日付 2018年1月26日
参加者 アンヌ、コアラ、サンザシ、しじみ71個分、須藤、西山、ネズミ、花散
里、マリンゴ、レジーナ、ルパン、(エーデルワイス)
テーマ 魂の記録が残したものは

読んだ本:

フランシーヌ・クリストフ『いのちは贈りもの』
『いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて』
原題:UNE PETITE FILLE PRIVILÉGIÉE by Francine Christophe L’Harmattan, 1996
フランシーヌ・クリストフ/著 河野万里子/訳
岩崎書店
2017.07

<版元語録>第二次世界大戦中、6歳でナチスのホロコーストを体験したフランス人女性の手記。アンネ・フランクと同じ収容所に移送された少女の見た風景が、人間のあり方を問う話題作。
朽木祥『八月の光』
『八月の光〜失われた声に耳をすませて』
朽木祥/著
小学館
2017.07

<版元語録>あの日、あの時、一瞬にして世界が変わった。そこに確かに存在した人々の物語。あなたに彼らの声が聞こえますか? ヒロシマに祈りをこめて。失われた声を一つ一つ拾い上げた朽木祥、渾身の短編連作。
ルータ・セペティス『凍てつく海のむこうに』
『凍てつく海のむこうに』
原題:SALT TO THE SEA by Ruta Sepetys, 2016
ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳 
岩波書店
2017.10

<版元語録>1945年1月、第二次世界大戦末期。ソ連軍の侵攻がはじまるなか、ナチス・ドイツ政府は孤立した東プロイセンから、バルト海を経由して住民を避難させる“ハンニバル作戦”を敢行した。戦火をのがれようとした人びとのなかには、それぞれに秘密をかかえた四人の若者がいた。海運史上最大の惨事ともよばれる“ヴィルヘルム・グストロフ”号の悲劇を描く、傑作歴史フィクション。知られざる歴史の悲劇をひもとき、運命に翻弄された若者たちの姿を鮮明に描く、カーネギー賞受賞作。


いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて

フランシーヌ・クリストフ『いのちは贈りもの』
『いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて』
原題:UNE PETITE FILLE PRIVILÉGIÉE by Francine Christophe L’Harmattan, 1996
フランシーヌ・クリストフ/著 河野万里子/訳
岩崎書店
2017.07

<版元語録>第二次世界大戦中、6歳でナチスのホロコーストを体験したフランス人女性の手記。アンネ・フランクと同じ収容所に移送された少女の見た風景が、人間のあり方を問う話題作。

アンヌ:たいへん内容が重く、戦争の現実に打ちのめされた思いがして読み返すことができなかったのですが、文章が詩的で美しい本だと思いました。ジュネーヴ条約のおかげで捕虜の家族である主人公母子がユダヤ人であっても、人質として最初のうちはフランスに留め置かれたという事実に驚きました。日本の兵士や家族でこの条約を知る人はいたのでしょうか。ここに書いてあるソ連兵と同じように、日本人も捕虜になることが許されなかったことを思うと暗澹としてしまいました。

コアラ:この状況をよく生き延びたと思いました。子どもの視点で、子どもが追体験できるように書かれていると思います。私も子どもの視点で読んでいったので、後半、列車に乗って母親が食べ物を探しに行って戻ってこなかった場面、胸が苦しくなるような恐怖を覚えました。ホロコーストの全体像はこれ1冊を読んで分かるものではないと思いますが、現実の子どもにとってどうだったのか、ということが生々しく書いてあるので、ホロコーストを知らない子どもにとっても、リアリティを感じながら読むことができるのではとないか思いました。

サンザシ:とても読みやすい訳で、多くの子どもに読んでもらいたいけど、もう少し編集の目が行き届くとさらにいいなあ、と思いました。お母さんは精神に異常をきたすのですが、p289の注を見ると、1974年にはお父さんとお母さんの共著で本を出しているようなので、回復したのでしょうか? そのあたりのことも、子どもの読者だと気になると思うので、後書きにでも書いてあるとよかったと思います。p99のユダヤ教についての注も「世界でいちばん古い宗教」とありますが、もっと古い宗教ってありますよね。それから、解放されたあとトレビッツに行って、村の人たちを追い出して家を占拠し、勝手に飲み食いするのですが、「自分たちがひどい目にあったのだから当然だ」というドイツ人全員を敵視している視線を感じました。少女時代にそう思ったというのは十分あり得ることですが、この本は後になってから書いているので、大人の視線としてはどうなのでしょうか? ユダヤ人が迫害された事実は、本当にひどいと思いますが、「だから何をしてもいい」ということにはならない。この著者はそうは言っていませんが、ちょっと今のイスラエルがパレスチナに対してやっていることとつながっている気がして、個人的にはぞっとしました。

マリンゴ: 少女の一人称で書かれていますけれど、最初は漠然とした表現が多くて、少し物足りない気がしました。でも、中盤からどんどんリアルになってきました。年齢を重ねたから記憶が鮮明になってきたのか、あるいは大変なできごとだから特に記憶に残っているのか……とにかくそのコントラストがくっきりしていて、かえって臨場感につながりました。これだけひどい状況なのに、「自分は恵まれている」と少女が思っているところが、重い読後感につながっています。先ほどのお話、わたしはさらっと読んでしまったのですが、たしかに言われてみると、カーテンで洋服を作って、持ち主の家族に逆ギレしているシーンは、小さな違和感を覚えました。

