日付 2002年9月26日
参加者 アカシア、アサギ、羊、ねむりねずみ、きょん、カーコ
テーマ 少女たちの友情

読んだ本:

『ブルーイッシュ』
原題:BLUISH by Virginia Hamilton,1999
ヴァージニア・ハミルトン/作 片岡しのぶ/訳
あすなろ書房
2002

版元語録:自由な教育方針の学校に転入してきたばかりのドリーニー。学校の雰囲気には戸惑っちゃうし、友達と呼べるのはまだテュリだけだけど、1人、気になる女の子が…。ニューヨークに生きる女の子達のシンプルな友情の物語。
『トラベリングパンツ』
原題:THE SISTERHOOD OF THE TRAVELING PANTS by Ann Brashares, 2001
アン・ブラッシェアーズ/作 大嶌双恵/訳
理論社
2002

版元語録:仲良し4人組の少女たちが16歳を目前に初めて別々にすごす夏休み。一本のジーンズが4人の間を「旅して」まわる。誰がはいてもぴったりフィットする不思議なジーンズをめぐる、温かくも哀しい4つのラブストーリー。
『樹上のゆりかご』
荻原規子/作
理論社
2002

版元語録:元男子校としての気風が色濃く残る都立辰川高校に入学した上田ヒロミは、女子を疎外する居心地の悪さを学校生活の中で感じるようになっていた。そんな折り、合唱コンクールで指揮をした美しい女生徒の出現をきっかけに、校内で次々と事件が起きだし……。青春の残酷さと、伸びやかさを描く学園小説。


ブルーイッシュ

『ブルーイッシュ』
原題:BLUISH by Virginia Hamilton,1999
ヴァージニア・ハミルトン/作 片岡しのぶ/訳
あすなろ書房
2002

版元語録:自由な教育方針の学校に転入してきたばかりのドリーニー。学校の雰囲気には戸惑っちゃうし、友達と呼べるのはまだテュリだけだけど、1人、気になる女の子が…。ニューヨークに生きる女の子達のシンプルな友情の物語。

ねむりねずみ:いい本でしたね。絵も含めて、かわいらしい感じ。ブルーイッシュという言葉がキーになってますよね。ドリーニーが青いからブルーイッシュなんだ、という場面があって、そのあとお母さんのせりふで「ブラックとジューイッシュを合わせた言葉」がというのがわかるという順番に、ちょっとだまされたような気がした。そんなに読みごたえがあるとか、感心してしまうというほどの本ではないけれど、主人公の女の子がかわいくて、何かやりたいけれど、戸惑ったりもするところが、いかにもその年頃。全体にこじんまりしたイメージだったけど。あと、いろんな子が出てくるじゃないですか。いろいろな民族の人がいて、多様ななかで育っていく感じがアメリカだな、ニューヨークだな、いいな、と感じました。
最後の終わり方も、いろいろ書いたノートを本人にあげるのが、ほんわかしていい。場面としてはみんなで帽子をかぶるところが一番よかった。似合わないと思う子もいたりするんだけれど、みんないっせいに帽子をぱっとかぶるとお花畑のようにはなやぐというのがいい。

きょん:まず文体があまり自分としては好きになれなかった。多民族の世界があって、自分の生い立ちや背景があって作られた話だろうと思うのだけれど、それが淡々と語られていて、すべてを言いきれていない感じがした。よかったのは、最後、帽子をかぶるところだけ。なんか物足りなかった。

アカシア:私は一番最初に原書の表紙を見て、読んでみたいと思った本です。アメリカ版の表紙絵はディロン夫妻が書いていて、3人の肌の色の違う女の子が、みんな帽子をかぶっている。この話は3人の肌の色の違いが一つの意味をもってるんじゃないかしら。日本版にもこの絵を使ってほしかった。日本語版の絵も絵としてはいいと思うけど、物語としての意味を考えると原著の表紙のほうがいい。ブルーイッシュという、ブラック(黒人)とジューイッシュ(ユダヤ人)の混血っていう、それ自体が差別的な言葉を敢えて使ってますけど、それを超えたところに成立する人間の関係が、日本語版の表紙だと見えてこないのが、残念。

