日付 2014年1月16日
参加者 アカザ、コーネリア、さらら、ジラフ、タンポポ、夏子、カボス、プルメ
リア、レジーナ
テーマ 新しい町での出会い

読んだ本:

『3人のパパとぼくたちの夏』
井上林子/著 宮尾和孝/挿絵
講談社
2013.07

版元語録:まるで主婦のような小6男子、めぐるの夏休みの家出を描く。シングルファーザーの家庭が3組も登場する、ユニークな新作童話。
『ただいま!マラング村〜タンザニアの男の子のお話』
原題:TUSO. EINE WAHRE GESCHICHTE AUS AFRIKA by Hanna Schott, 2009
ハンナ・ショット/作 齊籐木綿子/挿絵 佐々木田鶴子/訳
徳間書店
2013

版元語録:路上で暮らすことになったタンザニアの男の子が、再び故郷を訪ねるまでを描く。実話に基づいた、アフリカの「今」を知る貴重な1冊。
『負けないパティシエガール』
原題:CLOSE TO FAMOUS by Joan Bauer, 1996
ジョーン・バウアー/著 灰島かり/訳
小学館
2013

版元語録:主人公フォスターは、毎日必ずケーキを焼くことにしている。なぜって、そうすれば、いつでもどこでもおいしいものが食べられるから。そう、フォスターは、カップケーキ作りの天才なのだ。ある日、ママと二人で家を出て、新しい人生を送ることになる。フォスターを待ち受けているのは…? カップケーキのようにあまくはないサクセスストーリー。


3人のパパとぼくたちの夏

『3人のパパとぼくたちの夏』
井上林子/著 宮尾和孝/挿絵
講談社
2013.07

版元語録:まるで主婦のような小6男子、めぐるの夏休みの家出を描く。シングルファーザーの家庭が3組も登場する、ユニークな新作童話。

コーネリア:こういう男の子いるだろうなって、楽しく読みましたけど、マンガチックな構成で、読み飛ばしてしまって、心に残らなかった。小学生くらいの男の子だとが読みやすいのかもしれません。

レジーナ:タイトルを初めて聞いたときは、ゲイのカップルの物語かと思いました。「やっと日本の児童文学でも、そうしたテーマを扱うようになったか!」と思ったのに、ふたを開けてみたら、シングルファザー同士で暮らしている設定でした。小学6年生が、おぼれている子どもを助けるのは、そう簡単にはできないので、リアリティーが感じられませんでした。また、家出していることに気がつかず、主人公の持っているパンを見て、「朝食を持参しているなんて、用意がいい」と言ったり、「ぐるぐる」という呼び名を本名だと思ったり、夜パパがあまりにもとんでいて浮世離れしているので、ファンタジーの世界に迷いこんだように感じました。主人公は、自ら状況を変えようとはしていない。いわば逃避ですね。リアルな設定なのに、異質な空間が唐突に現れ、主人公はそこに逃げこみ、しばらくの間、現実とは別の時間を過ごす。しかし児童文学では、家出や旅を通じて、それまでと異なる自分になって帰ってくることが大切なのではないでしょうか。たとえば、E・L・カニングズバーグの『クローディアの秘密』(松永ふみ子/訳 岩波書店)では、家出をした主人公は、自分だけの秘密を持って、家に戻ります。でもこの物語では、主人公の中のなにかが決定的に変わったり、成長したりはしない。挿絵の宮尾和孝さんは、ジェラルディン・マコックランの『ティムール国のゾウ使い』(こだまともこ/訳 小学館)や中村航文の『恋するスイッチ』(実業之日本社)の表紙も描いていらっしゃる、今人気のイラストレーターですね。

さらら:ストーリーラインは単純で、言葉も台詞のやりとりで続いていく。映画みたいで、ラノベに似ていますね。目で見える情景が続いていて読みやすいけれど、軽い。家事をやらないお父さんに対する、子どもからの反撃というのは、私が好きなテーマですけど、文体についていけなかった。ちょっと文章のつくり方が粗いのかなあ……。

