日付 | 2002年12月5日 |
参加者 | ペガサス、羊、ねむりねずみ、アカシア、カーコ、紙魚、きょん、愁童、ウェンディ、アサギ |
テーマ | 最近の本 |
読んだ本:
原題:MIRACLE'S BOYS by Jacqueline Woodson, 2000(アメリカ)
ジャクリーン・ウッドソン/作 さくまゆみこ/訳
理論社
2002.09
<版元語録>両親を亡くした3人の兄弟。ミラクルを母とする息子たちの長男は頭もよく2人の弟の面倒を見ている。次男は非行を繰り返し末弟のぼくと話もしなくなった。そんな3人の兄弟愛を描く。
石井睦美/作
BL出版
2001
版元語録:ママが爆弾発言をした。わたしをおいて、パリに留学!?ママとは強い絆で結ばれていると思ってたのに。大ショックの菜穂は、亜矢に相談に行って……。突然やってきた悩みに奮闘する少女の、コミカルな自立白書。
原題:HERR DER DIEBE by Cornelia Funke, 1999
コルネーリア・フンケ/作 細井直子/訳
WAVE出版
2002
版元解説語録:チューリヒ、ウィーン両児童文学賞受賞作! ドイツから届けられた冒険ファンタジー —— 本邦初紹介! 「ハリー・ポッター」を発掘したイギリスの編集者が今最も注目している作家!
ミラクルズ ボーイズ
原題:MIRACLE'S BOYS by Jacqueline Woodson, 2000(アメリカ)
ジャクリーン・ウッドソン/作 さくまゆみこ/訳
理論社
2002.09
<版元語録>両親を亡くした3人の兄弟。ミラクルを母とする息子たちの長男は頭もよく2人の弟の面倒を見ている。次男は非行を繰り返し末弟のぼくと話もしなくなった。そんな3人の兄弟愛を描く。
ねむりねずみ:ウッドソンの作品は『レーナ』(さくまゆみこ/訳 理論社)も読んだんだけど、すごく好き。黒人作家で、受賞歴もあるんだけど、黒人だというところがぎらぎらと表に出ていなくて、普通に等身大で生きている人たちが出てきて、それぞれにバックがある。やわらかいけど、シビアというのがいいと思う。今くらいになって、やっと書かれるようになったタイプの本なのかな。もっと前の公民権運動の頃は、シビアさが先にたって書けなかったのかな。ほぼ1日か2日間のことを取り上げていて、間に家族のことなどをはさみこみながら今に戻ってというリズムもいい。読み終わって、ずしっと充実感があったんだけど、後から感想をまとめようと思ってめくっていて、あれ、たった2日間のことだったんだ、とびっくりした。すごくさわやか。他の黒人作家でもそうなんだけど、社会状況がシビアな分家族があたたかい感じがするのは、ある種、伝統なのかな。
カーコ:翻訳者冥利につきるようないい作品ですね。ラファイエットの一人称の語りで成功していると思いました。12歳の少年の心理がうかびあがってくる。中に挿入されたお兄さんのエピソードも効果的。ラファイエットの視点に共感を持って読める。男兄弟って、大きくなるほど疎遠になったりするけど、このくらいの年代の兄弟のコンプレックスとかライバル心が、あたたかくえがかれていましたね。いつも子どもたちを見守っているお母さんもいい。エピソードのひとつひとつがリアルで、とてもすてきでした。
きょん:たんたんと書かれているけれど、印象としてはつらいなと思いながら読み始めた。最後、チャーリーは戻ってくるんだけど、もう少し救いがあるハッピーエンドでもよかったかな。いろいろなエピソードが入ってくるが、ディテールだけで、エピソードが入ってこない感じもした。さりげなさがよかった。
紙魚:私は、そんなにシビアだとか、つらいだとかいう感触をもたずに、普遍的な家族の物語として読めました。どんな社会状況にしろ、兄弟間のこと、親子のことって、共通していると思うんですね。すごくいい物語だなあと思ったので、たくさんの子どもたちに読んでほしいなあと思うんだけど、全体を見まわして、「物語のへそ」みたいなものがないので、本好きの子だったらともかく、読書に慣れていない人だとどうなんだろうとは思います。
