日付 2023年2月14日
参加者 小方、ハル、アオジ、ルパン、ハリネズミ、アンヌ、コアラ、オカピ、しじみ71個分、西山、さららん、サークルK、ANNE、ニャニャンガ、サンマリノ、雪割草、(エーデルワイス)
テーマ 頭の中でおきていること

読んだ本:

『チェスターとガス』表紙
『チェスターとガス』
原題:CHESTER AND GUS by Cammie McGovern, 2017
ケイミー・マガヴァン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2021.09

〈版元語録〉テストに通らず、補助犬になれずにいたチェスターは、自閉症の少年ガスが暮らす家に迎えられることに。何とかガスの助けになりたいと願うチェスターだが…。落ちこぼれチェスターと孤独な少年の密やかな友情の物語。
『たぶんみんなは知らないこと』表紙
『たぶんみんなは知らないこと』
福田隆浩/著
講談社
2022.05

〈版元語録〉「いってきまーす! みんなには聞こえないけど、私は大きな声を上げた」知的障害のある小五のすずと兄、周りの人達の優しい物語


チェスターとガス

『チェスターとガス』表紙
『チェスターとガス』
原題:CHESTER AND GUS by Cammie McGovern, 2017
ケイミー・マガヴァン/作 西本かおる/訳
小峰書店
2021.09

〈版元語録〉テストに通らず、補助犬になれずにいたチェスターは、自閉症の少年ガスが暮らす家に迎えられることに。何とかガスの助けになりたいと願うチェスターだが…。落ちこぼれチェスターと孤独な少年の密やかな友情の物語。

小方:主人公が自分の気持ちを表現できない。そういう状況の物語をどんな風に描くんだろうと思って読みました。自閉症だったり、障碍があったりする子が身近にいる作者だから描けるのでしょうね。この物語は、チェスターの視点から語られます。なんとこの犬はテレパシーのようにガスなどと気持ちを伝えることができるという、おもしろい発想ですが違和感がなく読めました。むしろ夜外に出て、吠え声を返してくる犬より、人間を仲間に感じているところがおもしろいです。アメリカを発見したのはコロンブスではない、というような流れから、犬なんですが人間みたいな存在に読者が感じられるようにしているのがうまいですね。チェスターはガスを描く語り役ですが、チェスターもまた、いくら吠えても気持ちを交わすことができないという悲しみを抱えた存在です。チェスターもガスも、ボキャブラリーはあっても伝えられないというくだりがとても悲しいと感じました。

ハル:随所、随所で、泣けて泣けて仕方なかったです。ひとくくりに自閉症といっても、ひとそれぞれ違いがありますよね。『自閉症のぼくが飛び跳ねる理由』(エスコアール出版部)の著者の東田直樹さんは、著書の中で、壊れたロボットの操縦席にいるような感じなのだとおっしゃっていました。この物語の中でさえ、ガスの心の本当のところまではわかりませんが、障碍のあるなしにも関係なく、誰と接するときにも、思い込みを捨てて、想像力を持つことは大事だと改めて思いました。ラストの手前でペニーが、まるでアメリカのアニメ映画にありそうな雰囲気で、にわかに暗黒面に落ちたような雰囲気になったときは、ああ、こういう展開はいやだなぁと思いましたが、ペニーの気持ちにも寄り添えるようなラストでよかったです。子どもたちにもぜひ読んでほしい1冊でした。

アオジ:ガスに心のうちを語らせるのではなく、犬のチェスターから見た(感じた)ガスの姿を描いている点がユニークなんでしょうね。犬が語るという物語は、ほかにもたくさんありますが。私は、アメリカの学校の現場を目に見えるように描いているところが、いちばんおもしろかったし、勉強にもなりました。作品のために取材したのではなく、自閉症の子どもの親である作者の体験がもとになっているので、痛いほどよくわかりました。
ただ、ガスの両親をはじめ、登場人物がどちらかといえばシンプルに書かれているのに、ペニーさんだけが複雑。読みはじめたときに、言葉遣いが乱暴で、どういう人となのかなと思いましたが、ハルさんがおっしゃるように後半にいくにつれて「悪者感」が増してきて、この本の対象年齢の子どもには理解しがたいのかなと思うし、裏切られたような感じがするかも。また、後半でペニーさんの母親が、知っているはずもない「ガス」という名前を口にする場面は、いくらなんでもやりすぎかな
あと、犬が人間の役に立ちたいと思っているのは本当だし、チェスターのひたむきさには拍手をおくりたいけど、「断然イヌ派」の人間としては、もっと犬の体温を感じさせるような書き方はできなかったのかなと思いました。ひたすらガスの役に立ちたいと思っているチェスターの姿が、だんだん生きている犬ではなくアイボに思えてきて……。

ハリネズミ:私もおもしろく読んだのですが、引っかかったのは、ペニーの人物設定でした。言葉遣いがほかの人とは違うので、そこで特殊性を出そうとしているのかもしれませんが、普通に社会で仕事をして生活していながら、平気で人を騙そうとします。最初からそれを匂わせる書き方、訳し方をされているならともかく、ちょっと日本の子どもには人物像が伝わりにくいかと思いました。それと、犬のありようが、リアリティとはかなり離れていて、どこまでリアルな存在としてとらえればいいか戸惑いました。人間の心理を読むことはできても、人間と同じような思考はしないと思うので。犬と人間の結びつきを書いた本はいろいろありますが、この本はファンタジーとリアリティの境目がよくわからず、自然を超えたスーパードッグというふうに私は読みました。そうすると、今度はガスのほうのリアリティもどうなのだろうと思えてくるので、設定にもうひと工夫あるとよかったかな。

