日付 2024年12月17日
参加者 ハル、雪割草、ツミ、きなこみみ、ルパン、ハリネズミ、エーデルワイス、ニャニャンガ、さららん、西山、フキダマリ、サークルK、しじみ71個分
テーマ きょうだい児として生きる

読んだ本:

ぬいぐるみのウサギ
『シンプルとウサギのパンパン』
原題:SIMPLE by Marie-Aude Murail, 2004
マリー=オード・ミュライユ/作  河野万里子/訳
小学館
2024.07

〈版元語録〉ちょっとフクザツな3人の、心温まる日常。高校生のクレベールは、知的障碍をかかえる兄・シンプルと、 親元をはなれ、パリで暮らす決意をする。弟の不安をよそに、シンプルは、ウサギのぬいぐるみのパンパンくんと遊んでばかり。シェアアパルトマンで学生たちと共同生活をはじめると、二人の日常は、どんどんフクザツになっていき――。国際アンデルセン賞受賞作家による、兄弟の絆の物語。
障碍のある妹と、姉が抱き合っている写真
『自分らしく、あなたらしく〜きょうだい児からのメッセージ』
高橋うらら/作
さ・え・ら書房
2024.09

〈版元語録〉きょうだい児――病気や障がいのある兄弟姉妹をもつ子どもたち。家族を思う気持ちと、自分自身の生き方のあいだで、きょうだい児たちは、なにを思い、どのような悩みをかかえながら、自分の生きる道を見つけてきたのでしょうか。高校生の中山穂乃果さんが難病の妹とともにこれまで歩んできた道と、社会人になった二人の元きょうだい児の半生を、みずからも元きょうだい児である著者がえがいたノンフィクションです。


シンプルとウサギのパンパン

ぬいぐるみのウサギ
『シンプルとウサギのパンパン』
原題:SIMPLE by Marie-Aude Murail, 2004
マリー=オード・ミュライユ/作  河野万里子/訳
小学館
2024.07

〈版元語録〉ちょっとフクザツな3人の、心温まる日常。高校生のクレベールは、知的障碍をかかえる兄・シンプルと、 親元をはなれ、パリで暮らす決意をする。弟の不安をよそに、シンプルは、ウサギのぬいぐるみのパンパンくんと遊んでばかり。シェアアパルトマンで学生たちと共同生活をはじめると、二人の日常は、どんどんフクザツになっていき――。国際アンデルセン賞受賞作家による、兄弟の絆の物語。

ハル:おもしろかったんですけど⋯⋯物語に出てくる施設って、どうしてこう、悪い場所になっちゃうんだろ、というのがひっかかりました。入所させること自体が「悪」だというような。周囲の人、近所、社会でつながりながらお互いに支えあっていく輪のひとつに、仕事として介入してくれる相談員や社会福祉士や、施設があればいいのにと思うんです。施設に入れることは悪であり、愛がないという思い込みは危険をはらむのではないかと思います。

雪割草:少し長いと感じましたが、会話中心にも関わらず、読者を引き込んでいく力があって巧みだなと思いました。原書のタイトルはSimpleですが、日本語版のタイトルも同じように主人公シンプルが前に出てくるかたちでもよかったのではと思いました。中身がYAなのに、表紙がウサギの絵でかわいすぎるように感じました。シンプルとまわりの人たちが心を通わせ、シンプルを好きになっていくところはいいなと思いました。一方で、クレベールが何かあるとすぐ「兄には障碍があるんです!」と叫ぶところは個人的に少し嫌で、自分も含めてですが社会の方の理解が足りないことを痛感させられました。