西山:つい最近、今ドイツで親ナチの人の発言がふえている、という記事を見た記憶があります。(「論説室から 寛容をむしばむ毒」『東京新聞』2018年1月24日5面)難しいなと。そういう視点は、巻末の解説なりでフォローすることもできるのかなと思います。この本自体は、非常に興味深く読みました。特に子どもの目線で覚えていたことを書いているというので、新鮮さがありました。今回とにかく衝撃だったし読んでよかったと思ったのは、56ページで「丸刈りにされた男の人がひとり、折りたたみ式のポケットナイフが地面に落ちているのを見つけ、ふと立ちあがってひろうと、のびた爪をそれで切った」という場面。非人間的な扱いを受けて、爪どころではない状況に投げ込まれているのに、人は、爪を切る……。なんだか、とてつもない真実を突きつけられたようで、くらっとしました。子どもならではの問いも、例えば、55ページの「ママ、小さな子たちにあんなにひどいことをする人たちも、自分の子どもたちには、やさしい笑顔でキスするの?」なんて、ドキッとする。作家が、こういうのにはっとしてフィクションを書くと、作品の陰影を深くするかもしれない。そういう生な素材として(ということ語弊があるかもしれませんが)興味深い1冊だと思いました。

ネズミ:最初はおもしろく読み始めたのですが、同じようなトーンで続いていくからか、途中で疲れてしまいました。ユダヤ人の少女の視点で書かれているので、ただ一方的にユダヤ人はかわいそうと読まれてしまうのでは、という懸念も。語りつがれるべきテーマだとは思いますが。

レジーナ:子どものときの記憶をたどっているので、ぼんやりした記述もありますが、母親が他の囚人たちを送りだしながら罪悪感をもつ場面など、真に迫る場面がたくさんありました。これは、大人になってから、当時を思い出して書いた本ですよね。子どもの言葉づかいの中に、たとえば282ページ「老いてしまった気がするけれど、子どもです」など、大人っぽい言い方が混じるのが少し気になりました。

マリンゴ:フィクションだと、何歳の視点から書いた物語なのか、あるいは大人になってから振り返って書いた物語なのか、厳密に設定を決めます。でも、この作品の場合は著者も最初に書いているとおり、著者の体験を小説のかたちでまとめたものなので、そこが混ざっていてもいいのではないかと思いました。

花散里:今回の選書担当で、テーマ「魂の記録が残したものは」を考えているときに取りあげたいと思ったのが本書でした。フランス国籍でユダヤ人の少女が9歳から11歳までの間、収容所を転々とし生きのびた「魂の記録」であり、著者自身の伝記で、冒頭に「『文学』というものではありません」と記されていますが、子どもに手渡したい1冊として本書をあげたいと思いました。訳者の方から、もとは大人向けに書かれていた本で、子どもに手渡す本として、地図や年表を入れたり、章立てにしたとお聞きしました。ドイツやポーランド、東欧を舞台にして書かれたホロコーストの作品はたくさんありますが、著者がフランス国内のユダヤ人収容所を転々と移動させられたことが地図などで、分かりやすく描かれていると思います。訳注について先程、いくつか指摘がありましたが、読んでいるときは、訳注が参考になり、子どもたちにも内容を理解する助けになると感じていました。著者や母親は戦争捕虜の妻子として国際条約に守られ、収容所でも離れることなくいられたれたこと、父親の存在が、生きる希望に繋がっていたことなどが、強く印象に残りました。差別や戦争が人間の尊厳を傷つけ、大切な人生をいかに奪ってきたかを、小学校の高学年くらいから理解するのによい本ではないかと思い、「伝えていく」という意味を感じながら読みました。

須藤:大前提として、こういう経験をした人が、自分の記憶を書き残すのは、とても大事なことだと思っています。ホロコーストに限らずですが……。第二次世界大戦のことも、遠くなってきているじゃないですか。ある非常に大きな出来事があった場合に、それを経験した一人一人の視点を残しておいて、参照できるようにしておくのは、とても意義があることだと思います。その意味で貴重な記録だと思いますが、今回児童書の読書会だという趣旨に沿っていうならば、これは子どもの視点で書かれているけれど、子どもが読んでわかりやすい本ではないですよね。収容所を転々とするので、どんどん場面が変わっていきますし……、注釈も子どもが読むには難しいです。それから子どもが読むとした場合に、ちょっと気になったのは、「ドイツ人はきっちりしている」とか、この方の、ある種ステレオタイプな思い込みが、そのまま書かれていることですね。さまざま経験を経た上で、そんなふうに思われるようになったと思うので、別にそう思われること自体は否定したくないですけど、予備知識がない読者が読んでそうなんだと思われると困るというか。194ページで、各収容所にいた人たちが一つの場所に集められる場面があって、そこで一口にユダヤ人といっても実に多種多様な人がいる、という事実に実感として気づくのですが、そこはとても興味深かったです。