アンヌ:表紙がさみしいような水色の背景に、窓の外の鳥を見ているガスとその足元のチェスターの姿で、読後にこの絵の意味が分かる仕組みもあるのがいいなと思いました。ガスの状態を理解するまでとても時間がかかってしまい、今でも、てんかんの症状だと言葉が出てくるというのがよくわからないままです。この物語で印象に残ったのは、サラがガスには学校で教育を受ける権利があって学校側はそれに対応しなくてはならないと言うところです。どの子供にも人権があるのだという主張を感じます。ペニーについては、犬の訓練士のプロなのかどうか、よくわからない感じで、少し捉えどころがないですね。チェスターがペニーのママとテレパシーで通じ合うところや、ガスともテレパシーが働いてしまうところは、ちょっとファンタジーだと思いましたが、移民のマンマが言葉以外の方法で、身振りや感じでガスを理解するように、たぶん言語だけがこの世界の生き物のコミュニュケーションの全てではないのかもしれないとも思いました。

コアラ:とてもよかったです。ガスが少しずつ変化していくのが、チェスターの目を通して語られます。人間だったらもっと直接的なコミュニケーションになりそうなところですが、犬と人間だからこその寄り添い方、心の通わせ方が描かれていて、心温まる物語でした。食堂のマンマもよかったし、チェスターを介したアメリアとのコミュニケーションの場面、ガスの変化がとてもよかったです。p135の5行目から、初めてアメリアに手をのばすところ、それから、p257の最終行から、チェスターのベストの「仕事中です、さわらないで」という文字をかくして、いつでもさわっていいよと伝えようとしたところ。両方とも、アメリアと目を合わせなかったというところがとてもリアルで、目を合わせないけれども、手が内面を伝えている、というところが感動的でした。p215では、ガスが疲れたせいで言葉が出てくる、というように書かれていて、実際にそうであればいいのに、と思いネットで少し調べたのですが、現実はそんなに簡単に言葉が出るわけではないようです。それでも、著者あとがきを読むと、ストーリーのきっかけは全くのフィクションではないようだし、希望の持てる物語でした。自閉症でなくても、人との関わりに疲れた、というときでも心を癒してくれるような本だと思いました。ただ、p244の3行目あたり、犬の言葉をペニーのお母さんが聞き取ったというような場面は、ちょっとやりすぎかなと感じました。

しじみ71個分:優しくて、愛にあふれた物語でした。読み終わってほわほわとあったかい気持ちになりました。人と犬との関わりの深さや信頼がよく表現されていると思います。自閉症のガスがチェスターと出会って、少しずつ周囲とコミュニケーションができるようになっていくのと同時に、補助犬の試験に落第したチェスターはある意味、落ちこぼれともいえると思うのですが、ガスと出会って、ガスのパートナーになると決意して、仕事をがんばり、てんかん発作を起こしたガスの危機を救い、ガスのパートナーとして自信をつけ、家族としてなくてはならない存在になっていきます。そういう意味ではチェスターの成長物語でもありますね。すごく気持ちのいい物語でした。テレパシーでガスと会話できてしまうのは、確かにちょっと便利すぎかなとも思いますが、「こうだったらいいな」という気持ちで、作者が書いたんじゃないかなと思います。ただ、ちょっと、p132で、ガスのクラスメートのアメリアの名前が、誤植で「アメリカ」になっていたのは残念でした。あと、もう一か所、p133の6~7行目に「そのうちガスは口はしをつりあげた。僕の知るかぎり、ガスはこの顔をママにしか向けたことがない。笑顔だ」とありますが、ここは「ママ」ではなくて「マンマ」じゃないかと思ったのですが、どうでしょう? ガスが笑顔を人に対して見せるという記述は、p96の、ガスがマンマと笑顔でしゃべりあっているという箇所以外、見つけられなかったような気がするのですが……。

オカピ:チェスターもガスも感覚が過敏で、また自分の中にうずまく感情を他者に伝えられません。そんなチェスターとガスが、相通じるものを感じて心を通わせていくのはわかるのですが、p61でガスの声がチェスターに聞こえるのは、少し唐突に感じました。また、お祈りのポーズをするように、チェスターがガスに伝えたり、会ったばかりなのに、ペニーのお母さんと意思疎通できたりするのはなんだかテレパシーのようで、リアリティが感じられませんでした。人とうまく関係を築けないペニーにも、なんらかの特性があるようですね。もう少し魅力的な人物として描かれていたら、感情移入しやすかったような……。母犬が子犬といるのがつまらなそうだったというのは、ドライな親子関係でおもしろいなと思いました。

