カテゴリー: 子どもの本で言いたい放題

2025年04月 テーマ:昔話に異議あり?

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『2025年04月 テーマ:昔話に異議あり?』
日付 2025年4月15日
参加者 カワウ、ハリネズミ、西山、エーデルワイス、花散里、すあま、雪割草
テーマ 昔話に異議あり?

読んだ本:

『雪娘のアリアナ』
原題:THE SNOW GIRL by Sophie Anderson, 2023
ソフィー・アンダーソン/著 メリッサ・カストリヨン/絵 長友恵子/訳
小学館
2024.11

〈版元語録〉12歳の少女ターシャはある出来事からすっかり心を閉ざし、祖父が農場を営む山村で家族と静かに暮らしていた。初雪の日、心をこめて作った雪娘に「友だちになってくれたらいいのに」と願うと、その夜、不思議なことに、雪娘に命が宿る。毎晩その雪娘のアリアナと過ごし友情を育む中で、ターシャは明るくて好奇心旺盛だった元の自分を取り戻していく。しかし、その冬はいつになく厳しく、祖父の病気も悪化。周囲の人々も春の訪れを待ち望むが、冬が終わることは親友のアリアナとの別れも意味していた。ロシアの民話「雪娘」をモチーフに、少女の成長と友情を描いたファンタジー。
『海のなかの観覧車』
菅野雪虫/著
講談社
2024.04

〈版元語録〉ぼくには、5歳の誕生日の記憶がない。親に聞いても「家で寝ていた」と言うばかり。それから時はたち、中3の誕生日を迎えたとき、家に謎の手紙が届く。開けてみると、中には「誕生日おめでとう」と書かれた便箋と、ビニールに包まれた黒い砂が入っていた──。うっすらとある「遊園地に行った」という記憶。黒い砂。その二つがつながったとき、たどり着く真実とは。企業の社会的責任に切り込む衝撃作!

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海のなかの観覧車

『海のなかの観覧車』
菅野雪虫/著
講談社
2024.04

すあま:冒頭を読んでファンタジーなのかと思ったところがサスペンスでびっくりしました。子ども時代に起きた事件の記憶が徐々によみがえり、その真相を探っていくところに興味をひかれて読み進めました。また、グリムの「いばら姫」がモチーフとして使われているのもおもしろかったです。でも、お父さんの描き方が一面的で、一貫して悪い人なのが気になりました。また、有害物質は放射能を連想させるけれど、結局人的被害がなく、何だったのかわからないままでリアリティがなく、そのあたりはしっかりと書いてほしかったです。事件の関係者である双子や犯人と再会するラストについてもすっきりしなくて、もやもやした気持ちになりました。

雪割草:いろんなことが起こるので、私は引き込まれて読みました。「ねむり姫」の物語をどう関係づけたかったのか、一読しただけではわかりませんでしたが、おもしろい試みだとは思いました。「幸島」というネーミングから明らかに、「福島」の原発を想起させたかったのだろうし、さまざまな公害を連想させようとしたのだろうけれど、私は原発のことを書くならもっとしっかり書いてほしかったです。この作品は、主人公が被害者であり加害者の側にもいるから、被害と加害の両方の視点から考えさせようとしたのかなと思いました。加害者側は、透馬の父、社長ですが、韓ドラに出てきそうな巨大会社の社長な感じで、たとえば原発であれば国も絡んできますし、加害者側の描き方にもう少し厚みがあった方がよかったと思いました。犯人の松本のネーミングは、松本智津夫が浮かびました。それにしても、主人公がタフすぎるのではと思いました。いい思い出だったとはいえ、事実を知ったあとに犯人に会いにいけるだろうか。母のケアもしつつ、父とも一定の距離をもって接するのもおとなですごいと思いました。

花散里:母と二人暮らしの中学3年生の主人公が、10年間、身体の経過観察を受けてきたこと、ある日、突然送られてきた手紙。精神的に弱っている母親との暮らし、ヤングケアラーの問題なども感じながら、日本文学の作品としては重厚感があり、読み応えあるサスペンス物語でした。幸島で起きた天然ガス爆発、爆発を起こした会社の社長が父親であることなどから、福島原発事故の放射能汚染、長崎軍艦島での炭鉱事故、水俣病など公害汚染、その賠償責任など、様々な背景を感じました。主人公が5歳のときに誘拐されたこと、その記憶が段々と蘇ってくるなかでの、夏生、青生との出会い、10年間、見守ってきた村野医師との関係など、引き込まれるように読みました。物語の展開、グリム童話集から、「いばらの姫のつづきの話」など、「十二番目」、「十三番目」、「百年の呪い」など、中高生はどのように読んでいくのか、昔話への関心が広がることも願いながら、手渡したいと思いました。

ハリネズミ:5歳のときに何があったのか、という謎で引っ張っていく展開はうまいと思いましたが、物語世界の設定として解せない箇所がたくさんありました。p25で、「眠り姫」の詳細を知りたくて絵本をたくさん借りますが、中3だったら絵本ではなくグリムやペローの昔話を借りるほうが自然です。天然ガスの精製は危険なのでしょうか? 火災や爆発事故を起こすというのは聞いたことがありますが、天然ガスそのものに毒性はないし、すぐに拡散するのでは? 10年も除染が必要なのでしょうか? 事故に触れないようにしてきた父親は、みんなに忘れてもらうために桜並木を植えたり、フラワーフェスティバルを開催したり画策しているのに、この期に及んで犯人を訴えて、子どもにまで証言させようとするのも不思議でした。p205には「この遊園地には、見えない灰のようにガスが降ったのだ」とありますが、降下するガスって何なのでしょう? p237でも、たまたま事故の1か月前に公園で会った透馬とその母親に、松本幸生が「あなたのせいじゃない。あなたは、がんばってる。よくやってる」と言うのは変だし、母親が自分の身の上話を見ず知らずの男に話すのは、それ以上にありえないと思いました。ほかにもいろいろ展開に無理なこじつけがあり、テーマが先走りしているのを感じ、私は楽しめませんでした。テーマありきで、物語世界のあちこちに亀裂が生じているような気がしました。

カワウ:とても力のある、ずっしりした作品で、一気に読んでしまいました。登場人物のひとりひとりがしっかり描けていて、厚みがありました。福島のことを描いているのは明らかで、周辺に住んでいる、あるいは住んでいた母親たちも、主人公の母親と同じ悩みを今でも抱えていると思うと、胸が痛みます。この本の場合は被害の原因がガスということですが、おそらく作者の頭には戦時中、秘密裏に毒ガスを作っていた大久野島のこともあったのでは? いまはウサギの島として知られていますけど、戦争の加害の側面を知るために、修学旅行で訪れる小、中学校もあると聞きます。被害者に対する周囲の人々の反応は、水俣とか、薬害スモンなども連想しますし、犯人像は安倍前総理殺害事件の犯人や、連続企業爆破事件で長いあいだ逃亡をつづけ、死の間際に自首した人物のことも頭に浮かびます。作者のいいたいことを書いた物語というより、あなたはどう思うかと読者に問うている作品だと思います。翻訳ものと日本の本の2冊を取り上げるこの読書会で、翻訳の本は中身が厚く重いのに、日本の作品は半径1キロのことしか書いてなくて薄っぺらいと悪口をいってきましたが、今回は作者にも、版元の講談社にも感謝しています。ただ、5歳の子どもを保護者なしで参加させるサマーキャンプは無いのではと疑問に思いましたが、年齢などを変えると、物語全体が崩れてしまいますからね……。

西山:おとなに対する怒りの書だと読みました。呪いの原因を作ったことに対して「そのせいで、王女は眠り続けることになる。親が軽んじた者のせいで、決して、軽んじてはいけなかったのにー」(p26)とあるところに、その怒りは端的に現れていると思います。「何冊もの少しずつ違うが同じような展開の絵本を読んでいると、まるで何度も失敗するタイムトラベラーのやり直しを見ているみたいだった」(p25)というのも、再話の特性をすごくうまく取り込んでいると思います。東日本大震災が、過去完了の出来事ではなくて、現在進行形の被害として直接間接の影響が盛り込まれていることに強く刺激されました。熱が出ただけでもオロオロする母親、補償金による分断、フラワーウォッシュ、などなど、原発事故の罪深さ、企業のやりくちのいやらしさなどへの怒りがたたきつけるように書かれていると思います。天然ガスなら10年間も全島避難したりはしないのでは?という意見が出ていましたが、私は、天然ガス採掘の島でなにやら危険な生成物を出してしまったと勝手に解釈していたので、ひっかかりはしませんでした。朝鮮人労働者にも言及があって、(軍艦島のドラマには、この点はまったく触れられませんでしたね)、ほんとうに、いろんなことをぶち込んでいることを、私は肯定的に受けとっています。中高生がどう読むかという問題ですが、 現実の「3.11」に関連する知識がない場合、この作品を読んで、私たちのように、現実のあれこれと重ねあわせる読みは出てこないと思いますが、逆に、この作品を読んだあと、現実に目を戻したとき、今まで見えていなかったことが見えてくる可能性があるのではないかな、社会問題を扱った作品にはそういうベクトルもあるのではないかと考えています。あと、「いばら姫のつづきの話」の「家族を返せ!」「時間を返せ!」「あるはずだった暮らしを返せ!」は、峠三吉の詩「にんげんをかえせ」ですよね。

エーデルワイス:本格的なミステリーの児童書を読んだと思いました。加害者と被害者の狭間が分かって、自分だったらどう考え行動するかと、問題提起されているように思いました。ヤングケアラーのことも具体的に書かれていました。主人の透馬、双子の夏生と青生が生き延びたことに安堵しました。透馬が「いばら姫」の結末を自分で創作するところがいい。昔話の創作といえばイギリスの振付師マッシュボーンのバレエ舞台『眠りの森の美女』の映画版を観たことがあります。いばら姫の眠りは現代まで続き、助けられた王子の間に子どもも生まれていました。この本を読めてよかったと思いました。作者の「菅野雪虫」のペンネーム素敵と思っていました。

ハリネズミ:辛口で申し訳ないですが、私はせっかくのおもしろいテーマなのだから、もうちょっと細かいところまで目配りをして作品世界をきっちり構築したうえで書いてもらいたかったです。そうじゃないと、ほかのエンタメメディアに太刀打ちできなくなるのでは?

(2025年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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雪娘のアリアナ

『雪娘のアリアナ』
ソフィー・アンダーソン/著 メリッサ・カストリヨン/絵 長友恵子/訳
小学館
2024.11

カワウ:とても美しい物語ですね。谷あいの村に暮らす人々の描写も、魅力的でした。雪娘の昔話は絵本の『ゆきむすめ』(内田莉莎子文 佐藤忠良絵 福音館書店)しか知らなかったけど、後半でいろいろなヴァージョンが紹介されていたのも楽しかった。でも、主人公のトラウマとなったカニ爪岩の事件がいったいどういうものなのか、100ページを過ぎてからやっと出てくるので、本当にいらいらしました。それと、主人公のメンタリティは、まさに小学生のものなのに、厚さや文章はYAっぽい。いくら長くても、やわらかい、やさしい文章だったら小学生も楽しめるのにと思いました。それから、英米のものと違って、なじみのない名前がつぎつぎに出てくるので、「マイカって、男の子だったっけ?」とか、「このひとは、いったい誰?」と、たびたび思ってしまいました。最初に登場人物の紹介があれば良かったのでは? 三人称で書かれているとはいえ、一人称に近い三人称なので、大人には「さん」をつけたりすれば、もっとわかりやすくなったかも。同じロシアの民話をもとにした本でも『<死に森>の白いオオカミ』(ディーコフ作 相場妙訳 徳間書店)は、いかにもロシアって感じで、良かったですね。翻訳も見事だったけど。やはり、その国に暮らす人が書くものは、迫力がちがうのかな。

ハリネズミ:自然の描写が美しいし、本の装丁や挿絵もきれいですね。ターシャが、怪我をしたヤマネコを救おうとしてひとりで雪山に登って、氷の川に落ちるところは、お話の進行があまりにも大胆なほうにぶれすぎていて、ついていけませんでした。ほかにも物語世界に疑問を感じるところがいくつかありました。たとえばターシャが助け出されたあと、回復までに時間がかかったと思うのですが、その間にだれも、「どうして外に出てていたのか」とか「なぜノナおばさんの生肉や薬を持ち出したのか」と誰もたずねない。また春を呼ぶ祭りに一所懸命になる気持ちと、雪娘にとどまってもらおうとする気持ちの間には矛盾がありますが、そこはつきつめない。そんなことをいろいろ考えると、1つの物語世界の中で動いていく話というよりは、無理につじつまを合わせようとして無理が出ている作品のように思えてしまいました。

花散里:表紙画、挿絵が美しい本だと思いました。全体的には物語が、なかなか進んでいかなくて、読みづらいと感じました。特にカニ爪岩で恐怖を味わったということが何度も出てくるのに、真相はなかなか明かされず、この話は、いつ分かるのだろうと思いながら読みました。ロシア民話「雪娘」の話、マイカのおばあさんの「雪の精霊」の話、聞きたくないけれど気にかかる、ということなど、昔話が物語の展開に大きなウェートを占めていて、子どもたちが昔話に関心を持って読めたらいいとは思いました。登場人物が多くて読みにくいということもありましたが、お爺さん、ノナおばさんは良く描かれていて、地域の人たちとの共同納屋での祭りへの話などは、好感がもてました。春を迎えることが大事なことと分かりながら、アリアナが消えてしまうのではないかという危機感、クララ、マイカとの友情など、小学校高学年以上に読んでほしいとは思う作品でした。

雪割草:絵も美しく、物語も昔話を題材にしていて美しい作品だと思いました。でも前半は、ターシャとアリアナの夜のお出かけが繰り返されてやや単調で、長く感じました。後半の方がおもしろく、読むペースがあがりました。p116からのカニ爪岩での出来事を打ち明ける場面は、トラウマと向き合うときの辛さ、心の傷の深さが伝わってきました。一方で、なぜターシャは、アリアナにだけすぐに心が許せたのか、よくわかりませんでした。自分が育てた者への愛着なのか、雪の精霊だから自然への親しみなのか。人間のクララやマイカもとってもいい子たちなのに。登場人物としては、おじいちゃんやノナおばさんは厚みがありましたが、父と母はいつも農場の修理で忙しく、ただいるだけのようで、もう少し人物像を描いてもよかったのではと思いました。マイカは、p145の絵でも女の子にみえて、心の性が男の子なのかと思っていました。

すあま:雪娘が主人公のファンタジーだと思い込んで読み始めたら、過去の出来事のせいで友だちができず一歩を踏み出せない女の子の話でした。雪娘に会いに夜中に毎晩出かけて、睡眠時間を削っているというのは、本当にだれにも気づかれないのか、そんなことができるのかと思ってしまいました。夢の中の出来事にしてしまった方が、逆にリアリティがあったように思います。雪娘が実際に存在することになっていて、そのまま冬が続いていくのか、ターシャが雪娘の世界に行ってしまうのかと怖くなりました。地元の子どもたちがとてもいい子たちなので、もっと早く仲良くなってもいいのではと思い、ちょっと話を長引かせすぎなところも気になりました。昔話をモチーフしているところがおもしろく、私も雪娘の話は最後に消えてしまうのが寂しいと思っていたので、ターシャがハッピーエンドの話を探すところは共感できました。

エーデルワイス:今回私は選書係だったのですが、もう1冊の『海の中の観覧車』はグリムの『いばら姫』という昔話をモチーフにしているので、『ゆきむすめ』というロシアの昔話をモチーフにしている『雪娘のアリアナ』を選びました。装幀も豪華でイラストもたくさんあり美しい本です。2月に読みましたので、この物語の寒さが伝わってきました。今よりずっと寒さが厳しかった子どもの頃を思い出します。積もった雪が腰くらいまであり、長い氷柱が並び、寒くても外で遊び、防寒具もそれほどではなかったので顔も手も足も凍え、霜焼けになりました。毎晩、ターシャがアリアナと出かけるシーンは幻想的でわくわくしてきます。何枚も重ね着しても凍えてくるところが共感できます。全編通してターシャの心の軌跡がていねいに書かれていると思いました。『ゆきむすめ』の昔話に何種類かあることが分かりました。日本で知られている『ゆきむすめ』はたき火の炎を飛び越えて、煙になってしまします。もし、太陽を避け、木陰で小川の水に足を浸しながら夏を乗り越えたら、生き延びていたかもしれません。雪娘アリアナも「春」と入れ替わりに森でひっそりと生き延びていると思います。スノードロップの花が象徴的でした。

西山:私も今回の選書係で、『海のなかの観覧車』をまず読み合いたいテキストとしてあげました。並べる翻訳作品はモーパーゴの『発電所のねむるまち』(杉田七重訳 あかね書房)をすぐに思い浮かべたのですが、この読書会でとっくに取り上げていましたね。結果的に、原発だけに焦点化せずに読む可能性がうまれたかなと思います。どちらも、昔話に対して、ほかの終わり方がないのかと考える、他の可能性を求めている点が共通しています。カニ爪岩で何が起きたのか、なかなか語られず焦れたという感想が出ていましたが、冒頭でなぞを出して、それで引っ張るやり方が、日本の最近の作品でよく見る気がしていて、翻訳物でもそうなのかと、妙に新鮮に感じました。真相が語られるための時間に必然性を感じさせるものと、単に読者を焦らして引っ張っているとしか思えないものがあります。後者にはあまり好感が持てません。あと、牧歌的で昔話にオーバラップするような雪国の暮らしなのに、近年、冬の間の暮らしを支え合うためにいろいろ持ち寄って備蓄することも、お祭りも廃れてしまっている、そういう古来の共同体が失われてきている様子も、現代の日本のようで、妙におもしろかったです。

(2025年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2025年03月 テーマ:日常と地続きの不思議

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『2025年03月 テーマ:日常と地続きの不思議』
日付 2025年3月18日
参加者 ハリネズミ、雪割草、きなこみみ、エーデルワイス、すあま、サークルK
テーマ 日常と地続きの不思議

読んだ本:

『夏のサンタクロース〜フィンランドのおはなし集』 岩波少年文庫

原題:ANNI SWANIN SADUT by Anni Swan
アンニ・スヴァン/作 ルドルフ・コイヴ/絵 古市真由美/訳
岩波書店
2023.10

〈版元語録〉フィンランドの「童話の女王」アンニ・スヴァンの作品集。民話的なファンタジーと、現実の風景や暮らしを融合させた童話は、およそ百年前から人びとに親しまれてきました。春をむかえにいくお話、妖精や魔物の登場するお話、ドラマチックな愛のお語など、色とりどりの13編をえりすぐり、美しい挿絵とともに紹介します。
『さんごいろの雲』
やえがしなおこ/作 出口春菜/絵
講談社
2024.02

〈版元語録〉ある日の夕ぐれ、旅のわかいバイオリンひきは空にかかるきれいな雲を見て曲をかなでました。さんごいろの小さな雲はそのお礼にと、彼のバイオリンに魔法をかけます。表題作「さんごいろの雲」のほか、「すみれの指の魔法」「リルムラルム」など、美しい情景描写であなたを不思議の世界にいざなう7編の童話集です。

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さんごいろの雲

『さんごいろの雲』
やえがしなおこ/作 出口春菜/絵
講談社
2024.02

サークルK:表紙からして雰囲気があり、子どもだけでなく大人も手に取りやすい装丁だと感じました。リースになっている葉陰に物語に登場するのであろう動物たちや草花、昆虫、果物にセーターまで(!)などが描かれていて素敵です。
『リルムラルム』は詩の部分(p28)もあり、読み聞かせなどで読み手が節を付けて語ってくれたら、楽しいだろうなと思いました。中でも、心に残ったお話は『すみれの指の魔法』でした。安房直子さんの童話の世界観に似ていますが、それはとてもきれいな日本語が使われていることとも関係があるような気がします。会話の一言一言にていねいな心のこもった表現があり、心地よかったです。例えばp7「もしもしあなたさま」「こんな日ぐれにどこへむかっておられるのですか?」やp8「それはありがたい。今夜は、とまるあてもなかったんです。遠くへ行こうと、とつぜん家を出たもんですから」などのように、誰に対しても滑らかで肌触りの良いタオルを触っているような会話が特に良かったです。ドラマチックな展開がないわけではないのに、言葉にずかずかと入り込まれたり、心の中の波をかき立てられないとはこんなに気持ち良いものなのだなと感じました。

きなこみみ:とても美しい本で、この世界に遊びにいくような感じだなと思いながら読みました。挿絵と本文がとてもうまく組み合わされていて、たとえばp32の「リルム ラルム/あまい 野いちご/ひみつの いちご」という歌声のところに、野いちごの絵が描かれていたり、この世界にそっと遊びにいく雰囲気が作られているというか。日常から少し離れて浮かんだところにある、とっても美しい世界にいって、その景色をながめさせてもらう感じで、自分が小学校高学年ぐらいにこの本を読んだら、さぞかし楽しかっただろうなあと思いました。多分、いろんな物語の世界観、たとえば「セーターと雪ぐつ」だとグリム童話だろうなとか、「金の馬車とひばり」だと、ギリシャ神話だとかが下敷きになっていると思います。いろんな物語の世界観をちょっとずつ重ねて、自分の世界観を、ひとつひとつの言葉に気を付けて、紡ぎあげるような。詩に近い、はかなげな、おぼろげな世界が素敵だなあと。「リルムラルム」とか、独特の効果音や、小鳥がとても印象的に使われていて、小鳥が物語を呼んだり、「王さまと虹」だと、コマドリに惹かれていろんなところに迷い込む、と言うのは、たくさんそういう物語があって、コマドリが出てきた時点で、ああ、コマドリに王様は惹かれていくんだろうなとわかる、という仕掛けがあちこちにあって、物語を読み慣れた大人は、その仕掛けに誘われて次々物語の扉が開いていくし、子どもたちはうっとりとこの世界に浸って楽しむことができるんじゃないかなと思います。やえがしさんの世界観が出来ていて、ちょっとでも言葉選びとかまちがえると崩れてしまう世界なので、とても気を付けて作り上げられていて素敵でした。

エーデルワイス:作者のやえがしなおこさんは、岩手県出身、在住です。ずいぶん前に講演会でお話を伺ったことがあります。物静かな方で、書くことに真摯に向き合っている印象を受けました。日本語が本当に美しいです。グリムの昔話や、安房直子さんの作品を自分の独得世界に引き寄せている感じがします。「かつらの木と星の夜」は宮沢賢治の「土神ときつね」を思わせます。「金の馬車とひばり」は、カムイユカラ(神謡)のアイヌの伝承からきているような気がします。金の馬車ですから、ギリシャ神話かもしれませんが。子どもたちにこの世界を味わってほしいと思います。希望者がいたらですが、文庫で子どもたちに対面で朗読してあげたいです。

雪割草:美しい文章にうっとりしながら読みました。もう1冊の今回の課題図書のフィンランドのお話とはちがって、どこにもない場所、ふと日常からおとずれることのできるような非日常の世界に感じました。絵がお話ととっても合っていて、表紙のリースの奥には漆黒の魔法の世界が広がっていて、各章のとびらにも窓のようにその世界が描かれ、お話とともに読者を誘っているように感じました。今回の2冊を読んで、どのお話も語られるのを耳で聞いて楽しめるものでもあるのだろうと思いました。

ハリネズミ:岩手の作家ということですが、フィンランドの自然から生まれたアンニ・スヴァンの作品と比べると、少しマイルドですね。同じ岩手でも宮沢賢治にはもう少し厳しいものを感じるのですが。こういうお話は、下手をするとセンチメンタルになりかねないのですが、そうなっていないところに作家の力量を感じました。

すあま:安房直子さんの物語の世界を思い出させるような作品だと思いました。私は子ども時代のある時期、こんな雰囲気の本、ちょっと不思議な世界が描かれた物語が好きだったことを思い出しました。アンニ・スヴァンの本の後に読んだので、実際にある自然というよりも作者が作った風景、世界という印象が強かったです。作者の描く世界に入り込めるかどうかで好みが分かれるのかも。登場人物に大人が多いこともあって、大人の方が楽しんで読む本かもしれない、とも思いました。

ハリネズミ:スヴァンの作品は、もっとダイナミックな感じがしますが、やえがしさんはもう少し静かで、その世界に浸っているときの居心地のよさがあります。エーデルワイスさんは、やえがしさんの作品を他にも読んでいらっしゃいますか?

エーデルワイス:ほかの作品も読んでいます。やえがしなおこさんは、作品数は少ないのですが、佳作ばかりと思います。作品ごとに一生懸命言葉を選び、ひっそりと黙々と書いていらっしゃる感じがします。

きなこみみ:こういう世界にあこがれて創作する人は割と多いと思うのですが、雰囲気は感じても、世界観まで作ることができる人は、そうはいないと思います。自分の世界を作ることに心血を注いでおられるのでしょう。「金の馬車とひばり」とアイヌの物語との関連性には気づきませんでした。教えていただけて良かった。

エーデルワイス:アイヌの伝承にひばりがでてくるお話があります。それと、「リルムラルム」の言葉の響きに、『夏のサンタクロース』のp80ひな鳥の鳴き声「ティリリー、ティリリー」と同じような印象を受けました。

きなこみみ:自然をどういう風に捉えるかの捉え方は違うけれども、この2つの作品に大きな比重を占めているという点は共通していますね。

ハリネズミ:どちらも自然との親和性の中から生まれてきた物語集なのではないかと感じますが、両者を比べると、国民性の違いもあって、やはり違いますね。

きなこみみ:『夏のサンタクロース』は、地底の奥の奥まで凍り付いてる感じがします。

ハリネズミ:この本はJBBYの「おすすめ!日本の子どもの本」に選ばれているのですが、毎年出しているこのJBBYのおすすめ本ガイドブックも、予算が削られて、掲載できる冊数が減らされているんです。

きなこみみ:紙の値段もものすごく上がってて。でも、子どもへの活動が、いろんなお金の面で制限されてしまうって、これから少子化で子どもも減ってしまうのに、その子どもたちにお金も手間もかけないでどうするんだろうと思うんですけど。

ハリネズミ:芥川賞を受賞した『ハンチバック』(市川沙央著 文藝春秋)にもあったように、紙の本では読めないという方もいます。それで、紙とデジタルと両方で出せばいいという話にもなるわけですが、両方出すと紙の本の部数は必然的に少なくなり、紙の本は部数が少ないと定価があがってしまうんですよね。実際に今は本の定価がぐんと高くなってしますよね。

きなこみみ:この『さんごいろの雲』もそうですけど、電子媒体になっちゃうと、全く違ってしまうような気がします。扉を開いて本の世界に入っていく、体の感覚として大事なことだと思うんですけど。「子どもと読書」(親子読書地域文庫全国連絡会)の2024年度の調査でも、翻訳作品が減ってるんです。国内作品よりもコストがかかるのもあるかもしれないんですけど、今、外国の作品を読むのはとても大切じゃないかと思うんで、図書館がせっせと買い支えるとかしてほしいなと。予算の締め付けが厳しいところも多いでしょうが…。いろんな価値観や新しい目を広げるのも大切で、この『夏のサンタクロース』にしても、フィンランドという馴染みのあまりない国の物語を読むのってとっても貴重な体験だと思います。

ハリネズミ:子どもたちが文化の多様性とか、多様な価値観などを知るのはとても大事なことだと思うのですが、儲かる儲からないを基準にして世界を短絡的にとらえるトランプのような政治家が一方にはいるので、トランプ的なるものと闘う必要もありますよね。

きなこみみ:このあいだから『絵本戦争 禁書されるアメリカの未来』(堂本かおる著 太田出版)という本を読んでいます。アメリカで広がっている図書館での禁書運動をとりあげた本です。NHKのBS世界のドキュメンタリー「ねらわれた図書館 アメリカ“分断の最前線”」でもやっていたのですが、LGBTQなどのダイバーシティ──多様性ですね──を扱った本を置くことが攻撃されていて、司書さんたちもずいぶん苦労されているというのを見て、びっくりしました。言論とか多様性を弾圧する方向にアメリカが走っているのが、とても恐ろしくて。

ハリネズミ:アメリカではずいぶん前から州や地域によって、公共図書館や学校図書館においてはいけないとされる本がありました。それが今も続いているのだと思いますが、トランプみたいな政治家が出てくると、いっそうその傾向が強まる可能性もあるのかもしれません。

きなこみみ:トランプの4年間の間に、どうなっちゃうのかとても不安で心配です。

ハリネズミ:私などから見るとトランプはとんでもない人物のように見えますが、恐ろしいのはアメリカ人の多くがまだ支持しているように見えることです。これだけ振れ幅が大きいと、トランプが辞めてからも押し返すことができるのかどうか、心配になります。

すあま:以前読書会でも取り上げた『貸出禁止の本をすくえ!』(アラン・グラッツ著 ないとうふみこ訳 ほるぷ出版)を思い出しました。

ハリネズミ:PTAの会長が、子どもの道徳観をそこなうような本を図書館から排除しようとするけれど、子どもたちがそれに抗議行動を起こすという物語でしたね。日本でも他人ごとではありませんが、トランプ的なるものが幅を利かせるようになると、時代が逆戻りしていくように思います。

きなこみみ:まるで第二次世界大戦前のようですね。だから、余計に、このアンニ・スヴァンのような物語を読んでほしいです。お説教くさくないけど、大切なことが書かれてます。AIのことばっかり覚えさせるんじゃなくて。

ハリネズミ:私も紙の本のほうが内容を深く感じ取れるように思っています。だからAIでノウハウを教えることばかりでなく、心の中に芽を出すような作品にも触れてほしいと強く思います。それと同時に、声の文化をどう活かしていくのか、という視点も大事ですね。

きなこみみ:この間、ホラー映画好きな友達と言ってたんですが、昔ほど映像のものが怖くなくなっちゃってるなって。AIでなんでも作れちゃうし、昔私たちが心霊写真を見て感じたような怖さって、あんまりなくて。怖い映像なんて、AIに作ってっていえば、なんでも作れちゃうんで。そう思うと、文字で書かれた怖い話って、自分の頭の中でどんどん膨らんじゃうんで、そのほうが怖いんじゃないの、っていう話をしてました。物語の力って、AIとかと次元が違うのものなんじゃないかなって思うんです。言葉とか耳で聞く物語のほうが、イマジネーションが膨らむんじゃないかなって。

雪割草:AIの話で思い出したのですが、『ひとのなみだ』(内田麟太郎文 nakaban絵 童心社)でロボットを戦場に送り、戦地で人を殺す映像を自分の家の居間で他人事のように眺めている場面があって、あまりにリアルな感じがしてゾッとしました。なんでも便利で簡単にできるし見てわかったような気になっている社会ですが、実体験が希薄になっていることに危機感を覚えます。人間も生きものだから、そういう肉体的な感覚や経験なく、大事なものを見失ってしまってはならないと思います。

(2025年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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夏のサンタクロース〜フィンランドのおはなし集

『夏のサンタクロース〜フィンランドのおはなし集』 岩波少年文庫

アンニ・スヴァン/作 ルドルフ・コイヴ/絵 古市真由美/訳
岩波書店
2023.10

雪割草:おもしろかったです。言葉が美しく、語りもたくみで引き込まれました。一方で、全体に自然の掟の厳しさが描かれています。たとえば、「波のひみつ」というお話では、水の王が掟を破ったからと娘を容赦なく追放します。あと、思い出したのは、河合隼雄著『物語とふしぎ』(岩波書店)で、子どもがお母さんに、なんでセミは鳴いてばかりいるのかたずねて、結局、子どもが自分で「お母さん、お母さんと言って、せみが呼んでいるんだね」(p6)とこたえて納得するエピソードです。河合氏は、「『そのときに、その人にとって納得がいく』答は、物語になるのではないだろうか」(p7)といいます。この本のお話は、そんな「物語」として私のなかに入ってきました。物語の生まれるところに立ち合えたような気持ちになり、またひとつ、私の世界が豊かになりました。この作品をいま、紹介してくださった訳者に感謝したく思います。また、あとがきに書かれているように、「生きてゆくことの真実をまっすぐに見つめるまなざし」(p265)が感じられ、主人公たちが自分で決めて幸せも不幸も引き受けていく姿が、心に残りました。原書のタイトルはアンニ・スヴァンのお話集などのようですが、日本語はだいぶちがうので、どんなふうに決めたのか知りたいと思いました。

ハリネズミ:アンニ・スヴァンという作家を日本の子どもは知らないので、子どもの目と心をもっと引き付けるタイトルにしたいと思ったんじゃないでしょうか。

エーデルワイス:昔話の形式の創作が、作者独得の世界観をもっていて、おもしろく読みました。絵も素敵です。p19の挿絵ですが、背負っている籠からから鏡がでてきますが、この籠を実際に見てみたいと思いました。p159に1889年春フィンランドを支配して帝国ロシアが、フィンランドをロシア化しようと厳しい施策をとり始めたとありました。この時代背景を知って読む「春をむかえにいった3人の子どもたち」は趣が全く違います。フィンランドにおける公用語フィンランド語とスウエーデン語の事情もわかり、今まで知らないことばかりだったと思いました。この短編集から何か選んでストーリーテリングをしてみたいと思いました。

きなこみみ:短編集なのですが、ひとつひとつの話の味が濃くて内容が深くて、歴史的なものといいますか、神話とか、その土地に根付いている物語のエッセンスだとか、いろんなものが深く織り込まれていて、物語の厚みを感じました。深読みすればどこまでも深く読めそうな気がします。焚火のそばで、古老がひとつひとつを語ってくれているような、そういう雰囲気もあって、はじめて読んだのですが素敵でした。ひとつひとつの物語の根底に流れている価値観ていうのか、子どもにこれを語り伝えたいんだという確固たる姿勢を感じました。例えばひとつめの「お話のかご」だと、3人息子がいて、それぞれに成功するんだけれど、世間的な成功よりも、お話がたくさん生まれて、それを皆で楽しむところに喝采が送られていたり、「山のペイッコと牛飼いのむすめ」では、牛飼いの娘に山のペイッコが言い寄って、宝石やドレスという物質的なものを差し出しても、自分は自由に駆けまわったり、牛の世話をしたりするほうがずっと幸せなの、という自分の価値観をつらぬいたり。世代を超えて子どもたちにこれを伝えたいんだよ、っていう作者の声が作品の中から聞こえてくるようで、共感しました。後書きで、「春をむかえにいった三人の子どもたち」の背景には、ロシアの占領下にあったフィンランドのことがあると読んだのですが、それもまた、今の時代ともとても重なりますね。子どもたちに戦争のことを直接的に伝えるのは、子どもたちには辛かったり、荷が重かったりすると思うんですけど、その時にはすぐ気が付かなくても、心の中に撒いてずっと育っていく種のようなものがこの作品からも感じられて、今の時代だからこの作品を訳したかったという古市さんの気持ちもわかるような気がしました。挿絵もおもしろくて、p156の春の女神が、私のイメージしていた「春の女神」とは違っていて。女神というと、ふわあんとした、ボッティチェリのプリマヴェーラのようなイメージだったんですけど、この挿絵の女神はとてもたくましくて、大きな翼を持っていて、子どもたちをぎゅっと腕に抱きかかえていて、この物語にふさわしいと思いました。何度も読みたい作品集でした。

サークルK:初めてこの短編集を読みましたがとても楽しかったです。登場する精霊にも良い霊と悪い霊がいましたが、悪い霊でもペイッコやヒーシといった名前がかわいらしくて、どこか憎めないところもおもしろかったです。子どもたちにも名前がなじみやすいし、「悪い子のところにはペイッコが来ちゃうぞ」なんて言われて、フィンランドの子どもは育つのでしょうね。そんなペイッコの誘惑を頑としてはねつける牛飼いの娘は頼もしかったですし(『山のペイッコと牛飼いのむすめ』)、誘惑に負けて波の秘密を話してしまうメリヘルミ(『波の秘密』)が父王から罰を受ける厳しいエンディングもあり、土台となっている昔話の豊かさを感じました。
「お話のかご』は聖書の放蕩息子のエピソードを彷彿させられましたが、何と言っても心に残ったのは『少女と死の影』です。タイトルにまともに「死」の文字が現れていることで、読み始める前からドキドキしますし、病気の母親を置いて、鏡の前でドレスに着替えながらダンスに出かける誘惑に負ける様子は『白雪姫』の鏡の前の呪文や『赤い靴』の靴を脱げなくなって踊り続けなければならなくなる女の子が思い出されました。p233の挿絵には恐ろしい死神に立ち向かう様子が描かれ、p235の挿絵ではお母さんの今にも消えそうな小さな命を「わたしが守るのだ」という強い意志を感じ、決してこの女の子がわがまま勝手なだけのむすめではないことが表現されていて、短いながらも深い展開に感じ入りました。

ハリネズミ:創作ですが、昔話を土台にしていて、子どもたちに伝えたいことが寓話的に入っていますね。自然の厳しさと、楽しさの両方が伝わってきます。冬が厳しいので、春になると浮き立つようなうれしい気持ちになったりね。『少女と師の影』はおもしろいですね。北国だからかもしれませんが、精霊やもののけには冷たい心しかなく、人間にだけあたたかい心があるという設定も興味深かったです。

すあま:アンニ・スヴァンの作品を、久しぶりに読むことができて良かったです。フィンランドの自然と昔話を元にした創作物語で、非常に楽しく読みました。楽しい話、悲しい話、怖い話、冒険ものなどを選んで編纂してあるので、子どもが読めば好きな話が見つかるのではないかな。アンデルセンの作品のように、様々な感情が描かれているので、共感しながら読めるのではないでしょうか。フィンランドの自然を描写しているため、リアリティがあって、作品の世界に入り込めました。「春をむかえにいった三人の子どもたち」のように、フィンランドの当時の情勢が背景にあるような話もあり、大人も子供も楽しめるし、短編集なので読みやすく、薦めやすいと思います。私はこの中では「お話のかご」と「夏のサンタクロース」が好きです。

(2025年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2025年02月 テーマ:大切な友だち

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『2025年02月 テーマ:大切な友だち』
日付 2025年02月18日(オンライン)
参加者 ANNE、ハリネズミ、ヤマガラ、雪割草、エーデルワイス、ハル、オカピ、きなこみみ、マリメッコ、さららん、花散里、西山
テーマ 大切な友だち

読んだ本:

走る汽車のそばをコクマルガラスが飛んでいる
『森に帰らなかったカラス』
原題:JACKO by Jeanne Willis, 2023
ジーン・ウィリス/作 山﨑美紀/訳
徳間書店
2024.10

〈版元語録〉1957年、ロンドン郊外の町。少年ミックはケガをしたカラスのひなを助けた。ひなはミックになつき、やがて地域の人気者になるが…。のちにロンドン動物園の主任飼育員となった少年の、実話にもとづく心あたたまる物語。
イスに座ってスクリーンを見ている女の子
『オンライン・フレンズ@さくら』
神戸遥真/著 カシワイ/画
講談社
2024.08

〈版元語録〉コンプレックスから学校にあまりなじめていない中1のさくらは、SNSで同じマンガが好きな中2の男子・ユナと親しくなり、本当の自分を隠してビデオ通話をすることに…。オンラインで生まれた2人の友情を描く、@さくら編。

(さらに…)

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オンライン・フレンズ@さくら

イスに座ってスクリーンを見ている女の子
『オンライン・フレンズ@さくら』
神戸遥真/著 カシワイ/画
講談社
2024.08

オカピ:性別や顔のあざが、オンラインだとわからないというのは、なるほどと思いました。一つの物語を二人の視点から、2冊に分けて描いているのが新しいですね。それで本が売りにくいということはあるのでしょうか。

きなこみみ:神戸さんの物語は読みやすくて、かつ繊細で面白くて、基本いつも一気読みしてしまいます。この物語もSNSという、今や子どもたちの暮らしの大きな部分を占めているものをテーマにしていて興味深く読みました。日常で繋がっていない、SNSの付き合いだからかえって心を開きやすいというのは、功罪ありながらも真実で、私もSNS繋がりの友だちがやはり、います。だからこそ、SNSならではの怖い面もあるのですが、神戸さんはそのあたりの事情や付き合い方などもうまく紹介しながら、人の視線が気になるさくらの気持ちを、とてもうまく描き出しているなあと思って読みました。顔にあざがあることを気にするなと言われても、それはどんな年齢でも性別関係なくいろんな感情が胸のなかで渦を巻いてしまう。だから誰もが共感できるし、見た目がいちばん気になる思春期の子どもたちの気持ちにも刺さる物語だなと思いました。
読みどころは、さくらとお母さんの確執で、これもまた思春期の永遠のテーマですが、柔らかい心の描き方が神戸さんはとてもうまくて、私のなかの少女の心がチクチクします。SNSという新しい波に翻弄されてはいても、やっぱり人間の心というのは変わらなくて。でも、そう思いながらも、SNSというものをもうちょっとよく知りたい、若い人たちがどんな風に使っているのか、情報源や人付き合いのツールとしての機能が、どんどん変わっていくんだろうなと思うと、やはりむずむずしてしまう気持ちです。

さららん:ネットの友達と現実の友達は違うのか、という素朴な問いかけが物語の底にずっと流れていて、それはSNSを使いながら普通に暮らす今の子どもたちみんなが直面する切実なテーマです。主人公のそんな悩みに答えるp139~p140の麻実ちゃんの言葉を読んで、ホッとする読者も多いでしょうね。またお母さんがちょっと未成熟な感じがして……現実のお母さんっぽいのかも。お化粧であざを隠してチャットしていた娘に対して、「みっともない顔をして」(p144)とつい言ってしまう。自分で自分を納得させている論理を娘に押し付ける母親像にぞっとする一方で、「でも、ああ、子どもの気持ちに鈍感な点では私も同罪かも」と思わされました。そして、未來(みく)のお姉ちゃんがとてもいい人で、お母さんの気持ちを代弁してフォローしてくれます。ちょっと、お姉ちゃんが便利に使われている感じはしますが、そして登場人物の造型は『家に帰らなかったカラス』(ジーン・ウィリス作 山﨑美紀訳 徳間書店)に比べると軽いスケッチのようですが、今の日本で生きる子どもたちにとって役立つ知識も入った、身近で、必要とされる物語なのだと思います。新しい機器による、新しい認識の形に切り込み、たとえ画面を通してでも、「――ちゃんとここで、つながってる。」(p189)ことの大切さが、自然に感じられました。

ハル:いまの時代、ネットで出会う=悪! 詐欺! の一辺倒ではいかないでしょうし、リアルな世界以外はすべて虚構だとは言えないだろうと思っていたところで、この物語をとおして、子世代の事情に思いを馳せることができました。通話中にお母さんが入ってきた場面なんて、私もむかっときましたし(笑)。ただ読者に寄り添って「親ってわからずや」だけではもちろん終わらせず、そこで立ち止まり、踏み込んで考えて、一歩前進する姿も見せてくれるところがいいなあと思いました。ぜひこの世代の読者にすすめたい本です。ただ、展開としては、ユナが男の子なんだろうなというのは早い段階から予想ができてしまったこともありますが、いくら性別は関係ないといっても、性別や年齢などの基本情報に誤解があったとなると、ほんのりトラブルの気配も漂ってくるので、ユナ側の秘密は基本情報とは別のところにあったほうがよかったかもなぁとも思いました。そのあたりは「@ユナ」で解消されるのかもしれませんし、ぜひユナ編も読みたいです。

エーデルワイス:『オンライン・フレンズ@さくら』『オンライン・フレンズ@ユナ』どちらも読みました。『〜@さくら』の方から読みましたが、ユナが男の子だということは全く分かりませんでしたので、終盤で「えー!」と驚きました。2冊対になっているところが面白いです。同じ場面を読み返して確かめたりしました。現在の子どもたちはSNSを使いこなしてすごいと思います。私は全くダメです。SNSを使うことについての注意事項もうまく散りばめられて感心しました。さくら=未來がユナに会いに行く時、父親についてきてもらうところもいいです。SNSで自分の歌声や、描いた絵をアップする。子どもたちは可能性をたくさん秘めていると思いました。そしてやはり直に会って、自分の言葉で話し合わなければお互い理解できない、としているところに好感をもちました。ユナと母親の関係を考えたとき、テレビドラマ「バニラな毎日」の中のある場面を思い出しました。母親は愛情深く、障がい者の娘を心配して過剰に構い過ぎる。娘は母親のことを愛しているのですが、鬱陶しく思い自立を目指している。そこの解決場面がとても爽やかでした。観ていない方ごめんなさい。

雪割草:読者の年ごろの感覚で書けていて、すごいと思いました。また、オンラインのいろいろを問題を含めてわかりやすく書いていて、感心しました。ただ、こういう作品は息苦しくなるというか、あまり得意ではありません。「さくらはさくらでしょう」(p175)とあっても、10代なら違ったかもしれませんが、そうかなと思ってしまう。実際にあまり使わない台詞だからか、話に引き込まれていないせいか、少し浮いて感じられました。「ちゃんとここでつながっている」(p185)にも私はそうかなと思ってしまう。今の子どもの感覚に疎いところはあるので、ユナの視点で書かれた作品も読んで、勉強したいと思います。

ヤマガラ:ユナが主人公の本を借りられず、読んでいないので、中途半端な感想になると思いますが、お許しください。これは、ぜひとも両方買わせようという販売戦略なのでしょうか? 主人公の気持ちはとてもていねいに描かれているし、読者の子どもたちにとって身近な問題なので、夢中になって読むのではと思いました。「オンライン・フレンズ」の怖さというか注意すべき点もていねいに書かれていて、良かったと思います。でも、とても狭い世界の噂話のような感じで……。ムーシカ文庫という文庫活動をやっていた作家のいぬいとみこさんが、小学校5,6年になると、身近なことばかりを書いた作品に夢中になる子が出てきて、そういう子は文庫から離れていき、読書自体をしなくなるけれど、ファンタジーとか物語世界に厚さと広がりのある本を読む子は、ずっと本とつながっていくと話していたのを思いだしました。あと、ゴミが落ちているのを知りながら拾わない子より、落ちているのを気づかないほうが悪いというようなたとえが出てきますが、どういうことなのか、私にはピンとこなかった。どなたか、教えてください!

ハリネズミ:『〜@さくら』のほうだけ読み終わって、私は何か物足りない気持ちでした。それで、『〜@ユナ』のほうも読んでみたら、細かいところがうまく複合的に重なって見えてきて、おもしろい作品だなあと思いました。神戸さんの作品は『ぼくのまつり縫い』シリーズ(偕成社)と『笹森くんのスカート』(講談社)しか読んでないんですが、エンタメの中に社会的な視点もうまく取り入れることのできる作家さんだなあと思っていました。今回は人と人とのつながりが、リアルとSNSとの両面から書かれていて、興味深かったです。今の時代、子どもたちはもうSNSと無縁の暮らしはできなくなっている。ならば、いいところも危ないところもエンタメの中で伝えていこうというのは、作家さんの親心かもしれません。そして、両方をうまく使うことによって、人間関係が深まるのを見せていくんですね。オンラインで友だちになることの危うさについての忠告もいっぱい入っています。もしかすると、SNSについてのアドバイスがたくさん書いてある実用書より、こっちのほうが子どもの心に届くかもしれません。

ANNE:まず表紙のカシワイさんのイラストがとても好きです。正面を向いている女の子の頬に桜の花びら。物語を読み進めると、その意味が繋がって「なるほど~!」と思いました。お互いに秘密を抱えた二人の中学生の友情が、現代のSNSや押し活といった子どもたちになじみ深い背景と共に爽やかに描かれていて、さらさらと読むことができました。セットで発表されたもう1冊『オンライン・フレンズ@ユナ』を合わせて読むと、同じ場面でお互いがどう感じていたかが理解できて、また楽しいと思います。

西山:『オンライン・フレンズ@ユナ』の方を先に読みました。そのせいか、『オンライン・フレンズ@さくら』の方がより面白く読めたのですが、これは、逆もまたしかりなのか、これから「ユナ」を読む方の感想が気になります。「さくら」の方をテキストにした理由に「ルッキズム」の問題が出ていることもあると聞きました。両方読んで、「オンライン・フレンズ」というテーマとしては「さくら」の方がよりテーマに合っていると、選書に納得です。人は見た目じゃないといいながら、初対面の人はぱっとアザを見る、その視線を受け続けているさくらを主人公にして、うまく設定と題材がマッチしていたと思います。ゴミのたとえは、説明しろと言われたら説明できるほどピンときていないかもしれませんが、どきんとしたのは確かです。問題に気づかない、ある存在がまったく目に入らない人への厳しい批判として受け止めました。2巻に共通するラストは、おとな世代はどうしても「実際に会った友達じゃないとね」という感覚をもってしまうように思うのですが、作者は、オンラインの友だちを否定しない、そういう出会いを肯定する姿勢であるということをはっきり表明しているラストだと理解します。

マリメッコ:さくらの視点の本と、ユナの視点の本、1冊に前編後編でまとめることもできそうですが、それを2冊に分けたところが、この作品の特徴ですね。逆の視点から読む楽しさを読者は味わえると思います。『オンライン・フレンズ@さくら』では、単純性血管腫の主人公が、オンラインで知り合ったユナに相談しながら、少しずつ現実世界で友人を作って視野を広げていきます。メイクをやってエフェクト機能を使って、というあたり、今っぽさがありますね。お母さんの存在がけっこうリアルだと思いました。最初は、あざをどうにかできないか必死に調べたりして、でも難しいとわかると、今のままのさくらでいい、と未來本人にも押し付けてくるあたりです。迷惑な行動ですが、お母さんの気持ちも伝わってきました。p186「リスペクトって、多分、すごく一方的なのだ。自分のなかにある理想を押しつけすぎると、その人自身が見えなくなる」は、いい言葉だなと思いました。女の子の一人称で甘めな文章ですが、これはもう1冊の『オンライン・フレンズ@ユナ』と違いをはっきりさせるためかと思います。ユナの方は、落ち着いた堅めの文章になってます。ユナは、男の子です。合唱部に入っていることもあって、声変わりに対してとても抵抗があります。友達だと思っていた子に告白されたのがトラウマになっていて、女子に近づきづらく、だからさくらとの会話に安らぎを見出しています。最後は、さくらと直接会う場面があって、サボり気味だった合唱部をやっぱり頑張ろう、と決意します。どちらの巻から読んでも、もう一つの巻につながっている面白さを中学生は感じるのではないかなと思いました。

(2025年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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森に帰らなかったカラス

走る汽車のそばをコクマルガラスが飛んでいる
『森に帰らなかったカラス』
ジーン・ウィリス/作 山﨑美紀/訳
徳間書店
2024.10

ANNE:動物好きの少年と野生のカラスとの心温まる交流の物語かなぁと読み始めたのですが、ハッピーエンドではない結末に少し驚きました。もちろん、新しい出会いは描かれているのですが。1950年代のイギリス、ロンドン郊外の町が舞台です。戦後の混乱が収まらない中、主人公の少年も含めて、子どもたちは現代では考えられないような日常生活を送っています。当時の社会情勢や町の雰囲気がなかなか想像できず、万引きや暴力行為が普通に描写されているところが気になりましたが、戦時中捕虜になった経験を持つ父親と少年の心がカラスの保護を通じて通い合うところが心に響きました。あまりいい印象を持たれていない日本のカラスをイメージしながら読んでしまったのですが、あとがきに付けられたニシコクマルガラスの写真はとても可愛かったので、おはなしの冒頭にこの写真があったら良かったかと思います。

ハリネズミ:再読しました。ミックがお父さんが英雄なのかどうなのか、とてもこだわっていて、そのストーリーと、コクマルガラスのジャックをめぐるストーリーが、あまりしっくり噛み合わないような気が最初はしていました。もちろんジャックが死の危険があっても自由に飛べるほうがいいのか、という点と、ナチスの捕虜になっても生き延びるほうがいいのか、ということがかかわっているのはわかったのですが。2度目に読むと、ミックはお父さんから話を聞いて、生きるというのは、そんなに単純なことではないのだということがわかってきたのだと思いました。ジャックの話のほうは、糞騒ぎ、誘拐騒ぎ、列車で遠くまで旅する騒ぎ、行方不明騒ぎなど波乱万丈で、ドキドキしながらとてもおもしろく読めました。人の命も動物の命も軽んじられていた戦争がようやく終わって、怪我をして放って置くと死んでしまうジャックをミックが助け、その気持を地域のみんなも知って応援したりおもしろがったりするところがひしひしと伝わってきて、いいですね。そして作品のモデルになった実話だと、ミックは動物園の飼育係になるのですよね。

ヤマガラ:率直な感想をいわせてもらうと、今回の課題書2冊を読んで、『森に帰らなかったカラス』の文学としての圧倒的な厚さと『オンライン・フレンズ@さくら』の圧倒的な薄さにショックを受けました。『森に帰らなかったカラス』のほうは、大戦直後の市井の人々の暮らしが生き生きと描かれていて、主な登場人物だけでなく、パブに来る足の悪い男の人とか、掃除をする人までくっきりと目に浮かぶように書きこんであり、作者に導かれて物語の世界に入っていけました。作者がカラスの飛翔と、主人公ミックのお父さんの戦闘機の話が結びついたときにストーリーが始まったと後書きに書いていますが、その二つがスパークして物語が生まれたというところに、単なる動物物語に終わらせなかった作者の力量を感じました。子どもたちが悪さをしたり、タバコを吸ったりするところに違和感があるというご意見がありましたが、日本での戦後すぐの浮浪児や戦災孤児が身近にいて、大人たちの悔恨と懺悔と憐れみが入り混じった子どもたちへの視線を覚えている身としては、不自然には感じませんでした。主人公がお父さんが捕虜になったかもしれないことを屈辱と思っているところも、戦時下の子どもたちが抱く、ごく自然な感情なのでは? ジャックの最後は悲しいけれど、この場面がないと、ほのぼのした話で終わってしまう。p226の文章、美しいですね。無限の宇宙を飛びまわっているジャックを想像することによって、ミックが慰められ、立ち直っていく姿を見事に描いていて、感動しました。

雪割草:動物との交流を描いた作品が好きなので、おもしろく読みました。ジャックをとりまくあたたかい人たちがいいなと思いました。サンプソンさんなんかはありありと思い描くことができて、サンプソンさんならこうしてくれるだろうなと想像もできるくらい、よく描きこまれていると思いました。ただ、ひとつだけ納得がいかず、もやっとした読後感がありました。それは、ジャックは小さなパイロットだった、大好きなことをして死んだのがせめてもの救いだと表現されるジャックの死と、第二次大戦中に戦死したパイロットの死が重ねるようにして語られていることです。戦死したパイロットは犠牲者なので、ジャックとは全然違うと思います。同類だとまではいっていませんが、文脈上、読んでいると重ねてしまうと思います。上手だなと思ったのは、木箱の使い方です。お父さんが戦争の思い出の品を入れていた木箱は、ジャックの飛行練習のときにミックたちが見つけます。ジャックが自由に飛びまわることができるようになると、お父さんが封印していた戦争の記憶も少しずつ紐解かれていきます。そして、ジャックの死によりその記憶がお父さんからミックに共有され、空になった木箱にジャックの亡骸を入れて埋葬します。最後に、蚕好きとしては、パラシュートが絹でできていたとは知らなかったので興味深かったです。

エーデルワイス:主人公が動物好きで自然に親しんでいることが伝わってきます。ニシコクマルガラスのジャックばかりでなく、さまざまな動物植物の生態が描かれています。両親も愛情深く見守り、パブに集まる人々、町の人たちがみなジャックを好きだという実話に驚きです。写真で見ましたがニシコクマルガラス可愛いですね。日本のハシブトガラスを好きにはなれません。身近で数々のイヤなエピソードがあるからです。賢いですから悪さもたくさんします。私も絹でパラシュートを作っていたことを初めて知りました。ジャックが巣の中に隠していたお父さんの記念のキャタビラーバッジを見つけて、お父さんの戦争体験の話となる件が見事です。原作では「ジャッコ」という名前だったのが、馴染みがないからと日本語訳では「ジャック」になったそうですが、「ジャッコ」のままでもよかったと思うのですが、何かあるのでしょうか?