しじみ71個分:子どものときに書いた日記を、大人になってから書き直したとありますが、そのとおり子どもの視点から書かれているため、記述は断片的で、戦争の全体像は見えないと思いました。ただ、同時に、戦争を俯瞰で表現できるのは、大人の著者の後知恵であるんだなとも感じました。なので、はじめは違和感というか、読みにくさがあったのですが、後半に向かうに連れて、人の生き死にが切実になってくる中で、表現がどんどんリアルに立体的になってくるのがすごかったです。ドイツにいたユダヤ人への迫害というイメージが強かったのですが、フランスにいたユダヤ人の迫害について知れたのは大きな収穫だった。著者は戦争捕虜の家族ということで特別な地位にあったということですが、戦争捕虜が優遇されていたことなども初めて得た知識でした。それでも、あれほどまでの過酷な環境に投げ込まれたという事実は本当に痛いものでした。後半の描写は本当に臨場感あふれるもので、みんながおなかをすかせているのに、子どもの傍若無人な本能とでも言うのか、お母さんに「おなかがすいた」と言い募るあたり、お母さんの立場を思うと本当に切ないし、絶望的な気持ちがしたと思うけれど、子どもの側からしか書いていないあたり、リアルに子どもの無邪気な残酷さがそのまま描かれていると思いました。お母さんが食べ物をくれない、変な顔をして私を見ている、と言って逆恨みを感じる辺りなども同様です。
虐殺された人々の苦しみも想像を絶しますが、生き残ることさえ本当に大変だったことも良く分かります。シラミがわいて、チフスになるとか、列車の中に排泄物がたまるとか詳細に書かれているので、一つ一つの描写が体感的に突き刺さってきました。また、戦後の様子が描かれているのも画期的だと思いました。強制収容所の地獄を体験して、大きな心の傷、喪失を味わってしまったために、故国フランスの同年代の友だちが幼稚に見えて、全くなじめなくなってしまい、その深い苦悩が何十年も続いたこと、そして年老いてベルゲン・ベルゼン強制収容所に戻ったとき、生き残り、家族を作り、子孫を残し、命の贈り物をつないだことで、やっと勝利したと宣言するという記述から、戦争が人の命を奪うだけでなく、生き残った人にも心身の大きな傷を残し、その後の人生を奪い取ってしまうのだということを知りました。これは私にとっては新しい気づきであり、読んでよかったと思いました。

ルパン:真実の迫力だなあ、と思いました。衝撃的と言っていいほどリアルな描写が続き、感情移入してしまって胸が苦しくなるほどでした。訳は、読みにくいと思いました。ところどころ表現に引っかかったり、原文が透けて見えるような無生物主語の訳文があったり。それでもやはり私は文庫の子どもに薦めたいと思いました。多少の読みづらさを超える力強さがありますから。先ほどから話題になっている注ですが、私は注があるのが懐かしいと思いました。昔の本は注がいっぱいあったなあ、と。私自身は子どものころ注を読むのが好きでしたし、今でもそうです。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


八月の光〜失われた声に耳をすませて

朽木祥『八月の光』
『八月の光〜失われた声に耳をすませて』
朽木祥/著
小学館
2017.07

<版元語録>あの日、あの時、一瞬にして世界が変わった。そこに確かに存在した人々の物語。あなたに彼らの声が聞こえますか? ヒロシマに祈りをこめて。失われた声を一つ一つ拾い上げた朽木祥、渾身の短編連作。

アンヌ:「石の記憶」を読んで本当によかったと思っています。実は小学校の林間学校で原爆のニュース映像を見させられて「核戦争が始まったら、自分はただの黒い影になって永遠に焼き付けられてしまうんだ」と恐怖を感じたのと同時に、その年齢なりの虚無感に襲われたのですが、その時の自分にこの物語を手渡したいです。主人公が黒い影に温かみを感じて寄り添う場面を読むと、生きていくことも死んでいくことも、空しいものではないと思えました。

コアラ:私は「石の記憶」では泣いてしまいました。「水の緘黙」でも泣いてしまいました。朽木さんの本は初めて読みましたが、ひどいことが書かれてあっても、しっとりとして後味は悪くないと思いました。特に言葉が美しいと思います。174ページの「あの日を知らない人たちが、私たちの記憶を自分のものとして分かち持てるように」という言葉が印象に残りました。戦争や原爆の本はたくさんあって、きっかけがないと手に取らない本かもしれませんが、なるべく多くの人に読んでほしいと思いました。

サンザシ:この著者は、広島のことを書くと心に決めて、原爆で亡くなった方たちを一人一人生き返らそうとしているように感じます。言葉や表現が立っていますね。被害者意識だけにとらわれることなく、ある日とつぜん人生が奪われるということはどういうことかを考え、つきつめていっているように思えます。そこからまた生を見つめ直すことも始まるのかと思います。偕成社版は「雛の顔」「石の記憶」「水の緘黙」の3点のみだったのですが、この本ではエピソードが増えて、より立体的になったと思います。どの短編にも喪失の哀しみが通奏低音のように流れていますが、そこにおさえた怒りがあるのも感じます。ただ重苦しいだけじゃないのは、明るい陽射しを感じるような情景が差ししはさんであるかと思いますが、それに加えて広島弁がやわらかくてあたたかいリズムを作っているように思いました。最後の短編は、「あなた」を外国人と想定していますが、なぜでしょうか? 日本の子どもには向けられていないのでしょうか?