夏子:状況の設定が秀逸だと思いました。父子家庭の集合体っていうのは、母子家庭の集合体と比べると、今ひとつリアリティーがないでしょ? だから、理想化できるのでは? ほら、ひまわり畑の真ん中にあるという「夢の家」にいるのがオッサンなわけだから、イメージが新鮮になるじゃない。とはいえ「ひまわりの家」のポイントは、朝パパの超楽天的な個性ですよね。「テキトー、ずぼら、いいかげん。でも超ハッピー」で、これはまあ、パターンかな。この個性を、夜パパが讃仰していて、それで共同体ができあがっている。めぐる君も影響を受けて、やがて「うちのお父さんのようなテキトーなやり方もありかも」と受け入れるようになる。よくあると言えばよくある展開ですが、私は楽しく読みました。女の子はペアの天使というキャラですよね。ジャラジャラとアクセサリーをつけているのは、フラワーチルドレンというか、ヒッピー風。深読みすると、お母さんがいないという欠落を、なんとかして埋めたい衝動があるとか? ただイラストが、髪型やらリボンやら正確でなくて、残念です。こういうふうに、登場人物をパターンやキャラで描くところが、ラノベとかマンガっぽいんでしょうね。でも主人公は家出をすることで前に進んだからこそ、「他者を受け入れる」という課題を成し遂げたわけで、なかなか良い本だと思います。

たんぽぽ:どうかなって、思ったのですが、読んでみたらおもしろかったです。3年生ぐらいから高学年まで、よく読んでいます。家出という設定も好きで、主人公の気持ちが自分たちと重なるようです。最後に父親がわかってくれたというのも嬉しいようです。これも食べ物を囲むシーンが度々出てきますがあたたかい気持ちにさせてくれます。

ジラフ:私もうまく乗れなかったくちで。やっぱり、ゲイのカップルかなあ、と思いました(笑)。シチュエーションがちょっと“おとぎ話”みたいで、吉本ばななの『キッチン』(福武書店、角川書店)を思い出しました。『キッチン』は性転換したお父さん(というかお母さん)でしたが、日常の中で、そういうおとぎ話的な場所を持つことでやっていける、生きていかれるということはあるなあ、と思いました。

アカザ:ノリが良くて、最初からすらすら読めました。キラキラした女の子たちが出てきたところで「あれ、これはファンタジーなのかな? ふたりともこの世ならぬ存在で、キングズリーの『水の子』(阿部知二/訳 岩波書店ほか)みたいな展開になっていくのかな?」と思いましたが、そうはならず最後までリアルな作品なんですね。でも、なんだかリアルではない……。登場人物の書き方が記号的で、あまり体温が感じられないからなのか。たしかに主人公も主人公のパパも、家出事件の前と後では心境も変化しているし、成長もしているだろうし、ある意味、児童文学のお手本ともいうべき書き方をしているんだけど……最後まで嫌な感じはしないですらすら読めるんだけど……なにか薄っぺらいというか、心にずしんと訴えかけてくるようなものがなかった。これは、無いものねだりなのでしょうか?

夏子:すらすら読める、というのもポイントだけれど、それだけでいいと思ったわけではなくて、家出という問題解決の方法を、私は評価したいです。

たんぽぽ:4年生ぐらいで読めない子がおもしろいなーって、他の本にも広がるきっかけになれば良いなと思います。

ジラフ:作者のプロフィールを見ると、梅花女子大の児童文学科を卒業して、日本児童教育専門学校の夜間コースで勉強していたそうなので、ひょっとしたら、いい子どもの本の書き方のお作法みたいなものが、知らず識らずのうちに身についてしまっているのかも、とふっと思いました。

カボス:お父さんへの不満ですけど、子どもから見れば大きいんでしょうね。大人から見れば些細なことでも、そう簡単に許すことはできないから。女の子二人が溺れたのを助ける場面は、ちょっとご都合主義的だと私も思いました。私は朝パパのキャラが好きだったんですけど、いつも飛ばしているはずの親父ギャグが途中から出なくなるので、残念でした。なかなかおもしろいシチュエーションで、父子家庭が助け合って暮らすというのは現実にはあまりないでしょうけど、こういう作品が出ると現実でもアリかなと思えてきて、そこがいいですね。

コーネリア:家出とか、お料理ものとか、子どもが喜びそうなものがちりばめられていて、読む間は子どもも楽しめるのですけれど、印象に残らなかったんですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)