ハリネズミ:私も同じ意見です。ジャッコのままでいいのに、と思いました。

ハル:この少年は、のちに動物園の飼育員さんになるんだなと思いながら、楽しく読みました。時代感としては映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たちに近いですかね。ギャングとか、モラルとか、お父さんが戦争でヒーローだったことを自慢するところとか。でも、時代感の違いや登場人物の多さ(ときどき、誰が誰だかわからなくなるので、登場人物ももう少し整理できそうだなと思いながら)から、ちょっと読みづらさはありました。戦争が残した傷やお父さんの秘密と、カラスを育てることとは、うまく絡んでいるようで絡んでいないというか、私はちょっとどっちつかずになったような印象もありました。

オカピ:拾った鳥を育てる主人公の物語はよくありますが、この作品には、実話に基づく強さがあります。さらに、戦争が残したものとどう折り合いをつけるかというテーマが入ってくるのが、ほかの物語とくらべて新鮮でした。

きなこみみ:カラスのジャックとミック少年の日々が魅力的で、昨年読んだときは動物好きのミックの心情にシンクロしながら読んだんですけど、2回目に読んだ今は特に、ミックの周りの大人たちから立ちのぼる戦争の気配がとても興味深い作品だなと感じました。ミックの父はランカスター爆撃機で33回出撃した空軍の飛行軍曹なんですけど、戦争の話をミックには全くしなくて、ミックはそのことがずっと心にひっかかってもやっとしていて、その謎がこの物語の通奏低音になっていると思います。子どもらしく、自分のお父さんのことを英雄だと思いたいからなんですね。爆撃機というと、私はロバート・ウェストールの『ブラッカムの爆撃機』(宮崎駿 編 金原瑞人 訳 岩波書店)をどうしても思い出してしまうんですが、まず33回出撃して命があったというのは、奇跡に近いようなことだったのではないかと思います。あまりにも致死率が高いので、米英空軍の爆撃機の乗組員は30回出撃すれば前線から引き揚げることができたらしいのです。しかし、乗組員の3分の2は30回の出撃を生きて終えることは出来なかったというのを読んだことがあります。当時の爆撃機は、この本にもあるようにあっという間に炎上する危険なもので、あまりにもたくさんの若者たちが死んでいったんです。帰ってきた者たちも、体や心に深い傷を負ってしまったと思います。小さなカラスのジャックを、帰還兵が集まるミックの父の店の人たちや大人たちが可愛がったのは、そんな痛みが背景にあるのだろうなと思ったんですね。
ジャックが事故で死んでしまったとき、駅長のサンプソンさん、私はこのサンプソンさんがとても好きですが「またひとつ、大事な命が失われてしまった……」(p245)って言うんです。サンプソンさんは奥さんを亡くしているんで、そのこともあるのでしょうけれども、ジャックの死に、奥さんの死だけではなく、いろんな思いが重ねられているんだろうなと思いました。イギリスは戦勝国なんだけども、華々しい英雄譚ではない、影の部分をみんなトラウマとして抱えていたんじゃないでしょうか。ジャックの、国旗に包まれた立派な弔いは、まるで若い兵士を悼むようだなと思ったんです。でも、ジャックの死の痛みを共有することで、お父さんはミックに戦争の経験を話すことができて、自分の感情も解き放つことができた。
日本でも戦争の話を日本に帰ってから家族に語った人は、あまりいなかったんです。でも、そのトラウマは大きく深く日本の社会に刻まれているのではということが最近クローズアップされていますが、そう思うと、ジャックという、動物ならではの無垢な存在というか、人間が介在したことで、命永らえて、でも、人慣れしてしまったから、列車の事故で早く死んでしまった存在の不条理というか、だからこその愛しさや悲しみがもっと深くなるようでした。動物と暮らしている私には、ジャックがいなくなったり、アクシデントに巻き込まれたりするたびに、胸が千切れるほど心配するミックの気持ちがわかりすぎて、読むのに時間がかかってしまいましたが、よい本でした。

マリメッコ:この物語は実話をもとにしていて、それが強いな!と思いました。フィクションで、カラスがこんな死に方をしたら、作者に八つ当たりしたくなりそうですが(笑)実話ならしょうがないですね。動物との触れ合いがいきいきと描かれているのはもちろん、大人の人間たちとの交流も、素敵だと思いました。両親がやっているパブに現れる常連たちや、なんでも無理難題を聞いてくれるすごい包容力のサンプソンさんや、ツンデレのハーベイさんなど、それぞれキャラが立っています。カモ猟に連れて行ったブライアンなど、悪い大人もいて、いい人たちばかりじゃないのもポイントです。主人公のミックが、そんな大人に見守られて、同年代の友情もあって、健やかに育っていく様子がわかるので、読んでいてノスタルジーを感じるというか、惹き込まれました。お父さんのことをヒーローだと思いたいけれど、戦争捕虜になった事実を知ります。それは名誉なことではないと感じますが、最後にお父さんが生き延びた瞬間の凄まじい状況を知り、戦争とはヒーローの物語ではないのだと悟ります。少しずつ大人に近づいていくミックを感じました。

さららん:読み始めたときは文章に戸惑い、なかなかカラスが出てこないので、読み通せるかと思ったけれど、物語の世界に入ったらどんどんページが進みました。脇役にはブライアンのようなワルや、少年院に入ったという兄弟も出てくるし、そもそも主人公のミックが肉屋から白ウサギを助けだす(逃がす?盗む?)ところからお話が始まります。ジャックの親友のケンも最高にいいやつなのに、タバコをくすねたりするし、ミックの父さんの経営する店には、ガスのような少し障碍のある人物もやってきます。けれども、人と人とが分断されがちな今の世の中とちがって、戦争の傷跡が残るこの時代のイギリスには、ちゃんとコミュニティがあるのですね。ジャックの存在を核にして、それがいっそう生き生きとしてくる。大人も子どもも生きることに精一杯ななか、いい子悪い子を峻別せず、障碍もおおらかに受け入れる人たちだからこそ、カラスのジャックも等しく仲間として受け入れている。その背景には、戦争で死んだ人たちへの贖罪の意識があるのもよくわかり、ジャックのお墓に戦死者を悼むポピーの種をまいたことも象徴的です(p273)。この物語のもう一つのテーマは「父さんの秘密」で、英雄だと思っていた父さんが戦争捕虜になっていたことを知り、ミックは悩むのですが、「おまえの父さんは自殺しなかった……英雄なんてもんじゃない。とんでもない超人だ」というサムの言葉にミックは救われます(p287)。そんな会話がわざとらしくなく、説得力ある形で入っているところや、父さんが夜中、一人公園で悲しみの声を上げるところを、ミックはおそらく家で聞いていたのだけれど、それをはっきり書いてはいないところ(p283)もうまいなあ、と感心しました。最初は登場人物の多さや細かい描写に足を取られていたのに、最終的には読み込めば読み込むほど面白い作品で、イギリス児童文学の厚みを感じました。

花散里:近所の森でケガをしたニシコクマルガラスのひなを見つけた少年ミックが両親や、親友とともに手当し、ジャックと名づけられたカラスと交流していく様子がていねいに描かれていて、子どもたちに手渡していきたい良い作品だと思いました。第二次世界大戦の傷跡が残る1950年代のイギリスで、戦争捕虜であった父親への少年の思い、サンプソンさん、パブの雇人、カラスの落とし物に文句言う掃除婦とのやり取りなど、カラスを愛する地域の人たちとの交流が伝わってきて、動物の命を大事にすることの大切さなど、爽やかな読後感でした。ロンドン動物園元主任飼育員の少年時代の実話に基づく物語であることも納得できました。登場するカラス、ジャックは、私たちが日本で目にしている黒いカラスではないことが、「あとがき」に記されていますが、写真とともに最初に表記されていたほうが、子どもたちが読むときに、良いのではないかと思いました。

さららん:ニシコクマルガラスや新聞記事の写真をタイトルページの前にもってきたほうが、わかりやすいかと思ったのですが、完全なNFではないし、印象が強くなりすぎるとかえって読者を混乱させますよね。やはり、この位置(本の最後)が正解だと思います。

ハリネズミ:普通のカラスだとイメージが悪いけど、かわいいコクマルガラスなのだから、前もってわかっておいたほうがいいというふうに聞こえますが、それはちょっと違うのでは? それもルッキズムにつながる考え方じゃないかな。これが普通のカラスでも、ミックならきっと助けたでしょうし、表紙にはちゃんとニシコクマルガラスが描かれています。

オカピ:去年、絵本作家のとうごうなりささんが赤ちゃん絵本のシリーズを出されていて、そのうち1冊はカラスの絵本なのですが、日本ではカラスが好意的に受けとめられないことがあるので、それで3冊セットの中の1冊に入れたと聞いたおぼえがあります。

ヤマガラ:カラスは昔からやっかいな存在だったかもしれないけど、身近な鳥として愛されてもいたのでは?

ハリネズミ:最初に読んだときは読み飛ばしていたのですが、2度目に読んだときは、ケンのすてきなところもよくわかりました。たとえばp288で、ケンがしょっちゅうおしっこがしたいと言って木陰に駆け込むのですが、これは、またジャックのように傷ついたひながいるんじゃないかと探しているんですね。それを説明せずに、こういう行動だけで表現しているが作家の腕のよさでもあると思います。

さららん:この物語はもともと実話から発想しているので、NF的な要素が強いのですが、ポエティックなところや、笑いを誘う部分もあり、すごく豊かな本ですよね。

(2025年02月の「子どもの本で言いたい放題」記録)

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2025年01月 テーマ:ケニア

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『2025年01月 テーマ:ケニア』
日付 2025年1月21日
参加者 エーデルワイス、ANNE、雪割草、ルパン、ハリネズミ、すあま、しじみ71個分、きなこみみ、花散里、マリナーズ、ハル
テーマ ケニア

読んだ本:

丘の上に立っている二人の少年と犬
『ぼくの心は炎に焼かれる〜植民地のふたりの少年』
原題:BURN MY HEART by Beverly Naidoo, 2007
ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳
徳間書店
2024.03

〈版元語録〉1950年代のイギリス植民地時代のケニアを舞台に、11歳の白人少年と兄弟のように育った黒人少年が、白人から土地を取り返そうとするキクユ人の集団<マウマウ>の蜂起にのみこまれていく様を描く。
すっくと立っている少女
『わたしに続く道』
山本悦子/作 佐藤真紀子/絵
金の星社
2023.11

〈版元語録〉ケニア人の父と日本人の母のもとに生まれた少女・リイマ。同級生男子に「黒人」と言われたことで、自分は日本人だという確信が揺らいでいく。複雑な思いを抱えたまま、父の故郷・ケニアへ行く機会が到来し…。

(さらに…)

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わたしに続く道

すっくと立っている少女
『わたしに続く道』
山本悦子/作 佐藤真紀子/絵
金の星社
2023.11

マリナーズ:テーマがはっきりとした物語で最終的な着地点が見えるんですけども、とても面白く読みました。序盤はちょっと、ギスギスしているかなぁ、と思う部分もありました。リイマもレオもカイもそれぞれのクラスで、黒人ルーツであることを多少なりともいじられていたので。ただ、中盤からケニアに行って一気に開放的になりますね。普通はルーツを探す旅、というと、重苦しい感じになるけれど、ツアーに参加する、というところが新しいと思いました。最終的にお父さんに会えて、人類のルーツまで話が広がって、読了感がさわやかなのはさすが山本さんですね。ひとつ気になったのは、p166で押し売りの女の人たちを追い払った部分の表現。「アイさんがもどってきて、女の人たちを追っぱらってくれた」とあります。物売りの人を追っぱらう、というのは大人が使いがちな表現ですが、子ども(リイマ)視点でこの言葉が出てくるのは、ちょっと適切ではないかなと思いました。

花散里:褐色の肌、くるくるの髪の毛で、同級生に「黒人」と呼ばれている主人公の学校での様子、シングルマザーとして3人の子を育てていた母親の再婚、新しい父親との関係、再婚先で、祖母となった元中学教員とのやり取りなどが、とてもうまくまとめられています。元教員だった作者・山本悦子さんの視点が生き生きとしていて、これまでの『神隠しの教室』(童心社)、『夜間中学へようこそ』(岩崎書店)などとともに本書も良い作品だと思いました。外国籍の子どもたちが通っている学校が増えて、人種差別やいじめなどの問題が多くなっていることも踏まえて、子どもたちに読んでほしい作品だと思いました。祖母とともにケニアに行き、父親と再会し、自分の名前の意味が「慈悲」であることを知ったこと、巻末の「わたしがわたしだってこと」という言葉が、リイマの毅然とした後ろ姿を描いた佐藤真紀子さんの表紙画と重なり、「わたしに続く道」という意味深いタイトルとともに印象的で、読後感もよかったです。図書館で表紙を面出しして手渡ししたいと思います。

すあま:日本人だけど見た目が外国人、という子どもが主人公の本はあまりないかもしれない、と思って読みました。自分は何者か、というテーマではあるけれど、親の再婚で新しい家族ができる、知らない人たちと家族になっていく話でもある、と感じました。気になったのはタイトルで、『わたしに続く道』では、読み終われば納得するけれど、題名だけではどんな話が伝わらない、読んでみようという気にならないかもしれないので、紹介しないと手に取ってもらえないのではないかと思いました。また、おばあちゃんは元先生だった、という設定なのですが、それにしては子どもとの距離感や接し方がうまくないので、リイマのような子に理解がある、ということなのかもしれないけれど、先生である必要があったのかな、とも思いました。

ハリネズミ:日本人だけど見た目が外国人という主人公は、『セカイを科学せよ』(安田夏菜 著 講談社)にも出てきていますね。この本がいいなと思ったのは、レイシズムや差別について、日本の子どもたちが感じるさまざまな気持ちを取り上げながら、身近なテーマとして真摯に考えようとしているところです。「アフリカルーツの人は足が速い」とか「歌や踊りがうまい」というのも差別になるというのは、日本の子どもたちにはなかなか理解できないことだと思いますが、そのあたりをうまく表現しています。日本で生まれたけど「外国人」などと呼ばれて屈折していたリイマが、おばあちゃんとのケニア旅行をきっかけに変わっている様子も、リアルでした。マミーも、シンちゃんも、おばあちゃんも、サクラさんも、芯はいい人たちだという描かれ方もすてきでした。ちょっと表紙が古い感じで、今の子どもたちが手に取りにくいのかな、とも感じました。一箇所だけ気になったのですが、p238にでてくる「類人猿」は「猿人」の間違いじゃないかな。

ハル:途中までとっても面白かったんですけど、後半の展開が私には腑に落ちませんでした。この子は、自分のルーツに悩んでいたわけじゃなくて、まわりから投げられた言葉をどう処理しようかということを考えているわけですよね。「模様が違ってもキリンはキリン」とか「大自然の中では人間の悩みなんて小さい」では、なにも解決していなくないですか? それと、見かけで判断されて英語で話しかけられるのは不快だというのは、気持ちはわかりますが、それを「無意識の偏見だ」なんて言われたら、どうしたらいいんでしょう。特に英語はメジャーな言語なんだから、許してほしいです。それと、ツアーのおじさんが英語で話しかけて失敗したことを、「かっこつけて英語で話しかけるから」だとか言うの、ほんとにやだなーと思って。旅先でコミュニケーションを取るために勉強したことを、こんなふうにばかにするの、ほんとにいやだ。だから私みたいに、何年たっても英語が話せないひとが出てくるんです、とひとのせいにしてしまいましたが(笑)。

雪割草:読後感が爽やかな作品でした。主人公が自分のルーツを知る旅に出かけ、アフリカで広大な自然やときに厳しい自然のなかで生きる動物たちとの出会い、人類という大きな視野で見ることができるようになる、自分は自分だと気づく展開は好感がもてました。私もベナンで生活していたときに、地平線の近くに浮かぶ太陽がとても大きくて驚いたのを覚えていますが、p188の日の出のシーンは作者自身がきっと体験されて書いたのだろうなと思いました。マサイの村のシーンなど少し観光客目線だなと思うところはありますが、日本の子どもがアフリカに触れて興味をもつきっかけになるのではと思いました。

ANNE:構えずにさらっと読めるタイプのお話でした。ケニア人の父と日本人の母のもとに生まれた少女リイマが、さまざまな出来事を通して自分のアイディンティティを確立していく様子が爽やかに描かれていると思いました。リイマの足が速いことを「黒人だからずるい」という男子、「それは人種差別」だと決めつける女子など、小学校での児童のやり取りがとてもリアルで、現場を良くご存じの方の作品だなと感服しました。箱根駅伝や実業団駅伝などではアフリカ系の選手の方が活躍されていますが、選手として走れなくなった時にあの方たちはどうやって生活していくのかしらと、いつも思っていました。リイマの本当のお父さんが選んだ道は、それも一つの生き方なのでしょうね。リイマとレイとカイ、そして産まれてくる赤ちゃんが幸せでありますように。

エーデルワイス:面白く読みました。主人公の主人公リイマは自己主張ができて強い子。偏見に対して「漢字検定6級」「ことわざ検定7級」と叫ぶところが共感できました。子どもたちに分かりやすい展開です。前半は家庭と学校、後半はおばあちゃんとケニア旅行とメリハリがありました。リイマがケニア旅行中水や食べ物ではなく、精神的にお腹が痛くなり食べられなくなる場面には、子どもたちが共感すると思いました。ケニア旅行の内容に惹かれました。リイマが石けんで顔を洗う場面。p11「白くなれ 白くなれ 白くなれ……。スーパースターの故マイケル・ジャクソンが整形を繰り返し、肌を白くしようとしたことを思い出しました。最後にリイマが人種を乗り越えて、『人類』に意識がいくところで終わり、読後感が爽やかでした。

きなこみみ:爽やかに読めた本でした。リイマがすぐに「ことわざ検定7級」「漢字検定6級」と言い出すところが、とても好きです。親友の真子ちゃんがとても良いキャラクターだなと思います。差別がテーマである物語なんですけど、リイマを支える周りの大人や親友が性格よく書かれているので、難しいテーマでも安心感をもちながら読めるのかな、と思いました。p45に純太が「黒人なんて、速いに決まってるじゃん」と言うんですけど、こうして書いてある言葉で読むと「そんなことないよ」と思うんですが、陸上競技を見てるときとか、自分のなかにも、そんな感覚があるような気がして。ドキッとしました。そして、この物語が深いなと思ったところはp53で、リイマが、競技大会に出したらずるい、という純太に対してではなくて、「人種差別に反対します!」と、一見正しいことを言う三島さんに怒りが沸くというところです。純太の「ずるい」は能力の違いに向いているんです。しかし、三島さんが「人種差別」ということによって、それが人種の問題にすり替わってしまう。だからもやっとした気持ちが生まれてしまうんだと思うんですけど、「人種」って、ほんとは無いんですよね。学術的に、科学的にも「人種」なんていうものは存在しなくて、DNAなんかを調べても全く「人種」の違いなどという科学的な根拠は何もないんですが、「人種」っていう言葉をぽろっと使っちゃうところに、言い難い呪いみたいなものがある。そこを提起できた山本さんの視線はいいなと思います。
リイマの弟たちが「自分の国に帰れ」と言われる、っていうのが出てくるんですけど、ネットにもそんな言葉がものすごくあふれてて、うんざりします。ほんとに普通に書かれていたり、言われたりしてるので、子どもたちもちょっとネットを見ると、そんな言葉にぶち当たってしまうんじゃないでしょうか。そんなとき、「自分の国に帰れ」という言葉が、どんなに人を傷つけるのかを、こういう物語を読んで知る、というのは、とっても大事なことだなと思いながら読みました。日本人の排他的なところとか、マジョリティとしてのいやらしさも、きちんと書かれてるのがいいなって思います。距離のあったツンデレのおばあちゃんとケニアにいってからの展開は、いろんなエピソードが詰め込まれているんですが、最後に「わたしは、リイマ」というところにたどりつく、リイマっていう、ひとりの人間なんだよ、っていうところにたどりつくのはとってもいいと思います。読後感がとても良い作品でした。

しじみ71個分:今回は、きなこみみさんからたくさんご提案をいただいたので、とても楽な選書係だったのですが、『ぼくの心は炎に焼かれる』(ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳 徳間書店)でケニアが出てきたから、ケニアつながりでどうでしょう?という、なんともお気楽な選書理由でした。すみません。この物語はとても明るくて、読後感もいいので、一緒に読むならバランスが取れるかな、とも思いました。主人公のリイマは、ママやしんちゃん、友人の真子ちゃんと、温かい人間関係の中で暮らしているのもあると思いますが、自己肯定感が高くて、前向きで、読んでいてとても気持ちよいキャラクターです。ですけど、よく考えてみたら、それでなくても思春期で心が揺れたり、アイデンティティに揺らぎを覚えたりする時期なのに、加えて、肌の色が話題になったり、新しい家族の問題とか、いろいろ重なってあったら、心のバランスを取るのが難しいだろうな、と思いました。そのような境遇にある子どもたちがいたら、辛いだろうと思います。
物語の前半では、日常生活の中で、リイマや弟のレオ、カイが出合うマイクロアグレッション、みのりおばさんや従妹の愛花の悪口のように、小さな悪意をはらんだ言葉などを、並べて提示してくれています。無知や偏見から生まれる歪んだ認知には、こんなものがあると、子どもたちにも分かりやすく並べて出してくれているように思いました。カイがクロちゃんと呼ばれることや、黒人だから足が速いとか、本当に日常的によくありそうな、子どもたちの反応事例を文字で表しているので、それを読んで自分たちのことを振り返って、同じようなことをしちゃったなとか、ああ、普段こんな風に思っていたなとか、自らの中のマイナーな部分を羞恥と共に気づかせてくれるように思います。私自身を振り返っても、肌の色の違う人が普通の日本語を話していると、つい驚いたり、違和感を持ったり、つい英語で話しかけたりしてしまう、偏見だらけの自分がいるのを感じました。誰もの心の中にありそうな、差別の意識を感じて、気づいてほしいという作者の気持ちが込められているように思いました。たとえば、亮がリイマが黒人だから足が速いと言ったのを、三島さんが人種差別はいけないと咎めましたが、リイマはなぜ三島さんの発言の方をより不愉快に思ったのか、亮と何が違うのか、リイマに簡単に語らせず、作者として説明もせず、読む人に考えさせるように問題を提示して終わらせています。
子どものつかみ方が大変リアルですし、子どもたち自身に考えさせるという点で、さすが山本悦子さんは先生だった方だな、と思ったところです。後半は、おばあちゃんと二人で、ケニアまでルーツ探しの旅に行くわけですが、ケニアでダディーに会ったり、マサイの人々の暮らし見たり、ケニアが人類発祥の地と言われていることを知ったり、おばあちゃんとも打ち解け合っていきますよね。その中で、だんだんに自分は自分であることに気づき、自分を肯定できるようになる様子は、希望に満ちて、読んでとても清々しい思いがしました。
小学校高学年はちょうどティーンエイジャーの入口に立つ年代で、ゆらゆら揺れる思春期の始まりだと思うのですが、とても明るい印象を残して終わるので、子どもたちにも安心して読んでもらえるし、本当にとても上手だと思いました。みなさんがおっしゃるように、ケニアの旅の描き方は少々、軽いと思いますし、物売りを追い払う場面なんかも、もしかしたら山本さんのケニアツアーの体験が表れているところかもしれないですよね(笑)。この本を『ぼくの心は炎に焼かれる』と対比させて読んでみると、同列に並べて論じるタイプの本ではないと思いますが、だからこそムゴの物語からリイマの物語まで、とても長い時間の経過と地理的な距離を感じて、印象深いところでした。ケニアの人々が自分たちの土地を奪われて、押し込められている時代から、日本まで来て日本人と結婚する時代までの時間的、地理的な距離です。やはり日本の人が人種問題をとらえると、こんなふうに、遠い感じになるのかな、という気がします。距離的な遠さが視点の遠さにつながるといいますか……。
でも、世界の国々は、実際は相変わらず遠い一方で、もう既に、様々な肌の色の人、言葉の違う人たちが日本に来て、直接、言葉を交わし触れ合う世の中になっています。自分の中の差別とか、偏見とか、そういう問題をちゃんと意識したり、自覚したりする前に、いろいろな人と直接出会ってしまうのが今の世の中なので、人種差別の問題は常に自分に跳ね返ってくるなーと思うと、ちょっと痛いです。肌の色の違う人を見れば、外国の人だと思い込むし、「こんにちは」ではなく「ハロー」と言ってしまいがちな自分が実際にいます。この身についてしまった、無意識な差別あるいは区別、偏見は、本当に意識して解消していくのは難しいよなーと、この本を読んでつくづく思いました。なので、リイマが狭い日本だけにおさまらずに、世界に飛び出して、自分のルーツを確認したという、視野の広い物語になっているのは、本当に良い、大事なポイントだなと思いました。

(2025年01月の「子どもの本で言いたい放題」記録)

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ぼくの心は炎に焼かれる〜植民地のふたりの少年

丘の上に立っている二人の少年と犬
『ぼくの心は炎に焼かれる〜植民地のふたりの少年』
ビヴァリー・ナイドゥー/作 野沢佳織/訳
徳間書店
2024.03

エーデルワイス:題名から内容が想像できたので覚悟して読みましたが、素晴らしい作品で紹介して頂き感謝しています。二人の少年のどちらの側からも描かれていて、最後二人の少年が本当に炎に焼かれるような心情が伝わってきました。白人のマシューは普通の少年で、良心も持ち合わせているし、好奇心もあれば冒険もしたいと、不自由なくすくすく育っているのに対し、ケニヤ人のムゴは、白人に従うことを義務とし、賢い子で機転も利いて、生きる術を身につけています。主従関係でありながら友情も感じていた二人でしたが、根本的に世界が違うと、どうすることもできない。永遠の別れのシーンは切ないです。できたら続編で成人したムゴとマシューのそれぞれの希望に溢れる幸せな姿を読みたいと思いました。
ムゴのお父さんは白人と同じ教育を子どもたちに受けさせて、白人から土地を取り戻そうと考える人格者ですが、理不尽な取り調べで投獄されるところは、やりきれません。1950年代アフリカから遠く離れたイギリスの子どもたちが「マウマウがくるぞ」脅かされていたとすれば、よほど恐ろしいものだったのでしょう。日本でも鎌倉時代に2度蒙古襲来がありますが、昭和の時代、夫が子どもの頃何か悪いことをすると祖母に「もうこくるよ」と脅されたそうです。子どもの時はなんのことか分からないけれど、恐いものの象徴ですね。読んでいてケニヤの壮大な自然、植物、鳥、動物の様子を思い描くことができました。冒頭の「だれも、ほかの人のように歩くことはできない(ルビ:ゴティレ・オキニャガ・モキニェレ・ワ・オンゲ゙)」やp221「心の中の言葉は、語ることによってひきだされる(ケレ・ンゴロ・ケルタグ・ウォ・ナ・メアリオ)」をキクユ語の発音で実際に聴いてみたいと思いました。

ANNE:タイトル・内容ともに、自分自身の選書ではきっと読まないジャンルの物語だと思います。今回、一読の機会をいただき、出会えて良かったと心から思える一冊でした。白人の少年マシューの父親は、周囲の人々と比べると使用人に理解があり、決して現地の人を迫害している様子はないのですが、それでも「絶対に彼らに銃を渡してはいけない」と息子に言い聞かせているという言動があり、切なくやるせない気持ちになりました。時代背景や社会状況を鑑みると致し方ないことだったのでしょうが。この物語はハッピーエンドとは言えない結末を迎えます。できれば、マシューもムコも幸せに暮らしているという続編を読みたいと思いました。

雪割草:力強く、心がざわついたままいろいろな感情が残る作品で、読むことができてよかったです。大学院時代にアフリカ文学のゼミをとっていたことがあり、グギやアチェべなどの作品を読みました。あとがきにも、作者はグギ・ワ・ジオンゴのことを書いていますが、グギの『一粒の麦』(小林信次郎訳 門土社 1981)を思い出しました。主人公が同じ名前のムゴで、この作品でムゴが木彫りの象をつくりますがグギの作品にも家具職人が出てきます。この作品では一粒の麦ならぬ「ビスケット」がモチーフになっています。マシューがムゴにビスケットを渡そうと思って地面に落としてしまう場面は、マシューと作者自身が重なり、断絶された他者へ手を伸ばそうとしても、個人の努力では決して手の届かないことへの悲痛な思いが、読んでいて痛いほど伝わってきました。ポストコロニアルのアフリカの作家の作品との出会いは、私にとって衝撃的でしたが、この作品も怒りと悲しみが渦巻き、グギの作品に迫る力強さを感じました。

ルパン:非常に「読ませる作品」だと思いました。それぞれの階級社会におけるムゴとマシューの気もちがあますところなく描かれています。親しいけれど、ほんとうの友達にはなれないふたりの宿命のようなものが感じられます。ムゴはあくまで使用人であり、マシューに対して自分の意見を通すことができない。はじめから対等でなかった、ということにムゴが気づく最後のシーンがいいです。ビスケットを渡せば自分の立場も気持ちもわかってもらえるだろうというマシューの甘い期待と、「あの白人の男の子」と、つきはなすムゴの対比があまりにも切なくて、読後感はけっしてよくない。その分、これからどうなるんだろう、どうしたらいいんだろう、ということを考えさせる作品になっていると思います。「読み終わって終わり」でないところがすごいと思いました。

ハリネズミ:この作品は、作者のナイドゥさんの子ども時代を大きく反映しているんじゃないかと思います。白人の彼女は、大学に入るまでは白人の視線で白人の社会の事柄だけを見ていて、黒人の人たちのことはほとんど見えていなかったそうです。大学に入ってから、社会に対する視野が広がり、不公正なアパルトヘイト体制がおかしいと思い、抗議行動に参加して逮捕されたりしています。なので、マシューには、その「気づいていなかった」子供時代の自分を重ね合わせているのではないかと思うんです。この作品は、単に二人の友情が破綻した悲劇というのではなく、マシューは白人入植者の歴史を否応なく背負っており、ムゴは否応なく差別された黒人の居場所におかれてしまっている。二人の少年は、現在だけを共有しているのであれば、友情も成立するのかもしれませんが、何かが起こって、侵略者の側と、侵略されて奪われた側の間に亀裂が走ると、不信感も強く大きくなっていってしまいます。子どもにふりかかる理不尽さは、白人と黒人でその重さが違うんですね。白人の子どもの方は、両親に照らし合わせてじっくり考えたり、一時的に忘れたりすることができますが、黒人の子どものほうが一挙に生存さえ脅かされてしまう。
だったら、白人の方は自由なのかというと、それも違うんですね。南アフリカ出身のノーベル賞文学賞作家は、ナディン・ゴーディマーとJ.M.クッツェーでどちらも白人です。でも二人とも、他者を暴力で抑圧する欺瞞的な社会では、白人も不自由で檻の中におかれている、ということを書いてます。p11で、マシューが感じる檻と、ムゴたちが閉じ込められる檻が、差別社会では、差別する側も差別される側もいわば檻に入っているようなもので、自由ではないということを象徴的に語っているのだと思います。
ムゴは、この状況を経て、おとなになっていきます。p208でまだ子どものままのマシューは、「せめてビスケットをムゴにわたせれば、ムゴもわかってくれるだろう。マシューがあやまりたいと思っていること、いかないでほしいと思っていることを」と思うわけですが、ムゴのほうはそんな段階はとうに置き去りにしてきている。
また、ムゴのお父さんは教育によって奪われた土地を取り戻そうとしますが、ムゴのお兄さんは、そんなことでは取り戻せないと気づいています。個人がどんなにがんばっても、問題は解決できないことが、この作品ではとてもうまく表現されています。「イッチマエ鳥を殺すな」というのは先住民に伝わるタブーですが、それを白人のランスが破り、マシューも加担せざるをえなくなることによって、結局罰が下るというストーリー展開にも、先住民の文化を尊重したい作家の気持ちが表れていると思います。

すあま:読んでいてつらい話でしたが、知らなかったことがたくさん書かれていました。主人公二人の視点により、交代で物語が進んでいくのはおもしろいのですが、時間が飛んだり視点が移り変わったりするので、ある程度読書力のある子でないと難しいかもしれないと思いました。二人の少年の視点から描かれ、大人の側の視点がないので、状況や実際に何があったかなど書かれていないことも多く、知識がないこともあり、物語についていくのが難しかったです。子どもに紹介するなら、あとがきを先に読んでもらうとか、関連する本も合わせて紹介するといった工夫がいるかもしれません。
二人の少年、その父親同士、どちらも長いつきあいで、仲が良いように思えるけれど、やはり圧倒的な立場の違いがあるので、友達ではない、友達にはなれないんだな、ということもわかり、寂しい気持ちになりました。そんなに長くない作品で二人の少年が交互に描かれるので、二人に共感しながら読むというよりも、二人の目を通して当時の出来事を知る本なのだと思いました。タイトルは、原題からそうなるのだと思うけど、ちょっときつい、怖い印象で、手に取りにくいのでは? ラストも唐突に終わる感じで、この先彼らがどうなるのか、歴史や背景を知っていれば想像がつくのかもしれないけれど、読者にとって難しい終わり方だと思いました。

しじみ71個分:本当に重厚な、素晴らしい本で、読めてよかったです。ただ、まだ全然ちゃんと読み込めてないので、これからも考えていきたい作品です。ひとつ、深く心に残ったのが、マシューは悪い子ではないし、父親も悪い農場主ではないですが、マシューも白人の子どもで、社会の構造的に強い立場にいる子どもであるからこそ、子どもらしい、ちょっとした我儘を、従順にならざるを得ない使用人であるムゴに甘えて言ってしまうところです。それがどのようにムゴや家族たちを危機に立たせ苦しめるのか、まったく想像できない。その無自覚さが差別の構造の危なさなのかも、と思いました。たとえ、マシューがムゴを対等だと思っていたとしても、構造的に最初から上位に立っていて、従順さを共感だと履き違えて、相手を傷つける悲しさ……。本当の友情でなかったと、後から気づくと、恥ずかしく、辛い、罰のような傷になりますよね。社会の構造が分断を招いて、子どもたちを傷つける残酷さが刺さりました。
一方で、使用人であるムゴの方には、だんだんに怒りが生まれ、燃え盛っていく過程が、鮮やかに対比されて、非常にうまく描かれていると思いました。こうやって、心の炎、怒りを抑えられない状態が双方に折り重なって、暴力の応酬が起こっていくのかもしれないとも思いました。面白いのは、白人の子ども同士である、ランスとマシューの間にも権力構造というか、上下関係みたいなものがあって、人が人をいじめたり、マウントを取ろうしたりする構図が、さまざまな場所で描かれていることにハッとさせられました。肌の色や、力の強弱、貧富、疑心暗鬼などが、人と人のあいだに境目=分断を作られ、そこに差別や暴力が生まれていくのが恐ろしいと思いました。これは本当に、白人と黒人というだけではなく、古今東西、世界中で見られる構造ですよね。人間の性なのでしょうか……暗澹とした気持ちになります。
また、前書きの、マウマウについて書かれているところ(p8)でイギリスの主張が、「アフリカの人々は子どもと同じで、独立するにはまだ早い」というものだったと紹介されていますが、白人が指導しないといけない、未熟な民族という、根拠のない優越感には既視感がありました。まさに、日本とアジアとの関係にも通じるものだと思って、これも胸にグサッと刺さりました。分断と差別の構造は、本当に世界中で起こっていますし、この構造はいまだになくならないし、乗り越えられていないわけで……。人が人を力ずくで虐げる構造を、強烈なパンチ力で、つぶさに物語の中で見せられた気持ちです。ですが、これは本当に読まなければならない、読まれなければならない本だと思いました。この物語は、中脇初枝さんの『伝言』(講談社、2023)を思い出させますね。

きなこみみ:私は今回選書担当だったのですが、この本を選書したいと思ったのは、植民地というものに最近興味があって。野坂悦子さんが訳された『どんぐり喰い』(エルス・ペルフロム 作、福音館書店、2021)を読んでいろいろ調べたとき、植民地主義というのが、西欧には骨の髄までしみ込んでいるんだなと思ったんですが、そのあともガザのことがずっと頭にあって。第二次世界大戦も植民地思想がその発端ですが、この全世界を構造的にとりまくものの根深さについて、この年になってようやく尻尾ぐらい見えてきたような気がしています。そのときにこの本を読んで、ほんとに小さな部分まで考え尽くして書かれているなと。でも、アフリカについては私もまだまだ知らないことが多すぎて。どちらかというと大人の作品…クッツェーや、チママンダ・ンゴズイ・アディーチェなんかは読んでいるんですけど、子どもの視点からこんな風に植民地のことが書かれている作品を初めて読みました。恐ろしい差別の構造を子どもの目から描いた作品だなと思います。支配する側と、支配される側。二人の少年の視点から書くことで、非対称性や、まなざしの違いがくっきりと鮮やかです。
冒頭、マシューがムゴをブッシュに連れていくエピソードで、ムゴはずっと台所の下働きの自分の仕事のこと、後で怒られるとかいうことがずっと気になっているのに、マシューはそんなことにちっとも気が付かないんです。無自覚なんですね。マシューがピカピカの空気銃を持っている、というのは、その二人の非対称性、二人の裂け目にあるものをくっきり表しています。有無をいわさず抑え込む圧倒的な武力の象徴をマシューは持っているんです。子どもなのに、もう構造的な力に支配されてる。そこにとてもドキドキしました。でも、マシューが一方的に支配する側なのかというと、それも違って、やはりランスという居丈高な少年との間に、上下関係がある。寄宿学校というのは、非常に上下関係が強いところで、マシューもそこでの自分の地位が非常に気になるようです。ランスのような少年をトップにするヒエラルキーがあるんだなという描写もあって、まさに上下関係の「構造」のなかに子どもたちが生きていることがあって、私たちはいつもそこに支配されてしまうのかと思ったりします。
でも、少年たちの心には、それだけでは収まらない様々な感情があって、揺れ動いていく。そこを読むのが物語の醍醐味だなと。二人の心が揺れ動いていく過程をていねいに描いていて、読んでいるあいだ、ずっと心が引き裂かれます。この、心が引き裂かれる感覚を持ち続けられることが、物語の力だなと思います。子どもたちが構造のなかに生きてる。それを感じるのがp182のランスがマシューを見る眼差しですが、もうひとつ、物語のなかでマシューはムゴのことを「ムゴ」と名前で呼ぶんですが、ムゴはマシューを絶対名前で呼ばない。「ぼっちゃん」なんですが、事件が起こって、最後にムゴが居留地にいく車のなかで自分にクッキーを渡そうとしたことを思い出すとき、マシューのことを「あの白人の男の子」と呼び始める。非常に遠い、心を動かされる存在じゃなくなるんです。p213に「その炎に心まで食われてはだめだ」という言葉があるんですが、この言葉がこれからのムゴにどのように育つのか。続きが非常に気になる結末でした。それは自分で考えることなのかもしれないんですが。見事な作品だと思いました。続きをぜひ読みたいです。

花散里:イギリスの植民地だったころのケニアを舞台に、白人の少年マシューと黒人のムゴ、二人の少年の視点から物語が展開されていき、白人から土地を取り戻そうとするマウマウの独立闘争など、ケニアの歴史を知る思いで読みましたが、ムゴの兄はどうしたのか、これで物語は終わってしまうのか、という希望が見いだせないような読後感でした。白人に土地を奪われ、使用人として働いていたムゴの父、「静かな戦士」という意味の名前であるカマウは、兄・ギタウを学校に入れ、ムゴも学校に行かせたいと思っていました。そのカマウがマシューに昔話を語る場面(p61)が印象に残りました。マウマウの時代、ケニアやアフリカの歴史を知っていくうえでも、中高校生に読んでほしい作品だと思います。

マリナーズ:ケニアにこのような戦いがあったことを知りませんでした。戦いというのは、敵と味方の二つだけではなくて、その間にさまざまな立場や思いの人たちがいるのだ、ということも改めて教えてもらった気がします。黒人のムゴが、戦いの構図の全貌や解決の難しさを把握しているのが印象的でした。ただ、白人読者にとって読み心地のよいストーリーになっているようにも思いました。比較的良心的な一家が物語の中心にいて、雇っている黒人たちにも親切にして、あまり恨まれる覚えはないのに、争いに巻き込まれてしまう、という不条理がクローズアップされているように読めました。あと、タイトルが強烈で、子どもの頃だったら、怖いなと思って、手に取らなかったかもしれないなと思いました。

ハリネズミ:白人の側の不条理を感じたということですか?

マリナーズ:この物語は、主人公がムゴ一人でも成立するような気がしたのです。その方が、不条理な状況や怒りが伝わりやすくなったかと思います。でも、それだと、欧米の白人読者にとっては“読み心地の悪い”作品になるので、作者は読まれる工夫として、白人のマシューと黒人のムゴ、二人の視点からの物語にしたのではないか、と。それがいい悪いではなく、伝えたいメッセージを届けるためにはどういう構成にしたらいいのかということを作家は考えるものなのかなと思ったのでした。

ハリネズミ:私は、作者の生い立ちから言っても、白人と黒人の二人を主人公にする必要があったと思っています。白人農場主がすべてランスの父親のような人ではないし、黒人に理解を示すマシューのお父さんのような人もいたのですよね。でも、「いい白人」も社会構造的には抑圧者の側に立っているので、疑念が生じたときには結果としてひどいことに無意識に加担してしまう。それによって個々の子どもの友情などは簡単に引き裂かれてしまいます。この時代のケニアでは、見ようと思えばそうした状況がすぐ目の前にあったわけです。
この作品は、むしろ「いい白人」(それは、過去の作者自身でもあるのでしょうが)に鋭い刃を向けています。「いい白人」も、簡単に抑圧者に変わってしまうのですから。

しじみ71個分:植民地に入植してくる白人の階層というのは、お金持ちじゃない層なのでしょうか? 満州の開拓団を想像してしまいますが……

ハリネズミ:私もそこはよく知りませんが、ケニアが独立して半世紀以上たった今でも、白人が広大な土地を所有していたりしますね。

しじみ71個分:貧しさから抜け出して、一攫千金を狙っていく人もいるのかな、と思ったのですが……。

雪割草:デンマークからケニアに移住し、その経験を書いたアイザック・ディネーセンという作家がいて、その作品はハリウッド映画「愛と哀しみの果てに」で知られていますが、ディネーセンはむしろ貴族で裕福な家庭でした。なので、そういうわけではないかと。

しじみ71個分:日本の満州開拓などの場合は、国策として貧しい農家の次男坊以下に積極的に入植や移民を勧めましたよね。でも、一方で、植民地で銀行やら何やら、ホワイトカラーのお金持ちもいましたよね。そもそも、人の土地を奪って、どうしてそれが正当化できると思うのか、そこがどうしても理解できないです……。

ハリネズミ:その頃は、白人が優秀で黒人は劣っているから、管理してやったり、治めてやったりするのは当然で、いいことだと思っている人も大勢いたと思います。ガボンで医療をおこなったシュヴァイツァーも、アフリカの人たちを子ども扱いしていたと今は批判されています。「暗黒」とか「未開」といわれる場所にも、独自のすばらしい文化があるという理解が広がっていくのは、歴史的にはもっと後のことになります。

しじみ71個分:侵略の背後には、侵略側が被侵略側に対して、文明化の恩恵をもたらすという考え方があると思うのですが、その無自覚な高慢、傲慢は本当に恐ろしいと思います。自分の身に置き換えると、同じようなものが自分の中にも芽があるかもしれないと思うと、こわいです……。マシューも無自覚な高慢を知らないうちに持たされた子どもとして育つわけで、本人の問題ではなくて、むしろマシューは優しい子なので、構造的な問題だからこそ、こわいです。

きなこみみ:イスラエルとパレスチナのことを見ても、結局パレスチナにヨーロッパのつけを押し付けてしまったところがあって。そこにもヨーロッパの差別構造とか意識の違いがあって。自分たちは上の立場だと無意識に思ってるところが、自分たち、日本も含めてすごく根が深いなと思います。その根深さに刺さるような作品で、この作品を見つけて翻訳された徳間書店は、ほんとに目が高いなと思いました。

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(メール参加)ハル:読んでいてほんとうに苦しかったです。怒りも悲しみも湧きました。生まれたときはみんな無垢だったはずなのに、すっかり染まってしまったランスのことを思っても悲しかったし、この先、この子たちが、また大人たちも、「その炎に心まで食われ」ずに生きていけるだろうか思うと、絶望的な気持ちにもなりました。作家がこうして物語に書き起こしてくれたこと、それを日本語で読めること、物語を通して、何も知らなかった私も、日本の子どもたちも、過去に目を向け、想像することとが希望を生んでいくことになるんだと思います。

(2025年01月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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2024年12月 テーマ:きょうだい児として生きる

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『2024年12月 テーマ:きょうだい児として生きる』
日付 2024年12月17日
参加者 ハル、雪割草、ツミ、きなこみみ、ルパン、ハリネズミ、エーデルワイス、ニャニャンガ、さららん、西山、フキダマリ、サークルK、しじみ71個分
テーマ きょうだい児として生きる

読んだ本:

ぬいぐるみのウサギ
『シンプルとウサギのパンパン』
原題:SIMPLE by Marie-Aude Murail, 2004
マリー=オード・ミュライユ/作  河野万里子/訳
小学館
2024.07

〈版元語録〉ちょっとフクザツな3人の、心温まる日常。高校生のクレベールは、知的障碍をかかえる兄・シンプルと、 親元をはなれ、パリで暮らす決意をする。弟の不安をよそに、シンプルは、ウサギのぬいぐるみのパンパンくんと遊んでばかり。シェアアパルトマンで学生たちと共同生活をはじめると、二人の日常は、どんどんフクザツになっていき――。国際アンデルセン賞受賞作家による、兄弟の絆の物語。
障碍のある妹と、姉が抱き合っている写真
『自分らしく、あなたらしく〜きょうだい児からのメッセージ』
高橋うらら/作
さ・え・ら書房
2024.09

〈版元語録〉きょうだい児――病気や障がいのある兄弟姉妹をもつ子どもたち。家族を思う気持ちと、自分自身の生き方のあいだで、きょうだい児たちは、なにを思い、どのような悩みをかかえながら、自分の生きる道を見つけてきたのでしょうか。高校生の中山穂乃果さんが難病の妹とともにこれまで歩んできた道と、社会人になった二人の元きょうだい児の半生を、みずからも元きょうだい児である著者がえがいたノンフィクションです。

(さらに…)

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自分らしく、あなたらしく〜きょうだい児からのメッセージ

障碍のある妹と、姉が抱き合っている写真
『自分らしく、あなたらしく〜きょうだい児からのメッセージ』
高橋うらら/作
さ・え・ら書房
2024.09

フキダマリ: よかったです。自分の状況や境遇を分かり合える人がきっといるから、探して出会おう、という主張がとても伝わってきました。すごくミラクルな事例ではなくて、現実的な事例であることもよかったです。いい言葉だなぁ、と思うところもありました。たとえばp52「待っているのではなく、自らおもむくことが大事なんだよ」というところ。ただやっぱり、きょうだい児は大変で、その重苦しさも伝わってきました。

西山:親が、もちろん悪意もなくさらっと放った言葉が、言われた「きょうだい児」にはそういうふうに刻まれていたかというのは、これは、親の立場で読むとかなりきついだろうなと思いました。このノンフィクションは、ヤングケアラーにも光を当てるようになってきているフィクション作品に対する刺激にもなると思うので、児童文学作家も読んだ方がいいと思いました。

エーデルワイス:本を買うときは(注文も)なるべく地元の書店へ行きます。注文してもネット注文と変わらず1日で届くのですが、この本は出版の関係か2週間くらいかかりました。読書会に間に合ってよかったと思いました。「きょうだい児」という呼び方を初めてこの本で知りました。「ヤングケアラー」という言葉が定着したように、少しずつ生きやすい世の中になっているのだと思いました。ミュージカルの力、参加して生き生きしている姿は素敵です。作者も体験者で3例が具体的にあり共感できました。「二度とがまんしない!二度とあきらめない!」はいいですね。恋愛、結婚のことも書かれていますが、わかりやすく安心感を持ちました。

ハリネズミ:今回この本が読めてよかったとは思いました。特にp75にまとめてあるきょうだい児の抱える悩みなどは、なるほどそういうこともあるのか、と。ただあえて言えば、実名や写真を出してのノンフィクションだと、ここまでしか書けないんだろうな、とも思いました。たとえばフィクションだと、ずいぶん前に出た丘修三さんの『ぼくのお姉さん』を読んだとき、こんなふうに書ける作家がいるのだということに、私は衝撃を受けました。それに比べ、こういうノンフィクションだと、どうしても光の部分を描いていくことになるので、陰の部分、闇の部分には筆が及ばない。タイプが違う本なので、それでもいいのですが。ただ、人間を立体的に描くのが文学だとすると、やっぱりこういう本は、「こんなふうにがんばっている子どもがいるよ」「そういう子どもたちをこんなふうに支えている人たちがいるよ」「きょうだい児でも、こんなに活躍している人がいる。だからみんなも応援しよう」というメッセージを届けるだけになってしまうのでは? と思いました。

きなこみみ:障碍を持つきょうだいに、親の視線が偏ってしまったり、きょうだいに我慢や支援を求めてしまいがちだったり、親の大変さを理解するがゆえに、複雑な事情を抱えてしまったりすることを、穂乃果さんと結衣花さんという兄弟に取材しながらていねいに描いてあると思います。とくにp75 からの、きょうだい児の子どもたちがどんな悩みを抱えているのか、という一覧は、ああ、こんなにたくさんあるんだ、結婚や老後のことまで考えて、自分を縛ってしまうことがあるんだと改めて感じることでした。障碍者への社会的な援助は、まだまだ足りないのだと実感します。そのなかで、弁護士の藤木さんも、穂乃果さんも、同じ境遇の人たちと話し合ったり活動したりすることで、精神の安定や居場所を得ているんだなあと。誰かが犠牲になるのではなく、支援も含めたネットワークの広がり、安心して自分の人生を生きることを実現する社会を作ることを考えさせられます。そういう、社会のほうから、障碍を持つ子どものいる家庭をどう支援するか、という視点も、もう少しあるといいなと思いました。また、穂乃果さんが、歌と踊りにのせて自分の思いを伝えて心を解放していくのは、芸術活動が人間にとってどんなに大事なのかという証左だなと思います。

ツミ:きょうだい児にとっても、そうでない子どもにとっても、大切な本だと思いました。p121の、障碍者福祉を仕事としている方たちの国家資格が無いという事実は知らなかったので、ショックを受けました。後半に、おとなになったきょうだい児、藤木さん、志村さんの話があるのは、きょうだい児の子どもたちにとって、とても励みになると思います。ただ、ノンフィクションの文体について、ちょっと考えさせられました。主人公である穂乃果さんの話は事実として感動したけれど、「  」のなかの穂乃果さんの言葉がお利口さんすぎるというか⋯⋯。作者の言葉ではなく、実際に穂乃果さんから聞いた言葉で<穂乃果さんは「⋯⋯」と思ったといっています>というように、客観的に書くべきじゃないかな。そのほうが、取材の対象としたひとに対するリスペクトになるのでは?

雪割草:きょうだい児がどんな思いを抱えているのか知らなかったので、この作品を読むことができてよかったです。特に、演劇など芸術活動を通じて自分を表現できるようになっていくところがいいなと思いました。それから、藤木さんの話もおもしろく読みました。アメリカに研修に行った際に、ジムで障碍のある人が暗証番号を忘れてしまったとき、正しい番号をすぐに教えるのではなく、ヒントを出して自分で試すことができるようにするという「失敗する権利」の話は、ローズマリー・サトクリフの「傷つく権利」の話を思い出しました。確かにノンフィクションで描けることの限界はあるのだと思いますが、きょうだい児として穂乃果さんや作者がどんなに大変な思いしてきたのか、特に我慢してきたことなどはリアルに感じることができました。

しじみ71個分:大変、意義深い作品だと思って読みました。きょうだい児については、物語でしか触れてこなかったのですが、今回、ノンフィクションで読んでみて、いろいろ考えることがありました。高橋うららさんは視点の温かさを感じる作家さんで、ほかのノンフィクション作品でも良い印象を持っています。職場の選書でさまざまなノンフィクション作品を読みましたが、書き手の想いがないと、通り一遍の事実の羅列になったりして、のっぺらぼうな印象のままで終わってしまうこともありますが、この本は、きょうだい児の当事者に寄り添った温かな視点が感じられたので、読んでよかったと思います。p75の悩みのリストは、きょうだい児がこんなに心のうちで悩んでいるのかと思って、衝撃を受けました。リストなので、簡潔にまとめてあるけれど、その裏にはとても重い実体験があるのではないかと思わされました。そこにたくさんの事例が隠れているのでしょうけれど、個人情報の観点などから難しいのかもしれないですね。穂乃果さんの物語でも、自己犠牲を自分に強いるのではなく、自分の生きたいように生きていいんだよ、という応援メッセージに集約されているように思いました。なので、ほかのポイントについて、書き込みが薄くなってしまったのかなとも思いました。おとなになったきょうだい児の方々の紹介もあり、希望を与えるメッセージになっているように思います。また、高橋さん自身がきょうだい児ということで、学校費用の支払いが未了だった事実を伝えただけなのに、お父さんに叱られたというくだりは、胸が痛みました。これは1つの具体例ですが、この作品の後ろにはどれほどのつらいことや苦しいことがあったのかなと想像すると、ノンフィクションだとどうしても個人の生活に踏み込まないといけないと思いますし、それによって傷つく人もいるかもしれないので、もしかしたら、フィクションで描く方がやりやすいのかもしれないなと感じました。

さららん:「多様性を認めあう社会」の章のp123で、すでに出たように、アメリカでは障碍のある人が暗証番号を忘れてしまっても、周囲の人が手出しをしすぎず、「失敗する権利を、奪わなかった」という一節があります。、雪割草さん同様、私もそこで立ち止まり、障碍のある人を一人の人格として見る視点が自分にも欠けていたのではと、ハッとさせられました。きょうだい児として育った人が、作者も含めて何人か登場しますが、私は弁護士になった藤木さんの話が興味深く感じられました。「いいところは、ぜんぶお姉ちゃんがとっちゃったのね」という何気ない母親の言葉が、ナイフのように胸に突き刺さったのがよくわかり、その言葉で母親は藤木さんと弟の両方を傷つけたことに気が付いてほしいと思いました。この本の中で、「心魂プロジェクト」と出会って、舞台に立ち、自分を解放できるようになった穂乃果さんのエピソードが出てきます。個人的な話になりますが、私も舞台の立ち上げに協力したことがあり、おとなも子どもも障碍のある子もみんな参加できる舞台にしたくて募集をかけたところ、障碍のあるお姉さんが妹と一緒に参加してくれました。主催側の私たちは、ふたりなら安心、と単純に思っていたのですが、この本を読んで初めて、きょうだい児の苦労を知り、自分は何もわかっていなかったことが、今さらながら恥ずかしくなりました。

ニャニャンガ:高橋うららさんの作品は『風を切って走りたい! 夢をかなえるバリアフリー自転車』(金の星社)を読んだことがあります。本書はナイーブなテーマだと思いますが、作者自身が高度難聴のある妹さんがいる「元きょうだい児」であるから書けたのだろうと想像しました。我慢することも多かった方たちが前向きにとらえて昇華させるようすが描かれているので、きょうだい児として悩んでいる子どもたちの一助になればよいなと思いました。とくにp75にある事例に心当たりがある人が、必要なところにアクセスできればと思いました。

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ハル(メール参加):なんというか、ちょっと語弊があるかもしれませんが、ああ、そうだったんだろうなという感じがあると言いますか、新たな発見はなかったのですけれど、共感できました。どんなときも「わかりあえるひとがいる」「ひとりじゃない」ことを知ることは、やっぱり大きな安心につながるんですね。そう考えると、このことに限らず、日本ももっと気軽にカウンセリングを受けられるように、カウンセリングの文化が根付くといいなと改めて思いました。問題が体や行動に発露する前から、誰かと話せるといいですよね。この本には登場しませんでしたが、反対に「きょうだい児」と呼ばれることに違和感を覚える人もいると思うんです。その人たちの気持ちも聞いてみたいなと思いました。

(2024年12月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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シンプルとウサギのパンパン

ぬいぐるみのウサギ
『シンプルとウサギのパンパン』
マリー=オード・ミュライユ/作  河野万里子/訳
小学館
2024.07

ハル:おもしろかったんですけど⋯⋯物語に出てくる施設って、どうしてこう、悪い場所になっちゃうんだろ、というのがひっかかりました。入所させること自体が「悪」だというような。周囲の人、近所、社会でつながりながらお互いに支えあっていく輪のひとつに、仕事として介入してくれる相談員や社会福祉士や、施設があればいいのにと思うんです。施設に入れることは悪であり、愛がないという思い込みは危険をはらむのではないかと思います。

雪割草:少し長いと感じましたが、会話中心にも関わらず、読者を引き込んでいく力があって巧みだなと思いました。原書のタイトルはSimpleですが、日本語版のタイトルも同じように主人公シンプルが前に出てくるかたちでもよかったのではと思いました。中身がYAなのに、表紙がウサギの絵でかわいすぎるように感じました。シンプルとまわりの人たちが心を通わせ、シンプルを好きになっていくところはいいなと思いました。一方で、クレベールが何かあるとすぐ「兄には障碍があるんです!」と叫ぶところは個人的に少し嫌で、自分も含めてですが社会の方の理解が足りないことを痛感させられました。

ツミ:私もハルさんと同じように、施設の描写は古いなと思ったのですが、出版年が古いので仕方がないのかもしれませんね。いちばんいいと思ったのは、「シンプル」という原書のタイトルです。シンプルって、もちろんシンプルという意味のほかに知恵が足りないという意味もありますよね。物語のあとのほうでは「シンプルでいくのがいい」という文章もあり、大切なのはひとりの人間の生き方を周りの状況で縛ってはいけないというシンプルなこと、という主張をタイトルが示していると思いました。河野さんの翻訳もうまいですね。工夫されていて、登場人物がとても生き生きとしていると思いました。私は、人間がしっかり描けていれば作者の主義主張などなくてもいいと思うほうですが、この本も一人一人の人物像が見事に描けていますね。特に頑固爺のヴィルドゥデューさんがはりきって恋の指南をするところなどおもしろくて、やっぱりフランスの本だなあという感じ。アンデルセン賞を受賞した作家だけあって、物語の作り方はさすがだと思いました。最後にシンプルを助けたのが娼婦であったというところなど、じーんと胸に沁みました。ザハの耳の聞こえない妹とシンプルの友情もいいですね。ただ、これだけ厚いと、YAの読者が手にとってくれるかな。一般書として出版したほうが、読者が増えたかも。

きなこみみ:YAというよりも、おとなの本に近い印象でした。ルームシェアする同居人たちが皆おとなで、彼らの恋愛模様も描かれているせいかもしれません。障碍のある子どもが生まれると、夫が逃げて母親と子どもが残されることが多い、というのは日本だけではなくフランスでも同じなのだなと思います。そのママが死んでしまったあと、弟であるクレベールがシンプルの面倒を見ることになって、フランスの福祉制度のことがよくわからないんですが、この物語の中では、施設に入るか否かの2択で、在宅のまま活用できる福祉制度、たとえばヘルパーさんに来てもらったり、デイケアや福祉作業所のような所に行くとか、そういう選択肢はどうなっているのかなと思ったりしました。また、p190で、ソーシャル・サービスのバルドゥーさんがクレベールを訪ねてくるんですが、シンプルと直接会っているのに、彼に知的障碍があると気づかないのは不思議だなと思ったり。薬などで入居者を管理しようとするマリクロワという施設から、シンプルが簡単に抜け出だしてしまうのも、設定がちぐはぐで、作品中に携帯電話は出てくるんですが、設定や障碍の捉え方や社会的な支援のあり方としては少し前の時代なのかもしれないと思いました。実際にフランスでは20年ほど前に出版された本で、今の時代とのズレはあるのかもしれません。
とにかく弟のクレベールの負担が大きすぎて、そこが読んでいてつらいところです。彼の責任感が、p296にあるように、母の遺言から生まれている部分もある、というところが「きょうだい児」としてのつらさ、責任を無意識に兄弟に背負わせてしまう親の責任についても考えざるをえませんでした。自分もつらいのに、どうしてもシンプルを施設に入れたままにしていけない気持ちが、認知症の母の介護を抱える自分と重なって、理屈では割り切れない彼の思いに共感したり、複雑な気持ちになったりしながら読みました。
その彼に、たまたまルームシェアしただけのエンゾやアリアが手を差しのべていくところ、またガールフレンドのザハの一家の温かさ、ザハの妹であるアミラと友だちになるところも素敵でした。クレベールがそのザハの家族にシンプルを預けてデートにいくのはどうかと思ったんですが、この物語の登場人物たちは皆それぞれにエゴイストで、自分勝手で、好き勝手に行動するのが魅力的だし、人間ってこんな風に生きてるんだよ、というありのままのところ、障碍を持っていたり、障碍のある兄弟がいたりすることと、個人が自由にふるまって生きることを、等価に描いてあるのが、この本の魅力だと思います。なかでも恋愛に非常に重きを置く、というか、男女の恋愛、アムールを大切にするのが、フランスっぽいんですが、エンゾのアリアに対するアプローチの仕方や、どんどん行けとけしかける管理人のおじいさんのアドバイスは、どうなんだろうと思っていたら、いきなりアリアがエンゾに首ったけになる展開にびっくりして。ただ、シンプルをうざがって、シェアハウスから出ようとする、医学生で男性という、社会的強者としてのエマニュエルではなくて、エンゾが愛の勝者になるのは、好ましかったと思います。訳者の河野さんも後書きで書いておられますが、シンプルの父親やエマニュエルと違って、シンプルに手を差しのべるのが、社会の周縁にいる人々だというのが、いいなと思います。「チョコレートドーナツ」(トラビス・ファイン監督、2012年)という、ドラアグクイーンが、ダウン症の子どもを愛する悲しい映画を思い出したりしました。

