日付 | 2006年6月29日 |
参加者 | 愁童、カーコ、紙魚、アカシア、アサギ、むう、ミラボー、ケロ、ブラックペッパー、うさこ、ウグイス、小麦 |
テーマ | 世代のちがう女性作家による少女像 |
読んだ本:
三並夏/著
河出書房新社
2005.11
オビ語録:“この凶器はお前のものだ”あたしの夢の中で死神は言った/史上最年少15歳/第42回文藝賞受賞作
片川優子/著
講談社
2005.10
版元語録:高2の夏,チャコは進路問題,男性との出会い,家族の死に直面する。笑い,涙しながらの毎日をいとおしく思える青春小説。
八束澄子/著
講談社
2006.04
版元語録:さやかは小学6年生の女の子。彼女の好きな人は,家の工場で住み込みで働いている36歳の男性・杉田だった。
平成マシンガンズ
三並夏/著
河出書房新社
2005.11
オビ語録:“この凶器はお前のものだ”あたしの夢の中で死神は言った/史上最年少15歳/第42回文藝賞受賞作
愁童:今回は選書の妙。対照的な作品が読めて興味深かった。『平成マシンガンズ』は小説としておもしろくない。本人の感想はわかっても、相手の像がきちんと読者に伝わるように書かれていないので、綴り方風身辺雑記みたいな印象しか残らない。『ジョナさん』に比べると格段の差を感じたな。
カーコ:苦手でした。うちの子がちょうどこのくらいの年齢で、こんな言葉づかいで暮らしているんですけど、それを作品にするとこうなるかという感じ。まず後味が悪いんですよね。『ジョナさん』は、理解しようという方向性が全体にあるのですが、こっちは否定したところから始まり、ずっとそのまま。どんどんつながっていく文章はおもしろいと思ったけれど、何度読んでも意味がわからない箇所があちこちにありました。
紙魚:感じが悪いですよね。でも、この感じの悪さって、この年齢独特のもので、そればっかりはしっかり伝わってきました。中学生って、何かが足りないという気持ちと、何かをもてあましている気持ちを同居させている面倒くさい年ごろだと思うのですが、そのあたりもよく出ていた。ただ、表現は幼い。言いっぱなしという感じ。独白を読まされているようで、後味も悪かったです。誰かをことさら強く撃ってはいけないというのは、新しく感じました。
アカシア:文学というより、中学生の女の子がブログにでも書いたことをつなげているようなものですね。文学作品として評価することは、とてもじゃないけどできません。内容にも文体にも新鮮さを感じないし。よく賞を取りましたね。人物造形が薄っぺらすぎる。文学を書くということは、書く技術と書く内容が必要なのだけど、この人にはまだ足りない。これは子どもが読むものではなくて、大人が読んで子どもはこうなのかなと思う作文でしょうね。
アサギ:amazonで見たら評判が悪かったですね。売らんかなの小説という印象は否めない。読後感もよくない。句点をつけずにだらだら書くのは、とりとめのなさを出したいのではないかしら? 文体自体はちがうけど、金井恵美子なんかもこんなふうにえんえんと書きますよね。でも句点なしで書いてわかるって、単語の並べ方が正しいのよね。村上春樹のフィッツジェラルドの翻訳を読んだときに点がないのに驚いて、ああ、語順が正しいとつけなくてもすむのかな、と思ったことがあります。だから自分で翻訳するとき、読点をつけなくてもすむ文章を目標にしてます??むろん実際には視覚的に読みづらいので、つけますが。主人公が愚にもつかないことでハブられていくのはリアリティがあったわね。ただ、現実がこうなのか、それとも作家や評論家が中学生ってこうだよね、と言っていることに作者が無意識に寄りそってしまっているのか、それはわからなかった。
アカシア:でも、いじめの描写は、これまでにもいろいろ書かれてるわよ。大体たいした理由もなくシカトされるのよ。現実もそう。
アサギ:ただ、ひとつ、現役中学生が発するという重みというか説得力がある。
愁童:迎合的な感じがするな。作者自身の痛みや悔しさが作品を書くバネになっているようには読めなかった。いじめられて「私のせいじゃないよね」みたいなメールがたくさんくる部分なんか、オジサン向けにはいいだろうけど、今時の中学生のシカトの現実の冷酷さみたいなものを、この作者は理解してないんじゃないかな。
アサギ:でも、あのメールは熱い関係を表してるんじゃなくて、自己保身じゃないのかしら。相沢くんと彼女とは状況がちがったのかな、という気がしたけど。メールがきたのは友情からじゃないんじゃない?
