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3人のパパとぼくたちの夏

『3人のパパとぼくたちの夏』
井上林子/著 宮尾和孝/挿絵
講談社
2013.07

コーネリア:こういう男の子いるだろうなって、楽しく読みましたけど、マンガチックな構成で、読み飛ばしてしまって、心に残らなかった。小学生くらいの男の子だとが読みやすいのかもしれません。

レジーナ:タイトルを初めて聞いたときは、ゲイのカップルの物語かと思いました。「やっと日本の児童文学でも、そうしたテーマを扱うようになったか!」と思ったのに、ふたを開けてみたら、シングルファザー同士で暮らしている設定でした。小学6年生が、おぼれている子どもを助けるのは、そう簡単にはできないので、リアリティーが感じられませんでした。また、家出していることに気がつかず、主人公の持っているパンを見て、「朝食を持参しているなんて、用意がいい」と言ったり、「ぐるぐる」という呼び名を本名だと思ったり、夜パパがあまりにもとんでいて浮世離れしているので、ファンタジーの世界に迷いこんだように感じました。主人公は、自ら状況を変えようとはしていない。いわば逃避ですね。リアルな設定なのに、異質な空間が唐突に現れ、主人公はそこに逃げこみ、しばらくの間、現実とは別の時間を過ごす。しかし児童文学では、家出や旅を通じて、それまでと異なる自分になって帰ってくることが大切なのではないでしょうか。たとえば、E・L・カニングズバーグの『クローディアの秘密』(松永ふみ子/訳 岩波書店)では、家出をした主人公は、自分だけの秘密を持って、家に戻ります。でもこの物語では、主人公の中のなにかが決定的に変わったり、成長したりはしない。挿絵の宮尾和孝さんは、ジェラルディン・マコックランの『ティムール国のゾウ使い』(こだまともこ/訳 小学館)や中村航文の『恋するスイッチ』(実業之日本社)の表紙も描いていらっしゃる、今人気のイラストレーターですね。

さらら:ストーリーラインは単純で、言葉も台詞のやりとりで続いていく。映画みたいで、ラノベに似ていますね。目で見える情景が続いていて読みやすいけれど、軽い。家事をやらないお父さんに対する、子どもからの反撃というのは、私が好きなテーマですけど、文体についていけなかった。ちょっと文章のつくり方が粗いのかなあ……。

夏子:状況の設定が秀逸だと思いました。父子家庭の集合体っていうのは、母子家庭の集合体と比べると、今ひとつリアリティーがないでしょ? だから、理想化できるのでは? ほら、ひまわり畑の真ん中にあるという「夢の家」にいるのがオッサンなわけだから、イメージが新鮮になるじゃない。とはいえ「ひまわりの家」のポイントは、朝パパの超楽天的な個性ですよね。「テキトー、ずぼら、いいかげん。でも超ハッピー」で、これはまあ、パターンかな。この個性を、夜パパが讃仰していて、それで共同体ができあがっている。めぐる君も影響を受けて、やがて「うちのお父さんのようなテキトーなやり方もありかも」と受け入れるようになる。よくあると言えばよくある展開ですが、私は楽しく読みました。女の子はペアの天使というキャラですよね。ジャラジャラとアクセサリーをつけているのは、フラワーチルドレンというか、ヒッピー風。深読みすると、お母さんがいないという欠落を、なんとかして埋めたい衝動があるとか? ただイラストが、髪型やらリボンやら正確でなくて、残念です。こういうふうに、登場人物をパターンやキャラで描くところが、ラノベとかマンガっぽいんでしょうね。でも主人公は家出をすることで前に進んだからこそ、「他者を受け入れる」という課題を成し遂げたわけで、なかなか良い本だと思います。

たんぽぽ:どうかなって、思ったのですが、読んでみたらおもしろかったです。3年生ぐらいから高学年まで、よく読んでいます。家出という設定も好きで、主人公の気持ちが自分たちと重なるようです。最後に父親がわかってくれたというのも嬉しいようです。これも食べ物を囲むシーンが度々出てきますがあたたかい気持ちにさせてくれます。

ジラフ:私もうまく乗れなかったくちで。やっぱり、ゲイのカップルかなあ、と思いました(笑)。シチュエーションがちょっと“おとぎ話”みたいで、吉本ばななの『キッチン』(福武書店、角川書店)を思い出しました。『キッチン』は性転換したお父さん(というかお母さん)でしたが、日常の中で、そういうおとぎ話的な場所を持つことでやっていける、生きていかれるということはあるなあ、と思いました。

アカザ:ノリが良くて、最初からすらすら読めました。キラキラした女の子たちが出てきたところで「あれ、これはファンタジーなのかな? ふたりともこの世ならぬ存在で、キングズリーの『水の子』(阿部知二/訳 岩波書店ほか)みたいな展開になっていくのかな?」と思いましたが、そうはならず最後までリアルな作品なんですね。でも、なんだかリアルではない……。登場人物の書き方が記号的で、あまり体温が感じられないからなのか。たしかに主人公も主人公のパパも、家出事件の前と後では心境も変化しているし、成長もしているだろうし、ある意味、児童文学のお手本ともいうべき書き方をしているんだけど……最後まで嫌な感じはしないですらすら読めるんだけど……なにか薄っぺらいというか、心にずしんと訴えかけてくるようなものがなかった。これは、無いものねだりなのでしょうか?

夏子:すらすら読める、というのもポイントだけれど、それだけでいいと思ったわけではなくて、家出という問題解決の方法を、私は評価したいです。

たんぽぽ:4年生ぐらいで読めない子がおもしろいなーって、他の本にも広がるきっかけになれば良いなと思います。

ジラフ:作者のプロフィールを見ると、梅花女子大の児童文学科を卒業して、日本児童教育専門学校の夜間コースで勉強していたそうなので、ひょっとしたら、いい子どもの本の書き方のお作法みたいなものが、知らず識らずのうちに身についてしまっているのかも、とふっと思いました。

カボス:お父さんへの不満ですけど、子どもから見れば大きいんでしょうね。大人から見れば些細なことでも、そう簡単に許すことはできないから。女の子二人が溺れたのを助ける場面は、ちょっとご都合主義的だと私も思いました。私は朝パパのキャラが好きだったんですけど、いつも飛ばしているはずの親父ギャグが途中から出なくなるので、残念でした。なかなかおもしろいシチュエーションで、父子家庭が助け合って暮らすというのは現実にはあまりないでしょうけど、こういう作品が出ると現実でもアリかなと思えてきて、そこがいいですね。

コーネリア:家出とか、お料理ものとか、子どもが喜びそうなものがちりばめられていて、読む間は子どもも楽しめるのですけれど、印象に残らなかったんですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)


負けないパティシエガール

『負けないパティシエガール』
ジョーン・バウアー/著 灰島かり/訳
小学館
2013

さらら:外に飛び出していくことで、だれも認めてくれない自分の才能を発見するという設定が、子どものころから大好きなんです。しかも、お菓子作り、という要素が、食いしん坊の私にはたまらない。主人公が得意なのはカップケーキを焼くことだったり、プレスリー好きのハック(ママの元恋人)が登場したりと、なにもかもとてもアメリカ的な背景で、私もアメリカの女の子になった気分で読みました。下宿先のレスターが、釣りをたとえに、人生ってこんなもんじゃないかと、いいことを言うんですよね。そういうのが非常にうまくからみあっている。いろんな意味で楽しませてもらった一冊でした。

プルメリア:読みやすい。チャリーナさんとの関わりを通じて、言葉を習得していく過程がとってもわかりやすかったです。話せても言葉を理解することは難しいんだなって改めて思いました。子ども(小学校5年生女子)から感想を聞くと「ハックはいやな人」「チャリーナから読むのを教えてもらうかわりに、チャリーナにお料理を教えてあげるのがおもしろかった」「チャリーナが賞状をあげるところに感動した」でした。読書が好きな女子は2時間ぐらいで読み終えていました。

