ、学級通信などを用いて立体的に表現しているので、状況がよくわかり、すずの気持ちも伝わってきます。この作家は、たくさん作品を書いておいでですが、障碍を持った子どもを主人公にしているのは、これだけでしょうか? そうだとすると、職業柄接しているだけでは書けない難しいテーマなのでしょうし、ずっと考えておられて作品にしたのかもしれませんね。
このお兄ちゃんにはすばらしいという声が多く出ていましたが、お兄ちゃんはp97でまず「役に立たなかったらだめなんだろうかって。生きていく意味がないのだろうかって」と自問します。ここで私は相模原の事件を思い出し、作者はあの犯人に反論したい気持ちも強かったのだろうなと思いました。でも、その後すぐに、p98で「妹が将来、人の役に立とうが立つまいがそんなことは関係ない。/妹がこれから、たくさんの人の世話になっていくかなんてそんなことも関係ない。/妹がこうやって、同じ世界に生きていることが自分にとっては大事なことなんだ。雨音をこわがったり、雨粒を手にうけて喜んだり、ときどき大声をあげたり、窓をたたいたり、空を見上げたり、首をかしげたり、息をすいこんだり、そんなことすべてがおれにとってはとても大事で大切なことなんだ」と思うのですが、ここは読者に考える暇をあたえず、やや性急に結論を出してしまっている気がして、ちょっと残念でした。その思いに至るまでのさまざまな葛藤は、丘修三さんの作品のほうがていねいに描いているかもしれません。この作品だと、読者もそうだな、と思うことはあっても、自分の体験として深く考えてみる機会は持てないかもしれません。書名は作品全体にかかっているのでしょうが、2度目に読んだときは、最後にすずが、誰にも知られずに「ばい、ばい」と言えるようになった部分が強く浮かび上がってきました。

西山:すっごくよかったです。すずたちの外から見た様子(たとえば耳を覆ったり、急に声をあげたり)に、こういう理由があるのかと教えてくれたのは、まさに物語の力だと思いました。発話に困難がある子どもを主人公にした作品としては、灰谷健次郎の『だれもしらない』(長谷川集平絵 あかね書房)を思い出しますが、今回、初めてそういう障碍を抱えた子どもに出逢った気がしました。『だれもしらない』は短い作品ですから、一概に比較はできないと思いますが、読み直して違いを考えてみたいと思いました。『たぶんみんなは知らないこと』というタイトル自体『だれもしらない』を意識しているようにも見えますね。
それはともかく、この作品の多声的なところがとても良かったです。すず、兄、お母さん、離婚したお父さん、学校(先生)、そして、保護者同士のやりとりもあり、バスでトラブルになったおばあさんという同じコミュニティに住む他人をちゃんと登場させている。世界の膨らみがそこから生まれていたように思います。「子どもの権利」をテーマにイベントを企画していて勉強中なのですが、子どもにとって最善のことをするのが基本だけれど、「子どもにとって最善のこと」とは何か、それは子どもに聞かなければ分からないんですね。おとなの思惑を押しつけることではない。でも、自ら意見表明できる子ばかりではない。赤ちゃんの声も、すずのような子どもの声にも耳を傾けなくてはならない。そういうとき、こういう作品の意義が大きいのだなとしみじみ思いました。
気になったのは、好きな色とか、この子に選ばせていないことです。ヘッドギアの色について、すずは車の色とおそろいの赤で結局良かったと思っていますが、青が好きとも書いてあるんですね。父親とのお出かけの場面でのパンケーキも、すずが好きな方が用意されるわけだけれど。彼女が言葉で答えられないとしても、結局それを選ぶとしても「どっちがいい?」と問うステップが書かれたらよかったのにと思います。あと、作者が現場にいる方だから問題ないのでしょうけれど、劇でねずみたちがわっと出てくるサプライズ演出や照明がぴかぴかするのは、パニックを起こさないか、ちょっとヒヤヒヤしました。あと、らんちゃんの進行する病状は、丘修三さんの『ぼくのじんせい シゲルの場合』(ポプラ社)を思い出します。未読の方は、ぜひお読みください。長くなってごめんなさい。

オカピ:まわりの人が向ける思いが、その人を唯一無二の存在にするという、作者の姿勢を感じられたのはよかったです。ただ、障碍のある子もない子も、みんなががんばったり、一生懸命理解しあおうとしたりしている感じが、なんか教師目線の描写というか……。グスティという絵本作家は、「ぼくたちは天使じゃない」(未訳)という作品を描いていて、そこではダウン症のある子たちも決して天使などではなく、同じ子どもなんだという姿勢をはっきり打ち出しています。この本にはなんだか、大人が望む健気な子ども像を感じてしまいました。またペンギン王子と出会ってハッピーエンドという劇のお話は、今のジェンダーの視点からは問題があるのでは?

小方:帯に「おしゃべりができない」、カバー見返しに「みんなには聞こえないけど、大きな声をあげた」と書かれているにも関わらず、読み始めた最初のほうで、「クジラ号って呼んでいる」とか、本当に声で表現できているのかなと思ってしまいながら、読み進めていました。表紙の絵も、そうと感じられないけれど、たしかに帯に「重度の知的障がいのある小の女の子」とありましたね。すずちゃんの心の中で、こんな風にすずちゃんは言っているよ、という作者の虚構の世界なのだということに、皆さんのお話を聞いていて改めて気づきました。なので、すずちゃんに赤のヘルメットをつけてあげるのも、ペンギンのピンクの手袋を用意したのも、まわりがその子のことを特別に考えている「思い」なのですね。
先生を良く描く児童書が少ないのは残念です。でもこの先生たちはすごい。すずちゃんたちが成長を表現できるように、とことん考え直します。この結果として3人がかけがえのない成長を表現することができたのはとてもうれしかったです。ひとつ、お父さんが発表会の最後のシーンで、すずちゃんのことをずっと「あの子」と呼ぶのを、なんでかな?と思いました。普通なら、「すず、がんばったなあ」とか言うんじゃないかなと。

ルパン:遠くから見ているからじゃないかな。客席から舞台を見ているので。この距離だと自分でも言うかな、と思うので、違和感はありませんでした。

ハリネズミ:障碍を持っている子どもは、障害の種類によっても違い、また同じ障害でも個々に違って様々だと思うので、この作品を読めば知的障害についてわかるとか、こっちを読めば自閉症についてわかる、ということではないように思います。だからもっといろいろな作品がこれからも書かれるといいですよね。

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エーデルワイス(メール参加):特別支援学校勤務の作者ならではの内容でした。主人公のすずちゃん、すずちゃんのママ、すずちゃんのお兄ちゃんの目線。学校での様子。どれも説明し過ぎずに内容が素直に伝わってきました。すずちゃんや、同級生の嵐くんの身体的ことには胸が痛みました。すずちゃんのママの、医学は日々進歩しているから希望を持ちたいとの件はその通りと思いました。バスの中でいじわるしたおばあさんが、一人で外へ出かけて家に戻ることができなくなったすずちゃんを助けてくれます。あの時は悪かったね、と。説明はこれといってありませんが、おばあさんの境遇が分かるような気がします。タイトルですが、大抵の人が特別支援学校に通う子どもとたちについて知らないのだと思いました。何度か特別支援が学校へおはなし会に伺ったことがあります。コロナ禍になり事前の打ち合わせ訪問はできませんが、電話で先生と打ち合わせをして、一人一人の子どもたちの好みや様子を伺います。年齢問わず楽しめる内容を心がけています。

(2023年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『チェスターとガス』表紙

チェスターとガス

小方:主人公が自分の気持ちを表現できない。そういう状況の物語をどんな風に描くんだろうと思って読みました。自閉症だったり、障碍があったりする子が身近にいる作者だから描けるのでしょうね。この物語は、チェスターの視点から語られます。なんとこの犬はテレパシーのようにガスなどと気持ちを伝えることができるという、おもしろい発想ですが違和感がなく読めました。むしろ夜外に出て、吠え声を返してくる犬より、人間を仲間に感じているところがおもしろいです。アメリカを発見したのはコロンブスではない、というような流れから、犬なんですが人間みたいな存在に読者が感じられるようにしているのがうまいですね。チェスターはガスを描く語り役ですが、チェスターもまた、いくら吠えても気持ちを交わすことができないという悲しみを抱えた存在です。チェスターもガスも、ボキャブラリーはあっても伝えられないというくだりがとても悲しいと感じました。

ハル:随所、随所で、泣けて泣けて仕方なかったです。ひとくくりに自閉症といっても、ひとそれぞれ違いがありますよね。『自閉症のぼくが飛び跳ねる理由』(エスコアール出版部)の著者の東田直樹さんは、著書の中で、壊れたロボットの操縦席にいるような感じなのだとおっしゃっていました。この物語の中でさえ、ガスの心の本当のところまではわかりませんが、障碍のあるなしにも関係なく、誰と接するときにも、思い込みを捨てて、想像力を持つことは大事だと改めて思いました。ラストの手前でペニーが、まるでアメリカのアニメ映画にありそうな雰囲気で、にわかに暗黒面に落ちたような雰囲気になったときは、ああ、こういう展開はいやだなぁと思いましたが、ペニーの気持ちにも寄り添えるようなラストでよかったです。子どもたちにもぜひ読んでほしい1冊でした。

アオジ:ガスに心のうちを語らせるのではなく、犬のチェスターから見た(感じた)ガスの姿を描いている点がユニークなんでしょうね。犬が語るという物語は、ほかにもたくさんありますが。私は、アメリカの学校の現場を目に見えるように描いているところが、いちばんおもしろかったし、勉強にもなりました。作品のために取材したのではなく、自閉症の子どもの親である作者の体験がもとになっているので、痛いほどよくわかりました。
ただ、ガスの両親をはじめ、登場人物がどちらかといえばシンプルに書かれているのに、ペニーさんだけが複雑。読みはじめたときに、言葉遣いが乱暴で、どういう人となのかなと思いましたが、ハルさんがおっしゃるように後半にいくにつれて「悪者感」が増してきて、この本の対象年齢の子どもには理解しがたいのかなと思うし、裏切られたような感じがするかも。また、後半でペニーさんの母親が、知っているはずもない「ガス」という名前を口にする場面は、いくらなんでもやりすぎかな
あと、犬が人間の役に立ちたいと思っているのは本当だし、チェスターのひたむきさには拍手をおくりたいけど、「断然イヌ派」の人間としては、もっと犬の体温を感じさせるような書き方はできなかったのかなと思いました。ひたすらガスの役に立ちたいと思っているチェスターの姿が、だんだん生きている犬ではなくアイボに思えてきて……。

ハリネズミ:私もおもしろく読んだのですが、引っかかったのは、ペニーの人物設定でした。言葉遣いがほかの人とは違うので、そこで特殊性を出そうとしているのかもしれませんが、普通に社会で仕事をして生活していながら、平気で人を騙そうとします。最初からそれを匂わせる書き方、訳し方をされているならともかく、ちょっと日本の子どもには人物像が伝わりにくいかと思いました。それと、犬のありようが、リアリティとはかなり離れていて、どこまでリアルな存在としてとらえればいいか戸惑いました。人間の心理を読むことはできても、人間と同じような思考はしないと思うので。犬と人間の結びつきを書いた本はいろいろありますが、この本はファンタジーとリアリティの境目がよくわからず、自然を超えたスーパードッグというふうに私は読みました。そうすると、今度はガスのほうのリアリティもどうなのだろうと思えてくるので、設定にもうひと工夫あるとよかったかな。

アンヌ:表紙がさみしいような水色の背景に、窓の外の鳥を見ているガスとその足元のチェスターの姿で、読後にこの絵の意味が分かる仕組みもあるのがいいなと思いました。ガスの状態を理解するまでとても時間がかかってしまい、今でも、てんかんの症状だと言葉が出てくるというのがよくわからないままです。この物語で印象に残ったのは、サラがガスには学校で教育を受ける権利があって学校側はそれに対応しなくてはならないと言うところです。どの子供にも人権があるのだという主張を感じます。ペニーについては、犬の訓練士のプロなのかどうか、よくわからない感じで、少し捉えどころがないですね。チェスターがペニーのママとテレパシーで通じ合うところや、ガスともテレパシーが働いてしまうところは、ちょっとファンタジーだと思いましたが、移民のマンマが言葉以外の方法で、身振りや感じでガスを理解するように、たぶん言語だけがこの世界の生き物のコミュニュケーションの全てではないのかもしれないとも思いました。

コアラ:とてもよかったです。ガスが少しずつ変化していくのが、チェスターの目を通して語られます。人間だったらもっと直接的なコミュニケーションになりそうなところですが、犬と人間だからこその寄り添い方、心の通わせ方が描かれていて、心温まる物語でした。食堂のマンマもよかったし、チェスターを介したアメリアとのコミュニケーションの場面、ガスの変化がとてもよかったです。p135の5行目から、初めてアメリアに手をのばすところ、それから、p257の最終行から、チェスターのベストの「仕事中です、さわらないで」という文字をかくして、いつでもさわっていいよと伝えようとしたところ。両方とも、アメリアと目を合わせなかったというところがとてもリアルで、目を合わせないけれども、手が内面を伝えている、というところが感動的でした。p215では、ガスが疲れたせいで言葉が出てくる、というように書かれていて、実際にそうであればいいのに、と思いネットで少し調べたのですが、現実はそんなに簡単に言葉が出るわけではないようです。それでも、著者あとがきを読むと、ストーリーのきっかけは全くのフィクションではないようだし、希望の持てる物語でした。自閉症でなくても、人との関わりに疲れた、というときでも心を癒してくれるような本だと思いました。ただ、p244の3行目あたり、犬の言葉をペニーのお母さんが聞き取ったというような場面は、ちょっとやりすぎかなと感じました。

しじみ71個分:優しくて、愛にあふれた物語でした。読み終わってほわほわとあったかい気持ちになりました。人と犬との関わりの深さや信頼がよく表現されていると思います。自閉症のガスがチェスターと出会って、少しずつ周囲とコミュニケーションができるようになっていくのと同時に、補助犬の試験に落第したチェスターはある意味、落ちこぼれともいえると思うのですが、ガスと出会って、ガスのパートナーになると決意して、仕事をがんばり、てんかん発作を起こしたガスの危機を救い、ガスのパートナーとして自信をつけ、家族としてなくてはならない存在になっていきます。そういう意味ではチェスターの成長物語でもありますね。すごく気持ちのいい物語でした。テレパシーでガスと会話できてしまうのは、確かにちょっと便利すぎかなとも思いますが、「こうだったらいいな」という気持ちで、作者が書いたんじゃないかなと思います。ただ、ちょっと、p132で、ガスのクラスメートのアメリアの名前が、誤植で「アメリカ」になっていたのは残念でした。あと、もう一か所、p133の6~7行目に「そのうちガスは口はしをつりあげた。僕の知るかぎり、ガスはこの顔をママにしか向けたことがない。笑顔だ」とありますが、ここは「ママ」ではなくて「マンマ」じゃないかと思ったのですが、どうでしょう? ガスが笑顔を人に対して見せるという記述は、p96の、ガスがマンマと笑顔でしゃべりあっているという箇所以外、見つけられなかったような気がするのですが……。

オカピ:チェスターもガスも感覚が過敏で、また自分の中にうずまく感情を他者に伝えられません。そんなチェスターとガスが、相通じるものを感じて心を通わせていくのはわかるのですが、p61でガスの声がチェスターに聞こえるのは、少し唐突に感じました。また、お祈りのポーズをするように、チェスターがガスに伝えたり、会ったばかりなのに、ペニーのお母さんと意思疎通できたりするのはなんだかテレパシーのようで、リアリティが感じられませんでした。人とうまく関係を築けないペニーにも、なんらかの特性があるようですね。もう少し魅力的な人物として描かれていたら、感情移入しやすかったような……。母犬が子犬といるのがつまらなそうだったというのは、ドライな親子関係でおもしろいなと思いました。

西山:たいへんおもしろく読みました。犬のチェスターを通して、ガスの「頭の中」が伝わらないもどかしさを追体験した感じです。食堂のマンマとの交流など、周りのおとながちゃんと見ていない。いつもスマホばかり見ているクーパー先生なんて、ちょっとダメすぎて本当にもどかしく思いました。ガスが怪我をさせられた件も連絡帳に書いただけだったり、ちょっとそのへんは非現実的ではないかと思います。チェスターの能力に関しては、非現実的だとひっかかってしまうことはなかったのですが。ペニーもなにか困難を抱えているらしいけれど、あまり伝わってこなくて共感しづらかったのは皆さんと同じです。

さららん:チェスターはガスの感情の変化や、てんかんの発作の匂い(「ガスの体から薬品みたいなにおいがしている。ガスがもえてしそうなにおい。」p212)まで察知します。以前読んだことのある『おいで、アラスカ!』(アンナ・ウォルツ作 野坂悦子訳 フレーベル館)のアラスカもてんかん犬の資質を持っていましたが、そちらは二人の人間の視点から交互に語られ、犬の内面は描かれなかったので、犬の感覚描写が私にはおもしろく感じられました。チェスターは弱点のせいで正式な補助犬にはなれなかったけれど、ほかの人には聞こえないガスの心の声が聞こえるようになります。障碍のあるガスはもちろんですが、学校で働く移民のマンマ、認知症のペニーのお母さんに至るまで、弱い立場のものたちへの愛情と、その可能性を信じる作者の目に揺るぎないものを感じました。p220で再登場するペニーがらみの意外な展開をのぞくと、ストーリーに起伏が少ないように感じられましたが、言葉数の少ないガスの変化や成長を、チェスターが読み取ることで読者に伝わるこの物語を子どもたちが読むとき、障碍のある友だちの心を想像する良いきっかけになりそうです。とはいえ、犬の一人称で書きとおすには、相当の苦労が必要だったと思います。

サークルK:人と犬とが補い合って一緒に想いを通わせようとする物語で読んでいて楽しかったです。ガスを取り巻く社会だけでなく、どうやら問題を抱えているらしいペニー、学校の問題など言葉が通じるからこそかえって相手を誤解したりわかってもらえないことに苦しんだりする場面が多いので、それを解決するために時々チェスターの声がガスに聞こえ(ているらしい)、ガスの声がチェスターに届いている(らしい)描写が盛り込まれているように感じました。そんな閉塞感に満ちた部分と、ファンタジーな解決の部分が物語の中心になる中でチェスターがガスのところに引き取られるまでの個所で、犬の母親、兄弟たちとのやり取りが(ここは全くのフィクションでしょうが)軽妙でおもしろかったです。母犬は心配性なチェスターに、訓練士の前では堂々とふるまうようにと有益なアドバイスをしてくれますが、そのうちに次々と生まれる仔犬のことや自分のことで頭がいっぱいなのか、チェスターのことにいつまでも心を向けなくなります(p15)。動物の本能的なふるまいに人間のような愛情を読み込みすぎず、あっさりとした犬の親子関係が逆に気が楽な面もあるのでこの最初の場面はとてもおもしろかったです。
ペニーのことを乱暴な口調や振舞いからはじめは女性とは思わずに読んでいましたが(「あたし」という訳がついていてもLGBTQの人なのだろうか、などとも)彼女の母親の病室にチェスターを連れて行ったときにようやくはっきり女性だとわかりました。

ANNE:チェスターを引き取って訓練するペニーがいい人なのか、そうではないのか、ずっとあいまいでしたが、最後にはきちんとチェスターをしつけてガスのもとに戻してくれたので安心しました。ペニーには、きっと別の犬が見つかると思います。犬が主人公の物語なので、2021年に出版されたセラピードッグの絵本、『いぬのせんせい』(ジェーン・グドール作 ジュリー・リッティ絵 ふしみみさを訳 グランまま社)を思い出しました。

ニャニャンガ:まめふくさんの表紙が、やわらかくてすてきですね。犬の視点で進行する本を訳したとき、犬が考えそうもないことや知るよしもないことを書いてしまうとリアリティを感じられないので、どのように犬らしさを出すかが難しかったのを思い出しました。本作はもう少し犬らしい感じがあってもよかったのではと思いました。

サンマリノ:あとがきに熱量があって、ちょっと泣きそうになりました。ハッピーエンドだし、いいお話です。ただ、非常に息苦しく感じました。犬のチェスターがあまりにも孤軍奮闘しているからです。サラやマルクや先生に考えていることを伝えられず、ガスとも最低限の会話しかできず、近所の犬たちとも交流しないまま、思いが溢れた状態でずっと過ごしています。自閉症の子も、同じような状況なのだということを説明するためなのだとしたら、非常に効果的だとは思うのですけども。できれば、となりの家の犬と、ちょこっと1日数分でもおしゃべりするとか、猫か鳥と雑談できるとか、ほんの少し安らげる場面があったら、と思いました。いいなぁと感じたのは、ガスには好きな大人マンマと、お気に入りの女の子アメリアがいるところ、そしてエドのようなイヤなやつに魅力を感じてしまう部分です。一方、気になったシーンもあります。p186で「ガスはおもしろい音が大好きだから、まわりでおもしろい音がしないときは、自分で音を立てる」と書いてありますが、p54では、「ぼくがほえたり、つめでカチカチ音を立てて部屋の外を通ったりすると、こわがる。音で耳が痛くなるんだ」と書いてあって、ちょっと矛盾するようにも思えてわかりづらかったです。あと、先生が数人でてきますが、描写が最低限すぎるので、特にクーパー先生の存在がイメージしづらいなと思いました。『たぶんみんなは知らないこと』(福田隆浩著 講談社)とは逆に、先生があまりいい存在として描かれていないことが印象的でした。

雪割草:おもしろく読みました。でも、ガスの声をもっと聞きたかったという、もやもや感が残りました。作者が実際に母の立場だからというのもあると思いますが、ガスよりもサラの方が不安など気持ちの起伏の細かなところまで描かれていてよく伝わってきました。チェスターが犬らしくないという感想がありましたが、p163のカバーを洗わないでほしいなとつぶやいているところは、犬らしさが描かれているごく少ないひとつだと思います。それからペニーについては、チェスターをスターにしたいという欲があって、その時はチェスターの声が聞こえない。でも欲が消えると、不思議とチェスターの声が通じるようになる。確かにちょっとテレパシーの域かもしれないけれど、ペニーの母にはチェスターの声が届く。食堂のマンマには、ガスの思いが何となく通じている。そして、ガスとチェスターも通じあえる。思いが通じ合えるかどうかというのは、本当はみんなできるはずで、欲だったり不安だったり、他のことが邪魔をしているのかもしれませんねということを、ペニーを通じて描いているように、私は感じました。

ルパン:仕事で探知犬について調べたことがあって、犬の能力のすごさがわかっているので、かなりリアルに近い感じで読みました。また、犬の訓練所とか南極の犬ぞりのことなどについて書いた本によると、犬も人間のように感情とかプライドとかがすごくて驚かされます。飼い主の発作を事前に感知するというのも現実の事例としてかなりあるようです。これを読む子どもが、本当のことと思って読んでくれたらいいなと思います。みなさんから「やりすぎ」と言われるシーンも、私はけっこう心に残りました。

ハリネズミ:犬の能力が高いというのはその通りですが、なんでもできるわけではないですよね。たとえばp240の「可能性は低いけど、サラやマルクやガスが来ているかもしれない」とチェスターが思うところ。可能性の低さを犬が云々するなんてことは、ないんじゃないかな。p188にもチェスターが「ガスもぼくも口でちゃんとしゃべれないよね。心の中だけでしゃべっているんだ。まわりの人にはあんまり伝わらない。ていうか、ほかのだれにも伝わらない。会話の方法としてはあんまりよくないんだ」と思ったりします。これもおとなの人間なみの客観的な思考ですよね。

しじみ71個分:チェスターの言葉があまりにも人間っぽいというのは、実際に自閉症児の母である作者の視点が、サラの視点と、チェスターの視点の双方から描かれているからではないでしょうか。チェスターから語りかけ過ぎてガスが黙ってしまう様子などは、実際の母親としての作家の経験から生まれた表現のように思えました。なので、チェスターがやたら人間っぽいのはそういう理由かなと思ったり。あと、ペニーについてですが、ペニー自身もチェスターが最初の試験で落第したことで、犬の訓練士としての能力が低い、と否定された気になって、チェスターに文字を教え込んで特別な犬だと証明することで自分の価値を認めさせて自信を持ちたかったんだろうなぁと思いました。最後にチェスターはそんなペニーにも自信を与えて立ち直らせていますよね。あとでネットで調べましたが、アメリカでも日本でもドッグトレーナーには国家資格などなくて、ただ経験の積み重ねによるんだそうです。だからなおさら人からの評価が気になるという設定なのかもしれませんね。

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エーデルワイス(メール参加):とても好きな作品です。心がホカホカします。犬のチェスターの目線の物語。自閉症でてんかんの発作を起こすガス、ガスのママとパパの様子、犬の訓練士のペニーの性格がよく伝わってきます。フィクションなのに、ノンフィクションかと思われるほどチェスターとガスが心の中で会話しているのが当たり前のように思われ、他にもたくさん例があるのではと、思いました。犬って人間に尽くしてくれるのですね。チェスターが余りにも健気です。日本でも補助犬がもっと普及するといいなと思いました。

(2023年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2023年01月 テーマ:子どもの目-相手の見えないところが見えたとき

日付 2023年1月12日
参加者 ハル、シア、花散里、すあま、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、まめじか、しふぉん、サークルK 、ANNE、伊万里(さららん、西山)
テーマ 子どもの目-相手の見えないところが見えたとき

読んだ本:

『マンチキンの夏』表紙
『マンチキンの夏 』
ホリー・ゴールドバーグ・スローン/作  三辺律子/訳   小学館   2022.03
SHORT by Holly Goldberg Sloan, 2017
〈版元語録〉ジュリアは、小人役のマンチキンとしてオーディションに合格、芝居に出ることに。平和で退屈な日常が一変!わくわくの夏物語。


『君色パレット1』表紙
『君色パレット(1)ちょっと気になるあの人 』
戸森しるこ、ひこ・田中、吉田桃子、魚住直子/作   岩崎書店   2022.01

〈版元語録〉どうして気になっているんだろう クラスの気になる同級生、いつもと何か違う家族、 ノートに返事を書いてくれる誰か、おしゃれなあの子。 多様性をテーマに『ちょっと気になる人』を描く4つの物語。

(さらに…)

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『君色パレット1』表紙

君色パレット(1)ちょっと気になるあの人

すあま:『マンチキンの夏』の後に読んだせいか、物足りなさを感じました。「日傘のきみ」は、設定はおもしろいと思ったけど、最後になぜ別の傘に乗り換えたのかわからないままで、もう少し長い話であればよかったのに、と思いました。「恋になった日」は、ノートでやりとりした相手が想像通りで、意外性がなかったのが残念でした。「Hello Blue! 」は、ファンタジーで、洋品店の男の子が実在の人物ではないのかと思って読んでいたら、そうじゃなかった。短編なので仕方ないけど、もうちょっと登場人物がしっかり描かれていれば共感して読めるのに、と思いました。多様性というテーマは、短編では語りつくせない難しさがあると思います。

アンヌ:「日傘の君」は、よくわかりませんでした。アリガトウと言ったのは傘なのか谷岡なのか、タピ岡でなくなったのは友情が芽生えたという意味と捉えていいのかどうかとか……。「親がいる」の状況は、実はもう現実にいろいろな家庭で起きている話だと思います。主人公と親の過去の関係が全然見えてこないので、ほんの一瞬を切り取ることで、コロナ下の物語としたのかなと思いました。「恋になった日」は王道の恋物語で、同じものを見るというところから恋は始まるという感じで、すみれ色のテレビ塔の伏線はなかなかうまいと思いました。「Hello Blue!」は完全にファンタジーとして読んだのですが、多様性という意味では一番うまく描かれていると思います。特に帽子の青を空や海の色として説明するところは、目が見えない人でも同じ世界にいて、その人が見えないからといって理解できないわけではないということを見事に語っています。服を拾ったり、強盗に服をあげたりするところも、現実にはあり得ないけれど、お伽話の世界につながっていくような心地よさがありました。

コアラ:4つの短編のどれも、心になにかしら引っかかりを作る感じで、よかったと思います。テレワークで、家で仕事をしている親を見る、というのは、子どもにとっては知らない親の一面を見るという意味で、新鮮な体験だろうなと思ったし、物に恋をするという人の存在を本当に受け入れたら、その物がただの物とは思えなくなる、というのも、リアリティを持って感じることができました。多様性というところではないけれど、「恋になった日」のp105『好きです。』とノートに書いて消す場面が、私はけっこう好きで、中学生の恋心がよく表れていると思ったし、消しゴムで消しても跡が残るところが、ノートに書くということの特性だと思いました。SNSで告白するとしたら、SNSならではの迷いとか言葉の使い方とかの描き方があると思うし、この物語では、ノートに書くという特性を生かしていてよかったと思います。ただ最後、両思いになったときにp113「カバンが、急にずしんと重く感じた。」というのは、ちょっと違うんじゃないか、別の締めくくり方をしてほしかったと思いました。イラストは、全体的に人物が大きく描かれていて、けっこう主張しているように感じました。4人別々の作者の短編集だけど、イラストのテイストが共通しているのが、短編集にまとまりを持たせていて、私はいいなと思いました。男の子なんだけど女の子にも見えるような描き方とか、決めつけない感じにも好感を持ちました。装丁には一言言いたい。図書館から借りてきた本は、背の部分がもう色が褪せてきています。ショッキングピンクは褪色しやすいので、残念に思いました。

まめじか:「日傘のきみ」は、登場人物が対物性愛者というのが新しいと思いましたが、タピ岡の心変わりの経緯がわからず、消化不良でした。「恋になった日」は、好きな人ができた主人公が、「たいせつなこと、考えてた」と言ったとき、友だちの琴子がさみしそうに笑いながら、それ以上なにも聞かないというのに、二人の関係性がうかがえました。「Hello Blue!」では、目の見えない主人公はたくさんのことに気づいていて、それに対し、男の人はスカートをはかないなど、固定観念のある母親には見えないものがあるというのがおもしろかったです。強盗が出てくるのは、ちょっと唐突では……。

サークルK:挿絵がかわいらしく、中学生が手に取りやすい厚さの本だと思います。「多様性を見つめる」という今の時代にふさわしいテーマがどのように語られているのかを楽しみに読みましたが、全体的にふわふわとした感じでとらえどころがないように感じられました。たとえば1作目「日傘のきみ」では、セクション1がポエムのような始まり方で、主人公の出自や両親、ふるさととの関係が紹介されているのに、セクション2以降それはあまり深く掘り下げられることなしに話が進行して、友達が「対物性愛者」であることの衝撃に関心がさらわれて行ってしまいます。2作目「親がいる。」は挿絵の幼さと内容のギャップに驚き、しっくり頭に入らないまま話が終わってしまいました。各掌編の終わりに1行コメントを置き、心に残ったことを読者に考えてもらうような呼びかけがあるのは、おもしろい試みでした。ただ余白が多すぎるのではないかなと少し気になりました。

しふぉん:「日傘のきみ」のタピ岡は、将来結婚したいとも思っていた日傘・キョウコさんの柄に〈イママデアリガトウ〉と彫りつけて、渚とよく会っていた場所にどうして捨てたんだろう? キョウコさんとの出会いがネットショッピングだったからなのかな? そして新しい相手・黒い日傘とはどうやって出会って、恋に落ちたんだろうか? よくわからないまま終わってしまいました。「恋になった日」は、なんだか懐かしい青春時代を思い起こさせてくれました。昔は、駅に伝言板があったり、いろいろな所で伝言ノートを見たような気がします。家庭科室の教卓の中におかれたノートの書き込み。相手がどんな人かもわからずに、書かれている言葉の中に、自分と共通する感性にふれる喜びが伝わってきました。そんな風に恋が芽生えた島本くんと星那がずっとうまくいくといいなあと願いました。「Hello Blue!」はどうしてこのタイトルなんだろう? Blueって元洋品店の子・国崎蒼のことなのかな? だとしたら上手いタイトルだなあって思いました。それとも話の中に、青いシャツ、裏地が青のフェルト帽、青いデニムのジャンバースカートと出てきてくるからなの? お話全体に、この蒼の優しさが溢れていました。莉紗が怒りに任せて公園の屑籠に捨ててしまったジャンバースカートを 拾って洗濯し、糊付けまでしてショウウィンドウに飾ったり、蒼は服が好きなんだろうなと思いました。自分に対してひどいことを言う強盗にまで、食パンや牛乳を出し、服も一式プレゼントして、心もお腹まで満たしてあげて……。そんな中学生がいたらすごいと思います。今は学校に行けてないみたいだけど、とてもいい子なので、服飾関係に進んだりして、蒼の未来が明るいものであればいいなと思いました。

ANNE:見返し用紙が透けていたり、余白が多かったりと、装丁が今風だと思いましたが、背表紙はすぐに抜けてしまう色合いなので、図書館員としては少し気を使うところです。オムニバス形式は私にはちょっと物足りない感じですが、子どもたちには読みやすくていいのかもしれませんね。ひこ・田中さんや魚住直子さんなど、ベテランの児童文学作家さんが、世相に合わせた作品を発表されているところがすごいと思いました。

花散里:中・高校の図書館に勤務していて、中学生が「3分間」や「5分間」で読めるようなシリーズ本を好んで読んでいるので、「ショートストーリー」と題した短編小説だったので関心を持って読みましたが、全体的にとても物足りなかったです。読み終わってから、しばらくするとどんな物語だったか記憶に残っていないような読後感でした。作者はそうそうたる方たちですが、こういう短編シリーズの依頼が来た時にどのように取り組まれているのかと思いました。本のタイトルは「読んでみたい」と思わせましたし、多様性を取り上げていて、テーマは斬新だと思いましたが、どの作品にも魅力は感じられませんでした。絵がどの作品も同じなのも受け入れられませんでした。図書館員として手渡したいと作品と、実際に好まれ、読まれている作品とのギャップについて改めて考えさせられました。

シア:非常に読みやすい本なので中学生の朝読書などにいいかもしません。絵も本の薄さもかなり中学生好みにしている感じがしました。色の褪せやすいショッキングピンクですが、書棚でも本屋でも目に入りやすいと思います。内容も薄めだし、退色したら捨てるくらいの消費物的な本だと思います。本の読めない子、嫌いな子がアクセスしやすい本だと思うので、不読者対策としてこういう軽めな本が出回るのは仕方のないことかもしれません。こういった本から入って、しっかりとしたものまで読めるような呼び水になればと思いますが、厳しい内容のものも多く、選ぶのは困難を極めます。さて、この本なんですが、1作目がかなり人を選ぶ話なので、ここでつまずく子どもが出そうです。なぜこれを1作目に持ってきてしまったのか……。対物性愛者の話は珍しいですが、タピ岡が日傘を捨てる心境に至った理由をテスト問題にしたら誰も答えられないと思います。でも、4作目の洋服で繋がる友達というのは良かったです。服というアイテムは多様性を表しやすいし。ただ、やけっぱちになっていたとはいえ、男のしたことは犯罪なので、そんな男に一番価格が高くなるワンセットをあげてしまうというのはなんだか釈然としませんでした。個人的には2作目が一番おもしろく読めました。コロナ禍を扱った物語は多いけれど、テレワークで両親の仕事をしている姿を垣間見て世界の広がりを感じるという観点の本はあまりなかったと思います。身近な人間の働いている姿を間近で見ることは、子どもの視野を広げるという意味でとても重要だと感じます。紛らわしかったのは、1作目のタピ岡と4作目の国崎蒼が挿絵も似ていることもあって同じに見えてしまったことです。日傘が好きなのは服屋さんだからかと妙な納得をしていたんですが、よく考えたら名前も違う別人で、作者も違いましたね。

伊万里:最近のアンソロジーは、テーマで勝負する方向が強くなっていて、その結果、極端というか過激というか、怖いお話を集めていたり、驚かせるような強めのテーマが多くなったりしています。そのなかで、このアンソロジーは、「ちょっと気になるあの人」という、ゆるめのテーマなのがいいなと思いました。戸森さんの作品は、非現実的にも思えますが、後から頭に絵が残る作品だなと感じました。ひこ・田中さんの作品は、コロナ禍のリアルを取り上げています。親の別の一面を見る展開が、地味ではありますが好きでした。魚住さんの作品も、童話とリアルの境目のようなところが興味深かったです。吉田さんの作品は、ほのぼのしてますが、島本くんをいったん否定して、けれどやっぱり島本くんだった、とわかったときに、サプライズ感のまったくないところが少し残念でした。

アカシア:「日傘のきみ」ではp26で「お前なんかよりも日傘の方がたよりになると、見限られたような気がした」という表現が出てくるのですが、この段階では主人公は谷岡に思い入れがあるように書かれていないので、「見限られた」という表現が浮いてしまっています。「親がいる」は暮らしの表面をなぞっているだけで、インサイトがもっとあればいいのにと思いました。「恋になった日」は、p95に「いびつな文字」とか「右上がりになるくせのある文字」と文章にはあるのにp94の挿絵はどちらも書体が同じ。こういうのって、入り込んで読んでいた読者を裏切ることになるので、もっとちゃんと考えて本造りをしてほしいです。島本くんを好きでも嫌いでもいいのですが、言ってみれば花占いのような短編を読まされて、読者の子どもは何かがわかったりするのでしょうか。クリシェに寄りかかっていて意外性がなくて、新しい世界は見えてきません。「Hello Blue」はちょっとおもしろいと思ったのですが、泥棒が出てこなくてもいいように思いました。短編は一面しか描けないとしても、もっとその奥がうかがえるような書き方だったらおもしろいと思うんです。でもこの本は、そうそうたる作家さんたちの良さも生かされていなくて、編集者の気配が感じられません。どれも文章や表現に緊張感がありません。さっき「不読者対策が必要」という声もあり、それはわかるのですが、ただ短い時間で読めるというだけでは、本のおもしろさを知って読者になっていくということにつながらないと思います。もっとちゃんと本をつくってほしいです。

エーデルワイス:1つのテーマで複数の作家が短篇を書くのは大変なことと思いました。また作家の力量がでますね。テーマに沿った内容はもちろん織り込みつつ、独自性をだすのですから。文学の香りもほしいです。『日傘のきみ』が好きです。『Hello Blue!』さすが魚住直子さんと思いました。「多様性」ということを子どもたちに知って読んでもらうには、このような本の作りは効果があると思いました。けれど子どもたちはゲーム、コミック、アニメなどから「多様性」がすでに浸透しているような気がしています。

ハル:戸森さんの「日傘のきみ」以外は、「多様性」のテーマに答えているのかどうか、ちょっとよくわかりませんでした。サブタイトルにはあっていますけどね。それで「日傘のきみ」は、さすが戸森さん、一歩先に進んでいるなぁと思ったし、文学としてはおもしろかったのですが、おそらく道徳的な狙いでつくられたこの企画としては、それに応えられているのかどうか……。愛していたキョウコさんの柄に文字を彫るのはありなのかなとか、この感覚も「◯◯性愛者」だとくくってしまってはいけなくて、人によって違うのかもしれません。対物性愛とか、動物性愛とか、小児性愛とか、どこまでが多様性なのかもちょっと考えてしまいますが、とにかく、共感できなくても理解はしようとする姿勢は、どんなケースにおいても必要なのかもしれません。

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さららん(メール参加):どの話も日常の中でほんの少し視点をずらすことで、まったく見えなかったことが見えてくるところが、マンチキンとつながると思いました。でも描き方は全く別。本の作りも、挿絵がたくさん入っていて、子どもたちが手に取りやすい工夫を感じました。本を返してしまって、また借りるのが間に合わなかったので、あまり細かく書けないのですが、戸森しるこさんの対物性愛者(と呼んでいいのか)のお話は、それほどいやらしさはなく、目の前にこんな人がいたらちょっとたじろぐけれど、これを読んでいたら、少し受け入れやすくなるかもしれない、と思いました。短編ならではの「落ち」を生かした書き方でしたね。どれも良かったのですが最後の魚住さんの「Hello Blue!」の男の子の話は、物語性で読ませます。『自分を生きるのは自分』という言葉はきっと子どもたちに届くと思います。

西山(メール参加):読んだことを忘れていました。全部読み始めたら思い出しましたけれど、また忘れそうです。

(2023年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『マンチキンの夏』表紙

マンチキンの夏

ハル:まだ途中までしか読めていなくてすみません。でも、うまくまとまりませんが、テーマにしても、書き方にしても、日本の作家さん書いたら、なかなかこうは仕上がらないだろうなという作品で、こういう本こそ、翻訳書として日本の読者に紹介する価値があるんだよなぁと思いました。どっちがいいというのではなくて、日本の作家さんに書いてもらったほうが読者に届くテーマもあるでしょうし、海外の作家さんでないと書けない作品もあるだろうな、ということです。(後日談です。全部読んでみても楽しかったですが、たしかに、ちょっと冗長で散漫に感じる部分もありました。でも、この先自分が、平均身長くらいまでは背がのびることを知って泣いた主人公の気持ちは、私は違和感なく読みました)

アカシア:いいなあと思ったところは、いろいろな意味で多様な人たちが登場してくるところ。オリーヴは茶色い肌で、大人だけどとても背が低いので、差別する人もいるけれど、堂々と生きています。そして主人公のジュリアは、このオリーヴをお手本にするのですね。ほかにも中国系のチャンさんや、イタリア系だろうジャンニなど、さまざまな背景の人たちが登場してきます。登場人物の紹介が最初にあるのは、翻訳物を敬遠する子どもも多い今、助けになると思います。細かいところでひっかかったのは、p93の「ギルバートとサリバン」はギルバート・オサリバンのことだと思うので、それがわかるような注があるとよかったですね。p173の「マンチキンのくつをはいてみた。ぴったりだ」は、p108でもはいてみてぴったりだということがわかっているので、違和感がありました。p232で、犬用のビーフジャーキーがしょっぱいとありますが、犬用のジャーキーは人間用のと違って味付けがされていないのが普通です。原文が間違っているのでしょうか。p250の「チャンさんがいただくなら」は日本語として違和感がありました。「チャンさんが召し上がるなら」じゃないかな。あと、原書の出版年が記されていないのも気になりました。それと、原題はShortですよね。Shortだと背が低いという意味はもちろんあるでしょうが、足りない、不足というニュアンスが強く出てきます。そう思って読むと、子どもなので社会のことがまだよくわかっていない主人公が、はじめてのことが多い大人の社会に接して、自分はまだ子どもでいろいろなことが不足していると思いながらも、子どもの視点で社会を観察しているというテーマがくっきりするのかと思いました。そこがこの本のキモだと思うのですが、どうでしょうか? 原文が饒舌体だとすると、ていねいに訳すことでリズムが失われているのかもしれません。

エーデルワイス:映画の脚本、監督などを手掛けている作者らしい作品と思いました。主人公のジュリアが愛犬ラモンの死を必死で乗り越えて成長していく姿、練習風景やリハーサル本番含め演劇の舞台は映像になります。オリーヴが魅力的です。最初にプロの役者、背が低い、おしゃれ・・・とだんだん様子が明らかになっていき、オリーブが黒髪、有色人種、低身長の女性だと分かりハッとしました。p131のオリーヴが黙って一緒にアイスクリームを食べながらジュリアの話を聴くシーンは素敵です。別れ際の「じゃあ明日ね」のオリーヴの一言で、ジュリアの悩みは吹っ切れているのですから。登場する大人はみんな子ども扱いせず、同じ次元で対応しているところがいいですね。うんちくや格言がやたら多くて後半ちょっと食傷気味でした。アカシアさんが仰るように訳のせいかもしれません。

伊万里:あまり積極的でなかった女の子が、ひと夏、大勢の人と出会って、大きく成長します。魅力的な大人がたくさん出てくるのが、この本のポイントだと思いました。後半で、大人たちの三角関係というか、恋愛の状況をいろいろ目撃して、子どもなりに解釈していくのも新鮮でした。お芝居を作り上げる過程が徹底的に描かれ、リアルに感じられるところもよかったです。ただ一人称なのが、一長一短な気がしました。主人公は、物事を決めつける傾向があって、それが覆されたときに成長します。なので、もともと傍若無人な発言が多いわけです。冒頭p14「脊髄が真っ二つに折れちゃったとしたら、一生歩けなくなるわけでしょ。」と語っていますが、これ、かなり無神経ですよね。あと、最後に、身長が162センチまで伸びることがわかった、というくだりも、なんとなく残念です。この物語を読んでいた低身長の子が、がっかりするのではないかと。低身長のままではダメだったのかな、とちょっと思いました。

シア:主人公がペットロスから立ち直っていく姿はとても良かったです。ただ、全体的に登場人物が身勝手な印象で話に入り込めませんでした。冒頭のジュリアの背丈に対する両親の会話でショックを受けてしまって、なんて空々しい家族なんだろうと嫌な気分になりました。おばあさんは千秋楽に来ないし、お母さんは仕事に夢中だし、読み終わってもどうにも希薄な家族関係に思えました。自分が愛されているのは感じつつも、そういう家庭のせいか自己肯定感が低いジュリアは、心の拠り所だったラモンを失って、その穴を埋めるかのようにショーン・バーに怖いほど心酔していきます。ジュリアはお父さんが言ってたことを実践し、大切な木彫りのラモンをショーン・バーにあげてしまうんですが、自分にとって大切なものでも相手にとっては違うと思うんですよね。ほんとにこの家族はろくなことを言いません。だいたい、ショーン・バーという男はかなりうさんくさいんですよ。木彫りの犬なんて誰にもらったかも忘れて捨てるんじゃないかと思います。もう少しエピソードがあれば違ったのかもしれませんが、私はショーン・バーはどうにも信用できませんでした。それから、チャンさんは空飛ぶサルの役がやりたいと言い出すんですが、それがチャンさんの人生にとってどういう意味なのかわからないので、ただのわがままにしか見えませんでした。しかも、大学生の卒業制作であるライオンの衣装を勝手に手直しするのはいかがなものかと。でもされた側の大学生は喜んでいて、不正がまかり通っていることに不満を覚えました。この大学生は自分のアートに対する気持ちとかないんでしょうか。それに、チャンさんの役のことを差別の話を持ち出すほど引っ張るから、てっきりオリーヴかジュリアが役を失うと思ったのにそのままというのは展開的にどうなんでしょうか。嫉妬の話はなんだったのかと。その気持ちを乗り越えるとかないんでしょうか。差別の話を無理やり入れたいだけだと思えました。そもそも、ブンブン飛んでいるのが大人ひとり分プラスされたら、安全面とか見栄え的に邪魔だと思うんですけど。演出のこと何も考えてないなって。やっぱりショーン・バーは信用ならないです。そして、ジュリア自身は自分の力ではないのにトントン拍子に進んでしまい、いびつな成功体験をしてしまったと思いました。自分は特別と思い込んで、弟やマンチキンの子など周りを見下すことは終始変わりませんでした。また、章ごとに入る挿絵が使いまわしでテンションが下がりました。ラストや表紙にも描かれているマンチキンの靴が文章と形状が異なるのも気になりました。つま先はポンポンではなく輪っかなはずです。こういうところはしっかり本文に合わせて欲しいと思います。それから、ジュリアがWikipediaの内容を引用するシーンがありますが、そもそもWikipediaは引用するものではないので、児童書で使わないでほしいです。と、終始イライラしながら読んだのですが、弟のランディだけは伸びやかに過ごしていると感じました。ジュリアと違って誰かに頼ったりしませんでした。自分でオーディションを望んで、自らの才能で役も親友も手に入れました。ランディこそが夏を満喫しました。ランディが真の主役ですね。

ANNE:ジュリアの一人称で語られることで、本人の気持ちがそのまま伝わってくるように思いました。死んでしまった愛犬ラモンの毛をスクラップブックに貼っているのは、いつか科学が発達してその毛のDNAから本物のラモンが作られるかもしれないからなのですが、p51「それって大きな夢だけど、小さな夢をたくさん見るよりよくない?」、苦手だったピアノのレッスンを辞めた時は、p25「刑務所の刑期を終えたときってこんな気持ち」など、彼女の独特の言い回しが、この本の魅力だと感じました。少女のひと夏の成長物語ですが、背景にある『オズの魔法使い』の世界観を知っていて読むのとそうでないのとでは、ずいぶん受け取り方も違うのではないかと思いました。

しふぉん:ひと夏で、子どもってこんなに大きく心が成長するんだなあと思わせてくれました。でも、それには日常とかけ離れた出来事や、素晴らしい大人との出会いは不可欠なんだろうなと思いました。オーラを放つ監督・ショーン・バーや、かつて多彩な芸術性で活躍したヤン・チャンさん、身長差別とたたかっているプロの歌手・ダンサーのオリーヴと関わりながら交流を深めていくうちに、ジュリアの内面が豊かに大きくなっていったのだと思います。初日が終わった後、劇評論家・ブロック・パットの酷評を目にした後、自分を失いそうになったジュリアに対して、弟のランディは「だんだんうまくなるよ」「そいつがどう思ったかなんて、どうして気にするの?」と意に介さない様子はどうしてなんだろうと考えました。ランディは、3人兄弟の末っ子で、みんなから愛情をたっぷり注がれていただろうし、何より人に誇れるものを持っているからなのかなあ? たとえば、甘い歌声とか、正確にメロディを歌い上げることができちゃうことか。自分に自信があるから人から何を言われても動じないのかもしれないなあって思いました。それに対してジュリアは、劣等感を持っている子ですよね。背が低いこと、音楽が苦手なことをとっても気にしています。ちょっと上の兄さんは何をしても許されるのに、自分は弟の面倒を見なきゃいけない。両親は自分のことをどう思っているのか、不安も感じていただろうなって思う。そんなことも、2人の反応の違いにつながっているのかなと思いました。それと、ジュリアのこの芝居にかける情熱の大きさも関係しているんだろうなと思います。また、ジュリアは言葉に対して鋭い感覚を持っている子だと感じました。p167「わたしには、耐えられない言葉がいっぱいある。(中略)そういう言葉は使わないようにしてる。なにがいいって、言いたいことを言う言い方はひとつだけじゃないってこと。だから、言葉って大事なんだと思う。それどころか、そのために言葉は発明されたのかも」とか。リーダーダンサーになって重責に押しつぶされそうな時、オリーヴがただ黙って一緒にアイスクリームを食べてくれた時に出てくるp131「話を聞いてもらうために、しゃべる必要はないのかもしれない。こんなにいろいろなことを語る沈黙は、はじめてだった」とか。ミトンおばあちゃんから聞いた言葉として出てくるp127「これ以上、重荷を背負うのは無理だね」、p153「人生は学びの連続だよ」、p215「その人がおもしろいかどうかは、背を見ればわかる」という言葉を自分が体験したことと結び合わせて思いだしたりしてるから。そして、あんなに嫌がっていた芝居に出たいと思ったのも、監督ショーン・バーの放った初日の言葉によってだったから……。

サークルK:原題の「Short」が『マンチキンの夏』と具体的になり、劇中劇の「オズの魔法使い」のあらすじの説明されたページが始めについていることで、それを知っていても知らなくても、読者にとても親切だと感じました。主人公は自分の背が伸びないのではないか、ととても心配しています。ジュリアが劇中劇でマンチキンの役を与えられ、みんなで練習する喧噪の風景は、昔見たことのある大道芸やサーカスで活躍していた、まさに「マンチキン」の人たちを思い出させてくれました。映画『オズの魔法使い』でドロシーを演じたジュディ・ガーランドの栄光と悲劇を描いた『ジュディ:虹の彼方へ』を観たので、虚構の世界が作り出す癒しや、虚構の世界があることで少しずつ前向きになっていく主人公の姿に救われる思いでした。

まめじか:原書が出たときに読んで、そのときは小人症の話なのかと思って読みはじめたら、主人公のジュリアはこれから背がのびると告げられる場面があって驚きました。ジュリアがオリーヴに憧れるところはいいなあと思いましたし、芝居を通してものづくりの喜びを感じ、芸術にふれ、いろんなことを感じて、それをスクラップブックに残すというのはおもしろかったです。最後に「わたしは今年の夏、成長した」(p362)とあるのですが、成長物語として読むと少し物足りなくて……。ジュリアがオリーヴの恋愛模様など、大人の世界をのぞいて、それが成長だと思っているように感じたのです。大人の中に入りたがる子もいるので、リアルではあるのですが、「この一か月で、わたしはなぜか自分のことを大学生だと思いはじめていた」「ここにいるほかのマンチキンたちは、子どもだって」(p287)とあるように、お芝居をやっている同年代の子とは交わろうとしないんですよね。ジュリアは知らない言葉の意味を推測します。p286で、お芝居をはじめてずいぶんたつのに、「公演」の意味がわからなくて、それを「公園」だと思うのは、若干無理があるような。p232に、犬のビーフジャーキーがしょっぱいとありますが、犬用のジャーキーに塩気はないはずです。各章のはじめの絵は何パターンかあり、とてもすてきです。内容に合わせて変えているのか、ランダムなのかはわかりませんでした。

コアラ:おもしろく読みました。12歳の特別な夏を、一人称で語られる主人公ジュリアと一緒に体験することができました。ジュリアは少しひねくれているというか、言葉の捉え方が独特で、例えばp71「舞台の上にいると、しょっちゅう『背中に目をつけろ』って言われる。もちろん背中に目なんかついてない。そうじゃなくて、うしろをちゃんと見ろという意味だ」こういう表現がよく出てきます。それが、最後の部分に生きていて、p362「わたしは今年の夏、成長した。外側じゃなくて、内側が。そう、大切なのは内側の成長なのだ」ここが本当にいいと思いました。原題は「Short」。私も背が低いので、とても共感しながら読みました。子どもも、大人に比べると背が低いわけで、その背が低い時期の子どもに読んでほしいな、心の成長を、この本で一緒に味わってほしいなと思いました。それから、p266などに出てくる「スタン」は、ハリウッドの特殊メイクで有名なスタン・ウィンストンだと思うので、作者が登場させているのにびっくりしました。

アンヌ:以前読んだ『世界を7で数えたら』(ホリー・ゴールドバーク著 三辺律子訳 小学館)の時もそうでしたが、この作者の物語の中で何かがうまくいきだすきっかけというのが、どうも納得がいかなくて苦手です。だから主人公の像がつかみにくく、例えば背が低いのが悩みのはずなのに、背が伸びると知って泣き出すところなどは、なんでこんな風に書くのだろうと思いました。ただ、ひと夏の劇団体験というのは実に魅力的な設定で楽しく読めました。今回大人はとてもよく書けていると思います。オリーヴの初々しい恋の模様や、ジャンニのくれた薔薇への扱いで、オリーヴがその恋を終わらせたとわかるところなど見事です。チャンさんもどういう人なのだろうと思っていたら、元プリマバレリーナで、なるほど最初から着地がうまかったわけだとわかるところや、ショーン・バーがケガで休んでいる間にそのすごさがわかるところなどは、うまいと思いました。

すあま:おもしろかったし、読んでよかったです。ずっと一人称で語られ、ジュリアのおしゃべりを聞き続けているようで途中でくたびれたけど、ジュリアの気持ちはリアルに感じられました。背が低いのがいやだったのが、しだいに受け入れられるようになって、今度は背が伸びると言われて逆にがっかりするところは、何となくわかる気がしました。大学生や大人たちと会話する中で、意味がわからない言葉が出てきたときに、自分なりに解釈しているところもおもしろかったです。自分も子どものとき、本を読んでいて意味がわからない言葉を勝手に解釈して、大人になってから思い違いに気づくことがあったことを思い出しました。タイトルについては、読み終わらないと意味がわからないので手に取りにくいんじゃないかな。『オズの魔法使い』は知っていても「マンチキン」と結びつかない人が多いと思うので。

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さららん(メール参加):細部まで行き届いた訳のおかげで、主人公のおもしろさが際立っていました。いろいろ経験した夏だったよねー。私自身、芝居を一度プロデュースしたことがあるので、なんだかひとごととは思えない部分がたくさん! ホリー・ゴールドバーグ・スローンは『世界を7で数えたら』の作者でしたね。饒舌な主人公の語りによるスピード感と、障害をむしろ恵みに変えてしまう書き方は一貫してます。子どもたちも出演する「オズの魔法使い」上演をめざすストーリーなので、最後はみんな舞台に立つんだろうな、という安心感があるけど、マンネリになっていないのは、脇役やエピソードが鮮明に描けているから。たとえば舞台監督のショーン・バー。p223で語られる演劇論には感動します。例えば「われわれは世の中に、自分やおたがいを別の目で見てくれと訴えているんだ」という言葉。読んでいるうちに、本音で子どもにぶつかるショーン・バーが、オズの魔法使いに見えてきました。それから、オリーブは主人公の憧れの人なんだけれど、例えばp222にオリーヴの立場が書いてある。つまり「背が低い」「有色人種」「女」のトリプルパンチ。その中でどう生きるかも見せてくれる。大人たちの恋愛のくだらなさまで主人公はしっかり見ている。大人と子どもの両方の見方を生かしうことでお芝居は大成功するし、この世界もずっと暮らしやすいところになるんだ、ということを実感させてくれた物語でした。一番好きなところはp165のこの文章です。「わたしはうれしくてさけんだ『そう、わたしは空飛ぶサル!』うしろの座席かランディが身をのりだして、なんでもないみたいに言った。『ぼくはマンチキン国の市長だよ』と」

西山(メール参加):たいへんおもしろく読みました。寒い中ですが、「マンチキンの夏」を過ごしたような充足感です。ジュリアの一人称がうるさく感じたり、奇をてらっているように感じたりということがなく、「子ども」の良さを思い出したというような印象を持ちました。芝居作りにのめり込んでいくどきどきとわくわく、愛犬を失った喪失感で一杯だった彼女の胸の内が、思いもしなかった新しい出来事(おもしろい、興味深いおとなたち)でいっぱいになっていく様が愉快でした。ジュリアの感覚になんども、こっそり吹き出しました。例えば『オズの魔法使い』の作者名を初めて知って「作家って腰が低い」って、想像を超えたリアクションでした(p186ページ後ろから3行目)。「異議あり」が「意義がある」かもしれない(p220L-7)など、原文はどうなっているんでしょうか。

(2023年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録

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2022年12月 テーマ:違和感を抱えて

 

日付 2022年12月13日
参加者 ネズミ、アンヌ、雪割草、ハル、エーデルワイス、マリオカート、シア、アカシア、ANNE、しじみ71個分、ルパン、西山、まめじか、
テーマ 違和感を抱えて

読んだ本:

『セカイを科学せよ!』表紙
『セカイを科学せよ! 』
安田夏菜/著   講談社   2021.10

〈版元語録〉ルーツが日米の「蟲」好き転校生女子とルーツが日露のイケメン男子。ミックスルーツの中学生が繰り広げるバイオロジカルコメディ


『この海を越えれば、わたしは』表紙
『この海を越えれば、わたしは 』
ローレン・ウォーク/作 中井はるの・中井川玲子/訳   さ・え・ら書房   2019.11
BEYOND THE BRIGHT SEA by Lauren Wolk, 2017
〈版元語録〉「わたしはあの島から来たのだろうか」――かつてハンセン病患者のいた島。自分の過去を知るために、少女は海を越える。

(さらに…)

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『この海を越えれば、わたしは』表紙

この海を越えれば、わたしは

ルパン:これもおもしろかったです。ハンセン病ということで、『あん』(ドリアン助川著 ポプラ社)を思い出しました。世界中で、ハンセン病患者はこういう扱いを受けていたんだなあ、と……。ところで、ミス・マギーはいったい何歳くらいなのでしょう。とてもいい人で、苦労をしてきたことはわかるのですが、年齢とか風貌とかがいっさいわからない。はじめはすごく年とった人をイメージしていたんですけど、それにしては元気がいいなあ、とか、オッシュのこと好きなのかなあ、とか。そもそもオッシュもどんな年齢・外見なのかわからなくてイメージできないし。あと、泥棒のミスター・ケンドルも、いったいどうしてペキニーズ島に宝があるとわかったのか、とか。ほかにもいくつか「あれ、これはどうなってるんだろう?」と思うところがちょこちょこあり、そういうストレスをところどころで感じながらも、とりあえずストーリーのおもしろさで最後まで一気に読んじゃいました。

しじみ71個分:最初、表紙の絵とタイトルを見て、難民を取り扱った作品かと思ってしまいました。タイトルが、海を越えた先に何かが展開するというような印象を与えてしまうような気がします。内容は、アイデンティティの問題だったので、「海を越える」んではないんじゃないかと思い、ちょっと違和感がありました。同じ著者の『その年、わたしは噓をおぼえた』(さ・え・ら書房)より、ずーーーーっとおもしろかったですし、内容もハンセン病とそれに対する差別という非常に重くて、大事なテーマを扱っている点は非常に挑戦的で評価できると思います。また、クロウ、オッシュ、マギーといった人物もそれぞれ大変魅力的で本当におもしろいんですが、なんだか、どうしてかわからないのですが、ローレン・ウォークの何かが好きじゃなくてモヤモヤしています……。何なのかもう少し考えたいです。登場人物の人柄もとてもよく描かれていますし、後半は特に冒険譚としてドキドキしながら読めるんですが、ハンセン病そのものについてはあまり深い掘り下げがなく、材料にしてしまったという印象がぬぐえないのと、ミスター・ケンドルが悪者としてとても小さくて、ちゃちい感じがしてしまいました。木から落っこちて終わりだなんて……。宝も最後はみんな配ってしまうというオチですが、たとえば、ケンドルに追い詰められたクロウが財宝を使って窮地を逃れ、ケンドルは財宝もろとも海に落ち、海の藻屑となるくらいの、ちょっと壮大なイメージの、もう少し、人の悪そうな終わり方でもよかったなあという印象です。ですが、クロウが自らの出自を知ってアイデンティティの揺らぎを乗り越え、島での3人の生活がもどり、オッシュとマギーの間のつつましやかな愛情や、クロウの成長が希望を感じさせてくれる結末になっていて、読み終わってさわやかな気持ちが残り、ホッと安心できました。

