日付 | 2004年3月22日 |
参加者 | 愁童、カーコ、ハマグリ、トチ、アカシア、むう、すあま:羊 |
テーマ | 子どもの居場所 |
読んだ本:
原題:KENSUKE'S KINGDOM by Michael Morpurgo,1999
マイケル・モーパーゴ/著 佐藤見果夢/訳
評論社
2002
版元語録:南の海で遭難した少年は,孤島に住む老人に助けられた。老人は旧日本兵。島のサルたちを守って,一人ひっそりと暮らしていた。
柏葉幸子/著
講談社
オビ語録:家族、親子、そして人と人との絆をつむぐ/ミステリアス・ファンタジー!/おとぎ話を最高のスパイスで味付けした11編。
原題:BLIND BEAUTY by K.M. Peyton, 1999
K.M.ペイトン/著 山内智恵子/訳
徳間書店
2003
オビ語録:炎の激しさで一頭の馬を愛しぬいた少女の青春。/カーネギー賞・ガーディアン賞ダブル受賞作家の意欲作。
ケンスケの王国
原題:KENSUKE'S KINGDOM by Michael Morpurgo,1999
マイケル・モーパーゴ/著 佐藤見果夢/訳
評論社
2002
版元語録:南の海で遭難した少年は,孤島に住む老人に助けられた。老人は旧日本兵。島のサルたちを守って,一人ひっそりと暮らしていた。
愁童:おもしろく読みました。読みましたが、訳者が出しゃばっているのがとても気になりました。あとがきに小野田さんや横井さんのことを書いているので、読者はどうしてもそれに引きずられてしまう。つまり読者の想像力を限定してしまうわけで、読者に対して失礼だと思う。もちろん作者にも。でも、今の子はロビンソン・クルーソーなんか読まないだろうから、こういう冒険物語があっていいんだろうなと思います。
アカシア:まず情景や状況の描写がきちんとしてあるのがいいと思いました。冒頭で犬が手紙を運んでくる場面にしても、つばで手紙がべとべとになっているなんて書いてある。ヨットを操縦する様子なども、面白かったです。でも、細かいところが気になりました。たとえば、ケンスケは日本人のおじいさんという設定ですが、125ページでは「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と言っている。カタカナで書いてある部分は原書でも日本語が入っているんだと思いますが、この時代のこの年齢の男性が少年に対してこういう言い方はしないと思うんです。せめて「すまんな」とか、「悪いな」くらいかなと。ここでがくっとリアリティーが下がってしまう。128ページでケンスケが主人公を抱きしめて子守唄を歌うところも、「抱きしめて」ではなく「抱きかかえて」と訳した方がケンスケのリアリティが出たと思います。137ページではケンスケが洗濯物を岩にたたきつけて洗っていますが、日本人はこういうやり方で洗濯はしない。143ページでは、ケンスケが子どもの頃にサッカーをしたと言ってますが、当時の子どもはサッカーしてたんでしょうか? そのままにしておくとリアリティがなくなる部分は、訳者が原著者に相談してでも表現を変えたほうがいいと思いました。
それから小野田さんや横井さんは、モデルではなくてヒントになったんだと思います。というのは、小野田さんや横井さんは、天皇の兵士として敵の捕虜になって恥をさらすことがないように隠れていたわけですが、ケンスケは自然を壊す現代の人間に不信感を持っているせいで隠れている。動機が違います。モーパーゴは環境や野生動物の保護について問題意識が強い人で、ケンスケにはその一つの理想が投影されているのに、実在の人物をモデルといって引っ張り出すと、作者のいいたいことが伝わらなくなる。
むう:冒険物語なんだなあというので、すっと読めました。ただ、今回の課題の相手がペイトンだったからか、迫力が足りないと思った。わくわく、どきどきがないんですよね。さらっと読めるけれど。それと、読み始めたとき、この主人公っていくつなんだろうととまどいました。12歳で冒険して、それから10年経ってということからすると若い人なはずなのに、やたら難しい言葉が出てくるので、なんだかぎくしゃくした感じで。原書が向こうで出版されたときに、へえっ、おもしろそうと思いはしたけれど、日本人を扱ったものを日本語に訳すのは難しいだろうなあとも思ってました。この本はただの冒険物語で終わらせず、そこに環境問題や戦争の問題というふうに今ホットな問題や学ぶべき歴史を絡めていて、そこはなるほどと思いました。でも、なんか教育的というか、おとなしいというか、枠をはみだすようなエネルギーが感じられなくて物足りなかった。
