日付 2007年7月26日
参加者 たんぽぽ、アカシア、みっけ、ウグイス、愁童、ねず、ケロ、ポン、サンシャイン、ジーナ
テーマ 異形のものたち

読んだ本:

朽木祥『かはたれ』
『かはたれ〜散在ガ池の河童猫』
朽木祥/著 山内ふじ江/画
福音館書店
2005

版元語録:河童の子どもが猫に姿を変えてやってきた。だがある日、猫は河童の姿に戻ってしまったのだった…。心の問題を抱える少女とかわいらしい子どもの河童との、ユーモアと感動に満ちたファンタジー。
柏葉幸子『牡丹さんの不思議な毎日』
『牡丹さんの不思議な毎日』
柏葉幸子/著 ささめやゆき/絵
あかね書房
2006

版元語録:元気な牡丹さん一家と幽霊のゆきやなぎさんとの奇妙な同居生活を描く。ひなびた温泉街が舞台の人情味あふれるファンタジー童話!
クラウス・ペーター・ヴォルフ『イェンス・ペーターと透明くん』
『イェンス・ペーターと透明くん』
原題:JENS-PETER UND DER UNSICHTBARE by Klaus-Peter Wolf, 1997
クラウス・ペーター・ヴォルフ/著 木本栄/訳
ひくまの出版
2006

版元語録:いつもはまじめな男の子、イェンス・ペーターのところに、いたずらをそそのかす透明人間「透明くん」が出てきて大混乱! ふたりの「はちゃめちゃな物語」が始まります。19ケ国語に翻訳されているユーモアファンタジー。


かはたれ〜散在ガ池の河童猫

朽木祥『かはたれ』
『かはたれ〜散在ガ池の河童猫』
朽木祥/著 山内ふじ江/画
福音館書店
2005

版元語録:河童の子どもが猫に姿を変えてやってきた。だがある日、猫は河童の姿に戻ってしまったのだった…。心の問題を抱える少女とかわいらしい子どもの河童との、ユーモアと感動に満ちたファンタジー。

たんぽぽ:読むのは2度目ですがおもしろかったです。女の子が出てくるあたりからお話がカラーになるみたいな感じがしました。ひとりぼっちの八寸と女の子が同じさびしさを抱えているように思いました。私の図書室では6年生も読んでますし、続編の『たそかれ』も読んでいます。表紙がこんなふうだけど、中のイラストを見るとかわいらしい。表紙が、また違った感じになると、手にとりやすくなるかもしれません。とっつきがあまりよくないんですが、河童だけの最初のところをがまんして読めると、子どもも物語に入っていけるんです。猫になるんだよって言うと興味がわくみたい。

アカシア:最初に序章がありますが、そこを読んだときに、この人文章うまいなって思いました。最近登場した若い作家たちは、お話を作るのはうまいけど、文章がうまい人って少ないように思います。でも、この人はうまい。古めかしい感じがするところも、この物語の雰囲気にあっています。ひとりぽっちになってしまった八寸がどうなるのかなと思ったら、なんと猫に化けるとは! おもしろいですね。猫になっているときは猫の視点で人間を見ているのもおもしろい。盲導犬訓練所で落ちこぼれたチェスタトンという犬も出てきて、いい味を出しています。八寸と麻の関係は、ノートンの『床下の小人たち』みたいな関係ですね。ゆったりとした、わりと地味なお話だけど、とてもいいなと思いました。

ねず:まず第一に、文章に深みがあってうまいと思いました。佐藤さとるさんの『天狗童子』は、天狗の世界もおもしろいし文章も言うまでもないことで、大好きな作品ですが、ストーリー性に欠けるところが残念でした。そこへいくと『かはたれ』は、人間の世界にとびこんだ河童の正体がいつばれるかというスリルもあるし、お母さんをなくした女の子の気持ちもよく書けている。続編もぜひ読みたいと思っています。いつも、この読書会で話に出ることだけれど、日本の創作児童文学の母親像って、勉強しなさいと怒ってばかりいたり、視野が狭かったり、とかくステレオタイプで気に入らなかったんだけど、この本の亡くなったお母さんとか、後に出てくる牡丹さんは、なかなかいいですね。こっちのほうが、ずっとリアルだと思う。