ANNE:テーマがハンセン病ということで、私もドリアン助川さんの『あん』を思い出しました。隔離されている人々の心の切なさがひしひしと感じられる反面、キャプテンクックの宝探しという冒険譚の一面もあり、いろいろな読み方ができる作品だと思いました。主人公の女の子の頬にあるという「羽」がうまくイメージできませんでした。

まめじか:ルビーの指輪とともに小舟で流された赤ん坊。その子が12歳になって、対岸の無人島で燃える火を見る場面は、色鮮やかで強いイメージを残します。海賊の宝をめぐる冒険物語と、偏見や差別のテーマがうまくからみあっていますね。ペニキース島は、さまざまな国からアメリカに来た、ハンセン病患者が送られた場所です。クロウの肌は浅黒く、またペニキース島から来たのではないかと、カティハンク島の住人からは疑われ、避けられています。それまでペニキース島に近寄ろうとしなかった人々が、宝があるかもしれないといううわさを聞いたとたん、島に行って宝を探すというのはリアリティがありました。人間の欲や身勝手さがあらわれていますね。「わたしがこの島のくらし以外のことに目をむけると、オッシュは月そのものになってしまい、必死にわたしを引き戻そうとする。まるで、わたしの体が血ではなく海でできているかのように」(p11)、「ヴァインヤード海峡とバザーズ湾が出会い、大あばれで危険なダンスをする場所」(p47)、「雨と海が自分だけのおしゃべりをするのを聞いていた」(p269)など、文章が詩的です。

マリオカート: 序盤は、主人公の名前もいっしょに住んでいる人の素性も、いろいろ曖昧でわかりづらかったけれど、p100を超すあたりから引き込まれて、最後までおもしろく読むことができました。ペニキース島が実在して、史実をベースに書かれていることもあり、物語に重みがあります。ハンセン病の物語ということで、皆さんと同様、ドリアン助川さんの『あん』を思い出しながら読みました。ただ、物語を盛り上げるための謎が解決されないまま終わってしまい、1つならともかく2つ疑問が残ったので納得いかない気持ちです。1つめは「お兄さんはどこにいるのか」。たまたま船で手を振り合った人が兄だった、というのも安直なので、別人とわかったのは悪くないと思います。ただ、もう1つの「ミスター・ケンドルが、なぜここまで執着して逃げずに何度も現れたのか」が明らかにならないまま終わったのは不満です。さっさと姿を消せば、逃げ切れる可能性はあったのに、どうしてここまでしつこくしたのでしょう。わたしは、途中から、もしかしてこの人こそが探していた兄だったのではないか、恵まれない幼少期の生活のためにこうなってしまって、でも妹と会えたことでこれから改心していくのではないか、とまで妄想してしまいました(笑)

エーデルワイス:若い時、北條民雄の『いのちの初夜』を読んで感銘を受けたことを思い出しました。それはハンセン病を患った本人が書いた大人の小説でしたので、今回ハンセン病を扱った児童書は初めて読みました。物語をおもしろくするためにいろいろエピソードを盛り込んでいて、風景も美しく、ロマンチックな印象です。映画になりそう。主人公のクロウは、今が幸せでも自分のルーツをどうしても知りたいと願う、その切実さがよく伝わってきました。

ハル:謎に導かれて最後まで読みましたけど、途中からどうも、特にセリフの硬さが気になって、つっかかってしまいました。なんだか文字から想像する映像に人物がうまくはまらないというか、字幕みたいな話し方だなぁと思って。日本語の問題かなとも思いましたが、もしかしたら、先ほどご意見があったように、登場人物の様子が細かく描かれていない、という点も関係があるのかもしれません。オッシュも、最初は高齢の男性を想像していましたけど、どうもマギーはオッシュのことが好きなようだし、まだ恋愛するくらいの若い……って、今のは失言! 別に高齢だから恋愛しないわけじゃないし、いくつだろうと関係ないですよね。すみません。話題を変えます。宗教観の違いなのか、お母さんが残してくれた宝を、手放さずに貧しい人にほどこさないことが愚かだ、という考え方に「世界名作劇場」っぽさを感じました。お母さんが残してくれたものをお金に換えて、自分のことに使ったっていいじゃないかと思うのですが。でも、そういったお説教くささというか、重たさもふくめて、読み応えのあるお話ではあったので、もうちょっと、読みやすかったらなあと思いました。

雪割草:内容はおもしろかったけれど、言葉やプロットなど、生意気ながら意見したくなるところがあって、以前図書館で借りたのだけれど、読み進められず返してしまいました。でも今回読み終えて、オッシュのクロウへの愛情やふたりの絆があたたかく描かれているところがよかったです。この作品では、名前が大きな役割を果たしていて、例えばp374には、オッシュは「お父さん」、クロウは「娘」という意味だと言っています。そして、クロウがお母さんからもらったものの一つが「かがやく海」という意味のモーガンという名前で、自分が何者かというアイデンティティにも関係しています。なので、この作品の原題に「かがやく海」という言葉が入っているのを、意味も含めて残した方がよかったようには、思いました。同じくp374の、「おまえのすることが、おまえになる」という日本語も、日本語だけで読むとよくわかりませんでした。私自身も恥ずかしながら、大学に入って、母校の先輩でもある神谷美恵子の展示をすることになってはじめて、ハンセン病のことを知りました。特に若い世代は知らない人も多いので、編集部からのコメントで少し触れていますが、日本でのハンセン病政策について、これを機に読者にも知ってもらえるよう、もう少し情報を含めてほしかったです。

アンヌ:表紙を見て想像していたものよりファンタジーっぽいお話でした。この宝物は母親の形見で、ドイツのユダヤ人迫害の時のように、実はハンセン氏病の患者のものを取り上げたのではないかと最初は思っていたのですが、違うようですね。宝探しとそれを狙う悪者との戦いというのは実に典型的な冒険ものですが、奇妙に心躍らないのはなぜかと思いながら読み終わりました。深い言葉をぼそりという東洋の仙人じみたオッシュとの奇妙につながらない会話とか、お兄さんのような船員さんとの会話とか、泥棒の正体とか、判然としないものがいろいろあったせいかもしれません。

アカシア:私はおもしろく読みました。p20に「オッシュと、オッシュの前にわたしにさわっただれかをのぞけばだけど、わたしにさわったこともある手はミス・マギーの手だけだった。わたしは、わたしにさわった手をいつも数えていた」という文章があるのですが、ここからクロウが避けられていることが実感として伝わってきました。ただ、クロウ自身も、島の全員が自分を避けているわけじゃない、と考え直す場面もあります。p292「たぶん、一人ずつ別々に、考えるべきなんだろうね」なんていうところです。で、なぜクロウは避けれているのか? どこから来たのか? ペニキース島で何があったのか? クロウの頬の羽のような形のあざはどういう意味を持っているのか、野生保護員は本物なのか、文字が消えかかった手紙は何を語っているのか、など謎がたくさん用意されていて、それを解いていく楽しみもありました。さっき、泥棒がドジなだけで終わっていいのか、という声がありましたが、もともと小者の泥棒なのだと思って読みました。テーマはハンセン病とか、アイデンティティとかいろいろ出ましたが、私は何よりオッシュとクロウとミス・マギーという、背負っている背景がまったく違う血のつながらない3人がひとつの家族になっていくという物語として読みました。そうすると、無駄な部分はなくて、どの箇所も必要なのだと思えました。翻訳で気になったのは、「ビスケット」という言葉がたくさん出てくるのですが、これはアメリカの話なのでスコーンとか丸パンくらいに訳していいんじゃないかな。p107の「眠ったりしたことがない」は、誰かの腕に抱かれて眠ったりしたことがない、という意味なのでしょうから、もう少しつながるように訳したほうがいいかも。p188の帆船のルビなど、誤植がいくつかありました。それから、さっきオッシュとミス・マギーの年齢が書かれていないという声がありましたが、書いてしまうと、じゃあ、この二人は付き合ってもいいよね、とか、あるいはもう恋愛なんかする年齢じゃないだろうと読者が思うかもしれないので、あえて書いてないのかもしれません。

西山:急ぎ読む必要のある本があったせいで、途中で一旦何日か読まない時間をはさんでしまったのですが、そのせいかもしれませんが、表紙とタイトルと最初の部分で得た印象と、続きを一気読みした読後の印象が乖離しています。一気に読み終えて感じたのは妙ななつかしさ。なんだろうこの感じ、と思ったら、たぶん小学生のときにあれこれ読んだ宝探し冒険物語のノリなんですね。ハラハラ・ドキドキ・ヒヤヒヤ。不完全な手紙、宝探し、宝の発見、悪漢の登場、追跡、危機一髪、危機からの解放……。表紙の雰囲気とタイトルはずいぶん違いますけど、そのイメージが残りました。ただ、お兄さんが見つかっていたら、完全にエンタメで終わっていたのですが、彼の行方が知れないのは、過去を断ちたいという彼の意志があったからではないかと考えると、ハンセン病患者への政策と差別のことを思い出させられて、そうだ、ただのドキドキ冒険小説ではなかったのだと我に返った感じでした。あと、島の荒々しくも素朴な暮らしぶりがおもしろかったです。野趣溢れるけれど、あれこれおいしそうでした。

シア:メモしながら読んでいたのですが、それが途中から先が気になってもどかしくなってくるくらい読ませる作品でした。訳文のせいなのかはわかりませんが、淡々とした文章がとても心地良かったです。p36の「十一月のような声だった」、p220の「そよ風が、軽くおじぎするように、吹きぬけていった」など、比喩表現がたくさん出てきますが、そのどれもが美しいものでした。今回に限らず、海外作品は日本の児童書と比べて全体的に大人っぽいものが多い気がしますが、p25「あるものを食べ、ないもののことは考えなかった」や、p46「『人が何かをどうしてするのか? そんなことより、自分自身のことに注意をはらったほうがいい。人のことは人のこと』」のように、時に真理だったり、心に重々しく響くことを書いてくれると感じます。主人公のクロウも、p138「でも、わたしの勘は違うと言っていた。そして、わたしはそれを信じることに決めた」と、非常に意志が強く、12歳にしては大人顔負けの貫禄です。話の内容は『あん』もですが、なんとなく『ハイジ』(ヨハンナ・シュピリ著 岩波書店)みたいだなあと思いながら読んでいました。オッシュが、クロウが離れていくことに怯えるところはおじいさんのようですし、ミス・マギーはロッテンマイヤーのような人かと思っていました。でも、物語後半にはミス・マギーの乙女チックなところが見え隠れしたり、二人がクロウを慈しんで育てていることが表れていて、とても心温まるお話でした。オッシュの過去の話が出てこなかったところも謎めいていて良かったと思います。自分のルーツを知らない人がそのことを気に病む物語はよくありますし、いろいろ見聞きしてきました。私はなんらかの事情で子どもを手放した本当の両親よりも、育ててくれた人の方がよっぽど大変だし、大切なのではないかと思っています。たいていの場合は物語もそこに帰結します。でも、p65の「『後ろを見はじめると、自分の行く先を見のがすかもしれない』自分がどこでいつだれから生まれたのか、正確に知っている人だから言えること」というクロウの一言で、オッシュの言うことはもちろん、クロウの思うことのどちらも腑に落ちました。自分の生まれが不確かな場合、その足元は私が思うよりも不安定なんですね。その苦しみは当事者じゃないと理解できません。ハンセン病になった人もそうですが、無理解が人をバラバラにすると思いました。コロナ禍という、今の世の中でも情報が錯綜したり、未だに論争が続いていたりします。そうやって伝播していく人の恐怖心が伝染病よりも恐ろしいと感じました。と、真面目なことを考えながらも、やっぱり私は島の自然に圧倒されました。満天の星空や、動物たちが自由に歩いている町中など、都会育ちの私にとっては全てが新鮮かつ非日常で楽しかったです。ただ、雨水タンクからの水を清潔と表現したり、服を乾かしただけなのに綺麗だとか、果てはノミがついているかもしれない猫と寝ているというのは……。今回のテーマの違和感をこういうところに抱えてしまいましたが、まさにこれが大自然の中での生活なんですよね。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『セカイを科学せよ!』表紙

セカイを科学せよ!

ネズミ:ミックスルーツのことやステレオタイプからの解放など、意欲的なテーマだと思いました。ただ、いろいろなやり方でミジンコの写真を撮ろうといくところからはおもしろく読みましたが、中学生同士のやりとりにはしゃいだ感じがしたり、先生たちがあまりにもひどかったりというところは、ついていきにくかったです。こういうテーマなので、重くならないようにという配慮なのかもしれませんが。

アンヌ:生物の授業が好きだったので、題名といい目次といい、この物語はおもしろいぞと読み始めました。期待通り山口さんの虫好き度合いは普通ではなく魅力的でした。けれども、ミックスルーツの主人公が同調圧力につぶされそうな日本の中学生として、物語が始まっていくのは意外でした。梨々花の母親といい教頭といい、担任も校長も含めて、いい大人が全然出てこない物語でしたね。それだけに主人公たちの成長が気持ちよく読んでいけましたが……。ロシア語のことわざにもう少し解説があってもよかったのではないかと思いましたが、調べるといろいろおもしろくて、楽しむことができました。それから、お父さんがお兄さんに「ロシアには兵役があるぞ」という場面には、どきりとしました。

雪割草:学校の書き方が少しベタには感じましたが、虫という生きものをとりあげているのがおもしろかったです。敬語で話す山口さんや堅物な感じの校長先生は、キャラクターが漫画っぽいとは思いましたが、山口さんが風変わりな「好き」を貫く姿は、気持ちよかったです。自分の見方に固執して人のことを考えていない発言もあった山口さんが、パソコン班の人たちと一緒に研究に取り組んだり、と交流するうちに、相手の立場に立てるようになっていくのが、よく描かれていると思いました。それから、虫を気持ち悪いと言っていた子たちが、ちゃんと観察することで、案外かわいいじゃないと気が付くなど、「偏見」というものの見方について随所で描いているのも巧みだと思いました。

ハル:前回の『スクラッチ』(歌代朔作、あかね書房)と並んで、いま私のなかではトップクラスに好きな1冊です。今回のために読み直せなかった自分にがっかりするくらい好きです。p198で、「もしかして、お兄さん! 自分のことを外来種とか、外来種との雑種って思ってるんですか?」「違いますよっ」「人間は、同じひとつの『種』ですから」と山口さんが言うそのセリフを読んだときのわたしの高揚感! あの高揚感をいつも思い出します。人種とか、多様性とか、偏見とか、重たくなりがちなテーマだし、陰湿にもなりそうですが、それをここまで痛快に、そして読者の好奇心も焚き付けながら書き上げて、すばらしいなと思いました。もちろん、人間の社会は科学では割り切れないところもあるはずですが、「細胞が」とか「種が」とかで突破できるんじゃない? と思わせてくれるところが楽しかったです。

エーデルワイス:とっても楽しく読みました。表紙の絵が主人公たちの人間標本になっているところがおもしろいです。山口葉菜が何かと「ニマニマ笑う」表現がお気に入りです。
葉菜は虫女子ですが、小さい頃子どもはたいてい虫好きのように思います。ダンゴムシやミミズなどを触って。それがだんだん好きな子と嫌いな子に分かれてしまう。特に女の子は好きでも周りに併せて「虫キャー!」と、虫嫌いキャラになるのかもしれません。
ロシアの格言興味深いです。人間はホモ・サピエンス……の件は感動しました。

マリオカート: 昨年読みました。今回は再読できなかったので、当時書いた感想を話したいと思います。全体的にストーリー展開はユニークでおもしろく、引き込まれました。虫やマイナーな生物の話のなかに、人間のミックスルーツなどの話が組み合わされていますね。印象的な言葉が多く、ロシア語のよくわかるような、わからないようなことわざが、ちょいちょい入ってくるのも興味深かったです。ただ、敢えて言うと、物語の仕掛けを作ったときの力技な部分のしわ寄せが、全部、山口アビゲイル葉奈さんに行っている気がします。キャラとして、そんな子いるかなぁ、という若干の不自然さをまとっているように思いました。

まめじか:葉奈は生きものの分類にこだわっているわけですが、人間というのは、分類できない複雑さをもっています。それは、科学部のメンバーをはじめ登場人物のいろんな面が描かれることで、主人公のミハイルにも読者にもだんだんわかってきます。「人種」は社会的に創られた概念だという考え方もありますが、この本には、人間はみなホモ・サピエンス種なのだとはっきり書かれていますね。ちょっと気になったのは、実は研究発表はしなくてよくて、研究テーマさえ決めればよかったというオチです。校長はブツブツとつぶやくようなしゃべり方で、聞きとりにくかったと書いてあるものの、p148には「研究成果が出ることを期待しています」とあるので。ミハイルたちにはそういうふうに聞こえたということなのかもしれませんが、若干無理があるような。

シア:この本、とてもおもしろかったです。ラストの「他人の言うことにとらわれるな」というロシア語のことわざに全てが詰まっていると感じました。共感性というものが生活の軸になっている、今の子どもたちや社会をしっかりと表現していると思いました。ルーツに揺れる主人公たちの気持ちもていねいに描かれていて、第一印象が大事だとか、人は見た目が9割だとか言うイメージ先行型の考えを持っている人を柔軟にしてくれそうです。話の展開やキャラクターたち、そして読後感も良いので、中高生にぜひ読んでほしいと思います。JBBYのおすすめ本選定でほぼ満点を取った本というのもうなずけます。生徒たちがパソコンを使えないというのもリアルでした。今、学校で配布しているのもタブレットだし、保護者ですらスマホ中心の生活に移っているので、パソコンが家にない子もいるんですよね。小学校でパソコンの授業が必修化しましたが、若い教員やベテランでもパソコンが使えなかったりしますし、どうなることやら。それにしても、保護者にしても誰にしても、意見を言いやすい世の中になったと思います。ただ、それは意見というよりは言ってもいい相手に放つ言葉という感じがします。今の時代、共感を持たれやすい言葉を使うことが求められていて、ミハイルのように周りに合わせることが重要だと思う子が多くなりました。だから良いとは言えませんが、ミハイルの生き方は日本社会、こと学校では間違えていないし、梨々花がこんなにいろいろ言えるのは周りに受け入れられているからだと思います。でも、ミハイル本人の思いとは裏腹に今後彼は顔で受け入れられていきそうですね。理不尽が横行しがちな義務教育を乗り切れば、あとは顔面偏差値がものをいう世界でもありますから。何を言ったかではなく、誰が言ったかというところを重視されがちな世の中ですし。ユーリ兄ちゃんも日本にいればいいのになあ。個人的にすごく良かったのはp179の「俺たちは意味不明に張り切った」というところで、自分で決めた納得のいく目標が出来れば、この頃の子ってそれこそ意味不明に頑張れるんですよね。学校に限らず、そういう機会や選択肢を増やすことが大事だと思います。気になったのは蚊のところですね。p125で「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」と言っていますが、これはわざとと言えるのではないかと。根底に悪意が完全にないわけではないんじゃないかなって。悪意ある風評によって、「肝試し」「魔界」というマイナスな印象を持っているわけだし。それを否定せずにいること自体、悪意と言えるのではないでしょうか。そもそも忍び込むということ自体まずいですよね。謝ってすむとか、中1だからという風潮は良くないと思います。虫めがねを隠した子たちも含めて、軽い気持ちのいたずらがどういうことになるのか、ここで教師の出番のはずなのに何もフォローがないのが気になりました。嫌な教師や悪いことをした子たちが物語を展開するだけの道具になっていることが残念です。メグちゃんも新人だとしてもイライラするレベルです。それに生徒用(しかも科学部)のパソコンなのにノートパソコンで、しかも防犯用に固定もされていないなんて、この学校の危機管理はどうなっているのか問いたいくらいです。他にも部活動や教員関連で問題にしたい部分も散見されましたが、前回わりと散々言ったのでもういいかなって感じです。

アカシア:ユーモラスに問題を展開させていくという意味で『フラダン』(古内一絵著 小峰書店/小学館文庫)を思い出しながら読みました。あっちは高校生が主人公なので、もっと心理的には複雑なんですけど。おもしろくする工夫はいろいろあって、p11のミハイルが作ったチラシですが、不必要なアキがあったり、点が2つあったりなど、わざと間違いがあるままに出しています。p79の最後の文章とか、p122のボウフラのネットをはずして謝りにきた中1の男の子たちの描写とか、父親はこの人だと言って葉奈の母親がウィル・スミスの写真を見せるところだとか、笑える文章も随所にありました。ミハイルは考え方も話し方も日本的なんだけど、ところどころにロシア語のことわざがはさんであって、「あ、ミハイルのお母さんはロシア人だった。ダブルルーツの子だった」と思い起こさせてくれます。空気を読むことばかり気にして無難に世渡りしようと思っているミハイルに対し、空気を読むことに興味がない葉奈。両方外国ルーツも持つという共通項がありながら正反対の主人公を出しているのがおもしろいですねえ。そして、ステレオタイプに考える人たちと、それに反発するミックスルーツの人だけではなく、p110で「もっと深刻な悩みを持ってる人はいっぱいいるんじゃないかな。不治の病とか、親に虐待されてるとか、すんごい貧乏だとか」「こっちもいそがしいんだからさ。な、いちいち甘えんな」などと言ってしまう仁のようなキャラクターも出してくるので、読者も複合的な思考を迫られます。仁の存在はけっこう大きくて、その影響もあってミハイルも兄に対して「つらいのは自分だけみたいな顔しやがって。十八にもなって情けねーんだよ! 誰だって悩みのひとつやふたつくらいあるだろ。俺だってなー」(p194)という言葉をぶつけるわけですが、兄が本当に苦しげにギュッと拳を握りしめていることに気づいてハッとします。ここで、ミハイルは(そして読者も)さらに複雑な思考を獲得できそうです。山口葉奈の小動物についての蘊蓄も、ミジンコの心拍数をどう計測するかを考えていく過程も、おもしろかったですし、他者と合わせようとしない葉奈の存在そのものも、葉奈の発言も小気味よかったです。

ANNE:この会に初めて参加させていただきました。皆さんの感想が本当にそれぞれでおもしろいですね。私は2009年まで学校図書館にいましたが、当時の中学生はパソコンをもっと使いこなしていたイメージがあります。この十数年で子どもたちのIT環境もずいぶん変化してるんだなぁと改めて思いました。個性豊かな登場人物の中でも印象に残ったのは、主人公ミハイルの兄ユーリです。なかなか自分のアイディンティティを見いだせず、バイトもうまくいかない、いっそロシアに行って暮らそうかなどと考えているユーリの存在がこの物語の大きなキーワードになっているように思いました。ロシアで暮らしたいという長男に向かって母が言う「ロシアには徴兵制度があるのよ」という言葉が、現在の社会情勢とも相まって大変心に残りました。

しじみ71個分:この本はとてもおもしろかったのですが、残念なことに最初の出会いで失敗してしまいました。研究会の課題本になっていて、まだ読んでいないときに、先に人の意見を聞いてしまったんですね。なので、その印象が強くて…。多くの研究会参加者がおもしろいと言っていたのですが、葉菜の外見的な特徴で彼女のルーツについて表現しているという点で、こういった表現は既に海外では受け入れられないだろうという指摘もありました。なので、その印象に引きずられて読んでしまったかもしれません。でも、自分で読んでみたら、テーマも大変に挑戦的ですし、お話の内容もテンポも軽快で明るいですし読みやすく、やっぱり物語の作り方が非常にお上手だなと思いました。すべてのキャラクターも個性がはっきりしていてとっても読みやすいです。ただ、葉菜の「コーヒー色の肌」とか、「紅茶色」とか複数回出てくるので、キャラクターの紹介が既に終わっている段階だったら、肌の色についてはそんなに何回も記述しなくてもいいんじゃないかと思ったところはありました。また、アフリカにルーツのある人たちはバスケがうまいとか、そういったステレオタイプなイメージを破るために、あえて正反対の、虫好きの、運動が得意ではない人物を立ててきたおもしろさはあるのですが、それがある意味、逆にステレオタイプになっているかもしれないなとも、ちょっと感じてしまいました。ですが、後半にミハイルや葉菜のルーツの問題は置いておいて、生物班の存続のために、みんながミジンコの心拍数をどうやって計測するかについて、実験してトライアンドエラーを繰り返すあたりの場面はとても新鮮で、科学的な視点を持つことの重要性やおもしろさを伝えてくれましたし、葉菜のホモ・サピエンスについての考え方に表れているように、偏見とか先入観、思い込みといったものを科学的な視点で乗り越えていくこともできるんだと気づかせてくれ、読んで明るい希望も湧いてきました。

ルパン:おもしろく読みました。はじめ、「なんだ、部活ものか」という感じで、大仰なタイトルに合わないんじゃ、と思ったのですが、後半からぐいぐい来て、さいごはこのタイトルがぴたりとおさまりました。普通だったら腫れ物にさわるように避けてこられたようなテーマを正面から取り上げていて、すごいな、と思いました。しかも、誰も傷つけずにデリケートな問題に向かい合うことに成功している。「国際児童」「こじらせ系ハーフ」「コーヒー色の肌」、しまいには「北方領土をどっかの国からまもらなきゃ」まで言っちゃって、まさに「あっぱれ」です。

しじみ71個分:ネットで、バスケのオコエ桃仁花選手や、八村阿蓮選手が、日常的にTwitterなどで人種差別を受けているという記事を読んだり、自らのアイデンティティについて苦悩する八村選手の短編映画などを見たりしました。彼らに対して投げかけられた差別発言は目を覆うばかりの酷さです。この本は、そういった差別意識を乗り越える一つの方法を提示しているように思いますし、気持ちよく読んで、ミックスルーツ問題について考えるきっかけを得ることができると思うのですが、一方で、その前に、本当にひどい差別が社会に横行している事実や、差別で傷ついている人がいることを知らせる必要があるとも感じました。自分では気付かない差別意識が自分の中にあるのではないかと常に問いかけることを伝えてくれるような、そんな本もあったらいいなと思います。

アカシア:日本には差別がないと思っている人は多いんですけど、そんなことはないですよね。私は、若い時に反アパルトヘイト運動をやっていた方から、「子どもが好奇心をもって、アフリカ系の人の髪の毛にさわろうとしたりするのは差別ではない。それを差別だからとやめさせようとすると、見て見ないふりばかりするようになってしまう」と聞いて、なるほどと思ったことがあります。自戒を込めていうと、日本は、差別してないと思っている人でも、アフリカ系ならダンスがうまいだろうとか身体能力がすごいだろうなどとステレオタイプで見る場合が多いし、見て見ないふりの人も多いと思う。

西山:最後まで再読しきれなかったのですが、やっぱりおもしろかったです。「科学」の取り込み方が絶妙! 生きものの分類に対する興味とミックスルーツの自分の問題がかっちりはまっている。情緒的に「差別はいけません」「いじめはいけません」と説くより、よほど説得力があって、同調圧力のうっとうしい壁に風穴を開けてくれるのではないかと思います。課題図書にもなって、多くの中学生の手に取られることは喜ばしいと思いました。ボウフラのネットが外された事件も、山口さんの「よかった」「誰かが、わざとはずしたんじゃなくて」というつぶやきに、ミハイル同様「悪意というものがなかったことに救われた気持ち」(p125)になりました。この展開を結構大事なメッセージだと思っています。あと、ロシアのことわざがキュートですね。ロシアのウクライナ侵攻の前にこの作品が出ていてよかったと思います。ロシア人を、そういう文化を持っている人たちなんだ知っていることが、妙に重要になってしまったと感じています。

(2022年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年11月 テーマ:クラブ活動

 

日付 2022年11月17日
参加者 ネズミ、ハル、シア、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、まめじか、西山、さららん、サークルK、ニャニャンガ、アマリリス
テーマ クラブ活動

読んだ本:

『スクラッチ』表紙
『スクラッチ 』
歌代朔/作   あかね書房   2022.06

〈版元語録〉コロナ禍で「総体」が中止になったバレー部キャプテンの鈴音。美術部部長の千暁は出展する予定の「市郡展」も審査が中止。「平常心」と自分に言い聞かせ「カラフルな運動部の群像」の出展作を描き続ける千暁のキャンバスに、鈴音が不注意から墨を飛ばしてしまい…。コロナ禍で黒く塗りつぶされた中三の夏。そのなかでもがきながら自分たちらしい生き方を掴み取っていく中学生たちの、疾走する”爪痕”を描く物語。


『5番レーン』表紙
『5番レーン 』
ウン・ソホル/作 ノ・インギョン/絵 すんみ/訳   鈴木出版   2020.09
5번 레인 by응 소호르 2020.
〈版元語録〉急に速くなったライバルに勝てなくなり悩んでいた。ライバルの水着が承認されていないモデルではないかと疑うことから引き起こした事件をきっかけに、大きく成長する姿を描く。韓国の文学トンネ児童文学賞大賞を受賞した、瑞々しくさわやかな青春ストーリー。

(さらに…)

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『5番レーン』表紙

5番レーン

西山:本作りはきれいだけど、どうにも読みにくくて入って行けませんでした。冒頭の3行ですでにつまずいて……。「ナルは5番のスタート台にあがった。……ひとつだけちがったのは、ナルのレーンが5番じゃなかったということ」タイムが速い順に4番、5番なのかということがなんとなくわかって、なんとか理解はしましたが……。部活や学外のスポーツクラブの在り方が日本と全く違うのだなと、こういうことを知ることができるのが翻訳作品のおもしろさだなとは思いました。

コアラ:おもしろかったです。ただ、韓国のことをあまり知らなくて、いろいろわからないまま読み進めて、いろいろひっかかりながら、少しずつわかっていく、という感じで読みました。名前では、誰がどういう人なのかわからなくて、例えば、主人公のナルと仲のいいスンナムについては、p23で「オレが買った」とあったので、男子だったのかとようやくわかりました。年齢と学年についても、最初のほうで、小学校の水泳部でナルは小学6年生と出てきますが、p19の最後のほうで13歳となっています。日本でいうと中学1、2年生かと思いましたが、p44の中ほどの括弧で「(韓国は生まれたときを一歳とする数え年)」とあって、結局日本と同じ、小学6年生の12歳だとわかりました。これがわかるまで、年齢と学年はひっかかりになっていました。あと、小学校の水泳部とありますが、日本でイメージするような、ただの学校のクラブ活動でなく、オリンピックを目指す選手がお互い切磋琢磨するような、すごくハイレベルなところだとわかってきます。それから、水泳のこともよく知らなかったので、5番レーンの意味もよくわからないままでした。たぶん、4番レーンが予選で1位だった人、5番レーンが予選で2位だった人、ということなのかな、とは思いましたが、はっきりとは書いていなかったように思います。読み飛ばしてしまったかもしれません。それでも、いろいろわかってくると、すごくおもしろくなったし、p132の3行目の恋の始まりの表現など、すてきな表現がいくつもありました。ただ、どちらかというと大人びた表現のある物語なのに、絵がとても幼く感じられて、そこに違和感を感じました。絵が全部カラーで贅沢なつくりだし、きれいな本だとは思います。

アマリリス:ひたむきなスポーツ小説かと思ったら、ナルが水着を盗むシーンがあって、そっちの方へ行くのか! と度肝を抜かれました。そこからの展開は非常に読み応えがありました。幼馴染のスンナムが実はチョヒと付き合い始めていた、というオチもおもしろかったですね。チョヒが、もっとイヤな子なのかと思ったら意外と素敵なライバルとして描かれていたのが印象深かったです。子どもたちがそれぞれ、過去に盗んだものの話をして主人公を励ますのもよかったと思います。ただ文章自体は、ツッコミどころが多い気がしました。以前、すんみさんの別の翻訳を読んだときはスムーズに楽しめたので、今回の作品は原文に問題があるのでしょうか。特に気になったのは、三人称のブレ。ナルとテヨンの視点が、章ごと、段落ごとに入れ替わるぶんにはいいのですが、1行ごとにブレている場面がありました。あと、最初にチョヒの水着の描写があったとき、色は書いてなかったように思うのですが、途中から急に「ピンクの水着」と出てくるので、同じ水着の話をしているのか、遡って確認作業をしなくてはなりませんでした。午後の練習時間の長さもはっきりわかりづらいんですよね。放課後に練習を始めるけれど、毎日夕方6時に公園で月を見ることはできるなら、練習時間は短いのかしら、と気になりました。ところでカラーのイラストが文中にたくさんあるって素敵ですよね。これ、印刷のコストはかなり高いのではないでしょうか。

ニャニャンガ:当初は一部の挿絵を使う予定だったのが、すばらしい絵なので、すべての挿絵を使うために担当編集者が頑張られたと伺っています。

シア:冒頭の「テイク・ユア・マーク」の一文が真っ先に目に飛び込んできて、クールさにしびれました。訳さずにそのままなんですね。よく文章内でフルネームで呼ばれていますが、これはどういう意味合いなんでしょう? 日本やアメリカではフルネームはわりとネガティブな印象なので不思議でした。物語の内容以前に、国の教育レベルが全然違うことに衝撃を受けました。PISA調査でも結果は出ていましたが、日本は世界から完全に後れを取っていることを改めて突き付けられました。小学生のうちからこんな高度な特別チームで一生懸命練習をしていて、中学に入る前の時点でふるい落とされる……それが国全体でのレベルを上げるということなんでしょうね。p 221「国旗が描かれた名札」をつけるなど、強化選手でもないのに仰天なのですが、国を挙げて教育しているんだなと感じました。『スクラッチ』を読んでからこちらを読んだので、余計に日本の部活システムが子どもだましに思えました。部活なんかでお茶を濁しているのにオリンピックでメダルだなんて、日本は負けましたと言っているようなものです。日本でもプロを目指している子はそもそも部活には入らずに、地域のチームに所属しています。素人の教員(ほぼ無償)が指導する部活なんていります? 熱い思い出だけじゃ、世界と肩を並べる力になりませんよ。この作品に出てくるコーチは精神的な暑苦しさがなくて冷静でまさにプロです。揺れ動く子どもたちに余計な口出しもあまりしません。青少年育成のために運動をさせるなどという名目もありますが、世界を見据えるなら早急に考え直していただきたいです。部活動というものにメスを入れるために、学校関係者はぜひ『スクラッチ』とあわせて読んでほしいと思いました。とは言ったものの、小学生なのに古典的な恋愛模様を繰り広げていて、さすが韓ドラの国だと笑ってしまいました。挿絵はかわいらしいのに、トレンディドラマのようなシーンの数々に少々居心地が悪くなります。水着事件の際、一生を棒に振る覚悟で大騒ぎするような年齢相応の子どもなのに、色恋沙汰はレベルが高く、韓国は本当にいろいろ進んでいるなと思いました。

アカシア:こう来たか、と、私はまず本づくりに感動しました。新しい風が吹いてきた感じがします。絵やレイアウトもすばらしいです。韓国は、児童書に対しての国のバックアップがすごいんですよ。それで、こんなに勢いがあるんでしょうか。文章にはそんなにひっかかりませんでしたね。小学校6年生らしい子どもたちが登場して、その心理がとてもうまく書かれています。おとなは、出来心で盗ってしまったなら謝って早く返せばいいじゃないって思うけど、この年齢の子どもだから悩むんですね。恋愛も初々しい感じだし。p111に「だったらお姉ちゃんもいかせない、とアタシが水着をかくしたりしたから」は、みごとな伏線になっていますね。

サークルK:みなさんおっしゃっているように、たくさんの挿絵がとても素敵でページをめくるのが楽しかったです。全部カラーなんて贅沢ですよね。表紙をめくった見返しのところが水玉で(裏の見返しは緑色の水玉に変えてあって、おしゃれすぎます!)さわやかなソーダ水のようです。放課後の水泳部は決して甘いものではありませんが、友達との関係やほのかな恋心などが、重たくなりすぎず展開していくことを示してくれているみたいでした。私が特に気に入っているのは、ナルの姉ボドゥルです。水泳から飛び込みに競技変更した姉に対しナルは納得がいかず、ひどい言葉で姉をなじりますがそんな妹に対して素敵な言葉で今の自分の気持ちを語ります。「競技をやめたって世界は終わらない」(p192)、「あたしはやれることを全部やったから、もう心残りがないの……」(p193)、「水に落ちてるわけじゃないの。……自分で飛んでるの」(p194)、「自分の力で進んだなら、思ったのとちがって下に下に向かってしまったとしても、それは落ちてる事じゃなくて、飛んでることになるわけだから」(同)、これらの言葉はこの作品にとどまらず、手帳に書き留めておきたいくらいの珠玉の言葉と言えるでしょう。「飛び込み」は競技のひとつではありますが、いわゆる「飛び込み」は「死」を連想させる言葉にもなりえます。この本を手に取る子どもたちが、ボドゥルの前向きな「落ちてるんじゃなくて飛んでるんだ」という言葉に救われると良いなあとも思います。また、ナルの友だちテヤンが書く手紙(p 210)にある「僕はいつもナルの味方だよ。ナルが自分の味方になれないときでもね。わかった?」という言葉もこれ以上の励ましはないほどの温かい心のこもったもので(ラブレターと言ってしまっては陳腐な表現になってしまうので、あえてそうは言いたくないのですが)、落ち込んでいる人にはこんな言葉をかけてあげられる人になりたいものだ、と思いました。最後に、この本の中で扱われているテーマの一つに「成長期の子どもがはまり込むスポーツの弊害」もあるような気がします。最近読んだ平尾剛氏のコラムを思い起こしましたので以下をご参照ください。「勝つたびに『俺は特別だ』と思い込む…巨人・坂本勇人選手のような『非常識なスポーツバカ』が絶えないワケ」(PRESIDENT Online https://president.jp/articles/-/63326?page=1 2022年11月14日15:00)

アンヌ:まず挿絵が素晴らしいなと思いましたが、人物については線が柔らかすぎて、体形がスポーツマンというより、ふんにゃりして幼い気がしました。実は私は水泳部に少しだけいたことがあるので、主人公からプールのにおいがしたり、コーチが、p124で「一番遠くにある水を引っ張ってくると考えて」というところなど聞き覚えがある気がして、懐かしい気持ちがしました。p70のお姉さんがサイダーで飛び込みをたとえるところなど、想像できて美しいです。韓国と日本との部活の意味の違いとかに興味を持って読み進んでいたのですが、ナルが自分と勝ち負けだけにこだわっている子なので、だんだん飽きてきてしまいました。それでも、周囲の人々はみんな優しく、彼女を見守っていてくれるおかげで物語は進んでいきますが、もう一つ釈然としないまま、スポーツマンとして成長していこうというナルの意思が語られて終わったなあという感じでした。

ネズミ:私は最初からナルのキャラクターにひきつけられて読みました。水泳のことばかり考えていたナルが、テヤンが現れたことや、姉の変化などを通して少しずつ変わっていく微妙な心理が描かれていてとてもよかったです。はしばしの描き方もよかったです。p104の三日月を見るシーンで、「ああ、でも……月に行っても泳げる?」とナルが言い、テヤンが宇宙の知識を出してくるところ、それぞれの性格が会話の中にそれとなくにじみでています。p133の1行目「いいよ、いいね、どうしよう。このうちどれが、いまの気持ちにぴったりなのかがわからない」と思って、結局スタンプを送るなど、心の動きがうまく表現されているなと。

エーデルワイス:表紙、挿絵が水色と黄緑色を基調とした綺麗な本です。読む前にページをめくって楽しみました。以前リモートの「オランダを楽しむ会」に参加してオランダと日本の小学校教育の違いを丁寧に説明していただいて、どちらが良いとか悪いとかではない、というお話が心に残っていましたので、『5番レーン』を読んで、韓国と日本の教育や部活の違いを考えてしまいました。小学生のまだ体ができていないときに、過酷なトレーニングはどうなのだろうか? 英才教育も大事だけれども、仲間と共に楽しむ部活もいいのではないか? 全国のそんな部活の中から才能のある子たちが出てくるのでは? 世界的バレエコンクールで日本のバレリーナが毎年のように上位に入賞するのは、日本国内に大小たくさんのバレエ教室があるためと聞いたことがあります。子どもたちは楽しんでバレエレッスンしてその中から才能ある子が伸びてくるのだそうです。ナルたちがスマホでやりとりしていますが、日本の小学生はまだスマホは持てないと思うので(それともキッズ携帯?)、どうしても中学生のような設定の物語に思えます。11月15日付日経新聞に「お隣の韓国で、初の絵本が出版されたのは1980年代末。ソウル五輪のころ経済成長をとげ、言論や出版の自由が広がったのが背景だという。日韓の絵本を紹介する、千葉市美術館で開催中の展覧会で知った。大正期から100年超の日本とくらべ歴史の短さに驚く。」(春秋 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO65984750V11C22A1MM8000/ 日本経済新聞 2022年11月15日2:00 ※会員限定記事)という記事がありました。韓国での児童書に対する手厚い保護については聞いたことがありますが、なるほどと思いました。

さららん:思うようなタイムを出せず、今までの地位から落ちたカン・ナルは、自分で自分を受け入れられない葛藤を抱えています。そんな閉塞感とは対照的な、透明感のある広々とした空間のある絵が、物語の風穴になっているのかもしれないと思いました。そして幼馴染で水泳部部長のスンナム、親友サラン、転校生で水泳部に入ってくるテヤンをはじめ、群像がよく描けています。焦っているカン・ナルと反対に、テヤンは前向きでマイペース。ナルの姉ボドゥルも、葛藤を経てきたはずなのに、とにかく明るい。ナルの母親も、自己実現のために子どもに何かをさせている親ではありません。そんな周囲の人々が重いテーマの救いになっています。p224で、ナルは苦しい秘密をチームメートに告白しますが、みんなが「とにかくごはんを食べよう」と誘ってくれるところなど典型的です。またテヤンが科学者になりたいと思っていたり、ナルとスンナムとテヤンが公園に1か月通って、月の観察をしたりする章があることで、水泳がテーマの物語に思いがけない奥行が出ています。泳ぐことと空中遊泳の類似など、宇宙への広がりを覚え、気持ちのよい部分だなあと思いました。気になったのは、視点のギアチェンジが時々ぎくしゃくするところです。テヤンと交互に話が進むのかと思いきや、主人公はやはりカン・ナル。ほぼカン・ナルの気持ちに寄り添って読めるのですが、ただその視点が大きく揺れることがあるのです。例えばずっとナルの心理に寄り添った描写だったのに、急に突き放すような「八年の友情に危機がおとずれた」(p45)」という客観描写があって……「八年の友情もこれで終わるのだろうか」と書いてあれば、ついていけたのですが。

ニャニャンガ:ご近所なのに、あまり知らない韓国の学校事情がわかり興味深く読みました。水泳部の女子エース、小6のカン・ナルの目を通して、本気で水泳をすることの厳しさが伝わってきます。ライバルの水着を盗んでしまう場面にはドキドキしましたが、きちんと始末をつけていさぎよかったです。挿絵が豊富にあるおかげで読み進められる読者もいるのではと思いました。

まめじか:物語全体をとおして、ナルは水の中でもがきながら、前へ前へと進もうとします。競泳から飛込に転向した姉が、「自分の力で進んだなら、思ったのとちがって下に下に向かってしまったとしても、それは落ちてることじゃなくて飛んでることになる」(p194)とナルに語るのが、心に響きました。ボーイフレンドのテヤンやチームメイトとの関わりもよく描かれていますし、あたたかみのある絵がいいですねえ。最後の行にある「見てろ」は、日本語で読むと少し強いというか、闘争心をストレートに感じました。

ハル:私は、何人かの方がおっしゃっていたような、大人っぽさは感じませんでした。恋愛も、初恋の初々しい範囲かなと思います。それに、大人の私でも、もし自分がライバルの水着をとってきちゃったとしたらと考えると、それをいろいろ言いつくろって自然に返せる自信はないなぁ。シューズとかラケットとかだったらまだ「間違えちゃった」でごまかせるかもしれないけれど。なので、ナルが「もう水泳もできないかもしれない」というくらいに追い詰められたのも理解できます。全体的にはいいお話だったけれど、デビュー作だからなのか、皆さんがおっしゃるように、読みにくいところはあって、もう少しブラッシュアップできそうだなと思いました。そもそも、4番レーンと5番レーンの説明ってありましたっけ? 予選でいちばん速い子が4番レーンを泳げるんですよね? たぶん。その説明は、必要だったと思います。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『スクラッチ』表紙

スクラッチ

まめじか:不要不急という言葉が押しつける我慢、大人が求めがちなものわかりのよさに、中学生が全力で抗う様子が頼もしく、気持ちよく読みました。災害やコロナなど、人生にはいろんなことがありますよね。思いがけないところから墨が降ってきて絵を汚されちゃったりもするし。でも、なんど闇が訪れても、光さす暁の瞬間は必ずあって、それはこの手でつくっていける、浮かびあがらせていけるというのに、ぐっときました。主人公たちが、ぜんぶ人になんとかしてもらおうとか、だれかのせいにするとかじゃないから、応援したくなるんですね。鈴音はディズニーランドに行こうとしている友人を非難したことで、それは帰省した姉を避ける近所の人と同じだと諭されて反省していましたが、そうやって自分のことを省みたり、千暁(かずあき)が絵を通して自分と向きあったりする様が、すがすがしかった。鈴音がすぐに泣いたり怒ったりして、生の感情をストレートに表せるのに対し、千暁はいつも冷静で、人との距離をはかりかねているようです。感情をむきだしにした鈴音の絵と、千暁が洪水のあと避難所で暗い感情を押し殺し、鮮やかなクレヨンで描いたタンポポの絵の対比が、見事だなあと。若干気になったのは、登場人物がみんないい人というのと、手の皮がむけるような過酷なトレーニングは、今の中学では行き過ぎた部活指導にあたり、指導として認められないのではないかということです。

シア:そういう指導の仕方は今の時代アウトですね。でも、残念なことにこういう学校がないとは言い切れないので、今後の部活動の在り方が問われますね。

まめじか:p. 3の「肌色」という言葉は、使わないほうがいいのでは……。「そんなキャラやったっけみのり?」(p 73)、「なんだそれふつうにひどい男じゃないかって思ったけれど」(p104)、「千暁みたいに頭よくないよどうせ」(p277)などは、読点がないのが少し気になりましたが、このほうが一気に読めて勢いが出るのかな。p191の千暁の章で「二宮(みのり)さん」とあるのは、千暁の心の声として「みのり」を括弧書きにしてるのか、それとも二宮さんがみのりのことだと、読者にわかるようにしているのか?

ハル:私はこの「(みのり)さん」の感じ、わかるなぁ。こういう子、いませんか? 親しみは感じているけれど、名前呼びするのは気後れするから、わざわざ括弧をつけて呼ぶ。ちょっと二次元的な表現なのかな。

ニャニャンガ:千暁にとって、この時点でまだ下の名前で呼ぶほどには打ち解けていない相手なので、括弧付けで名前を入れたのだと思いました。

まめじか:「べたべたとネットをくぐって」(p53)、「きゅっと僕を見た」(p104)、「きゅっと姿勢を正して」(p266)、「ペンギンのようにでべでべとかけて」(p149)、「雲が空をごんごん流れてきて」(p331)など、表現が独特ですね。「片手でわしっとつかんで」(p105)、「目元をにこにこさせて」(p109)などは日本語として正しいのかわかりませんが、そういうことを気にしすぎると、表現として窮屈になるのでしょうね。

アマリリス:一人称で書かれているので、この登場人物自身のボキャブラリーなのだと認識していました。だから、違和感なく読めましたよ。

ハル:久しぶりに、っていうと語弊があるかもしれませんが、久しぶりにいいYAを読んだなぁという読後感に浸りました。中学3年生の内面が、実際にそうなのか、本当のところはわからないけれど、表現されているこの子たちの心情や行動が、すべて真に迫っている、圧倒的なリアリティを感じました。体感をともなって想像したり、共感を覚えたりしながら読むことができました。もしかしたら、主人公たちと同世代の読者には、ちょっと長かったかなぁというのは少し気になりましたが、ぜひ、中学生、高校生に読んでもらいたい本です。

ニャニャンガ:とてもおもしろく、ほぼ一気読みでした。スカッと気持ちのいい青春物語という印象です。題名の「スクラッチ」の意味がわかってからは、さらに物語に入り込みました。じつは表紙の絵があまり好みでなかったために読んでいなかったので、今回みんなで読む本になってよかったです。翻訳作品にはない日本語の自由さを感じたので、翻訳者としてうらやましく思いました。p237「によによ笑う」、p247「す、っと、はっかのような空気が僕の肺に流れこむ」などの表現がとくに印象に残りました。またp255の絵を描くシーンにはドキドキしました。千暁が転校してきた理由や、その後、人と深くかかわりをもってこなかった理由などがわかり、鈴音と文菜、健斗との交流を経て少しずつ心がほぐれていくようすがよかったです。千暁の読み方がなかなか覚えられなかったけれど、千の暁という名前が物語とつながり、ぞくぞくしました。最後は、浸水被害の被災を乗りこえる家族の姿に感動しました。

エーデルワイス:とてもよかったです。今どきの中学生が、ため口で本音を語り、清々しい。コロナ禍になって3年ですが、子どもたちにとって1か月でも1日でもかけがえのない日々です。制限や我慢の連続の影響が今後どのようにでるのだろうかと心配です。主人公の鈴音、千暁たち中学生のいらだち、希望がストレートに伝わりました。印象的な場面はたくさんありますが、鈴音の中学生活での最後のバレーボールの試合終了後の場面は青春! でした。千暁が両親と美術館へ行った帰り、カップラーメンを食べたいと提案すると、いつも完璧に美味しい食事をつくる母が賛成して震災直後よく食べていた銘柄を言うところは、震災を体験して心に傷を負いながらそれを言葉にしてこなかった家族がようやく復活した素敵な場面だと思いました。

ネズミ:コロナ時代の中学生活を描いていて、もやもやのたまった感じがよく出ていると思いました。中学生同士のやりとりは、中学生は「あるある」という感じで読むのかもしれませんが、この会話がリアルなのか、戯画化や誇張があるのか、私には判断がつかず、ちょっとやかましく感じられて、途中はとばして読んだところも。あと、途中で説明的と感じられるところもありました。千暁は賢くて、自分で説明をつけていくだけかもしれませんが、p160の4行目で「この病気は仮病だと疑われて理解されにくいこともある、みたいなこともレポートされていたっけ、と思い出す」、p161の6行目「僕自身も親が、特にお母さんが小さい子どもに注意するようにいまだに口うるさいことにうんざりすることもあったけれど……」とか、この子の説明ではなく、物語でわからせてくれたらいいのになと。

アンヌ:よくこのコロナ下の現状と被災者の気持ちというのを描いてくれたなと思いました。きれいな絵を描くことで、母親の期待に添い、過去から目を背け自分を押し殺していた千暁が自分自身を取り戻し、真の創作衝動を取り戻す。それに対して、並行した主人公であるはずの鈴音は魅力的な個性なのに、狂言回し的役割なのが残念です。ただ、千暁の冷静さが、おもしろさを阻んでいる気がしました。あまりに自分や家族を冷静に分析しすぎで、中学生というより作者が顔を出して語っているのをずっと聞いているような気がしました。恋愛的要素を実に繊細に排除しているのも少し不思議でした。

アカシア:私はアンヌさんと違う風にとっていました。千暁はコミュニケーション障害を持っていることを自覚していて、一つ一つをピンダウンしていかないと次に進めないんだと思うんです。それで、友だちもできにくいので、親もそれを心配しているわけですよね。だから、必ずしも理想的な家族じゃないと思うんです。それと、最初ざっと読んだときは、美術の先生が男性だと思ってたんですが、もう一度ちゃんと読んだら、女性だったのにびっくり。全体に、生きのいい日本語ですよね。翻訳ではなかなかこういうわけにはいきませんね。このくらい自由な日本語で翻訳もできるといいんですけど。リアルにコミュニケーションを取った時、人は他者の立っているところに気づき、その人ならではの困難に気づき、自分をより客観的に見ることができるようになっていくんですね。最後の部分ですが、はじめは「私は行くんだ」ですが、次は「私たちは、行くんだ」になっているのが、象徴的ですね。好感をもって、おもしろく読みました。

シア:気になっていた本だったので今回読めてよかったです。スクラッチ技法も好きなので楽しく読めました。流行りの言葉遣いや物、時代を反映したフランクな一人称ものってすぐに古くなるので苦手で、最初は抵抗があったんですがリズムのよい文章でテンポよく読めました。ラストに天気が自分の気持ちに寄り添わないというのもよかったです。虹がかかるとか、心地よい風とか締めの定型みたいなものを壊してもらえてすっきりしました。そして田舎の広さに憧れました。お庭でバーベキューができるとか、家庭菜園というレベルではないものを毎日食べられるなんて羨ましい限りです。この作品では羽化に例えていましたが、中学生くらいは体も心もさまざまな変化が訪れる年齢ですよね。それを汲み取ったよい成長ストーリーになっていると思いました。今の学校生活や学生に求められるものというのは、理不尽ですが明確な正解があって、それをなぞっていけばなかなかよい生活が送れてしまえるんですよね。そういうことをわかっている子は優等生として優遇され、そのレールに乗れば社会でも無難に過ごせます。でもそのせいで、早くから一芸に秀でるということができません。それが今の日本が世界から一歩、もしくは何歩も遅れ気味になっている原因の一つかもしれないですよね……。という風に、子どもたちの成長の話に関してはとても興味深く読めましたが、教員に関しては世間一般ではまだまだアップデートがされていないと感じました。読んでいてもかなり負担が大きくて、千暁のお母さんが言っていたような「呪いをかけ」られている感じです。教員のプライベートを度外視した、“生徒に寄り添うよい先生”が全体を通して描かれているんです。生徒や保護者にとってはよいことだし、今の世間的にも受け入れられていることなんですが、そういうひとつひとつが現在の教員を追い詰めていると感じます。粉骨砕身、滅私奉公、一人の人間としてではなく“生徒優先の正しい教員として過ごすべき”と価値観を押し付けてきた結果が、今日の教員不足に繋がっていると痛感します。聖職と考えて個人的に行う分にはいいと思います。これもフィクションだし、いいと思います。けれどこれを教員の「正解」として求められてしまうのはかなり苦しいと感じました。

アマリリス:今回、自分のなかでは、まったくノーマークだった2作を読む機会をいただけてよかったです。『スクラッチ』は、非常におもしろいと思いました。最初は、ネット用語的なものを盛り込みすぎて、読みづらく感じたのですが、慣れてくると違和感なく、むしろ心地よく読めました。何年か後に古びてしまうことを恐れないで“今”を切り取っているところに覚悟を感じます。美術やバレーに携わる人の成長を描く青春小説としては、そんなに大きく新しい要素はないと思いますが、コロナ禍の閉塞感が再現されていて、今の子どもたちが親近感を持って読めるお話だなと思いました。表紙が、ぱっと見ただけで岡野賢介さんのイラストだとわかりますね。インパクトがすごい。ただ、読み終わってみると、千暁の絵のイメージと、表紙の絵があまりにも違うので、千暁の絵のタッチに近いものを見てみたかったな、という気もしました。あと、文章の細かい表現がいろいろよかったです。たとえばp195「ふつふつとした炭酸のような笑いが、あとからあとから、体の内側に湧き上がってくる」、p314「俺らが全部やったんスよ。仙ちゃんは漂ってただけ」などがユニークだと思いました。

西山:すっごくおもしろかったです。教員像、仙先生が女性なのがおもしろいと思っていた程度で、出てくる教師たちの働き方は気にせず読んでいましたが、確かにアップデートは大事ですね。抑え込まれた痛みを、痛みとして受け止めることの大切さが書かれていて、『フラダン』(古内一絵/作 小峰書店)を思い出しながら読みました。人物やエピソードがばらけずにきちんとつながっていて、読み終えるのを惜しいと思うほど楽しみました。出だしは、少々エキセントリックな感じが鼻についたのですが、p17の5行目で「マシだマシだと思いながらやり過ごすことは、何の意味があるんだろうな」と出てきたとき、一気にこの作品は信用できるというモードに入りました。「被災っていうのは、ずっと続いていくんだな」(p284、6行目)とか、共感できる価値観や感覚が随所に出てくるだけでなく、p305で鈴音の渾身の一撃が決まって勝つわけですけれど、ページをめくると「でも。これが勝負か? これで勝負決まったって言えるのか?」と続いていて、いろいろ制約はあったけど、やれることはやったよね、めでたしめでたしとまとめなかったところ、中学生たちの悔しさに徹頭徹尾寄り添っていて、本当によかったです。千暁と鈴音、仙先生と高瀬先生のことも恋バナにおとしこまないところもよかったです。読めてよかったです。

コアラ:おもしろく読みました。まず文体がいいと思いました。内容に合っています。内容が本当によくて、p267の最終行に、千暁が描いた絵のことを「2020年の、僕たちの姿だ」とありますが、この作品そのものが、2020年夏の中学生を、コロナ禍の暗闇から削り出すように描いています。最近毎年のように起こっている災害についても描かれていて、2020年という年の姿を作品として残してくれて、作者に「ありがとう」という気持ちでいっぱいになりました。ひとつ気になったのが、浴衣姿の鈴音が下駄を履いているところですが、最近は草履でなく下駄を履くんですね。

一同:浴衣は下駄ですかねえ。

シア:草履は履かないですね。足が痛いので下駄風サンダルなどで済ませることも多いです。

アカシア:この本、カバーをとると、表紙の絵はマスクをしてるんですよ。

シア:凝っていていいですね! 図書館の本なのでわからなかったです。カバーをとったらマスクもとれた、の方が仕掛けとしてはおもしろそうですが。

(2022年11月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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平和な世界を願って 子どもの本にできること

「こどもの本」2023年3月号(日本児童図書出版協会)に「平和な世界を願って 子どもの本にできること」というエッセイを書きました。

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本さえ読めば平和が来るとは思わないが、平和につながる道を少しずつ作っていくことは、本にもできるのではないだろうか。私が訳した『子どもの本で平和をつくる』(キャシー・スティンソン文 マリー・ラフランス絵 小学館)には、イエラ・レップマンという女性が登場する。彼女はドイツ生まれのユダヤ人ジャーナリストで、ヒトラーが政権を握ると命の危険を感じて、子どもたちと一緒にイギリスに避難していた。

『子どもの本で平和をつくる〜イエラ・レップマンの目ざしたこと』(さくま訳)の表紙絵

戦後故郷に戻ったレップマンは、ドイツの子どもたちの窮状を目の当たりにして二〇の国に手紙を出した。それぞれの国のすぐれた子どもの本を送ってもらえないか、と依頼したのである。周囲からは、「戦争でドイツと戦った国々が本を送ってくれるはずがない」と批判されもしたが、幸い一九の国からは、すぐに児童書が送られてきた。でも、一か国からは、「私たちは二度もドイツに侵略されているので、残念ながらご希望にそうことはできません」という手紙が届いただけだった。

レップマンはそこであきらめずに、もう一度手紙を出した。「ドイツの子どもたちに新たな出発をさせてやりたいのです。他の国々から届いた本を見ることによって、子どもたちはお互いにつながっていると感じるでしょう。戦争がまた始まらないようにするには、それが一番ではないでしょうか」と書いて。

すると、その手紙を読んでレップマンの意図を理解したその国ベルギーからも、素晴らしい児童書のセットが届いたのだ。レップマンは、届いた本を国内巡回して子どもたちに見せ、ドイツ語に訳して読んでやり、それをもとにしてミュンヘンに国際児童図書館をつくった。そして、一九五三年には様々な国が子どもの本について話し合うための国際組織IBBY(国際児童図書評議会)も設立した。

現在の国際児童図書館

私が今会長を務めているJBBYも、一九七四年にIBBYの支部として発足し、「本、子ども、平和」をキーワードにし、ボランティアベースで多様な活動を行っている。詳しくはウェブサイトをご覧いただきたい。https://jbby.org

一九九八年に国際アンデルセン賞を受賞したアメリカの児童文学作家キャサリン・パターソンは、受賞スピーチの中で、「アメリカの図書館には自国で出版された本がすでにたくさん並んでいるせいか、外国からの翻訳作品も必要だということを忘れてしまいがちです。でも、私たちはアメリカの子どもたちに、イランや韓国・北朝鮮や南アフリカやセルビアやコロンビアやチリやイラクに暮らす友だちをあたえていかなければなりません。つまりどの国の子どもたちとも仲良くなってもらわなくてはなりません。人は、自分の友だちが暮らしている国に害をあたえようとは思わなくなるからです」と語っている。

こうした人たちの言葉は、子どもの本が平和につながりうることを示唆している。

子どもの本にかかわる人の中には、子どもがおもしろがればそれでいい、と考える人もいる。楽しい、おもしろいというのは、子どもの本にとって不可欠な要素だと私も思う。立派なテーマを掲げた本でもおもしろく読めなければ、子どもの本としては失格だ。でも、「おもしろい」というのは、表面的なおもしろさだけではないだろう。読んですぐは、ゲラゲラ笑ったりするようなおもしろさを感じなくても、子どもの心の中に種として残り、その種が芽を出し花を咲かせることもある。そういう種を持ったような本をつくっていければ、と私は思う。種には、平和の種もあれば、好奇心の種もあり、生きるエネルギーを生み出したり、ちょっと一休みするすべを学んだりするための種もあるだろう。

また平和を生み出すためには、偉い人に言われればそのまま従うような人ではなく、自分の頭で考え、自分の心で感じ、しかも客観的に判断できる人を育てていくことが必要だ。そのための種をまくには、本をつくる側の私たちも、これからはどんな社会が望ましいのかを、考えておく必要があるだろう。

本が売れるというのはうれしいことだし、出版を続けるためには重要な要素でもある。でも、それだけを考えていると、どんどん子どもの本は種なしの、中身も味も薄い消耗品になってしまう。つくり手の側が利益だけではなく、子どもの中で育つ種があるかどうかの質を見分けられる「目きき」になることも、とても大事なことだと思う。

それともう一つ。「理想的なことばかり言っていても始まらない。現実は違うのだよ」と言う人がいるが、子どもの本にたずさわる者としては、あえて理想を口にすることも必要だと私は思っている。(さくまゆみこ)

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『ジャングルジム』表紙

ジャングルジム

『ジャングルジム』をおすすめします。

良太が風来坊のおじさんにだんだんひかれていく「黄色いひらひら」、すみれが姉をいじめた子に“ふくしゅう”しようとする「ジャングルジム」、一平が離婚した父との新たな暮らしと折り合いをつけようとする「リュック」、まみが病死した父のカバンの中にあった色鉛筆で父との思い出を描く「色えんぴつ」、春木がお試し同居にやってきたおじいちゃんを心配する「からあげ」の5編が入った短編集。
どの物語でも、その時々に子どもが感じたこと、考えたことがリアルに描写されている。それぞれの子どもの個性が浮かび上がるだけでなく、おとなについても、ちょっとした言葉でその人の生きてきた道を伝えている。上質の文学。小学校中学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2023年3月25日掲載)

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『草原が大好きダリアちゃん』表紙

草原が大好き ダリアちゃん

『草原が大好き ダリアちゃん』をおすすめします。

世界のさまざまな地域の文化を、そこで生きる子どもを主人公にして紹介する写真絵本シリーズの一冊。今回の主人公は、味噌っ歯の5歳の少女ダリアちゃん。冬はマイナス40度にもなるロシアのシベリアで、家族とトナカイたちに囲まれて暮らす。自然の中にあってほとんどが手づくりという日常の衣食住を伝える写真からは、8か月も雪におおわれている厳しさも、広い草原を走り回ったりベリーやキノコを摘んだりする楽しさも、そしてダリアちゃんの「ここが大好き」という思いも、伝わってくる。小学校低学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2023年2月25日掲載)

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『ガリバーのむすこ』表紙

ガリバーのむすこ

『ガリバーのむすこ』をおすすめします。

戦場となったアフガニスタンを出て難民になった少年オマールは、嵐の海でボートから投げ出され、意識を失う。やがてオマールは、自分は砂浜に寝ていて、まわりを小人たちが取り囲んでいることに気づく。そこは、かつてガリバーが訪れたリリパット国だった。オマールは「ガリバーのむすこ」と呼ばれ、小人たちと友だちになってお互いの言葉や文化を学びあい、愚かな戦争をやめさせる。巧みな語り口に引っ張られて一気に読めるし、考えるきっかけも提供してくれる。小学校高学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2023年1月28日掲載)

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『おやすみなさいフランシス』表紙

おやすみなさいフランシス

『おやすみなさいフランシス』をおすすめします。

アナグマの子どもフランシスは、もう寝る時間と言われてベッドに入ってもちっとも眠くない。部屋の隅に何かいる? 天井のひびから何か出てくる? 窓の外で音がする? いちいち心配になって言いにいく娘に両親がていねいに対応してくれるのがいい。緑とグレーだけで描かれた、時代を超えるおやすみなさいの絵本。幼児から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年11月26日掲載)

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『ぼくたちはまだ出逢っていない』表紙

ぼくたちはまだ出逢っていない

『ぼくたちはまだ出逢っていない』をおすすめします。

英国人の父と日本人の母をもつ陸は学校で暴力的ないじめにあっている。母の再婚相手と暮らすことになった美雨は居場所を探して町をさまよう。樹(いつき)は生まれたとき穴があいていた腸の不調に今でも怯えている。不安を抱えたこの三人の中学生が、割れた瀬戸物を修復する金継ぎを通して触れ合い、時間をかけて美しい物を作り出す伝統工芸を知ることで新たな視野を獲得していく。中学生から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年11月26日掲載)

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『チャンス』表紙

チャンス〜はてしない戦争をのがれて

『チャンス〜はてしない戦争をのがれて』をおすすめします。

ポーランドに生まれアメリカで絵本作家になったシュルヴィッツは、幼い頃ワルシャワにあった家をドイツ軍の爆撃で失い、家族とともに旧ソ連国内、後にはヨーロッパを転々とさまよう。文章と絵からは、その旅が戦争、飢え、病、寒さ、迫害の連続で、死と隣り合わせだったことが伝わってくる。「おとうさんのちず」に描かれていた家族関係も詳細に語られているし、様々な困難を乗りこえてきたからこそ「よあけ」のようなさわやかで美しい絵本を描けるようになったことも、うかがい知れる。
思えば、ガアグ、センダック、レイ夫妻、八島太郎、そして彼のような海外にルーツをもつ画家が、アメリカの絵本の豊かな多様性を生み出してきたのだ。小学校高学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年10月29日掲載)

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『長い長い夜』表紙

長い長い夜

『長い長い夜』をおすすめします。

「ぼく」は、雄カップルがあたためた卵からかえった子どものペンギン。一緒に旅をしているのは、角を狙う密猟者に家族も友だちも殺され、人間への復讐を決意している地球最後のシロサイ。シロサイは、子どもペンギンに父親たちの話をしてやり、守り、一緒に戦禍を生き延びていく。生命や愛について、さまざまなことを感じさせ、考えさせてくれる。最近の韓国の作品は本づくりも内容も面白いのが多いが、異種交流のこの寓話もその一つ。世界のサイ5種は、実際にどれも絶滅の危機に瀕している。小学校高学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年8月27日掲載)

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『サリーのこけももつみ』表紙

サリーのこけももつみ

『サリーのこけももつみ』をおすすめします。

ここでこけももと言っているのは、ブルーベリーのこと。夏になり、お母さんと山にブルーベリーを摘みに行ったサリーは、途中で間違えてクマのお母さんについていってしまう。一方子グマはサリーのお母さんについていく。やがて気づいたお母さんたちはびっくり! 本文は一色刷りだが、子どもたちが大きなドラマを感じられるロングセラー絵本。4歳から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚』2022年7月30日掲載)

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『5番レーン』表紙

5番レーン

『5番レーン』をおすすめします。

小6の少女カン・ナルは、水泳部のエースと言われるもののライバルに負ける試合が続いて悔しくてたまらない。何か仕掛けがあるのかとライバルの水着を見ているうち盗んでしまったナルは、そこから自分の心の中の闇と向き合い、やり直そうとする。競泳をやめた姉のエピソードや、転校生テヤンとの初恋もからむ韓国の物語。夏向きのさわやかな挿絵もいい。小学校高学年から(さくま)

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年7月30日掲載)

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『た』表紙

『た』をおすすめします。

表紙に大きな「た」の文字。開くと、最初が「たがやす」で、「たいへん」や「たわわにみのる」を経て、おしまいが「たべる」。出てくる言葉が全部「た」で始まるし、「た」は田にもつながっている。この絵本には、田畑を耕して世話をして取り入れて食べるまでの過程が凝縮されている。人々は、殺虫剤を使わないとやってくる虫や動物から作物を守るために「たたかう」し、収穫の祭りも大いに「たのしむ」。絵から生命のリズムが伝わり、エネルギーを感じとれる。3歳から(さくま)

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「草のふえをならしたら』表紙

草のふえをならしたら

『草のふえをならしたら』をおすすめします。

まこちゃんがブイブイッとネギのふえを鳴らしたら、ブタがひょっこり顔を出す。ともくんが笹の葉をビブーッと鳴らすと、タヌキがおしょうゆの注文をとりにくる。すみれ組の子どもたちは桜の花びらでぴーっぴーっ、たえちゃんはカラスノエンドウのさやでプピッ、あっちゃんはドングリのふえをほーっ……野原や森でつんだ草や実や葉っぱを鳴らすと何かが起こって、子どもたちはウサギやキツネやアオバズクやカエルたちと不思議な世界に入り込む。
草笛をじょうずに鳴らすには練習も必要。自然とうまく付き合うのも同じ。でも、こんなに楽しいことが起こるならやってみたいな、と思わせてくれる八つのお話に、ゆかいな絵もいっぱい入っているよ。小学校低学年から(さくまゆみこ)

(朝日新聞「子どもの本棚」2022年5月28日掲載)

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子どもの本で平和はつくれる?

