日付 | 2010年11月18日 |
参加者 | あかざ、ハマグリ、ひいらぎ、ダンテス、三酉、メリーさん、レン、みっけ、プルメリア |
テーマ | 女の子のお話 |
読んだ本:
有沢佳映/著
講談社(青い鳥文庫もあり)
2010.06
版元語録:たとえば風邪とかで何日か学校を休んで一人でいると、家族以外の、他人と接しないと、心に同じ形の波しか立たなくなる気がする。水槽の中で金魚が自分で作る波と、海や川の波は違うみたいに。秋吉にとって、教室は海だろう。 *第50回講談社児童文学新人賞受賞
原題:THE STORY OF TRACY BEAKER by Jacqueline Wilson, 1991
ジャクリーン・ウィルソン/作 ニック・シャラット/絵 稲岡和美/訳 *改訳新装版
偕成社
2010
版元語録:ママとはなれ、養護施設でくらすトレイシー・ビーカーは、やんちゃでパワフルな女の子。施設や里親家庭を転々としてきたけれど、いつかはママが迎えにきてくれるという希望をもちつづけている。ある日、取材にやってきた作家のカムと意気投合し…。笑いあり、涙あり、少女の視点で書きつづった物語。
原題:EEN KLEINE KANS by Marjolijn Hof
マルヨライン・ホフ/著 野坂悦子/訳
小学館
2010
版元語録:キークのパパは、お医者さん。たくさんの人を助けるために戦争をしているところへ向かった。心配で心配でしかたないキークは、パパが、無事に帰ってくる可能性を、できるだけ大きくしたい。そんなキークの不安な気持ちが一人歩きし始めた。可能性って大きくしたり、小さくしたりできるの? オランダ発児童文学の 名作。
アナザー修学旅行
有沢佳映/著
講談社(青い鳥文庫もあり)
2010.06
版元語録:たとえば風邪とかで何日か学校を休んで一人でいると、家族以外の、他人と接しないと、心に同じ形の波しか立たなくなる気がする。水槽の中で金魚が自分で作る波と、海や川の波は違うみたいに。秋吉にとって、教室は海だろう。 *第50回講談社児童文学新人賞受賞
あかざ:かぎかっこの中だけではなくて、地の分もイマドキの口調で書いてあるので、正直言って、80ページくらいまで読むのが苦痛でした。それを過ぎると、あとはすらすら読めて、けっこうおもしろかった。修学旅行に行けない生徒たちが、学校に来て授業を受けるという設定は、新鮮でした。ただ、それからの展開が、あまりスリルもなく終わってしまって、リアルなんでしょうけれど、なんだか物足りない。登場人物も個性の違う人たちがいろいろ出てくるのだけれど、掘り下げ方が足りないというか……。児童養護施設で育ったふたりも、ジャックリーン・ウィルソンの「トレイシー・ビーカー」と読みくらべると、表面的な気がしました。
ハマグリ:3日間の出来事ですよね。1日目はおもしろいシチュエーションだなと思ってひきこまれて読みました。なかなか他人と積極的に交わらないといわれている今の子が、一緒にいなければならない状況に置かれて、さぐりながら交わっていくというのがおもしろかったです。会話も、こんなふうにしゃべるんだろうなと思いながら読みました。でも、2日目、3日目と読んでいっても、状況が変わらないんですよね、何も起こらない。会話部分をとても丁寧に書いているけれど、同じ場面が続くので退屈してしまうところもありました。ドキュメンタリー番組を見るような興味で読むのはいいんだけど、小説としては物足りなさを感じました。
ひいらぎ:私はすごくおもしろかったのね。というのは、今の子は自分と同質の子としかつきあわないんですよ。この作品では、ホームで暮らす子同士だけは旧知の間柄だけど、あとの子たちは、こういう状況でなければ付き合おうとしない子たちですよね。それがこういう場で出会って、だんだんに認め合っていくのがうまく書かれています。表面的には何も起こらないようだけれど、内面のドラマはいろいろある。例年の講談社新人賞受賞作品よりはずっとおもしろいと思いました。
