『レイン〜雨を抱きしめて』
原題:RAIN REIGN by Ann M. Martin, 2014
アン・M・マーティン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2016.10

版元語録:アスペルガー症候群の少女ローズにとって、愛犬レインは心の支え。ところが、巨大ハリケーンが来た日、レインは行方不明に…。

:アスペルガー症候群や高機能自閉症が重要なモチーフになっているので、いわゆる「問題」でひっぱっちゃう話かと思い、最初はちょっと入りにくかったのですが、『空飛ぶリスとひねくれ屋のフローラ』(ケイト・ディカミロ著 斎藤倫子訳 徳間書店)よりはるかにおもしろかったです。ローズは、同音異義語と数字に長けていますが、それが感情表現に結びついていくあたりはとてもリアルでした。友だちができるのがいいですね。ローズの「ことば」を受け入れて、せっかちにならない。それがていねいに描かれています。結果的に、お父さんがローズを手放すことが愛情になるのが切ないですね。お父さんの気持ちを考えちゃう。背景はくどくど書かれていないのですが、いろいろ想像してしまいました。

マリンゴ: 非常によかったです。今回読んだ3冊のなかでは、いちばん好きでした。ただ、章タイトルがネタバレになってしまっているのが、いかがなものかと気になりました。たとえば、p134の「悲しすぎる話」、p152の「うれしい知らせ」、p169の「つらい決断」など。ストーリーは、大人が読むと心地よい苦さを感じますが、子ども時代の私だったら、もう少し甘いエンディングがいいなと考えただろうと思います。たとえば、ヘンダーソン家は避難所生活でしばらく犬が飼えないから、月に1度、ローズのところに会いに来ることを取りきめる、とか。

西山:とてもよかった。犬を手放すのはつらいのに、ルールに従わなきゃいけないから返す。そういう融通が効かないところが、幾重にも悲しいけど、腑に落ちました。レインを手放す辛さから、自分と別れる決心をした父親の気持ちに理解の窓が開くという展開も、とても胸にしみました。最近『ぼくと世界の方程式』(モーガン・マシューズ監督 2014)という映画を観ました。自閉症スペクトラムの少年が主人公で数学オリンピックを目指すという話で、母親像とか、とてもよかった。あと、やはり同じ症状を抱えた主人公の作品として思い出すのが『夜中に犬におこった奇妙な事件』(マーク・ハッドン著 小尾芙佐訳 早川書房)ですが、『レイン』は同様の症状の主人公が女の子で、私はそういう作品は初めてだった気がしました。知らないだけなのか、実際発症に性差があるのか・・・・・・作品と直接関わる事ではありませんが、何かご存じだったら教えてください。

しじみ71個分:非常におもしろく、切ない気持ちで読みました。高機能自閉症、アスペルガーの人たちについての理解が深まる作品だと思います。ルーティンでない事態に出遭うとパニックを起こしやすい、こだわりが強い、感覚が過敏であるなど、様子が具体的にていねいに書かれていて、こういった障碍を理解する上でとても有効だと思います。お父さんも主人公の子をどう扱っていいかわからないとか、主人公のこだわりの様子を友達がからかってしまったり、学校の先生も理解できなかったりなど、周囲が理解できなかったり、受容に苦労したりする様子もきちんと描かれていて素晴らしいと思いました。犬のレインがこの作品でもキーになっていて、レインが主人公についてきて教室に入ってくるシーンから、友だちとの関係が少しずつ改善していったり、いなくなったレインを探すことで主人公が成長したりしている。ストーリーの悲しい優しさが身にしみました。父親の弟であるおじさんが主人公のよき理解者であり、そのおじさんがいなかったら非常に辛い物語になるところでした。彼が、主人公に「今どういう気持ち?」と確認するなど、感情のコントロールができないとか、人の気持ちを読みにくいというアスペルガーの人の特徴をよく表わしながら、受容の仕方を示してくれているのもとても良かった。人との距離感をつかむことや、感情がコントロールすることが苦手な父親が愛するゆえに娘を置いていくという最後は悲しく、苦いけれど、感動して読みました。

ネズミ:私も、とてもおもしろく読みました。ほとんどの読者はローズとは違う感じ方で生きていると思うけれど、これを読むと、こんなふうに感じる子もいるんだなとわかってきます。犬がとてもうまく使ってあるなとも思いました。犬がいるからこそ、日本の子どもも親近感を持ってお話にひきつけられるだろうなと。表紙も手にとりやすそう。お父さんの描き方もよかったです。p199からp200にかけての、お父さんがなぐるまいとしながらこぶしを震わす部分が胸にせまってきました。ローズの目線で書きながら、お父さんの人となりがよく伝わってきてうまいなと思いました。