童心社が出しておいでの「母のひろば」2022年5月15日号に「子どもの本で平和はつくれる?」という原稿を書きました。

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『子どもの本で平和をつくる〜イエラ・レップマンの目ざしたこと』(さくま訳)の表紙絵昨年『子どもの本で平和をつくる』(小学館)という訳書を出した。この絵本には、IBBY(国際児童図書評議会)やミュンヘン国際児童図書館を創設したイエラ・レップマンという女性が登場する。レップマンはドイツに生まれたユダヤ人で、第二次大戦中はナチスの毒牙から逃れるため2人の子どもを連れて国外に避難していたが、戦後ドイツに戻って、子どもの本を通して平和を築いていこうと考えた。具体的には、まず世界の子どもの本を集めて展示会を開いたのだが、荒廃したドイツの子どもたちに文化の香りを伝えるだけではなく、本を通してほかの国の子どもたちと友だちになってもらえば、2度と戦争を起こしたりしなくなるのではないかという考えも、そこにはあった。

アメリカのキャサリン・パターソンも1998年に国際アンデルセン賞を受賞したとき、レップマンのこの考えに呼応して、「私たちはアメリカの子どもに、イランや韓国・北朝鮮や南アフリカやセルビアやコロンビアやチリやイラクに暮らす友だちをあたえていかなければなりません。どの国の子どもとも仲良くなってもらわなくてはなりません。人は、友だちが暮らしている国に害をあたえようとは思わなくなるからです」とスピーチしている。

子どもの本にかかわる人の多くは、レップマンを知る知らないにかかわらず、子どもの本で儲ければそれでいいとは思っていないはずだ。本を通して子どもの居場所が少しでも心地よくなったり風通しがよくなったりすればいい、と思い、戦争ではなく平和を願っているはずだ。レップマンの意志を継承しているIBBYの支部は、ウクライナにもあるしロシアにもある。ロシアは、前回のIBBY大会(「子どもの本の世界大会」)の主催国でもあった。

それでもロシア軍のウクライナ侵攻のようなことが実際に起こって、多くの人々が犠牲になってしまう。常軌を逸した権力者の前では、人道主義など何の力ももたないように思える。「子どもの本で平和をつくる」など、夢のまた夢のファンタジーかもしれないという疑いも生じてくる。

でも、それでも……。そう、私たちは思い直す。地震国の海沿いに、外からの攻撃に対して無防備な原発をたくさん並べておいて、核共有とか敵基地攻撃とか言っている政治家のほうこそ、現実を見ずにエセファンタジーに酔っているのではないか、と。子どもの本をつくる立場にいる私たちに、絶望している暇はない。子どもにとってどういう社会が実現すればいいのかを、これからも考えながら本をつくっていきたい。(さくまゆみこ)

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ジル・ルイス『パップという名の犬』表紙

パップという名の犬

野良犬たちを主人公にしたイギリスのフィクションです。家庭の中に居場所がない少年にとって、唯一愛する存在だった雑種犬の子犬パップ。でも、少年が学校に行っている間に、捨てられてしまいます。そして、野良犬として生きていかなくてはならなくなったパップの試練が始まります。獣医として働いていた著者の観察眼や描写は、さすがと思わされます。野良犬それぞれの個性が立ち上がってくるように描かれていますし、犬たちの目を通して人間社会の歪みも見えてきます。パップのことだけではなく、無理矢理愛犬を奪われてしまった居場所のない少年の行く末も気になりますが、最後はハッピーエンドです。

(編集:岡本稚歩美さん 装丁:川島進さん)

◆2023年読書感想画中央コンクール指定図書

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〈訳者あとがき〉

本書は、イギリスで二〇二一年に出版されたA Street Dog Named Pupの翻訳です。

著者のジル・ルイスさんは、環境や動物と人間との関係を書き続けているイギリスの作家です。日本でも、すでに『ミサゴのくる谷』『白いイルカの浜辺』『紅のトキの空』(以上評論社)、『風がはこんだ物語』(あすなろ書房)が出版されています。

ルイスさんは、小さいころから草ぼうぼうの庭で、虫や鳥に親しんでいたそうです。そのつながりで獣医になり、その仕事にはやりがいを感じていたものの、今の時点で職業を選ぶとすれば、環境科学を勉強して野生動物を保護する活動をめざしたかもしれないと言っています。

またルイスさんは小さいころから物語を作るのは大好きだったのですが、学校では物語を楽しむよりは、文章の分析、文法、正しいつづりなどを注意されるあまり、物語から遠ざかっていたそうです。それが自分の子どもに本を読んでやっているうちにまた物語が好きになり、その後、大学院で創作を学び、『ミサゴのくる谷』 でデビューしました。

『ミサゴのくる谷』は、鳥のミサゴがスコットランドの少年とアフリカ・ガンビアの少女を結ぶ物語です。『白いイルカの浜辺』は、行方不明の母親と働く意欲を失った父親をもつ少女が、脳性麻痺の気むずかしい少年フィリクスといっしょに、傷ついた子イルカを母イルカのもとへもどそうと奮闘する物語で、持続可能な漁業についても考えさせられます。『紅のトキの空』は、心のバランスをくずした母親と発達のおそい弟を抱えたヤングケアラーの少女が、居場所をさがす物語で、ショウジョウトキなどの動物が象徴的に登場してきます。『風がはこんだ物語』は、小舟に乗った難民たちが、舟の上でバイオリンをひきながら少年が語る、モンゴルの白い馬と馬頭琴の話に勇気をもらうという物語です。どの作品でも、人間の心理と動物たちがからみあって、読ませる物語になっています。

そしてこの作品は、人間と動物のかかわりをていねいに描いている点や、弱い立場の者たちに著者が心を寄せて書いている点はほかの作品と同じですが、野生生物ではなく都会に暮らす野良犬たちを主人公にしているところが、ほかとは違います。

その野良犬たちですが、レックスは、闘犬として相手を殺すよう訓練されていました。ルイスさんによると、強く見せるために耳も切られているそうです。「おれは、社会ののけ者なんだよ。怪物みたいに戦うための犬なんだ。だけどよ、おれが知ってる本当の怪物は、人間だけだぜ」という言葉が辛辣ですね。サフィは、愛してくれた家族から盗まれて繁殖犬をやらされ、病気になったので捨てられました。レディ・フィフィは、セレブ気取りで流行の犬を購入した飼い主があきて捨てられました。レイナードは、キツネ狩りに役立たないので頭に銃弾を撃ち込まれて殺されかけました。イギリスでは実際にキツネ狩りが行われていますが、このように殺されるフォックスハウンドは年間三千ひきもいるそうです。マールは、かしこい犬なのにこの犬種の習性を理解していない飼い主に、手に余るとして捨てられました。クラウンは元気が良すぎて捨てられたのでしょう。また、フレンチに関してもルイスさんには特別な思いがあるようです。人間の都合でマズルが短くされたパグ、フレンチブルドッグ、ボストンテリア、ブルドッグなどの短頭種(鼻ぺちゃの犬たち)は、健康上いろいろ問題があるのですが、イギリスではかわいいとして大いに宣伝されるので飼う人も多いそうです。イギリスでは多くの獣医さんや動物保護団体が、宣伝広告に短頭種を使わないように申し入れているとのこと。「利益よりも健康を」とルイスさんは言っています。

コロナ禍でイギリスでもリモートワークになり、家で子犬を飼う人もふえたので子犬の盗難も二・五倍にふえたそうです。また、安易に飼い始めた人がめんどうになったり、通勤が再開すると犬の世話ができなくなったりして、捨てる犬も多くなったとのことです。こんなところにもコロナ禍の影響が出ているのかと驚きましたが、日本ではどうでしょうか。

さて、本書の挿絵ですが、ちょっと素人っぽいとか、素朴だと思われた方もいらっしゃるかもしれません。絵を描いたのは、作者のルイスさんご自身です。ルイスさんはもともと絵が好きで、絵も描きながら物語の構想を深めていくそうです。必要なことをいろいろと調べたうえで書き始めるのだけれど、とちゅうでいろいろな場面や登場するキャラクターを線画で描いてみるとのこと。文字で書くときとちがう頭の領域を使うので、いろいろなことを思いついたり、もっと深く物語に入りこめたりする、とルイスさんは語っています。よく見ると、たしかにいろいろな犬種の特徴や表情をよくご存知の、獣医さんならではの味が出ていますね。

子どものころに、何をどう感じ、どう思っていたかを今でもよくおぼえているというルイスさん、これからもおもしろい子どもの本を書いてくださることを期待したいと思います。

さくまゆみこ

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〈紹介記事〉

・「西日本新聞」(おすすめ読書館)2023.04.10

ジャーマンシェパードの雑種パップは生後数カ月の子犬。吠(ほ)え癖があるため人間に捨てられ、愛する少年と引き離されてしまう……。動物をテーマに物語をつむぎ続ける作家が、都会に暮らす野良犬たちの運命に思いをはせた児童書。「人間と犬との間には〈聖なる絆〉がある」という。それは本当なのだろうか。さくまゆみこ・訳。

・「朝日新聞」(子どもの本棚)

子犬のパップは、ある雨の夜、飼い主によって「しかばね横丁」に置き去りにされる。途方にくれるパップを助けてくれたのは野良犬のフレンチだった。フレンチは人間に捨てられた仲間たちと一緒にいて、パップもそこで暮らすことになる。群れで生きる犬たちを個性豊かに描いているところに、作者の動物たちへの深い愛を感じることができた。母犬が子犬に語りついできたという人間との「聖なる絆」はあるのか。またパップはどうなるのか、はらはらしながら読んだ。(ちいさいおうち書店店長 越高一夫さん)

・大阪国際児童文学振興財団(動画):やすこぼんさんのご紹介です。

パップという名の犬(動画)

 

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2022年10月 テーマ:「記憶」を未来に伝えていくということ

日付 2022年10月20日
参加者 ハル、イヌタデ、花散里、すあま、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、オカピ、西山、ニャニャンガ、雪割草
テーマ 「記憶」を未来に伝えていくということ

読んだ本:

『パンに書かれた言葉』表紙
『パンに書かれた言葉 』
朽木祥/著   小学館   2022.06

〈版元語録〉2011年震災後、少女エリーは親戚のいるイタリアに少しの間避難する。おいしいものと温かい人たちに迎えられ人心地つくが、思いもよらない歴史に触れ、エリーの名前のSに込められた本当の意味を知ることになる。戦争を乗り越えて生きてきた人々の“希望”を描く、ヒロシマとイタリアをつなぐ物語。


『シリアからきたバレリーナ』表紙
『シリアからきたバレリーナ 』
キャサリン・ブルートン/著 尾崎愛子/訳 平澤朋子/絵   偕成社   2022.02
NO BALLET SHOES IN SYRIA Catherine Bruton, 2019
版元語録:シリア人の少女アーヤは、イギリスで難民認定を待っているところだ。内戦で住めなくなったシリアを脱出し、ようやくマンチェスターに辿り着いた。途中、小さなボートで海を渡る際に父と離れ離れになり、気力を失った母を支えながら赤ちゃんの弟をつれて、毎日、難民支援センターに通っている。ある日、同じ建物にバレエ教室があることに気づく。シリアでバレエを習っていたアーヤは、そこで明るい少女ドッティや先生ミス・ヘレナに出会い、踊ることで息を吹き返していく。希望とあたたかさと人間性に満ちた、2020年〈カーネギー賞〉ノミネート作品。

(さらに…)

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『シリアからきたバレリーナ』表紙

シリアからきたバレリーナ

コアラ:難民の少女が主人公ですが、明るさと美しさのある物語という印象でした。美しさがあるのは、やっぱりバレエを扱っているからだと思います。カバーのイラストがアラベスクのポーズだと思いますが、物語に出てくるバレエのポーズや踊りを想像しながら読みました。バレエのポーズなどの専門用語の注が、そのページか見開きの最後に書かれてあって、読みやすかったし、言葉で説明するのが難しい用語であっても簡潔に説明されていて、うまいなと思いました。明るさについては、特に後半から、住むところが提供されたり、オーディションにみんな受かったり、いじわるなキアラと最後に友達になれたり、家族でイギリスに住み続けられるようになったりと、何もかもうまくいくようになっていて、ありえない、という感じでしたが、私はこういう物語もあっていいと思いました。というのも、p 272の6行目にあるように、親切や寛大さというのがこの物語のテーマになっています。シリアの内戦や難民についてのひどい状況をそのまま伝えるノンフィクションも必要だけれど、一方で、親切が繰り返されることによって、世界がよりよくなっていく、希望のある未来につながっていく、というような本があってもいいと思いました。フィクションだからこそ、希望のある読書体験ができると思いました。あとがきやキーワードが最後に付いているのも、背景について理解を深められるようになっていていいと思います。あと、途中に挟まっている、ゴシック体の回想部分について。なんだか胸騒ぎのするような怖さがあって、内容的に、この後恐ろしい未来が待っているのが分かっているからかなと思いながら読んでいましたが、実はページの上に、グレーのグラデーションが入っています。それが胸騒ぎのする怖さを醸し出していたと気がつきました。

すあま:読んでよかったと思いました。現代の戦争と過去の戦争が入れ子のように語られるところが、『パンに書かれた言葉』(朽木祥著 小学館)と共通していました。厳しい状況の中で、子どもだけががんばるのではなく、大人たちが助け合っていくところがよかったです。アーヤと友達になるドッティが魅力的。恵まれた家庭環境でアーヤとは対照的だけど、彼女は彼女なりに悩んでいることがわかってくる。また、アーヤがイギリスにたどり着くまでに何があったのか、読み進むうちに徐々に明らかになってくるのも、謎が解けていくようで読むのがやめられなくなりました。大変なことがたくさん起こってハッピーエンドとなりますが、子どもの本なので読後感がいいのは大事だと思います。ウクライナの問題が起きている今、子どもたちがシリアで起きていること、過去に世界で起きたことに関心をもってくれるといいと思います。本を読みながら、登場人物と一緒に体験をして、いろんな知識が得られたり、興味が深まったりするような本が好きです。

雪割草:とてもいい作品でした。フィクションこそ、現実を伝える力があることをあらわしていると思います。エディンバラに留学していたときに、シリアから避難してきた難民の家族にインタビューして、証言の翻訳について研究していたことがあったので、シリア難民のことを伝える作品を紹介したいと探していましたが、なかなかいい作品が見つからないままでした。この作品は、難民になるというのはどういうことなのか、戦争の体験やその影響による心の傷など、それぞれがよく描かれています。そして、主人公がミス・ヘレナと出会い、前に進んでいくことができるように、人との出会いが大きいことも伝わってきました。p. 261にもあるように、心の痛みをダンスで表現することを通し、「心の痛みに価値をあたえる」、その過程が美しく、リアルに、等身大で描かれていると思いました。

西山:『明日をさがす旅』(アラン・グラッツ作 さくまゆみこ訳 福音館書店)を思い出しながら読みました。ミス・ヘレナと主人公の背景も、『明日をさがす旅』と重なっているということは、多くのシリア難民に共通する体験なのだろうと思います。以前、シリアの難民支援をしている方が、内戦がはじまる前のアレッポの写真を見せて下さったのを思い出しました。都内の通りかと思うような町並みなんですよね。そういう近代的な町が破壊される。最初からがれきの街なのではないということはとても大事な認識だと思います。p.69に「あたしは難民として生まれたわけじゃない」という言葉もあるように、この作品は、内戦の前の日常も回想されて、最初から戦場や難民が存在するわけではないというあたりまえの基本をきちんと腑に落としてくれる。それに、クラシックバレエという切り口も、「難民」を貧しくて、文化的に劣っているイメージで捉える偏見を砕くのにとても効果的だったと思います。そして何と言ってもドッティがいい! おしゃべりで、よく失敗すると自覚しながら、アーヤに対してはらはらするほど率直に話しかけていく。例えば、p.195でドッティの豪邸に招いたとき「アーヤの家って、どんなだった?」なんて聞いてしまうのは、「ここでそれ聞く? 難民の子に?」と思ってしまいますが、ドッティのこの率直さがアーヤと対等な関係を拓いています。これは、日本のティーンエイジャーにとって、とても素敵なお手本になると思います。出会えてよかったです!

ニャニャンガ:イギリスに来てからの話と、シリアから逃れてきたときの話が交互に書かれているので、読者をひきつけるいい形式だと思いました。また、シリアからイギリスにたどりつくまでのページでは上部が黒くなっているのは象徴的に感じました。難民申請についての説明がていねいで勉強になりました。読んでいるうちに、アーヤを応援する気持ちになりましたし、読後感がとてもよかったです。バレエ教室の先生のミス・ヘレナ自身が経験して受けた苦悩が、アーヤのものと重なり、力になったことで前に進むきっかけとなり、安心しました。ただ、表紙がかわいらしくて内容とかみあわず読者を逃している気がします。また、一文に読点が多すぎる箇所があり読みにくさを感じました。

オカピ:とても好きな作品でした。英語圏でも難民をテーマにした本はたくさん出ていますが、読んでいてつらくなるような本も多いです。でも、この本が現実の厳しさを描きつつも、暗くなりすぎないのは、アーヤにはバレエという、すごく好きなものがあって、それに救われているからだと思うし、またドッティや年少クラスのちびっこの描写など、ところどころにユーモアがあるからでは。あと、「わたしたちは、誇りをもって傷をまとう」(p. 87)というミス・ヘレナのせりふもありましたが、難民をけして、一方的に助けられるだけのかわいそうな人たちというふうに描いてないのがよかった。バレエで自分の物語を語るというのが、ストーリーの中ですごく効果的に使われていますね。アーヤはたくさんの喪失を越えて、悲しみや痛みを力に変えます。そして新たな出会いの中で、自分の居場所を見つけていきます。ミス・ヘレナが「この世を去った人たちや、いまだに苦しみつづけている人たちとの約束をやぶることなく、生きていく方法はある」「約束を守る方法は、最初に思ったよりもたくさんある」(p. 262)と語るところなど、読んでいて胸がつまるような場面がいくつもありました。

ハリネズミ:とてもおもしろかったし、難民のことを身近に感じられるいい本だと思います。回想部分と、現在の部分でページの作り方を変えてありますね。回想部分では、アレッポでの中流階級の楽しい暮らしとそれが変わってしまった困難な状況が描かれ、現在進行中の部分では、ボランティアに頼っての英国の難民対応の問題や、バレエに心を向けることによって困難を乗り越えようとするアーヤの心情が描かれています。その2つが交互に出て来ることによって、物語が立体的に感じられます。でも、ごちゃごちゃにならないように工夫してあるんですね。それと、かわいそうにという同情や憐れみが、どんなに人を傷つけるかも書かれているのもリアルで、この作品の骨格がしっかりしていることを物語っています。ほかに日本とは違うなあと思ったのは、有名なバレエスクールのオーディションを控えた子どもたちが結構くつろいでいたり、ほかの企画を立てたりしているところ。ちょっと惜しいと思ったのは、最後がうまくおさまりすぎだと思えた点です。いじめていたキアラと和解し、三人とも入学が許可され、しかもドッティは新設のミュージカルコースに行けることになった(コース設置が決まっているのに知らなかったなんてあり得る?)うえに、パパまで現れる(これは空想かもしれないのですが)? もう一つ、ジェンダー的にちょっとひっかかったのは、p.91の「やっぱり女の子たちの得意技は、ペナルティーキックではなくビルエットだった」という箇所で、「女の子たち」一般ではなく「この女の子たち」だったらよかったのに、と思いました。訳の問題かもしれませんが。

アンヌ:最初は読むのがつらく何度も本を置きました。果てしなく待たされる難民支援センターで、主人公の少女に課せられた弟の面倒や母の通訳と看病等々を見て行くのは、つらくて。けれども、バレエ教室にふと足を踏み入れ、ドッティという友人もできるあたりから、ルーマ・ゴッテンの『バレエダンサー』(渡辺南都子訳 偕成社)や『トウシューズ』(渡辺南都子訳、偕成社)を読んできた身としては、どんなことがあろうともこの子は踊り続けるだろうと思えて読んでいけました。園内にシカのいるバレエ学校ってところは、絶対、ルーマ・ゴッテンへのオマージュですよね? それにしても主人公のたどってきた過酷な道程の記憶が、バレエの道が切り開かれていくにつれ、よみがえって来るというこの物語の仕組みは見事ですが、きつい。読みながら、今、難民として日本に辿り着いた人々も様々な道程を経てきているということを肝に命じておかなくてはならないなと思いました。最後にあっさりパパに会えたとしなかった作者の思いを、読者はあれこれ考えていく終わり方で、それも心に残って忘れさせない仕組みだなと思いました。

ハル:特にラストで胸を打たれて、この本に出合えてよかったなぁと思いますが、この本を子どもたちがラストまで読むには、これだけいろいろ工夫がされていてもなお、ハードルが高いかもしれないなぁと思いました。物語としては、ずっと意地悪だったキアラの心を「不安だったんだ」と気づかせてくれたところもとても良かったです。やはり、文化の違うところから来た人たちとか、難民への偏見をなくすには、まずは知ること、知ろうとすることが大事だったんだと気づかせてくれます。ふと、もしもアーヤが、真剣は真剣でもバレエの才能はまったくなかったら、ここまで道は開かれなかったのだろうかとか、ブロンテ・ブキャナンもアーヤが娘と一緒にレッスンを受けることを認めただろうかと思ってしまいました。その場合は、芸術の道は同情では開けないというお話になったのかな……それは、それで、別のテーマになるか。

エーデルワイス:総合芸術と言われるバレエをテーマにしたのは、世界中の人が同時に共感感動できるからなのですね。作者自身バレエが好きでバレエを習ったことがあるので、バレエレッスンなどの描写がよく伝わってきました。表紙、イラストには好みがあると思いますが、この表紙に惹きつけられて手に取った子どもたちが最後まで読み進めてほしいと願います。シリアのアレッポからコンテナ列車、トルコのイズミル、地中海を渡りキオス島、難民キャンプ・・・ロンドンに辿り着くまでの気の遠くなる程の長い道のり。その間主人公のアーヤはバレエのレッスンをしていなかったのにも拘らずバレエの才能を発揮するのですね。
昨年東京はじめ日本各地でウクライナのキエフ(キーウ)バレエ団のガラコンサートが開催されました。私は盛岡で観劇しました。前の列にはウクライナ人と思われる若い女性が数人ウクライナの国旗を掲げて応援していました。このガラコンサートはリハーサルをバレエ教室に所属している子どもたちに無料で招待して交流を図っていました。最近のニュースで知りましたが、コロナ禍で3年ほど延期されていたロシアバレエ団の東京公演開催には賛否両論があったそうです。芸術には罪はありませんが、ウクライナに侵攻攻撃しているロシアに対してはバレエ公演でも複雑な気持ちになります。

花散里:ドイツ、キューバ、シリアの難民の子どもたちが、それぞれの故郷を追われ、旅立った姿を描いた『明日をさがす旅』でも、日本の子どもたちに読み易いように工夫され編集されたことをお聞きしましたが、本書も〈注〉の付け方や回想の部分のページを工夫しているので小学校高学年の子どもが読むときに読みやすいのではと感じました。挿絵が助けになるのではないかとも思います。表紙裏の地図も難民として主人公が辿った道のりが伝わってきて、とても良いと感じました。
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが8月20日の朝日新聞・読書欄の「ひもとく」、「戦争と平和3」に『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著 三浦 みどり訳 岩波現代文庫)などとともに本書を取り上げていて、一般書を読む人たちにも知ってもらえたのが良いと思いました。病弱な母親や小さな弟の面倒を見るヤングケアラーのようなアーヤが、バレエをするときに弟を預かってもらって、ほっとする場面など、心の機微が伝わってくるところも心に残りました。

エーデルワイス:作中に出てくるシリア出身のバレエダンサー『アハマド・ジュデ』の動画を観たんですけど、瓦礫の中で踊ってました。彼は、お母さんがシリア人で、お父さんがパレスチナ人なんですね。お父さんにバレエを反対されながらも意思を貫いて踊り続け、現在はオランダ国籍を取得しているそうです。

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しじみ71個分(メール参加):とても胸を打つ物語でした。どうしても「難民」という言葉で、戦争などでひどい目にあって、故郷を追われた「かわいそうな」人々というイメージを想起してしまいがちですが、この物語を読んで、「難民」という一つの言葉で人々をくくってしまうことがいかに乱暴なことなのかに気付かされました。「難民」という言葉は、ただ置かれた環境を指すだけなんだなぁと。母国からの過酷な逃避行の前には、温かな家庭や友だちとの楽しい時間、充実した学校や職業生活などが普通の人生があったんだ、という当たり前で、とても大事なことを思い出させてくれましたし、穏やかな日常や生命を暴力で奪い去る戦争がどれほど非人道的なものなのかを改めて実感しました。バレエを愛するアーヤがイギリスでバレエと再び出会い、第二次世界大戦でナチスの迫害を逃れてプラハからイギリスにやってきたバレエの先生、ミス・ヘレナと出会ったことにより、住む家を得て、難民申請もかない、バレエ学校にも入学でき、そしてパパを失った悲しみとも向き合いながら、生きる希望を見つけていくという物語展開に、読む人も希望を感じられます。アーヤと友だちになるドッティの存在もとてもよかったです。ドッティは明るく、物おじせず、「難民」だからという型にはまった考え方をせずに、アーヤに向き合い、友だちになろうとする姿がとてもさわやかでした。過酷な環境にある人を、腫れ物に触るようにしてアンタッチャブルな存在にしてしまうより、ときどきコミュニケーションに失敗しても、率直に突っ込んでいく方がいいんじゃないかとも思わされました。アーヤのトラウマやパニックの苦しさや、ドッティのミュージカル俳優になりたい思いと、有名なバレエダンサーの母の期待との間での苦悩など、少女たちのそれぞれの苦悩もとてもていねいに描かれていて、共感できました。尾崎愛子さんの翻訳は華美ではないのに、やさしく、ナチュラルで、胸にすとんと落ちる感じでした。原文は分からないですが、ミス・ヘレナの「わたしたちは誇りをもって傷をまとうの」という言葉がぐっと胸に迫りました。美しい言葉だと思います。こういう物語を読むと、日本の難民認定の率の非常な低さや、入管での痛ましい事件なども思い出されて胸が痛みます。

(2022年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

 

 

 

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『パンに書かれた言葉』表紙

パンに書かれた言葉

ハル:「あとがき」に、著者自身への問いとして「物語ることが先か、伝えることが先か」がある、と書かれていますが、ほんとに、そこだなぁと思いました。エリーと同じ中2、中3の子がこの本を読み切るのは、なかなか骨が折れるんじゃないかなと思いもし、でも、だからってこういう本がなくなってしまったら困りますし……。この本に限らず、伝えるための本を、売れる本に仕上げていくというのは、大きな課題だなと思いました。それは置いておいても、『シリアからきたバレリーナ』(キャサリン・ブルートン著 偕成社)もそうですが、今月の本は2冊とも、つらい体験を語ることや、伝えていくことは何のためなのかということを気づかせてくれる本でした。語ること、伝えることは、希望なのですね。

アンヌ:もしかすると、朽木さんの本で私はいちばん好きかもしれません。まず、震災の後の不安の日々の状況を、書いてくれたのがうれしい。水一杯でさえ、汚染されているのではないかと恐怖に震えながら飲んだ日々を忘れてはいけないと思うから。そして、その状況から離れてイタリアに行くところも、いったん恐怖と痛みから話がそれて、不安から過食に走った主人公が、おいしものを食べられるようになるところが好きです。さらに、イタリアで少しずつ物語られる形で話が続くのもいい。いっぺんにすべては重過ぎるし、推理したりする余地があって想像力が膨らみます。そして、イタリアの少年にしろ広島の少女にしろ、生きていた人たちの姿が今回は、生き生きと描かれているのも、読んでいて心が温まる原因かもしれません。おいしいこと楽しいこと、生きることのすばらしさをきちんと味わいながら、忘れないで生きていくことこそが死者への敬意になるのではないかと思うからです。呆然と頭を抱えこまず、詩や言葉を味わって生きていくこと。これこそ「希望」なんだなと主題を感じずにはいられませんでした。

イヌタデ:まず、被爆二世として、一貫してヒロシマのことを書いてきた作者に敬意を表したいと思います。私は柴崎友香さんの『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)という作品が好きなのですが、その作品の主人公は第二次世界大戦の被害があった土地、自分の祖父がいた広島、テレビに映る世界の戦場といった「わたしがいなかった街」に思いをめぐらし、時間という縦軸、距離という横軸の同じグラフの上にいる自分の位置を確かめていきます。もちろん朽木さんとは伝えたいことが違っているとは思うのですが、通いあうものを感じました。小さい読者が、戦争を遠い過去のことと感じるのではなく、自分も位置こそ違え、同じグラフの上に立っていると感じることが大切だと思いますので。また、パオロのノートや真美子の日記をはさんでいるのも、巧みな手法だと思いました。モノローグで書かれたものを入れることによって、ナチスと原爆の犠牲者である二人の声と主人公の思いを結び、さらに読者との距離も近いものにしていると感じました。
ただ、作者もあとがきで、物語ることと記録することについて少しだけ触れているのですが、物語として、文学作品として読むと、もやもやしたものが残りました。偶然にも、昨夜読んでいた東山彰良さんの小説『怪物』(新潮社)のなかに、その「もやもや」をはっきり言葉で表した下りがありました。主人公の作家が「戦争は小説のテーマになりえますか?」と問われるのですが、「どうでしょう……個人的には結論がひとつしかないものは小説のテーマになりにくいのではないかと思います」と答え、さらに「結論がひとつだけなら、どのように書いても、解釈もひととおりしかないということになります。それはとても国語の教科書的なものです」といってから「ただし、戦争という題材はずっと書き継がれるべきだと思います」と述べます。「そこで作家は戦争を勇気や受難の物語にすり替えて書きます。そこでは戦争は人間性を試す極限の状況を提供するだけなので、ユーモアが生じることもある」とも。
それからもうひとつ、戦争は被害と加害の両面を持っていますが、当たり前のことですが子どもたちはいつも被害者です。ですから、児童文学でも、被害者である子どもたちの姿が描かれることが多いわけです。でも、それだけでいいのかなと、いつも思ってしまうのです。リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』(上田真而子訳 岩波少年文庫)、ウェストールの『弟の戦争』(原田勝訳 徳間書店)、モーパーゴの短編『カルロスへ、父からの手紙』、日本では三木卓『ほろびた国の旅』(講談社ほか)、乙骨淑子『ぴいちゃあしゃん』(理論社)など、戦争を多面的に捉えようとしている作品もあるのですが……。

ハリネズミ:緻密に構成された作品で、福島、広島、ヨーロッパをつなぎ、また過去と現在をつないでいます。子どもたちに戦争を身近なものとして感じてほしいという、著者の思いも伝わってきます。とてもよくできた物語で、おとなにも読んでもらいたいと思います。あえて斜めから見ると、登場人物たちの役割がはっきりしていて、意外なことをする人は出てこないので、安心して読めるのですが、読者も著者が設定した結論に向かって歩かされている感じが無きにしもあらずですね。それと、もう少しユーモアがあってもよかったかも。パルチザンとか白バラとか、おとなはわかりますが、子どもは息がつまるかもしれないですね。

オカピ:言葉の力をテーマに、イタリアのパルチザンやミュンヘンの白バラの活動をつなげ、福島の原発事故から広島の原爆までたどっていくという構成が、見事だなと思います。収容所で亡くなった子どもたちは、広島で亡くなった子どもたちの姿に重なり、心におぼえていくこと、伝えていくことについて書きたいという、作者の思いもよくわかりました。参考文献の量からも、長年の構想の集大成として書かれたのだな、と。ただ、読み手が引っかからないようにしたいという意図もわかるのですが、「ユーロ」や「牧童」にまで註がなくてもいいような……。これは、読書に慣れている子が手にとる本ではないかと思うので。また、目次の前のページのフランス語の引用は、参考文献を見ると、おそらくオリジナルがイタリア語だった本の英訳からで、下の英語の説明部分は訳されていません。フランス語の引用はこれでいいと思いますが、英語の説明部分はそのまま載せないで、日本語にしたほうがよかったのでは。

ニャニャンガ:巧みな構成で夢中になって読みました。主人公の光が日本からイタリアにわたり、現地の人から話を聞く設定なので、物語に入りやすかったです。ノンナから聞いたパオロの話とパオロが残したノート、祖父から聞いた真美子さんの話、そして真美子さん自身の日記が絡み合い、光の心にしっかり残ったことで読者もメッセージを受け取ったと思います。父親が日本人、母親がイタリア人の自分のことを「国際人」という表現が新鮮でよかったです。ひとつ疑問に思ったのは、主人公は春休みに行ったはずなのに、その年のバスクア(復活祭)は4月24日で終わっているという点でした。

ハリネズミ:そこは、私もおかしいと思いました。時系列が合わなくなりますよね。

西山:第二次世界大戦に関して、ドイツのことは児童文学でも映画でもたくさんの作品に触れてきましたが、イタリアについてはそれに比べて圧倒的に知識が不足していたので、まずは、その情報が新鮮でした。この作品からは離れますが、イタリアの児童文学が第二次世界大戦をどのように伝えているのか知りたいです。本作に関しては、朽木さん、思い切ったなと。『八月の光』(偕成社/小学館)など、とても小説的で文学性が高い作品の方ですよね。それが、あとがきからわかりますが、「物語ること」と「伝えること」の間で悩みながら、この作品では「伝えること」に軸足を置くことを選ばれた。「3.11」に関しても、登場人物と同年代の14歳の子たちは直接体験としての記憶はほぼ無いといっていいでしょう。だから、戦争だけでなく、東日本大震災直後の空気も、伝える素材に入っているのだと思います。「伝えること」として、日本が、ドイツ、イタリアと同盟したファシズム陣営だったことは、はっきり書いてもらった方がよかったかなと思います。第2部の広島のエピソードからは被害側の印象で終わってしまうので。イタリア語、日本語、広島弁、残された記録……と多声的ですが、それがカオスとなるイメージはありませんでした。それにしても、日本では抵抗運動なかったのか、出てくるのが与謝野晶子だけというのは、改めて考えさせられます。

ハリネズミ:イタリアのパルチザンのことは、『ジュリエッタ荘の幽霊』(ビアトリーチェ・ソリナス・ドンギ作 エマヌエーラ ブッソラーティ絵 長野徹訳 偕成社)にも出てきましたね。

雪割草:イタリア、広島、福島とすごく盛りだくさんの作品だと思いました。あとがきにもあるように、作者の「伝えなければいけない」という強い意思が伝わってきました。ただ、説明的にも感じました。中高生が読むかな? おもしろいかな?というのは疑問に感じていて、私が子どもだったら読まないと思います。当事者の語りの章は見事でした。全体を通し、「言葉の力」を強調していますが、その大切さがあまり心に刻まれませんでした。

すあま:1冊の本にしては、いろんなテーマ、トピックを詰め込みすぎている感じがしました。イタリア編、広島編として上下巻のようになっていれば、それぞれの物語をもう少しゆっくり味わえたのではないかと思います。p.109に父親から、「災害」という言葉には人為的なものも含まれる、という言葉が送られてきていますが、これがこの物語の柱にもなっているのかなと思いました。主人公は東日本大震災を経験した後すぐにイタリアに行って、そこでホロコーストやパルチザンの話を聞く。さらに夏には広島に行って被爆者の話を聞く、ということになっているけれども、そんなに次々と重い話を聞き続けるのは自分だったら耐えられないかもしれないと思いました。また、主人公は「聞き手」で終わっていて、もっと気持ちの動きとか、内面の成長を描いてほしかったです。父親が広島出身、母親がイタリア出身という設定も、両方の実家へ行って話を聞くための設定のようで、主人公のアイデンティティなど、せっかくの設定が生かされていないように思いました。興味深い話、大事な話がたくさん盛り込まれていますが、情報量が多すぎて、逆に登場人物の魅力や物語のおもしろさの面で物足りない感じがしました。

コアラ:内容が盛りだくさんで、テーマも重く、読むのにエネルギーがいる本でした。主人公のエリーについて、p.180の9行目に「自分のなかの、自分でもよくわからない部分にスイッチが入ったみたいになったのだ」という文章がありますが、今、ロシアのウクライナ侵攻があって、テレビで毎日戦争状態の映像が流れています。エリーみたいに、スイッチが入ったみたいな状態の子どもがいるかもしれません。そういうタイミングの子にとって、この作品は、それに応える本になると思いました。それから、この本のイタリアの舞台が、フリウリという地域で、前回読んだ本の舞台でもあったので、馴染みのある地名だなと思いながら読みました。地図があるとよかったかもしれません。あと、注について。章の最後に注がまとめられていて、読んでいてすぐに参照できないので、読みにくいなと思っていましたが、たとえば、p. 259の「ショア記念館」などは、きちんと読んだ方がいい項目ですし、文章の中で読み飛ばさず、注でいったん立ち止まって考えを巡らす、という意味では、章の最後に注をまとめる、という方法も案外効果的だなと思いました。

エーデルワイス:花散里さんが選書してくださり、感謝しています。選書担当だったのに楽をしてしまいました。表紙の絵も内容も美しいと思いました。作家は作品を仕上げるために資料を集め、読み解きますが、最後に掲載された膨大な資料参考を見ると、被爆二世の朽木祥さんの使命感、今ここで書かねばならないという強い意志を感じます。最近出た、こどものとも2022年10月号『おやどのこてんぐ』(朽木祥作 ささめやゆき絵)は昔話をモチーフにした楽しい絵本です。重厚な物語のあとは楽しいもの、このようにして作家の方は精神のバランスを保っているのかしらと想像しています。

花散里:朽木祥さんの作品はとても好きです。本作品も刊行されてすぐに読みました。 「イタリア」と「ヒロシマ」、二つの物語として、それぞれのストーリーをもっと深く、とも思いましたが、あまり長編になると子どもは読めないかなとも感じました。『八月の光』(小学館)もとても良い作品ですが、子どもたちにどのように手渡したら良いのかといつも思っています。本書は表紙が素敵な絵で良いですし、タイトルにも興味が湧くのではないでしょうか。子どもに手渡しやすい本だと思いました。確かに内容は盛り沢山ではありますが、これ以上、詳しくすると中高生が読むには大変なのではないかと思います。3.11、イタリア、ヒロシマを取り上げ、物語の構成、展開の仕方がとても良い作品だと思いました。イタリアの児童文学で手渡していけるものが少ないので、イタリアの作品をもっと読んでみたいという子どもが出てくると良いのではないか、とも感じました。広島の本町高校の高校生が、高齢の被爆者から話を聞き、絵を描いて原爆資料館に展示されていることも思い返しました。被害者、加害者の視点からも描かれていて、「あとがき」からも朽木さんのこの作品に対する思いが伝わりました。

オカピ:先ほど、子どもが加害者の視点で描くのは難しいという話がありましたが、パオロは、パルチザンの活動で亡くなった市民の数を書きのこしているので、この本ではそうした点にも目配りされているのかと。

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しじみ71個分(メール参加):戦争体験を語り継ぐという、難しくかつ大変に重要なテーマに取り組まれた力作だと思います。第二次世界大戦について、ドイツに近い北部イタリアの人の視点で語るというのも新鮮でした。ファシスト政権下でのユダヤ人迫害については知らないことが多く、学ぶところが多かったです。日本人の父とイタリア人の母を持ち、それぞれの国の戦争の記憶を祖父母から引き継ぐ主人公エリーのミドルネームが、「希望」という意味のイタリア語であり、レジスタンスとして17歳で処刑された大叔父のパオロが血でパンにしたためた言葉と同じであったという結末はとても見事だと思いました。同時に気になった点も少しありました。エリーが祖母エレナから戦争体験を聞くことになったきっかけが、東日本大震災からの逃避であったということです。エリーの心の持ちようの変化のきっかけとして震災体験が位置付けられているのですが、その後、震災について物語の中で深められることがなかったように感じました。震災とのつながりは、戦争が人によって起こされる災害、人災であるという点以外にあまり感じられず、震災の扱いが軽いように思われたところです。2つ目の点は、イタリアの戦争の記憶についてていねいに語られていますが、やはり広島の真美子の被爆体験の方がリアルで胸に迫ったということ、3点目は戦争体験は、生き残った人が語り継ぐしかないわけですが、サラとパオロ、真美子の、戦争で命を落とした当事者たちの描写が挿入されてはいるものの、それで戦争で亡くなった人たちの気持ちに寄り添えるほど深いところまでは読んで到達できなかったような気がします。そのため少し中途半端な印象が残ってしまい、傍観者的な感覚が物語に漂ってしまった気がします。4点目は、広島の方言にすべて注釈がついていたのが少し煩雑でした。全部わからなくてもいいのにな、もう少し流れるような雰囲気を味わいたかったなと思いました。5点目は、震災によって引き起こされた放射能被害を避けて海外に避難できてしまうという設定に、お金持ちなんだなぁと思わされてしまったこと、そして6点目が、エリーの存在が戦争体験を受けとめる媒体に特化してしまって、あまりエリー自身の人柄や思いが色濃く描かれなかったような気がした点です。とは言っても、戦争経験を次世代に語り継ぐという、とても難しい課題に取り組んだ意欲作ですし、広島の描写にはやはりうならされました。子どもたちと読んで語り合いたいと思う物語でした。

(2022年10月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年09月 テーマ:反発と自立-親子って楽じゃない

 

日付 2022年09月20日
参加者 ハル、ルパン、アカシア、エーデルワイス、コアラ、アンヌ、しじみ71個分、まめじか、さららん、サークルK、雪割草、(末摘花)
テーマ 反発と自立-親子って楽じゃない

読んだ本:

『タブレット・チルドレン』表紙
『タブレット・チルドレン 』
村上しいこ/作   さ・え・ら書房   2022.02

〈版元語録〉1人1台タブレットの時代。あたえられた課題はなんと子育て!? 生徒2人がペアになり、タブレットの中で人工知能の子どもを育てるという。心夏と温斗のペアがさずかったのは、超毒舌小学生マミだった…。


『13枚のピンぼけ写真』表紙
『13枚のピンボケ写真 』
キアラ・カルミナーティ/作 関口英子/訳   岩波書店   2022.03
FUORI FUOCO by Chiara Carminati,
〈版元語録〉第一次世界大戦時の北イタリア。父と兄たちが戦場へいったあと、13歳のイオランダと妹は、母親とも離ればなれになってしまう。戦争が激しくなるなか、家族の秘密を知った姉妹は、祖母を探す危険な旅を決意する……。もつれた家族の糸をほぐし、生きる力をつかみとっていく少女の感動の物語。ストレーガ賞児童書部門受賞作。

(さらに…)

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『13枚のピンぼけ写真』表紙

13枚のピンボケ写真

ルパン:これもおもしろかったです。『タブレット・チルドレン』(村上しいこ作 さ・え・ら書房)とはちがう、Interesting の方のおもしろさですね。ただ、この13枚のピンぼけ写真、実は実在する写真で、それが最後に出てくるんじゃないかと思いながら読んだのに、結局何も出てこなくて、肩すかしをくらった気分でした。このご時世なので、どうしても読みながらウクライナ侵攻を思わざるを得なくて、ふつうの生活がどんどん戦争に侵されていく恐ろしさを感じました。物語は、結局主人公もそのまわりの人々も誰一人犠牲になることなく終わるのですが、ほっとすると同時に、ハッピーエンドでよかったのかという、割り切れない気持ちも残りました。戦争で多くの人が命を落としたことは間違いないはずなのだけど、児童文学だから、ここに出てきた人はみな無事でした、で終わってよかったのか、それとも、子どもたちにも、現実はそう都合よくはいかないということに向き合わせて、戦争は絶対にしてはいけないと伝えるべきなのか……ここはみなさんのご意見も伺いたいところです。

さららん:1か月前に読んだ印象をお話しすると……。以前もこの会でイタリアの『紙の心』(エリーザ・プリチェッリ・グエッラ作、長野徹訳、岩波書店)を読みましたが、イタリアの作品では恋愛の要素が重要なんだ、とまず思いました。今回の作品でもサンドロがちょいちょい出てきて、主人公の少女イオランダにちょっかいを出します。(後半ではそのサンドロが主人公の心の支えになりましたね。)もうひとつ思ったのは、知らなかった歴史の側面を教えてもらえた、ということ。この作品はオーストリアで戦争が起きると、すぐにイタリアに帰らざるをえない貧しい家族を取り上げています。国境を行ったり来たりして暮らし、戦争になるとまっ先に被害を受けるヨーロッパの人たちの話をあまり読んだことがなくて、新しい歴史の見方がありました。家を追われたイオランダと妹が身を寄せるのは、目の見えないアデーレおばさん。おばさんは堅実に暮らしていて、障碍のある人が、社会で当たり前に受けいられてきたことに好感が持てました。イオランダたちの状況は悲惨で、母親は逮捕され、自宅にも住めなくなり、その後の旅も苦労の連続ですが、登場する人物の温かさに救われます。反発しあっていたお母さんとおばあちゃんが、戦争の中で再会して、和解していく。戦争は悪いことだけれど、悪いことばかりではない。絶望的な戦争のなかに人間の希望の物語があり、若い読者に自信をもってお薦めできる作品だと思いました。ただ、イラストで入っているピンぼけの写真の意味が読み取れなくて……。みなさんの意見を聞きたいです。

アカシア:私は出てすぐ読んだのですが、細部を忘れていて、もう1度読み直しました。戦時下にあっても、名前も知らなかったアデーレおばさんと会い、いないと思っていた祖母に出会い、出産に立ち会い、オーストリア兵に遭遇するなど、子どもはいろいろと見たり聞いたり吸収したりしていって、そう簡単には戦争につぶされないんだというところが描かれているのがとてもおもしろかったです。この挿絵ですが、まったくの抽象模様になっているので、意味があるのかと思って目をこらしているうちにフラストレーションがたまりました。訳文で気になったのは、p.66に「ホバリングというのは、飛んでいる鳥が翼をすばやく動かして、体をほとんど垂直に起こしながら、空の一点で位置を変えずに静止している状態」とありますが、これは違うと思います。ハチドリの場合は垂直ですけど、ワシ・タカ類などは水平なのでは?

