日付 | 2023年10月24日 |
参加者 | エーデルワイス、ネズミ、オカリナ、wind24、ANNE、きなこみみ、アンヌ、ニャニャンガ、雪割草、西山、ハル、ルパン、しじみ71個分 |
テーマ | 図書館から広がる物語 |
読んだ本:

こまつあやこ/著
講談社
2023.04
〈版元語録〉憧れの高校に合格し、書道部に入った真歩。しかし、父の療養のために引っ越しをすることに。高校を辞め、図書館の宅配ボランティアを始めた真歩は、本を届けに行った家でアラビア書道というアートに出会い…。

原題:A PLACE TO HANG THE MOON by Kate Albus, 2021
ケイト・アルバス/作 櫛田理絵/訳
徳間書店
2023.07
〈版元語録〉親代わりになってくれる人を探すために疎開した両親のいないきょうだい。疎開先の厳しい日々、3人にとって、村の図書館だけが救いだった-。第二次大戦下、ロンドンから疎開したきょうだいの心あたたまる物語。
雨にシュクラン

こまつあやこ/著
講談社
2023.04
〈版元語録〉憧れの高校に合格し、書道部に入った真歩。しかし、父の療養のために引っ越しをすることに。高校を辞め、図書館の宅配ボランティアを始めた真歩は、本を届けに行った家でアラビア書道というアートに出会い…。
エーデルワイス:とてもおもしろく読みました。作者は毎回いろいろなテーマで書いていて、今回はアラビア書道なのですね。とても綺麗で、素敵です。アラビア文字を真似して私も書いてみましたが、なかなか難しいです。主人公のあかりの、弱冠15歳から16歳までの時間が描かれていますが、ジェットコースターのような人生です。結果的に1年遅れで別の高校を受験してもう一度高校生になるのですが主人公が悔いなく納得していることに読後感もさわやかです。
あかりが受験案内を見ているところに〈一浪以上の受け入れ可〉があり現役でなくても高校を受験できることに驚くシーンがありますが(pp168-169)、私の高校時代(地方都市)は結構浪人して公立高校へ入学することは珍しくなかったので、それこそ驚きました。
ネズミ:みなと違う道を選ぶことというテーマがとてもいいなと思いました。ちょっとしたきっかけや偶然で、新しい世界に出会っていくところが。ただ、憧れていた先輩からのひとこととはいえ、その先輩のひとことで高校をやめてしまうのは、強引に感じられましたが……。「こうしなくちゃいけない」と、既存の価値観にとらわれている、どちらかというと優等生の高校生の心をほどいて、励ましてくれる作品でしょうか。
オカリナ:楽しく読みました。いいなと思ったのはいろいろな形で多様性を示している点です。せっかく入った高校をやめて家で勉強しながら高卒資格を取る主人公も、ぬいぐるみのコレクションを持っていて家族の前で泣いてしまうお父さんも、ステレオタイプでない存在を示しているのがおもしろいと思いました。それからアラビア書道の難しさや楽しさがわかってくるのもいいですよね。残念だった点は、お父さんが何らかの理由で(理由は書かれてないですね)疲弊して会社を辞めることになったとき、どうしてお父さんの故郷に行くのか私にはよくわかりませんでした。お父さんの両親はもう死去していて家が残っているわけでもなく、幼馴染との付き合いもなさそう。都会より地方がいいというのはわかりますが、真歩がせっかく入った憧れの高校に片道2時間半もかかるような場所に引っ越すだけの意味はなさそうです。そこが物語の起点で、大きな意味をもってくるので、もう少しリアルな設定にしてほしかったなあ、と思いました。多文化を知るというのもテーマの一つですが、私もトルコには2度ほど行ったことがあるので、アラビア書道のほかはラマダンとポピュラーな食べものだけというのは、ないものねだりかもしれませんが、物足りなさも感じました。
wind24:おもしろく読みました。雨の多い日本ではピンとこない「約束は雲、実行は雨」という諺ですが、「実行することは稀なこと」の意として中近東の雨が降らない場所で生まれたというのは、お国柄がわかって興味深かったです。父親の鬱発症、高校中退、新しい生活で知り合う高齢者、イスラム教徒の新しい友だちと気になる男の子、そして目的を見つけて再度の高校入学、父親の再チャレンジなどなど、モチーフに事欠かない作品です。主人公の心の揺らぎがていねいに描かれていて共感できました。題名の「雨にシュクラン」のとおり、雨粒について2か所、印象的に書かれていました。