ただいま!マラング村〜タンザニアの男の子のお話

『ただいま!マラング村〜タンザニアの男の子のお話』
原題:TUSO. EINE WAHRE GESCHICHTE AUS AFRIKA by Hanna Schott, 2009
ハンナ・ショット/作 齊籐木綿子/挿絵 佐々木田鶴子/訳
徳間書店
2013

版元語録:路上で暮らすことになったタンザニアの男の子が、再び故郷を訪ねるまでを描く。実話に基づいた、アフリカの「今」を知る貴重な1冊。

さらら:「ただいま!」は、挨拶の言葉だったんですね。「只今現在」の意味かと、思ってしまいました。不安な気持ちや様々な感情表現が、きちんと書き込んであるのは、好感が持てました。お兄ちゃんとはぐれた後、ストリートチルドレンになるのが少し唐突かな、と思ったのですが、描かれている部分と描かれていない部分でうまくバランスを取っている。主人公は途中で、シスターに惹かれて施設に入る。でも、どうしていいかわからず飛び出してしまう。そうした心理もよく描かれていますね、短いページ数の中で。派手なところはないけれど、誠実に描かれた物語という印象を受けました。1箇所だけ、「二年前から(犬が)しずかなねむりについている」という訳語にひっかかりました。これでは犬が死んだことが、子どもにはわからないのでは?

アカザ:とても好感が持てました。こういう作品は年代の上の子どもが対象でないと難しいと思っていましたが、低年齢の子どもたちにもよくわかる書き方をしていて、はらはらしながら最後まで読みました。世界にはいろいろな子どもたちがいて、いろいろな暮らし方をしているということを幼い子どもたちに伝える作品が、もっともっとあってもよいのではと思いました。

ジラフ:人ってどんな時代に、どこに生まれるか、本当に選べない。その与えられた環境の中でいやおうなく生きていくしかない、というあたりまえのことをひしひしと感じて、胸にずしんときました。この男の子の場合は、寄宿舎に入って勉強することで人生ががらりと変わりますけど、実話がうまく物語に昇華されていて、自然に読むことができました。ただ、時間の経過が、路上生活から寄宿舎に入るまで4年、それから村に帰るまで5年と、いずれも章がかわってページをめくると、それだけの時間が経っていて、男の子は外見的にもずいぶん成長しているはずなので、そのあたりを読者の子どもがイメージできるのか気になりました。

たんぽぽ:中学年から、世界中の子ども達に目を向ける導入としてもいい本だなと、思いました。3年生ぐらいだと、後半の時間の経過が、理解できるかなと、少し気になりました。

夏子:皆さんが指摘されたポジティブな部分は認めた上の話ですが、西洋人が見たアフリカという感じが、すごくするんですよね。難しいことは承知のうえで、アフリカの人が書いたアフリカの本が読みたいと思いました。タンザニアの状況は苛酷ですが、日本の子どもたちだって苛酷な状況に陥ることはある。とはいえまったく違うことがあって、それは、日本の子どもに援助の手を延べるのはたいてい日本人(=同じ文化の人間)だけれど、タンザニアの子どもに援助の手を延べるのは、たいていは西洋人(=異文化の人間)ということ。結局、主人公の少年は、西洋化するしかないんでしょうか? 本当にそれしかないのか、私にはわからないんです。私は15年ほど前に、タイの人が書いたタイの本を読みました(後で思い出しましたが、ティープスィリ・スクソーパー作『沼のほとりの子どもたち』[飯島明子/訳]で、1987年に偕成社から出た本でした)。9割くらい読み進むまで退屈で退屈で、何度も途中でやめようと思ったんです。でも読み通したら、最後の部分が、忘れられないほどおもしろかった。ああ、時間の流れがわたしたちとは違う、と体感できたことが、読後の満足感につながっているんだと思います。もちろん最後だけ読んでもダメで、これを味わうには、退屈に耐えないと。となると今の日本の子どもたちはなかなか読みきれないでしょう。子どもたちが読める本で、アフリカやアジアの人が書いた本は、そうはないですよね。西洋の目から見たアフリカであっても、まずそれを知ることが必要なんだと思いますが……。