ルパン:こういう状況はリアルに考えたら、こんなにうまくいかないだろうなあと思うだけに、お話っていいなと思いました。お話だからこそ、こんなことがうまくいく。こういう世界を作れるお話の力ってすごいと思います。ただ現実をなぞるだけじゃなくて、すてきな世界を創ることで、読者に希望とか、幸福感を持たせられるのがお話の魅力だと改めて思いました。私もみなさんと同じで、ヴィルドゥデューさんがエンゾの恋愛相談にのって、楽しく生き生きしちゃうところが好きで、p206のあたり、人の恋愛に首をつっこんで生き生きしてきたのがおもしろかったです。
施設のマリクロワはシンプルにとって良くない場所、行かせるべきではないところ、という設定でしたが、p290-291で、マダム・バルドゥーがクレベールに語りかけるところでじんとしてきました。「あたくしたちはみんな、シンプルにいいことをしてやりたいんです。でもそれがあなたの犠牲のうえにしか成り立たないようでは、いけませんね」「あなたのは、若さゆえの理想主義です。…(中略)…あなたが考えるような向きあいかたが、非常に高い代償をともなうものであるのも知っています。いつかあなたも、結婚したい、子どもがほしいと思うようになるでしょう。そのときのことを考えてみて⋯⋯」「あたくしはあなたの力になれるよう、できるだけのことをしてきましたよ、クレベール。正しいことをしたつもりだったのだけど⋯⋯」これらのマダム・バルドゥーの言葉を読むと、この本には悪役はひとりもいない、と思えて読後感がよかったです。

ハリネズミ:私は「いい話」には疑いをもつタイプなので、この物語についても、ヤングケアラーであるクレベールから見たらどうなのだろうと、思ってしまいました。今はアパートをシェアしている人たちも好意的でうまくいっているとしても、クレベールはこの年代だとこれからいろいろな問題や悩みに遭遇し、大学に行ってそのうち結婚するということにもなるかもしれません。環境が変わっても、シンプルの責任をひとりで負っていくことができるのでしょうか。他の国のきょうだい児の物語だとイギリスのジル・ルイスが書いた『紅のトキの空』(さくまゆみこ訳 評論社)みたいに、手を差し伸べるちゃんとしたおとなが出てきたり、オランダのシェフ・アールツが書いた『青いつばさ』(長山さき訳 徳間書店)みたいに、家族の体制が整うまでとりあえず施設の力を頼ろうとしたりしています。施設を悪いものとして書いているのは、ほかの方たちもおっしゃるように20年前に書かれたせいでしょうか? でも当時だって、マリクロワ以外の場所もあったのではないかとか、施設以外になにかセイフティネットはないのかと、疑問に思いました。作家としても、ヤングケアラーにすべての責任を負わせる書き方でいいのでしょうか? といっても、作家の視点としては、若者の恋愛模様を描こうというほうが主なのかもしれません。アリアとエンゾとエマニュエルの三角関係、クレベールとベアトリスとザハの三角関係の間にシンプルのエピソードがはさまっている感じです。
この作家は、「知的障碍のある子どものお母さんにていねいな取材をおこなった」と訳者あとがきにありますが、それだけで書いたのだとしたら、高校生がおとなのシンプルの保護者になるとか、シェアアパートの人たちのシンプルに対する態度などを含め、リアリティがちょっと甘くなるのも仕方がないのかもしれません。

エーデルワイス:原作の発表が20年前の作品ですので、福祉もずいぶん変わっているように思いました。とにかくパリ! パリの香りがすると思いながら読みました。クレベールの高校生活も日本とは違います。発達障碍者が自宅か施設入居かというような二者選択は違うと思いました。例えば日本では、今はデイサービスも就労福祉施設などいろいろの選択があります。「しょうがい」の漢字を「障がい」と使うことは見ていましたが、作品の中では「障碍」と漢字を使っています。私は初めて目にしましたが、語源は仏教用語だそうです。物語は映画のシナリオを読んでいるようなテンポで、映像化されたらいっそうおもしろくなると思いました。「アホ」とか「あーらら、いけない言葉」がよくでてきますがフランス語だと、どんな感じかしら?と思ったりしました。

ニャニャンガ:フランスらしいエスプリと性に対してのオープンな描写にとまどいつつも、兄のシンプルといっしょに住みたいクレベールの複雑な気持ちが痛いほど伝わってきて、はじめのうちは読むのが苦しかったです(じつは2回、途中でやめていました)。その理由は文字の色だったかもしれません。くらはしれいさんの絵は物語にぴったりですし、ウサギのパンパンが悪さをしても憎めないのはこの絵のおかげかもしれません。
同居人たちとの生活が始まり、いろいろトラブルがありながらもシンプルやクレベールと家族のように接する様子がとてもよかったです。それに引き換え、父親の無責任なこと!に腹が立ちました。そして頑固なおじいさんヴィルデュドゥーさんとのかかわりはとてもよかったですし、クレベールがベアトリスに惹かれつつ、ザハ家族と親しくなりシンプルとザハの妹のアミラと仲良くなり、居場所ができたのも好ましく読みました。

さららん:ミュライユさんが国際アンデルセン賞作家賞を受賞したときの講演を覚えています。その中で「私は常識やタブーを打ち破る作品を書き続けてきた」と力強く語っていたのが印象的でした。この作品も、一見シンプルとクレベールをめぐるドタバタ喜劇に見えますが、障碍のある人=厄介者、という世間の偏見をくつがえし、トラブルメーカーのシンプルを、人間として実にチャーミングに、周囲に愛される存在として描いているところに好感が持てました。確かにマリクロワという施設は古めかしい感じがしますし、シンプルを拒絶する父親はサイテーの人物ですが、全体としては常識をひっくり返そうという作家の気概を感じます。エンタテイメントとして完成度が高く、恋愛が物語の要になっているところは皆さんがおっしゃる通り、いかにもフランス的ですね。「愛がすべて」というお国柄ですから恋愛は不可欠な要素、高校生のクレベールのトライアンドエラーの道筋としても読め、そう思うと、これはやはりYAらしい作品ではないかと私は思います。また以前、きょうだい児の弟を主人公にしたオランダの児童文学『青いつばさ』を読んだことを私も思い出し、この本との違いと共通点を比べてみたくなりました。物語には、セクシャルな表現やののしり言葉も散見されますが、おそらく原文のフランス語では、もっとどっさり入っていたのでは? 差別的にならないよう、そして読者がギョッとしないように、翻訳で巧みに料理してあって、読んで楽しい作品になっていました。

西山:今回のテーマから、「きょうだい児」の話なんだろうと思って読み始めたのだけれど、結局フランスのティーンエージャーの恋愛話でしたね。シンプルの性の話になるのかな、と思っていたら、これは弟くんの恋愛の話で、シンプルは狂言回し的にドタバタシーンの演出に使われてしまっているように感じるところもあり、ちょっと抵抗を感じました。障碍がテーマと思わなければ、そうでもなかったのかもしれないけれど⋯⋯。
p150に「男子の好きじゃないとこは、あたしたちをそういうふうにしか見てないってとこ。おしりとか、胸とか、自分がバラバラのパーツとしてしか存在してないみたいで。言いたいこと、わかる?」というベアトリスの言葉があって、よくぞ言ってくれた!と思いました。これまでたびたび、日本の児童文学に同様の視線が気になっていたところなんです。でもこの作品ではそれは大きな関心事ではなかったですね。ヴィルドゥデューさんの、古臭い恋愛指南と、今の感覚の違いがおもしろかったです。あと、ザハの家族のやりとりや,妹たちの様子に見られるムスリム像が新鮮でした。ただ、全体としては、福祉施設や関係者がこんなふうに作品に書かれてしまうと、しんどいなあという印象が強いです。

フキダマリ: おもしろかったです。シンプルの考え方とか、クレベールの苦労や思いとか、多角的に立ち上がってきて、読み応えありました。パンパンくんが要所要所でしゃべる構成がとてもユニークでしたし、シェアハウスに入ってから、さまざまな人間模様があっておもしろさが加速しました。伏線を緻密に張るタイプの小説ではないと油断していたので、ダストシュートが伏線だとわかったときは、びっくりしました。もっとも、日本とフランスの文化が違い過ぎて、おとなっぽい要素が多いですよね。2人の女子の間で迷うところは、日本だと完全に二股だけれど、パリが舞台だと許されてしまうというか(笑)。あと、おとながシンプルみたいな子とどう関わるかを描く場面が多いので、日本だと一般書で出した方がたくさんの人に届いたんじゃないか、とも思ったりしました。街の人々のシンプルへの態度がそれなりに辛辣で露骨ですが、20年前に刊行された本なので、今のフランスとはだいぶ違うんでしょうか。そのあたりも気になりました。

ツミ:西山さんがいうように、知的障碍のあるティーンエージャーの性の問題って、とっても難しいと思う。実際に、そういう悩みをお母さんから聞いたことがあります。だから、この物語はリアルな話ではなく、私は半ばファンタジーとして読みました。

サークルK: パンパンくんが生きているように、人間たちとの会話に入り込んでくる時、慣れないうちはスムーズに切り替えができずにいました。きょうだい児と呼ばれる関係には昨今理解が進められていますが、実際に児童文学に昇華された作品を読むのは初めてです。スヌーピーに出てくるライナスのあんしん毛布の様に、パンパンくんが主人公の力になってくれていることで、弟が1人で抱え込まなくても良いのは救いと希望があるのだなと思いました。

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しじみ71個分(メール参加): この本はとてもフランス的だと思って、興味深く読みました。まず、本当に個人主義が徹底しているんだなと思いました。お父さんが再婚して、兄弟の世話を放棄して悪びれないというのは、自分には自分の人生があると思えばこそできることなのかもと思いました。
それから、この物語がおもしろいなと思ったのは、シンプルと共に生きていくことで、みんなが幸せになっていく点です。エンゾとアリアの恋の仲介者もシンプルだし、クレベールがザハに対する自分の真摯な思いに気づくのもシンプルのおかげだし、シンプルは幸せを運んでくる使者のような位置づけになっています。
障碍者施設で虐待があることがほのめかされていることについては、私はあることなのではないかと考えました。障碍者施設が悪いという印象を与えかねないのは確かに心配ですが、日本でも障碍者施設での虐待の報告件数はたくさんあるので、フランスもゼロではないんじゃないでしょうか。
それと、クレベールがヤングケアラーとして兄の世話をひとりで抱え込んでしまうようにも見えますが、私は、共に暮らして、みんながシンプルを好きになり、シンプルに居場所ができたように読めました。公助でもなく、1人で抱え込む自助でもなく、コミュニティで支え合う共助の場ができたことに作者は力点を置きたかったんじゃないかと思いました。シンプルが幸せそうな姿を見て、クレベールが心から愛を感じる場面の描写が本当に美しいですし、シェアハウスのみんながだんだんシンプルを理解して、好きになっていく過程もとてもいいと思います。あと、とても面白いのがパンパンくんで、パンパンくんはシンプルのイマジナリー・フレンドのようにも見えますが、良くないことをしたいときは、パンパンくんにやらせるので、シンプルの正直な気持ちを代わりに発散する自分の片割れなのかもしれないなと思いました。
この作品は、悪くすると、知的障碍のある人を天使的な、無垢な存在として扱ってしまう危険性もはらんでいるような気がするのですが、パンパンくんがやりたい放題やってみんなに迷惑をかけることで、バランスが取れているように思えました。恋愛や性が若者の重要なテーマになっているというのも、フランス的なのかなとも思いましたが、日本でも同じかもしれないですね。長めの物語でしたが、いろいろなポイントでとてもおもしろかったので、割とすぐ読み終わりました!また、同じ作者の違う本も読んでみたいです。

(2024年12月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年11月 テーマ:遭難からの出発

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『2024年11月 テーマ:遭難からの出発』
日付 2024年11月25日
参加者 エーデルワイス、しじみ71個分、雪割草、花散里、きなこみみ、ニャニャンガ、ハリネズミ、シマリス、ハル、ANNE
テーマ 遭難からの出発

読んだ本:

女子高生たちの遭難を伝える新聞記事
『6days 遭難者たち』
安田夏菜作
講談社
2024.05

〈版元語録〉亡くなった山好きの祖父との後悔を胸に抱く美玖。大好きな母の乳がん再発におびえる亜里沙。再婚し、幸せな家族の中で孤独を感じる由真。 三人の女子高生はおのおのの理由から、ともに山に登り始める。日帰りできる「ゆる登山」のつもりだった三人だが、下山の計画を変更したことで、道を見失う──。
原発を背景にした雪の上を犬たちが走り回っている
『死の森の犬たち』 STAMP BOOKS

原題:DOGS OF THE DEADLAND by Anthony McGowan, 2022
アンソニー・マゴーワン/作 尾崎愛子/訳
岩波書店
2024.03

〈版元語録〉原発事故後のチェルノブイリの森でたくましく生きぬいた子犬のゾーヤと、その子ミーシャ、そしてゾーヤの飼い主だった少女ナターシャの運命を追う壮大な物語。野生のオオカミやクマやヤマネコがすむ森でくりひろげられる動物たちのスリルあふれる冒険の歳月を、カーネギー賞作家が生き生きと描く。

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死の森の犬たち

原発を背景にした雪の上を犬たちが走り回っている
『死の森の犬たち』 STAMP BOOKS

アンソニー・マゴーワン/作 尾崎愛子/訳
岩波書店
2024.03

ANNE:装丁を見て少し前の翻訳書のようなイメージを持ったのですが、2024年3月出版の作品でした。時代がどんどん流れていくドラマチックなストーリーに引き込まれましたが、犬たちの過酷な戦いのシーンなどは少し苦手でした。冒頭に理由は説明されていますが、地名を敢えてキエフと訳していることにやはり違和感が拭えませんでした。子どもたちに手渡す際は、ロシアのウクライナ侵攻についても触れるべきかと思いました。カテリーナをミーシャがアルファと認識する場面、もっと読んでいくとアルファが何を意味するかわかりますが、ちょっととまどいました。

ハル:カテリーナをアルファと呼ぶことについては、p249の少し前、p247に「あの生き物は、おれのアルファだ」と認識する場面がありましたね。

シマリス:非常に引き込まれて、読みました。チェルノブイリ周辺の森だという特殊性、そして犬とオオカミの習性の違いなど、読みどころはたくさんありました。ただ、終盤、怪物が出てきたところで、ここから突然ファンタジーになるのか?と、とまどいを覚えました。結局、怪物とは巨大なウナギのことだったのですが、このあたりから物語の構造がこれでいいのか、とちょっと引いた感じで読んでしまいました。特に納得がいかなかったのは、ミーシャをキエフに連れてくる場面です。ミーシャは、おじさんに面倒を見てもらって、過ごしています。そこでナターリヤが現れて、主人公の特権で犬を奪ってキエフに連れて行ってしまいます。かわいがっていたおじさんの気持ちとかまったく無視の展開に、ちょっと心が冷えました。チェルノブイリに翻弄されて、それでも生きてきた女の子と犬が最後に再び出会うという構造にしているのはわかるんですが。人間と動物の視点を交互に描いた物語は難しいなと思います。

ニャニャンガ:チェルノブイリ原発事故のあと、生きものたちがどのように暮らしていたかにとても興味を惹かれて読みました。別れ別れになった子犬のゾーヤと飼い主のナターシャが中心の物語と思いきや、犬たちの話が8割ほどだったのは予想外ではあったものの、原発の影響など知る由もない生きものたちの生存競争を興味深く読みました。ただ、こちらも五感に訴えてくるつらさがありました。そして人間の物語とちがい、動物たちがたくさん死んでしまうのが仕方ないとはいえかわいそうでした。それでもオオカミ犬ミーシャとブラタンの兄弟愛に強く心を動かされました。
作者から日本の読者へのメッセージで、「純粋な冒険物語」とあり、原発事故は
創作のきっかけではあってもテーマではないと知り、エンタメなのかなと少し残
念に思いました。

きなこみみ:生と死、出会いと別れ、冒険、闘い。物語の渦に巻き込まれ、気持ちよく引きずり込まれてしまいました。実は1度、冒頭のところだけ読んで、ナターシャとゾーヤの別れのシーンで挫折しかけたんです。チェルノブイリ原発の事故が起こったとき、ほぼ何が待っているのかわかってしまって、つらすぎて。チェルノブイリやフクシマの事故のとき、人間が避難したあとに置き去りにされた犬や猫たちのことが蘇りました。どうも、犬や猫がつらい思いをする物語が怖いんです。ナターシャの悲しみ、いつまでも埋まらない喪失の痛みが、まるで自分のもののように伝わってきました。
でも、ミーシャの物語がはじまってからは、読むのがやめられずに一気読みです。まず、構成がすばらしい。ナターシャ、ミーシャ、そしてカテリーナという3つの世界があるんですが、時系列をいきつ戻りつして語ることによって、少しずつ謎が解かれて、物語のドラマチックさが増しています。それぞれの、原発事故から始まった生きる闘いの記録なんですが、なかでも、ミーシャたち動物のたくましさ、生き抜こうとする強さ。オオカミと暮らした哲学者が、オオカミと人とは、生きている時間軸が違うと書いていました。(『哲学者とオオカミ : 愛・死・幸福についてのレッスン』(マーク・ローランズ 著 今泉みね子 訳 白水社)私たち人間は未来にとらわれ、いつも未来の準備に今を費やしてしまう。でも、動物たちは違って、どんな一瞬でも「生きる」ことに全力で、生き抜く闘いの一瞬にも喜びが爆発しているようで、ほれぼれします。数ある闘いのなかでも、コーカシアンシェパードといっしょに、父親オオカミの群れと戦うシーンには、かたずをのみました。
印象的なのは、強く賢いミーシャの横に、いつもブラタンという足の悪い弟がいること。犬という生き物が持つ愛情の強さを象徴するようなことだと思います。闘いから逃げたように見えたブラタンが、熊をみつけて戻ってきたとき、彼が真の意味でミーシャの分身だったのだと思いました。その得難い、犬一族の強い愛情を、ナターシャとゾーヤ、そしてカテリーナという、人間と束の間でも育んだことが、伏流水のようにゾーヤとミーシャのなかに生き続けて、そして、傷ついたままおとなになったナターシャを溶かした。その愛情が、次の世代の赤ちゃんへ、新しい愛情へと繋がっていくという、見事さを感じます。
原発事故、放射能汚染という取り返しのつかない巨大な破壊と痛みから、どう回復して生きてくかというテーマが、この作品の中に流れているのではと思いました。作者が、カテリーナの番外編を書きたいと思っていると後書きにありますが、私もとても読みたいです。森のなかで1人で生き抜いていた、パルチザンであったカテリーナの物語を読みたい。『炎628』(監督エレム・クリモフ 1985年公開)というパルチザンの少年が、話すのもためらわれるほど悲惨なものを見る映画がありますが、戦争の時代に、ウクライナに生きていたパルチザンは、まさに辛酸を舐める経験をしたと思うんです。だから、彼女にとってロシアの若い兵士をだまくらかすなんて、きっと簡単なことだったろうなと思ったり。そういう背景を想像するのも楽しい作品でした。

花散里:本が刊行されたときにすぐに読みました。この本を最初に手に取った時に、タイトルから、福島のことを思い出し、ストーリーが予測されるように感じ、巻頭の「歴史に関する覚え書き」からも手に取りにくいという感じもありました。原発事故が起きた時のナターシャの章から、放射能に侵されたチェルノブイリの森に置き去りにされたゾーヤの子、ミーシャのことになってしまい、最初、展開にとまどいも感じましたが、ミーシャが生きていくために様々な困難と闘っていくストーリーはとても読み応えがありました。
巻頭の「物語の舞台」に本書の表記について記されていますが、本書が日本で刊行されたとき、キエフのことはキーウと呼ばれたことや、ウクライナの戦争が始まっていたことなど、「あとがき」で、全く触れていないことに、疑問を感じました。巻末の「作者インタビュー」よりも、大切なのではとないかと思います。

雪割草:おもしろかったです。私は新潟の出身で、父がずっと柏崎刈羽原発反対の活動をしていてチェルノブイリにも事故後すぐに視察にいきました。子どもの頃は、そんな父から原発の事故が人の生活や人体にどんな影響を与えるのかわかりやすく伝えている本を薦められて、私たち兄弟は読んでいました。だから、原発事故の怖さはすっかり沁み込んでいて、福島の事故が起きたときは、私は若かったし一目散に東京から南へ避難したほどです。そんなこともあって、チェルノブイリの事故がどんなふうに描かれているんだろうと期待しながらこの作品を読みはじめましたが、チェルノブイリの事故は枠物語のようになっていて、メインの犬たちのストーリーにはそんなに表現されていないので少しがっかりしました。
けれども読み終えて、犬たちのストーリーに、繰り広げられる生き残るための死闘が、原発事故という人間がつくったものが招く死の理不尽さを浮き立たせていると感じました。犬たちのストーリーの細やかな描写は見事で、すっかり感情移入してしまったので、サルーキやブルタンに死が迫ってきたところは、つらくて仕方がありませんでした。犬たちの集団が、それぞれの犬に個性があって多様なところもいいなと思いました。カタリーナが住んでいるところは、映画「アレクセイと泉」を思い出しました。

しじみ71個分:私とてもおもしろかったです。マゴーワンは、前に読んだ『荒野にヒバリをさがして』(野口絵美訳 徳間書店)が、4巻シリーズの最終巻のみしか日本語になっていなかったからかもしれないですが、とてもおもしろかったのに、どこか食い足りなさを感じたので、今回はどうなんだろうというと思って読み始めました。自分自身、動物に人間の感情を重ねるような書き方はあまり好きじゃないので、最初は、犬同士の兄弟愛が人間っぽく書かれていたので、引っかかったのですが、読み進めるうちにそんなことは忘れてしまって、ミーシャに感情移入して読み、最後には感動してしまいました。
原発の事故によって、人間のいない危険な世界が生まれ、その中でさまざまな命がたくましく生きていく姿を描いて圧巻でした。野生動物たちが生き抜く世界は本当に過酷に情け容赦なく、食って食われてが描かれますが、迫力があって本当に魅力的でした。犬の20年くらいの一生でしょうか、それがとてつもなくドラマチックに、大河ドラマのように描かれていて、すばらしいなと思いました。また、ミーシャが年老いて命が消えていく場面も、体がどんどん軽くなって、命の根源に向かって走っていき、走馬灯のように美しいイメージが連ねられて、本当に美しかったですね。スーザン・バーレイの絵本『わすれられないおくりもの』(小川仁央訳 評論社)をちょっと思い出しました。1か所、p310に「空き地」がつつみこむというところの「空き地」って何だろうとわからなかったのですが、そんなことは構わず感動しました。
あと、「怪物」の章だけ、怪物の視点のような気がしたのですが、これはどんな意味があったのでしょう? それと、なんで最初からウナギだと言わなかったのかもよくわからなかったのですが、もしかして、マゴ―ワンはすごいサービス精神のある作家で、子どもたちをドキドキさせてやろうという気持ちでここは怪物にしたのかな?などと思いました。犬が狩りをするような荒々しい姿は日常的に見ることはないですが、マゴ―ワンも人の消えた世界で、死闘を繰り返しながら生き抜いていく命のたくましさに大いに惹かれたんじゃないでしょうか。本当におもしろかったです。

エーデルワイス:私も、とてもおもしろく読みました。最後の場面でミーシャ、ブラタン他仲間の犬たちが天国(と思われる)へと走る場面は、やはり犬の視点で描かれた『パップという名の犬』(ジル・ルイス作 さくまゆみこ訳 評論社)の最後の場面とよく似ています。少女ナターシャと別れた子犬のゾーヤがどのように生きていったのかだんだんわかってくる仕組みも巧みです。ゾーヤの子どもミーシャ物語からから始まるので。
犬たちが懸命に生き抜いていきますが、チェルノブイリ原発事故の影響が出ないかとハラハラして読み進めました。ゾーヤ、ミーシャ、ブラタンはオオカミの血が入っているサモエド犬。私自身犬は好きですが詳しくないので、犬の種類特徴についても書いてもらえたらよかったと思いました。オオカミとの戦いの助っ人にブラタンが馴染みの熊を誘導する場面は、ファンタジーだと思いました(ちょっと都合がよすぎる)。ミーシャの子孫が森でたくさん育っていると思うと感慨深いです。殻に閉じこもったままおとなになったナターシャが、ゾーヤの子ミーシャと巡り会って本当によかったと思いました。

ハル:今月の本は、「追体験」のインパクトが強かった2冊でした。この本は、最初は「あ、主人公はこっち? 犬?」というとまどいと同時に、ミーシャって誰? とか、犬になりきって人が書いてる⋯⋯とか、この世界に入り込むまでに時間がかかるかもしれませんが(私がそうでした)、子どもの読者のみなさんにもなんとかそこを乗り越えて、だんだん感情が動物の体に入り込んでいく感覚を楽しんでみてほしいです! 農場でのオオカミとの戦いの場面は、オールキャスト集結っていう感じで手に汗にぎる思いで読みました(「伝説の幽霊馬になった」ってどういう意味でしょう 笑)。死の迎え方、描き方も印象的でした。一生懸命生きたあとに死を迎えることは、恐ろしいことではないのかもしれないなと思わせてくれた本でもありました。

ハリネズミ:犬の視点で書かれているところは、いかにも犬の五感を通して見ているようで、おもしろかったです。チェルノブイリに置き去りにされたペットは、ほとんどが射殺されてしまったんですね。福島でも、置き去りにされた(そうせざるをえなかった)点は、チェルノブイリと同じですが、射殺はされなかったので、動物レスキューの人が入ったりしていて、そこが違いますね。人間が入れないところが動物・植物の天下になるという部分は、イ・オクベさんの『非武装地帯に春がくると』(おおたけきよみ訳 童心社)という絵本を思い出しました。
この物語では、ナターリアが原発事故の被害を受けただけではなく、人間に飼われていた動物たちも、野生化して生きざるを得なかったり、弱い者はすぐに命を落としたりして被害をこうむっています。作者は「おもしろい物語」を書こうと思ったと書いているかもしれませんが、生きとし生ける者がみんな被害を受けたということはちゃんと書いていると思います。ワディムさんのところも、いつ会いにきてもいいと言ってもらったので、私はそんなに気になりませんでした。私が唯一気になったのは、オオカミが悪役として登場するところです。オオカミは必要以上に殺したりはしないので、生態系の維持に役立っていたという説があり、だからオオカミを呼び戻して自然の循環を健全に保とうとしている人たちもいます。この本だと、オオカミがやたらに殺戮に走っているようで、それが気になりました。

きなこみみ:p232の、巨大なウナギのいる湖に降ってきた「石粒のようなもの」は、いったいなんだったのでしょう?

しじみ71個分:私は人間が撒いていた餌じゃないかと思ったのですが⋯⋯?

ニャニャンガ:養殖されていたウナギが、事故のせいで人がいなくなり野生化したのだと思います。

(2024年11月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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6days 遭難者たち

女子高生たちの遭難を伝える新聞記事
『6days 遭難者たち』
安田夏菜作
講談社
2024.05

エーデルワイス:新聞記事が出ている表紙にドキリとしました。ノンフィクションかと思いました。山岳をテーマにした児童書を読んだのは初めてのような気がします。冒頭の「冒険とは死を覚悟して、そして生きて帰ることである。」冒険家植村直巳さんの言葉は重いですね。槍ヶ岳、奥穂高、白馬に登った事を思い出しました。最近地元の岩手山で他県からきた成人男性が遭難しました。無事に救助されましたが、自己責任の重みを感じます。
主人公女子高校生3人が家庭の事情など乗り越えて成長いく物語で、ハラハラしながらおもしろく読みました。しかし装備が甘い!だから低い山でも遭難するのですが⋯⋯。p258の12行目「人間ちゃ不思議なもんでな、自分の弱さを受け入れたもんだけが、真に強うなれるがやちゃ」という坂本美玖のおじいちゃんの言葉がいいです。

しじみ71個分:とてもおもしろく読みました。少女たちが生きるか死ぬかの瀬戸際で、サバイブするという内容に、とてもドキドキしました。スリル満載でした。特に、美玖が一人で救助を求めに行って、滑落したところでは、もうどうなってしまうんだろうと本当に心配になりましたが、結果として、残った側も出ていった側も双方助かって本当に安心しました。
物語の序盤から、既に遭難フラグが立っていて、そんな軽装で行くなんてヤバいんじゃないの? 準備は足りてないし、携帯なんて電池切れるし、山奥なんて電波届かないし、計画していたルートを外れちゃうし、そこは少しモヤモヤしてしまいました。女子高生が遭難して、サバイブする状況を作り出さないといけなかったんだろうとは思うのですが、ちょっと設定の作り込みを感じました。
あと、もう1つ、女の子たちが遭難して、死にかけて、やっと生きたいという思いとか、生きている実感が湧いてくるわけですが、ここまでの危険を描かないと生きる実感を描けなかっただろうかという点は考えました。美玖たちが、本当に山に登りたくて登ったのではなく、心の鬱屈や家族との間にある不安の払拭のため、現実逃避のために山に登って遭難しますが、ある意味、生活の中に危険は転がっていますし、必ずしも山の遭難でなくてもよかったのかもしれないので、やはり著者が山をテーマに描くところからスタートした物語なのかなと感じたところはありました。そういう意味では、遭難させるために、少女たちがかなり抜かった子たちに描かれているような印象は残りました。キラキラのコンパクトも、占いのラッキーアイテムだから持っていくという出だしになっていましたが、自分がおとなだからかもしれないですが、反射光で自分たちの所在を知らせるのに使うよねと、最初からなんとなくネタばれしてしまうところもあるので、逆に物語の中で、亜里沙が気付いて実行するまで随分引っ張ったなぁという感もありました。
所々、ちょっとあれこれ考えはしましたが、物語としてはおもしろくスリリングで、休む間もなく一気に読み通しましたので、安田さんは本当にうまい、技術のある書き手さんだと実感させられた作品でした。

雪割草:ハラハラしながらも、引き込まれて読みました。遭難する3人の登場人物は、それぞれが心にもやもやを抱えていて、それが遭難にあって命が危険にさらされると、ありのまま姿が露呈してくる様がうまく描かれていると思いました。今の子どもたちは受験や学校生活で窮屈な思いをしていたり、子どもによっては家庭で苦しい状況におかれていたりすると思います。挫折も味わうこともあると思います。それでも、p258のおじいちゃんの言葉「自分の弱さを受け入れたもんだけが、真に強うなれるがやちゃ」は、この作品を読んで体験をすることで、伝わり、実感をもって感じられることがあるのではないかと思いました。

花散里:新聞記事が目に飛び込んでくるような表紙がすごいと思いました。安田さんの作品は『むこう岸』(講談社)など印象に残る作品が多く、本書も興味深く思いました。作品の中ほどで遭難してしまうので、「6days」というタイトルから、これから6日間、後半までどう進展していくのかハラハラしながら読みました。物語の展開、構成がうまいなと思いました。私自身、谷川岳の麓で育ち、沢めぐりに行ったときに、遭難者の石碑などを見ていたので、遭難事故の怖さを本作でどのように展開していくのかと思いながら読みました。登山部に入部していた美玖の登山に対しての考え方が甘いということ、美玖をリーダーとして頼りきっていた2人の遭難後の心情など、うまく表現していると感じました。後半、救助された美玖の入院先に、遭難中にスマホなくしたはずの亜里沙からグループトークが送られてきていたというのは、新しいスマホからとか、説明がなかったので、少し気にかかりました。

ハリネズミ:新しいスマホを手に入れたのでは?

きなこみみ:クラウドにバックアップさえしておけば、スマホはほぼ完全に、すぐ復元できるので、不自然ではないように思います。気軽なハイキングが、過酷な遭難に変わっていく様子、まるで坂道を転がり落ちるようなその過程が見事で、ぞっとするというか、ああ、これ、私もやりそう、と思いながら読みました。正常化バイアスって、無知が土台にあるなと痛感です。肝に銘じなければと、体がきかなくなりつつある私のような世代にも得るところの多い作品です。そして、今よく報じられている、闇バイトにいつのまにか取り込まれたりするのも、こういう感じなんじゃないかと。「闇バイトではありません」「簡単なお仕事」と書いてあるから大丈夫と信じたりするのも、ひとつは「知らない」ことからだと思うので。
ロシアの冬を狩りをしてすごす犬たちの物語『死の森の犬たち』(アンソニー・マゴーワン著 尾崎愛子訳 岩波書店)とともに読んで、人間が、都会にしろ、家族にしろ、共同体からはぐれてしまったときの脆弱さも胸に沁みました。自分の体ひとつで生きる動物たちと違って、私たちは丸腰では何もできない。成す術もない。自分が明日も明後日も、生きていられると思うことが不思議に思える時間を、この物語の中ですごして、読んだあと、彼女たちと同じく、しばらくふわふわしてしまう感覚になりました。生と死が、実は紙一重であること。ささやかな小さな間違いが遭難に繋がっていくこともそうですし、蛍光色の帽子、小さなコンパクトなど、生と死をわけるのが、まさにそんな小さなものだということも、命の奇跡や、今、ここにある、生きている不思議も感じさせます。
p95で、亜里沙が小鳥の死骸を見つけるシーンが、命のもろさを象徴するようで印象的でした。登山を自分でもされる安田さんの、山のシーンのうまさもさることながら、彼女たちが、それぞれに悩みや痛み、不安を抱えていて、「山に行きたい」という気持ちに至ったこと、その思いが、遭難の6日の間に、どんなふうに変わっていったのかが、ていねいに書かれているのがとてもよかったです。特に、由真という、「なんのなんの」と周りに言いながら、穏やかそうに見える彼女の内面が、実は孤独で、リストカットの体験もあること。JKという人を記号化する言葉が私はとっても嫌いですが、なんにも考えていない、気楽な女子高生、なんて存在なんて、この世の中には誰一人いないんですよね。
「脳内お花畑のレジャー客」が遭難、と彼女たちがSNSで叩かれることが最後に出てきますが、それもまた人間という複雑な存在を簡単に断罪したいという、ある意味正常化バイアスにも近いことだと思います。よく知らないことは、簡単に見える。それは、この3人もある意味同じではあって、お互いあまりよくわからないままだった3人が、「生きる」ことになんとか必死にしがみついて奮闘するうちに、お互いの内面にも、自分の、普段意識しない闇の部分にも深く向き合っていくところが読みどころだと思います。p203で、由真が、「もしもここを生き延びることができたなら、あたしはおとなになれる。おとなになれば、もっと自由に、いろんなことを選びとることができる。住む場所も、誰と住むかも、すべて自分で選びとれる」と強く思うところがとても好きなんですが、いろんな困難を必死で生き延びようとしている子どもたちへのエールにもなると思うんです。そんな彼女たちの覚醒が、美玖のじいちゃんのp258の言葉に、しかと結びついていくのも、良い結末でした。そして、非常にリアルに怖い物語なのに、読んだあとなぜか登山に行きたくなるんですね。安田さんの山に対する愛情が、そう思わせるのかも。

ニャニャンガ:まずは装丁に目が惹かれました。きっとこんなふうに遭難するのだろうなと予想しつつ、するすると読めました。とはいえ山の怖さは五感に訴える生々しさがあり、必ず助かるだろうという結末を頼りにしないと、なんともしんどかったです。極限状態に置かれたとき、3人が思いのほかしっかりしていることに頼もしさを感じて苦難を乗り越えられるだろうと望みを持てました。
個人的にはつい最近まで山を登る楽しさを理解できずにいたのですが、市内に
ある低山に初めて登ったときの爽快感がクセになりそれからつづけて何度か上りました。ただ少し間をあけて登ったときに実感したのが、ほんの数キロ体重が増えただけで体がしんどくなったことです。それを考えると由真もんは、若いとはいえかなり大変だったのではと想像しました。山登りには備えと心構えが大切ですね。とはいえ、ここまで極限でなくてはならないのかなとも……。

シマリス:装丁がセンセーショナルで、内容も気になり、発売後まもなく読みました。山登りの蘊蓄含め、面白い部分、初めて知ることはたくさんありましたし、ハラハラする展開で引き込まれました。ただ、とても感動した、同じ著者の『むこう岸』に比べると、物語の作りがシンプルかなと思いました。少女たちのそれぞれの事情が最初の章であっさり明かされる構成になっています。特に気になったのが美玖の部分。おじいちゃんに登山のことをしつこく言われて「バッカみたい」と言ったら、それが永遠の別れになります。非常に重い内容なのに、軽い感じの一人称で、「ごめんね、じいちゃん。ごめんね、じいちゃん。」(p17)なので、思考の浅い女の子に思えました。もちろん思慮深くないから、こういう事故に遭うわけなんですが、わたしの場合、そのせいでこの子に感情移入しづらくなってしまいました。すべてを冒頭にぺらぺらしゃべらせてしまわないで、どんな事情があるのかを小出しにして引っ張ったら、もっと引き込まれたんじゃないかと思いました。

ハル:登山と言えば、高尾山とか、奥多摩〜、筑波山〜、山頂でお弁当〜なんてハイキング感覚な私には、ぞっとくるほど身に沁みたし、恐怖が迫ってくる感覚に目が離せなくて一気に読み終えてしまいました。やっと電波が通じた! と思ったら、次々に通知が来て電源が落ちるところの絶望感は、いま思い出しても、指先が冷えてくるくらい(笑)。ハラハラ、ドキドキというだけじゃなくて、3人それぞれの内側に迫っていく物語としてのおもしろさにも引き込まれました。最後の、冨樫先生の記者会見の態度は世間でひと炎上しそうですけど、やっぱり、当事者じゃない人が、SNSやメディアで表面的に情報を受け取ったらまったく違うように見えるってこともあるよな⋯⋯と思いました。

ハリネズミ:おもしろかったです。私は若い頃はよく山に行っていました。さっき、しじみ71個分さんから、こんなふうに遭難するのがリアルかどうかという話が出ましたが、私はリアルだと思います。高い山だと、みんなそれなりに装備をきちんとして地図も持って登りますが、途中までロープウェーとかケーブルカーで登れるような山だと、パンプスとか、ノースリーブの人なんかもいたりします。ルートを外れさえしなければそれでもちゃんと帰れるのでしょうが、そういう人がルートをちょっと外れたりすると、同じようなことになるのかと。
地球の赤道より南の地域には、まだ成人儀礼というのが残っていたりしますよね。日本にも昔は近いものがあったと思うんですけど、おとなになるために子どもの自分を1度葬り、それから一人前のおとなとして再生するという儀礼です。この3人が体験したのは、まさにそれではないかと思いました。いわば臨死体験のようなことを経て、成長していきます。その成長の仕方も3人3様で、そこがまたいいなと思いました。また、いわゆる文明国だと、厳しい自然に対峙してサバイバルするという体験が普通はできないわけですけど、ああ、こんな状況だとその体験がありうるのかと思いました。

ANNE:山国信州に居住するものとして、身につまされながら読みました。イマドキの高校生たち、スマホ依存とまではいかなくても、電波が届かないところや充電が切れてしまったらもうどうしようもなくなってしまう様子が、大変リアルに描かれていると思いました。それぞれの女の子たちがいろいろな悩みを抱えながらも、懸命に前を向こうとしている姿に思わずエールを送りたくなりました。
私にとっての山は、登るものではなく見上げるものだなぁと改めて思った1冊です。

(2024年11月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年10月 テーマ:心の傷に向き合い、寄りそう

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『2024年10月 テーマ:心の傷に向き合い、寄りそう』
日付 2024年10月29日
参加者 花散里、ANNE、ハル、アカシア、エーデルワイス、雪割草、ニャニャンガ、ジョウビタキ、さららん、中島、きなこみみ、サークルK
テーマ 心の傷に向き合い、寄りそう

読んだ本:

フランスのトゥールの町並み
『ボンジュール、トゥール』
原題:봉주르, 뚜르
ハン・ユンソブ/著 キム・ジナ/絵 呉華順/訳
影書房
2024.02

ランスの美しい街トゥールに引っ越してきた12歳の韓国人の少年ボンジュ。引っ越し先の家の古い机には、「愛するわが祖国、愛するわが家族 生きぬかなければ」とハングルで書かれた謎の落書きが。学校では日本人のトシと親しくなろうとするが、トシはなかなか心を開かない。やがてトシは、自分の本当の出自をボンジュに打ち明ける――。朝鮮半島の分断を背景に描かれる友情の物語。第11回文学トンネ児童文学賞大賞受賞!
制服を着ている主人公の少女
『杉森くんを殺すには』
長谷川まりる/著
くもん出版
2023.09

〈版元語録〉「杉森くんを殺すことにしたの」高校1年生のヒロは、一大決心をして兄のミトさんに電話をかけた。ヒロは友人の杉森くんを殺すことにしたのだ。そんなヒロにミトさんは「今のうちにやりのこしたことをやっておくこと、裁判所で理由を話すために、どうして杉森くんを殺すことにしたのか、きちんと言葉にしておくこと」という2つの助言をする。具体的な助言に納得したヒロは、ミトさんからのアドバイスをあますことなく実践していくことにするが……。

(さらに…)

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杉森くんを殺すには

制服を着ている主人公の少女
『杉森くんを殺すには』
長谷川まりる/著
くもん出版
2023.09

きなこみみ:長谷川まりるさんは、どん、と心に響く作品を書かれる方で、この作品もまずタイトルのインパクトがすごいです。そして、タイトルのインパクトは見掛け倒しではなくて、まず主人公のヒロが「杉森くんを殺すことにしたの」と宣言するんですから、これはもう続きを読まざるを得ないですよね。そしてうまいなと思うのは、人物同士の関係性を、少しずつ開示していくところ。ゆっくりとヒロという一人の人間と知り合うように、物語が進んでいくところだと思います。杉森くんのように、強いSOSを友達が出してきたときに、どうすればいいかわからないという経験は、多かれ少なかれ子どもたち誰もが経験することだと思うんです。「寄り添いましょう」とよく言われるが、深く傷ついた人がすがってくる状態で、うまく寄り添うなど、おとなでも難しいことです。でも、寄り添えなかったという後悔も、また深く人を傷つけます。そのトラウマから、少しずつ回復していく心の起伏が、ていねいに、それでいてテンポと歯切れのよい文体で綴られていて、重いテーマなのに最後まで読ませていくのは、すごい力量だと思います。
ヒロを支えているのは、まず、賢い距離感のお母さんと兄なんですけど、これが血の繋がった関係ではないということって、結構大事かもしれないなと。どうしても、血縁の母と娘だと、こうしていい距離感で見守ることはなかなか難しいように思うから。同時に、良子という新しい友人関係の描き方もとてもよくて、彼女が熊谷晋一郎さんがよくおっしゃる「自立とは、依存先を増やすこと」という言葉を紹介してくれるのも、とてもいいと思います。一人で生きていける人間なんていなくて、人にどう迷惑をかけながら、かけられながら生きていくのかって、これからおとなになっていく人たちには、とても大切な、一生かかって作っていく、セーフティネットだと思うんです。最後にあげてある心理学系の参考図書のリストもよくて、いい選書だなあと思いました。

しじみ71個分:衝撃的なタイトルでとても気になっていました。読んでみて思いましたが、とても内省的な物語ですね。「殺す」という言葉から、杉森くんの自死について内省を深めて、自分の関わりと自分の気持ちを整理していく展開になっていて、読んで切ない気持ちになりました。友人の自死をいかに自分の心の中に落とし込んでいくか、ですが、とてもつらい作業ですよね。杉森くんが自分のつらい気持ちをヒロにぶつけ、それを見ないようにしてしまったことで、彼女の自死に関わってしまったという自責の念に苦しんでいることが物語の過程でだんだん分かってきますが、15歳の若者が背負うにはあまりにも重たいことだと思います。思春期の子には大変なショックだと思いますし、高校ではそのことを知る人が少ないのがよかったのもよく分かります。
それでも、矢口くん、良子ちゃんという心を開ける友人がいたことで、読みながら安心しました。ミトさんも自分も杉森くんを助けてあげられなかったことについて胸を痛めていましたが、大学生だってそりゃ無理だと思います。よく福祉の分野だと、人に頼れるようになることが真の自立とよく聞きますが、専門の人やおとなに頼らないといけないし、おとなはそれを受け止めないといけないですよね。人に頼っていいということを若い人たちに知ってもらいたいし、私たち大人も子どもたちのSOSに気づけるようにアンテナを立てておかないといけないと痛感させられました。本当に繊細な作品だと思いますし、内省に伴ってさまざまな考察が盛り込まれていますが、いくつか、モヤモヤした点があり、そこは少し気になっています。うまく言語化できませんが……。

さららん:1枚ずつベールをはがすように読み進むうち、「杉森くん」の真実がわかり、そのつど驚きました。主人公ヒロの心のうちに分け入るような書き方に、思わず引き込まれました。「杉森くん」の本当の名前は百花ちゃん。でも杉森くんと呼んでほしいという設定にも作家の計算があります。「百花ちゃんを殺すには」ではあまりに生々しくべたべたしますが(設定上、そんなタイトルはありえませんが)、「杉森くん」という硬質の名前だと、その感じが消えるのが不思議です。言葉の響きが持つ力ですね。p120の「自分のなかの、相手のイメージ」という考え方には、ハッとさせられました。当たり前かもしれませんが、私たちはみなそのイメージを相手に生きていて、本当の他人の姿も、自分の姿も実はわからない。言語化されていないことを明確にしてもらえ、読者の子どもたちがこれから悩みを抱えたときに、状況を客観視するうえでこの考え方は役に立つと思いました。重いテーマなのに、ギャグが生き生きしていて、読みやすかったです。個人的にはヒロがお父さんに対して抱く気持ち(p34「古きよき昭和」って感じで、ファンタジーっぽいものを感じる)のところで、そんな「お父さんには、わたしたち現代っ子の複雑な心境が理解できないんだと思う」と言われて、『うーむ、なるほど』と思いました。

ジョウビタキ:物騒なタイトルですね! 途中で「殺す」と「杉森くん」の2語に騙されていたのがわかり、少々腹が立ったけれど、あとはスムーズに読めました。あざといタイトルですけれど、戦略的には成功しているのかも。文章が生き生きしていて、とてもうまいですね。ただ、今の子どもたちがしゃべっている生きのいい言葉で書くと、10年後、20年後には一気に鮮度が落ちて、ダサい作品になってしまう。これは、YAを翻訳する人たちにとっても悩みの種だと思いますけど。友だちに自死された子どもの心情を描いた作品って、そんなにないと思うんだけど、どうでしょう? グリーフケアの作品としては、アメリカのドリス・ブキャナン・スミス作『ブラックベリーの味』(石井慶子訳)が、アナフィラキシーショックで親友を失った少年の心情を描いた、とても良い物語ですが、小学生向けなので、この本ほど複雑な心境は描いていません。ちなみに、「ブラックベリー」はぬぷん児童書出版で出版されたもので、今は古書店でしか手に入りません。ぬぷんは、優れた児童文学の翻訳書をたくさん出しているので、手に入らなくなっているのは残念です。最後に臨床心理士の方のていねいな解説や、「困ったときの相談先リスト」があるなど、編集が行き届いていると思いました。

ニャニャンガ:書名のインパクトの強さから手にとりにくかったので、この機会に読めてよかったです。いい意味でマンガっぽいと感じました。それは、重いテーマをとても読みやすくしてあるからかもしれません。対象年齢の読者には敷居が低くなってよいのかもしれませんが、自死した友だちの命に対してのアプローチとしては、個人的には苦手に感じました。
主人公のヒロが杉森くんを助けられなかったつらさから、あえてこのような行動に出て立ち直ったのかもしれませんが……義兄のミトさんはすべての事情を知っていてヒロを心配しているだけに、冒頭のやりとりは疑問に思ってしまいました。
杉森くんと呼ぶことであえて男子だとミスリードする理由、そして杉森くんを殺さなくてはならない理由などにひっかかりを感じたのですが、あえてそうすることで読者に考えてほしかったったのでしょうか? 私の読みが足りないのかもしれません。巻末に解説があってよかったです。

雪割草:タイトルが衝撃的だったので、ドキドキしながら読みはじめました。この主人公のように、自殺した子のそばにいて残された子どもはきっとたくさんいると思います。私は特別な環境で育ったわけではありませんが、中高、大学で自殺した子がいました。だから、そういう子どもたちに、自立とは依存先を増やすこと、というメッセージとともに届いてほしい作品だと思いました。この作品は、主人公がなんで杉森くんを殺さなければならなかったのか、その理由をあげていくのですが、周りのあたたかい人たちに助けられながら、やっぱり杉森くんを好きだったことに気付かされます。そして、人に罪悪感を抱かせるくらい、杉森くんは大事な存在だったんだと気が付きます。罪悪感がなくなるわけでもなく、喪失感を感じたまま、それでも前を見て生きていく主人公の姿は無理なく描かれていると思いました。

エーデルワイス:タイトルが刺激的で、構成がみごとでぐいぐい読めました。杉森くんが実は女の子だということなど、いい意味で裏切られていくのがおもしろかったです。主人公のヒロが友人の杉森くんの死を受け入れられなく、助けられなかった罪悪感、苦悩が伝わってきました。そしてティーンの自死を食い止めるのは、同じ年の友人個人ではなく、みんなで、それもおとなが助けなくてはいけない、という終盤のメッセージがよかったです。ヒロのステップファミリーの様子、実母のヒロへの暴力などがさりげなく書かれていて興味深く思いました。ヒロに新しい友人、ボーイフレンドも出来そうで、明るい未来を感じた終わり方で安堵しました。

アカシア:テーマはおもしろいし、必要な本だとは思うのですが、ストーリー展開があざとすぎるように思いました。普通は、親友の死について自責の念にかられたとすると、自分自身に刃を向けると思うのですが、この本では「殺す」という行為に出ようとする。またミトさんも藤森くんが1週間前に死んだことはわかっていて、「殺す」が現実には成立しようがないと知っているのに、「全部終わったら、裁判所で理由を話さないといけない」とか「おまえが刑務所にぶちこまれても、世間でバッシングされても、おれは最後までおまえの見方だからな」なんて言っている。そこまで話を合わせるのは、主人公のヒロが認知に難がある子だからなのだろうと思ってしまいました。p10からの「杉森くんを殺す理由 その一」が高校生の考えとは思えなくて、小学生の理屈のようにしかとれなかったので、よけいです。というわけで、最初のほうでミスリードされてしまったので、私はうまく物語の中に入り込めず、構成がすばらしいとも思えませんでした。

ハル:なぜ杉森くんと呼ぶのかは、p59に理由が書いてありますね。それで、私は最初にこのタイトルを見たときに、『人間交差点』(矢島正雄原作 弘兼憲史作画 小学館)という漫画にあった、殺してもいない妻を殺したと言い張る夫のお話(深い愛ゆえのお話なんです)を思い出しましたが、それとは少し違いましたが、愛の物語には変わりありませんでした。とても好きな1冊で、いま再読していますが、結末がわかって読んでも、冒頭から切なくてしかたないし、ヒロの思いが痛いほど伝わってきます。殺したい理由というのは、全部、痛いながらも懐かしい、大事な思い出なんですよね。友達を助けられなかったという自分の後悔を、罪として、何の罪だと名前をつけて、断じてほしいという気持ちもあるし、杉森くんが自分を殺したことにならないように、私が殺してあげたいという気持ちもあるし、自分がそう思い込むことで楽になりたいからという気持ちもあるし、全部真実なんだと思います。こんなに困難な事態とからまって傷ついた心を、書き手として、おとなとして、ひとつずつすくいあげて、ほぐして、光のあるあたたかい方に導いてくれた。構成も、そしてデザインも、本当に見事だと思います。

ANNE:まず、タイトルに、え?どういうこと?となりました。杉森くんはもう亡くなっているのに「殺すことにした」とヒロから電話で聞いたミトさんの受け答えに、若い男の子がそんなに冷静に対処できるのかしら? と疑問にも思ったのですが、幼馴染を亡くしたヒロの心情に寄り添った行動だったのだなと理解しました。自傷・自死といったデリケートなテーマでありながら、現代の15歳のみずみずしい日常が描かれていて、思いがけずさわやかな読後感を持ちました。あとがきのメッセージが悩んでいる子どもたちに届くといいなぁ。

サークルK:タイトルが直球すぎるというか、きつくてこわいのではないかと感じます。友人の自死を止められなかった自分を責めていた主人公がなぜ、死者に鞭打つかのようにもう1度「殺す」作業をしつこく行わなければならないのか、なかなか理解できませんでした。ステップファミリーになった自分の家族、異母兄への淡い思慕と同級生からの告白、「杉森くん」が実は「百花ちゃん」という女の子であったことなど、種明かしはされていくのですが伏線がきれいに回収されるというより、盛りだくさんすぎて振り回されてしまいました。一人で悩みを抱えている人向きに物語の始まる前に、「巻末解説」への導きがなされていたので、ついそちらを読んでしまいましたが、ネタバレ的なことが書かれていて安心したのと、15回「殺す」という展開にはやはり少しこだわりが強すぎるのではないかという感想を持ちました。読んでいて、主人公のヒロよりも友人の良子さんの普通さが救いになりました。

花散里:長谷川まりるさんの作品は、学校図書館司書達の研究会などでも注目されていて、本作が昨年9月に刊行されてから特に話題に上がり、定例会などで取り上げられていました。タイトルが衝撃的なこと、表紙絵もインパクトがありましたが、表紙裏の「わたしは前から、あの子のことばかり考えていた」、そして文字の色を変えて、「だって友だちだったから」という文に、この作品のディテールが込められているように感じました。本文の冒頭から「殺す」という言葉が使われ、「殺す理由」を挙げていくことで物語を展開していくところなど、構成がうまいと思いました。血の繋がらない兄、ミトさんとのやり取りから、杉森くんが自死したときのヒロの受けた衝撃、自責の念、ヒロがどんな思いでいるかを慮り、なんとかヒロを守りたいというミトさんの思いが伝わってくるようで、文章もうまいと感じました。良子さん、男子高生たちのヒロを支えていく表現も見事で、ヒロが実母から暴力を受けていたこと、継母の関わり方、美術教師の存在など、登場人物の描かれ方もうまくて、ヒロが自責の念から立ち直っていく様子が上手に展開されている作品だと思いました。中高の図書館に勤務しているので生徒たちの日々の生活を見ていますが、図書館に居場所を求めて来ているのでないかと感じられる生徒もいます。巻末の臨床心理士の解説を読んで、改めて生徒たちに手渡して行きたい作品だと思いました。

アカシア:だとしても、社会的な制裁は絶対に受けようがないわけですよね。だとすると最初は自分の中の杉森くんを消そうとしたのでしょうか。

ハル:誰かに「見放したあなたが悪い」と断罪してほしい気持ちもあるんじゃないかなと思いました。単に「あなたは悪くない」で済まされたくないというか。

ニャニャンガ:杉森くんを殺すことにより少年院に入る前にやり残したことをやる流れになっていて、ジェットコースターに乗ったりパフェを作ったりするのは理解が難しかったです。

ハル:ミトさんも、それでヒロの気が済むのならと話を合わせたのかも。「やりのこしたことやっとけよ」の一言が、結果、ほかのことにも目を向けるきっかけにもなりましたね。

ジョウビタキ:主人公も自死するのではないかと恐れていて、それで、びくびくしながら話を合わせているのでは? 物語の最後のほうで、ミトさんも反省しているような話をしていなかったっけ?

花散里:ミトさんは杉森くんが自死した時、ヒロがどのような想いでいたか、離れて暮らしいていて心配だったのだと思います。ヒロを見守りたいという思いが、冒頭のすぐに電話に出てくれ、ワンコールで出たことに「どきっとした」と書かれていること、「もしもし?大丈夫か?」という電話の言葉からも、ヒロのことを心配していることが伝わってくると思いました。

しじみ71個分:「殺すことに決めた」というのは、自分が、杉森くんが苦しんでいたのを見殺しにしたと思っていて、遡って、どうして殺してもよかったのか、つまりは自死する必然性があったのかを考えて、原因を確かめるような、自分との関わりの中で彼女が自死を選ぶまでの過程を確認する作業のことなんでしょうかね。それで、やればやっていくほど、やっぱり彼女は死んじゃいけなかった、自分は友だったのだと整理がついて、それを受け止めることで、ヒロ自身が回復していく過程にもなっていますよね。でも、殺人を犯したら少年院に入るからと思って、やりたいことをやっておこうというのは、よくわかりませんでした。架空の設定に自分を置いて、思い込もうとしているみたいですが、これはどうしてなんでしょう?

ニャニャンガ:ヒロが自死をする象徴として書かれているのでしょうか?