ツミ:私もハルさんと同じように、施設の描写は古いなと思ったのですが、出版年が古いので仕方がないのかもしれませんね。いちばんいいと思ったのは、「シンプル」という原書のタイトルです。シンプルって、もちろんシンプルという意味のほかに知恵が足りないという意味もありますよね。物語のあとのほうでは「シンプルでいくのがいい」という文章もあり、大切なのはひとりの人間の生き方を周りの状況で縛ってはいけないというシンプルなこと、という主張をタイトルが示していると思いました。河野さんの翻訳もうまいですね。工夫されていて、登場人物がとても生き生きとしていると思いました。私は、人間がしっかり描けていれば作者の主義主張などなくてもいいと思うほうですが、この本も一人一人の人物像が見事に描けていますね。特に頑固爺のヴィルドゥデューさんがはりきって恋の指南をするところなどおもしろくて、やっぱりフランスの本だなあという感じ。アンデルセン賞を受賞した作家だけあって、物語の作り方はさすがだと思いました。最後にシンプルを助けたのが娼婦であったというところなど、じーんと胸に沁みました。ザハの耳の聞こえない妹とシンプルの友情もいいですね。ただ、これだけ厚いと、YAの読者が手にとってくれるかな。一般書として出版したほうが、読者が増えたかも。

きなこみみ:YAというよりも、おとなの本に近い印象でした。ルームシェアする同居人たちが皆おとなで、彼らの恋愛模様も描かれているせいかもしれません。障碍のある子どもが生まれると、夫が逃げて母親と子どもが残されることが多い、というのは日本だけではなくフランスでも同じなのだなと思います。そのママが死んでしまったあと、弟であるクレベールがシンプルの面倒を見ることになって、フランスの福祉制度のことがよくわからないんですが、この物語の中では、施設に入るか否かの2択で、在宅のまま活用できる福祉制度、たとえばヘルパーさんに来てもらったり、デイケアや福祉作業所のような所に行くとか、そういう選択肢はどうなっているのかなと思ったりしました。また、p190で、ソーシャル・サービスのバルドゥーさんがクレベールを訪ねてくるんですが、シンプルと直接会っているのに、彼に知的障碍があると気づかないのは不思議だなと思ったり。薬などで入居者を管理しようとするマリクロワという施設から、シンプルが簡単に抜け出だしてしまうのも、設定がちぐはぐで、作品中に携帯電話は出てくるんですが、設定や障碍の捉え方や社会的な支援のあり方としては少し前の時代なのかもしれないと思いました。実際にフランスでは20年ほど前に出版された本で、今の時代とのズレはあるのかもしれません。
とにかく弟のクレベールの負担が大きすぎて、そこが読んでいてつらいところです。彼の責任感が、p296にあるように、母の遺言から生まれている部分もある、というところが「きょうだい児」としてのつらさ、責任を無意識に兄弟に背負わせてしまう親の責任についても考えざるをえませんでした。自分もつらいのに、どうしてもシンプルを施設に入れたままにしていけない気持ちが、認知症の母の介護を抱える自分と重なって、理屈では割り切れない彼の思いに共感したり、複雑な気持ちになったりしながら読みました。
その彼に、たまたまルームシェアしただけのエンゾやアリアが手を差しのべていくところ、またガールフレンドのザハの一家の温かさ、ザハの妹であるアミラと友だちになるところも素敵でした。クレベールがそのザハの家族にシンプルを預けてデートにいくのはどうかと思ったんですが、この物語の登場人物たちは皆それぞれにエゴイストで、自分勝手で、好き勝手に行動するのが魅力的だし、人間ってこんな風に生きてるんだよ、というありのままのところ、障碍を持っていたり、障碍のある兄弟がいたりすることと、個人が自由にふるまって生きることを、等価に描いてあるのが、この本の魅力だと思います。なかでも恋愛に非常に重きを置く、というか、男女の恋愛、アムールを大切にするのが、フランスっぽいんですが、エンゾのアリアに対するアプローチの仕方や、どんどん行けとけしかける管理人のおじいさんのアドバイスは、どうなんだろうと思っていたら、いきなりアリアがエンゾに首ったけになる展開にびっくりして。ただ、シンプルをうざがって、シェアハウスから出ようとする、医学生で男性という、社会的強者としてのエマニュエルではなくて、エンゾが愛の勝者になるのは、好ましかったと思います。訳者の河野さんも後書きで書いておられますが、シンプルの父親やエマニュエルと違って、シンプルに手を差しのべるのが、社会の周縁にいる人々だというのが、いいなと思います。「チョコレートドーナツ」(トラビス・ファイン監督、2012年)という、ドラアグクイーンが、ダウン症の子どもを愛する悲しい映画を思い出したりしました。