むう:先生が、最初に出てくる不登校になった男の子の時と同じように、みんなを集めて何か演説したとか、そういうことがあって、みんなこれはやばいと思って、それでメールを出したのかと思ったけれど。先生に対しては悪意がある書き方ですよね。全然教師を信頼していなくて。
アサギ:読後感はよくないけど、これも現実かなと思ったの。
むう:『蛇にピアス』(金原ひとみ)を読んだときに感じたのと同じような後味の悪さでしたね。若い人が、自分の感じているいらいらをなすりつけたのを読まされているような感じ。この人の場合は、ある程度書けるから、なすりつけている感じはぐっと読者に伝わってくる。ただ、大人が子どものいらいらを書くのと、その年代の子がいらいらをなすりつけるのでは、本質的に違う気がする。だって、本人にはいらいらをなすりつけるしかないから。そういう意味で、こういう本に賞をあげてもてはやしている大人の視線に、見せ物を見るのと同質なものを感じて、不愉快だった。子どもの大人に対する不信感は、一つには今の大人たちに原因があるのに、それを棚に上げている危うさを感じます。子どもが大人を全く頼れないという点は、フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』に似たものを感じたけれど、立場が全く違うから。大人が子どものことを書くときは想像力が必要だけれど、子どもが子どものことを書くときは、文章力は必要でも、想像力はどうなんだろう?
アカシア:中学生のころって、人間は不愉快な存在だって思う年代でしょうから不愉快なことを書くのは当然なんだけど、もっとうまく書いてほしいな。文学として成立するように書いてほしい。
むう:でも、それなりに力があるから、嫌な感じも迫ってくるんじゃないかと思うけど。
アサギ:とにかく「史上最年少」とつけたかった意図が見えるような気がする。
アカシア:今は毎日ブログ書いてる子もたくさんいるんだろうから、この程度なら書ける子はいっぱいいると思うけどな。
ミラボー:心理的にうまく泳いでいたのに溺れてしまうあたりは、うまく書けていた。そのなかの現場にいる人が、現時点で書いたのかな。家庭環境で異常な状況をつくりだして、そのなかで中学生の女の子が感じていることを書いたんでしょう。
ケロ:自分がおかれている危ういバランスを書いているという意味では上手だなと思いました。たまった悪意などの迫力を感じましたね。ただ、まわりの人がどれだけ書けているかというと、キビシイですね。特に、お父さんに関して感じました。最後のシーンで、お父さんとこんなに会話ができるのなら、前半の苦労はなあに?という感じです。もっとえげつなく書いてもいい部分もあるだろうし、中学生であったとしてももっと客観的に書ける人はいるだろうな。夢に出てくる死に神は、出刃包丁とマシンガンを持っているのだけれど、マシンガンと用途が違う出刃包丁は、なんの象徴なのかしら?とか、ふつう作品を読んでいると考えながら読み進むのだけれど、そういうことを真面目にしていると疲れる作品。それが心地いい疲れではないのが、読後感の悪さということなのかな。
ブラックペッパー:今回は、3作品とも気乗りがしませんで、なかなか読む気にならなかったのですが……この本は楽しくなかったですね。後味が悪くて、どんよりしてしまいました。前に「王様のブランチ」で松田哲夫さんは絶賛していたのですが、おじさまは、こういうの好きなのかな? 中学生が書いたとは思えない作品。いい意味では文章が上手っていうことなんだけど、あんまり新鮮さもなくて、「今の中学生ってこうなんだ!」っていうような発見もなかった。こういうお話だったら、やっぱり山田詠美の『風葬の教室』がいいなあ。
アサギ:山田詠美は、とっくに中学時代を乗り越えて書いているわけでしょ。渦中にいるときは距離をもって見るのは無理よ。
アカシア:でも出て来るおとなが人間として書けてなくて、どうにも類型的でつまらない。大人社会への攻撃性みたいなのを書いてもいいんだけど、なるほどと思わせるだけの力がないのは残念。
ブラックペッパー:均等に撃て! というのはおもしろいなと思ったけど、でもそれも夢だから……。