西山:たいへんおもしろく読みました。犬のチェスターを通して、ガスの「頭の中」が伝わらないもどかしさを追体験した感じです。食堂のマンマとの交流など、周りのおとながちゃんと見ていない。いつもスマホばかり見ているクーパー先生なんて、ちょっとダメすぎて本当にもどかしく思いました。ガスが怪我をさせられた件も連絡帳に書いただけだったり、ちょっとそのへんは非現実的ではないかと思います。チェスターの能力に関しては、非現実的だとひっかかってしまうことはなかったのですが。ペニーもなにか困難を抱えているらしいけれど、あまり伝わってこなくて共感しづらかったのは皆さんと同じです。

さららん:チェスターはガスの感情の変化や、てんかんの発作の匂い(「ガスの体から薬品みたいなにおいがしている。ガスがもえてしそうなにおい。」p212)まで察知します。以前読んだことのある『おいで、アラスカ!』(アンナ・ウォルツ作 野坂悦子訳 フレーベル館)のアラスカもてんかん犬の資質を持っていましたが、そちらは二人の人間の視点から交互に語られ、犬の内面は描かれなかったので、犬の感覚描写が私にはおもしろく感じられました。チェスターは弱点のせいで正式な補助犬にはなれなかったけれど、ほかの人には聞こえないガスの心の声が聞こえるようになります。障碍のあるガスはもちろんですが、学校で働く移民のマンマ、認知症のペニーのお母さんに至るまで、弱い立場のものたちへの愛情と、その可能性を信じる作者の目に揺るぎないものを感じました。p220で再登場するペニーがらみの意外な展開をのぞくと、ストーリーに起伏が少ないように感じられましたが、言葉数の少ないガスの変化や成長を、チェスターが読み取ることで読者に伝わるこの物語を子どもたちが読むとき、障碍のある友だちの心を想像する良いきっかけになりそうです。とはいえ、犬の一人称で書きとおすには、相当の苦労が必要だったと思います。

サークルK:人と犬とが補い合って一緒に想いを通わせようとする物語で読んでいて楽しかったです。ガスを取り巻く社会だけでなく、どうやら問題を抱えているらしいペニー、学校の問題など言葉が通じるからこそかえって相手を誤解したりわかってもらえないことに苦しんだりする場面が多いので、それを解決するために時々チェスターの声がガスに聞こえ(ているらしい)、ガスの声がチェスターに届いている(らしい)描写が盛り込まれているように感じました。そんな閉塞感に満ちた部分と、ファンタジーな解決の部分が物語の中心になる中でチェスターがガスのところに引き取られるまでの個所で、犬の母親、兄弟たちとのやり取りが(ここは全くのフィクションでしょうが)軽妙でおもしろかったです。母犬は心配性なチェスターに、訓練士の前では堂々とふるまうようにと有益なアドバイスをしてくれますが、そのうちに次々と生まれる仔犬のことや自分のことで頭がいっぱいなのか、チェスターのことにいつまでも心を向けなくなります(p15)。動物の本能的なふるまいに人間のような愛情を読み込みすぎず、あっさりとした犬の親子関係が逆に気が楽な面もあるのでこの最初の場面はとてもおもしろかったです。
ペニーのことを乱暴な口調や振舞いからはじめは女性とは思わずに読んでいましたが(「あたし」という訳がついていてもLGBTQの人なのだろうか、などとも)彼女の母親の病室にチェスターを連れて行ったときにようやくはっきり女性だとわかりました。

ANNE:チェスターを引き取って訓練するペニーがいい人なのか、そうではないのか、ずっとあいまいでしたが、最後にはきちんとチェスターをしつけてガスのもとに戻してくれたので安心しました。ペニーには、きっと別の犬が見つかると思います。犬が主人公の物語なので、2021年に出版されたセラピードッグの絵本、『いぬのせんせい』(ジェーン・グドール作 ジュリー・リッティ絵 ふしみみさを訳 グランまま社)を思い出しました。

ニャニャンガ:まめふくさんの表紙が、やわらかくてすてきですね。犬の視点で進行する本を訳したとき、犬が考えそうもないことや知るよしもないことを書いてしまうとリアリティを感じられないので、どのように犬らしさを出すかが難しかったのを思い出しました。本作はもう少し犬らしい感じがあってもよかったのではと思いました。

サンマリノ:あとがきに熱量があって、ちょっと泣きそうになりました。ハッピーエンドだし、いいお話です。ただ、非常に息苦しく感じました。犬のチェスターがあまりにも孤軍奮闘しているからです。サラやマルクや先生に考えていることを伝えられず、ガスとも最低限の会話しかできず、近所の犬たちとも交流しないまま、思いが溢れた状態でずっと過ごしています。自閉症の子も、同じような状況なのだということを説明するためなのだとしたら、非常に効果的だとは思うのですけども。できれば、となりの家の犬と、ちょこっと1日数分でもおしゃべりするとか、猫か鳥と雑談できるとか、ほんの少し安らげる場面があったら、と思いました。いいなぁと感じたのは、ガスには好きな大人マンマと、お気に入りの女の子アメリアがいるところ、そしてエドのようなイヤなやつに魅力を感じてしまう部分です。一方、気になったシーンもあります。p186で「ガスはおもしろい音が大好きだから、まわりでおもしろい音がしないときは、自分で音を立てる」と書いてありますが、p54では、「ぼくがほえたり、つめでカチカチ音を立てて部屋の外を通ったりすると、こわがる。音で耳が痛くなるんだ」と書いてあって、ちょっと矛盾するようにも思えてわかりづらかったです。あと、先生が数人でてきますが、描写が最低限すぎるので、特にクーパー先生の存在がイメージしづらいなと思いました。『たぶんみんなは知らないこと』(福田隆浩著 講談社)とは逆に、先生があまりいい存在として描かれていないことが印象的でした。