きょん:そう、私が物足りなかったのは、そういうテーマ性が埋もれてしまっているところ。

カーコ:好きなお話でした。ハミルトンは『雪あらしの町』(掛川恭子/訳、岩波書店)しか読んだことがないのだけれど、あれも肌の色や路上生活者をめぐる問題がでてきたから、人種やそういった社会のマージンにいる人々の問題をこの作家は追いかけているのかなと思って読みました。でも、日本の読者には、こういうユダヤ人に対する微妙な感情は推測できなくて、わからないかもしれませんね。この主人公って11歳ですよね。だけど、文章を読むと主人公たちがもっとおとなっぽい感じがしました。なのに、この表紙のイラスト。私には文章とイラストのイメージがしっくりきませんでした。特にヒスパニックのトゥリなんて違うかなって。装丁が大人っぽいのは、本としては大人向けに作ってあるから?

何人か:子ども向けでしょう?

カーコ:文章でもう一つ気がついたのは、三人称だけどすごく一人称っぽいですよね。ときどき混乱してしまった。地の文の中に、主人公の思ったことが、いきなり入ってくるところが多くて。

アサギ:このごろそんな書き方は多いわよ。視点を変えていくっていうのかしら。そんなに新しい手法っていうのでもないけど、最近多いみたい。

:どんな作品も好きになろうと思って読む努力をしているんですけど、今回の本の中ではこの作品がいちばん印象がうすかった。すっと読んじゃうと、ただ病気の子と、最後友情で仲良くなりましたというだけになってしまいそう。翻訳ものを大人になって読むと、子どもの生活を描きながら、むこうの生活がほの見えてきますよね。たとえば、アパートの入り口のドアにも鍵があって、ドアマンのおじさんがそれをあけてくれて、子どもが一人でアパートの外に出ると父親がとても心配するような環境があるとか、ドリーニーたちは、学区で区切られているんじゃなくて、こんなふうな自由な学校に通えるんだなとか、そういう場所があるのを知るのっておもしろいですね。あと、やっぱり表紙のこと。こないだみなさんがのれなかった『ハルーンとお話の海』も原書と表紙を変えていて、原書の表紙のほうがずっとよかったというのがありましたが、これもそうでしょうか。プルマンの作品もそうだけど、宗教が身近にある人だとすっと読めるのでしょうか。このお話のように多民族や宗教が混じった中で暮らしている子どもなら、ずっと違和感がなく読めるのでは。

アサギ:そう、日本の子どもにとって宗教は大きな壁ね。

:宗教がテーマになってくると難しくて、脳天気に読めないですよね。


トラベリングパンツ

『トラベリングパンツ』
原題:THE SISTERHOOD OF THE TRAVELING PANTS by Ann Brashares, 2001
アン・ブラッシェアーズ/作 大嶌双恵/訳
理論社
2002

版元語録:仲良し4人組の少女たちが16歳を目前に初めて別々にすごす夏休み。一本のジーンズが4人の間を「旅して」まわる。誰がはいてもぴったりフィットする不思議なジーンズをめぐる、温かくも哀しい4つのラブストーリー。

アサギ:これは結構おもしろく読んだんですけど、19カ国に訳されていると聞くと、逆にそれほどかな、と思った。

アカシア:映画化の話があって、あちこちで翻訳されたのかも。

アサギ:思いつきというか、アイデアがいいというか、次々といろんな話が出てきて、人間の書き分けもできているけど、先が読めてしまうところがある。たとえば、ティビーとベイリー。知り合ったところで、敵対してつっぱねるけど、嫌い嫌いと言いながらきっとあとでお友達になるパターンなんだろうなと思ったし、カルメンがお父さんに会いに行くところも、きっとお父さんには新しい女の人がいるなと思ったら、そのとおり。それとレーナとコストスの出会いもやっぱりで、予定調和というか、意外性がなくて物足りなかった。お手軽なストーリー展開だれど、それでも飽きずに読めたというのは、作品として感じがいいってことなのかしら。構成力もすぐれてますよね。母親同士は友情がうすれていくけれど、娘たちは魔法のパンツで結ばれている、だれがはいてもぴったりはけてしまうパンツ。