しじみ71個分:おもしろく読みました。アラビア書道というモチーフも目新しく、多文化理解への一つの入口になるだろうと思いました。また、気の優しいお父さんが鬱病になったために、引越しすることになり、そのために自分が努力して入った高校への通学を断念しますが、その父を疎ましく思ってしまう心情、トルコにルーツを持つ少年への淡い恋心などは細やかに描かれていたと思います。図書館の宅配ボランティアによる高齢者との出会いというのも魅力的な素材でした。その上で、私が気になったのは、どのモチーフも結構重みのある内容なのに、どれも掘り下げ方が一様な感じで、どこに一番伝えたいポイントがあったのか、わかりにくなってしまったのではないかというところです。そのためになんとなく総花的で物語の全体の印象が軽くなってしまったように感じ、そこが残念に思われました。
ANNE:とてもおもしろく読ませていただきました。作者のこまつあやこさんにお目にかかったことがあるのですが、とても魅力的で素敵な方です。こまつさんはデビュー作の『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』(講談社)でマレーシア語と短歌、『ポーチとノート』(講談社)では生理など、他の作家さんがあまり取り上げないようなテーマで作品を発表されています。今作も、アラビア書道という一般的ではない世界を、女子高生の視点から捉えて興味深い物語に仕上げていらっしゃるのが素晴らしいと思います。また、図書館の宅配ボランティアのエピソードなど、司書の経験がある作家さんならではの作品だなと思いました。次回作も楽しみです。
きなこみみ:とても楽しく読みました。アラビア書道を知らなかったので、文字の並びがとても美しくて、感動でした。新しいことを知るのは、ワクワクします。日本語とアラビア語ってあまり馴染みがないように見えて、書道のかな文字は、どこか通じるところがあるように思います。こういう新しい接点を見つけて、物語にされたこまつさんの着眼点がすばらしいなあと。主人公の真歩が、頑固に自分の意志を貫こうとする子なんですけど、普通というレールからはずれてしまうことで、見えてきたこととか、感じていることを素直に描いてあるのがいいと思うんです。p36で、「私、不登校に見えるのかな。それとも不良に見えるのかな。」とびくびくしてしまったり、中年のお父さんが無職で家にいることを恥ずかしく思ってしまう。そういう気持ちって、世間的な価値観をすりこまれて、毒されちゃってるっていうことですよね。だって、不登校は別に恥ずかしいことじゃないし、家にいるのがお母さんなら、恥ずかしいとも思わないはずなんだし。レールを外れてしまったから、自分のそういうところに気付かされるところがよかったかなと。その彼女が知らなかった文化と人に出会って、変わっていく過程が自然に描かれてるのがいいなと。p151で、「わかりたいと思う、アラビア書道のこと、トルコのこと。そして、千凪くんのことも。」ってあるんですが、「知りたい」という気持ちは、すべての扉を開く一歩だと思うんで、この気もちがまっすぐ書かれていることにいいなと思って共感しました。気になるところとしては、一人一人のキャラクターが薄いというか、千凪くんと怜来ちゃんにせっかく知り合っているんだけれど、人物としての彼らがあまり伝わってこない。真歩は千凪くんが好きになるんですが、カメラが得意な男の子、という以上の、内面のところまで書かれていたら、もっとこの体験が深みをもって伝わってきたかなと。でも、読みやすい分量ではありますし、読み慣れていない子もとっつきやすいし、表紙もポップで読みやすい作品だと思います。
アンヌ:この物語の前半はあまりに納得が行かなくて、私はかなり長距離通学だったので、勉強は車内でするとか、何か工夫できなかったのかなと思ったりしました。転校ではなく高認を受けることにするわけもよくわかりませんでした。でも、それはともかく、図書館ボランティアから後は、出てくる人たちも物語もとてもおもしろく、高校生ではないのに昼間道を歩く後ろめたさとか、逆に伶良と学校に縛られない友人同士になれるところとか、アラビア書道のおもしろさをキュイキュイという筆が滑る音で表しているところなど、とても魅力的で楽しく読みました。