ルパン:こういう状況はリアルに考えたら、こんなにうまくいかないだろうなあと思うだけに、お話っていいなと思いました。お話だからこそ、こんなことがうまくいく。こういう世界を作れるお話の力ってすごいと思います。ただ現実をなぞるだけじゃなくて、すてきな世界を創ることで、読者に希望とか、幸福感を持たせられるのがお話の魅力だと改めて思いました。私もみなさんと同じで、ヴィルドゥデューさんがエンゾの恋愛相談にのって、楽しく生き生きしちゃうところが好きで、p206のあたり、人の恋愛に首をつっこんで生き生きしてきたのがおもしろかったです。
施設のマリクロワはシンプルにとって良くない場所、行かせるべきではないところ、という設定でしたが、p290-291で、マダム・バルドゥーがクレベールに語りかけるところでじんとしてきました。「あたくしたちはみんな、シンプルにいいことをしてやりたいんです。でもそれがあなたの犠牲のうえにしか成り立たないようでは、いけませんね」「あなたのは、若さゆえの理想主義です。…(中略)…あなたが考えるような向きあいかたが、非常に高い代償をともなうものであるのも知っています。いつかあなたも、結婚したい、子どもがほしいと思うようになるでしょう。そのときのことを考えてみて⋯⋯」「あたくしはあなたの力になれるよう、できるだけのことをしてきましたよ、クレベール。正しいことをしたつもりだったのだけど⋯⋯」これらのマダム・バルドゥーの言葉を読むと、この本には悪役はひとりもいない、と思えて読後感がよかったです。

ハリネズミ:私は「いい話」には疑いをもつタイプなので、この物語についても、ヤングケアラーであるクレベールから見たらどうなのだろうと、思ってしまいました。今はアパートをシェアしている人たちも好意的でうまくいっているとしても、クレベールはこの年代だとこれからいろいろな問題や悩みに遭遇し、大学に行ってそのうち結婚するということにもなるかもしれません。環境が変わっても、シンプルの責任をひとりで負っていくことができるのでしょうか。他の国のきょうだい児の物語だとイギリスのジル・ルイスが書いた『紅のトキの空』(さくまゆみこ訳 評論社)みたいに、手を差し伸べるちゃんとしたおとなが出てきたり、オランダのシェフ・アールツが書いた『青いつばさ』(長山さき訳 徳間書店)みたいに、家族の体制が整うまでとりあえず施設の力を頼ろうとしたりしています。施設を悪いものとして書いているのは、ほかの方たちもおっしゃるように20年前に書かれたせいでしょうか? でも当時だって、マリクロワ以外の場所もあったのではないかとか、施設以外になにかセイフティネットはないのかと、疑問に思いました。作家としても、ヤングケアラーにすべての責任を負わせる書き方でいいのでしょうか? といっても、作家の視点としては、若者の恋愛模様を描こうというほうが主なのかもしれません。アリアとエンゾとエマニュエルの三角関係、クレベールとベアトリスとザハの三角関係の間にシンプルのエピソードがはさまっている感じです。
この作家は、「知的障碍のある子どものお母さんにていねいな取材をおこなった」と訳者あとがきにありますが、それだけで書いたのだとしたら、高校生がおとなのシンプルの保護者になるとか、シェアアパートの人たちのシンプルに対する態度などを含め、リアリティがちょっと甘くなるのも仕方がないのかもしれません。

