岡田淳/作 はたこうしろう /挿絵
偕成社
2016
版元語録:小学校にはかならず魔女か魔法使いが住んでいる! どんな魔女かって? それは読んでのお楽しみです。短編連作の名手、岡田淳が送るちょっとおしゃれな魔法の話。ほぼ毎ページにはたこうしろうさんが、絵を描いています。
よもぎ:今回取りあげる本が発表されたときに、「いまさら岡田淳さんの作品?」とか「いい本に決まってるのに、どうして?」という声もあったかと思いますが(笑)、やっぱり読んでよかったと思いました。特に素晴らしいと思った点を2つあげると、ひとつは学校が舞台の物語ですが、教室とか運動場のように広い場所だけでなく、踊り場とか、校庭の端にある茂みとか、隅っこにある小さな場所にスポットを当てているところです。はるか昔、小学校の図工の時間に、先生に「学校のなかの、誰も見ないような場所の絵を描きなさい」といわれて、みんな目を輝かせて階段の下とか、校舎の裏とかを探しまわったことを思いだしました。子どもって、そういう場所が好きですよね。その先生、このあいだ亡くなった、画家の堀越千秋さんのお父さんなのですが、その堀越先生も岡田淳さんも、子どもの心を良くわかっているなと思いました。もうひとつは「はずかしがりやの魔女」にあるように、この年齢の子どもが感じとれる抒情を見事に書いているところです。涙線をくすぐる感傷ではなくって……。最近、児童書に携わりたいと思っている若い人たちの話を聞くと、とかく絵本とYAにばかり興味が向いているような気がしてならないのですが、児童書の核になるのは、やはりこういった小学生向けの読み物だと思うんですよね。
ネズミ:今日みんなで話し合う3冊の中ではこれが一番すっとなじみました。小学校中学年くらいの子どもにわかりやすい、美しい言葉で書かれていて、安心して読める本だと思います。大きな話の中に、いくつものエピソードが入っているというつくりは、岡田さんの『ふしぎの時間割』(偕成社)と似ていますね(『放課後の時間割』か、どちらかと、やや議論あり)。ただ、1つ1つのエピソードは前作のほうが印象的だった気がします。もしも岡田さんの作品を1つも読んでいない子どもに薦めるなら、『ふしぎ〜』のほうかな。でも、こういうテーマを好きな子にはこの本もいいですね。
西山:児童文学の王道のプロの書き手だなあと改めて思いました。時々岡田さんがとる入れ子の構成はちょっとどうなのか、回想によって生じる感傷は今おっしゃった抒情とは違って、子ども読者にとって必要なのかどうかと、思います。くすっとしたり、おもしろかったところはたくさんあります。ちょっと挙げれば、「タワシの魔女」のぼんやり好き(p103)、「しおりの魔法使い」の「探検家になりたい」「なればいいではないか。」というやりとり(p134)とか好みです。1カ所だけあれ?と思ったのは、126ページの虫眼鏡を取り出して手帳の細かい字を見るところ。はたこうしろうさんの絵ではっきり描かれているように、体の小さな魔法使いが、彼からすれば巨大な手帳を見ているのだから、虫眼鏡はいりませんよね。ま、小さなことですが。
マリンゴ: 岡田淳さんの作品はすばらしいと思っています。児童書に携わるようになってから読み始めました。もし児童書と関わってなければ、岡田さんを読むことがなかったのだと思うと、なんだか怖ろしい気がします。この作品もよかったです。魔女の語るお話がことごとくおもしろくて、満足度が高かったです。敢えて言えば、40ページに「もっとクロツグミのことをよくみておけばよかった」と書いてあるのが伏線だと思って、次の章でクロツグミばかりみる展開になるのかな?と期待していたらそうでもなくって。それが、わずかに肩透かしでした(笑)
げた:この魔女はさし絵では若く描いてあるんで、お姉さんに見えちゃうんだけどな。定年退職した魔女という設定なんでしょ?