しじみ71個分:気持ちの上の問題なんでしょうか。

アカシア:そこはやっぱりあざといんじゃないかな。

しじみ71個分:確かに……。自分がモヤモヤした理由が少し見えてきましたが、やっぱりとても技巧的なんですよね。仕掛けが幾重にもなされていて……。自分が見殺しにしたという行為を「殺す」という言葉に置き換えて使っているのだということは読んで行けばわかりますが、どうしても「殺す」という言葉を使わなければ書けなかったのかなぁというところは気になります。

さららん:今の子どもたちは、「コロス」とか、日常生活では気軽に使っているかも。

しじみ71個分:なんとなくですが、もしかして、自殺を逆の視点から見たら、他者が「殺す」になるという発想から、つまりは「殺す」という言葉から発想を得て物語を構成したのかなぁとも思えてきました。それと、気になるのは、ヒロの実母の暴力とか、ミトさんとの会話の中で出てくる「自分のなかの、相手のイメージ」から杉森くんとの関係性を考えるとか、物語の背景世界まで物語の中に入れ込んでしまっているようで、私も、物語に含まれる要素が盛りだくさん過ぎて、仕掛けに幻惑される感じが否めませんでした。

ジョウビタキ:タイトルはやっぱりあざとい感じがしますねぇ…

(2024年10月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ボンジュール、トゥール

フランスのトゥールの町並み
『ボンジュール、トゥール』
ハン・ユンソブ/著 キム・ジナ/絵 呉華順/訳
影書房
2024.02

花散里:最初に本書を手にしたとき良いタイトルだと思い、手に取ってみて、パリのことやロワール川を訪れたときのことを思い返しながら読み始め、韓国の作家による作品で、主人公が韓国の少年であるとわかり、何よりも韓国の画家による挿絵が美しいと思いました。文章にも魅了されながら読みましたが、韓国人の少年と北朝鮮出身の少年の交流から、物語の謎解きとして、北朝鮮人が日本国籍を取得したことなど描かれていますね。朝鮮半島の歴史についても記されている作品のなかで、「訳者あとがき」にも書かれているように、歴史的事実と反することが、フィクションでも設定的にどうなのかと違和感が残りました。

ANNE:ミステリ仕立てで、ドキドキしながら読みました。導入の部分で伊藤博文暗殺事件の実行犯である安重根の名前が出てきましたが、読み手の子どもに事件を含めたその時代背景をきちんと伝えることが必要だと思いました。日本人として生活しているトシの家族、お父さんは本当に北朝鮮のスパイだったのかはっきり書いていないので、少しモヤモヤが残った感じがします。トゥールという町は知らなかったので、タイトルだけではピンとこなかったのですが、鮮やかな挿絵のおかげでフランスの美しい景色が目前に浮かんでくるようでした。

ハル:物語としてはおもしろかったのですが、みなさんのご意見をうかがいたいなと思う本でした。というのは、私はトシを、日本人になりすまして(本当に日本に住んでいたのかどうかすらはっきりせず)フランスで工作活動をしている家族の子だ思って読んだのですが、訳者のあとがきで、それは「ありえない設定」とありますね。でも、不正に日本国籍を取得したことが実際に明らかになったケースも過去にあったようです。現在も決して「ありえない」ことはないと思います。訳者が本当に「ありえない設定」だと思っているなら思っているで、ありえないけど架空の物語だからいいでしょう、というのはないんじゃないかと思うし、本当はありえる話だけど、読者である子どもたちを不安にさせまいと「ありえない」と書いたとしたら、それはそれで、なぜそれを日本の子に読ませたいと思ったのかが謎です。また、いくら歴史背景があっても、暗殺者を英雄視する行為は、私には、子どもにそのまま手渡すのはまずいように思えます。もちろん、おとなならそれぞれに感じることはあると思いますけれども。韓国と北朝鮮の子どもたちの話はとても興味がありますが、子どもが読む本としては、この本はちょっとどうなのかなと私は思います。

ハリネズミ:私はおもしろく読みました。トシのお父さんは北朝鮮の工作員なので、家族が身分を隠しているのですよね。そうだとしたら、正規のルートではなく当然裏工作もやるのだと思います。訳者は後書きで「トシの家族は、日本で祖国北朝鮮の仕事をするために日本国籍を取得したという描写があります。いま現在の日本の法律では、それはありえないことかもしれません。ですがその部分は、それを聞いたボンジュがスパイ映画のワンシーンを思い浮かべたように、あくまでも架空のお話として受け止めてよいのではないでしょうか」と書いていますが、私は架空の話ではなく実際にあり得る設定なのではないかと思いました。この後書きは、私には解せないことが他にもあって、この作品を「エキゾチックな物語」と言っているのも、何をもってエキゾチックと言っているのか、ピンときませんでした。ボンジュとトシが仲良くなったのに別れなくてはならないというのは、たとえばパレスチナとイスラエルの子どもが会うという以上のしんどさがありますよね。日本もかかわっておとなが作り上げた政治体制ゆえの不条理で、切ないですね。
韓国の子どもが北朝鮮の正式名称も知らないし、事情もよくわかっていないということが書いてあって、そこは驚きました。この作品では引っ越した先でボンジュが机の横に書かれたハングルの「愛するわが祖国、愛するわが家族」「生きぬかなければ」と書いてあり、その謎解きが一つの流れになっていますが、北朝鮮についてほとんど知らないボンジュなのに、それほど引っ張られる言葉だったのでしょうか。日本の子どもにとっては、ちょっとわかりにくいかもしれません。p32には、ボンジュが秘密にしておきたいことをあえて探ろうとしないお母さんが出てきますが、韓国の親はみんなこんなに物わかりがいいのでしょうか? それともこの家族の特性なのでしょうか?
本作りですが、1ページ大のおもしろいカラーの挿し絵がたくさん入っていて、斬新だなと思いました。日本の出版社なら費用がかかりすぎると文句が出そうです。書名は韓国語だとなんというのでしょうか? 「ボンジュール、トゥール」という書名はこの内容からすると能天気だと思ったのですが。

エーデルワイス:フランスの風情ある町並みが美しいトゥールで、韓国人である主人公のボンジュのほかに中国人、日本人、アラブ系と多国籍の人々がいて、基本フランス語を話しているけれど、それぞれの言語が飛び交っているという様子が興味深かったです。韓国と日本の微妙さ、複雑な感情があり、韓国では日本に対して厳しい内容の授業などを行っているんだろうなと想像できました。主人公のトシが、本当は北朝鮮人だけれども、日本人のふりをしなければならないこと、一つのところに長く居住できないこと、父親と離れて暮らしていることなど、過酷な毎日を送っていますが、それでも北朝鮮は母国だと大切に思う気持ちなども描かれていて、複雑さが伝わってきました。
その中で、ボンジュとトシの心が通じ合い友情を育むところが素敵だと思います。2人は離ればなれになり、思いはあっても手紙のやりとりも出来ず、たぶん一生会うことはないだろうと思うと切なくなります。
p48ジに、「……きちんとした格好をしていくと日本人と思われ、安物を着ていたら中国人と思われるらしいわよ」とありますが、どんな格好が韓国人?というのがおもしろかったです。それから、表紙、挿絵が素晴らしいですね。挿絵もカラーで豪華な本でした。

雪割草:おもしろかったです。トシはなんで日本国籍をもっているのだろうと不思議に思っていましたが、みなさんの話を聞いて理解できました。私は新潟市の出身で、実家の近所には横田めぐみさんが拉致された現場があって、北朝鮮というと怖いイメージをもって育ちました。韓国の方は、小学校がソウルの学校と姉妹校で行き来があって、ハングルや歌、料理を習ったり、チマチョゴリを着たり、楽しかった思い出があります。子どもたちにとって、直接は出会いにくい北朝鮮の子と、本を通じて出会えるという意味で、この作品は貴重だと思いました。また、フランスを舞台にすることで、フランス人から見たら、韓国、北朝鮮、日本のどこの出身かは見た目だけではわからないことを前提に、アイデンティティの問題に迫る切り口は上手だと思いました。p209で、トシが主人公に手紙で書き残した「ボクのこと、友だちって言ってくれてありがとう」という言葉は、居場所のないトシと今の難民の子どもたちが重なり、胸の詰まる思いがしました。錦鯉は、新潟の小千谷が産地なので、詳しいのは工作員の可能性もあるかもとやはり思いました。

ニャニャンガ:フランスに住む韓国の少年ボンジュと北朝鮮出身のトシが友人になる物語はとても興味深く、ミステリ仕立ててぐいぐい読めました。ただ、地の文は12歳のボンジュにしてはおとなびている印象に対し、会話文では「~の」と話すアンバランスさが少し気になりました。ちなみに図書館ではヤングアダルトコーナーに分類されていました。挿絵が個性的で、特にp135の絵は、主人公の心情を表現していて迫力があり、日本にはない表現に感じました。
訳者あとがきに書かれている「仕事のために日本国籍を持っている北朝鮮人という設定がありえないことかもしれない」となると、物語すべてが絵空事のように感じてしまい、大事なことなのにと残念に思ってしまいました。

ジョウビタキ:優れた文学作品で、良いものを読んだなあと思いました。挿絵もすばらしく、特に主人公の帽子の赤がアクセントになっていてすてきですね。課題として選んでくださった方に感謝しています。主人公の無邪気な好奇心が、実は友だち一家を追いつめていく有様に、息のつまるような思いがしました。ミステリとしても、サスペンスドラマとしてもひきこまれ、一気に読みました。安重根を偉人としているのは、日本の読者にとってはショックかもしれないけれど、日本を一歩出たら、こんな風に捉えられていることもあると若い人たちが知るのは、とても良いことだと思います。
北朝鮮の正式名称を韓国の子どもが知らないというくだりが、わたしにもショックでした。物語の舞台をフランスにしたのも、成功していますね。美しくて、おだやかな風景のなかに潜んでいるトシたち一家の悲しみや恐怖が、一段と強く感じられます。韓国文学をそんなにたくさん読んだわけではないけれど、独特の明るい寂しさのようなものを、この作品でも感じました。ただ、あとがきにある「エキゾチック」もそうですが、トシ一家が日本国籍を持っているというのは「あくまでも架空のお話」という文章にもひっかかりました。どうしてこんな風に余計な一言をいってしまったのかなあ? みなさんの意見にもあったように、じゅうぶんにありうることだと思うし、あとがきのために子どもたちにこの本を手渡すのをためらうことがあったりしたら、本当に残念だと思います。

さららん:自分もフランスに一時住んでいたので、学校のことや近所の薄暗いカフェのこと、当日の思い出をたぐり寄せるように読みました。トゥールは、ドイツに近いアルザスのように木造建築が並んでいる町なのですね。雰囲気のある表紙の絵から惹きつけられました。そして先日読んだ『隣の国の人々と出会う』(斎藤真理子著 創元社)と重ね合わせて、同じ民族なのに不条理に線が引かれていることの、心の在り方を一層よく知ることができました。朝鮮の歴史のまた別の側面を描いた「かぞくのくに」(ヤン・ヨンヒ監督)などの映画も、思い出しました。日本という場にあると、視点がどうしても限られがちです。フランスという場を設定して、そこで韓国と北朝鮮籍の子が出会う物語はとても斬新でした。出身が日本でも、韓国でも、北朝鮮でもフランスの人の目には変わりがないように見えるし、トシの一家が日本を隠れ蓑に使っている点もあり得る話だと思います。話は変わりますが、1990年代、近所に住む韓国人の友人に、朝鮮族(中国籍)の人を紹介しようとして、きっぱり断られた経験があります。北朝鮮と繋がりがあるかもしれないから、と言われました。私が思っていたような生易しい関係ではなかった。結果的にボンジュはトシを追いつめてしまうけれど、普通なら出会えなかったふたり、大きな力に巻き込まれて分断された少年たちが、「本当の意味で出会うことができてよかった。「愛するわが祖国、愛するわが家族」という机の文字に、朝鮮の歴史がぎゅっと詰まっているようです。難しいところはあるかもしれませんが、身近な国をもう少し深く知るためにも、YAの世代にぜひ読んでもらいたい作品だと思いました。

しじみ71個分:この本はさまざまな意味でとてもおもしろかったです。現代の韓国の人の感覚がとてもよくわかる作品だと思いました。フランスを舞台にしていることもありますが、現代韓国の人々の感覚がとてもインターナショナルで、その新しい感覚を作品の中にも持ち込んでいるようで、とてもグローバルな印象を受けました。日本人とは見えているものが違うかもと、うっすら思いました。ボンジュが北朝鮮のことをあまりよく知らなくて、トシに指摘される場面がありますが、今の若い子だとこのボンジュのような感覚なのかもしれず、逆にその点にリアルさを感じました。昔のおとなほど北朝鮮のこと知らないということは現代の若者だと実際にあるのかもしれません。ボンジュのセリフで、北朝鮮は独裁国家で、国民は貧しくて、というのがありますが、それは私たち日本人が報道を通して見聞きしている情報とほぼ同じようなもので、そういったステレオタイプな認識を、報道を通して知るくらいなのかもと思いました。北朝鮮の呼称については、私たちが日常的に「北朝鮮」と呼ぶように、韓国では「北韓」と呼ぶようですが、子どもだったら正式国名を知らないということもあり得ると思います。想像ですが、若い子たちは、徴兵されるまでは、祖国という概念を感じる機会が少ないのかなとも思いました。それか、祖国意識というのは、グローバルな暮らしの中では失われていくのかもしれないですね。逆に、トシやその家族は意識しながら生きていかざるを得ない。そこのギャップがまた物語の中で浮き彫りになっていく過程がおもしろいです。机に彫りこまれた「わが祖国」という言葉を見つける場面は、表現が非常に美しいと同時に、物語の仕掛けとしてとてもおもしろかったです。そのあと、ボンジュはその文字を書いた主を探し始め、その過程でトシとの関係が変化していきますが、その展開にドキドキしながら読みました。2人の間には、どうにもならないギャップや壁があったけれども友情を育み、友情が生まれた結果、離れ離れになってしまいますが、その結末の寂しさも含めて、とても美しい物語だと思いました。伊藤博文を暗殺した安重根が英雄、という点については、韓国史から見たらやっぱり英雄だと私は思います。韓国でならそれで当然だろうなと思います。日本が韓国で何をして、どのように思われているかについては、若い人たちも知っていてもいい、というか知るべきではないでしょうか。
韓国ドラマを見ても、時代物では必ず日本人は絶対に悪役です。そういう歴史教育を受けているといるのであれば、それが物語に出てくること自体当然で、そこに、違和感はありませんでした。若い人たちもたくさん韓国文化に触れる現在だからこそ、歴史上日本がやったことや、韓国の人たちの感情の根底には何があるかを認識して1度は悩んで、そのうえで楽しむ方がいいと私は思います。本当に様々な意味で心に残った作品でした。挿絵もデザインも造本もすばらしくかっこよくて、ああ、先を行かれちゃったなぁという気持ちになりました。

きなこみみ:繊細で、情景のひとつひとつに心が吸い寄せられていくような物語でした。読後もいろいろなことを考えたり、主人公のボンジュと一緒にフランスの空を眺めているような気持ちになったりしました。
作者は元々演劇の脚本家ということなんですが、うまいなと思うのが、冒頭の、机に書かれた「我が祖国」の言葉を見つけるシーン。光の演出のようで、とても引き込まれます。引っ越ししてきた夜に、この月の光の中で発見する言葉が胸に沁み込んだ少年の繊細さも素敵ですし、やはりこの月を見ながら書いただろう、書き手の気持ちも浮かび上がらせるようにも思いました。
フランスのトゥールという、異国が舞台であることで、ボンジュとトシ、2人の心の距離感や関係性がより鮮明になるんですが、そのことも、この冒頭のシーンと繋がっていて、ほんとにうまいなと。自国にいれば意識することのあまりない「祖国」という言葉や事情が、ボンジュとトシの間をむすびつけて、また引き離していく、その切なさを感じます。
グローバル世界と言われる反面、私たちは、どこにいても、ひとりひとりが、これまでの国の歴史と、今の政治状況と深く結びついている存在なんだということを、否応なく知らされてしまう。私ははじめ、トシは在日朝鮮人の一家なのかなと想像しながら読んでいました。でも、トシの抱える事情はもっと複雑で、そこに踏み込んでしまったボンジュは後悔するんですが、p189で「…自分のことを人に話せないっていうのは、隠れてくらしているようなものだろ」とトシがいっていて、いつも身を隠しているような気持ちで生きているトシにとって、何も隠さなくてよかったボンジュとの一瞬の交流は、とても大切な時間だっただろうと思うんです。そのせいで、もう会えなくなることも、もしかしたらトシはわかっていたのかもしれない。
でも、そうしたかったトシの気持ちもとても伝わってくる公園での2人のシーンが胸に沁みました。p164で、隣の国なのに、「朝鮮民主主義人民共和国」と言われて、最後までピンとこないボンジュに少し驚きました。こんなに、知らないんですね。同じ民族で、同じ半島に生きていても、フランス人とも、日本人とも普通に会えるのに、いちばん会うことのない人々が、地続きの隣に生きている人々なのだということに、この物語を読まないと気づきませんでした。そして、その事情に日本が深く関わっていることも、考えさせられます。
伊藤博文を暗殺した安重根のことが英雄として語られていますが、朝鮮半島の歴史と、そこに深く関与した日本の歴史を、こうして物語を通じて、日本以外の視点から眺めてみることも大切なことだと思います。歴史の深い闇をのぞかせながら、でも、心に残るのは、子どもたちが複雑な事情を抱えていても、お互いを友達として大切に思った瞬間があったこと。とても美しくて、どこか傷のように、あってよかったなと思う傷のように心に残る「文学」でした。

サークルK:ストーリーの展開する場所が、トゥールであるというところがまず絶妙でした。東京でもなく、パリでもなく、アジアや欧米の大都市ではない雰囲気が好きでした。ヨーロッパの小さな町の中で見かけるアジア人の「見られている」(それは時に、見張られているというニュアンスにもなってしまうので)外からの緊張感と、引っ越し先の家の中で偶然見つけた落書きの内からの緊張感がスリリングで、先をどんどん読みたくなる展開でした。日本人だと思ったトシが北朝鮮から来た男の子で、お父さんが工作員、おじさんは故郷では学者さんなのにトゥールでは一家でレストランをやっているという状況、ひっそりと身分を知られないように生きている家族の息苦しさや、苦悩が伝わるようでした。
日本では、北朝鮮はミサイルを飛ばす、拉致被害者の家族を苦しめ続けるというニュースを通じて知るばかりですが、このような物語を通じて、北朝鮮の一般家庭の苦しみにも想像力を働かせることができるなら、ぜひ中高生に手に取ってもらいたいと思いました。(お父さんが日本で工作員をしていたらしいということでは、やはり日本人としてはモヤモヤすることは否めませんが。)また挿絵がとてもモダンでおしゃれでした。表紙に描かれたハングルのタイトルと、このトゥールの街並みや石畳、通行人たちの洒脱なカラーの挿絵の取り合わせに、驚きました。(アジア系の垢ぬけなさがトゥールで浮いてしまうのでは?と思ったのは完全な偏見で、反省しました!)14章の小見出しのカラーがほかの章と違ってブラウン系の明るい活字になっているので、何か意味があるのかな、と思いましたが、これはどうやらプリントミス?のようですね(笑)。

しじみ71個分:あとがきの書きぶりについては、私も違和感がありました。北朝鮮の人が日本国内にいるということは実際あるんじゃないでしょうか。日本海から入ってくる人もあるでしょうし。北朝鮮から来た工作員については、「スリーパーセル」と呼ばれて、国会でも質問が取り上げられたりしているようです。翻訳した人が、なんの根拠も説明もなく、作品中の記述を否定したら、物語の印象が損なわれてしまうし、それはダメなんじゃないかなぁと思いました。

さららん:そういえば、トシの姿は、自分の正体が明かされたら、別の場所へと旅立たないといけない萩尾望都の漫画「ポーの一族」のアランにも、少し似ています(笑)。

花散里:p166、7行目「トシはなぜみんなの前で日本国籍をもつ北朝鮮人だと言わなかったのだろう」と書かれています。「北朝鮮人が日本国籍を取得できた」ことはないと思います。歴史を学んでいる中高生に、事実と反したものを進めて良いのか疑問に感じています。

ジョウビタキ:私は、ほかの方もおっしゃっているように、じゅうぶんありうることだと思うけど。

(2024年10月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年09月 テーマ:満州、そして中国

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『2024年09月 テーマ:満州、そして中国』
日付 2024年09月24日
参加者 エーデルワイス、きなこみみ、ハリネズミ、西山、ルパン、ハル、雪割草、ANNE、wind24、オカピ、コガモ
テーマ 満州、そして中国

読んだ本:

女の子が竜に乗って空を飛んでいる
『紫禁城の秘密のともだち1〜神獣たちのふしぎな力』
原題:故宮里的大怪獣
常怡/作 小島敬太/訳 おきたもも/絵
偕成社
2022.10

〈版元語録〉放課後は毎日のように、お母さんが働く紫禁城ですごす10歳の女の子、小雨(シャオユウ)。あるきっかけで動物たちの言葉がわかるようになった小雨は、龍や鳳凰など中国に古くから伝わる神獣たちと、さまざまな冒険にくりだします。紫禁城の宝物や建物の不思議も描く10話を収録。中国で1168万部を超える大ヒット作、日本上陸!
制服姿の女子高生が人々の前に立っている
『伝言』
中脇初枝/作
講談社
2023.08

〈版元語録〉満洲国・新京で暮らす、ひろみ。聖戦とよばれた戦に勝つため、工場に集められた彼女たちは、鉄の機械とのり、刷毛を使って畳ほどの大きさの「紙」を作り続ける。 それが何なのか、考えもせずに。 五族協和、尽忠報国――信じていた国でひろみたちはどう生きたのか。これはわたしたちが忘れてはならない物語。

(さらに…)

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伝言

制服姿の女子高生が人々の前に立っている
『伝言』
中脇初枝/作
講談社
2023.08

(『伝言』を課題本とする際に、子どもの本を前提としたこの読書会で取り上げるかどうか、同じ中脇さんの著書である『世界の果てのこどもたち』とどこが違うのか、という議論がありました。そのことについての発言があります)

オカピ:主人公のひろみは戦後、生まれ育ってふるさとだと思って暮らしていた満州が、実は自分の国ではなかったと知って愕然とします。李太々の愛情を無自覚にうけていたことの重みを感じるところなども、強く胸にせまりました。現代の日本の組織的な暴力の構造まで描いているのも、すばらしいと思います。こういう力のある作品が、YAでも描かれるといいですね。

wind24 : 戦争の前後に、満州国で何が行われていたのか詳しく知らないままでしたが、この本を読んで衝撃を受けました。満州事変も七三一部隊も言葉では知っていたのですが、日本が戦争加害国として何を行っていたか、何を行おうとしていたかに今更ながら恐ろしさを覚えます。子どもの視点で描かれてはいるんですが、おとなも含め登場人物たちがうまく絡みあい話が構成されているので、一気にひきつけられるように読めました。満州国に渡った人には2種類あって、満州で仕事も地位もあって使用人も使えるような人と、貧しい農村から開拓を目的に入った人たちがいます。長野県からは後者の貧しい農村からの人たちが多く渡り、その厳しい生活を伝える満蒙開拓団の資料館があります。戦争が激しくなり日本が劣勢になるにつれ、子どもたちが秘密の軍事兵器を作らされる様子は生々しいものでした。戦争が子どもたちの日常をいとも簡単に奪ってしまうのを改めて思いました。そして現地の中国人たちが日本人にどれだけ搾取され苦しい生活を強いられたかを日本人はもっと知らないといけないと思いました。

ANNE:中脇初枝さんは『きみはいい子』(ポプラ社)以来とても気になっている作家さんです。この物語は、満州国で女学生となった主人公の生活を中心に、当時の日本人の心情がありありと描かれていますが、風船爆弾や七三一部隊のエピソードもあって、大変苦しい気持ちで読みました。図書館には、戦争関連のレファレンスも多く寄せられますが、負の歴史の資料は多くなく、苦慮するところです。歴史は歴史として、きちんと後世に残していくことが必要だと改めて感じました。

雪割草:私の祖母は満州から引き揚げてきたのですが、だれにもその体験を話そうとせず、満州を思い出すからニンニクの匂いが嫌いで、料理するときに使おうとしなかったというのはおぼえています。満州の本を読むと、いつもそんな祖母のことを思い出します。この作品はとても切なかったけれども、とてもよかったです。ひろみは終戦を迎え、満人と立場が逆転し、同じことをされてはじめて気がつきます。いろんな人の視点で語られることで、戦争を記憶するときに、相手の立場に立って考えることの大切さを伝えていると思います。それから、ひろみたちがいったん満州から逃げようとしたけど失敗して、再びもどってきたときに、李さん家族がよく帰ってきたと喜ぶ場面に、とても胸を打たれました。ひろみは、日本人と満人という違いを超えて、同じ人間同士としてのあたたかな交わりを経験していたからこそ、日本が満州でしていたことを知ったときに、深い深い心の傷となったのだと思います。戦争がつくり出す無知の怖さにも気付かされました。子どもの本かどうかはさておき、子どもにも伝えたい、読んでもらいたい作品だと思いました。

ハル:これを小説として書き上げる勇気を感じ、憧れるというか、すごいなぁと思いました。ラストが今も胸に迫ります。はるみが40年後に長春を訪れたときに、自分が満州で使っていた言葉が、侵略者としての中国語だったと気づいてしまって、「それからずっと、わたしは中国語を口にしていない」(p295)というところ。無邪気で、何も知らなくて、あたたかく幸せなはずの思い出さえも、「なつかしいなんて、日本人のわたしが思ってはいけないのに」(p295)というところが、切ないを通り越して苦しかったです。結局戦争は、人と人が心を通いあわせても、国と国とで断絶されてしまうものなんだということを感じました。
ところで、この本が「子どもの本じゃないからどう」ということではないですが、「子どもの本」であるかどうかは、ひとつには、作者が子ども向けに書いているかどうかという点によるんじゃないかと思います。この『伝言』は子ども向けに書いた本ではないでしょうし、出版されている本にもルビはありません。また、ルビがあるから子どもの本だということではなくて、表現や内容も、どの年代のひとに向けるのかというのは、それ相応の違いがあるということかなと思います。

オカピ:同じ作者による『世界の果てのこどもたち』(講談社)も一般書として出ていますが、子ども時代の記憶が、物語の中で大きな意味をもっています。「子どもの視点で描かれているもの」「子どもに向けて書かれているもの」が、児童文学だと思いますが、線を引いて大人の本と分けることはできるのでしょうか。

きなこみみ:子どもの本とおとなの本の間に明確に線を引けるのかという問題もありますね。

オカピ:出版社が一般書として出しても、図書館などで、児童書に分類されることもあります。

ハリネズミ:おとなの本を中学生が読むとか、受け取る側はそれぞれで構わないけど、出版する側は、年齢対象をきちんと考えたうえで出していると思います。そう考えるとこの本は児童書とは言えないですね。内容的にも中学生でも読むのは難しいと思います。

ルパン:私は完全に一般書だと思って読みました。けれども、この内容を子どもたちや若い人に伝えたいということは強く思います。このことを子ども向けに書いたものがあったらいいなと思います。

西山:今日は、この作品が『世界の果てのこどもたち』とどう違うのか、違わないのか、テキストに名前が挙がったときの賛否の闘い(笑)を高みの見物しようと思って、以前読んだきりで再読もせず参加しています。子どもの読書力もそれぞれですから、子どもが読むかどうかで分類することはできませんよね。結局、作り手がどっち向きに出しているかということで。『世界の果てのこどもたち』と『伝言』の違いは、いま具体的に語られたので、そうだなと納得しています。この読書会の選書の約束事として、どうするかという問題ですね。ところで、私の父は満州生まれで、母方のおばたちも満州で働いていました。繰り返し聞いた話もありますが、なかなか突っこんで聞けなくて、高齢のおばたちに戦中の話をしてもらうのは、どうしても及び腰になってしまって反省しています。101歳になるおばに、最近満州が舞台の小説を読んだと話を向けたとき、「ターチョ」とか「マーチョ」とか食べものなど、『伝言』の中の名詞や、風景が出てきて、中脇さんがこういう風に書いてくれることで、当時の満州の様子を生き生きと知ることができるのはありがたいと思います。

ハリネズミ:私は読んでよかった作品だと思ったし、風船爆弾を満州でも作ろうとしていたのを知ってびっくりしました。また上に従う風潮が強いなかで、じんちゃんという存在を出してきたところに作者の意志を感じました。でも、この本は明らかにおとな向けの本ですよね。『世界の果ての子どもたち』とこの本の違いは、『世界〜』の方は主人公たちが最初に登場するのが子ども時代で、それが徐々に歳を重ねていく。でもこの本では主人公の﨑山ひろみが最初に登場する時点ですでに敷島高女の女学生になっていて、ほかの主な登場人物もみんなおとなです。それから『世界の果ての子どもたち』は、どの子も数奇な運命をたどるのでそのドラマを追っていくのも子どもにはおもしろいのですが、『伝言』は風船爆弾を作っても役に立たなかったという話なので、おもしろさが少ない。ルビも少ない(「世界〜」の方は満州にもルビが振ってありましたが、こちらは当用漢字でも振ってないのがあります)。物語にアクションが少ない、という点も言えると思います。
風船爆弾については、『ぼくは風船爆弾』(高橋光子著 潮出版社)という、実際に少女時代に作製に携わった方が書いた児童書がありますし、小林エリカさんも『女の子たち風船爆弾をつくる』(文藝春秋)という本を書いています。

きなこみみ:満州で、あのときに何が行われていたのか、その暗部に切り込んでいく中脇さんのまなざしに打たれました。女学生のひろみを軸に、複数の視点があることで、当時の満州が浮かび上がってきます。YAとして読むなら、ひろみを主人公にした部分に反応するべきなんですが、私はそう読めませんでした。この物語の中で私がいちばん惹かれたのはひろみをかわいがった、中国人の李太太(リータイタイ)であり、この物語を貫く鍵になる人は、やはり彼女だったと思うのです。地に足をつけて生き抜く力を持つ体のなかに、実はとても繊細な憧れや、熱い愛情の炎を持っていた人で、その愛情ゆえに、日本と中国の板挟みになって、生きるのがつらくなって、アヘンにおぼれてしまった人だったんですよね。そして、そのアヘンは日本が戦略として流布させていたものだということを考えると、まさに構造的な暴力が弱者を踏みつぶしていくということを、彼女は体現していると思うんです。
第七章で、老いたひろみが再び語る過去と今が、非常に読み応えがあるんですけれど、孫のあかりが受ける現代の日本でのパワハラが、ひろみの経験した満州での過去と対比になっているんですね。満州へ、アジアへ侵略していったことの加害責任を直視せずにごまかし続けている限り、日本社会の芯のようなものが、本質的に変わらない、変われないのだということがよくわかる、そういう構成で書かれていることに、深く頷きました。児童文学で、満州のことを書くのは非常に難しいと思うのですが、あまんきみこさんが、幼い頃に満州に住んでいたことを、加害責任を含めて忘れられずにいて作品を書かれたこと、三木卓さんが、満州に生きたことを原体験にして『ほろびた国の旅』(盛光社)という、これからも読み継ぎたい作品を書かれたことを思うと、これは何とかして子どもたちに伝えていかなければならない、非常に大切なこと、難しいけれど重要なことだと思います。『ほろびた国の旅』は、2009年に新装版が出ているのですが、今、図書館以外では手に入りにくくなっています。残念です。

エーデルワイス:重いテーマですが、読む機会をいただいて感謝しています。満州から戦争を経て日本の高知に至るまでの構成、登場人物の心象が見事です。李太太がとても印象に残っています。当時としては大柄な女性、纏足をせずに一生懸命に働いて、日本に組したと中国社会で石を投げられ、病んで阿片中毒になってしまいます。かわいがっていた、洋子とひろみ姉妹のために靴を作りますが完成することがなかった。鮮やかな色の花の刺繍が目に浮かびます。その作りかけの靴はどうなったのでしょう? 李太太は無事に生き延びたのでしょうか? 満州国建国13年、1945年のその街や生活は近代的で豊かだったことに驚きです。人間描写、心理描写はすばらしくて読み応えがありました。児童書か一般書かと考えると、様々な登場人物の心理を読み取らなければならないこの本は一般書と思いました。

コガモ:私は選書係だったので、すんなりと決まった『紫禁城の秘密のともだち』のほかのもう1冊と思いましたが、悩んだあげく雪割草さんとオカピさんに相談したところ、この本を推薦されて読みました。最初は児童書とばかり思っていました。私の義母は満州で生まれ育ち、主人公と同じように有名な女学校に通い、のちに結婚し、敗戦後は夫婦と子ども3人の一家で過酷な体験をしながら引き揚げてきましたが、生前、毎日のように聞かされてきた義母の話を思いだしながら読みました。作品では、敗戦後、関東軍と満鉄の社員がいち早く逃げてしまったと書いてありますが、夫が満鉄の社員だった義母の話によると、部下を置いて安全なうちに逃げ出したのは学閥で結ばれたお偉方ばかりで、中間管理職だった義父は、自分の家族だけでなく部下の心配もしなければならなかったとか。そういう細かい点では気になるところがありましたが。ちなみに義父は満州のことを決して話そうとはしませんでした。児童書ではないと気づいたのは、途中から七三一部隊の兵隊の視点に変わったときです。これは中高生が読むには難しいのではと思い、あわてて巻末の記述を読んで「小説現代」に連載されていたものだとわかりました。それで、「怯む」などの難しい漢字にルビがなかったのも合点がいきました。それでも、課題本にしたいと思ったのには、2つ理由があります。
1つ目の理由は、児童書でなくても読解力のある中高生には薦めてもいいのではないかと思ったから。2つ目は、加害としての戦争というか、戦争の加害性を児童書にどう書いていけばよいか考えたいと思ったからです。子どもは加害者になりえないと考えれば児童書で描けるのは、被害としての戦争だけ。じっさい、小学校の教科書であまんきみこさんの『ちいちゃんのかげおくり』(あかね書房)や今西祐行さんの『一つの花』(ポプラ社)を読んだ方はとても多いと思います。どちらも優れた作品なので、長いあいだ取りあげられてきたのでしょうし、それを否定している訳ではありませんが……。
わたしは戦争中に生まれ、物心ついたときには戦争が終わっていたギリギリの戦中派ですが、当時の小学校の教科書には戦争に関する物語は載っていなかったと記憶しています。子どもたちは実際に体験していたし、体験しないまでも周囲のおとなたちに聞いて知っていましたからね。1年生か2年生の国語の教科書に載っていたのは、今でも出版されている浜田廣介作『むくどりのゆめ』でした。栗の木の巣穴に暮らすムクドリの父子の話で、子どもは母鳥が亡くなっているのを知らされておらず、巣穴の外の栗の枯葉がカサコソというたびに、お母さんが帰ってきたかと思う、それは悲しいお話で、クラスの女の子たちは「悲しいね」といいながら、大好きだといっていました。その「悲しいね」と、「ちいちゃん」や「ひとつだけ」を読んだ子どもたちが感じるであろう「悲しいね」は、どこが違うのだろうと、ついつい考えてしまいます。そのまま、あまり本を読まなくなっておとなになったら、戦争の加害性を考えないままになってしまう……。もっと悪ければ、そういうのは自虐史観だと思うようになったりして……。
戦争の加害性を考えさせる作品としては、中国と日本の両面から戦争を描いた乙骨淑子さんの『ぴいちゃあしゃん』(理論社)や、自分自身の体験から満州を描いた三木卓さんの『ほろびた国の旅』がありますが、いずれもかなり昔に書かれたものですよね。海外の作品にはウェストールの『弟の戦争』(徳間書店)とか、モーパーゴの短編「カルロスへ」(『だれも寝てはならぬ』所収 ダイヤモンド社)とか……。今の日本の作家は、そういった作品を書いているのでしょうか?

西山:日本の加害を書いた作品といえば、七三一部隊を取り上げた松谷みよ子『屋根裏部屋の秘密』(偕成社)がいちばんに思い浮かびます。日本児童文学者協会で作った「文学のピースウォーク」シリーズ中の、今関信子『大久野島からのバトン』(新日本出版)は広島の毒ガス兵器作りに携わった人の被害者でもあり、加害者でもある面を書いています。同シリーズの高橋うらら『幽霊少年シャン』(新日本出版社)は、おっちょこちょいな幽霊少年を出すコミカルな作りながら、個人として親切な振るまいと植民地支配している構造的な暴力を書き出しています。あと岡崎ひでたかの『トンヤンクイがやってきた』(新日本出版)、森越智子のノンフィクション『生きる〜劉連仁の物語』(童心社)とか。
あと、ついでに言っちゃっていいですか? この夏神戸で開かれたアジア児童文学大会で発表された中国の作家湯湯(タンタン)さんのお話がとても興味深くて、遅まきながら「トゥートゥルとふしぎな友だち」(髙野素子訳 平澤朋子絵 あかね書房)シリーズの3冊を読んだんです。中国の少し昔風の村の少女が主人公の切なさや怖さのある不思議の世界で、とてもおもしろかったので、お薦めしておきます。

ハリネズミ:無意識の加害ということでいうと、『ぼくの心は炎に焼かれる』(ビヴァリー・ナイドゥ著 野沢佳織訳 徳間書店)もおもしろかったです。

(2024年09月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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紫禁城の秘密のともだち1〜神獣たちのふしぎな力

女の子が竜に乗って空を飛んでいる
『紫禁城の秘密のともだち1〜神獣たちのふしぎな力』
常怡/作 小島敬太/訳 おきたもも/絵
偕成社
2022.10

エーデルワイス:近場の図書館が所蔵していなかったので、所蔵の図書館から取り寄せてもらいました。シリーズの1だけでよいのかと図書館員にきかれて、ええと返事しましたが、読み終えて2と3も借りるべきだったと後悔しました。おもしろくて、改めて2と3を予約しました。その後のお話を読むのが楽しみです。神獣たちについてのこと、中国の歴史のことがよくわかり、漢字も全部ルビがふってあります。イラストもかわくて親しみやすく、子どもたちも読んでくれるのではないでしょうか。タヌキの町として日本が出てきたり、ジブリアニメのとなりのトトロの歌、ディズニーのアニメの話も出てきて、現在の中国の様子を垣間見ました。

きなこみみ:紫禁城と神獣といういう、まさに「中国」という題材のなかに、今を生きる小雨(シャオユウ)という子どもが神獣たちと生き生きと活躍するのを、とても楽しく読みました。子どもたちは『三国志』などの古典は横山光輝さんの漫画やゲームで大好きですが、隣の国なのに中国を舞台にした現代の作品がなさすぎると常々感じていたので、こういう作品はとってもうれしいです。後書きによりますと、作者の常怡(チャンイー)は、父親から中国古典を習ったそうですが、子どものときに路地裏で、近所のおじいさんたちから、神獣の話をわくわくしながら聞いていたそうで、水木しげるや、先日講演会があった上橋菜穂子さんの子ども時代を思い出したりもしました。
神獣のキャラクターの挿絵が、とてもかわいらしくわかりやすいので、子どもたちもワクワクしながら読めそうです。ディズニーやジブリの話題が出てくるのも、親しみやすさが生まれていいなと思いますし、7章の「吻獣(ウエンショウ)とデート」では、かっこいい吻獣と海をこえて日本の夏まつりに遊びにくる話もあって、お互いの文化が重なることを実感できるのでは。これは、ヨーロッパ系の物語では得られない楽しさではないかなと思います。
子どもの世界が重なりながら広がっていくのは、とても大切なことで、最も近くて文化も密接なつながりがある国なのに、中国と日本は、様々なおとなの事情で、なくてもよい壁が作り出されているように思います。小雨や神獣たちと物語の中で自由に、楽しく友だちになってほしい。そう願ってしまいます。小雨は、感受性も豊かで魅力的ですが、彼女自身の生活の背景はあまり語られません。それは、この物語が、日常ではない異界に入っていく、そこでの小雨を語る物語だからなのだと思います。小雨は、どうやら母一人子一人で、いつも母が遅くまで働いていて、一人でいる時間が長いようです。そんな彼女は、もしかしたら学校では全く違う小雨なのかもしれないな、と思います。塾に通うエピソードも出てきますが、家とも学校とも違うこの世界の中で生き生きとふるまう彼女が、どんな風に現実世界で生きているのか。2巻にはちょっとそこにも触れられていて、3巻は借りられなくて読めていないのですが、楽しみにシリーズを読んでいきたいと思います。

ハリネズミ:中国の児童文学は、曹文軒さんの作品や、中由美子さんが訳されたものなどをいろいろ読んできたのですが、こんなにおもしろいエンタメ物語もあったのかとびっくりしました。ネコの梨花(リーファー)の言葉の語尾がニャアとかニャになっているのも不自然ではなくはまっているし、少雨の会話体の文章も、物語にぴったりです。それに、日本人が描いた挿し絵にも嫌味がなくて、本当に楽しいですね。

西山:私も楽しく読みました。ただ、実際の紫禁城のあれこれを描く必要があるのに、どうして日本人に挿絵を描かせたのか不思議に思いました。わかりやすいしぴったりの絵だと思っていますが、原作がどうなっているのか気になります。こういうタイプの物語が日本にもあれば、と思いました。日本の神社仏閣その他、いろいろ有名で歴史ある場所はあるし、神話伝説の登場人物?やエピソードもあるのだから、こういうエンタメ作品になったら、とてもおもしろく読めると思います。

きなこみみ:猫の梨花(リーファ―)が「神獣タイムス」を作る、という設定もよく考えられてますよね。紫禁城ってこんなところだってわかることもあり、興味がそそられるような、いいコーナーになってます。

ルパン:まだ途中までしか読んでいないんですが、質問だけしていいですか? この神獣たちって、屋根の上にいることになっていますよね。ふだんは屋根の上の作り物の中にいて、夜とか小雨としゃべるときだけ中身が降りてくるんですか? それとも、作り物のはずの体ごと降りてくるんでしょうか? この子が昼間来ているシーンもありますが、昼間は神獣たちは出てこないんでしょうか。あと、神獣たちが「いちばん若くても数千歳」(p43)っていうことをこの子が最初から知っているのはどうしてなんでしょう?

ハリネズミ:この神獣たちのことは数千年前から書物に書かれているのでは?

ルパン:なるほど。数千年前にいたことがわかっている、ということですね。でも、屋根の上の像が作られたのは数千年前じゃないですよね? そうすると作り物がしゃべるのはおかしいような。最後まで読めばわかるんでしょうか?

コガモ:わたしは、すんなりと読むことができましたけど。どうしてでしょうね?

ルパン:p166のまんなかあたりを読むと、神獣は昔はいたけど絶滅したようにもとれますが…深く考えずに読んだほうがいいのかな?

ハル:約1000戸もの建物があって、たくさんのお宝が眠っていて、ものすごくわくわくする舞台だなと思いながら、だんだん、「あれ、最初のルンバの話はなんだったのかな」とちらっと思ったり、ちょっと眠くなったりもしました。原題の「故宮里的大怪獣(グーゴン リー ダ ダー グワイ ショウ)」の字面と音の響きの瞬発力もすごいですね。総じておもしろかったけど、話によってはやや印象が弱いかなと思うものもあって、ちょっと長いかなぁ。でもやっぱり、故宮博物館とか、日本だと正倉院展とか、ロマンがあふれますよね。わくわくします。

雪割草:楽しく読みました。あとがきで、作者が子どもの頃、お年寄りから神獣の話を聞いた体験がもとになっているとありましたが、エンタメでありながら文化や伝統にも親しめるように語っていていいなと思いました。それぞれの神獣が悩みをかかえていて、困って小雨に相談するような場面もあって、小雨の友だちのように描かれているのも親しみがわきました。斗牛が働きづめで休みをとりたいという理由が、パンダを見にいきたいからというのも、かわいらしくてクスッとしてしまいました。絵もかわいく親しみやすく、作品のいい味になっていると思いました。こんなエンタメの日本版があったらいいなと思います。

ANNE:中国のファンタジー小説は初めて読みました。主人公が野良猫にあげる猫缶を買うためにミネラルウォーターのペットボトルを拾ってお金に換えるという描写がありましたが、紫禁城という有名な観光地でそんなにゴミが落ちているのかしら?と、ちょっと気になりました。訳者の方が、今風の言葉を敢えて使っているのがおもしろいと思いました。p164の「もふもふ」とか。私の勤めている図書館では所蔵がなかったのですが、利用者の方からとてもおもしろいからぜひ!とリクエストをいただいたシリーズです。続巻が楽しみです。

wind24 : 途切れ途切れに読んだせいか、中国語読みの名前がたくさん出てきたせいか、私はファンタジーの世界に入りづらかったです。モチーフとしては猫の梨花がネコ記者として紫禁城のニュースを探していたり、小雨が神獣たちと冒険を繰り広げたりと、子どもたちが好きそうなものがいろいろと登場します。しかし小雨が夜中に帰って来てもお母さんが探すわけでもなく、小雨がお母さんのベッドにもぐりこむ辺りは生活の匂いがしないと思いました。地下宮殿の中で勇気を出すために小雨が歌うのが、となりのトトロの「さんぽ」だったりするのも唐突な感じを受けました。そして声を出してはいけないという約束を結果破ってしまいますが、特におとがめもなく拍子抜けしました。

オカピ:アジアが舞台のエンタメはあまり読んだことがなかったので、とても新鮮でおもしろかったです! これは1巻目なので、これから描かれていく部分もありますね。

コガモ:中国の児童書ということで、とても興味がありました。紫禁城というと、浅田次郎さんの『蒼穹の昴』(講談社)の印象が強くて……特に珍妃の井戸などが出てくると……そのイメージを押しのけ押しのけ読みました。みなさんがおっしゃるように、ひとつひとつのエピソードがおもしろく、とても美しいものもあって、中国文化と歴史の奥深さを感じました。子どものころ、お年寄りから聞いたお話がベースになっているという著者の後書きに感動しました。代々語りつがれていく物語は、深いですね。中国の子どもたちの日常が、日本のニュースなどでは断片的にしか伝わってきませんが、2巻、3巻では出てくるのかな。

きなこみみ:2巻では、永楽という祈祷師の少年が新しいキャラクターとして登場して、小雨の学校生活や日常も少しずつ描写が深まっている気配です。これからシリーズが進むとどうなっていくか見届けたいと思っています。

(2024年09月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年08月 テーマ:自由をさがして

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『2024年08月 テーマ:自由をさがして』
日付 2024年08月20日
参加者 ハル、ルパン、花散里、アカシア、エーデルワイス、アンヌ、きなこみみ、しじみ71個分、レジーナ、西山、シマリス、さららん、雪割草
テーマ 自由をさがして

読んだ本:

若い男性と女性が色彩のない街の中にいる
『モノクロの街の夜明けに』
原題:I MUST BETRAY YOU by Ruta Sepetys,2022
ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳
岩波書店
2023.09

〈版元語録〉1989年、ルーマニア。独裁が続くこの街で、高校生のクリスティアンは密告者になった。自由を夢見る17歳は、東欧諸国の民主化を伝える海外ラジオに耳をすませ、任務を逆手にとって、世界に真実を知らせようとする――抑圧された人々の祈りが、ついに国を動かすとき。革命の希望と痛みを描く、渾身の歴史フィクション。
砂漠の中で赤い目の竜らしきものに乗る黒い人影
『ラナと竜の方舟〜沙漠の空に歌え』
新藤悦子/著 佐竹美保/絵
理論社
2024.04

〈版元語録〉気がついたら、沙漠の町の前に立っていたラナ。隣にいた男の子ジャミルは「竜に乗って空を飛んできた」と言いますが、ラナは、いつ、どうやって来たのか覚えがありません。その町は、沙漠のオアシスだったのが、いまでは人には見えない〈蜃気楼の町〉になっていました。竜は、いのちの危険にさらされている子どもを救いだして連れてきていたのです。故郷から逃げ出そうとしていた自分も、危ないところを助けられたのでしょうか? そうだとしても、これからどうすればいいの? どこへ行けばいいの? どう生きていきたいのか、ラナは自問します。

(さらに…)

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ラナと竜の方舟〜沙漠の空に歌え

砂漠の中で赤い目の竜らしきものに乗る黒い人影
『ラナと竜の方舟〜沙漠の空に歌え』
新藤悦子/著 佐竹美保/絵
理論社
2024.04

アンヌ:今回は残念ながら、このファンタジー世界の仕組みをうまく読み解けなかったので、疑問ばかりが残りました。竜の宿はおもしろいけれど、竜使いとはいったい何者なのか? このキャラバンは現実のものなのか? 命の水は外界に持ち出せるらしいけれど、ほしがる人間たちがやってきたりしないのだろうか? とかです。さらに、ラナは「オレンジの誓い」も思い出せなかったほどの心の傷を負っているから出て行けないのだとしても、ずっとここにいるというのは、本当にしたいことではないんじゃないかとか思えてきて、いろいろ答えを見いだせないまま読み終えました。

さららん:しばらく前に読んで、今回、再読しました。すごく魅力的な物語です。竜も、蜃気楼の町も、女の人の顔をした鳥「フーフー」も大好きです。中東の雰囲気や、伝承の存在を背景に、現実に追いつめられて故郷を離れる難民、という現代的な要素を盛り込んだファンタジーに仕立ててあり、見事だなあと思いました。はるかな世界に今の社会の問題が透けて見えるのですが、女の子には勉強が許されない場所からひとり逃げ出してきたラナにも、おばあちゃんの家に行きたいと言い続けるジャミルにも、その訴えに悲痛さがない。心の動きに薄い膜がかかっているように見えます。本来だったら、もっと切実に嘆き悲しんでいいのに。それはなぜなのか一緒に考えたいと思って、今日は参加しました。

ハル:とてもおもしろかったのですが、この「方舟」の存在をどうとらえていいのかなと、ちょっと迷う部分もあります。途中までは「方舟」にいるみんなは、もしかしたらもう現実の世界では生きていないのかなと思ったのですが、そういうことではないみたい。ラストまでラナの未来が定まらなかったのは、物語の着地点としては弱いようにも感じたけど、とても新鮮で、リアルだなと思いました。逃げた先で「あなたは何がしたい」「どうしたい」って言われても、平和な国の子どもたちのように、いまはただ1日、1日を静かに送りたい、休みたいっていうことだってありますよね。そう思うと、自分のことはわからなくても、ジャミルのため、誰かのためになら祈ることができる、というのがすごく心にしみてきました。あと、挿絵! うっとりします。特にジャミルの表情、立ち姿がいちいちかわいくて、心がなぐさめられるような思いでした。ジャミルは、幸せの象徴のようなおばあちゃんの家に、必ず行けます。と、思います。たとえ何もかもが思い描いていたままではなかったとしても。

花散里:日本の児童文学作品の中で、久しぶりに読み応えのあるフィクションに出合えたように感じながら、私はとてもおもしろく読みました。登場人物はみんな魅力的な良い人たちで、佐竹美保さんの絵も素晴らしく、ファンタジーの様子をうまく取り入れていて、子どもたちが楽しく読めるのではないかと思います。作者は学生時代から中近東に関心を持ち、80年代に遊学していたとのことで、よく研究されていて、本作品にも様々なことが上手に取り入れられているのではないかと感じました。日本の児童文学作品には「あとがき」がほとんどありませんが、本作では、難民や、戦火が続くウクライナやガザのこと、作者が伝えたいことが「あとがき」に記されていることにも感銘を受けました。世界の出来事を知っていくうえでも、本作のような上質なファンタジー作品を子どもたちに手渡していくことが大切ではないかと思いました。

雪割草:ユニークでおもしろかったです。いろんな背景をもった人たちが出てくるのもよくて、楽しく読みました。作者がもらった、砂漠の廃墟の絵である〈エンプティプレイス〉を題材にして描かれたんですね。新藤さんのバックグラウンドも知っているおとな目線では、たとえば難民の話であることはすぐに想像できますが、子どもが読むと少しわかりにくいかなという印象はもちました。避難民の人たちは、実際は避難して難民キャンプに行きますが、この蜃気楼の町のように心の余裕をもって過ごすことなどできません。だから、この蜃気楼の町は、大変な思いをして避難してきた人たちこそ、ゆっくり心と向き合う時間が必要なのだという新藤さんの願いから描かれたのだろうと思いました。そして、そこで過ごすうちに生まれる立て直していく力のような希望も感じられました。前回読んだ同じ作者の『アリババの猫がきいている』(ポプラ社)も言語の壁をこえたコミュニケーションが描かれていましたが、今回も違う言語を母語とする人たちが会話できるようにしていて、避難民の人にとって言葉がいかに大きな障壁であるかが新藤さんの念頭にはあるのだろうと思いました。

エーデルワイス:「さまよえる竜」「竜の方舟」「蜃気楼の町」美しい言葉がたくさん出てきます。人間の世界では姿が見えない竜が、命を落とす寸前の難民を救ってくれる。こんなことが現実にあったならどんなにいいだろうと思いました。挿絵がとてもいいです。p72の「水差し」については文章だけではよく分からなかったのですが、p98の挿絵で分かりました。エマの肌を「チョコレート色」と表現しているところに好感を持ちました。p68の6行目に「ナスのジャム」があります。食べてみたいです。皮を剥いて煮込むのでしょうか?中東でのナスの種類が違うかもしれない。竜使いのマジュヌーンの顔が、終盤の挿絵ではよく分かるようになっています。イケメンです! 水しか飲まず年をとらずに少年のままでいるマジュヌーンと、「竜の方舟」にしばらく残ることになったラナ。2人の関係が気になります。続編があるのでしょうか?

しじみ71個分:新藤さんの書かれるものはユニークでおもしろいです。前回読んだ『アリババの猫がきいている』もとても良かったですね。ファンタジーの物語の中で、中東文化が透けて見えて、物語の背景にあるものを知ることができるのも良かったと思います。今回の本ですが、私自身が、ファンタジー作品を読みなれていないために、どこに注目して読んだらよいか分からず、ちょっと感想がぼやけてしまっています。すみません。私も、ハルさんと同じで、竜の箱舟は死んだ人が運ばれていくところだと思って読んでいました。読んでいく過程で、死んだ人ではなく、戦乱で苦しむ人を竜が救っているのだ、と分かって、少しホッとしました。全員は救えない悲しみで竜が傷ついてしまうというくだりで、著者の切ない願いがそこにあるのだろうと思いました。そこはとても切なかったです。あとは、ただバランスの問題だと思うのですが、ウクライナから来た青年はあっという間に帰ってしまい、ジャミルが現実のおばあちゃんのところに帰りたいと一貫した意志を持っていて、最後は竜の方舟に残ることになりますが、ラナはどうしたいのかなかなか心が決まりません。ラナの気持ちが最後まで長く引っ張られたことも影響していると思いますが、ラナの気持ちがつかみにくいなと思うところはありました。難民の人のとしての心情が切迫して吐露されるような場面は多くなかったと思うので、この物語の中では、ファンタジー世界のおもしろさか、難民問題か、何に重きを置いて読んだらよいのかよくわかりませんでした。ですが、ラナのこの先も決まらないですし、竜使いのマジュヌーンのことも謎がまだたくさんあるので、エーデルワイスさんと同じで、これは、やはり続編があるんじゃないかなと思いました。続きがあるならそれはとても楽しみです。
イスラムをよく知る新藤さんならではの物語にこれからも期待しています! ちなみに、登場する人面鳥が気になって調べてみたのですが、フープという鳥は実在するんですね!ギリシャ神話に出てくる女人面鳥はハーピーと言って、とても不潔で下品な生物なんだそうで。おもしろいです。

ルパン:これは、はっきり言って失敗作なのでは? いろいろ伝えたいことがあるのだろうけれど、世界観も人物像も中途半端に終わっている。絵に助けられている部分も多々あるし。私は正直、あまりおもしろくなかったです。消化不良のまま最後までいってしまった感じ。この町も現実なのか非現実なのか、読み手が迷ってしまいます。はじめは人間が作ったふつうの町で、とちゅうから蜃気楼になる、という設定もわかりにくい。水しか飲まず、ずっと高いところにいる竜使いの男の子がいて、町が気に入ったから竜からおりるのだけど、人々に交わって生活しているわけでもない。いろいろな点で説明が不足していて、途中から難民問題やタリバンの女子教育のことなどがテーマなんだろうと気づいたけれど、ファンタジーにしては中東のイメージが強いし、そうなると仮想世界のイメージが薄れ、私は物語に入っていけませんでした。

シマリス:先日、この著者の『アリババの猫がきいている』を読みましたが、今回の作品はまたタッチが全然違って興味深いなと思いました。難民問題を、ファンタジックな形で取り上げていますね。狭い空間に取り残された感覚、何をしたらいいのかわからない、途方に暮れた感覚が、わかりやすく描かれています。そして登場人物たちは、やがて立ち上がり、前を向いていきます。物語の構築力がすごいなと思いました。ただ、ひとつだけ気になったことがあります。後半、“誰かが誰かに出会って、話を聞いた”というようなシーンが続きすぎているせいで、ちょっと飽きました。前の本も、中盤で緩慢に感じたので、この著者の作品とわたしの相性の問題かもしれません。

アカシア:私はおもしろく読みました。現実をもっと反映してほしいというような声もありましたが、これはファンタジーなので、ファンタジー世界のリアリティがきちんとできているかどうかを見ていく必要があります。
アンヌさんがラナは勉強しに行こうとしていたのに、ここにとどまることは解せないとおっしゃいましたが、ラナはここにとどまることにしたわけではないと思います。p188の5行目に「ラナは首をふりました」という文章があり、これをイエスととるかノーの意思表示ととるかで読み方が違ってくると思いますが、すぐ後に「決めたわけじゃないけど」という言葉があったり、「先のことはわかりません」とあったりするので、ここは首を横にふっているのだと思います。首を縦にふるときは、p176の後ろから6行目のように「ラナはこくんとうなずきました」という書き方をするのでは? それから、2日間の滞在の間は決まった食事しか出ないのに、長期滞在の場合はいろいろなものを食べているのが一貫性がないという声もありましたが、それはp51に、そういう仕組になっていることが説明されています。
この場所はオアシスのようにしばしの休息を得て元気を取り戻す場所なのですよね。ラナは自分のやりたいことをなかなか決められないのですが、ひどく抑圧された世界から、選択肢がいろいろある自由な空間に来ると、そう簡単には決められず、とまどうのが普通ではないかと思います。なので、私はそこもリアルだと感じました。
タイトルは「ラナと竜の方舟」のほかに「沙漠の空に歌え」というサブタイトルがあって、The Story of the Empty Placeという英語表記も裏表紙に書いてあります。違う趣の3つのタイトルが書いてあるのは不思議な感じですが、サブがついているところを見ると、新藤さんの中では、できたら続編を出したいというお気持ちがあるのかもしれません。
肌の色も服装も背景も、多様な人たちが登場している設定にも私は好感を持ちました。文化も言語も違うその人たちが、この場所でだけは、お互いの意思疎通ができるという設定を見ても、またいい人たちしか出てこないところを見ても、方舟はある意味ユートピアとして描かれているのだと思います。

きなこみみ:新藤さんの「祈り」を強く感じる1冊でした。ラナとジャミルがどこから来たのか、どうしても考えてしまいます。毎日ガザの子どもたちが殺され、飢えている報道を目にします。こんな竜の方舟があって、傷ついた子どもたちがたどり着く場所があればどんなにかよいだろうと、心に染み入るように読みました。爆撃から逃げて逃げてたどりついてしまった、もう逃げ場のないガザの海岸で「方舟」をあてどなく待っている方々の記事を読んだので、ますます、そう思うのかもしれません。
命を救う冷たくて豊かな水に、美味しい食べ物、鴨肉とクルミのザクロ煮や、エマが作ってくれるチーズパイなどもとても美味しそうで、心に残ります。でも、なんといってもいちばん素敵だと思うのは。ジャミルのおばあちゃんの家の庭です。オリーブの風がふきわたって、一族の人たちが、老いも若きも、子どもたちもみんなが集まって、土の恵みそのもののような食事をする。この庭の風景は、民族や家族が大切にしてきた歴史や文化そのもののようにも思います。そして、こんな場所があることは、それがどの国であっても、子どもたちにとって大切な幸せなことです。そんな、ジャミルのおばあちゃんの家が、はたしてまだあるのか。そこにジャミルがたどり着けますようにと、やはりラナと共に、祈りを捧げずにはいられませんでした。
一心に家族のもとに帰りたいジャミルとは違って、ラナは自分で国を出てくることを選んだこともあって、家族の元にも帰りたいと言えず、ここからどうすればよいのかわからないんですが、イスラム圏の女性が自由に生きることへの難しさがラナの悩みにも感じられて、胸に沁みます。今、金井真紀さんの『テヘランのすてきな女』(金井真紀/文と絵、晶文社)を読んでいますが、そこに出てくるたくさんの女性たちのことを思いながら本書も読みました。
中東が直面している問題を、日本人は把握しにくいのですが、こんな物語を通じて、子どもたちが理解する糸口にしてくれたらいいなと思います。そして、さっきも触れましたが、はたして、ジャミルのおばあちゃんの庭がまだあるんだろうかと思うと、とてもつらいんですが、現実として、今、世界にたくさんいるジャミルとラナの苦しみを、私たちは手をこまねいてみているだけなのかという葛藤がいつもあります。p163の、何かを創り出すことについての言葉、「なにか作ってる人を見てるだけで、人っていいな、って思えてくるんだ。そうやってわたしの心が元気になれば、ここから竜に力を送ることができる。はなれたところで人を助けようとしている竜にも、気力がわいてくる。そうなることを、もしかしたら、竜も望んでいるんじゃないかな……」というところが染みました。現実には竜はいないけれど、今、苦しみのなかにいる人、そこにいる人たちの役にたちたいと思っている人、手を差しのべようとする人たちに、物語から力を送る。この物語に出てくる人たちは、皆いい人で、優しい。たとえきれいごとと言われても、文学が、特に子どもの文学が出来ることのひとつが描かれているように思います。

西山:私もまったく同じ感想です!ずっとせつなくて、祈りの書だと思いました。悲観的すぎるかもしれないけれど、この国が死者の国のようにも思えて仕方がなく、鎮魂の書だとも感じました。新藤悦子さんのほかの作品ときちんと比較まではできていないのですが、香辛料やお料理の香りや、たくさんの人のにぎやかなざわめきとかに包まれる感じがなくて、もちろんおいしそうなお料理も出てくるのですが、ずっと透明で静かな印象を受けました。マジュヌーンが、みんなから隔絶したところにいて、そこから見下ろしているという視線や「さまよえる」「蜃気楼」「風の宮殿」といった言葉が、なんだか寂しい印象を作っているのかもしれません。人を助けたいけれど助けられなくて傷つく竜なんて、せつなくて……。新藤さんがこの作品を書くことが、そして、私たちが読むことが竜に力を与えることなのだろうなと、そうあればよいと祈るように思いました。今回『モノクロの街の夜明けに』(ルータ・セペティス著 野沢佳織訳 岩波書店)とあわせて読むことで、p90の刺繡について語っている「口に出していえないことも、布にしゃべらせて発散できたのさ。それで心が整っていったんだよ」という言葉が、クリスティアンのノートと重なりました。

レジーナ:竜の方舟の町は現実から切り離された安全な場所で、難民の人たちもしばし休息のときをもつことができます。そういう場所がほんとうにあったらいいという、作者の祈りのような強い思いが、作品全体から感じられます。それは、救いたくても全員は救えずに心を痛める竜や、砂漠で歌うことしかできないマジュヌーンの姿にも、よくあらわれていますね。難民の人たちの置かれている困難な状況にだけスポットを当てるのではなく、ジャミルのおばあちゃんの家のすばらしい朝食など、その文化の豊かさが魅力的に描かれているのもいいな、と思いました。

(2024年08月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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モノクロの街の夜明けに

若い男性と女性が色彩のない街の中にいる
『モノクロの街の夜明けに』
ルータ・セペティス/著 野沢佳織/訳
岩波書店
2023.09

ハル:ものすごくおもしろかった。難しそうだし、ボリュームもあるし、読み始めるのは勇気がいったけど、読み始めたら一気読み。現実にこういう世界があったのですし、誰が裏切っているのかわからない、この先がどうなるかわからないスリリングな展開を「おもしろい」というのは語弊があるかもしれないけれど、小説としても引き込まれましたし、知らなかったことを知ったという意味でも、読み終わってすぐに誰かにすすめたくなる1冊でした。国民が立ち上がっていく姿には深く感動しましたが、半面で、若い子には安全なところにいさせてあげたいという気持ちも抱きます。いつも己に恥じぬ生き方、なんて捨てて、とにかく生き延びてほしいと思います。いつかこうなる前に、おかしいと思ったらいつも声をあげていかなくては、意見をしっかりと口にしなければ、という焦燥感も覚えました。でも、やっぱり、いくら信じ難いほどの独裁者であれ、一方的な裁判ですぐに死刑が執行されたというのは、ほんの30年、40年前の話とは思えないなと改めて衝撃を受けます。クリスティアン自身も「こんな終わりかたで本当によかったのか?」(p361)と、とまどいを覚えていますが、当事者たちが感じたものとは違うかもしれないけれど、読者としても考えたい問いです。

ルパン:私も一気に読みました。以前、北朝鮮でスパイの疑いをかけられた一家の悲惨な運命をアニメーションで描いた映画を見たことがありますが、そのときと同じくらいショッキングでした。ヨーロッパでも独裁者の国で一般の人々が圧政を受け、盗聴や密告におびえながら極貧の生活をしていたことに衝撃を受けました。コマネチの亡命の数日後に独裁者チャウシェスクが斃されるという劇的な歴史のひとコマをオンタイムのニュースで見ていましたが、一般の人々が実際にどういう暮らしをしていたのかは全く知らなかったので、この作品を読んでよかったと思いましたし、若い世代にも読んでもらいたいと思いました。息もつかせぬ物語の展開でしたが、最後の最後に母親もまた密告者だったことを知るというショッキングな結末に、しばらく暗い気持ちを引きずってしまったほどでした。

花散里:ルータ・セペティスさんの作品は『灰色の地平線のかなたに』、『凍てつく海のむこうに』(野沢佳織訳 岩波書店)を読んでいたので、この本が刊行された時もすぐに読んで、衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。セペティスさんは父親がリトアニアからの亡命者で、先にあげた2作品も綿密な取材に基づいた歴史フィクションだったので、ルーマニアの独裁政治のなかで物語が繰り広げられていく本書も衝撃を受けながら一気に読みました。今回、再読だったので、ラストの家族の中での密告について、特に姉や母親の描かれ方など注視して読みました。祖父の薬を得たいがために密告者となること、その自責の念や、親友を密告者ではないかと疑ったこと、社会主義国家チャウシェスク政権下で秘密警察・セクリターテに監視され弾圧されて生きている人々の姿が恐怖とともに伝わってきました。電気も配給制の食料も乏しく、抑圧された日々の中での、女子高生リリアナ、アメリカ人外交官の息子との交流など、高校生としての主人公クリスティアンの姿も上手に描かれて行きますが、クリスティアンにとって祖父の存在が大きかったことがp77の言葉などから特に印象に残りました。ルーマニアの独裁政治などについて、巻末の参考資料とともに、ぜひ中高校生に知ってほしいと思う作品でした。読んでほしい作品として、勤務校で高校生に手渡しました。

アカシア:出てすぐに読み、私もみなさんにおすすめした本です。まず、膨大な資料を集め、現地で体験者の声もいろいろ聞いて、この物語を立体的につくりあげた作者の力量がすばらしいと思いました。あとがきを見ると、この時代のルーマニアでは、市民の1割は密告者に仕立て上げられていたとありますが、この家族は、反体制派のおじいちゃんがいるという弱みを握られて脅されたのでしょうか、結局母親、クリスティアン、姉のチチの3人もが密告者の役目を押し付けられます。盗聴や監視も日常茶飯事に行われ、間に挿入されている「情報提供者からの報告」とか「公式報告書」などを見ると、だれもいないと思っていた空間での一挙手一投足が全部筒抜けになっている。そういう環境では、だれもが疑心暗鬼になり、家族も恋人も親友も信じられなくなり、絶望的な孤独に陥るということが、とてもリアルに伝わってきました。
これは、1989年のルーマニアの話ですが、ルーマニア革命については、まだまだわかっていないこともあるようですね。でも、社会主義とか共産主義に関係なく、少数の権力者が情報を握って、支配しようとする社会では、どこでも起こりうることとして読みました。ちょっと気になったのは、表紙画が日本人みたいだな、ということと、「やばい」とか「ぶっちゃけ」という言葉が会話に出てくるのですが、時代に照らし合わせていいのか、と疑問に思いました。
あと、最後にクリスティアンがセクリターテだったラケットハンドを訪問して何かをたずねようとするわけですが、これは何をたずねようとしたのか、私にはよくわかりませんでした。こうじゃないか、と思った方がいたら、教えていただきたいと思った点です。

アンヌ:お姉さんのことだと思いました。p371にも「姉に関しては、答えの出ない疑問がいくつか残った」とありますし、姉の死に責任を感じている主人公は真実を知りたかったのだと思います。それにしても、元情報部員は自分を守るために武器を持っていただろうし、危険はないのかとかドキドキしながら読んでいたので、その先がないのには驚きました。

レジーナ:p371に、「姉に関しては、答えの出ない疑問がいくつも残った」とあるので、主人公がラケットハンドにききたかったのは、姉に関することかと思いました。

アカシア:実際に手を下したのは別の人ってこと? ダブルスパイ?