マリンゴ: まず装丁ですが、子どもが親しみやすいものに仕上がっていて、とてもいいと思いました。偕成社版(『八月の光』)と小学館文庫版(『八月の光・あとかた』)は、格調高い装丁ではあるのですが、子どもがちょっと手に取りづらいのかなという印象があったので。内容については、朽木さんの他の本でも感じますが、広島についての想いがとても伝わってきました。で、先ほど話題にあがっていた「カンナ あなたへの手紙」ですが、わたしは、翻訳されることを前提に書かれたのではないかと、勝手に想像しています。海外の読者、そして日本の子どもたちのなかにも、広島の原爆がどういうものか、知識のない子は多いと思います。そういう子どもに向けて、広島の説明をていねいにしている章というのは、非常に効果的であると思いました。ただ、1つだけ疑問があって……。222ページに「私の国では、夏はとても暑くて、花はあまり咲きません。それなのに、不思議に赤い花だけがたくさん咲きます」という部分。私はこれを読んで、へえ、どこの国の話なんだろう!と、興味を持ったんですけが、え、日本の話?と驚いたのでした。日本の夏は、ピンクの葛の花や芙蓉、紫のルリマツリ、白いオシロイバナなど、さまざまな色の花が咲き乱れるイメージがあるので……。著者の体感として、夏にそういうイメージがあるのか、あるいはカンナの花を際立たせるために意図的にこのような描写にしたのかなぁ、と。

西山:今回、新しく加わった作品も含めて収録順も変わっているとは聞いていたので、どう変わったか楽しみにしていました。「雛の顔」と「銀杏の重」が並んでいるのもとても腑に落ちて、しっくりきました。色のある表紙になったことについては、装丁の中嶋香織さんのお話を伺う機会があって、表紙の桜が、裏ではカンナになる。桜もカンナもこの1冊の中で象徴的な花ですし、よく考えられているなと、改めて感心しました。いつもそう思うんですが、言葉がおいしい! それぞれの語り出しや、かなり息の長い一文が好き。「雛の顔」の冒頭なんて、繰り返し口の中で転がして味わってしまいます。広島弁が全体を和らげている。それぞれの一文が流れるようで、息づかいが感じられます。その点では、「カンナ」は、広島弁が生かされていなくて、ちょっと物足りない。「水の緘黙」は詩のようで、わからなくてもかまわない話かなと思っています。「カンナ」はちがって、伝達性を重視している気がします。どこかで辛い思いをしている人と連帯したいと思っているのでは、と思って読みました。「三つ目の橋」がちょっと異質かな。

サンザシ:私は異質だとは思わなかったんだけど、どういう意味で異質?

西山:「三つ目の橋」がつなぎになっているのかもしれません。最初のほうの短編は詩のよう。そこに生きた人たちのことを、土地の言葉で語って立ち現せている。それに対して、「三つ目の橋」から、情報を伝えようとしていると感じます。

しじみ71個分:短篇の編成は、概ね時系列になっているのではないでしょうか。原爆投下のその日までと直後を描く作品から、「水の緘黙」「三つ目の橋」も戦後の物語へとつながっていくように見えます。「八重ねえちゃん」は、途中までは子ども時代の当時の視点で描かれていますが、終わり近くで視点が変わっていて、現代の地点から振り返るという表現になっているので、そこで雰囲気が変わっています。2回目の改版で、新たに途中で現代の視点に移行する「八重ねえちゃん」と、孫の世代から見た「カンナ」が加わったわけですが、それには著者の必然性があることなのだろうと思います。

ルパン:ひたすら、「すごいなあ」と思いながら読みました。現実に自分が見ていないものを、こういうふうに伝えられるんだ、という筆力に驚きました。「カンナ」の冒頭は私もひっかかりました。夏に赤い花しか咲かない国ってどこ?って。私の中では、夏の花といえばひまわりだし。ところで、広島弁ってやわらかいですか? 私はあんまりそうは思わないのですが。

ネズミ:すごく好きな本です。普通の人の暮らしぶりが語られる一方で、原爆後の地獄絵のような場面が繰り返し執拗に描かれています。作者自身は見ていないのに、おそろしさがずんと伝わってくる描写で、これを描かなければという作者の強い意志が感じられました。前の出版社のものが絶版になったあと文庫本で出たけれど、子どもに手渡したいというので今回この版で出たと聞きました。原爆を描いた本として、ぜひ海外に紹介したい1冊です。でも、方言も用いたこの文体は、訳すのがたいへんでしょうね。文学的な書き言葉の物語で、読書慣れしていない子どもにはややハードルが高いかもしれないけれども、少し読んで聞かせたら読みたくなるのでは。子どもたちに手渡していきたい短編集です。

サンザシ:「石の緘黙」は原爆投下から4年後で、「三つ目の橋」は3年後ですから、時系列的に並んでいるわけではありませんね。

西山:被曝者がてのひらを上に向けて歩いてくる、という描写に今回はっとしました。大抵幽霊のような手の形で書かれ、描かれていた気がしてました。あるいは、勝手にそう思い描いていたのかも。

