富安陽子/著
福音館書店
2003
オビ語録:きみの学校にも、きっと……!/とつぜん姿を消した校庭の桜の木のゆくえをさぐり、地底の世界に逃げこんだ飼育室のウサギを追いかけ、きてれつ理科実験で教室をワンダーランドに変える。まん丸メガネのふしぎ先生、今日もどこかで大活躍!
カーコ:困ったことを抱えている子のところに菜の子先生が現れて、思いがけないことをするんですよね。今の子って、「これはこうしなければいけない」というような正統派志向が強くて、人の目を気にしがちなんだけど、菜の子先生がふっと違う価値観で日常を見せてくれるところがよかったです。各章とも、開かれた終わり方をしているのも、期待感が残って、うまいなと思いました。スタルクもそうですが、他人を否定しないあたたかさがある。ただ、菜の子先生の絵は、もう少し魅力的にならないものかと思いました。
トチ:菜の子先生って、メアリー・ポピンズみたいね。でも、欧米のファンタジーの亜流という感じはまったくしない。欧米のファンタジーのすてきなところと日本的なものがうまく溶け合ってとてもいい作品になっていると思いました。学校へ忘れ物を取りにいく話なんかも、ちょっと学校の怪談みたいな怖さもあるし、菜の子先生もなにか得体の知れないところがあって、子どもたちはどきどきしながら読むんじゃないかしら。
愁童:私もうまいとは思いました。ただ、この子どもたちにとって菜の子先生はどういう存在なのか、もうちょっと書き込んでくれると厚みが出たんじゃないかな。桜の木が1本いなくなっちゃうみたいなところはイメージとしてちょっとついて行きにくかった。逢魔が時に職員室に明かりがついているのと、街灯が一つついているのを、どちらも灯るって書かれていたり、バタ足で水を「ひっかぶせる」というような表現には違和感がありました。
アカシア:愁童さんご指摘の部分ですけど、桜の木はプールに満開の自分の姿を映して見てみたいと思ったんですよね。その気持ちは、読者にもちゃんと伝わると私は思います。職員室のところも、先生がいるんじゃなくて化け物がいるのかもしれないわけだから、ぼんやり灯っているというのは違和感がなかった。ただ「ひっかぶせる」はおかしいですね。日本の童話が、どのくらい翻訳されているか調べたら、湯本さんとか角野さんのしか訳されていないんですね。イメージがくっきりしているこういう作品など、もっと翻訳されて外国にも紹介されればいいのに。たしかに、まじめくさっているけど子どもたちに楽しい経験をさせてくれるというのは、メアリー・ポピンズをうまく借りてますね。ただ表紙にあんまり魅力が感じられないし、最後に口絵がついているのもわからない。中の挿絵はあまり違和感がなかったんだけど、この口絵は、はっきりいってよくないですね。
羊:おもしろかった。ひょっとしたら起こるんじゃないかなという気になりました。菜の子先生のきっぱりした感じも好きでしたね。忘れ物をとりにいく話がいちばん好き。
むう:私も、読んでいて最初に連想したのがメアリー・ポピンズです。第二話に登場するうさぎの穴はちょっと『不思議の国のアリス』を思わせるし、あれこれ洋もののファンタジーに重なるところがあるけれど、それが取って付けたみたいでなく、ちゃんとこなれてひとつの世界になっているところがいいと思いました。おもしろかったです。まじめくさっていて子どもにこびず、どちらかというと威張っているような、それでいて子どもがおもしろがる経験をさせてくれる菜の子先生がとても魅力的でした。子どもって、こういう人に妙になつくんですよね。突飛なことが次々に起こるので意外性があって、どうなるのかなと思いながら楽しく読めました。突飛なのだけれど、子どもの想像力に沿った突飛さなのがいい。暗くなったときの学校というのは、なんだかいかにも不気味だという子どもの感じをうまく取り入れていると思いました。夜になって忘れものをとりにいくというのは、わたしにも経験がありますけれど、ああいうときのどきどきする感じをうまくとらえていますね。
紙魚:この作家って、その気にさせてくれるのがうまいなと思います。『学校の怪談』(常光徹著 講談社)系で、そういうこともあるかもと、その気にさせられて、この本おもしろいよと、友だちどうしで借り貸しできる本。ただ、本のつくりがかしこまっているのと、絵がとっつきにくいのが残念です。
(「子どもの本で言いたい放題」2004年10月の記録)