ニャニャンガ:こまつあやこさんの作品は、『ハジメテヒラク』(講談社)以来ですが、前作同様、興味深く読みました。書道が好きな主人公の真歩が、アラビア文字に興味をもつという設定はユニークで、知らない文化に触れ視野が広がったように感じました。ただ、お父さんが会社に行けなくなり、地元の千葉へ転居したいせいで憧れの高校に通えなくなった主人公が、高校へ行かない選択をしたのは少々唐突な印象でしたし、1年生で高卒認定試験を受けようとするのは無謀ではないかしらと思ってしまいました。アラビア文字を知るせっかくの機会でしたが、説明を読んでも難しくて理解できなかったのが残念です。図書館の宝来さんがいい味を出していて好ましいですし、優しくてナイーブなお父さん、仕事バリバリのお母さんという設定はイマドキですね。
雪割草:読みやすかったです。アラビア書道という発想がおもしろいと思いました。日本の作品は学校が舞台になることが多いですが、学校以外の世界で、真歩、怜来、船島さん、宝来さんといった登場人物が関係しながら変わっていくのが描かれていていいなと思いました。それから、船島さんの金継ぎや雨の話があって、そのイメージが言葉とともに散りばめられていてきれいだなとも思いました。あとは個人的な好みですが、登場人物が漫画っぽく、文章の改行が多く感じました。
西山:すごく設定が盛りだくさんのわりに、さらさらと読めちゃって、これはいいとか悪いとかじゃないですけれど……。高校にいっていない16歳、お父さん像、ムスリムの問題とどれも、それを中心テーマとしてこってりと書かれても不思議ではない切り口ですが、話はどんどん進んでいく。でも、軽薄にはしゃいで目を引く事象としてそれらを消費しているという感じは受けません。ソフトに読ませてしまう、こういうのもありなんだなと、好感を持っています。ちょっと引っかかったのはp45で「#muslim」を主人公姉妹は読めちゃって「イスラム教徒」という意味を知っている。これは不自然でひっかかりました。あとp122で怜来ちゃんがラマダンの説明をしている中で「生理のときは断食できないの」と言っています。私は、トルコのイスラム教徒の話として、「しなくていい」と聞いていました。でも、個々に、他の日に自己判断で断食しているようだと聞きましたが、「できない」と「しなくていい」ではイスラム教のイメージがずいぶん変わってきます。「できない」だと、血の穢れを嫌うのだろうかと邪推してしまいます。「しなくていい」だと、信仰をあくまでも個々人のものとして考える緩やかなイメージです。ここはちょっと大きな問題かなと思います。
ハル:この本を読んだ同時期に、まはら三桃さんの『つる子さんからの奨学金』(偕成社)も読みました。それもまた、高校受験に対する新たな選択を示した本でした、いま、通信制の高校を選択する子が増えている、という記事も見ましたが、いろんな選択肢がある、ということを知るって、いいなぁと思います。この『雨にシュクラン』は、こまつあやこさんらしい作品で、言葉や文字にまつわる新しい世界をまた見せてくれたという点でも、とてもおもしろかったです。子どもはなにかと理不尽を背負わされがちですね。お父さんの事情で思いどおりの高校生活にはならなくて、主人公はつらかったと思うけれど、大人になっても理不尽なことや、自分ではどうにもできないことはたくさんあるし、そういうときに、いろんな選択肢を見つけられること、柔軟に考えられることは、自分を助ける大きな力になると思います。
ルパン:今回選書係です。いろいろなテーマが盛りだくさんに入っていて、読書会向きの1冊だと思って選びました。ちょうど、『とめはねっ!』(河合克敏 作 小学館)というマンガを読んだところで、書道ってドラマになるんだ~、って思ったところでしたし、トルコという国も旅の思い出があるので、いろいろな意味で親近感もわきました。多少ツッコミどころもあるものの、最後まで飽きさせないストーリー展開がいいし、高校をやめたときの疎外感などがとてもうまく描けていると思いました。今まであたりまえだと思っていたことから外れたとたんにいろんなことが見えてくる、そのプロセスがリアルに迫ってきました。
(2023年10月の「子どもの本で言いたい放題」より)
図書館がくれた宝物

原題:A PLACE TO HANG THE MOON by Kate Albus, 2021
ケイト・アルバス/作 櫛田理絵/訳
徳間書店
2023.07
〈版元語録〉親代わりになってくれる人を探すために疎開した両親のいないきょうだい。疎開先の厳しい日々、3人にとって、村の図書館だけが救いだった-。第二次大戦下、ロンドンから疎開したきょうだいの心あたたまる物語。