レジーナ:バウアーの『靴を売るシンデレラ』(灰島かり/訳 小学館)の主人公は16歳でしたが、この本では6年生です。しかしその年齢の子どもが経験するには、非常に辛い状況です。シャワーを浴びながら泣いている母親の声を聞く場面など……。ケーキという、人生に喜びを与えるもので、家庭の暴力やディスレクシアなどの問題に立ち向かうというテーマが、とても明確に打ち出されています。チャリーナ夫人からもらった小切手を、自分のために使うのではなく、罪を犯した家族を支える場「手をつなぐ人の家」のために使うのも、好感がもてました。誇り高く、過去の栄光にしがみついている有名人のチャリーナは、E・L・カニングズバーグの『ムーン・レディの記憶』(金原瑞人/訳 岩波書店)を思い出させます。周囲の雑音に惑わされるのではなく、心の中の静けさや平安を守り、自分を大切にするよう語るレスターやチャリーナをはじめ、信念を貫くパーシーや、けちなウェイン店長、プレスリーに憧れ、自分に酔っているハックなど、味のある個性的な人物が登場するので、あまり盛りこみすぎず、人物を減らし、何人かに焦点を当てて、深く描いてもよかったのかもしれませんね。

たんぽぽ:おもしろかったです。6年生が、感動したといっています。お菓子というのも、まず惹かれるようです。チャリーナが登場する場面も、ドキドキしました。母親が、いつも自分を、認めてくれているのがいいです。私自身もそういう子どもに、やさしく、気長にせっしたいと、思いました。

ジラフ:アメリカのアクチュアリティが、すごくよく出ていると思いました。アメリカではいま、カップケーキがとっても流行っているし、イラク戦争でお父さんが亡くなっているとか、DVの問題とか、大人と子ども、それぞれの矜持が描かれているところとか。人生に対してつねにポジティブなアメリカを感じました。それと、食べ物が大きな力になっているところも魅力的でした。以前、研究生活からドロップアウトしてしまった友人が、パンを焼くことでまた生きる元気を取り戻したことがあって、食べ物や料理の持つ力をあらためて感じました。裏表紙にレシピが載っているのもいいですね。この作品についてではないですが、「前向きに生きのびる」というのはしんどい場合もあって、逆に、内向きに閉じることで生きのびられる時もあるかも、ということを、一方で考えました。

アカザ:同じ作者の『靴を売るシンデレラ』も良かったけれど、この作品もすばらしかった。主人公と母親のところにDV男のハックがいつ現れるかと、読んでいるあいだじゅうハラハラさせられて、最後まで一気に読んでしまいました。ディスレクシアの主人公の口惜しさや悲しさも胸に迫るものがあったし、それをカップケーキ作りにかける夢と才能で乗り越えていくというところも良かった。登場人物の描き方が、大人も子どももくっきりしていて、読んでいるあいだはもちろん、読んだ後もしっかりと心に残っています。主人公の身の回りだけではなく、刑務所のある田舎町の様子や出来事も描いているところに社会的な広がりを感じさせますが、良くも悪くもとてもアメリカ的。カニグズバーグに似ているなと思ったのですが、カニグズバーグの作品のほうが、もっともっと世界が広いのでは?

カボス:最初からずっと緊迫感や謎があって、それに引っ張られながらどんどん読めました。おもしろかった。コンプレックスが拭えなくてさんざん苦労したフォスターの複雑な心理が、うまく読者にも伝わるように書けていますね。またSNSやメールではなくて、人間と人間が実際に出会ってお互いに変わっていくというのが、とてもいいですよね。出てくるケーキはどれもおいしそうなのですが、日本の家庭ではもうあまり使わなくなった着色料などが平気で出てくるのは、アメリカ的ということなのでしょうか? p250でレスターがフォスターの父親をほめているところにも、弱さを克服することがすばらしいことなのだというアメリカ的な価値観が出ているように思いました。戦場で勇気をもつということがどういう意味をもつのか、そのこと自体の是非については疑ってもいない。丸木俊さんが近所の子どもたちに「戦争が始まったら、勇気なんか出さなくていいから、とにかく逃げなさい」と言っていたことを思い出しました。

コーネリア:この作品は、物語がものすごく都合よく進んでいくのですが、それが許せるおもしろさがあると思います。文中に、ジョン・バウアー格言が矢継ぎ早に、次から次へと出てきます。私もこの言葉にぐっと惹かれましたが、子どもだったら、大人よりもストレートに入ってくるのではないでしょうか。勇気づけられる作品。

夏子:主人公が12歳にしては大人ですよね。小学生向けの本なのか、ヤングアダルトなのか、ちょっととまどうところがありました。この作家は『靴を売るシンデレラ』にしても『希望(ホープ)のいる町』(金原瑞人・中田香/訳 作品社)にしても、いつも大きな問題を抱えた主人公を描きますよね。今回も、ディスレクシアや、お母さんのつきあっていた男性のDVやら、問題が山盛り。ちょっと教訓っぽいところがあるけど、主人公が自分はどうしたら幸せになれるか、一生懸命考えて、手探りしながら生きていくところがいいですよね。この本では子どもも大人も、奥行きのある人間としてしっかり描かれている。印象的な女優のチャリーナさんが、こちらもディスレクシアとちょっと都合のいいところはあるけれど、それが許せるのは陰影と味わいのある人物だからなんでしょうね。ちょっとカニグズバーグを思い出しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2014年1月の記録)


レンタルロボット

『レンタルロボット』
滝井幸代/著
学習研究社
2011.09

アカザ:とってもおもしろく、すらすら読めました。健太とツトムの気持ちも良く書けていると思いました。子どもたちも、楽しめることと思います。でも、なんだか悲しいお話ですね。ロボットって、結局人間のために作られたものだし、『鉄腕アトム』にも「人間のために犠牲になってもいい」というようなところがありますね。けれども、読者は(子どもだけでなく、わたしも)健太だけでなくツトムにも感情移入して読んでしまうから、なんだかツトムはかわいそう、これでいいのかな?という感じが残ります。それから、お母さんが赤ちゃんの写真を隠したところが、ちょっと分かりにくいですね。たまたま弟が見てしまったので仕方なく、ということらしいのですが、弟のほうには丁寧に説明して、お兄ちゃんには内緒にしておくというところが、なんだか納得いきません。

アカシア:私はp67からのその写真のくだりで、ずいぶんとご都合主義的な話だなと思って、それ行以降楽しく読めませんでした。

アカザ:p69で弟が「ぼく、たまたま見つけちゃっただけなんだ……」って、言ってます。

アカシア:たまたま見つけちゃったにしても、ですよ。最初は設定がおもしろいな、と思ってたんですけどね。それに、ツトムのことをだんだん本当の弟のように思っているのに、しょっちゅう「お店に返すぞ」って脅すのもなんだかいやでした。最後に、お店に返しちゃったツトムのかわりに本物の赤ちゃんが生まれるっていう持って行き方も後味が悪い。しかも最後の最後にツトムに「おにいちゃん、だいすき!」なんて言わせているのも、気分が悪かったです。ペットを手に入れても都合が悪いと返しちゃう人と同じみたいで。

レン:おもしろそうなタイトルだし、ところどころに入っている絵もかわいらしくて、子どもが手にとりたくなりそうな本だと思いましたが、最後のところは物語世界の論理が破綻してるかなと思いました。ツトムを返したあと、みんなの記憶は消されてしまうのに、健太だけは覚えているというのは変じゃないかと。だから、手紙をうけとって涙を流すというのは、いいのかなあと思いました。もうだれのことかわからなくて、だけどどこか懐かしい気もする、というようなことならわかるんですけど。

プルメリア:(遅れて登場)弟ロボットを買うことから始まるストリーで、私はおもしろかったです。クラスの子どもたち(小学5年生)に「弟がほしい人いますか?」と問いかけこの作品の紹介をしたところ、読んでみたいという子どもがたくさんいました。作品を読んだ後の感想が楽しみです。

ルパン:この本は、いただいたときに一気読みした時は「よくできたお話でいいなあ」と思ったんです。こういう話って、最後はぜんぶ夢だったなんて夢落ちにしてしまう傾向があるのに対して、これは一貫してロボットを借りたことは事実だったことになっていますよね。そこが気に入ってました。弟がほしくてレンタルロボットを借りてくるけれど、ほんとうに弟ができたらやきもちをやいたりする、っていう小学生の男の子の心の動きはよく書けていると思いました。

アカシア:レンさんが言われて私も気づいたんですが、たしかにお話の世界に破綻がありますよね。だれも、その点に気づかなかったのかな? 挿絵はとてもいいけどね。

アカザ:SFが好きな子どもたちは、こういう矛盾したところをすぐ見つけますよね。賞の審査員も気づかなかったんですかね?