ねむりねずみ:3冊の中では一番すらすらと読めた。いきのいい女の子が4人出てきてて明るい。最初のところで、ジーンズをはいたらみんなにぴったりきちゃうというのが、「これは物語なんですよ、フィクションの世界なんですよ」という約束ごとのようで、仕掛けとしてうまいなと思った。誓いの言葉をいうところも、いかにもこの年頃の子が好きそうだし。4人がそれぞれいろんな問題を持ち、それぞれ違ったキャラクターで、そのあいだをジーンズがつなぎながら夏休みが展開していく。ころころ変わっていくのを、「ふんふんふん。なるほど、なるほど、おもしろいねえ」と読み進んだ。
確かに予定調和的な話だけど、後ろのほうになってくると、ティビーが友達の死という喪失を受け入れる場面が強く印象に残りました。ビデオで映画を作るというのもおもしろい。なにしろおもしろさですらすら読めちゃった。よくできてるな、カルメンが自分の内面をお父さんにやっとぶちまけるとか、ティビーが喪失をうけいれたりするところも、ちゃんとうまくできているな、よかったよかったと読み終わった。最後のところで、レーナがブリジッドを心配してとんでいくんだけど、ブリジッドのほうは話すことがなくなるというのも、なるほどそういうことはある、と納得。ともかく、これはこの年代の女の子のお伽噺だと思う。予定調和的な軽さだけど、同世代の子にすれば、「そうだよね。そう、そう」と入れ込んで読める。

きょん:理論社のこのタイプの本はおもしろいから、すごく期待して手に取ったんですよね。表紙もお金がかかってて。

アカシア:そうそう、透明のジーンズが印刷してあるすてきなしおりがついてるでしょ? これもお金かけてるよね。

一同:ええーっ、そんなの入ってた?

アカシア:わたしのには入ってたよ。当たり外れがあるのかな?

きょん:トラベリングパンツという名まえもいいじゃないですか。主人公の女の子みんなにぴったりする御守りみたいなパンツでしょ。でも読み始めたらつまんなくて、途中でやめてしまいました。でも、同世代の子だったら、面白く読めるのかな。コバルトブックスみたいに。アイデアも面白いし、設定も面白いから、ストーリー自体ももうちょっとわくわくさせてくれたらよかったのにな。

アカシア:私は、けっこうおもしろかった。学生なんかと本を読んでると、とにかく『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス/著 高杉一郎/訳 岩波書店)よりハリポタの方が面白いという子が多いんですからね。そういう子たちには、この手の作品も受けるだろうな、と思いました。「文学」だと思って読むと、いかにもお手軽なストーリー展開だと批判も出るけど、子どもにとっては、自分が結末を想像できるっていうのも読書の楽しみの一つなんじゃない? 文学っていうことを考えると、たとえば一つのきっかけでいろいろな子どもが物語を語っていくという設定でも、アン・ファインの『それぞれのかいだん』(灰島かり/訳 評論社)のほうがずっとよくできているとは思うけど。

ねむりねずみ:この本は作りもおしゃれだよね。題名がカタカナだし。

アカシア:前は、書名をカタカナにすると地方ではあんまり売れないよ、なんて言われたけど、今は違うのね。

きょん:ネットでみると、この本にはダーッとコメントがはいっているんですよね。同世代の子たちの書き込みがすごく多い。4人の主人公に自分を投影して読んでるなという感じ。

アサギ:でも、あの爪の長い女店員がベイリーのことを話すエピソードなんか、ベタすぎると思うけどなあ。

アカシア:イギリスで読書運動をやってるマーガレット・ミークは、「ハリーポッター」を読んだ子が次にプルマンにいくと行ってハリポタも評価してるそうですけど、一般的にいって、お手軽なエンタテイメント読書が、次には文学を読むようになるんでしょうか?

きょん:本を好きになるっていうのは、小さい頃からたくさん本を読んだりしてきた積み重ねがあってのことでしょう?

:「ハリーポッター」を読んだ子が、ほかの本にいくというのはあるみたい。

アカシア:でも、「ダレンシャン」どまりってことはないの?