西山:すごくおもしろく一気に読んでしまいました。余談ですが、親戚の葬儀の行き帰りで読もうと持参していて、そこで初めて本を開いてびっくりしました。1行目が「お葬式の日なんてそもそも、楽しいものではない」って……。ちょうど「児童文学と子どもの権利」というテーマの研究会を控えているときだったので、戦争はなんと子どもの権利を侵害するものかとつくづく思いました。ただ、この作品は大前提として主人公兄弟にお金の心配がないので、そこの安定感がエンタメとして読んでしまっていい背景を保証しているように感じました。『小公女』もしっかり登場していましたが、それと重なる古典作品のようなテイストを感じながらの読書でした。イギリスの疎開というのも、リアルでシビアな現実だったと思うのですが、こういう風に伝えるのもありかなと思っています。
雪割草:私もおもしろく読みました。作者が本のもつ力を信じているのが伝わってきました。本がいくつも紹介されるので、読者が興味をもつきっかけになるかもしれないと思いました。ミュラーさんが差別を受けていたり、主人公らが疎開児童としていじめられたり、読者に考えさせるところは含みつつも、兄弟3人が仲が良いせいか、「戦争」という現実の厳しさはあまり感じられませんでした。途中から、これはきっとミュラーさんのところに落ち着くのだろうと予想できて、安心して読めました。月のたとえで、アンナとミュラーさんの発言が一致するのはやりすぎかな。『わたしがいどんだ戦い1939』や『わたしがいどんだ戦い1940』(どちらもキンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー著 大作道子訳 評論社)2019)のように、主人公が厳しい現実と向き合い、人に助けられながらそれを乗り越えていくといったことは描かれていないのは残念に思いました。
ニャニャンガ:ちょうど今読んでいる『アンナの戦争』(ヘレン・ピーターズ著 尾﨑愛子訳 偕成社)にもロンドンから疎開した子どもが登場するのですが、里親たちが預かる子どもを選んでいく様子はとてもシビアだと思いました。ただ、この子たちには資産があり、自分たちが信用できる保護者が見つかりさえすれば……という背景があるので、いわゆる疎開児童とは背景が少しちがいますね。作品全体としては、図書館のありがたみというかミュラーさんのありがたみをしみじみ感じました。そのミュラーさんは、夫がドイツ人であるために周囲から孤立している状況が『アンナの戦争』とも重なりよく伝わってきました。
ウィリアム、エドマンド、アンナの3兄弟がバランスよく、児童書の王道といった印象を受けました。本文とは関係ないのですが、作者のケイト・アルバスは謝辞を読むのが好きだとあとがきにあります。翻訳する側にとっては名前の読みを調べるのはたいへんなので、日本の読者も謝辞を読むのが好きなのか知りたくなりました。
オカリナ:謝辞は、人によっては取材の過程がわかっておもしろいのもありますが、関係者の名前だけが連ねてあるのは、日本の読者にとっては人物像もわからないので、つまらないですよね。ただ契約書ではそこも訳せとなっている場合もありますね。
ニャニャンガ:同じ綴りでも、出身によって読み方が違う場合もあるので判断が難しいです。
オカリナ:私も固有名詞発音辞典とかネットで固有名詞の発音を調べたりしますが、どうしてもわからないときは原著出版社とか著者に教えてもらいます。同じアルファベット表記の国の言葉に翻訳するときはそのままでいいのですが、日本語は発音を知らないとカタカナ表記ができないので不便ですよね。
アンヌ:ファンタジーっぽいのは、アメリカ人が書いたイギリスもののせいだろうかと、バーネットを頭に浮かベながら読みました。この主人公のきょうだいたちは莫大な資産を持つ大金持ちで、本当なら食費の心配などはしないでいいのがわかっているからです。エドマンドも菓子屋で買おうと思えばいくらでもお菓子を本当は買える身分なんだと思いながら読むと、この戦時下の苦労のリアリティが薄れてしまう気がしたのです。ただ、ウィリアムが最後に、自分はまだ12歳なんだと切れてしまうところ、長男はすべてに責任を持たされ弟たちは従うという典型的な描き方で終わらせなかったところはよかったと思います。とにかく疎開という親たちが過ごした時代の出来事を忘れてはならないと思いました。すべては戦争の一言で、繰り返されてしまうのですから。