雪割草:おもしろく読みました。でも、ガスの声をもっと聞きたかったという、もやもや感が残りました。作者が実際に母の立場だからというのもあると思いますが、ガスよりもサラの方が不安など気持ちの起伏の細かなところまで描かれていてよく伝わってきました。チェスターが犬らしくないという感想がありましたが、p163のカバーを洗わないでほしいなとつぶやいているところは、犬らしさが描かれているごく少ないひとつだと思います。それからペニーについては、チェスターをスターにしたいという欲があって、その時はチェスターの声が聞こえない。でも欲が消えると、不思議とチェスターの声が通じるようになる。確かにちょっとテレパシーの域かもしれないけれど、ペニーの母にはチェスターの声が届く。食堂のマンマには、ガスの思いが何となく通じている。そして、ガスとチェスターも通じあえる。思いが通じ合えるかどうかというのは、本当はみんなできるはずで、欲だったり不安だったり、他のことが邪魔をしているのかもしれませんねということを、ペニーを通じて描いているように、私は感じました。

ルパン:仕事で探知犬について調べたことがあって、犬の能力のすごさがわかっているので、かなりリアルに近い感じで読みました。また、犬の訓練所とか南極の犬ぞりのことなどについて書いた本によると、犬も人間のように感情とかプライドとかがすごくて驚かされます。飼い主の発作を事前に感知するというのも現実の事例としてかなりあるようです。これを読む子どもが、本当のことと思って読んでくれたらいいなと思います。みなさんから「やりすぎ」と言われるシーンも、私はけっこう心に残りました。

ハリネズミ:犬の能力が高いというのはその通りですが、なんでもできるわけではないですよね。たとえばp240の「可能性は低いけど、サラやマルクやガスが来ているかもしれない」とチェスターが思うところ。可能性の低さを犬が云々するなんてことは、ないんじゃないかな。p188にもチェスターが「ガスもぼくも口でちゃんとしゃべれないよね。心の中だけでしゃべっているんだ。まわりの人にはあんまり伝わらない。ていうか、ほかのだれにも伝わらない。会話の方法としてはあんまりよくないんだ」と思ったりします。これもおとなの人間なみの客観的な思考ですよね。

しじみ71個分:チェスターの言葉があまりにも人間っぽいというのは、実際に自閉症児の母である作者の視点が、サラの視点と、チェスターの視点の双方から描かれているからではないでしょうか。チェスターから語りかけ過ぎてガスが黙ってしまう様子などは、実際の母親としての作家の経験から生まれた表現のように思えました。なので、チェスターがやたら人間っぽいのはそういう理由かなと思ったり。あと、ペニーについてですが、ペニー自身もチェスターが最初の試験で落第したことで、犬の訓練士としての能力が低い、と否定された気になって、チェスターに文字を教え込んで特別な犬だと証明することで自分の価値を認めさせて自信を持ちたかったんだろうなぁと思いました。最後にチェスターはそんなペニーにも自信を与えて立ち直らせていますよね。あとでネットで調べましたが、アメリカでも日本でもドッグトレーナーには国家資格などなくて、ただ経験の積み重ねによるんだそうです。だからなおさら人からの評価が気になるという設定なのかもしれませんね。

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エーデルワイス(メール参加):とても好きな作品です。心がホカホカします。犬のチェスターの目線の物語。自閉症でてんかんの発作を起こすガス、ガスのママとパパの様子、犬の訓練士のペニーの性格がよく伝わってきます。フィクションなのに、ノンフィクションかと思われるほどチェスターとガスが心の中で会話しているのが当たり前のように思われ、他にもたくさん例があるのではと、思いました。犬って人間に尽くしてくれるのですね。チェスターが余りにも健気です。日本でも補助犬がもっと普及するといいなと思いました。

(2023年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)


たぶんみんなは知らないこと

『たぶんみんなは知らないこと』表紙
『たぶんみんなは知らないこと』
福田隆浩/著
講談社
2022.05

〈版元語録〉「いってきまーす! みんなには聞こえないけど、私は大きな声を上げた」知的障害のある小五のすずと兄、周りの人達の優しい物語

アンヌ:大変感動して読みました。作者が特別支援学校の先生ということも知り、心の中で生徒の言葉をずっと聞いていて書いたのだろうと思いました。物語の中で成長していく子どもの様子が見えてくるのは感動的です。けれど、すずもらん君もそれぞれ状態が悪くなる可能性も書かれています。そんな子どもたちがフェスタで披露する劇に対する親たちの思いや、子供の成長を促してフェスタで見せようとする先生たちの活動も胸に迫りました。みのり小学校とかなで特別支援学校との交流会の後の、男の子の手紙は理想的すぎると思いましたが、水族館で携帯電話に夢中になる父親の様子とか、バスの中のおばあさんとか、ダメな大人もしっかり描けているし、さらにそれぞれを救い上げているところも素晴らしいです。少し理想郷じみたこの支援学校ですが、すずが転校することも最初から描かれています。そして、少しずつ成長しているすずだから次の場所でも頑張れるだろうなという希望と共に読み終えられるところも、素晴らしいと思いました。

