日付 2010年4月22日
参加者 プルメリア、タビラコ、ひいらぎ、シア、ハマグリ、げた、レン
テーマ 運命を変えたい女の子のお話

読んだ本:

『愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1』 (フランバーズ屋敷の人びと1)

原題:FLAMBARDS 1 by K.M.Peyton
K.M.ペイトン/著 掛川恭子/訳 *改訳で再版
岩波少年文庫
2009

版元語録:フランバーズ屋敷にひきとられた少女クリスチナと、彼女をとりまく男たちとが、第1次世界大戦下のイギリスを舞台に織りなす愛と憎しみを、ドラマチックに描く。シリーズ第1作。
『大海の光〜ステフィとネッリの物語4』 (ステフィとネッリの物語4)

原題:OPPET HAV by Annika Thor
アニカ・トール/著 菱木晃子/訳
新宿書房
2009.08

版元語録:ナチスの迫害を逃れ、スウェーデンの小島にたどりついたウィーンのユダヤ人姉妹。戦争は終わり、成長した姉妹の未来はどこにあるのか…シリーズ完結編。
『バターサンドの夜』
河合二湖/著
講談社
2009

版元語録:コスプレ衣装に憧れ、懸命に自分の居場所をみつけようとする中学生の明音。たくさんの出会いを通じて、心の揺らぎを活写した小説。 *講談社児童文学新人賞受賞


愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1

『愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1』 (フランバーズ屋敷の人びと1)

原題:FLAMBARDS 1 by K.M.Peyton
K.M.ペイトン/著 掛川恭子/訳 *改訳で再版
岩波少年文庫
2009

版元語録:フランバーズ屋敷にひきとられた少女クリスチナと、彼女をとりまく男たちとが、第1次世界大戦下のイギリスを舞台に織りなす愛と憎しみを、ドラマチックに描く。シリーズ第1作。

タビラコ:40年近く前に読んだのですが、今でも生き生きとおぼえています。主人公がそれぞれ個性的で、特にラッセルさんが怖い夢に出てきそうなくらい強烈でした。今回、読みなおしてみても、いかにも英国文学らしい、くっきりした個性を持った登場人物たちが印象的でした。クリスチナ自身の内面の成長と、周囲の社会の変容がからみあって、ぐいぐいと読者をひっぱっていく。力強い作品だと思います。イギリスの読者が読むと、1つの「時代」を感じさせて、より感動的なのではと思いますが、日本の子どもたちも「ある家族の歴史」として、おもしろく読めるのでは?

げた:物語は1908年から始まっています。20世紀なんだけど中世の領主が支配しているようなフランバーズ家に関わる人々の人間模様が描かれているんですね。時代の境目に生きている、古い人たちと新しい人の葛藤がクリスチナの成長物語と合わせて展開していきます。ウィリアムの飛行機や自動車とラッセルの馬が象徴的なものとしてとりあげられているんだと思います。クリスチナは両親を亡くしておばさんのところを渡り歩いて、とんでもないおじさんのところに行かされちゃったんですが、それでも健気に生き抜いていくんですね。今回とりあげたのが第1巻で、新訳では5巻まで、これからどういう生き方をしていくか楽しみだなと思いますし、最後まで読んでいきたいと思わせる。屋敷で働いているディックがクリスチナに馬術を教えるんですけど、ディックは主人であるラッセルにあまりにもひどい扱いを受ける。こんなことが20世紀にもあったんですね。イギリスっていうのは、個人の力では乗り越えられない階級社会の伝統があるところなんだなと改めて感じました。

レン:私は今回はじめて読みました。昔ながらのオーソドックスな児童文学だなと。人物描写や情景描写がていねいなので、読んでいるうちにこの世界に入っているような気持ちになりました。香りや手触りまで伝わってくるような感じ。今の日本の児童文学には、こういう書き方の作品はほとんどないのではないかしら。ラッセルさんの言動や、ディックがマークをぼこぼこにするのをまわりの人々がただ見守っているような極端な場面も、今の作品だとあまり出てきそうにない部分。フィクションのおもしろさを味わわせてくれる作品だと思いますが、今の子どもたちが手にとるかどうか。