ダンテス:まあ、今どきの子に読ませることをねらって、こういう口調で書いてるんでしょうね。そういうふうに書かないと売れないのかな。迎合しているように思えてくる。「そうゆうことは」とか「じゃねえよ」とか。これでは文章としての日本語はおしまいかなという 気になりますね。お話の設定としては、修学旅行に行けない子どもたちが集まるっていうのはおもしろいし、一応登場人物それぞれの描き分けはできている。でも、これを関係している子どもたちに読ませようとは思わないな。
三酉:作家は36歳。でも青春時代を卒業しておられないのかな。思春期の夢、という印象でした。危ないところにはさわらず、仲良しになれたらうれしいね、みたいな。ただ、最後のところで「友だちじゃないし」っていうあたりからが雰囲気が変わっていますけどね。言葉の話でいうと、この口調が中学3年のものなんだろうか。高校3年というのなら分かるけれど。そうではなくて中3だというのは、高3だとセックスとかがからむから、淡淡というか、ほわほわという物語にならないからでしょう。
メリーさん:今回の3冊は、いずれも女の子の独白で成り立っている作品です。その中で、これは絶対、賛否両論になるだろうなと思っていました。私自身はとても好きな1冊です。新人としては読ませるほうだな、と。もちろん、キャラクターは、型にはまっていて、できすぎ。どちらかというと、ライトノベルに近いようなつくりです。でも、何も起こらない3日間をここまで読ませるというのは、とても力があるのではないかなと思いました。アクションを起こす時間と、皆の会話で成り立っている時間が交互にあって、読み終わると本当にいろいろなことがあったと思わせる。野宮さんが、いい子になるために「努力している」なんて言ってしまうところ、一見おどけもの小田が「他人のことなどわからない」と言い切るあたりは、どきっとしました。ひと時の出会いを経て、また離れ離れになっていくのはさびしい気もしますが、今の子はそうやって現実との折り合いをつけているのではないかなと思いました。あえて友情を深めるわけではないけれど、着実に前に進んではいる。一点、主人公のキャラクターがもっとはっきり出ていればなと思いました。
レン:最初はすいすい読み始めたのですが、途中で退屈になって投げそうになりました。私は修学旅行のような行事が好きではなかったので、修学旅行に行けないからといって腐るというのに、共感できないというのもあったのかもしれませんが、あまりおもしろいとは思えませんでした。たとえば部活の上級生と下級生の間のいじめは、今もこんなのがあるのでしょうか? こういう書き方で出てくることが、少し古い感じがします。それに、修学旅行に携帯電話を持っていけるというのは、高校生ならいいけれど、公立の中学校ならありえないはず。ちょっと作られた感じがしました。タイトルにひかれて中学生が手にとったら、共感して読み進めるかもしれませんけど。
みっけ:最初の3,40ページは、次から次へと新しい名前が出てきて、しかも最小限の説明だけでずんずん運んでいくという感じだったので、キャラクターと名前が一致しなくてきつかったです。でも、互いに同質な者同士で固まろうとする傾向が非常に強くなっている今の学校生活で、絶対に接点を持とうとしないだろう子どもたちが、そろりそろりと触角をのばして互いを確かめ合い、それなりの理解をするという感じはよく書けていると思いました。アメリカのちょっと古い青春映画で、学校で罰の作文を書くために集まった多種多様でふだんは接点を持たない高校生たちが、互いを知るようになり、深くものを考えるようになり、結局は学校(教師)に対して異議申し立てをする、という作品がありましたが、それと思わせるうまい設定だな、と思いました。ただ、学校に異議申し立てとか、そこまでアクティブにならないところが、今の日本の学校の状況を反映しているんでしょうね。物足りなさを感じないわけではありませんが、これがリアルさを失わない精一杯なのかな、という気もしました。