ピラカンサ:定年退職したといっても、そこは魔女だから、年の取り方が普通の人間とは違うんじゃない。
げた:そうか、なるほどね。まあ、そんな魔女が突然現れて、小学校の日常の時空に入り込み、魔女ばなしを20年前のぼくに聞かせたってわけですね。一読した時はそんなにおもしろいとは思わなかったんだけど、2回目読んだら、まず、踊り場の魔女では、踊り場を通った人全員が踊りだす。45分間踊りっぱなしで、終わったら、拍手が起こったなんて、とっても素敵な風景じゃない? はずかしがりやの魔女とシュウのはなしも、かわいくって好きだな。タワシの魔女もよかった。タワシが、タワシが・・・にも笑ってしまいました。ためになる本じゃないんですけど(笑い)楽しくなれる本ですね。
ピラカンサ:岡田さんの連作短編集は定評があり、傑作もたくさんあるので、それと比べてこれが特におもしろいということはなかったのですが、安心して読めます。どうしてこの魔女が話をしたかったのかという理由も最後に説明されていて、おもしろかった。はたさんの絵もすてきです。私がちょっと引っかかったのはp109のリミコのシーンなのですが、確かにこの子は嫌な子ではあるんだけど、こういう書き方だと子どもにさらに同調圧力をかけてしまうのでは? 「目立つな」というメッセージにも読めてしまいます。それと、「ぼく」がチヨジョさんという魔女に会ってびっくりするという外枠の中に、さまざまな学年の子が魔女や魔法使いに会ってまたびっくりするというお話が入っています。そのイメージがダブってしまうので、ちょっと残念な気がしました。
あさひ:今日の3冊のうち、一番おもしろく、読みやすかったです。はたこうしろうの絵は元から好きで、この本もいいなと思ったのですが、魔女のチヨジョさんだけは、お話を読んでイメージした印象とずいぶん異なりました。もう少し年配の女性かと思っていましたが、絵はとても若く、現役で活躍している魔女のように見えました。特徴として書かれている青いアイシャドウも、カラーイラストで見られなかったので、あれ?と思いました。ストーリーでは、「はずかしがりやの魔女」がとてもよかったです。さりげなく子どもに寄り添った内容で、読んだ子どもも、うれしい、いい気持ちになるのではと思います。一方、「たわしの魔女」の内容は、ピンとこないところがありました。それから、ラストのストーリテリングの先生をなぜあんなに意地悪な人にしたのか、と少し不思議に思いました。
ノンノン:このところ絵本ばかり読んできたので、久しぶりに児童書を読みました。岡田淳さんの作品、なつかしいです。子どもの頃に『放課後の時間割』を読んで、ものすごく引き込まれたのを思い出しました。岡田さんの作品は求心力がありますよね。大人になってを図書館で見つけて再読したのですが、やっぱり引き込まれました。対して、この作品は、『放課後の時間割』に比べて軽い印象でした。さくさく読めるというか。『放課後の時間割』は、子どもの心が描かれていて、それがぐっと引き込まれるポイントだと思うんですが、『きかせたがりの魔女』は感情移入できる部分が弱いのかも。『放課後の〜』に比べて、もっと低年齢を対象にしてるんでしょうか? その割に厚いように思いますが。この厚さなら、もう少し書き込めるんじゃないかな…? 章ごとに子どもが抱える問題が取り上げられていますが、それを1つ1つもう少し掘り下げるとか。でも、さらっと書かれているので、さらっと読むのにいいかなと思いました。
アンヌ:実は、岡田淳さんの作品は、処女作の『わすれものの森』(BL出版)しか読んだことがなくて、あの作品にみられる破天荒さがないのが残念でした。それぞれの物語は魅力的だと思うし、特に「はずかしがりやの魔女」は、とても詩的で好きです。ただ、魔女がストーリーテリングをしたかったからという種明かしのような話や、30代の僕が聞いた話という設定でつじつまを合わせる必要はなかったような気がします。
ネズミ:書き込み方ということに関してですが、今の本は昔の本より全体的に書き込みが少ないというのはあるかもしれません。でも小学校中学年くらいのグレードの本だと、あまり書き込みすぎても子どもがついてこられないから、ほどほどが大切な気がします。同じ岡田さんでも『二分間の冒険』は、もう少し上のグレードだからもっと複雑になっています。この書き方は対象年齢ゆえではないでしょうか。
レジーナ:岡田さんは安心して読める作家ですね。強く心に残る本ではないので、岡田さんの著作全体で見ると傑作ではないのかもしれませんが……。ひとつひとつの章がおもしろく、さっと読めるので、朝読書の時間に読むといいのでは。
くまざさ(メール参加):いきなりですが、どうして「魔女」をいま描くのか、という点が気になりつつ、今回の課題図書を読んでいました。中世の「魔女狩り」を持ち出すまでもなく、「魔女」という存在の造形の根底には、社会や規範から逸脱してしまった女性への蔑視がふくまれていると思います。ジャンヌ・ダルクが「魔女」と呼ばれたように、いったんあいつは魔女だと決めつけられてしまえば、人は平気で石を投げつけても火炙りにされてもいい存在に落とされてしまいました。それはまた終わったことではなく、いまでもたとえばタンザニアでは「魔女狩り」という理由で、女性が殺されるという事件が起きています。私は、魔女というキャラクターは、そうした蔑視の目線を最初からふくんで成立してきたものだと思います。「恐ろしいもの」や「異端」を排除しようとする民衆のヒステリーと、社会への不満のはけ口としてそれを利用してきた体制があったということも抜きにはできません。魔女という古びたモチーフを、敢えて今使うのであれば、魔女とは何なのか、現代社会においてそれはどういう存在なのか、歴史的背景もふまえた上で、再検討する必要があると私は思います。『きかせたがりやの魔女』では、そういったことが考察されているとはとても思えません。なんとなく流通しているイメージを無自覚になぞっているだけです。私はこれを「楽をしている」と思います。ここに出てくるのは、「不思議なことを起こせる便利な存在」であって、おばけでも精霊でも妖怪でもいいはずです。ならなぜ敢えて魔女を選ぶのか。たんに「不思議でおもしろい、ちょっと怖い」みたいなイメージを再生産しつづけるのは、少なくとも21世紀を生きる作家の仕事ではないはずです。内容についてちょっとだけ触れると、最後にストーリーテリングの話が出てくるのは謎でした。ストーリーテリングなんてそんな用語、児童書の関係者にしか通じない言葉です。何が言いたいのでしょうか。
(2016年12月の言いたい放題)