ハマグリ:この本を読んだのは、最初に出版された1973年でした。今回は読み返す時間がなかったんですけど、当時の読書メモを見ると、まず主人公が強く生きる姿勢に共感をおぼえる、ウィリアムへの気持ち、マークへの気持ち、ディックへの気持ちが細かく描かれている、馬と飛行機という対照的なものを描いているけれどどちらもスピード感が実にみごとに描かれている、映画的な手法が用いられている、と書いてありました。当時はこういう作品はとても新しい感じがしたのを覚えています。70年代は、YAという言葉が日本で使われはじめた頃なんですね。そのころ読んでいた児童文学は、動物や小さい子どもたちが主人公の話や、ファンタジーが中心でしたから、思春期から大人になっていく年代を等身大に描いた物語はあまりなかったんです。そういう意味で新鮮だったし、印象に残っているんだと思います。YA文学というのはこういうものだということを知った作品といってもいいですね。最初は3部作として出て、しばらくして4冊目が出ました。ペイトンの作品は『バラの構図』(掛川恭子訳 岩波書店)も『卒業の夏』(久保田輝男訳 学研/福武文庫)もおもしろく読み、印象に残っています。この作品も、文庫になったから今の子どもたちにも手にとってもらえるといいですね。今のYAというのは主人公のある状況を切り取ったようなのが多いので、こういう長編を読む楽しみも味わってほしいなと思います。主人公とともに一歩一歩人生を歩んでいくという長編の醍醐味を味わってもらえる作品ですよね。

プルメリア:主人公のクリスチナを囲む人間関係がとてもおもしろいなと思いました。馬に人生の喜びをかけている叔父ラッセル、相反するマークとウィリアムの兄弟関係、ディックとの関係が物語の中で動いていくのがわかりました。クリスチナと叔父ラッセル、マークの馬に対する愛情のかけかたの違い、馬と自動車、飛行機に夢をかける先駆者たちの姿、古いものから新しい時代へと歴史が動き出し急激に生活スタイルが変わって行くイギリス社会が描かれていて、私も映画の場面を思い描きながら読みました。これからディックがどんなふうに物語にかかわってくるかも次の作品を読む楽しみの1つです。今から約30年ほど前に出版されていますが、今読んでもいい作品だなと思いました。名作はいつまでたっても心に残る感動させる作品なんだなと、あらためて思いました。階級社会の構図が変わっていく時代の境目が描かれていて躍動感がありますね。

シア:はじめて読んで、1しかまだ読んでません。後の巻で、ディックと何かあるのかなんて空想してしまいます。20世紀初頭のイギリスっていうことで、身分社会とか上層の生活とかそういうものが見えるような雰囲気がいいし、情景描写がとっても生き生きとしていたと思います。古風な家族と新しい若者との対比もあるし。ただ、最近のものを読みすぎてしまっているせいか、古典的な少女マンガみたいな(いがらしゆみこさんとか)展開に少し辟易しました。ウィリアムの大事な本をよりにもよってラッセル叔父に渡してしまうような短慮な部分や、やたら惚れやすいところ、そういう主人公に呆れて。でも半分以降くらいからぐっとおもしろくなり、続きを読みたくなりました。読み終わったときいい作品だなと思ったんですけど、これを今の中学生にどうやって読ませていけばいいかというのが問題で。小学校気分が抜けない中学生くらいのほうが、逆に読むのかな。手当たり次第に読む子がまだ多いですからね。薦めるときは、半分くらいまでがまんして読めって言えばいいかしら。高校生はジャケ買い(ジャケ借り)とかになるんですよね。

レン:ちなみに女子校では、今日の3冊ではどれが好まれそうですか?

シア:表紙だと『バターサンドの夜』ですかね。パステルカラーでおしゃれ小物みたいなのが好きですね。

ひいらぎ:小学生はどうですか?

プルメリア:図書室で子どもたちを見ていると、まず本を開いてみて、字が小さいと書架に戻します。「この本は無理って感じ」ですね。『大海の光』は絵がわかりやすいので高学年の女子は手に取ると思います。『バターサンドの夜』は、手にとらないでしょうね。表紙の絵で手に取る作品とらない作品に大きく別れます。

げた:これはラジオの書評番組の中で一般向けとして薦められていたんです。大人が読んでもおもしろいですよって。

ひいらぎ:私はイギリス社会のいろいろな面がわかる本だなと思いましたね。馬とか犬を上流階級の人がどんなに大事にしているかとか、階級が違うと暮らしがぜんぜん違うとか、ダーモットさんみたいにそれからはずれている人もいるとか。最初はクリスチナがどうなるかなと思って読んだんですけど。これだけ情景描写や心理描写をていねいに描きこんだ本は、今は少ないですよね。でも、今や大学生でもよほど本好きでないかぎり、全巻続けて読んでいくのは難しいんじゃないでしょうか。「ゲド戦記」(アーシュラ・K・ル=グィン著 清水眞砂子訳 岩波書店)だってなかなか読み通せないですよ。