エーデルワイス:原作の発表が20年前の作品ですので、福祉もずいぶん変わっているように思いました。とにかくパリ! パリの香りがすると思いながら読みました。クレベールの高校生活も日本とは違います。発達障碍者が自宅か施設入居かというような二者選択は違うと思いました。例えば日本では、今はデイサービスも就労福祉施設などいろいろの選択があります。「しょうがい」の漢字を「障がい」と使うことは見ていましたが、作品の中では「障碍」と漢字を使っています。私は初めて目にしましたが、語源は仏教用語だそうです。物語は映画のシナリオを読んでいるようなテンポで、映像化されたらいっそうおもしろくなると思いました。「アホ」とか「あーらら、いけない言葉」がよくでてきますがフランス語だと、どんな感じかしら?と思ったりしました。

ニャニャンガ:フランスらしいエスプリと性に対してのオープンな描写にとまどいつつも、兄のシンプルといっしょに住みたいクレベールの複雑な気持ちが痛いほど伝わってきて、はじめのうちは読むのが苦しかったです(じつは2回、途中でやめていました)。その理由は文字の色だったかもしれません。くらはしれいさんの絵は物語にぴったりですし、ウサギのパンパンが悪さをしても憎めないのはこの絵のおかげかもしれません。
同居人たちとの生活が始まり、いろいろトラブルがありながらもシンプルやクレベールと家族のように接する様子がとてもよかったです。それに引き換え、父親の無責任なこと!に腹が立ちました。そして頑固なおじいさんヴィルデュドゥーさんとのかかわりはとてもよかったですし、クレベールがベアトリスに惹かれつつ、ザハ家族と親しくなりシンプルとザハの妹のアミラと仲良くなり、居場所ができたのも好ましく読みました。

さららん:ミュライユさんが国際アンデルセン賞作家賞を受賞したときの講演を覚えています。その中で「私は常識やタブーを打ち破る作品を書き続けてきた」と力強く語っていたのが印象的でした。この作品も、一見シンプルとクレベールをめぐるドタバタ喜劇に見えますが、障碍のある人=厄介者、という世間の偏見をくつがえし、トラブルメーカーのシンプルを、人間として実にチャーミングに、周囲に愛される存在として描いているところに好感が持てました。確かにマリクロワという施設は古めかしい感じがしますし、シンプルを拒絶する父親はサイテーの人物ですが、全体としては常識をひっくり返そうという作家の気概を感じます。エンタテイメントとして完成度が高く、恋愛が物語の要になっているところは皆さんがおっしゃる通り、いかにもフランス的ですね。「愛がすべて」というお国柄ですから恋愛は不可欠な要素、高校生のクレベールのトライアンドエラーの道筋としても読め、そう思うと、これはやはりYAらしい作品ではないかと私は思います。また以前、きょうだい児の弟を主人公にしたオランダの児童文学『青いつばさ』を読んだことを私も思い出し、この本との違いと共通点を比べてみたくなりました。物語には、セクシャルな表現やののしり言葉も散見されますが、おそらく原文のフランス語では、もっとどっさり入っていたのでは? 差別的にならないよう、そして読者がギョッとしないように、翻訳で巧みに料理してあって、読んで楽しい作品になっていました。

西山:今回のテーマから、「きょうだい児」の話なんだろうと思って読み始めたのだけれど、結局フランスのティーンエージャーの恋愛話でしたね。シンプルの性の話になるのかな、と思っていたら、これは弟くんの恋愛の話で、シンプルは狂言回し的にドタバタシーンの演出に使われてしまっているように感じるところもあり、ちょっと抵抗を感じました。障碍がテーマと思わなければ、そうでもなかったのかもしれないけれど⋯⋯。
p150に「男子の好きじゃないとこは、あたしたちをそういうふうにしか見てないってとこ。おしりとか、胸とか、自分がバラバラのパーツとしてしか存在してないみたいで。言いたいこと、わかる?」というベアトリスの言葉があって、よくぞ言ってくれた!と思いました。これまでたびたび、日本の児童文学に同様の視線が気になっていたところなんです。でもこの作品ではそれは大きな関心事ではなかったですね。ヴィルドゥデューさんの、古臭い恋愛指南と、今の感覚の違いがおもしろかったです。あと、ザハの家族のやりとりや,妹たちの様子に見られるムスリム像が新鮮でした。ただ、全体としては、福祉施設や関係者がこんなふうに作品に書かれてしまうと、しんどいなあという印象が強いです。