ハマグリ:モーパーゴのものは、大作ではないけれど、ちょっと心に残るよくできた小品、佳作という感じのが多いですね。そしてちょっと変わった人を書くのが上手だと思う。私も海に落ちるまでは家族の様子など細かく書かれていてよくわかっておもしろかったのだけど、その後はあまりおもしろくありませんでした。ケンスケという人物が今ひとつピンとこないのは、この人のしゃべる言葉に原因があると思う。つまりケンスケはたどたどしい英語をしゃべる人なんだけど、それを翻訳するとたどたどしい日本語になってしまうので、とても違和感がある。日本語に翻訳するわけだからどうしようもないことなのかもしれないけれど、これではケンスケの人物像があまりうまく伝わってこないと思います。なにかもっとやりようがはあったのでは? たとえば、全部片仮名で書くとか。これは日本人であるが故の違和感だから、島にいたのが日本人でなかったら、もっとすんなりと読めたかもしれません。そういう意味のハンディはありますね。それと主人公のセリフも違和感を感じるところが何カ所かありました。たとえば、ケンスケから蚊避けのシーツをもらって、「すてきなシーツをありがとう」というところなんか、男の子がこういうふうにいうかなあと。
トチ:モーパーゴって作家は、児童文学にとっていちばん大切な年齢層でありながら、なかなか良い作品がでない小学校高学年から中学生を対象にたくさん作品を発表している、それから動物とか異国の話とか子どもの興味のありどころを良く知っているという点で、とても良心的な、良い作家だと思います。感じのいい作品を書くし、本人もとっても感じのいい人。でも、どれを読んでもなんか物足りないのよねえ。スーザン・プライスの迫力、アン・ファインのうまさ、フィリップ・プルマンの知的な構築力、どれも足りない。8割の作品というか・・・・・・・
ハマグリ:で、印象が薄くて、読み終わるとすぐ忘れちゃうのよね。
トチ:そうなの。読んでいるときはおもしろいんだけど。この作家の本を読むときはいつも「なんか物足りない」と、「こういう感じのいい本を、子どもがどっさり読むのは、とてもいいことだ」と、このふたつの思いの間を針がいったりきたりするんだけど、この本の場合は、「ちょっとだめ」のほうにふれた。後書きの解説は、愁童がおっしゃったとおり余計だったけど、もしかしてモーパーゴ自身も、日本兵発見をこの程度のものと見ていたのかなあと思って・・・・・・・
アカシア:ケンスケと日本兵を密接なものとして結びつけているのは、原著者より訳者の考えなのでは?
愁童:モーパーゴは単に、現代でもロビンソンはありうるんだなあ、東洋人ってすごいなあと思っただけなんじゃないかな。
アカシア:それに、子どもの読者は、あとがきは読まないかもしれない。わたしは、モーパーゴの作品は大人が読んだらイマイチかもしれないけど、子どもが読んだらおもしろいと思うけどな。
トチ:でもねえ……。原書が出たときに読んだけど、翻訳は出さないだろうと思ったの。よく出したという感じだけど、ことさらこれを訳す意味があるのかなあ。
アカシア:訳をしっかりすればおもしろいと思うよ。現代を舞台にした冒険物語なんだから。
カーコ:印象はみなさんと同じです。中学校の図書室と市立図書館の司書の人に、おもしろかったと薦められて。でも、最初は訳文につまずきました。主人公が20歳くらいで書いたという設定の文章なのに、それにしては難しい言葉が出てくる。航海日誌になると、12歳の子が書いたはずなのに「我々」とか出てきて、普段読んでいる小学生の作文と比べて、ずいぶん印象が違う。また、船に乗るに到る過程が、私には現実味に乏しく感じられました。失業して、ヨットを買って、家族で航海に出てしまうなんて、こんなふうになるかなあと。舟のことや海のことは、知らないことが多くておもしろかったけれど。
トチ:作者としては、後半が先に出来ちゃって、どうそこに持っていくかで苦労したんじゃないかな。一家で船に乗ることになるまでの部分は説明的よね。
カーコ:全体の印象も、なにか物足りない。最初のうちケンスケが、無口でわけのわからないという、西洋人の持つ日本人のイメージかなあと思ったし。強い精神力や自己犠牲のイメージって、よくも悪くも日本人の登場人物につきまといがちな気がします。
ハマグリ:無口でよくわからないのは、英語が話せないからでしょ。でも、英語が話せない人間なら、別に日本人でなくてもいいんじゃないかという気はするわね。
トチ:原書の表紙は北斎で、英国人は北斎がとっても好きなのね。
カーコ:それから、ミカサンという呼び方って、変じゃありませんか? マイクと言えなくて言ったのなら、マイカサンくらいじゃないでしょうか?