ウグイス:最初河童の世界が詳しく書かれていて、ひとりぼっちの八寸がこれからどうなるのかと、引き込まれます。作者は動物が好きなんじゃないかと思う。猫のようすだとか、情けない顔をした犬のようすとか、とてもリアルに描かれていて好感が持てました。最初は八寸の視点で書いているけれど、麻が出てきてからは、麻の視点にかわっていくんですよね。後半にも、もっと八寸の視点がほしかったと思いました。麻の見た八寸になってしまうので、ちょっと物足りない。続編を読むとまた違うのでしょうか。全体に、しーんとした静かな気分が感じられ、ちゃかちゃかしてないところがいいですね。最近の本には珍しい。子どもにもゆっくり静かに読んでほしい。挿絵の河童の姿は、ここまでリアルに書かなくてもいいと思いました。後姿だけにしたほうがよかったのではないかしら。

みっけ:とても楽しく読みました。1ページ目から、ぐぐって引き込まれる感じで。この人は鎌倉に住んでいて、独特の地形をうまく使っているのもとても興味深かった。鎌倉のじとっと湿気のある感じが、河童があっている気もするし。それに、なんだかあちこちに隠れられそうな場所があることも。ともかく上手な人だなと思った。キウイを食べて、へなへなっとなっちゃったり、麻が八寸を洗おうと思って水をかけちゃって、カッパに戻っちゃったりして、えっ、どうすんの?とはらはらするんだけれど、破綻せず上手につながっていって、とてもおもしろかった。途中からは、お母さんを亡くした麻の気持ちがぐぐっと前に出てくるのだけれど、このお母さん像については、もちろんわかるんだけれど、なんかちょっとやり過ぎのような気がして、はじいちゃったというか、入り込めなかった。なんといっても楽しかったのは、麻の留守に、八寸が家中を探検して回る、「八寸おおいに遊ぶ、チェスタトンもおおいに遊ぶ」のあたりでしたね。とにかくおかしくて。それと、猫になったり、河童になったり、それがすけて見えるような微妙な感じも、いいなあと思いました。迷い猫のポスターが張られて、兄弟が気づいて、というあたりの展開もいいし。それと、どうやって終わるんだろう、と思っていたら、たたみかけるような展開で、八寸が麻にさよならも言えずに一族の元に返っていく。そのあたりも、めそめそしていなくて、いいなあと思いました。とっても気に入って、続編も読みました。

アカシア:麻の視点が出てくるのも、私はいいと思いました。続編には、麻が八寸に、八寸が麻に会いたいと思っているというのが出てくるから、ここで麻の視点を出しておく必要もあったんじゃないかな。

ウグイス:両方の視点から書かれていること自体はいいと思うんだけど、後半もう少し八寸の視点に戻ったらよかったかなと。

ねず:河童は、いまけっこうはやりだとか、新聞に出てましたね。

みっけ:最初に滝先生が出てくる場面があって、いかにもこの人が絡む、という感じに思えたのに、結局は最後にちょこっと、といってもかなり印象的な形なんですが、出てきて終わるのが、なんというか、ぜいたくな感じでしたね。

ウグイス:テーマが、目に見えないものを信じる心が大事だ、みたいなことを言っているから、ほかにもそういう人がいるんだっていうことを言うために滝先生を出したのかな。

ジーナ:おもしろい話を読んだなと思いました。日常の世界を、いつもと視点を変えて見せていくでしょ? これぞフィクションのおもしろさだなって。しかも、描写がとてもていねいで、すてきな表現があちこちにありました。八寸と麻の気持ちもこまかく描かれているから、納得しながら読み進められるんですね。たとえば、52ページ2行目。「犬は八寸が河童だとわかるから吠えるのか、猫だから吠えるのか、それともただ吠えたいから吠えるのか、八寸にはさっぱり理解できなかった。」という文章は、八寸の思ったことを簡潔だけれど過不足なく描いているし、114ページ2行目の「おやつのみかんゼリーは風邪薬のシロップみたいな味がした。」というところも、麻のつまらなさがすごくわかる。それから、この作者はキーツの詩だとか、植物の名だとか、シェークスピアだとか、さりげなくちりばめていますよね。50年前くらいの文学というのは、教養主義というのか、こういう薀蓄がもりこまれていたけれど、最近の児童文学というのは、等身大ばかりでこういう目線はなかなかありません。すぐにはわからない子も多いと思うけれど、世の中にはこんな美しいもの、すてきなものがあるんだよ、という投げかけに作者の心意気を感じました。