ペガサス:静かな作品だと思いました。『どろぼうの神さま』が、場面が次々に入れ替わって映画を見ているようだったのに比べて、『ミラクルズボーイズ』のほうは、芝居の舞台の上に3人兄弟だけがいて、それぞれの長いセリフを聞いている感じ。言葉の重みを感じさせられた。男の子の兄弟っていうのは、おたがいにどこか一つでも認める部分を発見したときにはじめて、年上でも年下でも対等につきあえるようになると思うんだけど、それがよく出ていた。末っ子のラファイエットも、最終的にはお兄さんに認められる。この子を主人公にした意味がそこにあったんじゃないかな。
愁童:ぼくは、マイノリティみたいなものを全然感じなかったんだよね。いちばん感心したのは、作者が家族というものを信じていて、それを今の時代に書くっていくこと。今の時代の日本では、見かけは幸せな家庭はたくさんあるけどね。この本は、人間としてハッピーなことが書かれてる。だから、もっと前に書いてほしかったと思うね。大阪の池田小学校の殺人事件にしても、学校にカウンセリングを入れたりしてるけど、これだけ、母親、父親を子どもの目から書いたっていうのはすごいよね。あとさ、『どろぼうの神さま』とくらべても、子どもの年齢差がよく出てるよね。すばらしい。
羊:ラファイエットの視点で読み進めながら、「お母さん、目を覚ましてよ」なんてところで、涙腺がゆるんでしまった。チャーリーとの関わりで何か変わっていくのかなと思っていたら、少年院なんていうショッキングな事件があったりして。兄弟それぞれがそれぞれの重さを抱えていて、お兄さんはお兄さんでつらいし、いちばん下の子はその子なりにつらい。お兄さんも、単なる優等生じゃないし。ただ、お兄さんとラファイエットは、共通に話せることを持っている。最後、チャーリーが補導されて、物事が動く。語れなかったことを語っていけるようになる流れも、いいと思った。表現が情緒的で、落ち着いているんだけど、迫るものがあった。最後の写真の場面が好き。
アサギ:愁童さんの意見に似ているかしら。マイノリティというよりは、貧しい階層の家族の話。ところどころに、プエルトリコとかを感じるところもあるんだけど、全体としては静かでしみじみした物語。一人称小説で視点が「ぼく」になってるから、自分が生まれる前の話はお兄さんが語っているんだけど、ここだけは気になって、もう少しうまく処理できればよかったんじゃないかしら。ここが地の文で語り手がかわったのが、ういた感じになった。作者の工夫がほしかったな。それから、この子の12歳という目線で見て、タイレーの問題とか、子どもなりの感じ方が書かれていて、それがリアリティにつながっていた。最後、お話は静かで、大きなアクセントはないけれど、チャーリーのしこりがお母さんとお父さんの死にあったというのは、納得させられた。どちらの死にも立ちあえなかったというのは、疎外感を抱く、かなりのしこりだと思うのね。
ウェンディ:最初のうちは、チャーリーがもう1度悪さをしたら、3人で暮らせなくなってしまうというので、はらはらしながら読んでたんだけど、両親の死にたちあえなかったという事実があったことがわかて、とてもそれがかわいそうだった。それって、そういう材料をもっていない人にもきっと伝わる、伝わってほしいと思いました。『マーガレットとメイソン』(ジャクリーン・ウッドソン作 さくまゆみこ訳 ポプラ社)のシリーズは何度も読みました。確かにたんたんとしているんだけど、ああ、このセリフってこういう意味だったんだとわかるところがあって、きっとこの本も、くりかえし読んだら、たくさんの意味がつめこまれているにちがいないと思った。
愁童:ウッドソンって目線が深いよね。両親の死に立ちあえなかったことだけでなく、父親が公園に連れていくのはいつもタイレーで自分は連れてってもらえなかったりと、チャーリーがアウトローになりかけてるのを細かいことの集大成として書かれているのがすごいよね。家族のなかでも疎外感を味わっている。それをしぜんに書いてるのは、いいよね。
ねむりねずみ:チャーリーが金をとったのは、お母さんのいっていた楽園にみんなを連れていきたかったからでしょ。いってみれば、いつも何となく疎外感を感じていた人間が一発逆転を狙ったら、それが完全に裏目に出ちゃった。しかも結果として、お母さんの目にうつった自分の最後の姿が手錠をかけられた姿になったというあたり、すごく切なくて、すごくきいていると思う。
羊:お母さんと最後に何を話したかなんてところもね。
愁童:たださ、親父さんが死んだ原因っていうのは、ちょっとつくりすぎっていう感じもあるよね。違和感なく読めたけど。
ペガサス:なんで『ミラクルズボーイズ』っていうタイトルなの?