さららん:福田隆浩さんの本をはじめて読みました。「わたし」の語りで始まる文章が最初は読みにくく、例えばp10~11はオノマトペのオンパレード(ばらばらばら、びりびり、どんどん、くるくる、ぐるぐる、ぶるぶる、くねくね)で、うーんと立ち止まってしまいました。でも、主人公すずちゃんの独特の感覚は、きっとそういうふうにしか伝えられないんだと割り切って読み進むうちに、だんだんおもしろくなってきました。p64の、「ぺんぎんさん」を見ている「わたし」の現実と想像の折り重なり方など、うまいなあと唸りました。すずちゃんのふわふわした語りの中で「いったいなにが起こってるんだろう?」と読者を宙ぶらりんにさせ、連絡帳や学級通信、お兄ちゃんの辛口のブログで、出来事をきちっと補っていく構成が巧みです。「かなでフェスタ」では、子どもたちの発達と興味に合わせたおはなしを先生が考えて、大勢の人の前での発表につなげ、子どもたちが一歩先に踏み出せるようにするところなど実際の指導のための手引書のようでもありましたp125にはステージ配置図までついていたので、福田さんの勤務する特別支援学校で、これに似た発表があったのでしょうか。機会があれば確認してみたいです。

ニャニャンガ:しんやゆうこさんの表紙が、ふんわりしていていいなと思いました。実際の保護帽子は、残念ながらかわいい感じがしないので配慮されたのかもしれません。小学5年のすずちゃんの心のうちを描けるのは、特別支援学校勤務の作者ならではと感じ、子どもによりそった作品を作られていた絵本作家のかがくいひろしさんを思いだしました。すずちゃんをとりまく環境はリアルですし、複数の視点で書かれることで全体が見え、考えさせられました。障碍のある子が身近にいない、まったく知らない人に読んでもらうことで距離が縮まる可能性を感じます。

ハル:おばあさんが蝶の髪飾りをくれる場面、思い出しても泣けてきます。バスの中で急に後ろから髪の毛を引っ張られたら、驚きますよね。ただ、思わずどなってしまうまではあるとして、登場人物のひとりであるおばあさんに、ここまでひどいこと言わせなくてもいいじゃない、とも思いましたが、人間、カッとなったり、心に余裕がなかったり、追い詰められたりすると、想像以上にきつい言葉を吐いてしまうものですね。野間児童文芸賞の講評を読みましたが、「登場人物が並べて理解ある人々であることに、わたしは違和感を覚えた」「善意に支えられた世界」といった意見があり、確かに、良い人ばかりで、もしかしたら現実はもっと冷たいのかもしれませんが、読者である子どもたちに、善意だけを見せたらいけないんだろうか、とも思います。特に、普通学級の子供たちとの交流で、「お世話をする」「何かしてあげる」のではなく、いつもと同じように接する、という考え方は、読者にとってもなかなか得がたい発見になったのではないかと思います。

サークルK:当事者のすず、母親、その兄、支援学級のクラスメート、担任の先生、交流先の子どもたちなどの様々な視点からの語りによって一つの光景を作っているので、それぞれの文体に読み慣れるとわかりやすかったです。すずの周囲の人がみな、“良い人”(妹を持て余して時折意地悪をしてくる兄もブログでは妹への理解を吐露しており)で、温かい気持ちで読み進められました。しかし、すずにとって近しい人であるはずの父親だけが一人称の語りには登場せず、鈴鹿らも物語からも遠い存在に感じられました。経緯は不明ですが母親と離婚が決まり、すずと2人だけで水族館に行った時に、彼女を置いて誰かからの電話に出てしまう(しかも楽しそうに!)というエピソードに、それまで築いた家庭が彼にとって重く、それらから逃避したかったのではないかという気配を感じました。
交流先の子どもたちの作文に、すずを邪険にしてしまった反省文らしきものがありました(p55)が、その中の「[すずのような仲間をお世話するという意識を持たないように]もっとがんばりたい」という一節があり、子どもにそういう心持にさせてしまう社会の息苦しさを少し感じました。起承転結の求められる良い作文、先生に褒められる作文の最後の締めの言葉として「もっとがんばります」という言葉はとても都合の良い言葉と思えます。それだけに、p98~99の「…そんなことより早く家に帰ろうと思った。だからおれは妹と手をつなぎ、ゆっくりと歩いた。」という兄の言葉はとても意義深く読みました。矛盾する言葉が並んでいるように思われますが、本当に人に寄り添うということの難しさと行動はシンプルでよいのだという安心感が伝わりました。