愁童:今では死語になっちゃったけど、これって「私小説」だよね。選考会では、こんな若い子が「私小説」風な作品を書いているということで評価されたのかな? でも、同世代の子には読まれてないみたいですね。『ジョナさん』は、ぼくの地元の図書館ではずっと予約20人待ち状態が続いてるけど、こっちは予約ゼロで、すぐ借りられたし……。
ブラックペッパー:これを読んでよかったと思う人がいるのかな? 問題も解決しないし。
愁童:部分的には光るところも確かにあるんだよね。
アサギ:まわりのことが書けていないというのは、逆にリアルに感じたわね。
うさこ:年齢というよりも作家の技量として書けないんですかね。
ブラックペッパー:私はわざとそうしているのかと思いました。だって、父親や愛人の描写はスゴイ。
カーコ:選考委員の斎藤美奈子さんは、家族の部分になると急にうそっぽくなると評しています。確かに、いじめなら重松清の方がずっと、それぞれの心理に迫って書いていると私も思いますね。
アサギ:だいたいこの年齢では、分析できないものだと思うけど。
愁童:主人公以外の登場人物の造形が貧弱だから、小説としてはおもしろく読めないんだよね。
むう:感じたことを、そのままを書いちゃってる感じ。小説というのは、自分を離れたところに置かないとかけないと思うけど。前にも議論になったことがあるけれど、子どもの視点で書くと、設定年齢によっては、描写が限定されて、たとえば人物描写に深みがなくなったりすることがある。この作品にも、それに通じる薄さがあると思う。
アカシア:読者対象はどの辺なんだろう?
小麦:インターネットのブログなんかでは、同世代の子の「才能ある作家が出た」とか「これは読まなくては」なんて熱狂的な意見も、あることはありました。
うさこ:読後感は消化不良という感じです。主人公はちょっと背伸びし、大人ぶった冷静な味方や自己分析しているわりには、母に向けた言動や父へ抱いている感情やクラスでの友人への対応は、ことのほか幼いなあ、という印象でした。まあ、それが等身大といえば等身大なのでしょうか。こんなに冷静に(いや、冷静を装ってる?)まわりを見ることができるのであれば、問題のある家庭や学校でももっと違う立ち位置を築けたのではないかなと思いました。結末は単なる逃避行という感じで「なんだあ、こんなラスト…」と不満が残りました。夢の中の男、マシンガンなど、ある象徴ではあるけれど、一つのアイテムレベルに終わっているのがもったいない…。
小麦:これって系譜としては『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー)と同じだと思います。大人が汚く見える年齢の主人公が、ひたすら悪態をつくっていう。でも大きく違うのは『キャッチャー……』には、希望やホールデンなりの信条がある。たとえば妹のフィービーのことを語る箇所なんかは、文章中にやわらかい感情が満ちていて、ホールデンが確かな拠り所としているものがあるんだなと、読んでてうれしくなる。でも、『平成マシンガンズ』には全頁を通して希望が感じられず、嫌な閉塞感が最後まで残りました。出てくるのがみんな嫌な人ばかりで、主人公にも好感が持てず、小説としては魅力がなかった。帯に書かれた錚々たる方々のコメントを読んで、本を買うときは胸躍りましたが、実際に読んでみると「うーん……」と正直、しらけてしまった。文学賞が話題作りの一環になってないかな、という思いと、若い才能に対して、大人たちの腰がちょっとひけてない?というのが率直な感想です。
(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)
ジョナさん
片川優子/著
講談社
2005.10
版元語録:高2の夏,チャコは進路問題,男性との出会い,家族の死に直面する。笑い,涙しながらの毎日をいとおしく思える青春小説。
ミラボー:『平成マシンガンズ』よりも安心して読める。おじいちゃんに対するマイナスイメージをのりこえ、最後解決して終わっている。ゲートボール場で週一回会える彼は、顔がよくてモテて、うらやましいですね。