アカシア:お母さんのミラグロっていう名前が、英語だとミラクルとなって、その子どもたちっていう意味なんだと思うけど。
愁童:お父さんが犬を助けて、長男が「あの犬はだいじょうぶかな」ときいて、お父さんが「だいじょうぶだよ、ティー。おれは、もうあったかくなった」って答えるじゃない。長男は、犬のことをたずねたのに、お父さんは自分のことをきかれてるんだと勘ちがいする。そのすれちがいが、うまいよね。
アカシア:物語のへそみたいなのも大事だと思うけど、この作家って、プロットで読ませるのではなく、人間を描いていく作家だと思うのね。おさえた書き方をしている。チャーリーの側から、あるいはタイリーの側から書けば、もっとドラマティックになったのかもしれないけど。
愁童:いやいや、ラファイエットを主人公にしたのがよかったと思うよ。
カーコ:本のつくりもすてきよね。
すあま:最近、新しい本を読んでいて、筋はおもしろいんだけど、読後感が残る本は少ないと思ってたんですよね。でも、これは久しぶりに、それぞれの兄弟の実在感が残った。長編でもないのに、本を読んだという気持ちになった。友人が、兄弟の別の人から見るとおもしろいって言っていて、「ヒルクレストの娘たち」シリーズ(R.E.ハリス作 脇明子訳 岩波書店)みたいに、続編でそういうのがあるとおもしろいかも。
(2002年12月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)
卵と小麦粉それからマドレーヌ
石井睦美/作
BL出版
2001
版元語録:ママが爆弾発言をした。わたしをおいて、パリに留学!?ママとは強い絆で結ばれていると思ってたのに。大ショックの菜穂は、亜矢に相談に行って……。突然やってきた悩みに奮闘する少女の、コミカルな自立白書。
羊:読みながら肩透かしをくっている気分。この子と出会って、友だちになりたくないって言いながら、あっさり友だちになっていくのも、ええっ?って感じ。「ママ」を連発するのもおかしい。32ページの「だって、ママとふたり遊び暮らしていた時期は終わって、たったひとりで社会に出向いていくのよ。幼稚園にはいったのが……」なんていうセリフにも、脱力。聞き飽きたセリフの行列もむかつく! だけど、今どきってこういう感じなのかしらね。最後に、写真部の話が出てくるけど、この子が部活をしていた話なんて、それまでどこにも出てこない! 日常の描写などは細かくて、そんなところは細かくなくてもいいから、もっと感情を細かく書いてほしかった。
すあま:読み終わった感じが、まさに「マドレーヌ」のタイトルどおり。この題名は、カリスマ料理家の料理本のタイトルみたい。結局、品よくできたお菓子。マドレーヌのように、くせもなく、甘かったみたいな。21ページの挿絵は、これはマドレーヌじゃないよね。
愁童:あんまりおもしろくなかったですね。いちばんひっかかったのは、不登校になった友だちの父親が、いじめっ子のことを「やつら」と言ってくれたから救われたっていうところ。物書きとしては、雑すぎやしないかと思った。つくりがヤワで、あまい。お菓子つくるのに、フランスに行くというのも、情けない。もうちょっとがんばってほしいな。
アカシア:いつもやさしい羊さんがむかついているのは、初めて見ました(笑)。この作家は、子どもたちにどういう世界をもたらそうとしているのかが疑問。106ページなんかも、ぞぞっとしてしまった。子どもの誕生日が、パリの革命記念日っていうんだけど、この作家には革命なんてことは全然わかってなくて、スパイスがわりに使ってるんだろうな。半世紀前ならともかく、今の時代に、お菓子を習いに半年フランスに行く程度で、なぜこんなに家族が大騒ぎするのかがわからない。今だってこういう親や子どもがいるのはわかるけど、子どもの本の作家なんだから、どういう未来像を子どもに手渡したいのかをちゃんと考えたうえで書いてほしい。自己陶酔とか自己憐憫的なところも、不愉快だった。なんで長さんの絵なんだろうね。
紙魚:このシリーズはみんな長さんが絵を描いてるんじゃないかな。長さんのイラストじゃなかったら、もっとあまくなっちゃったと思う。
愁童:この物語って、「殴るのはいけない」みたいな短絡的な考え方に通じていると思うな。もっと複雑な人間関係に目を向けないとな。
アカシア:いじめにしても、いじめられっ子だけでなく、いじめっ子の側も見てみるっていうのが、少なくとも文学だよね。