ハマグリ:「ゲド戦記」よりこっちのほうが読みやすいんじゃないかな。

げた:クリスチナがどんなふうに成長していくかと思って読んでいけますからね。

ひいらぎ:それにしても、ヴァイオレットの書き方はひどいですね。兄妹でもディックは馬っていう自分の専門分野を持っているけど、教育もない貧しい女性は小間使いしかなれないから、世界が広がっていかないんでしょうか。狭いところに閉じこもったきりですよね。それと、普通の上流階級の子だと、施しをすればいいという考えですけど、クリスチナは施しをするのにも良心の呵責を感じるところがあって、そういうところはペイトンがよく見てるんだなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


大海の光〜ステフィとネッリの物語4

『大海の光〜ステフィとネッリの物語4』 (ステフィとネッリの物語4)

原題:OPPET HAV by Annika Thor
アニカ・トール/著 菱木晃子/訳
新宿書房
2009.08

版元語録:ナチスの迫害を逃れ、スウェーデンの小島にたどりついたウィーンのユダヤ人姉妹。戦争は終わり、成長した姉妹の未来はどこにあるのか…シリーズ完結編。

ハマグリ:今回の課題本は4巻目だったんですけど、どうしても4巻だけを読むっていう気にならなくて、1巻から読んだら、読むほどにこれはやっぱり4巻だけを読んだんじゃだめでしょうという気になりました。徐々にいろいろなことが変わっていくんですよ。やっぱり1巻から読むことによって4巻につながっていく。だからぜひ1巻から読んでほしいなと思います。まず戦争中のスウェーデンの状況をスウェーデンの人の側から書いたものは読んだことがなかったので、知らなかったことが多く、とても勉強になりました。スウェーデン人、オーストリア人、ユダヤ人それぞれの立場がよくわかりました。
4巻では、章ごとにステフィとネッリを交互に描いているんですけど、1巻から3巻はステフィ中心で描かれています。大人も子どもも、いろいろな登場人物が出てくるんですけど、それぞれの立場があり、人物の造形がくっきりとよくわかるように書かれているところがとてもおもしろかったですね。人間の中には、揺らいでしまう人と揺らがない人がいるっていうのが、よくわかりました。弱さと強さって言ってしまってもいいのかもしれないけど、子どもでも置かれた状況によって自分が思っていたことと違うことをしなきゃいけない場合もあって、そのあたりの生身の人間の描写がとてもリアルだと思いました。ネッリはまだ幼くて養女になったので、疑似家族の中に自然に溶け込み、かわいがってもらうすべを知っていたんですね。でもステフィはそうでないところがあって、なじめないものはなじめない。養い親のおばさんですけど、最初はほんとに合わなかったんですね。でも厳しさとか冷たさと感じていたものが、日々の暮らしを一緒にすることによって次第にこの人は絶対信頼が置ける、と思えるようになるというところに感動しました。養父のエヴェルトが朴訥ながらも大きな愛情で包んでくれることや、若い担任の先生が力になってくれるところや、マイという親友が揺るがない気持ちでステフィと接してくれるっていうところに安心感があって、ステフィが自分では気づかないけれど、そういう人たちの信頼に支えられて強くなっていくところがとてもよかったと思います。島の様子とか、船で本土へ行ったりきたりする情景や、イェーテボリの町の描写がリアルで、行ったことのない場所が身近に感じられたというのもよかったです。

レン:私は前の3巻を読まず、この巻から読んでしまったのですが、引き込まれました。先日トールさんが来日なさったときの講演で、このシリーズを書いたきっかけや背景をうかがったので、すっと入れました。18歳のお姉さんと小学校を卒業する妹が、終戦という分岐点でそれぞれの人生の選択をせまられる。友人や、恋人、養父母など、まわりの登場人物が多面的にていねいに描かれていて、人生の複雑さがみごとに表現されていました。この作品を書くにあたって公文書館などで多くの資料を読んだとおっしゃっていましたが、記録で接した多くの人々の生き様が、さまざまな形で作品に盛り込まれているんでしょうね。今の日本では、学校図書館でも、子どもたちが自分から手にとる本に流れがちで、このようなまじめな大きなテーマの作品はますます出版がむずかしくなってきていると思うので、この4部作が刊行されたのはとても貴重ですね。