レジーナ:2年くらい前に原書を読んで、とてもいいと思った作品です。人を愛すること、愛ゆえに手放すところは、ルーマー・ゴッデンの『ねずみ女房』(石井桃子訳 福音館書店)に通じますね。原書では、ところどころ同音異義語が併記されていたり、同音異義語についてえんえんと説明している章があったりするのですが、そこはカットして、日本語版として読みやすい形に工夫されています。だけど副題の「雨を抱きしめて」は作品に合ってないのでは。

カピバラ:帯の「心の中が痛い。これがさびしい気持ちなの?」というのもいただけないですね。

コアラ:読みながらいろんなことを考えました。ローズと父親との関わりで言えば、p219に父親の言葉がありますが、そこに至るまでのいろいろなことを思いました。愛情を持ってローズを育てたいのに、どうしてもそうならない、いらだちとか、楽しい日常でなく、父親としてほとんど何もしてやれていない、という負い目もあったんじゃないでしょうか。p198には、お互いの思いが相手に受け取られていない、気持ちの交流ができない、つらい会話があります。p25に、父親とローズの、うまくいっていない会話がありますが、p34からはウェルドンおじさんとローズの会話があって、ウェルドンおじさんみたいな会話をすればうまくいくのかな、と思いました。ただ、これはフィクションなので、現実だとアスペルガーの子との会話はこんなにうまくいかないんじゃないかと思います。p133に、「わたしたち3人の名前の数を合計して、レインの名前の数を引いたら177で、素数じゃないって知ってた?」というローズの言葉があって、つまり、レインがいなくなって良くない未来になるということを素数じゃないということで言い表していて、作者がそこまで考えて名前を設定したのもすごいと思ったし、素数に意味がありそうな気がしてきて、宇宙の真理に触れたようなぞくっとするような気がしました。そして、ローズが「素数じゃないの」と断定する言い方をせず、誰かから返事をもらいたいという言い方をしていることで、素数じゃないという発見とレインがいない未来に、ローズ自身がたじろいでいるように感じました。

ルパン:おもしろく読みました。いちばん好きな場面は、p192〜193。友だちが「同音異義語を思いついた!」と言ったとき、ローズが「前から知っていた」と言わなかったところ。アスペルガーで空気が読めないはずのローズが、友だちの気もちに寄り添った瞬間。ローズが同音異義語が好きになったのは、自分の名前がローズだからでしょうか。亡くなったお母さんがつけた名前なのかもしれませんね。

アンヌ:ローズの方から見る世界が描かれていて、見事な作品だと思い、とてもおもしろく読みました。学校の先生も介助員も、ローズの立場に立つより、他の人の迷惑にならないように排除する立場をとっています。ローズは、お父さんにびくびくしながら育っていて、その孤独が身にしみました。お父さんは、自分の怒りでローズを支配しているし、特別支援クラスに行かせようとしない。もっと早く、援助を求めてくれればいいのにと思いました。特に、ローズのママの死を隠して、自分たちを捨てて行ったと教えていたことは、ひどいと思います。それでも、ローズはどんどん成長していって、他の人の心の中を想像できるようになっていく。自分なりのやり方でレインを見つけたりする能力もある。でも、お父さんは成長せず、お酒におぼれるまま。出て行ってくれてよかったと思ってしまいました。

ネズミ:ミセス・ライブラーはわかっているんじゃないかしら。外に連れ出したりしてますよね。

:お父さんにもアスペルガーの要素があるとしたら、もしかして、小さいときからずっと一緒だったおじさんは、扱いに慣れていたのかもしれませんね。ちょっと深読みかもしれませんが。

カピバラ:いちばんいいと思ったのは、高機能自閉症とはどういうものかを、ほかの人からみた様子ではなく、ローズ本人の感じ方をていねいに描くという手法で伝えているところです。名前のスペルを数字に置き換えたり、素数かどうかを常に気にしたり、時間は何時何分まで正確に言ったり、といったことが繰り返されるうちに、読者は自然にローズの考え方や感じ方に慣れ、おもしろくなってくるんですね。まわりにはローズを持て余している大人も登場するけれど、読者はローズの感じ方を体感して理解できるようになる。とてもいいやり方だと思いました。先生とは違って、生徒たちはもっと子どもらしい興味をもってローズに近づくところもよかったです。レインが来たことで打ち解けて、同音異義語を見つけようとしてくれたり、子どもなりに仲よくなっていくんですよね。それからお父さんとおじさんは全く違う性格のように見えるけれど、家庭の辛い事情をたった2人で乗り越えてきたので、きっとものすごく絆が強いんだと思います。似ているけど、陰と陽のように異なる現れ方をしているのでしょう。本当はお互いをいちばんよくわかりあっている兄弟なのだと思います。会話だけで、そのあたりのいろんなことが感じられて、うまいと思いました。レインがいなくなったとき、ローズはひとつひとつよく考えて、対処の仕方をリストにし、たったひとりで実行しようとします。つらい結果になったけれども、自分で選んで決断し、それを受け入れようとする。だからかわいそうな感じで終わらず、すがすがしさが残るところがよかったです。p44〜45に、ローズが教室で、魚の数え方は4匹が正しく、4つは間違いだと言い張る場面がありますが、英語では数え方は同じですよね……どうなっているか原書で見てみると……数え方ではなく、Iとmeの違いを指摘するということになっています。訳文は日本の読者にわかりやすいように工夫されているんですね。