むう:なんというか、文章がとげとげしていなくて、つるつると気持ちよく読めました。デビュー作の『佐藤さん』のときのような、極端に最後が破綻しているということもなかったし、おもしろかった。家族のことは、どうだろう、うまく書けているのかな? 父親の出てき方が唐突な気がしたな。前にもうちょっと書き込んだほうがいいと思いましたね。
アサギ:ストーリーがうまくできていると思いました。危なげなくまとめていて、破綻がない。とくに会話がうまいですね。まあ、インターネットで発言している人も多いから、一見気のきいた文章を書ける人はふえているという面はあるけど。主人公の名がサコで茶畑からとったことや犬が実は兄弟など、いろいろ伏線があって、最後にいたって物語が収斂していくとこなどもうまい。一方で、まだ高校2年なのに、こんなにきちんとまとまってしまっていいのかな、って言う気もしましたね。146ページ、高卒でフリーターという状態に対する自分の差別意識については、けっきょくどうなったのか疑問が残りました。苦い缶コーヒーは大人の味、ジャンジャエールは子ども、のエピソードは古典的ね。1956年頃の雑誌『ジュニアそれいゆ』にも、同じような描写があったのを思い出しました。
アカシア:『佐藤さん』よりうまくなっていますね。犬のギバちゃんという、本筋とは関係ない存在を出してきているのもうまい。会話もジョナさんの口調をのぞき、おおむねうまい。文体もリズムがあってとてもいい。ただ、おじいちゃんが好きだったのに、嫌いになっていく過程があまりちゃんと書かれていない。62ページで、介護するお母さんがおじいちゃんの悪口を言い続けるとありますが、普通は好きなおじいちゃんが悪口を言われたら、嫌いになるよりは味方をしたくなるのでは? 185ページでは、「大好きだったおじいちゃんが、毎日老い、衰えていくさまを目のあたりにするのはつらかった」とありますが、その次が「おじいちゃんのことを忘れることにしました。はじめから嫌いだと思ったなら、つらくないと思ったから」だけでは、読んでて物足りない。
私がいちばんひっかかったのは、この年齢の男性で、ジョナさんみたいな人がいるとは思えないということ。主人公がジョナさんを美化してるので容貌についてはリアリティがなくても仕方がないと思うんだけど、なんのために毎週この子のとこに来るんでしょうね? 好きでもないのに? 来る理由は本の中で一応説明されてますが、説得力がありません。もうちょっと年齢が上だったら、まだわかるんだけど。P181では「うん、がんばるよ。今までずいぶん回り道もしたけど。でもそれが結果的にはよかったと思うんだ。この仕事に出会わなかったらたぶんこんなふうに思うことはなかったと思う」なんてクサい台詞を言うんですが、これもリアリティがない。女の子の会話はとてもリアルなのにね。
アサギ:確かに人間像は安易な感じ。福祉の仕事をやる、とか。
ウグイス:どうしてこの主人公は毎週犬を連れて公園に行くのか、きっとおじいちゃんと何かあったんだろうな、次第にそれが明らかになっていくのかな、と思って読み進むんですが、最初に期待していたほどのことはないままに終わっちゃうわね。トキコとの会話が生き生きしていて読ませてしまうが、ストーリーとしては場面がどんどん展開していかないので、途中で飽きてしまう。もう少し何か事が起こってほしい。『佐藤さん』のときはアハハと笑える描写がたくさんあって、そこが好きだったけれど、前よりユーモアが消えちゃったのが残念。私は『佐藤さん』のほうが、新鮮な感じがした。表紙の絵は平凡で魅力を感じないな。それに、ギバちゃん、もこみち、キムタク……、なんて出てきますが、今の読者にはぴったりでも5年もすれば古くなっちゃう。もったいない気がする。
紙魚:『佐藤さん』に比べると、なんだか人間としても、作家としても、大人になったなあと感じさせられました。『平成マシンガンズ』と決定的にちがうのは、人間に対して気持ちが素直で、手探りに懸命でいるところ。人を向こう側まで見ようとして、好きになろうとしている姿勢は本当にほほえましい。それに会話のセンスがいい。いくら作者が若いからといっても、やはり書く力がないと、物語の登場人物にここまで小気味よく会話させられないと思います。おじいちゃんについては、もっと秘密があるのかと思いましたが、なんだかちょっと消化不良な感じ。『平成マシンガンズ』は、自分のことばっかりで、まわりに目がいってない。『ジョナさん』は、自分とトキコという関係性を書こうとしている。そして、『わたしの、好きな人』は、もっと世界が広がって、家族とか他人とか、社会も出てくる。こういうちがいって、やはり作者の年齢もあるのかなと思いました。そう考えると、子どもが読む本を大人が書くということには、やはり意味があるのだと思います。