フキダマリ: おもしろかったです。シンプルの考え方とか、クレベールの苦労や思いとか、多角的に立ち上がってきて、読み応えありました。パンパンくんが要所要所でしゃべる構成がとてもユニークでしたし、シェアハウスに入ってから、さまざまな人間模様があっておもしろさが加速しました。伏線を緻密に張るタイプの小説ではないと油断していたので、ダストシュートが伏線だとわかったときは、びっくりしました。もっとも、日本とフランスの文化が違い過ぎて、おとなっぽい要素が多いですよね。2人の女子の間で迷うところは、日本だと完全に二股だけれど、パリが舞台だと許されてしまうというか(笑)。あと、おとながシンプルみたいな子とどう関わるかを描く場面が多いので、日本だと一般書で出した方がたくさんの人に届いたんじゃないか、とも思ったりしました。街の人々のシンプルへの態度がそれなりに辛辣で露骨ですが、20年前に刊行された本なので、今のフランスとはだいぶ違うんでしょうか。そのあたりも気になりました。

ツミ:西山さんがいうように、知的障碍のあるティーンエージャーの性の問題って、とっても難しいと思う。実際に、そういう悩みをお母さんから聞いたことがあります。だから、この物語はリアルな話ではなく、私は半ばファンタジーとして読みました。

サークルK: パンパンくんが生きているように、人間たちとの会話に入り込んでくる時、慣れないうちはスムーズに切り替えができずにいました。きょうだい児と呼ばれる関係には昨今理解が進められていますが、実際に児童文学に昇華された作品を読むのは初めてです。スヌーピーに出てくるライナスのあんしん毛布の様に、パンパンくんが主人公の力になってくれていることで、弟が1人で抱え込まなくても良いのは救いと希望があるのだなと思いました。

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しじみ71個分(メール参加): この本はとてもフランス的だと思って、興味深く読みました。まず、本当に個人主義が徹底しているんだなと思いました。お父さんが再婚して、兄弟の世話を放棄して悪びれないというのは、自分には自分の人生があると思えばこそできることなのかもと思いました。
それから、この物語がおもしろいなと思ったのは、シンプルと共に生きていくことで、みんなが幸せになっていく点です。エンゾとアリアの恋の仲介者もシンプルだし、クレベールがザハに対する自分の真摯な思いに気づくのもシンプルのおかげだし、シンプルは幸せを運んでくる使者のような位置づけになっています。
障碍者施設で虐待があることがほのめかされていることについては、私はあることなのではないかと考えました。障碍者施設が悪いという印象を与えかねないのは確かに心配ですが、日本でも障碍者施設での虐待の報告件数はたくさんあるので、フランスもゼロではないんじゃないでしょうか。
それと、クレベールがヤングケアラーとして兄の世話をひとりで抱え込んでしまうようにも見えますが、私は、共に暮らして、みんながシンプルを好きになり、シンプルに居場所ができたように読めました。公助でもなく、1人で抱え込む自助でもなく、コミュニティで支え合う共助の場ができたことに作者は力点を置きたかったんじゃないかと思いました。シンプルが幸せそうな姿を見て、クレベールが心から愛を感じる場面の描写が本当に美しいですし、シェアハウスのみんながだんだんシンプルを理解して、好きになっていく過程もとてもいいと思います。あと、とても面白いのがパンパンくんで、パンパンくんはシンプルのイマジナリー・フレンドのようにも見えますが、良くないことをしたいときは、パンパンくんにやらせるので、シンプルの正直な気持ちを代わりに発散する自分の片割れなのかもしれないなと思いました。
この作品は、悪くすると、知的障碍のある人を天使的な、無垢な存在として扱ってしまう危険性もはらんでいるような気がするのですが、パンパンくんがやりたい放題やってみんなに迷惑をかけることで、バランスが取れているように思えました。恋愛や性が若者の重要なテーマになっているというのも、フランス的なのかなとも思いましたが、日本でも同じかもしれないですね。長めの物語でしたが、いろいろなポイントでとてもおもしろかったので、割とすぐ読み終わりました!また、同じ作者の違う本も読んでみたいです。