レジーナ:広島の記憶を文学として昇華させた、すばらしい作品だと思います。広島弁の会話がいいですね。あの日一瞬で消えていったひとつひとつの生に、くっきりした輪郭を与えています。不器用だったり、身びいきなところがあったりもする登場人物が、生き生きと描かれていますよね。ふつうの暮らしが失われることが戦争なのだと、あらためて思いました。「いとけないもんから……こまいもんから、痛い目におうてしまう」という八重ねえちゃんの台詞は、戦争の本質を鋭くついています。わたしも高校の時に原爆資料館に行き、「原爆は自分の上に落ちていたのかもしれない」と思って衝撃を受けたのを、「カンナ」を読んで思いだしました。

花散里:今回のテーマで、日本の作品を考えた時に、すぐに思い浮かんだのが本書でした。『八月の光』(偕成社)は2012年に刊行されたときに読んだ3編がとても衝撃的でした。特に「雛の顔」の真知子の印象が強く心に残りました。今回の本書、全7編を改めて読んで、「失われた声」を丁寧に描いた朽木さんの文学が、戦争被害者の心の奥深くまでを表現していて、いろいろな思いを伝えたいということが胸に迫ってくるような印象を受けました。『八月の光』とともに『光のうつしえ』(講談社)も印象に残る作品で、子どもたちにどのように手渡していったら良いのか、記憶をつないでいくということの大切さを改めて感じました。「カンナ あなたへの手紙」など新しい作品が加わり、表紙の装丁もカンナが描かれていて、新たに伝わってくるものがあり、多くの人に読んでほしいと思う作品でした。

サンザシ:読むのは、小学生だと難しいですか?

花散里:『光のうつしえ』(講談社)も、難しいかなと思います。

須藤:またこういう形で刊行されることになって本当によかったなと思います。私はまず朽木さんの書く文章が好きで、作品中に描かれている人間にもいつも好感を持ってしまうのですが……。ちょっと余談ですが、古い小説を読んでいると、同じ日本語を話していても、生きている時代によって人間というのはこうも変わるのかと思うことがあるんですよね。そして、過去のことを今の作家が書くと、登場人物が今の人間になってしまいがちなんですが、この短編集はちがう感じがして。いろいろな資料を読みこんで、またご自身の体験もあって書いているからでしょうか。教養や豊かさにささえられた品のよさのようなものを、朽木さんの書く人間からはいつも感じます。作品の感想を一つあげると、「八重ねえちゃん」が私は心に残りました。周りからはちょっとトロいと思われているけれど、おかしいものをおかしいと言える人。大人の理屈に染まっていない人というか。大人はすぐにわかったような理屈をつけてしまうんですが、そこに対抗する子どもの倫理観、「いけないものはいけない」という倫理観に、いまやっぱり立ち返ってみるべきなんじゃないかと思うんですよね。

しじみ71個分:『八月の光・あとかた』(小学館文庫)を読んだとき、これは本当に子ども向けなのかしら?と思いつつ、泣きながら読みました。言葉が非常に美しいです。本当に丁寧に、広島の市井の人々の暮らしが描かれていて、生きていた人、ひとりひとりの人生にリアリティを感じます。言葉一つ一つに文学的なきらめきがあるとでも言えばよいのか、本当にすごい文章力だと心から思います。描写が本当に繊細で、皮膚の裏を針でつつくような、チクチクした切ない痛みのある文章で、たとえば「銀杏の重」の、長女の嫁入り支度をする親戚のおばちゃんたちの場面など、ああ、いかにもおばちゃんたちが集まったらこんな話をするだろうなぁという自然なおばちゃんトークが描かれ、短く詰めた疋田絞りの着物の袖を婚礼用にほどく際、母がしぼをつぶさないで上手に上げてある手際に感嘆したりする、そんなセリフ一つ一つで人々がどれほど丁寧に暮らしていたことなどがよく分かり、心にズンと響いてきます。一発の爆弾が落ちて、それが一瞬で失われてしまう、というその酷さ、非人道性が、つつましくも温もりある生活の描写との対比でありありと表されるように思います。戦争は人の命だけでなくて、暮らしの文化みたいなものも奪ったのだなという感慨もわきました。
 被爆した人々の表現も凄まじく、手のひらを上に向けて、焼けた皮膚が垂れ下がる腕を持ち上げて歩くさまが繰り返し描かれるところや、48ページにある、被爆した人がやかんを拾って歩くけれど、ぽとんと落とし、それを後ろの人がまた拾う、というような表現など、朽木さんがその場にいたのかと思うような凄まじい表現です。個人的に言えば、「水の緘黙」がいちばん好きです。記憶をなくした人の頭に、イメージが断片的に浮かんで、夢幻を漂うような感じはとても美しくあり悲しくもあります。「三つ目の橋」は、被爆経験がスティグマとなって生き残った人にのしかかるさまが淡々と描かれ、切なさが胸に迫ります。あと、「八重ねえちゃん」についていえば、184ページの子犬の表現は確かにとても素敵なのですが、全般を通して他の作品と比較してみると、割と表現が大雑把なように感じました。短いからそういう印象になるのでしょうか。最後の、「帰ってきてほしい。」という切実な叫びに全てが集約されていると思いますし、それは理解できるのですが、展開が急がれているような、何か少々物足りない感じを受けました。189ページから言葉が変わっていて、190から193ページまでを通して、「今も」とか「今なら」とか現在の視点から振り返っていることを明示していて、時間が経過した後だから言えることが書いてあります。その点が少し他の章と異質なように感じました。「カンナ」は表現がとても説明的ですが、今の子どもたちや外国の人々に向けて書くという意図がはっきりとしている作品だと思うので、そのように理解して読みました。いずれにしても、広島にこだわり続ける覚悟をもって、これだけの筆力で書き続けられるということは本当に素晴らしいことだと思います。