アカシア:モーパーゴはマイカサンと読ませるつもりたったんじゃないかしら。それを訳者がミカサンとしたのかも。
羊:ペイトンを読んだ後だったんで、迫力の物足りなさはありました。おもしろいと思ったのは、日本人が30年孤島に一人で住んでいた。というニュースからヒントを得て書いたという創作の経緯です。外国人が日本人を書くのは難しいと思います。外国映画に登場する日本人って、やっぱり違和感があるし、東洋人に対する固定観念があるのでしょうね。たどたどしい口調については、孤島に一人でいたから人とのしゃべり方を忘れたのかなと思っちゃいました。子どもが読んだら、父親のリストラから世界一周に行くところが、なんともわくわくして楽しく読めるだろうと思った。犬が一緒なのも子どもには安心出来ると思う。この年齢でこういう冒険ができてドキドキして楽しんで読むんじゃないでしょうか。おもしろいと思って読むんだけれど、終わった後はあまり残らないのが残念。
すあま:最初は少年のサバイバルものかと思ったけれど、ケンスケが手取り足取り助けてくれてちっとも苦労しないじゃないですか。望郷の念のみで、苦労がないところが物足りなかったですね。やはり無人島でサバイバルする少年の物語、『孤島の冒険』(N.ヴヌーコフ/作、フォア文庫)と比べるとずいぶん違う感じ。もうちょっとわくわくしたかったです。これが日本兵のニュースから作られた作品だとすると、日本の作家が書いてもいい話題じゃないのかと思います。
アカシア:日本人の作家だと、天皇の兵士として恥をかきたくないといった意識をどう描くかが、逆に難しい。むしろ作者が外国人だから、冒険と孤独の部分だけをすくい取るというやり方ができたんじゃないかな。
すあま:最後のミチヤさんの部分はあった方がよかったのか、どうなんでしょう? これがあることで、マイケルではなくてケンスケの物語として終わっているんだろうけれど。
トチ:わたしは、ここは、さすがに子どものことがよく分かっている作者だと思ったわ。子どもが気にしそうなところはちゃんと腑に落ちるようにしてあげている。ケンスケの子どもはどうなったんだろうって、子どもの読者は気にすると思うもの。
アカシア:ロビンソン物は、ふつう時代をさかのぼって書かないと無理なんだけど、この作品は現代の自分にも可能性がある冒険として書かれている。そういう意味では、ケンスケの息子を登場させて現代とのつながりを強めてるんじゃないかな。それにしても、日本人が読むと違和感があるんだなあ。
トチ:欧米の読者とちがって、日本人なら子どもだってその年齢の人の仕草や、言葉遣いを知っているから、違和感を感じてしまうのでは?
アカシア:あとがきでは、小野田さんたちのことをさらっと書いておいて、作者はこのニュースをヒントにしたのかもしれません、くらいにとどめておけばよかったのかも。いつでもロビンソンになる可能性があるんだよ、というので、ニュースを紹介することは構わないと思うけど。
トチ:日本の作家なら当然「小野田さんや横井さんのような人もいたけれど、ケンスケみたいな人もいたんですよ」って、書くと思う。
すあま&アカシア:それにしても、挿絵が古い! これだと、日本の子どもは、よけい現代の物語とは感じられないと思う。
愁童:さっきの、アカシアさんの疑問について言うと、サッカーはア式蹴球なんて呼ばれて戦前からやっていたから、そんなにおかしなことではないかもしれない。
(「子どもの本で言いたい放題」2004年3月の記録)
ブレーメンバス
柏葉幸子/著
講談社
オビ語録:家族、親子、そして人と人との絆をつむぐ/ミステリアス・ファンタジー!/おとぎ話を最高のスパイスで味付けした11編。
トチ:感想が言いにくいなあ、んー・・・・・・言いにくいときは、まず好きなところと嫌いなところを探すことから始めるんだけど、この本は好きなところがないの。いちばん感じたのはリアリティの無さね。たとえば「桃から生まれた」の主人公の女性は、お店で信玄袋を買って、うちに帰って袋をのぞいたら赤ちゃんがいたというのだけれど、「最初はぺちゃんこで軽かった袋が、途中でだんだん重くなった」とか、「畳の上に置いたとたんに、妙に重くなっていてむくりと動いた」とか、「袋の中をのぞいたら、もわっとしたものがあって、それがだんだん赤ちゃんの形になった」とか、そういうことがなんにも書いてなくて、とつぜん赤ちゃんが出てきたと言われてもねえ。「金色ホーキちゃん」だって、妻が昔ぐうぜん出会った女の子だってことに、つきあって、結婚して、子どもが生まれても気づかないなんて、不自然じゃない?
