『ゼバスチアンからの電話[新版]』
原題:EIN ANRUF VON SEBASTIAN by Irina Korschunow 1981
イリーナ・コルシュノフ/著 石川素子+吉原高志/訳 
白水社
2014

版元語録:夫やボーイフレンドの意向ばかり気にする43歳の母シャルロッテと17歳の娘ザビーネ。ある日、母が夫に相談せずに車の免許をとる決断をすることから、それぞれのあり方が変化していく。

レタマ:大昔に読んだけど、内容をすっかり忘れてしまい読み直しました。ザビーネの両親の姿が私の両親とあまりにも似ていて、読んでいると息苦しくなるぐらい。何気ない日常の中でのザビーネの気持ちの動きがこまやかに描かれているところがよかったです。最後に家族全員に変化があるけれど、そこに行き着くまでが長いので、山あり谷ありのストーリーに慣れている子どもには、起伏がなくて読みづらいのかも。前はYAの作りだったのが、今回大人の本として再刊されたのはどうしてでしょう。中高校生では読みこなせなくなったから?

げた:福武書店の版で読みました。ドイツでも、すごく(価値観が)古いんだなとびっくりしました。もっとも、原書は1981年の本で30年以上前のドイツのことだから、今はどうだかはわかりませんけどね。ゼバスチアンのお母さんが、ザビーネにゼバスチアンの世話を頼もうと旅行に誘い出すあたりなどは、ちょっと怖いものすら感じましたよ。ただ、最近の若い子たちは束縛されたがっているところもあって、このザビーネのように自分の生き方を貫いていく強さがあるといいなとも思いました。

アカシア:今の若い人たちが束縛されたがっているとは思わないけど、専業主婦が楽だと思っている人はいるかもしれません。楽なほうに行きたいというか。

げた:結果としては同じになってしまうんですよ。だから、若い子たちに読んでもらいたいと思いました。それから、ゼバスチアンっていうキャラクターなんだけど、こういう男っているんですよね。若い女の子にモテて、嫌味なやつが。私はどちらかというとアンドレアスタイプだったんですけどね。

アカシア:白水社版は、せっかく新版にしたのに誤植が多いですね。内容はすっかり忘れていたのでもう1度読みましたが、あまりおもしろくなかった。いかにも古い。ザビーネの恋愛の対象がゼバスチアンかアンドレアスかという2択だけど、今はもっとたくさんのタイプがいるのに。両親の人物造形も類型的。ユーモアがないのもまずい。クソまじめでおもしろくない。トルコ人が出てくるところの書き方にも引っかかりました。今の若い学生が読みたがるとは思えません。作家に言いたいメッセージがあって書いているところが、ちょっと鼻についたりもします。だから楽しくないのかも。

ウグイス:最寄りの図書館には新版は1冊もありませんでした。予算がないからか、旧版が入っている場合には買わないことが多いみたい。訳者やタイトルが変わると買うけれど。原書が出たのが1981年、福武で出たのが1990年。恋愛というより母親からの自立の物語として印象に残る作品で、ヤングアダルトというジャンルが形成された8、90年代には、親からの精神的な自立というのは一つの重要なテーマだったと思います。この黒い装丁も当時はおしゃれで、中学生、高校生ぐらいによく読まれたのだと思いますね。今になってどうして新訳されたのかはわかりませんが……。ザビーネの一人称で書かれていて、時系列どおりに話が進まず、回想シーンが入ったり、気持ちのゆれに合わせて場面が転換していくあたりも、当時は新鮮だったのではないかと思います。

シオデ:たしかに作者の言いたいことが前面に出ていて、今の若い人たちには古いと思われるかもしれないけれど、私はおもしろく読みました。大人の読者には、共感できる部分も多いのではないでしょうか? だから、いま大人向けに出したというのも分かる気がします。新版なのに誤植が多いのは、私も気になりました。

アカシア:あとザビーネがとてもいやなキャラクターよね。

シオデ:弟をのぞいては、みんな、それほど好感を持てるキャラクターじゃないわね。それが、けっこうリアルだと思ったけど……。

アカシア:キャラクターが立体的でないのは、やっぱりイデオロギーが先にあるからじゃないかしら。

夏子:まあ、それなりにおもしろく読みました。ただ最初からずっと、気に入らない気に入らないとひっかかりながら読んでいて、何にひっかかるのだろうと、考えていたんです。結局、イデオロギーが先行しているからだと思い当たりました。ザビーネの母親からの自立と、母親本人の自立、それが平行して描かれているところが、いちばん興味深かったです。とはいえ今読むと古くて、子どもが読んでおもしろいとは思えないなぁ。ティーンエイジャーの恋愛が描かれていて、セックスにひかれているということだってあるはずなのに、そのあたりはまったく無視していますよね。読んでいて「そんなもんじゃないだろう!」と不満でした。

ajian:イデオロギーはたしかに先に立っているし古いところもあるけれど、2歳年下の同僚は、「すごく分かるところがある」と言ってました。ゼバスチアンはいやなキャラクターですが、こういうやつは今もいるので、アクチュアルな感じもこの本は持っていると思います。さっさとそういう男から卒業して幸せになってもらいたいと若い女の子には思っているけど。

夏子:だけどね、ゼバスチアンからすると、「あなたのためになります」という女の子に迫られたら、まるでお母さんがふたりできるみたいで、すごくうっとうしいと思うよ。ゼバスチアンが逃げたくなる気持ちも、よくわかる。

ajian:ぼくやげたさんは男性なのでゼバスチアンに辛口なんだと思う。

夏子:そんなにいやなやつじゃないと思うけどな。

ajian:デートDVとかしそうじゃないですか。

アカシア、レタマ:そういうタイプじゃないよ。

アカシア:サビーネみたいな、お世話します系はどうですか?

レタマ:でも、ザビーネが、相手に合わせようとしてしまって後で悔やんだり、勇気のない自分をお母さんと同じだと思ったりするところは、おもしろかったです。恋人の前で、自分が思っていたことと違うことを言ってしまったりするあたり。

夏子:そうそう、そのあたりはよく書かれている。

:おもしろかった。のめりこんで読みました。ザビーネは、ピルの心配など大人びているところもありますが、その大人っぽさゆえに、免許を取って仕事を得て家計を支えはじめるお母さんの姿や、得意科目以外は勉強しないベアティの男の子っぽさをとてもよく見ています。で、このお母さんは、一昔前っぽいけれど、案外今でもいそう。だから、高卒で就職か大学進学かという悩みは現在とはちょっと違うけれど、古さはほとんど感じなかったです。ゼバスチアンはいやなやつですね。でも、彼はあまり関係ない。最後に、自分から電話をかけるザビーネは、ゼバスチアンかアンドレアスに選ばれるという2択ではなく、自分自身で決めるという第3の選択ができている。立派な成長です。

アカシア:古いと思うのは訳し方のせいもあるのかも。こういうお母さんもゼバスチアンみたいな人もまだいることはいるけど、「〜わ」で終わる口調などはいかにも古い。

レタマ:一つ思い出したことですが、この頃の「電話」のドキドキする感じが、今の人にはわかりにくいかもしれませんね。当時は携帯電話もメールもなく、長距離電話にはお金がかかって、顔を合わせていない時間は連絡がとりにくかったし、電話の会話は家族に筒抜けでしたが、今はぜんぜん違うので。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年7月の記録)