レジーナ:西洋から見たアフリカの本というのは、確かにそうですが、書き手は西洋の側にいるので、慈善団体の人がいい人に描かれているのは、仕方がないかもしれません。最後のインタビューで、寮ではペットを飼えないと語っているので、寄宿学校にドーアを連れていく部分は、フィクションでしょうか。私が少し気になったのは、挿絵です。ユーモラスなタッチだからかもしれませんが、目鼻が大きく、唇が厚い姿を、必要以上に誇張して描いています。これはポリティカリー・コレクトという観点からは、どうなのでしょうか。フランク・ドビアスの描いた『ちびくろさんぼ』(ヘレン・バンナーマン作 岩波書店/瑞雲社)があれほど物議を醸した後ですし、今の時代の本ということを考えると……。アフリカの人は、どう感じるのでしょうね。

コーネリア:最初は実話とは気づかなくて読み進めました。盛りだくさんに小道具を使ってドラマチックに創作されているつくりものの世界に慣れていると、最初は物足りなく感じました。でも男の子の視点がぶれずに書いてあるので、好感をもって読み進めることができました。半ばくらいから、ツソといっしょになって、応援しながら読みました。ハッピーエンドの方がいいから、最後にお兄ちゃんと会えてよかったのだけれども、村でお兄ちゃんが暮らしていたというラストには、ちょっとしっくりきませんでした。どうして、お兄ちゃんが先に帰っていたのか? はぐれたら、お兄ちゃんの方が弟を探すのではないか? 疑問が残ってしまいました。最後のインタビューで、お兄ちゃんがどうしていたのか、聞いてもよかったのでは。読者対象が、2年生ぐらいだと、これくらいストーリーをシンプルにする方が読みやすくていいのでしょうか?

カボス:みなさんがおっしゃるように、一見良さそうな作品で、好意的な書評もいろいろ出ているのですが、タンザニアに詳しい人に聞いてみると、あちこちに間違いがあるのがわかりました。遠いアフリカの話なので日本の人には間違いがわからないかもしれませんが、こういう本こそ、ちゃんと出してほしいと思います。
 まずスワヒリ語をドイツ語読みのカタカナ表記にしてしまっています。カリーブ、ドーア、カーカ、バーバ、バーブと出て来ますが、スワヒリ語ではカリブ、ドア、カカ、ババ、バブと、音引きが入りません。白人のこともワツングとしていますが、ワズングです。ほかにも、p9に「ツソが水をくんでこないと、おばさんが、トウモロコシをつぶしてお湯でねった晩ごはんをつくれないのだ」とありますが、これは主食のウガリのことだと思います。とすると、乾燥してから碾いたトウモロコシを使いますから、不正確です。p12には「ツソは、大いそぎで、手のなかのおかゆを口にいれた」とありますが、これもウガリのことなのかもしれませんが、おかゆとは形状が違います。おかゆのようなものもありますが、それは手では食べずにコップに入れて飲むそうです。p10にはカモシカが出てきますが、アフリカにはカモシカはいません。
 翻訳だけでなく原文にも問題があるかもしれません。p24に「お日様が昇る方向(東)にいけばモシがあり、ダルがある」とありますが、目次裏の地図を見るかぎり、モシはマラング村から西南の方向にあるようです。バスがダルエスサラームにつく場面では海が見えるとありますが、バスステーションからは海は見えないそうです。現地をよく知っている人は、バスの座席にもぐりこんで旅をする場面が、モシからダルまでは7〜8時間もかかるのに、ずいぶんとあっさりした描写だな、とおっしゃっていました。またp106には「アルーシャのまわりの村には、まだ学校などないのがふつうだった」とありますが、アルーシャは大きな町なので、周辺の村でも学校はあるのではないかという話でした。欧米の作品だとみんないろいろ調べて訳すのに、そうでない場所が舞台だと、そのあたりがいい加減になってしまうのでしょうか? そうだとしたら、とっても残念です。こういう作品こそきちんと出してほしいのに。訳者の方は、現地に詳しい人に聞いたとおっしゃっていたのですが、どうしてそこでチェックできなかったのでしょう? たとえばウガリのことなどは、だれでも知っていることなのに。そういうせいもあってか、全体に、「かわいそうなアフリカ人の子どもが西欧の慈善団体のおかげで一人前になりました」という感じがにおってきて、私はあまり好感を持てませんでした。著者がどの程度、ちゃんとインタビューして、場所なども取材したのか、それも疑問です。
 前に、『ぼくのだいすきなケニアの村』(ケリー・クネイン文 アナ・フアン絵 小島希里訳 BL出版)が課題図書になったとき、スワヒリ語が間違いだらけで困ったな、と思ったのですが、それと同質の違和感をこの本にも感じます。今はアフリカ人の作品もあるのだから、欧米の作家の中途半端なものを翻訳出版しないでほしいと思います。アフリカ子どもの本プロジェクトでもこの本を推薦するかどうか検討したのですが、推薦できないということになりました。ちなみに、編集部には再版から直してほしいとお伝えしてあります。(後に再版から推薦)