(2024年12月の「子どもの本で言いたい放題」より)


自分らしく、あなたらしく〜きょうだい児からのメッセージ

障碍のある妹と、姉が抱き合っている写真
『自分らしく、あなたらしく〜きょうだい児からのメッセージ』
高橋うらら/作
さ・え・ら書房
2024.09

〈版元語録〉きょうだい児――病気や障がいのある兄弟姉妹をもつ子どもたち。家族を思う気持ちと、自分自身の生き方のあいだで、きょうだい児たちは、なにを思い、どのような悩みをかかえながら、自分の生きる道を見つけてきたのでしょうか。高校生の中山穂乃果さんが難病の妹とともにこれまで歩んできた道と、社会人になった二人の元きょうだい児の半生を、みずからも元きょうだい児である著者がえがいたノンフィクションです。

フキダマリ: よかったです。自分の状況や境遇を分かり合える人がきっといるから、探して出会おう、という主張がとても伝わってきました。すごくミラクルな事例ではなくて、現実的な事例であることもよかったです。いい言葉だなぁ、と思うところもありました。たとえばp52「待っているのではなく、自らおもむくことが大事なんだよ」というところ。ただやっぱり、きょうだい児は大変で、その重苦しさも伝わってきました。

西山:親が、もちろん悪意もなくさらっと放った言葉が、言われた「きょうだい児」にはそういうふうに刻まれていたかというのは、これは、親の立場で読むとかなりきついだろうなと思いました。このノンフィクションは、ヤングケアラーにも光を当てるようになってきているフィクション作品に対する刺激にもなると思うので、児童文学作家も読んだ方がいいと思いました。

エーデルワイス:本を買うときは(注文も)なるべく地元の書店へ行きます。注文してもネット注文と変わらず1日で届くのですが、この本は出版の関係か2週間くらいかかりました。読書会に間に合ってよかったと思いました。「きょうだい児」という呼び方を初めてこの本で知りました。「ヤングケアラー」という言葉が定着したように、少しずつ生きやすい世の中になっているのだと思いました。ミュージカルの力、参加して生き生きしている姿は素敵です。作者も体験者で3例が具体的にあり共感できました。「二度とがまんしない!二度とあきらめない!」はいいですね。恋愛、結婚のことも書かれていますが、わかりやすく安心感を持ちました。

ハリネズミ:今回この本が読めてよかったとは思いました。特にp75にまとめてあるきょうだい児の抱える悩みなどは、なるほどそういうこともあるのか、と。ただあえて言えば、実名や写真を出してのノンフィクションだと、ここまでしか書けないんだろうな、とも思いました。たとえばフィクションだと、ずいぶん前に出た丘修三さんの『ぼくのお姉さん』を読んだとき、こんなふうに書ける作家がいるのだということに、私は衝撃を受けました。それに比べ、こういうノンフィクションだと、どうしても光の部分を描いていくことになるので、陰の部分、闇の部分には筆が及ばない。タイプが違う本なので、それでもいいのですが。ただ、人間を立体的に描くのが文学だとすると、やっぱりこういう本は、「こんなふうにがんばっている子どもがいるよ」「そういう子どもたちをこんなふうに支えている人たちがいるよ」「きょうだい児でも、こんなに活躍している人がいる。だからみんなも応援しよう」というメッセージを届けるだけになってしまうのでは? と思いました。