ルパン:私は「三つ目の橋」が好きです。同時代に生きていても戦争体験を共有できない人がいる、という現実は悲しいけれど、そういうことも伝えていかなければならないのだと思いました。

しじみ71個分:お付き合いしていた人との別れ話の場面の表現などは本当に秀逸です。袖口を伸ばしたところの折線がくっきりと見え、地が赤茶けた服を着て恋人の親に会いに行ったりしなくて良かった、と諦めようとする辺りの描写がとても繊細で、本当に切ないです。

サンザシ:朽木さんは被曝二世と敢えてはっきりおっしゃっていますが、差別を心配してなかなか言えない方も多いのかと思います。福島も同じですけど。前に原爆資料館の館長さんにお会いしたことがあるのですが、館長の仕事につくまでは被曝したことをずっと隠していたとおっしゃっていました。「三つ目の橋」の主人公は「親のない娘はもらわれん。まして妹つきでは」と言って婚約破棄されて身投げも考えるけど、いつも妹の久子が待つ家に帰ってくる。その妹が、死んだお母さんと同じように、夜玄関に走り出て、戦死した父親が帰ってきた音がした、と言うようになる。そこで終わったら、悲しいだけのお話ですが、その後、主人公は「私はしゃがんで久子を抱きよせました。父も母も逝ってしまったけれど、幼い久子のなかに、父のあとかたも母の声も残っているのだと思いました」と言って、次の休みには妹とよもぎを摘みにいく約束をする。そして、よもぎ団子をつくって「お父ちゃんおかえりなさい、って言うてあげよう」という方向へ持って行く。そのあたりなど、文章だけでなく構成もほんとにうまいですね。

西山:236ページの「今は〜」は、「その頃は」が正しいように思ったのですが、急に時制をひきもどされた感じがして、立ち止まりました。多分、故意にやってらっしゃるのでしょう。ふつうじゃなくしている効果があるのかな。

エーデルワイス(メール参加):地元の図書館には偕成社版しかなかったのですが、無駄のない美しい文章で、すぐに読み終えました。読後になんともいえない余韻が残ります。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


凍てつく海のむこうに

ルータ・セペティス『凍てつく海のむこうに』
『凍てつく海のむこうに』
原題:SALT TO THE SEA by Ruta Sepetys, 2016
ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳 
岩波書店
2017.10

<版元語録>1945年1月、第二次世界大戦末期。ソ連軍の侵攻がはじまるなか、ナチス・ドイツ政府は孤立した東プロイセンから、バルト海を経由して住民を避難させる“ハンニバル作戦”を敢行した。戦火をのがれようとした人びとのなかには、それぞれに秘密をかかえた四人の若者がいた。海運史上最大の惨事ともよばれる“ヴィルヘルム・グストロフ”号の悲劇を描く、傑作歴史フィクション。知られざる歴史の悲劇をひもとき、運命に翻弄された若者たちの姿を鮮明に描く、カーネギー賞受賞作。

しじみ71個分:本屋で表紙を見たときからおもしろそうだと思っていましたが、本当におもしろかったです。まず、東プロイセンに取り残された人々を海路でドイツ本国へ住民を避難させる「ハンニバル作戦」があったということを全く知りませんで、その知識を得たことは有益でした。お話は、登場人物が代わる代わる語る形式で、全員が何か秘密を抱えており、各人のストーリーが結末に向かって集約されていくという構成で、スリルとサスペンスでずんずんと読んでしまいました。それぞれの秘密は、各国の美術品の略奪の補助をしていたところから美術品を持って逃げだしたことや、迫害されていたポーランドから逃れてきたこと、従妹を死に追いやる原因を作ったことなど、それぞれに重く、読んでいてドキドキしました。お話の中では悪役のアルフレッドの描き方も秀逸でした。手に赤く湿疹ができていて、ぼりぼりとかきむしるという描写に象徴される気持ち悪さ、不気味さが何ともいえませんでした。ヒトラーを狂信し、夢想と現実とのバランスを失いかけていて、精神の不均衡の象徴的存在で、手紙の中で好きだという隣家の少女もユダヤ人として告発したということが少しずつ分かってくるのもおもしろかった。この人物によっていつ、どんな破綻が起きるのか、ドキドキさせられて・・・。非常に大事なキーマンで、その暗黒さで話をおもしろく引き締めていたと思います。エミリアと筏に乗ったところで、ポーランド人のエミリアを殺そうとし、結局自滅して死んでいくことで、ここでカタルシス効果があるように思います。さまざまな人々が人種、国籍、体の特徴、性的指向等個人でどうにもならないことを迫害の理由とすることは今となっては理解しがたいですが、アルフレッドのような不気味さで、復活して来ないとも限らないという恐ろしさも感じました。