カーコ:おもしろく読みました。先が読みたいと思わされて。『佐藤さん』のときよりずっとうまくなりましたよね。まず、会話がよかった。今風の高校生の会話だけど、決して下品ではなく、気持ちよく読める、その加減がうまいと思いました。それから、トキコの見えない部分が見えてきたり、昔のことを思い出したり、いろんなことがからみあって自分や相手を理解していく過程、二人の関係がおもしろかったです。それがあるから、今まで目をそらせていたお父さんやお母さんに、だんだんと目を向けていくんですよね。高校生がこんなふうに考え、書いてくれるのがうれしい。
愁童:好きでした。『平成マシンガンズ』と比べて印象的だったのは、主人公の相手役になる人物像の描き方の巧拙。『平成〜』のリカちゃんはエロ本が机の上に積まれていたということだけで、何故そんなことをされるようになるのか、読者には不明のまま。こちらはトキコの「私、大学行かないよ」の一言の背景を簡潔に、読者に分かるように書いていて、その後の主人公とトキコの関係に説得力と立体感を与えていて好感が持てた。文章のリズムもいいし、若いけど、フリーター、やニートみたいな生き方への視点もきちんと持っている。ひさし君が定職に就くことになって、作った一番最初の名刺を貰う、なんてややクサイ感じはあるけど上手いと思う。同世代の読者に支持される理由がこの辺にあるのかなとも思いました。
うさこ:『佐藤さん』ほどパンチ力はないけど、読み手を引き込む何かはあるな、と思って読みました。トキコとの関係が気持ちいい。媚びるのでもなく、大げさでもなく、何か読み手のなかにストンと落ちていく感じがいい。前半はおもしろかったけど、後半の「ジョナさんについてジョナサンで語ろう」の章あたりはかったるいし、なんかわざとらしい感じが。おじいちゃんの魅力をもっと書いてほしかった。ホステスさんのことを「女神様」とよんだりしているところにこのおじいちゃんの深さがあるのではないかと思ったけど、それしか書いていなかった。どこがどう好きとかもう少し書けていれば、深みが出たと思う。最後、犬が兄弟の犬と会いたいということが本当にあるのか、疑問に思いました。
アサギ:おぼえてないって言うわよね。
アカシア:何かわかるみたいよ。においとか。どのくらい長く一緒に過ごしたのか、というのとも関係があると思うけど。
ブラックペッパー:私、それ、疑問点その1でした。犬って、自分の兄弟がわかるものなのかしら? わからなかったっていう話を聞いたことがあったもので。疑問点その2は、なぜジョナさんは主人公に声をかけたのか? この主人公、外見はごく普通の子だし、そんなに魅力的な女の子とは思えないんだけど……。
アサギ:主人公が高2で、将来のことを悩んでいるのを見て、自分の高校時代を思い出し、気になったのでは?
アカシア:普通この年齢の男の子なら、百歩譲って気になっていたとしても、毎週会いになんか来ないでしょ。
小麦:ジョナさんは、チャコが自分に憧れているのを十分知ってて、自分のファンの女の子が悩んでいるのを知って、お兄さん風を吹かせて、毎週来ていたという解釈はないですか? この年齢の男の子って、多少ナルシストっぽい面があってもおかしくないと思うし……
ブラックペッパー:疑問点その3は、横浜線の鴨居からホステスとして銀座に通うのは、たいへんすぎるのでは? ということ。終電も早そうだし、タクシーに乗るにしても遠いでしょ。ま、それは小さなことなんですけどね。全体としては、たらーっとした空気は好きだったけど、深みがないといいましょうか、なんだか、あんまり……。それはそうと、この表紙、このしろーい感じは「きょうの猫村さん」(ほしよりこ マガジンハウス)に似てない?