きなこみみ:障碍を持つきょうだいに、親の視線が偏ってしまったり、きょうだいに我慢や支援を求めてしまいがちだったり、親の大変さを理解するがゆえに、複雑な事情を抱えてしまったりすることを、穂乃果さんと結衣花さんという兄弟に取材しながらていねいに描いてあると思います。とくにp75 からの、きょうだい児の子どもたちがどんな悩みを抱えているのか、という一覧は、ああ、こんなにたくさんあるんだ、結婚や老後のことまで考えて、自分を縛ってしまうことがあるんだと改めて感じることでした。障碍者への社会的な援助は、まだまだ足りないのだと実感します。そのなかで、弁護士の藤木さんも、穂乃果さんも、同じ境遇の人たちと話し合ったり活動したりすることで、精神の安定や居場所を得ているんだなあと。誰かが犠牲になるのではなく、支援も含めたネットワークの広がり、安心して自分の人生を生きることを実現する社会を作ることを考えさせられます。そういう、社会のほうから、障碍を持つ子どものいる家庭をどう支援するか、という視点も、もう少しあるといいなと思いました。また、穂乃果さんが、歌と踊りにのせて自分の思いを伝えて心を解放していくのは、芸術活動が人間にとってどんなに大事なのかという証左だなと思います。

ツミ:きょうだい児にとっても、そうでない子どもにとっても、大切な本だと思いました。p121の、障碍者福祉を仕事としている方たちの国家資格が無いという事実は知らなかったので、ショックを受けました。後半に、おとなになったきょうだい児、藤木さん、志村さんの話があるのは、きょうだい児の子どもたちにとって、とても励みになると思います。ただ、ノンフィクションの文体について、ちょっと考えさせられました。主人公である穂乃果さんの話は事実として感動したけれど、「  」のなかの穂乃果さんの言葉がお利口さんすぎるというか⋯⋯。作者の言葉ではなく、実際に穂乃果さんから聞いた言葉で<穂乃果さんは「⋯⋯」と思ったといっています>というように、客観的に書くべきじゃないかな。そのほうが、取材の対象としたひとに対するリスペクトになるのでは?

雪割草:きょうだい児がどんな思いを抱えているのか知らなかったので、この作品を読むことができてよかったです。特に、演劇など芸術活動を通じて自分を表現できるようになっていくところがいいなと思いました。それから、藤木さんの話もおもしろく読みました。アメリカに研修に行った際に、ジムで障碍のある人が暗証番号を忘れてしまったとき、正しい番号をすぐに教えるのではなく、ヒントを出して自分で試すことができるようにするという「失敗する権利」の話は、ローズマリー・サトクリフの「傷つく権利」の話を思い出しました。確かにノンフィクションで描けることの限界はあるのだと思いますが、きょうだい児として穂乃果さんや作者がどんなに大変な思いしてきたのか、特に我慢してきたことなどはリアルに感じることができました。