ポン:この本は、出版されてわりとすぐに、知人から「とってもおもしろいわよ!」と勧められて読んで、とても好きな作品だったのですが、今回読み返してみて、やっぱりしみじみといいお話だなあと思いました。もうね、最初、ひとりぼっちの八寸がかわいそうでね〜。20ページの「八寸はわずか61歳で、天涯孤独の身の上となったのである」という1行がずしんときた。だって人間でいえばまだ6歳くらいで一人になったわけだから、その孤独さかげんを思うと、気の毒で気の毒で……。でも、言葉っておもしろいなと思うんだけど、こんなすごくヘビーな状況でも、「わずか61歳」といわれると、ちょっと笑える。だって、人間界では61歳を「わずか」ということは、まずないでしょ。そういう河童ならではの設定がとってもおもしろいし、それをこんなふうにシリアスに、ずしんとくるようにいいながらも、ユーモラスな雰囲気もほんわか香るって、即物的、表面的だけでない、奥深さが感じられて、こういうのっていいなあと思いました。
と、最初から、細部までとっても楽しんで読んだのですが、ちょっと気になったのは、読者対象。表4には「小学校中級以上」とあるけど、中級にはムズカシイかも。難しい漢字も使ってるし。「翅(はね)」とか「薔(ば)薇(ら)色(いろ)」とか。こだわりがあって使っているんだと思うけど、どうなんでしょう? やっぱりひらがなにしたり、やさしい字に変えたりすると物語世界がくずれるのかな。118ページの「華奢なこどものように首もかぼそく、うなだれて内股気味に立っているようすは、いかにも頼りなげだった」なんて、その八寸の姿が目に浮かんでくるような、とてもよくわかる描写だけど、「かぼそい首」って、私が小学生のころだったら、ピンとこなかったかも。こういう描写も難しい漢字も、読者を子ども扱いしないで書くっていうスタンスのあらわれなのかな。子ども扱いしないっていうのは、子どもにとってうれしく思う部分もあると思うけど、あんまり本を読まない子には障害になるかもしれませんね。

ケロ:去年、児童文学の新人賞を総なめにした作品で、その時に読んで、すごく深みのあるおもしろいお話だと思いました。今回は、テーマがあったので、それを思いながら読み返しました。主人公の麻が、母をなくしたことをきっかけにして心が閉じてしまったところに、河童が現れます。目に見えるものが信じられなくなっている麻は、目に見えない「心」のつながりを河童との出会いで少しずつ手に入れていきます。麻と河童、麻とチェスタトン(犬)は、言葉は通じないけれど、気持ちは通じ合っています。ここでは、異形の者とは、人間と言葉の通じない生き物。でも、だからこそ心を通い合わし深いところで通じることができる存在だという気がします。この、目に見えない通い合いを重ねていくようすが丹念に描かれているなと感じました。序章は、作品に深みを持たせるものにもなってますけど、間口を狭くしているというところもあり、いちがいに言うことはできません。第1章以降は、ユーモアもありテンポもよくなり。河童が水をあびてしまったところで、超吸収タオルでふいたとか、おもしろいですよね。また、この作品から興味が派生する要素もあります。シャーロックホームズの黄色い顔を思い出しながら、カーテンをしめるとか。

サンシャイン:鎌倉にいたことがあるので、お話に親しみが持てました。本自体はおもしろかったんですけど、児童文学という名で大人向けに書かれた本かなと思います。難しい言葉もあって、子ども向けに書いている感じがあまりしなかったです。

ねず:子どもに真っ向勝負で書いているような感じ、昔の作家にはよくありましたよね。子どものとき、リアルタイムで読んだ手塚治虫のマンガにも、子どもながらそういうところを感じた記憶があるわ。

アカシア:子どもの本か大人の本か、というのは、難しい言葉が使われているかどうかじゃなくて、どういう視点で書いているか、だと思うんです。この作品は、はっきり子どもの視点に立って書いています。それに、わからなさそうなところは、ちゃんと説明してるから、ただの教養主義とは違うと思うな。

サンシャイン:麻っていう母親を失った子が、河童との出会いで癒されていくというのも、大人の視点かなと思ったんです。

ジーナ:等身大ではないかもしれないけど、作者がそういう部分もふくめてこの世界を子どもに手渡そうとしてるんだ、と私は思いました。

アカシア:表紙は少し抵抗がありましたけど。子どもが見てどうなんでしょうね。

ケロ:本屋ではじめてみたとき、この表紙はちょっとって思いましたね。

ねず:この色もきたならしいっていうか。

ウグイス:各章の扉の絵はいいのにね。目に違和感があるの。河童の姿をここまでリアルに描かなくてもいいのにね。

ジーナ:でも、これって「かわたれ」って読めませんよね。タイトルから図書館で検索したときに、ちゃんとヒットするのかしら。読み方どこにも書いてないし。

多数:カバー袖にあるわよ。「かわたれどき」って。

ジーナ:ああ、私の借りた本は、袖を切り落としてブッカーがかかってるからわからなかったんだ!