前にこの読書会で取り上げた『スリースターズ』(梨屋アリエ著 講談社)も、やはり特殊な状況に置かれた異質な子どもがお互いを発見する物語でしたが、あれにに比べておとなしい感じがしたのも、学校の中の授業時間内だけで進む話なのでやむを得ないのでしょうね。というわけで、文体についていけなかったりして、ちょっとしんどいなというところもあったけれど、途中からはそれほどいやではありませんでした。それと、主人公の一人称でずっと書かれていて、主人公がせっせと人を観察し、あれこれ注釈を加えるから、下手をすると「自分のことは棚上げで、人のことを観察してあれこれいっている。いったいこいつは何者だ?」という感じになりかねないけれど、最後の方で、女優をやっている岸本という子が、演技するときは、主人公をイメージしてるんだと言い、それに対して主人公が、不意を突かれて「え?」と思う場面を入れることで、この子自身も「全知全能の神様」でない普通の女の子だという感じになっているのは、うまいな、と思いました。全体として、きらいな本ではなかったです。いじわるさもないし、陰々滅々とした現状をただ上手に書くだけの本でもなかったし。
三酉:施設の子とか保健室登校の子とかを登場させる以上、そういう子が抱えるであろう屈折を押さえたうえで、一味違うキャラクターとして描く、ということが必要だと思いますが。
プルメリア:私は中学時代を思い出し、ジャイアントコーンを食べながら読みました(笑い)。修学旅行は子どもたちにとってわくわくドキドキする特別行事。参加できない子どもたちの複雑な心情がうまく伝わってこなかった。登場人物はさわやかだけど、ドラマを見ているようで現実感が希薄かな。不登校の生徒が加わると、ますます作られたストーリーに思えました。
(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)
おとぎ話はだいきらい〜トレイシー・ビーカー物語1
原題:THE STORY OF TRACY BEAKER by Jacqueline Wilson, 1991
ジャクリーン・ウィルソン/作 ニック・シャラット/絵 稲岡和美/訳 *改訳新装版
偕成社
2010
版元語録:ママとはなれ、養護施設でくらすトレイシー・ビーカーは、やんちゃでパワフルな女の子。施設や里親家庭を転々としてきたけれど、いつかはママが迎えにきてくれるという希望をもちつづけている。ある日、取材にやってきた作家のカムと意気投合し…。笑いあり、涙あり、少女の視点で書きつづった物語。
メリーさん:文句なくおもしろいと思います。すべて独白というのもあって、3冊の中では一番元気で、しゃべってしゃべって突っ走る感じが痛快でした。まさにトレイシー・ビーカー劇場。でも、それだけではないところがまたいい。友だちが離れていったといって悲しんだり、逆に突然立ち止まってひとり考えたり。元気の中にさびしいという気持ちが垣間見えるところ。それから、マクドナルドで若い作家と会う約束をする場面。自分を理解してくれる人に会いに行きたいけれど、母親からその時に電話がかかってきたらどうしようと悩むところは、とても上手だなと思いました。日本での対象は高学年くらいでしょうか? ぜひ読んでほしい1冊です。
三酉:施設の内と外、ということがお話のダイナミズムを支えていて、まことに見事。これと『アナザー修学旅行』を比べると、『アナザー〜』はコップの中の嵐、という印象ですね。これだけ突っ張っていて、実はまだおねしょしている、という、ひとつのエピソードで主人公をくっきりと描き出す。作者はほんとに力あるなと感心しました。もうひとつ『アナザー〜』との対比で言うと、トレイシーの世界には、ちゃんと大人をやっている大人が登場するのに対して、『アナザー〜』にはゆるい先生しか出てこない。この対比はつらい。
ダンテス:里親の話って、すぐ思いうかんだのはキャサリン・パターソンの『ガラスの家族』(岡本浜江訳 偕成社)です。文化的には同じかな。現実には、この子は親から捨てられた子なんですね。日本では里親制度ってあんまり広がりませんよね、巻末の解説を読むと、そんなことへのいらだちが書かれている。『ガラスの家族』もそうですけど、日本でこういうお話を翻訳で出すことになると、なんか里親制度を広げようという方向に持っていってしまうというのが興味深い。でも、翻訳の言葉も含めて、いい作品だと思います。テンポよく読めました。