アカシア:女の子は変わるから、まあ黙ってればわからないにしても、お父さんはそんなに変わらないから、どこかでわかるよねえ。
トチ:この中でいちばん良くできてると思ったのは「ピグマリオン」だけど、なんだか後味の悪い話ねえ。救いが無いというか。「ハメルンのおねえさん」も、若い女性が不倫相手の家に放火して、子どもがふたり死んでしまった事件を思い出してしまって。ねえ、最後の1行の「最後の葉書(註:父親の不倫相手のお姉さんの結婚通知)がなければ、父を軽蔑していた」って、どういう意味?いくら考えても、分からなかった。この本はストーリーの怖さ以上に、作者と意思疎通できない怖さ、薄気味悪さを感じたわ。最後の「ブレーメンバス」では、出てくる女性が老いも若きも、みんな逃げの姿勢。他の話も、結婚を女性の最上の生き方と思っている女の人ばかりでしょう? これって、児童文学なのかなあ。モーパーゴは、しっかりと子どもに向き合って書いているのに、この作者はいったいどこに目を向けて書いているのかしら。
ハマグリ:なんとなく嫌な感じだった理由が、トチさんのお話しで納得できました。これまではこの人の作品は割といいと思っていたけど、同じような作品をちょっと出しすぎかも。うまいのはうまい人なんだから、未熟なものを出さないでほしい。短編って、やっぱりピリッと小気味良くないとだめだと思うの。でもこの作品はどれも、なにこれ、で終わっちゃう。こどもの読者には感情移入できない作品ばかり。例えば「つづら」のように、中年のオバサンの心理で書かれているものが多いから、子どもにはおもしろくないでしょう。大人向きの短編集としては、小気味よさが足りないし、どっちつかずですね。もうちょっと自分の中で完成させてから発表してほしかった。会話や文体はうまい人だからすらすらと読めたけど、作品としてやっぱり完成されてないと思う。細かいところでは、「つづら」の「アイアン」なんていうあだ名も子どもには分かりにくいと思う。「うん、順子さんはやっぱりアイアンだった」って、どういう意味かわからなかった。
むう:ホーキのところで、あらまっ、へえっ、と思ったたけれど、ともかくさらさらと読みました。それで、一番強く感じたのは、これって子ども向けなのかなあということ。なんか、生活にくたびれた寂しい感じの中年女性の話ばかりでしょ。そこがどうもねえ……。「ピグマリオン」だって、設定はメニムみたいでおもしろいと思ったけれど、なんかやたらおどろおどろしいのがいただけない。「ブレーメンバス」の最後の挿絵を見て、この本を象徴してるなあと思いました。全員幽霊みたいで影が薄いんですよね。
アカシア:読んでいくうちに、どんどん腹が立ってきちゃった。「金色ホーキちゃん」は、最初に「ホーキ頭にかためた髪が、ぐったりたれてきていた」と書いてあるから、見た目ホーキには見えないんでしょ。でも、ホーキのイメージをまわりの人が持っていてこそ成立する話。「桃から生まれた」では、信玄袋の中から赤ちゃんを抱き上げるって書いてあるんだけど、つまみあげるくらいのイメージしか読者は持てない。とにかく、疑問や不可解な点やイメージのギャップが多くて、すとんと落ちてこない。この作家って、こんな作品ばかりなの?