シマリス:センチメンタルに考えると、お姉さんのことを本当に好きだったのかを、ききたかったのかな?とか。

ルパン:これは作者にたずねてみたいところですね。

エーデルワイス:手元に本を置いたまま、重い内容と推測できるので、すぐには読めませんでした。ところが読み出すと止まらなくて一気に読みました。表紙のイラストは日本人の若者にしか見えませんでした。最初の方のページに、「TIME」と外国製たばこ「KENT」のイラストが描かれているのは物語の象徴のように思えます。それにしても「KENT」に大いなる賄賂の力があることに驚きです。一家に3人もの密告者を作る独裁国家。主人公クリスティアンのおじいさんの白血病がチェルノブイリによるのではなく、放射性物質を入れられたコーヒーを飲んだことによるものと分かって背筋が凍りました。その上おじいさんは滅多打ちされ殺されるのですから。お母さん、お姉さんのチチが密告者と分かりますが、心情などもう少し書いてもらえたらよかったと思いました。20年後、クリスティアンが英語教師に、恋人のリリアナが書店店主になったとありましたが、2人は結婚したのか気になります。最後、クリスティアンが元秘密警察のラケットハンドの家を訪ねたのは、国家の使命の仕事とはいえラケットハンド自身に葛藤はなかったのか、チチについてのこと、多くの密告者をどう思っていたのか、その情報をどのように反映させていたのか、多くの善良な市民が亡くなったことに罪悪感はないのか──もし少しでもラケットハンドが罪悪感を感じているなら、クリスティアンは救われるかもしれない──そのようなことをききたいのではと、想像しています。例え絶望的な答えが返ってきても、クリスティアンは決着をつけたいと思ったのでは?

ルパン:2人が結婚したのか気になるけれど、結婚していたらこういう書き方はしないのでは?

アカシア:そこは本質的な部分には関係ないので、書かなかったのでは? 結婚したとかしないとか書いてしまうと、そっちに目が奪われるか、それで終わってしまう読者もいそうです。

アンヌ:北朝鮮の拉致被害者の話を思い出しながら読みました。施設内にある家の中の会話も盗聴されていたと。ルーマニアでは、それが普通の国民生活の中でも行われていたのかと思い、自分の国なのに独裁者がいる限り自由になれないのだと知って震え上がりました。中国の文化大革命時の話なども思い出したり、祖父のコーヒーに入れられた放射性物質の話には、現実にあった毒殺事件などを思い出したりしました。クリスティアンとリリアナの恋の物語がなかったら、それと、クリスティアンがノートに書き付けていく詩がなかったら、読み続けられなかったと思います。それにしても、さっきも言いましたがラストが気になって、クリスティアンに「危ない! 気をつけて!」と声をかけたくなったりしたので、その先を知りたかったと思っています。

きなこみみ:緻密な取材に裏打ちされた重厚な作品で、一気に読みました。チャウシェスク政権が崩壊したときはテレビ報道などを見ていて、夫妻が贅沢な生活を送っていたことなどは知っていたんですけれど、実際の国民の暮らしの大変さをこの物語を読んで初めて実感しました。「密告」がどんなに人と人の関係を損ない、深い傷を残すかを知って恐ろしくなるほどでした。友人だけではなく、家族のなかに幾重にも密告という網が張り巡らされているのが恐ろしすぎます。「抑圧」の究極の状況、八方ふさがりの状況のなかで、それでも人間として誠実に生きたいともがくクリスティアンの心に打たれて、共に悩みながら読むことができたのもよかったです。団地の一室で秘密の映画上映が行われていたり、アメリカからのラジオ放送に耳を傾けたり、リリアナという女の子とドキドキする初恋を経験したりという、クリスティアンの若者らしい一面がしっかり描かれているので、どんな状況のなかにいても変わらない、普遍的な価値観も感じられて、そこも物語の厚みになっていると思います。
しかし、いちばん恐ろしいと思ったのは、最後まで読んで、なぜ物語のはじめに「草稿」と書かれていたのかがわかったときでした。20年以上かかっても、まだ真実にはたどり着かないということ。まだ、あのときの真実は明かされていないのだということ。だから、いい感じで終わる物語は実は決定稿ではなくて、これからずっと歴史は検証され続けていかねばならないんだということを示唆しているラストではないかと思います。戦争もそうですが、歴史の検証には長い時間と、検証し続ける努力と誠意が必要とされます。でも、そうすることでしか、未来の明るい扉は開かれない。この物語でも、クリスティアンの家族を監視する50人もの密告者がいたこと、その恐ろしい監視社会の解決されていない部分は、これからもずっと検証され、書き直されなければならないという問いかけが、冒頭の「草稿」という言葉とともに、この物語のエピローグに込められていたと思います。政治の暗部がすべて秘密裡に行われ、公開されないことは、ルーマニアだけの問題ではないと思います。今の日本社会にも、自分が思うことを自由に口にできない。政治の話が世間話としても忌み嫌われる風潮があります。今の若者たちにとって、タブーとされていることが、どんな抑圧から生まれているのか、この物語を読んで改めて気になりました。

ルパン:そういう意味では、まだ終わっていない物語なんですよね。世界のどこかで今も苦しんでいる国民がいるし、これからもどこかの国がそうなるかもしれないし。そう思うとほんとうに怖いですね。

しじみ71個分:ルータ・セペティスの3作はどれも本当に好きです。野沢佳織さんの訳のお力もありますが、硬めの文体も好きで、スピード感のある展開にスリル感があふれていて、厚めでもあっという間に読んでしまいました。まだ読みが足らなくて、分かりきらなかったところがたくさんあるので、もう1度しっかり読み直したいです。歴史的な事実に基づいて、ていねいな時代考証や調査を行い、ハードな物語を作り上げる力量には読むたびに感動を覚えます。歴史的な記述がしっかりしているというだけでなく、キャラクターの描き方もとても魅力的で、クリスティアンもリリアナもそこにいるのではないかと思わせられるほどのリアルさ、心情への肉薄を感じます。
セペティスは、リトアニアからの亡命者の父を持ち、アメリカで育つというバックグラウンドがある作者なので、場合によっては、無意識にでも社会主義国の在り方に厳しい見方を持っている可能性もありますが、現代史の闇に切り込んだ、とても貴重な力強い作品で、本当に感動しました。
この本を読んで、ものすごく怖いと思ったのは、密告と独裁の間の親和性が非常に高いところです。独裁政治の中で、一部の支配層が人々の生活の隅々にわたる情報を握り切ることで人をコントロールし、人を疑心暗鬼にし、連帯を不可能にし、恐怖で支配していくという仕組みが描かれてあり、本当に背筋が凍る思いでした。表面をとり繕いながらも、誰に本当の気持ちを打ち明けていいものかわからない孤独、投獄や拷問の恐怖、家を暖める燃料もなく、食べ物も配給しかなくいつもひもじいところまで追い詰められると、人は理性や希望を失って、その弱みを独裁、恐怖政治が突いてくる……。そんな風になったら自分はすぐ負けちゃうな、とても立ち向えないなと思わずにいられませんでした。
過去には、ソ連とソ連時代の東欧諸国、カンボジア、天安門事件など、共産主義と独裁政治が極端に結び付いた事例が多いので、過去の特別に恐ろしい事態を描いているようにも思われますが、でも実際は、アラブの春、チュニジアのジャスミン革命、香港の雨傘革命など、今も革命と呼ばれる市民の抗議は続いて起きていて、現代になっても何一つ解決されていないです。イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシアなど、戦争状態のところもありますし、いつまでも人権侵害が繰り返される世界で無力さに打ちのめされますが、それでもこのような本が出て、多くの若い人たちに世界を変えていく希望を伝えてくれることがとてもありがたいです。
本の中では、クリスティアンやおじいさんの気持ちを支えるものとして、西側のラジオ放送が重要な役割を果たします。自由国家からの情報発信は、西側の戦略でもあるけれど、自由主義国家の暮らしぶりに憧れをいだき、それが政権への疑念不満へとつながっていきますが、近年、中東やアジアで起こった民衆の蜂起を見ると同じような構造があったのではないかと思います。翻って考えると、情報戦略は正確な情報を流さないことを含めて、私たちの日常にも潜んでいることでもあるなと怖くなります。日常生活の中で、密告や投獄、拷問がないので、その点無意識に生きているけれど、本当にそうなのか、と考えるきっかけにもできそうです。私たちの個人情報はいろいろなところから、たくさん漏れていて、個人の特定は容易になされ得る状況です。私たちにとっても、この情報の掌握からの独裁というのは対岸の火事ではないと思うと本当に怖いです。
アメリカの作家が西側視点からでなく、真に中立的な立場で書くことができるのか、あるいは革命を目の当たりにしたルーマニアの当事者が書くことができるのかなど、考え始めると問題が深すぎて迷宮に入り込んでしまいます。なので、本当に何度も読み返して考えたい作品です。時間がかかると思いますが、参考文献も読みたいと思います。ああ、作品中に書かれていますが、コーヒーに放射性物質が混ぜられて、おじいさんが白血病みたいな病気にさせられたというくだりは本当に怖かったです。本当にこんなことがないように祈るばかりです……。

レジーナ:以前、セペティスが、「これまで十分に語られてこなかった物語や、隠された歴史を書くことに関心がある」「歴史は、過去の決断を検証する機会を与えてくれる。それは悲しみや痛みの記憶であったとしても、勇気や自由や希望を照らしだし、人間の精神がいかに素晴らしいかを教えてくれる」と語っているのを読んだことがあります。この作品もセペティスの他の作品も、これまであまり語られてこなかった歴史を描くことによって、そこに生きた人々の声をよみがえらせようとしているのを感じます。『凍てつく海のむこうに』も大変すばらしいのですが、日本では品切れなのが残念ですね。

西山:私にとっても1989年はついこの間の感覚です。天安門事件も同じ年ですね。これだけ近い時代の、テレビなどで知っていた史実の内側に入れたのは、やはり文学、物語の力 だと思います。アルゼンチンなどラテンアメリカの軍事独裁政権を題材にした映画を思い出しながら読みました。主人公のとまどいも書かれていますが(p361)、チャウシェスク夫妻の死刑執行があっという間だったことは、追随した人の責任や事の真相の追究がうやむやになって、その後の苦難の原因にもなったのではないかと思いました。ひとつ気になったのは、社会主義、共産主義という言葉の使い方。訳者あとがきでフォローされていますが、一党支配の独裁体制や情報統制と社会主義体制はイコールではないと思うので、若い読者がこれを読んで残る印象が、「社会主義」、「共産主義」、「共産党」は怖いというものだとちょっとまずいのではないかと懸念します。最近『その魔球に、まだ名前はない』(エレン・クレイジズ著 橋本恵訳 あすなろ出版)を読み返しました。1957年が舞台の作品ですが、ソ連のスプートニク打ち上げ成功に先を越されて開発を急ぐアメリカのロケット開発も言及されているんですね。そのなかで、主人公の父親がナチスのV2ロケットを開発したフォン・ブラウン博士と一緒に働いているという話題が出てきているんです。西側の闇も相当ありますよね。それを、この作品に入れたほうがいいということでは全くないのですが。

シマリス:読み終わって、これは本当に児童書なのか?と思ってしまいました。版元が岩波書店なだけに、一般書なのではないかと。文章が長いこと、内容が容赦ないことがその理由です。みなさんがおっしゃっていたように、わたしもルーマニアのことはリアルタイムで記憶しています。コマネチの亡命のことも覚えています。でも、これほどまでに一般市民が抑圧されていたとは! 文化的な生活を破壊されているのみならず、衣食住もままならないとは思いもよりませんでした。密告社会の恐ろしさを感じます。この著者の『凍てつく海のむこうに』『灰色の地平線のかなたに』を読んだときも思いましたが、綿密にいろいろ取材されていますよね。とても読み応えがありました。

雪割草:ルーマニアで起きたことについて全く知らなかったので、この作品を読めてよかったです。フィクションの力を改めて感じることができた作品でもありました。もちろん、証言には生の声だからこそのリアリティもありますが、フィクションは、主人公というひとりの人間を通じて、その視点で経験することで、他人の体験をきくのとは別のかたちでリアルに感じ考えることができるなと思いました。作品全体を通じ、密告をテーマに人への不信が描かれています。原題もI Must Betray You(わたしはあなたを裏切らなければならない)ですが、日本語版のタイトル『モノクロの街の夜明けに』は素敵なものの、密告の要素が抜け落ちてしまったように感じました。それから、主人公は生き延びますし、ある程度救いがありますが、お姉さんは本当に悲惨で胸が詰まる思いがしました。社会主義と共産主義の言葉の使い分けについて、あとがきにあったのはよかったです。最後のほうで主人公がラケットハンドを訪ねていって何をきこうとしているのかは、「事態は複雑で、数々の疑問が残り」とあとがきのp383に書かれているように、具体的にはわかりませんが、ききたいことがきっとたくさんあったのだろうと想像しました。原文はわかりませんが、p374の「答えを聞くときだ」の「答え」という表現がわかりにくくしているのかもしれません。

さららん:ちょうど今日読了しました。チャウシェスクの話はいろいろ聞いていたけれど、少年の目を通して、密告が当たり前のルーマニアに入り込んだ気持ちになったのは初めてで、文学の力を感じました。冗談ひとつ取っても 「ルーマニアの冬は世話なしだ……コートを着る手間がはぶけて、時間の節約になる。」(p131)というじいちゃんの言葉のあとに、「コートを着ないのは、家の中でもぬがないからだ」と説明があります。主観だけでなく、読者に対しての説明が自然で、途方にくれずに読み進められました。作家が徹底的な事実調査をふまえて書いた本ですから、さしはさまれる冗談も取材の賜物なのでしょう。密告書の日付を見ながら、若者の立ち上がる日が迫るのを刻々と感じ、その日ですべて終わるのかと思いきや、物語はまだ終わらず……拷問の方法や痛みの表現が具体的で、主人公とリリアンがひどい目に合うのがつらかったです。主人公は、月日を経たのち、ラケットハンドにまで会おうとします。それは少しでも現実に近づこうとした、作者の執念の表れのようにも思えました。

ルパン:確かに、こんな状況でもユーモアの心を忘れないというのはすごいことですね。

さららん:主人公の秘密のノートの存在は、アンネ・フランクの日記のようですね。主人公の文学的な才能は詩を読んでも明らかですが、そこにこの物語の救い、というか、希望を感じました。

レジーナ:この本は2023年に、カーネギー賞ショートリストの中から子どもたちが選ぶ Shadowers’ Choice Award に選ばれています。イギリスの子どもたちはきっと、いま起きているロシアとウクライナの戦争を念頭に、この本を読んでいるでしょうし、そうすると読者の読み方はどうしても、西側の視点になるのではないかと思いました。

アカシア:作家がどういう人生を送ってきたかは、それぞれ違うので、東欧にルーツをもちアメリカで作家活動をしているセペティスさんならではの視点が出ているのは、当然のことだと思います。でも私は、この作品に反共プロパガンダのような要素は感じませんでした。たぶんそれは誠実に人間を書こうとしているからでしょうね。

(2024年08年の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年07月 テーマ:スポーツと家族

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『2024年07月 テーマ:スポーツと家族』
日付 2024年07月31日
参加者 エーデルワイス、きなこみみ、雪割草、西山、アリグモ、花散里、アンヌ、雪割草、ハル、しじみ71個分、アカシア
テーマ スポーツと家族

読んだ本:

双子が登場するバスケットボールの1シーン
『クロスオーバー』 STAMP BOOKS

原題:THE CROSSOVER by Kwame Alexander, 2014
クワミ・アレグザンダー/作 原田勝/訳
岩波書店
2023

〈版元語録〉ジョシュとJBは12歳の双子。元プロ選手の父親のもと、中学のバスケチームでは息の合ったプレーで敵を圧倒し、郡大会を勝ち進む。そんな中、父さんの体調に異変が――。ジョシュの語りが詩となって、家族の物語を紡ぐ。ジャズやヒップホップのリズムが生きる文体で詩の可能性を若い読者に示し、米国で絶大な支持を得た作品。
跳び箱に挑戦する子どもたち
『体育がある』
村中李衣/作 長野ヒデ子/絵
文研出版
2021

4年生のあこは体育が苦手。ママの熱心すぎるサポートも負担だ。そんなとき、ありのままのあこを受け入れてくれるばあばがやってきて――。体育をめぐって自分にむきあい成長していく少女を、ユーモアたっぷりに描いた物語。

(さらに…)

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体育がある

跳び箱に挑戦する子どもたち
『体育がある』
村中李衣/作 長野ヒデ子/絵
文研出版
2021

花散里:まず、タイトルがおもしろいと感じました。 主人公の気持ち、母親の描かれ方など、村中李衣さんの文章がうまいし、どのページにも長野ヒデ子さんの絵があるのがとてもいいですね。私自身、運動神経が鈍くて、小学生の時の跳び箱、鉄棒、徒競走など、いつも苦手だったので共感しながら読みました。自分のことを思い返しながら、弟が、運動神経が良いということに対しての主人公の気持ちなどにも、きっと共感して読む子がいるのではと思いました。給食が食べられなくてポケットに入れて、母親に怒られるという場面なども印象的で、低学年の子どもたちが、どんどん読み進らめる作品ではないかと感じました。

アリグモ:とてもユーモラスな本で楽しく読みました。主人公はいろいろ大変なんだけれども、後半、少しずつ光が見えてきているのがよかったです。お母さんが、主人公にとっての一つの大きな“壁”になっています。悪気はないけれど熱心過ぎて圧力をかけてしまう親。この部分には共感する子どもも多いのではないかと。だから、そういう子どもの読者は、主人公がそれを解決できるのか、できるとしたらどうやって解決するのか、というところに注目すると思うのですが、この本では「おばあちゃんのおかげ」になっています。結局、お母さんよりもさらに目上の大人しか解決できないのか、というふうに子どもが読み取りかねないですよね。そういう意味でちょっと閉塞感が残るかなとも思いました。

西山:跳び箱も鉄棒も走るのも、もう、ほんとに体育がつらかったのを生々しく思い出しました。この作品は、できないことのつらさ、恥ずかしさを書いているけれど、最終的には、がんばるのかぁとちょっとがっかりするような気持ちにもなりました。でも、できなくてもいいんだよ、がんばらなくてもいいんだよ、と寄り添うより、現在進行形の子どもにとっては、こちらの方が希望で励ましなのかもしれませんね。
みなさんおっしゃるように長野ヒデ子さんの絵も楽しくてどんどん読めるのだけど、相当ネガティブなものを孕んでいる作品ですよね。「こいつ勉強ばっかして体育はできないんだぞって、みんなかげで笑ってるにきまってるし……」(p14)と思ったり、久しぶりにやってきたばあばが「どうだい? かあちゃんは、ヒステリー出しよらんか?」(p100)と言うことから、ママのあまりのバイタリティーが単純に笑えるものではないこともはっきりします。明るくテンポよく展開して、子ども読者に負担をかけないけれど、複雑でやっかいなものを抱えていて、一筋縄ではいかない作品だな、ちゃんと読み込まねば、と思っています。

アカシア:長野さんの絵がいいですね。私は長野さんの絵の中でも、これは出色の出来栄えなんじゃないかと思います。これがあるから、シリアスにならずに読むことができます。体育が苦手な子の心情が、とてもうまく描かれています。でも、p38では、[「むちゃくちゃおそいよ。わたし、体育ぜえんぶだめだもん」って笑いながら答えた。/わたし、なんで笑ってるんだろ。口の横をふにゃふにゃさせて笑うなんて、ばっかじゃないの。こういうときの自分が、いやでいやでたまらない。]とあって、この子が自分の内面もちゃんと見つめることのできる子だということがわかります。作者の村中さんも、こういうお子さんだったのでしょうか? このお母さんについては、私もウザいなあと思いながら読んでいたのですが、今どきのお母さんの中には、こういう場合、スポーツ家庭教師を雇ったりしそうです。そう考えると、この人は自分で時間と労力を使って教えているし、おばあちゃんに叱られたらすぐ態度をあらためるわけですから、勘違いしていただけで、本当はいいお母さんなんですね。

ハル:ああ、いい本読んだなぁと思って。わたしも体育が苦手な子だったので(どうでもいいでしょうけど、走るのは早かったです!)、体育の時間のこのなんとも言えない寂しい気持ち、わかるなーと深く共感しながらも、読んでいて決していやな気持ちにはならない。ママがせっせと練習させてくるのも、あこにとったらつらかったと思いますが、読み手の私は、共感こそすれ「ママはひどい」とはならず、むしろ、ママのたくましさにほれぼれするし(ジャングルジムからもジャンプできるし、海水浴も教えられる!)、ああ、体育って、生きてく上で必要な授業だよなぁとまで思えてきました。あこが「わたし、だれにもバカにされてなんかいないよ」(p117)とはっきり言うところも、いいなぁと思います。体育って本来そういうもので、苦手な子がかわいそうとか、恥ずかしいとか、そういう次元じゃないんだなーと気づかされました。物語全体に愛があるし、表現も豊かで読んでいて楽しい。ばあばのメッセージも心にしみました。親にだって、言いたいことは言わなくちゃって、小さい読者の心にも届いてほしいです。

雪割草:楽しく読みました。タイトルもおもしろいですが、それぞれの章の小見出しも良くて、目次を眺めているだけで、主人公あこがどんなふうに成長していったのかが感じられました。
それから、長野さんの絵がとても味があって見入ってしまいました。挿絵ではなく、長野さんが語られることを自分の中に入れて、ご自身として表現されているのがよく分かりました。たとえば、p29の主人公あこのウォンウォン泣く姿や、p31の怪獣になったお母さん、それからp146から147の見開きで、あこがひよこから成長していく様子など、挙げればたくさんあります。p141の「息を吸ったり吐いたりするたびに、からだが新しくなる」という表現も、少しずつ前向きになるあこがよく描けていると思いました。「ぽいたろう」という名前もおもしろいですね。でも、あえて言えば、マット運動や跳び箱など、あこが不得意なことができない子はほかにもいるだろうと思うので、気持ちは分かりますが、ひとりぼっちでもないのではないかとは思いました。

きなこみみ:私も体育が嫌いで、跳び箱も、マット運動も、鉄棒も、水泳も、ダメでした。あこがママに言われてジャングルジムに登って泣くシーンがありますが、私もジャングルジムが怖くて怖くてしょうがなかった、その気持ちが生々しくよみがえって胸が苦しくなりました。村中さんの文章は独特のリズムがあって、切ないあこの内面が伝わってくるのに、同時に俯瞰して自分を見ているユーモアがあって、どんどん読めます。p29のそのジャングルジムのシーンで「できません、できません、できません。/ジャングルのどまんなかで泣いてみた/うぉ~、うぉ~。/ほえつづけるしかない。もう永久にこのジャングルで」とあこが泣くんですが、ジャングルジムの「ジャングル」という言葉から動物が連想されてのおもしろさと、ひとり恐怖で立ちすくんでいる感じが、長野さんの挿絵と一緒にとっても伝わってきます。文章が視覚的なんですよね。p41の走っても走ってもうまく進めないシーンで「そのうちもっともっと苦しくなって、からだがずんと重くなって、あぁこれ以上はムリ、と心がむこう側をあきらめちゃう」というところ、単に諦める、じゃなくて、「むこう側」という具体的な場所を表す言葉が入って、体で感じる実感がぐっと身近になります。この一言があるから、最後に、あこが毎朝走るようになって、絵美ちゃんに「空を見る」という秘訣も教えてもらって、「ようこそ、ようこそ、と雲といっしょに広がってる」(p147)世界に、むこう側に、ちょっと近づくというのが、素直に胸に入ってきます。とてもよく考え抜かれた文章だなと思いました。
それにしても、日本の体育の授業って楽しくないですねえ。子どもの頃はあんなに苦手だった体育も、大人になったら楽しさが分かるようになったんですが、子どもの頃はほんとに苦痛でしかなかったです。懲罰的というか、できる、できない、がみんなに分かってしまう。あこを追い込んでしまうママが、ばあばに怒られて、p115で「わたしがしっかりして、子どもたちをだれにもバカにされない子にちゃんと育てなきゃ」と心情を話すんですけど、この思いってママだけじゃなくって、私たちの社会全体に、遍く、広く、深く浸透して、多くの人を縛っている気がします。子どもたちにも、とても共感できる物語なので読んでほしいですけど、いろんな価値観に縛られてる大人にも読んでほしいなと思いました。

エーデルワイス:感想をお聞きしていると、本に関係のある人は体育が苦手なのかしら。うれしくなってきます。
私も体育が苦手です。跳び箱が跳べない。ドッジボールの球を受け取れない。ゴム跳びができない……。暗い小学生時代でした。体育も勉強もできる子がいて、スーパーな子と仰ぎ見たものです。長野ヒデ子さんのイラストがとてもいいです。わざと子どものような絵に崩しています。ところどころページ数が書いていないのはわざとでしょうか。p116の10行目、ばあばに言われてママが自分の思いを吐露して泣くところがいいです。あこちゃんをありのままに受け入れてくれるばあばの存在は嬉しいです。小学生だった頃の自分を思い出しながら、あこちゃんは賢い!と、楽しく読めました。

アカシア:あ、一般化されるとまずいのであえていいますが、私は体育苦手じゃなかったです。体を動かすのは好きでしたよー。それに、小学校の時、鉄棒でクラスでただ一人大車輪ができた同級生は、後に哲学を学んで、某大学の学長になりました。本が好き=スポーツが苦手とは言えないと思うけど。

しじみ71個分:私の小学校時代を追体験するような物語でした。私も体育が大の苦手で、本当に苦痛でした。なので、あこの体育がつらいという気持ちが本当にリアルに伝わってきました。自分も逆上がりもできなかったし、跳び箱もマット運動も、走るのも全部だめで、体育の時間はとても恥ずかしい、情けない気持ちがしたもので、その気持ち、よくわかるよーと、ずっとあこに寄り添って読み進めました。村中さんが子どもの気持ちを丹念に描いているので、あこの心の動きが手に取るようにわかります。あこの体育に対する葛藤には、お母さんとの関係も大きく影響しているのがつらいところですが、日頃から人の心をよくよく観察されている村中さんだからこその物語だと思いました。子どもの気持ちを受け止めないで強引に引っ張っていこうとするお母さんの姿には、自分にもこういうところがあったなぁと反省されられましたが、お母さんもがんばらなきゃいけない、子どもにもがんばらせないといけないと思っていたのは、考えると気の毒な、切ないことですよね。ばあばの登場によってお母さんがばあばの子どもに返って泣く場面では、大人も未熟な人間なんだ、子どもと一緒に成長途中だというメッセージが聞こえるようでぐっと来ました。「大人もだめじゃん」と公然と子どもに示すのはとても公平なことで、本当に村中さん、すごいと思います。
うちの母も体操部だかなんかで、小学生の頃は布団を敷いて、逆立ちやらでんぐり返しやら練習したこともあって、うわぁ、本当に自分のことみたいとずっと思って読んでいましたが、最後にあこちゃんが走るのが好きと分かって、「なんだ、走れるんじゃん」と置いてけぼりを食らった気がして少し寂しくなりましたが(笑)、新しい考え方ややり方を見つけることで、自分の苦手なこと、苦しいこと、つらいことを乗り越えていく可能性を示した終わりは本当に清々しく、開放感がありました。走ることではないけれど誰にも、違う何かの転換ポイントがあって、少しずつ成長していくのだろうと思えました。50m走ることそのものより、苦手意識のせいで走ることの手前で向こう側への到達を諦めてしまうという、あこの心の分析がありましたが、それを乗り越えていけるだろうという期待を、明るく自然に提示してくれています。本当に児童文学はすてきだと思える本でした。読めてよかったです!

アンヌ:久々に小説を読んだという気がして、見事な構成だと思いました。私も体育は不得意な上に、スポーツ万能な若い叔父や叔母に囲まれて育ったせいで、できないことがわかってもらえない状況が主人公とかぶりました。スポーツマンの人には、お母さんがジャングルジムから飛ぶように、怖いがスリルに変わる成功体験があり、できない子どもの恐怖が理解できないんだろうなと思いました。読んでいて、失敗して跳び箱に乗っかってしまった瞬間の感覚とか、鉄棒の匂いとかまざまざとよみがえってきました。物語の中の時間がゆっくりしていて、転校生の主人公がだんだんと周りの子と話すようになって、その中で疑問を持っていくという展開もいいなと思います。唐揚げを入れるポケットとか、犬に追いかけさせて50メートル走のタイムをあげるとか、笑ってしまう場面もあり、挿絵も楽しくて、読者が主人公と一緒にひたすら悲しくならないのもいい感じでした。海の場面での水に浮く感覚が違うとか、遠泳の後の疲労感とかの描かれかたも見事で、だからこそ家族に主人公の話を聞いてやってよと叫びたくなりました。
怪我の場面はつい親の気分で読んでしまっておばあさんの言葉が響きました。弟も役目としてうまく機能していると思います。自分はできる、だからできない人のことはわからない、わかってあげる必要もない、と思っていいのは幼い子どもだけなんだというのがよくわかります。主人公は走るようにはなるけれど、この物語の中ではまだ跳び箱も鉄棒もできないままで、問題を解決したとは書かれていません。だからこそ、今体育でつらい思いをしている子供たちにも手渡せるいい物語だと思います。

(2024年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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クロスオーバー

双子が登場するバスケットボールの1シーン
『クロスオーバー』 STAMP BOOKS

クワミ・アレグザンダー/作 原田勝/訳
岩波書店
2023

エーデルワイス:『タフィー』(サラ・クロッサン著 三辺律子訳 岩波書店)以来、横書きにも大分慣れた気がします。詩なので時々声に出して読んでみました。12歳双子の一人ジョシュ・ベルの苦悩や葛藤が痛いほど伝わってきました。バスケットの世界ですから最近話題の「スラムダンク」の映画を観ておけばよかったと思いました。近日再上映がありますので観たいと思います。生活を支えている中学校の教頭先生をしているお母さんが、成績、品行方正、良質な食べ物について言うことに対し、元バスケット花形選手だったお父さんは日常がすべてバスケットのこと。ジョシュとJB(ジョーダン・ベル)はなかなか大変と思いました。お父さんが現役時代に膝蓋腱炎の治療をせず引退。さらに心臓が悪いのに病院に行こうとしないことがどうしても理解できませんでした。

きなこみみ:私もバスケ気分を盛り上げようと、「スラムダンク」をネットで見たりしました。弾けて躍動する体のリズムやスポーツを表現するのに、「詩」はちょうどいいジャンルなのかもしれません。翻訳も手が込んでいて、原田勝さんはさすがだなと思いました。これまで、双子として不動のタッグを組んでいた兄弟の間に、ふとしたことでヒビが入って、片方に彼女ができたりして、溝が深くなっていくんですよね。その微妙な心の機微が、バスケシーンの躍動感とともに味わえるのは、アニメやなんかの映像作品に比べて視覚的には弱い文学としての強みだなあと思います。
兄弟の間にひびが入るきっかけである、ジョシュのドレッドヘアが切られてしまうシーンは胸が痛みました。ジョシュが髪を大事にしているのも知っているはずなのに、ドレッドヘアを切ってしまったり、テスト中にメモを回して、カンニングと思われてジョシュが怒られてしまうところとか、密に繋がっていた二人が離れていく、思春期の兄弟ならではの複雑なところ、家族の中で孤独を感じるところが自分の痛みのようで刺さりました。あと、あんなにお父さんの病気が悪化しているフラグが立っているのに、なんで病院に行けなかったのかというのが、最後まで疑問で……。意識を失ったところで、救急車とか呼ばないのかな、とか。アメリカの医療事情もあるのかもしれないですが、なんだかやきもきしました。頑として病院に行かないお父さんの意識の裏には、自分が強いといつも思いたいマッチョな思考があるのかもしれないとも思いますが。
でも、この躍動感のある作品が、バスケが国技のようなアメリカで、ブレイクしたのはわかる気がします。

雪割草:引き込まれて一気に読みました。子どもの頃、兄がバスケが好きで「スラムダンク」の全巻を持っていたので、それを読んだのを思い出しました。構成も、作品を一つの試合に見立てていて、おもしろいと思いました。詩の形式であることで、想像の余地があって余韻が感じられ、胸に迫ってくるような切なさが伝わってきました。作品全体を通じ、父の存在の大きさが描かれています。クロスオーバーの名手であった父。「クロスオーバー」という言葉は、タイトルでもあり、バスケの技の名前でもあり、なにかを超えていくという意味として、主人公ジョシュの成長も伝えていると思いました。

ハル:余韻の残るいい話でした。バスケットは全然わからないので、最初は「わー、これは困った」と注釈を読みながらなんとか読み繋いでいく感じで、ちょっときつかったのですが、だんだん絵が浮かぶようになってきて、後半になると試合の描写にもハラハラできました。バスケットに全然興味ない、という子でも、最初の何ページかを乗り越えて、ぜひ読み切ってほしいです。詩の形態の物語はこの数年で何冊か読みましたが、小説に比べたらまだまだなじみがないので、やっぱり抵抗は残るものの、躍動感やスピード感、主人公の不器用な心情を語るのにも、「詩」の形態の可塑性というか、いろんなことができ
るんだなぁという、それこそ「可能性」を感じました。最後のJBのフリースローは決まったのか決まらなかったのか、にくい終わり方です。

アカシア:私は原書を先に見ていたのですが、ラップとかヒップホップのノリを感じて、私にはとても翻訳は無理だと思っていました。なので、原田さんのすばらしい訳を見ても、最初は違和感がありました。また原書の本文のレイアウトはきれいにリズムを作っているのですが、日本語で見ると、違うリズムが聞こえてきてしまって、正直あまりきれいだとも思えませんでした。つまり、日本語版を作るのが、とても難しい本なのですね。ただ、ある時期まではとても仲が良くていつも一緒に行動していた双子のあいだに亀裂が生じ、それぞれの個性もくっきり現れるようになり、そのうち口もきかない状態になり、時間を経てまた仲直りしていく、という状況は、とてもよくわかりました。
アメリカでは映画化もされているようですね。アメリカでは賞もたくさんとり、よく売れた本で、本好きではない男の子も夢中になって読んでいると聞きますが、日本では年齢対象も上がってしまい、そのあたりはなかなか難しいですね。

西山:原書では、本文のレイアウトはどうなっているんですか?

アカシア:違和感のないデザインで、きれいなんです。

アリグモ:以前1回読んで、今回が再読になります。でも、内容をいろいろ忘れていました。最後に主人公が12歳だと知って、前回も多分びっくりしたと思うのですが、今回もまたびっくりしました。中学生とは書いてあるけれど、恋愛関係の部分のせいか、16~17歳くらいをイメージしてしまっていました。さて、本文ですが、詩を巧みに使った物語で、魅力的です。ある言葉の説明にまるごと詩を一つ使ったり、お母さんからのメールを並べる章があったり、いろいろな使い方をしています。気になったのは、病気の部分。お父さんは息子とバスケをやってダンクの瞬間に倒れて、結果的に亡くなる、というストーリーが先に決まっていて、説得力のある病気を探したのかなぁ、などと穿って考えてしまいました。伏線として、高血圧症で、おじいちゃんも同じ病気だった、などと説明はありますけれど、それにしても、プロのアスリートが心筋梗塞で39歳で亡くなるというのは、かなりレアケースのような…。ただ、そう感じるのは日本の医療の感覚で考えているからで、アメリカではそうとは限らないのかもしれませんが。

西山:基本的にスポーツは全方向的に興味がなくて、当然ルールも知りません。スポーツ物の作品はおもしろく読みますけれど、詩の形は、私は読むのはしんどいです。巻末の「訳者あとがき」で「文字で埋まった分厚い本を読むのが苦手な読者にも受け入れられ」とありますし、実際、多く読まれているとのことですが、余白を想像するのは結構難しい読書だと私は思うのですけれど……。でも、原文を声に出せばラップみたいでかっこいいのかな。ラジオドラマならかっこいいのかもなと思いました。遺伝性の病気を気遣ってお母さんが食べさせるヘルシー志向のメニューとかおもしろかったです。ジョシュの出場停止処分で、これは、学校が下した処分ではなかったと思いますが、これまで読んだアメリカの翻訳物で暴力行為やいじめに対する処分が結構厳しいなと感じたことを思い出しました。

アンヌ:スポーツは苦手だし、最初の1ページ目を見て果たしてこれを読めるだろうかと心配したのですが、気がつくと一気読みでした。詩ではあるけれど、読みやすかったしおもしろい試みの連続でした。言葉の例題を出したり、心の中の実況中継をしたりすることで主人公の気持ちや葛藤がわかっていくし、バスケットの規則や見所も理解できるようになるのはすごいと思いました。私は双子の物語で兄弟が同じ女の子を好きになるというパターンが嫌いなのですが、それ以前に二人の違いとかが書かれていたので、JBの恋も思春期での道が分かれる過程として読めました。だから、父親の死を前にした二人の行動の違いを周りも自然に受け入れていて、誰もその態度を責めない。日本のスポーツものなら兄弟一丸となってと書きそうなところですよね。父親が病院になぜ行かないかというお話が出ましたが、家が貧しかったり、日本のように自治体による健康診断がとかなかったりしたせいで医療に縁がなかったのかもしれません。救急車も有料だそうです。でも、スポーツ心臓と遺伝性の高血圧だとしても、もっと早く病院に行ってほしかったと思います。原文がラップ調だというのが反映していないことやp219の短歌が逆に整えられていないのはなぜだろうとか、詩を翻訳する難しさを感じますが、それでも、詩という形式が読む邪魔をせず、言葉が好きな主人公の独特の語りとして読める、とても魅力的な作品だと思います。

しじみ71個分:2014年刊の原書がニューベリー賞を受賞したというニュースを2015年くらいに読み、それ以来ずっと読みたいと思っていた本でした。受賞の評に、詩で書かれた物語という言葉があり、詩の形式で書かれた物語の存在を認識したのがその時だったと思います。バスケで詩ならラップ、リズムはヒップホップだろうと思ったのですが、いったいどんな本なのか、翻訳できるのかな、など思いを巡らせていましたが、ニュースから9年越しで、やっと読むことができました。訳者の原田さんに心からありがとうと言いたいですし、今回みなさんと一緒に読めてうれしいです。
で、読んでみた感想ですが、普通に詩を翻訳すること自体がとても難しいのに、英語のラップ、ヒップホップのリズムを日本語で表すのは難しいのかなぁと、まず思いました。訳文からリズムが聞こえてくるかというと、そこはちょっと期待と違ったかもしれない……。ですが、本のテーマになっている思春期の心や家族の問題という内容が生々しく迫ってきて、とてもおもしろくて一気に読んでしまいました。ジョシュは勉強もできるし、バスケの将来を嘱望されるような男の子なのに、どこか幼稚でバスケのことしか考えていなくて、でも双子の兄のJBに彼女ができてうらやましいし、JBがバスケより女の子に夢中なのも許せないし、やっかみやら何やらグチャグチャ、モヤモヤが高まっていく様子にはハラハラしました。高まったイライラが爆発して、とうとう危険なパスでJBに怪我をさせてしまう場面は読んで胸が苦しくなりました。加えて、尊敬するダ・マン(ただ一人の男という意味でいいんでしょうか?)と称されるほどのバスケ選手だった父親が病に倒れ、遂には亡くなってしまうことで砕けるジョシュの心模様は、読んでいて本当につらかったし、読み応えがありました。感情に迫るというのは詩の真骨頂というところでしょうか、胸に刺さりました。
それと、とても作者がうまいなぁと思うのは、普通の会話だけでブラックカルチャーが浮かび上がってきたところ。息子はカニエ・ウェスト、父はコルトレーンやらマイルス・デイビスなんて具合に自然に触れられていて、心憎い演出だと思いました。待って、読めて本当によかったです。原書はいったいどんな感じなのか見てみたいです~。
蛇足ですが、ネットでアメリカの中学生バスケの映像を見てみましたが、これは中学生ですか?という感じでした。それから、本の表紙ですが、私は原書のちょっと重い感じの絵がよかったなぁと思っています。最後に、「クロスオーバー」というタイトルですが、ディフェンスを左右に揺さぶるバスケの技の名称でもあり、向こう側へ越えていくなどの意味もあり、ちょっと奥深そうで気になります。続編も楽しみです。

花散里:STAMP BOOKSは出版されると読んでみたいと思う作品が多いのですが、この作品を手にしたとき、バスケットボールのことがまったく分からない上に、ジャズやラップなどの音楽についても余り知識がないので読みにくいと思いました。そして韻を踏んだ横書きの詩物語であること、活字の字体、字の大きさが大から小に変わったり、斜めだったりするのも読みにくいと感じました。「訳者あとがき」で「分厚い本を読むのが苦手な読者にも受け入れられ」っと、記されていることには、果たしてそうだろうかと疑問に感じました。
もうすぐ13歳の双子の兄弟の生活、女の子のことや両親について、日常のことなども、日本の中学生よりも年上のように感じられました。後半、父親が亡くなる場面、兄弟間の確執が解消されていくところは惹きつけられように読めましたが、日本のヤングアダルト世代に手渡すのには難しい作品かなと思いました。

アカシア:先ほど、原書のイメージはどうなのかというご質問がありましたが、かなり違うんですよね(原書の1ページを見せる)。

参加者:うわぁ、原書のイメージはやっぱり全然違いますね。レイアウトも似せているのに、ひらがなと漢字で表すとなんだか見た目が違ってしまいますね。うーん、普通の文章のレイアウトでよかったのかもしれないですね……
参加者:“moving & grooving” “popping and rocking”とか、sizzling、drizzlingとか、かなり韻を踏んでいますね。これで文にリズムが出るんでしょうね。すごいな。これは日本語にできないような気がします……

(2024年07月の「子どもの本で言いたい放題」より

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2024年06月 テーマ:日本と韓国のなやめる高校1年生

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『2024年06月 テーマ:日本と韓国のなやめる高校1年生』
日付 2024年06月19日
参加者 サークルK、しじみ71個分、エーデルワイス、アンヌ、雪割草、コゲラ、花散里、マリュス、きなこみみ、ハル、アカシア
テーマ 日本と韓国のなやめる高校1年生

読んだ本:

教室の空間を黒い服を来た生徒たちが浮遊している
『優等生サバイバル〜青春を生き抜く13の法則』
原題:모범생의 생존법 How to survive as a top student
ファン・ヨンミ/作、キム・イネ/訳
評論社
2023.07

〈版元語録〉大学進学実績で有名な進学校に入学したジュノ。テスト、課題、進路、SNS、恋…。やらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことは満載! ハードな高校生活を生き抜くために、“優等生”のジュノが見つけた法則とは? 2024年度青少年読書感想文全国コンクール課題図書。
夜空を背景に男子高校生と女子高校生が立っている
『セントエルモの光〜久閑高校天文部の、春と夏』
天川栄人/作
講談社
2023

〈版元語録〉高1の安斎えるもはこの春、3年ぶりに地元に戻ってきた。東京の生活でいろいろありボロボロになっていたが、久閑野の星空に誘われるかのように、天文部に入ることを決める。しかし、先輩が1人しかいない廃部寸前の状態で…。

(さらに…)

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セントエルモの光〜久閑高校天文部の、春と夏

夜空を背景に男子高校生と女子高校生が立っている
『セントエルモの光〜久閑高校天文部の、春と夏』
天川栄人/作
講談社
2023

きなこみみ:全く天体に興味のなかったえるもが、嵐士という先輩と天文に惹かれていくのが、楽しくて読ませます。この物語は、えるもがSNSでいじめにあって、そのせいで東京から帰ってきて、その傷もあって、やはり他人との距離がうまく取れない。人との距離感がひとつのテーマで、それを「天体」という雄大でどこまでも奥の深い距離感のものと重ねることで、かえって人間が生身に鮮やかに、かつロマンチックに描けるという、とてもうまい構成の作品だと思います。そして、心にすっと入ってくる、素敵な文章がたくさんあって、たとえばp138、9行目の嵐士先輩のセリフ「だから星たちは、俺たちの喜びや悲しみなんか、知ったことじゃない。今日も明日も、どんな辛いことがあった日だって、いつもと同じように、けろりと輝いてる」、p139、7行目の、そのセリフに呼応するところ、でもだから、俺の気持ちは俺のものだ、俺だけのものだ…」というところなど、とってもいいなと思います。そんな嵐士先輩とえるもの、ほのかな恋と、距離感もいい。文章も読みやすい。気になるのは、主人公のえるもの像が、少し定まらないところ。この物語の魅力は、嵐士という天体オタクの魅力的な先輩が披露する、えるもという名前がセントエルモの光が由来なのでは、というエピソードや、天文のコアな知識が、うまく物語の構成とかみ合って披露されていくことで物語が動いたり、進行していくところだと思うんです。でも、語り手のえるものキャラと、その知性的な部分が、ずれているところがあって。p103で、エルモは衛星と惑星の違いもわからないのだけれど、p192では慣性の法則を思い出して語ったりしていて、どんどん賢いキャラに変わっていく感じでした。これは、えるもの隠れた部分が出てきた、成長した、ということなのかな? 最後の観望会のシーンはとても良かったのだけれども、花火まで付けたのは、ちょっとやりすぎかも(笑)すてきなシーンだけれど、地元の神社の花火大会を、こんなにきれいに皆が忘れていたというのは、少し出来すぎの匂いがしました。でも、とても楽しい作品なので、この続きも、読んでみようと思います。

マリュス:著者の天川栄人さんって、プロフィールを見るまで男性だと思い込んでいました。こういう中性的なお名前、いいですよね。さて、作品ですが、ラノベのキャラクター設定に、とても近いんですよね。主人公は、かわいくて、でも悩みを抱えているという、読者が共感しやすい女の子。そして、めちゃくちゃイケメンで変人の先輩。他の人には理解されないけど、主人公だけが先輩の心のうちを理解できる。それをやっかむ幼なじみの男子、というあたりも含め、王道ラノベだと思いました。でもラノベっぽいというのは、悪い意味ではないです。読者をひきつける工夫がなされているという意味で、いいと思いました。さらに会話がとても生き生きしていて、読むのが楽しい。また、天体や星座の話が、わかりやすく頭に入ってきます。星の描写や、比喩として使われる場面の文章も美しく、読みごたえがありました。若干引っかかったのは、古雪が捨てアカウントで中傷してくる部分です。古雪は親友で、かつ従姉妹なので、「最近のあなた、自分らしくないよ」と直接言える関係性だと思います。わざわざ匿名にする理由がわからない。物語の力が強いので、ついつい説得されて読んじゃうのですが、後からちょっと無理があるんじゃないかと感じました。

コゲラ:テンポよく、すらすら読めておもしろかった。文章も、話の運び方も、作者はとても上手ですね。登場人物もそれぞれキャラが立っていて、アニメを見ているようでした。星の話や、天文学の知識の数々もおもしろい。夜中に学校に行くとか、天体観測の合宿をするとか、読者はワクワクするのでは。「すれちがえる奇跡」とか中高生の好きそうな言葉も、あちこちに散りばめられていますね。秋冬編があるという話ですから、古雪が送った謎のDMのわけや、母さんが主人公に「えるも」という名前をつけた理由も出てくるのかも。

雪割草:登場人物が一辺倒で、漫画っぽいと思いました。「嘘つき」といったのが古雪だったという展開は全く予想外で、古雪はえるもと晴彦にやきもちをやいているのだと思っていました。SNSの問題は、今の子どもたちにとって大変だと思います。p85に、「ちょっとSNSを離れたからって切られるような関係って、友達って言えるの?」とあるように、SNSは手軽な分、人と人のつながりも、それだけだと希薄になってしまうように感じます。嵐は、気の毒な設定で、お母さんまで亡くならなくてもよかったのではと思ってしまいました。主人公の心の声が語りの部分にたくさん描かれていて、ハッシュタグが章ごとにあるのは今の読者向けかなと思いましたが、ハッシュタグはなくてもいい気はしました。

アンヌ:私は、なんだかこの物語一つでは収まり切れていない感じがして、いろいろ謎が解けないまま、ふわんと逃げられた気がして不満でした。なかなかかっこいいセリフを吐くお母さんがどういう人なのかとか、えるもの名前は本当はどこからつけられたのかとか。そういえば、古雪も珍しい名ですよね、古いという字を名前につけるというのも珍しいから、そういう一族なのかな?でも、まあもう続編が出ているので、(『アンドロメダの涙〜久閑野高校天文部の、秋と冬 』)そこでということなんでしょうね。おもしろい話ではあるけれど、あまり技術もなさそうな主人公たち3人が、嵐士の天文写真を選別して投稿したり、後半の観測会の設営をしたり、後半バタバタと話が進んでいくのにも、少々首をかしげました。ただ所々、例えばp156の章の終わりのように、たぶん明け方の月を見たら思い出すような美しい描写があって、そういう魅力のある文章もあるので、とにかく続きを読んで考えてみたいと思っています。

エーデルワイス:図書館に予約してなんとか読めました。次の予約が入っていますのですぐ返却しました。人気ですね。学校の屋上で徹夜で空を観て、星の観察。ロマンチックです。映画、アニメ化されそうです。おもしろくて読み応えがありました。最後の花火のシーンは出来過ぎの感じ。p151の「私は多分小雪を許さないが好き」は心に残りました。続編も読みたく思います。

アカシア:エンタメだと思って、楽しく読みました。私がいちばんいいな、と思ったのはSNSに対して「天体観察」を持ってきたところです。これまでも、スマホ中毒やSNSから切り離すために、電波の届かないところに行くとか、自然の中で様々な体験をするという物語はいくつかあったんですけど、この作品では対極にあるものとして天体観察を出してきている。夜空の天体を見るには暗くないとだめなので、ケイタイの明かりは必然的に邪魔になるし、言葉の通じない天体を観察することと、無駄なおしゃべりが行き交うsnsは、そういえば対極になるのだなあ、と。えるも、という名前についてご意見がありましたが、私はこのお母さんならちゃんと意味がわかってつけてもしらばっくれることがあるだろうし、本当にお母さんが知らないのだとしても、今はいないお父さんなる人がつけたのかもしれないと勝手に想像したので、引っかかったりはしませんでした。えるもは、おバカキャラかもしれませんが、本当におバカなのではなく、おバカという仮面をつけているのだとすれば、何かを悟ったときに大きく変わるというのは不自然だとは思いませんでした。

ハル:今月の2冊は、どちらも若々しいというかみずみずしい感じで、慣れるまで目がすべるような感じがあったことはありました。でも、どちらも、同年代の子たちが読んだら、共感できるところが大きいんじゃないかなと思います。「セントエルモ」は、とってもエモーショナルですね。登場人物たちのつらかった日々や、人とつながれたときの喜びに、胸が打たれましたし、とてもおもしろかったです。一方で、「嵐士」は、すごくかわっている人という設定のようですが、読む限りでは、漫画やアニメでは人気があるタイプの“ドライな先輩”というイメージで、それほど変わっているようにも思えなくて、あの疑惑で壁にはった写真をやぶかれるほど、そこまで嫌われるものだろうか、というのは不思議に思いました。表紙ではわかりにくいですが、容姿の特徴でいじめるという感覚が私には理解できないので、実際にこういったケースもあるんだろうと思うと胸が痛いです。

しじみ71個分:おもしろくサクサクと読みました。私自身は、主人公のえるもの造形にあまり共感を持てなかったのですが、いじめを受けてつらかったという過去と、高校生になってからの軽めのキャラとの間にあまり連続性が感じられなかったからかもしれません。それに、ハルピコがえるもを好きで、古雪はハルピコが好きで、でもえるもは気づかず、嵐士先輩が好きらしい、でも恋愛話としは展開なく宙ぶらりんのままというのが生煮えの感じで、お話がどっちに向かうのかなと引っかかったせいかもしれません。古雪が中学生のときSNSへの書き込みの犯人が自分だったと告白したのも、私の読みが浅すぎるのだとは思いますが、えるもとハルピコとのやり取りを見ての場面だったので、その点はちょっと気になりました。天体観測と孤独、宇宙と命といった大きな視点で人間性を見つめなおすような表現がところどころにあって、それには心が惹かれましたが、そういったキラリと光る深さにマッチしていない軽い部分も多く、全体的になめらかなつながりにやや欠けた印象を受けました。えるもが嵐士のお父さんのお店にいきなり飛び込んでいろいろ事情を知ってしまうのもかなぁという気もしました。その勢いがえるもの魅力でもあり、最後の方で天文部のために1年生が頑張るのも好ましい展開と思いましたが、どこかで読んだような印象があるなとも思いました。でも、青春物語としてさわやかなので、若い世代の気持ちをつかめる作家さんなんじゃないかなと思いました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ANNE(メール参加):おもしろく読みましたが、ちょっとご都合主義的な結末な気がしました。そんなにうまくいくかしら? 結局、「えるも」という主人公の女の子の名前の由来がよくわからなかったのと、晴彦と古雪の想いはどうなってしまったのかがモヤモヤしました。2作とも現代のSNS事情が背景にあって、私のようなおばさんにはちょっと理解しきれない部分があるのだろうと思いましたが、おばさんなりにアンテナを高くしておく必要があるかもしれませんね。