カーコ:私は4人の女の子が魔法のパンツで結ばれて、バトンタッチしながら話が進んでいくという構成がおもしろいなと思いました。人物がかわるところに顔のイラストが入っていたり、手紙で次につないであったり。それに、この世代の女の子を応援しているような書き方ですよね。読んでいると、この4人のうちのだれかに親近感をおぼえたりする。私の場合は、ティビーがおもしろかった。

:本屋さんで見て、まず「わー、きれいだ」と思いました。この年頃の子は、わくわくして読むんじゃないかな。でも、小道具としてジーンズをはくっていうのが、女の子のベタベタした友情っていうのか、一部始終手紙で伝えて「友達よね」って確認するみたいなのが、個人的には受け入れにくかった。4人が親友っていうお話は少ないですよね。2人っていうのはあるけど。でも、儀式とか、それぞれに「私の気持ちよー」みたいに手紙を書くっていうところは、もういいっていう感じ。手紙の場面にくるといらいらした。

アカシア:こんなふうに友だちをつくることができる人は、文学なんか読まないかも。でも、私はそんなにベタベタした関係とも思わなかったのね。お互いの個性は認めているし、それぞれ違うし。

:でも、「はじめて夏休みをばらばらにすごすなんて」ってことは、いつも夏休みはいっしょに過ごすってこと? こういうのが私はいやだった。でもまあ、そんなふうなことを感じながらも最後まですらすらすらすらと読めた。だから、15歳くらいの子は、どの子にもなって、それぞれの持っている感じを自分の中に感じながら読めるんじゃないかなって思いました。

アカシア:予定調和的なのも、大衆路線的なおもしろさなんじゃない? 橋田寿賀子のドラマみたいに。

:これは文学じゃなくて読みものですね。子どもの本のなかにも、文学、読みものとかいろいろあっていいのではないでしょうか。


樹上のゆりかご

『樹上のゆりかご』
荻原規子/作
理論社
2002

版元語録:元男子校としての気風が色濃く残る都立辰川高校に入学した上田ヒロミは、女子を疎外する居心地の悪さを学校生活の中で感じるようになっていた。そんな折り、合唱コンクールで指揮をした美しい女生徒の出現をきっかけに、校内で次々と事件が起きだし……。青春の残酷さと、伸びやかさを描く学園小説。

アサギ:私ね、これだめだったの。半分も読めなかった。だめと思ったら、最後まで我慢して読むのは時間がもったいない。でもね、こないだも『インストール』(綿矢りさ/著、河出書房新社)っていうのを読んだんだけど、この作品が作品としてだめなのか、書いてる世界が自分の嗜好に合わないのか、どっちだろう、って思うわけ。『インストール』はひきこもりの話で、普通の高校の風景を描いているんだけど、私こういうタイプのはだめなのかも。とにかく、好きでないっていうのか。

ねむりねずみ:すあまさんが、この本を選んだとき、「私は都立高校だったからおもしろかったけど」って言ってたでしょ。私、おそらくこの高校の卒業生なので、クラス分けから、行事から、先生の名前までわかる。私自身もこの学校に入ったときに、なんだこりゃって思った覚えがあるから、この人がその感じを書きたかった気持ちはすごくわかる。これって、30年くらい前でしょ?

アサギ:設定は今よね。現実の高校生とどこまでダブるのかわからないけど。

ねむりねずみ:でも、回想ものですよね。だから、「樹上のゆりかご」っていう感じもよくわかる。

アサギ:この題名、どうなのかしら。図書館で、「じゅじょうの」っていっても、「えっ」て何度も聞き返された。

ねむりねずみ:ともかく、私は、そうそう、こうだったなあ、と「卒業生の同窓会」的に読んじゃったところがあって、あまり突き放して判断できてない。で、作者が何を書きたかったかというと、「名前のない顔のないもの」について書きたかったんだろうと思うのね。そのために、有理を登場させ、事件を起こし……。でも、無理があるんですよ。有理の登場も、木に竹をついだような妙なことになっていて。この人は今の子を描くとかそういうんじゃなくて、自分の高校時代を書きたかったんでしょうね。ミステリーとからめて。