雪割草:私もすずの擬態語の多用が気になって、最後の方になってやっと慣れる感じでした。でも、作者が特別支援学校の先生だけあって、連絡帳のやりとりや、かなでフェスタなどから学校の様子がよくわかりました。この作品は、どんな読者に向けて書いているのだろうかと正直わからなかったのですが、お兄ちゃんの視点が、読者が共感しやすいところなのかなと思いました。お兄ちゃんはブログを書いていて、p27では、もっと妹はひとりでできるはずなのにと愚痴っているけれど、p151では歩いているように見えるけれど、妹にとっては走っているのが兄だからわかると自信をもって言っているところなど、妹に対し反発しながらも、ちゃんと大事に思っているきょうだいの距離感をうまく描いていると思いました。中学の頃に読んでとても心に残っている『ぼくのお姉さん』(丘修三作 偕成社)のことをふと思い出しました。

ANNE:学級だよりの文面や、連絡帳の書き方など、現役の学校の先生ならではの世界観が随所に感じられました。主人公のすずちゃんの一人語りで淡々と描かれていますが、転倒用のヘッドギアを装着しているとか、オムツをしているなど、彼女の障碍がとても重いものだということが読み取れました。私の勤務している公共図書館にも、さまざまな障碍を持った方が来館されます。皆さん、それぞれお好きな本も違うし図書館での過ごし方もいろいろですが、自由にこの空間や時間を楽しんでいてくれると嬉しいなぁ。

しじみ71個分:読書量が少ないせいではありますが、自分が読んだ日本の子どもの本では、障碍のある子の一人称語りの物語を読んだことはなかったんで、すごい!と思って、大きなショックを受けたというか、感動しました。実際、福田さんは特別支援学校の先生だとのことで、そうでなければここまでは描けないのではないでしょうか。表現も見事、本当にうまいなと思うところが随所にありました。たとえば、p6に「でもこの帽子はとくべつの帽子。ふつうのお店とかにはきっと売ってない。病院の先生が頭のあちこちをなんどもはかって、……かぶってると、どんとぶつかってもごろんとひっくりかえっても、だいじょうぶなんだって」とこの部分だけで、すずちゃんにてんかんがあるらしいことがわかりますし、子どもの読者も転んだり倒れたりする子なんだと伝わるのではないでしょうか。また、おしゃべりができない、おむつをしているなどの描写から、かなり重度の障碍がある子どもなんですね。
本当に先生として細かく子どもたちを観察して、こういうときにいやと言うんだな、こういう勉強をいやだと思っているんだな、と反応をひとつひとつ見て記憶しているからこそ、その時々のすずちゃんの思いを代弁できるんだなぁと、ただ感心してしまいました。また、子どもの一人称語りの物語だと、その中に大人の気持ちを描きにくいように思うのですが、それを連絡帳やおたよりといった形にすることで、大人の気持ち、周囲の状況などをうまく説明して、不自然さがありません。これもすごくうまいし、とてもいいと思いました。
以前読んだ『家族セッション』(辻みゆき著 講談社)では、主人公のお母さんの一人称の語りをはさむことで、赤ちゃんの取り換え事件や病院の立場などを説明してしまったため、とても違和感がありました。それと比較すると、非常に自然に大人たちが子どもたちを思う気持ちが表されていると感じました。ランちゃんやリュウちゃんについても、どんな症名でどんな障碍で、ということを説明しなくても、行動からどんな障碍があるのか、どんな気持ちなのかが読み取れ、障碍のある子の気持ちをうまく描いていて本当に感動的です。バスの中で髪を引っ張られて、つい意地悪なことを言ってしまうおばあさんも再登場させて、すずちゃんを救う場面を設けることで、おそらく彼女自身の老いの辛さや孤独から、お兄ちゃんとすずちゃんに意地悪を言ってしまった、彼女自身も傷ついた存在だったんだと読者に想像させるのも優しいなぁと思いました。
ただ一点、惜しいのは、みのり小学校の5年生の男の子の反省文です。ちょっとあまりにも正しい、前向きなことばかり書かれていて、子どもの反省文らしさが欠けてしまったところが残念でした。作者が言いたいことを登場人物に書かせてしまったのかなと思います。ですが、この交流会の最後の場面で、ミヤ先生が「みんなはもっとソーゾーリョクを持ちましょうね」(p53)と話すところは素晴らしくて、先生が具体的に語った内容は少しも書かれていないけれど、想像力を持つってどういうこと?と考えさせる問題提起になっていると思います。障碍のある人たちばかりではなく、ありとあらゆる困難を抱える人たちと共に生きるには「想像力」を持って相手を思うことが必要なんだと端的に伝えてくれていると思います。すずちゃんの両親が離婚しているという設定も、実際に当事者の人たちや支援している人たちから話を聞いたところ、障碍のある子どものいる世帯では本当に離婚率が高いそうで、しかもかなり重度の場合も多いとのこと。こういった実情もおそらく現場の先生として見てこられたんだろうと、本当にリアルだなと思いました。

ルパン:私もこのお兄ちゃんがいいなと思いました。現実には障碍を抱えた子のきょうだいには重い課題があるのだと思いますし、「いい子すぎる」という意見もあるかと思いますが、同じ境遇の子が励まされ、そうでない子に少しでも理解が深まったらいいなと思います。それにp98に「すぐに根にもつうちの妹のことだから」とあるように、ちゃんとすずちゃんの性格というか、個性をちゃんとつかんでいて、こういうところは兄ならではだなと思います。ずっと以前ですが、NHKで、実際に脳性麻痺の子どもたちが演じるドラマがあって、アフレコでその子たちの気もちが語られるんですけど、それを見て、見かけだけで判断してはいけないことがよくわかりました。話せなくても、動けなくても、知能や感情はハンデのない人と同じだけあるということをそのとき初めて知りました。この本もそのような手がかりとなるといいなと思います。