(2024年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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優等生サバイバル〜青春を生き抜く13の法則

教室の空間を黒い服を来た生徒たちが浮遊している
『優等生サバイバル〜青春を生き抜く13の法則』
ファン・ヨンミ/作、キム・イネ/訳
評論社
2023.07

サークルK:同じアジア圏の中でも 韓国の受験がかなり大変であるということは聞いたことがありましたが、実際にこのようなYA小説のかたちで読み、実情を知ることができてよかったです。首席で高校に入学してしまった主人公の入学直後からのさらなる勉強漬けの毎日には頭が下がります。正読室や塾などを使い分けて、ボランティアにも励み、そして恋愛も! 盛りだくさんな毎日ですよね。韓国では高校受験はなく、学区制で高校が決まるとのこと(『優等生サバイバル』からみる韓国高校生事情 翻訳者 キム・イネさん ×山下ちどりさん×評論社 (評論社) | 絵本ナビ)つまり本格的な受験勉強の環境に、クラス分けテスト以降さらされていくのですよね。同じように受験を意識する日本の小中学生には手に取りやすい作品で、共感をもって読めるのではないでしょうか。かつて息子が通学した男子の中高一貫校も、校内試験の結果はすべて順位表が保護者に配布され(それこそ入学式の翌々日くらいには春休みに出された課題の試験があり、中2最後の成績で中3からの特別クラスに選ばれるかどうかが決まるということが日常でした。中3と高1では毎学期の成績でそのクラスメートも入れ替わるというシステムだったので、ひとたびそのクラスには入れても安心はできず必死で勉強していたようです。けれどそれ以外は本人たちはいたってフツーでアイドルの話、ゲームの話、部活や自分の将来の話などをうまくやり取りしながら大事な友達を作っていく毎日を送っていました。この物語を読みながらそんなことを思い出しました。

しじみ71個分:まるでネットのドラマみたいだと思って、ドラマになった様子を思い浮かべながら読み進めました。場面場面がはっきり目に浮かぶような、映像的な描写で、翻訳もわかりやすく、全体的に非常に読みやすく、おもしろく読めました。作者の姿勢が一貫して、思春期の子どもたちの気持ちに寄り添っていて、勉強しないでおいていかれるしまう不安と同時に日常の息苦しさ、そんな中でも気の置けない仲間を見つけて楽しみを見つけていくバイタリティなどが、とてもリアルに描かれていたと思います。子どもたちへの視線が優しく、寄り添っているので、安心して気持ちよく読めました。主人公のジュノが好きになるユビンの生き方も一貫性、独自性があって、明るくたくましく、とても好感が持てました。心に残るすてきな言葉もありました。サークルのボナ先輩も厳しい家庭環境にありながら、自分の人生を自分のものにしようと頑張っており、彼女を好きなジュノの親友ゴヌも人柄がよく、このグループの仲間たちはそれぞれの個性もはっきりしており、読んでいて気持ちがよかったです。韓国社会の非情な厳しさが背景に描かれながらも、安心して読めたのは、作者の前向きな姿勢によるものだと思いました。YA世代の子たちも日本との違いや、共通する苦悩などを探しながら読めるのではないでしょうか。副題の「青春を生き抜く13の法則」は、もしかすると、今、はやりの韓国初のフェミニズム本や人生ハウツー本の雰囲気を真似をしているのかな、とかすかに思いました。

アカシア:日本も今は子どもの数が少なくなったので、受験競争も昔ほど熾烈ではなくなったと思いますが、韓国では今も、教育ママ、教育パパたちが子どものお尻をたたいて、少しでもいい学校に入れようとするという状態なのでしょうか。主人公のジュノは、それとは少し違って「天敵から逃げるために長くて強い脚を持っているシマウマのように、成績という武器がなかったら、ぼくは弱い相手を物色している子たちの標的になっていただろう」(p32)と考えて、いい成績を取ろうとがんばり、「自分の心がしたいと思うことよりも、優等生らしく、すべきことをして生きて」(p204)います。でも、親友のゴヌや、時事討論サークルで出会ったユビンやボナ先輩と付き合っていくうちに、少しずつ変わっていき、「だれかが決めた基準で流されている限り、ぼくは永遠に不安の奴隷として生き続ける以外にない。たとえどんな結果になろうとも、ぼくは運命の主導権を可能な限り自分で握るんだ」(p181)と言えるようになっていく。もっと大事なことがあるのではないかと気づいていく。その過程がリアルに描かれていると思いました。それと、優等生たちの中にもいろいろなタイプ、いろいろな人がいるということが書かれているのも、おもしろいと思いました。
ジュノの両親は、息子を競争に駆り立てようとはしないいい人たちですが、それでもお母さんは「洗濯するのが大変だったら宅配便で送ってきなさい」と、勉強第一に考えているのですね。p148に「本棚の音がいうるさい」とあるのですが、正読室には、それぞれの本棚が置かれているのでしょうか? それと、みんなから注目されているらしい美形のハリムは、優等生と付き合えば、変な興味や見下すような視線が減るから、という理由でジュノやビョンソをボーイフレンドにしようとするのですが、日本とは事情が違うせいか、そんな人がいるのか、そんなことがあるのか、と驚きました。

エーデルワイス:韓国の高校の「正読室」には驚きました。過去問、参考書を先輩から提示されたり、真剣に学んだりしている姿は大人びて大学生のようです。作者と訳者の表記を見ましたら、日本語のカタカナ、漢字、アルファベット、ハングル文字が並んでいて、新鮮でした。主人公のジュノをとりまく様々な子たち。読んだ子がこの本を自分と重なったりするのかもしれないと思いました。作者のファン・ヨンミが「優等生とは、誠実に自分の未来の準備をする…そう定義したい」と、言っていますが共感できます。

アンヌ:私はこの著者の前作『チェリーシュリンプ〜わたしは、わたし』(吉原育子訳 金の星社)が、韓国のおいしいものがたくさん出てきて好きな作品だったので、今回も韓国の普段の食生活がわかる場面が出てくるかなと思いながら読み始めました。例えば朝御飯にアワビや鳥のおかゆを食べるのを初めて知ったのですが、離れて暮らすお母さんが作って冷凍して送ってくれたのを、主人公が朝解凍して食べる場面には、日本のご飯と同じだなと思い、楽しめました。よい高校に入っても順位順に使える設備が違う、その上、外部の塾や自習室に通ったりしなくてはならない。相当ハードな学生生活ですね。さらに、クラブ活動にボランティア。すべてが受験に優位に考えていかなくてはならない状況には驚きました。ジュノも大変だけれど、家族も大変な状況下にありながら、互いに理解し合っているのにホッとしました。それに対して優秀でお金持ちでも、親が一方的に進路を決めてしまう子どもたちもいて、そんな状況でも自分のしたいことを見いだせているボナ先輩と、子どもっぽいままで人を傷つけるビョンソの対比が見事だと思いました。韓国でのSNS事情を考えると、これも過酷ですね。変な噂を立てられたユビンは、前作『チェリーシュリンプ』の主人公のようにSNS上に自分の意思を表明して乗り越えるのだけれど、そういう強さを手に入れられなかったら、どうなるのだろうと思いました。気になったのは副題の「青春を生き抜く13の法則」ですが、たぶん原題にも英語の題名にもついていませんし、目次をそのまま法則と読み込むには無理があるような気がしました。

雪割草:読んでまず、韓国の高校生はこんなに夜遅くまで勉強をがんばっているのかと驚き、気の毒に思いました。p214に「境界もなければ序列もない……。私たちが大人になった時、そんな世界になっているかな?」とあって、高校生たちのこうした声に、胸が詰まる思いがしました。主人公は、両親から離れておじさんと暮らし、よくがんばっていると思いますし、物事を冷静に見て考える力があるなと感心しました。また、主人公を取り巻く人たちは、どこか問題を抱えていても、なぜそうなのか、背景がきちんと描かれているので、想像しやすかったです。韓国社会について一歩引いて、俯瞰的に見ることができ、社会の問題を考えることができる作品だと思いました。ハリム、ゴヌ、ユビン、ボナ先輩の友人関係もさわやかで、子どもたちも共感しやすいのではと思いました。おもしろかったです。

コゲラ:YAも含めて児童文学では、とかく優等生は白い目で見られがちですが、その優等生たちの群像を描いて、優等生リアルというのかな、それを丹念に書いているところがおもしろいと思いました。それにしても、韓国の高校生の実情というのは、すさまじいですね。成績上位の生徒だけが使える正読室、そのうえスタディルームに家庭教師……受験当日に入試試験場にバイクに乗せてもらってかけこむ受験生の様子が日本のテレビでも報じられることはありますが、これほどまでとは思いませんでした。韓国の社会構造を反映している教育事情だと思いますが、日本でも一部の受験重視の高校では、まだ同じような教育がなされているのかも。主人公をはじめとして、登場人物のひとりひとりが生き生きと描かれていて、すばらしいと思いました。特に、激流の外に身を置くことを決断したユビンが清々しくて、とても魅力的ですね。勉強の競争だけでなく、主人公たちの恋愛一歩手前の心の動きもていねいに描かれていて、まさに青春!という感じでした。
『チェリーシュリンプ』では、韓国の食べ物がどっさり出てきておもしろかったのですが、この作品にも食べ物は出てきますが、シジミバナの生垣とか、裏山に住む野良猫や伝説のタヌキなど、日本でもなじみのある光景が出てきて、とても身近に感じられました。日本と近いところもあり、違うところもある隣りの国の作品を、若い人たちにもっともっと読んでもらいたいと思いました。
大人の作品では、翻訳者の斎藤真理子さんたちの活躍もあり、韓国のすばらしい作品がどんどん紹介されていますが、児童文学の世界でもそうなってほしいと思いました。最後に一つだけ、p116の7行目に「プー太郎」という言葉がありますけど、これは確か「職についていない人」という意味だと思うので、大学を休学して入隊しているユビンのお兄ちゃんには当てはまらないのでは? 今では死語(あるいは差別語?)だと思っていたので、しばらくぶりにお目にかかってびっくり!

マリュス:惹き込まれて、一気に読めた作品でした。韓国ならではのエリート高校、受験システムなどが新鮮でした。すさまじい閉塞感が伝わってきました。主要登場人物が、ゴヌを除いて、ヴィジュアルよし、頭よし、人気ある、という設定ばかりで、最初は食傷気味でした。でも、それぞれに抱えている悩みが伝わってきたので、好意的に読めました。最後が、ベターエンドにはなっているけれど、すかっとした読後感ではなく、閉塞感をひきずっています。けれど、時間がたてばたつほど、そのリアルさがいいのかも、と感じられるようになってきました。一つ気になるのは、サブタイトルの「青春を生き抜く13の法則」です。これ、原題にはないですよね? さっきアンヌさんもおっしゃってましたが、法則というわりに、ゆるいし、若者が読んで指針になる内容でもないし、単なる「惹句」な気がしちゃいました。

きなこみみ:軽いタッチで書かれていて読みやすいですが、「サバイバル」という言葉どおりの、なかなかハードな環境にいる若者たちの物語でした。毎日、ほぼ寝る暇もないほどの勉強に、ボランティアに、部活動。その上、塾に家庭教師。放課後、正読室という、特別な部屋で勉強する権利を学年に30人だけ与えるとか、見事なまでのヒエラルキー競争だなと思います。p96の3行目「走ってる馬にムチを打つみたいに、『もっと、もっとだ、もっと、もっと走れ、死ぬまで、努力のもっと上の努力をして一番になれ』と攻め立てていたら、死ぬまで幸せになんてなれないんじゃないだろうか」とありますが、こういう息苦しさは、YA世代なら皆感じているだろうなと思いながら読みました。
今、日本でも小学校の高学年から、将来就きたい職業を決めて努力しろ、なんて言われますけど、そんなことばかりだと今を楽しむことができなくなるんじゃないかなと思うんです。そういう競争システムに自分の意志とは関係なく放り込まれていく、そうした構造は、いろんな価値観や制度、大人の思惑などががっちりと組み合ってできているもので、子どもたちが疑問に思っても簡単に覆せるものではないんですけど、そのなかで、なんとか自分らしさや、押し付けられた生き方ではない場所を探そうとする若者たちの姿が、けなげで読ませます。p181の3行目、「だれかが決めた基準で流されている限り、ぼくは永遠に不安の奴隷として生き続ける以外にない。たとえどんな結果になろうとも、ぼくは運命の主導権を可能な限り自分で握るんだ」というジュノの言葉が切なくて頼もしいです。若い、ということはとにかく不安なことだらけなんだけれど、その不安が若者たちを縛っていて、とにかく、内申書がついてまわるせいで、元気で明るく、良い若者で居続けないと内申点も付かない、というシステムへのストレスが、SNSでの個人攻撃や噂話、陰口になっているのがリアルでした。芸能人みたいにきれいなハリムも、実は拒食症を患っていたことがあって、死ぬほどダイエットすることを「プロアナ」という言い方をするのを初めて知りましたが、そんな若者の生きづらさを誰しもが抱えていること、社会的な背景も含めて俯瞰できるように書かれていて、そのなかで、ジュノと仲間たち、とくに自分の生き方を貫こうとするユビンとの交流が爽やかでした。読後感も良い1冊だったと思います。

ハル:現代版『車輪の下』だ、と思いながら読みました。高校生の悩みの中で「勉強についていけない」とか「受験の不安」だって大きいはず。だけど、勉強についていけなくて悩むとか、追い込まれていく姿を取り扱った小説は、ありそうでなかったように思うので、「韓国の子はすごいなー」なのか、「日本の子もきっとそうなんだろうなー」なのかわかりませんが、新鮮な感じはしました。結末が『車輪の下』にならずにすんだのは、友情があったから。友だちはたくさんいる必要はないし、いま友だちがいないことを悲観することはないけれど、今月のもう1冊の本『セントエルモの光』(天川栄人著 講談社)同様、やっぱり、人とつながろうとすることは大事というか、人を理解しよう、つながろう、と心がけることは大切だと思います。

コゲラ:日本でも、高校生が学校の指示でボランティアをする制度があるのかしら?

しじみ71個分:日本にもあります。

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ANNE(メール参加):読み終わってまず、韓国の高校生って、ほんとに大変!! と思いました。日本よりも、もっと学歴が重要視されるという話は聞いていましたが、高校1年生のジュノの日常は、想像を絶するものがありました。
学業だけではなく、友人・恋愛・家族など、さまざまな問題を抱えながら、ジュノが自分のあるべき姿を模索していく様子に、エールを送りたいと思います。韓国の人名に慣れていないので、登場人物の男女の区別が付きにくく、ちょっと混乱しました。ジュノのお母さんのアワビ粥、食べてみたいです。

さららん(メール参加):念願の受験校にトップの成績で合格してしまったジュノの、一人称で伝えられる高校生活は、明るく語られるものの、競争から蹴落とされるという不安でいっぱいです。短い会話でスピーディーに進む展開のなかに、韓国の高校生の本音が見えかくれし、アワビがゆが、ご馳走だということもわかりました。ハリムのキャラクターは謎でしたが、自分を守るために成績のいい男の子とつきあおうとしていたのですね。ジュノと、ゴヌと、ユビンの、つっこんだり、つっこまれたりの会話や、サッカー観戦、サークル活動、裏山で食べるパン、ネコのエサやりなど、勉強以外の要素がさしはさまれ、現実の重苦しさの救いになっています。p187で語られるジュノの気持ち「たとえどんな結果になろうとも、ぼくは運命の主導権を可能な限り自分で握るんだ」とか、p279に、ユビンがいう「自由の海」―私たちそれぞれがちゃんと生きていれば必ずまた出会える場所、境界線も序列もない海―というような観念は魅力的です。子どもたちのいちばんの重荷は、ボナ先輩の場合でも、ビョンソの場合でも、親の身勝手な期待で、ジュノはその点、両親や叔父さんに恵まれていると感じました。さらっと読めて、ちょっと元気が出てくる清涼剤のような1冊ではないかと思います。ユビンとジュノとの関係が、友情以上恋愛未満で、終わっているところにも好感がもてました。
ところで読み終わったあと、13の章題になっている13の法則を確認しました。<7.敗北にもくじけないこと>、とか、<8.目の前にあることを、「ただやる」ってこと>はいかにも法則らしいのですが、<9.メニューが今ひとつの時はパスすること>はあれれっ?という感じ。本文を読み返して章題としては理解できたのですが、法則としてはすこし腑に落ちない感じがしました。少なくとも、p158のうしろから2行目で、「外で食べない」を、「パスして、外で食べない」とするなど、本文とつながりを持たせたほうが親切だったかもしれませんね。

(2024年06月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年05月 テーマ:猫が人を助けるって、ホント?

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『2024年05月 テーマ:猫が人を助けるって、ホント?』
日付 2024年05月23日
参加者 ハル、アカシア、エーデルワイス、きなこみみ、アオジ、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、さららん、ANNE、ニャニャンガ、スーパーマリオ、雪割草
テーマ 猫が人を助けるって、ホント?

読んだ本:

世界の民芸品に囲まれたペルシアネコ
『アリババの猫がきいている』
新藤悦子/作 佐竹美保/絵
ポプラ社
2020

〈版元語録〉世界中の民芸品が集まる店「ひらけごま」では、モノたちが毎晩身の上話をしていた。子猫のシャイフも話の輪に加わり……。
戦時下の空を背景にした黒猫と子猫
『ブックキャット〜ネコのないしょの仕事!』
原題:THE BOOK CAT by Polly Faber and Clara Vulliamy, 2022
ポリー・フェイバー/作 クララ・ヴリアミー/絵 長友恵子/訳
徳間書店
2023

〈版元語録〉黒ネコのモーガンが子ネコたちに教えた仕事とは? 戦禍のロンドンを舞台に、出版社でくらし、作家たちの創作を助け、子ネコを疎開させようと奮闘する、ミュージカル「キャッツ」のモデルとなった黒ネコの物語。

(さらに…)

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ブックキャット〜ネコのないしょの仕事!

戦時下の空を背景にした黒猫と子猫
『ブックキャット〜ネコのないしょの仕事!』
ポリー・フェイバー/作 クララ・ヴリアミー/絵 長友恵子/訳
徳間書店
2023

ANNE:不勉強で、フェイバー・アンド・フェイバー社や詩人のT・S・エリオットのことをよく知りませんでしたが、興味深く読みました。猫が創作の手伝いをするという展開が新鮮でした。日本でも漱石を始め作家と猫の関係は密接な気がするので、やはり相性がいいのでしょうか? わが家のおとぼけ犬に、この猫さんたちの爪の垢を煎じて飲ませたいと思いました。

ハル:こんなにかわいいのに、どうしてでしょう。2回読みましたが、それほどおもしろくは感じなかったです。中盤からちょっと浅いというか、雑というか。ロンドンの子猫たちをブックキャットに仕上げていくところなんて、実は唐突じゃないですか? コメディ部分なので勢いはあって良いのですが、モーガンはそれまで、偶然にエリオットさんの原稿を踏んづけて手助けしたことはありましたし、フェイバー社にやってくる作家たちにかわいがってもらったり、おやつをもらったらはげましたりはしていましたが、あとで子猫たちに教えるような深い付き合いをしていたわけじゃないし、モーガン自体はインクのにおいが好きなだけで、原稿を読んではいないので、なんかちょっと、そのあたりの詰めの甘さというか、力技感に引いちゃうのかなぁ。絵はかわいいし、フェイバー・アンド・フェイバーっていい会社なんだな、というのはとても印象に残りました。

雪割草:楽しく読みました。特に絵がよくて、それぞれの猫の個性まで描いていて見入ってしまいました。作家がメモを片手に髪がボサボサな感じもリアルだと思いました。ブックキャットというタイトルから、本屋さんの話かなと読みはじめましたが、出版社で作家を助けていた実在の猫のモデルがいるというので興味深く感じました。ただ、子どもよりも、書く仕事をしているおとなの読者の方が共感できるところが多いかなとは思いました。p108に「この計画実行の初日に、ぜんぶで八ぴきが旅立っていきました。かんしゃく持ちの年取った作家のところには、子ネコを二ひき送りました。そして、その二ひきの冒険好きな妹は、一ぴきで海ぞいに住むおしゃれな女の作家のところへやりました」というところがあるのですが、「その二ひきの冒険好きな妹」というところ、「妹」に「その二ひき」と「冒険好き」がかかっていると読まなければならないのですが、私は「その二ひき」が「冒険好きな妹」だといっているのだと思って混乱してしまいました。よく考えれば、そうであれば「妹たち」となるはずですし、誰の妹だか不明なのですが、日本語で修飾語を連ねて使うのはわかりにくいなと思いました。

アオジ:イラストも物語も、とてもかわいい、楽しい本ですね。子どもたちは、大好きだと思います。長田弘さんの『本を愛しなさい』(みすず書房)には、ヴァージニア・ウルフと夫のレナード・ウルフが始めた出版社、ホガース・プレスにいた犬と、シャーウッド・アンダースンの新聞社にいた子ネコのネリーの話が出てきて、どちらも深い、しみじみとした話ですけど、そういう心に染みるような味わいは感じられず、来年になったら忘れてしまいそう。でも、子どもたちには、すぐに忘れてしまっても、楽しい本をむさぼるように読んでもらいたいと思います。おかあさんネコが死んでしまったり、爆撃を受けたり、疎開しなければならなかったりするのですが、妙に明るいですね。マイケル・モーパーゴが編んだ“War stories of conflict”( Macmillan Children’s Books/2005)というアンソロジーを読んだことがありますが、概して、悲惨な出来事を書いても、トンネルの向こうに光がさしているような、なにか明るいものを感じたんですね。戦勝国と日本の違いなのかな。

アカシア:猫好きの人にとっては、とても楽しいお話なのではないでしょうか。ブックキャットという名前もおもしろいし。p92に、「原稿がよくないと思ったら、ツメでやぶる、歯でかみちぎる、よごれた足でふむ、といった仕事です。/ぎゃくに、おもしろい原稿がゴミ箱に捨てられていたら、取りだして、作家にもどします」とあるので、モーガンは内容がわかっているという設定かと思っていたら、p113に「モーガンも、本は大好きでした。──でも、本をながめることと、そのにおいがすきなだけでした。じっさいに自分で読もうと思ったことなどありません」とあったので、びっくり。まあ、それも含めて、ユーモラスだと思えばいいのかも知れませんけど。私はp75の「モーガンおじちゃん、あたしの命をすくってくれて、ありがとう。おじちゃんと、ここの本のおかげだね」の最後の一文がよくわかりませんでした。本のおかげというのが出てきていないので。

きなこみみ:かわいい本で、装丁と挿絵のセンスがとてもよいなと思います。猫たちの生き生きした姿が楽しくて、物語にどんどん入り込めます。楽しい挿絵のなかで切なかったのは、p30の母と妹を爆弾に吹き飛ばされたときのモーガンの顔。今、あちこちで爆撃の下で孤児になってしまった子どもたちがたくさんいることを連想してしまいます。この物語のテーマのひとつが「飢え」であることも、戦争の実相と繋がっていると思うのですが、登場人物が猫たちであることがクッションとなって、子どもたちも戦争の物語として受け入れやすいと思うのです。猫というのは、そういう意味でとても物語にしやすい得難い生き物だなと思います。P78の子猫たちの集団疎開も、実際に行われた都会から田舎への子どもたちの疎開がベースになっていると思うのですが、切ないのにどこかユーモラスな味が出ているのがいいなと。p81で、子猫たちがあちこちに隠れるシーンなど、想像するだけでかわいいです。しかし、なんといっても心惹かれるのは、ブックキャットの仕事のおもしろさ。p94の書けない作家の励まし方なども、作家の実体験がにじんでクスリとさせます。この勉強の甲斐あって、子猫たちはそれぞれ行き先が見つかるのですが、ここにイギリスの余裕を感じてしまいます。日本なら、こっそり猫にあげる食料もないだろうし、戦時中愛玩動物を飼うのを禁止して、犬猫たちをたくさん殺してしまったりしたことを思い出しました。ユーモアというのは、余裕から生まれるんだなと思いました。

アンヌ:おもしろい本だとは思うのですが、なんだか作者の家業として語り継がれてきた物語を読まされている気がしていて、有名な一族なんでしょうが、知らない身としてはピンとこないところがありました。私も、モーガンがブックキャットになるためのしつけを子猫たちにしていたのに、その後で、実はモーガンは本が読めないという話が出て来たのには驚きました。そうなると全体に矛盾してこないでしょうか? ただ、現実にブック・キャットはいるような気もします。以前読んだ『ザ・ウイスキー・キャット』(C.W. ニコル著 松田銑訳 河出書房新社)のように働く猫は現実にいるので、本当に猫が図書館を守ったり、作家の手助けをしているのだろうなと考えるのは楽しいことだと思います。

しじみ71個分:おもしろく読みました。猫好きの、猫好きのための猫好きによる本だなと心の底から思いました。読めば読むほど、翻訳の長友さんのお顔と猫さんのお姿が浮かんできて、愉快でした。お話自体は読んでみて、いろいろ思うことがありました。一つは、イギリスで戦争を見る目が日本とはちょっと違うかなというところでした。戦争中でもチャリティバザーがあったり、ちょっと雰囲気が明るいというか、この物語からは、あまり戦争の悲惨さを感じられませんでした。もしかして、戦争を背景にする必然性はなかったのかなとか、T・S・エリオットとか実在の人物を登場させるのに背景として必要だったのかなとか、いろいろ思いましたが、戦争を伝えることが主眼の物語ではないのかもしれないと思いました。後半のブックキャットの養成などは、とてもおもしろいです。猫はやりたいようにやっているだけなのに、作家が猫の行動に勝手に意味を見出しているだけなのですが(笑)。でも、本当に作家とネコとの相性が良くて、猫のおかげでいい作品が生まれることも実際にあったかもしれないですよね。作家のおじいさんがフェイバー・アンド・フェイバー社を経営していたということなので、どなたかもおっしゃっていましたが、家族の中で語り継がれている話が元にあったのかもしれないですね。ちょっとだけ気になったところもあって、一つ目はp79の「ネコパンチ」ということばです。確かに何を指すのかとても分かりやすいですが、とても現代的な日本語だなと思って、読んでいる物語世界からこっちの世界に戻って来ちゃうなと思いました。あと、私もp75で、ルールーが助かったのがモーガンおじちゃんのおかげなのは分かりましたが、なんでここの本のおかげだったのかはよくわかりませんでした。

アカシア:私は「ネコパンチ」が現代語だとは思いませんでした。ずいぶん昔からある言葉じゃないかな。エリオットまで遡れるかどうかはわかりませんが。

ニャニャンガ:p55に、本が入った段ボール箱がたくさんあるという文章があるので、本が入っていて潰れなかった段ボール箱のなかに逃げ込んだおかげで助かったということかなと思います。

しじみ71個分:そうだったんですね! 読み飛ばしていました。ありがとうございました。あとは、ちょっとおもしろいのが、p106で作家が「顔をこわばらせて」と書いてあるのですが、挿絵はにこにこしていて、顔がこわばっていないのもちょっとハテナ?と思いました。子どもたちの訓練を始めるにあたって、p84のところで、暴れる子猫たちのことがばれないように、自分が騒ぎを起こして目くらましをしますが、子どもたちの暴れっぷりがあまり書かれていないので、何でモーガンがそんなに疲れているんだろう?とは思ってしまいました。何か、ちょっとどこかがはしょられている感がありました。でも、軽めに楽しく、おもしろく読めるいい本だと思います。

さららん:『ブックキャット』というタイトルに魅かれて、ずっと読みたかった本です。ひとりの猫好きとして手に取り、読みながら、自分の中に分裂した2つの読み方があるのに気がつきました。「これはおもしろい!」と思う自分がいる一方で、「いやいや、猫は絶対、人のために働かないぞ」と考えている自分もいたのです。ここにいるのは本物の猫ではない、お芝居みたいに書かれた作品だと考えて読めばいいのだと、頭の中のスイッチを入れ直しました。爆弾が落ちた後の猫の姿を描いた灰色のページ(p70~71)をはじめ、この物語は戦争の現実を子どもたちにわかりやすい形で伝えています。戦争中は猫も悲惨な思いをしたんだと、少し距離をおいて受け止められるからです。p118の挿絵はしっぽとしっぽが絡み合った、とてもいい絵で、見ているだけで幸せな気持ちになれますが、少し惑わされました。ネコのモーガンはルールーと結ばれたんだ!と、私は思ってしまいました。

コアラ:まず、絵がかわいいと思いました。どのページの猫もかわいくて癒されました。猫好きにとっては、猫が何かやったら、それだけでかわいいものです。猫が本のページの上に足を置いたら、そのしぐさから人間の方が気付きを得る。それを、猫が人間に気付かせている、猫が分かってやっている、ということにするわけですが、そういう世界は子どもと親和性があると思います。子どもが楽しめる本だと思いました。最初に、著者の祖父がフェイバー・アンド・フェイバー社の経営者で、そこでエリオットが働いていて、猫が玄関で来客を迎えていた、ということが書かれていて、もうそれだけでワクワクしました。作家が編集者に会う前と後が描かれているところは、誇張されていておもしろかったです。最後のp133で、猫が「THE END」とタイプライターを打つところは、小学校中学年くらいの読者は分かるかな、ちょっと難しいかなと思いました。訳者あとがきを読んでも、ご自分のブックキャットのお話が書かれていて、猫を飼っていていろいろな場面で助けられているという方々はいっぱいいるんだろうなと思いました。

スーパーマリオ:非常にかわいらしい物語だなぁと思いました。戦争で深刻な場面も出てくるのに、それでもかわいらしいというイメージ。ネコの行動は細かいところまでなかなかリアルです。小学生の子が怖がらずに読めるいい本ですね。戦争の全体的な流れはわからないのですが、断片的に戦況の変化が伝わってきます。最後、アメリカから来たネコが「アイゼンハワー」という名前のところ、ちょっと引っかかってしまって、ラストのいい文章がなかなか頭に入ってこなくなりました。イギリス、アメリカの子どもたちなら、むしろ笑うところなのかしら。

アカシア:p75についてはニャニャンガさんが教えてくださいましたが、ルールーがとびこんだ段ボールには、本も入っていたので、漆喰の飾りが落ちてきたときにつぶされずにすんだ、っていうことなんですね。そこはそう書いておいてもらったほうがよかったかも。あと、p136の「ミーブ」は「メーブ」の誤植ですね。

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エーデルワイス(あとから追加):イラストがふんだんにあり、絵を見ているだけで楽しく、物語が伝わってきました。前半は白黒の映像にナレーターが語っている感じが、中盤からカラーに変わって生き生きしたような印象です。黒ネコのモーガンを中心にネコたちが活躍して、第二次世界大戦中のロンドンなのに明るく感じられました。
全体的にさらりとした展開なので、ブックキャットの仕事のエピソードを、も少し具体的に書いてほしいように思いました。
私の知っているネコのエピソードです。小春日和の気持ちのいい午後、私の母が背の高い草原を通りかかると、何やらゴニョゴニョと声がします。草の間からそうっとのぞいてみると、7、8匹のネコが頭を真ん中の一転に寄せて丸く仰向けにお腹を出して寝ていたそうです。
なんと無防備な姿!「いい天気ですなあ」なんて、世間話でもしていたのでしょうか。あんまりおかくて母が笑い出すと、ネコたちはたちまち風のように散っていなくなってしまったそうです。昔は家ネコも自由に外出して家に戻っていたように思います。
ノラネコや家ネコたち、一緒に定期的に集会を開いていたのでしょう。

(2024年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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アリババの猫がきいている

世界の民芸品に囲まれたペルシアネコ
『アリババの猫がきいている』
新藤悦子/作 佐竹美保/絵
ポプラ社
2020

エーデルワイス:おもしろく読みました。「難民」がテーマなんですけど、「難民とは」と声高に言わなくて、その内容に好感を持ちました。ペルシャ猫のシャイフと世界の民芸品との会話など自然で新鮮でした。p37の8行目に、「かしこい猫は人の心をかんたんにつかんでしまいます。」とか、p63の3行目「人間は言葉で遊ぶくせがあります。」、p64の6行目、「…猫も人間もわがままでなくちゃ」など、心に染みてくる言葉がたくさんあります。「ひらけごま」の亭主石塚さんのレモネードがよくでてきますが、先日香川産の有機レモンで作ったレモネードを友人にごちそうになりました。とっても美味しくて、厚切りのレモンの皮をバリバリ食べました。その味を思い出しました。「こどもの本」(024年6月号 日本児童出版協会)掲載の三辺律子さんのエッセイに引用されていた東京大学教授の梶谷真司氏の哲学対話についての言葉「理論だけで考えていると、平等や対等になろう、差別をなくそう、異質なものを受け入れよう、相互理解や相互承認、寛容さが大事だ、そのため対話が必要だ、など、いろんなことが言われます。けれども、それらは単なるお題目ですが、具体的にどうすればそういうことができるのか分からないままです。それでみんなで努力したり我慢して、結局うまくいかないことが多い。でも哲学対話をしていると、なぜそういうことができないのか、どうすればそれができるのか実感としてよく分かるようになります」が、本書の物語と重なりました。

アンヌ:以前読書会で別の本を読んだときに「移民の物語にはいい人しか出てこない」という指摘がありましたが、最初に読んだときは、いい人ばかりで生ぬるい物語だなと思いました。でもp25で石塚さんが集めてきたおしゃべりする物たちが、「モノ」とカタカナで書かれているのに気づいて、この物語は、人間ではなく物が語る方が主な主題なのだと思って読み直しました。伝統工芸品の中にあるその国の歴史と文化、そして戦争や政治的状況などがモノたちの言葉で語られるファンタジーというのは珍しくておもしろいと思います。ただ、最後のあとがきに出てきた地図が、とても簡略な絵だったのが残念です。読者の子どもたちも、最初にしっかりした地図があれば、このモノたちが生まれ、やってきたいろいろな国への知識が深められたと思います。

きなこみみ:登場する猫も、人も、タイルばあやや、ひも姉さんというモノたちも、とても魅力的です。佐竹美保さんの挿画の力もあるんだと思いますが、キャラクターの姿が明確に頭に浮かんできます。イラン・イラク戦争が1980年からなので、アリババはその頃に亡命したのかな、とか、その時のことをいろいろ想像しながら読みました。猫のシャイフと、どこか飄々とした店主の石塚さんが世界中から持ってきたモノたちとがおしゃべりするのを聞くのがとても楽しい。楽しみながら、自然にイラン、アフガニスタン、ペルーなどの文化と人の物語に触れていく試みがとてもいいなと思います。旅から旅に、あまり物を持たず、ひとりを貫いてきたアリババさんが、なぜそうしてこなければならなかったのかを思うと切ないんですが、石塚さんが集めてくるものたちは、そんなふうに否応なしに故郷との繋がりを断たれてしまう人たちの思いを語っているようです。
私は民博(国立民族学博物館)の近くに住んでいて、ときどき展示を見にいったりして長い時間を過ごしてしまうのですが、その時間とおなじような厚みを、この物語にも感じました。日系ペルー人のタケルと、イランからきたナグメという、日本以外の国のルーツをもつ子どもたちが出てきたのも、良いと思います。「外国にルーツをもつ子どもたちの『ルーツ』とは、『ルーツ』(roots)と『ルート』(routes)の両側面がある」(「超多様性を生きる子どもたち(特集 〈子ども〉を考える)」原めぐみ『現代思想』52巻5号/2024年4月)という考え方を最近知ったのですが、共通の歴史や祖先を持つという過去と、変遷を経てここにたどりつき、そしてこれからたどっていく子どもたちの未来という、ふたつの道筋が、この物語にはあるなと思うのです。これは、子どもの本のすてきなところだと思います。
少し気になったのは。p156のナスリーンのエピソード。「あたし、ブルカおばけになりたくない」というセリフに、考えこんでしまいました。女性への時代遅れな蔑視や自由の制限、学問の自由を奪う、という政策は確かに非難されるべきことではありますが、一方でブルカはイスラムの女性たちにとって、ひとつのアイデンティティという一面もあるのではないかなと。女性にたいする圧政をブルカに象徴させてしまうことで、ブルカやイスラムへの一元的な嫌悪などに繋がらないかと少し心配になりました。アフガンで水路を開いた中村哲氏が、敬意をもって、イスラムの教会も作っていたことを思い出します。でも、好きなところもたくさんあって、p147の「ジャングルの子どもは自分の考えをちゃんと先生に伝えて、先生はちがう考えをちゃんと認めた。すごいことです」というところ、p181で、野良猫の三毛が、シャイフに「あなたのこと、中庭の外にも出られなくて気の毒に思ってたけど、それなら、ちっとも気の毒じゃないわ」「ここにいながらにして世界旅行をしてるようなもの」というところが、とても好きです。ここではない扉をひらいて、違うことを認め合って、どんな遠くにも時間と空間を超えてとんでゆけるという物語の醍醐味がつまっているからです。

アカシア:私もきなこみみさんと同じで、ブルカは女性を束縛するものときめつけてしまっていいものか、タリバン=悪と決めつけてしまっていいものか、と疑問を持ちました。
全体としては、世界の民芸品に話をさせ、猫がそれを聞くという設定はこれまで見たことがなかったので、おもしろかったです。タイルばあやの話の中に出てきたアリぼうやが、アリババだったと最後にわかる(おとなの読者はすぐに推測できるかもしれませんが)など、物語に工夫もされています。最後にハチの巣として実際に使われたらよかったのに、とそこはちょっと残念でした。
物語の随所に、作者の考え方や、文化の多様性の視点が登場しているのにも、好感をもちました。p30の「イスラム教を重んじるバザール商人は、お金はためるものではなく流れるもの、と考えています。水がたまるとよどむように、お金がひとところにたまると世の中がよどむ、というのです」とか、p119の「人間が大変なのは、言葉だけじゃありません。たとえば、ひも姉さんが話していた国境線。なにもないところに線引きして、こっちからあっちへ勝手にいってはいけないことにするなんて、わざわざ世界を不便にしているとしか思えません」なんていうところですね。そして、民芸品が語る来歴から、それを作ったり、そこに思いをこめた人たちの物語が伝わるのも、すてきです。あとがきにもあるように、難民とか戦争を正面から取り上げるのではなく、物語を聞いて想像を広げていくことによって世界とつながれるようになっているのですね。年齢も状況も多様な人たちが登場しているのも、とてもよかったです。

ニャニャンガ:とても好きになった作品ですが、手にした時のずっしり感と、タイトルにあまり惹かれず、すぐ読む気にはなれませんでした。もうひとつ残念な点としては、世界地図はあとがきではなく、できれば登場人物紹介のあたりにあると読む手助けになると思いました。私もなのですが、本文を読みながら民芸品がやってきた場所がわかっていた方が物語により入りこめた気がします。とはいえ読み始めたとたん、世界情勢や民芸品がやってきた理由が詳しく書かれていて読みでがありました。民芸品たちが希望したとおりの幸せになるために、猫のシャイフが導いてあげる設定や、登場人物の物語もよかったです。佐竹さんの絵がとても物語に合っていて、読む楽しさが増えました。とくにピラフの場面はおいしそうでした!

アオジ:とてもおもしろい物語で、楽しく読みました。アリババと千夜一夜物語をかけているんですね。日本に渡ってきた、高価な品物ではない日常の道具に語らせるという趣向がいいですね。ラクダの頭飾りにするひもの話が、特に印象に残りました。近所のじゅうたんのお店に、探しにいってみようかしら。
移民や難民の話というと、とかくつらくて悲惨なものになりがちですが、この本なら子どもたちがすっと物語に入りやすく、最後まで読めるのではないかと思います。クラスにいる外国から来た友だちを、日本とは異なった、豊かな文化のなかで育ってきた存在とあらためて見つめなおし、もっと知りたい、もっと理解したいという気持ちが芽生えれば、難民に門戸を閉ざしがちの日本も少しずつ変わっていくのではないかと思いました。私自身、知らなかったことがたくさん出てきて、わくわくしながら読みました。
ブルカについては、私もちょっとひっかかりました。あくまでも強制するのが悪いのであって、ブルカそのものは、見かけではなく内側から神と向き会わなければいけないというイスラム教の教えにもとづいているのと同時に、砂や、きびしい日光から身を守るという実用的な側面もあり、大切にしている人たちもいるということを忘れてはいけないと思います。
ちなみに、アマゾンの古代魚ピラルクは、靴べらにできるほど大きな鱗をしていて、ピラルクの皮のハンドバッグが人気なんだとか。もちろん、ワシントン条約で捕獲が規制されているそうだけど。それから、p73の7行目にある「青いタイルくん」は「青いグラスくん」の間違いですね。(第2刷では訂正されています)

雪割草:最初は、おじさんが主人公?と思いましたが、さまざまなモノが登場し、「ひらけごま」には世代もいろいろな人が集まり、難民をテーマにしながら、楽しく読める作品だと思いました。モノの語りはそれぞれユニークで、たとえばヘラートグラスはその美しさだけでなく、戦争で奪われたものについても語っていて、子どもたちにぜひ伝えたいと思いました。中東地域は行ったことがないのですが、バザールの空気感もよく伝わってきました。モノの語りがメインですが、もう少し人のバックグラウンドの大変な面が語られてもよかったかなと思います。先ほど、地図が詳しく書かれていなくてわかりにくいという話がありましてが、もしかしたら意図的に国境を引いていないのかもと思いました。

ハル:視野が広くて、愛にあふれていて、とってもおもしろかったです。どのページか忘れてしまいましたが「幸運には運び手がいる」というのも印象に残りました。せっかくおもしろいので、子どもたちにたくさん読んでほしいと思うと、ちょっと長いでしょうか。あと、余計なお世話ですが、タイトルがちょっと凝りすぎでしょうか。それぞれの物たちの身の上話こそ読ませどころなんだと思うのですが、そこが逆に長いと感じてしまいました。ところで、p15には、シャリフは人間でいうと7歳といった記述がありましたが、この、動物の年齢を「人間でいうと」というのがよくわからないんです。どうして人間の年齢に換算するんでしょう。それから、これはもちろん、それぞれの考え方でいいのであって、否定するものではないのですが、「国境はいらない」というのは確かに素敵に聞こえますが、社会を形成する上ではやっぱり国境は必要で、国境があることが問題なんじゃなくて、諍いを起こすことが問題なんだと私は思います。動物だって群れをつくりますし、猫も、自然のままだったら、縄張りはあったんじゃないかなぁ。
それから、きなこみみさんがおっしゃった「ブルカおばけ」のところは、わたしもちょっとひっかかりました。外から見たら問題があるように見えますし、宗教を選択する自由がないことも恐ろしいですが、「おばけ」と言っていいのかどうかはなんとも……。

ANNE:もともとファンタジーは大好きなので、とても楽しく読みました。ところどころ現代の子どもたちに通じるかしら?という言い回しが出てきて、たとえばp26の7行目、「イキなのかヤワなのか」というところなど、私のような年代のものにはそれも魅力的でした。
また、p63の3行目からの「人間は言葉で遊ぶくせがあります。言葉をおもちゃにして、なにが楽しいのでしょう」という文章に、ドキッとしました。佐竹美保さんのイラストも含め、随所に印象的な言葉がちりばめられたすてきな物語です。ぜひ、子どもたちに手に取ってほしいと思います。

コアラ:今回私は選書係だったのですが、ずっと読みたいと思っていたこの本を、さららんさんの推薦でやっと読むことができました。おもしろかったです。アリババとか「ひらけごま」とか、異国的で不思議なことが起こりそうなネーミングがいいなと思いました。モノたちの物語が、とても具体的で目に浮かぶようで、行ったこともないのに異国を旅したような気分になりました。タイルばあやの願いを伝えたアリぼうやが、実はアリババだったとか、伏線が回収されるのもおもしろかったです。モノが語るこの形式だと続編もありそうだと思いました。この本を読んだあとでペルシャ猫を見たら、シャイフだと思ってしまいそうです。ぺぺとるりの結婚のお祝いのごちそうで出てくる「ひらけごま」のピラフは、サプライズ感があっておもしろいと思いました。あと、佐竹美保さんの絵も、p17の絵はユーモラスだし、よかったです。

しじみ71個分:タイトルから、中東を舞台にした歴史ファンタジーのような作品かと思い、なかなか手が伸ばせなかったのですが、読んだら日本の現代物でした。タイトルが内容より重々しくて損をしているかもしれないですね。読んでみたらとてもおもしろかったです。バザール商人の考え方として紹介されている、お金はためるのではなく流れるものとか、貧しい人に与えよ、お金も情報も物も流れて、世の中が活気づくというイスラム教の教えや、アラブの地方の暮らしや文化がさらりと紹介されていて、興味深かったです。イスラム教というと、どうも9.11以降、テロや何かと結び付けられたこともあって、日本では良くないイメージでとらえられているような気もしますが、この本はアラブ世界の深くて豊かな文化があることを伝えてくれて、固まりがちな思い込みを易しい語り口でほぐしてくれるところがとても良いと思いました。
アリババの猫のシャイフは、1週間のあいだ、世界の民芸品を売る石塚さんのところに預けられますが、夜な夜なモノが語ります。モノに言葉を与えてしゃべらせるのは、当事者をそのまま描くのではなく、モノを間に挟んで少し距離感のある第三者の視点で語られるので、物語として穏やかに伝わるような気がします。夜に語るというと、『千夜一夜物語』や、シリア出身のラフィク・シャミの『夜の語り部』(松永美穂訳 西村書店)を思い出しますが、夜に詩や物語を語る文化があるのでしょうね。登場人物もほぼみな優しくて、温かくて、読後感がとても良いです。異文化に対する興味をやさしく喚起する新藤さんは、とてもうまい書き手ですね。
「青いガラスくんのはなし」でブルカが否定的に描かれている点については、私は逆に新藤さんがアフガンから逃げてきた人に実際に話を聞いていり、インタビューしたりしたのに基づいているのではないかと思いました。タリバン政権下で少しずつ女性たちの生活が締め付けられて行く当事者の受け止め方がよく分かると思いました。当事者に話を聞いたらこうなるのかなと思ったので。いちばん、かわいそうなのはアリババさんかなと。最初と最後にだけ登場してきて、ひとりで寂しく出張に行って来て、その間、シャイフはモノや人と交流していて。アリぼうやがアリババだとわかって話の深い伏線が回収されますが、その間は出番がなくて寂しかっただろうなと思います。アリババさんの詳細はこれから掘ればまだたくさん出て来そうなので、もしや続編があるのかなと気になりました。あと、「タイルばあや」の言葉はちょっと気になりました。「ばあや」という言葉は、働いてくれる使用人のおばあさんを、世話される子どもが呼ぶときに使う言葉のような気がしたので…… なぜ「ばあさん」「おばあさん」ではなく「ばあや」にしたのかちょっと不思議に思いました。

さららん:今回、この本を選ぶにあたり、もう1度読み直してみました。楽しい物語だった、新藤さんは上手な書き手だ、という以前の印象が漠然と残っていたのですが、主人公のアリババがシャイフを見たとたん、「記憶の封印が解かれ」(p10)、シャイフのおかげで具体的な記憶を取り戻す物語(p212-213)だったと気がつきました。枠物語の構造をもう少し鮮明にして、感動を盛り上げることもできたとは思うのですが、このさりげなさが作家の持ち味なんだと思います。私の知り合いに、ベトナム戦争後、フランス人家族に引き取られたベトナム人の姉妹がいて、「家庭の中ではベトナム語は禁止」といわれたそうです。その子たちがベトナム語を使えたら、過去とのつながりを保てただろうに……と、思い出すたび切なくなります。「両親につれられて外国にいったアリぼうやは、知らない人たち、きいたこともない言葉の中で、いつもあの猫に会いたかった」(p11)という一文から察するに、アリババも自分の故郷とその言葉を奪われた人物で、そう思うと、やはり少し切なくなります。
そして、この物語の重要なテーマは「コミュニケーションの復活」ではないのかと思うのです。シャイフと出会うことで、アリババは失われた故郷とのつながりを思い出す。モノと人のコミュケーションは阻まれているけれど、聞き手のシャイフが登場したことで、モノの見てきたことや気持ちが読者に伝わる。そのシャイフの働きで、石塚さんたちも、モノたちの願いを結果的にかなえることになる。阻まれていたコミュニケーションを復活させる役割を持たされたシャイフの存在が、私には興味深かったです。作家はシャイフを通して、モノと人のつながりや幸せを、少しでもよみがえらせたかったのでしょう。モノの声は私たちには聞こえないし、見ただけではわからない。声を聞くには、その物が生まれた背景や歴史を知る必要があります。作家は、「タイルばあや」や「ひも姉さん」の由来を知り、歴史を調べ、聞こえない声に耳を傾けるおもしろさに自分でも夢中になって、空想を広げ、物語に仕立てていったのかもしれません。ふだんなら聞こえない声を聞くことで、この世界が全く変わって見える。単に言語が伝わる、伝わらないだけではない、本質的なコミュニケーションの喜びは、実はそんなところにあるような気がします。手触りのあるモノを通して、イスラム世界やアマゾンの日常を重層的に感じてもらえる本です。難民という言葉で括られる人たちの暮らしに思いを馳せる意味でも、子どもたちに今読んでもらえたら、と思います。

スーパーマリオ:以前、『イスタンブルで猫さがし』(新藤悦子著 丹地陽子絵 ポプラ社)を読んだことを思い出しながら、読了しました。中東に強い新藤悦子さんならではの作品で、すてきだなと思いました。人間の少年少女が主人公ではないところもおもしろいですし、冒頭、「東京のタワマン」に住む「アリババ」という「学者」など、意外な組み合わせの連続に引き込まれました。ラクダのひもとかミツバチの巣箱のふたとか、日本の日常にないものが、生い立ちを語っていくところにも惹き込まれました。ただ、中盤あたりから終盤まで、ちょっと中だるみしてしまったようにも思います。モノが語る物語は、哀しみとかやるせなさとかが薄いせいでしょうか。人間だったら大変な旅なわけですが、淡白に感じてしまった部分もありました。あと、冒頭ですけれど、時間が立て続けに2回遡ります。現在から3ヶ月前、そこからさらに、「忘れていた遠いむかし」へ。小学生向けの児童書では、時間があまり遡らないほうが読みやすいと以前聞いたことがあるので、せめて遡るのは1回にして、構成をうまく組み替えることで読みやすくできないかなぁ、などと考えました。アリババと再会したときに、ネコが必ずしも喜んでくれない、キゲンが悪い感じなのは、ネコ好きとしてはリアルに感じられておもしろかったです。

(2024年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年04月 テーマ:すべての人が幸せに生きられる世界へ

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『2024年04月 テーマ:すべての人が幸せに生きられる世界へ』
日付 2024年04月30日
参加者 ハル、花散里、クマ、エーデルワイス、アンヌ、アカシア、wind24、西山、シマリス、雪割草
テーマ すべての人が幸せに生きられる世界へ

読んだ本:

ポチャッとした女の子がお菓子を食べながら黒猫と一緒にほうきで空を飛んでいる
『マリはすてきじゃない魔女』
柚木麻子/作 坂口友佳子/絵
エトセトラブックス
2023.12

〈版元語録〉11歳の魔女・マリは「魔法は自分のために使ってはいけない」というきまりを忘れ、ジャムドーナツを巨大化させたから学校中が大騒ぎ! 大人たちは、人の役に立つ「すてきな魔女」になりなさいというが…。
二人の子どもが白い鳥を見上げている
『ホワイトバード』
原題:WHITE BIRD Based on the Graphic Novel by R.J.Palacio & Erica S. Perl, 2023.06
R・J・パラシオ&エリカ・S・パール/著 中井はるの訳 
ほるぷ出版
2023.11

〈版元語録〉いじめをして退学になり、新しい学校に通いだしたジュリアンは、学校の宿題でおばあちゃんの子どものころの話を作文に書こうと思い立ち…。「ワンダー」のスピンオフ作品。2024年公開映画の原作。

(さらに…)

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ホワイトバード

二人の子どもが白い鳥を見上げている
『ホワイトバード』
R・J・パラシオ&エリカ・S・パール/著 中井はるの訳 
ほるぷ出版
2023.11

花散里:『ワンダー』(R.J.パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版)のいじめっ子が主人公、ということで読んでみたいと思いました。巻頭の「現在」で、「あまりいい理由」でなく転校したこと、「いじめた側」であったことが書かれています。そのことを正直に話したら、フランスにいるおばあちゃんが、真剣に聞いてくれて、「いい再出発できるよ」と励ましてくれたことが、まず心に残りました。いじめる側である加害者も、ある意味、成育歴のなかで「被害者」だったのではないかということで。おばあちゃんに子どもだった頃のこと、戦争があったことを聞いていくという、ストーリー展開は、『ワンダー』とは違った物語だと思いながら読みました。
ホロコーストをテーマにした作品は多いですが、中高生にはなかなか手に取られず、書架に面出しして紹介文などとともに展示していますが、読まれていないのが現状です。おばあちゃんの体験を聞いていくということが、平和な世の中を築いていくということに対して、過去の問題を知っていかなくてはならないということに繋がっていると思います。巻末の「用語解説」を載せていることも、過去の悲惨な出来事が子どもたちに伝わるのではないかと思いました。エピローグの「忘れてほしくない」という思いを伝えるために、『ワンダー』とともに並べて、子どもたちに読んでほしいと思いました。

ハル:もとがグラフィックノベルだったというので、なるほど、と腑に落ちましたが、やっぱり、コミックや映画と小説とでは、視点の置き方が違うし、アプローチの仕方が違うから、この本はコミックの手法をそのまま小説に落とし込んだようで、違和感がありました。終盤の鳥の目になって真実を見るところとか、特に。もともとの原文もそうなんだと思いますが、わかりにくいところがあったり(たとえば、お父さんがぐるぐる回して空に放ってくれるところは、いわゆる「たかいたかい」なのかなと思いましたけど、ほんとに投げてるみたいだし、「痛くないようになげてくれる」って書いてあったけど、手を放してどうやって痛くないように投げるのか、文字ではよくわかりませんでした)、訳文もこまかいところでちょこちょこつっかかってしまいました。特に、エピローグで、電話を切ったあとも主語が「おばあちゃん」になってるのは、これは、誰がどこから見てるんだ?? あとは、細かいところですが、物置に隠れているのに、みんなしょっちゅう「さけぶ」ので、大丈夫なのかとハラハラしました。

アカシア:ノベライズしたことで不自然になってしまっているところがあるように思いました。たとえば、ヴィンセントがオオカミに食われて死ぬところはあっけないし、ナチスだと思っていた隣人のラフルールさんとサラが一緒にいるのを見て、ボミエ一家が別に驚きもしないところなど、不自然です。それに、ボミエ一家が人間というより聖人として描かれているので、全体にリアリティが薄いように思いました。こういう話を読んで泣きたいと思っている人にはいいかもしれないけど。p287に「さあ、約束しておくれ、いとしい男の子。世界に忘れさせないって。正義に反する行いを見たら戦うって、声をあげるって、おばあちゃんに約束して、ジュリアン」というサラの言葉があるのですが、サラは自分は完全に正義の方に立っていて、孫息子にも戦えと迫っているわけです。たしかにホロコーストは正義に反する悪だし、子々孫々戦えと言いたい気持ちはわかりますが、これが2022年に書かれた作品だと考えると、たとえばイスラエルのパレスチナに対する暴力はどうなんだ、と言いたくなります。そういう点には目をつぶって、自分たちの被害だけを言い募る作品が、ハリウッド映画にも児童文学にも山のようにあります。アメリカでそういう作品が山のように出ることについては、そしてそれが日本で山のように翻訳出版されることに関しては、パレスチナに対してイスラエルが行っていることを正当化したり、そこから目をそらす結果になっていはしないか、と危惧しています。また、日本の人たちの目を日本の戦争犯罪からホロコーストというナチスの犯罪へとそらす結果にもなっているかもしれません。私は、そういう意味でも、また作品の完成度からいっても、これを子どもに与えようとは思いませんでした。

雪割草:読み応えがあって引き込まれました。なんで、『ワンダー』のいじめっ子を主人公にしたんだろうと考えました。あのいじめっ子が、おばあちゃんの話をこんな真摯に聞くのだろうかと意外に思いました。これは私の偏見かもしれません。おばあちゃんがユダヤ人ということは、ユダヤの血が入っている子が誰かをいじめたという事実によって、今の情勢を暗示したかったのでしょうか。わかりません。『ワンダー』と共通しているなと思ったのは、ハンサムな子が最後、オオカミに顔をズタズタにされてしまいますが、見た目よりも見えないもの、心の美しさを描きたかったのかなと思いました。でも、ヴィヴィアンは素晴らしすぎますね。隣の家同士、それぞれユダヤ人をかくまいながら、お互いを疑っていて、親ナチだと思っているところはリアルだと思いました。タイトルからも作者の平和への願いを感じますが、主人公の隠れ家での暮らしがていねいに描かれることで、何が奪われたのか、平和とはなにかについて考えさせる作品だと思いました。ノベライズ版のせいかもしれませんが、ジュリアンのもとへサラが鳥になって飛んでいく場面は、いきなりファンタジックになって驚きました。

アンヌ:同じおばあさんの物語を『ワンダー』の続きの『もうひとつのワンダー』で読んでいて、そのときはとても美しい物語だと感動したのに、今回はそうでもなかったので、なぜだろうと思っていました。みなさんのお話を聞いて、絵では説明できるところが文章化されていない、フィクションと事実の入り交じり具合がおかしいのかと少し納得しました。ユダヤ人を迫害したのはドイツ人だけではなく、ロシアや周辺国でも起きていたこと、フランス人もそこに加担したこと等については、最近は児童書でも書かれてきました。でも、今回この物語を読みながら、ユダヤ人だけが迫害されたのではなく、精神を病んだ人や身体障がい者なども、迫害されていたのだということも伝えていかなければならないと思いました。まだ十代の子供に過ぎないヴィンセントが民兵に志願して、人間を狩ること人を殺すことに快楽を感じている場面には恐怖を感じました。オオカミが出てきてファンタジー的に解決されていますが、戦時下では人を殺すのが正しとされることの異常さが描かれている場面でもあります。現在ハマスを抹殺するという目的のために避難民の人権を奪い、多くの子どもたちの死を招いているイスラエル政府の姿勢を見ると、この物語をユダヤ人迫害の物語としてだけ読むのではなく、戦争というもの異常さ、怖さを伝える物語として読んでいかなくてはならないと思うのです。

エーデルワイス:いとしい男の子=モン・シェール、いとしい女の子―マ・シェリー、わたしのお嬢さん=マ・プティット、これらの呼びかけから会話が始まると心がほかほかしてきます。サラがジュリアンに助けられ、(p82)下水道を歩いて逃げるシーンは映画のシーンのようでドキドキしました。最後の用語解説を読んで、作者は史実を参考に(「アンネの日記」など)書いたことが分かりました。読書会の中で、コミックとグラフィックノベルの違いを説明していただき感謝です。『ホワイトバード』のグラフィックノベル版を読みたいと思いました。翻訳本が出るといいですね。

西山:私も、現在進行中のイスラエルによるガザ攻撃を思うと複雑な思いでした。ホロコーストを取り上げた作品は児童文学に限らずたくさんあって、それが、皮肉なことに「これから凄惨なことが起きるぞ起きるぞ」と、そのドキドキをエンターテインメントとして消費できてしまうという問題を聞いたことがあります。この作品では、おばあちゃんになったサラが語っているのだから、彼女が生き延びるのは分かっています。まぁ、それは、子ども読者に安心を保障するやり方で,アリだとは思っています。ただ、それだけでなく、彼女のスケッチブックが、ジュリアンの連行原因ではないというのが免罪符になっていて、読者が安心して泣いて読んでいればいい,という作りになってしまっているのではないかと、大変気になります。例えば『ジャック・デロシュの日記』(ジャン・モラ作 横川晶子訳 岩崎書店)のように、読者をも追い詰めるような作品と比べて、こちらは、作品を消費した、という感じがして、すっきりしません。ヴィシー政権の過剰適応というか、フランスが背負う黒歴史は書かれてしかるべきと思います。『サラの鍵』(タチアナ・ド ロネ著 高見浩訳 新潮社)は、私は映画しか観ていないのですが、あれもヴェルディヴ事件が扱われていましたよね。サラだし、思い出さずにはいられませんでした。あと、この家族の家庭内教育はどうなっているのだと思いますね。息子にも孫にもジュリアンという名前をつけたサラおばあちゃんの家族で、どうして、いじめっ子(というと生ぬるいですが)ジュリアンを生んでしまったのか。あとから構想された続編だからそういう齟齬も出たのかなとは思いますが、人間の描き方としてどうなのかとは思います。あと、超現実的なところは、お母さんの死や、ジュリアンの死をサラに受け入れさせる役割を果たしていて、それも気になりました。結局、胸が張り裂けそうな悲しみや後悔が回避されていて、それ故に子ども読者にとってよいという考え方もあると思いますが、私は肯定的に受け取れずにいます。

シマリス:とても惹き込まれる物語で、私は仕事そっちのけで一気に読んでしまいました。以前、「今の子どもたちはハッピーエンドとわかっていないと怖がって読めない」という話が出ましたけれど、この本は、おばあちゃんが語っているおかげで、少女は生き残ったんだ、と先に知ることができて、安心して読める本だと思いました。フランスのこの地域における憲兵と民兵の違いなども興味深かったです。ただ、気になることが3つありました。まず、少女がジュリアンの死を知る場面です。鳥になってその現場へ行く妄想なわけですが、それを少女は事実だと確信を持ちすぎてますよね。おばあちゃんが語り手なので、それでいいといえばいいのですが、そこに至るまでの場面がずっとリアルなテイストで紡がれているので、いきなりファンタジックな要素というか、トーンが変わってしまうことに戸惑いがありました。2つめは、少女がジュリアンを好きになっていく部分です。こういう閉鎖的な状況だったら、誰でもこうなる可能性はあるのではないかと。だから、戦争が終わって解放されてから、彼女がジュリアンとずっと一緒に居続けるのか、どんな選択をするのか、そこが大事だなと思っていたら、ジュリアンは死んで、美化されるわけですよね。ちょっとずるいなと思ってしまいました。3つめは、p260のあたり、ヴィヴィアンが家に帰ってきて、納屋から脱出してラフルールさんに保護されている少女を見る場面ですけれど。この時点でヴィヴィアンはラフルールさんのことをナチスの味方だと思っているはずですよね。ラフルールさんに見つかってしまった!と焦るなど、ひと悶着あるはずなのに、何もなく話が進んでいるところが不思議でした。あとは余談で翻訳の部分ですけども、p198の8行目、「けったいな時間」という表現が気になりました。けったいな、は方言ですよね。ここで急に方言を使う理由がわからなかったので、ちょっと引っかかりました。

wind24 : ナチス政権ホロコーストの中、物語はフィクションですが、史実を交えた進め方はドキュメンタリーを観ているようでもありました。映像が目に浮かびましたが映画化されるそうでうね。サラがジュリアン家族にかくまわれ、隠れ家に潜み、ジュリアンと淡い恋中になっていくのは、アンネ・フランクの生活を彷彿とさせました。当時ユダヤ人を逃がすために奔走した市井の人たちがたくさんいたことも思います。「白い鳥」ホワイトバードの存在が物語りにファンタジー性を添えています。サラが小さな時にお父さんとやっていたお気に入りの遊びがあり、お父さんに「小鳥ちゃん」と言われていたことがもとになっています。いろいろな場面でホワイトバードが現れ危険を知らせたり、また幸せな気持ちになったりとサラの心を代弁しているかのようです。
おばあちゃんになったサラがジュリアンの名前を引き継ぐ孫のジュリアンとの会話で現在と過去を繋いでいく物語りの進め方もメリハリがあってよかったです。二度と過ちをおかさないために、起きたことを知り、語り継いでいくことが大切とのメッセージを受け取りました、中高生に是非勧めたいと思います。

アカシア:コミックとグラフィックノベルは違います。グラフィックノベルのほうは、ノベルという言葉がついていることからもわかるように、物語・小説になっています。パラシオの緻密な書き方とこのノベライズ版にはかなりの差があるように思いました。Amazonでグラフィックノベルの方のサンプル(パラシオが絵も描いている)を見てみましたが、そっちを出したほうがよかったのでは?