ハマグリ:柏葉さんの作品は『ミラクル・ファミリー』(講談社)のほうがいいと思うよ。
アカシア:ハメルンは、49ページで終わってると思って、いい作品だねえと思ってたら、次のページに続いてたうえに、ハガキが来たらどうして父への軽蔑がなくなるのかわからない。「オオカミ少年」は何度も同じ嘘をつく少年というのが定義で、一回嘘を言っただけでオオカミ少年とは言わないでしょ。「つづら」は、「アイアンをよべ」「かなづちはやめてください」の部分がリアリティのない寒いオヤジギャグでしらける。「十三支」の最後の意味、分かった人いる? あああ、今年はほめるという誓いを立てたのに、こんな作品出してこられると、守れないじゃないですか! 力を持っている作者だったら、編集ももっとしっかりしろい!と言いたい。
すあま:それぞれの話の中に意味不明なところがあって、短編なのにいちいち確認しながら読まなくちゃいけなかった。昔話をうまく使うというのは悪くないんだけど、使い方がいいかげんだから、そこに引っかかってしまう。「金色ホーキ」の土台になってる3匹の熊の話は、よそからきた女の子が家の中をめちゃめちゃにして去るのに、これは助けてくれる話だし。もう「十三支」のあたりまでくると、意味を深く考えるのをやめてましたね。「シンデレラ坂」も、坂の下にコンビニがあるのに、なんでわざわざ坂を駆け上るの?
トチ:ええっ? そうなの? 坂の上にコンビニがあるのかと思ってた。
すあま:元ネタにしている物語との接点がないから、よくわからないんですよね。元ネタのキーポイントが落ちにつながるということもないし。ただ出てくるだけという扱いだから、読んでいると混乱する。
羊:読みながらどうしてこんなに気が滅入るのかなって思ったら、出てくる女性がみんな好きになれない。考え方もしゃべり方も、みんな嫌いなのね。 今日の課題図書でなかったら途中で止めていたと思う。「オオカミ少年」の終わり方など、安っぽい世界に引き戻されたみたいでイライラして、もう本を放り投げてやろうかと思ったくらい。これは子どもの本なの? 若い女性向けの本にもなっていないよ。標題になっている「ブレーメンバス」なんてもう脱力。もう3人とも2度と帰ってくるな!って叫びたい気分。女の人たちに、みごとに共感できなかったなあ。
愁童:期待して読んだけど、誰に向かってこのお話を書いたのかがわからない。大人向けにしては短編としての切れがないし、子ども対象というには大人の心境みたいな物が主体になってるし。印象に残る作品はありませんでした。「すとんと納得」という短編の醍醐味が希薄。
ハマグリ:表紙とか、本の作りは子ども向きなのにね。
愁童:これが児童書だとすると、日本の児童図書の衰退の象徴のような気がする。この作品には、ハートが感じられないんだよね。
カーコ:中学校の司書がこの本を中3の教室で読んだら、借りていった子がいたって言っていたので読んでみたんです。違和感をおぼえたけど、大きな出版社から出ているものだし、知名度のある書き手だし、みなさんならどう読むのかなあという気持ちで選んだんですけど……。中学生がこの本を読んで、次に本を読もうとは思うかどうか。中学生の読書の入り口にするのなら、もっと別の本があるのではないかと思いました。
(「子どもの本で言いたい放題」2004年3月の記録)
駆けぬけて、テッサ!
原題:BLIND BEAUTY by K.M. Peyton, 1999
K.M.ペイトン/著 山内智恵子/訳
徳間書店
2003
オビ語録:炎の激しさで一頭の馬を愛しぬいた少女の青春。/カーネギー賞・ガーディアン賞ダブル受賞作家の意欲作。
愁童:おもしろかったです。でも、『運命の馬ダークリング』(掛川恭子/訳 岩波書店)とよく似た設定で、ちょっと同工異曲かなって感じも……。テッサが良くかけていて、共感して読みました。ただ、他の人にあまり筆を割いていないので、義父は悪い人、テッサの周りはいい人、みたいな単純な図式になってしまって、水戸黄門的安心感で読めるんだけど、やや物足りない感じもありました。
羊:おもしろくて、ノンストップでした。最近「シービスケット」という競馬馬の映画を観たし、ハルウララの人気のこともあったせいか、、競馬界の物語としてもおもしろく読めました。日本とイギリスでは競馬に対する思い入れが違うんだなあと思いました。テッサは手におえない女の子だけど、そこに至るまでのところがあまり伝わってこなかったのは、愁童さんがいわれたように親の書き方が弱かったからからなのかな。物語の真ん中でテッサが義父を刺すという展開はショックだった。義父が最後まで嫌われ者の嫌な奴に描かれているのは、作者が馬をとっても愛していて、こういう人はよほど許せないのでしょうね。テッサとピエロの関係がとても良いし、ピエロが魅力的でした。