(「子どもの本で言いたい放題」2013年12月の記録)


ぼくの嘘

『ぼくの嘘』
藤野恵美/著
講談社
2012

アカザ:これを読んだのは、ちょうど特定秘密保護法が参議院を通るかどうかという時だったので、「こんなことを書いている場合かよ!」と、腹が立ちました。誤解のないように言っておきますが、べつに児童文学作家全員が社会派の作家になれって言っているわけではないのです。登場人物の周囲1マイルくらいのことしか書いてなくたっていいし、もちろん恋や友情の話だっていい。別に戦争や原発の話を書けっていってるわけじゃない。でも、大人の作家が子どもに向けて書いているんだから、もう少しなにかがあっていいんじゃないの? たしかに、登場人物の語り口は「いまどき」だし、読者もすらすらと、それなりに面白く読めると思うけど、3:11以降、大人の文学の世界が確実に変わってきていると思うのに、子どもの本の作家がこれでいいのかなあ? 家庭に多少の問題は抱えているとはいえ、女の子も男の子も大金持ちで(服に20万円も使うなんて!)、お父さんは医者で、お母さんも美人で頭が良くって……リカちゃん人形か! いちばんびっくりしたのは、最後の1行です。大人になってからのふたりのこと、なんで書きたかったんでしょうね?

アカシア:会話のやりとりはなかなかおもしろいと思ったし、オタクの男の子が「更新」とか「ストレスゲージ」なんていくコンピュータ用語で心理描写をしているのもおもしろかったんです。ただ、登場人物やシチュエーションが、あまりにもステレオタイプですよね。絶世の美女のレスビアン、オタクのさえない男の子、金銭で解決しようとする父親、表向き完璧主義者の打算的な母親、親友のカノジョが好きになるとか不倫とかもね。それに、大人が書けてないですね。と言うことは、人間が書けていないので、リアリティが稀薄で薄っぺらくなってしまいました。p247には、「生身の人間に慣れてしまったら、情報量の少ないアニメ絵に不自然を感じてしまうのだ」とありますが、この作品自体がアニメ的だな、と思ってしまいました。社会的な視野の広がりがないのも残念です。

レン:私には20歳前後の子どもがいますが、高校生から大学生くらいの若者の空気感はとてもよく出ていると思いました。だけど、それ以上のものは感じられませんでした。私は本というのは、「漫画やゲームや映画のようにおもしろい」ではダメだと思うんです。文学でしかできないおもしろさがないと、がんばって文字を読む意味がない。要するに、読者に何を投げかけたかったのか疑問です。私はむしろ、役割とかキャラの呪縛から読者を解き放ってくれるような物語を読みたいな。

アカザ:すばらしい作品って、登場人物が作者の思ってもみなかったような動きかたをし始める。この作品は、最後まで作者の掌の上にあるって感じ。

プルメリア:読み始めてからすぐ、男の子が屋上で友だちの彼女のカーデガンを抱きしめる場面がうーんって感じ。内容がぐちゃぐちゃしていて、もういいよと思ってしまいました。表紙はインパクトがなくて、あまり好きな絵ではなかったです。

ルパン:ハッピーエンドにしては後味が悪かったです。とくに最後が・・・いきなり30代半ばになっていて、それで唐突に結ばれるわけですけど、その間10年以上も何もないまま経っているわけだし。この展開にはびっくりでした。しかも、この主人公、彼女が不幸になって落ち込むタイミングをずっとねらって待ってたみたいで、ちょっとコワい。高校生の言葉づかいとかはよく描けていると思いましたし、私はけっこうおもしろいと思いながら読んでいたんですが、そもそもこれは児童文学なんでしょうか。子どもや若い人が読むことを思うと、登場人物にはもうちょっと別の成長のしかたを見せてもらいたい気がしました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年12月の記録)


ジョン万次郎〜海を渡ったサムライ魂

『ジョン万次郎〜海を渡ったサムライ魂』
マーギー・プロイス/著 金原瑞人/訳
集英社
2012.06

アカザ:これはもう、話自体がおもしろいから、一気に最後まで読みました。小さいころから、たぶん井伏鱒二の本や、その他の伝記やいろいろ読んできて、知っていることばかりと思っていましたが、アメリカの作家から見た事実というのは新鮮で、興味深かったです。ジョン万次郎が描いた絵や、その他の絵や写真がたくさん入っているところもよかった。作者がちょこっと笑わせようとしているのかなと思うところがあったけど、翻訳はとても生真面目に訳してありますね。

アカシア:捕鯨の様子や、香料を取りに行くときのきつい匂いとか、海の様子なんかは、臨場感もあっておもしろく書けていると思いました。ストーリーもおもしろかった。ただ、ないものねだりですが、万次郎は土佐弁で話していたんでしょうけど、翻訳だから標準語になっている。標準語だとどうしても教科書的になって、やっぱりリアリティとか趣が何割かは抜けてしまうように思います。絵の中にも万次郎が書いた日本語の文字が出てきますが、どこでおぼえたんでしょう? 日本語の読み書きはどこで勉強したのかな? そのあたりを知りたいな。日本に帰ってきたから、おぼえたんですよね?

レン:えらく英雄的でポジティブな人物像ですね。物語全体の流れがよくて、一気に読めました。ただ、外国人の視点で書かれているところを、もう少していねいに訳してくれたらと思った部分や、よく意味がわからない部分がちょこちょことありました。たとえば、77ページの後ろから7行目「戸が開くときのきしみや、閉まるときのやわらかな音の心地よいこと」は、引き戸だと思うんですね。これだと、西洋式の扉と同じように読めそうです。また、78ページで、船長が本を読んで聞かせてくれるところで、万次郎が「きっと詩だろうと思った」とありますが、この時代の漁師の子が「詩」という語を使うのか、疑問でした。300ページの「カエデ」は「モミジ」? 263ページの最後に、写真がぼやけているのを、「まるで、さっさと出かけていくところのようだった」と、たとえているのも、意味がわかりませんでした。180ページの「隕石が落ちたことがありますか?」というのも、この時代の日本育ちの少年がこんなことを言うかなと違和感を感じました。こういう部分は、どこまで翻訳や編集で調整するのか、難しいところですね。

ルパン:私はストーリー的にはとてもおもしろかったです。確かにちょこちょこと気になるところがあることはありましたが。実在の人なので、どこまでが事実なのかなあと思いながら、最後までぐいぐい引っ張られるように読んでしまいました。ただ、日本に帰ってきたときや帰ってからの生涯がほとんど書かれていなかったのが残念でした。日本人のアイデンティティを持っていながらいきなり別世界のようなアメリカで暮らし、今度はアメリカの教育を受けて日本に帰ってくるという激動の人生ですから、帰国してからのbefore-afterももう少し読みたかったです。あとがきの「歴史的な背景について」という最後のところに。女の子が万次郎にもらった花かごをずっと持っていたエピソードがありましたが、こういうことが本編に書かれていたらもっとよかったな。万次郎は二度と日本の土を踏めないかも、母親にも会えないかも、と思っていたでしょうから、帰国したときの驚きや感動がもっと書けていたら、と思いました。

アカシア:この人はその場その時を一所懸命に生きているから、そういう人って帰国しても特段の感動は逆にないのかもしれませんね。

ルパン:ついに日本に帰れる、とわかったときにはどんな気持ちだったんだろうと思うんです。眠れないほどいろんな思いがあっただろうと思うのですが・・・その辺は日本人が書いたら違ってくるかもしれません。あと、これも後書きですが、デイヴィス船長がアメリカの良心を代表するような人だったことが万次郎にとっての幸運だったと書かれていますが、本当に恵まれていたのだとつくづく思います。この善良な船長はほんとうによく書けていますよね。そこはさすがにアメリカ人作家だと思いました。

プルメリア:表紙がすごくいいなと思いました。挿絵もよかったし、地図がのっていたので作品を読みながら参照することができました。文章も読みやすかったです。助けられた船では食事として最初にお米が出て最後にパンが出てくる配慮、船の中でもらった食べ物を箱やポケットにいれて家族のためにとっておく場面などリアリティがありました。中学生でも読めますね。

ルパン:サブタイトルの「サムライ魂」というのは、ひっかかりますけどね。もともと漁師なんだし、そんなものなかったんじゃないか、って。そこはやはりアメリカ人の「日本人=サムライ」っていう固定観念のたまものかな。タイトルにそうあるから、万次郎がアメリカで生きていくなかで日本人としての心情や誇りを捨てきれないシーンがたくさん出てくるのかと思ったのですが、ほとんどなかったですね。お話としてはなくてもいいんですが。ともかく、この『海を渡ったサムライ魂』というサブタイトルには違和感があります。話の内容と合ってない。

アカザ:「サムライ」というところは、わたしもひっかかりましたね。だいたい、ジョン万次郎は、侍に憧れてはいたけれど、武士道の教育は受けてなかったし。アメリカで教育を受けて、自由や平等ということを教わってからは、侍になるのは、それほどの夢ではなくなってきたのでは? アメリカの人たちにとっては、サムライは日本人以上に憧れの的なのかもしれないし、ジョン万次郎がその夢をかなえた、初志貫徹したというのは、いかにもアメリカ人好みの話ではあるけれど・・・。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年12月の記録)


オフカウント

『オフカウント』
筑井千枝子/著 浅妻健司/挿絵
新日本出版社
2013.03

ルパン:残念ながらあまりおもしろくなかったです。章割りのたびに名前が出てくるんですが、別に必要ないですよね。ほとんど峰口リョウガなんですから。いろいろな人の視点で書きたいならまだしも、どうしてこんな書き方するのかなあ。次の章もまた「峰口リョウガ」だからひとり飛ばしたのかと思って前を見たり。そしたらまた次の章も「峰口リョウガ」。その次も。何のためにわざわざ名前を出すのかわからなくて混乱しました。

ハリネズミ:朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』(集英社)も、同じような構成でしたよね?