(「子どもの本で言いたい放題」2007年7月の記録)


牡丹さんの不思議な毎日

柏葉幸子『牡丹さんの不思議な毎日』
『牡丹さんの不思議な毎日』
柏葉幸子/著 ささめやゆき/絵
あかね書房
2006

版元語録:元気な牡丹さん一家と幽霊のゆきやなぎさんとの奇妙な同居生活を描く。ひなびた温泉街が舞台の人情味あふれるファンタジー童話!

愁童:うまい作品だなって思いました。読書会の課題本を読んでると言う、こっちの構えた姿勢を、いつのまにか忘れさせられて、楽しんで読んじゃいましたね。学校の成績や偏差値みたいな価値観以外の所にも、人生の真実や面白さがあるんだよって言う作者のメッセージが素直に伝わってきて、今の子ども達が読んでくれると、癒されたり、楽しんだり、多様な読み方ができる貴重な児童書だなって思いました。

アカシア:設定はすごくおもしろいなって思ったんですね。現実界の人とそうでない人が、接点を持っているってところがいいなと思って。ただね、これって産経の大賞だったんですよね。大賞かって思うと、ちょっと言いたいことが。ユキヤナギさんっておばけが出てくるでしょ。初出が「鬼が島通信」だから別々の時期に出たせいか、最初のほうは幽霊なんだけど、最後のほうはただのおばあさんみたいになって、優麗らしさがなくなっちゃう。それから、資(もと)っていう3年生の男の子。お父さんに変身した木とずっと暮らしちゃう。ファンタジーだからと言ったらそれまでだけど、現実との整合性って多くの作家は苦心して考えぬいてるんですよね。でも、作品はその辺がちょっと甘いかなって思いました。。「お盆にまだ一週間も前だというのに」は、誤植かな。

たんぽぽ:何歳くらいの子を対象にしているのかなって思って。小学生にはちょっと無理かなって思いました。女中さんが、流れの女中さんとか、おじいさんが昔の恋人に会いにいったとか。木がお父さんになってそのまま暮らすっていうのもなんか、無理があるように。子どもには難しいかな。連載をつなぎあわせていったって感じもしました。

アカシア:小学生には『かはたれ』のほうがわかりやすいんですか?

たんぽぽ:ええ。同じくらいの少女の気持ちが描かれていて共感できるのではないかと思います。

愁童:でも、柏葉さんの方には、さりげなくユーモアがちりばめられていて、世の中何でもありだよ、みたいな昔は良く居た隣のオバサンみたいな語り口。子供達がリラックスして楽しめる雰囲気がある作品に仕上がっているのがいいなって思うけどな。

みっけ:ふわふわした感じで、おもしろかったです。なんか奇妙な味ですね。お母さんの造作がなかなかおもしろくて、家族がみんな、それにふりまわされるみたいな感じなのが、日本ではわりと珍しい。お花見のエピソードなんかでも、あのおごちそうを、結局牡丹さんたちは食べたのか、食べなかったのか、よくわからない。飼い犬が男の子を拾ってくるエピソードでも、男の子が木の精と暮らすようになった、んだろうなあ、という感じで、なんだかゆるゆるっとした印象。人間とあちらの世界のものが入り交じっていた奇妙だけどほんわりした世界をおもしろく書いている。最後のエピソードで、初市での命のとりかえっこで、おじいちゃんの命が代わりに取られた、なんてさらっと書いてあるところは結構不気味で、これがこの人の持ち味なんだなあと思いました。