まめじか:「戦争はわたしたちの首すじに息を吹きかけ、家々から男たちを吸いあげて連れ去ってしまう。そうして、かみくだいた骨だけを吐き出すつもりらしかった」(p.35)、「戦争という獰猛な鳥は、それからもしばらくわたしたちの頭上でホバリングを続け、一九一七年八月のある日、恐ろしい勢いで急降下してきた」(p.66)など、戦争の暴力性を詩的な言葉でとらえていますね。「兄さんの目にくっきりと映っているのは、戦闘や司令官、敵兵、それに勇気や名誉だけ。わたしたちはその背景に追いやられ、ピントがぼけ、ほとんど見えないくらいにかすんでいた」(p.116)とありますが、この本が描いているのは、戦争が壊す日常で、その1コマ、1コマが、ぼやけた写真に目を凝らすうちに見えてくる。戦争中に流れるデマや検閲など、ちょっとした描写にもリアリティがあります。気になったのは、9歳だったイオランダが人前でサンドロにキスされて、「わたしは、泥のなかでとけてしまうか、地面の割れ目にのみこまれるかして、いなくなりたかった。皮がむけるくらいにくちびるを何度もこすりながら、その場から走り去った。恥をかかされたことに対して、猛烈な怒りがこみあげた」(p.19)というふうに感じたと、書かれていることです。たとえばアメリカや、今は日本でも徐々に、子どもが小さいときから性的同意について教えようという流れがあって、そういう絵本もいろいろ出版されています。この作品の時代設定は昔ですが、読むのは現代の若い人たちなのだから、原書か翻訳で配慮するか、もしくはあとがきでフォローしたほうがよかったのでは。最終的に二人は結ばれたのだから、もしかしたらイオランダも実はまんざらではなかったのかもしれませんが、でも、この時点では、一人称の語りを読むかぎり、本当に嫌だったように読めるので。

コアラ:この本は第一次世界大戦の話だけれど、男の人たちが戦争にかりだされ、残った人たちも爆撃を受けて、街がめちゃめちゃに破壊される、というのは、まさに今も起こっていて、とても戦争を身近に感じながら読みました。人も動物も無残に死んでいく中で、お産婆さんの仕事という、命を取り上げる仕事が、とても尊いものに思えました。というか、生と死を対比させるように描いているのかなと思いました。主人公のイオランダは、この旅でいろいろなものを得たと思いますが、カバー袖の文章にもあるように、「もつれた家族の糸をほぐす」という旅だったと思います。その中で、出産に立ち会って、生まれたばかりの赤ちゃんを腕に抱いたという体験も大きかったと思います。それから、恋の話。嫌い嫌いも好きのうち、というか、最初は拒絶していたはずなのに、いつの間にか恋の相手として描かれている。気持ちの変化はていねいには描かれていなくて、手紙を読む場面とかで読み取れなくもないのですが、恋の描き方はちょっと違和感がありました。あと、妹のマファルダが私はすごく好きで、読んでいて、こういう子は大好き、と思いました。初めておばあちゃんを訪ねていって、何が望みなの、みたいに言われて気まずい空気になったときに、p.169の3行目、「あたしは、お水が一杯ほしいです」と言う場面。単なる無邪気な子ではない、というのも、それまでに描かれていて、こういう子はすごく好きだなと思いました。ただ、タイトルにもなっている「ピンぼけ写真」というのがあまりピンとこなくて、訳者あとがきを読んで考えないといけなかったのが、ちょっと残念でした。

サークルK:「戦争」という大きなものに対峙する、「命を取り上げるお産婆さん」という小さな存在の活躍が描かれているところや、イタリア北東部、オーストリアやハンガリーの小さな辺境のある地域に限定されて焦点が当てられているところが良かったです。顔の見えない歴史上の出来事に回収されない、ひとりひとりの人生が具体性を帯びて立ち上がってくるからです。母をたずねて、母の秘密を追いかける謎解きもあり、読者を引き込む力を感じました。ヒロインのイオレの妹マファルダが「男の人って、仕事がなくてぶらぶらしてると、くさっちゃうんだね」(p.22)と言った鋭い言葉に、子どもの目は侮れないと強く思いました。アレクシエーヴィッチの『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ作、三浦みどり訳、岩波書店)にも通じる「戦争というのはね、……男の人たちがはじめるものなのに、それによって多くを失うのは、女の人たちなの」(p.11)という言葉にも首肯しました。ピンぼけ写真をどう考えていいものかよくわからなかったので、みなさんの感想を伺うのが楽しみです。

雪割草:とてもおもしろく読みました。女性たちの目から見た戦争、ピンぼけの中にこそある、日常の生きた証、産婆を通して描く命の誕生といった、これまでも戦争を伝える文学で使われてきた手法ではあったけれど、作品として伝わってくるものがありました。主人公のイオランダは、おとなに近づいていく年齢で、母親、アデーレおばさん、祖母といったしっかり芯のある自立した女性たちと接し、その中で母親の過去とも出会い、一人の人間として見られるようになり、自分を構築し、成長していくのがよくわかりました。文章も詩的で、たとえばp.207の、おばあちゃんの言葉が出てくるさまを描いた箇所などとても素敵でした。それから、すごく子どもらしい妹のキャラクターも、クスッと笑ってしまう愛らしさがあって好きでした。ピンぼけ写真については、私も何かシルエットが浮かびあがってくるはず、と一所懸命目を凝らして見たりしましたが、わからず、疲れてきてあきらめました。

エーデルワイス:最初にある地図を見て場所を確認しながら読みました。美しい文章ですね。たとえばp.228「暮れていく夕日よ おまえはみんなのことが見えるのだから 愛する人のいる場所まで わたしの想いをとどけておくれ……」など。ロバのモデスティーネが好きなのですが、戦争のさなか人間さえ危ういのに動物は……と心配しました。最後まで生き残っているのでほっとしました。お母さんの名前が『アントニア』でお兄さんが『アントニオ』、似ているのですね。日本語の『春子』と『春男』のような感じでしょうか。物語の文章と別に、13枚のピンぼけ写真のイラストと説明文は新しい試みとは思いましたが、そのモアーとした絵にモヤモヤしました。(後日さくまゆみこさんを通じて、原書の挿絵はもっとわからないし、その絵は原作者の意向と知り仕方なく思いました。)

しじみ71個分:こちらの本は、大変におもしろく読んで、深く感じるところがありました。戦時下のイタリアでの子どもの姿が描かれていましたが、物語では戦禍を逃れて一家がバラバラになり、子どもたちは知らないおばあさんのところに身を寄せたり、血のつながった祖母を探したりで、とても苦労はするものの、一貫して、戦争に負けない命の輝きというか、生命力の強さが描かれていて、文章全体が明るく、そのたくましさに信頼感を持って読みつづけることができました。そこがとてもよかったです。戦禍を逃れて苦しむ中でも熱烈なキスを思い出してみたり、逃避行の中で新しい命が生まれたり、おばあさんたちがお産婆さんという命をこの世に送り出す仕事をする職業婦人だったり、戦後に本人も助産師の学校に行ったりと、それぞれのエピソードが物語の中で生命力を語っていました。まあ、ところどころ、オーストリア兵が空腹でチーズを食べただけで何もせずに出て行ったり、警察に捕まったお母さんに何事もなかったり、みんな死なずに男たちが戦争から帰ってきたり、というのはちょっとご都合主義というか、楽観主義かという気もしましたが、辛いことばかりの戦争児童文学だけでなくてもいいですし、こういう戦禍を切り抜けるたくましい話なら子どもたちも読んで希望を持てるのではないかなと思いました。ただ、私もピンぼけ写真には意味のある絵が描かれているんだろうと、最初は一所懸命に読み解こうとしてしまい、また、何か基づく資料写真があるのかなと思ったものの、いくら見ても見えず、解説もなく、あとでやっと、これは文を読んで想像するようになってるのかと気づいて、拍子抜けしてしまいました。

アンヌ:最初に地図を見たので、難民としてイタリア中をさまよう話なのかと思いましたが、家系を遡る話でしたね。子どもたち二人だけになった時も、司教さんとかアデーレおばさんとか頼れる人が次々現れるのには、ほっとしました。最初に猫のお産にお姉ちゃんの手が必要というセリフがあったのも、産婆という職業への伏線だったのかと、あとで気づいてニヤリとしました。ただp.131のキス場面については、最初はさすがイタリア文学、エロスの目覚めも書くのかと思いましたが、やはり主人公がもう少し自分の中にサンドロへの愛が芽生えている部分を書いておかないと誤解を招きかねないと思いました。

ハル:先ほどの原題のことは、「訳者あとがき」にありましたね。『(原題は、イタリア語で「ピンぼけ」を意味するFuori fuoco――フオリ フオーコ――)』ということです。さておき、私もやっぱり、この写真の意図が最初は全然わからなくて、出てくるたびに混乱してしまいました。だんだん慣れてくると、お話の中には盛り込めなかった当時の様子が、ちょっとカメラを横にふったような景色として補足されていて、おもしろくはなってきたのですが、でもこの写真の趣旨も後半にいくにしたがってずれてきているような気も……。最後なんて、エピローグ的な役目を果たしちゃっていますもんね。それに、この、ピントどころの問題じゃなくて現像できてない「もやもやの画面」を見ながら景色を頭に想像することと、挿絵がない本文を読みながら景色を想像することとの違いは、何かあるんだろうか……とも思えました。また、好きの裏返しとは言え、サンドロが同意を得ないキスをする場面は、読んでいてあまり気持ちがよくありませんでした。まあ、文学であって教科書ではないので、かたいことも言えないのかもしれませんが、児童書なので「これは文学だからありなのであって」というのは、ちょっと難しいようにも。やはり少し配慮があってもいいのかなと思いました。もうひとつ、男が起こした戦争に、女(と子ども)が苦労するという構図も、どこか文学のテーマとして捉えられているような気もしないでもなく。おとな向けの本だったらそれでいいですし、過去の時代を描いた作品に今の感覚を入れていくのは危険だとは思うけれど、これからは、女性だって、戦争を男性のせいにしていてはいけないわけで……過去の出来事を未来のために子どもたちに伝えていくときの難しさも、今回は感じました。

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末摘花(メール参加):この物語では何もかもを破壊しつくす戦争という極限状態にあっても人間は小さな命に希望の光を見出だし、災禍に見舞われた人々を励ましていくという様子が描かれています。戦争に踏みにじられた数多くの人々の姿、歴史の裏にかくれた戦禍の中で懸命に生きた人々の姿が13枚の写真に写っているように感じました。自分の運命を切り開いていく少女の成長を描いている希望の物語で、戦争の愚かさ、戦争を起こして弱い市民を顧みないことの非道を訴えているとも思いました。キャプションを読むと、ぼやけた輪郭線の向こうの人々の叫びが聞こえてくるようですが、戦禍の中で生きた人々の苦しみや痛みを伝えるということからも子どもたちに手渡したい作品だと思います。

*後に岩波書店の編集部から原書の挿絵を見せていただきました。原書にも、どれも同じ「ピンぼけ写真」が13枚入っているそうです。編集部からは日本語版の挿絵について別の提案をなさったそうですが、作者の意向でビジュアル戦略としてこうしているとのことだったそうです。

(2022年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『タブレット・チルドレン』表紙

タブレット・チルドレン

ハル:初っ端からすみません! 少し前に読んで、どこがという具体的なことを忘れてしまったのですが、読み終わって、おもしろかった! と思ったことはよく覚えています。軽快でユーモアがあって、その中にふと、なるほどなぁと考えさせられるポイントがうまく仕込まれていて……ただ、著者のこれまでの作品を読んだときには感じなかったような、雑さも感じた記憶があります。テンポの良さにのって、私が読み落としてしまったのかもしれませんけれど。

アンヌ:このAIで子育ての仕組みがよくわからなくて、そこに引っかかっていました。現実の授業でもゲームを使ってパソコンの使い方を習っていると思うのですが、この子育てゲームは次元が違っていて、とても怖いなと思いました。主人公の個人情報が入力されているようだし、先生は命の大切さを学ばせようとしたと言っているけれど、これを作った近未来の教育委員会とかの本当の意図は何だったのでしょう。それぞれの子どもの適性とか攻撃性とかが記録され政府によって利用されるんじゃないかなどと思ってしまいました。でも特に説明がなくて、そこは拍子抜けしました。物語自体はとても楽しく後味がよい話でした。AIの子どものセリフと主人公自身の親子関係がダブっていて、主人公が自分を逆の立場から見ることができて、実際の親子関係も少し変わっていく。失恋しても、そこで実際の漫画家に会うという話になり、安易ではあるけれど、主人公が失恋に深刻にならないのも面白い。特に主人公のマンガ脳には親近感が湧きました。

しじみ71個分:テーマ設定が独特で、とてもおもしろいと思ってサクサクと読みました。なのですが、子育てをアプリでゲーム感覚で体験するというのは、やはり私も「たまごっち」を思い出して、どうなのかなとは思いました。私は妊娠中、小学校の総合学習に協力してくれと依頼されて、エコーでお腹の中の子どもが動く様子を見せたり、赤ん坊の心音を子どもたちに聞かせたりしました。中学校だと違うのかもしれませんが、そんな学習の感じかなと想像はしたのですが、その小学生たちは、赤ん坊の様子を見たり、妊婦のお腹に触ったりというところで、戸惑いとか気持ち悪そうな感じを見せていたのが印象的で、アプリだとそういう反応はないだろうなとは思いました。設定があまりリアルではない気がして、おもしろい、おもしろいだけで終わってしまった印象です。子育てをテーマにするなら、もっと命とか、親子の関係とかを深められて、どこかにリアリティがあればもっとよかったなとは思いました。主人公はかわいいですね。能力とか魅力とかに、でこぼこがある女の子で、とても魅力的でした。内省や親や妹との関係で悩んでいるところは、こまかい心情も描かれていて、ぐっとつかまれるところもありました。一方、AIがアプリで子どものキャラクターにしゃべらせて、人間の心夏の心情を読んで意地悪なことを言ったり、怖いことを言ったり、相当高度に描かれていますが、その割に背景の社会状況がそんなに今と変わらず、近未来でもなさそうで、AI技術の進歩度合と社会が合ってない気はしました。また、アプリでは子どもが子どもを育てていることにはなっていますが、遠慮のない家族のような、友だちのような対話相手になっていて、子育て体験をアプリでするというより、むしろ心夏の内省の道具だったのかもしれませんね。AIとの対話から自分や家族を振り返る点では、言葉に説得力がありました。なのですが、それが命の勉強になるとは思えず、いくらAIだとしても、ちょっと軽くて、入り込めないところはありました。また、自分が子どもを亡くしたという先生の告白が唐突でちょっと安易だったかなという感じが否めませんでした。また、白石君に失恋しても、漫画家の先生とつながることができたというのも、できすぎだったかなと思いました。

エーデルワイス:タブレットの世界と現実の中学生活、漫画の世界とおもしろく読みました。ペアを組んで仮想の子育ては斬新な発想と思いました。いろんなタイプの子が出てきて、ユーモアがあり、悪い子はいなかったと思います。主人公の心夏ちゃんが子育てペアの温斗君といい感じかと思えば、親友の美乃里ちゃんと付き合うことに。次に親身になってくれる白石君と仲良くなるのかな?と思えば白石君には彼女あり。結局心夏ちゃんは漫画に邁進する結末が楽しく感じました。

雪割草:私も、テーマが興味深く、おもしろく読みました。村上さんの他の作品に比べ会話が多く、テンポもよくて漫画を読んでいるようでした。タブレット・チルドレンはよいとは思えないけれど、タブチルをすることで、心夏は親の立場にたって、はじめて自分と母親や妹との関係を見つめたり、ペアになった相手との会話を通していろんな気づきがあったりする点は、読者にも一緒に考えさせるので上手だなと思いました。タブチルのようなバーチャルな体験ができる時代が来ていることを思うと、子どもたちの置かれた環境の複雑さを痛感しました。が、子育てや人間関係、人のいのちに関わることは、ゲームでなくリアルに体験していく必要があると思います。あと、温斗がなぜ施設と関係があるのか、なぜ父親が泣くからごはんの支度をする必要があるのかは、よくわからず、踏み込まないスタンスなのかもしれないけれど、意図も少し不明でした。

サークルK:テンポの良い進行だと思いましたが、その会話の速さや漫画的な展開についていくことができず、最後まであまり乗り切れませんでした。タブレット・チルドレンであるマミが「本当の人間になれますように」(p.162)と願う箇所はピノキオの願いを思い出しました。このタブレット・チルドレンたちの造形がもう少し深まるとおもしろかったように思います。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、早川書房)のなかのクローン人間が自分のルーツやオリジナルを求めてさまよう展開も想起させられました。読書会の後、「メタバース」についてのテレビ番組を視聴し、アバターがもうひとつの宇宙で動き回る世界がもう少しでやってくる、という話を聞いて、いつかこの作品が実際に起こる可能性もあるのかも、と少し怖くなりました。

コアラ:おもしろく読みました。タブレットで中学生が子育てをする、という設定がおもしろいと思ったし、テンポがよくて言葉のやりとりもおもしろかったです。p.26に「いいよ、もう。お母さんには無理」というマミの言葉があるけれど、同じようなことを心夏も自分の母親に言っていたと気がついて、母親の気持ちに思いを馳せられるようになる。そういう、心夏の成長について、わかりやすく、読者がついていきやすく書かれていると思いました。装丁も銀色でメタリックな雰囲気で、タブレット・チルドレンというのをうまく表しています。p.84の4行目で、カギカッコが2つ重ねてあって、2人が同時に発言しているというのを表現していますが、この方法は、私は初めて見たような気がします。全体として、さらっと読めて、子どもにもオススメだと思いました。

まめじか:「どちらかが、絶対にいやだとか、それは無理だとか言って拒否したら、家族ってどうしようもない。完全に機能しなくなる」(p.142)など、家族というものをずっとつきつめて考えてきた、作者の内から出てくる言葉だなあと思いました。AIの子どもを育てるというテーマは新鮮でしたが、ちょっと気になったのは、みんな男女のペアで育てているようなので、それは社会のステレオタイプを固定することにならないのかな、と。子育てはひとりでも、同性同士でしてもいいのだから。「異性でも同性でも」(p.206)という先生のせりふがありましたが、性も家族もいろんなあり方があるので。

アカシア:最初に読んだときには、あまりにもリアリティがないと思って、おもしろくなかったのですが、もう一度読んでみたら、会話やキャラクター設定はおもしろいと思いました。まあ、子育てについてのインサイトや考えるヒントがあるわけではないので、エンタテインメントですね。同じテーマならアン・ファインの『フラワー・ベイビー』(評論社)のほうが、訳はイマイチですがよく描けていると思います。小麦粉を入れた袋を新生児と同じ重さにしてそれを絶えず持ち歩かないといけないという設定ですが、タブレットよりはリアルに子育てを考えられます。子育てって、何よりもリアルな体験ですからね。先生の子どもが若くしてなくなったから生徒たちにも失敗しないでほしいとか、温斗が施設にいたことがあるなどは、話の大筋に関係ないので、とってつけたような感じだと思ってしまいました。タブチルそのものが、きちんとした教育プログラムにはなっていないですね。

さららん:私が感じていたことは、これまでにほぼ全部出てきたので、つけたす意見はあまりないんです。私もアン・ファインの作品のことを、思い出していました。今回の「反発と自立-親子って楽じゃない」というテーマから考えてみると、主人公の心夏は、母親に対しては反抗期ガンガンだけれど、美乃里ちゃんを始め、友だちとは仲よく普通につきあっています。タブレット・チルドレンのマミのトゲのある言葉にぶつかって、心夏は初めて自分を母親の立場において考えられるようになり、親子関係が少し変わっていく。その辺はまっとうな児童文学、という印象を持ちました。タブレット・チルドレンの存在は近未来なのか、SFなのかわかりませんが、こういうこともあるかもね、というぐらいのビミョーな設定です。ありえないー!ってことも起こるんですが、それも含めて、作家の掌で転がされている感じがします。書き方によっては暗くも重くもなりそうなテーマを、軽い笑い(マミが出てくるところはシニカルな笑い)に包んで、読ませます。物語の展開がいつも少しずつずれていくところは、心夏の頭の中と同じで、漫画的なのかな。心夏が、漫画のネタとして周囲の出来事を捉えているので、べたつかずに読み進められ、小学校高学年から楽しめる作品じゃないかと思いました。作家の村上さんは身近なタブレットを使って、一種の思考実験をやってみたかったのかもしれませんね。

ルパン:『タブレット・チルドレン』という題名を見て、タブレットに振り回される子どもたちの話なんだろうと思いきや、タブレットの中にチルドレンがいたというのには驚きました。ものすごく斬新で、ぐいぐい読めてしまったのですが、ところどころにちぐはぐ感もありました。主人公は「スクールカースト最下位」といいながら、友だちもいるし、男の子ともふつうに口をきいているし、キリエもこの子をいじめているんだけど、案外好きなんじゃないかと思えるくらいかまってくるし……そのちぐはぐ感が楽しかったんですけど、最後の最後に、急に先生の話で重くなっちゃって、一気に臨界を超えてしまった気がしました。そこまでは、ちぐはぐなところもまた心地よく読めていたのですが、さすがに自分の子どもを亡くして、中学生が将来そうならないためにバーチャルの子どもを育てさせる、というのは……いくらなんでも無理があります。あと、この主人公が最後にタブレット・チルドレンのマミちゃんを育てることにする、というのもちょっとなあ……と。私もたまごっちを育てたことがあるので、バーチャルなものに感情移入する気持ちはわかるんですけど、この子はまだ中学生で、これからリアルな友情とか恋とかを経験しないといけないのに、所詮はプログラミングされた映像に過ぎないマミちゃんのために時間を使い続けるなんて。「やめた方がいいよ」「電源切ったらいなくなるよ」って言ってあげなきゃ、と真剣に思ってしまいました。あ、本に感情移入してしまう自分もアブナイのかな……?

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末摘花(メール参加):GIGAスクール構想が始まり、子どもたちが1人1台端末を持って授業を受け、家に持ち帰って宿題をするという今、このような児童文学作品が登場してくるようになったのかと思いながら読みました。中学生が担任の提案でランダムにコンピューターが決めた男女ペアになってタブレットの中に設定されたタブレット・チルドレンを育てるということ、会話文が多用されて物語が進んでいくことに違和感を覚えながらも、中学生がタブチルを通して自分を問い直して成長していく姿に、子どもたちは共感して読んでいくのではないかと感じました。

(2022年09月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年08月 テーマ:「親ガチャ」からのスタート

日付 2022年8月17日
参加者 ネズミ、エーデルワイス、アンヌ、つるぼ、ハル、雪割草、シマリス、しじみ71個分、ルパン、まめじか、西山、ハリネズミ
テーマ 「親ガチャ」からのスタート

読んだ本:

『ペイント』表紙
『ペイント 』
イ・ヒヨン/著 小山内園子/訳   イースト・プレス   2021.11
페인트(Par-Int)
〈版元語録〉少子化が限界を越え、「人口絶壁」状態となった近未来。国は少子化対策として、親に代わって国が子どもを養育するセンターを設立し…。“子どもが親を選べるとしたら”という人類の究極のIFに挑んだティーン小説。


『りぼんちゃん』表紙
『りぼんちゃん 』
村上雅郁/著   フレーベル館   2021.07

〈版元語録〉第2回フレーベル館ものがたり新人賞大賞受賞作「ハロー・マイ・フレンド」改題『あの子の秘密』でデビューし、同作が第49回児童文芸新人賞受賞というラッキーな作家人生をスタートさせた村上雅郁。3作目の今作は、20代最後に贈る「祈り」の物語。

(さらに…)

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『りぼんちゃん』表紙

りぼんちゃん

しじみ71個分:この本もとてもおもしろかったです。暴力をふるわれる虐待ではなく、威嚇やどなるタイプの心理的虐待にあう友だちを助けたい主人公の視点から描かれた作品で、いろいろと考えさせられました。主人公の朱理は虐待にあう友だちの理緒を助けたいのに、普段から背が小さいために赤ちゃん扱いされ、まともに取り合ってくれない周囲を動かし、理緒を助け、自分も成長していくという構成になっていましたが、たくさんのテーマが含まれていて、いろいろ深く考えられた物語でした。とてもおもしろかったのですが、いくつか気になった点がありまして、まず、彼女の心の中の物語世界なのですが、自問自答、内省を良い形で表しているなとは思うのですが、前半の水の精の話が特に冗長で、ちょっと物語の本筋から読み手の気持ちが離れて行ってしまう感じがありました。また、例えばp9の「頭の中に国語辞典でもあるの? ナポレオンなの?」というところとか、作者が前面に出てきてしまう感じの不要な文がはさまっていたりして、ときどき物語の進行を作者が邪魔しているような部分があったのですが、なのに途中でドンと胸に迫る表現があったりして、この作者の世界観は独特だなと思いました。あるいは、若さゆえのコントロールの甘さか、アンバランスさかとも思ったり…。朱理が、理緒のお父さんに突然、バドミントンをさせないでくださいと言ってしまうのは、これはその後どうなるのかを思うと、本当に怖かったです。大人がちゃんと子どもの話を聞いてやらなくちゃいけなかったと思いました。最終的にはお父さんが気付いてくれて、お母さんもお姉ちゃんもみんな味方になってくれて、問題が解決されてよかったのですが、理緒のお父さんがわりと簡単に改心しているのは、そんな簡単な問題ではないと思うので、ご都合主義かなとも思いました。ですが、作者が虐待、友人関係、家族との信頼関係、自己肯定感と自己主張といった難しいテーマに果敢に取り組みつつ、その主人公を支えるのが言葉であり、物語であるという点まで、モリモリのてんこ盛りになった意欲作だと思いました。

西山父親のありようとか、解決の仕方とか注目すべき読みどころはいくつもありますが、私がいちばん新鮮に思ったのは、朱理ちゃんのありようです。難しい言葉を知っているところと知らないところ、あぶなっかしいところも、そのアンバランスさが、ああ、こういう年齢の子どもの姿としてあるかもと思えて、とてもおもしろく興味深く読みました。子どもあつかいされるのをいやがっているけれど、実のところ幼いところもある。そこが子ども像として新鮮に感じました。体の大きさの違いも、子どもにとって切実なのだということが、ちょっとした仕草、赤ちゃん扱いするクラスメイトとのやりとりなどからしっかり伝わってきました。そんな朱理が、自分の言葉を聞いてくれないおとなに絶望していくわけです。父親も母親も朱理をがっかりさせる。朱理がそれぞれを見限る瞬間は印象的です。がっかりの深さが痛みとして胸に響きます。でも、そこで終わるのではなく、もう一度おとなを信頼するほうに転じさせる展開に、大変共感しています。

シマリス: 文章も物語の構成もうまいなぁ、と新作が出るたびに気になっている作家さんで、この本も発売されて間もない頃に読みました。かわいがられつつ、小柄なことでからかわれる朱理のキャラクターが独特で魅力的でした。前作までは、クライマックスでも冗長な会話があって、せっかくの勢いが弱まっていたんですけど、今回は終盤に疾走感があってよかったです。後半に専門知識がまとまって出てくるのですが、その部分が押しつけがましくなくて適量だなと思いました。ただ、ラストの部分、皆まで言うな!!と止めたいくらい、作者の言いたいことを語り倒していて余韻のないのが残念でした。

ハリネズミ:朱理の一途な気もちはよく伝わってきました。おとなが頼りにならないときに子ども同士が助け合おうとするのは、現代的な設定ですね。ちょっとひっかかったのは以下の点です。p119におばあちゃんが朱理に目に見えないオオカミの話をするところがありますが、小学校に上がったばかりの子に、こんな理屈っぽいことを言うでしょうか? p180の後ろ5行はおとなの視点ですね。特におばあちゃんが出てくるところなど、ところどころに大人の視点が出てきて解説しているのが残念でした。

雪割草:おもしろく読みました。赤ずきんちゃんの物語と現実の経験が交錯しながらすすんでいくところやおばあちゃんの言葉がよかったです。ただ、朱理の言葉がときどき自分の言葉ではないみたいで、おばあちゃんの言葉もそうですし、物語が好きで、書くことで世界に関係したいというところなど、作者の姿が見える感じで、もう少し控えめにした方がよいとは思いました。エンディングも、りぼんちゃんのお父さんの態度の変わりようなど、こんなにうまくいくだろうかと疑問に感じました。それから、赤ずきんちゃんの物語をもとにして、狼=悪のイメージで用いていますが、狼は生きもので、狼の目線の世界もあるわけで、悪として描いてしまうのは問題があるように感じました。

ハル:「虐待」の設定がとてもリアルだなと思いました。身体的な暴力だけが虐待なのではなくて、もしかしたらいま読者自身やその友人が抱えているかもしれないその違和感、緊張感、心が重たくなるような感覚、これはひょっとして異常なことなんじゃないか、と気づくきっかけになりうる本だと思いますので、その点では子どもに寄り添った本だなと思いました。ただちょっと、登場人物が作者の思いを語りすぎな気もちょっと。全部がせりふとして書き起こされている感じがします。このくらいわかりやすいほうが、若い読者には読みやすいのかなぁ? でも、私は圧迫感を覚えました。

つるぼ:表紙の早川世詩男さんの絵が、とってもいいと思いました。子どもが手に取りやすいですよね。文章も生き生きしていて、引きこまれる(ちょっと余計な言葉が多すぎる感じはしたけれど!)。そうしていくうちに語り手の朱理が友だちの深刻な問題に気がつき、自分の悩みを考えるのと同時に成長していくという物語の作り方は、とてもよく考えられているし、しっかり調べて書いてあると好感を持ちました。自分の周囲にある輪を1歩乗りこえて、児童相談所という社会にコンタクトしているという点も好感が持てました。ただ、あかずきんちゃんや魔女の話は、作者にとっては物語に欠かせない要素なのかもしれないけれど、あまりおもしろくないし、生硬な感じがしました。それに、児童書としてはこれでいいのかもしれないけれど、大人の読者にとっては絶対にここでは終わらないと予想がつくだけに、ある意味とっても怖い話でした。それに、どうして理緒ちゃんを主人公にして語らせなかったんでしょうね? こういう「友だちにこういう子がいて……」と主人公が語る物語を読むと、わたしはいつも「その子に語らせたらどうなのよ?」と思ってしまうんですけどね。

アンヌ:前半の朱理についての記述と矛盾するような、物語を作る力のある朱理の描写が続くのでおもしろかったのですが、その物語には少々退屈しました。好きなシリーズ本の中の魔女の話と、朱理の物語の中の魔女とおばあちゃんの語りと、記憶の中のおばあちゃんの言葉があって、ここだけで少々へとへとになりました。でも、ここまで来てこの子は考える力を持っている子なんだとわかって、友達の家庭内問題まで立ち入れる人間なんだとわかってくるわけですよね。後半は、本当にこうなったらいいなあ、少なくとも現実に苦しんでいる子が、先生以外の大人にも助けを求めていいんだとわかればいいなと思いました。作者が描くイメージは時にとても美しく、p.26の図書館での「同じ本を読む意味」や、p.40の「おしゃべりに花を咲かせる」ところの描写はとても魅力的でした。

エーデルワイス:ほとんど皆様の感想と同じです。児童書ですから安心した結末になっていますが、理緒ちゃんのお父さんについては心配です。改心しているかもしれませんが、人はすぐには変われません。長い時間理緒ちゃんとお父さんは離れた方が良いと思いました。朱理ちゃんが書いた物語が度々登場し、それが深い意味を持っています。小川糸さんは、幼い時から実のお母さんとの確執があり、その苦しい胸の内を学校の先生にも打ち明けることもできず、作文や物語を書いたところ大変評価され、それで作家になったそうです。文章力を持っている子は困難を乗り越える力があるのですね。朱理ちゃんをよく理解していつも味方でいてくれたおばあちゃん。そのおばあちゃんを亡くし、温かい家庭で暮らしていても孤独感にさいなまれる朱理ちゃん。こんな子はたくさんいるのでしょうね。周囲で気が付いて話を聴いてあげたいです。表紙のイラストには驚きましたが、納得して感心してしまいました。
以前身近でこんなことがありました。複雑な家庭環境の知り合いの女性から、高校生の長男が、両親や祖母の誰にも相談することなく自ら児童相談所に行き、保護されたという電話を受けたことがあります。家族と長男はしばらく面会謝絶。その長男は生き延びることができたと思いました。その女性には「お子さんは頭の良い子ですね。まずは生きていることが大事。いつか会える日がきますよ」と、言いました。その後連絡はありません。

まめじか:一時保護所については、自由がなくて、子どもにとって非常にストレスのかかる場になっているという報道も聞きます。この本ではポジティブに描かれていて、きっといろんな施設があるのだろうとは思いますが、実際のところはどうなのでしょうね。

ネズミ:おもしろかったです。友だちとの会話など、これまで読んだことのない文体でした。今の子どもはこんなふうに話すのかなと思って読み進めました。慣れるまで入りにくく感じましたが、途中からはぐいぐいひきこまれました。理緒の問題は、心あるおとなが見れば、何か変だとすぐ気づくのかもしれませんが、朱理の理解ではそこまで至らないところに、6年生の限界があるのかと思いました。同年代の読者が共感すると先ほど出ましたが、それは子どもの目線で描かれているからでしょうか。朱理が最後、本気で求めたとき家族がそれぞれにこたえてくれるところは、できすぎ感もありますが、安心できました。理緒の父親が改心するというのは、実際はきっとすぐにはうまくいかないだろうという予感も感じられ、ある意味でリアルだと思いました。

ルパン:私は正直あんまりおもしろいと思いませんでした。物語の形式をとっているけれど、結局、朱理がぜんぶしゃべっていて、さいごまで作者の長ゼリフを聞かされている気がしました。劇中劇の中で語られるおとぎ話のアイデアのほうが楽しそうで、その話を書いたらおもしろいんじゃないかと思いました。

(2022年08月の「子どもの本で言いたい放題』の記録)

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『ペイント』表紙

ペイント

ネズミ:ディストピア小説だなと思って、おもしろく読みました。管理されたなかで理想的な子どもを育て、理想的な親とマッチングさせていくという。ここで行われているやり方を見て、拒絶感を感じたり、なるほどと思ったり、いろいろと考えさせられる物語だと思いました。めんどうくささ、理論や効率だけでは片付けられない緩みのようなところに親子関係の機微があると思うのですが、それがハナの夫婦の箇所であぶり出されるのがおもしろいと思いました。

エーデルワイス:8月7日JBBY主催オンライン講座『非血縁の家族について考える~里親で育つ子どもたち』に参加して感銘を受けたばかりで、今回の課題図書はタイムリーと思いました。この物語では、養子縁組を結ぶ場合、親になる人が子どもを選ぶのではなく、子どもが親になる人を選ぶというところが新鮮でした。最近でも親の養育放棄で幼い子が亡くなるという痛ましいニュースが続いています。実の親に子どもを育てる能力がなかったら国が親に替わって子どもを大切に育てるこの近未来の内容が、いつか実現するかもしれないと思ったりもしました。終盤主人公の「ジェヌ301」が養子縁組をすると思いきや、自分で巣立つという選択をしたところが予想を裏切られて爽快でした。韓国でこの本が青少年に大いに支持されているそうですが、生の感想をぜひうかがいたいと思いました。

アンヌ:私は初読の時あまりにあっけなくて、上下巻の上だけで終わったような気分になりました。外界の様子がはっきりと描かれていないので、養子になれなかったら過酷な運命が待っていて、差別の待ち受けている一般社会に一人で立ち向かうことになるという設定がピンときませんでした。政府が子どもを養育しているなら、才能のある子を見出して英才教育をするだろうとか、19歳で外界に出て居場所がないならまず兵役じゃないかとか考えてしまい、設定に納得がいかなくて物語に入り込めなかったようです。主人公は4年近く様々な養父母候補と会っていて、養子制度のうさん臭さに冷めているようですが、お金や小説の種を目当てにペアリングを申し込んできたハナ夫婦とは友情を結びます。親子関係ではなく、彼らや施設長との友情を基に、主人公は外界に出て一人で生きていくのでしょうか? いずれにしろ続きの物語がないと、物足りない気がします。

つるぼ:ディストピアの物語ということで『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 早川書房)を真っ先に思い出し、なにか悲劇的な事件が起こるのではないかと、はらはらしながら読みましたが、満足のいく結末でほっとしました。わたしはアンヌさんと反対で、設定が非常に巧みで、よく考えられていると思いました。外の世界から切り離された、男子のみの施設に舞台を設定したことでYAには欠かせない恋愛とか、その他もろもろのことがすっぱりと削ぎおとされ、親とは、家庭とはという作者の問いかけが真っ直ぐに伝わってきていると思います。まるで一幕物の舞台を観ているようでした。ただ、主人公の年齢が、本来なら家庭を離れて自立していくころなのに、なぜ家庭を必要としなければいけないのかという点が、少々気にかかりました。韓国は家父長制が重んじられ、血筋を大切にすると聞いたことがありますが、その辺のところが日本の読者と受け止め方が違ってくるのかな? 親が決まらず施設を出た子どもが差別され、生きにくさを抱えるということも書いてありましたが……。

ハル:この本は韓国ではYAとして出版されているんだと思うんですけれども、日本ではおとな向けのカテゴリーですね。一読目は私もおとな目線で読んだと言いますか、里親制度は子どものための制度なんだけれど、本当に子どもに軸足を置けているのかな(施設で働く方々ということではなくて、社会が、という意味です)ということを考えさせられました。p21の「ココアはセンターを訪れるプレフォスターの笑顔に似ていた。適度に温かくて、過剰に甘い」といった一文にドキッとしたり。でも、二読目になると、これはやはりYA世代の人にこそ読んでほしい本だという思いが強くなりました。「ぼくの親は何点かな」とか「ペイントで自分の親と面談したら選ぶかな」とかいうことじゃなくて、将来、自分が親になるかもしれない、新しい家族をつくっていくかもしれないことに思いを馳せ、視野を広げる1冊になるんじゃないかと思います。だから、日本でも児童書として出してほしかったなあと思いました。とてもおもしろかったです。

雪割草:興味深く読みました。日本でも非血縁の家族など家族のあり方を考える機会がふえていますが、韓国は血筋を大事にする社会と聞いていたので、そのようななかでこういった作品を書くのは挑戦的だったのではないかと思いました。最後のジェヌの選択は、作者の社会における差別や偏見に対する姿勢があらわれているように思いました。プレフォスターの面接の場面が子ども目線で描かれることで、子どもも親に対して期待を抱くことや、ハナの母親のように子どもを自分の欲求を満たす手段にする親、パクの父親のように虐待する親などさまざまな家族の関係が描かれていて、家族のあやうさについて考えました。子どもだけでなくおとなにも広く読んでもらいたいです。

 

ハリネズミ:とてもおもしろかったです。施設に入っている子どもを養子にするという場合、たいていはおとなが子どもを選びますが、この作品では逆で、子どもが選ぶというのがおもしろいですね。少子化に歯止めをかけるため、産むだけは産んでもらって、育てるのが嫌なら国で育てるという政策になっている近未来ですね。ただ思春期になって複雑な心を抱える子どもを、これまでの積み重ねなしに突然引き取っても難しいと思うので、そこはちょっとリアリティに欠けるかと思いました。まあ、だからこそ思惑があって引き取ろうという人に対しては、センター長やガーディが目を光らせているのでしょうね。ジェヌが最後にペイントをした夫婦は、これまでと違う、飾り気なしで本音を言ってしまうところがあり、だからこそジェヌは気に入ったんですよね。ということは、たいていが美辞麗句を言う人たちだったんでしょうか。2回読んで、結末はどう考えればいいかと思案したんですが、センター長のようにしっかり子どもを見てくれている人がいて、その人の生き方も手本になるとすれば、親はなくてもしっかり歩んでいける、ということなのでしょうか?

シマリス: とてもおもしろく読みました。こういう謎の組織に隔離されている話って、組織に悪が潜んでいたり裏の目的があったりして、システムの目的を暴いていくのが焦点になりがちです。でも、この作品では、そこは最初にさらっと明かされていて、焦点は「親子とは何か」「家族とは何か」に絞り込まれていました。リアルな話でこのようにテーマが明確すぎると、説教臭かったり作者の言いたいことの押し付けになったりするかもしれませんが、近未来の架空の設定にすることによって、そういう生臭さが消えています。素直に、家族とは何か、親とは、血縁とは、そんなことを考えることができました。

西山:たいへんおもしろく読みました。ラストでこれは児童文学だと思いました。悲惨な展開になりはしないかとちょっとひやひやする部分もあったものですから。途中、主人公のジェヌはガーディのパクと親子になるのではないか、ペイント(面接)を進めたあの2人と縁組みするのではないか、そうなればよいのにとどこかで思いながら読んでいたことが、良い方向にひっくり返されました。私の甘い期待は結局親子関係を紡ぐことをハッピーエンドとしていたわけで、染みついた固定観念を突かれた感じです。そうではない着地点を見せてくれたことが、家族とは何かを問う作品として芯が通っていて大いに刺激されました。父母面接を13歳以上の子どものみに可能とした経緯は、p30からp31にかけて書かれていましたね。初読時は、単にこの世界の設定部分としてさらっと読み飛ばしていたのですが、「嫌なことや間違いを口で言える十三歳以上の子どもにだけ父母面接を可能にした」という部分は、もう1冊のテキスト『りぼんちゃん』(村上雅郁著 フレーベル館)とも通じる大事な観点だったなと思っています。読めてよかったです。

しじみ71個分:本当に、とてもおもしろく読みました! 親が産んだ子どもを育てることをしないで、国家に預けて育ててもらうという設定なので、ディストピア的な暗い話かと思ったのですが、ガーディが子どもたちを思い、愛情をもってしっかり育てているし、アキのような、愛らしいまっすぐな子が幸せになり、ジェヌのような冷静な大人っぽい子がちゃんと育って独り立ちしていくという、希望を持って終わる物語になっていて、これは作者が子どもに届けたくて書いているのだなと強く感じました。「親は選べない」と世の中では言われているけれど、それをひっくりかえして、親を子どもが選べる設定になっており、最後までどう物語が進んでいくのか、ずっと興味を引かれながら読み通しました。ジェヌが「ペイント」(=ペアレンツインタビュー)をしたり、ガーディたちのことを考えたり探ったりと、彼による大人の観察を通して、物語が進んでいきますが、その観察がとてもていねいに書かれており、読んで大人として痛いやら、身に沁みるやらでした。手当をもらうために子どもをもらおうとする夫婦や、夫が妻を支配する夫婦が来て、期待できない大人を見てしまいますが、それと一線を画し、親になる自信のなさも含めて正直に自分を見せてくれる大人、ハナとヘオルムが会いにきて、親子という関係をこえて、信頼できる大人としてジェヌの前に現れたのもとてもよかったです。ガーディのパクとチェの存在の描かれ方も、本当によかったなと思いました。血縁でなくても、自分を思ってくれる人がいるということは、どんなに心強いかというメッセージにもなっていると思います。結末も、親子関係の中に自分を置くことを選ばず、自立していこうと希望を持って終わったので、読後にとてもすがすがしい開放感がありました。親子や大人と自我との葛藤は、思春期だと必ずぶつかるテーマだと思うのですが、それに対する作者からの1つのヒントになっていると思います。最近の韓国ドラマを見ても、各所に過去まで遡った家系や学歴、貧富や家族関係など、出自に関する言及が本当に多くあって、韓国社会の中では個人のバックグラウンドはやはりとても気にされるんだと思います。そんな社会であれば、この物語は韓国の子どもたちにインパクトがあるだろうと思いました。細かい点ですが、アキの名前は一人だけ日本語の「秋」に翻訳されてしまっていて、ちょっと日本っぽさを思いだしてしまうので、韓国語の秋の音で「カウル」にした方がよかったんじゃないかとか、年下の人が年上の男性を呼ぶときに「ヒョン」と呼びかけますが、それも毎回、「兄さん」と訳さなくてもよかったんじゃないかなど、素人ながら翻訳はちょっと気になることがあったのですが、物語としてとてもとてもおもしろかったです!

ルパン:未来小説だと思いますが、近未来世界というか、本当にそうなるかも、って思わせる設定で、おもしろかったです。ヘオルムとハナを里親にしなかったのは正解だと思いました。友だちみたいな親はいらないし。この二人なら、お金をもらえなくても、ジェヌが卒業後に会いに行ったら喜んでくれると思います。ガーディのパクはこのあとどんな人生を送るのか気になりました。

(2022年8月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『チケとニジェール川』表紙

チケとニジェール川

現代アフリカ文学の父とも言われるアチェベが書いた児童文学で、アフリカ諸国ばかりではなく英米でも読みつがれています。少年の憧れと、夢を実現するための行動、勇気がもつ意味、などをテーマにすえ、ことわざ、昔話、食べものなど、ナイジェリアの文化も織り交ぜて書いています。冒険譚としても楽しめるでしょう。文体には、イボ人のストーリーテリングの伝統が生かされています。

 

〈訳者あとがき〉

本書は、1966年に南アフリカのケンブリッジ大学出版局支部から出版された子どもに向けた物語の翻訳です。

著者のチヌア・アチェベは1930年にナイジェリアに生まれたイボ人の作家・詩人で、イバダン大学で学び、一時は放送の仕事につき、1967年から1970年まで続いた内戦(イボの人たちが独立国を作ろうとしたビアフラ戦争)のときには、ビアフラ共和国の大使も務めました。

ナイジェリアは、西アフリカにある多民族国家で、2億人以上が暮らしています。国内に500を超える民族がいて、使われている言語の500以上と言われています。その中には、男性と女性で話す言語が全く違うウバン語などもあります。ヨーロッパ諸国が地図上でアフリカ大陸に線引きをして国境を定めたせいで、一つの国の中に多くの民族がいて、一つの民族が多くの国に分かれて暮らすという状態が生まれたのです。

17世紀から19世紀にはヨーロッパの商人が奴隷をつかまえて南北アメリカ大陸に送るための港がアフリカにたくさんでき、ナイジェリアの海岸は「奴隷海岸」と呼ばれていました。19世紀には奴隷貿易がイギリスによって禁止されたものの、ナイジェリアにあったいくつかの王国がイギリスによって滅ぼされ、ナイジェリアはイギリスの植民地になります。イギリスから独立したのは1960年ですが、その後ビアフラ戦争と呼ばれる内戦が起こり、飢餓も問題になった長い戦いの後、ナイジェリアから独立してビアフラ共和国を作ろうとしたイボ人は敗北しました。

本書にも出てくるラゴスは海沿いにあるナイジェリア最大の都市で、1976年まではナイジェリアの首都でした。高層ビルや大きな銀行やスーパーマーケットなどが立ち並び、車の渋滞が起こるような近代都市です。今は首都が内陸部のアブジャに移りましたが、ラゴスはまだ経済・文化の中心地として知られています。

ニジェール川は、ギニアの高地に水源があり、マリ、ニジェール、ベナン、ナイジェリアと、いくつもの国を通ってギニア湾へと流れ込む全長4180キロメートルの大河です。また、チケが憧れたオニチャからアサバへニジェール川をわたるフェリーは、1965年には新しくできた橋にとってかわられています。

チヌア・アチェベは、口承文芸を下敷きにした小説を書いて、現代アフリカ文学の父とも呼ばれました。中でもおとな向けの傑作小説と言われる『崩れゆく絆』(1958)は、伝統的な文化や暮らしが、植民地支配によって壊されていく様子を描いた作品で、世界の50以上の言語に翻訳されて、有名になりました。日本でも、光文社古典新訳文庫で読むことができます。2007年にはアチェベの全業績に対して国際ブッカー賞が授与されています。

アチェベは、またハイネマン社が出していた「アフリカ作家シリーズ」で、独立後のアフリカで活躍しはじめたアフリカ人作家たちを世に送り出すことにも力を注ぎました。その後、アメリカ、イギリス、カナダ、南アフリカ、ナイジェリアなどの大学でアフリカ文学についても教えましたが、残念ながら2013年に死去しています。

アチェベは、子ども向けの物語をいくつか書いていますが、その中でもこの『チケとニジェール川』は、アフリカ各国ばかりでなくアメリカやイギリスでも出版され続けています。

主人公は、いなかの貧しい村に生まれた少年で、ニジェール川沿いにある大きな町で暮らすおじさんのところに寄宿することになり、まったく異なった環境でさまざまな体験をしながら成長していきます。アチェベは、自分の子どもたちが白人教師の多い学校でナイジェリアに根ざした文化や価値観を教わっていないのを心配して、この作品を書いたと言われています。

大きな川の向こうにわたって別の世界を見てみたいという子どもらしい憧れ、そのためにいろいろ工夫してはみるけれど、なかなかうまくいかないという焦り、ようやくフェリーに乗ることができた時の胸おどる気持ち、借りた自転車を壊してしまったときの当惑、どろぼうに遭遇したときの恐怖などが、生き生きとした筆で、とてもリアルに描かれています。

お話の筋立ては、少し昔ふうだし、書かれたのもずいぶん前のことですが、アチェベは、細かい描写でそれぞれの場面がうかびあがってくるように書いているので、日本の子どもたちにも主人公チケの気持ちがそのまま伝わるのではないでしょうか。また、ナイジェリアの屋台で売っている食べ物、お祭りのようす、学校のようす、家庭のようす、市場のようす、マネーダブラーや自転車修理工の存在なども目にうかぶように描かれています。ことわざが出てきたり、歌が出てきたり、サラおばさんの昔話が出てきたりするところには、ナイジェリアの口承文芸に大きな関心を寄せていたアチェベの作品の特徴が出ています。

私がアチェベの作品に出会ったのは、ナイジェリアを旅行しているときでした。ロンドンに住んでいたときに「アフリカ・ウーマン」という雑誌の編集長をしていたタイウォ・アジャイという女性に出会い、「ナイジェリアに行くならうちの親戚の家に泊まっていいよ」と言われて、出かけていったのです。飛行機を降りたナイジェリア北部のカノという町でキャンプをしているとき、WHOで働く日本人のお医者さまに会って、そのお家に何日か滞在させてもらいました。そのお医者さまの書斎に、アチェベの本が何冊か並んでいました。日本に帰ってから、アチェベの作品を何冊か取り寄せて読んだなかに、この『チケとニジェール川』もありました。

ちなみに、ナイジェリアでは、お話の舞台にもなっているオニチャにも行って、オニチャの大きな市場を歩いたり、ニジェール川を見たりしたこともあります。またラゴスにも行って大都市のにぎわいも体験しました。その時の楽しかったことなども思い出しながら、翻訳しました。

ナイジェリアの当時の暮らしは、日本の今の暮らしとはずいぶんかけ離れていますが、チケの気持ちは、日本の子どもたちにも「あ、同じだな」と思ってもらえるところがあるのではないかと思います。違うところ、同じところを楽しみながら読んでいただけたら幸いです。

編集を担当してくださった坂本久恵さんに感謝します。

さくまゆみこ

 

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『1400個のコヤスガイ』表紙

1400個のコヤスガイ〜西アフリカ・ヨルバ人の昔話

西アフリカに暮らすヨルバ人の昔話を、ナイジェリアに生まれ育ったフジャが再話しています。おもしろいお話が多いので、いつか日本の読者にも届けたいと思っていました。その後、「ふたご」の話には、ほかの地域にも同じような昔話があるなど、おもしろいことがわかってきました。どこの地域の人間も共通に持っている要素から同時発生的に同じような話が生まれてくるのか、それともおもしろい話はどんどんほかの地域にも伝わっていくのか、そのあたりもとても興味深いです。

〈目次〉

1400個のコヤスガイ
ネコとカメのレスリング
ヒョウとハリネズミ
オタマジャクジの悲しいお話
魔法のヤムイモ
天まで運んだお供え
カタツムリとヒョウ
ふたご
めんどりとタカ
エガとひなたち
ゾウとおんどり
152本のしっぽをもつ動物
キンキンとネコ
鳴らないタイコ
みなしごアジャオと魔法の小枝
かしこい犬
働いてはいけないアランテレ
雄牛とハエ
〈よそ者〉と〈旅の者〉
狩人オジョと魔法の笛
カエルの骨

 

〈訳者あとがき〉

本書の原題はFourteen Hundred Cowries: Traditional stories of the Yoruba。私が持っている原書はペーパーバックで、1967年にオックスフォード大学出版局イバダン支局から出版されています。イバダンは、ナイジェリア南西部の大きな都市です。この本は、たぶん私がロンドンに暮らしていたときに、アフリカ・ブック・センターで手に入れたのだと思います。いろいろな情報にあたってみると、ハードカバーは、それより前の1962年に出ているようです。本書はアメリカでも1971年にアン・ペロウスキーの序文と別の人の挿絵がついたものがのが出ていますし、ポーランド語版も出ています。

イギリスに植民地にされていたナイジェリアが独立したのは、1960年。それまでは学校教育でも、イギリスの学校で使われているようなものがそのまま使われていたといいます。独立後、ナイジェリアの子どもにはナイジェリアの文化や伝承を教えようということで、ナイジェリアの人が収集した昔話の本なども出るようになるのですが、本書はその先駆けとなりました。

私が持っている原書には、著者の情報や序文などもついていないのですが、アメリカ版やポーランド版によれば、著者のアバヨミ・フジャは1900年に生まれて、ナイジェリア最大の都市ラゴスで学校教育を受け、1938年に自分の民族であるヨルバ人の民話の収集を始めたようです。「ヨルバの人たちの間には、夜になると──月の明るい夜だとなおさらですが──子どもたちを集めてこうしたお話を語ってやる習慣がありました」とあり、また著者が語りを職業をするソコトという人から、お話をたくさん聞いたということも書いてあります。

ともあれ、著者のアバヨミ・フジャは、国際的に出版されている本がこの1冊のみで情報が少なく、翻訳権の処理が非常に困難でした。この「世界J文学館」の責任者である塚原伸郎さんが東奔西走してくださった結果、なんとか出せるようになったのです。

ヨルバ人というのは、ナイジェリア南西部のほか、ベナン、トーゴにも暮らしていて、ヨルバ語を話しています。著者のフジャは、ナイジェリア人です。

ナイジェリアは、西アフリカにある国で、アフリカ大陸の中では最も人口が多く、2億人以上が暮らしています。多民族国家で、一つのナイジェリアという国の中に500を超える民族が共存しています。ヨーロッパに植民地にされる前は、いろいろな王国が栄えていて、独自のすぐれた文化を持っていました。

多くのみなさんは、サッカーが強い国としてご存知かもしれません。ナショナルチームはスーパーイーグルスという名前で、オリンピックでも何度かメダルを取っています。

映画産業もさかんで、ナイジェリアの映画産業はノリウッド(ナイジェリアのハリウッドとという意味)で年間約2000本の映画が制作されています。音楽の分野でもアフロビーツのフェラ・クティやジュジュミュージックのキング・サニー・アデといった国際的なスターを生み出しています。また土や銅やブロンズで作った彫刻には、ほんとうにすばらしいものがあります。

食べ物についていえば、本書にも出てくるフーフーはイモをつぶして作るもので、ナイジェリアの人たちの主食の一つです。お米ではよくジョロフライスというものを作りますが、これは肉、タマネギ、トマト、スパイスなどを入れてたいたお料理です。ヤムイモは、根を食べるヤマノイモ科のイモで、ナイジェリアは世界一の産地です。コーラナッツは、コーラの木の種子で、カフェインを含むので、ナイジェリアではドライバーがよくかじっています。また儀式のときにも必ず出されるものです。初期のコカ・コーラの原料にはコーラナッツが使われていたといいます。味は苦味があり、ナイジェリアを旅行したときに何度も食べてみましたが、私はそうおいしいとは思いませんでした。でもいつもかじっていると、やみつきになるのかもしれません。飲み物では、本書にはひんぱんにヤシ酒が出てきますが、これはヤシの樹液を発酵させて作るお酒です。

本書には、ジュジュという言葉もよく登場しますが、ジュジュとは魔力のことでもあり、魔力がこめられた物のことも指します。「ネコとカメのレスリング」では、強力なジュジュを持っている者が勝利をおさめるし、「めんどりとタカ」では、タカにジュジュをもらっためんどりが敵に襲われなくなります。「働いてはいけないアランテレ」では、子のない夫婦が祈祷師のジュジュのおかげで娘を授かるし、「カエルの骨」では強力なジュジュを持つカエルをだれもが恐れています。

また歌や踊りも、力を持っているものです。「オタマジャクシの悲しいお話」では、オタマジャクシが即位式の前に酔っ払っておどりまくります。「男の子と魔法のヤムイモ」では、男の子が歌をうたうと、動物たちはうっとりと聞きほれて繰り返すようたのみ、やがてはその歌に合わせておどりだします。また「キンキンとネコ」では、キンキンがうたうと、畑が一瞬にして草ぼうぼうになってしまいます。また、「鳴らないタイコ」からは、儀式でタイコが重要な役割を果たしていたことがうかがえます。

本書のタイトルにもなっている最初の「1400個のコヤスガイ」はいわゆる「積み重ね歌」あるいは「積み上げ歌」と言われるものです。イギリスのマザーグースにある「これはジャックが建てた家」などが有名ですが、ヨルバ人に伝わるこの話はまた少し趣が違うのがおもしろいところです。また最後の「カエルの骨」では、カエルが人形につけたゴムの樹液で身動きがとれなくなりますが、これを読んで、アフリカ系アメリカ人の昔話にある「タールベイビー」を思い出す方もおいでだと思います。「タールベイビー」では、ウサギが人形に塗ったタールのせいで身動きがとれなくなっていました。アフリカのほかの地域にもいたずら者がねばねばしたもののせいで人形に貼り付いてしまう昔話があり、それが奴隷といっしょに海をわたってアメリカまで伝わっていたことがわかります。

「ふたご」の話は、タイウォ、ケヒンデというふたごが主人公でした。ヨルバ人のふたごには、伝統的にタイウォ(もともとの意味は、世界を味わう者)とケヒンデ(もともとの意味は、あとから来た者)という名前がついています。私が個人的に知っているタイウォさんは女性でしたが、やはりケヒンデさんというふたごがいました。

ナイジェリアやヨルバの人たちの文化に思いをはせながら、本書の昔話を楽しんでいただけると幸いです。

編集の坂本久恵さんにはお世話になりました。ありがとうございました。

さくまゆみこ

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『女たちの物語』表紙

女たちの物語〜アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話

国際アンデルセン賞作家のヴァージニア・ハミルトンは、母、おばなど親族の女たちからたくさん話を聞いて育ちました。そして自分でも、アフリカ系の女たちが登場するそうした話をまとめたいと思っていました。そして出した本書に載っているのは、動物が登場する昔話、ちょっと怖い伝説、ファンタジー、実話と種類はさまざまですが、どれも強く印象に残ります。ディロン夫妻の絵もすばらしいですよ。ハミルトン自身による解説と、なぜこの本を出すにいたったかというもう一つの物語もついています。

〈目次〉

◯女たちの動物の話

小さな女の子とバーラビー
リーナと大きなトラ
マリーと赤い魚
仲間を手に入れたミズ・ハティ

◯女たちのおとぎ話──妖精や魔女の話

ネコ皮かぶり
よいブランシュと、悪いローズと、おしゃべりする卵
メアリベルと人魚
光りかがやく妖精を見たベットおっかあ

◯女たちの超自然の話

ほう、ほう、ほほう
メイシーとブー・ハグ
ローナとネコ女
マリンディと小さな悪魔

◯女たちの暮らしぶりと伝説

最初、女と男は対等だった
ルエラとオウム
閉じこめられた人魚
アニー・クリスマス

◯女たちの実話

ミリー・エヴァンズ:プランテーション時代(ノースカロライナ)
レティス・ボイヤー(ノースカロライナ)
メアリ・ルー・ソーントン:わたしの家族(オハイオ)

 

〈訳者あとがき〉

本書をまとめたのは、アメリカの女性作家ヴァージニア・ハミルトンです。

ハミルトンは、1934年に生まれ(1936年という情報も出回っていますが、オフィシャルなウェブサイトには34年と書いてあります)オハイオ州南西部にある祖母の一族が持っていた農場で育ちました。子どものころは、著者あとがきにもあるように、家族や親族からたくさんの物語を聞いて育ちました。両親もすばらしい語り手で、アフリカ系の人々の歴史や文化を誇りをもって伝えてくれたと言います。祖父のレヴィ・ペリーは、幼い頃母親と一緒に売られた奴隷でしたが、1857年に母親の助けを借りてヴァージニア州からオハイオまでやって来て、自由人になった人です。レヴィを助けたのは、「自由への地下鉄道」という南部の奴隷を北部に逃がすための人間のネットワークでした。

ヴァージニア・ハミルトンは、1953年にはニューヨークに出て、博物館の受付やナイトクラブの歌手などをして生計を立てながら、作家になろうと努力していました。1960年には詩人のアーノルド・エイドフと結婚し、その後作家活動に専念するようになります。

作家としては、1967年に『わたしは女王を見たのか』(邦訳:鶴見俊輔 岩波書店)を発表して以来、41点の作品を出版しました。ジャンルは絵本、昔話、ミステリー、YA小説、伝記と多岐にわたっています。『ジュニア・ブラウンの惑星』(1971/邦訳:掛川恭子 岩波書店)でアメリカで最も権威あるニューベリー賞のオナーを受賞し、『偉大なるM.C.』(1974/邦訳:橋本福夫 岩波書店)で、ニューベリー賞とボストン・グローブ・ホーンブック賞と全米図書賞を受賞しました。ニューベリー賞の本賞をアフリカ系の作家が受賞したのは初めてのことでした。その後も、『マイゴーストアンクル』(1982/邦訳:島式子 原生林)でニューベリー賞オナーとコレッタ・スコット・キング賞とボストン・グローブ・ホーンブック賞、『人間だって空を飛べる〜アメリカ黒人民話集』(1985/邦訳:金関寿夫訳 福音館書店)と、本書『女たちの物語〜アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話』(1995)でコレッタ・スコット・キング賞と、数々の賞にかがやいています。

また1992年には、全業績が評価されて国際アンデルセン賞を受賞しています。これは世界で最も権威ある児童文学の作家・画家にあたえられる賞で、この賞をアフリカ系アメリカ人が受賞したのは初めてのことでした。さらに、1995年にはローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞しています。この賞はアメリカで作品を出版し、長年にわたって児童文学に多大な貢献をしてきた作家・画家にあたえられる賞ですが、ワイルダーの作品には人種差別的な表現が含まれていることから、名称が2018年に「児童文学遺産賞」へと変更されています。

ヴァージニア・ハミルトンは、アフリカ系アメリカ人の子どもたちを主人公にし、彼らが誇りをもって読めるようなフィクションを書くと同時に、アフリカ系の人たちの間に伝承されてきた昔話や伝説を、今の子どもたちに伝えることにも力を注ぎました。『人間だって空を飛べる』や本書は、その成果と言えるでしょう。

さらなる活躍を期待されていましたが、2002年に乳がんで死去しています。

アフリカ系アメリカ人の昔話といえば、ジョエル・チャンドラー・ハリスという白人のジャーナリストが南北戦争後に南部の黒人たちから話を聞き出して新聞に掲載し、後に本にまとめた『リーマスじいやの物語〜アメリカ黒人民話集』(1881)があります。当時ベストセラーになったこの民話集は、かつては奴隷だった「リーマスじいや」が、南部の黒人たちが使うだろうとハリスが考えた言葉遣いで、白人の子どもに語って聞かせるという体裁をとっていて、ブレアラビット(ウサギどん、ウサギ兄貴)など動物たちがいろいろ登場してきます。

私はイギリスの湖水地方で、ビアトリクス・ポターがこの本を読んで描いた絵というのを見たことがあります。ポターは、その影響もあってピーター・ラビットというちょっといたずらなウサギが登場する絵本を思いついたのかもしれません。ともあれ『リーマスじいやの物語』は、アメリカばかりでなくイギリスでも広く読まれていたようです。

本書にも、「バーラビー」と呼ばれるいたずら者のウサギが登場する話が載っています。ちなみにいたずら者のウサギは、アフリカの昔話とも深いかかわりがあります。アフリカではウサギ(ラビット)ではなくノウサギ(ヘア)として登場してきますが、アフリカ系アメリカ人の昔話とアフリカの昔話には、似たような話がたくさんあって、アフリカから連行された奴隷たちが、昔話もたずさえていき、それを文化として子どもたちに伝えていたことがよくわかります。

本書の挿絵をかいたレオ&ダイアン・ディロンは共同で絵を描き活躍していました。レオはブルックリンで、ダイアンはロサンジェルスで、ともに1933年に生まれ、1954年にニューヨーク市のデザイン学校で出会って結婚し、それ以来50年以上の間、一つのチームとして仕事をするようになりました。1976年と1977年に、『どうしてカは耳のそばでぶんぶんいうの?』(ヴェルナー・アールデマ文 邦訳:やぎたよしこ ほるぷ出版)と『絵本アフリカの人びと』(マスグローブ文 邦訳:西江雅之 偕成社)とで、アメリカで最もすぐれた絵本の画家にあたえられるコールデコット賞を受賞しています。本書の挿絵を見てもわかるように、アフリカ系の人たちを威厳と誇りをもった存在として描いているのが特徴の一つとして挙げられます。レオは、残念ながら2012年に死去しています。

本書には、アフリカ系アメリカ人の女性が登場する話が五つのジャンル別に全部で19編おさめられ、それに加え、著者自身の物語も入っています。シンデレラ物語もあれば、怪力の女性船頭についての伝説、バンパイアや魔女や人魚が登場する話や、神様やイエス・キリストが登場するものもあります。そして奴隷だった時代のことを語る実話も入っています。

原書では、一つ一つの話の最後に、ハミルトン自身による解説が入っていましたが、物語そのものとは対象になる読者も違うので、本書では後ろにまとめてあります。

アフリカの昔話と同様、一味ちがう趣をもった話が多いのですが、そこがおもしろいところだし、だからこそ印象に残る話も多いのではないかと私は思っています。ともあれ、ハミルトンが書いた「はじめに」にあるように、楽しく読んでいただければ幸いです。一つだけ言い添えておくと、本書は『女たちの物語』となっていますが、男性読者が読んでもおもしろいと私は思っています。

編集の坂本久恵さんに感謝いたします。

さくまゆみこ

 

 

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『アフリカン・マジック』表紙

アフリカン・マジック〜ネルソン・マンデラが選んだ昔話と物語

南アフリカの出版社が出した昔話と物語です。語り伝えられてきた昔話と、昔話をもとにした創作物語の両方が入っています。後ろの方にある「本書の物語について」というところには、一つ一つの物語の由来が書いてあります。