ペガサス:おもしろい本っていうのは、必ずどこかしらに、こういうものの見方っていいなとか、こういうふうに考えられたらいいな、と思う部分があると思うんだけど、この本はそういう新しい発見がひとつもなかった。出だしは、インパクトのあるセリフをもってきて、おもしろいのかなと思わせるんだけど、読んでいくと、亜矢はこういうセリフを言うようなタイプの子じゃないから違和感を感じる。作者はこの時期の女の子特有の感情とか、母親に対する気持ちなどを書きたかったんだと思うけど、それを3人の女の子と3人のママたちにただ適当に振り分けて書いている感じ。人物の造形が浅いので、紙を切り抜いて作った人形を動かしてるような印象。「捨てられた子どもは、捨てられたからこそじぶんを獲得していくんだよ」とか、気のきいたセリフを言わせてるつもりだろうけど、どれも特に新鮮じゃないし、作家の自己満足のように思える。確かに、女の子同士で、新しい魅力をもつ友だちに夢中になったり、口調を真似たり、その子の薦める本を読んでみたりという感情があるのはわかるけど、「それで、あらためて亜矢を好きになっていたところだった」なんて言うかな? お母さんが、「亜矢と仲良くしてくださってありがとう」なんて、言わないでしょ。家庭の中の、パパやママの描き方も、いまどき何なんだろうと思った。子どもの親に対する思いは、『ミラクルズボーイズ』みたいには伝わってこない。
紙魚:私は、この物語って、リアリズムではなく、ファンタジーだと思う。非日常の物語を読んで夢を見るのではなくて、日常の物語を読んで日々のことに彩りをそえるというような本。確かに、くすぐったいようなところはあるんだけど、ある時期の、それも、この読書会のメンバーのように骨っぽくないような女の子だったら、この本を好きな子もいるんじゃないかなとは思う。この会は、骨っぽさ100%ですから!
ウェンディ:お母さんの立場で読んでしまったのは、娘に感情移入できなかったからだと思うんだけど、私が夫をおいて留学したときも、家族を犠牲にしたように言われましたよ。
アカシア:でも作家って、世間の古い部分をただ書けばいいってもんじゃないんじゃない?
ウェンディ:ただ、平均像からすると、留学するっていうのは、あとがきにあるように、「赤い靴」かもしれないですよね。
ペガサス:主婦のエッセイだったら、そういうのを書いてもそれはそれで読めるかもしれないけど……。
愁童:夫婦関係はそれでいいかもしれないけど、子どもはたまらないよ。なんで行くのかわかんないよ。
カーコ:家中がテレビドラマのセットみたい。でも、確かにこういうお母さんっていますよね。子どもを囲いこんでしまっているような人たち。
きょん:安っぽいテレビドラマみたい。エピソードがほどよく構成されている感じ。
カーコ:最初から最後まで、私はこの物語の世界になじめなかった。今の一般的な中学生がこれを読んで、こういう世界をすてきだと思うのかどうか疑問でした。こんなお父さんって、ほんとにいるのかな、いてほしいと思うのかな。この作者は、主人公の女の子よりも、むしろこの「赤い靴をはく」お母さんを書きたかったのかなと思いました。日本人の作家の描くリアリズムの児童文学って、こんなふうになるのでしょうか。
ねむりねずみ:なんなんだろうな。ぬくぬくと生きている社会を反映しているのかな。致命的なのは、この女の子に魅力が感じられないこと。駄々をこねている子どもをシラッと見ているようなスタンスになっちゃった。セリフに入ってくる言葉も、本人の肉声になっていない。設定もバブリーで、専業主婦で目覚めてパリに留学っていうのもいただけない。日本の社会っていうのは、創作を書きにくい状況なんだろうな。これを読んで絶望しなくてもいいんだろうとは思うけれど。
ウェンディ:自分が母親の立場に似たところがあるので、母親寄りで読んでしまうのかなと思っていたけれど、みなさんも同じだったんですね。そこには葛藤とか成長とかはきちんと描かれない。なんとなくふわっとしていて、なんとなくいいというのは、まさにトレンディドラマ。日本の親子はこういうのが現実的なのかな。
紙魚:経済的にはちがうと思うけど、精神的には、今の日本って、こういう家庭像なんじゃないかな。
羊:まあ、親もいっしょにプチ整形したり、ダイエットをすすめたりするんだっていうんだからね。
ペガサス:いいところを挙げるとすると、本文の組みが、下の空きが広くて読みやすかった。
アカシア:そうね、杉浦さんの装丁がいいよね。
どろぼうの神さま
原題:HERR DER DIEBE by Cornelia Funke, 1999
コルネーリア・フンケ/作 細井直子/訳
WAVE出版
2002
版元解説語録:チューリヒ、ウィーン両児童文学賞受賞作! ドイツから届けられた冒険ファンタジー —— 本邦初紹介! 「ハリー・ポッター」を発掘したイギリスの編集者が今最も注目している作家!