ルパン:あれは、いろんな視点で書かれてたから。こっちは、まずバスケ部をやめた理由がよくわからないし、戻りたいのかもよくわからない。最初に「何かしたい」と思うきっかけがフットサルのおじさんを見かけたことだったから、それをやりたいという話になるのかと思ったら、そうでもない。ダンスとかジャグリングとか色々出てくるのだけど、感情移入できないし、次はどうなるのかな、というわくわく感がまったくなくて。ダンスシーンも、躍動が目に浮かぶような、リズムがわいて出るような感じがしない。ともかくおもしろくなかったです。

レジーナ:ウィンドミルをはじめ、ダンスのステップの描写が説明的なのですが、イメージできませんでした。牧野の性格が、「おっちょこちょいで、でも頼りになる」というのは、矛盾しているのではないでしょうか。ぽっちゃりしているタモちゃんがダンスをする様子を、「ウーパールーパー」と表現しているのは、思わず笑ってしまいました。会話はリアルで、部活をやめ、うちこむものがない中学生が、何かのきっかけで変わるという、ドキュメンタリー番組にありそうな題材ですが、なぜダンスなのか、ダンスを通して彼らの何が変わったのかが伝わってこないんですよね。ダンスの歴史に触れていますが、主人公に、親や学校への反発があるわけでもありません。ヒップホップは、黒人の人たちの抵抗や自己表現の形なので、そうした芯のようなものを日本人が理解するのは非常に難しいでしょうし、この作品の登場人物を含め、ただかっこいいからという理由で真似る若者が多いのでしょうね。

ルパン:タイトルの『オフカウント』も意味がないですよね。何か対極になる「オン」があって、それに対して「オフ」ならわかるんですけど。「オフカウント」の意味が書いてあったけど、それが何かの伏線になっているとも思えず。オフカウントって、打楽器奏者は「後打ち」とか「裏」とか言うんですが、これで何を言いたかったのかテーマがよくわかりませんでした。

ハリネズミ:会話も、中学生がこんな言い方するのかな、と思うところが随所にありました。小学生かな、と思うようなところも。それに、物語の芯がよく見えません。あと、目線が内にばかり向いていて、外に向かいませんよね。

プルメリア:淡々と読める作品かな。読んでいてもあまりめりはりを感じなく、唯一おばけやしきを作るところはおもしろかったです。だれが主人公かわかりにくくて、読みにくかったです。今風の作品と思いますが、深みはなかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年11月の記録)


だれにも言えない約束

『だれにも言えない約束』
ジーン・ブッカー/著 岡本さゆり/訳
文研出版
2013.03

レジーナ:善意で面倒を見てくれるネリーさんへの態度もひどいですし、「お母さんが、お父さんの病院に連れて行ってくれないのは、お昼代をなくしたことを怒っているからだ」と考えたり、主人公が、あまりにも幼く、身勝手なので、魅力が感じられません。敵の国の兵士と仲良くなるというのが、単なるめずらしい体験で終わってしまっていて、そこから伝わってくるものがないんですね。主人公が教えてもらうのも、なぜ数学なのでしょうか。苦手だったというだけでは、物語の要素として弱い。たとえば、マークース・ズーサックの『本泥棒』(入江真佐子/訳 早川書房)には、字が読めず、言葉を持たなかった少女が、防空壕の中で本を朗読する場面があり、人はどれほど言葉に救われるのかが、心を打つ作品になっています。

ハリネズミ:主人公のエレンは、とても12歳とは思えませんね。自分のことばかり考えて他者に目がいってないし、あまりにも考えなしなので、5歳か6歳にしか思えません。もしかしたら、翻訳の口調が軽くてきついからそう思えてしまうのかもしれませんが。それにエレンは、親の留守に世話をしてくれるネリーさんを「ネリーばあさん」と呼んでいやがるわけですが、エレンのお母さんまで「ネリーばあさん」(p56)と手紙に書いている。お母さんの立場からすると、「ネリーさん」か、せいぜい「ネリーおばあさん」でしょう。これも翻訳のミスなのでしょうか? p58の「窓の外は霧だらけ」も、表現としてどうなんでしょう? p176の「エレン、おまえ……なにか知ってるんじゃないか?」も、この状況でウサギが見つかったときに言う台詞としてはありえない。また、原作のほうにも、問題がありそうです。カールは、絶対に捕虜にはならないと決意しているのに、ナチスの軍服をずっと着たままでいるのは解せません。ストーリーにしても生まれてきた物語というより無理に作った感じです。エレンがもう少し魅力的に描かれてるとよかったのですが、現状では子どもの読者が、表面的な出来事として読むならいざ知らず、感情移入して読むのは難しい。子どもと国家の戦争というテーマだったら、ソーニャ・ハートネットの『銀のロバ』(ソーニャ・ハートネット/著 野沢香織/訳 主婦の友社)、ベティ・グリーンの『ドイツ兵の夏』(内藤理恵子/訳 偕成社)(両方とも絶版ですが)なんかのほうが人間理解という点でずっと深いし、ストーリーもおもしろい。

ルパン:やっぱり主人公に魅力がなさすぎますよね。自分勝手だし。親身に世話をしてくれるネリ—ばあさんにあまりにも失礼。でもまあ、『オフカウント』よりは読めました。とりあえず「ドイツ兵はいつ出てくるんだろう」くらいは気になりましたので。ずいぶんあとまで出てこないので心配にはなりましたが。挿絵はいいですね。エレンの顔がかわいいし。これでだいぶ助けられているんじゃないかな。

プルメリア:戦争当時の状況がわかりやすく描けていると思います。エレンがカールを助ける場面はどきどきしますが、作られた物語だなって思いました。エレンがどきどきしながら見つけたものが、お父さんのコートじゃなくてウサギだった場面は驚きました。5〜6年生だと戦争中でも相手国の人を思いやる心情がわかると思います。表紙や挿絵がよかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年11月の記録)


あん

『あん』
ドリアン助川/著
ポプラ社
2013

ハリネズミ:今日の3冊の中では、これがダントツにおもしろかったです。登場人物もそれぞれにちゃんと立っているし、物語世界もリアル。ハンセン病で全生園に入れられた吉井さんが「聞く」ということができるのは、千太郎にとってはとても重要な意味を持っていたのですが、吉井さんの死後、親友だった森山さんが「トクちゃん、いちいち大袈裟なんです」とか、「トクちゃん、気に入った人が現れると、あれをやってしまうの。小豆の言葉を聞きなさいとか。月がささやいてくれたとか」と言って、美化されたイメージをひっくり返してしまう。そこもすごい。この本はルビもほとんどないから、児童書じゃなくて一般書として出されたのかもしれませんね。でも、中学生くらいから読んでもらいたい本です。とくに、何をしたいのかわからないでいる子どもたちに。