ハリネズミ:登場人物の心理がうまく描けていますね。ローズの特異性がなかなか理解できず、愛してはいても不器用な対応しかできない父親の切なさも表現されています。低学年の子どもが読むと、父親の心理までは伝わらないかもしれないけど、少し年齢が高くなると、この父親は愛してはいても不器用なんだな、ということが伝わってくると思います。父親がローズに対してどなったり嘘をついたりする場面もあってはらはらさせられますが、ローズと別れる場面では、p224には[「さあ、行け」パパはそう行ってから、ほんの一瞬、わたしを抱きしめた。もうずいぶん前から、抱きしめられたことなんてなかった。ほほがふれたとき、パパのほほがぬれているのを感じた。パパはすぐに体を離して前を向いた。あごがぶるぶるふるえている。]とあり、最後でも弟のウェルドンにこう言わせています。「きみのパパはいつも正しかったわけじゃないけど、いつだってきみのことを大事に思ってたんだよ」「たぶん、ローズはぼくと暮らすほうが幸せだと思ったんだろうな」(p228)。ローズが同音異義語やルールにこだわる場面は、それでまわりがうんざりする気持ちと、それでもこだわらずにいられないローズの気持ちが、両方わかるように書かれていますね。レインを元の持ち主に返そうとするところも、ローズのルールにこだわる性格と相まって、自然な流れで読めます。自信のない父親が「せっかくプレゼントした犬を返しちまった」(p218)と恨む気持ちもわかります。視点が一つに偏っていないのがいいですね。孤独な子どもに犬が寄り添ってくれるという場面も目にうかびますし、その犬を一所懸命探そうとするのもよくわかります。でも、みつかったところでハッピーエンドではなく、もうひとつの展開によって、ローズはただの弱い存在じゃないところが前面に出てくる。かわいそう目線がないのがいいですね。 サブタイトルは私も安易な気がします。

ルパン:本来は漢数字で書くべきところがすべて算用数字で書かれていますね。ローズの頭の中に近いかたちにしようという工夫でしょうか。

ネズミ:素数を読み上げるところは、算用数字のほうがピンときますよね。

コアラ:「一歩」が、「少し、ちょっと」というような慣用的な使い方の場合は漢数字で、「1歩、2歩」と数えられるときは算用数字、というルールで編集段階で統一したのかもしれませんね。

ハリネズミでも、英語の小説だと普通は算用数字ではなくone, twoなどという表記が多いように思います。この作品の原著はどんなふうに書かれているのでしょうね。

さららん:ローズは、自分の論理で動く子どもです。だから犬を返すために、動きはじめたことは、思いやりというより、自分のものでないものを持っていてはいけないという、杓子定規的な、正にローズの論理そのものなのでしょう。でもそのあと、ハリケーンにやられたヘンドリックスさん一家をローズが見つけだす。ハリケーンで何もかも失った一家の子どもたちにとっては、犬が返ってきてどんなにうれしいだろうかとローズが想像する部分で、ローズが大きく成長したのを感じました。

エーデルワイス(メール参加):高機能自閉症を扱い、同音異義語に拘る主人公が興味深かったです。日本語だったらと言葉をあれこれ考えていました。思いつめた時、素数を数える時、ローズは自分の頭をたたきます。心の声が伝わり、たまらない気持ちになりました。父親は愛情を素直に表せない不器用な人なんですね。最愛の犬のレインを元の家族に返すまでの行動はなかなか緻密です。『マルセロ・イン・ザ・ワールド』(フランシスコ・X.ストーク著 千葉茂樹訳 岩波書店)を同時に読んでいたのですが、多様な人間の存在が認知されてきているのだと確認できました。100%ORANGEの表紙装丁が好きです。

(2017年2月の言いたい放題)