しじみ71個分:大変、意義深い作品だと思って読みました。きょうだい児については、物語でしか触れてこなかったのですが、今回、ノンフィクションで読んでみて、いろいろ考えることがありました。高橋うららさんは視点の温かさを感じる作家さんで、ほかのノンフィクション作品でも良い印象を持っています。職場の選書でさまざまなノンフィクション作品を読みましたが、書き手の想いがないと、通り一遍の事実の羅列になったりして、のっぺらぼうな印象のままで終わってしまうこともありますが、この本は、きょうだい児の当事者に寄り添った温かな視点が感じられたので、読んでよかったと思います。p75の悩みのリストは、きょうだい児がこんなに心のうちで悩んでいるのかと思って、衝撃を受けました。リストなので、簡潔にまとめてあるけれど、その裏にはとても重い実体験があるのではないかと思わされました。そこにたくさんの事例が隠れているのでしょうけれど、個人情報の観点などから難しいのかもしれないですね。穂乃果さんの物語でも、自己犠牲を自分に強いるのではなく、自分の生きたいように生きていいんだよ、という応援メッセージに集約されているように思いました。なので、ほかのポイントについて、書き込みが薄くなってしまったのかなとも思いました。おとなになったきょうだい児の方々の紹介もあり、希望を与えるメッセージになっているように思います。また、高橋さん自身がきょうだい児ということで、学校費用の支払いが未了だった事実を伝えただけなのに、お父さんに叱られたというくだりは、胸が痛みました。これは1つの具体例ですが、この作品の後ろにはどれほどのつらいことや苦しいことがあったのかなと想像すると、ノンフィクションだとどうしても個人の生活に踏み込まないといけないと思いますし、それによって傷つく人もいるかもしれないので、もしかしたら、フィクションで描く方がやりやすいのかもしれないなと感じました。

さららん:「多様性を認めあう社会」の章のp123で、すでに出たように、アメリカでは障碍のある人が暗証番号を忘れてしまっても、周囲の人が手出しをしすぎず、「失敗する権利を、奪わなかった」という一節があります。、雪割草さん同様、私もそこで立ち止まり、障碍のある人を一人の人格として見る視点が自分にも欠けていたのではと、ハッとさせられました。きょうだい児として育った人が、作者も含めて何人か登場しますが、私は弁護士になった藤木さんの話が興味深く感じられました。「いいところは、ぜんぶお姉ちゃんがとっちゃったのね」という何気ない母親の言葉が、ナイフのように胸に突き刺さったのがよくわかり、その言葉で母親は藤木さんと弟の両方を傷つけたことに気が付いてほしいと思いました。この本の中で、「心魂プロジェクト」と出会って、舞台に立ち、自分を解放できるようになった穂乃果さんのエピソードが出てきます。個人的な話になりますが、私も舞台の立ち上げに協力したことがあり、おとなも子どもも障碍のある子もみんな参加できる舞台にしたくて募集をかけたところ、障碍のあるお姉さんが妹と一緒に参加してくれました。主催側の私たちは、ふたりなら安心、と単純に思っていたのですが、この本を読んで初めて、きょうだい児の苦労を知り、自分は何もわかっていなかったことが、今さらながら恥ずかしくなりました。

ニャニャンガ:高橋うららさんの作品は『風を切って走りたい! 夢をかなえるバリアフリー自転車』(金の星社)を読んだことがあります。本書はナイーブなテーマだと思いますが、作者自身が高度難聴のある妹さんがいる「元きょうだい児」であるから書けたのだろうと想像しました。我慢することも多かった方たちが前向きにとらえて昇華させるようすが描かれているので、きょうだい児として悩んでいる子どもたちの一助になればよいなと思いました。とくにp75にある事例に心当たりがある人が、必要なところにアクセスできればと思いました。

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ハル(メール参加):なんというか、ちょっと語弊があるかもしれませんが、ああ、そうだったんだろうなという感じがあると言いますか、新たな発見はなかったのですけれど、共感できました。どんなときも「わかりあえるひとがいる」「ひとりじゃない」ことを知ることは、やっぱり大きな安心につながるんですね。そう考えると、このことに限らず、日本ももっと気軽にカウンセリングを受けられるように、カウンセリングの文化が根付くといいなと改めて思いました。問題が体や行動に発露する前から、誰かと話せるといいですよね。この本には登場しませんでしたが、反対に「きょうだい児」と呼ばれることに違和感を覚える人もいると思うんです。その人たちの気持ちも聞いてみたいなと思いました。

(2024年12月の「子どもの本で言いたい放題」より)