シマリス:日本でグラフィックノベルというと、どういう作品が該当するのでしょうか?

アカシア:JBBYでもバリアフリー図書に今回からグラフィックノベルも含むとあったので、詠里さんの『僕らには僕らの言葉がある』(KADOKAWA)というグラフィックノベルを推薦し、IBBYにも選定されています。これは高校生球児が主人公で、耳の聞こえないピッチャーと耳の聞こえるキャッチャーがバッテリー組んでお互いの距離を近づけていく物語ですね。ほかには、『THIS ONE SUMMER ディス・ワン・サマー』(マリコ・タマキ作 ジリアン・タマキ絵 三辺律子訳 岩波書店)というアメリカのグラフィックノベルもJBBYの「おすすめ! 世界の子どもの本」で紹介しています。こっちは、子どもと大人の狭間にいる思春期の少女がひと夏の間に感じたさまざまな思いを、グラフィックノベルならではの手法で絶妙に表現しています。

雪割草:パレスチナやガザについてフィクションの作品がないのは、私もとても残念に思います。

アカシア:空襲や飢えなどもろに暴力にさらされている中では、当事者が、特にノンフィクションを書くのは難しいでしょうね。事実をきちんと調べたりする余裕がないでしょうし。パレスチナの詩の本は出ていますね。日本ではホロコーストの物語が夏になるとたくさん出ますが、それが現在のイスラエル政府の態度の免罪符になってしまっているような気もします。読者も、あれだけひどいことをされたと知ってユダヤ人への同情は生まれはしても、そんな人たちがガザの一般市民や子どもたちを虐殺していることは知らないですませている。ネタニヤフやイスラエル政府は、「ホロコースト犠牲者の国」というイメージを国内外で宣伝して自国の利益につなげることには熱心でも、そこから自分たちも学ぶべき教訓だとは思っていない。だからホロコースト同様のジェノサイドをパレスチナに対して行おうとしている。子どもの本は、もっとパレスチナの声を今は伝えるべきだと私は思っています。

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さららん(メール参加):孫のジュリアンと、80歳を過ぎてパリでひとり暮らしするおばあちゃんの電話を通して、ヴィッシー政権時代の、フランスに住んでいたユダヤ人家族の歴史を知ることができました。あの時代のフランスで、ひとりかくまわれて、命を助けられた少女の物語はあまり読んだことがなかったので、新鮮でした。ブルーベルに象徴される自然の美しさ、それと対照的な人間の非情さ。特に学校に憲兵がやってきて、ユダヤ人の子どもたちを連れ去る場面で、サラがひとり隠れる場面、ヴィンセントが銃を乱射する場面には映画のような緊迫感がありました。
夢見がちで、自己中心的なサラは、ポリオで片足が不自由なジュリアンを見下していたのですが、その一家に命を救われ、ものの見方が大きく変わっていきます。少女の成長物語でもあれば、ジュリアンとの淡い初恋の物語でもあり、アンネ・フランクとペーターのやりとりを思い出しました。
p132の「ナチスは私から多くのものを奪ったけれど、空や鳥を盗むことはできなかった。…わたしの想像力をこわすことなんてできない」という言葉が印象的です。
いっぽうで、「ただ見たばかりの夢から、もう美しママンに会えないのだと知ったのだ」(p106)とか、ヴィンセントに殺されそうになったとき、森のオオカミが現れてサラを救うところ、ジュリアンの死を白い鳥になって目撃するところなど、超現実的な要素が多く、それをどう受け止めたらいいのか、やや戸惑いを覚えました。p266の「現在」の章で、おばあちゃんは白い鳥と一体化して、ニューヨークにとび、孫のジュリアンが平和行進に参加する様子を見ます。タイトルにもなっている、ホワイトバード=白い鳥の存在を実感あるものとして信じられるかどうか……私は少し作り物のように見え、予定調和的な部分に物足りなさを覚えました。
作者は、差別と偏見の歴史を忘れないでほしい、忘れたときにホロコーストはまた繰り返される、という強い思いがあったはずです。詳しい用語解説にも、今の子どもたちに理解してほしいというメッセージを感じます。ただ、あれほど『ワンダー』でひどいことをした孫のジュリアンが、おばあちゃんの話に心を動かされ、おばあちゃんに正義のために戦うと約束するところにあまり感動しませんでした。できればジュリアン自身が変わっていくところを、もう少し具体的なエピソードで肉付けして、描いてほしかったです。

(2024年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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マリはすてきじゃない魔女

ポチャッとした女の子がお菓子を食べながら黒猫と一緒にほうきで空を飛んでいる
『マリはすてきじゃない魔女』
柚木麻子/作 坂口友佳子/絵
エトセトラブックス
2023.12

エーデルワイス:柚木麻子さんは好きな作家なので期待して読みましたが、魔女の設定のおもしろさが今ひとつ伝わってきませんでした。伝えたい熱量を感じますが、内容を詰め込み過ぎているように思います。

アンヌ:主人公のマリはすごい魔法の力を持っているけれど、それを自分のためにしか使わない女の子です。でも、友達からはおもしろがられている。思わずリンドグレーンのピッピを思い浮かべました。子どもはそれでいいんだと作者は思っているのが題名からも伝わってくるのですが、その割に主人公の影が薄い気がします。物語の舞台や魔女たちの闘争の説明に重心が傾いているせいかもしれません。読み始めてすぐ思い浮かべたのが『バルーン・タウンの殺人 』(松尾由美著 ハヤカワ文庫)です。近未来の設定で人工子宮が普及して自然出産がなくなった世界を描いています。こちらの物語でもトランスジェンダーや同性婚、いじめ問題という現在の重要な問題が解決してしまっている近未来ということで話が進みます。でも、どう解決されたかは物語として書かれていません。その中でマリの母親夫婦や祖母の魔女たちの葛藤や、石の花と戦いという大人の話が物語の中心になっていきます。
物語はおもしろいけれど、もっと魔女と普通の人の生活が入り交じっている普段の生活が描かれていれば、同じリンドグレーンでも『やかまし村の子どもたち』(石井登志子他訳 岩波書店)のように、何度もそこに立ち戻りたい物語になるのにと残念に感じました。私はこの作者の本をとてもおもしろく読んでいて、過剰なほど食べ物がたくさん出てくるところもパワーのある文章も好きなので、今回はもう少し整理がつく形にするとか、続き物にするとか、編集のしようによっては児童書としてのおもしろさを出せたのではないかと思って残念です。でも、今後に期待したいです。

雪割草:楽しく読めましたが、おすすめはしないかなという作品でした。多様性を描いていたり、魔女になりそこなったユキさんにもちゃんと光を当てていたりするのはよかったと思います。でも、どの登場人物にも共感したり惹かれたりはしませんでした。マリは自由奔放すぎるし、モモおばあさんの「おせっかいの魔女」がどんな感じだったのかもわからなかったし、マンデリンのお城も私利私欲を満たすためのように見えました。型にはまった生き方ではなく自由でいいんだよ、というメッセージを伝えたいのかもしれないけれども、あまり説得力がありませんでした。作者は魔女の物語が大好きだったと書いていますが、魔女という設定がどのように生かされているのか、よくわかりませんでした。

アカシア:マリが自由奔放で自分も気持ちを満たすことばかり考えていたり、ナメクジがゲロを吐く歌をうたったりする。それは別にいいんですけど、それ以前にマリが魅力的な子どもだっていう描写がないので、共感しにくかったです。また魔女と人間が共生しているこの世界の成り立ちを、マリとスジとレイが、魔女歴史記念館を見学するというかたちで言葉ですべて説明しているのは、どうなんでしょうか? p121には「マデリンがお城にかくまってるよ」というセリフがあるのですが、今現在は目の前の外にモモがいるので「マデリンがお城にかくまってたんだ」と過去形にしないと変かな? 他者のことをいつも考えているより自分の気持を大切にしよう、とか、多様性を尊重しようというテーマはすてきですし、トランスジェンダーやレズビアンや韓国系の人物を登場させているのもすてきですが、物語のつくりがイマイチかと。あと私が解せなかったのは、石の花を枯らすために、魔法で出した塩をわざわざ水で溶かしてそれを石の花にかぶせたびんの中に入れ、そこに風を送って水分を蒸発させるという方法を使うわけですが、塩で植物は枯れるという話も出てくるので、それだったらそこに大量にある塩をそのままびんの中に入れればいいのでは? と思ってしまいました。ドタバタを楽しむ子もいると思いますが、物語世界のリアリティもうちょっと練っていけばもっとおもしろい話になったのに、と残念でした。

ハル:情報が多すぎて、読んでいて息切れしてしまいました。ママがふたりいて、マリはすてきじゃなくて、そのまんまで全然かまわないんですけど、やっぱり、この子はどうやってふたりの子どもになったのかというのは、避けて通れない部分というか、触れられていてもよかったのではと思います。「ユキさんゆずりの茶色の目」とあるので、ユキさんが生物学上の母親ではあるでしょう。こみいった話になるんだったら「マリはユキさんとグウェンからちゃんとそのあたりの話はちゃんと聞いている」とかでもいいと思うんですが、何かしら、ふーん、そうなんだねと思わせる一文がほしかったです。あと、p120で「グウェンダリンはわるくない」って言いますけど、その仕事を職業として選んでいるのはグウェンダリンで、ストレスを物にあたって、悪くないことはないでしょう、と思いました。

wind24:図書館で子どもたちによく借りられている人気の本です。表紙のマリはもぐもぐとお菓子を食べている太めの女の子で「すてき」とは言えないけれど、題名にある「すてき」はそんな意味ではなかったようです。「いい子」であることを求められる読者のこどもたちには、自分のやりたいことを貫くマリは魅力的で共感できます。物語の中にはすてきさを求められてそれにこたえようとして疲れるグウェンダリンママや魔女として劣等感を持ち続けているユキさんママなど、いろんなキャラクターが登場するところも、おもしろいと思いました。この本のなかではLGBTQもすっかり受け入れられていて、問題になっていた過去を振り返ったり、人々が生きやすい社会になっていることがさりげなく描かれていて興味深かったです。やや唐突さはありますが、いろんなことをテーマとして盛り込みたかったのかもしれません。奇想天外なモチーフが随所にあり、物語ならではの楽しさを子どもたちは味わえると思います。

シマリス:柚木麻子さんの一般書が好きで、いろいろ読んでます。でも子ども向けの本を出されたのを知らなかったので、今回、選書していただけてよかったなぁと思いました。とてもおもしろかったです。登場人物がたくさんいるのですが、それぞれが印象的な言葉で書かれているので、あの子はああいう子だったねと思い出しながら読むことができました。そして盛り込んでいる要素も多いですね。最初、一風変わったマリという魔女の子が成長していくような物語かと思ったのですが、そうではなくて、魔女と人間の関わり方だとか、世界の在り方を考え直す、というけっこう大きな視野のお話でした。あえて言えば、冒頭で一気に登場人物が出てきて、若干おののくというか、把握しきれないんじゃないかと不安になるので、もう少し小出しにしてもらったほうがいいのかも。意外と子どもはへっちゃらで読むかもしれませんが。

(2024年04月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年03月 テーマ:自分の殻をやぶる

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『2024年03月 テーマ:自分の殻をやぶる』
日付 2024年03月22日
参加者 ハル、アカシア、花散里、サークルK、ANNE、アマリリス、ルパン、コアラ、西山、雪割草
テーマ 自分の殻をやぶる

読んだ本:

緑色の卵が入った巣の縁に鳥がとまっている
『ブラックバードの歌』
原題:BIRDSONG by Katya Balen, 2022
カチャ・ベーレン/作 千葉茂樹/訳 鈴木まもる/絵
あすなろ書房
2023

〈版元語録〉フルートの演奏が生きがいだった少女アニー。母親が起こした事故で、大ケガをしてしまい、音楽学校に入学する夢をあきらめてしまう。引っ越した先の空き地で、アニーは不思議な少年ノアと、2羽のつがいのブラックバードのさえずりと出会う。 オス鳥の死後、歌わなくなったメス鳥のために、アニーは再びフルートを吹き始めて・・・。少年ノアとブラックバードとのふれあいによって未来への「希望」と、母との「絆」を取り戻す感動の物語。
色とりどりのランドセルを背負った女の子たちが絵を見ている
『なりたいわたし』
村上しいこ/作 北澤平祐/絵
フレーベル館
2022

〈版元語録〉3年生になったあたりから、千愛(ちなる)はなんだかうまくいかない。だいすきな友だちの愛空(あいら)ちゃんから、きらわれている気がするし、なかよし4人グループのなかで、まるでじぶんだけ、とうめい人間になっちゃったみたい…。学童クラブ「くれよん」を舞台に、女の子たちの友情と悩み、将来へのあこがれを描く、やさしくてちょっぴりほろにがい物語。

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なりたいわたし

色とりどりのランドセルを背負った女の子たちが絵を見ている
『なりたいわたし』
村上しいこ/作 北澤平祐/絵
フレーベル館
2022

アマリリス:最初のうちは、小さくてややこしい人間関係だな、と思って読んでいたのですが、どんどん引き込まれていき、余韻が残りました。自分が子どもの頃のことを思い出しちゃったりして。わたしは誰かが去っていくのが苦手なタイプの子どもだったので、この子はとても頑張っているな、最終的に前向きになって、えらいなと思いました。ただ、同時に、終盤の展開がちょっと急かなという気もします。わたしの見落としかもしれませんが、前半に伏線が見当たらなかったので、この子は年下の子ともうまく人間関係が築けないのだと思っていたんです。こんなに慕われているとは意外でした。

サークルK:さびしんぼうの女の子が友達とどううまくやっていったらいいのか、戸惑いながら自分を見つけていくお話でサクサク読んでいけました。何と言っても北澤平祐さんの挿絵というところが素敵です! 活字も大きくて読みやすく、3年生の女の子たちってこんな感じなんだなって教えてくれるお話です。ただ千愛(ちなる)がもどかしいほどまごまごしている様子に、そんなに気を遣わなくてもいいのよと声をかけてあげたくなりました。まだ生まれて8年かそこらでこんなに気を遣って会話しなければいけないのはかわいそうだなって。名前が今風でふり仮名なしでは絶対読めない子たちばかりでしたがキャラクターの名づけも作家さんは大変だなと思いました。

ANNE:主人公は千愛ちゃん。仲良しのお友達は愛空(あいら)ちゃん・風翔(ふうか)ちゃん・麻央(まお)ちゃん。近ごろの子どもたちのお名前にちょっとビックリです。全てにルビが振ってありましたがちょっと読み難いと思いました。もう少し普通(?)の名前でもよかったかなと。逆に低学年の子たちの名前が全部ひらがなだったのは、何か意図されてるのかな? 作者の村上しいこさんの『うたうとは小さないのちひろいあげ』(講談社)から始まる短歌小説がとても好きで、YAからおとな向けのものはいろいろ読んできましたが、中学年向けのものは初めてでとても新鮮でした。私が勤務する図書館では「日曜日」シリーズも人気なので、続けて読んでみたいと思いました。

西山:すごく好き。おもしろかったです。このグレードで子どもの心理に寄り添った物語は貴重だと思います。このぐらいの年頃のリアルってこうなのだろうと思いながら読みました。千愛はほんとにめんどくさい。心の中ではいろいろな語彙で自己分析ができたりするけれど、コミュニケーションが本当にへたくそです。どうしてこの子はこんなに自己評価が低いんだろう、親には特に問題はなさそうだけど……と思ったのですが、他の3人とはちがってこの子のすごく幼い部分は、育ちのでこぼことしてあるのだろうと受けとりました。例えばp86からp88ページにかけて、千愛がまっすぐ駐車場に向かうか、4人の待ち合わせ場所の図書室前に行くか迷いながらも決断する場面など、大人からしたら大したことがないことも、千愛にとってほんとに一大事なのだと伝わってきました。子ども読者に共感されて読まれるのだろうと思います。
2年生の子から「千愛ちゃんて、かわいそうだよね」(p61)と言われるところ、あれはきつかったですね。低学年の子どももああいう人間観察はしているということなども子ども観が深まる刺激を感じました。鋭かったり、ほんとに幼かったりするでこぼこがおもしろいと思います。あと、表紙のランドセルの色が素敵ですね。現在の話なのに、表紙や挿絵が女の子が赤、男の子が黒というランドセルが描かれている本を見ると、がっかりするのですが、これはいい。おずおずと立っている千愛の赤いランドセルや服装も絶妙、物語にぴったり合ったいい絵だなと思います。

コアラ:タイトルからは、「なりたいわたし」という憧れの自分の像が高いところにあって、それとのギャップのような物語をイメージしていましたが、全然違っていて、思いがけない展開でした。主人公の女の子が、自分の頭で「なりたいわたし」を考えるところがとてもいいと思いました。p85の後ろから2行目の「まずできることといえば、みんなでいっしょに車に向かおうって、決めてあるのを、なくすこと」というのは、「なりたいわたし」を憧れの姿として考えるのでなく、身近なところから第一歩を始めるということで、それがすごくいいと思いました。それから、その前の部分ですが、後ろから4行目の「自分をしばっていることから、自分を自由にしてあげなくてはいけないと、そう思った」というのは、大人にも有効なことで、それを小学校中学年向けの子どもの本で書いているというのは、作者は、子どもの読者の読む力というものをすごく信頼しているんだなと思いました。ただ、主人公の女の子をうとましく思っているように扱っていた愛空ちゃんが、途中からなんとなく「いい子」になっちゃって、最後は「千愛のことがうらやましくて」とか言い出すのは、ちょっと都合よく作ってしまっているかな、という気がしました。

アカシア:私が小学校のころは、友だちと連れ立ってトイレに行く子はそんなにいなかったと思うし、私もひとりで行っていました。でも、こういう子はいると思うし、この年代の子どもたちのすれ違いや憧れや思いが、ちゃんと伝わってくる作品ですね。憧れの人物と同じようにするのではなく、自分は自分として考えるようになるまでのプロセスがちゃんと描かれているのがすばらしいと思います。学童クラブは東京だと親のお迎えはないと思いますが、ここはあるんですね。

花散里:村上しいこさんの作品では『うたうとは小さないのちひろいあげ』がとても印象深く残っています。中学年向けの本作品では、主人公たちが小学3年生なのだろうかと思う場面が多く、読み難い名前、経済格差を感じさせる場面の描き方などとともに違和感を覚えながら読みました。愛空ちゃんの学童の先生に対する言い方なども気にかかりました。前半と後半、最後の展開の変わりよう、ラストのところがうまく行き過ぎていて、中学年の子どもたちはどのように読むのだろうかと思い、秀作の多いYA作品と比べて読後感があまりよくありませんでした。

ハル:私は感動しました。読みながらずっと苦しかったけれど、思い返せば主人公たちと同じくらいの3年生……はもしかしたらちょっと早かったかもしれませんが(設定が4年生でもよかったのかも?)、4年生、5年生くらいになると、世の中のことや自分の心の複雑さに対応しきれなくて、いつももやもや、もやもやしてたなぁという共感を覚えました。千愛の味方になって読みながらも、ほかの3人の子たちが決して意地悪なばかりではないことは、セリフのはしばしや行動から感じられて、4人それぞれの性格やその背景とのつながりにも矛盾を感じません。とてもていねいに描かれた作品だと思いました。p40の「おとなのいやなにおい」はドキッとしました。こういった絶妙な表現もいいです。この物語に共感し、はげまされる読者は多いと思います。

雪割草:個人的にはこういう狭い人間関係のなかでの話は得意ではないのですが、子どもの視点に立って、こんなに細かなところまで気持ちに寄り添って表現できるのがすごいなと感銘を受けました。特によかったのは、主人公の「なりたいわたし」というのは、他の3人のようにアナウンサーやモデルなどわかりやすい夢ではなく、私であるところから少しずつ変わっていこうとするところで、その姿勢に好感をもちました。愛空ちゃんが千愛のことをうらやましく思っていたから、いつも怒っているような態度をとっていたというのも、親との関係のことも描いていてリアルだと思いました。今の子は、3年生で習いごとと将来を結びつけて考えるのだとしたら大変だなとも思いました。

ルパン:心理描写よりも、情景描写がリアルだと思いました。4人の仲間なのに3人掛けの席にすわるとき、いつも自分だけが違う机になってしまうこと、待ち合わせの場所に行ってもみんながいないこと、そういう時のせつなさはひしひしと伝わってきます。でも、心理描写はくわしすぎて、3年生の子どもらしくない。地の文でよけいなことを言いすぎる気がします。わざわざ解説しなくても、エピソードだけで十分たくさん伝わるのに、と。ただ、3年生の子どもが読むときは、むずかしいところは飛ばして読むだろうから、子どもにとってはそういう説明描写はあってもなくても同じなのかもしれません。

アカシア:さっきコアラさんから、愛空ちゃんがなんとなくいい子になってしまうのに違和感があったとおっしゃいましたが、愛空は、もともと意地悪な子という設定ではなく、意地悪をしたりするのも、千愛が何でも一緒にしたがるのをうざったいと思ってるからだと思うんです。それが学童が終わるときになって、本来の素直な気持ちが出てくるのでは? 村上しいこさんは子どもの心理については、とてもリアルな視点を持って書いておられるのだと思います。

(2024年03月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ブラックバードの歌

緑色の卵が入った巣の縁に鳥がとまっている
『ブラックバードの歌』
カチャ・ベーレン/作 千葉茂樹/訳 鈴木まもる/絵
あすなろ書房
2023

ハル:なかなか重たい展開でしたし(けがの話もちょっと怖いし)、短いお話ではありましたが、力強いなと思いました。モチーフとして、ブラックバードであることにちゃんと意味があるのがすごくいいなと思いました。だからこそ、この鳥の描写も生きてくるし、そのときの様子や音色も脳裏に広がっていくようで、共感しながら読むことができました。主人公と似た境遇、同じ体験をする読者は少ないとしても、子どもだろうとおとなだろうと、生きていればいくつもの壁にぶちあたるでしょうから、そういうときは、本能によって生きている自然や動物たちの物語に目を向けるのもいいですよね。

アカシア:私はひねくれているせいか、あざとい物語だと思ってしまいました。交通事故にあった主人公のアニーは、骨折はリハビリすればよくなると言われているのに、いじけて母親をうらんでいます。私はまずそこに共感できなかったんです。もっとひどい状況に置かれた子はたくさんいるのに、と。野生の存在であるブラックバードに人間が餌や巣の材料を持っていったりすることが肯定的に書かれていることにも疑問を感じました。また、p76には「守ってあげられなくてごめん」という言葉が出てくるんですが、それも単なる自己中心的なセリフのように感じました。アニーは立ち直るためのきっかけとして、もっと大きなショックが必要なのだと思いますが、そこにブラックバードの悲劇をもってきているのも嫌でした。ブラックバードの生態についていろいろ書かれていて、最初は歌がへただけどだんだんじょうずになってシンフォニーを完成させていく、なんていう部分はおもしろかったんですけどね。

花散里:私はとてもよい作品だと思いました。前半は交通事故でフルートが吹けなくなった少女の母親に対する思い、リハビリをする気にならないことなど、よく分からなくて読み難かったのですが、少年ノアと出会い、秘密の世界を見つけ、ブラックバードの世話をするうちに、指のリハビリや音楽に前向きになっていくところなどだんだんと惹きこまれ、ブラックバードとともに音楽を歌い上げていく姿が描かれていく後半はとても読み応えがありました。訳者の千葉茂樹さんが「あとがき」に書かれていたビートルズの名曲「ブラックバード」や、ブラックバードの鳴き声もYouTubeで聞くことができました。訳者念願の鈴木まもるさんの挿絵もとてもよいと思いました。挫折を克服し、夢に向かっていく構成は読後感もよく、子どもたちに薦めたいと思う作品でした。

サークルK:事故でけがをして夢を絶たれたと思い込んだ少女が再生していくお話と言ってしまえばそれまでなのですが、おもしろく読みました。その理由として1~33章までの各章がコンパクトにまとまっていて挿絵がシンプルながらとても的を射ていると感じられたからです。散文なのに詩のように短い文章が連なっていて流れるように読み進められました。ブラックバードの悲劇はこのお話の中核ですが、映画やミュージカルにもなった『ヒストリーボーイズ』の「バイバイ ブラックバード」という歌を思い出しました。

ANNE:まず、表紙の美しさに目を惹かれました。リアルな鳥の巣、その中に産みつけられた小さな青い卵。これはもしかしたらと、奥付を確認したら思った通り。絵本作家で鳥の巣の研究家としても知られる鈴木まもるさんのイラストでした。文中の挿絵も、物語とよく合っていて楽しめました。一章ごとの文章量がとても少なく、ちょっと散文詩を読んでいるように感じる章もありました。児童文学ではあまり読んだことのない書き方で、新鮮に感じました。

アマリリス:とてもよかったです。最近増えている詩の形式の物語に近い気がしました。短い描写でも、広がりがあります。もっとも、主人公が何に不満を持っているのか、なぜリハビリをしないのか、終盤まで明かされず、「どうして?」という思いがつきまとってしまいました。三人称だったら、その感覚が薄れたと思うのですが、一人称なだけに、主人公に感情移入できないもどかしさがありました。あと、最後に受験の曲を発表する場面、主人公が「タイトルは『バードソング』」と言います。原文だと小説の題名も「BIRDSONG」なので、曲名と題名がカチッと一致してかっこよく終わるのですが、翻訳では『ブラックバードの歌』なので、一致しないところが残念でした。

雪割草:はじめて読んで、なんて見事なんだろうと感動しました。水面にきれいな色の水彩絵の具をポトンと落としたのを眺めているような、そんな気持ちになりました。言葉の世界でありながら、色と音が心の目と耳で感じられて、鮮やかに描くことができました。これを読んだ読者は、ひとりで完璧である必要はなく、助けてくれる人や生きものがいるし、自分も誰かの力になれる、それが生きていくことと思えると思います。この作家のファンになり、いくつか作品を読みましたが、日本語版が出版された『わたしの名前はオクトーバー』(こだまともこ訳 評論社)が一番好きです。この作家が描く大人は、激しくなく好感がもてますし安心して読めます。みなさんと意見が違って恐縮なのですが、この表紙は昔の作品と勘違いされてしまう古風な雰囲気なのが、今の子には手にとってもらいにくいと思いますし、もったいないと思いました。

ルパン:おもしろかったんですけど、主人公より、母親のほうに感情移入してしまいました。親が自分のせいで子どもの才能をつぶすことになったらどんなにつらいだろうかと。でも、いつまでも被害者意識をふりかざしたり、理学療法士のルカが「リハビリをすればよくなる」と言っているのに努力をしなかったりするアニーにだんだんイライラしてきて、自分がこの子の母親だったら「いいかげんにしろ」というだろうな、と思っちゃいました。でも、最後に、アニーが音楽学校に行くためではなく、自分のためとブラックバードのためだけにフルートを吹く場面はすばらしく、すとんと腑に落ちました。

コアラ:とても素敵な話でした。最初の1行で胸をつかまれたし、美しい表現が随所に出てきてとてもよかったです。p5の「わたしには、フルートの音を目で見ることができた。音がまわりの世界に色をつけていくのも見えた」というのは、美しい比喩として読むこともできるし、共感覚の世界を描いているとも読めると思いました。つらい経験から一歩踏み出す様子がていねいに描かれていて、勇気を与える本だと思います。なかなか一歩が踏み出せずにいる人にはぜひ読んでもらいたいですね。挿絵はちょっとひっかかるところがあって、p27はベランダから外の公園を見ている絵ですが、p25の最終行に、部屋は15階とあります。15階から下を見たら、もっとずっと小さく見えているはず。ただ、カバーの鳥と鳥の巣の絵はとても魅力的で、訳者あとがきには、挿絵の鈴木まもるさんは「鳥の巣の研究家」とあるので、そういう研究分野があるのかと知りました。あと、訳者あとがきにもありましたが、ビートルズの曲や、ブラックバードの鳴き声をYouTubeで聞いてみました。メロディを口笛で吹いているようにとても美しい鳴き声でした。

西山:短さにびっくりというのがいちばんの感想です。こってりとした重くて長い作品になりそうな内容なのに。かといって、特段物語を急いでいる感じはしなかったし、むしろゆったりした印象が残ったので、おもしろい本だなと思いました。話は違いますが、鈴木まもるさんの去年出されたノンフィクション『ニワシドリのひみつをもとめて』(理論社)もおもしろかったですね。

ハル:先ほどのアカシアさんのご意見にあったように、野生の鳥に人が手を出していいのかという点は、ほんとにそうだなぁと思いました。勝手に「都会にまぎれこんでしまった弱い存在」かのように読んでしまいましたが、鳥がけがをしていたわけじゃないし、ブラックバードはロンドンの公園に普通にいる鳥なんだと思いますし、手を出す必要はないですよね。

アカシア:そこがセンチメンタルに書かれているような気がして、野生の鳥に対して失礼なんじゃないかと私は思ったのでした。

ハル:なにも手を出さなくても、観察しているだけでもお話は展開できたかもしれませんよね。

花散里:作者カチャ・ベーレン『わたしの名前はオクトーバー』を読んだばかりで、本作でも鳥のことなど、とてもよく調べて描かれているのかと思いました。

アカシア:私もその作品は好きなのですが、そっちでは、フクロウを野に放せない理由がありましたよね。そこがこの作品とは違うように思います。

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しじみ71個分(メール参加):物語から浮かぶ音のイメージがとても美しいと思いました。けがをした子どもが目標に向かって立ち直っていくというストーリー自体はかなり典型的なもので新鮮味はないという印象ですが、主人公のアニーの心情に絞り込んで、登場人物の書き込みもおそらく必要最小限にして、最後の希望の結末に向かって、まっすぐに筋が進み、短い間に完結するのでとても読みやすい形になっていると思います。著者が、自閉症の子どもたちへの物語の影響を研究したと紹介にありましたのでその点も意識して書かれたのかもしれないと思いました。また、描かれている内容は、事故をきっかけに、自分の内側に閉じこもっていた少女が、歌を失ったブラックバードに寄り添って音楽を取り戻す手伝いをしていくうちに、自分も癒されていき、希望に向かっていくというもので、共感や寄り添いをテーマにしていると思いました。コミュニケーションを苦手とすることが多い自閉症の子どもたちに伝えたい気持ちも込められているのかとも思います。鈴木まもるさんの絵も優しい味わいです。普通に読むとあっさりしすぎとか、物足りないとか思ってしまうかもしれませんが、言葉も美しいですし、画像を頭に浮かべやすいですし、共に読み合う読書に向いているのではないかと思います。読み終わったあと、Youtubeでブラックバードの声を聞いてみました。とてものびやかで美しくて、いつまでも聞いていたい感じでした。

(2024年03年の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年02月 テーマ:忘れること、忘れないこと

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『2024年02月 テーマ:忘れること、忘れないこと』

 

日付 2024年02月20日
参加者 ANNE、エーデルワイス、雪割草、アカシア、ハル、コゲラ、ルパン、さららん、Wind24、ニャニャンガ、きなこみみ、花散里、マリオネット、しじみ71個分
テーマ 忘れること、忘れないこと

読んだ本:

木陰の草原で、子どもたちや動物たちが遊んでいる
『トロリーナとペルラ』
原題:TROLLINA E PERLA by Donatella Ziliotto, 1984
ドナテッラ・ヅィリオット/作  長野 徹/訳  北澤平祐/絵
岩波書店
2022.12

〈版元語録〉川辺のアシ原にすんでいる「野暮らし族」の長老たちは、生まれたてのお姫さまを、都会生まれの金髪の赤ちゃんとこっそり取り替えてしまいます。ふたりの女の子はすくすく成長し、周りの人たちがおどろくような才能を発揮しますが……。個性豊かなキャラクターたちが活躍する、ユーモアあふれる現代のおとぎ話。
あんみつの器の上に小さくなったおばあさんが腰掛けている
『エツコさん』
昼田弥子/作  光用千春/絵
アリス館
2022.12

〈版元語録〉友達の家に向かうとちゅう、迷子になった樹。声をかけたのは、「エツコ先生」と呼ばれる認知症のおばあさんで…。エツコさんと5人の小学生の、少し不思議で幸せに満ちた「記憶」をめぐる連作短編集。

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エツコさん

あんみつの器の上に小さくなったおばあさんが腰掛けている
『エツコさん』
昼田弥子/作  光用千春/絵
アリス館
2022.12

Wind24 : 短い章立てで、エツコさんと関わりを持つ人たちとの交流が描かれていて読みやすかったです。エツコさんにはそんな意図がなくても、出会った子どもたちが幸せな気持ちになり、前向きな行動や考えを持っていきます。エツコマジックと言ってもいいでしょうか。読み進めていくと、エツコさんが認知症であることが分かっていきますが、自分が自分でなくなる、どこにいるかもわからなくなってしまうなど、認知症の症状がリアルに書かれています。きっと寂しいし、怖い思いをする状態にあるのでしょう。またそんなエツコさんを不安の中にいながらも支え続ける娘の有子さん や孫の真名ちゃんの気持ちも、ていねいに描かれていると思いました。

さららん:認知症のエツコさん自身の体験を内側から描くと同時に、子どもたちの見るエツコさんを外側からもふんわりと描いています。ファンタジーではないのに、どこかファンタジックな感じのする作品ですね。例えば1章では、エツコさんのあとを歩いているうちに、この章の主人公、樹(たつき)の時空はふっとワープしてしまいます。ただ描写が粗いように思えるところもあり、それを読者が想像を広げるための間としてとらえるべきか、迷うところでした。あまり細かいことまで書かないで想像にまかせる、マンガっぽい文章なのでしょうか。「明里がなんとなくいってみたら、日菜はオバケでもみたような顔をしてかたまった」(p64)など、見えたものを書いている印象がありました。2章の中の「でも、まあ、宿題は火みたいにあぶなくないから、だいじょうぶかな」(p43)というセリフが、大人の私には言葉足らずのように思えましたが、子どもにとっては自然な日本語なのかも。3章の中で、航平の夢の中に出てくる男の人(エツコさんの亡くなった夫さん)と、あとで出てくる「メガネをかけた男の人」(p75)は同一人物なのか別人なのか、初めのうちわかりづらく、ぜいたくをいえば描写で少し補っておいてほしかったです。p189で、真名がおばあちゃん(エツコさん)との最初の思い出は忘れていても、「ひょっとして、このあったかい気持ちが、わたしの人生で最初の記憶なのかな」と感じる場面、懐かしい温かさとして思い出すところがとても好きです。認知症であっても、なくても、ありのままに人を受け入れることを伝える、気持ちのよい終わり方でした。

ルパン:しばらく前に読んだので、細かいところは忘れてしまったんですが、エツコさんは小学校の先生だったんですよね。退職した教員はいちばん認知症になりやすいんだそうです。そこはリアルだなあ、と思いました。

コゲラ:申し訳ないのですが、今回のテーマをすっかり忘れ(忘れること、忘れないことがテーマだったのに!)、まっさらな状態で読みはじめたので、とても難しい本でした。最初の「迷子」では樹という男の子が引っ越し先で道に迷い、認知症だといわれているエツコさんに従って歩いているうちに、前に住んでいた町の公園や、けんか別れした友だちのアパートが目の前に現れる……これはもう、超能力とまでは言わないまでも、エツコさんの不思議な力を扱った物語に違いないと、しょっぱなからミスリードされたわけです。でも、つぎの章の「雨やどり」では、小学校の教師だった記憶の中にいるエツコさんが、妹に算数を教えるのを、語り手の明里が見守っているうちに、エツ子さんが若い教師の姿に戻っていくというもので、認知症でなくても昔のことを生き生きと語っている人を見ていると、そのころの姿がまぶたに浮かんでくるということはよくあるので、不思議とかファンタジーとか言えるようなものではない。「ん?」と思いました。ところが、次の「お守り」では、エツコさんのお守りを拾った航平が、お守りに入っている写真を見てもいないのに、写真そのもののエツコさんの亡き夫が夢に現れる。やっぱり、これは不思議な話なのかなと思いつつ、「きいろい山」を読みました。これは、この本のなかではとても良くできている話で、友だちもおらず、父親に暴力をふるわれているユウトの心情が胸に迫りましたし、公園に落ちていたオオノさんを思わせるオオカミのぬいぐるみを、エツ子さんに「お友だちでしょ」といわれたことがキイとなって、ショックを受けたために抜けおちていた記憶がよみがえるというストーリーも感動的です(いささかセンチメンタルではありますが)。でも、大人の目から見ると、これってけっこう怖い話ではないのかな。ユウトが俳句と口にしたとたんに、山頭火の句が出てくるオオノさん。山頭火のことを良く知っているわけではないのですが、たしか幼いころに自死をとげた母親を目撃し、弟も同様に死を選び、自身もそういう衝動にかられることがあったと読んだことがあります。もし雨が降らず、ユウトが親も知らないまま一緒に山に行ったら……などと、余計なことを考えてしまいました。そして、最後の「エツコさん」と「記憶」の章になって、やっと「忘れること、忘れないこと」がテーマの作品だと気づいたわけです。というわけで、私にとってはテーマや内容以前に、物語の作り方、組み立て方について考えさせられた本でした。中村さんの家から男の人が出てくる場面で、私も野坂さんと同じように、ちょっと迷いましたが、野坂さんのマンガみたいな文章という言葉を聞いて、なるほどと思いました。

ハル:5章のp154あたり、窓辺のイスにすわってじっとしている夕暮れに、だんだん霧がかかっていくように過去と現在があいまいになって、その霧がだんだん晴れていって「自分のりんかくをとりもどす」(p157)、といった描写に真に迫っているものを感じ、リアルに想像できて怖くなりました。でも、認知症でなくても、いまも誰しもが何かを忘れたり、記憶にふたをしたり、書き換えたりしながら生きているのだから、何も怖がることはない、寂しがることもない、とも思わせてくれる力のある作品です。ただ、読みながら、これは児童文学なのかな? という思いも……。純文学的というか、大人だから味わえる本なんじゃないかなぁと思ったり、子どもに向けた書き方ではないのかなと思ったり。まだ、どこかそう思う気持ちもあるのですが、認知症になったおばあちゃんが、いろんなことを忘れてしまうことと、私たち(子どもたち)が小さい頃の記憶をなくしていることと、何がかわるんだろう、というところにお話をもってきたことで、児童書として成立したのかなぁ……。なんて。よくわかっていませんが。

アカシア:ファンタジーではなくリアリスティック・フィクションなんだけど、なんか不思議な空間に入り込んじゃう体験を描いていますね。『メアリー・ポピンズ』みたいに大人がそこへ連れていくのではなく、認知症のエツコさんをきっかけにして子どもはそこへ入り込んでいく。「お守り」では、全然会ったこともない人の夢を見ますが、現実ではありえないですよね。この本では現実と不思議な世界の境はどうなっているのでしょう。わざとあいまいにしているのかもしれません。「きいろいやま」はユウトの日記の1ページが白紙になる。それがどういうことなのか、意味がよくわかりませんでした。空白にした理由はどこにあったんでしょう。エツコさんは認知症で、現実の世界から抜け出してしまうことがあるけれど、エツコさんだけでなく、だれにでもそういうことってあるよね、という書き方には、とても好感が持てました。それから、作品の中にエツコさんの元先生らしさのようなものがちゃんと描かれているので、リアルに人物が立ち上がってきました。本書では、認知症を気の毒な人という視点で見るのではなく、周りの人たちもあたたかく見ているのがすてきでした。

雪割草:この作品を読んで、昔、中学生の頃に読んだ『わたしを置いていかないで』(I・スコーテ作 今井冬美訳 金の星社)を思い出しました。細かいことは覚えていないのですが、心に残っている1冊で、主人公の女の子が、アルツハイマー病の父親への喪失感を抱えながら、少しずつ前を向いていく話だったと思います。今回の作品は割と軽く、ユーモアがあり、周りの人もエツコさんが好きであたたかく見守っていて、認知症へのこういう描き方もいいなと思いました。視点が章ごとに変わるせいか、全体としてふわっとした印象になってしまっているように感じ、もう少し全体を貫くものがあってもよかったように感じました。私も、なぜ「きいろいやま」の章を入れたのか、その意図がよくわかりませんでした。「忘れること」について、認知症や幼児期健忘とならべて、ショックで忘れてしまうことの例でしょうか。それでも子どもにとっては、そう身近には起きない衝撃的な出来事に感じます。汚れたぬいぐるみもよくわかりませんでした。

エーデルワイス:とても読みやすかったです。私の文庫で小学4年生の女の子が、「認知症」についての授業を受けたことを話してくれました。老人施設の職員と教師が寸劇をして認知症について分かりやすく説明したそうです。小学校でも認知症について学ぶようになったのですね。この作品は認知症を扱った文学的作品だと思いました。「きいろいやま」が話題でしたが、私は6編どれも印象的でした。p98の、航平が真名ちゃんの家にいった場面で、「中村さんが」と航平が言っているのですが、エツコさんのことなのかと思い、読み返すうちに、真名ちゃんのことを言っているのだと気づきました。そのところが分かりにくいと思いました。

ANNE:リアルな物語の中に空想の世界が入ってくるのですが、これはファンタジーということではなく、子どもの心のなかに確かに存在する世界を表しているのですね。6つの短編中、「きいろいやま」はお父さんのDVが背景にあり、読んでいてつらかったです。認知症のエツコさんを、町の人々があたたかく見守っている様子にほっこりしました。エツコさんはきっとすてきな先生だったのでしょうね。

マリオネット:とても余韻が残る本でした。1章が謎めいていて若干つかみづらいですが、徐々に、認知症のエツコさんがクローズアップされていきます。エツコさんの側から見た世界と、孫から見たエツコさん、そして外部の人から見たエツコさん、とさまざまな角度からストーリーができているところがとてもいいと思いました。「忘れる」ということが、認知症の人だけではなくて、子どもにだってあること、そして忘れていても、それはちゃんとあったことなのだ、とわかる――そのあたりのメッセージが素敵だと思いました。なお、1章にタコが出てきますけど、同じ作者の『あさって町のフミオくん』(ブロンズ新社)にもタコが出てきたんですよね。タコが作者にとっては大切なアイテムなのでしょうか。

しじみ71個分:この本を読み終わって、「やられたなー、いい本だなー」と思いました。これまで自分が読んだ、認知症の高齢者と子どもとの触れ合いを描いた作品には、あきらめというか、寂しさを感じる悲しい作品が多くて、失われゆくものに対する気持ちが中心の話になりがちだなと感じていたところがあります。でも、この作品は、エツコさんがそれまでに生きてきた人生や元気だったときの人となりが、認知症になった後も、町の人の対応や、出会った子どもたちの反応などから読み取れます。エツコさんが学校の先生時代にどんなにまじめで優しいいい先生だったかが、それぞれのエピソードの端々から感じられました。以前にお医者さんの話を聞きましたが、認知症になったから不幸なのではなく、認知症になってもその人の尊厳が大事にされていれば、幸福な人生の最後を迎えることもできるのだそうです。介護が辛いのも、元気だった頃の家族や周囲との関係性が、病気になった後の日々を方向付けるのだということで、読みながら、そのお話を思い出しました。
町の人たちは、お世話になったエツコさんのことをよく覚えています。たとえ老いていっても人の尊厳が大事にされているという、物語の端々に滲む優しさに、ぐっと来てしまいました。エツコさんは娘にも娘の夫にも、亡くなった夫にも、孫にも愛されていて、温かな愛情がすみずみまで描かれているところがとてもいいと思いました。また、非常におもしろいと思ったのは、物語の構造がとても凝っていて、章ごとに、小学生の子どもたちがエツコさんに出会って、道に迷う、現実と非現実のあわいが曖昧になってくる、時間が逆行するなど、認知症の症状として言われるような状況を、小学生たちが逆転して体験し、そこから心の中に引っかかっていたことを思い出すというところでした。「あんみつ」の章以外、エツコさんはきっかけづくりの媒介者の役割を果たしていて、子どもたちがエツコさんの体験を追体験することで、自分の心と対話するという形になっています。とても素晴らしい着眼点だと思い、うなりました。また、この本の中では、「きいろいやま」が気に入っています。父親から殴られているユウトくんが、唯一、友情を感じるのがオオノさんなんですね。自分以外の人がそのオオノさんを「不審者」扱いすることで、どれほどユウトくんは傷ついたかを思うと泣けてきます。ずっと、お話に出てくる「ぬいぐるみ」は一体なんだろうと思って考えていましたが、犬にも見える、オオカミにも見えるボロボロのそれは、オオノさんの象徴、ユウトから見るオオノさんと、ほかの人が見るオオノさんだったのかもしれないですね。ボロボロで見捨てられたぬいぐるみを、エツコさんが「ともだちでしょう?」とユウトに一所懸命に手渡そうとしたことで、ユウトはオオノさんを友だちだと思っていたことを自覚し、オオノさんの死を受けとめられるようになります。オオノさんと山にいくはずだった日の日記が白紙になって読めないという表現は、ちょっと分かりにくかったかもしれないけれど、ショックのあまり記憶障害を起こしたり、認知を無意識に拒否したりしたのかもしれないなとも思いました。哀しさをはらんだいいお話だったと思います。最後の「記憶」の章では、孫の真名の「忘れてしまったとしても、経験したことはなくならない」という言葉にはまた泣かされそうになりました。著者が、四日市のメリーゴーランドの増田さんが主宰する「童話塾」出身と知り、ますますやられたなぁと感服した次第です。私にとってはとてもおもしろい作品でした。私は表紙の絵もわりと好きです。

花散里:認知症のエツ子さんと6章それぞれに登場する子どもたちの物語が、表紙絵、目次の文字、挿絵、裏表紙の絵とも重なり、どの章も全然、入り込めず、関心を持って読めませんでした。認知症ということをどのようにして文学として子どもたちに伝えていくか。登場人物が入れ替わっていくなかで、どのような表現でエツコさん(章によって「中村さん」という表現になり)を取り上げていくのか、ということ、さらに文体の問題、会話形式で、「—」、「……」が多用されていることなどが気にかかり、児童文学として作品を創っていくということ自体、欠けているのではないかと感じました。本書を読んで、改めて外国の児童文学と比較して、日本の児童文学をどのように手渡していくのかを考えました。

きなこみみ:認知症のエツコさんを中心に物語が展開するんですが、エツコさんという一人の老人を、さまざまな距離感で描いてあることに惹かれました。ここ数年、認知症をテーマにした物語は増えていると思いますが、どちらかというと、認知症の人を、こんな風に理解しましょう、みたいな教科書的なスタンスが多いように思います。でも、この物語に登場する人たちは、エツコさんへの距離をことさらに詰めようとはしていなくて、ひとりの人間のなかに、様々な記憶や時間軸が積み重なっていること、ランダムに自分のなかの、様々な時間があふれてくる瞬間の不思議さを、ごく自然に受け入れて描いてあることに、しみじみとしました。私にも認知症の母がいて、日々イライラしたり、振り回されてしまったりするわけですが、それでもここまでが認知症で、ここからがそうではない、という線引きなどできない感じが常にしています。
記憶や時間軸が入れ替わったり、失われたりするのは、老人だけではない。例えば、ひとつめの「迷子」も、ずっと引っ越しのときの友だちとのいざこざが忘れられなくて、あの日の友だちの冷たい眼差しが心にひっかかったまま、胸にしこりを抱えていた樹という少年にとって、その痛みの記憶は結び目のように消化できないものとして詰まってる。それが、公園、というきっかけで噴き出すんです。また、皆さんもおっしゃっていますが、印象的なのが「きいろいやま」で、家庭で、理解しあえない父親と暮らす寂しさや居場所を抱えたユウトにとって、ホームレスのオオノさんとの時間はとても大切なものだった。でも、そのオオノさんが死んでしまったことを、多分ユウトは受け入れられなかった。だから、その記憶を消してしまったんです。人間は、消したい記憶を、心の奥底にぎゅっと隠してしまうことがある。でも、つらい記憶は消化できずに、また蘇る。それが、この日記の文字が失われたり、現れたりする秘密に関係してるんじゃないかなと。勝手に日記を読んだりする両親のいやらしさにうんざりしますが、p123で、父親が「おれがなぐったのも、まあ、わるかった」と言うんですけど、どういう経緯で、だれを殴ったのか、はっきりとは書かれていない。ユウトを殴ったと思うのですが、もしかしたら、二人で出かけようとしたときに、オオノさんを殴ったりしたのかも、と深読みしたりしました。公園に横たわっていたぬいぐるみ、ぼろぼろのぬいぐるみが、傷ついたユウトの心のようで、やはり居場所がなくて死んでしまったオオノさんのようで、とても切ない。そのぬいぐるみを、そっとぬぐって綺麗にするエツコさんのいたわりや、優しさが、柔らかい光になって見える味わい深い短編だと思います。最後の「記憶」で、真名がエツコさんとパンを食べながら、胸の奥がポカポカしてくるシーンがあるんですが、「きいろいやま」の、ぬいぐるみのシーンとここは、呼応している、繋がっているように思います。エツコさんのいたわりや優しさが、この短編集のなかで貫かれていることへの回答なのかな、と。派手なところはないんですけど、日常のなかに埋もれている記憶を、そっと掬い取るような味わいを堪能しました。

ニャニャンガ:みなさんのお話を伺ううちに、こんなにいろいろ意見が分かれるとはと、興味深かったです。『エツコさん』は、子どもの本の店主さんにすすめられたのですが、読めば読むほど作品に引き込まれました。認知症のためにいろいろ忘れてしまうエツコさんを軸に、心に小さな棘がささった子どもたちのお話は、ほほえましいような悲しいような……子どもたちに読んでほしいと強く思いました。エツコさんが忘れても、子どもたちの思い出のなかに、エツコさんとの思い出が引き継がれていくのだろうと思います。
何人かの方が気になった読みにくさに関してですが、日本語としては正しくない部分もありますが、物語の語り手の子どもそれぞれの視点なのでそういうものとして、読みづらさは感じませんでした。
とくに好きなのは「きいろいやま」で、白紙に見えた日記帳に文字が見えたときはドキドキしました。オオノさんがいい人でよかったです。あまりにショックな出来事に記憶を封印していたのだろうと思います。カバーをめくると、クリームパンとあんパンが描いてあるのが個人的にはツボでした。このクリームとあんパンは、最後の物語とリンクしているのでじんとします。

さららん:お話に絵がすごく合っていると思いました。この絵が苦手な方も多かったようですが、私はこの絵が、物語の魅力をいっそう引き出しているように感じました。

アカシア:「きいろいやま」の日記が白紙になるところは、ニャニャンガさん、きなこみみさん、しじみ71個分さんのご意見を聞いて、ああ、なるほどと納得がいきました。ほかの方がどう読んだかを聞くと、自分では気づかなかったところがわかって、読みを深めることができるので、この会はありがたいです。

(2024年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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トロリーナとペルラ

木陰の草原で、子どもたちや動物たちが遊んでいる
『トロリーナとペルラ』
ドナテッラ・ヅィリオット/作  長野 徹/訳  北澤平祐/絵
岩波書店
2022.12

ANNE:いわゆる「取り替え子」がテーマのお話でしたが、ちょっと珍しいストーリーだったと思います。川のほとりに暮らす人々のことを表す「野暮らし族」という名称になかなかなじめず、物語の世界に入るのに少し時間がかかりました。まったくタイプの違う二人のお姫様の対比はとてもおもしろかったのですが、結末で二人がすんなりと入れ替わり、元々の社会で暮らしていく過程がとてもあっさりと描かれていて、ちょっと物足りない感じがしました。「野暮らし族」の人たちの暮らしぶりが、「借りぐらしのアリエッティ」の世界観に近いような気もしました。

エーデルワイス:表紙を見た瞬間に、見覚えがありました。挿絵の北澤平祐氏は、絵本や挿絵で見かけていました。今回の絵は日本的なイメージで、合わない感じがしました。優しい内容なのになかなか入り込めなくて、しばらく読み進めてようやくおもしろさがわかってきました。「日本製の義足」(p102)の言葉に日本は技術が高いのだと、誇らしく思いました。

雪割草:楽しく読みました。果物で首飾りを作るなど、子どもがやってみたい、わくわくする夢を描いているのがよかったです。もちろんお話がおもしろくなければ読みませんが、子どもの本では社会的な価値観も大事にした方がよいと思います。たとえば、トロリーナとペルラそれぞれが、野暮らし族と都会暮らしの人たちの性質を生まれながら引き継いでいて、それが好みにまで反映されていたり、読み書きを習得する能力はペルラの方が優れていたりと、こんなに環境に影響されず育つかな、一つの種族で均一になるのかなという疑問をもちました。野暮らし族も人間として描かれているので、ともすると差別的とまでは言わないけれど、偏った見方を助長してしまう恐れがあると思います。「取り替え子」の話ということですが、元の家族に戻って幸せというエンディングは、多様な家族のあり方が受け入れられている現在の価値観にも、合わないと感じました。

アカシア:出てすぐ読んだのですが、イタリアの児童文学に慣れていないせいか、あまり心に残りませんでした。今回読み直す時間がなかったので、皆さんの発言をうかがって思い出しているところです。何かあったら、あとでまた感想を言わせてください。

ハル:なんかこう、お話がふわふわしていて、タッポとかツィットとか、似たような名前も次々に出てきて、途中で、いま誰の話だっけ? とわからなくなってしまいました。いろいろと示唆に富んだお話だとは思うのですが、その割に「インディアンごっこをするふりをして、しばりつけてしまおう」(p47)といったような言葉はそのまま残っているから、後半の精神疾患の人たちが登場する場面も、そのままコメディとして扱っている感じがして、いまこの本を刊行するのはちょっと勇気がいるなというか、思い切ったなーという感じがしました。生きとし生けるもの、すべての命は尊いですが、だからといって、ゴキブリをかわいがってみたり、鳥に「虫をつかまえようとするのはよしなさい」(p40)といってみたり、自然の摂理や何かを犠牲にして生きていくことを否定するのは、生命の否定なんじゃないかと思います。まぁ、それは個人的な意見としても、原書は四半世紀以上も前に発表された作品だということですが、今もまったく古びない、とは言えないんじゃないかなと思います。アップデートされていない点に目がいってしまいました。

コゲラ:チェンジリングの伝承をベースにした物語ですね。モーリス・センダックの『まどのそとのそのまたむこう』(現在は『父さんが帰る日まで』アーサー・ビナード訳 偕成社)もそうで、大江健三郎が小説『取り替え子』(講談社文庫)の最終章「終章 モーリス・センダックの絵本」で同作とチェンジリングについて書いており、かなり前に読んだのに今でも胸に残っています。
それはともかく、歴史的には「取り替え子」は、障がいを持って生まれた赤ちゃんをそのように思ってしまった、あるいは処遇してしまったというような痛ましい側面もあるようですが、この『トロリーナとぺルラ』は、とにかく楽しくて、私が子どもだったら、時間を忘れて読みふけってしまうのではないかと思いました。翻訳の力もあると思いますが、野暮らし族の暮らし方が、とても魅力的です。作者の豊かな想像力が素晴らしい! ただ、取り替えられた赤ちゃんが、それぞれの親たちの属性を持っているのが不思議でしたが、寓話ということですから、これはOKなのかも。
気になった点が、二つだけあります。野暮らし族はトロルだといっていますが、髪や肌が黒いところから、どこかロマの人たちを思わせるところがあって、そういう暮らし方や考え方が違う人たちでも、排斥したり、戦ったりしないで自分たちの仲間に入れてあげようよという寓意はいいのですが、どこか白人の「上から目線」で書かれているような気がしました。二つめは、精神科病院から追い出される人たちのくだりで、訳者あとがきによると当時のイタリアで話題を呼んだ解放医療のことをいっているとのことですが、日本の子どもたちには理解できないのでは?