〈目次〉

1)怪鳥のふしぎな歌(タンザニア)
2)ネコはどうして家の中でくらすようになったのか(ジンバブウェ)
3)動物たちはどうやって草と水を手に入れたのか(南部アフリカ・サン人)
4)ライオン王のおくりもの(南部アフリカ・コイコイ人)
5)月のお使い(ナミビア)
6)ヘビの呪い(西アフリカ/ズールーランド)
7)怪物とフラカニャナの知恵くらべ(南部アフリカ・ングニ人)
8)サンカンビのあまい言葉(南部アフリカ・ヴェンダ人)
9)ノウサギとハイエナ(ボツワナ)
10)ライオンとノウサギとハイエナ(ケニア)
11)言うことを聞かなかったマディペツァネ(レソト)
12)川から来たカミヨ(トランスカイ)
13)クモとカラスとワニ(ナイジェリア)
14)ダンスに出かけたナティキ(南アフリカ・ナマクアランド)
15)ノウサギと木の精霊(南部アフリカ・コーサ人)
16)カマキリと月(南部アフリカ・サン人)
17)七つ頭のヘビ(南部アフリカ・コーサ人)
18)ノウサギの仕返し(ザンビア)向けと
19)オオカミの妃(南アフリカ・ケープのマレー人)
20)ファン・フンクスと悪魔(南アフリカ・ケープのオランダ人)
21)オオカミとジャッカルとバターのたる(南アフリカ・ケープのオランダ人)
22)雲の国のお姫様(エスワティニ)
23)水場を守るヘビ(中央アフリカ/ズールーランド)
24)アリとスルタンのむすめ(南アフリカ・ケープのマレー人)
25)王様の指輪
26)かしこいヘビ使い(モロッコ)
27)びんに閉じこめられたアスモデウス(南アフリカ・ケープのイギリス人)
28)美しい若者サクナカ(ジンバブウェ)
29)〈すべての子どもの母〉(マラウィ)
30)妹がほしかったピピディ(ボツワナ)
31)フェシト、市場へ行く(ウガンダ)
32)魔女と竜と異国の紳士(南アフリカ・ケープのイギリス人)

 

〈訳者あとがき〉

本書はもともと南アフリカの出版社が英語で出したもので、原著にはアフリカ人画家の挿絵が入っています。原書の書名は「マディバ・マジック」。マディバというのは、ネルソン・マンデラの氏族の名前だそうですが、南アフリカの人々がマンデラ元大統領を尊敬と親しみをこめて呼ぶ言葉です。私は2004年にケープタウンで子どもの本世界大会に参加したとき、ケープタウンの本屋さんで原書を見つけて購入し、いつか日本でも紹介したいと思っていました。

今回の『世界J文学館』についての企画を考える時、アフリカ地域から選ぶとしたら何がいいだろうと、いろいろ考えたました。アフリカといっても広い大陸で、教科書以外の子どもの本を出している国もいくつかあります。その中には日本と同じように、学校物語や家族の気持ちのすれ違いや初恋などを描いている作品もあります。でも、日本の今の子どもたちが読んでおもしろいと思えるかどうかが疑問でした。

アフリカ地域から日本の子どもたちへぜひ読んでほしいのは、やはり昔話が中心になるかもしれないと、私は思いました。そこで、まず候補に挙げたのが本書です。

長くヨーロッパの植民地にされていたアフリカ各国では、一九六〇年代に独立するまでは、学校でも、生徒たちはヨーロッパ人が書いた物語や詩を勉強していました。でも、それでは自分たちの文化がすたれてしまうし、アフリカで暮らす子どもたちのためにはならないと思って、作家たちは危機をいだきました。そして目を向けたのが、アフリカの伝統の中にある「声の文化」でした。アフリカには歴史的に文字の文化(読む・書くの文化)より声の文化(話す・聞く)のほうが豊かにありました。そこに自分たちの文化のルーツの一つがあると作家たちも考えたのです。なので、独立後にアフリカの人たちがまとめた子どもの本の中には昔話がたくさんあるし、昔話から発展した物語もあります。

本書は、マンデラさんが南アフリカで実現しようとした「虹の国」(人種差別をやめて、肌の色にかかわらず、みんなで協力してつくる国)の理想を、体現している本だとも言えます。南アフリカがアパルトヘイトという人種差別的な政治を行っていたとき、黒人たちの文化は無視されていました。でも、本書には、アフリカ大陸に最も古くから住んでいたサン、コイコイ、ナマ、今の南アフリカをになうズールー、ヴェンダ、コーサといった人たちの昔話ばかりでなく、オランダ系、イギリス系、アジア系の人たちに伝わる昔話も入っています。それに加え、タンザニア、ジンバブウェ、ナミビア、ボツワナ、ケニア、レソト、ナイジェリア、ザンビア、エスワティニ、モロッコ、マラウィ、ウガンダといった南アフリカ以外の国の昔話や創作物語も収められています。

再話・創作したのは、主に南アフリカに暮らす多様な人々ですが、そのうち私はチナ・ムショーペさんとジェイ・ヒールさんにはお目にかかって話したことがあります。チナさんは、コーサ人の母とズールー人の父の間に生まれ、女優、詩人、戯曲作家、ストーリーテラーとして世界で活躍しています。南アフリカが民主化するまでは、アパルトヘイトを廃止させようとする活動も行っていました。チナさんのストーリーテリングは日本でも、南アフリカでも聞きましたが、演劇の要素が入ったすばらしいものでした。ジェイさんは、ロンドンに生まれてオックスフォード大学で修士号まで取り、イギリスや南アフリカの学校で子どもたちを教え、その後子どもの本を書いたり、編集・出版したり、読書普及活動をしたりなさっていました。ケープタウンの子どもの本の世界大会のときにはIBBY南アフリカ支部の会長をしておいででした。今回この本を訳すにあたっていろいろと調べてみると、ジェイさんは昨年暮れに亡くなられていたことがわかりました。とてもまじめて→おもしろい方だったので残念です。

ここに集められたアフリカの昔話には、アフリカ全体の昔話の特徴もよくあらわれています。まず動物が登場する話が多いことにお気づきだと思います。アフリカの人は人間を主人公にして話すと、あとで角が立つので、擬人化した動物を登場されるといいます。アフリカの人たちは、知恵(時には悪知恵も)を使って、小さくて弱い動物が、大きくて強い動物を出しぬく話が大好きです。本書にもいたずら者のノウサギやカメが登場する話が、収められています。動物ではありませんが、怪物と知恵くらべをするフラカニャナや、サルたちをだますサンカンビも、知恵を使って生きのびたり、今ある秩序をひっくり返したりするいたずら者(トリックスター)の話です。ヘビが登場する話も三つ入っています。ほかに、動物と人間の両方が登場する話、魔力を持つ者や妖怪が登場する話などもあります。

また歌が入ってくるのも、アフリカの多くの昔話に見られる特徴です。チナさんのストーリーテリングも、最初は静かにお話を語ることから始まり、そのうちに歌や太鼓や踊りにつながっていきました。日本のストーリーテリングは声色も使わず、どちらかというと淡々と語っていきますが、アフリカのストーリーテリングはもっと演劇的な要素、ミュージカル的な要素が強いと言えるかもしれません。

グリム昔話や日本の昔話に親しんできた方たちの中には、意外な展開に驚かれたり、ちょっと残酷かと思われたり、いたずら者やだまし上手な存在が主人公になっていることに眉をひそめる方もおいでだと思います。しかし、昔話というのは、もともと暗い夜に燃える火を囲んで、日常とは切り離された別次元で起こる出来事が語られるのを聞いて楽しむものでした。欧米や日本では、語りの文化が弱くなり文字の文化が主流になったとき、子どもに聞かせるお話の中からトリックスターや残酷な要素は排除されてしまいました。でも、アフリカではまだその要素が残っているということかもしれません。そういう意味では、昔話の原型やダイナミズムを感じていただけるのではないかと思います。

本書を翻訳するにあたっては、編集の坂本久恵さんと塚原伸郎さん、ツワナ語の歌の意味を教えてくださった国際協力機構(JICA)ボツワナ支所と京都大学の高田明先生には特にお世話になりました。ありがとうございました。

アフリカの子どもたちが楽しんでいる昔話や創作物語を、日本の読者のみなさんも楽しんでいただけるとうれしいです。

さくまゆみこ

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『小学館世界J文学館』表紙

小学館世界J文学館

世界のおもしろい作品125点が電子書籍として読める本です。私は最初の企画段階から相談を受け、こんな作品を載せたらおもしろいのではないか、とか、こんな方に翻訳をお願いしたらいいのではないか、という提案をさせていただきました。

私が訳した作品は、以下のものが入っています。

・『女たちの物語~アフリカ系アメリカ人が語りつぐ民話と実話』ヴァージニア・ハミルトン編 レオ&ダイアン・ディロン絵 (アメリカ)
・『シャーロットのおくりもの』E.B.ホワイト著 ガース・ウィリアムズ絵 (アメリカ)
・『はみだしインディアンのホントにホントの物語』シャーマン・アレクシー著 エレン・フォーニー絵 (アメリカ)
・『1400個のコヤスガイ ~西アフリカ・ヨルバ人の昔話』アバヨミ・フジャ編 (ナイジェリア)
・『アフリカン・マジック! ~ネルソン・マンデラが選んだ昔話と物語』ネルソン・マンデラ編 (南アフリカ、アフリカ各地)
・『チケとニジェール川』チヌア・アチェベ著(ナイジェリア)

(編集チーフ:塚原伸郎さん)

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『わたしは反対!』表紙

わたしは反対〜社会をかえたアメリカ最高裁判事RBG(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)

アメリカの絵本。かなり強いタイトルですが、長いものに巻かれたり、上の方々の言いなりになるのではなく、考えが違う場合は、はっきりそう言いましょう、という思いでつけています。

幼いころ、「犬とユダヤ人はおことわり」という立て札を見て、そのときの嫌な気持ちを忘れずにいました。そして、時代遅れの考え方や、不公平や、不平等や、弱者が虐げられたのを見ると、反対したり、意義を唱えたりしました。それは、最高裁の判事になっても変わりませんでした。

「ルース・ベイダー・ギンズバーグをもっと知るために」という後書きには、その生涯がもう少し詳しく書かれています。また編集の方で用意してくださった「RGBの生きた時代とアメリカの女性に関する主なできごと」という年表もついています。

原書には書き文字がついていて、それが日本語でうまく表現できるかどうか心配だったのですが、デザインの方がうまく処理してくださいました。

(編集:二宮直子さん デザイン:藤本孝明さん、藤本有香さん)

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デミ作『マリー・キュリー』表紙

マリー・キュリー

アメリカの絵本。二度もノーベル賞を受賞した女性科学者の伝記です。ポーランドのワルシャワに生まれ、フランスのソルボンヌ大学に学び、フランス人科学者のピエールと結婚し、二人の娘を育てながら研究に邁進したマリーですが、最近のアメリカの伝記絵本は、人間を偉人というよりひとりの人間として描こうとしているように思います。夫のピエールは放射性物質への被曝のせいで体が弱っていたせいもあり、通りを渡ろうとして馬車にひかれて亡くなります。マリーも、被曝障害で亡くなります。

「ラジウムから出る放射線は、病気の治療に役立つこともあれば、人を殺すこともあるのです。科学者たちは放射性物質をつかうときは体を保護するようになりました。しかし、長年のあいだ被曝しつづけていたマリーは、すでに健康をそこなっていました」と本書は述べています。また時計の文字盤などにラジウム入りの夜光塗料を塗る仕事をして健康をそこねた「ラジウム・ガールズ」についても言及しています。

こういうのを訳すときは、一応テキストを訳してしまってから、一般書の伝記を何冊か読みます。そして疑問のある部分を書き出して、さらに調べるようにしています。異論がいくつかあるときは、原書の文章を活かしますが、原書が大きく間違っていることもあるので、要注意です。

彼女についての最近の伝記は「マリ・キュリー」と書いてあるのが多いかもしれません。フランス風の現地音主義をとればマリになります。でも、現地音主義にこだわると、「マリ・キュリ」になります。それはちょっとおかしいかも、と編集の方と相談して、このようなタイトルになりました。

(編集:鈴木真紀さん 装丁:森枝雄司さん)

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2022年07月 テーマ:アウトローと友だちになる

日付 2022年7月19日
参加者 ネズミ、ルパン、花散里、アカシア、エーデルワイス、コアラ、アンヌ、しじみ71個分、まめじか、西山、さららん、ミズタマリ
テーマ アウトローと友だちになる

読んだ本:

『スネークダンス』表紙
『スネークダンス 』
佐藤まどか/著   小学館   2022.03

〈版元語録〉芸術の町ローマで生まれた圭人は、父親が亡くなったことを機に母と日本に帰国する。東京の町をスケッチしていたある日、圭人はスプレー缶を持ちダイナミックに落書きをしている風変わりな少女と出会い…。


『サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと』表紙
『サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと 』
ベン・デイヴィス/著 杉田七重/訳   小学館   2021.06
WHAT’S THAT IN DOG YEARS! by Ben Davis, 2019
〈版元語録〉愛犬ギズモが老い先短いことを知ったジョージは、ギズモにさせてあげたいことリストを作り実行していく。さまざまな困難を解決していく物語の面白さと、深刻な背景を持ちながらも魅力的なキャラクター達の愛しさにぐいぐいとひっぱられる、笑えて泣けるドタバタ感動ストーリー。

(さらに…)

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『サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと』表紙

サヨナラの前に、ギズモにさせてあげたい9のこと

ルパン:全般的にはおもしろかったのですが、シャロンの描かれ方がどうも…リブは、ほかのだれからも仕事をもらえないのに、シャロンだけが雇ってくれるんですよね。信頼もされていた。なのに、シャロンがずいぶん悪者みたいに描かれているのが違和感ありました。それから、この夫婦が離婚してしまうほど決定的な事件が、ジョージの怪我だったというのも「え?」という感じです。この父親と母親、責任のなすりあいして離婚してしまうわけですよね。ジョージはそのことでいっそう傷ついているのではないでしょうか。

ミズタマリ:正直、前半は間延びしているように思いましたが、読後感はとてもよかったです。犬との友情をはじめ、いろんな形の友情、人間関係が描かれています。ギズモ、つまり犬の一人称だと思っていた章が、最後まで読むと、ジョージとリブが書いたお話を分散して載せていたということがわかります。その仕掛けがとてもおもしろかったし、犬の一人称としては人間に寄り過ぎではないかという疑問も解決しました。気になるところはいくつかありました。まず、犬の腎機能の衰えなのですが、こんな急激に悪化するでしょうか。あと、p.123で、ローザは犬の毛のアレルギーなのだと言います。でも、正確には犬アレルギーは、皮脂などに含まれるたんぱく質由来のはずです。なので、ローザがいい加減なことを言う大人なのだというイメージが焼き付き、後半で誠実な人柄とわかって驚きました。また、p.133で、リブが「約束通り、来てくれたか」と言うシーンがあるのですが、これが男っぽくて、リブは女子だと思っていたけれど本当は男子だっけ、と遡って確認してしまいました。あともう1つ、p.331にギズモが語ることとして「ある種類の肉を買い忘れてしまった」とあるのですが、ある種類、という言葉が不自然に思えました。

西山:最初私はなかなかのっていけなかったんですが、p.81でシャロンがギズモにキスされて声をあげて笑う場面で、ああ、この人は本当に犬が好きな人なのだと好感をもって、やっと作品に入れた気がしたのです。ところがどうもそうじゃなかったということが早々に分かって、好きになれるポイントがなくて戸惑ったままでした。いじめっ子側にべったりになってしまったマットにしてもシャロンにしても、日本の創作だったらこれほど切り捨てなかったのではないか、もっとこまやかに彼らのことも嫌いになれない背景がちらりと書き込まれていたのではないかと思うと、そもそも読み方を変えなきゃいけなかったのかなと、テイストの違いを感じます。安楽死の提案には驚いて、不当な感じがしました。後半がばたばた。そこまでの長さと、後半のエンタメ的なドタバタの連続が不釣り合いに感じて、もっと薄くて、勢い良く展開する本でもよかったのに、と思ってしまいました。1つ質問です。リブの人種って、言葉上では書かれていませんが、表紙の絵で有色人種とわかります。あとp.155に肌の黒いリブが登場しますし、あえて言う必要はないとは思うんですけど、どうしてこういうことになっているのでしょう。

ルパン:p.232ページの挿絵、リブですよね? ここだけリブの肌が白いんですが。

アカシア:そこは私も違和感がありました。そこだけ白い肌で、あとはそうじゃないんですよね。

アンヌ:私は、ギズモの話す章をジョージが書いているとしばらく気づかず、漱石の『吾輩は猫である』の犬版だなあと思いながら読んでいました。リブがシャロンをだましたりけなしたりする場面でも、シャロンは実はリブの母親だから平気なんだろうと思ってしまいました。シャロンは解雇するとき恩着せがましいことを言っているけれど、きっと、リブはかなり劣悪な条件で働かされていたんだろうと思います。ジョージのパニック発作の原因が両親のけんかというのはもう一つすっきりしない説明だと思いつつ、とにかく、老犬の割には大活躍のギズモが楽しくて、ジョージの腕の中で眠る最後でほっとしました。私は『ヘリオット先生奮戦記』(ジェイムズ・ヘリオット著 大橋義之訳 早川文庫)が大好きで、あのシリーズでは、獣医である主人公が動物に苦痛を与えないための決断だとして安楽死を行う場面がいくつかあるのですが、今回はあまり必然性がないようで、それを迫る親たちの態度に疑問を感じました。ジョージはきちんと別れの儀式を組んでいるのですものね。

花散里:いじめられっこのジョージと愛犬ギズモの物語はおもしろさが伝わり、子どもたちもとても読みやすいのではないかと思いました。作者はイギリスの学校をまわって文芸創作のワークショップをしているので、子どもたちを見て作品づくりに生かしているのが伝わってくるようでした。後半に向かって、どんどん読ませる構成がとても上手だなと思いました。犬との触れ合いがよく書かれていて、表紙画とともに子どもたちが手に取りやすいのではないかと感じました。この作者の新しい作品、『ぼくたちのスープ運動』(渋谷弘子訳 評論社)も読んでほしいと思います。

まめじか:タイトルは「ギズモにさせてあげたい」となっていますが、丘に登るとか、有名になるとかは、主人公がしたいことですよね。飼い主目線というか、飼い主の思い出づくりのように感じてしまって……。p.59に、「このころから、ジョージは文字を書くのがあまり得意じゃなかった」とあるのですが、ジョージはディスレクシアなのでしょうか? お話はずっと書いているようなのですが。

花散里:パニック障害はあるんですよね。そういうところとつながっているのかな。

アカシア:ディスレクシアではないんじゃない? スペリングが苦手なのかも。

まめじか:p.98で、マットに対して「きみ」という二人称を使っていたり、「こっけい」(p.248)という言葉で表現していたり、13歳らしからぬ言葉づかいなのは、この子が周囲から浮いてるから?

エーデルワイス:日本語の書名は原題とは違うので、翻訳はおもしろいですね。「死ぬまでにしたい10のこと」という映画 がありましが、それもどきでしょうか? 読んでいて想像する部分が多かったです。両親の離婚は、ジョージの事故がきっかけに過ぎず、前々より隙間風が吹いていたのかもしれないし、親友だったマットがこれでもかこれでもかといじめる理由が全くわかりませんでした。ジョージの何か言った一言が気に障ったのかな? それどもジョージが幼すぎたのでしょうか。p.339の12行目「この一瞬を生きるんだよ」はいいですね。雑種犬コンテストの賞金が400ポンド。1ポンドを164.35円に換算すると65,740円になります。確かにジョージにとって大金ですね。

ネズミ:非常にうまい構成の物語でさっと読めましたが、物足りなかったです。ゴールデンビーチに行くことで、めでたしめでたしのように見えるけれども、両親の離婚でパニック障害気味でひとりぼっちというジョージのかかえている問題も、ヤングケアラーとしてのリブの問題も、それで本質的に解決したわけではない気がして、後半は特に都合のよい展開が多く感じられました。エンタメと思いましたが、それにしては言葉が多く、よく読める読者じゃないと読みとおせそうにありませんし。でも、p.230の高い丘から町を見下ろすシーンは好きでした。視野を広げるのって大切だなと。ただ、気にかかったところがところどころにあって、たとえばp.48の「中華料理を注文した」。少し言葉を足さないと、バーベキューができなかったから出前を頼んだと、読者にわからないかもしれません。また、p.190の5行目など数箇所で「いつぶりだろう」は違和感がありました(参加者から「若者言葉だ」という発言あり)。あと、どうかなと思ったのは、ギズモの一人称の部分の文体。人間の年でいえば78歳の老犬なので、私はもっとおじいさんぽい口調になるかなと思ったのですが、書いているのは主にジョージなのでこれでいいのでしょうか。みなさんがどう思ったか、お聞きしたかったです。

アカシア:読む前にネットで梗概をを見たら、ドタバタって書いてあったで、ああ、ドタバタの話なんだなと思って読み始めました。ジャックは、中学生なのに昔のヒーローの衣装を着て犬にも着せて友達のパーティに行ったりするところを読むと、もしかすると発達がゆっくりなのかもしれません。そのジャックが、空気が読めなくて仲間はずれにされたり笑われたりするシリアスな場面と、老犬ギズモがやらかすドタバタな部分の落差はかなりあります。そこをどう評価するかは、人によって違うかと思うのですが、私は子どもの本として絶妙なミックス具合だと思いました。愛犬が高齢で体力もなくなったときに、死ぬまでに何をやりたいかを考えてリストを作り、一つ一つ実現していくというのも、いいですね。ギズモに何かをやらせてあげるというよりは、ギズモと自分で思い出をちゃんと作ろうということなんだと私は理解しました。医者も家族も安楽死を勧めたのに、それを拒否してもっとすばらしい最期を迎えさせてやれたところも好きでした。タイトルですけど、「9のこと」はすわりが悪いので「9つのこと」くらいでいいような。あと、ギズモがコンテストで優勝するとか、悪党を退治するなんていう部分は、ちょっとできすぎかもしれません。

しじみ71個分:前の選書当番のときに、なんとなくエンタメっぽいかと思ってやめた本でしたが、改めてちゃんと読んでみると案外おもしろかったです。犬の看取りの物語なのかと思えば、そこにちゃんと主人公の成長も重ねてあってよかったです。ジョージがみなさんのおっしゃるように、ちょっと発達に遅れのある子なのかなと思うほど、ちょっと幼くて、友だちのマットの心変わりに気付かず、いじめの対象になってしまいますが、ギズモと思い出作りをしながら過ごす中で、もう自分を大事にしない人は友だちでないと思えるようになり、たくましくなっていくのが心に残りました。リブもヤングケアラーで、貧困のせいでいじめられたりもしますが、ギズモの活躍のおかげで行政の支援が受けられるようになってホッとしました。物語の中では、子どもが大怪我をしたからといって離婚にまでなってしまうかなと思ったし、リブがギズモとコンテストに出ると言った時点で、本番にはリブは来ないなと読めてしまうのでありがちかなとも思いましたし、ギズモが強盗の急所にかみついて御用になるとかは、ちょっとご都合主義だなと思いましたが、最後にゴールデンビーチで夕陽を見ながら家族が和解する中ギズモが旅立つというシーンは、ちょっとぐっと来ました。痛快だったのは、ジョージとギズモが仮装してパーティーにいってみんなに笑われて帰るところ。マットの靴の中にギズモが糞をしてしまうのは最高に痛快でしたね。あと、タイトルが「ギズモにさせたい」というより、「ギズモとしたい」の方がしっくりきたんじゃないかなと後から思いました。

さららん:前半では、何度いじわるされてもまったくめげずに、かつては親友だったマットと仲直りできると信じて突き進むジョージに、どうしても共感できませんでした。現実に起きていることと、ジョージの認識の間に差がありすぎて……。「おいおい」と、つっこみを入れながら読んでいたのですが、ジョージには何か障害があって、人の感情を読み取るのが苦手な子なんだと思いなおすと、違う視野が開けてきますね。ともあれp.131で、ジョージがマットと決別する決心をしてくれて、ホッとしました。両親の離婚は自分のせいだと抱え込んでいる部分もあるジョージですが、一方で、なんとかなるさと前向きに行動するところが大きな長所です。リブに助けながら、ギズモが「死ぬまでにやっておきたいリスト」の項目を1つずつ実現させていく。そしてジョージはリブとの友情を深めるなかで、それまで知らなかったいろんなことに気づきはじめる。最後にギズモは死んでしまうけれど、全体として悲しくてたまらない物語にはなっていないところがいいな、と思いました。物語の終盤で、ギズモが泥棒に果敢に食らいついてやっつけるエピソードでは、瀕死のギズモにそんな体力が?と、つっこみを入れたくなりましたが、ともあれ死を迎える愛犬との暮らしをコミカルに明るく描いた、ユニークな物語です。細かい部分をあまり気にせずに読んでいければ、読者の子どもたちも「ギズモと知り合えたぼくは、よりよい人生を勇敢に送っていかなきゃ」(p.359)というジョージの言葉を素直に受け止められるでしょう。

アカシア:シャロンのキャラクター設定が揺れてるんじゃないか、という声がありましたが、最初は笑ってますけど、あとは「うすら笑い」となっているので、一応ちゃんと書いているかな、と思いました。今回のテーマは「アウトローと友だちになる」ですが、この作品でも『スネークダンス』でも、両方ともアウトローは女の子です。どちらも社会に反発を感じて、家族という点では大変なものを抱えていますが、この女の子のアウトローたちが男の子たちを成長させていき、それによって自分たちも少しずつ変わっていくという設定がおもしろいなと思いました。

まめじか:ジョージは「ウルトラボーイとワンダードッグ」のお話をずっと書いていて、そのことはギズモの章にも出てきます。最後にギズモの自伝をリブに見せる場面があるので、つまりそれは、ワンダードッグのお話とは別に、ギズモの自伝も書いていたということですよね?

アカシア:そういえば確かに、そこははっきりしませんね。

(2022年7月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『スネークダンス』表紙

スネークダンス

アカシア:とてもおもしろく読みました。イタリアと日本の文化の違いに、人間の生き方を重ねているのがおもしろいですね。同じ建物に住むバスケ仲間には、日本人やイタリア人のほかにインド人、韓国人、スコットランド人などもいて多様なのもいいですね。個人的におもしろいな、と思う表現がいろいろありました。[数をかぞえる単位がヨーロッパは3桁ずつ、日本は4桁ずつ]というところは、そういえばそうだと再認識しましたし、[母語や母国語ではなく母校語がいちばんしっくりくる]とか[日本の男子中高生の一人称は「オレ」]、[大理石の国から、木とたたみの国に来たんだ][イギリスはイタリアより差別が厳しい]、[ローマでは美術館などは無料で入れる]などというところ、著者の視点で私も新たに文化を見直すことができました。著者がふだんイタリアに住んでいる方なので、編集のほうでもう少しアドバイスすればいいのにな、と思うところもありました。たとえばp.11の「もちろんさ。マッテオは日本のアニメ大好きだもんな」は、二人称ではなくマッテオと言っているところが日本的な会話になっていて、さすがと思ったのですが、p.7の「いらないってば。この悪魔め!」は翻訳調ですし、p.120の歩のセリフ「あんがと。あとであたしが取りに来る」は、日本語だと「取りに行く」になるんじゃないかな。それと、p.165の圭人の独白「まっぴらごめん」は、今の子は使わない言葉かもしれません。そうそう、圭人(けいと)という名前ですが、ヨーロッパだとKateが女性名なので男の子にはつけない名前かも。著者はあえてそうなさっているのかもしれませんが。今回のテーマで言うと、アウトローの歩を圭人が惹かれたり否定したりしてとても気がかりな存在になっていく、というのがおもしろいと思いました。

ネズミ:私もとてもおもしろかったです。まず、主人公に寄り添って読んでいけるのがうまいなと思いました。そして、タイトルと表紙を見てダンスの話かと思ったら、そうじゃなくて、ストーリーもどんどん思いがけない展開があって、思ってもみないところに連れていかれます。予想がついてしまう物語も多いなか、自然な形で予想を裏切ってくれて、楽しめました。同じ作者の『アドリブ』(あすなろ書房)は音楽でしたが、この本ではローマの建築や絵の蘊蓄が盛りこまれていて、多分作者が意識的にしているのだと思いますが、10代の読者に新しい世界を受け止めやすい形で差し出しているところも好感を持ちました。

エーデルワイス:表紙のイラストとカバーイラストが違っていてオシャレです。題名の『スネークダンス』とカバー絵で主人公の杏里圭人と山中歩が踊っているので、ダンスの話かと勘違いしました。法隆寺の話になるとは! 圭人が宮大工になろうと意思を固める展開に驚きました。作者が住んでいるイタリアならではの内容で、読みごたえがありました。かつてコロッセオでは公開処刑を行っていたものの、今は死刑を廃止しているイタリア。世界中のどこかで死刑が廃止されると、コロッセオでセレモニーが行われることを本文で初めて知り、感銘を受けました。杏里圭人(あんりけいと)の名前は西洋風ですが、日本に「杏里」という苗字があるのでしょうか? 作者がアンリ・マティスが好きなせい? 終盤、圭人の父親を引き逃げした犯人が逮捕され、圭人の心にやっと平穏をもたらしますが、歩の家庭問題は解決していません。歩を理解してくれるおばあちゃんと古き良き家屋に住んでいますが、愛情を全く感じられない父親、若い義母、母親。続編があるのでしょうか?

まめじか:最初のほうでローマの建築の話が続くのですが、それに十分なページを割いてていねいに描いているから、圭人が建築に興味をもち、やがて宮大工を目指すようになる過程にも説得力がありました。先ほど歩の家庭の問題が解決されないという話がありましたが、こういうふうに親が子どもを養育しようとしないことって、現実の世界にもたくさんありますよね。歩は父親とわかり合えず、圭人は父親をひき逃げ事故で亡くし、ままならない現実にそれぞれ直面している。そこでつぶれてしまうのでなく、人との出会いや、好きなことや夢を、前に進む力に変えていく。レジリエンスというか、逆境の中でもちこたえる力を、五重塔の耐震構造に重ね、スネークダンスという言葉で表現しているのが見事だなあと。日本の景観の問題や、イギリスの差別のことなど、長くイタリアに住んでいる作家の方ならではの視点ですね。視野の広さを感じました。

花散里:ローマの古代建築と東京・下町の建築などの対比の中で物語が展開していくので、とても関心を持って読みました。父親を交通事故で失い、日本に帰らざるをえないときの主人公の心の機微も伝わってきました。日本に帰国してからの歩との出会いも興味深く展開して行き、作品の構成も上手だと思いました。法隆寺や宮大工についてもよく調べられていて、法隆寺の心柱の考え方を「スネークダンス」に繋げているところなどが印象的で読後感がよく、日本の作品のなかでも読み応えがある1冊だと感じました。

コアラ:私もおもしろく読みました。前半にローマのことがたくさん書かれているのがよかったと思います。p.26の後ろから4行目、「数は何語で数える?」以降が特に興味深かったです。圭人が日本に来てからは、歩のしゃべり方に少し違和感がありましたが、アウトローだからこういうしゃべり方もアリかなと思えたら、圭人との会話がおもしろく感じられました。p.131からの「11 心柱ゆらゆらゆらり」の章は特におもしろくて、p.133の最後の歩の発言には、そうそう、とうなずいてしまいました。読んでいて、歩の考え方に染まってしまいそうな勢いがありました。p.216の8行目から10行目については、私も以前、揺れることによって揺れを吸収するという方法を知って衝撃を覚えたので、「背筋がゾゾッとした」というのはよくわかると思いました。この本を読んで初めてこういうことを知った子がいるとしたら、やっぱり驚きがあるのではないかと思います。最後もうまくまとめられていて、子どもにおすすめの本だと思いました。

ミズタマリ:冒頭にタバコを吸うシーンがあって、攻めている児童書だなと、いい意味で驚きました。イタリアの文化、日本との違いを知ることができ、異文化に触れられる作品です。イタリア以外に、イギリスや周辺国のことにも言及していて、興味深く読みました。ただ、説明的に感じられる部分もありました。建造物についての説明が続く場面では、興味を持てない子もいるのではないか、そういう子はページをめくる手が鈍らないか、と、ちょっと気になりました。2人の友情は魅力的だし、最終的に、主人公が希望を見つけて終わるので、読後感はとてもいいです。1箇所だけ気になったところがありました。p.93で、「外見の似た女の子同士がうなずきあう」という場面。主人公が「この二人の名前を覚えるのに苦労しそうだ。」となっています。でも、主人公は写真のような詳細なスケッチを得意にしているのですよね。一般の人が、似ている女子同士、区別がつかないと思っても、主人公はぱっと違いに気づく、というようなキャラクター設定に思えたので、ここは若干矛盾を感じました。

ルパン:いい本だとは思いますが、おもしろかったかどうかというと、ちょっと…。最初の部分に説明が多くて、おもしろくなるまでに時間がかかってしまいました。子どもの読者は最後まで読み通せるでしょうか。すてきだと思った言葉は、p.217の「名をのこさず匠をのこす」です。あと、歩が親元を離れているのに、制服を着なかったり悪いことをしたりして、遠くから親の気をひこうとしているところが何とも切ないと思いました。

アンヌ:前半がずっと美術館やイタリアの遺跡の話で長いけれど、私は言葉だけでここまで景色を表現できるのか、住んでいる人の視点からの案内は違うなとおもしろく読みました。イタリアで温かい人間関係を築いていて、イギリス社会の構造とかを友人を通して知っている圭人が、なぜ日本ではこんなに消極的な姿勢で目立つまいとしているのかは少し不思議でした。先ほど、まめじかさんおっしゃっていたように、この作品は今までの作品よりさらに人物の奥行きが深くなっていて、その点も素晴らしいと思います。例えば、死んだ父親像を生きていた時の思い出だけではなく、本当は絵を描きたかったのじゃないかと考えさせて、もう一つ掘り下げて描いているところとか、歩のおばあちゃんがケイトの嘘を見抜いていた場面で、あれ?と思っていたら、あとからこの人は実は塾の先生で、ただ者じゃない人だったとかわかるところとか、ですね。また、建物の構造も、授業で見学に行ったと聞いた形でうまく説明されていると思いました。それにしても、法隆寺の構造とスネークダンスがつながるとは意外でした。歩のペイントが、いたずら書きからシャッターペイントに変わり、町の人とつながりが出てくるところ、それによって圭人も変わっていって最後に大声で叫ぶところなど、読後感もよかったです。

アカシア:今、圭人がなぜそこまでびくびくして構えているのか、という疑問が出たのですが、日本の同調圧力はすごいし、日本人学校などでも「目立つとたたかれる」なんていうことを聞いてたからじゃないかな、と私は思いました。父親がいないし、帰国子女だしなど、マジョリティと違う部分を圭人は持っているので、たたかれることを警戒したんじゃないかな。それから、なんだかこの作品を弁護しているようですが、ミズタマリさんがおっしゃったp.93の2人の女の子違いがなんだかはっきりしない、という場面ですが、私は人物より建物に興味をひかれている圭人ならありかと思ったし、イタリアだと髪や目の色も、着てる服も、肌の色もみんなそれぞれ違うでしょうから、日本人が同じような外見で同じような意見を言うのを前にして圭人がそう思うのも当然のように思いました。

ミズタマリ:私もそれはそう思うんですけど、キャラクター設定としてどうかな、と思ったんです。

アカシア:歩が、好きなことは徹底的に追求するところとか、アウトローぶりを発揮するところがとてもおもしろかったです。圭人も最初は嫌がっていますが、影響を受けていきますよね。それに、たぶん歩は圭人が好きなんじゃないかと思いますが、圭人がそれに気づいてないところも、おもしろいな、と思いました。

ネズミ:親じゃなくても、わかってくれる人がいることを書いているのかなと思いました。おばあちゃんは後になって、面倒見のいい塾の先生だったことがわかって、わが子はエリート弁護士になったとしても、孫の成長を見守っている大人だというのが想像されますよね。

ネズミ:谷根千では古い建物を生かしながらやっていこうとしている建築家の人たちがいます。佐藤さんともその人たちとつながりがあるのかもしれないと思いました。

アカシア:建物も、観光地として売り出すところまでいかないと、どんどん壊されていきますね。もったいないです。古い建物をリフォームして住んでいる人が、耐震はどうなのかときいたら、昔の建物のほうがしっかりしているんじゃないか、と言っていました。

花散里:奈良の宮大工棟梁の西岡常一さんの本など読むと、日本の建築の良さがよくわかりますね。

さららん(遅れて参加):『スネークダンス』というタイトルなので、ダンスのお話かと思って読み始めたら、作品のモチーフは建築。しかも大地が揺れると心柱も動くという、法隆寺の心柱の仕組みから来ていることがわかりました。その意外性がおもしろく、またローマと東京の町の景色の違い、文化の保存に対する意識の違いやなど、蘊蓄もふくめて興味深く読めました。圭人は、日本の中学校では周囲と同化するために、一人称を「ぼく」から「おれ」に変えなくてはと考えます。イタリア語だけを使って生きていれば、存在しない気苦労ですよね。そんなふうに、イタリアから帰国したばかりの主人公のナマの感覚、違う視点を、読者が自然に共有できる作品だと思いました。日本への帰国後、できるだけ目立たないようにする圭人と、父親に反発してグラフィティを続ける歩は対照的な存在です。けれど、古い町並みへの愛情では共通していて、ふたりが友情をはぐくむ過程は王道の児童文学という感じ。歩の父親とその恋人の描き方は漫画的ですが、この作品のエンタテイメント性というか、軽快さを保証するためには、そのぐらいでちょうどよかったのかもしれません。最後に帯のことを少し。「芸術の都ローマで生まれ育ったアンリは」とありますが、主人公の名前は圭人(けいと)だったはず。確認したところ、p.88にフルネームの「杏里圭人」が初めて出てきました。「アンリ」は間違いではないけれど、読者にとってはやはり「ケイト」か「圭人」でしょう。

しじみ71個分(遅れて参加):『スネークダンス』というタイトルから、どういうところに話が落ちつくのか期待を持ちながら読み進めました。はじめはイタリアの観光案内みたいだなと思ったところもありましたが、日本とイタリアの間で主人公のアイデンティティの揺らぎを描くには必要だったんだろうなと後から思いました。最後まで読んでいって、やっと主人公の揺らぎを法隆寺の心柱の揺らぎに重ねて、揺らぎながらしっかりと立つという、柔軟な強さにつなげたんだなと腹落ちしました。主人公が将来の夢を見つけて希望を感じさせて終わり、読後感もさわやかです。圭人の将来を決めさせてしまう、宮大工さんがかっこいいですね。「わたしたちは名を残さず、匠を残す」(p.217)の言葉は胸に沁みました。p.218の「和」の解釈で、「つかず離れずの間合いの『離』を保つことが『和』の前提」というところなどは本当にそのとおりと思いました。おもしろかったのですが、ただ、歩の家族の問題は解消されないで途中で消えてしまったのがちょっと残念だったのと、圭人と歩の怒りはどこで消えてしまったのかという、なんとなく不完全燃焼感はありました。若者が怒りをもって立ちあがるということを伝えるのはとても大事だと思って読みましたが、それをどうやって自分たちで解消したり、解決したり、折り合いをつけていくのかという示唆がないままだったのが気になったのと、「抵抗と抗議のちがい」について掘り下げがもうちょっとあってもよかったのかなと思ったりもしました。

アカシア:この作品は13歳の少年の一人称なので、抵抗と抗議はどう違うかは書けないでしょうね。

しじみ71個分:なるほど。語り手の人称の視点は、読んだときには欠けていました。

(2022年7月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年06月 テーマ:謎の研究

日付 2022年06月21日
参加者 ネズミ、ハル、シア、ルパン、花散里、すあま、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、オカピ、西山、さららん、サークルK、マリナーズ、雪割草
テーマ 謎の研究

読んだ本:

『紙の心』表紙
『紙の心 』
エリーザ・プリチェッリ・グエッラ/作 長野徹/訳   岩波書店   2020.08
CUORI DI CARTA by Elisa Puricelli Guerra, 2012
〈版元語録〉「はじめまして、だれかさん! 」少年はある日、図書館でほこりをかぶる本の間にはさまれていた手紙を見つける。顔も名前も知らないまま文通を重ねるうちに、思いをつのらせるふたり。お互いの日常をつづるなか、ふたりが暮らす「研究所」の不穏な実体が暴かれていくが……。紙のようにもろく燃えやすい心を繊細にえがいた青春書簡小説。


『博物館の少女』表紙
『博物館の少女〜怪異研究事始め 』
富安陽子/作   偕成社   2021.12

〈版元語録〉明治16年、文明開化の東京にやってきた、大阪の古物商の娘・花岡イカルは、上野の博物館の古蔵で怪異の研究をしている老人の手伝いをすることになる。博物館を舞台に、謎が謎を呼ぶ事件を描くミステリアスな長篇。

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『博物館の少女』表紙

博物館の少女〜怪異研究事始め

すあま:とてもおもしろく読みました。古道具屋の娘のままでもよさそうだけど、博物館で働く、というところがユニークでした。実在の人と建物が出てくるところもよいと思います。シリーズ前提の1作目ということなのか、まだ明らかになっていないことがいろいろあります。タイトルはちょっと古くて、魅力のない感じがしましたが、あえて少女小説のタイトルに寄せたのでしょうか。サブタイトルと合わせれば興味をひかれるということなのかもしれません。主人公は13歳ですが、すでにかなりの知識をもっていて、ちゃんと目利きができる。古道具屋で仕事をおぼえるところも読みたかったです。付録があって、地図が載っているので、読む時の助けになると思いましたが、とじ込みではないので図書館の本だとなくなってしまうかもしれません。

しじみ71個分:最初にこの本を知ったのは新聞広告で、富安さんの10年越しの作品ということでとても興味を持ち、出てすぐに買いました。最初から最後まで、流れるようななめらかな文章で、ワクワクしたまま最後まで読み切りました。これは子ども向けの本なのかしら、と思うほどに枠を感じさせないおもしろさでした。個人的には、上野界隈で数年過ごした経験があるので、東京国立博物館の裏手の木々の鬱蒼とした感じなど、とてもリアルに感じることができ、怪異研究所はあの広い敷地のあの辺りなのかな?など想像も膨らみ、本当に、とてもおもしろく読みました。明治の上野界隈のノスタルジックで、少し怪しげな雰囲気は、『夢見る帝国図書館』(中島京子著、文藝春秋)にも共通するところがありますね。明治になって世の中が変わって、大阪から東京に出てきて、すべてにわくわくする感じがすごくよく伝わってきました。主人公の少女イカルがまた大変に魅力的で、大人を負かすほどの文物に関する知識や、鑑定のできる感性を持っていて、とてもお茶目な女の子で、主人公と一緒になって物語の中で冒険できました。どういう怪異がこのあとのシリーズで起こってくるのかがとても楽しみです。今回の物語も、黒手匣の紛失から隠れキリシタンと不老不死の島にまでぶっ飛んでしまうというのも、展開やスケールがとても大きくて、驚くやら楽しいやらで、物語のおもしろさを存分に堪能しました。この先は、まだ登場してきていない町田さんがどう物語の軸に関わって動いていくのかが楽しみでなりません。怪異研究でも、文物の鑑定でも、イカルちゃんがこれからどんな出来事に出会って、苦難を乗り越えて、どう成長していくのかが楽しみです!

コアラ:おもしろかったです。明治時代がよく作り込まれていて、今では使われなくなったものや事柄や言い回しも使われていて、その時代の物語として堪能できました。1回読んだだけですが、細かいところまで読み込んでいくと、もっとおもしろいかなと思いました。子どもには馴染みのない言葉も出てくるので、本をたくさん読んできた子どもで、子ども向けの本に飽き足らなくなったくらいの子にちょうどいいかなと感じました。

西山:すっごくおもしろかったです。この作品には大きな謎があるけれど、その興味にただひっぱられてページを繰るのではなくて、読んでいる間ずっと楽しかった。途中の景色、風物、主人公の発言や感性、ぜんぶおもしろかった。たとえばキリンの場面。初めて見るイカルの目を通したキリンの姿、それへの驚き、それだけでもおもしろいのですが、「イカルの知らない、どこか遠い国の草原で、この麒麟という動物たちが走ったり、歩いたり、草を食べたりしているのかと思うと、それだけで愉快になった」(p.34)と続くところで、なんてひろびろとした愉快な感性だろうとイカルのことがすっかり好きになりました。あと、女の子が働くことへのエールになっているところもうれしかったです。アキラが「男だからとか、女のくせにとか、つまらないことにこだわらず、どうすれば仕事がはかどるか考える頭」を持っている(p.96)というのもうれしかったし、「生まれて初めて、自分自身でかせいだ一円二十三銭だ。自分自身で働いて給金をもらったのだ。そう思うだけで胸がわくわくした」(p.340)というところから、これから広がる人生へのときめきで閉じるラストもよかったです。

ルパン:ごめんなさい、前評判もすごかったし、富安陽子さんだし、ということで期待しすぎたせいか、私は正直そこまでおもしろいという感じではなかったです。好みの問題だと思いますが。歴史的な背景と怪異現象とが中途半端にまざっている感じで、うまく波に乗れないまま終わっちゃいました。

マリナーズ: 非常にさわやかで、魅力的な本でした。大変な境遇にある女の子が、いきいきと前に向かって進んでいく、元気の出る作品です。特に前半3分の1は、新しい場所で冒険が始まり、いろいろな人たちとの出会いが続きます。楽しく読ませよう、という読者サービスが徹底していることに感嘆しました。もっとも、黒手匣が登場してからは、長く感じるところもありました。話の展開上、同じ場所に2度忍び込まなくてはいけないのはわかるのですが、何かを見つけるとすぐ足音が聞こえてくる、など、似たパターンの描写が多くて、若干ダレました。あと、文章で間取りを説明するのは難しいのだな、と感じます。どこかへ必死に逃げているのですが、建物全体の作りが把握できていないので、緊迫感を感じられないところもありました。読み終わってから別添の資料に気がつき、意外とシンプルな間取りだったのだなと思いました。最後まで来るとカタルシスがあるので、そのあたりの冗長な部分も必要なものだったのだ、と納得できます。おみつの存在が非常に印象深かったです。あと、細かいところですが、p.171の上野動物園の「ケンゴロウ」ってなんだろうと一瞬考えて、カンガルーか! と気づいたときは笑いました。

サークルK:とても楽しく読み進みました。登場人物がいきいきしているし、私も上野の博物館界隈はとっても好きなので。黒手匣の謎解きが、最後に凝縮されているので読む速度のピッチが上がりました。表紙の雰囲気も裏表紙とつながっていて、実は重要な登場人物もさりげなく書き込まれているところが、読後に「そうだったのか」と思わせてくれる粋な図らいに感じました。朝ドラのヒロインのように、主人公が周りの人の温かさに応援されて自分の境遇に負けずに成長していくというところが爽快でした。続編が待ち遠しいです!

花散里:私も『夢見る帝国図書館』を思い出させるようなおもしろさを感じました。上野の国立博物館から寛永寺辺りは好きな場所ですが、図書館で借りた本には付録の地図はなかったので、子どもたちには歴史的な設定など物語の雰囲気が想像しにくいのではないかと思いました。13歳で目利きの才があるというのも無理があるように感じました。アキラの存在などはもっと伏線があってもおもしろかったのではないかと思いました。物語の結末が分かってからの最後の章はなくても良いように思いましたが、富安さんの作品の中では個人的にはいちばん好きな作品だと感じました。

さららん:生まれ育った場所と作品舞台が近いせいで、タイトルを聞いたときから、この本を身近に感じていました。両親を失ったものの、よき人たちに囲まれ、父親から叩き込まれた審美眼で自分の力で人生を切り拓いていく主人公のイカル。トノサマ、アキラなど脇役の描写も巧みで、怪異研究所という設定や、事実を積み重ねながら黒手匣の謎を解明していく展開にもそそられます。親友となる川鍋暁斎の娘トヨも頼もしい存在で、続編では暁斎も活躍するのかなと、期待がふくらみます。実在の人物名(例えば博物館の初代館長の町田さんや、二代目館長田中さん)を物語に取り込んだうえで、架空の人物を存分に活躍させる構成はよくありますが、その人間関係やセリフに厚みがあり、引きこまれました。見事な日本語で紡がれた物語で、優れた書き手から十分なおもてなしを受けたという感じがします。

アカシア:黒手匣、明の正体、ロッシュやおみつの存在など、謎がたくさん用意してあって、それで引っ張るし、時代考証もちゃんとしてあるので、フィクションは苦手という子でもどんどん読めるんじゃないかと思いました。イカルは、西山さんもおっしゃっていたように、この時代にあっても積極的で勇気ある存在に描かれているのがいいですね。舞台が明治期の博物館というのも、「怪異」を研究する場所だというのも、おもしろい! ただp.247-248で、アキラが床の下で会話を聞いているだけなのに、「黒手匣があるとしたら、聖堂以外は考えられない」というのは、ちょっと無理があるかもしれません。1つ1一つの文章を味わいながら、極上の読書体験ができました。

アンヌ:とてもおもしろくて、続きが待ちきれないほどです。始まりの座敷の怪異現象のところなどは、よくある話なので少しがっかりしたのですが、そこに超能力者らしい前館長が絡んできて、おまじないをし、手を開かない工夫を母がしてくれたという記憶をたどるところが、新鮮でとても素敵でした。わたしも、しじみ71個分さんがおっしゃったように、前館長に早く会いたいです。黒手匣の怪異話もあまり意外性がなく、この事件に絡む神父は、1人にしておいた方がすっきり読める気もしました。でも、それよりなにより、この主人公が魅力的でした。道具屋の女も認めるほどの目利きで、独りで知らない江戸も歩く勇気がある。私の持論に「孤児はお屋敷の扉をたたく」というものがありまして、たった1人で知らない場所に行くから物語は始まると思うんです。そのお屋敷が博物館!これは最高の物語になるぞと思いました。イカルは沈黙を強いられる養家から古蔵に行き、様々なものの知識をペラペラしゃべりだします。このお喋りな女の子には見覚えがあるぞと思い出したのがモンゴメリの『赤毛のアン』でした。先ほど、すあまさんが「少女小説」のような題名と言われたのにも納得がいきます。そして、p.333で唐突に義姉妹の約束を交わすトヨはダイアナではないでしょうか?ダイアナのようにトヨもちょっと体の大きいふっくらした女の子でした。実は私はのちに河鍋暁翠になるこのトヨに興味があります。『がいなもん 松浦武四郎一代』(河治和香著、小学館)では松浦から話を聞かされる狂言回し役として登場しますし、去年の直木賞の『星落ちて、なお』(澤田瞳子著、文芸春秋)の主人公でもあります。この時代の女の子にしては父親の弟子として様々なところに出入りをし、自分1人でも仕事に出かけるトヨは、明治の東京をイカルに案内するのに最適な役なのだろうと思います。続編には、暁斎も出てくるのだろうかとか、稀代の収集家である松浦はどうだろうかとか、ワクワクしながらこの2人の活躍を楽しみにしています。

ネズミ:刊行されたすぐに手にとったのですが、まず登場人物が魅力的でした。たとえばイカルの人物像が、博物館に初めて入ったときの驚き、古道具屋に入ったシーンなどで、説明的な言葉を使わないでくっきり浮かびあがるといったふうに、随所の描き方がすばらしい。大人の存在感が希薄なことの多い日本の児童文学作品の中にあって、まわりを固めている大人の人物が立体的に描かれているのもすごいなあと思いました。フェミニズムとは書いていないけれど、物語全体が女の子を応援するものであり、男女や年齢、職業その他で人を差別しない意識が感じられます。富安さんは現代のお話も書いていますけれど、この物語は少し昔の時代に舞台を置くことで、登場人物を自由に遊ばせられたのかなと思います。もちろん時代考証のためにたくさんの資料にあたられたとは思いますが。イカルとアキラとトヨとトノサマなど、一部の名前にカタカナが使ってあるのは、ひらがなでも埋もれてしまうからでしょうか。音だけで響いてくる感じがよかったです。

雪割草:冒頭から物語の世界観に引き込まれました。道具屋だった父親の商いの様子を、主人公がよく見て自分なりの感性で受けとめていることがわかり、道具屋を知らない読者にも、空気感含めその場がよく伝わってくる描写でした。物語の時代への興味がかきたてられましたし、時代は違っても、不安やわくわくする気持ちなど主人公の心の動きに読者もよりそいながら味わうことができました。この年齢にしては能力がありすぎにも思いましたが、マニアックなところはよく、そういう好きなものがある子への応援のメッセージにもなると思いました。付録がついていたのを今の今まで気がつきませんでしたが、地図はいいものの、登場人物まで視覚化しなくてもいいかなと思いました。

オカピ:仕事ものであり、成長譚であり、ミステリーや怪奇小説の要素もあり、ほんとうにおもしろく読みました。作者がこの時代のことを詳細に調べて、自分のものにして書いているのもすごいのですが、なにより文体の美しさに魅了されました。所作をあらわす言葉ひとつとっても、香るような言葉が物語にぴったり。これはYAなので、難しめの言葉を使えたというのもあるかと思いますが。富安さんの渾身の作だと思いました。大阪弁がぽんぽんはいってくるのも、作品の勢いにつながっています。人の生と死について考えさせるラストもよかった。人知を超えた不思議もこの世にあるという、希望のある結末で、これは書き手の力だなあと。ちょっとわからなかったのは表紙の英語タイトル。”A Girl at the Museum” となっているのですが、これはイカルのことなのだから、”The Girl at the Museum ” のほうがしっくりくるように感じました。

アカシア:この時代のどこにでもいる少女、というニュアンスを出したかったのかもしれませんよ。

エーデルワイス:最初の構想では少年「アキラ」が主人公だったと聞いてびっくりしました。主人公が少女「イカル」でよかったと思います。表紙を見たとき一瞬、富安陽子さんは時代劇小説に移ったか?!と思いましたが、明治を舞台に実在の人物も盛り込み、本当におもしろく読みました。附属のリーフレットを見た時はわくわくしました。登場人物のイラストと紹介や上野界隈の地図など、この本を読む子どもたちにもよい導入と思います。続編が楽しみです。

シア:とってもおもしろかったです。人気が高いのもうなずけます。絵や装丁も凝っていて、偕成社さん力を入れているなと感じました。付録のおかげで裏表紙におみつがいることに気づきました。明治時代のレトロな感じがしゃれていて、関西とは違う異国情緒真っ盛りの上野の輝きをイカルの驚きで表現してくれています。イカルの目利き能力や好奇心旺盛な性格も楽しめました。目利き能力については、こういう環境で育っていたらそうなるんじゃないかなと思います。似たような時代物の『はなの街オペラ』(森川成美著、くもん出版)よりも想定年齢は高いので、幅広い年齢層が読めそうです。ただ、読書家にとって満足度の高い本なので、本にあまりなじみのない子で、とくに女の子だと、もしかしたら『紙の心』の方がおもしろいかもしれません。イカルの幼少期の体験などから見知った怪異が出てくるのかと思っていましたが、珍しい方面からの話だったので意外性が高かったですね。そのおかげで大人っぽい余韻の残る良い話になりました。日本書紀は知らなくとも、有名な玉手箱の話で子どもも納得できる展開になっていると思いました。中高生に人気のある漫画にも非時香果が出てくるので、知っている子はより親近感がわくのではないでしょうか。そして、実在している人物や場所が登場するので、そのことについて調べたり、その場所に行ってみたくなると思います。教養を得るきっかけになりますね。とくに上野博物館は社会科見学や地方だと修学旅行などで行くことが多いと思うので、児童文学として出してもらえてとても嬉しく思います。神田天主堂はカトリック教会だからレノーも神父と表記しているところも細かいですね。また、付録がよくできています。図書館側からするとこういう本から離れてしまう付録は面倒ですが、補足や博物館の敷地や地図などわかりやすく書いてあります。視覚的な図は文章だけでは追いつかない子どもの理解の助けになります。地方や上野を知らない子の支えにもなったと思います。カラーなのも良かったですね。話の内容だけではなく、文体がとにかく綺麗で、言葉遣いもそうですが立ち居振る舞いが古風で美しく、目をみはりました。奥ゆかしさを始めそういう表現が随所にあり、イカルの育ちの良さを思わせます。関西弁も滑らかでした。後半のアキラとの関係も慎ましくて、明治の女の子らしさが垣間見えて良かったです。そしてそういう表現ができる作家さんは貴重なので、ぜひ続編をと、期待しています。ただ、この時代考証がしっかりしているため、「新しくお仕えする者は、だれより早く仕事場におもむき、上役のお出ましをお待ちするのが筋ですからね。」(p.122)という部分に、日本の仕事に対する姿勢の歴史の古さを感じて、少し頭が痛くなりました。とはいえ、女性のイカルは低く見られているのでボランティアなのだろうかと思っていたので、お給料がもらえてほっとしました。ところで、ケンゴロウというのは、カンガルーの過去の和名かと思ったのですが、カンガルーの聞き間違いなのですね。

ハル:みなさんのご意見がうかがえてよかったなぁと、いつも以上に、今日はしみじみ思います。読みやすく、時代設定も好きで、わくわくしながら読みましたが、「おもしろかった」以上の感想を持てずにいましたし、一方では「児童書なのかな?」とも思っていましたが……『赤毛のアン』! そう言われてみると確かに、枠というのか、ある種の様式美的なものも感じますね。わぁ、すごく腑に落ちました。著者も意識していたのでしょうか。そんな観点で、もう1回読みたくなりました。ありがとうございました。

西山ところで、ちょっと気になったのは、p.262の「あったりまえのコンコンチキや!」というところ。「あったりまえのコンコンチキ」って、ちゃきちゃきの江戸っ子の口調のイメージがあるのですが……。

シア:確かに「こんこんちき」は関西では聞きませんね。そもそも、今の時代使っている人がいないのでなんとも言えませんが。

(2022年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

 

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『紙の心』表紙

紙の心

ハル:顔を合わせない相手と、文字だけのやりとりでどんどん盛り上がっていって、口では言えないようなことも、文字でなら言葉にできて……そういう初々しさというか、瑞々しさというのは、わかるなーと思いながらも、ちょっともう見てらんないような気持ちにもなり、序盤で「えー、まだこんなにページ残ってるのに、どうするの?」と思ったのが正直なところです。もう少し早めに物語が動きだしてほしかったです。だけど、「訳者あとがき」の情報によると、イタリアの中学生の支持を集めているということなので、同年代の子たちにしたら、飽きるなんてこともないのかなぁ。そして、ここまで我慢して読んだんだから、これはきっと、とんでもないホラーが待っているのだと期待しすぎてしまったのもあって、結末にも驚きを感じませんでした。主人公以外の子どもたちは、どうなったんでしょうね。

シア:非常におもしろかったです。表紙に原題を大きく入れていておしゃれだと思いました。絵もさわやかな感じで良かったです。内容はさわやかではありませんでしたが。もっと近未来の話だと思っていたのに現代なので驚きましたし、ありえそうな話なので余計に考えさせられました。海外ではロボトミーを元にした話は結構多いので、わりとトラウマなのかなと思いました。半分以降からは一気に読みましたが、もどかしい恋愛ものは苦手なので、序盤はかなりイライラしながら読みました。ユーナがダンに会おうと言い出したので、これはページをめくったら急展開して、やっと研究所の謎についての話になるんだなと思ったのに、やっぱり会えないなんて尻込みするユーナがめんどくさすぎです。チラ見せは上手いのですが焦らされるので、惚気はいいから早く研究所の謎を! と別の意味でハラハラしてしまいました。「ウイルスのせいで全人類が滅亡して、ぼくたちだけが生き残った、そんな映画の一部みたいだ」(p.42)とあり、世界は平和なのかと肩透かしをくらいました。研究所内に鏡がないこととか白い制服や謎の薬など、いろいろと怪しい要素はあったのですが、蓋を開けてみればそこまで大仰な話ではなくて、少々やりすぎな感じもしました。シャワーが10分だけとか、職員が急に乱暴な口調になったりするところは管理される怖さが表れていると思います。この本は書簡体なので2人のタイムラグのようなものが出るところはおもしろかったです。メールなどで展開しそうですが、場所が場所なので手紙というのが研究所の異様さが出ていて好きですね。ただ、偶数時と奇数時でやり取りし合うというのがよくわからなくて、1時間いたら会ってしまうじゃないかと思ったんですが、2人は図書館あまり利用しないんですかね……。それにしても、最近はいわゆる毒親の話が増えてきたように感じます。親の影響力や圧力が注目され始めたのは、親子の関係性や教育を見つめ直す良い機会だと思います。「涙の壺」という表現もとてもロマンチックですが、涙が流れるような状態にしなければいいのではないかとユーナのお父さんに問いたいです。また、若者にはスポーツをさせておけば良いという今の学校教育の甘さも指摘されているように感じて、この辺はもっと主張したいですね。室内で読書をしている子がいたって良いと思います。「ぼくは、本を読めばいろんな場所に行けるんだ、って言い返したかった」(p.85)というダンの台詞がこの本の真のハイライトだと思います。この本には有名な児童文学がたくさん出てくるので、まさに『紙の心』だと思いました。あとがきで各作品について説明してくれているので、子どもたちが興味を持ってくれると良いと思います。でも、メインとなる『プークが丘の妖精パック』は日本人になじみのない本なので、子どもならさらに厳しいのではないでしょうか。題名を読めるのかどうかも心配。『プーク“が”丘の妖精パック』などと読みそうで不安です。気になったのは、「それから、トン川は食いしん坊に」(p.34)という訳がよくわかりませんでした。豚でしょうか。トンカツ? こういうときに訳者の苦労が窺えます。それから、「傷跡は、インディアンが戦いの前に描いて、誇らしげに見せつける、戦いのしるしみたいなものだ」(p.227)とあるのですが、“インディアン”という言葉は今は使わないと思います。