メリーさん:物語を読んだ読者の中で、里親制度に興味を持った人が、解説を見て連絡をとるということもあるみたいですね。
プルメリア:私は主人公のお母さんがどういう人なのか知りたかったので、全3巻を全部読みました。子どもに親しみやすい形になっていて、子どもには手にとりやすい本だなと思いました。主人公はたくましいけれど、ある意味弱いところがあり、お客さんの来るときお化粧しちゃったり、友だちとの賭でミミズを食べたり、友だちの大切にしている時計を壊しちゃったり、そういう心情がよくわかります。イギリスではテレビ番組にもなっていて、それも人気があるそうです。
ひいらぎ:このシリーズは3巻まで読みましたが、すごくうまい作家だなって思いました。ウィルソンは労働者階級の出身なんですよ。イギリスの児童文学の中で画期的なことです。イギリスのほとんどの児童文学作家は、ある時期までみんな上流、中流出身で、中流以上の子どもたちに向けて書いてましたからね。ウィルソンが書く10歳くらいの子は、家庭の愛に恵まれず社会的の中心にもいられない子どもたちなんだけど、そういう子たちを書いたのにイギリスではみんなベストセラーになっている。その理由のひとつは、やっぱりユーモアでしょうね。シリアスな状況を書きながら、笑える部分が随所に用意されている。ちょっと間違えると嫌らしくなると思いますが、そのぎりぎり一歩手前で笑わせる。だから大人が読んでもおもしろいし、子どもが読んでもつぼにはまるっていうのか。ほんとにこの人はうまいですね。
ハマグリ:私もジャクリーン・ウィルソンの作品はすごく好きで、子どもたちにすすめたい本が多いです。この本の良さは、子どもたちが読んでいて、作者が絶対的に子どもの味方であるっていう安心感が伝わるところです。日本の児童文学では、大人が敵みたいに描かれたり、子どもをわかってくれない存在として描かれることが多いけれど、ジャクリーン・ウィルソンが描く大人は、子どもを1人の人間として扱ってくれる。子どもである自分を対等な存在としてきちんと認めてくれるということがはっきりわかる。子どもたちにはそれがうれしいと思います。日本の子どもたちにとっては、なじみの薄いシチュエーションもあるんだけど、リアルな挿絵ではなく、漫画っぽい挿絵だから逆に読みやすいかなと思います。
ひいらぎ:挿絵を書いているニック・シャラットって、ウィルソンが最初に出会ったときはダークスーツを着込んでてまじめな堅物って印象だったんですって。でも、ウィルソンが落としたペンかなんかを拾おうとしてテーブルの下にかがんだときに、黄色い靴下をはいてるのがわかって、ああ、この人ならおもしろい絵が描けそうって思ったんですって。ほんとにニック・シャラットの挿絵は、物語を重苦しくしないという大きな役割を果たしてますよね。
あかざ:私もジャクリーン・ウィルソンの作品は大好きですし、邦訳が出版されるとすぐに買いに行くという子どもの話もよく聞きます。この人は、本当に貧しい子どもたちや、不幸な環境にいる子どもたちの守護神みたいな作家ですね。現実の子どもたちと接する機会もとても多いとか。この作品も、物語の中の作家のように、何度も施設に足を運んでから書いたのではないかしら。読書会のたびに、いつもしつこく言っているのですが、日本の作家さんたち、とくに若い方たちは、自分の身の回りを書くのは上手いけれど、社会につながっていくようなところが足りないんじゃないかな。現場に何度も足を運んでいれば、大上段にかまえなくても自然に作品のなかに社会につながっていくところが出てくるんじゃないかと、またまた思いました。ウィルソンのほかの作品もそうですが、この話って考えてみると、すごく悲しい物語ですよね。それをこんなふうに軽やかに、ユーモアたっぷりに書ける才能ってすごい!