ウグイス:私は途中で飽きました。この本のおもしろさは3つあって、まず第一はホテルを家にして住むっていうところです。宴会場や、フロントなどに普通の家族がどのように生活するのか、子ども心におもしろいと思う。次に、幽霊やこの世ならぬものとの交流です。そして3つ目は、牡丹さんってキャラクター。最初からお母さんではなく「牡丹さん」と書いてあることからもわかるように、作者はこれを一番おもしろがって書いていると思う。大人から見れば魅力的な女性なんだけど、子どもはこういうお母さんに魅力を感じるかな? 作者がおもしろがっているこのキャラクターは、子どももおもしろいと思うのかな、と疑問に思いました。

愁童:自分の親をうざいなって思っている女の子って結構居たりするから、そんな子が読むと楽しく共感出来ちゃったりするんじゃないかな。何しろ、人生かくあるべし、みたいな作品じゃなくて、作者が子どもをまきこんで、一緒に楽しんじゃえ、みたいな創作姿勢に、僕はいかれてしまいましたね。

ウグイス:お母さんと娘っていう感じがしないでしょ。わざとそうしてるんだろうけど、子どもは楽しいと思うかしら。連載していたものをまとめているので、ゆきやなぎさんのことを何度も説明したり、ムダなところがある。50ページ、「泣くまいと歯をくいしばる小さな男の子は痛々しかったが、好もしく見えた」。「好もしく見えた」っていう表現は、全く子どもの語彙ではないですね。51ページ、「会いたい木があるんだ。……ぼくその木と友だちになった。あの木に会いたいんだ」って、子どもが言う言葉にしてはずいぶんわざとらしい。このあたりから、だんだんつまらなくなってしまった。

愁童:木に対する思い入れっていうのは、『冬の龍』(藤江じゅん著 福音館書店)にもありましたよね。よくあることじゃないのかな? 自分の子ども時代のこと考えても鮮明に記憶に残っている木ってあるもんね。

ねず:ウグイスさんがひっかかるのは、この言い方じゃないのかしら? 歯の浮くような台詞というか……

サンシャイン:私もあんまり評価できないですね。雑に書かれているという印象です。読んでよかったなって感じがあまりしませんでした。いきあたりばったりというのか、深みが感じられません。

ポン:私は、おきゃんなおばちゃんがドタバタする話に、子どものころから魅力を感じられないタチなので、これもタイトルを見ただけで「いかにも」という感じがして、あんまり読みたい気持ちにならなかった。でも、読み始めたらおもしろいところもあって……って、おもしろいことはおもしろいんだけど、でもなあ……。素朴なギモンなんですけど、ユキヤナギさんは、どうして幽霊になったのかなあ。何かこの世に心残りがあるから幽霊になったんだと思うんだけど、そういうこと、ぜんぜんでてこない。そんなことを気にしちゃいけない作品なのかもしれないけど、でも知りたかった。
50ページの「大人はどこまで子どもをないがしろにすれば気がすむんだ。菫はこぶしをにぎりしめた。子どもの気持ちを知ろうともしないで、気を使ったつもりでいる」というところは、違和感があった。菫がここでそんなに怒るのは不自然。よく事情も知らないのに、こぶしをにぎりしめるほど怒ることはないと思うんだけど。だって、資のおかあさん、資にここにきたいっていわれてすごーく悩んだのかもしれないよ。資をないがしろにしたくなくて、あれこれ考えた末にここにやってきたのかもしれないじゃない。資のおかあさんが、資の気持ちを理解しようとしたかどうか、資に会ったばかりの菫は知るはずもないのに、なんだか一方的に決めつけてるみたい。だいたい、小学校3年生だったら、行ったことのある場所だって限られるだろうし、新しいお父さんと、この先家族としてずっとやっていくのなら、前のお父さんのことはすべて封印しましょうってわけにもいかないと思うんだけど……。

アカシア:菫が怒るところ、私はわかる。粗雑な神経に腹がたってるんでしょ。小さい頃、私は粗雑な神経の大人がすごくいやだったから、よくわかります。

ケロ:菫ちゃんって、感情をあらわにする子じゃないのに、ここだけ感情がぴゅーって突出しているから違和感があったのかな?

アカシア:一方、牡丹さんはへんなことはするけど、子どもの気持ちをないがしろにするようなことはしないじゃない?