サンマリノ:主人公の一人称のほか、家族、担任などいろんな視点から語られているので、物語を理解しやすかったです。特別支援学校勤務という著者のプロフィールから、実際にたくさんの経験をされているのだろうなと、説得力を感じました。でも逆に、だからこそ書きづらいこともあるのでは、と思います。交流する小学校の子たちが、よだれに対して嫌がる反応をするけれど、すぐに反省しますよね。その感じが、ちょっといい子過ぎる気がしたのです。が、教育の現場にいる人として、子どもを「悪意のある存在」としては描きづらいのではないかな、と思いました。あとは、ラストの部分がちょっと残念です。こういう子は、環境が変わって適応するのがすごく大変な気がするので、引っ越すところで終わっているのが消化不良でした。物語の2/3あたりで引っ越して、その先を見せてほしかったなと思います。

コアラ:優しい物語だと思いました。すずの目で捉えた世界と、それを補う大人やお兄ちゃんの文章のバランスがとてもよかったです。p105あたりから、かなでフェスタで行う劇について、リュウちゃんやすずが好きなものを登場させる『セッケンくんのぼうけん』を新しく作ったというところは、先生たちはすばらしいなと思いました。嫌なことを言われたおばあさんとも、最後に仲良くなれたし、みんないい人で、がんばりすぎず、できる範囲でやっている、というところも、優しい、癒しのある物語でした。障碍のある子どものことを、何をしでかすかわからない、とか、何を考えているかわからない、と関わりを避けるのではなく、こういうことを考えているのかも、と内面を想像してみる、という意味では、いい本だと思います。仕事で教育関係の雑誌に携わっているので、インクルーシブ教育システムというのはよく目にします。障碍のない子どもたちと特別支援学校の子どもたちが交流することは増えていくと思うので、子どもたちがこの本を読んで、相手のことを想像するといいなと思います。ただ、一人称で、すずに感情移入できるように書いてあるからこそ、私は、障碍のある人が本当にこんな風に考えているかわからないな、と用心してしまいます。科学や技術が進歩して、コミュニケーションが取りづらい人が何を考えてどういう感情を持っているか、直接知ることができるようになればいいなと、この本を読んで改めて思いました。

ハリネズミ:言葉が出せない子どもがどんなことを感じ、どんなことを考えているのかを書くのはとても難しいと思うのですが、この本は、いつもそういう子どもたちを間近に見ている人が一人称で代弁し、それに加え、親や教員からの連絡帳、お兄ちゃんのブログ、学級通信などを用いて立体的に表現しているので、状況がよくわかり、すずの気持ちも伝わってきます。この作家は、たくさん作品を書いておいでですが、障碍を持った子どもを主人公にしているのは、これだけでしょうか? そうだとすると、職業柄接しているだけでは書けない難しいテーマなのでしょうし、ずっと考えておられて作品にしたのかもしれませんね。
このお兄ちゃんにはすばらしいという声が多く出ていましたが、お兄ちゃんはp97でまず「役に立たなかったらだめなんだろうかって。生きていく意味がないのだろうかって」と自問します。ここで私は相模原の事件を思い出し、作者はあの犯人に反論したい気持ちも強かったのだろうなと思いました。でも、その後すぐに、p98で「妹が将来、人の役に立とうが立つまいがそんなことは関係ない。/妹がこれから、たくさんの人の世話になっていくかなんてそんなことも関係ない。/妹がこうやって、同じ世界に生きていることが自分にとっては大事なことなんだ。雨音をこわがったり、雨粒を手にうけて喜んだり、ときどき大声をあげたり、窓をたたいたり、空を見上げたり、首をかしげたり、息をすいこんだり、そんなことすべてがおれにとってはとても大事で大切なことなんだ」と思うのですが、ここは読者に考える暇をあたえず、やや性急に結論を出してしまっている気がして、ちょっと残念でした。その思いに至るまでのさまざまな葛藤は、丘修三さんの作品のほうがていねいに描いているかもしれません。この作品だと、読者もそうだな、と思うことはあっても、自分の体験として深く考えてみる機会は持てないかもしれません。書名は作品全体にかかっているのでしょうが、2度目に読んだときは、最後にすずが、誰にも知られずに「ばい、ばい」と言えるようになった部分が強く浮かび上がってきました。