ねむりねずみ:ちょうど英訳も出ていて、書評誌などでも好意的に扱われているようです。「大人はよく子どものころはよかった、という」という惹句にひかれて読んでいったんだけど、読み始めると、話がぽんぽん展開していくのでおもしろく読めた。リッチオは「カール」、モスカは「蚊」、ロベルトの相棒は「愛人」、バルバロッサは「赤いひげ」なんて、名前にもそれぞれ意味があって、知っている人はおもしろいんだろうな。スキピオだけが適度に大人になって終わるというあたりは、なるほどなって思いました。なんでかなあ、子どもたちが悪者を追いつめていく『エーミールと探偵たち』(ケストナー作 高橋健二訳 岩波書店)を連想してしまった。バルバロッサが小さくなった後で、子どもたちがうまいこと辻褄を合わせようとするあたりで、子どもってほんとうに冷たくはなれないんだなあと思ったりした。ひとつだけわからなかったんだけど、メリーゴーラウンドの翼がとれたのは、直せばいいのになと思った。
カーコ:粉々になったから直せなかったんですよ。この本は、ヨーロッパのほかの国でも翻訳が出て、わりと話題になっているみたいですね。ファンタジーですよね。読者をひっぱっていくストーリー性とベネツィアという舞台設定がすべてだと思いました。人物の深さは感じられないし、孤児の子どもたちの結束も現実ばなれしている。プロスパーの弟ボーに対する思いも唐突だし、大人たちが都合よく助けてくれる。でも、お話として、子どもたちが安心して読み進められるかなと思いました。作者のこだわりは、不思議なメリーゴーランドというモチーフとベネツィアという街にあったのかな。メリーゴーランドが壊れるシーンのあと、物語の緊張が途切れる感じがしました。
紙魚:私は、筋はおもしろいとは思うけど、ちょっと物足りなかったです。大人になったり、子どもになったりできるメリーゴーラウンドが出てきて、わー、これからおもしろくなりそうって思ったのもつかのま、それによって起こる、彼らの心の動きがぜんぜん出てこない。子どもの心をもったまま、体だけ大きくなったら、いろんな困ることや、葛藤があるはずでしょう。バルバロッサの方は、ちょっとおもしろおかしく書かれていたけど、肝心のスキピオについては、ほとんどなし。帯や巻頭の文句に、あれだけ、大人と子ども、どっちがいいのかなんてことが書かれているのに、単なる体の大きさしか伝わってこなかったのが残念。そここそ、書いてほしかった。
アサギ:この本ね、ドイツの雑誌で「なぜイギリスで好まれたのか」という特集を組まれたから、前から知ってはいたんです。ドイツで軽いエンターテインメント的なものを書こうとすると、ドイツを離れなくちゃいけないのよね。外国にいくと、想像の翼がはたらくんでしょうね。
ねむりねずみ:べネツィアだから描けたっていうところ、ありますよね。ベネツィアって、巨大テーマパークですもの。
ペガサス:短い章がいっぱいあって、連載ものを読んでいるような印象。『エーミールと探偵たち』を思わせるという感想もあったけど、大人対子どもという図式がはっきりした物語でしたね。描写も具体的。どういうものを持っていて、それがどこに置いてあってという、具体的な描写がきちんとしているので、情景を目に浮かべやすい。読者対象は、この本の造りでは、どんなに読書力があっても、小学校上級から中学生以上だけど、読みやすさや物語の内容からいって、もっと下の子どもたちにも楽しめるようにしてもよかったのに。
アカシア:最初入りにくかったけど、三分の一くらい進んでからは、電車を乗り過ごすほど夢中で読んでしまった。ただ、ゲームのノベライゼーションみたいなプロット重視の作品ではありますね。最後、どたばたで終わっちゃったのは、残念。
愁童:ゲームの骨子ってだいたい決まってるんですよね。強い人は最後まで強い。スキピオが大人になってどうするかっていうと、親父の威光で生きてるわけですよね。映画館を追われてどうするかったって、お金持ちの女の人に救われるわけだから、底が浅い。これだったらゲームにすればいいし、この内容だったら長すぎ。大人のぼくが読んでもかったるいので、子どもは読めないと思う。ゲームを経験しているような30代は、読むんじゃないかな。