ケロ:作者は、この時点で自分が受験の渦中にいたわけで、そこで、その気持ちを忘れないために書いた、とあとがきにあります。渦中にいたら、結論なんて言えないんだろうな。自分が置いていかれそうな不安と焦りを描いたとして、そこに何かを見つけた、みたいなことも書き加えたかったんだろうな。でも、本人に結論が出ていないから、ちょっとそのへんが介護という安易な選択を口走らせているのではないでしょうか? 後半になって、昔のこと、おじいちゃんのことを思い出していきますが、この感覚わかるな。けっこうよく忘れるんですよね、このくらいの世代は。で、大人になったあとから赤面したりして。でも、その思い出し方がちょっと。172ページの「おじいちゃんにゲートボールをすすめたのは、確か……確かーー」と173ページの「ギバちゃん、シャンプーのにおいするね。誰かに洗ってもらったの?」は、シャンプーは日常のことだし、わざとらしい感じがしました。
(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)
わたしの、好きな人
八束澄子/著
講談社
2006.04
版元語録:さやかは小学6年生の女の子。彼女の好きな人は,家の工場で住み込みで働いている36歳の男性・杉田だった。
ウグイス:八束さんは好きな作家で、この本もおもしろかった。ひとむかし前のTVドラマを観ているみたいな感じがしました。最後まで読んで、これは「小さい女の子から見た、違う年齢の男の生き様を描いた作品」なのだと気づきました。猫の小太郎もいい味を出している。その辺がおもしろかったです。ただ、小学生の女の子にしては、いろいろな感覚が大人びていて、もう少し年齢の高い子が少し前の事を思い出している感じがしました。
紙魚:『平成マシンガンズ』や『ジョナさん』に比べると、やはり描写力のうまさを感じます。その場のにおいや湿度、たとえば工場の油のにおいなど、感覚に訴えるように迫ってきました。生活の音も、すごくがちゃがちゃしてうるさい感じが伝わってくる。人間関係も、その場にいるような気にさせてもらえました。ご飯を作るときの描写なども、本当においしそう。細部の描写によって、全体が支えられているのがよかったです。
愁童:おもしろかった。ぼくも技術系の仕事をしていたので、油臭い小さな町工場のようすなど、よく書けていると思いました。70年安保のことが出てくるけど、ここはしらけたな。作者がこの作品で書いているようなキャラの男が内ゲバみたいな先鋭的な部分に関わることもかなり不自然。作者はだから町工場に職を求めざるを得なかったという設定で書きたかったのだろうけど、そこからすきま風が吹き込んでくる感じ。
うさこ:期待して読んだのですが、ちょっと期待はずれでした。どこがというと、杉田の人物像がつかめるようでつかめない。さやか一人が舞い上がっている感じ。さやかが口にするほど杉田の魅力が読み手に伝わってこない。リアル感がない。杉田は、小さい頃からいっしょ、というより育ててもらった人で、家族や家族以上のつながりのある男性を、いつの日か恋心をもって意識しはじめるというのは、ただぽうっとした感情だけではないはず。12歳の女の子、思春期の入り口あるいはまっただ中に、男性として杉田を好きになったとしたら、もっと生々しい情景があるのではないか? 例えば、杉田の後にお風呂に入りたくないとか、いつもの食事も変に意識して食べられないとか、かっこつけようとして失敗するとか……。設定はおもしろいだけに、細部のリアル感の欠落で、物語がぎくしゃくしている。おっさん、杉田という呼び方も違和感あります。照れ隠しな言い方かもしれないけど、もっと素直な呼び方にしてもよかったのではないかと思うんです。2時間ドラマの原作になるような……、というのは反対に言うと、その程度の作品なのかなあ、とも思いました。
ブラックペッパー:私は、読む前に杉田の正体を知っていたので、クールに読み進みました。でも、「恋って、非日常」のものだと思うので、半分家族みたいなこういう人に恋心を抱くかな? しかも初恋なのに! 家族とはもっと遠い、別世界のものに憧れるのが恋だと思うんだけど……。杉田という人を描きたくて書いた作品みたいなので仕方ないのかもしれませんが、ちょっと不思議に思いました。憧れる、恋するって感覚が、12歳の心ではないみたい。50歳の心をもった12歳の女の子って感じ。