アサギ:私も都立高校だったけど、女子が多かったから全然違う。

きょん:私も都立高校で、むかし女子校だったところだけど、学風としては立川ととても似ている。そうした実体験とは別に、私は学園ものが好きだから、これもおもしろかった。でも作者は、違和感のある「名前のない顔のないもの」を書きたかったのだろうけれど、それは失敗している。その正体を作品の中で具現化できなかったので、読者も消化不良になってしまう。でもね、3冊比べて、お話の筆力という点を考えると、私はこの本がいちばん質が高いという気がしました。今の高校生だって、こんなふうじゃないんでしょうか? 私が高校のときは、学園祭とかもりあがって、結局みんな浪人しないと大学に行けなくなってしまうっていう、そんな世界だったけど。

アカシア:私はね、荻原さんのファンタジー3部作(『空色勾玉』『白鳥異伝』『薄紅天女』)は好きなんですけど、『これは王国のかぎ』やこの作品はだめだったんです。文章がうまいとは思えないの。でも、その辺は、読者の私との相性の問題かもしれませんね。だけど、『トラベリングパンツ』と同じ読者層がこれを読めるのかしら? 荻原さんにはファンの固定層がいるから売れてはいるんでしょうけど。

きょん:違和感の正体が具現化されていたら、読めたんじゃないかな。

カーコ:作品としての質が高いというのは、私も思った。だけど、どれだけの高校生がこれをおもしろいと思って読むのかは疑問だった。確かに高校生くらいのときは背伸びをして知ったかぶりをしたがるというのもあるけど、オスカー・ワイルドのサロメときいて、「あの、ビアズレーの悪魔っぽい挿し絵のつく」なんてすぐ答えるような高校生っているかしら、って思ってしまった。それに、「名前のない顔のないもの」というのが、結局最後までよくわからなかったし、有理さんはすごく病的で、高校生がここまでするかって感じだったし。

ねむりねずみ:作者が「名前のない顔のないもの」を描ききれていないから、有理さんを登場させないといけなくなったんじゃないかな? 顔のないものが何なのかが立体的にいろんな側面から伝わってこないから、しょうがない、有理さんを出した。でも、有理さんの行動のモチベーションはあくまでも私的なものでしょう。だから無理が出ちゃう。

きょん:きっと、「名前のない顔のないもの」の正体をはっきりさせてくれれば、男社会の中の女の人とか、共感する人はもっといるんじゃないかな。

:私は地方の県立高校だったけど、この空気はとても似てるんですよね。中学まではそこそこだったのに、高校になったら、こんな順位とったことないやというような成績をとって、高校の世界からちょっと身を引いて傍観者的になっているっていう子ですよね、この子は。でも、忙しいんですね、都立高校って。こんな次から次に行事があるんですね。みなさんもおっしゃってたように、「名前のない顔のないもの」というのが、ぜんぜん前に出てこなくて、この女の子の恋愛というかストーカーみたいなので終わってしまって、なんなんだろうって思いました。パンにかみそりを入れるのも、キャンバスを燃やすのも、みんなこの女の子がやったんでしょ? でも、この女の子が壊したくてやったんですか? 最後まで、今一つ納得がいかない本でしたね。ほんとこれ、今の子じゃないよ、携帯電話とっちゃったら。私、この最初の「中村夢乃、鳴海…」って名前が並んでいるのを見ただけでもうだめ。わざとらしいっていうか。

アカシア:今はこれが普通の名前なんじゃない? もっとも私はこの作品の文章全体に違和感があるんだけど。

カーコ:でも、それってこの作家の文章がそれだけはっきりあるってことですよね。

アカシア:ここに書かれてるのって、もしかしてすごいエリート意識じゃない?

全員:そうそう。

アカシア:それも、ちょうど高校生くらいのエリート意識よね? 普通だったら思い出したも恥ずかしいようなものだけど、どうしてわざわざ書くのかな?

ねむりねずみ:それで、作者はそのエリート意識をつきはなしきれていないんじゃないかな? それにしても、自分にとってすごく思い入れのあることを書くっていうのは、難しいですね。中にいた人間の雰囲気はすごく再現されているんだけど、それで終わっちゃってる。