西山:すっごくよかったです。すずたちの外から見た様子(たとえば耳を覆ったり、急に声をあげたり)に、こういう理由があるのかと教えてくれたのは、まさに物語の力だと思いました。発話に困難がある子どもを主人公にした作品としては、灰谷健次郎の『だれもしらない』(長谷川集平絵 あかね書房)を思い出しますが、今回、初めてそういう障碍を抱えた子どもに出逢った気がしました。『だれもしらない』は短い作品ですから、一概に比較はできないと思いますが、読み直して違いを考えてみたいと思いました。『たぶんみんなは知らないこと』というタイトル自体『だれもしらない』を意識しているようにも見えますね。
それはともかく、この作品の多声的なところがとても良かったです。すず、兄、お母さん、離婚したお父さん、学校(先生)、そして、保護者同士のやりとりもあり、バスでトラブルになったおばあさんという同じコミュニティに住む他人をちゃんと登場させている。世界の膨らみがそこから生まれていたように思います。「子どもの権利」をテーマにイベントを企画していて勉強中なのですが、子どもにとって最善のことをするのが基本だけれど、「子どもにとって最善のこと」とは何か、それは子どもに聞かなければ分からないんですね。おとなの思惑を押しつけることではない。でも、自ら意見表明できる子ばかりではない。赤ちゃんの声も、すずのような子どもの声にも耳を傾けなくてはならない。そういうとき、こういう作品の意義が大きいのだなとしみじみ思いました。
気になったのは、好きな色とか、この子に選ばせていないことです。ヘッドギアの色について、すずは車の色とおそろいの赤で結局良かったと思っていますが、青が好きとも書いてあるんですね。父親とのお出かけの場面でのパンケーキも、すずが好きな方が用意されるわけだけれど。彼女が言葉で答えられないとしても、結局それを選ぶとしても「どっちがいい?」と問うステップが書かれたらよかったのにと思います。あと、作者が現場にいる方だから問題ないのでしょうけれど、劇でねずみたちがわっと出てくるサプライズ演出や照明がぴかぴかするのは、パニックを起こさないか、ちょっとヒヤヒヤしました。あと、らんちゃんの進行する病状は、丘修三さんの『ぼくのじんせい シゲルの場合』(ポプラ社)を思い出します。未読の方は、ぜひお読みください。長くなってごめんなさい。

オカピ:まわりの人が向ける思いが、その人を唯一無二の存在にするという、作者の姿勢を感じられたのはよかったです。ただ、障碍のある子もない子も、みんなががんばったり、一生懸命理解しあおうとしたりしている感じが、なんか教師目線の描写というか……。グスティという絵本作家は、「ぼくたちは天使じゃない」(未訳)という作品を描いていて、そこではダウン症のある子たちも決して天使などではなく、同じ子どもなんだという姿勢をはっきり打ち出しています。この本にはなんだか、大人が望む健気な子ども像を感じてしまいました。またペンギン王子と出会ってハッピーエンドという劇のお話は、今のジェンダーの視点からは問題があるのでは?

小方:帯に「おしゃべりができない」、カバー見返しに「みんなには聞こえないけど、大きな声をあげた」と書かれているにも関わらず、読み始めた最初のほうで、「クジラ号って呼んでいる」とか、本当に声で表現できているのかなと思ってしまいながら、読み進めていました。表紙の絵も、そうと感じられないけれど、たしかに帯に「重度の知的障がいのある小の女の子」とありましたね。すずちゃんの心の中で、こんな風にすずちゃんは言っているよ、という作者の虚構の世界なのだということに、皆さんのお話を聞いていて改めて気づきました。なので、すずちゃんに赤のヘルメットをつけてあげるのも、ペンギンのピンクの手袋を用意したのも、まわりがその子のことを特別に考えている「思い」なのですね。
先生を良く描く児童書が少ないのは残念です。でもこの先生たちはすごい。すずちゃんたちが成長を表現できるように、とことん考え直します。この結果として3人がかけがえのない成長を表現することができたのはとてもうれしかったです。ひとつ、お父さんが発表会の最後のシーンで、すずちゃんのことをずっと「あの子」と呼ぶのを、なんでかな?と思いました。普通なら、「すず、がんばったなあ」とか言うんじゃないかなと。

ルパン:遠くから見ているからじゃないかな。客席から舞台を見ているので。この距離だと自分でも言うかな、と思うので、違和感はありませんでした。

ハリネズミ:障碍を持っている子どもは、障害の種類によっても違い、また同じ障害でも個々に違って様々だと思うので、この作品を読めば知的障害についてわかるとか、こっちを読めば自閉症についてわかる、ということではないように思います。だからもっといろいろな作品がこれからも書かれるといいですよね。

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エーデルワイス(メール参加):特別支援学校勤務の作者ならではの内容でした。主人公のすずちゃん、すずちゃんのママ、すずちゃんのお兄ちゃんの目線。学校での様子。どれも説明し過ぎずに内容が素直に伝わってきました。すずちゃんや、同級生の嵐くんの身体的ことには胸が痛みました。すずちゃんのママの、医学は日々進歩しているから希望を持ちたいとの件はその通りと思いました。バスの中でいじわるしたおばあさんが、一人で外へ出かけて家に戻ることができなくなったすずちゃんを助けてくれます。あの時は悪かったね、と。説明はこれといってありませんが、おばあさんの境遇が分かるような気がします。タイトルですが、大抵の人が特別支援学校に通う子どもとたちについて知らないのだと思いました。何度か特別支援が学校へおはなし会に伺ったことがあります。コロナ禍になり事前の打ち合わせ訪問はできませんが、電話で先生と打ち合わせをして、一人一人の子どもたちの好みや様子を伺います。年齢問わず楽しめる内容を心がけています。

(2023年02月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)