原題:STRANDED by Ben Mikaelsen
ベン・マイケルセン/著 代田亜香子/訳
鈴木出版
2015.06
版元語録:海が好き。夜が大好き。夢のなかなら、あの眠っているような目ざめているようなふしぎな世界なら、風よりもはやく走れる。フロリダの壮大な自然のなか、座礁したクジラの親子を助けた義足の少女コービー。とまってしまったと思っていた人生が、また動きはじめる。
アンヌ:この物語は、いきなり大海原でモーターボートを自由に操る少女、コービーが登場するところから始まります。いきなり、コービーが義足であることや、片足だけ「ひれ」をつけて自由に泳げる場面が描かれていますが、そのことに読み手が慣れる前に、コービーがゴンドウクジラ(以下クジラ)と出会い、さらに出産を手伝うことになりました。そのあまりの展開の早さについていけず、物語にうまく入り込めませんでした。彼女の両親が喧嘩している理由も、いま一つはっきりしないまま離婚騒動が進んでいきます。ニッケル・ジャックとの友情も、学校での孤独な状況も掴めないままどんどん話が進んでいき、やっとコービーの気持ちに沿うことがきたのは、114ページに出てくるマックスが、「このクジラの赤ん坊の出産は昨夜ではない」とぴしゃりと言う場面でした。ここで、初めてコービーの体験やクジラとの友情は、専門家の人たちにとっても特殊なものなのだということが理解でき、コービーの立場に立って物語が読めるようになりました。コービーが、普段義足を着けている足の切断された部分を級友たちに見られてしまう場面。その時に、トレーシーが「コービーの心を見て」と語る場面からは、まるでパズルをはめるように見事に物語が展開していくと感じました。最後、クジラが海に帰る場面はとても美しく、ここでやっと、クジラの姿がちゃんと見えた気がします。コービーとパパのユーモアのセンスはなかなかきつくて、物語にうまく入り込めなかったのは、この感覚の違いにもあるようです。
アカザ:最初のうちは、私も物語になかなか入りこめませんでした。分かりにくいというより、「こういう物語は前にも読んだことがあるけれど、たぶんこんな展開になるんだろうな」という気がして先を読む気分になれず、途中で他の本を読んでしまいました。その後、また読み始めたら、クジラの親子が怪我をするところからハラハラしながら一気に読めました。ユーモアというか、ふざけ方はたしかにきついですね。それと、登場人物に奥行きがないのでは? ニッケル・ジャックにしても、どこかで読んだような……。テスだって、客観的に見れば親切で人のいいおばさんなのに、こんなに嫌っていいのかしら。
レジーナ:野生の生き物や障がいをテーマに書いている、マイケルセンらしい作品です。陸に打ち上げられ、動けなくなったクジラと、義足を使っていることで、いつもどこか窮屈な気持ちでいるコービーが重ねられています。学校では義足を気にして、のびのびと振る舞えないコービーも、海では体の不自由さを忘れ、ヨットを意のままに操ります。またコービーは、みすぼらしい身なりにとらわれず、ニッケル・ジャックと親しくしています。クラスメイトは、コービーという人間を「義足をつけている」ということだけで見ている――少なくとも、コービーはそう思っている。でもコービー自身も、はじめは人間性ではなく、外見で人を判断し、ベッキーをミス・パーフェクトと呼ぶんですね。しかしクジラはそうではなく、クジラと触れあうことで、コービーの心も自由になっていきます。クラスメイトが全員、片足でシャワーを浴びる場面は、描き方によっては嫌な印象を与えるかもしれませんが、さすがマイケルセン! とても好感が持てました。ローラースケート場で、義足をつけたスケートを滑らせたり、魚の頭を枕に入れたりするユーモアには驚きました。
慧:なくした足のこと、両親のこと、クジラのこと。いろんな要素が出てきますが、どれも深められきれずに並んでいる感じです。一番思ったのは、この子は足をなくす必要があったのかということ。何の喪失がなくても、クジラとはふれあえたのではないか、そのほうが、クジラとの関係がもっとクリアになるのではないかと思いました。でも、全体には海のイメージがとてもきれいで、フロリダを想像しながら読むことができました。
マリンゴ: とても好きな物語です。舞台となっているフロリダは前から“憧れの地”でしたし、船が家なんてうらやましいですし、自分用のモーターボートがあるなんて夢みたい、と冒頭から入り込んでしまいました。クジラの臭気が立ち上るシーンも印象的でした。匂いを強く感じさせる小説は、そう多くはないと思うので。主人公がクラスメイトと正面からぶつかるシーンは、アメリカならではの解決の仕方だと思いました。日本の児童文学でこれをやったら、リアルじゃないかもしれません。でも、だからこそ翻訳ものとして面白く読めました。映画化したら、一番“オイシイ”役はニッケル・ジャックですね。日本人がやるなら三上博史さん!と思いました(笑)
ハリネズミ:ぶつかるところが日本と違ってアメリカならではというのは?