愁童:伏線がきちんとあって、それがうまく生かされている巧みな作品作りだなって思いましたね。

ケロ:「かはたれ」より「牡丹さん」の方がわかりにくいという発言がありましたが、どうしてかなと考えていました。読みやすいのは「牡丹さん」だと思うんだけど。テーマなのかな。

ウグイス:牡丹さんに共感できないと楽しめないでしょ。

ケロ:牡丹さんについては好ききらいがあるでしょうけど。

愁童:牡丹さんの日常的な生活感が感じられる部分を、さりげなく描いてイメージが浮かびやすい配慮がされている点などもうまいと思った。

アカシア:でもたとえば、資くんにしても、言葉で説明しちゃってますよね。だから、もとくんの本当の気持ちはわからない。でも、『かはたれ』は、麻ちゃんの気持ちに立って、けっこう細かく書かれています。こっちは、クールビューティーのお医者さんが赤ん坊をおぶっているなんていうところも、「なぜ」も「いかに」もなくて、書きっぱなし。

ケロ:柏葉さんの書かれた『ブレーメンバス』と比べると、これは一つ抜けて、うまく書けていると思いました。根っこに流れているブラックな部分はそのままで。そう考えてみると、『モンスターハウス』のシリーズも、ブラックな部分があるんですよね。日本のファンタジーを書く方の中でも、とても特徴がありますね。細かいところをいえば、資くんのところは、よくわからなかった。けっきょく長靴をとられちゃったのは、だれだったのかな? よくわからないけど、まあいいじゃん、みたいなテイストがあって、それをいいと思えるのかどうかってことでしょうかね。柏葉さんの作品は、繊細なイメージがあったけど、これは豪快な感じで。

ねず:終わりまでおもしろく読みました。いちばん感じたのは、良くも悪くもアバウトであるってこと。とってもおおらかで、そこが柏葉さんやこの作品の魅力だと思うんだけど、やっぱり「木がお父さんになる」というところが、いちばんひっかかったわ。ここだけがアニミズムの世界で、残りの部分は成仏できずに幽霊になっているという宗教の世界だから気になるのかも。プルマンの「ライラの冒険」3部作の第3巻に、幽霊がちりになって世界に散っていくという場面があって、ここにはプルマンの宗教観というか、祈りのようなものがくっきりと現れていて感動したけれど、この作品の場合は、わりあい気楽にやっているのでは? 温泉宿のこととか、いかにも日本らしいいろいろなものの書き方は、とても魅力的で、うまいなとは思ったけど、アカシアさんと同様、これが大賞?って、ちょっと思ったのはたしか。

(「子どもの本で言いたい放題」2007年7月の記録)


イェンス・ペーターと透明くん

クラウス・ペーター・ヴォルフ『イェンス・ペーターと透明くん』
『イェンス・ペーターと透明くん』
原題:JENS-PETER UND DER UNSICHTBARE by Klaus-Peter Wolf, 1997
クラウス・ペーター・ヴォルフ/著 木本栄/訳
ひくまの出版
2006

版元語録:いつもはまじめな男の子、イェンス・ペーターのところに、いたずらをそそのかす透明人間「透明くん」が出てきて大混乱! ふたりの「はちゃめちゃな物語」が始まります。19ケ国語に翻訳されているユーモアファンタジー。

ジーナ:おもしろいと思えませんでした。エピソードが並んでいるオムニバスタイプの本だから、このユーモアにのれないと楽しめませんね。1冊読んだという満足感もないし。日常生活をあれこれかき回す透明人間が出てくる、という設定自体はおもしろいんだけれど。一番気になったのは、54ページの歌をうたうシーン。透明くんの声はみんなには聞こえないはずなのに、ここだけ急に聞こえるでしょ? これってどうして? 聞こえたら確かにおもしろいけれど、その場その場で都合よくただ楽しげに書かれている感じがして、ついていけなくなりました。

アカシア:透明くんはもうひとりの自分ってことでしょ? だから、ここは自分の声なんじゃないのかな。私はそう読んだけどな。

ポン:えっ? 自分の声だったの? あらぁ、びっくり! 話を間違って読んでたかも……。そんな私がコメントしてよいものかちょっと不安ですが、思ったことを言いますと、いろいろと、おもしろいといえばおもしろい出来事が起こるんだけど、最初から作者に「これはおもしろいんでーす!」って言われているような感じがして、あんまりのれなかった。袖に、イェンス・ペーターは「おりこうさん」って書いてあるけど、読んでてそんなにおりこうさんとも思えなかったし……。