きなこみみ:私はなかなか入り込めなくて、読むのに苦労していたんですけど、作品世界に名作たちの本の世界が重ねられているところを読んでいるうちに、だんだんおもしろくなって、途中から夢中で読みました。イギリスの戦争の物語としては、ウェストールがすごく好きなんです。ああいう厳しさからは遠いんですが、この作品はロンドンの都会育ちの子どもたちのお話なので、雰囲気は違って当たり前かと思います。冒頭でアンナが『メアリー・ポピンズ』を読んでいて、「アンナが今、そばにいてほしいのは、となりの長いすに座っている見知らぬおばあさんたちや、ほかのお客さんではなく、メアリー・ポピンズなのだった」というところを読んで、この作者が、本の力を信用しているのが伝わってきました。本読みとして、共感するところがとても多かった。疎開先でさんざんな目にあうのは、疎開物語はどうしてもそうなりますが、恐ろしいのはネズミ狩りのシーン。ネズミを次々に殺していく、ぞっとする残酷なところで、この物語には、直接的な戦争シーンはないんですが、ここは間接的にではありますが、戦争という暴力をちゃんと書こうとしているんだなと思ったんです。戦争の直接的な描写は、子どもたちにとっては怖すぎるので、こういうふうに戦争の恐ろしさを伝える工夫がされているんだな、と。この作品は小公女の世界が重ねあわされているので、最後はセーラみたいに、幸せになれるんだなと思って読めます。中学年の子たちが、安心感をもって読める。そこを、この作者は狙ってたんじゃないのかなと。ホッとするのは、物語として正解なんだと思うのです。
そして、血がつながってなくても、心でつながっている人たちが家族になる、というところがよかったです。ミュラーさんが村八分になって疎外されるのも、夫がドイツ人だから、という「血」の違いです。そして、最初に身を寄せた家も、おばさんは血の繋がった自分の子どもたちだけ、信用するんですね。いまの、イスラエルとパレスチナのことを考えても、血の違いや、人種の違いという属性で人間に線を引くのが、どんなに残酷で恐ろしいことを招くかがわかります。その属性を乗り越えるのが、「本」といいうものを通じて、というところが素敵です。「血」を信じている人たちと、ミュラーさんと3人の子どもたちのように、本と心でつながっている人たちの陣営、本を通じた世界へ子どもたちを招待する。そういう意味で素敵な作品だなと思います。
ANNE:物語はとてもおもしろく読ませていただきましたが、戦時中のエピソードとはいえネズミ退治の場面が苦しかったです。ミュラーさんのドイツ人の夫が音信不通になってしまった理由は書かれていませんが、きっと辛い状況があったのでしょうね。3人の子どもたちが幸せな結末を迎えることができて、ホッとしました。ミュラーさんが司書でよかった! 図書館は子どもたちに宝物をあげることができますね。
しじみ71個分:2時間くらいでサクサクと読めまして、とてもうまい物語だと思いました。図書館が背景に出てくる物語は、素晴らしい司書さんが登場することが多く、多少こそばゆいのですが、この物語のミュラーさんもとても魅力的な司書だと思います。また、ウィリアム、エドマンド、アンナのそれぞれのキャラクターが生き生きと、個性的に書き分けられていたところも魅力の一つで、ウィリアムが、厳しい疎開生活の中で弟妹の世話をするヤングケアラーとして苦労する姿にも共感できました。図書館の司書と、本が大好きな子どもたちが、心を通い合わせて、最後はハッピーエンドで家族になるという温かな展開にも安心感と安定感があります。
ただ、気になったのは、この子たちが遺産を持っているのを隠して、家族探しをしていた点です。もちろん、疎開が一番の目的ではありましたが、後見人が見つかりさえすれば遺産で不自由なく暮らせるというところに違和感を覚えました。この設定はどうしても必要だったのでしょうか。また、受入れ先の肉屋夫妻、寡婦のグリフィスさんの世帯では本を読む環境にはなく、本を読む、読めるというのは階級の問題かと思われたのも引っかかった点です。読書できるというのは、何かしらが恵まれているのかもしれないなと感じてしまいました。本や物語が辛いときにも心の支えになるというのは素晴らしいことで、それを推進する立場に私もあると思っていますが、物語を心の支えにできない人たちは苦しいままなんだろうかと、グリフィス家の描写を見て感じました。自分でもひねくれた読み方とは思いますが……。アンナが本を読んで、グリフィスさんの子どもたちがそれに聞き入る瞬間があったにも関わらず、結局本の価値がわからない子どもたちが本をビリビリに破ってしまいますが、そこに読める人と読めない人の間にギャップがあって、グリフィス一家が、本を読む教養がない人たちに見えてしまうのが悲しかったのかもしれません。