シア(遅れて登場):私は今回の選書担当係だったのですが、とにかく『あん』を読んでほしくて、それでテーマを設定して本選びをしてみました。テーマと、ちょうど読書感想画の課題図書だったので、おもしろくないかもしれないけど『オフカウント』も選びました。『あん』も感想画の課題図書だったんです。『あん』がとてもいい本なので、読み比べるとおもしろいかなと。『オフカウント』は主人公が中学生なんですが、描写がそうは見えなくて。ジャグリングとか部活の内容などで高校生くらいに見えますね。ちぐはぐな印象です。作者が結構お年なのかなと思うくらい学校生活にリアリティがなくて、学校生活を覚えていないのか、取材していないのか、何を見て書いたのかわかりません。これでどんな絵を描けと言うんでしょうね。選ばれた理由が謎ですが、出版のタイミングでしょうか。おもしろいとは言えなかったです。
 『だれにも言えない約束』は、メインとなるドイツ兵がなかなか出てこなくて。真ん中を過ぎてやって出てくるというのに驚きました。敵であるはずのドイツ兵との触れ合いがメインだったんじゃないの、と。それから、登場人物の言葉がキツいです。海外児童文学では結構あるんですが、こういう言葉のやり取りはどうなのかなと思います。戦争ものの話ですが、ミートパイを落としてしまう場面が一番のショックだったくらいです。そんなにおもしろくなかったですね。
 『あん』は本当にいいお話で、皆さんに是非読んでほしい一冊でした。なのに、皆さんが借りようとした図書館が貸出中ばかりで読めていないというのはとても残念です。ハンセン病についての作品で、今ではなかなか知られることのない病気なので、こういう風に子どもたちが触れられる機会が出来るのはいいことだと思います。ハンセン病の吉井さんとの出会いからの流れがとてもよくて、「時給200円でいい」とかびっくりするようなことを言うんですが、世話を頼まれたカナリアはあっさり手放してしまったりとか、行動が読めません。吉井さんは「見えないものを聞く」とよく言っていて、自然の声が自分には聞こえると言っているんですが、後で結局聞こえてなんかいないことがわかるんです。でも、分かった上でのやり取りというのもいいと思います。甘い世界だけじゃないのが見えるというのが、子どもには特にいいなと。以前新聞で読んだことがあったんですが、作者のドリアン助川さんはハンセン病の施設を訪れたことがあって、いつか本にしたいと思っていたそうです。そして本になったのがこの『あん』です。是非読んでいただきたいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年11月の記録)


オムレツ屋へようこそ!

『オムレツ屋へようこそ!』
西村友里/著 鈴木びんこ/挿絵
国土社
2012.01

アカザ:近所の小学校の塀に、6年生の子どもたちが将来なりたい職業を描いた絵が貼ってあるのですが、圧倒的に多いのがパティシエなんですね。子どもたちは食べるのも好きだし、料理にも興味があるので、お菓子や料理をテーマにした本も、いつの時代も人気があるのだと思います。ただし、この本はオムレツやオムレツの作り方が主体になっているわけではありません。お母さんとふたりで暮らしている女の子が、お母さんの仕事の都合で叔父さんの家で暮らすことになり、そこでいろいろな人に出会って、結局自分は自分らしく生きていけばいいという結論にいたる……。一行ずつ行がえしていて、読みやすいようだけれど、もうこういう本は読みあきたっていう感じ。ちょっと見には、ひとりぼっちになった女の子が下町の商店で暮らすようになるところとか、最後が花火で終わるところが、乙骨淑子著『13歳の夏』によく似ていると思いましたが、『13歳〜』のような瑞々しさや、人生の奥底に触れるような、心を揺さぶられるエピソードもなかったし……。とくに驚いたのが、最後に得体の知れない大作家とやらが登場して、女の子の母親の文才を褒めたたえるので、女の子やおばあちゃんたちもびっくりし、しょうもない母親だと思っていたのを見直すという展開。マンガでも、こんなに軽い話はないんじゃないの? その大作家の代表作が「富士山御来光」と「日本海流」という下りで、思わず吹きだしてしまいました。結論として、どうしてこの本を課題図書に選び、大勢の子どもたちに読ませたいと思ったのか、選考委員のご意見をぜひぜひお聞きしたいものです。もしかして、「ひとり親家庭」「障害のある子ども」「母と子の関係」というようなキーワードだけで選んだのでは?

レジーナ:すらすら読める作品ですが、ところどころ、文体が不自然な箇所がありました。p8の「探すんじゃないかと思ってさ」は、「(家を)見つけられないんじゃないかと思ってさ」、p72の「かたづけのわるい子」は、「かたづけられない子」ということでしょうか。作家が、自分の物ではないのだから見つかるわけがないのに、ジャージのポケットの中を一生懸命探す場面は、コミカルでおもしろいと思いました。病弱な子どもの兄弟の心のケアについては、最近、世間の目が向きはじめたように思います。全体としては、すべての登場人物をいい人に描こうとしているのが、残念です。母親にしても、仕事をやめると言った時には、もっと複雑な想いがあるでしょうから、本音をつきつめて描いてほしいですね。底の浅い作品だと、生徒の感想文も、似たり寄ったりになるのではないでしょうか。

メリーさん:子どもを気遣いながら、大きいホテルの料理人をやめて洋食屋をやる家族とそれを尚子の目で描くという物語の大枠はいいと思いました。後半で作家がつぶやく、階段のてっぺんからだけではなく、五段目からの景色もいいのだ、というところなんかも。その一方で、盗まれた体操服を和也と敏也が協力して返そうとするところは、アイデアはいいのですが、その後が何も書かれておらず、残念。そもそも、主人公が親元を離れて居候をし、そこから学校に通うという設定は、子どもたちにリアリティをもって受け止められるのか、ちょっと疑問に思いました。

ハリネズミ:本はその世界の中に入っていって、疑似体験をすることが醍醐味ですよね。その観点からすると、物語世界のリアリティが不足していて、本の中に入っていきづらい。まず主人公のお母さんの悠香さんですけど、こんな人本当にいるのかしら? モンゴルに半年行くのはいいとしても、その後急に続けて北京にも2か月行くことになったり、その後取材旅行は全部とりやめると出版社にも言ったのに、娘の機嫌が直ったらまたすぐ行くことにしたり。こんなライター、社会で通用しないですよね。この人がもっと魅力的に書かれていればいいのにな。作家の宝山幹太郎の存在もマンガならともかく、嘘っぽい。1冊エッセイを書いただけのライターに「あれだけのものが書ける人はそうはいない」なんて言って、わざわざ思いとどまらせるために捜し歩くわけないでしょう。それに敏也君は、幼児のときは身体が弱くて入院していたみたいだけれど、今は松葉杖で歩けるし頭もいいのなら、どうして養護学校の寮で生活しなくちゃいけないの? お父さんもホテルを辞めて家で仕事をしているわけだし、おばあちゃんもいるのに? それに、敏也がバケツで雑巾をゆすいだだけで「危ない」はずはないんじゃないかな。私が購入したのは2刷でしたけど、p61やp67に誤植がまだまだ残っていたのも残念。

アカザ:わたしも、このオムレツ屋さんは、どうしてこの子を全寮制の特別支援学校に入れたのかなと疑問に思いました。一般の学校に行くか、障害のある子どもたちの学校に通わせるかだって、親は相当悩むと思うのに。じっさい、知的障害のある子どもの親が悩むのを、以前に身近で見てきたので……。この本を読んだ子どもたちが、松葉杖で学校に来る友だちに「どうして別の学校へ行かないの?」なんてきくんじゃないかと心配になりました。病気や障害のある子と、その兄弟の関係については、宮部みゆきが『ソロモンの偽証』で、恐ろしいほど深くえぐって書いていました。

プルメリア:あまり心情が伝わらないな、殺風景だなという感じがしました。もっと境遇の厳しい人は現実にはたくさんいます(夜逃げ同然で現れて、夜逃げ同然で去って行くとか)。知的障害がある子どもは支援学校にいくことがありますが、体が不自由だけれども動くことができる子どもは通常学級に通っています。設定がよくわからないです。

ajian:作者の意図が透けて見えて、しかも共感できませんでした。全体的にリアリティに欠けていると思います。ブログを書いているチャイナドレスの女性は、「風変わりな人に出会ってきたが、、なかでもかなり強烈」とありますが、どこがどう風変わりなのかが全然見えません。フリーライターの母親にしても、モンゴルに半年取材旅行に行くとありますが、旅行ガイドを書いている人がそういう仕事の仕方をするだろうか、と思いました。それから和也と敏也のお父さんが、敏也に障碍があって大変だから、ホテルを辞めてオムレツ屋を開いたとありますが、特別支援学校に行っていてお金がかかるのに、果たして実入りのいい仕事を辞めるのかな、という疑問が湧いてきます。街のオムレツ屋ってそう簡単にできるもんじゃないのに。こういうところの造りが甘いと、読む気をなくすんじゃないかと思います。途中で登場する「スパイクシューズ作戦」も、単に敏也が活躍するという状況を作りたかっただけで、何の必然性もないですよね。最後に出てくる作家についても、作家が論語=中国の難しい本を読んでいる、という、この薄っぺらなイメージがさむいです。何より腹が立ったのが、母親が好き勝手やっているのを、この子が最終的に受け入れるように読めるところです。大人のせいで子どもが我慢しなくてはならないというシチュエーションを、当たり前のように書いているのが、いやですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