一同:そうなんですか。ちょっと読んだだけじゃ、わかりませんね。

プルメリア(遅れて参加):表紙をはじめ挿絵がいいなって思いました。活字も読みやすいし。目次も関心を引きました。作品からタンザニアの人々の生活や村の様子がよくわかりました。わくわくしたけど、でもあまりにもハッピーエンド。カモシカって、寒いところにいるのではなんて思いました。書名『ただいま!マラング村』の意味は、インタビューを読んで納得しました。

アカザ:さっき、レジーナさんが絵は問題があるのでは、と言ってましたが。

コーネリア:子どもたちの手に取りやすい絵にはなっていると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)


負けないパティシエガール

『負けないパティシエガール』
原題:CLOSE TO FAMOUS by Joan Bauer, 1996
ジョーン・バウアー/著 灰島かり/訳
小学館
2013

版元語録:主人公フォスターは、毎日必ずケーキを焼くことにしている。なぜって、そうすれば、いつでもどこでもおいしいものが食べられるから。そう、フォスターは、カップケーキ作りの天才なのだ。ある日、ママと二人で家を出て、新しい人生を送ることになる。フォスターを待ち受けているのは…? カップケーキのようにあまくはないサクセスストーリー。

さらら:外に飛び出していくことで、だれも認めてくれない自分の才能を発見するという設定が、子どものころから大好きなんです。しかも、お菓子作り、という要素が、食いしん坊の私にはたまらない。主人公が得意なのはカップケーキを焼くことだったり、プレスリー好きのハック(ママの元恋人)が登場したりと、なにもかもとてもアメリカ的な背景で、私もアメリカの女の子になった気分で読みました。下宿先のレスターが、釣りをたとえに、人生ってこんなもんじゃないかと、いいことを言うんですよね。そういうのが非常にうまくからみあっている。いろんな意味で楽しませてもらった一冊でした。

プルメリア:読みやすい。チャリーナさんとの関わりを通じて、言葉を習得していく過程がとってもわかりやすかったです。話せても言葉を理解することは難しいんだなって改めて思いました。子ども(小学校5年生女子)から感想を聞くと「ハックはいやな人」「チャリーナから読むのを教えてもらうかわりに、チャリーナにお料理を教えてあげるのがおもしろかった」「チャリーナが賞状をあげるところに感動した」でした。読書が好きな女子は2時間ぐらいで読み終えていました。

レジーナ:バウアーの『靴を売るシンデレラ』(灰島かり/訳 小学館)の主人公は16歳でしたが、この本では6年生です。しかしその年齢の子どもが経験するには、非常に辛い状況です。シャワーを浴びながら泣いている母親の声を聞く場面など……。ケーキという、人生に喜びを与えるもので、家庭の暴力やディスレクシアなどの問題に立ち向かうというテーマが、とても明確に打ち出されています。チャリーナ夫人からもらった小切手を、自分のために使うのではなく、罪を犯した家族を支える場「手をつなぐ人の家」のために使うのも、好感がもてました。誇り高く、過去の栄光にしがみついている有名人のチャリーナは、E・L・カニングズバーグの『ムーン・レディの記憶』(金原瑞人/訳 岩波書店)を思い出させます。周囲の雑音に惑わされるのではなく、心の中の静けさや平安を守り、自分を大切にするよう語るレスターやチャリーナをはじめ、信念を貫くパーシーや、けちなウェイン店長、プレスリーに憧れ、自分に酔っているハックなど、味のある個性的な人物が登場するので、あまり盛りこみすぎず、人物を減らし、何人かに焦点を当てて、深く描いてもよかったのかもしれませんね。