マリンゴ:主人公がクラスメイトと、言いたいことをはっきり言い合って和解していくのが、アメリカ文学らしいな、という意味です。日本だったら、こんなふうにパーンとぶつからず、もっと婉曲的にやりとりして和解していくと思うので。
ルパン:主人公が片脚を失ったことが原因で、両親が不仲になるんですよね。でも、そのことを全然乗り越えられていないのが気になりました。クジラを助けたことと、家族のきずなの問題がきちんとリンクしていなくて、ちぐはぐな感じのまま終わるため、読後感がすっきりしませんでした。
ハリネズミ:コービの両親は、これからは経済的にはうまく行きそうなので、家族関係も好転しそうですよね。舟が沈んで保険金も入るし、お父さんも陸で働くことにして契約をとっているし。
アンヌ:そう、船の保険金や、お父さんは建築関係の仕事がたくさんできて、お金の問題は解決していますよね。
ルパン:たまたま経済的にどうにかなりそうだから一緒に暮らそう、という感じですよね。このままでは、「自分のせいで家族のきずなが壊れた」というコービーの罪悪感はなくならないと思います。
レジーナ:物語の中でコービーは成長するけれど、両親はきちんと問題に向き合っていないから、根本的な解決になっていないということでしょうか。
ルパン:そういうことだと思います。要は、家族の問題は何も解決していないし、クジラを助けたことも、そこでは何の役にも立っていない。お母さんも、テスの家がなくなったから仕方なく帰ってきたみたいだし。また家計が苦しくなって、そこへテスが戻ってきたら、お母さんは簡単に出ていってしまいそう。
慧: 寂しかったといいますが、ちょっと唐突ですね。
ハリネズミ:私はベン・マイケルセンが大好きなので期待して読んだのですが、『ピーティ』(千葉茂樹訳 鈴木出版)や『スピリットベアにふれた島』(原田勝訳 鈴木出版)と比べると、ちょっと弱い気がしました。もっと前に書いた作品というせいもあるでしょうが、様々に盛り込みすぎていたり、メロドラマみたいなシーンがあったりね。『ピーティ』や『スピリットベアにふれた島』は焦点が当たる場所がもっとはっきりしていたので、ぐんぐん引き込まれました。同じ時期にジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)も出ていましたね。イルカが登場するばかりでなく(※注:『コービーの海』にでてくるゴンドウクジラはマイルカ科の一種。クジラとイルカの明確な区別はされていない。)、障がいを持った子どもが出てくるし、主人公の家庭が不安定だし、女性の獣医さんも出てくるところなどもよく似ていました。『白いイルカの浜辺』のほうは作家が獣医でもあるので、イルカの吐く息を浴びると黴菌に感染するかもしれないとか、この先海に放すのであれば人間とはなるべく親しくしないほうがいいなど、もっとリアルに描かれていました。
パピルス:僕はこの本おもしろかったです。『クジラに乗った少女』という映画が好きなのですが、この話も同じ年くらいの女の子が、クジラと心を通わせて交流しますよね。主人公の状況や、家庭のトラブルなどいろいろ盛り込み過ぎているという感想もありましたが、YA小説として「このくらいの年齢の子は、こういうことを考えるんだろうな」と思いながら読んだので、気になりませんでした。
(「子どもの本で言いたい放題」2015年10月の記録)