タビラコ:私もこの4巻目だけ読んだのですが、ぜひ1から3も読みたいと思いました。内容もさることながら、登場人物がどの人も奥行きがあって、生き生きと描かれていますね。主人公の姉妹にしても、いかにもお姉ちゃんらしい、しっかり者で頭の良いステフィと、あまり頭は良くないけれど、生きていく知恵にはたけていて、かわいらしいネッリの対比など、みごとだと思いました。ナチスによって悲惨な目にあわされた子どもたちのなかで、どうにか生き延びて大人になった人たちの証言を綴った本を以前に読んだのですが、誘拐されて、むりやりドイツ人にされ、養子縁組をさせられた子など、強制収容所だけでなく様々な迫害を受けた子どもたちがいたことを知りました。日本ではよくわからないけれど、ヨーロッパ全土にナチスはいまだに黒い影を落としているんですね。ステフィの友だちが精神病院に入ってしまうところなど、本当にこういう子どもたちがいたに違いないと思い、胸をつかれました。すばらしい作品ですね。子どもたちにぜひ手渡してほしい本です。

げた:いつも利用している図書館の新刊棚にあったので手にとってみました。スウェーデンにもユダヤ人の子どもたちが疎開していたというのを初めて知りました。本の中に書かれているのは世の中に翻弄されている少女2人なんですけど、時代が違ってもステフィとスヴェンとのやりとりなど、時代を超えて今の子どもたちに共感できる部分があるんだろうなと思いました。作者はいろいろよく調べて物語を作ったんだろうな。書かれていることがリアルに浮かんでくるんですよね。スウェーデンの高校ってすごくレベルの高いことをやってるんですね。大学みたいですね。ユディスがあまりにも悲惨なので、もうちょっとなんとかならないのかと思いましたけど、史実として、こんなことがあったんでしょうね。お父さんとの再会のくだりは、ちょっとあっけなく終わっちゃったかな。

プルメリア:スウェーデンにユダヤ人が送られたことを私も初めて知りました。地図や登場人物紹介があって、内容もよくわかり読みやすかったです。ステフィがスヴェンに出会うことから恋が始まり、ステフィの青春から大人に成長していく姿がわかりました。友だちと父親を探しに行く自転車での旅で出会う人々のあたたかさ、いつもステフィを見守る育て親メルタ・エヴェルトとアルマの愛情も、ちゃんと伝わってきます。文章全体に、ユダヤ人としての誇り(こそこそしない)や主張がにじみ出ているように思いました。この作品を読んだあとに、1巻目の『海の島』を読んだところ、ステフィがスウェーデンに行き学校生活でいじめをうけ葛藤しながら一生懸命島で生きていく様子、妹が養ってもらっている家で陶器の犬をポケットに入れてしまい、その陶器が見つかってしまうあたりのステフィの心情描写などが、痛々しいくらいによく描けていました。1巻には登場人物の説明も地図もありませんが、1巻から読むと4巻の読みも深まっていいと思います。読んでいて古い感じがしなくて、ぜひ紹介したい作品です。

シア:全国学校図書館協議会のイチオシだったんですけど、いまいち手がのびなかった作品です。今回初めて読みました。第2次世界大戦のユダヤ人というイメージが強くて、『アンネの日記』のような重いイメージがあったんですけど、普通の生活を送れているっていうところで、幸運な人たちだなと思いました。ユディスの考え方に、ユダヤ人の誇り高さを感じました。ユダヤ人と結婚してユダヤ人の子どもを産むべきだっていうあたりですね。途中のユディスの事件でぐっときました。アウシュビッツに送られてしまった人のことではなく、こういうところだけでも子どもたちに読んでほしいと思います。そして、移民として最後アメリカにたどりつくっていうのが、うまいラストだなと。養い親、血のつながりのない親にネッリは抵抗なくなじんでいくようなところがあって、ユダヤ人としての誇りや芯というのは、環境が育てていくものなんですね。関係ないですが、スウェーデンの移民について思い出したことがあります。数年前に私がスウェーデンに行ったとき、イラクの人たちを受け入れていたんですね。そのせいで治安の問題も出てきていたし、下層のスウェーデン人たちより保護を受けているイラクの人たちがいい生活をしているなど、軋轢があると聞きました。移民を受け入れるのも、移民になるのも大変ですね。