アンヌ:とてもおもしろくテンポもいい小説ですが、ある意味映画のように一瞬一瞬がくっきり照らされて、説明不足のまま進んで行ってしまうところを感じました。ナチスの美術品強奪に対してフローリアンが何をしたかったのかとかいうことも、もう一つはっきりしない感じです。ただ、ヨアーナのようにドイツ人とみなされて働かされた人々や様々な民族へのドイツやソ連の迫害等については知らなかったので、これからいろいろと調べて行きたいと思いました。

サンザシ:この本は出版されてすぐに読みました。長い小説ですが、人間がちゃんと書けているので、とても読み応えがあります。様々な人生が出会って、その交流からまたそれぞれの人が力をもらって生きていく様子も描かれています。冷たい海で命を落としたエミリアは哀れですが、最後の章に、おだやかに幸せ感あふれる描写が出てくるのは、悲しいし美しいですね。ドイツ人のアルフレッド(正しくはアルフレートでしょうね?)だけが極めつけのどうしようもない存在に描かれていますが、それでも、手をかきむしるなど、どこかに無理が出ているのですね。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。知らないこともたくさん書かれていて、勉強になりました。4人の登場人物の一人称なので、緊張感が途切れることなく、話が展開していきます。たとえとして正解かわかりませんが、ドラマ「24」を見ている感覚に少し近かったです。エミリアの出産に関するミスリードについても、他の人の一人称がうまく使われています。真相が明らかになったとき、登場人物たちも驚くので、「だまされた」という不快感がなく読めました。そのあたり、とても巧みだと思います。よかったところをいくつか挙げていくと……。まず67ページの「ポーランドの家庭では、コウノトリに巣をつくってほしいと思うと、高いさおのてっぺんに荷馬車の車輪を打ちつけておく」。非常に印象的で、なるほど、そうやってコウノトリといっしょに生活しているのか、と。すると、後ろのページでも「コウノトリ」が登場し、最後、エミリアが死ぬ前に見た夢(?)のなかにも出てきて、効いてるなぁ、と思いました。166ページの、混乱のなかでドイツ人が整然と列をつくるシーンは、国民性が現れていて、絵が浮かんでくるようでした。288ページで、靴職人が赤ちゃんにも「靴を見つけてやらんとな」というシーンも、登場人物の個性が端的に表れていていいと思いました。もっとも、擬声語が2か所、気になりまして……。冒頭の銃声の「バンッ」、船が沈没するシーンの「ドンッ」。この2つの多用は、せっかくの作品を幼いイメージに見せている気がしました。なお、最後の参考図書一覧は、著者が参考にした本、ではないのですよね? 翻訳の方、編集の方が使われた文献なのかしら。

須藤:作者のルータ・セペティスさんがあとがきに書かれているように、この本をきっかけにして、歴史に興味を持ってもらえたらうれしいので、訳者の方と相談して、参考になる本を紹介するつもりで入れました。

しじみ71個分:擬音は私も気になりました。最初の方の章で、銃声が場面転換のきっかけになっている箇所がありますが、カタカナで「バンッ!」と書くと少々野暮ったく、映画などであれば、少し乾いた「パン!」(再現不能)という音になるのではないかと思うのですけど、頭の中の銃声と字面が一致しなくて、少し引っ掛かってしまいました。擬音は表現が難しいですね。

西山:私は同じ作者の『灰色の地平線のかなたに』(野沢佳織訳 岩波書店)がすごく好きなんです。それで、読まなくてはと思いつつまだだったので、今回とても楽しみでした。で、長かろうが、絶対読み始めたら一息に読めるだろうからと、最後に取っておいたんです。そうしたら、まぁ、期待とは全然違って、どんどん読めなくて・・・・・・読み終わらなかったのを作品のせいにするのは、身勝手だとは思いますが、まぁ、敢えて言ってしまえば、私の期待した作品ではなかった、と。言葉は悪いですが、一人称の4人の切り替えが思わせぶりというか、あざといというか、凝りすぎと感じてしまった。『灰色の地平線のかなたに』は、ソ連のリトアニア支配、シベリアへの強制連行という、私は知らなかった出来事、舞台でしたけど、時間も空間も単線だったんですね(もちろん、多少の回想部分もありますが)。ぐいぐい読めた。中身がひっぱっていく作品でした。造り=語り方で引き回すのでなく。(補足:この後、最後まで読みましたが、皆さんの話をうかがったうえでも、この時点で抱いてしまった不満は払拭されませんでした。うまい作品を読ませてもらったという感触は、『灰色の地平線のかなたに』で、出来事とリナたちの姿を突きつけられてしまった、そこに投げ込まれ圧倒されたという感触ととても違っています。今回は、作品が最後まで「本」だった。いっそ、歴史ミステリーと割り切って読めば素直に楽しめたのかもしれません。この辺は、一人称の語りの功罪とあわせていずれじっくり考えてみたいと思います。)
真実を隠した話者たちの切り替えは、こういう史実に基づく重い事実を伝えるうまいやり方でもあるとは思います。同時に、その造りがかえって「むずかしい」にもなりはしないかと思ってしまう。素直な造りの『灰色の地平線のかなたに』の方が案外、読みやすいとう面もあると思います。