ルパン:スミマセン、わたしはまったくおもしろくなかったです。半分くらい読んだところで、これは寓話か風刺のつもりなんだろうな、ということに気づきましたが、それでも、何が言いたいのかよくわからないまま終わりました。あとがきによると、初版は1984年の作品ですよね。40年前。お姫さまは白い肌で金髪がいい、とか、今の時代にこれを出版する意味って、どこにあるんだろうと思います。批判精神があるのだとは思いますが、大人には理解できでも、子どもにはどうなのかな。ヨーロッパの「取り替え子」の民間伝承も、日本の子どもは知らないし、ひっかかるところの多い作品でした。

さららん:読み始めてすぐに、子どもの頃の愛読書『カテリーナのふしぎな旅』(エルサ・モランテ作/画 安藤美紀夫訳 学研)を思い出しました。段ボールの家に住むカテリーナとそのお人形が主人公の、とりとめない物語なのですが、それと共通するイタリアの空気を感じました。
『トロリーナとペルナ』は、社会風刺を含む寓話をどう受け止めるか、評価が分かれるところだと思います。最初に気になったのは、野暮らし族が「さらさらした金髪」のお姫様をほしがっていたところで、これでいいのかなあ?と思いました。野暮らし族のお姫様になったペルラは、赤ん坊のとき取り替えられた人間の子どもですが、プードルをほしがったり、字を書いたり、前の世界のことを知っているのが私も不思議でした。野暮らし族が保健所の犬小屋でプードルを見つける場面で、「処分されるだの、殺されるだの、そんな話はでたらめさ。そんなひどいことをする人間なんていないよ」(p28)というセリフが出てきます。かなりきつい皮肉で、読者の年齢によって解釈に差が出てくるところ。ヨーロッパでは、子どもの頃からこうやって風刺の伝統に鍛えられているんでしょうか。ちなみに呼称が話の中でいきなり変わると、ついていくのが大変です。(対象年齢層の子どもたちには、なおさらです)。「アルバ夫人」「フィオリーナ女王」が、途中で急に「お母さん」に変わったので、イメージが混乱しました。同じ建物を指しているのに「古い町の古びたマンション」(p32)が「都会のマンション」(p100)なのも同様です。犬の話やサーカスの話、精神病院の話など、いろんな要素が盛り込まれているのに、全体がからまりあって大きく動き出さないところが少し残念でした。

Wind24:イタリアを舞台にし、「取り替え子」をモチーフにしたお話です。ヨーロッパには妖精やトロルが自分の子と人間の子を取り替える昔話が多くありますが、イタリアのお話は初めてでした。イギリスの昔話では人間対トロルの対決で緊迫感がありスリル満点の場合もありますが、国民性の違いでしょうか、内容も印象も随分ちがうなぁと思いました。
人間の子ぺルラとトロルの子トロリーナが取り替えられますが、成長とともにもともと持っている性質や考え方が色濃くでてきて、お互い環境に馴染めないところなどおもしろかったです。随所にユーモアがあり風刺が効いているところも、クスクスニヤニヤしながら楽しく読み進めました。おしまいに「取り替え子」だとわかり、それぞれ元の鞘に納まりますが、その後も交流があったり、元の生活を懐かしんだり、身に着いた習慣が出てきたりするのがおかしかったです。日本の子どもたちには「取り替え子」の概念がないのでお話に入りにくいところがあるかもしれません。

ニャニャンガ:「取り替え子」の話ではあるものの、表紙や挿絵を含め、大らかでゆるい感じがおもしろかったです。トロリーナとぺルラそれぞれが、環境がちがうのに自分が生まれもった特性を持ちつづけているのは少し不思議な感じがしました。野暮らし族たちはぺルラの影響で近代化された生活になじんで幸せだったのでしょうか。

きなこみみ:私は、どうも風変りな物語に惹かれる傾向があって、この物語のわけのわからなさというか、頭を揺さぶってくる感じに、なんだろうと興味を惹かれたんです。この物語の趣向は、ファンタジーによくある「取り替え子」なんですが、妖精と人間の物語というよりは、人種やルッキズムへの眼差しが強い仕上がりで、それもまたわかりやすい図式というより、ちょっと痛いところ、ギリギリのところを突いてくる感じに、価値観が翻弄されます。
アメリカやイギリスの、良き児童文学という感じとは異質なんですね。まず、野暮らし族の暮らしって、ごみを拾ってたりして、どう考えてもあまりいい感じではないのですけど、彼らの拾っているのは人間が出しているもので、それを知らん顔してきれいに暮らしているつもりって、なんだろうね、とも思えたりする。先進国と言われる国に住んでいる人が出した大量のプラゴミを引き受けているのは、違う国の人たちだったりすることを思い出してしまうんです。
ところが、当の野暮らし族があこがれているのは、金髪のほっそりした人間で、その価値観はどこで刷り込まれているんだろうね、と思ったり。野暮らし族の人たちの美的感覚は、人間と違うらしいのに、金髪への憧れは変わらないのは変だと思うんですけど、翻って考えると、私たち日本人が読むおしゃれな雑誌の広告、ファッションや美容のそれには、北欧系の風貌の人たちが溢れているわけで、そんなことも思い出してチクリとします。巷には、整形の広告がガンガン溢れていて、鼻ぺちゃ丸顔をどうすっきりさせるか、という圧力にも満ち溢れているのは、実は変なことだけど、見過ごしてしまったりする。p22で、ぺルラが、グレイのプードルをほしいというところがありますけれど、純血種や、決まった毛色の動物がもてはやされたりすることと、優性思想って、どこか繋がってるのかもしれない。人間ならそんなことおかしいと当然思うのに、猫や犬なら、この種類で、この毛並みの子がほしい、って平気で言っちゃうのは、どうなんだろう、とか。こつん、こつん、とぶつかる要素が多くて、心にざらっと触れてくる。このあいだ、『哀れなるものたち』という映画を見てきて、子どもの奔放さというか、モノの見方が照らし出すものに翻弄され、刺激的な内容にこれまた頭を揺さぶられてきたのです。こういう、わかりにくいというか、一味違った物語も、あってもよいかも、と思って、この物語を皆様がどうお読みになるか聞いてみたかったのです。

花散里:イタリアには子どもを取り替えてしまうという寓話が多いと、長野徹さんが「訳者あとがき」に書かれており、イタリアの寓話を日本の子どもたちへ伝える、という児童文学なのかと思いながら、読みました。「野暮らし族」の色黒、ぽっちゃり、小さい子と金髪で色白、ほっそりした子。赤ちゃんの時に取り替えられて、それぞれの世界で成長していく二人の女の子が、周りに登場するユニークなキャラクターたちとともに描かれています。楽しく読める物語だとは思いましたが、装丁、文字の大きさなど中級向けに作られていることから考えると、登場人物に似たような名前が、けっこう多く出てくることや、ラストは元の家族に戻るということが、すんなり子どもたちに受け入れられるのかと疑問に感じました。「取り替え子」についてなど、設定が分かりにくく、大人は背景が理解できるから入っていけるところはあると思いますが、子どもたちはどう読むのでしょうか。物語全体を通して、引っかかるところが多かったので、日本の小学校中級の子どもたちには読みにくいのではないかと感じました。

マリオネット:金髪で色の白い人がいいとされていて、対する野暮らし族は、肌が黒めで髪がちぢれていて、という前提を読んで、今の時代にフィットしていない気がするけど大丈夫かしら?と心配になりました。読み進めると、野暮らし族がとても魅力的に描かれているし、エピソードもおもしろいのですが、やっぱり喉に刺さった小骨のように、最後まで引っかかりました。昔に書かれた本は、もちろんそのまま味わい深い古典として存在していてほしいんですけど、あえて今、わざわざ翻訳する必要がある本なのかあ、と。もっとも、あとがきを読むと、翻訳の長野さんの並々ならぬ思いは、伝わってきました。あと、文中のイラストはほんわかしていていいんですけど、装丁のインパクトが弱いと思いました。特に背表紙。図書館の棚の同じ場所を3回探してやっと見つけました。2年前の本なのに、背表紙が色あせて見えますよね。もったいないなと思いました。

しじみ71個分:最初、読んでみて、色黒で背が低くて、ぽっちゃりという身体的特徴のある「野暮らし族」の人たちについての表現がこれでいいんだろか、なんでこんなふうにわざわざ書いているのかと引っかかりました。「あとがき」を読んで、トロリーナというのは、トロルの女の子のことだったのかと、やっと分かって得心した感じです。都会生まれの子は、アシ原の暮らしの中でたくましく育って行くし、動物の声が聞けるトロルの子は都会に感化されていきますが、取り替えられたことでお互いの暮らしに影響を受けていくさまを描いているのはとてもユニークだと思いました。イタリアらしくて、とてもおもしろいなと思ったのが、精神病院から入院していた人がみんな出てくるところです。その人たちが、ペルラの教育によって都会化していった野暮らし族のかわりに、新しい野暮らし族になって自由に生きていくというオチは、実際に、1980年代に精神病院を解体して、地域コミュニティで受入れを進めていったイタリアの実際の話を元にしているのだと思いましたが、ある意味、きついブラックユーモアにも読めました。
野暮らし族の外見的特徴の描き方や、見た目のために子どもを取り替えてしまうというところも、あまり日本では見ない、不思議な、おもしろい話だと思いました。ただ、読んでいる間は、トロルという前提が頭に浮かばなかったので、野暮らし族については、違う文化を生きる人たちというよりは、いろいろできない人たち、汚い人たちという描写にも読めてしまったので、もしかしたら原作そのものがそういうスレスレの危険性を孕んでいたのかもしれませんが、もうちょっと訳に工夫があれば、現代的になったのかもしれないなとも想像しました。内容は社会風刺がピリリと効いていて、とてもイタリアらしいのだけど、挿絵のせいか、どうにもイタリアっぽさをあまり感じられないところもあって、どう考えて読んだらいいのか分からない本でした。そういう意味で、とてもユニークでおもしろかったです。

(2024年02月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2024年01月 テーマ:「こわい」の先にあるもの

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『2024年01月 テーマ:「こわい」の先にあるもの』
日付 2024年1月16日
参加者 きなこみみ、エーデルワイス、西山、ハル、ルパン、アンヌ、かはやぎ、花散里、ANNE、アカシア、しじみ71個分、キマリテ
テーマ 「こわい」の先にあるもの

読んだ本:

トレーラーハウスに住む金髪の男の子と、茶色い肌の女の子が話している
『ぼくの弱虫をなおすには』
原題:THE LIBERATION OF GABRIEL KING by K.L.Going, 2005
K・L・ゴーイング/作 久保陽子/訳  早川世詩男/絵
徳間書店
2021.07

〈版元語録〉「こわいものをひとつずつ克服していけば、強くなれるはず」って言われたけど…。1976年、アメリカを舞台に、偏見や人種差別の問題にふれつつ、苦手を克服する子どもたちの成長を描いた物語。 *第68回読書感想文全国コンクールの課題図書
夜空に月と雲、いくつもの黒い影が浮かんでいる
『ふしぎ草紙〜あやしくもふしぎな八つの物語』
富安陽子/作 山村浩二/絵
小学館
2023.04

〈版元語録〉子どもたちが帰った小学校で、どこからかポロンとピアノの音が聞こえてきた。先生が、今は使われていない古い音楽室の戸を開けると、そこにいたのは…。「ピアノ」をはじめ、こわい話・あやしい話・ふしぎな話、全8話を収録。

(さらに…)

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ふしぎ草紙〜あやしくもふしぎな八つの物語

夜空に月と雲、いくつもの黒い影が浮かんでいる
『ふしぎ草紙〜あやしくもふしぎな八つの物語』
富安陽子/作 山村浩二/絵
小学館
2023.04

キマリテ: 最初の2つのお話にあまり引き込まれなくて、よくある物語のパロディーな感じがして大丈夫かなと思ったら、残りの6つが面白かったのでホッとしました。順番、これでよかったのか、あるいは、大して怖くない話が序盤にあるのがいいのかしら? 小学2年生の女の子が主人公のお話がある一方で、大人の物語もあって、バリエーション豊かなのが面白かったです。漢字が多めですが、ターゲットは中学年以上という感じでしょうか? 全体的に自然への畏怖や他の生きものとのかかわりのお話が多くて、余韻が残りました。ひとつ気になったのが、p116「ごくりと息をのみました」という表現です。ごくりとつばを飲むか、ハッと息をのむ、ならわかるのですが、これはわざとなのか、見落としなのかどちらなんでしょうね。

ANNE:あまり読んだことがない毛色の変わったお話が並んでいました。アンソロジーは好きなので楽しめました。恥ずかしながら不勉強で「草紙」と「草子」のちがいを知りませんでしたので、「草紙」をまずイメージしてしまいました。ストーリーに関係ないのですが、スズカケノキやすずかけ台という地名がいくつかの作品に登場して、あまんきみこさんの「すずかけ通り三丁目」(『車のいろは空のいろ』 ポプラ社所収)を思い出しました。挿絵の山村浩二さんは絵本作家としても著名な方ですが、この物語の雰囲気にぴったり合ったイラストで、ぞわぞわっとした恐怖感が増してくるように思いました。

花散里:富安さんはやはり上手だなあ~と思いながら、読みました。最初の章から、どんどん引き込まれて「えっ!象?」っと、いう感じで…。「あやしくもふしぎな」8つの章、どれも物語の展開が巧みで、次の章は、どんな怖いストーリーが、っと、ぞくぞくしながらも、先が読みたくなるようでした。怖い話が好きな子どもたちだけでなく、どの子どもたちにも読みやすい作品なのではないかと思いました。表紙も、挿絵も、山村さんの絵がいいですね。

かはやぎ:最初は、ちょっとゾクッとするお話なのに、どんどん怖いお話になっていきますね。最初のピアノのお話は、哀しさの漂う、いい物語で、学校を舞台にしていることから読者がすっとこの本に入っていける、見事な構成になっていると思いました。「注文の多い料理店」を思わせる「猫谷」など、名作へのオマージュのような話もいくつかありますね。
月影を掬うおばあちゃんの話を読んで、エイキンの「からしつぼのなかの月光」(『心の宝箱にしまう15のファンタジー』所収 ジョーン・エイキン 著 三辺律子 訳 竹書房)の月夜に孫娘と不思議な問答をするおばあちゃんを思いだしました。私がいちばん怖かったは「魔女の家」で、特に人形のイラストが恐ろしい。「その人形、ずっと持っていないほうがいいよ!」と、思わず主人公に言いたくなりました。恐ろしい反面、認知症のお年寄りの心のなかに入っていくところがユニークだし、作者の温かい心を感じられてよかったです。
この本を手にとる読者は、いままで起承転結のある、きちっとした物語に親しんできたと思いますが、オープンエンデッドというか「めでたし、めでたし」で終わらない物語の形を学校の怪談みたいな安手な話でなく、こういう上質な文学で知るのはとても良いことだと思います。詩人の長田弘さんが『読書からはじまる』(ちくま文庫)のなかで述べているように、本が培ってきた文化は、書かれていないことを想像する力ですから。

アンヌ:怪談や幻想文学というものは、推理小説のように大抵いったん謎の解き明かしがあるけれど、読者が主人公のその後について悩んだり、つい続きを考えたり、あれ変だなという不安感を覚えるものだと思っています。だから、この短編集も最初はホッとできる感じで始まって、だんだん怖くなっていくのだろうなと思いながら読みました。例えば最初の「ピアノ」は、怪談のお決まりの不穏な音で始まるのだけれど、美しい音楽が出てくることで恐怖が薄まります。ましてや、象が調律してほしい音を引いているという謎解きで、ますます解決したような気になってしまう。けれど、象牙の鍵盤という残酷な仕組みを考えると、象は、歯痛のような痛みを感じていたのではないかと想像してしまいます。「霧の町」は、百鬼夜行に出会う話だけれど、ちょっと怪談になりきらない。ボールも戻ってくるし。でも、霧の怖さと魅力を感じます。「猫谷」になるとちょっと怪談度が進む感じで、読者は危ないよ危ないよと異常性に気づいているのに、主人公は気にせずどんどん進んでいくところなど、先ほどかはやぎさんもおっしゃったように『注文の多い料理店』を思い浮かべました。でも、どちらかというと異界のものを食べてはいけないという、ローマ神話のプロセルピナのザクロや、日本神話の 黄泉竈食(よもつへぐい)のような感じですね。ホットケーキの描写が見事で、添えられたジャムの正体を知っても、後味が悪いどころか実においしそうでした。「月の音」は実にきれいな話でした。月をすくった池には月がいなくなるというところが、不思議な出来事にリアリティーを与えている感じがします。都会を離れて一度は月の音を聞いてみたいと思いました。「魚玉」は、少し物足りない。荘子の「胡蝶の夢」(『荘子 全現代語訳(上)』所収 講談社学術文庫)のような感じの魚バージョンですが、魚の吐き出すものというところがグロテスクで、今後、焼き魚の目玉を見るたびに思い出してしまいそうで、ゾクッとします。「魔女の家」は後半の謎解きがなんというか切ない物語だけれど、人形をもらっちゃって大丈夫なのかと読者が読後悩む仕組みが、いかにも、怪談という感じになってきています。「よろず池」は、天女かもしれないお母さんとか、天女の子かもしれないコースケがちっともこの世ならぬ感じに書かれていないのが物足りないというか残念。コースケを女の子にしたらもう少し切ない感じになったかもなどと思いました。「藤棚」はもう、まさしく怪談という感じです。不思議な尼さんが現れて「お母さんの命がつきないようにしてあげますよ」というのを読んでよかったと思いつつ、つきない命って危険じゃないかなと思いながら読み進むと、「話してはいけない」という禁忌を掛けられているのにお父さんは話してしまっているんだと読者は気づく。そこで、むすめが「誰にもしゃべっちゃだめ……」というので、娘に猫か尼が憑依したんだとぞっとする感じを受けて物語が終わる。さらに最後に「お母さん」であるおばあちゃんの死が描かれて、よかったなとホッとすると同時に、いやいいのかと愕然とするという二重の仕組みになっていて見事です。でも、もしいちばん好きなのは何かと聞かれたら「月の音」です。次の日、水をまいた畑から月のかけらを拾ってにっこり微笑むおばあさんの顔が見えてくるような気がします。

ハル:うー。ちょっと申し上げにくいのですが、私は、すごく面白かったかというとそうでもなく、ちょっと入り込めなかったです。なんででしょう。どこがというわけではないのですが、読点の位置が気になったり……あ、ここに点を打つんだな、みたいなのとか、ん? とつっかかるところもあったりして、これは読解力の問題かもしれませんが、目がすべってしまいました。「こうきたか」という斜め上の展開もあって、民話や昔話とは異なる厚みは感じましたが、なんというか、心をつかまれるものがなかったなと、私は思いました。挿し絵はとても素敵でした。

西山:さらぁっと読んでしまいました。私も「月の音」がいちばん好きでした。視覚的にも聴覚的にも、清澄なイメージがとても素敵でした。「よらず池」、たんすの引き出しにぼんやり光る布が見つかったとき、ああ天女の羽衣、と思いましたけれど、今の子はどのぐらい羽衣伝説を知っているのかなと思いました。最近、昔話や神話、伝説などをあまり知らないという学生も多いようだと気づくこともあって、今回の作品に限らず、さまざまなファンタジー作品を味わう土台としても、幼少期にたくさんの伝承文芸に触れたほうがいいんじゃないかという気がしています。

エーデルワイス:この本は絵本ではありませんが、挿絵が多くて絵も重要な役割を担っていると思いました。印象に残った言葉は、「魚玉」のp101で「…うそは、自分のためにつくもの。ホラは、人を楽しませるために吹くものだからね」とか、「魔女の家」のp144で「魔女は、町の子どもをカラスに変えていたのではなくて、このお人形を人間の子どもに変える魔法をかけていたんだな…」です。ユタカ、アリサ(人形)、トオル、コースケと、子どもの名前がカタカナなのはなぜでしょう? 「よろず池」は、羽衣伝説を思わせますが、コースケのお母さんは羽衣伝説に思わせて、実は失踪したのではと、深読みしてしまいました。コースケも良い男の子とは思えませんでした。

アカシア:どの短編も作品世界のリアリティがしっかりできていますね。私は、この作品は怪談話ではないと思っているのですが、怖くしようと思えばいくらでも怖くできるところを あえてセーブして不思議を残す作品にしているのだ思いました。
「ピアノ」で象が出てくるところで、大人の本だったらここは象じゃないな、と思いました。この象の登場で恐怖がマイルドになっています。「霧の町」 もホラーではなく、ちょっと怖いけど不思議な物語です。日常の隙間に垣間見える不思議を描いているところが、マーガレット・マーヒーの『魔法使いのチョコレートケーキ』(石井桃子訳 福音館書店)を思い出しました。「猫谷」では、私も『注文の多い料理店』を思い出しました。でも矢島さんは猫梨を食べたのに猫に変わらずにすんだのはなぜ? 「月の音」は、きれいなイメージの奥に、都会の明るさは想像力にはマイナスになることを匂わせています。「魚玉」だけは、第三者から聞いた話になっています。その話をしているのもホラ吹きと呼ばれているおじさんなので、虚実の境があいまいになっている。「魔女の家」は、ちょっと恐ろしくて、p123で「さ、こっちへおいで」というところでヘンゼルとグレーテルを思い出して怖くなりました。「よらず池」は羽衣伝説を下敷きにしているとは思いますが、伝説を知らなくても、p175からp176にかけてかなりていねいな説明があるので、子どもにもわかると思います。読者の子どもは、お母さんが蒸発したのか、それとも天に帰ったのかわからずに、逆に想像力をふくらますことができるようにも思います。「藤棚」は、猫が自分の娘なのか、という怖さと、秘密を話してしまったので死を迎えるという怖さの両方がありました。
子ども時代の私は、こういうちょっと怖い話とか不思議な話がいつまでも心に残り、そこからいろいろな想像をめぐらせていたものでした。なので、ただ怖がらせるための物語ではなく、こういう作品がもっとあるといいな、と思っています。

しじみ71個分:これは職場でも選書の候補になったのですが、怪談にしてはゾッとしない、何か中途半端な印象ということで購入しないことになった本でした。でも、タイトルは『あやしくもふしぎな物語』なので、別に怖くなくてもいいのにと思ったので、みなさんのご意見を聞きたいと思って選書させてもらいました。短編集の形になっていますが、どの話も、日常の中に見えるちょっとした怖さ、あれっ?と普段の生活の中からエアポケットに入ってしまったような、ふだん見えないものが見えてしまったようなゾクッとする感覚を描いていて、とても面白かったです。短編集ということで、『夜叉神川』(安東みきえ 著 講談社)をつい思い出して比較してしまいますが、『夜叉神川』で日常の中でふと垣間見えたのが人の悪意であるという点が違っていると思いました。あっちは、読んでいて、実は怖くて怖くてたまりませんでした。ですが、この『ふしぎ草子』は、不思議さの先に優しさや温かみが感じられました。象の幽霊が音楽室でピアノを弾くというのは大変シュールですが、象が鼻でピアノをポロンポロンと鳴らす姿に、かわいらしさや愛おしさを感じました。「月の音」では、おばあちゃんと一緒にした不思議な体験が描かれていますし、「魚玉」では、おじさんに聞いた話 というようになっていて、富安さんご自身が子どもの頃に、おばあちゃんや親戚のおじさんに、ちょっと怖い話を聞いた体験が反映されているのではないかと思いました。「人をだますのがうそ、人を楽しませるのがホラ」という茶目っ気も感じられるような気もします。盤石な日常に、非日常がちょっと顔を出したときの怖さというのは、ある意味、誰しもが感じることなのではないかなと思いました。「魔女の家」は人形が仲介する物語で、認知症のおばあちゃんの世界に入ってしまうのですが、これは出られなくなっちゃったらどうしようと思って、ちょっと怖くなりました。視点を変えるとゾクッとするかもしれない、日常をひっくり返してみるような感覚が全編から伝わって面白かったです。「よらず池」は少年たちが光る布を見つけたあと、友だちのお母さんが失踪する話ですが、羽衣を見つけられたお母さんが、天女に戻って天に帰ったのかもしれないし、実は昔キャバクラとかで働いていたときのきらびやかな服が出てきて、お父さんとは嫌々結婚したので、いいきっかけになって、とうとう家を出たのかもしれないですし、真実はまったく分からないわけで、どうとでも読み取れますよね。理由や原因が分からないことが起きるというのはままあることと思います。そういった日常の怖さを、奥底に人の温かさやユーモアをしのばせて書いてあるのが本当に面白くて、素晴らしいと思いました。

ルパン:わたしは正直言ってこの本はおもしろくなかったです。でも、みなさんの楽しい感想が聞けたので、今日参加してよかったなと思いました。 ところで、p33に2か所出てくる「見回わす」、p51に2か所出てくる「回わったり」の「わ」は要らないのではないでしょうか?

きなこみみ:自分のすぐ背後にあるような、不思議な怪しい世界。こういうのを書かせたら、富安さんほど上手い人はいないんじゃないか。五感に訴えてくる文章の構成がすごいなあと思います。デジャブのような、誰しも体験があることを手掛かりに、ふっと物語に引きずり込んでいく。例えば、「猫谷」。ナビにぽつんと表示される温泉って、いかにもありそう。そこで出されるホットケーキの、これまた美味しそうな音に触感。うっとりしたところに、「猫梨」なんていう、不協和音がぽおんと放り込まれて、気が付いたら食べてしまって引き返せない。
その次の「月の音」も、たらいに月を掬い取る、という、これ、多分、月を、たらいに水を張ったのに映して和歌を詠んだりしたことがベースになっていると思うんですが、月をひしゃくでぱりぱりと割る、というのが非常に五感に訴えてくるんですね。また、それを畑にまく。ジブリのトトロのシーンなんかも連想させます。そういう、馴染みがあったり、国民的な記憶から、うまく物語を引っ張り出して、自分のものにしている感じが、まさに自分の隣にある怪しさ、という不思議な快感、なつかしさも感じさせる面白さに繋がっているんだと思います。ぞくっとするんだけれど、この恐怖は、人間が作り出す恐怖とはずいぶん肌合いが違って、人間の傲慢とか、やりすぎとか、思い上がりを制御してくれるような、優しさにも思えてくる。それは、今の世界があまりに恐ろしすぎるからでしょうか。自分の立っている足元って、そんなに確かなものですか?この世界のもろさを、知ってますか?って、そっと背中をひっぱるように教えてくれているようです。

(2024年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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ぼくの弱虫をなおすには

トレーラーハウスに住む金髪の男の子と、茶色い肌の女の子が話している
『ぼくの弱虫をなおすには』
K・L・ゴーイング/作 久保陽子/訳  早川世詩男/絵
徳間書店
2021.07

きなこみみ:恐ろしいいじめっ子と同じ校舎になるのが怖くて、5年生になりたくない弱虫の男の子の話で、同じようにものすごく弱虫だった私は非常に共感しながら読んでいったんですけど、どんどん深い人種差別の話になっていって、いい意味で思いがけない読書になりました。設定が1976年なんですね。ベトナム戦争が終結して、アメリカの敗戦が決まった年で、ある意味、アメリカが、富と強さに満ち溢れていた時代の曲がり角。「強さ」への絶対的な信頼の曲がり角、ともいえるのかもしれないと思いながら読みました。
ゲイブリエルは、ありとあらゆるものが怖くって、フリータのことを、とても強い子だと思っているのだけれど、白人なので、黒人であるフリータが抱えている恐怖には気づかないんですね。でも、物語が進んでいくうちに、フリータの抱えている恐怖のほうが巨大で、ちょっとやそっとで覆らないものだとわかってくるんです。印象的なのはp125の、ゲイブリエルが、恐怖で勢いあまってムカデを踏みにじって殺してしまうところ。軍事力の強化が、どこまで行っても終わらない、イタチごっこになるように、強さというものって、弱さとか恐怖と深く結びついていて、それが人間の古い脳が起こす反応とも結びつく、厄介なものなんだなと思ったりしました。はじめは怖がっていたクモには、名前をつけて飼っているうちに、エサになるコオロギなんかもつかまえてやったりするシーンがあるように、怖くなくなっていくんです。苦手だったフリータのお兄ちゃんのテランスも、遊んでもらったり、言葉を交わすようになったりして、怖くなくなります。「知る」ということと恐怖には強い関係があるんですね。ゲイブリエルは、差別のことを知るたびに、自分の弱さと向き合えるようになります。強さとは誰かを屈服させることではなくて、パパとフリーダのお父さんのように、お互いの弱さや不安を共有して、ネットワークを構築していくしなやかさのことなんだということが、とてもよく伝わってきて読後感も爽やかでした。

エーデルワイス:表紙の絵が好きです。そのイメージで読み進めていくといい意味で裏切られました。主人公のゲイブリエルの弱さ克服、いじめからの脱却のお話かと思っていると、ガブリエルが頼りにしている、いつも助けてくれる親友の女の子フリータの黒人差別の話になっていくところが見事です。p112、11行目のフリータのママの台詞「何やっているのかしら。知らない方がよさそうね」とありますが、二人のことを見守るフリータのママが素敵です。同様にガブリエルのママも素敵。フリータは人の善意を信じ、いじめっ子のデュークの父親に会いに行きますが、差別主義者の大人が子どもに対して「KKK」(クー・クラックス・クラン)で脅かすシーンには胸が痛くなります。人間同士が理解し合えないことや、大の大人が子どもをいともたやすく傷つけることにいったいどうしたら良いのだろうと。p243でガブリエルが「デュークとフランキーのことを考えた。二人のことはもうこわくないし、おこる気持ちにもならない。それに、かわいそうだとも思わない」と、言い切るところがよくて、読後感がいいです。

西山:ゲイブリエルが幼すぎるように感じて最初は乗れなかったのですが、まさか、黒人差別がこのように出てくるとは、びっくりしました。読めてよかった1冊でした。ゲイブリエルが「ぼくがテランスと話してみたみたいに、フリータもデュークのお父さんと話してみたほうがいいんじゃないかな。」(p174)という提案には、二重の意味でひやひやしました。話してみることの危険性と、もし「話してみればわかり合える」という展開になったら甘くていやだなと……。パトリシア・ポラッコの『ふたりママの家で』(中川亜紀子 訳 サウザンブックス社)にも、決して理解を示さない隣人が出てきますが、KKKでは次元が違うとは言え、わかりあえない他者の存在を突きつけたるところはすごいと思っています。p206の「わたしがこれまでに学んだのは、人はだれも立ち向かってこないとわかると、どんなことでもするようになるということです。しかし相手が束になって立ち向かってきたら、何もできなくなるんですよ」というフリータのお父さんのことばなど、心に留めたい大事なメッセージだと思います。ところで、「みみずをくわせる」いじめが、以前も何かで出てきましたよね。また出てびっくりです。翻訳作品で、生徒間の暴力などいじめに対する処罰の厳しさに日本との違いを感じたことが何度かあるのですが、これは1976年という時代もあるのでしょうか。

ハル:最近読んだ、人種差別を考えさせてくれる本の中で、いちばんストレートにおもしろかったです。どれだけ差別が怖いか、悲しいかを素直に想像できました。と、前置きした上で。最初は、こわいものリストを作って、頼もしい親友の力を借りながら克服していこうという、ひと夏の大冒険がはじまる予感にわくわくしたのですが、途中まではどうも目がすべりがちでした。どうして1976年の設定にしたんだろう、どうして1976年の話をいま読ませたいんだろう、最近のことのようでいて50年近く前の話なので、家のつくりとか文化のこととか、わかるようなわからないようなところも多くて、ちょっとつっかえちゃうんだよなーと思いながら読み進め、後半になったら合点がいったという感じでした。たとえば出だしに「これはぼくの子どものころの話で」とか、ちょっと回想風にしてくれたら、時代のことも気にならずに入れたのかなぁ? ちょっともったいない感じがしました。

ルパン:一気に読みました。実在の政治家や政党の名まえが出てくるところがすごいなと思います。日本の児童文学作品ではまずありえないだろう、と。ただ、ジミー・カーターのことを書きたかったのかもしれませんが、なぜ1970年代の話にしてしまったんだろう、というところが惜しまれます。KKKの恐ろしさなども、あとがきには「今もいる」とありますが、この作品だけ読んだ子は「これは50年前の話で、今のことではない」と思うのではないでしょうか。せっかくここまで書き込むのであれば、舞台を現代にして、もっと身近な問題としてとらえられたほうがよかったのではないか、と、もったいなく思います。このお話のなかで、いちばんよかったのは、ゲイブリエルの「こわいもの」のひとつであったフリータのお兄さんのテランスが、「自分で台無しにするなよ」と、フリータの「わたしがこわいもの」リストをゲイブリエルに渡すシーンです。

アンヌ:なかなかつらい年の始まりの中、ここ以外のどこかに行ける海外文学を読むのはとても楽しいことでした。この物語には、いかにもアメリカ南部らしい楽しさがあります。例えば、p58の「どんな暑さにもへこたれないオクラの実」というたとえ方。オクラは南部料理のガンボには欠かせない野菜ですよね。p100の木に登ってペカンの実を割るところも、なっている実をそのまま食べられるとは知らなかったので、うらやましい。p104やp155のフリータのママが作る南部料理も想像するだけでおいしそうだけれど、作者がメニュウをゲイブリエルの家だと3品、フリータの家だと10品と書いていて、二つの家の経済的格差を示しているのには少々喉に詰まる思いもしました。そして、注も豊富でわかりやすい。例えばp177のチェリーパイ。これが独立記念日の定番デザートなのを初めて知りました。怖い物リストに「ワニ」があるところや、「サルオガセモドキ」なんて植物が出てくるところも、アメリカ南部らしい情景だなと楽しめました。子どもたちもp114で、アメリカでは6月1日にはもう夏休みが始まっているのだということを知って驚くだろうと思いました。ゲイブリエルの両親は貧しいけれど愛し合っているし、父親は図鑑を持っていたりして向上心がある人で、「ニガー」発言に対してきちんと意見を言う。変わりつつある時代というのは、こういう一般市民が増えていったからなのだと思えました。けれど同時に、KKK団という今に続く差別し暴力を振るう人々もいて、さらに、ブラックパンサーのように彼らと戦う人々がいることも書かれています。KKKの白頭巾のように、顔を隠すことで恐怖を与えるヘイト行為の卑怯さを、暴力ではなく集会という形で表にさらしていく行動には希望を感じました。また、p162の「抑圧」という言葉が語られる章では、ゲイブリエルは最初その言葉の意味を軽いものだと思っていたんです。でも、「抑圧」とは、「だれかを無理やりおさえつけることだ」と聞いて、自分の父親から聞いた、ジミー・カーターが白人市民会議に、人種差別を続ける仲間に入れ、そうでないと倒産させると脅された話を、思い出すんです。そして、ジミー・カーターの辛さを、フリータたち黒人の側から置き換える、「まわりは敵だらけでどんな気持ちだったんだろう」という想像をして、その言葉の真の意味を捉えて、フリータの家族との連帯感が生まれます。ここで、この物語はゲイブリエルが怖さを克服するだけではなく、人間として成長していく話なんだと感じることができました。ちょっと愛という言葉で最後をまとめすぎたのは、いかにもアメリカ文学という感じで答えを言い過ぎ的な感じもしなくはないけれど、これはこれでいい物語だと思いました。

かはやぎ:最初は、弱虫をなおすために怖いものリストを作るという読者に身近な話題から入って、だんだん深くて重い、現実の怖い話に導いていくという構成が見事だと思いました。早川世詩男さんの明るい表紙も、「おもしろそうな話だな」と手に取りやすくて、とてもいいですね。ジミー・カーターなど実名をあげて、それほど遠くない、現実に起こったことを書いているところに、ある意味ショックを受けました。今の日本には、とてもここまで掘りさげた作品はないのでは? 出版社の意向や、身近なことを書きたいという作家の方たちの考え方もあるのかもしれませんが、ひとつには、日本が歴史を大切にしない国だから、児童文学として思いきってかけないのでは? 関東大震災のときの朝鮮人虐殺についても、官房長官は公文書が無いから事実かどうかわからないという趣旨のことをいうし、ジャーナリストたちが日米関係のことについて調べるときに、日本に資料がないからアメリカの公文書館で調べるというような情けない話も聞くし……。
表紙もふくめたイラストや丁寧な訳注など、とても神経の行き届いた編集だと感心しました。大人の私も、あらためて勉強させてもらいました。

花散里:黒人問題を取り上げた本としては『オール★アメリカン★ボーイズ』(ジェイソン・レノルズとブレンダン・カイリー著 中野怜奈訳 偕成社)など良いYA作品がありますが、この本は黒人問題や人種差別、アメリカの政治についてなど、文中に注がしっかりと入っていて小学生にも理解ができるように書かれているので、小学校高学年から読めると思いました。
主人公ゲイブリエルが受けるいじめ、いじめっ子の上級生デュークの父親が、親友の黒人の女の子フリータを「ニガー」と呼ぶなど、黒人差別について、そしてトレーラーハウスが集合する地域での生活についてなど、貧困、経済格差や、社会的背景も描かれていて、特にデュークの住むトレーラーなど、日本の子どもたちが知らない世界なのではないかと思いました。外国文学を読んで異文化を知るということにも繋がっていくように感じます。いじめを取り上げている章では、フリータの関り方などに希望が感じられて、読後感が良かったです。表紙はどうかと思いましたが、本文中の挿絵が良いと思いました。いろいろな問題を克服していく成長が描かれていて、子どもたちに薦めたい本だと思いました。

ANNE:主人公が住んでいるトレーラーハウスというものに馴染みがないので、うまくイメージできませんでした。キャンピングカーのように実際に走るものではないのでしょうか? ゲイブリエルがずっと5年生にならないと言い張っていて、本当に進級しないという選択肢があるような書き方だったので、アメリカでは本人の意思で留年するなんてこともありなのかしらと思いましたが、そんなことはないですよね? ゲイブリエルが受けるいじめの情景がさらっと描かれていますが、ミミズを食べさせられるなど本当にひどい目にあわされていて、心が苦しくなりました。ゲイブリエルを含め周囲の登場人物も成長しているので、「ぼく」だけではなく、みんなの弱虫がなおっていくようなイメージも持ちました。
早川さんの挿絵が本当にお上手で、物語とは別に楽しんで拝見しました。中でもニクソン元大統領の絵が、ちょっと笑ってしまうくらいそっくりでした。

アカシア:同じ著者の『ビッグTと呼んでくれ』(浅尾敦則訳 徳間書店)を読んだ時に、なんとなく男性が書いている本だと思いこんでいました。なので、長靴下のピッピタイプのフリータという少女が出てきたとき、男性の作家が女の子をエンパワーする本を書いているのは珍しいな、と思ったんです。でも、じつは女性作家でしたね。フリータが最初に登場する場面では、黒人だと定義するのではなく、顔についたチョコクッキーのくずが目立たない、という表現をしてるんですね。そこもいいなあ、と思いました。アフリカ系の強くてたくましくて大柄な女の子と、弱々しい白人のいじめられっこの男の子が親友になるという設定は、日常生活の中ではそうそうないのかと思いますが、それを敢えて出しているところにステレオタイプを壊そうという作者の意図を感じます。ゲイブリエルは、いじめの終わらせ方が分からなくて、「世界中のお金を集めて二人にわたすくらいしかないよ」と最初は正面から立ち向かう気がまったくないんですね。それが、フリータとの交流の中でどんどん視野が広がっていくのが面白かったです。なぜこの時代を舞台にしたのかというと、ジミー・カーターを登場させるためかもしれません。語り手のゲイブリエルも、人種差別に反対するスピーチをしようとどきどきしているお父さんも白人で、著者も白人だとすると、人種差別的な「白人市民会議」に町でただ一人入らなかったカーターは、勇気をくれる存在として欠かせない人物かと思いました。結果として白人の中の多様性を描いていることにもなります。
ゲイブリエルのお父さんはブルーカラーで貧しい人ですが、子どもにわかりやすく政治の話をしていることに感銘を受けました。日本の出版社の中には政治は児童文学でとりあげないように新人作家を指導している社もありますが、それって、政治に無関心な人が多くなる一つの要因かもしれません。英語圏ではいろいろな形で作品の中に政治あるいは政治への関与が出てきます。要は書き方だと思うんですよね。このお父さんの人柄は、KKKを引き合いに出して脅されたフリータを抱きしめて涙を流しながら「いい子、いい子」とささやき続けるんですね。すてきな人ですよね。
フリータが、いじめっこの住むトレーラーハウスを覗きに行くところなど、勇気があるとも言えますが、危険じゃないのかな、と心配にもなりました。前回のこの会で話に出たエメット・ティルより時代は後ですが、黒人が理不尽に殺される事件はその後も次々に起こっているので。フリータのお兄さんが自分の身を守るためにボクシングの練習をしたり、ブラック・パンサーに憧れたりするのはよくわかります。先ほどトレーラーハウスについての疑問が出ましたが、英語圏のほかの作品にも比較的貧しい人たちが住む家としてよく登場してきます。表紙の絵ではタイヤを外しています(裏表紙にタイヤが描かれている)が、タイヤをつければ移動もできるのかと思います。

しじみ71個分:第一印象では、早川さんの表紙の絵がとてもいいなと思いました。この本には、友情や家族の問題が、とても温かな視点で、やさしいことばで書かれているので、アメリカの歴史を知らない子でも、中学年くらいであれば届くのではないかなと思いました。先月の読書会で取り上げた『ゴースト・ボーイズ』(ジュエル・パーカー・ローズ 著 武富博子 訳 評論社)では、いまだになくならない人種差別の問題を、1955年に起きたエメット・ティル殺害事件から説き起こした、非常につらい物語でしたが、あの事件をきっかけにアメリカ社会が変わり始めたわけで、その変わり目の1970年代が社会背景として描かれている点に、とても興味を持ちました。白人、黒人の別なく、差別に違和感を持つ人がいる時代になったということで、ジミー・カーターの存在が大きく関わっていたということも全く知らなかったので、大きな学びがありました。差別の問題はさまざまな形で伝えなければならない問題であって、子どもたちのハートにどう落とし込むかは極めて難しいことだと思うのですが、この本は少年が恐怖を乗り越えるという自分事を解決していくなかで、友だちのこと、社会のことに気付いていくという構成になっていて、非常に巧みでいい本だと思いました。黒人のフリータの家は裕福で、白人のゲイブリエルの家は貧しいというように、経済的な面では過去と比較して、逆転構造で描かれていますが、フリータは人種差別によって苦しめられるという設定も効果的だと思います。フリータとの友情や家族の愛情に励まされて、ゲイブリエルが実態を知っていくことで怖い物への対処を知り、恐怖を乗り越えて変わっていくというこの展開は、恐怖をどう理解するか、乗り越えていくかを子どもに伝えるのにとてもいいなと思いました。子どもの成長をストレートに喜ぶ、子どもへの応援の物語だと思います。教科書的かもしれないと思わないでもないですが、「正しい」物語、正論を正論としてきちんと伝えていくというアメリカの姿勢が感じられて、好きです。こういった正論の物語を踏まえて、次の複雑なステップに踏み出していけるのではないかなと思いました。

キマリテ: アメリカの人種差別をテーマにした小説って、マーティン・ルーサー・キングの時代、もしくはそれ以前、あるいは逆にごく最近の年代のものが多いと思うのですが、この話は70年代で新鮮でした。ジミー・カーターは、子どもの頃、漠然と好感を持っていた大統領だったので懐かしかったです。KKKがどんな残虐なことをやったか、具体的な表現はないのに、恐ろしさがよく伝わってきて、秀逸だと思いました。また、人種差別ということを別にしても、苦手なもの、怖いものがある子どもに、親近感を持って読まれる小説ではないでしょうか? 序盤にリストの38項目の一覧が表示されないことが不満で、もしかしてラストにあるのかもしれない、と期待していたらそのとおりになって嬉しかったです。また、クモのジミーにエサをあげる場面がないので、ちゃんと世話をしているのか、生きている虫をあげるなんてことが弱虫のゲイブリエルくんにできるのか?と思ったら、p223で「ジミーの夕飯用にコオロギをさがしていた」と出ていて、安心しました(笑)。敢えて言えば、物語の終盤、ゲイブリエルがどんどんたくましくなってきている気がしたので、p214あたりでやっぱり5年生にならないと主張しているところで若干ずっこけたというか、もう少し本人がそう感じる背景を説明してほしかったかな、と思いました。

アカシア:訳ではp205に「うちの主人」という言葉が出てきます。たぶん多くの翻訳者が今は「うちの夫」と訳すと思うんですけどね。もちろんhusbandをすべて夫と置き換えることはできませんが、ここはできるんじゃないかな。訳語も、やっぱりどんな社会にしていきたいのかということも考えながら選んだほうがいいと思うんですよね。それから、さっきp243の「愛してくれる人がいれば、何もこわくない」というところをお定まりの結論とおっしゃった方がありましたが、これは小学生のゲイブリエルの思いであって、おとなのお父さんはp203で「KKKの存在を消すことはできない。人が恐怖を感じるものの中には、克服できない、打つ手のないものもあるんじゃないでしょうか」と言ったりもしていて、もっと胸中は複雑なんだと思います。社会制度と関わる部分もあるし。だとすると、訳者あとがきでp250「人種をはじめとした、おたがいの『ちがい』によるわだかまりは、心のもちようで、なくしていけると言えるのではないでしょうか」という訳者のあとがきは、すばらしいけどちょっと安易で気になりました。

しじみ71個分:私も最後にひとこと付けたしたいです。たしかに簡単に克服できない問題もありますが、投げ出さずに考え続けることが大事ということが伝わればいいのではないかなと思います。文中に、投げ出さないのがぼくの誠実さだという、ゲイブリエルのことばがありますが、私はこのセリフが好きです。難しい物事への向き合い方をとてもよく言い表していて、本当に大事なことだと思いました。

(2024年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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2023年12月 テーマ:「生きている人にしかこの世界を良くすることはできない」って本当?

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『2023年12月 テーマ:「生きている人にしかこの世界を良くすることはできない」って本当?』
日付 2023年12月19日
参加者 ネズミ、ハル、ルパン、アカシア、エーデルワイス、きなこみみ、アンヌ、wind24、しじみ71個分、さららん、サークルK、ニャニャンガ、シマリス、雪割草
テーマ 「生きている人にしかこの世界を良くすることはできない」って本当?

読んだ本:

『ゴースト・ボーイズ〜ぼくが十二歳で死んだわけ』
原題:GHOST BOYS by Jewell Parker Rhodes, 2018
ジュエル・パーカー・ローズ/作 武富博子/訳
評論社
2021.04

〈版元語録〉12歳のジェロームは、オモチャの銃で遊んでいるところを警官に撃たれる。ゴーズトになったジェロームが、自分の家族の悲しみ、周りにいるほかのゴースト少年たちの過去、発砲した白人警官の家族の苦しみなどを学んでいく魂の旅が描かれる。ブラック・ライブズ・マターの運動が広がりを見せるなか、アメリカの根深い差別問題を描いた問題作。「生きている人にしか世界は変えられない」という作者のメッセージが心に刺さる。
普段着の魔女が黒猫といっしょにホウキに乗って空を飛んでいる
『にわか魔女のタマユラさん』
伊藤充子/作 なかしまひろみ/絵
偕成社
2022.10

〈版元語録〉並木通りにある喫茶店の店主タマユラさんはある日、ちかごろよく店にくるおばあさんから黒いカバンを預かりました。その中身は魔女の持ち物セットで、タマユラさんにはふしぎな力が宿り…。心あたたまるお話。

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にわか魔女のタマユラさん

普段着の魔女が黒猫といっしょにホウキに乗って空を飛んでいる
『にわか魔女のタマユラさん』
伊藤充子/作 なかしまひろみ/絵
偕成社
2022.10

シマリス:ほんわか、ユーモラスな場面が随所にある楽しい物語でした。特に、タマユラさんをハトだと思い込んでしまうカレー屋の店主さんがかわいかったです。これは、「おみせやさんシリーズ」の1冊なのですね。このシリーズを他にも読んでみたいと思いました。ただ、余計なツッコミかもしれませんが、ネコにミネストローネを飲ませるのは、現実世界ではやってはいけないことなんですよね。ミネストローネには通常タマネギが入っていますが、ネコはタマネギ中毒で大変なことになってしまいます。だったら、ネコがエサには見向きもせず自分からミネストローネを飲んじゃう、というようなファンタジックな展開にしたらよかったのにと思いました。

 ニャニャンガ:喫茶店が舞台でおいしいものが出てくるし、不思議なようすもあり、安心して読める楽しい作品ですね。子ども楽しい読書体験ができるんだろうなと想像しました。ただ、それ以上でもそれ以下でもないなという印象です。

ルパン:楽しく読みました。今回みんなで読んだもう1冊がとても重くてつらいお話だったので、バランス的にもよかったです。主人公はどうして「タマユラ」さんっていう名前なんでしょうね。

きなこみみ:「たまゆら」って辞書でひくと「幾つかの球が触れ合って出すかすかな音の形容だと解釈されている。」「(振り返って思い起こせば)その状態が、ほんの短い間の、はかないものであること。わずかな時間の意味」(新明解国語辞典)とあります。古文の用例で使われていることが多いです。

アカシア:私が調べた中には、「魂が揺れる」というのもありましたよ。

さららん:安定したお話づくりだなって、思いました。名付けによって、魔法が使えるようになるのも定番で、中学年の子どもたちが楽しく読める本なのだと思います。ただすごく新しい感じはしなくて。描写が何か所か、少し粗いように感じました。例えばp12で、「ポン、ポン、ポン、ポン」と、何かがカバンから飛び出すのですが、鍋とほうきと、植物と猫がポンポンという擬音で出てくるかなあ。挿絵のおかげで、状況はよくわかるようになっていますが。またp138で、タマユラさんは野バラのしげみに落ちて、トゲのせいで傷だらけになりますが、ここもトゲの出し方がちょっと唐突な気がします。実はいちばん考えこんでしまったのが「バタチキカリ」の章。ハトがタマユラさんのお店にやってきて、バタチキカリを食べたがっているおじいさんの話をします。そして、タマユラらさんがまずそのバターチキンカレーを作るのですが……ハトも鳥ですよね? 鳥が鶏のカレーのことを知らせにくるかなあ……豆のカレーじゃ、だめだったんでしょうか。ハトが食べられることはないと思うのですが、妄想に悩まされました。

ネズミ:さらっと読みました。3、4年生の読み物としては、こんなふうに明るく楽しそうなものが喜ばれるのかなと。クラゲの章で、探している女の子の家がすぐ近くだったり、ヨルさんをさがしにいく章で、落ちたところですぐにヨルさんに会えたり、都合よくいくところがポツポツありましたが、そういうものなのかと思いながら。ただ、表紙の絵で、カバンの口があいているのは、よいのかなと疑問でした。あいていても物は入るのだろうかと気になりました。奥付の絵では閉まっています。

しじみ71個分:楽しいほんわかしたお話で、読みやすかったです。ジェンダー的に問題ありの感想だと自分でも思いますが、表紙も柔らかい色彩で、「小学生の女の子たちが喜びそうな感じ」じゃない?と、つい思ってしまいました。「ふしぎすてき」というタマユラさんの決まり文句もちょっとかわいいですし、猫やてんとう虫、おまけにほうきやカバンまで、にわか魔法で会話できるようになり、それで問題解決していくというのもいいです。また、タマユラさんが、「わたしは魔女のものをあずかっているだけのおばさんです」とおばさん宣言するのも親近感がわきます。ヨルさんが帰ってきて少女になってパンケーキ屋さんを手伝うのも明るい終わり方でいいですね。楽しいなあと思って終わりました。はい、そんな感じです。

雪割草:楽しく読みました。ただ、子どもの読者が親しめるかどうかは少し疑問です。私も小学生のとき、「わかったさん」や「こまったさん」のシリーズを好きで読んでいましたが、メアリー・ポピンズのようなバッグを持って、ジジのような黒猫がいて、たまゆらさんは30代でしょうか、喫茶店も昭和っぽく、子どもの読者にとってはおばさんに感じるかもしれないと思います。ノバラの上に落ちる場面は、大変なことになっちゃったと思いましたが、大丈夫だったようで驚きました。

きなこみみ:さらっと読みやすい作品で、タマユラさんが、黒猫だけではなくて、道具にも、カラスやハトにも名前をつけて友だちになっていって、それぞれに居場所ができるっていうのが物語のいいところかなと思って読みました。いちばん好きなところは、タマユラさんがいろんな動物たちと友だちになるんですけど、使い魔のネコですらしばらない。ヨルさんは、魔女らしく、魔女として、というところにこだわって、自分をそのなかに閉じ込めていたように思うんですが、最後にそんな思い込みから解放されるのもいい感じです。気になったのは、クラゲを水ごとカバンに入れて運ぶところがあるんですが、海水をそのままカバンに入れたら、臭いし、あとが大変なことになるんでは、と思ったところと、タマユラさんは、ヨルさんに魔力を分けてもらったんですよね。それで動物やいろんなものたちとも話が出来るようになったのに、ヨルさんはそんなタマユラさんがうらやましい、と思うんです。ヨルさんは、自分の魔法では動物たちと話せなかったのかなと、その設定が気になりました。でも、子どもたちも楽しめる楽しい作品だと思います。

アンヌ:私も、黒カバンはメアリー・ポピンズの絨毯のカバンに似てるなとか、名前が支配するという考えは、日本の平安時代やル・グィンの「名前の掟」(『風の十二方位』ハヤカワ文庫)とかにもあるなあ等と、最初はあれこれ難癖をつけながら読んでいたのですが、昭和の喫茶店のようにお茶とお菓子をサービスしてくれたり、おいしいカレーの作り方を鍋が覚えていてくれたり、この物語の世界は居心地がいいので深く考えないで楽しく読んでいきました。ただ、なんというか大団円というか、最後にもう少し一種の謎解きのような盛り上がりがほしかったな。ヨルさんがいきなり少女になって現れるのなら、その正体とか、どうして魔女になったのかとか、何か納得のいく説明で終わってほしかったと思います。

wind24 : お話の中に出てくるモチーフは身近にあるものばかりなので、子どもたちも読みやすいのだろうと思います。魔女のヨルさんの道具を受け継いだタマユラさんがそれぞれの道具に名前をつけると道具が魔力を持つところは、昔話の中でも魔力のある登場人物の名前を当てるとお話が展開するパターンがあるので興味深いと思いました。おしまいのところでおばあさんと思っていたヨルさんが若い女の子で登場しますが、それには疑問が残りました。かわいいおばあさんで登場してほしかったな。全体を通して、道具に頼ってお話が進む印象があり、何をテーマにしているのか、子どもに何を伝えたいのかが掴めませんでした。

きなこみみ:だれを対象にしたのかわからないというのはどういうことか、もうちょっとくわしく教えてもらっていいですか?

Wind24:タマユラさんは30台後半の大人ですよね。それで、子どもが気持ちをよせられるんだろうかと疑問に感じたんです。

アカシア:たしかに楽しいお話で、私もさらっと読んだのですが、佳作ではあるけれど傑作とは言えないかと。お話にあまりオリジナリティがないという点と、文章がありふれていて、「立っていない」という点が残念です。それと、ご都合主義(子どもだまし)的な箇所もいくつか見受けられました。たとえばマサラさんですが、いつも通っていたカレーの店のマスターで外国ルーツの人なら、おぼえているのではないかと思いました。それに車椅子だったのに、急にしゃきっと立ってカレーを作り始めたりします。ヨルさんの存在も今ひとつよくわからない。物語世界がもう少しきちんと構築されていたらよかったのにね。子どもに楽しいのはいいですが、作る方はもう少しきちんと作ってほしいです。

ハル:私もみなさんにうかがいたいと思っていたんです! ハトがバタチキカレ(バターチキンカレー)というところ。こういった、動物と会話ができる系の物語の中の食事に、動物、特に同じ種類の肉が出てくるのは、なんというか、アリなものですか? そのほかは、全体的にホッにわかとするお話で面白かったのですけれど、いまどき、魔女=腰の曲がったおばあちゃんというのがお決まりのように描かれているのはどうなんだろうと思いましたし(読者は魔法少女系のお話にもいっぱい触れているでしょうから)、ラストでその正体は若い娘さんだったとなったらなったで、なんでおばあさんのままじゃダメなの?と思うし、天邪鬼のようですが、どういう意図でそういう設定にしたのかな?と不思議に思いました。

エーデルワイス:サークルKさんが、安房直子に師事した作者だと教えてくださり、安房直子ファンとしては読む前から興味を持ちました。タマユラさんの名前も古風で好きです。植物の名前や木、モッコウバラ、クスノキと具体的に固有名詞を出すところ、キンツバ、オハギなど子どもたちが具体的に名前を知るきっかけになるだろうと思われ、好感が持てます。

サークルK: この本を選んだのは安房直子さんのお弟子さんということで興味がわいたことと、もう1冊の『ゴースト・ボーイズ』があまりにつらい内容なので、両方を読んだら気持ちのバランスを取ってもらえるのではないかと思ったからです。物語そのものはかわいらしい挿絵に助けられているところが大いにあり、古風なタマユラさんや相棒の黒猫キンツバ、カラスのオハギがほんわかとページに登場するたびに心が明るく温かくなりました。
バランスをとるという気持ちが先に立ち、テーマ「生きている人にしかこの世界を良くすることはできない?」を後からやや苦し紛れに考えたので、メンバーのみなさんから質問が出たのは無理もなかったかもしれません。「生きている人にしかこの世界を良くすることはできない」(『ゴースト・ボーイズ』p226)をそのまま引用しました。今生きている私たちがお互いへの「怖さ」を乗り越えて、「怖さ」をなくすことができないにしても問答無用の身勝手さで相手の命を奪うようなことを決してしてはならない、という警句にうなずくのもさることながら、本書に登場するような言葉を持たない動植物や無生物の台所道具たちがタマユラさんの力になり、身の回りの困りごとを解決していくというありえっこないファンタジーにひそむ救いも見過ごせないのではないかと思います。自分の力ではどうすることもできない災害などにあった場合、ふだんから使いなれている道具や目に入る植物や動物たちが心を落ち着かせて和ませてくれるという時間はあると思います。今回のテーマにはそんな気持ちを込めました。

(2023年12月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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