くりぃむパン

『くりぃむパン』
濱野京子/著 黒須高嶺/挿絵
くもん出版
2012.01

ルパン:飽きずにひといきで最後まで読めましたが、「くりぃむパン」の意味がよくわからなかったです。表題にもなっているので何か特別のいわれのあるものかと思って最後までそれが出てくるのを待っていたのですが、とくになかったので拍子抜けでした。ただの近所のおいしいパンだったんですね。つるかめ堂の立ち位置もよくわからなかったし。下宿という設定はいいですね。漫画家が下宿していて、自分のことがマンガになるというエピソードもおもしろかったです。主人公の未果、いいですね。ためたお金でパンを買って配るシーンはぐっときました。

メリーさん:主人公たちがひいおばあちゃんの部屋へ行く場面、時間がゆっくり進むから、得したような気になる、という感想がいいなあと思いました。それから、漫画家の志帆さんが、実は住んでいる家と家族をすごく気に入っていて、そのことを漫画に描いていたというくだりも。普段見慣れてしまった、ありふれた町や商店街の風景がまた違ったものに見える感じがよく伝わってきました。「友チョコ」、派遣社員の問題、子どもの話し言葉。今の風景を取り入れようとしているのはよくわかるのですが、下宿という設定はどうか。貧困というきびしい現実は厳然としてあるけれど、この設定は今の子どもにとって本当にリアルなのかなと思いました。

レジーナ:ひねくれていて、すぐすねる子どもが主人公なのは、新しいですね。92ページで、未果が、「パンは手軽だから」と言いますが、子どもの言葉遣いではないですね。94ページで、パンをもらった主人公が、「生きるってせつないよね」と言うのは、少し唐突に感じました。『キッチン』(吉本ばなな=著 福武書店)に、朝食のパンをもそもそかじりながら、「みなしごみたい」と言う場面がありますが、パンの独特のわびしさのようなものは、大人だからわかる感覚ではないでしょうか。

ハリネズミ:そこは女の子にありがちな、背伸びをして言ってみたかった言葉なのでは?

レジーナ:それでも、登場人物はきちんと描き分けられています。未果が、すごくいい子に描かれているので、もっと本音にせまる描写があってもいいのではないかと思いました。

ハリネズミ:『オムレツ屋へようこそ!』と似た設定ですが、あちらが全体的に無理矢理作った話という感じがするのに対して、こちらはそれがないので、物語世界にすんなり入って行けます。余計なことですが、p66に「おにいちゃんは、口をとがらせて、おかわりのお茶わんをママに差しだす」とありますが、ご飯をよそうのはいつもお母さんなんだなあ、と考え込んでしまいました。ひと昔前は子どもの本の中のジェンダーにずいぶんとこだわって固定観念を取り除こうとしていましたが、今は出版社側もあんまりそういうことを考えないんですね。

プルメリア:なぜクリームが「くりぃむ」なのか気になりました。お笑い芸人を意識しているのでしょうか? 主人公のようにお金が大好きな子どもはいますが、「守銭奴」という言葉はこどもたちにとってはわかりにくい言葉です。1学期、3、4年生にブックトークで今回の課題図書を紹介した時、「守銭奴」の言葉の意味を教えました。まわりの人々が未果に優しくする気持ちはよくわかると思います。二人の子どもの心情がよく書かれています。謎めいた作家の設定もいいなと思います。お父さんが職をなくしたときに、ためていたお金が入った貯金箱をこわしてパンを買うというところはわからなかったです。

ルパン:やけくそになったんじゃないかな。せっかくお父さんと暮らすためにお金を貯めていたのに意味がなくなってしまったわけだし。

ハリネズミ:店の名前は昔からあるつるかめ堂がクリームパンを売り出したときは、平仮名にしたほうがハイカラに見えたのでは?

アカザ:わたしは、しゃれてるなと思いました。ぜんぶカタカナで書くと固い感じだし、あたりまえになっちゃうのでは?

プルメリア:バレンタインデーに男の子にチョコレートをあげないところが現実的でよく書かれていると思いました。この本は高学年向けのほうがよかったのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


ジャコのお菓子な学校

『ジャコのお菓子な学校』
ラッシェル・オスファテール/著 ダニエル遠藤みのり/訳 風川恭子/挿絵
文研出版
2012.12

プルメリア:3.4年生の課題図書ですが、本を読んで自分が理解していくという喜びは3・4年生にはわかりにくいのではないでしょうか。この作品を5年生に紹介したところ、図書館で本を読んで実際にお菓子を作ってみる過程の楽しさや学習を習得していくことが理解できました。発達段階の違いが出ています。おおらかなおじいさんの登場はどの場面もおもしろかったです。紹介されているお菓子の名前やクッキーのレシピはちょっとむずかしいかな。字も小さいので高学年向けの方がよかったのではないでしょうか。

レジーナ:はじめ、主人公は学習障がいなのかと思いました。

プルメリア:こういう子はいます。なんとなくぎこちない子たちは実際にいます。

メリーさん:自分の好きなことで読み書きや算数を自然に学んでいくというところはいいなと思いました。それから、ミルフィーユが千枚の紙という意味だとか、ババロワが地名だというような豆知識。訳文も一生懸命だじゃれを日本語にしているということがわかって面白かったです。ただ、こういうことは子どもが全部ひとりでできるのかなと思いました。母親が全く出てこなくて、電話でおじいちゃんのアドバイス、というのはリアリティーがないような。中学生のギャングたちをコショウで撃退するところも同じです。正反対の性格を持つ友だちのミシューとシャルロットも、どうして主人公と仲良くなったのか、書き込んでもらえるともっとよかったと思いました。

レジーナ:あまりにも簡単に、問題が解決していきます。子どもの時、通信教育の勧誘のパンフレットに、「何かのきっかけで急に勉強ができるようになる」という内容の漫画がよく載っていたのを思い出します。訳文が少しぎこちなく、「〜」を多用しているのも気になります。かわいらしいイラストは、子どもは好きなのかもしれませんが、お菓子が、もう少しおいしそうに見えればよかったです。

アカザ:チョコチップクッキーが肉団子みたい。

レジーナ:タイトルを直訳すると「お菓子の学校」ですが、なぜ、あえて「お菓子な学校」としたのでしょうか。「おかしい」「面白い」という意味をこめたかったのかもしれませんが、それも不自然ですし……。

アカザ:するすると楽しく読めて、訳者も一所懸命、原文に取りくんでいるなと思いました。数多いだじゃれの訳など、ご苦労様といいたいくらいです。ただ、ファンタジーだと翻訳物でも自分の世界とまったく違ったものとして読みますが、こういう日常生活を扱ったものは小学生には理解するのが難しいだろうなと思いました。台所の道具のひとつひとつ、お菓子の材料のあれこれも、日本とは違いますものね。対象年齢は中学年ではなく、もう少し上だと思います。これも、作者の意図が透けて見える作品で、最初にアイデアありきという感じ。読んでいるあいだじゅう、この作者は頭で書いていて、心で書いていないという感じがつきまとっていました。教訓的というか、大人の目線で書いている。子どもがどんな感想文を書くのか、読む前にわかってしまうような作品ですね。

ルパン:私は結局読めなかったんですが、今みなさんのお話を聞いていて、『ビーチャと学校友だち』を連想したんですけど……そういう話とは違うんですか?