エーデルワイス:おもしろく読みました。主人公たちが暮らす施設を想像しました。清潔だけど、無機質で同じような部屋を移動するのですね。迷いそうです。「××をダンより」のように、形式的な手紙のやり取りをしていますが、顔が見えないほど想像力が働いて心が燃えていくのかもしれないと思いました。そして今どきの若い人のSNSの恋のやりとりも同じようなことかもしれないと思いました。終盤、研究所が火事(放火)で焼けて施設にいた子どもたちが助かるのですが、子どもたちはどうなっていくのでしょう? 元の家に戻るの? ちゃんと生きていけるのでしょうか? 心配です。親にとって都合の良い子ども、デザイナー・ベイビーなど問題提起のお話と思いました。主要なダン、ユーナたち5人は友人同士で、名作の登場人物からつけた仮の名前で、施設では番号とアルファベットで呼ばれ、本名は最後まで明かされませんでした。あえて必要なかったのでしょうか? 5人は元気に幸せに生きていけそうで安心しましたが。

オカピ:管理された場所にいる主人公たちが、人を愛することで、その生活に物足りなさを感じるようになる過程が描かれていて、おもしろく読みました。記憶すること、文字に残しておくことについて考えさせます。何を忘れて、何をおぼえておきたいかが人をつくるのだなと。「興味津々な人よ」(p.16)、「興味津々なこと」(p.107)という言い方は、話し言葉としてなじまないというか、ちょっとしっくりきませんでした。

雪割草:読んでいて最初の方でうんざりしてしまい、途中で休憩しました。イタリアだから情熱的なのかな、精神的に辛い経験をした子たちだから、心の拠りどころをもとめているからなのかなとは思ったものの、お互いを求めすぎていて、ついていけませんでした。近未来のテーマで人間がなんでもコントロールしようとするところから、『泥』(ルイス・サッカー著、小学館)を思い浮かべました。この研究所では、辛い経験を忘れさせるための治療をしていますが、それに対して主人公らが、忘れる以外の方法で生き抜く方法があることに、気がついていくところはいいなと思いました。あとがきにイタリアの中学生に支持されているとありましたが、日本語訳では訳はしっかりしているのはわかるのですが、若い人には受けない文体・言葉遣いだと思いました。それから、手紙でやりとりしている設定ですが、やりとりがすごく頻繁で手紙によっては長文で、ほんとに手紙なの?と思ってしまいました。

ネズミ:秘密をさぐりだそうとし始める後半からは、それがフックになってどんどん読めたのですが、2人のやりとりが中心の前半は、内容の問題なのか、文体のせいなのか、途中であきて、投げ出しそうになりました。後半はひきこまれたものの、都合のよい展開が気になりました。たとえば、骨形成不全症のポルトスが走るなど、ありえないだろうとか、どこかに潜入する計画が、たいがいうまくいくとか。体裁としては、ダンとユーナの手紙の書体を変えてあったらもっと読みやすかったかと思ったのですが、この本はキンドルでも出ているので、電子版を出すにあたって、書体が限られていたのだろうかと思いました。

しじみ71個分:書体に変化を持たせられるのが紙の本だけなのであれば、紙の本ならではの魅力になりますのにね。

シア:『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ著、岩波書店)では文字の色が変わっていましたね。

アカシア:紙の本ならではの工夫が、もう少しあってもよかったのにね。

アンヌ:書簡体小説は好きなので、それなりにおもしろく読み進んでいったのですが、いきなりp.14で「キスとハグを」と出てきたのでびっくりしました。これがただの挨拶なのが、外国小説という感じですよね。全体にSF的な設定が実に曖昧で、この研究所のセキュリティの甘さとか、最後に種明かしされた後も納得できないことが多いです。2人が実際に会わないところも、薬が効いているせいなのかと思ったりしたのですが、でも、それにしては男の子が3人いればやるような冒険に、あっさりダンは出かけたりしますよね。意志までが削られているわけではないらしいので、不思議です。最後まで行きついても、この5人がこれからどうなるのか、放火の罪に問われたりしないかとか、そのハッカーは大丈夫かとか、親との関係は何も解決してないままだとか、いろいろ後味が悪い思いが後を引いてしまい、読み返す意欲がわきませんでした。

アカシア:この本は時間的なリアリティがおかしいんじゃないですか? 手紙の交換で物語が進んで行きますが、1人が書いてから、休み時間にそれを図書館に持っていって本に挟む。それが偶数時だとすると、もう1人は、顔を合わせないために奇数時まで待ってから取りに行って、それから返事を書いて、次の奇数時の機会に図書館に行ってその返事をおく。そういうまだるっこしい方法でやりとりをしているので、たとえばp.115の最初の5つの文章はどれもユーナが書いたものですが、5つ目の文章を書くまでに、どんなに少なくとも9時間くらいはたっている計算になります。でもね、そういう計算だと成り立たないところがいっぱい出てきます。私は物語の構築を支えるリアリティにこだわる方なので、最初のときは途中で読む気がなくなって放り出してしまいました。それから、ダンたちは決死の覚悟で保管所に入ろうとするのですが、そこまでの展開では、保管所に何か重大な秘密があるというふうには読み取れなかったので、なぜそこまで?と思ってしまいました。全体としてすぐれた作品とは、残念ながら思えませんでした。

さららん:今回に関しては、訳者の文体と原文のスタイルが合わなかったのかな。私もみなさんと同じで、書簡体の形をとっているとはいえ、この世代の子たちの日常会話にリアリティがないように思えました。また研究所の中では、子どもたちの動きを阻止しようとする大きな敵は現れません。ダンたちに敵対心を燃やすカーという少年はいるけれど、それは体制側とは関係がない。戦う相手の顔が見えず、豆腐の中に手を埋めるような頼りなさを覚えました。でもひょっとすると、そこがおもしろさなのかも。色々な本の要素が出てくるところもいいし、あとがきも優れているけれど、ディストピアとしての物語に既視感があって、未知のものを解き明かす興奮がなかったのは残念です。

花散里:岩波のSTAMP BOOKSは出版されると期待して読むのですが、この作品が出版された2020年に読んだとき、書簡体で物語が進んで行き、今どきの中高生がどう読むのかなと思いながら読んだことを思い出しました。今回、読み直して、スマホに常に依存している日本の子どもたちが、図書室の本に挟んだ何通もの手紙のやり取りに対して、果たしてどう読むのかなと改めて感じました。前半の書簡体で続くストーリーは、今回も読みにくいと思いました。研究所の秘密が分かっていたということもありましたが、物語のおもしろさが感じられませんでした。巻末に本文に出てくる文学作品の紹介が入っていたり、図書室でのやり取りが舞台だったりしますが、読み返そうという作品ではないと思いました。

サークルK:手紙の部分のやり取りが長かったので、少しもどかしい思いをしながら物語を読み進めました。なぜこんなやり取りや状況に子どもたちが置かれているのだろう、という読み始めからの疑問が次第に解き明かされていくところは、『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 早川書房)を思い起こしました。誰に恋しているのかも実際にはわからないのに、よくこんなに妄想をふくらませながら、手紙で情熱を傾けられるなあと苦笑する表現もありましたが、イタリアの中学生にとても人気があったというので、興味深く感じました。こうやって練習(!)して、愛情表現の達人になっていくのかしら、と。小さな世界に閉じ込められて、監視されたり、洗脳されたりするさまは残酷なディストピア小説のミニチュアのようで、『1984』(ジョージ・オーウェル著 早川書房他)をほうふつとさせましたし、39章で「ワールドニュースオンライン版」という記事を使って、状況が説明されている構成は、『侍女の物語』マーガレット・アトウッド著、早川書房)の掘り起こされたカセットテープをめぐる研究者のレポートを思い出しました。物語を読んだ子どもたちがやがて上に挙げた大人の小説に巡り合った時、こんなイタリアの児童文学があったっけ、と逆照射されて思い出してもらえるかもしれません。

マリナーズ:お国柄の違いを感じながら読みました。日本で、中学生くらいの男女が同じように文通し合う物語だったら、こんなふうに恋の駆け引きっぽい言葉をやりとりして楽しむ感じにはなかなかならない気がします。実は、以前、1度読みかけたのですが、p.111あたりからの、お互いの容姿についてあれこれ想像し合うところでうんざりしてしまって、いったんやめたのでした。今回、読み通せてよかったです。後半に行くにつれて、主人公2人の苦しみや、ここに入るまでの経緯が明かされて行きますが、その明かし方が説明的なせいか、切実さがどうも伝わりにくいように思いました。でも、性格を変えることについて、身内が了承している、ということのせつなさ、やるせなさは感じました。自分のアイデンティティを考える、というテーマ自体はとてもよかったです。

ルパン:しょっぱなでつまずいたのは、このやりとり、イタリア語なのにどうして相手が男か女かがわかるんだろう、ということです。見知らぬ相手なのに、はじめから男女の区別がついているのって不思議でした。しかもすぐに恋に落ちるし。そのうえ、やたらに容姿の話が出てきますよね。相手がその子がどうかもわからないのに「赤毛の女の子が好きなんだ」なんて言ったり、デブだったり青白かったりしたらどうするの、みたいな文面もあるし。ヨランダが実際のポルトスを見て思いっきりけなす場面では本当に気が滅入ってしまいました。容姿に自信のない子がこれを読んだらどう思うんだろう。

アカシア:イタリア語だと形容詞などに女性形と男性形があるので、相手が男か女かはすぐわかるんじゃないかな。

西山:ほとんど言い尽くされている感じです(笑)。この研究所にどういう秘密があるのかという興味で読み進めましたけれど、先が知りたいだけでその場その場の描写とか、感覚とかを楽しむという読書の快楽はありませんでした。イタリアのお国柄というのもあるのかもしれませんが、こんなにすぐ男の子と女の子が恋愛感情で盛り上がり、延々それを読まされるのにうんざりしたというのが正直なところです。若い読者なら誰もが恋バナ展開にのめり込むかというと、そうでもないんじゃないかなと思っています。というのは、ジェンダー関連の授業で、何かの問題を男の子と女の子が一緒に取り組んで解決してきた物語で、最後の最後に性的な視線を差し込んで、「恋の始まり」みたいな展開にするのに出会うたびにがっかりするんだよねということを、おそるおそる話した回があったのですが、思いの外共感のコメントが多くて、恋愛テーマじゃないのに恋バナにするドラマとか多すぎるとか、子どもの頃仲のいい男女がからかわれることで気まずくなったとか、嫌な思いをしたとかそういう体験が続々とあがってきたのです。「10代は恋バナ好きにきまってる」という思い込みもそろそろ相対化した方がよいと思っていたところでこの作品を読むことになったので、否定的な感想になっています。あと、ユーナがどんどん受け身になっていって、つまらなくなっていったのが不満でした。本に手紙をはさむというユーナの魅力的な行動から始まったのに、ただただ、「待つ女」になってしまって……。ヨランダといっしょに研究所の秘密に迫っていけばよかったのに……。図書室の本を介した手紙のやりとりとは思えない、ラインのようなやりとりになってしまうところも興ざめでした。

コアラ:以前、本屋さんでこの本を見かけたときに、はじめのほうをちょっと読んで、いまいちかなと思ってすぐに棚に戻してしまったんですけれども、今回最後まで読んで、悪くはない本だと思いました。書簡体小説だと、お互い相手を騙すこともできるし、作者と読者の関係としても、作者は読者を騙すこともできるけれど、ダンもユーナも騙すことなく、お互い誠実で、作者と読者という関係でも作者から騙されることがなかったので、その点ではすっきりしてよかったと思います。研究所の謎とされたことが、少年少女たちの人間的な欠点の除去で、親の望み通りの人間に作り変えられてしまう、ということだったんですが、読んでいてそこに大きな衝撃はあまりありませんでした。そもそも、記憶を無くす薬を飲んでいる研究所というのが不気味で、そこがそもそもディストピアだなと思いました。訳者あとがきに、この本に出てくる本の紹介が書かれてあるのは、よかったと思います。

しじみ71個分:私も、みなさんが既に言われたのと同じように、前半の2人の手紙のやりとりがちょっとかったるいなと思い、読んでいて休憩をはさんでしまいました。また、ユーナかダンか、どっちがしゃべっているかわからなくなっちゃうところがあり、見た感じでパッと分かりやすい工夫があったらよかったなと思います。手紙のやりとりが頻繁すぎて、時間の経過もわかりにくい点がありました。ただ、著者はこういう書簡のやりとりで、心をかわし合うという形を描きたかったんだろうなと思います。頻繁すぎて、チャットのようではありましたが。作品を通じていいなと思ったのは、2人の書簡体の形をとりながら、過去の児童文学作品の紹介をしているところです。また、人と人とのコミュニケーションのツールとして本を使うという設定にも共感しました。『紙の心』というタイトルには、手紙に乗せた自分の心というだけではなくて、本を通じて交流するという意味もあったのかなとも思います。大人にとって都合の悪い、「いらない子ども」を除去してしまうっていうのは恐ろしいことで、本のテーマとしてとても重いと思ったのですが、結果が意外にソフトで、もう少し、ドラマチックな、誰かが死んだり、廃人にさせられてしまったりとか、おどろおどろしい展開があった方が、テーマがもっと生きて、物語も生き生きとしたのではないかなと思います。『私を離さないで』くらいのディストピアがあってもよかったかなと。また、表紙の絵を見ると、ガラス張りのとても近代的な建築物として描かれているのに、火事で燃えちゃうんだ、木造なんだ、というところはちょっと拍子抜けしてしまいました。建物が燃えただけで逃げられちゃうんだなというところは、少しあっさりしすぎていたかもしれません。前半の書簡体の恋愛部分が重くて、後半のスリリングな展開とのバランスがあまり取れていないのかもしれないと思いました。

すあま:読みながら、『ザ・ギバー』(ロイス・ローリー著 講談社)を思い出しました。忘れたい記憶をなくすことができる薬があったなら、犯罪被害者や虐待にあった人など、飲みたいと思う人がいるかもしれない。この物語では、さらにエスカレートして親の望む子どもに変える、という恐ろしい話になっています。逆に子どもが望む親にすることができたら、と思う人もいるのでは、とも思いました。現代の子どもが抱えている問題を解決することができる近未来の世界を描いているようで、実は大人にとって都合がよい、純粋無垢な子どもに変えようとする、時代を逆行するような話になっていきます。近未来の世界のようなのに、紙に書いて本にはさむという、古典的な文通の形をとっているのがおもしろいと思いました。メールやラインでコミュニケーションをとっている今の子どもたちにはかえって新鮮なのかなと。ラストはあっさりしていて、結局は親から逃げ出した、ということで終わったようで、ちょっと物足りない感じがしました。

(2022年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年05月 テーマ:闇と光の境

日付 2022年05月24日
参加者 ネズミ、ハル、シア、ルパン、すあま、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、しじみ71個分、オカピ、西山、サークルK、マリナーラ、雪割草、ヒトデ
テーマ 闇と光の境

読んだ本:

『夜叉神川』表紙
『夜叉神川 』
安東みきえ/著 田中千智/絵   講談社   2021.01

〈版元語録〉全ての人間の心の中にある恐ろしい夜叉と優しい神、その恐怖と祝福とを描く短編集。「川釣り」「青い金魚鉢」「鬼が守神社」「スノードロップ」「果ての浜」   夜叉神川の上流から下流へ、そして海へと続く全五話を収録。


『荒野にヒバリをさがして』表紙
『荒野にヒバリを探して 』
アンソニー・マゴーワン/著  野口絵美/訳   徳間書店   2022.02
LARK by Anthony McGowan, 2019
〈版元語録〉ヒバリを見るため、犬のティナを連れて、田舎へハイキングに出かけたニッキーと兄のケニー。ところが季節外れの雪で道に迷い…。ヨークシャーの荒野を舞台に、兄弟、家族の絆をドラマティックに描く。2020年カーネギー賞受賞作。

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『荒野にヒバリをさがして』表紙

荒野にヒバリを探して

サークルK:表紙の絵がソフトな感じだったので、2人の兄弟が雪の中で遭難しても最後は助かるのだろうな、と予想しながらも、本当に助かるのだろうか、どんな形で助けがくるのかとても気になって、ぐいぐい読みました。けれど、そのストーリーを追いかけ終わってしまうと、思った通りのお話だったと安心してしまい、強く印象に残ったことを時間をおいて思い出そうとしても、なかなか難しかったです。おそらく引っかかるところがあまりなく、とにかく救助を急げ!という気持ちでしか読めなかったからかもしれません。「40年後」という形での振り返りが書かれているのは親切だと思いました。ケニーが兄に看取られる場面では、その後のニッキーの結婚生活や子どもたちのことも垣間見られて、本編のたった1日の出来事が、「その後」のファミリーにとても重要な役割を果たしていたことがわかりました。

すあま:どんどん大変な状況になっていき、とにかく早く助かってくれ、という気持ちで読み進めました。1日の出来事を描いているんですが、回想の中で2人のことがどんどんわかってきます。読みながら2人に共感していき、最後何とか助かって、ほっとして終わったという感じです。

西山:前回読んだ『青いつばさ』(シェフ・アールツ著 長山さき訳 徳間書店)と構図が一緒なんですね。知的障害を持つ兄と兄を支えるという責任を負う弟2人の、冒険。途中からサバイブできるのかっていう興味で読ませますが、出だしからしばらくは、語り手である弟の「おれ」のものの感じ方、考え方をおもしろく読んでいました。例えば、p.29の最後、車の通る道路から遊歩道へ入ったときに「本を読みはじめたときに似ている」と言ったり、p.74のキジの描写の美しさ。つづく丸焼きはうって変わってひどい臭いが行間から漂い出すような惨状ではありますが、ともかく、キジの姿が目に浮かぶような描写でした。p.81の痛みに関する考察もとてもおもしろかった。崖から落ちて、2人の状況が危機的になってからは理不尽だという思いの方が強くなりました。p.27でティナに危機が訪れそうな、フラグは立っていましたが、ティナの死は人間の不用意でもたらされたものです。なんだか、いい話のようにまとめられた気がしますが、ティナを死なせてしまったことに「おれ」はもっと傷つくべき、悔やむべきでないのでしょうか。人間は死なせなくても動物は殺す。そのドラマ作りには私は違和感を持っています。ところで、「ジョージなんて古くさい名前のやつ、今どきいるか?」(p.109)にはっとしました。日本以外でも、時代によって名前の流行り廃りがあっても当然ですが、考えたことがなかったので。キラキラネームみたいなのあるんでしょうかね。

ルパン:ともかく、この2人の子どもがどうなってしまうのかが心配で一気に読んだのですが、そのためか、読み終わったあと何も残らず…はて、何の話だったかな?という感じでした。表紙の見返しに「家族やこの数年間のことを思い出す」とあるので、ああ、そういうことか、と思いましたが、お母さんが出て行ったことも、お兄さんに障害があることも、お父さんが依存症のことも、それぞれ大変なことなのでしょうが、この生きるか死ぬかの遭難の事実のほうがよっぽど重くて、逆に家族の問題が軽く思えてしまいます。ちょっと手法をまちがえたかと…。犬のティナのえらさだけは印象に残りましたが。最後に、数十年後のことが書いてあって、あれ、ふられたはずの女の子と結婚してる、とか思いましたが、こういう蛇足はそんなに嫌いじゃないです。

ヒトデ:はじめのうちは、ハードボイルドな語り口と、書籍のページ数と文字組から想像した内容とのギャップに驚かされましたが、物語のつかみのうまさに引き込まれ、この2人はどうなってしまうんだろうと思いながら、最後まで一気に読み進めました。なんとなく映画ギルバート・グレイブ」を思い出すような兄弟の物語が印象的でした。2人がはじめて空港にいくシーンが、とてもいいなと思いました。最後のエピローグで、一気に時間を飛ばしてしまったのには、少し驚かされましたけど、ティナやサラの伏線を回収していくためには、必要だったのかしら、とも思いました。読めてよかった作品でした。

雪割草:巧みな語りなのだろうと思いましたが、正直、心が入っていけない作品でした。その理由の1つが、主人公の「おれ」という主語で、古臭い感じがしました。最後の方で、主人公がおじさんになっていて、語り手はおじさんの設定だったのだろうか、であればと少し納得しました。「おれ」は、おじさんぽい言葉遣いが多々あり、たとえば、p.109の「『あの人、偉そうにしないのね。素敵』女の子が言う。おれは…」などです。一人称の語りなので、地の文でももっと「おれ」を省略してほしいと思いました。p.124には、点の打ち忘れか空白があり、p.120の「最悪のことはまだ、もっとあと…」とくどい感じの文、p.8の「灰色の空が、どこまでもどんより広がっているだけなんだ」とすわりが悪く感じられる文、それから全体的に文がばらばらに感じられて、原書を読んでみたいと思いました。それから、ティナは死なせなくてよかったと思います。

エーデルワイス:自然の厳しさがよく出ていました。私は以前よく山に登り自然に親しんでいましたが、方向音痴で誰かと一緒でないと道に迷うタイプで、一歩間違うとこのように遭難しそうです。しかし、ちょっとしたハイキングであっても、最低限の水、食料、防寒具など持参するもの。ニッキーとケニーは甘かったと思います。宮沢賢治の『虔十公園林』をストーリーテリングで覚えている最中で「ひばりは高く高くのぼってチーチクチーチクやりました。」の一節がこの物語とダブりました。死んでしまった犬のティナを、救助の人にニッキーが必死に埋めるように頼むところが納得できず、私だったら連れ帰るのに……と思いましたが、あくまで兄のケニーのことを思ってのことなのですね。

マリナーラ:短いお話なんですけれど、ずっと緊迫感がありました。もうさすがにそろそろ助かるだろうというあたりで、水かさが増してきてピンチが発生して、ページを早くめくりたい気持ちと、めくるのが怖い気持ちが両方ありました。主人公の大変な歩みが、回想の中に垣間見えて、でも、多くは語りすぎないところに余韻がありました。映画『127時間』を思い出しました。アメリカが舞台で、峡谷で岩に手が挟まれて抜けなくなって、だれも助けに来てくれない、という話です。ところで、ヨークシャーといえば、私のなかでは『嵐が丘』だったので、そのイメージも重ねながら読んでいたのですが、後で地図を見たら、この国定公園とブロンテ姉妹の故郷は100キロくらい離れていました。

ハル:心に余裕がないからか、私はちょっとうんざりしてしまいました。下品な笑いが苦手なのもあって、途中まで、私はいったい何を読まされているんだろうという思いでいっぱいでした。この人たち、何をしにきたんだっけ? って。読み終わってみると、心に残るものがないわけじゃないので、場面、場面で、映像的に訴えるものとか、心に迫るものはあったんだと思います。でも、この物語の場合、この結構なひどい状況には、弟がお兄さんを巻き込んだのであって、お兄さんに知的障害があろうがなかろうが、関係なかったんじゃないかという思いもぬぐいきれません。障害のある兄といつも一緒にいる弟=兄弟の深い絆、美しい、というのはどうなのかという思いもあります。でも、たぶん、いろいろ読み落としてたんだろうな、と、いま皆さんの意見を聞きながら思ってはいます。

シア:まず、イギリスはバスに普通に犬を乗せて良いところに衝撃を受けました。ガイトラッシュという魔物も初耳でした。こういう文化の違いなどを目の当たりにできるから海外文学はおもしろいですね。だから積極的に読みたいし、子どもたちにも読ませたいです。2階建てバスもイギリスらしくてテンションが上がりますし、2階建てバスに乗った子どもがどういうリアクションをするのかも表現されていて楽しかったです。この本も薄いですし文字の大きさもほどほどで、子どもたちにはちょうど良いのではないかと思います。特別支援学校に通う兄を持つ主人公の話なのでその辺りも理解に繋がるし、障がいを持つ人が身近にいる子の共感にも繋がるのではないかと思います。1つ違いなのに体は弟のニッキーより大きくて逞しい点が個性もありますが一般的に早熟な障がい者の大変さとか、ケニーを守らなきゃというニッキーの使命に近い気持ちなど、こういう子の世話のシビアさがよく出ていると思います。物語自体は1日の出来事でそこまで盛り上がるわけではないのですが、表現が1つ1つ丁寧で、冗談も下ネタが出るなど子どもらしさがあって微笑ましかったです。また、複雑な家庭の話と相まって内容は真に迫っており、犬のティナの魂がヒバリとなって飛んでいくところは涙を誘いました。先に読んだ『夜叉神川』(安東みきえ著 講談社)のゴンちゃんを思い出しました。やっぱり犬は裏切りません。ラストにケニーのことがヒバリの声として表現されるところでティナとの絆を感じて、良い読後感に繋がりました。でも、この本も田舎っぽさと都会っぽさが混在している気がしました。バス3本乗っただけでスマホが圏外になるイギリスの荒野に行くのに、軽装でヒバリを見に行こうという発想が不思議でした。まるで都会っ子の余裕です。それから、40年後の奥さんがサラなのが世界の狭い田舎のイメージ丸出しでウッときました。「ここから出ていきたい、新しいものを見たい」と言っていたのに、結局田舎から外に出てないじゃないかと。もしくは戻ってきてしまったのかと残念な気持ちになりました。ケニーを抱えているからなのか、田舎のせいなのかはわかりませんが。そして、p.30「去年、ハイタカに食べられそうになっていたところをおれたちが助けたミヤマガラスのことだ。」とありますが、生態系を考えたら動物を助けることにならないのではないかと思います。こういう場面に出会うことのある田舎住まいの動物好きならこういうことには配慮できるのではないかと感じます。

アカシア:山や森をけっこう歩いていた私としては、この2人がきちんと準備もせずに薄着で出発することや、遊歩道から離れてはだめだと言われたのに離れてしまうとか、水の上に身を乗り出してスマホを落とすとか、スマホを取ろうとして崖から落ちるなど、愚かな行動を積み重ねていくことにいら立ち、物語の中に入り込めませんでした。何も愚かなことをしていないのに困難な状況に突き落とされる子どもたちが世界にはたくさんいることを思うと、自らの愚行で困難な状況に入り込んでしまう子どもを主人公にした物語は、”先進国“だからこそ成立しているのかもしれません。物語が家族の中で完結していて、そこから外への広がりはあんまりないのも残念でした。

オカピ:この本は、“The Truth of Things” というシリーズの最終巻なんですよね。p.30にミヤマガラスのエピソードが出てきますが、その巻を読んだことがあります。原書は、ディスレクシアの若い人たちが読みやすいように、字体やレイアウトを工夫しています。たとえば日本の本で、梨屋アリエさんの『きみの存在を意識する』(ポプラ社)もフォントに配慮していましたね。この翻訳の『荒野にヒバリをさがして』は、ディスレクシアの人たちに向けたつくり方をしているわけではなく、だけど、そうだとすると、1冊の物語としては物足りなくて、なんか中途半端だなと思いました。また原書は読みやすいように、「飛ぶことも歌うことも、ヒバリにとっては労働なのだ。不屈の勇気なのだ。そして、それは美しい」(p.130)など、短文を重ねた文体なのかもしれませんが、それをそのまま日本語にすると、ちょっとぎこちないような。「おれ」という一人称の中学生が、「ポンポンのついた毛糸の帽子」(p.21)のようにかわいらしい言葉をときどき使うのも、あまりしっくりきませんでした。

アカシア:そのシリーズ、全部で何巻出てるんですか?

オカピ:全4巻だと思います。

アンヌ:一言で言って、とても痛い物語でした。表紙からして雪山で遭難することは最初からわかってしまっていて、初読の時は、とにかく無事に帰ってほしいの一言で上の空でいました。2度目はもう少し落ち着いて読めたのですが、p.81、82の痛みというものへの考察や、p.113の、折れていない方の足を添え木にするという技術を読みながら、素晴らしいけれど辛い知識だなあと思っていました。p.131のヒバリに身を変えて去っていった魂は、ティナだったんですね。ところどころ詩的で美しい場面があり、カラスやアナグマという動物についての思い出が出て来て興味をひかれたのですが、でも語られることがなくて奇妙だったのは、4巻目だからなんだと今納得がいきました。このハイキングについて行かなかった父親に、読みながら猛烈に怒っていました。自分は荒野に詳しい父に連れて行ってもらったのに、子どもだけで行かせてしまうなんて。2人を追い出したかったんだろうかと考えたりしました。読み終えてみれば、雪山の冒険と家族関係、父親のアル中や疾走した母親についても描かれていて、2人の冒険する少年が厚みを持った人間であることもわかります。「お話」の持つ力を感じさせ、この物語の成立を語るラストもいい話なんだろうけれど、常にケニーの面倒を見るという形で「お話」が出現することにも痛みを感じずにいられない物語でもありました。

ネズミ:先が気になってさっと読みました。ただ、カバー袖に、窮地の中で「家族やこの数年のできとごとに思いをめぐらす」とあるのと、読んだ印象はやや異なりました。今直面している困難が非常にリアルなのに対して、過去の困難については、キジをオーブンで焼いたエピソード以外は具体的な記述が少なくて印象がうすく、また、主人公が知識や思考力を持っている賢い子なのに、雲行きの怪しいなかこんな軽装で出てきてしまったことがちぐはぐに思えて、どこか納得できない気持ちが残りました。

しじみ71個分:わりとあっさり読んでしまって、大変に失礼ながら、「カーネギー賞ってこれくらいで取れちゃうの?」と思ったくらいでした。『青いつばさ』と同じように、お兄ちゃんに障害があり、弟がお兄ちゃんの世話をするという構成ですが、荒野にヒバリを見に行こうとピクニックに出かけたら遭難してしまい、弟は生死の境をさまよう羽目になり、犬のティナはニッキーに体温をあげて自分は死んでしまうという、1日の非常に短い時間の間に起こる出来事と、事件を通して兄弟のきずなや、家族の在り方が見えてきます。決して悪い話じゃないし、兄弟愛が伝わる話だけれど、なんだか言いようのない物足りなさを感じたのですが、それがなぜなのかは、オカピさんのお話を聞いて、やっと納得がいきました。どうして出版社はこの巻だけで出版してしまったんでしょうか…やっぱりちょっとわからないです。でも、この巻だけでもいいところもたくさんあって、私が特によかったと思ったのは、遭難したニッキーが死にかけて生死の境目をさまようところで、ヒバリについて「ヒバリは高く高くのぼっていき、地球の重力からもときはなたれ、そしてとつぜん、なんの努力もいらなくなったようにかるがると舞い上がる。」(p.130)のくだりあたりは、言葉と場面が非常に美しくて、とてもよかったと思いました。また、子ども時代には、ニッキーが遭難して死にかけますが、エピローグで病のために生死の境をさまようのは、兄のケニーになっていて、その立場が反転するうまさはさすがだなと思いました。一点、兄弟の関係性がもっと深く表現できたのではないかと残念に思ったのは、「お話」のことでした。兄のケニーが弟のニッキーに向かって「なにか話をして」とせがむのは兄弟のきずなや愛の深さを物語る、決め台詞だと思うのですが、物語の中で、ニッキーがケニーに語る物語がどのように功を奏しているのかがよく見えてこないので、決め台詞のインパクトが伝わってこないもどかしさがありました。全巻そろってまとめて読めたら、もっと違った感じに感じられたでしょうか。もう1つ魅力的だなと思ったのが、父親の恋人のジェニーの存在でした。妻に去られて、父親はアルコール浸りという辛い家庭の設定ですが、ジェニーのおかげで父親は更生しつつあり、兄弟もジェニーの優しい心遣いに見守られています。この存在がなかったらこの物語はもっともっと辛かっただろうなぁと思います。血がつながらないけれど大事な家族というのが、さりげなく普通に描かれているのは素敵だと思いました。

(2022年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『夜叉神川』表紙

夜叉神川

ネズミ:とてもおもしろかったです。人によっていろんなふうに読める作品だと思いました。悪意とか無関心とか憎悪とか嫉妬とか、どの話も負の感情を扱っているんですね。普段しちゃいけない、言っちゃいけないと言われている感情をうまく顕在化させて、善悪ということではなく考えさせてくれます。オーディションとかカードゲームとか沖縄旅行とか、今の子どもたちも興味をもちそうなことをきっかけにして、不思議なことに広げていくのがうまいなと思いました。情景の描き方が美しく、p.230あたりからの「果ての浜」の文章は特に魅力的でした。いろんな人にすすめたい作品です。

アンヌ:読んでいて一番怖かったのが、最初の「川釣り」です。霧の中の女の人みたいな怪異や川の主みたいな魚の化け物が出てきててんこ盛りなんだけれど、それよりも前半の心臓を取り出すのに夢中になっている辻君に感じる恐怖心の方が上でした。そのせいか、辻君の横暴な物言いや異常性格的な描写はなくてもいいような気もします。川の怪異が懲罰みたいな役割なのも少し残念な点です。「青い金魚鉢」は特殊な能力を持つ「物」に魅入られる話として読みましたが、家に閉じ込められていた昔の人と金魚鉢の能力の関係に説明がないのが残念でした。「鬼が森神社」は、p.100のアイドルを目指すリョウの魅力をちょっと百合的な描写で感覚的に描いているところなどとてもうまいと思うし、宝塚ファンの人たちの暴走のニュースなど昔から聞いたことがあるので、苺の行動もまあ、あるんだろうなと思いました。最後には呪いも解いたし、未来に向かって進もうとしている主人公が橋のところで語り掛ける描写もよかったし、なんといっても、鬼が情けない顔をしているラストがよかったです。「スノードロップ」は少年の心の中にある、他者の死を願う気持ちの変遷の話だから、これにはあまり興味を感じませんでした。私は怪談好きですが、幽霊は苦手です。怪談というのはこの世の物語で、この世には人間などの測り知れない世界もあるというのが魅力だと思っていますが、幽霊は人間とその死後の世界のことなので……。うらみはらさでおくべきやと化けて出るような、目的を持ってこの世に帰る幽霊ならともかく、自分たちが死んだと気づいていないような子どもの幽霊は、とてもつらい。だから最後の「果ての浜」は、戦争の悲劇や理不尽さを伝えている点は素晴らしいと思うし、さらにそこから徹底的に目をそらそうとする主人公もリアルでおもしろいと思うのですが、子どもたちの幽霊から弟を守ろうと戦うような感じのところは、受け入れがたい気がしました。

オカピ:これまでに読んだ安東さんの本の中で、いちばん好きでした。鬼神である夜叉はけして、まったくの悪というわけではなく、そうした善とも悪ともいえないような、人間の複雑な部分をとらえた作品です。欲とか暴力とか戦争とか、人の業の深さを思いました。どの話の中でも生と死のドラマが展開するのですが、一話一話がおもしろい。水源から河口に向かい、やがて海に出るという全体の構成もみごとでした。

アカシア:私も、安東さんの作品の中でいちばんおもしろかったです。人が、ふとしたときに見せる怖いものが、どんどん肥大化していくことを、とてもうまいストーリーテリングで表現していますね。さらに怖くする工夫もあるし、はぐらかしもあります。文章表現がとてもじょうずだと思いました。「鬼ケ守神社」の最後の一行は、実は鬼より人間のほうが怖いということを言っているようです。「スノードロップ」のp.158から最後にかけての「自分の命を自分で決めて悪いか?」をめぐるぼくと松井さんとのやりとりは、表面的ではなく深いところからの知恵が湧いてきているように思えて、道徳の教科書とは違ってひきつけられました。「果ての浜」では、子どもの自然な発想として、受験後につらい話をしないでほしいという気持ちをもつ岳が、弟をさがしているうちにトウキビ畑で昔の子どもたちの声を聞いたのがきっかけで、変わっていくのですが、その気持の変化に無理なく寄り添うことができました。p.231の「くりかえし蹴っていた山下の靴。あの靴を自分も履いていたのかもしれない。/今もずっとくりかえし、あの少年を蹴っているような気さえした」という部分は、沖縄の歴史を知らない子どもたちにもすんなり伝わるでしょうか?

シア:おどろおどろしい雰囲気でおもしろかったです。生徒にも気に入られるのではないでしょうか。本の厚みはないし、表紙もダークメルヘンで好まれそうです。オムニバス形式で人の心に棲む鬼を描いているんですが、形式のせいでばらけた感じがしました。最後の「果ての浜」が秀逸だったので、この話だけで書いても良かったかなと思いました。というのも、夜叉神川で繋げるのはいいにしても、夜叉神川の由来など川自体の話が出てこないなと思いまして。「果ての浜」では山下だけでなく、主人公の無関心さを鬼にしたのは良かったと思います。実際、戦争の話は悲惨だし関係ないからと嫌う子も多いし、昔のことや酷い話は自分には関係なくて、もっとハッピーな気持ちでいたいという今の若い世代の気持ちをよく表現していると感じました。愚痴やら暗い話は嫌がられるんですよね。生徒たちの好きなSNSでもとくに嫌われる行為です。でも、暗い気持ちになるようなことをしでかすのも大体この年齢が多いので、その矛盾をこの本はうまくついていると思いました。また、さんぴん茶の名前や味でツボるのはわかりますし、そういう意味でもこの作者は10代っぽさの表現が上手ですね。出てくる子は現代っ子や都会っ子なイメージを受けるのですが、全体的な田舎っぽさもうかがえます。例えばp.184に「女にまるめこまれ、きげんよく鼻歌を歌っている弟が情けない。」とあるのですが、ここは「大人にまるめこまれ」で良かったのではないかと思いました。1話目の辻くんはそういうキャラクターということで主人公から指摘もされていましたが、この岳くんの言葉は田舎の男女差別を思わせます。また、2話目の引きこもりの子の表現なのですが、琴ちゃんは「こだわりが強い」「変わっている」などと発達の問題を疑わせる部分はちょっとどうなのだろうと思いました。引きこもってしまうのは基本的に繊細な子が多いので、そういうことで良かったのではないでしょうか。琴ちゃんのお母さんも食前に害虫の話をするなど変人すぎると思います。そのせいで発達障がいの遺伝について考えてしまいます。それに、敏感な子を大なり小なりこういう状況に追い込む加害者がいけないのに、愛奈ちゃんは「おとなしめになった」というだけで事態の責任に関して何も気づけていません。1話目の「川釣り」のような物事の繋がりを考えた上での罪悪感が生まれないのではないかと思いました。3話目の主人公も改心しているのに、連作の繋がりに違和感を覚えました。違和感といえば、この本は助詞など文章に気になるところも散見されたので、児童書ですし編集者もとくに注意して見てほしいと思いました。p.215「ヌギリヌパ教室が楽しかった」「ヌギリヌバと呼ばれる岩かげに」など、パとバがどっちなのかわかりませんでした。

ハル:1話目で、グッときました。2話目の「青い金魚鉢」は、ちょっと私がつかみきれていないのですが、「末代まで」の怖さが印象に残っています。もしかしたら、強者への無自覚なあこがれもあるのかなぁ。……などなど、ときどき面食らうようなところもありつつ、川さながらに緩急つけながら全体のうねりを高めていって、最後に「果ての浜」に到達する構成が、もう、すごいなぁと思いました。読者、つまり子どもに寄せた書き方ではないのに、非常にこの不安定で繊細な時期の、今の子どもたちに寄り添っているように思え、なんというか、ほんとにグッときました。すごみを感じます。

マリナーラ:タイトルから、本格的なファンタジーかと思っていましたが、日常からちょっとはみ出た別の世界を描く物語で、個人的にはとても好みでした。人が一瞬垣間見せる悪意が、どのお話にも書かれていました。映像的で、ガラスの金魚鉢がゆがんで見える、というのも想像つくし、サトウキビ畑で姿が見えなくなる、というのもイメージが容易だし、その空間に浸らせてくれる物語だと思います。序盤の2話と3話は、夜叉神川をめぐる連作であることがすぐ掴めるように、川の名前が早めに出てきてわかりやすかったです。最後の戦争の話は、工夫を随所に感じました。そういう話は聞きたくないのだ、という主人公の気持ちに寄り添いながらも、戦時中の出来事に少しずつ引き込んでいきます。当時の波照間島、西表島のことは知らなかったので、勉強になりました。

雪割草:主人公の負の感情を超自然的な現象と結びつけて書いていて、おもしろいなと思いました。割と年配の作家さんなのにヤングな設定を描けていて、すごいなとも思いました。なかでも私は「スノードロップ」と「果ての浜」がよかったです。「スノードロップ」は、なぜ松井さんは怒ってばかりいるのかを、子どもの視点で無理なくときほぐして描いていると思いました。「果ての浜」では、まず戦争中の波照間のことを私は知りませんでしたし、その出来事を主人公らが知る方法も、奇妙だけれどリアルでなるほどと思いました。

ヒトデ:1話目の『川釣り』からひきこまれて読みました。辻くんの純粋な悪意みたいなものが本当に怖くて、でもそれが自分の身に引きつけられないものではない、というか。絶妙なバランスで書かれていました。2話目の「青い金魚鉢」も最後のきつねの伏線で、う~ん、さすがだな、という感じでした。4話目の「スノードロップ」、5話目の「果ての浜」は、1話~3話から少しテイストを変えて、闇の中から光へ進んでいく話という印象でした。とくに5話目の「果ての浜」では、主人公の「どうして戦争の話をきかなければならないのか」という問いに、物語のなかでしっかり答えを出しているところが、とってもいいなと思いました。

しじみ71個分:映画でも本でも、私は本当に怖いものが苦手で、1話目を読んで、やっぱり怖くなって後悔したのですが、読み進めるうちに本当に文章がうまいなぁとつくづく思わされ、読み通してしまいました。この本は「子ども向け」に分かりやすく書いてないし、大人向けといってもいいほどです。1話ごとに、表現や構成が練られていて、短い連作集なのに大変に読みごたえがありました。夜叉神川の上流から物語がスタートし、中流、下流へと流れていき、最後に「果ての浜」をもってきて、海に流れ込んでいくという構成にはうなりました。テーマを「光と闇の境」としたのは、各話で日常生活に生じた、ちょっとした亀裂から、登場人物の悪意が溢れて出てきてしまうのですが、その日常の中の善悪の紙一重な感じが、光と闇の世界の薄い境目のように思われたからです。各話で、悪意が吹き出していく人物がいろんな形で描かれ、そのまま「あっち側」に行ってしまいそうなところを、視点になっている主人公が、「こっちに戻っておいで」というように境目で止めてくれて、それが児童文学としての救いの部分なのかなと思いました。1話目の「川釣り」がいちばん怖かったです。魚の命を奪うことを楽しみ、残虐性が発展して、「ぼく」をも脅して楽しんでいた辻くんが、さらに恐ろしい人間になってしまいかねないところを川の神か山女魚の妖怪かに襲われ苦しむ姿を見て、「ぼく」が「クツクツクツ」と笑い、「ぼく」も喜んで闇を発露させるのですが、ここがいちばん怖かったです!「ぼく」は我に返って辻くんを助け、「清らかな流れを見ていたら、なぜだか祈るような気持ちになった」(p.41)、「そしてこの先、ぼくたちがおそろしいばけものになったりしないよう、どうかまもってほしい」(p.42)、という場面で終わります。残虐性は誰もが持っていて、あちらに行ってしまうか、こちらにいるかは紙一重だという恐ろしさを突き付けるとともに、それに自分で気づいた「ぼく」が境目で踏みとどまり、闇に落ちないように祈って終わるという、この展開の鮮やかさは素晴らしいと思いました。あとはやはり最後の「果ての浜」にやられました。この話では、善悪の境を突き破るのは、島にやってきた山下という青年教師で、突然、豹変し、日本刀で島民を脅して、波照間島から西表島に強制疎開させたため、西表島で病や飢えで島民がたくさん亡くなるという惨劇が起きます。でも、境目に立つ主人公の「おれ」は、残虐さに落ちた山下ではなく、西表に追いやられ、亡くなった子どもたちの魂に、ヤギの人形をあげることで浄化させ、連れて行かれそうになった弟を助けますが、海へと川が流れ込み、浄化されるという大きな構成になっていて素晴らしいと思いました。戦争という大きな悪意に、目を向けないこと自体が大きな悪だという強いメッセージを感じますし、そこに主人公が気付くところで、人間性への期待を持たせる物語だなと思います。

ルパン:とてもおもしろく読みました。最初の「川釣り」に出てくる、川の神なのか化け物なのかが言うセリフ、「命をとったら食べてやらなくちゃねえ」というのが名文句だと思いました。ただ、この人(神?)がこのあとも出てくるのかと思ったらこれっきりで、いったい何者だったのかが気になりました。「青い金魚鉢」は、愛奈さんが何の気づきもなく終わるのが消化不良。ちほちゃんの善意で救われてそれで終わり、本人は何の反省も成長もないまま。何の話なのかな、と、ちょっと首をかしげました。「鬼が守神社」は、p.126の「リョウがいない時のわたしたちには、話すことがほとんどなかった」というのが、女子の関係をよくつかんでいると思いました。「スノードロップ」はいちばん好きな話で、「松井さんが死んだらゴンに悪いです!」とさけぶ男の子に好感がもてました。「果ての浜」は…またそういうことを言う、と言われそうですが、この塾の先生たち、こんな南の果ての病院もないところに子どもたち連れて行っちゃって、何かあったらどうするんだろう、とか、この夫婦にまかせてそんな遠くに子ども行かせちゃう親とかが気になっちゃって、お話にすっぽり入ることができず。でも、こういう歴史を知ることができてよかった、と思いました。ちょうど『アジアの虐殺・弾圧痕を歩く』(藤田賀久著 えにし書房)という本を読んだところだったので、それもあって、自国や近隣の国の歴史の闇についてあまりにも無知だったと考えさせられました。

サークルK:どのエピソードにも畏敬の念という気持ちを子どもが感じられるような不思議な存在が表現された、興味深い作品でした。神様と化け物は紙一重の存在であるとか、川そのものも、普段のあそび場と同じ感覚でいると全く違う表情を見せる怖い場にもなりうるとか、二項対立には収まらない「何だかわからないけれど確かに存在しているもの」への畏れ多さが良く伝わりました。またp.16、p.36の血にまつわる表現はとてもエロティックで大人が読んでもぞくぞくっとしました。古いところでは、映画「禁じられた遊び」に描かれた子どもにも残虐性があることを思い起こすならば、子どもだからと言ってエロス(という言葉は知らなくても)がわからないはずはないのですよね。残虐性とエロスの表裏一体なところをこのような形で表現しているところはすばらしいと思います。これらは最後のエピソード「果ての浜」に出てくる「血の島」につながるのでしょうから、伏線としてもとても心に残りました。

西山:まず「川釣り」で、すごいところをお書きになったなと、いろんな意味でどきどきしました。以前、高校の国語の教材で釣りに関するあるエッセイの一部「姫(ヒメマス)殺しの快感」だったか、そういう表現がカットされていたのを思い出しました。釣りは自然との交歓でありつつ、でも、殺生は殺生。幼児期にどれだけ虫を殺したかが命を尊ぶことにつながるといった発言を目にしたことがありますが、命への興味が「殺す」という行為になっているとして、それが命を尊ぶことにどうつながるのか……。とっとと道徳的に無難な出口を目指すのではなく、すごく危ういところのぎりぎりを見せつけられて、「ぼくたちがおそろしいばけものになったりしないよう、どうか守ってほしい」(p.42)という祈りが深く刺さります。そして、作品を重ねて最後にまさか『ハテルマシキナ』が出てくるとは! この構成全体で光を見せていっていると思いました。余談ですが、「青い金魚鉢」で、皿海達哉の短編集『EE’症候群』(小峰書店 1998年)を思い出しました。先生が落ちこぼれの子どもを金魚に変えてしまうんです。こちらも怖いですよ。

エーデルワイス:最近好きな何名かの作家の短篇を読みましたが、長編でおもしろく読んでいた作家も、短篇は?と、思いました。短篇ならではの難しさがあるようです。それに比べ、この作家さんは本当にうまい!と思いました。「川釣り」は怖かったです。個人的には「青い金魚鉢」が好きです。情景が美しいと思いました。

すあま:私はこのタイプの話が苦手で、最初の話から読むのがつらかったです。怖さというよりも、悪意がむきだしなところや、最後に救いがあるのかと思ったら、あるような、ないようなところも、読みづらかったんです。「果ての浜」まできて、これを描きたかったのかなと思いました。夜叉神川をモチーフにしているので、出てくる子どもたちの間に何かつながりがあったらおもしろかったかもしれません。読み手を選ぶ話だと思うので、うまく手渡すことができれば、合う子もいるのかなと思いました。

しじみ71個分:この物語の中ではすべての登場人物が、改心するどうかはわからないまま、オープンエンドになっていますよね。で、主人公の子たちは人間の善性に対して祈るだけなんですよね。実際に、祈っても悪意から帰ってこられない人はいっぱいいるわけで、そこがオープンになって結末まで書かれていないところがミソだし、リアリティなんじゃないかなと思います。

(2022年5月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年04月 テーマ:おいしそうなタイトルの本

日付 2022年4月19日
参加者 アンヌ、エーデルワイス、オカピ、カタマリ、サークルK、さららん、シア、しじみ71個分、西山、ネズミ、ハリネズミ、ハル、ヒトデ、雪割草、ルパン
テーマ おいしそうなタイトルの本

読んだ本:

『サンドイッチクラブ』表紙
『サンドイッチクラブ 』
長江優子/作   岩波書店   2020.06

〈版元語録〉珠子はダブル塾通いをする小学6年生。ぼんやりむかえた夏休みに、無心に砂像を作るヒカルと出会う。強烈な個性をもち、成績もトップクラスのヒカルは「戦争をなくすためにアメリカの大統領になる」という。家庭環境も性格も異なるふたりの少女が、たがいを受け入れ、まっすぐに世界と向きあっていく姿をさわやかに描く。 *2021年度小学生高学年読書感想文課題図書 *第68回産経児童出版文化賞〔フジテレビ賞〕


『タフィー』表紙
『タフィー 』
サラ・クロッサン/作  三辺律子/訳   岩波書店   2021.10
TOFFEE by Sarah Crossan, 2019
〈版元語録〉父さんの暴力から逃れ、家を飛びだしたアリソン。古い家の納屋に身を隠すが、家主のマーラという老女に見つかってしまう。認知症のマーラは、彼女を昔の友人・タフィーと間違えているようで――。孤独を抱えたふたりが出会い、思いがけない同居生活がはじまる。カーネギー賞作家が詩でつむぐ、友情と再生の物語。

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『タフィー』表紙

タフィー

カタマリ:詩の形態のYAを読むのは『エレベーター』(ジェイソン・レナルズ著 青木千鶴 訳 早川書房)以来でしたが、やはりこちらもとても読みやすかったです。話があっちこっちに行ったり、時間が前後したりしても、詩だとわかりやすいですね。正直、文章のインパクトといい、詩の言葉の力といい、『エレベーター』のほうがより力強いかなと思いました。が、こちらの本も、読んでいくにつれ、彼女のやるせない想いが波のように次々と押し寄せてくるのが伝わってきて、せつなく感じました。最後、希望のある終わり方でよかったです。ただ、自分の年齢のせいか、アリソンだけでなくマーラの視点にも立って読んだのですが、そうすると後味の悪い物語なんですよね。認知症だからこそ感じる恐怖があると思うのですが、アリソンはそれを増幅させています。マーラが混乱していても「すぐ忘れちゃうから」とアリソンが軽く通り過ぎる場面がありました。アリソン自身いくら大変な状況にあるとはいっても、ちょっと若さゆえの残酷さだなあ、と。なので、アリソンがいたことでマーラも救われた、というニュアンスのエンディングが少しご都合主義だなと思いました。

ヒトデ:ラップのリリックのような文体に惹きつけられながら読みました。以前、『エレベーター』を読んだときにも感じたことですが、散文、詩の形式で語られる一人称の物語って、すごく「入ってくる(=自分のものとして読める)」気がします。そうしたわけで、アリソンの絶望的な状況とか、たくましさとか、そのなかでちょっと見えてくる希望とか、ユーモアとか、自然の描写とか……そんなアリソンを通して見えてくるあれこれが、胸に迫ってきました。父親の暴力の描写は、本当につらかったです。日本でも、この形式の物語があるといいのになと思います。「一瞬の出会い」という詩が、『サンドイッチクラブ』(長江優子著 岩波書店)っぽいなと思って読みました。

ネズミ:詩で綴られた形式というのが、新たな発見というか、こういう書き方があるのだとショックなほどおもしろかったです。横組みというのも、短い文章に合っていると思いました。散文で書くと論理性が必要で、整合性を持たせながら順序よく語っていかなければなりませんが、これは短い詩で、断片的だからこそ、時間も場所も自由に出たり入ったりできるんですね。ハードな内容もあるストーリーですが、読んで苦しい場面が続くのを避けられるという利点も。行ったり来たりしながら、だんだんと深く入りこんでいく感じがとてもよかったです。『詩人になりたいわたしX』(エリザベス・アセヴェド著 田中亜希子訳 小学館)や、『わたしは夢を見つづける』(ジャクリーン・ウッドソン作 さくまゆみこ訳 小学館)も、詩の形式でおもしろく読みました。

オカピ:アリソンは父親から虐待を受け、知り合ったルーシーには利用され、マーラの家も荒らされてしまいます。暴力にみちた世界で、砂の城とか、死んでしまうクロウタドリとか、喪失のイメージが重ねられていきます。アリソンもマーラも、手からこぼれ落ちていくものを必死でにぎりしめていますね。アリソンは父親の愛情をあきらめきれず、マーラは記憶を失いつつあって、娘のメアリーが死んでしまったことは忘れているのに、娘がいたことは忘れられない。アリソンの父親は、妻の死にとらわれたままでいる。物語は、アリソンは勇気をもってみずから手を放し、新たな人生を生きはじめるところで終わっています。それが、ヘレナの誕生に象徴されているように感じました。訳もよかったです。日本語の本にしたとき違和感がないように、改行や文字組が工夫されていると思いました。1か所、違うかなと思ったのは、あとがきの「~も詩人による詩形式の小説だ。今年(2021年)もその傾向は変わらず、カーネギー賞はジェイソン・レナルズのLook Both Ways が受賞」という箇所です。前に読んだことがありますが、これは詩で書かれてないので。

ハリネズミ:散文詩だけど、ストーリーがはっきりしていておもしろいと思いました。ただ時間軸が行ったり来たりするので、対象年齢は高校生くらいでしょうか。父親の暴力に怯えて家出をしたアリソンと認知症のマーラが出会うわけですが、ふだんの日常だとまず出会わないふたりが出会うというのが新鮮。その過程でアリソンはだんだん自分の仮面を取っていくし自分の話もするようになって、素の自分に戻っていきます。それも、読者にはよく伝わってくるな、と思いました。さっきマーラの目から見てどうなのかという話が出たんだけど、私もそこは引っかかりました。だれかがそばにいて自分のことを気にかけてくれているのはいいと思うんですが、マーラが最後に行くのは、たぶん孫が住んでいるところの近くにある施設ですよね。でも、この孫のルイーズはお話にほとんど登場しないし、会いに来てもいない。もし著者がルイーズにとってもハッピーエンドにしたいのであれば、このルイーズをもっと登場させておいたほうがよかったのに、と思いました。アリソンは非常に知的な女の子なんですが、16歳になっているのに、父親のことを客観的に見ることができていないのはちょっと不思議。父親については暴力をふるっている場面が多く、いいお父さんの部分は少ししか描かれていない。そうすると、なんでこの子はここまでガマンしてるんだ、というふうに読者は思うんじゃないかな。あとがきのp411「描いてみせた」は、当事者も読むことを考えると、私はひっかかりました。

エーデルワイス:表紙がいつもと反対で中身は横書き。縦書きではないのでドキリとしました。そのうち文章が『詩』の文体で、横書きであることの必然性が分かりました。あとは読みやすかったです。タフィーだと思い込んでいるマーラが切なくて、愛おしい。生きていくには生活が大切です。トフィーことアリーが食べ物を買うためにアルバイトを引き受けたり、家の中を整えたりと具体的に書かれていて好感を持ちました。「トチの実は落ちて・・・」(p.145)のところですが、盛岡市に中央通りというメインストリート(夏の『さんさ踊り』パレードがあるところ)があって、そこはトチの並木道になっています。6月頃マロニエの花が咲き、秋になるとトチの実がバラバラと落ちてきます。頭上に注意と立て看板がでます。私もよく拾いにゆきます。そんなことを思い出しました。

雪割草:いい作品だと思いました。詩の形で綴られた小説には、はじめは違和感があったけれど、だんだん慣れてきて、この形式自体が若者の声を象徴していて、若者は親近感が持てるのかなと思うこの頃です。この作品では、散文詩のぷつぷつと場面が切れる、内的独白の調子が、主人公の置かれた状況の厳しさに合っていると思いました。虐待を受け、守ってくれる大人がいない主人公の女の子と、認知症で家族にも厄介者扱いされている高齢の女性と、2人とも心のどこかで誰かの助けを必要としている気持ちがあって、心を通わせるのがよく描かれていると思いました。そして、主人公が父親から逃れて、携帯をなくし、現実から距離を置いていた時間と、認知症で心がどこかに行ってしまうマーラの時間と、ある意味、2人は特別な時間の中で出会い、一緒に過ごすという描き方も上手だと思いました。「自分の悪いところ、わかってる?そうやってくだらないことばっかり、言ってるところよ」(p.266)など、マーラの放つ鋭い一言もよかったです。エンディングは、大きくはないけれど、ささやかな希望が感じられて、こうしたささやかな温かいことの積み重ねが人生なのかな、と読者も受け取れるのではないかと思います。

アンヌ:横書きだからとためらっていたけれど、読み始めたら止まらず、一気読みでした。認知症の合間に蘇る若いマーラ、恋をしたりダンスをしたりした、一人の人間としてのマーラが見えてくる過程を、時間を行ったり来たりさせながら描いていくところは素晴らしいと思いました。詩ならではの短い言葉による暗示は読者の想像力を駆り立てるし、アリソンがこの家にいるのがいつばれるだろうというスリルもあって、ドキドキしながら読み進みました。それと同時に、アリソンのやけどの理由、父親のDVや、どう見ても悪だくみをしそうなルーシーとの関係は予想がつくから、ページをめくるのがつらいけれどやめられないという感じでもありました。透明人間みたいだったアリソンが、マーラの怪我の後に、きちんと他の大人にも対応できる場面を見ると、尊厳を取り戻したんだなとわかってホッとしました。最後の詩は、かけがえのない友人同士となった2人の別れの場面ですが、マーラが自分を忘れてしまう悲しさと、忘れる自由もある事を歌っているのようにも思えます。詩というのは読み返すとそのたびに違う顔を見せるものだから、もう少し年を取ってから又読みなおしてみたいなと思いました。

サークルK:横書きの体裁でも『エレベーター』を読んで慣れていたこともあり、すんなりお話に入っていくことが出来ました。空白の多い詩の形式ではあるけれど、中身が詰まっていて散文を読むような感覚でストーリーに引き込まれました。以前読書会で読んだ『神さまの貨物』(ジャン=クロード・グランベール著 河野万里子訳 ポプラ社)が散文であるにもかかわらず詩的だな、と思ったことを対照的に思い出しました。父親の暴力から逃れられないアリソンの様子は凄惨すぎて胸が詰まりましたが、実際日常的に暴力を受け続けてしまうと、気力がなえて抵抗できない状態に陥ることがある、と聞いたことがあるので、彼女の場合もそうなのではないかと推察します。それでも彼女は繊細で頭が良く、認知症のマーラが、時々ドキリとするようなことを直言し(「顔はどうしたの」)その一言を糸口にして、すべてを語ってしまいそうになるアリソンの心模様に共感できました。最後に父親にやられたことをアリソンが正直に言うことが出来て良かったです。認知症の当事者と虐待の当事者という全く違う世界を背負っている2人なのに、なぜかリンクしている世界が描かれていることが素晴らしかったです。

しじみ71個分:散文詩で全編が構成されている作品を読むのは初めてでした。ですが、非常に物語性が豊かなので、普通の物語と同じように筋を追ってすんなり読めました。言葉をギリギリまで絞り込んで、主人公から吐き出される気持ちのエッセンスを抽出して描いているように思います。なので、主人公の切迫した心情や痛みが、ダイレクトに響くので、読んで痛くて、つらいところはありました。アリソンは、父の暴力から逃げて、認知症のマーラの家に無理やり入り込み、彼女の世話をしながら生活しますが、介助の人や息子が家を訪れたときには見つからないかと読んでハラハラし、この秘密の生活がどうなるかというスリルもありました。アリソンは、マーラの昔の友人で、すてきな女の子だったタフィーの幻影を借りて、マーラの前で生きていきます。それは親から暴力を受け続け、存在を否定されたことによる自己の喪失を象徴しているのかなと思いますが、読んでいて本当に悲しくつらいと思ったことでした。マーラも認知症で自分が自分でなくなっていく恐怖やつらさを抱えているので、2人の間にはそこに共通点があるのですね。記憶が行ったり来たりする中で、マーラの元気だったときのエピソードが見え隠れしますが、認知症になる前は、おおらかで朗らかな女性だったことがだんだん見えてきて、マーラの温かさや包容力で、アリソンは救われていく様子が分かります。火傷の痕について、マーラに「顔をどうしたの」と聞かれて、1回目は答えなかったアリソンが、2回目に同じことを聞かれて父さんにやられた、と素直に答えたのに対し、マーラが「あなたは何も悪くない」というシーンは胸にしみました。マーラとの暮らしと、ルーシーから頼まれた裏バイトでお金を稼ぐことで、だんだんアリソンには自己肯定感が生まれてきます。アリソンの視点からだけで語られているので、マーラが何をどう考えているのかはつぶさには分からないのですが、アリソンが次第にマーラに対する愛情を深めていき、クリスマスツリーをつくってあげようと考えたところで、改行の工夫で、詩がクリスマスツリーの形になっている(p.317)のは、アリソンのうきうきした楽しい、やさしい気持ちを視覚的に表しているんだと思って、かわいいなと思いました。稼いだお金でマーラが好きなジャズシューズを買ってあげるのも素敵です。結末に向かっていくところですが、ケリーアンが病院で産気づき、それをマーラがさらりと受けてナースコールを押す場面や、パートナーや家族のいない出産におびえるケリーアンを、「みんなひとりきり」といって慰める場面もマーラの強さと魅力を存分に物語っています。そして、最後に、マーラがそれまでタフィーと混乱して認識していたアリソンを、アリソン自身とちゃんと認識して、名前を呼びかけたことで、アリソンが自己の存在を肯定し、自分を自分として認められるようになりますが、そのことを語る「わたしはアリソン」という詩は、物語のクライマックスとして大変に感銘を受けました。3人のこれからがどうなるかという結末ははっきりとしませんし、おそらく施設に入るマーラと、ケリーアンと赤ちゃんと3人で暮らすだろうアリソンたちのそれぞれの人生が本当にうまくいくのか、いかないのかは分からない微妙な感じで終わりますが、登場人物たちに希望を持って、がんばってほしいと思ってしまいました。