サンシャイン:子どもの本でも何かしら人間の深い部分に触れている作品かそうでないか、という視線でどうしても読んでしまいます。透明くんが現れて、人間の裏側の深いところに触れている感じがするか、ということですが、そういう視点で読んでいい作品なのかどうか、皆さんがどう思われたかうかがいたい。私は、そうは思えませんでした。ファンタジーにしかできないこと、ファンタジーでしか表現できないことがあって、それは人間の隠れた部分を描くことだと河合隼雄さんが書いていましたが、そのような作品なのかかどうかということを皆さんに伺いたいです。

アカシア:別に人間の隠れた部分を書かなくてもいいと思うんです。大人の思う「ためになる」本ばかりじゃなくてもいい。入り口から入って出るまでに何かが得られればいいのかな、と思うんです。その何かは、すっごくおもしろかったとか、すっごく笑えたとか、それだって一つの体験なんだから、いいんじゃない? ただこの本は、そこまでもいかなかったけど。

ウグイス:見た目はすごくおもしろそうな本。タイトルも表紙の絵も、あまり分厚くないことも、子どもには手にとりやすい本だと思う。でも中身は期待はずれだった。目に見えない存在がいるというのはそれだけでおもしろいんだけど、起こる出来事はたいしておもしろくない。それに会話のおもしろさが全然ない。透明くんのセリフが「よんでくれたまえ」とか、「あるまいね」とか古めかしいし。

みっけ:すごくおもしろい、とは思わなかった。というのは、どれもワンパターンだったから。全部、透明君が、ほとんど暴力的にペーター君をそそのかして、ペーター君がひきずられてはちゃめちゃになっていくという構造でしょ。子どもがしたそうなことを取り上げているのはわかるけれど、なんか感じ悪い、と思いました。透明くんの存在が、なんかうざったい感じになっちゃっている。だからたのしくない。9ページの絵を見ても、ペーター君がお利口さんとは思えないし。

ケロ:タイトルなどおもしろそうだったけど、実際に読んでみると、あまりおもしろくなかった。どうしてかなと考えてみましたが、おそらくこの「透明くん」という存在が、いわゆる心の中の「悪魔」みたいなもので、作者側にしてみれば、そそのかされてイエンス・ペーターがとんでもないことになってしまうことが「悪いことをしちゃうのって、おもしろいだろう」ということになるのでしょう。でも、それすらも教訓めいて、説教くさく感じてしまう。悪いことするのも、まあ悪くないよ的なスタンスで描いているのでしょうが、意外性もない。だからおもしろく感じられなかったのかな、と思いました。

たんぽぽ:発想は、牡丹さんと同じでおもしろいのですが、悪戯のしっぱなしで最後まで、すとんとくるようなものがなかった。

アカシア:幼年童話かと思って読み始めましたが、違いますね。「彼女」なんていう言葉がルビナシで出てきますもんね。編集者は読者をどの辺に想定しているんでしょう? 49ページ6行目には「碧色(あおいろ)の瞳」っていうのもあります。文体とあまりにも合わない漢字が使われていたり、編集方針が分からない。訳もすっきりしませんね。ドタバタならそれなりの言葉で訳せば、もっとおもしろかったのでは?

愁童:透明くんがどんな存在なのか、よくわからない。はちゃめちゃなとあるけど、何が、どうはちゃめちゃなのか、さっぱりわからない。まして透明な存在ということになれば、この作品の描写じゃ、読者にはさっぱりイメージがつかめないよね。子どもには何が何だかわからないんじゃないかな。

アカシア:主人公以外がみんなステレオタイプなのも、つまらない。もっとはちゃめちゃにやってもらいたかったな。

愁童:透明くんが、おばさんに対して無反応なのが不自然な感じで、作者自身の透明くんのイメージが明確じゃないのかな?なんて思えちゃう。

ねず:ごめんなさい、わたしは、けっこうおもしろく読んじゃった!小学校の中学年くらいのときって、ある日とつぜん「わたしってなに?」と気づくころなんじゃないかしら? わたし自身、ある晩、眠りにつく前に、とつぜんそう思って自我に目覚めたときのことを強烈におぼえているので、そういう年頃の子どもたちが読んだら、けっこうおもしろいのでは? 『ジャマイカの烈風』にもそういう場面が出てきて、あの傑作のなかでも最高の場面だと思っているのだけれど。こんな風に読むのは、ちょっとひいきのしすぎかな? 透明君の台詞の色を変えているのも、いい工夫ですよね。ずいぶんぜいたくな本!

(「子どもの本で言いたい放題」2007年7月の記録)