また、畑を荒らすネズミを駆除する仕事にウィリアムとエドマンドが出かけ、弟に辛い思いをさせないように、ウィリアムが頑張って2匹仕留めるという描写がありましたが、本当に困っている世帯は、どんなに嫌でも気持ちに蓋をして10匹、20匹取ってこないといけない状況に置かれているわけですよね。暴力、戦争についての考察もきちんとなされている箇所はとても優れていると思ったのですが、一方、そうせざるを得ない人たちが実際に存在していることについてどうとらえればいいのかがは、物語からはよく読み取れませんでした。なんというか、困難にある人たちとのギャップを埋める希望的な要素が見つからなかったのが、引っかかりのポイントかもしれません。あと、物語の中で良い物語を紹介したい作家の意図みたいなのも感じられて、図書館リストっぽいなと、思っちゃうところもありました……。
最後は、ミュラーさんに助けられるばかりではなく、エドワードの発案で学校に畑を作り、ミュラーさんと村の人たちの和解のきっかけをつくる場面が描かれますが、大人も子どもも助け合うという点で、作家の子どもたちの力への信頼が感じられてとてもよかったです。
wind24:お話がおもしろく、私も短時間で読めました。いろいろな出来事があっても引っかかりを持たずに読みましが、3人がいつも一緒にいられるのが良かったです。おばあさんの存在がちょっと謎で、ただただ子どもが嫌いで冷たい人なのか、自分が亡き後3人で生きていくために、わざと冷たくして自立心を身に付けさせようとしているのか、文面からは読み取れませんでした。この物語では、「図書館」の果たす役割が大きいです。戦時下のささくれた子どもたちの心を本との出会いで慰めるための場所であり、本を手渡す素敵な大人(ここではミュラーさん)がいる場所でもあります。
子どもたちは居場所を転々としていきますが、最初の肉屋の夫婦は慈善的な気持ちで預かるものの、実の子たちの意地悪がまるで絵にかいたように際立っています。しかしそれを知ってか知らずか、自分の子には盲目的です。貧しいグリフィスさんはお金ほしさに3人を預かりますが、自分の子たちの面倒を見させるだけでご飯もろくに与えません。そして、大好きな図書館のミュラーさんに引き取られることになり、ようやく幸せが訪れます。それまでモノクロの世界だったのが一気に色彩あふれる豊かな生活になっていきます。その後は多分養母になってくれるミュラーさんとの幸せな生活が待っていることでしょう。
オカリナ:古き良きイギリスの物語の伝統をくむ作品で、とてもおもしろかったです。私がいいなと思ったのは、3人きょうだいそれぞれの特徴や性格がうまく書かれているところです。長男はしっかり者、次男はきかん坊、末っ子の女の子はあまったれ、という点はステレオタイプに見えますけど、それぞれもっと人間が立ち上がってくるように描かれています。また意地悪な双子がいる肉屋さんですけど、お父さんのほうはp195などを読むと、おまけをしてくれたり、声をひそめて「この前のこと、本当にすまなかったな」と言ったりするので、かなりものがわかった人のよう。そういう細かい書き方にも好感が持てました。
この作家はアメリカ人ですけど、少し古い文体で書いたのではないかと推測します。たとえばp301には「読者のなかには、くつ下なんて、ずいぶん、ぱっとしない贈り物だと思う人もいるかもしれない」という文章がありますが、こんなふうに作者が顔を出したりするのも、一昔前の作品の特徴のように思います。また日本の読者が読むと、本が好きな人たちと、本を破ってトイレの紙に使ってしまう人に分かれるように思えるかもしれませんが、先程から出ているようにイギリスなので、階級がからんでくるかと思います。ピアーズ家は中流階級に属していて、この子たちを預かってくれるフォレスターさんやグリフィスさんはもっと貧しくて、特に戦時中は生活するだけで精一杯の労働者階級なのかと思います。グリフィスさんの家庭の描写は、ディケンズの作品を思い出させます。双子の意地悪も、「お高く留まりやがって」という中流以上の子に対する気持ちの表れでもあるのでしょう。ネズミ狩りの場面は中流階級の子供にとっては目の前で行われる大きな暴力ですが、日常的にネズミに食糧を荒らされて困っている貧しい人たちにとっては、退治するかしないかは死活問題でもあるわけです。