西山:いちばんびっくりしたのは、最後に訳者あとがきを読んで初めて、これが「詩」だということを知ったことです。自分にびっくりです。確かに見た目は詩形式ですが、いまどき、1文ごとに改行している作品もあるし、一人称でほぼ心の声でできているような作品にもなじんできたので、その類いかと……。つまり、「筋」と「意味」ばかり追う読み方をしてしまいました。(追記。読書会中は「散文詩」と言われていましたし、自分も使ったと思いますが、これは「散文詩」でしょうか。「散文詩」というのは、見た目は完全に、普通の小説のような感じで、でも、イメージの飛躍などで、明らかに言葉の質が一般的な散文とちがうものと認識していました。) その「筋」「意味」で特に新鮮だったのは、認知症の現れ方で、幼女のようになってしまうのではなく、性欲というのか、異性への意識が出てくる部分です。p.255ページからの「紅茶とカップケーキでおしゃべり」で若者のお尻に注目しているし、p.371からすると、付き合っていた「変わり者のじいさん」は妻子持ちだったんですよね。断片的に見えてくるマーラの人生が興味深かったです。

ハル:いま、海外小説ではこの散文詩の形態がトレンドだということで、1度みんなで読んでみたいな、というより、皆さんに読み方を教えていただきたいなと思っていました。私自身は、「詩」というものにあまりなじんでこなかったので、詩の定義ってなんだ? と思っていましたが、何冊か読んでみて、ようやく、こういう形態でこそ表現できるものがあるんだな、というのがわかりはじめてきたところです。「詩」というと、美しく包んで飾っているようなイメージがありましたが、タフィーの物語は、この形でこそ、むしろ飾らず、うそいつわりのない言葉で綴れるんだろうなぁと思います。なんというか、そのとき、そのときの気持ちに素直で、読者としても整合性を気にせずに受け止められるというか。ただ、私は頭がかたいので、やっぱり縦書きで読みたいなぁと思いながら読み始めましたが、最後のほうでクリスマスツリーが出てきたので、だから横書きだったのか、と納得しつつ、ちょっと笑ってしまいました。もっとも、途中からは縦書きか、横書きかなんて、気にならなくなっていましたが。

ルパン:内容はとてもおもしろかったのですが、正直、私は詩の形式でなくふつうの物語形式で読みたかったです。タフィーがどんな人物で、マーラとどういう関係だったのかとか、もっともっと具体的に知りたい、と思うところがたくさんあって。あと、p.38みたいな形式が何か所かあるんですが、先に左の列を縦に読んでしまい、それから右の列に行ったので、わけがわからなくなりました。これは各行を横に読むべきなんですね。それがわからなくて読みにくかったです。

ネズミ:どっちから読んでもいいように書いているんじゃないかな。

ハリネズミ:ここは、ホットクロスバンていうイースターに食べる、十字が入っているパンの形になっているんだと思うけど。

ルパン:あと、地の文と、だれかのせりふの部分で字体を変えているようですが、それも目立った変え方ではないので、ずいぶん読み進めてから初めて気がつきました。

ハリネズミ:原文はイタリックなんでしょうね。日本語の本ではイタリックは読みにくいしきれいでもないので、普通は使いませんよね。で、イタリックにしただけじゃわからないから太字にしてるのかも。日本で出すならカギカッコにしてもいいのかも。

ルパン:同じ行に2つの字体が入り交じっていたりしますよね。

ハリネズミ:原文どおりなんでしょうね、きっと。日本語版はもう少し工夫してもよかったのかも。

ルパン:ところどころ、せりふは字下げで始まる場合もあるんですけど、そうでないところもあり、まちまちですよね。たとえばp.81は、父さんのせりふは字下げがなく、ケリーアンのせりふは字下げがあり、その次の地の文もそのまま字下げに頭を合わせていて……そういうところが、ちょっと気になりました。

シア:散文詩形式の本は珍しいので、目新しさを感じました。でも読むと普通に読みやすくて、一気に読めました。とはいえ、かなり重い内容なため、こういう形式だと情緒的になるので、さらに苦しさが増すような気もしました。そこも狙いだと思いますが。短い文章が続くので、生徒など若い世代には更に読みやすいのではないかと思います。ただ、本の見た目が分厚いので、そこをどうクリアさせるかが問題ですが。貧困やDV、キャラクターの掘り下げは、さすが海外作品らしい切り込みの鋭さがありました。その辺りは長江優子さんの『サンドイッチクラブ』とは一線を画していますね。とにかく、子どもたちがポエムというものに触れるには良い本だと思います。表紙もオシャレで素敵な作品でした。表紙の女の子の顔に葉っぱついてるよ、と思ったらとんでもなかったって話ですが。

ハリネズミ:アメリカで賞をとる作品は、今、散文詩の形式の物が多いですね。時間軸でしばられず、パッチワークのように書いて全体像を浮かび上がらせることができるという特徴があるようです。あと認知症にもいろいろな段階があって、まだら認知症の人は、意識がはっきりしている時とそうでない時があるようです。昔に戻って若い頃の自分が出てしまったりする人、子どもに戻ってしまう人もいるらしいですね。マーラも、その状況なので、認知機能が戻ったときはきっとつらいのではないかしら。

ネズミ:私は、この本の中では、マーラがアリソンと最後、ダンスを披露するシーンが好きでした。

ルパン:私は、時計をルーシーに盗られてしまったあと、マーラが、それがあった場所をじっと見つめたまま何も言わない、というシーンは、せつなくて本当に泣きそうになりました。

西山:ちょっとうかがっていいですか? これが「詩」だと分かっていたら、改行ごとに間を置いたりして、もっと違う受け止め方ができたのにと反省していて思いついたのですが、こういう作品、欧米では朗読する機会など多いのでしょうか? これ、声に出して読み合ったらおもしろそうだと思いまして。

ハリネズミ:学校で詩を声に出して読むことはよくあると思うし、著者が学校を訪ねて自分の散文詩作品を読むこともしょっちゅうあるかと思います。

オカピ:『詩人になりたいわたしX』(田中亜希子訳 小学館)の著者のエリザベス・アセヴェドは、自身もポエトリースラムをしていますよね。

(2022年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『サンドイッチクラブ』表紙

サンドイッチクラブ

アンヌ:表紙も題名もおいしそうだったのに、残念ながらサンドは砂でした。それでがっかりしたせいか、おもしろく読めませんでした。特に勝田家の兄弟が苦手で、弟のアイネとハイネたちは傍若無人で、葉真(ヨーマ)もヒカルに「一生負け犬だ」なんて言う。彼の言動を「すがすがしいほど自己中心的」なんていう風に肯定的に感じられませんでした。砂像作家のシラベさんは、ホッとする人格で、最後に「きれいなのは砂が砕かれた地球の一部だからじゃないかな。ひと粒一粒にこの星の誕生から今日までの記憶が宿ってるんだ」(p.236)なんて、心に残ることを語ってくれて、砂は悪くないと思えました。物語の舞台は高級住宅地でしょうか? 500円のクロワッサンが飛ぶように売れて、2つの塾に通わせて私立校を受験させる親がいる安全な場所。そこに、シラベさんの海外での体験や現実の隣国のミサイル実験から、ヒカルの祖母の「戦争はまだ続いている」という言葉が現実として入り込んでくる。けれど、その戦争に関する意識がヒカルや珠子のなかで、どうなって行くのかわからないまま終わっている気がしました。

雪割草:あまりおもしろいとは思えませんでした。さわやかで、砂像というアイディアはおもしろかったけれど、キャラクター設定が漫画っぽい感じがしました。葉真が好きなことがわかっていて、それをやるんだと決めている姿は気持ちよく映りました。でも、家族みんなアーティストで、だから自分もアーティストになるんだという決め方にはなぜ?と思いました。それから、ヒカルがおばあちゃん子なのはわかるけれど、戦争のかぶれ方が極端だと思いました。最後までお母さんも登場せず、ヒカルはどんな家庭の子なんだろうと気になったので、もっと早く家族関係を描いてほしかったです。そして、主人公の珠子の心の整理を受験や塾で表現するのに違和感を覚えました。実際、今の子はこうした環境に置かれているのかもしれないけれど、いいとは思えませんでした。

エーデルワイス:前に読んだきり内容を忘れて慌てました。主人公の珠子とヒカルの対比がおもしろかったです。ヒカルはおばあちゃんの影響が大きくて、おばあちゃんの言葉に囚われているようで心配になりました。現代は塾が大きく存在を発揮して、塾は当たり前のこととして書かれているので、改めてそうなのかと思いました。小学校6年生女子の会話がまるで中高生のような会話に聞こえ、ずいぶん大人びていると感じました。砂の彫刻について知らなかったので、そこが新鮮でした。

ハリネズミ:ずいぶん前に読んだので印象が薄れているのですが、この本は小学校高学年の感想文の課題図書なんですね。私がおもしろいと思ったのは、見えているものだけで判断しないほうがいい、という考え方がずっと一貫しているところです。それと、著者が今の子どもと、歴史とか外の世界を結びつけようとしているのもいいな、と思いました。砂の彫刻については私も知らなかったので、へえ、そうなんだと思ったし、時間をかけてていねいに作ったものでも崩れてしまうとか崩してしまう、というところもおもしろいですね。ヒカルが戦争にここまでこだわるのは、もちろんおばあちゃんの影響もあるのでしょうが、私も少し疑問に思いました。キャラクターは、あえて少しずつデフォルメしているのだと思ったので、リアリティに対する違和感はあまりありませんでした。

さららん:タイトルのつけ方が秀逸で、読むまでは、ずっとサンドイッチの話だと思っていました。目次の言葉選びにも意外性があって、読者を惹きつけます。作者は、少しずつずらしながらイメージの関連性をつくるのがうまくて、例えば珠子がタマゴと呼ばれ、そのタマゴの持ってきたのが「ポンデケージョ」という丸いパン。そのパンも小道具として効果的に使われていますね。ヒカルの家の「漂白剤」の匂いも、ヒカルや祖母の潔癖さの象徴のように感覚に残りました。そして砂像づくりという、まったく知らないアートの世界を通して、子どもたちの成長を伝える点がとにかくユニーク。違う時間軸の中に生きるシラベさんと出会えたことが、人生の岐路にある子どもたちにとって、大きな意味をもちますよね。お金はあるけど、やりたいことがわからない珠子と、貧乏だけれど、頭がよくて、「大統領になったら、戦争のない世界を作りたい…(中略)…世界があたしを置きざりにするつもりなら、ダッシュして先頭に立ってやる」というほど、つっぱったヒカル。2人の立場もキャラクターは対照的で、この2人にちゃんと共感できれば、勝田葉真との砂像づくり対決の物語に夢中になれるはずなんですが、2人の切実さに私はいまひとつ、ついていけなかった。作者には、社会にまず伝えたいメッセージがあり、それに合うキャラクターを持ってきてドラマを作ったのではないかと感じてしまったんです。最後の頁のタマゴの思い、「変わらない景色の中で、砂はたえず動いている。毎日は同じことのくりかえしのようで、そうではないはず。見えない変化が積みかさなって、新しい自分になっていくはず。明日のわたしは今日のわたしじゃない」(p.237)は、少しまとめすぎに感じられ、お話全体の中でこのことを感じさせてほしかったです。このセリフは、ややテレビドラマ寄りだと思いました。

オカピ:塾と学校という、狭い世界で生きていた珠子は、新たな友だちと砂像彫刻に出会い、視野を広げていきます。シラベさんが海外で、銃弾や赤ちゃんのおしゃぶりを砂の中に見つけたという話を聞く場面では、近所の公園から、戦争や難民の問題につなげているのがいいなあと思いました。ペンギンの骨格を調べ、それを砂像づくりに生かすのは、それまでやらされていた勉強が、知りたいことに結びつく瞬間ですね。ヒカルが「ケンペー」という言葉をよく口にするのは、少し違和感がありました。もし今の時代に戦争が起きて、憲兵のような人たちが出てきたとしても、それはべつの名前になるだろうから。p143にあるように、ヒカルは「心だけ別の世界に行ってしまう」ということなのでしょうが。

ネズミ:中学受験や塾に行くのが前提になっている日常というのが、今の小学生にはあたり前のものなのかなと思いながら読み始めました。地方でもそうなのでしょうか。

エーデルワイス:東京とは違い、私が住んでいる地方では、私立中学受験がないわけではありませんが、少ないです。小学生は『くもん』に通っていますね。

ネズミ:そうなんですね。小学6年生にして進路選択を迫られるとこうなるのかもしれませんが、ヒカルや珠子の心持ちや人物像を私は今ひとつはっきりととらえられず、物語に入り込めませんでした。だからか、作者がいろんな問題意識を読者に投げかけているのは好感を持ちますが、やや全体にごつごつした印象というか、取って付けたような感じがしてしまいました。たとえば、p133の、マルタ島の赤ちゃんのおしゃぶりに始まる難民の説明とか。思いがけないところで私たちのすることは世界につながっているというのを、作者は示したかったのかもしれませんが。

ヒトデ:「砂像」というテーマに、著者のセンスが光っていると思いました。タイトルの付け方も魅力的で、著者ならではのものだと感じました。「現代の子どもたちに、戦争のことをどう伝えるか、どう考えてもらうか」という難しい課題に、ハムと祖母とのやりとりや日常に影を落とすように出てくる「ミサイル」という装置を使いながら、この物語ならではの方法でアプローチしているところがいいなと思いました。現代が過去とつながっていること、戦争が決して、断絶した「過去」の話ではなく、現代そして未来にも起こり得るものであることを伝えているところが、とってもいいと思いながら読みました。

カタマリ:初めて読んだときは、砂像の話に引き込まれつつ、要素がいろいろ盛り込まれ過ぎているため、少し散漫かなと思いました。今回再読したときは、散漫には感じず、とてもおもしろく読みました。砂像のはかなく消えてしまう、という特質が物語全体にいい味をもたらしています。登場人物の女の子たちの書き分けもうまいなと思いました。塾で女の子たちがわちゃわちゃ会話していても、誰かと誰かがごっちゃになることもなく、スムーズに読めました。敢えて1つ言うとすれば、砂像バトルが盛り上がりに欠けるんですよね。それは、大会などではなく、私的な勝負だからということもあるのですが、いちばんの理由は、主人公とヒカルは成長しているのに、ライバルの葉真が成長していないからではないかと考えました。最初からすごくできる人で、ずっと似たものを作り続けているんですよね。彼が壁を突き抜けてさらに成長するシーンがあると、主人公たちの頑張りも際立つのかなと思いました。

シア:砂像アーティストというのを知らなかったので、おもしろく読みました。受験期の子どもがストレスから別のものにハマるという話は多くありますが、この本は保護者が適度な距離を持って接している理想的な形だと思いました。そのため、主人公はそれを理解したうえでゆとりを持って自分の進路を考えることができました。現実ではなかなかこうはいきまません。実際、中学説明会の教師ひとりの面談で決めるというのは微妙ですしね。だからそういった意味でもフィクションな面が強いし、戦争や貧困などいろいろな問題も盛り込まれていましたが、どれもふわっとさせていて、なんとも小綺麗なまとめ方をしたなと思いました。まあ、そういうのは嫌いじゃないので、それはそれでありかなとは感じました。まるでサンドイッチの断面のような、作られた美しさではありますが。「サンドイッチクラブ」という題名も“サンド”と“砂”とひっかけていて、ここも上手くまとめていますね。

ルパン:これは、申し訳ないけれどおもしろいと思えませんでした。いろいろ盛り込まれているんですが、何もかも中途半端な感じで。砂像、中学受験、経済格差、ミサイル問題、友人関係……。唯一筋が1本通っているのは葉真かな。「教室の中でじっとしていられないから外に出て砂像をつくる。そして世界的なアーティストになる」という。でも、それも、誰かに何かを伝えたいとか、何かを主張したい、という感じではなくて、ただ有名になりたいだけみたいだし。それでも、よくわからない方向転換を繰り返すヒカルや珠子よりはましかな、という気がしました。葉真の弟たちもなぜふたごの設定なのかよくわからない。このお洒落な名前を出したかっただけかも、と思っちゃいました。ただ、砂像というのはいいモチーフだと思いました。検索したら、すばらしい砂像がたくさん出てきて、感心しました。砂像の迫力とはかなさの魅力をもっと物語の中で活かせたらよかったんじゃないかな、と思いました。

ハル:いろいろな要素がからまっていて、とてもおもしろかったけれど、すごく上手かといったらそうでもないような。ところどころで「どうしてこういう表現になるのかな?」と浮いてしまうような部分もあり、それは私の読み込みが足りないだけじゃなくて、書き込みも足りないんじゃないか……という感じがしました。印象に残っているのは、「世界にはばたくリーダーとなれ」なんてスローガンをかかげている学校の先生が、とてもいい大人だったこと。ヒカルのような子がいる一方で、珠子のように、将来の夢なんてわからない、という読者のことも、それでいいんだと包んでくれて、とても心強く思いました。もうひとつは、ヒカルのおばあさんは、実は戦争を体験していなかったというところ。隔世の感がある、と言うと語弊があるかもしれませんが、ぞくっときました。呪いのように残り続ける憎しみこそが、次の戦争の種になるんだということでしょうか。

西山:どうも腑に落ちない……。長江さんは他の作品でも戦争をめぐる題材を持ち込んで書かれていて、それ自体は賛成だし、題材の選び方も珍しかったりするし、そういう問題意識には共感するのですが、作品というまとまったイメージとして、捕まえ切れません。なんでだろう……。たとえば、ヒカルは最初アニメ的なエキセントリックな設定と感じたのですが、おばあちゃんの呪いに囚われていて、ミサイルへの異様なまでの危機感(危機感を持っていない方が「異様」とも言えると思いますが)とか、その辺がアンバランスで、どう読めばよいのかよくわかりません。ヒカルにさんざん戦争体験を語り聞かせていた祖母が実は戦後生まれだと知った後の、「たぶん、昔話として孫に戦争を語っても、伝わらないって思ったんじゃないかな。自分が体験したように話したほうが迫力でるでしょ」(p55、1行目)は、相当強烈な皮肉と平和の語り方に対する問題提起になっているけれど、この件はこれで放り出されているまま。戦争に怯えているヒカルの状態は病的と言って良いほどだと思いますが、それもほったらかされている。ヒカルは自分に敵対する言動に対する反撃として「ケンペー」を口にしますし、「そうだね。あたしたち、シャベルの使い方がうまいから防空棒を掘るときに重宝されるよ。ケンペーだって、あたしたちに一目おくにきまってる」(p142-143)ともあって、憲兵が味方みたいな位置付けなのも腑に落ちません。おばあちゃんは「戦争体験」どんなふうに伝えたんだろうと。すごくアグレッシブに問題提起しているんだろうけれど、つかみあぐねる感じです。絶妙な表紙絵ですし、ハムとタマゴで「サンドイッチクラブ」なのも楽しい仕掛けではありますが、おいしそうなサンドイッチの話でないことにがっかりする子どももいると思います。小学生の頃、吉田としの『小説の書き方』(あかね書房)が、全然「小説の書き方」の本じゃなかったことにがっかりした経験を思い出しました。

しじみ71個分:この本は再読ですが、料理に関する本かなとタイトルで手に取りましたので、「やられたな(笑)」と思った記憶があります。1回目に読んだときは、砂像を作る話だという以外は、あまり印象に残っていなかったのですが、JBBYのイベントで、長江さんのお話を伺い、こういうことを考えておられる作家さんだったのかと思い、今回、興味を持って改めて読み返しました。はじめて読んだときは、メッセージを伝える素材である砂像から世界が見えるということや、戦争のイメージを刷り込まれた子どもが登場するなどということはあまり記憶に残らなかったのですが、読み直すと、少し作家の考えやメッセージがストーリーから飛び出している感じを受けました。なので、背景やら、物語の彩りの部分を除けば、珠子という主人公の朗らかな女の子が、ヒカルと出会ってサンドアートを体験し、自分で自分のことを考えるようになり、孤独だったヒカルも友だちを得て、日常とのバランスを取り戻していく、というシンプルな友情の物語だな、という印象です。サンドアートはおもしろい着眼点だと思いますが、世界や戦争などの要素が、2人の少女たちの関係や心持ち、成長といった物語の柱に対して、それほど効果を生んでいないのかなという気もしました。表現はところどころ、とてもいいなと思いました。たとえば、ヒカリがライオンの砂像にまわし蹴りをくらわすところで、「ふりあげた足からビーチサンダルがぬげて、雨の中をロケットみたいに飛んでいく。」(p.42)とか、「光の粒子がまぶたをすりぬけて、星のように暗闇の中でチカチカとまたたいている。」(p.128)とか、体感的ですてきな表現がありました。美しい表現をされる作家さんなので、これからの作品にも期待しています。

サークルK:受験を控えた6年生女子のモヤモヤが言語化されていて、受験することがつらくなって逃避していく展開なのかと思いましたが、砂像をめぐる新しい友人たちとの出会いによって自分を見つめなおす機会が生まれていくという物語になっていたのだとわかりました。(ただ、夏休みをここまで使ってもう1度受験勉強生活に戻っても、時間的に間に合うのだろうか、やる気だけでは乗り切れないのではないのかという現実的な心配がありますが。)p.57ページのヒカルの独白は、2022年4月の現在に起きているウクライナでの戦争を踏まえれば、より一層重いものと受け止めました。ヒカルが、だからアメリカに行きたい、と短絡的に発想する所には、世界を救うために飛び出していく行先がやっぱり欧米が主体になってしまうのだな、と少々苦笑してしまいました。

(2022年4月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2022年03月 テーマ:心に問いかけていくことは

日付 20227年03月22日
参加者 ハル、コゲラ、花散里、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、オカピ、キビタキ、サークルK、みずたまり、雪割草、ヤドカリ、(ネズミ))
テーマ 心に問いかけていくことは

読んだ本:

『ラスト・フレンズ』表紙
『ラスト・フレンズ~わたしたちの最後の13日間 』
ヤスミン・ラーマン/作 代田亜香子/訳   静山社   2021.06
ALL THE THINGS WE NEVER SAID by Yasmin Rahman, 2019
〈版元語録〉16歳の3人の少女たちはあるマッチング・サイトで出会った。彼女たちの目的は……。衝撃の展開に、ラストまで目が離せない感動作!


『家族セッション』表紙
『家族セッション 』
辻みゆき/作   講談社   2021.07

〈版元語録〉普通の家庭に育った千鈴、お嬢様育ちの姫乃、シングルファーザー家庭の菜種。中1に進学する春、3人はそれぞれの親から、「赤ちゃんのときにすり替えられていた。」という衝撃の事実を知らされる。それぞれの家へホームステイをしながら、3人はそれぞれの思いを抱え、悩み、葛藤する。ほんとうの家族とは何か、真の愛情とは――。運命に翻弄されながらも、3人は新しい一歩を踏み出していく。

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『家族セッション』表紙

家族セッション

コアラ:自分はこの家の本当の子どもではないのでは? と私は子どものころ考えたりしていました。血縁の家族か、育ての家族か、というのは、今の子どもが読んでも考えされられる問題ではないかと思います。物語の3人の子どももそれぞれの親も、この問題にしっかり向き合うし、読んでいて引き込まれました。p140の後ろから6行目の千鈴の言葉は、この問題に向き合うことで成長していることがわかります。p167の6行目やp222の4行目など、蟬の声とか朝日とかを、その時の状況説明として効果的に使っているのが印象的で、技術がある書き手だなと思いました。好きな場面はp223の5行目から8行目で、愛されているというのは、心の支えになるし、親が子どもを愛しているということは、態度で示すと同時に言葉にすることも大事だと思いました。あと、タイトルにある「セッション」というのは、うまい言葉だと思いました。その意味は、p158の3行目で「周りの音をよく聞いて、全体の雰囲気に合わせながら、自分の個性を出す。そうすると、そのときの、そのメンバーにしか出せない、いい音楽になるんだよ」と説明されていて、3組の家族がこうなっていくんだというのがイメージできました。ただ、実際のセッションの場面がほんの数行で、あまり活かしきれなかったのかなと残念でした。全体的にはおもしろかったし、いろんな人に読んでほしいと思います。

ハリネズミ:おもしろく読みましたが、いくつかの点でひっかかりました。主人公たちはどの子も自分をしっかりもっているように思えるのに、親たちに向かって「今の家族がいい」とは一言もいわず、姑息な作戦で親たちにそれをわからせようとしています。それがなぜなのか、理解できませんでした。昔は、病院での新生児の取り違えが結構起きていたんですね。著者が参考にしたのは『ねじれた絆』とありますが、このテーマはテレビや映画ではいろいろと取り上げられていますね。私は是枝監督の「そして父になる」という映画がとてもおもしろかったんですね。あの映画の子どもは6歳くらいですから少し違うんですけど、それでも「血縁と一緒に過ごしてきた時間のどっちが大事か」という問いには、一緒に過ごしてきた時間のほうかも、という流れになっています。現代の欧米の作品でも、血縁より一緒に過ごした時間の質のほうが大事、というふうにおおむね描かれている。でもこの物語では、血縁を重んじるという流れになっていて、そこはとても日本的だと思いました。と同時に、これでいいのか、という疑問もわいてきました。

みずたまり: 設定に無理があって、そこを乗り越えないと物語に入れないという意味ではファンタジーだなと思いました。無理があるなと思ったのは、取り違えの部分です。実際にあった事件は、50年前、60年前のことで、現在だったら随所に防犯カメラがあるし、油性ペンで書かれた足の名前が消されてたら、あきらかにおかしいと確認するだろうし、もう少し犯罪が成立した要因をくわしく書いてもらえないと納得しづらいと思いました。でも、それはそれとして読み進めると、先が気になって、3人の反応や感情の揺れが興味深くて最後まで一気に読めました。あって当たり前の家族が揺らぐ、家族とは何か、という問題提起はとてもおもしろく、中学生の読者も考えさせられると思います。ただ、やっぱりツッコミどころもいろいろありました。反抗期の年齢の3人が3人とも、今のままがいいと心から思うだろうか? と気になります。またどの親も、今の子と本当の自分の子と両方大好き、という前提ですが、誰にも愛を注げないタイプの人がいたらどうだろう、とも考えました。

オカピ:お嬢様の姫乃、豊かな家庭ではないけど家族仲のいい菜種など、登場人物は漫画的な印象を受けました。去年『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ/著 土屋政雄/訳 早川書房)を読んだとき、その人をその人たらしめるというか、かけがえのない存在にするのは、その人の中にある何かじゃない、特別なものはまわりの人たちの心の中にある、というのに、真実だなあと思ったのですが、この本のラストの選択はその逆をいっているような。生まれという自分では選べないものを重視するのは、血統主義にもつながる危うさをおぼえました。姫乃のおばあさんは「理由のあるほうを選んだらいい」(p182)といいますよね。「理由のあるほう」という考え方は、日本の社会の同質性をますます強めることになるのでは。あと引っかかったのは、p183「世の中には、自分のことも、他人のことも愛せない人がいる。身近な人に、身体的、精神的に暴力をふるう人や、子どもを虐待する人。育児放棄をする人もいる。現に、十三年前、子どもたちをすり替えた犯人は、そういう類いの人間だったではないか。/でも、ここにいる人たちは、そうではない。みんな、自分というものを持ち、お互いのことを思いやり、愛情いっぱいに子どもを育ててきた、信頼できる人たちなのだ」という箇所です。自分たちは愛情深い人間だけど、事件を起こしたのは「そういう類いの人間」だという、レッテルを張るような言葉に辟易しました。

アンヌ:最初から親は血縁家族に戻ると結論づけていて、その中で子どもたちが納得するのを待っているんだなと思い、自然描写の多さといい、いかにも日本的な小説だなと思いました。男親が血縁主義でそうなったんでしょうか? その割に男性たちの影が薄いですよね。「人生、思いどおりになると信じてきた人にはわからない」(p41)なんていうすごいセリフが出てきたりする割には、菜種が裕福な家庭に移ったことについての感慨や元の家庭についてどう思っているのかが描いてなくて不思議でした。13歳というのは、千鈴のように男性ばかりの家に移るには、きつい年頃じゃないでしょうか? 料理を教えにといえば聞こえはいいけれど、実際には2軒分の家事の掛け持ちになる母親も、看護師の仕事をしながらだなんて、たまらないだろうと思います。それなのに、この2人が中心になってこの取り換えっこを肯定するというのが奇妙な気がしました。題名にもある音楽のセッションも生かされていない気がします。いっそ全員で同じ、楽器OKのマンションにでも住んで、毎日セッションしながら、誰が誰の親か姉妹なのかわからないほどの混沌とした関係を作っていく、なんてほうが納得がいくような気がしました。

サークルK:3人のキラキラネームの女の子たちの性格の違いが明らかで読みやすかったです。p126「うらやましい」「ずるい」「ねたましい」という3つの感覚は思春期の女の子が抱えるモヤモヤした気持ちをうまく状況に即して言語化していると思いました。子どもと同じように大人も迷い悩むことがあるのだ、というところまで描いたことは、よかったです。読者の子どもたちに、大人だからって何でも知っているわけではない、何でも決めてよいわけではないということが伝わるのではないでしょうか。ただ、今回ほかの参加者の方の感想を聞くうちに意見が変わって、血統主義万歳的な結末は確かにおかしいし、『ラスト・フレンズ』と比較してみると3人の子どもたち、親たちが幼く薄っぺらなキャラクターに思えてきてしまいました。

キビタキ:赤ちゃん取り違え事件は一時期結構多かったので、ドラマ化されたりもしましたよね。実際の例を見ても、育ての親を選ぶか生みの親を選ぶか、どちらが本人にとって幸せかは本当にケースバイケースだと思います。どちらにしてもつらい選択であることは間違いありません。ここでは3組の親たちがすんなり同じ結論にまとまって、足並みそろえて同じ方向に向かうところに違和感がありました。夫と妻でも違うと思うし、決断はいろいろあるはずなのに、不自然だと思います。でもこの本は子どもたちが主人公なので、子どもの気持ちのほうに重点が置かれているのでしょう。子どもたちは、最初は全く拒否していたのに、いざホームステイしてみると、少しずつその家族なりのよさを感じ始めますよね。結局この本でいいたかったのは、どっちが幸せか、という選択よりも、家族はそれぞれに違うこと、それぞれの幸せがあることに気づくところにあるのではないかと思いました。この本を読んだ子どもたちは、もし自分がほかの家の子だったらどうなっていたか、と絶対思うでしょうね。自分の親兄弟や家庭のことをあらためて見直すきっかけになるだろうし、ひとの家庭にも、外からはわからない絆や感情があることを知ると思いますから、そういう意味ではおもしろいと思います。
余談ですが、私が小学生のころに読んでとても印象に残っている本に、吉屋信子の『あの道この道』(現在は文春文庫)という少女小説があって、それをどうしてももう一度読んでみたくてつい最近読み返したんですが、それが大金持ちのお嬢様と、貧しい漁師の娘が赤ちゃんのときに入れ替わってしまうという話なんです。お嬢様は高慢ちきで、漁師の娘は清く正しく美しいという、絵に描いたような単純な取り合わせの少女小説なんですが、結構おもしろいんですよ、これが。つまり、こっちの家庭に育っていたらどうなっていたか、というテーマは昔からあって、すごくドラマチックなんですよね。

エーデルワイス:今回の課題図書は2冊とも3人の少女が主人公で、さすがと思いました。赤ちゃん3人の取り違え事件は、難しいテーマと思いました。結末がそれぞれの血縁に戻ることに疑問を持ちます。もっと時間をかけたほうがよいのでは? 親が年をとって介護、財産分与など大人の問題が見え隠れしてきます。この3家族は心優しい人たちですが、もしも、よこしまな親だったり、虐待があったり、はたまたこの3人が男の子だったら……? どうなるのだろうと考えたりしました。千鈴が育ての母親に向かって、自分ではなく実の娘「姫乃を選んで!」と叫ぶシーン(p223)はありえない! と思いました。表紙の絵は3人のラストの場面で清々しいです。今後幸せな人生でありますようにと願いました。

雪割草:どう受け止めたらいいのか、とまどう作品でした。結局、親は血のつながった子を選ぶ。ひょっとして、読んで傷つく子はいないのだろうかと考えました。みんな右ならえで同じ選択をするのはいかにも日本的で、人それぞれという描き方ができなかったのは残念に思いました。わたしもp223で、千鈴が母親に向かって「姫乃を選んで!」という場面は、こんなこと言わせるの? とおどろきましたし、恋愛じゃないのだからと苛立たしくも感じてしまいました。それから、きょうだいの態度も割とあっさりしていて、実際、もし一緒に育ってきたきょうだいが、血がつながっていなかったからとほかの家に引っ越してしまったら、もっと悲しむしもっと複雑な気持ちだと思います。作者は、何をもってどんな子にこの作品を届けたいのか、私にはわかりませんでした。「あとがき」なり、作者のメッセージを入れたほうがよいのではないでしょうか。セッションという発想はいいと思いましたが、どのように家族に当てはめようとしているのか、この作品ではしっくりきませんでした。

コゲラ:『ラスト・フレンズ』とは違い、作者が何を書きたかったのか、さっぱりわからない本でした。単に、取り違え事件がおもしろい作品になると思っただけなのかな? 季節を擬人化した文章も陳腐というか、気取っているだけとしか思えませんでしたが、そういう細かいところよりも、とても気になったのは、つぎの2点です。
ひとつめは、ほかの方もおっしゃっているように、最終的には血縁が大事と作者が結論づけているようなところ。血のつながりは温かいものだけど、それによって傷つけられたり、悩んだりする子どももいます。以前、親から虐待されている小学生の子どもが、警察に訴えようとしたのだけれど「血のつながった親のことを警察に言うなんて、自分は悪いことをしようとしているのでは」と悩んで、何日も交番の前を行ったり来たりしたというニュースを見ました。成長すれば、自分は自分、親は親と割りきれるようになるけれど、小さい子どもほど、そういう罪の意識を持ちがちだとも聞きます。「血縁が大事」という考え方のために、救われない子どもや大人が大勢いるのでは? 今は、いろいろな形の家庭があっていいという認識が少しずつですが広まっていて、特別養子縁組制度で子どもを育てている家庭も増えているのに、なぜこういう結末になったのかと、残念な気持ちになりました。親も子も、それぞれの思いや考え方があるのに、文化祭の準備じゃあるまいし、全員一致で決めていいものかと……。
ふたつめは、「犯罪者」に対する作者の考え方です。文中では、取り替えられた子どもの母親、美和子さんにいわせているけれど、文脈からいって作者の言葉と同じと思って間違いないと思います。まず、p46で美和子さんが「犯罪者の中には、全知全能感を持っている人がいるらしい」といっている箇所を読んでショックを受けました。犯罪をおかせば犯人になり、刑を受ければ受刑者になりますが、刑期を終えればわたしたちと同じ市民です。「犯罪者」ではありません。もしかして作者は「世の中には、善良な市民と犯罪者のふたつのグループがある」と思っているのではという疑問がわいてきました。「犯罪者の家族」とか「犯罪者の血筋」といわれて苦しんでいる人たちのことも、頭に浮かびました。そして、p183を読んだときに、やっぱりそうなのかと思いました。ここで美和子さんは「世の中には、自分のことも、他人のことも愛せない人がいる……犯人は、そういう類いの人間だったのではないか」といい、「でも、ここにいる人たちは、そうではない。みんな、自分というものを持ち、お互いのことを思いやり、愛情いっぱいに子どもを育ててきた、信頼できる人たちなのだ」と続け、それが「最初から、あまりにも自然なことだったので、気がつかなかった」といっています。「そういう類いの人間」と「愛情いっぱいの、信頼できるわたしたち」に、はっきり分けているわけですね。以上の2点からいって、いくら軽快におもしろく書かれているとしても、おもしろく書かれていればいるほど、子どもたちに読んでもらいたいとは、とても思えない本でした。

ハル:想像力を刺激される部分や、胸にせまる場面もあっただけに、結末が見えたときには思わず「ええー」と声が出てしまいました。これが大人向けのエンタメ小説だったら文句言いません。子どもの本として、何を読者に伝えたかったのでしょう。実のお母さん、お父さんと一緒に暮らせるのって、当たり前じゃないんだよ、あなたたちは気づいてないでしょうけど、とっても幸せなんだよってことでしょうか? ちょっと意地悪に読みすぎですか? でも、里子、養子、里親、養親、そのほかいろいろな家族や家庭があるじゃないですか。生まれはどうあろうと、さまざまなセッションで家族、家庭は作られていくんだと思いたいです。社会的養護の分野で日本はまだまだ遅れていると聞きますが、ここ最近みんなで読んだ海外作品と比べても、その通りだと思えてしまいました。

しじみ71個分:皆さん既にご指摘のとおり、最終的にあっさりとみんなが血縁関係におさまってしまうのは、納得がいきませんでしたし、何を意図してこの物語を書きたかったのかわかりませんでした。読んで新しいおどろきも発見もなくて……。『スーパー・ノヴァ』(ニコール・パンティルイーキス/作 千葉茂樹/訳 あすなろ書房)、『わたしが鳥になる日』(サンディスターク・マギニス/作 千葉茂樹/訳  小学館)や『海を見た日』(M・G・ヘネシー/作 杉田七重/訳 鈴木出版)など、血縁にもとづかない家族のあり方を翻訳の物語で読んだからかもしれないですが、それらと比べると、主人公たちの気持ちの掘り下げが浅いように思います。赤ちゃん取り違え事件なんて、本当に重大事なのに、子どもたちの葛藤が少ないと思ったんです。もし、そんなことがあったら、これまでの人生は何だったのかとか、自分とはいったい何なのかとか、もっと深刻に悩むんじゃないかなぁ……。反抗しているようで、なんか大人たちの考えたことというか、もっといえば弁護士の計画に、子どもが踊らされているようで気分がよくありませんでした。本当の家族のところにホームステイしている間、口を利かないとかいうのも幼稚だし、子どもたちの気持ちに寄り添えなかったです。大人の中では、看護師のお母さんだけ、心情や考えの描写がありますが、病院関係者という立場で事件の詳細を語らせ、病院に対しても一定の理解を示してしまっているので、とても説明っぽくなってしまいました。著者の考えを看護師のお母さんに語らせてしまっているように見えました。また、このお母さんの心情描写のせいで、物語の視点が親の側にも残ってしまっているので、大人の心情を語りたいのか、子どもの心情を語りたいのか、どっちつかずになってしまったと思います。また、p43の「空っぽの教室に満ちている春の空気は、見知らぬ人がふと気づかってくれる優しさに似ていた」というように、情景に意味づけしてしまうような表現があちこちに見られて、それは読む人が描写から読み取るか、必要であれば登場人物が語るべきであって、著者が説明してしまってはだめなんじゃないかと思い、最初から引っかかってしまいました。

花散里:赤ちゃんの時に取り違えられた3人の少女たちが一人称でそれぞれ語っていき、三人称で語られていく親たち。昨今の児童文学の中でタブー視されてきた家族のあり方として、親の離婚、児童虐待などを取り上げた作品が多い中、この本の救いは、3家族がそれぞれ愛情深く、血のつながりということよりは家族のあり方を描いた作品だとは感じました。それでも13歳のときに取り違えがわかり、血のつながりのために育った家族から離れて暮らすことを選ばされていくというこの作品を子どもたちがどう読むのかと思いました。

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ネズミ(メール参加):状況設定や、3つの家族の関係の語り方が説明的で入りにくかったです。自分がこの親の子どもでなかったなら、ということを、仮定であれ、子どもに問わせること自体、私は受けとめられませんでした。どんなふうに中学生の読者に届ければよいと思うか、他の方の考えを聞きたかったです。

(2022年3月の「子どもの本で言いたい放題」記録)

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『ラスト・フレンズ』表紙

ラスト・フレンズ~わたしたちの最後の13日間

しじみ71個分:ページを開いてみて、はじめからびっくりしました。作者の実体験にもとづくコメントや、「いのちの電話」の紹介などがあって、また、タイトルも「ラスト・フレンズ」なので、どんな展開になるのか、ちょっと不安を抱きながら読みました。ですが、物語を読み進めていくと、3人の女の子のキャラクターもきっちりと書き分けられ、それぞれの苦しみが、リアルに嫌というほど伝わってきて、3人にとても共感しました。自分が若い頃、非常に精神的に不安定だったことも思い出されてきました。最も共感してしまったのはミーリーンで、わたしはリストカットまではしませんでしたが、自己を否定するネガティブな言葉が頭を支配する感じや、大勢の中で非常に強い孤独を感じるあたりは、すりむけたところがヒリヒリするようで、読んでいていたたまれなかったです。でも、ティーンエイジャーだったら、実際に鬱だったり、性的虐待にあったり、障害があったりしなくても、3人のどこかに共感する点を見つけられるのではないでしょうか。
それから、編集の荻原さんに原文がどうだったか、おうかがいしたかったのですが、例えばオリヴィアの章では、段頭がわざわざずらしてあったり、ミーリーンについても現状の認識と頭の中のネガティブな言葉とでフォントが変えてあったり、見た目の行の配置でも心の状況が分かるようになっていますね。これも、緊迫感を醸し出してとてもよかったと思います。自殺幇助のサイト、メメントモリの存在も物語にじわじわと恐怖感を与えていて、インターネットの危険性も伝わりますね。途中までは3人が自殺してしまうのではないかとドキドキし、後半はメメントモリからの攻撃でスリリングな展開になり、結局最後までドキドキしながら読みました。大変におもしろかったです。

コゲラ:表紙を見て、ていねいな前書きやインフォメーションを読み、おっかなびっくり読みはじめました。3人の少女の性格や、置かれている状況がしっかり描かれていて、それだけにページをめくる手が、ともすれば止まりそうになりました。でも、3人そろって服を選ぶ場面から明るい兆しが見えてきて、ほっとしました。前半とうってかわって、後半は悪意のあるネットのサイトの所有者との闘いで、まさに手に汗にぎる展開。一気に読めました。
作者はもちろんのこと、編集者、訳者の細かい心遣いと熱意が感じられる、よい本だと思います。ただ、図書館や学校で子どもたちに手渡す立場にある方は、神経を使うだろうなと思いました。むしろ、読書会などグループで読むときの課題本としたら、とてもよいのではないでしょうか。先日のニュースで、自殺をしたい子をネットで誘って監禁した事件を報道していましたが、日本の10代にとっても他人事ではないので。p12で、主人公のひとりのカーラ言っていっていますが、「サマリア人協会=サマリタンズ」は日本の「いのちの電話」のことで、カーラがふざけていっているということが、日本の読者にはわかりづらいのでは?

雪割草:展開が気になり、引き込まれて読みました。作者のメッセージが冒頭にあることで、読者への配慮や届けたいという思いが伝わってきました。3人それぞれが、母親との関係によって前に進めるようになるのもよく描かれていて、思春期の読者には伝わるものがあると思いました。それからメメントモリというサイトですが、グループワークを通して自殺をやめさせるいいサイトなのかもしれない、と最初は思ったりしてしました。でも実際は違って、ネットの恐ろしさや世の中の悪意、その子どもたちへの影響を考えさせられました。長く、内容もセンシティブで、出版社にとっては挑戦だったのではと思いました。

エーデルワイス:表紙イラストの3人の少女たちの顔に目鼻口がありません。物語を読む前から少女たちの心情がすでに伝わってくるようです。本文の文字の配列が視覚的に変化して、ミーリーンの苦しい心の叫びが伝わり、つらくなりました。オリヴィアの性的虐待に母親が正面から向き合ってくれてほっとしました。こういう状況の子たちを大人がいち早く気づいて守ってほしいと願います。問題を抱えている子どもに即刻ソーシャルワーカーがつくところがすばらしいですね。最後にミーリーン、カーラ、オリヴィアの3人が、自殺サイトの罠にも負けず、生還できたことにほっとしました。

キビタキ:カバー前袖の文章と、物語の前に「いのちの電話」などのサイトの紹介があるので、ちょっと身がまえてしまいました。読者は高校生くらいだと思いますが、ここを見て読んでみようと思う子と、逆にちょっと引いてしまう子がいるのではないでしょうか。それぞれの少女の一人称で語られる章が入れ替わりで出てくるという構成が、最初は読みにくくて、3人のことを把握するのに少し時間がかかりました。それぞれの抱えている苦しみや心の叫びがうまく描かれていましたが、その分、読み進むのはとてもつらくて、途中でやめたくなりました。後半は、やっと気持ちをわかってくれる相手が見つかったことで3人が楽になっていくので、読んでいるほうも救われるのですが、そう思う間もなく急展開が待っていて、ハラハラし通しだったと思います。3人の主人公は16歳なので、同世代の読者には響く部分が多いのではないかと思いました。

アンヌ:最初に「いのちの電話」が提示されて自殺について書いてあるとわかるので、戦争が始まったという今の状況でこの物語を読み始めるのはきつく、その上事故による下半身まひ、鬱、性的虐待という状況が描かれるので、もうそこから進めなくなってしまいました。でも時間をおいて読み直し始めたら、それからは一気読みでした。3人はごく普通の仲よしのティーンエイジャーのような生活、チェア・ウォーカーになったカーラができるとは思っていなかったような生活を楽しみます。まず、ショッピングモールでお買い物をし、ランチをとる。ここで、普段はグッチを着ているというオリヴィアの言葉に階級を感じましたけれど、でも、彼女のように服を見立てるのが得意な友だちと買い物に行くとお互いが満足できて楽しいですよね。ランチではミーリーンに、ちゃんとしたハラルのお肉を食べさせる店を見つけてあげる。好奇心から宗教上の禁止事項は訊いてくるけれど、そこから先に踏み込んでくれない人たちとは違って、カーラは解決法を一緒に見つけてくれる。いつも遠慮しているミーリーンが気を使ってもらえて喜ぶところは、読んでいて楽しくなりました。それから、性的虐待を逃れてするジャンクフードだらけのパジャマパーティ。ここも楽しくて、このマイナスとプラスの場面構成は、とても動的でリズムがあるなと思いました。ミーリーンが母親に絵を描くことを認めてもらう場面では、現代のムスリム女性が子どもたちには自由に生きてほしいと思っていることも知ることができました。ただ、ここから先のサイトからの反撃などが出てくる場面はスリル満点ですが、少々つらく、まだ読み返す勇気が湧いていません。私の好きな場面は、カーラが救急車に乗せられるミーリーンにスカーフを巻いてあげ、その気持ちが救急隊員の女性にも伝わるところです。他者に想像力をもって接することの大切さを訴えかける見事な小説だと思いますが、実際に死の誘惑を感じている子どもに手渡すのには注意が必要だとも思います。

オカピ:今、日本で、子どもの自死はとても多いですよね。最近、『ぼく』(谷川俊太郎/作 合田里美/絵 岩崎書店)という絵本の特集番組を見たのですが、「子どもの自死をテーマに児童書を出す上で、伝えたいのは “死なないで” ということだけど、それをそのままぶつけても届かない」と、編集者の方がおっしゃっていました。それをどうやって絵本とか、この本の場合はYAという作品にするのか、ということですよね。その番組で、「人間社会内孤独と自然宇宙内孤独がある」という谷川さんの言葉も印象的でした。私は中学のとき、「とくに悩みがあったわけじゃないけど、死にたいと思ったことは何度もある」と友人に言われて、驚いた記憶があります。いじめとか虐待とか、そうした具体的な理由がなくても、ふっと死に引きよせられることがあるんだなって。この『ラスト・フレンズ』では、鬱、性的虐待、父親の死に対する罪の意識など、死に向かう理由が示されていて、もちろんそういうケースもあるのですが。詩の形で書かれた本が今たくさん出ていて、この本でもオリヴィアの章はそうなっています。p115「ミーリーンが床からパソコンを拾って/いう」、p317「ミーリーンはぱっと顔を上げて、ちょっとだけ/ふら/ふら/歩いてから、いう」など原書通りの改行なのでしょうが、そのまま日本語の作品にするのはなかなか難しいのかなと。訳はp6の「ムリやり」「大っキラい」、p8「フツー」、p11「キツい」、p13「アガる」など、カタカナが多いのが古く感じられて、私にはちょっとしっくりきませんでした。地の文なんかは心の中で思っていることなので、今の言葉をそんなに使わなくてもいいような……。シリアスなテーマの本というのもあって、訳が少し浮いているように感じました。

みずたまり:近く感じる死を回避して、生きることに向かっていく少女たち、という大きな流れはとてもよくて、3人のやりとりを興味深く読みました。それぞれの背負っているものはとても重いけれど、友情があれば乗り越えられる、という力強さを感じました。ただ、自殺サイトのハッキングについて詳細が語られていなくて、カメラがいつも都合よく見たいものを撮影しているような気がしました。そのあたり、もう少し仔細に書いて納得させてもらいたかったです。あと、わたしは、3人が中盤で生きる決意をして、自殺サイトの正体を協力して暴いていく展開なのかと想像してしまいました。死と生に対して、よりポジティブに向かう方向を勝手に期待しすぎたので、ああ、そっちではないのね、と途中で軌道修正しながら読みました。

ハリネズミ:苦しい場面がずっと続くので途中で休み休み読みました。もう少しユーモラスなところとかがあると、休まず読み続けられたと思うんですけど。育った環境も文化も違う3人が自殺幇助サイトで知り合って、しだいに友情を結んでいくというストーリーですけど、こういうサイトは実際にありそうで怖いですね。そういう意味では、とても現代的な作品だと思います。性的虐待に関してですけど、この作品では、虐待をしていた男はすぐに逮捕されます。被害者の証言が重視されているということですよね。日本は伊藤詩織さんの件を見ても、まだまだ加害者に有利で残念です。下半身マヒのカーラが、過保護な母親をうるさいと思っていて、独りにしてほしいとあれだけ言っているのに、母親に恋人ができたのかといちいち気にして逆に母親の一挙一動に目を光らせるのは、ちょっと私の中では人物像が結びにくかったです。著者が一所懸命に書いているのは伝わってきましたが、あらかじめこういう流れで書こうという設計図があるせいか、ちょっと堅苦しさを感じました。もっと自然に登場人物が動いていくと、きっとユーモアも入ってくるのかもしれません。

サークルK:表紙の3人の肖像画を額縁に入れて図案化したものを、各章の名前の下に毎回入れている工夫がなされ、3人それぞれの事情を読むときに迷子にならずにすみました。冒頭に「いのちの電話」の案内などが書かれていることもあって身がまえる読者もいるかもしれませんけれど、あえて原題と異なる『ラスト・フレンズ』というタイトルになっているところに(ラストという語には動詞なら「続いていく」という意味もあるので)、これからも3人が友達関係を続けられるという希望を読める気がしました。作中の16歳の少女たちが巻き込まれている日常(たとえば自分と異なる宗教観や結婚観、人生観、罪悪感、性的虐待といったヘビーな内容)に想像力が追いつかないとしても、不気味な自殺幇助団体の「契約」に取り込まれていく様は、現代の日本でもうっかりWebをクリックして思わぬ犯罪に巻き込まれてしまう子どもたちへのリアルな警鐘となると思います。つらい展開のところもありましたが気がつくとぐいぐいと引き込まれて読んでしまいました。

ヤドカリ:読み終わったときに、読めてよかったと思えるような小説でした。著者の伝えたいという思いが強く出ていて、力のこもった作品だと思いました。3人のキャラクターそれぞれに、日本の読者もいろいろなポイントで共感できるのではないかと思います。母と娘の関係が大切な小説で、帯にいとうみくさんが言葉を寄せられているのも、それでなのかしら、と思ったりもしました。編集の面でも非常にていねいに配慮されているなと感じました。

コアラ:タイトル、特にサブタイトルの「最後の13日間」で手に取る人がいるのではないかと感じました。物語に入る前に、「いのちの電話」などの相談先が載っていて、この本を出版する上での気配りがされていると思いました。途中までは自殺に向かって準備を整えていくストーリだし、p5にあるように、よくない引き金を引いてしまわないとも限らない。最初に載せたら、読んでいる途中で気持ちが揺れても、相談先を思い出すことができるので、まず相談先を載せたというのは、とても配慮されていると思いました。カバーの人の絵が、版ズレしているようで、けっこう気になったのですが、p13で自殺サイトのデザインが「微妙にレイアウトがずれてるメニューバー」とあるので、そのイメージからきているのかなと考えたりもしました。性格も環境も全く違う女の子3人が自殺サイトのマッチングで出会います。最初の出会いのぎこちなさはよくあらわれていると思うし、それぞれのつらさも、読んでいて我が事のように迫ってきました。特に、ミーリーンの章の、太字のフォントで書かれている「カオス」の声は、こんな声がずっとしていたらたまらないというか、本当に死にたくなると思いました。p351のカオスの声に囲まれているようなレイアウトは、頭の中の状態、苦しさが、レイアウトでよくあらわれていると思いました。この物語では、自殺サイトで知り合った人や親が救いとなったけれど、現実の世界でも、苦しい状況では、友人や親からの救いを欲していると思うし、そういう生きることへの引きとめも心の底ではかすかに願って自殺サイトで人と知り合うことがあるかもしれない。でも現実では、小説のように心を打ち明けられる関係にはならず、お互いに死へと進んでしまうのかもしれない。そういうことを重く考えながら読みました。苦しんでいる人が、この本を読んで自分の気持ちを誰かに打ち明けられるようになればと思うし、周りの人も、苦しんでいる人の気持ちに寄り添えるようになればいいなと思います。

花散里:この本が出版されたとき、3人の顔が描かれていない表紙画、「自殺」やSNSの問題などを取り上げていることが話題になっていたのですぐに読みました。そのときに本書が著者のデビュー作であり、自身の体験をもとに書かれた作品であるということで力作だと思いました。今回、読み返してみて、中盤までは自殺のサイトで知り合った3人が次第に自殺を思いとどまっていくところ、SNS利用の怖さや、仲よくなった3人の中での葛藤などをていねいに描いていて、とても構成がうまいと改めて感じました。ブリティッシュ・ムスリムの著者は自身と重ね合わせて、後半の追いつめられていくミーリーンをいちばん描きたかったのではないかと思いました。最後にカウンセラーの対応の上手さなど、生きることへ希望をもたせ、読後感がさわやかに感じました。自殺サイト、性的虐待などを取り上げている点で大人にも読んでほしい作品であり、YA世代にはぜひ読んでほしいと思います。

荻原(編集担当者):「サマリア人協会」や「ほっぺ」、そのほか、皆さまご指摘ありがとうございます。オリヴィアのパートは原書のレイアウトになるべく近づけてみています。なかなか同じようにはいかなかったですけれども。また、相談先のリスト(日本語版は国内の各団体にご協力いただきました)は、原書では巻末にありました。それを巻頭にもってくることで、入り口に壁をつくってしまった点も課題になりましたが、今この主人公たちと同じような苦しみを抱えている読者が、もし、途中で本を閉じてしまったら……と考えて、巻頭に載せました。この作品は、著者自身がティーンエイジャーだったときに読みたかった本だ、とのこと。著者が求めた本の力を私も信じて、日本の読者にも届けたいと思ったのではありますが、本当のところ、読者にどんな影響を与えてしまうのか、不安もありました。この作品を選んだそのほかの理由のひとつとして、死生観が信仰に反することに苦しむ、という心情は、日本ではあまり触れる機会がないのではないかと思ったこともあります。カバーイラストの画風と、作中に登場するサイトのレイアウトとの関連は……全然考えていませんでした(笑)。実は、編集担当として、はじめて自分で選んでオファーした作品で、ボリュームも考えずに買っちゃったので、なんとかページ数をおさえようと、文字もぎっちぎちですみません。訳者の代田さんの力を借りて、ようやく形にできたという感じです。皆さまのご意見を、今後の編集の課題にしてがんばります。今日はありがとうございました。

しじみ71個分:この物語で行頭がずらしてあったりするのは、詩的な表現というよりは、頭の中の思考が千々に乱れたり、自分で考えたことを自分で否定したり、心の中で瞬間瞬間に湧き上がる苦悶や葛藤、思考の乱れを視覚的に演出しているだけなんじゃないでしょうか? たとえば、オリヴィアの思ったことに取り消し線が引いてあるのは、自分で考えたことを自分で打ち消しているのを表現しているのだと思いましたし、3人で打ち解けているときは行頭が揃っているので心の落ち着きを表現しているのかなと思いました。

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ネズミ(メール参加):読み応えがありましたが、読むのはつらかったです。この子たちがどうなるのか気になって読み進めましたが、話し言葉で展開するとはいえ、ページ数も多く、読者を選ぶ、ある程度本好きな読者でないと読み通すのがきびしいかなと思いました。
3人それぞれのかかえている問題が重たく、当事者となる読者に手渡してよいか、ためらわれます。むしろ、まわりの大人に読んでほしい。

(2022年3月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『わたしとあなたのものがたり』表紙

わたしとあなたのものがたり

アメリカの絵本。「クラスには、茶色いはだの子どもは、ひとりしかいなかった。それが、わたし」という文章で、この絵本は始まります。「学校で、奴隷制について勉強した時、みんなが、わたしをじっと見ているような気がしたものよ。奴隷たちが大農園で綿つみをさせられたことや、ほったて小屋にすんでいたことや、子どもたちが、ばらばらに売られていったことを先生がはなすと、わたしは消えてしまいたいとおもったわね」

アメリカの学校には、アフリカ系アメリカ人の歴史をふりかえるBlack History Monthが設けられています。アフリカから奴隷が連れて来られてプランテーションなどで強制労働をさせられ、奴隷解放宣言が出てからも差別され、公民権運動が起こり、少しずつ権利を獲得していった歴史を学ぶのです。過去の歴史を学ぶことによって未来をもっとよくしようという意味がそこにはあるのでしょう。でも、そんなとき、肩身の狭い思いをしていた子どもがいることには、私はこの絵本に出会うまでは気づいていませんでした。語り手の「わたし」は、白人の男の子に「リンカーン大統領がいなかったら、おまえはまだ、おれたちの奴隷だったんだぞ!」なんていく言葉を投げかけられたりもしています。

そんな「わたし」が、やはりクラスでたった一人の茶色い肌の娘に向かって、「あなたには、すがたをかくしたり、消えてしまいたいとおもったりしないでほしいの」「どうどうと立って、空高くはばたいていってほしいの。・・・だって、だいじなのは、ほかの人にどう見えるか、じゃなくて、鏡にうつった自分に『なにが見える?』って といかけてみることだから」と語りかけています。

(編集:相馬徹さん 装丁:森枝雄司さん)

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2022年02月 テーマ:12歳の冒険

日付 2022年02月18日
参加者 まめじか、ハル、アンヌ、エーデルワイス、雪割草、ルパン、ハリネズミ、ニンマリ、西山、コアラ、シア、さららん、サークルK(しじみ71個分)
テーマ 12歳の冒険

読んだ本:

『ジークメーア』表紙
『ジークメーア〜小箱の銀の狼 』
斉藤洋/著   偕成社   2021.09

〈版元語録〉ジークメーアは、ザクセン公国の北のはずれ、北海に面する洞窟の中で母親とくらしている。泳ぎがうまく、夜でももののかたちがはっきりとわかり、半弓の技にたけていた。ある夜、村をおそった海賊とたたかう百人隊長・ランスを助けたことから、ジークメーアの運命は大きく動きはじめる。母の言葉に導かれ、12歳になる年、ジークメーアはランスとともに旅に出る。旅の目的は、邪悪な魔神をあやつり、ヨーロッパを征服しようとしている隣国・フランク王国の企みを阻むこと。そのためにはまず、古くから伝わる『マーリンの書』に書かれた「小箱の銀の狼」を手に入れる必要があるという……。中世ヨーロッパを舞台に、さまざまな敵と対峙しながらたくましく成長する少年のすがたを描く。斉藤洋の冒険ファンタジー、新シリーズ第1弾。


『キケンな修学旅行』表紙
『キケンな修学旅行〜ぜったいねむるな! 』
ジェニファー・キリック/著 橋本恵/訳   ほるぷ出版   2021.07
CRATER LAKE by Jennifer Killick, 2020
〈版元語録〉小学校の修学旅行で、クレーター湖にきたランスたち。ところが、何か様子がおかしい。バスの前に血まみれの男が飛び出してくるし、施設のスタッフはあやしいし――、おまけにどうやら、眠ると別の何かに変身させられてしまうようだ! ランスたち5人は、力を合わせて迎えがくるまで敵とたたかうことを誓う。合い言葉は、「ぜったいに眠るな!」イギリスでロックダウンの最中に出版され子どもたちの人気を博した、SFホラーサスペンス!