紙魚:この本では、作者の年齢は伏せられているんですよね。他の著作には、作者は1950年生まれと書いてあります。
ケロ:私も、こんなに近しい親のような人に、恋心を抱くというのは、あり得ないのではないかと思いました。主人公は、父親のやっている工場を継ごうとか、愛してるとか全然思っていないわけで、その油にまみれた工場にいる存在の杉田に、恋心を抱くというのは、ちょっと考えられない。でも、もしかしたら12歳のこの主人公にとっては恋愛だけれど、本当は恋愛感情ではないのかもしれませんね。それを超越するような「大事な存在」ということを主人公が、勘違いしているのだとすれば、分かる気がする。杉田は、自分が一番頼りたい人で、出ていってほしくない大事な人だから。でも、そうだったらそう言う表現がどこかに必要なのでは? ありえなーい、と思わせてしまうのは、作者の責任かと思います。
小麦:『平成マシンガンズ』の殺伐とした世界のすぐ後に読んだので、ことさら安心して読めたような……。描写力があり、物語自体に力があるので、ぐいぐいと読めますが、ところどころひっかかる部分があったのも事実です。杉田が12歳の女の子の恋愛対象になりうるのか、とか、お兄ちゃんの改心があまりにも唐突で、ご都合主義に感じるとか……。ただ、私はこの作品にリアリティを求めるというよりも、ある種のファンタジーとして読んだので、みなさんが違和感を感じた点については、あんまり気になりませんでした。小学生の女の子がこんな直球の手紙を書くかなっていうのはありますが、最後に主人公が、文字にすることで、自分の気持ちに決着をつけるというのも、すごくいいなと思いました。
ミラボー:あり得ない設定をあえて書いて、それで物語を作っていこうとしている感じを受けました。杉田や、お兄ちゃんにリアリティがない。男の立場から見ても変だな、と感じます。それに、顔がいい男が、やっぱり得なんだな! この3冊の中では、自分の生徒たちにすすめるなら『ジョナさん』かな。
むう:作者の年が気になったのは、なぜかというと、学生運動をリアルタイムで知っていた人なのかどうか疑問だったから。学生運動をリアルタイムで知らない人なら、「普通の人、あるいはむしろ崇高な理想を持った人だけど、間違って罪をおかしてしまった」という設定に学生運動を使うだろうけれど、リアルタイムで知っていたら使わないだろうと思ったんです。この作者の年齢からするとリアルタイムで知っていたはずですよね。こういうふうに使うのかな? ちょっとご都合主義の感じ。70年代後半の学生運動というのは、そういうものではなかったように思うんです。まあ、12歳がとらえた像としては、ありなのかもしれないけれど。この主人公は、50代の人の中に生きている12歳の少女、という感じがしました。つまり生の12歳でもなければ、生の50代でもない「少女」。関西弁の雰囲気や、工場の様子は、おもしろかったです。
アカシア:私はとてもおもしろく読みました。この12歳は、私はリアルだと思ったんですね。13歳、14歳だと性を意識するだろうから、こういう憧れ的恋心とはまた違うと思うんです。おしめを替えてもらった相手に恋愛感情がもてるか、ということだったけど、替えてもらったほうは赤ちゃんで覚えてないわけだから、恋愛感情はもてると思うんです。少女のほうは、さっきケロさんが言ったように「いてほしい人」という思いが強くて本当の恋愛感情ではないかもしれないけど、自分では恋愛だと思っている。でも、赤ちゃんの頃から見てきた杉田のほうでは、少女の気持ちをうすうすは感じながらも保護者的な思いが働くし、もっといろいろなことを大人として考えなきゃいけない。そのずれを、とても的確に表現している。ただ兄が引きこもりから家出して新聞配達をし、もどってきて工場を背負うようになるという、この変貌ぶりだけは、私もちょっと抵抗がありました。でも、全体にユーモアもあるし、うまいですよ。
(「子どもの本で言いたい放題」2006年6月の記録)