先程、この子たちはお金があるのだから何でも買えばいいじゃないか、という意見もありましたが、おそらく管理は保護者がすることになっていて、成人するまでは勝手に使うことはできない決まりになっているのかと思います。また中流以上の人たちは、子育てを乳母や家庭教師に任せることもあり、子どもや孫に対する自然な愛情も持たないで過ごす人もいます。なので、3人のおばあさんが愛情を持っていないのも、十分ありうることでしょう。
ネズミ:オカリナさんのお話をきいて、英文学に詳しい読書好きの人には、楽しめる点ところがたくさんあるのだなと、わかりました。登場人物の性格がみなはっきりしているので、読みやすさがありましたし、装画からも、幸せな結末が予想されて、安心して読めました。好きだったのは、最後に学校で菜園をつくることになるところです。ドイツ人の夫からミュラーさんが伝授されてきたことが生かされ、子どもたちもこの土地で受け入れていかれることを象徴する出来事をうまく描いていると思いました。
エーデルワイス:心がほかほかしてくるような物語でした。作者が絶賛していたイラストレーターのジェイン・ニューランドのカバーイラストが日本語版でも使われているのですね。図書館をテーマにした良いお話です。きょうだい3人、親がいなくて生きていくのは、戦争中でも現代であっても大変なことと思います。長男ウィリアムの重責を思うと切なくなります。優しいミュラーさんに出会い幸せになりますが、ミュラーさんが長い年月どんなに孤独だったかと想像します。
私が小学校低学年の時、『赤毛のアン』『小公女』など子ども向けに意訳された本を読んでいました。ウィリアムたちは原作どおりの文を読んでいたのでしょうか? だとしたらすごい!と思いました。特に9歳のアンナが読みこなしたとは! この物語に登場する本は名作ばかりですが、現在の子どもたちは読むのでしょうか? p181で、アンナがグリフィスさんの幼い子どもたち3人に『くまのプーさん』を読んであげる場面は、本の力を大いに感じることができます。本に接することのなかった子どもたちが、アンナの声から物語を感じ取り静かに聞き入り、ウィリアムとエドマンドも物語に浸るのですから。
ルパン:評判の良い本だし、実際とてもおもしろく読みました。3人のきょうだいが逆境にあっても助け合って生きていくところがとてもいいと思いました。ただ、日本の子どもが読んでどこまで状況を理解できるのかな、とは思いました。イギリスの階級社会のことやドイツを敵視する感情などが分からないと、どうしてミュラーさんの家に落ち着くまでにこんなに遠回りしなければならないんだろう、と不思議に思うかもしれません。
ハル:子どもの頃に読んだクラシカルな物語のような、ハラハラドキドキ感もあって、引き込まれて読みました。欲を言えば、急に視点が変わったり、人物の立ち位置が変わった?というところもあったり、ちょっとしたつまずきはありましたし、ミュラーさんの家は自給自足ができるように工夫されていたとはいえ、あまりにも素敵な暮らしで、少し出来過ぎな感じはしました。また、ミュラーさんの夫は、どうして手紙を返してくれなくなったのかも、はっきりとはしません。戦争でそれどころではなくなっただけなのか、何か意志があってのことなのか、気になりますが、ある意味リアルというか、実際、たとえ戦争がなくても、気持ちや時間のすれ違いって、そういうものだろうとも思います。とにかく、お兄ちゃんのウィリアムが健気で、ネズミ狩りの場面なんてほんとに泣けてしまいます。日本の子ども読者たちに、この子たちの健気さを読んでほしいという気持ちはないですが、物語を読みたくなる本、という意味で、ぜひこの本を読んでほしいなぁと思いました。
アカシア:エーデルワイスさんが、この子たちはダイジェスト版ではなく原作をそのまま読んでいるのかと疑問に思われていましたが、原作を読んでいると思います。日本でも私が子どものころは、小学館とか講談社から少年少女世界文学全集が出ていて、小さい活字のうえに2段組になっていてページ数も多かった。それを考えると、日本の子どもも今よりずっと多くの活字を読んでいたかもしれません。
(2023年10月の「子どもの本で言いたい放題」より)