(さらに…)

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『キケンな修学旅行』表紙

キケンな修学旅行〜ぜったいねむるな!

まめじか:主人公のサイドは善という構図で描かれたエンタメですね。最後に主人公は豪邸に住んでいたことが明かされるのですが、それをよしとするような価値観に底の浅さを感じました。p188で、マックは空気のにおいをかいで、チェッツの行き先がわかるのですが、どれだけサバイバルスキルに長けていても、人間の能力では不可能ですよね。p126では、電話は鍵のかかったオフィスにあり、でも、そのあとp164で、すべてのドアを解錠したとあるのですが、なんでこの時点で助けを呼ばなかったんですか? p146でワーカーたちが「この体は食べ物が必要なんだ。まともな栄養をとらなければ、コロニーは機能しない」「この体は弱い」と話すのですが、読者に必要な情報を伝えるための会話だなと。そもそも、なぜ先生がランスを目の敵にしていたのかもよくわからないし。虫みたいな目というのは複眼のことだと思いますが、これで子どもにわかるかなあ。p175「おぞましい!」、p295「ブタやろう」などは、子どもの言葉じゃないように感じました。「えーん」「うわーん」といった訳語にもひっかかりました。p194の6行目に、読点が重なっている誤植がありました。

エーデルワイス:イギリスの子どもたちによく読まれているということですが、このような内容なら、日本のアニメやゲームの方がおもしろくて優れているような気がします。登場人物の子どもたちが、孤児だったり、サバイバルを生き延びるための訓練を受ける、私立中学受験など多様な子どもたちを登場させているのは現在を反映していると思いました。主人公のランスが睡眠時無呼吸症候群というのを効果的に使っているのは新しいと思いました。ランスが実はお金持ちで……は、拍子抜けしましたが、友人たちと安心してくつろぐ最後はいいですね。(それぞれの親には知らせてあるのでしょう)イラストがあんなにあるより、最初に登場人靴の顔と紹介、冒険の地図の紹介があったらよいと思いました。

アンヌ:おもしろいけれど1度読んでしまえば終わりという感じで何も残らないし、2読目には疑問ばかりになりますね。何しろ設定も解決方法も昔からある古典SFそのままなのであきれました。『宇宙戦争』(H.G.ウェルズ 著 井上 勇訳 創元SF文庫)や『人形つかい』(ロバート A.ハインライン著 福島 正実訳 ハヤカワ文庫SF)とか。まあ、この本をきっかけに、そういうSFの世界も楽しんでほしいとも思いますが。寄生生物という概念を説明するのにテレビ番組を見させるというのも、安直だなあと感じます。トレントの誕生日パーティのエピソードは、まあこの子は一族郎党含めて、人の気持ちがわからないんだなと納得させられました。でも、読者を誤解させる様に書いておきながら、実は主人公の家は大金持ちでした……という幕切れと同様に、後味が悪くて笑えませんでした。

ルパン:なんか、マンガ読んでるみたいでした。マンガならおもしろいのかも。でも、「宇宙人の侵略」というとてつもない非現実の設定のわりには、主人公の秘密が、さんざんじらしたあげく無呼吸症候群だったりとか、親に捨てられてずっと里子だったというバックグラウンドが全然キャラ設定やストーリーに関係なかったりとか、SFなのかリアルな学園ものなのかはっきりしなくて、なんだかものすごくちぐはぐ。ミス・ホッシュやトレントなどの悪役は最後まで救いようがなくて、魅力ないままで終わるし、いろんな名前の子が出てくるけど、どれがどれだか(最初は男か女かすら)わからなくて、ほんとにマンガにしてくれ、という感じです。あと、ちなみに、宇宙人を撃退するのにクマムシを使うんですけど、地上最強の生物というわりには、意外とすぐ死ぬらしいです。温度差に強いだけみたいです。

ハリネズミ:引っかかるところがたくさんありすぎて、楽しめませんでした。たとえばp35に「乳歯が生えてきた」とありますが、この年令で乳歯なんか生えてこないでしょ。作者がいい加減なのか、編集者がいい加減なのか。また夜になって子どもたちが部屋に閉じ込められるわけですが、どうして鍵穴に鍵を刺さったままにしておくのかなど、随所にご都合主義が透けて見えます。p177では装置を入れたリュックをかついでいるはずなのに、絵はそうなっていません。もっとていねいに訳さないと、物語に入り込めません。キャラも浮かび上がってきません。

雪割草:おもしろくありませんでした。読んだ後、何も残らない。ゲームみたいだと思いました。登場人物の描写は外面的で、子どもたちの心の動きもリアルに感じられませんでした。こんなに奇妙でシリアスな状況なのに、物事に冷静に対処する子どもたちは異様だと思います。よかったことを絞り出すとすれば、親がいないなど様々なバックグラウンドの子が描かれているところでした。これは本である必要があるのだろうか、こんな本を出すのか、イギリスで人気と書いてあるが、子どもたちは大丈夫か、などふつふつと思ってしまいました。また、あとがきだけでなく、作者や役者のプロフィールさえ掲載されておらず、滑稽に感じました。

ハル:なるほどなぁ、と思いました。「SFホラーサスペンス‼」とうたわれてしまうと物足りないのだけど、それを児童書に落とし込むとこうなるのかなぁと思いました。でも、うーん、「なるほど」とは思うけど、「イギリスで子どもたちの人気を博した」ってほんとう? と思ってしまう。全体的に表面的で、不安定な感じがありました。これは計算だと思いますが、まとまりのない装丁や落っこちそうなノンブルの位置も絶妙で、良くも悪くも落ち着かない。おっしゃるとおり、登場人物も、挿絵を見るまで、どの子がどんな雰囲気の子なのかもなかなかつかめず。それぞれの告白タイムも、これがあってこその作品なんだとは思いますが、やや無理やりいい話にしようとした感も否めず。トレントをトイレに閉じ込めた理由も、エイドリアンとトレントの間にあった出来事も、すっきりしませんでした。

さららん:ゲーム感覚で書かれた作品だなあと思いました。主人公のランスは、常に動きつづけることで、解決方法を探します。絶対に何か方法があるはずなんだ、と周囲を探しまわると、その何かががうまく出てくる。PCやスマホゲームにはまっている世代には、ランスの判断や行動はすごく身近に感じるんでしょう。ランスには少し先が見えているのか、こんなときはこうする、という判断が早く、戦略も立てられるので仲間たちから頼りにされる。でも、ここで描写される世界には、現実感がまったくありません。例えばp178で、主人公たちは必死に泳ぎます。そのあと、「体が鉛のように重い」とひとことあるものの、息切れもしてないし、服もぬれているのかよくわからない。一事が万事、夢の中の出来事のよう。だからどんな危機的な状況になっても、私には緊迫感が感じられませんでした。でも、ゲーム好きの子どもが読むと、共感できておもしろいのかもしれません。

ハリネズミ:いや、ゲーム好きの子にとっては、こういう本よりゲームそのもののほうが絶対的におもしろいと思います。だから本は、ゲームと違うおもしろさを追求しないと。

ニンマリ:最近、選書される本は賞をとっているなど評価の定まったものが多いので、こういう新しい本を読むのは新鮮でした。ただ、ツッコミどころは非常に多いと思っています。特に大きいところで2つありまして。まず1つめは、人物描写が荒っぽすぎるということです。冒頭、主人公のクラスメイトたちの名前が次々に出てきますが、トレント、エイドリアン、チェッツについては描写が最低限あるのですが、マックとカッチャについては全然出てこないんですよね。そして、クレーター・レイクに到着した後、敵側のボスであるディガーが登場するのですが、そのシーンの描写が「ハゲの大男」のみ。これはあまりに乱暴すぎる気がしますね。作品の前段階のプロットを読んでいるような気になりました。もう1点は、このサバイバルの目的に共感できないことです。一般的には「脱出」と「助けを求めること」が第一目標になると思います。いきなり「敵のことをよく知ろう」という話になるのですが、それは脱出できないし助けも求められない状況に陥ってからではないでしょうか。p126の小窓から電話を見つけるシーンで、主人公は部屋になんとか入る努力をしないんですよね。電話せずピンチを自分の力で乗りきりたい、と思いを明かします。これ以降どんなピンチに陥っても、自分が選んだ道だよね、と突き放したい気持ちになってしまいました。電話がつながらなかったとか、どうやっても部屋に入れなかった、というプロセスがあればよいのですが。最終的に、屋根にのぼれば電波がつながって、スマホで助けを求められたし、オフィスの固定電話も使えたことがわかって、なんだったんだろう、と気が抜けました。作者が子どもたちをはらはらさせようと急ぎ過ぎて、必要な描写やプロセスをカットしてしまったような気がしてなりません。

サークルK:登場人物の個性が際立たされていない(いわゆるキャラが立っていない、という状態な)ので(挿絵を参考にしようとしてもあまり頭に入ってこなかったです)、誰にどう感情移入すればよいのか、だれが主人公なのかさえ、しばらくわからなかったです。そういう意味でほかの方も指摘されていたように、ミステリーの中で楽しめるはずの疑心暗鬼とは異質な居心地の悪さがありました。ミス・ホッシュははじめからランスを敵対視していますが、修学旅行の引率まで引き受けるくらいですからきっと上層部には受けの良いしっかりした教師というポジションがあるのかもしれません。けれど執拗な弱い者いじめをするいわゆる極端なブラックな担任になってしまっていて、この人ははじめから異星人だったのだったかも、と思いそうになりました。挿絵から分かるエイドリアンの褐色の肌や、ランスがアッパーミドルっぽい階級に属しているらしいなど人種や階級などの格差社会にも目配りあり、というサインが散見されると思いました。それだけに、作者の紹介やこの作品についての解題的な解説が最後にほしかったです。

コアラ:タイトルはおもしろそうで、小学6年生だったら絶対に手に取るだろうなと思いました。内容はぶっとんでいて、特に、エイリアンになった人を助けるために、コケを飲み込ませて、コケの中にいるかもしれないクマムシにエイリアンを食べさせるとか、とんでもないけれど、勢いで最後まで読ませてしまいます。こういう作品なんだと思って読んだので、あまり引っかかりませんでした。イギリスでも修学旅行があるんだなあと思いました。出だしで人物名がたくさん出てきて、それもマックとかチェッツとかカッチャとかカタカナで見た目が読みづらくて分かりにくかったです。最初に登場人物紹介があったら少しは馴染みやすかったのではと思いました。

シア:設定がかなり古臭いですよね。1960年代の海外SFドラマや映画のようで。私はこういうカルト的な人気を誇るSFは大好きなので問題ないのですが、これが現代に登場してしまうのかと。そして子どもに人気が出るのかと驚きました。そこはやはりイギリス。尖っていますね。「テレタビーズ」(BBC)を生み出した国はセンスが違います。この古さは子どもには新鮮なのかもしれません。そんな妙な納得感があったので、気になる点もあったのですが細かいことを気にするより気楽にいこうと、するすると読んでしまいました。くだらなさが逆に癖になるスピード感のある本でした。登場人物は少々テンプレ気味ですが、個性もありそれが強みにつながっています。エンターテインメントとしてのキャラクター性はあると思います。大変なことを乗り越えたり、隠し事をすることによって生まれる連帯感など、子どもが共感しやすい作りになっています。B級ホラー映画のような導入もおもしろいですし、クマムシというマニアックな着眼点がB級らしさを高めます。テンポが良く一気に読める本なので、とくに本が苦手な子どもや男の子に良いと思います。海外ものらしい分厚さがあるので、読破できたら達成感もあるのではないでしょうか。イギリス作品のため「ハリー・ポッター」シリーズ(J.K.ローリング著 静山社)の小ネタも散りばめられているのですが、最近の子はハリポタを読まないのでその後の読書につなげられるかもしれません。それにしても、原題は『Crater Lake』なのに邦題がダサすぎますね。表紙がかっこいいのにどうにも締まりません。ですが、そこがまたB級感溢れていて味わい深いと思いました。文章として気になったのはp194「なので、ひとつめの」と文頭に「なので」が使われているところです。口語ではありますが、まだ正しい使い方とは言えないので、子どもの語彙を増やす使命を持つ児童書には適さないと感じます。この本では使われていませんが「知れる」や「ほぼほぼ」もYAや児童書でよく見かけますので、言葉は揺れ動くものですが、子どもは言葉を本からも覚えるということを軽視してほしくないと考えています。

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しじみ71個分(メール参加):イギリスでは人気のあるシリーズとのことですが、さくさくとストーリー展開で読めてしまうからなのかなと思いました。私は、小学生時代あまり本を読まない子どもでしたが、その頃の自分だったら、気楽に読んだかもしれません。バットマンやジョーカーのこととか、あちこちみんなが知ってる「くすぐり」みたいなしかけもあって、ああ、あれね、なんてことを知ったかぶりして話したくなったりするかも。私も、子どもの頃に見たテレビシリーズを思い出して、それなりに興味を持って読みました。物語というより、子ども向けのテレビドラマとして読むととてもよく分かる気がします。頭の中で、いろいろな情景がドラマの場面として簡単に浮かび上がってきます。悪役のはげた大男、というのも「ああ、あんな人」という感じだし、ラストに主人公の家で、みんなでまったりするシーンも目に浮かぶようです。物語を読んで深く考える本ではないですが、でもたまに気楽にポテチをかじりながら読めばいいんじゃん、みたいなときにはアリなのかも。そんな印象でした。

(2022年02月18日の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『ジークメーア』表紙

ジークメーア〜小箱の銀の狼

まめじか:子どものとき、斉藤さんの『ジーク 月のしずく日のしずく』(偕成社)がとても好きだったので、この本が出たときはわくわくして読みはじめました。斉藤さんはアーサー王伝説を子ども向けに書き直していらっしゃいますよね。この本では、アーサー王の要素を上手に入れていて、すらすら読み進めたのですが、作家の中にすでにあるものをパッチワークのようにつなげているというか。オリジナルの世界が立ちあがってこないように感じました。

ハル:これはシリーズものの1巻目ですよね? 最後まで読んで「やっぱり、1巻じゃ終わらないよね」と、がくっときたのですが、それでもやっぱり開幕感がありましたし、今月のもう1冊(『キケンな修学旅行』ほるぷ出版)と読み比べても、物語が豊かだなぁと思いました。セリフが少しかたく感じるところもありましたが、ジークメーアも少年とはいえ冷静で賢く、そもそも特異な存在ですし、読者とはやや距離のあるキャラクターなので、それはそれでいいのかもしれません。挿絵も独特の雰囲気がありますが、入れる位置は、あと少し後ろにしてー! と思う箇所もありました。たとえばp183の元海賊の男が再登場する場面。ハラハラしてページをめくって、先に挿絵が目に入って「あの海賊がいる」と思ったし(顔はちゃんと描き分けられているのです)、p229も箱を開ける前に狼の挿絵が目に入ってしまった。素直に文字だけを追っていればぴったりの場所に入っているので決して間違ってはいないのですが、できればちょっとずらしていただければありがたいです。しかし、つづくにしても、ラストはすごいですね。ショックとともに、続編を渇望させる、これも作戦でしょうか?

アンヌ:魔術と魔物がいる世界にマーリンとかが絡んでくる。そんな、よくあるファンタジー世界を新たに書きだすのに、相変わらず女性は魔女というか賢い女の占い師で、それ以外は宿屋のおかみさんしかいないんだなと、あまり期待せずに読み始めました。フランク王国とか、キリスト教の進行とか、歴史で習う前の小学生にはわからないことが多いのが気になりました。まあ、私自身、ローズマリー・サトクリフの物語で、イギリスにおけるローマ軍の侵略を知ったので、物語さえおもしろければ、そこらへんは理解できなくとも読めるとは思いますが。挿絵は独特で、例えばp15のイグナークの顔など、昔読んだ『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー編 新井皓士訳 岩波文庫)のギュスターヴ・ドレの絵のようなグロテスクさがあって、怖いもの見たさの興味がわきました。物語全体は何か盛り上がりに欠けるような気がするんですよね。続き物だとしても、第1巻を1つの世界として楽しめないといけないと思うのですが、もう少し読者が主人公に感情移入できるような場面がほしい気がします。最後の冒険場面でも、例えば魔物はあまり怖くないし、閉じ込められていた場所の謎解きとか、もっと書き込めないのかとも思いました。手に入った小箱の狼とかについての記述もあまりなくて終わってしまうし、ラストを盛り上げてこそ、次回に繰り広げられる世界への期待がわくのじゃないかと思いました。

エーデルワイス:斉藤洋はさすがうまいストーリーテラーだと思いました。おもしろく読みました。斉藤洋氏が20年ほど前に盛岡にいらしたことがあります。講演会場の小学校の体育館の舞台に立たれると、舞台の端から端ヘと左右何度も移動されながらお話している姿が思い出されました。ストーリーの中では、村に11歳以上の子どもがいない。この解明に続編を期待しています。キリスト教にも触れていますが、多神教の方が柔軟という印象を受けました。

雪割草:書き方や表現、トーンはどちらかといえば好きかなと思います。世界観があるし、小箱の中に狼などエンディングが不思議で、続きがあるなら読んでみたくなりました。ただ、世界観は少々ベタな感じで、登場するのが男性ばかりなので、続きでは女の人にも光を当てて描いてほしいです。人のあたたかさもちゃんと描かれていると思いました。

ルパン:急いで読んだからかもしれないんですけど、全然お話の世界に入っていかれないまま終わりました。長編の1巻だとは知らずに読んだので、ページが終わりかけていても全然クライマックスが来なくて、「え? だいじょうぶ?」と心配になりながら読み、最後は「あれ、これで終わり?」というキツネにつままれたような感じでした。おとなだから読み終わってから、「まあ、斉藤洋だし、『西遊記』みたいにこれから続くんだろう」と思いましたが、子どもはわからないんじゃないですか? いろいろ伏線みたいなことも散りばめられていますが(11歳以上の子どもがいない、とか)、そういったことの理由も明かされないままで、不完全燃焼でした。せめて「続く」とか書いてあげてほしい。

ハリネズミ:私はエンタメだと思って読みました。斉藤さんは、子どもがおもしろいと思う本はどんな本か、ということを調査し、研究してそのセオリーに則って書いている部分もあるように思います。1巻目なので山場はまだこの先にあるのでしょうね。一神教と自然神の対立などが描かれているのも、私はおもしろいと思いますが、今後その辺ももっと描かれてくるのでしょう。斉藤さんがどのように考えているのか、続編が楽しみです。

ニンマリ:佇まいがとても魅力的な小説ですね。イラストも素敵で、世界名作全集を想起させます。1巻はまだ序章で、これから物語が大きく展開していきそうですね。今のところジークメーアは母とランスの言うとおりに動き、受け身なので、主人公への感情移入はまだ薄いです。いつか、ジークメーアが自分の意思で羽ばたいたときに、魅力が高まるのでしょう。個人的には2巻は気になるけれど、とても待ち遠しいというほどではないです。その理由はやはりジークメーアの心情がわかりづらいところにあるかと思います。とても静かな物語なんですよね。ジークメーアに相棒のリスでもインコでも犬でも、何かいて、話しかけることで気持ちがわかったりとか、お茶目な一面が見えたりとかするとぐっと引き込まれるかと思うのですが……。そうするとエンタメになってしまって、この佇まいが台無しになるのかもしれませんね。

西山:斉藤洋って、こういう文章だったっけと驚きました。雑すぎやしないかと……。例えば、p100、半弓が手元にすでに城にあるというのは、ある種のギャグかと思ったくらいです。ふつう、そういうアイテムを1つ1つ手に入れていく冒険が展開されるのではないかと思ったのですが、あれもこれも「実は家にありましてん」という漫才台本になりそうと勝手に笑ってしまいました。ていねいに書かれた本を読みたいなぁというのが読了後一番に感じたことでした。

コアラ:装丁が、ヨーロッパの中世のファンタジーという感じでとてもいいと思います。挿絵も、ヨーロッパの昔話やファンタジーの挿絵っぽくて、よく見ると、左下にドイツ語で挿絵タイトルが書かれていて、右下には画家のイニシャルが入っているんですよね。凝っているなと思いました。ザクセンが舞台だから、ドイツ語で書かれているとそれっぽくていい感じだと思いました。中世のドイツを舞台に、アーサー王伝説を組み合わせたファンタジーで、その設定だけでもワクワクするし、途中まではおもしろく読みました。ただ、最後のほうで、なんだか煙に巻かれたような、すっきりしない、腑に落ちないような形になって、それが残念でした。「洞窟」というのが、大ムカデの口、あるいは腹の中、というのは、ちょっと納得できないし、それより何より、ランスはずっと、「小箱の銀の狼」というのは馬だと言っていたんですよね。p99の最終行からp100の1行目にかけて、「『小箱の銀の狼』という名の、たぶん馬が、どこかにいる」と言っています。ところが、p232の後ろから3行目「小箱を見た瞬間、わたしは、この中に狼がいると直感した。だから、さほどおどろきはしなかった」などと言っているんです。「馬」と言っていたのはどうなったんだと、すっきりしない感じが残りました。それ以外は、おもしろかったです。シリーズ物のようなので、続きが楽しみです。

ハリネズミ:このタイトルとサブタイトルは、続きがあることを想定させていますよね。

シア:オビに「新しい冒険の物語がはじまる」とありますし、偕成社のWebサイトにも「ジークメーア1」と題名の上に書いてあります。だから続くと思いたいのですが、この著者の『ルーディーボール エピソード1 シュタードの伯爵』(斉藤洋著 講談社)が2007年のエピソード1以降音沙汰なしなので、売れ行き次第なところがあるのでしょうか。この本を初めて見たときに、『ジーク 月のしずく日のしずく』の続きだと思いまして、『ジークⅡ ゴルドニア戦記』の2001年からの超ロングパスで続編を書くなんて、児童書界のアイザック・アシモフか! と喜んだのですが、全く違いました。しかし、挿絵も描いている人は違いますが『ジーク』に似ている感じがしますし、『テーオバルトの騎士道入門』(斉藤洋著 理論社)に「ランス」という名の従者が出てくるので、最近流行りのクロスオーバー作品かなと混乱しながら読みました。そのため、この本自体にはあまり大きな感動はありませんでした。最後の川の辺りの描写が読みにくいというか、いまいち想像しにくく、しかも肝心のラストも別にそこまで盛り上がらず、往年の輝きがなくなってきてしまっているようにも感じました。久しぶりに会った方がお爺さんになっていたような感覚です。個人的に大好きだった2シリーズと勘違いしたので、期待値が大きすぎました。とはいえ、最近はアーサー王伝説を知らない子どもが多いので、その辺りを知るのに良い本ではないかと思います。この方の本はどれもおもしろいですし、とくにファンタジーは最高にクールなので、中高生にも薦めやすい本です。p21、p22に「さほど」という言葉が集中的に3か所も出てくるのでここは訂正してほしいと思いました。

さららん:たとえば、洞窟の中に住む主人公は、満潮のときは泳いでいかないと外には出られません。そんなときのために、乾いた服を別の場所に用意しておく、といった描写などに、手触りのある世界を感じました。物語の構成はクラシックですが、マンネリとは思わなかったです。キリスト教、アーサー王伝説についての知識がちりばめられ、その中で登場人物たちもしっかり動いているように思えました。例えば新しい弓をもらった主人公は、古い弓をどう処理するのか。作者はそこまできちんと書いています。母親に対する深い信頼、ランスへの不信感などが、言葉というより、むしろ主人公の行動で表されているため臨場感があります。なお文章は、少し時代劇っぽい感じがありました。例えばp198「ジークメーアはそう思った」までで、心の変化を数行かけて説明したあと、「川で魚がはねた」と、突然短い風景描写を入れて、章を締めくくるあたりなどです。テレビドラマでもよく場面転換に使われる手ですが、作者はそこで、間を取りたいのかもしれませんね。

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しじみ71個分(メール参加):日本人作家による、ヨーロッパを舞台にした時代劇という点におもしろさを感じました。未読ですが、アーサー王物語シリーズを先に書いておられるので、そのスピンオフというところなのでしょうか。ジークメーアの暮らしぶりや能力を描き、続いて冒険物語がサクサクと展開していくので、するすると読めました。ですが、時代物の典型のような話運びなので、斬新さや深い感情移入などはなかったという印象です。まだシリーズ第1巻のせいもあるかとおもいます。何より一番気になったのは、話の終わりどころでした。えー、狼見つけただけで終わっちゃうの?という感じで、もう一つ狼との関わりを語る逸話が欲しかったなぁと思ってしまいました。振り返ると、そこまでにあまり盛り上がりが足りなかったということなのかな…すんごい大冒険をして、苦労して狼を得たという感じがあまりしなかったのでした。でも、とにかく第2巻以降に期待というところです。挿絵はとてもいいと思いました。ヨーロッパの古い銅版画をおもわせるようなイメージは好もしかったです。

(2022年02年18日の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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『ダーシェンカ』表紙

ダーシェンカ 愛蔵版

『ダーシェンカ 愛蔵版』(NF)をおすすめします。

フォックステリアのダーシェンカが、「片手にひょいと載せられるほどの、白い小さなかたまりだった」時から、歩けるようになっても「足を一本見失ってしまい、四本であることをすわりなおして確認しなくてはならな」かったり、なんでもかんでも手当たり次第にかんでしまったり、おしっこの水たまりをあっちこっちに作ったりしながら成長していく過程を、味のある文章と、愛情あふれる写真と、ゆかいなイラストで描写した本。ヒトラーとナチスを痛烈に批判した作家の、日常生活や人となりを知るうえでもおもしろい。

原作:チェコ/13歳から/犬、ペット

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『ネコとなかよくなろうよ』表紙

ネコとなかよくなろうよ

『ネコとなかよくなろうよ』(NF絵本)をおすすめします。

ネコが飼いたいパトリックは、ネコのことならおまかせ、というキララおばさんのところへやってくる。そしてさまざまなネコの種類についての説明を聞き、古代エジプトから現代に至るまでの人びとの、ネコとのつき合い方の変遷を知り、ネコが登場する絵やお話について教えてもらい、ペットとして飼うための秘訣を話してもらう。自分もネコを飼っていた作者が、キララおばさんの姿を借りて、子どもに知っておいてほしいネコについての知識のあれこれを、楽しい絵とともにわかりやすく伝えている絵本。

原作:アメリカ/7歳から/ネコ、古代エジプト

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『父さんが帰らない町で』表紙

父さんが帰らない町で

『父さんが帰らない町で』(読み物)をおすすめします。

12歳の少年ウェイドの父親は、戦争で出征したまま5年たっても戻ってこない。母親とウェイドと兄ジョーの貧しい一家は、金持ちの息子ケイレブのからかいやいじめの対象だ。そんな時、村にやってきた移動遊園地の「恐怖の館」に陳列されている「最後の兵士」を見て、ウェイドは父親と重ね合わせる。ところが、夜中にその「最後の兵士」が現れてジョーに何かをささやいたせいか、ジョーは、移動遊園地を手伝いながら父親を探し、自分も兵士になると言いだす。スリリングな展開で読ませる成長物語。

原作:イギリス/11歳から/戦争、兄弟

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『〈死に森〉の白いオオカミ』表紙

〈死に森〉の白いオオカミ

『〈死に森〉の白いオオカミ』(読み物)をおすすめします。

村には、川向こうの森を丸裸にしてはいけない、という言い伝えがあったのに、人口が増えて農地が足りなくなると、男たちは向こう岸にわたり森を焼き払ってしまう。そこは〈死に森〉と呼ばれるようになり、村人たちを襲うオオカミが次々に現れる。リーダーの巨大な白いオオカミは森を守っていた魔物なのか? 子どものエゴルカが一部始終を見届け、村を救う。ロシアの伝承を下敷きにし、不思議な人びとも登場する、土の香りがする物語。自然と人間の関係を描いた象徴的な寓話としても読める。

原作:ロシア/11歳から/オオカミ、伝説、自然

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『オオカミの旅』表紙

オオカミの旅

『オオカミの旅』(読み物)をおすすめします。

親に守られ、兄弟と競い合いながら子ども時代を過ごしたオオカミのスウィフトは、別の群れに家族を殺されてひとりになってしまう。生存をかけてさまよう間に何度も危険な目にあうが、やがてとうとう自分の居場所を見いだして家族が持てるまでに成長する。ノンフィクションではないが、オオカミの生態をうかがい知ることができるし、巻末には物語のモデルになったオオカミの紹介や、シンリンオオカミの特徴についての説明もある。波乱に満ちたサバイバル物語としても、おもしろく読むことができる。

原作:アメリカ/11歳から/オオカミ、旅、 サバイバル

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『クリスマスの小屋』表紙

クリスマスの小屋〜アイルランドの妖精のおはなし

『クリスマスの小屋』(読み物)をおすすめします。

捨て子だったオーナは長じて働き者になったが、自分の家はなく家族はいない。飢饉に襲われたあるクリスマスイブのこと、年老いたオーナは、食べものは子どもたちに譲ろうと自分は死を覚悟し、丘に登る。すると小さな妖精たちがやってきて、小屋を建ててくれる。それからは、ホワイトクリスマスになるたび、その小屋が孤独な者、悲しみを抱えた者を受け入れてくれるようになったという。すぐれたストーリーテラーが、幼い頃に乳母から聞いた昔話を再話している。挿し絵も幻想的な雰囲気を伝えている。

原作:アメリカ/9歳から/クリスマス、妖精、昔話

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『ウサギとぼくのこまった毎日』表紙

ウサギとぼくのこまった毎日

『ウサギとぼくのこまった毎日』(読み物)をおすすめします。

先生から預かったウサギのユッキーのせいで、トミーの一家は大騒ぎ。俳優のお父さんが仕事をもらえそうだったのに、ユッキーが主役俳優のズボンにおしっこをひっかけてダメになったり、トミーがユッキーを散歩させていたら犬たちに囲まれてしまったり、庭でユッキーとお茶会をしていた妹が風邪をひいてしまったり……。でも、そのユッキーが逃げ出してトミーが必死で探し出したときから、一家にもなんだか運が向いてきた。厄介なウサギを抱えた少年と一家の日常を、ユーモアたっぷりに描く楽しい物語。

原作:イギリス/9歳から/ウサギ、ペット、 家族

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『せんそうがやってきた日』表紙

せんそうがやってきた日

『せんそうがやってきた日』(絵本)をおすすめします。

おだやかな日常の暮らしのなかに、戦争がやってきた。女の子はひとりで逃げる。そしてようやく難民キャンプにたどりつくが、そこにも戦争が追いかけてきて、女の子の心を占領してしまう。ふと窓の向こうを見るとそこは学校。女の子は入ろうとするが、いすがないと先生に拒絶されてしまう。ところが女の子が小屋で寝ていると、学校にいた子どもたちがいすを持ってきて、一緒に学校へ行こうと誘ってくれた。オリジナリティのある視点で、戦争が子どもの心身をむしばむ様子と、子どもたちが助け合う姿を伝えている。

原作:イギリス/7歳から/戦争、難民、学校、 友だち

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『ステラとカモメとプラスチック』表紙

ステラとカモメとプラスチック〜うみべのおそうじパーティー

『ステラとカモメとプラスチック』(絵本)をおすすめします。

おばあちゃんと海辺で暮らすステラは、カモメのミューと仲よしだ。ある日ミューの元気がないので獣医さんに診てもらうと、おなかにプラスチックが詰まっていることがわかった。ステラは、鳥や動物がプラスチックゴミの被害を受けないように、まわりの人に声をかけ、プラスチック包装をしているチョコレート会社に手紙を出し、みんなでおそうじパーティーをすることに。カモメを登場させることによって、小さな子どもにもプラスチックゴミの問題をわかりやすく伝えている。巻末に補足説明もある。

原作:イギリス/3歳から/海、プラスチック、カモメ、海浜清掃

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『ありがとう、アーモ!』表紙

ありがとう、アーモ!

『ありがとう、アーモ!』(絵本)をおすすめします。

アーモ(おばあちゃん)が作っている夕ごはんのシチューのにおいがあたりにただようと、トントンとドアをたたく音。やってきたのは男の子。つづいて、おまわりさん、ホットドッグ屋さんにタクシーの運転手さん、お医者さん、絵かきさん……しまいに市長さんまでやってきた。みんなにシチューをふるまったアーモのお鍋は、夕ごはんの時には空っぽに。でも、うれしいサプライズが待っていた。コラージュを用いた楽しい絵とお話が、近所同士の思いやりを伝えている。おまわりさんや市長さんが女性なのも新鮮。

原作:アメリカ/3歳から/シチュー、近所づきあい

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2021」より)

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『戦場の秘密図書館』表紙

戦場の秘密図書館〜シリアに残された希望

『戦場の秘密図書館』(NF)をおすすめします。

内戦下のシリア南部にあるダラヤは、政府軍に完全封鎖されて激しい空爆を受け、食料や物資が不足していた。そのなかで、若者たちは破壊された家や瓦礫のなかから本を集めて地下に秘密図書館を作り、人びとの心に希望の灯を点していく。英国人ジャーナリストによるドキュメンタリーを、毎日新聞の記者が子ども向けに編集し訳している。内戦下にあるシリアの状況がリアルに伝わるだけでなく、本や図書館の本質的な役割とはなにかを考えさせてくれる。「頭や心にだって栄養が必要」という言葉がひびく。

原作:イギリス/8歳から/シリア 図書館 内戦 本

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『ミイラ学』表紙

ミイラ学〜エジプトのミイラ職人の秘密

『ミイラ学』(NF絵本)をおすすめします。

王室御用達のミイラ職人の一家を主人公にして、王妃の父イウヤの遺体をミイラにしていく様を、絵と文章で表現した絵本。どんな材料や器具が使われ、どのような手順でミイラに加工されていったか、葬儀はどのように行われたのか、などがとても具体的に紹介されている。後書きには、ミイラ学の歴史や、イウヤとその妻チュウヤのミイラ(写真もある)が発見されたときの様子などが記されていて、興味深い。発掘調査にかかわる技術画を専門にしていた著者の、古代エジプト風の絵も趣をそえている。

原作:アメリカ/8歳から/古代エジプト ミイラ 葬儀

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『プラスチック プラネット』表紙

プラスチックプラネット〜今、プラチックが地球をおおっている

『プラスチックプラネット』(NF絵本)をおすすめします。

身の回りに氾濫するプラスチック製品について考えてみようと呼びかける絵本。プラスチックとはなにか、プラスチックの利点と問題点、暮らしのなかでどう使われているか、どんなふうに普及してきたか、マイクロプラスチックやマイクロビーズについて、プラスチックゴミの野生生物や人体への影響などを、イラストや写真を交えてさまざまな観点から解説し、プラスチックごみがあふれる今、私たちになにができるかという具体的な案も提示している。見開きごとに1トピックになっていて、わかりやすい。

原作:イギリス/8歳から/プラスチック ごみ 地球

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

 

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『映画ってどうやってるくるの?』表紙

映画ってどうやってつくるの?

『映画ってどうやってつくるの?』(NF絵本)をおすすめします。

映画はどうやって制作されているのかを、子どもにもわかるように概説した絵本。まずモーション・キャプチャーという技法の紹介で読者を引きつけておいて、19世紀に写真が発明されると、今度はその写真を動かす方法が考案された歴史を伝えていく。撮影前から撮影後までの過程でどのような仕事をどのような人たちが担っているのか、アニメーション映画はどう作るのかなどについても述べられている。音作りやソーマトロープなどを体験してみるページや、考えてみることを促すページもあり、楽しみながら学べる。

原作:オランダ/8歳から/映画 撮影 アニメーション

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『飛ぶための百歩』表紙

飛ぶための百歩

『飛ぶための百歩』(読み物)をおすすめします。

5歳で失明したルーチョは、叔母に連れられてよく旅行やハイキングに出かけるが、コンプレックスも自尊心も人一倍強く、善意の援助を拒否して周囲とぶつかることも多い。一方、山小屋の娘のキアーラは、人づき合いが苦手だ。ある日一緒にワシの巣を見に行ったルーチョとキアーラは、密猟者からひなを守ろうとすることでぎこちなさがほぐれ、真の自分を見せ合えるようになる。居場所をうまく確保できない子どもたちの出会いと衝突、盲目の人が感じる世界、密猟者の問題など要素がいろいろあって、ぐんぐん読ませる。

原作:イタリア/12歳から/盲目 ワシ 山 密猟

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

 

 

 

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『ほんとうの願いがかなうとき』表紙

ほんとうの願いが かなうとき

『ほんとうの願いがかなうとき』(読み物)をおすすめします。

父親は拘置所、母親は育児放棄という環境で、何事にも自信が持てなくなっていた少女チャーリーは、姉とも離れ、母親の姉夫婦のところでしばらく暮らすことになる。最初はすべてが気に入らずすぐにカッとなっていたチャーリーだが、包容力のある伯母夫婦や転校先の学校で出会った忍耐強いハワードに助けられ、自分になついてくれた野良犬のウィッシュボーンの存在を支えにして変わっていく。孤独な少女がしだいに心を開き、心のありどころや居場所を見つけていくまでの様子がていねいに温かく描かれている。

原作:アメリカ/10歳から/犬 友だち 願い

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『この海を越えれば、わたしは』表紙

この海を越えれば、わたしは

『この海を越えれば、わたしは』(読み物)をおすすめします。

主人公のクロウは、赤ちゃんの時に流れ着いた島で、画家のオッシュに拾われ育てられている。しかし12歳になったクロウは、自分はどこから来たのか、なぜひとりで小舟に乗っていたのか、この島に住む人たちがなぜ自分を避けているのか、などを知りたいと思うようになる。身の回りの謎を解きながら自分のルーツをつきとめようとする少女の物語に、ハンセン病への偏見がからむ。世間から離れて生きようとするオッシュや、近所でひとり暮らしをするミス・マギーが、血縁の家族以上にクロウを思いやる姿が温かい。

原作:アメリカ/10歳から/ルーツ ハンセン病 非血縁の家族 海

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『希望の図書館』表紙

希望の図書館

『希望の図書館』(読み物)をおすすめします。

舞台は1946年のアメリカ。母親が死去した後、父親と南部のアラバマから北部のシカゴへ引っ越してきたアフリカ系の少年ラングストンは、学校では「南部のいなかもん」とバカにされ、いじめにもあう。そんなとき、誰もが自由に入れる公共図書館を見つけ、そこで自分と同名のアフリカ系の詩人ラングストン・ヒューズの作品に出会い、その生き方にも触れる。本を窓にして世界を知り、しだいに自分の居場所や心のよりどころを見つけていく少年の姿が生き生きと描かれている。随所でヒューズの詩が紹介されているのもいい。

原作:アメリカ/10歳から/図書館 名前 詩 いじめ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『ヤナギ通りのおばけやしき』表紙

ヤナギ通りのおばけやしき

『ヤナギ通りのおばけやしき』(読み物)をおすすめします。

ハロウィンの夜の楽しい物語。リリーとビリーは、小鬼に変装してお菓子をもらいに、ヤナギ通りの家をまわることにする。ところが誰も住んでいないはずの「おばけやしき」に明かりがついているではないか。ふたりがチャイムを鳴らすと、中から出てきたおじいさんが、子どもたちを招き入れ、手品を見せてくれる。そのうち他の家の子どもたちもやってきて、家の中はいっぱいに。やがて、子どもを探しにやってきた親たちも加わり、パーティが始まる。ふんだんに入っている絵にも味がある。

原作:アメリカ/6歳から/ハロウィン 手品 パーティ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『ねこと王さま』表紙

ねこと王さま

『ねこと王さま』(読み物)をおすすめします。

主人公の王さまは、友だちのネコと、12人の召使いと一緒に立派なお城に暮らしていた。ところがある日、火を吹くドラゴンのせいでお城が火事になり、召使いたちはやめていき、王さまも小さな家に引っ越すことに。王さまはひとりではなにもできないので、有能なネコにひとつひとつ教わって庶民の生活の知恵を身につけていく。王さまがロイヤルとかキングと名のついたものにこだわるのも、となりの人たちとの交流も、最後はコーラのボトルでドラゴンをやっつけるのもゆかい。文・絵ともにユーモアたっぷりな展開が楽しめる。

原作:イギリス/6歳から/王さま ネコ ドラゴン

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『ちいさなタグボートのバラード』表紙

ちいさなタグボートのバラード

『ちいさなタグボートのバラード』(絵本)をおすすめします。

ノーベル文学賞を受賞した詩人がソ連の児童向け雑誌に発表した詩を、国際アンデルセン賞を受けた画家が絵本に仕立てた作品。港で他の船の水先案内をしなければならないタグボートが主人公。外国から来る船を見て、どこか遠くへ行きたい願望はつのるものの、自分は港にとどまって役目を果たさなくてはならないという切ない思いをうたっている。絵の構図や場面ごとの変化、想像が豊かにはばたいていく展開に、画家の力量が発揮されている。中高生が読めば、もう一段深い味わい方もできるだろう。

原作:ロシア/8歳から/タグボート 海 あこがれ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2020」より)

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『アンネのこと、すべて』表紙

アンネのこと、すべて

『アンネのこと、すべて』(NF)をおすすめします。

アンネは、ドイツに生まれたが、ヒトラーの脅威にさらされてオランダに移住する。そのオランダにもナチスの影が迫ってきて、隠れ家に身を潜める。しかし、2年後に見つかって強制収容所に連行され、命を落とす。そうした生涯を、写真とイラストをふんだんに使って紹介している。随所にはさまれたカラーのハーフページには、歴史的な事実や、隠れ家の見取り図や、オランダのナチについての解説など付随する情報が載っている。アンネの生涯は、世界じゅうで迫害されている子どもの象徴として記憶にとどめておきたい。

原作:オランダ/10歳から/アンネ・フランク ホロコースト 隠れ家

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『私はどこで生きていけばいいの?』表紙

私はどこで生きていけばいいの?

『私はどこで生きていけばいいの?』(NF写真絵本)をおすすめします。

世界の難民や避難民の子どもたちの望みや不安を、写真と簡潔な文章で紹介する絵本。写真は、国連難民高等弁務官事務所が提供するもので、クロアチア、ハンガリー、ルワンダ、レバノン、イラク、南スーダン、ヨルダン、ギリシャ、ミャンマー、ニジェールなどで撮影されている。「『こんにちは。ここで安心して暮らしてね』と、笑顔でむかえてくれる人がいますように。あなたもそのひとりでありますように。」という、最後の場面に添えられた言葉に、本書の意図が集約されている。

原作:カナダ/8歳から/難民 子ども 旅

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『しぜんのかたちせかいのかたち』表紙

しぜんのかたち せかいのかたち〜建築家フランク・ロイド・ライトのお話

『しぜんのかたち せかいのかたち』(NF絵本)をおすすめします。

ライトは、幼年時代に積み木で遊ぶことによって「形」の秘密に気づき、自然の中で過ごすことによって「形」の不思議に魅せられた。そして建築家となって、自然を切り離すのではなく自然に溶け込む建物をつくりだした。後年スキャンダルにも見舞われるが、この絵本では幼年時代・少年時代を描くことによってポジティブな面に光を当て、彼がどのような建築をめざしたかを、味わいの深い絵とともに提示している。作中に描かれた建築物が何かを説明するページもある。

原作:アメリカ/8歳から/建築 自然 形 伝記

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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M.G.ヘネシー『変化球男子』

変化球男子

『変化球男子』(読み物)をおすすめします。

シェーンは、女性の体をもって生まれたが自分は男性だと思い、男子として転校してきた今の学校では野球のピッチャーとして活躍している。だがある日、転校前は女子だったことがばれそうになる。シェーンを敵視するニコや、無理解な父親がつくる壁も厚い。でも親友のジョシュがいつも隣にいるし、母親は理解しようと努力してくれるし、トランスジェンダーの先輩アレハンドラは励ましてくれる。自分の存在に違和感を持つ子どもが、試練をのりこえていく様子が生き生きと描かれている。

原作:アメリカ/10歳から/野球 トランスジェンダー 親

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『ふたりママの家で』表紙

ふたりママの家で

『ふたりママの家で』(絵本)をおすすめします。

「わたし」の家は、ふつうとはちょっと違う。医者のミーマと救急救命士のマーミーというふたりの母親に、それぞれ肌の色が違う子どもが3 人。だれも血はつながっていないけれど楽しい家族だ。近所の人に家族の悪口を言われて子どもが脅えると、母親たちは「あの人は(中略)わからないものが怖いの」と話す。養女として迎えられ愛情たっぷりに育ててもらった「わたし」が、ふたりの母親と弟、妹と過ごしたすばらしい日々を語る。多様な家族の形を知るきっかけとなる作品。

原作:アメリカ/8歳から/家族 母親 養子

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『かあちゃんのジャガイモばたけ』表紙

かあちゃんのジャガイモばたけ

『かあちゃんのジャガイモばたけ』(絵本)をおすすめします。

戦争するふたつの国の境に住む母親は、ふたりの息子とジャガイモ畑を守るために高い塀を築き、日常の暮らしを続ける。ところが大きくなった息子たちは塀の外を知りたくなって出ていき、やがて兄は東の国の将軍に、弟は西の国の司令官になってしまう。そしてついに両国の軍隊は母親の畑にも攻め入るのだが、賢い母親はジャガイモを使って戦争をやめさせる。戦争と平和について考える種をくれる作品。1982 年に出た『じゃがいもかあさん』の、版元と訳者をかえたカラー版。

原作:アメリカ/8歳から/母親 戦争 平和

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『子ネコのスワン』表紙

子ネコのスワン

『子ネコのスワン』(絵本)をおすすめします。

ママや兄弟をなくしてひとりぼっちになった子ネコが、雨に打たれたり、犬にほえられたり、自転車にひかれそうになったり……。木に登っておりられなくなった後に施設に保護され、やがてかわいがってくれる一家に迎えられ、スワンという名前もつけてもらう。スワンは落ち着いた環境のなかで、好奇心いっぱいに歩き回り、家族とのつき合い方を学んでいく。幸せな終わり方にホッとできるし、スワンのさまざまな姿を描く絵もあたたかい。人間に置き換えて読むこともできる。

原作:アメリカ/6歳から/ネコ 家族 孤児

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『きのうをみつけたい!』表紙

きのうをみつけたい!

『きのうをみつけたい!』(絵本)をおすすめします。

昨日がとても楽しかったと思う男の子が、なんとかして昨日に戻りたいと考える。光より速く動けば昨日に戻れるのかな? でも、それにはどうしたらいい? 男の子がたずねると、おじいちゃんは自分の体験を話し、これからだって楽しい日は来るよ、と教えてくれる。そしてふたりで「きょうの ぼうけん」に出発する。タイムマシンやワームホールまで登場させる科学的な思考と並んで、絵にはふしぎな想像の世界のあれこれが描かれている。じっくりながめるだけでも楽しい。

原作:イギリス/6歳から/時間 祖父 楽しい記憶

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『このねこ、うちのねこ!』表紙

このねこ、うちのねこ!

『このねこ、うちのねこ!』(絵本)をおすすめします。

旅に出た白ネコが、とある村にたどりつく。そして、村の7 軒の家を次々に回って食べ物をもらい、家ごとに別の名前をつけられる。ある日、この村に役人がやってきて、ネズミ退治のためにどの家でもネコを飼うように法律で決まったと伝える。村人たちは口々に、うちは○○という名のネコを飼っていると言うのだが、役人はネコを見せろと迫る。困った村人たちは同じネコだとばれないように一計を案じて……。原書は1979 年刊だが、お話も絵もユーモラスで楽しい。

原作:アメリカ/3歳から/ネコ 計略 ユーモア 名前

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『カタカタカタ』表紙

カタカタカタ〜おばあちゃんのたからもの

『カタカタカタ』(絵本)をおすすめします。

女の子のおばあちゃんは、昔ながらの足踏みミシンでいろいろなものを作ってくれる。でもある日、女の子の劇の衣装を縫っているときにミシンが故障して、修理屋でも直せない。それでも、おばあちゃんは夜遅くまでかかって、手縫いで衣装を間に合わせてくれた。「ほんとうに すごいのは カタカタカタじゃなくて、おばあちゃんだったのね。」という言葉がいいし、壊れたミシンが、テーブルにリフォームされる最後にも納得できる。ユニークな絵と文で、おばあちゃんと女の子のあたたかい交流を伝えている。

原作:台湾/3歳から/ミシン 祖母 リフォーム

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2019」より)

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『マララのまほうのえんぴつ』表紙

マララのまほうのえんぴつ

『マララのまほうのえんぴつ』(NF絵本)をおすすめします。

誰かが声を上げないと、と感じたとき、パキスタンの少女マララは、「まって……、だれかじゃなくて、わたし?」と、ネットでの発信を始める。その後銃撃されて瀕死の重傷を負ったマララは、回復するとさらに歩みを進める。そして、小さいころ夢見ていた魔法の鉛筆は、自分の言葉と行動のなかにあるのだと確信する。ノーベル平和賞を受けたマララの本はたくさん出ているが、この絵本は彼女が自分の言葉で文章をつづっている。流れもスムーズでわかりやすい。

原作:アメリカ/6歳から/マララ、魔法、言葉、学ぶ権利

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『すごいね!みんなの通学路』表紙

すごいね! みんなの通学路

『すごいね! みんなの通学路』(NF写真絵本)をおすすめします。

他の国の子どもたちは、どんな道を通って学校に行くのかな? スクールバスに乗る子もいるけど、ボートや犬ぞりや、ロバとか牛に乗って通っている子もいるよ。ちゃんとした道や、ちゃんとした橋がないところを通っていく子もいるね。水を入れたたらいや机をかついで行く子もいる。国際慈善団体で働いてきた著者が、日本、フィリピン、カンボジア、中国、ミャンマー、ガーナ、ウガンダ、ハイチ、コロンビアなど、世界各地の通学する子どもたちを写真で紹介する絵本。

原作:カナダ/6歳から/学校 通学路 子ども 写真絵本

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『ゴードン・パークス』表紙

ゴードン・パークス

『ゴードン・パークス』(NF絵本)をおすすめします。

『ヴォーグ』や『ライフ』で活躍した黒人カメラマンを紹介する絵本。貧困や差別によって何度も希望を打ち砕かれそうになったゴードンは、逆境の中で貯めたお金で中古カメラを買い、人生を変えていく。カメラマンとしてだんだんに仕事が増えてきたある時、何を撮ってもいいと言われたゴードンは、差別を受けている側の人たちを次々に撮る。ビル清掃員のエラ・ワトソンが、アメリカの国旗とモップを背にほうきを持って立っている写真は、ゴードンの代表作のひとつだ。セピアを基調にした絵がいい。

原作:アメリカ/6歳から/カメラ、アメリカ、人種差別

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『ぼくたち負け組クラブ』表紙

ぼくたち負け組クラブ

『ぼくたち負け組クラブ』(読み物)をおすすめします。

6年生のアレックは、大の本好き。授業も聞かずに本を読むので、しょっちゅう先生に注意されている。放課後プログラムで、ひとりで好きな本を読むために「読書クラブ」を作ることにしたアレックは、誰も来ないように、わざと「負け組クラブ」という名をつけて登録。しかし、次々にメンバーが増え、思いがけないことが起こる。アレックは、いやでもさまざまな大人や子どもとかかわりを持つことになり、世界が開けていく。いろいろな本が登場するのも楽しい。

原作:アメリカ/10歳から/本、読書、放課後

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『テディが宝石を見つけるまで』表紙

テディが宝石を見つけるまで

『テディが宝石を見つけるまで』(読み物)をおすすめします。

吹雪の中で迷子になったふたりの子どもを見つけて助けたのは、テディという犬だった。テディは、人間の言葉が話せて、だれもいない家に住んでいる。言葉は、今はいない飼い主の、詩人のシルバンさんから習ったという。雪に閉ざされた家の中で、「きみは宝石を見つけるだろう」と言い残していなくなったシルバンさんについて、テディは語る。やがて道路が復旧し、テディは「宝石」を見つける。犬が語るという視点で描かれたユニークな物語。

原作:アメリカ/10歳から/犬 吹雪 子ども 詩

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『この本をかくして』表紙

この本をかくして

『この本をかくして』(絵本)をおすすめします。

町が空爆されて避難する途中で、ピーターが死ぬ間際の父親から託されたのは1冊の本。それは破壊された図書館から借りていた本で「金や銀より大事な宝だ」という。鉄の箱に入った本は重たくて、抱えて高い山を登るのは無理だ。ピーターはやがてその本を大木の根元に埋めて隠し、さらに先へと進む。移住先で大人になったピーターは、戦争が終わると大木の根元から本を掘り出し、故郷の町に戻って、新しく建てられた図書館にその本を置く。本や図書館について考えさせられる作品。

原作:オーストラリア/6歳から/本 図書館 戦争

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『ぽちっとあかいおともだち』表紙

ぽちっとあかいおともだち

『ぽちっとあかいおともだち』(絵本)をおすすめします。

シロクマの子ミキが雪原を走っていくと、むこうにぽちっと赤いものが……。近寄ってみると、それは赤いコートを着た女の子だった。ミキは、女の子と遊んだり、女の子がなくした手袋を探してあげたりして、一緒に楽しい時間を過ごす。やがて女の子はお母さんと出会い、ミキも母クマと出会うという幸せな終わり方がいい。マックロスキーの『サリーのこけももつみ』を思わせる展開だが、本書は白と赤と青を基調とした絵が印象的で、リズミカルな訳もいい。

原作:イギリス/3歳から/シロクマ 女の子 友だち

シロクマ 女の子 友だち

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『なずずこのっぺ?』表紙

なずずこのっぺ?

『なずずこのっぺ?』(絵本)をおすすめします。

春になって地面から顔を出した小さな緑の芽が、ずんずん伸びて、花を咲かせ、しおれ、枯れてなくなる、という四季の移り変わりにあわせて、さまざまな虫たちや自然のドラマが展開していく。絵を細かく見ていくと、季節の変化にしろ虫たちのやりとりにしろ、さまざまな発見があって楽しい。「昆虫語」の言葉は、声に出してみると、不思議なリズムがあってとても愉快。ひとつひとつの言葉の意味を考えてみるのもおもしろいし、絵も美しい。

原作:イギリス/3歳から/昆虫 四季 自然 ふしぎ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『あおのじかん』表紙

あおのじかん

『あおのじかん』(絵本)をおすすめします。

太陽が沈んでから夜がやってくるまでの「青の時間」には、青い色の生き物たちが、いっそう美しくなる。この絵本は、世界各地にいるアオカケス、アオガラ、モルフォチョウ、ヤグルマギク、ブルーモンキーといった、青い色の(あるいは青く見える)小鳥、獣、カエル、チョウチョウ、花、虫、水鳥などを、シンプルな言葉とともに次々に紹介していく。読者は、さまざまな色調の青い色を体験できる。最後は、夜の闇がすべてを包み込む場面で、生き物たちはシルエットになっている。

原作:フランス/3歳から/青 生き物 闇

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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『ダイエット幻想』表紙

ダイエット幻想~やせること、愛されること

『ダイエット幻想』(NF)をおすすめします。

やせるためのダイエット法はさまざまなものが喧伝されているが、本書は、それを非難したり批判したりするものではない。文化人類学者である著者は、女性が「やせた」とか「かわいい」とか思われたくてダイエットに励むという状況の裏側に何があるのかをさぐっていく。そこからは、女性に子どもっぽさを求める日本の社会、「選ばれる性」「愛される側」にとどまる女性、頭にためこんだ知識にとらわれて生きる力を失ってしまう現代人など、さまざまな問題点が浮き彫りになってくる。例も豊富でわかりやすい。

13歳から/ダイエット 愛 かわいさ 摂食障害

 

Diet Fantasies: Lose Weight, Be Loved

The world is full of diet methods that come and go. This book does not negate or critique them; rather, the author, a cultural anthropologist, considers why Japanese women are encouraged to diet, thinking that they want to “slim down” or “be cute.” What is behind this? Japanese society’s fixation on childlike women; the tendency to see women as passive, “chosen” (or not) or “loved” (or not); the loss of power to live when eating based on facts accumulated in one’s head. Many issues come up with plentiful examples, all presented in understandable text. (Sakuma)

  • text: Isono, Maho | illus. Harada, Arisa
  • Chikuma Shobo
  • 2019
  • 224 pages
  • 18×11
  • ISBN 9784480683618
  • Age 13 +

Diet, Love, Cuteness, Eating disorders

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2021」より)

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『オランウータンに会いたい』表紙

オランウータンに会いたい

『オランウータンに会いたい』(NF)をおすすめします。

著者は、野生のオランウータンを調査・研究している学者。本書は、オランウータン研究者になった動機、ボルネオでの調査のやり方、オランウータンの生態、チンパンジーとは違う群れない生き方、絶滅の危機と私たちにできること、親子関係に見る人間やほかのサルとの違いといったことを、わかりやすい文章で伝えている。オランウータンについていろいろと知ることができるだけでなく、私たち日本人の暮らしとオランウータンが暮らす東南アジアの森が密接につながっていることにも目を向けさせてくれる。

11歳から/オランウータン ボルネオ ジャングル 絶滅危惧

 

I Want to Meet an Orangutan

Written by a Japanese scientist who studies wild orangutan, the text is very easy to follow. Readers learn what motivated the author to study orangutan, how she conducts fieldwork in Borneo, the ecology of orangutan, the fact that they are an endangered species, and what we can do to help them. The author also explores the differences between orangutan and chimpanzees, which live in groups, and differences in the parent-child relationships of orangutan as compared to humans and other ape species. Not only do we gain a deeper knowledge of orangutan, but we also learn how our own lifestyle is intricately connected to their habitat, the forests of southeast Asia. The author urges us to not only buy products that are good for us, but ones that are good for the environment of the whole planet. (Sakuma)

  • text: Kuze, Noko | illus. Akikusa, Ai
  • Akane Shobo
  • 2020
  • 188 pages
  • 22×16
  • ISBN 9784251073105
  • Age 11 +

Orangutan, Borneo, Jungle, Endangered species

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2021」より)

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『わたしたちのカメムシずかん』表紙

わたしたちのカメムシずかん~やっかいものが宝ものになった話

『わたしたちのカメむしずかん』(NF絵本)をおすすめします。

カメムシは触ると臭いから嫌いという人も多い。ところが、この嫌われ者の虫に夢中になり、もっともっと知りたくなり、1年間に35種類も集めて自分たちでカメムシ図鑑まで作り、やがてカメムシは宝だと言うようになった子どもたちがいる。この絵本は、岩手県の山あいにある小さな小学校での実話に基づき、どうしてそんなことになったのかを楽しい絵とわかりやすい文章で紹介している。カメムシにはさまざまな種類があることもわかるし、カメムシはどうして臭いのか、どうして集まるのかについても、説明されている。

9歳から/カメムシ 図鑑 観察

 

Our Stink Bug Book

Stink bugs (shield bugs) are often seen as smelly pests, but in the town of Kuzumaki in northern Iwate prefecture, children got excited about them and wanted to know more. They gathered specimens of some 35 types over a year’s time, and they created an encyclopedia. Now they think the stink bugs are great! This picture book uses enjoyable illustrations and easy-to-understand text to tell us how the students’ project came about. The book also offers basic information about stink bugs, why they give off odors, and why they form groups. The backmatter offers space for readers to begin their own encyclopedias. (Sakuma)

  • text: Suzuki, Kaika | illus. Hata, Koshiro
  • Fukuinkan Shoten
  • 2020
  • 44 pages
  • 26×20
  • ISBN 9784834085525
  • Age 9 +

Stink bug, Encyclopedia, Observation

(JBBY「おすすめ!日本の子どもの本2021」より)

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『やとのいえ』表紙

やとのいえ

『やとのいえ』(NF絵本)をおすすめします。

石の十六羅漢さんが語るという体裁で、谷戸に建てられた一軒の農家と、それを取り巻く環境の、150年にわたる変化を伝えている絵本。水田や麦畑や林に囲まれていたかやぶき屋根の家は、今やモノレールやデパートやマンションやアパートに囲まれた瓦屋根の家に変わっている。農作業、子どもの遊び、お祭り、嫁入り、葬儀、開発の様子など人間の暮らしばかりでなく、ある時期までは野鳥や野生の動物も羅漢さんをしばしば訪れていたことも、ていねいな絵が伝えている。巻末には詳しい解説があって、モデルになった多摩丘陵の変遷もわかる。

9歳から/家 開発 都市化 十六羅漢

 

Yato Home

This picture book portrays 150 years in the life of a farmhouse in a yato area, with gently sloping hills and valleys. The book is narrated by stone statues of the sixteen arhats (disciples of the historical Buddha) that stand nearby. The farmhouse with thatched roof is first surrounded by rice paddies, fields, and forests; later, it becomes enclosed by a monorail, department store, and condominiums and apartment buildings. It is given a tiled roof. Planting and threshing processes, children’s play, festivals, weddings, funerals, and development are all depicted in detail. Until a certain period, wild birds and animals also visit the stone statues. The backmatter contains detailed explanations, including about the Tama Hills in southwest Tokyo/northeast Kanagawa, which served as the model for this book. (Sakuma)

  • text/illus. Yatsuo, Keiji | spv. Senni, Kei
  • Kaiseisha
  • 2020
  • 40 pag