プルメリア:「ビーチャと学校ともだち」とは、全く違うような気がします。

ハリネズミ:勉強の嫌いな子が、興味あることに夢中になるうちに、いろいろな知識を身につけていく、というストーリーは、大人には魅力的ですよね。でも、結局「勉強しなさいと言いたい」という意図が透けて見えてしまうと、どうなんでしょう? この作品は、そのぎりぎりのところでよくできているのかもしれません。5章のところで、卵の殻もくだいてクッキーに入れちゃってますが、できあがりがどうだったのか書いてないので心配です。

ajian:これも作者の意図は透けて見えるし、ひとりでオーブンまで使って危ないなとは思うけれど、読んだ子どもが、自分でもやってみたくなるんじゃないかなと思いました。子どもの頃に読んだ本で『うわさのズッコケ株式会社』(那須正幹著 ポプラ社)がとても好きだったんですが、自分で計算して利益を出してまた次の材料を買って・・・というあたりが似ているように思います。あと中学生が邪魔をしにくる場面。うまくいきかけていると邪魔が入るというのは一つのセオリーですが、上級生たちにめちゃくちゃにやられて悔しいというのは、自分にもそういうことがあったなあと。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年10月の記録)


鉄のしぶきがはねる

『鉄のしぶきがはねる』
まはら三桃/著
講談社
2011

プルメリア:表紙もよく軽くて良い感触でしたが、読み始めたら金属音が気になってなかなか読みすすめられませんでした。知らない職種なので仕事内容がわかりにくく理解が進みませんでした。わからないなりに読んでいって、中頃になってようやく自分なりの解釈で読めるようになってきて、工業学校の様子もわかり、登場人物も少ないのですがひとりひとりのキャラもわかってきて家族の思いやりも伝わり、最後はコンクールへ向けての熱意も伝わって来て、応援したい気持ちになりました。高校生のときめきもよくわかるし、工業系の話って今までなかったと思うのでお薦めしたいです。これが工業系のお話の第一作になっていくのかなと思いました。

トム:「鉄のしぶきがはねる」というタイトルは、象徴的な感じがしました。ページを開く前、私は板金のこともなにもわからないので、飛沫が跳ねるということからもっと文学的なイメージを広げていたかもしれません。先入観でタイトルに勝手な思い込みを重ねました。考えてみれば赤く燃える鉄鋼炉で鉄が湯のように滾っている映像を見たことを思い出します。内容は工業高校での学びがかなりリアルに語られて、鉄が水のように跳ねる事実からも工業世界の一端をみる気持ちです。若い人がもくもくと何かを作ることに没頭する姿はすがすがしく感じました。それぞれの葛藤や背景はありますが。

アカシア:工業系でも、旋盤は地味だからかあまり児童文学にはとりあげられませんよね。

プルメリア:ロボットや飛行機だったら目立つけど。

トム:技術は一代限りでないこともさりげなく語られています。それから、貧しいなかでノートを盗んでしまう若者。人間の弱さ、弱さを生んでしまうものは何なのか読者の若い人たちはどう感じているでしょうか。時代の背景とか、そのことが他者の人生を狂わせ自分も生涯苦しみを抱えて生きることになる・・・と、若者も大人も一緒に想像力ひろげて考えられたらと思いますが。かなり重いテーマが挟まっていると思いました。

アカシア:ゲームセンターって今もあるんですか?

プルメリア:ありますよ。

トム:登場人物のなかで、大人たちはかなりステレオタイプに描かれているように感じました。若者たちはそれぞれいい味。亀井君、吉田君もそれぞれに色々な出来事を超えて自分の道を歩きだす様子がさわやかに描かれています。どこかで会えるような気がする若者たちです。原口くんは、卒業後インドに旅立つという意外な展開で少し唐突な気がしました。日本の技術とアジア・インドの状況などもう少し具体的に、例えば原口君を突き動かした出来事など描かれていたら彼の情熱がリアルに伝わって原口君に自分を重ねる人がでるかも・・・。最後に「待ってろ」なんて、何だかカッコヨク古風なことを言うのは、突如物語のテーマのハンドルが別のルートにきられた気もしましたが。

ルパン:説明調の文章が多くて、読むのがたいへんでした。レアな世界を紹介したい、という作者の意図が透けて見えるし…。バイトとか旋盤とか、工業用語がたくさん出てくるのですが絵で浮かんでこないから、その分お話に入り込めませんでした。そういうものを文章で表現するのが目的だったとは思うのですが。ふつうに手に取っただけだったら、たぶん途中で放り出したと思うんですが、今日の会の課題だったのでがまんして読み続けたら、そのうち最後のほうでおもしろくなってきました。もっとストーリー中心で描けばよかったんだと思います。工業高校の女の子って、とても魅力的な設定だし。旋盤作りの説明がこんなに前に出ずに、物語の背景として自然に組み込まれていたらなあ、と思いました。全体的にはやはり工業高校の世界のレポートを読まされている感がぬぐえませんでした。さいごに原口君とふたりでインドのかたちを作るジョークを交わすシーンなんかはすごくいいですね。こういうのばっかりだったらよかったな。

レジーナ: 聞きなれない言葉が多く、はじめは少し入りづらかったです。「ものづくり」という、人と少し違うことに魅せられた少女が、おばあちゃんや、人に裏切られても、それでもまた信じようとする原口など、温かな家族・友人の中で成長していく話は、まはらさんらしいですね。「ものづくりは楽しいから、なくなることはない」と原口に言われた心(しん)が、自転車のグリップを握った瞬間、鉄を切った時の感触を思い出す場面では、手の感覚で、はっと何かに気づく様子がよく伝わってきました。コツコツ努力し、硬い鉄の中から形を取り出すというのは、どこか人生にも重なるようです。主人公は、ものづくりとパソコンをよく比べていますが、この部分は必要だったのでしょうか。比較が作品の中で効果的に使われているようにも感じられなかったので……。

ajian:p11の「コンピューター制御」というのは、具体的にはプログラミングのことなのでしょうか。それがどういう状態をさすのかが、今ひとつわからなくて。「コンピューターをやっている」という表現も出てきますが、具体的でないのが、ちょっと気になってしまいました。コンピュータといっても、できること、やれることは千差万別なので、たんに「コンピューターをやる」という表現は、ちょっと大雑把かなと思います。パソコンが好きな子どもが読むと「あれ?」っと思ってしまうかも。

クプクプ:バランスよく書けた本だなと思いました。読後感がよくて、それはたぶん、ジェンダーを越えて道を究めていく話だから。もちろん、女は得だな、という偏見を持つ先生も出てきますが・・・。恋愛だけで終わらない、気持ちよさのある話だなって、素直に思いました。「心出し」とか知らない言葉がいっぱい出てきて、言葉は専門的で独特だけれど、日本語の豊かな世界に出会えました。主人公の鉄を削って形を求める姿が、作家さんが対象を描写するために文体を求め、削っていく様子と呼応していておもしろかった。

ajian:同じ話のくりかえしですみません。p39の「コンピューターに戻れるだろう」も、ちょっと引っかかってしまいました。彼女が「コンピューター」で何をやりたいのか/やっているのか、が今ひとつ伝わってこないです。プログラミングならプログラミングで、何かを学び、身につけるということは、本来世界の捉え方から変わってくるようなことだと思います。欲をいうなら、既に「コンピュータをやっている」彼女が、旋盤に出会うことで、さらにどう変わるのか、それが書かれているともっとよかった。それがなくて、たんに「手作り」の対比として「コンピューター」を置いているだけなら、ちょっと浅い気も。

アカシア:コンピュータ技術を学びたいと思い、手仕事を古くさいと思っていた主人公の心が、機械ではできないものがあると気づいていく過程がうまく描かれていました。工業高校の旋盤技術という、地味であまり注目されないところに焦点をあて、そうした技術をとても魅力的に描き出しているのもすてきです。触覚とか視覚とか、作ったものが浮かび上がるような表現をしようとしていますね。私にはまったく未知の分野ですが、すごいものができていくのがわかります。音とか、金属音もリアルに感じられたし。私は都会で生まれ育って、まわりに工業関係の施設もなかったので、工業高校は勉強が好きではない子が行く学校なんじゃないかって、誤解してました。この作品を読んで、工業高校の魅力がよくわかりました。心と原口の将来を暗示するようなストーリー展開はありきたりになりがちですけど、心も原口も旋盤に魅入られているという側面があるので、ただのありきたりにはなってない。絵や説明はあえて入れずに、勝負しているのもすがすがしいです。わからない部分があっても十分魅力が伝わってきますもの。北九州弁で会話が進んでいくのもおもしろかったな。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年9月の記録)


パンとバラ

『パンとバラ』
キャサリン・パターソン/著 岡本浜江/訳
偕成社
2012

ajian:これはおもしろかったですね。まず「パンとバラ」って、なんてキャッチーなコピーだろうと思って。ストライキの渦中にある人々が、自分たちのほしいものをアピールしようと集まって、英語も充分にできないのに、この言葉を生みだしていく、そのくだりはちょっと泣けてしまいました。後半、ジェイクとローザがバーモント州に行ってからは、ジェイクの嘘がばれるかばれないかという展開が始まるのですが、この辺りは、それより二人が元からいた町はどうなってるんだと気になってしまいました。あとがきを読むと、二人が避難した先がどうしてこの石工の町である必要があったのか、わかるんですが。ちょっと前に、ニューヨークのウォール街で、99%のデモをやっていて。この物語の背景になっている時代より、今ははるかに事態が複雑になっていると思います。企業は巨大化し、多国籍化し、経営者と労働者の格差もますます拡大していて。だから、この物語は、古い時代の物語でありながら、いま読んでも響くものが多い気がしました。あとは、子どもの目線でずっと書かれていて、何が起きているかが、ちょっとずつわかってくるんですよね。それが、ちょうど事態の目撃者の役割を果たしていて、うまいなと思いました。