すあま:ペイトンの本は好きで一通り読んでいます。どれも馬と気性の激しい女の子が出てくる成長物語なんですね。楽しく読みましたが、同工異曲という感がなくもない。馬の世界とそこで生きる人々の魅力なんでしょうね。これまでの本と比べると、テッサがあまり成長したとは感じられなかった。この作家の作品の主人公はエゴが強い場合が多いのだけれど、テッサにはあまり共感ができなかった。ペイトンはドラマ作りがとてもうまくて波乱万丈なのだけれど、この作品ではテッサの気持ちの変化があまり感じられなくて。
アカシア:私はすごくおもしろかった。登場人物も、テッサの義父を除けば、それほどステレオタイプだとは思わなかった。わたしが何に気持ちを寄せて読んだかというと、ピエロになんです。相棒のポニーがいなくなったり、独り放置されたりというときのピエロの気持ちが、ひしひしと伝わってくる。人間と同じような感じ方ではないということも、ちゃんと書かれている。『運命の馬ダークリング』より馬の気持ちが良くかけていて、作者の馬への深い思いもよくわかった。原題のBlind Beautyも、Black Beautyを下敷きにしてるわけだから、馬が主人公の物語なんでしょうね。
愁童:前の作品では主人公が時代に風穴をあけるように積極的に社会に挑んでいく女性として描かれていて、そのきっかけが馬だったんだけど、これは、歪んじゃった女の子が立ち直っていくきっかけが馬なんだよね。その違いが出てくるのかもしれませんね。ピエロを、見てくれの悪い馬として描きながら、読者の共感をこれだけ誘う作者の筆力はすごいなって思いました。
むう:ペイトンは、「フランバース屋敷の人々」のシリーズ(岩波書店)も愛読していましたし、今回の宿題の3冊の中ではいちばんおもしろくて、駆り立てられるような気分で読みました。すごい迫力でしたね。でも、袖の内容紹介に「刃物を手に」とあるのを読んじゃったせいで、ずうっと、「ええ、いつ刃物が出てくるんだろう。どうなっちゃうんだろう」ってはらはらして、息苦しくて……。児童文学だからひどい終わり方はしないだろうなあ、というのだけが頼みの綱という感じでした。でも、テッサが自分で周りの人たちにはじかれるようにはじかれるように、嫌われるように嫌われるように動いていくあたりはとてもよくわかったし、説得力があると思いました。夢中にさせるだけのうまさがあって、迫力があって、堪能した!という感じです。
でも、読み終わってちょっと引いて見てみると、最後のレースに勝つところは出来すぎかな?とも思う。ラブストーリーがあるあたりを見ても、ペイトンって実はかなり古典的なのかな、と思いました。馬に関することがたくさん出てくるんだけれど、それが説明に終わっていない。読者に読ませちゃうところがすごい。まあ、強いていえば夢物語という気がしなくもない。だって、かなりお金のかかる目の手術もうまくいって、グランドナショナルにも勝っちゃうんだから、ちょっとやりすぎかな。でも、ほんとうに力のある作者で、ピエロの目から見た書き方もよかったです。
カーコ:ぐいぐいと読ませる力がすごいですね。圧倒されました。テッサとピエロの二つの筋で、ひっぱっていくんですね。競馬のシーンも、息づかいや匂いまで伝わってくる感じ。迫力があって読み応えがありました。日本の作家も頑張ってほしいなあ。テッサが両親を、そのような人としてそれぞれに認めていくところも、成長がうまく描かれていますね。
むう:テッサはかなり小さいときから、家庭が安定していなくて無理やり自立せざるを得なくなっているんですよね。夫婦げんかから逃げるようにして馬屋で過ごしたり。だから、途中で出てくる母との突き放したような付き合い方も、十分納得がいきますね。
愁童:厩舎の中の人たちを、もうちょっと膨らませればいいのにねえ。出てくる人たちは十分に魅力的なはずなんだけど。でもテッサとピエロが良くかけているからいいのかな。
むう:最後のレース後のピエロの描写がとてもうまい。ピエロは自分が大レースに勝ったこともわかってないし、何がどうなっているのかもわかっていない。でも、自分にひどいことをしたためしのない人たちに囲まれているから、これで大丈夫なんだろうと感じているっていうのが、なんかすとんとこっちの心に落ちました。人間は大騒ぎしているけれど、実は馬ってこうなんだろうなって。途中のピエロが一頭だけ野ざらしで牧場に放置されるところもですが、こういうのを読むと、人間と関わる動物のある種の無力さとか、動物を飼う側の人間の責任なんかも考えさせられますね。
(「子どもの本で言いたい放題」2004年3月の記録)