みっけ:出だしが上手だなあと、まずそれに感心しました。「私のノート」とあって、この子の望みや何かがばんばん打ち出され、気がつくと読者は完全にこの作品世界に入っているという仕組み。しかもその出だしからすでに、強気なようでいてもろかったり、突っ張ったりしているこの子の有り様がみごとに表現されている。もう一つ、この本を象徴しているのが、最後に出てくる「おとぎ話はだいきらい」っていう言葉。これはいいなあと思いました。この子は、お母さんのことや、作家のお姉さんのことなど、自分でいろいろなお話を作り上げることによって、厳しい状況を乗り切ってきている。つまりその意味では、お話を必要としている。でも、安手のおとぎ話なんかいらない!と突っ張ってみせる。これがいいんですよね。人の作ったおとぎ話に自分を合わせるんじゃなくて、自分でお話を作る姿勢、と言ってもいいかもしれない。といっても、おそらく本人は自分でお話を作っているということを明確に意識してはいないのでしょうが……。英米の児童文学を読むといつも感じることですが、主人公の能動性が読者を強烈に引きつける。ただ座って嘆いていてもしかたないじゃない、というパワフルさ。それでこそ、子どもたちへのエールになるし、その意味で、この本は児童文学のお手本みたい。がんばれ、お互いがんばろうよ、そしたら何かが開けてくるかもしれないよ!という作者の姿勢が感じられる。それと、この子の表に出ている部分と、人には絶対言わずにノートに書く部分と、ノートにも書かない部分と、そのすべてが表現されている点も、すごいなあと思いました。もうひとつ、施設の子も含めた子どもたちみんなと自分とが同じ地平にいる、という作者の視線が伝わってきて、ほんとうに感心しました。
レン:テーマの扱い方がうまいですね。ひとつは、子どもの引きつけ方。主人公と一緒になって読んでいけます。それから、大人がきっちり書けている部分。若い作家のカムも、子どもの前で無理していいかっこうをしなくて、「わたしはそのときは寝てるわ…」などと、はっきり自分の都合を言うんですね。そういうところが痛快。この間、清水眞砂子さんが講演で、最近の日本の作家の書く児童文学は、いい子ばかりが出てくる、大人の描けていないものが多いと指摘なさっていましたが、この本は、それとは正反対。お説教くさくなく、施設を舞台にしながらとんでもないことをやらかす主人公が登場して、一見軽そうだけれど、人物が多面的に描かれていると思いました。日本の作品で比べられる作品ってあるでしょうか? 日本の児童文学に登場する大人がおもしろくないのは、平板な社会の反映なのかしら。少し前なら佐野洋子さんとか、型にはまらない大人をうまく書いていますよね。真面目に、直球ばかりではなく、ふっとはずす感じで。
ひいらぎ:子どもの時に子どもらしく遊んだ経験があれば、そこを卒業して大人の目をもてると思うんだけど、今は子どもがなかなかそういう経験ができないみたい。幼稚園なんかでも、子どもをのびのびと遊ばせていると、親から「学校に入ったときのことが心配だから、勉強を教えてくれ」とか「整列の仕方を教えておいてくれ」とか、言われるそうですよ。
ハマグリ:新版になって、翻訳も手直ししたようです。主人公の口調がずいぶん変わっているんですよ。前より女の子っぽくなくなってますね。
(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)
小さな可能性
原題:EEN KLEINE KANS by Marjolijn Hof
マルヨライン・ホフ/著 野坂悦子/訳
小学館
2010
版元語録:キークのパパは、お医者さん。たくさんの人を助けるために戦争をしているところへ向かった。心配で心配でしかたないキークは、パパが、無事に帰ってくる可能性を、できるだけ大きくしたい。そんなキークの不安な気持ちが一人歩きし始めた。可能性って大きくしたり、小さくしたりできるの? オランダ発児童文学の 名作。
ハマグリ:主人公の気持ちをすごくていねいに書いていると思います。小さい子がいかにも考えそうなことをね。理不尽だけれど、せっぱつまって子どもらしい論理をつくってしまう。子どもの不安を文章にするのはむずかしいと思うんですけど、うまく表現してあり、共感をおぼえました。お母さんと犬の存在も子どもの目からうまく書けているし、好感をもって読みました。
ひいらぎ:私はちょっと違和感がありました。この子が、弱ったネズミをもらってきて世話するでもなく死なせたり、歩道橋から飼っていた犬をつきおとそうとするのは、どうなんだろうと思って。弱った生き物を救えれば、お父さんも生きて帰れるんじゃないかって、普通の子どもだと思うんじゃないかな。動物の命を人間の命より下に見る西洋的価値観があらわれているのかもしれませんね。それから、この本は日本で読むと、マイホーム主義を主張しているように読めますね。この子のお父さんは、「国境なき医師団」のような団体に所属して戦闘地域で医療活動をしてるんでしょうけど、そういう人がまわりにいない子ども読むと、自己満足のために家族を心配させる身勝手なお父さんとしか思えない。地雷も出てきますが、お父さんが被害者になっただけじゃなくて、現地の人はいつも被害にあっているっていう視点も、この作家にはありませんね。この本を読んだ子は、危ない所には行くなっていうメッセージだけを受け取ってしまうのでは? 最後に、車椅子になったお父さんが娘に、次からは一緒に行こうって言うんですけど、そこもリアリティがなくて、頭の中で考えた作り話なのかと思いました。