サンザシ:この作品は、さまざまな一人称でしか書けませんよね。それに今は英米ではこういう複数の視点で書いた作品はいっぱいあるので、凝った造りとは言えないと思います。私は読みやすかったな。

西山:3分の1ほどしか読み終わってませんけど、アルフレッドは密告したのだろうなと思っていたら当たりましたね。嫌な人がちゃんと描けるのが、この作者の魅力の一つだと思っています。『灰色の地平線のかなたに』のスターラスさんが何しろすごいと思っているので、それに準じるのが、「悪いけどエヴァ」でしたね。アルフレッドは新しい怖さでした。

ルパン:私は一気読みでした。冒頭だけは、入りこむまでに時間がかかりましたが。やはり、エミリアが一番せつなかったです。いとこの代わりに犠牲になり、レイプされて妊娠し、思いを寄せたアウグストからもフローリアンからも女性としては愛されないまま死んでしまうなんて。ただ、エミリアは、死んだあとは、自分の子どもが、憧れの「騎士」フローリアンの娘として愛されて育てられ、オリンピックの選手になるし、自分のなきがらも見知らぬ土地で手厚く葬られるという救いがあります。救いのないのはアルフレッド。だれからも愛されず、理解されず、嫌われ、さげすまれたまま冷たい海に落ちて死んでいくのですから。デフォルメされているけれど、こういう人はきっといる、というリアリティがあって、それだけに読んでいて苦しい気持ちにさせられました。脇役では、靴職人と少年がいいですね。ただ、「少年」は名前で出したほうが、よかったのでは。盲目の少女イングリッドは名前で出てくるので、とちゅうで亡くなってもインパクトがありました。「少年」はこのグループを和ませる存在でもあり、のちにヨアーナとフローリアンの子どもにもなるのに、ずっと「少年」と呼ばれたままなので、存在感が薄くなっていたと思います。

サンザシ:こういう船で避難する人たちは、おそらくいろいろな背景を背負っているので、すべての人に名前を聞くということはもともとしなかったのでは?

ネズミ:おもしろく読みました。『リフカの旅』(カレン・ヘス著 伊藤比呂美・西更訳 理論社)もそうでしたが、自分の親や親族の過去の体験を聞いて、若い作家がこれだけの作品に昇華させているというのに感服します。構成が巧みですね。『いのちは贈りもの』がひとりの視点で描かれているのに対し、この本は複数の声でいろいろな角度から物事を見えてきます。緊張感を保ったまま、最後までぐいぐい読ませられました。アルフレッドは極端ですが、このような人物を出してこないとナチスの宣伝文句を言わせられなかったのかなと、複雑な思いがしました。たいしたことではないのですが疑問に思ったのは、エミリアが船で赤ん坊を産む何日も前、106ページに「陣痛が始まっていて」という言葉が出てきます。陣痛って産む直前の痛みなのでは?(他の参加者から、「前駆陣痛」というのがあるから問題ないという声あり)。

レジーナ:昨年カーネギー賞をとったときから気になっていた作品です。歴史の中に埋もれた人たちに声を与えたいという作者の想いが、全編を通して感じられます。みんなが必死になって乗船許可証を手に入れようとする姿は、現代の難民の人たちに重なりますね。アルフレッドは一面的に描かれていますが、人間の悪の部分を表しているのだと思ったので、気になりませんでした。アルフレッドがはじめ、エミリアをアーリア人種だと思う場面からは、人種という枠組みがいかに表面的で、あてにならないかがよく伝わってきます。緊迫した状況が続きますが、乳母車にヤギをのせ、たくましく生き抜こうとする「ヤギ母さん」など、ちょっとほっとできるユーモアがあるのもいいですね。

花散里:私も『灰色の地平線のかなたに』が好きで、作者のルータ・セペティスさんが来日された折に、講演会でお話を聞かせてもらいました。過去にあった出来事を伝えたいという思いを表現され、丁寧に語られる姿も印象的な方だったので心に残っていて、この本が出るのをとても楽しみにしていました。

エーデルワイス(メール参加):4人が入れ替わり一人称で語りながら展開していく物語なので、まるで映画のシナリオのようですね。いつか映画化されるのではないでしょうか。ヴィルヘルム・グストロフ号沈没のことは全く知りませんでした。その沈没に向かう展開の物語を読んでいると緊張感でいっぱいになり、酸欠状態のようになりました。4人の一人称での文章はこの物語には必要だと思いましたが、私には読みにくくて、なかなか読み進めませんでした。ソ連兵に乱暴され妊娠したエミリアが、妄想で恋人を作り出し、その子どもを宿したと自分に思い込ませたところでは、人は生きるために「物語」が必要なのだと思いました。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)