すあま:最後、落ち着くところに落ち着いて、読後感もよしって感じの本ですよね。でも、あそこまで大きな話なのに、あっさりしている。まとまってはいるんだけど、シュッと終わっちゃう。メリーゴーラウンドまで広げなくてもよかったんじゃないかな。先に不思議なメリーゴーラウンドというのが作者の頭にあったのかもしれないけど。1冊ではあるんだけど、前半後半でまったくちがう話という感じがする。それから、人物の印象が薄いという話があったけど、最後、誰が主人公かと考えると、わからない。大人になってからの話もないし。いろんな子の顔は浮かぶんだけど、強烈な印象がない。しばらくたつと思い出せない。
羊:私は、兄弟2人を主人公にして読みました。弟を守ろうとしている姿とかね。子どもたちがそれぞれに事情をかかえているけど、そこにある危うさとか脆さは、あまり感じられなかった。プロスパーとボーが、2人きりでべネツィアまで逃げてくるっていうのは無理じゃないかしら。あとの3人も、どういうことがあって独りで生きなくてはいけないのかを書いてくれれば、もっと力強さが加わったのに。メリーゴーラウンドに乗るところあたりから、失速した感じ。私は、体だけじゃなくて心も子どもに戻るのかなと思っていたから、ここで、ずっこけました。べネツィアの風景は楽しめた。でも、子どもだけの生活が楽しいとは思えかったな。
ペガサス:みんなの感想をきいてても思ったけど、やっぱりちょっと長すぎるのよね。
ねむりねずみ:スキピオの謎がとけちゃったら、次はメリーゴーラウンドの謎というように、ちょっといきあたりばったりの感もありますね。
アカシア:けっこう読まれてるのよ。図書館でも貸出が順番待ちで、結局間に合わないから私は買ったの。
ペガサス:ジュンク堂では、寓話のジャンルに置いてあった。これこそ、児童書として認知されてほしいけど。
ウェンディ:私は初め、なかなか読み進められなくて、一昨日の夜、メリーゴーラウンドまで読んで、だから一昨日の夜がいちばん楽しかったかな。要するに、エンターテインメントですよね。「大人はわすれてしまっている 子どもでいるというのが、どういうことなのか」と書かれているので、きっとそれが言いたいんだろうけど、途中で、大人よりも子ども時代のほうがいいと言いすぎている気がした。大人は悪いヤツというステレオタイプが気になります。私は、兄弟のお兄ちゃんにくっついて読んだけど、印象的な子どもがあまりいなかったし、いい大人が出てこなかったのが残念。似たような話に『赤毛のゾラ』(クルト・ヘルト/作 渡辺芳子/訳 福武書店)があるけど、これは40年代のクロアチアが舞台なんですよね。現代にもこういうことってあるのかなと、ふと疑問に思いました。探偵や、骨董屋が出てきて、時代をぼかしているのかと思いきや、携帯電話が出てきて、いったい時代はいつなんでしょう?
カーコ:リアルであることを求めちゃいけない作品なのかも。
ペガサス:あとさあ、くしゃみをする亀っておもしろいわよね。『どろぼうの神さま』ってタイトルも子どもにとって魅力的だと思う。
羊:探偵と子どもの関係もおもしろかったわ。
愁童:終わりの方でえんえんと続く、バルバロッサの養子の話はおもしろくないよ。子どもが読んだら、なにこれって感じ。大人向けなのかな。
ウェンディ:日本だと、海外を舞台にした話は、どうしても作者の知識不足のせいで破綻があったりするけど、ヨーロッパの国どうしだと、どうなんでしょう?
アサギ:まあ、ドイツとイタリアは、近いからね。このあいだ、友人が平野啓一郎の『葬送』(新潮社)を読んだのね。フランスが舞台で、ドラクロアとショパンの物語なんだけど、会話がどうしても日本人の会話にしか思えないんだって。日本人作家が外国人を主人公にするのは、やっぱり難しいのね。