プルメリア:題名がいいなって思いました。夏に読みましたが、もう1回読んでみて、主人公の心情がよくわかりました。お父さんが死ぬ可能性を小さくするためにネズミや犬を殺そうとするなど、主人公が抱いている不安がよく書かれていると思いました。かかわっている登場人物、歩道橋で出てくる男の人や友だちもあたたかい。最後のお父さんのせりふも、前向きな気持ち。女の子の心情とともに戦争がテーマにはいっている。重い内容が描かれているけれど、読んだ後がさわやか、心があたたまりました。
ダンテス:ちょっとドライすぎるかなって印象を持って読みました。全体的に冷たいって印象があるのは、ひいらぎさんが言ってたようなことのせいかな。
三酉:「これを書く」みたいなことが、はっきり見えすぎている印象。お父さんは、オランダにいれば安全なのに、安全でないところに出ていく。そこである意味、話が成り立ってしまう。ここにも内部と外部の緊張というのが、お話の骨格として出てくる。それにしても、この奥さん、あんまり幸せじゃないんでしょう。子どもをまったく支えることができていない。
メリーさん:地元の国の文学賞を受賞したというので、興味をもって手にとりました。主人公の「可能性を小さくする」という考えがとてもおもしろいなと思いました。どうしようもない困難にぶつかったとき、子どもも、彼らなりに何か自分にできることはないかと考えると思います。考えたすえに思いついたのがこのアイデア。家族の助けになりたいために、また自分の不安の解消するために。本当は進むべき方向が間違っているのだけれど、なるほどなと思ってしまいました。こういう子どもたちのしぐさ、動物のお墓を作るようなことやったなあと、自分自身の子どもの頃を思い出しました。
レン:とらえどころがない印象を受けました。お父さんが「国境なき医師団」で外国に行っているのがポイントだと思うのですが、別の理由でお父さんが海外に出ていても、大差ないかな。どんな子だったらこの本をすすめたくなるのか、対象となる読者が想像つきませんでした。
みっけ:読み始めてしばらくして、あ、これって「禁じられた遊び」だな、と思いました。なにかのトラウマやストレスが原因で、ある種儀式のように死と生をいじって、自分の心のバランスを取ろうとする。そのために、命を命として見る視点が消えていく。作家が、大きな不安にさらされた無力な子どもを書きたいと思うのは、とてもよくわかる。題材としてとても魅力的だから。でも、そうやって書いた本が子どもに向けたエールになっているかというと、この本に関しては疑問だと思いました。なんだかトーンが弱い。主人公がこの年齢の子だから成り立つ話だという気がするんですが、児童文学の読者である子どもたちが、この年齢の子のこういう行動を読んで、どう感じるんだろう、どうなるんだろう、という疑問があって。禁じられた遊びと同じで、大人向けならわかるんですけれど。それにしても、なんか淡くて線が細い感じで、リアルさが感じられなかったです。
あかざ:書き方を変えれば、ホラーにもなりうる話ですよね。子どもはこんな風な考え方をするかもしれないけれど、そこに共感するかどうかが、この本を好きになるかどうかの分かれ目ですね。ただ、考えるかもしれないけれど、実行にうつすかな?「考えと行動は別々のもの」と、お母さんが言うでしょう? 考えるだけならいいけれど、実行してはいけないということかな? 人間の命がなにより大事で、ほかの動物の命はそれ以下という考え方がキリスト教的な社会にはあると聞くけれど、輪廻転生といった日本人の感性とは相いれないところがあるのでは? この本が賞を受けたのは、国境なき医師団にお父さんが入っているからかもしれませんね。
ひいらぎ:「国境なき医師団」ではなくて、「赤十字」や「赤新月社」かもしれませんよ。それにしても、そういう団体が何をやろうとしているのかは、きちんと伝わってはきませんね。
あかざ:国境なき医師団の医師だけでなく、家族も大変だけれど頑張っているとか……。銃後の妻のような。
ひいらぎ:この家族は、お父さんを理解して支えているというより、困っている面が強調されています。だから、そんな危ないことをしてないで家庭を大事にしろ、というメッセージばかりが強くなってしまう。
みっけ:どれくらいの年齢の子が読んでるんですかね。
あかざ:YAでしょうね。でも、口からもおしりからもパフッと息をする犬の話は好き!
みっけ:ちょっと悲しめの話が好きな、若い女の人向けの本なのかな。
(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)