ひいらぎ:私はまだ3分の2くらいしか読めてないんですけど、最初すごく苦労しました。ステフィがまず男か女かわからなかったんですね、どんな人なのかなと思っていると、次にマイが出てきて、すぐにイリヤが出てきて、どれも男か女かわからない。1巻から読めば、すでに頭の中に登場人物が頭に入っているからもっとすらすら読めるんでしょうね。ロイス・ローリーの『ふたりの星』(掛川恭子・津尾美智子訳 講談社)も、デンマークからスウェーデンにユダヤ人を逃がすという話でしたね。でも、ニューベリー賞を取った作品なのにこっちは絶版ですよね。ユダヤ人狩りとか強制収容所の悲劇だけでなく、こういう作品も歴史のリアリティを感じるには大事だと思うんですけどね。

タビラコ:教科書には今でも、戦争がテーマの作品が載ってるの?

プルメリア:文学教材は、小学校3年生に『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ著 あかね書房)、4年生には『一つの花』(今西祐行著 ポプラ社)が載ってます。ただ、子どもたちには今と比較して説明しておかないと、作品からはその時代の様子が理解できないし、子どもにはわからないです。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


バターサンドの夜

『バターサンドの夜』
河合二湖/著
講談社
2009

版元語録:コスプレ衣装に憧れ、懸命に自分の居場所をみつけようとする中学生の明音。たくさんの出会いを通じて、心の揺らぎを活写した小説。 *講談社児童文学新人賞受賞

シア:「フランバーズ屋敷の人びと」を先に読んでいたので、こっちはあっという間に読めてしまいましたけど、子どもは感情移入できるんじゃないでしょうか。身近なことを扱っているので。日本のサブカルチャーを、こういう形の児童文学で扱っているのが新しいのかな。アニメ系の絵のライトノベルだと、こういう話を扱っているのはあるんだけど。でも登場人物は中1ですよね。キャラがものすごく大人っぽい。考え方も行動も、まわりの子もそうなので、最近の子と比べるとギャップを感じましたね。中3から高1にかけてだったら納得する内容です。でも、主人公は中学受験をして私学に入るんだけど、私学の女子校を受験させるようなお母さんだったら、これほど子どもに関心がないはずはない。この作家の子どもの頃の話なのかな。

タビラコ:この作品は一人称で書いてあるから、「主人公の目から見ると、お母さんが子どもに関心がないように見える/感じる」ということじゃないかしら?

シア:泊まってきたり、遅くに外出したり、公立校の子だとそんな自由もあるのかなと思いますけどね。うちは私立の学校だから、こんなの親が許すかな、と気になって。

プルメリア:私は今年の3月まで6年生を担任していたので、主人公の心理はわかりやすかったです。大人っぽい会話をする子がいたり、「ボク」って言う女子がいたり、アニメの続きをアレンジして物語を作るアニメ好きがいたり、友だちと関わることを好まない子どもがいたりしましたからね。また、別のカラーとしてコスプレはしないけど、流行のショートパンツや網タイツをはく子がいたり、すごい髪型の子もいますから。主人公のように、こういう人物になりたいっていう心理もよくわかります。最初の1行が「モデルやらない?」。子どもにとってモデルは興味あるので、この言葉からも子どもは本に入ってこられるかも。少女明音とおじいさんと智美さんの生き方の違いや、マネキンが出てくるシーンの表現がおもしろかったです。太っている子が着られない服を着たいと思う欲望もおもしろく書かれていました。読み聞かせのお母さんが出てくる場面は、身近に感じて読みました。

げた:この頃の女の子って、変わりたくないって気持ちがあるんですね。大人の女になりたくないって。13、14ぐらいの女の子の気持ちって、さすがに私にはわからないんですけどね。お母さんは図書館でお話ボランティアをやっていて、とってもいいお母さんのはずなんだけど、彼女にとってはあまり好ましくないおばさんっていう大人なんですね。偶然出会った智美との出会いがとっかかりになって、新しい世界が開けていく13歳の女の子の物語ですね。ただ、「ブランバーズ屋敷の人びと」や『大海の光』みたいな、大きな時代の流れや運命との葛藤みたいな背景が感じられないので、物語全体の底が浅いというのは否めないんですよね。軽さがいい面でもあるけれど、軽いだけで終わっているんじゃないかなという感じもしますね。「バターサンドの夜」ってタイトルなんですけど、あんまりピンとこないですね。バターサンドに対する作者の思いが読者にうまく伝わっていないんじゃないかな。