たんぽぽ:おもしろかったです。6年生が、感動したといっています。お菓子というのも、まず惹かれるようです。チャリーナが登場する場面も、ドキドキしました。母親が、いつも自分を、認めてくれているのがいいです。私自身もそういう子どもに、やさしく、気長にせっしたいと、思いました。

ジラフ:アメリカのアクチュアリティが、すごくよく出ていると思いました。アメリカではいま、カップケーキがとっても流行っているし、イラク戦争でお父さんが亡くなっているとか、DVの問題とか、大人と子ども、それぞれの矜持が描かれているところとか。人生に対してつねにポジティブなアメリカを感じました。それと、食べ物が大きな力になっているところも魅力的でした。以前、研究生活からドロップアウトしてしまった友人が、パンを焼くことでまた生きる元気を取り戻したことがあって、食べ物や料理の持つ力をあらためて感じました。裏表紙にレシピが載っているのもいいですね。この作品についてではないですが、「前向きに生きのびる」というのはしんどい場合もあって、逆に、内向きに閉じることで生きのびられる時もあるかも、ということを、一方で考えました。

アカザ:同じ作者の『靴を売るシンデレラ』も良かったけれど、この作品もすばらしかった。主人公と母親のところにDV男のハックがいつ現れるかと、読んでいるあいだじゅうハラハラさせられて、最後まで一気に読んでしまいました。ディスレクシアの主人公の口惜しさや悲しさも胸に迫るものがあったし、それをカップケーキ作りにかける夢と才能で乗り越えていくというところも良かった。登場人物の描き方が、大人も子どももくっきりしていて、読んでいるあいだはもちろん、読んだ後もしっかりと心に残っています。主人公の身の回りだけではなく、刑務所のある田舎町の様子や出来事も描いているところに社会的な広がりを感じさせますが、良くも悪くもとてもアメリカ的。カニグズバーグに似ているなと思ったのですが、カニグズバーグの作品のほうが、もっともっと世界が広いのでは?

カボス:最初からずっと緊迫感や謎があって、それに引っ張られながらどんどん読めました。おもしろかった。コンプレックスが拭えなくてさんざん苦労したフォスターの複雑な心理が、うまく読者にも伝わるように書けていますね。またSNSやメールではなくて、人間と人間が実際に出会ってお互いに変わっていくというのが、とてもいいですよね。出てくるケーキはどれもおいしそうなのですが、日本の家庭ではもうあまり使わなくなった着色料などが平気で出てくるのは、アメリカ的ということなのでしょうか? p250でレスターがフォスターの父親をほめているところにも、弱さを克服することがすばらしいことなのだというアメリカ的な価値観が出ているように思いました。戦場で勇気をもつということがどういう意味をもつのか、そのこと自体の是非については疑ってもいない。丸木俊さんが近所の子どもたちに「戦争が始まったら、勇気なんか出さなくていいから、とにかく逃げなさい」と言っていたことを思い出しました。

コーネリア:この作品は、物語がものすごく都合よく進んでいくのですが、それが許せるおもしろさがあると思います。文中に、ジョン・バウアー格言が矢継ぎ早に、次から次へと出てきます。私もこの言葉にぐっと惹かれましたが、子どもだったら、大人よりもストレートに入ってくるのではないでしょうか。勇気づけられる作品。

夏子:主人公が12歳にしては大人ですよね。小学生向けの本なのか、ヤングアダルトなのか、ちょっととまどうところがありました。この作家は『靴を売るシンデレラ』にしても『希望(ホープ)のいる町』(金原瑞人・中田香/訳 作品社)にしても、いつも大きな問題を抱えた主人公を描きますよね。今回も、ディスレクシアや、お母さんのつきあっていた男性のDVやら、問題が山盛り。ちょっと教訓っぽいところがあるけど、主人公が自分はどうしたら幸せになれるか、一生懸命考えて、手探りしながら生きていくところがいいですよね。この本では子どもも大人も、奥行きのある人間としてしっかり描かれている。印象的な女優のチャリーナさんが、こちらもディスレクシアとちょっと都合のいいところはあるけれど、それが許せるのは陰影と味わいのある人物だからなんでしょうね。ちょっとカニグズバーグを思い出しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)