タビラコ:読み終えてから、この作品は風俗小説だなと思いました。少なくとも、私にとっては。実際に、今はこういう子どもがいるのかもしれないけれど、それ以上のものではない。結局、風俗以上の何を書きたかったのか、よくわからないんです。「バターサンド」で象徴されている(のかもしれない)家族関係の修復を書きたかったのか、それとも変身願望を書きたかったのか。どちらにせよ、もう少し掘り下げて書いてもらいたかった。変身願望にしても、十月革命をテーマにしたマンガの主人公と同じ服を着たいというのだけれど、どうしてそのマンガの主人公に魅かれたのかわからない。結局、かっこうだけ真似たいということですよね。私の読み方が浅いのかなあ? それでも、この本の主人公が、かわいいなあとか、なんかこの子好きだなあと思えれば、もっとおもしろく読めたんでしょうけど、なんだかこの子だけじゃなくて、洋裁店の女の人も、おじいちゃんも、神経にさわって、あまり好きになれませんでした。でも、子どもたちは夢中になって読むのかしら?

シア:今の子は、お弁当のところとか、すごく共感すると思いますね。その陰惨さを知っているので、読んでいると暗ーい気持ちになりますね。

タビラコ:なんかね、ユーモアっていうか、体温というか、あったかさが感じられないんですよね。このあいだ取り上げた『園芸少年』(魚住直子著 講談社)にはそれがあって、扱いようによっては暗くなるテーマがそうはならずに、おもしろく読ませていたんだけれど。

シア:この頃の子どもって、鬱とかリストカットとかに向かっちゃいそうな怖さもあるので、中学生にはあんまり読ませたくない。ピンポイントでヒットしてしまいそうで怖いです。生徒に薦める気にはならないですね。

ハマグリ:私はもともと読むのが遅いので、ステフィとネッリの物語を1巻から読んでいる途中に、これも読まなくては間に合わない、と思って読んだんですね。そのせいか、ステフィとネッリの物語は、時代も舞台も遠いけれど、本当にこんな人たちがいたんだなって身近に感じられたのに、こっちはよく知っている身近なものばかりが出てくるにもかかわらず、そこに息をしている人としての体温があまり感じられませんでした。人物造形の薄さなのでしょうか、伝わってくるものがないんですね。智美さんっていう人は、キーになる人物なのに、どういう人かなかなかイメージできなかったです。この人をもっと魅力的に描かない限り、説得力がないと思います。それから、158ページのおじいちゃんとの会話のところで、「わたしたちはお互いにとって、大事な大事な・・・お客さんだ」という文がありますが、これ、どういう意味かよくわかりませんでした。作者にとっては結構思い入れの深い一文なんでしょうけど、ストンと落ちる言葉ではありませんでしたね。確かに今のサブカルチャーをあれこれ書いていることには目を奪われるけど、「新しい!」と感じるインパクトはなかったし、肝心の人物の描き方が物足りないと思いました。才能のある人だと思うので、今後に期待したいです。

ひいらぎ:こういう子がいるかっていうと、いるだろうと思うんですけど。智美さんの厚みも魅力もないんですね。この本は、智美さんが書けてないから、ほかも紙でつくったキャラが舞台を行ったり来たり動いてるって感じになっちゃうんじゃないかな。もうちょっと智美さんをきっちり書いてもらったら、おもしろい話になったかもしれない。今のままだと、物語のはじめから終わりまで、この子が何かを体験したって感じがないんですよね。

ハマグリ:智美さんに出会ったことで、主人公が何か変わったというのが出てれば、もっとおもしろかったのにね。

タビラコ:本当は、それが書きたかったんじゃないの? 児童文学っていうのは大人が子どもに書くものだと思うのね。でも、この作品は、子どものまま書いている感じがするんですよね。

シア:当時を思い出して書いてるんだって思うんですけどね。大人っていっても智美さんは子どもみたいな人だし。

ハマグリ:題材としてはおもしろいものを集めてきてるし、設定も興味深いのよ。それがうまく使ってあればいいんだけど。

ひいらぎ:意欲は感じられるかな。

シア:でも、こういうのって、ケータイ小説にもいくらでもありますよね。

げた:ケータイ小説って、中学校や高校では今でもよく読まれてますか?

シア:うちの学校では、ちょっと落ち目ですね。

タビラコ:最後に「バターサンド」が出てくるんですけど、これはなにを表しているのでしょう? お父さんとまた仲良くしたいってことでしょうか?

げた:それもわからないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)