クプクプ:全然違う世界じゃないですか。別の町の大人たちが、他の町で起きているストライキに共感して、ストが終わるまで自分の町に、食うに困っている子どもたちを引き取って面倒を見るなんて。江戸時代には、迷いこんできた子どもを町の子どもとして育てる制度はあったと聞いていますが、今の日本では考えられない世界ですよね。母親たちも、教会やまわりのサポートがあるからこそ、ストを続けていけるわけです。子どもは社会のものだっていうのは、キリスト教社会の発想なんでしょう。

アカシア:パターソンも宣教師の家庭ですしね。

クプクプ:人間はこんなふうにも生きられるんだなって思いました。みんな、ぎりぎりで生きているけど、人と人との関わりが深い。ジェイクも許されないことをしたのに、受け止めてもらえた。根っこにあるのは、人と人がつながることの意味…主人公たちの生きる状況は厳しいけれど、人間の関係だけを見ると羨ましいぐらい。

アカシア:でもこれって、古き良き時代の労働組合じゃないですか。今だったら、巧妙につぶされると思うし、事はこんなふうに理想的には展開しないだろうなって、私は思ってしまった。だから絵空事みたいな感じがしちゃったのね。今はありえないなって。

クプクプ:そうですね、町長の息子がダイナマイトをしかけるのも、今だったらもっと巧妙にやるかな。理想郷ではないけれど、ある意味、やっぱり理想郷の物語だと思う。そういう時代や人間関係がありえた、ということもふくめて、子どもに読んでもらいたい本です。

トム:とても熱いものが伝わる物語でした。人が不要になって捨てた物のなかで暖をとる・・・誰も見向きもしないところが安息の場ということにまず想像を超えた貧しい世界が見えてきます。働くお母さんたちが、ローザの台所に集まって、どうやって経営者達と戦おうか話しあう場面がありますが、身近な社会で起きることに、おかしいよねって言いあえる仲間があって、連帯してゆく様子がとてもよく描かれていると思いました。現実には、知らず知らずの内に操作されたり、不本意ながら長いものにまかれてしまいがちで、それがもっと大きな問題を生む種だったりすることは誰もがわかっているのですが・・・。ここでは大人も子どもも一緒になって、自分をごまかさずに生きていると感じました。また、その子どもたちや子どもを抱える家族を助けてくれる人がでてくる—かつてのアメリカにはこういう動きがあったのでしょうか。p178の証明書は、本物なのですか? ここでもう一つ印象的なのは、このお母さんの心根。貧しくても日々の暮らしが切羽つまってもちゃんと自分の子どもを見ている。だから預ける先を選ぶ判断を間違いなくしている。それによって子どもは生き延びてまた再会の時を迎えられるのですから。それに比してジェイクのお父さんは、なんでこんな悲しい死に方をしなきゃいけなかったんでしょう。

レジーナ:ローザは優等生の女の子ですが、しだいに自分の頭で考えて正しいことをしようとします。登場人物が魅力的ですね。社会主義者のジェルバーティさんや、ピューリタンの先生など、さまざまな国籍・宗教・立場の人が入り混じった社会は、日本の子どもにはなじみがないので、説明が必要かもしれませんね。パターソンの作品は、『星をまく人』(キャサリン・パターソン著 岡本浜江訳 ポプラ社)のように、人生の暗い部分を描き、救いがあまり感じられないまま終わる話もありますが、『パンとバラ』の結末は、希望がありますね。バラをイメージさせる、赤を基調とした装丁が素敵です。表紙はストライクの場面で、裏表紙に、物干しの洋服と靴が描かれているのも、労働者の生活を表しているようで、しゃれています。p57の「もともと、工場わきでスト破りの見張りなんかしたくはなかったのだ。もとはといえば、そこがみんなの興奮のもとなのだろうけど」ですが、「もと」という言葉を必要以上に繰り返しているので、翻訳を工夫してほしかったです。

アカシア:翻訳についていうと、p19に「一週間分の自分のビール代」ってあるけど、子どもが毎日ビールを飲んでた? で、その金額が「小屋の家賃をはらい、二週間分の食べ物を買える」のと同じ? ちょっとここは、わかりませんでした。p47の「父ちゃんの怒りのはげしさを見たとたん、ジェイクは走りだそうかと思った」は、逃げだそうか、ってことなのかな? p204の「けがしてないだろ?」は小さい子の言葉じゃないかもしれませんね。p208の「やわらかくて、肉が骨からとれそうなチキンの大皿もある」は、まだ見ているだけの段階なので、そこまでわかるのかなあ、と思っちゃいました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年9月の記録)


マルセロ・イン・ザ・リアルワールド

フランシスコ・X・ストーク『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』
『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』
フランシスコ・X・ストーク/著 千葉茂樹/訳
岩波書店
2013

クプクプ:おもしろかったです。マルセロは、特別な学校に行っているけど、お父さんの会社で働くんですよね。アスペルガーだからなのか、自分なりの言葉で、自分の頭で考えて、リアルな世界に迫ろうとするそこに読者も引き込まれて、いっしょにリアルな世界ってなんなのか、見つけていくんです。彼はお父さんの不正を発見してしまうけれど、会社がつぶれるわけじゃない。マルセロの大きな魅力は、自分なりの言葉を積み上げて、一から世界を理解し、世界を創っていくところ。彼をサポートするジャスミンも魅力的な女の子ですね。ふたりとも音楽が大好きで、いつしか惹かれあっていく。ジャスミンの父親のエイモスは、息子のジェイムズが馬にけり殺されてしまったのに、その馬を自分で飼い続ける選択をしています。そんな価値観も、物語に奥行きを与えているみたい。死んだ息子といっしょに、その馬と生きる時間を受けとめていくんですよね。何が正しくて何が間違っているのか。リアルな世界は複雑だけれど、マルセロは自分の耳に「正しい音が聞こえる」こことを大切にしていく。好感の持てる作品でした。

レジーナ:発達障害を持つマルセロは、人の感情や人生には、善悪、嫉妬、本音と建前など、秩序立てることのできないものがあるのだと知っていきます。ジャスミンがマルセロに、訴訟問題にどう関わるか、自分で決めなければならないと話す場面がありますが、生きることが喪失の連続なのは、誰しも同じなんですよね。マルセロは、イステルとの出会いの中で、苦しみばかりの人生をどう生きていけばいいのかという問題にぶつかり、人生に挑もうとします。どんな人にとっても、人生というのは多かれ少なかれ生きづらいものです。この作品の魅力は、発達障害の少年の目を通して描きながらも、すべての子どものための普遍的な成長物語になっている点だと思います。宗教に強い関心を抱くマルセロは、聖書を暗記し、何度も心の中で思い返し、自分のものにしようとし、人間の矛盾を受け入れようとします。ピアノが弾けないことを、「ぼくの心のなかの配線は、ピアノを弾くのに必要なだけの電流に耐えられなかった」と言ったり、その場で思いついたことを「即興で演奏」と表現する独特の言葉づかいも、マルセロ自身も、また彼の目に映る世界も、読者を惹きつける力があります。p151でマルセロは、自分の感情を非常に論理的に分析していますが、アスペルガー症候群の人は、これほど段階を追って考えるものなのでしょうか。またp160に「ウェンデルはどうやって、ぼくの心のなかを知ったのだろう?」とありますが、アスペルガーの人は、人の感情を読み取るのが困難なだけで、感情というものが存在することはマルセロも知っているはずなので、この台詞は不自然ではないでしょうか。

アカシア:本当にリアルな世界とはなんなのか、ということを考えさせられました。お父さんがリアルだと思っている世界は、実はリアルではないのかもしれないと思ったんです。そして著者もそう言いたいのではないかな、と。逆にこの作品では、マルセロの視点から見た周囲の世界がとてもリアルに書かれています。著者が障碍者の施設で働いたことがあり、自閉症の甥をもつことから、つくり話ではなく登場人物にリアリティがある作品になっていると思いました。もちろん、こうなるといいな、という理想も書かれてはいると思いますけど。読者もマルセロに寄り添って物語の世界を歩いていくことができるし、ちょっと臭い台詞も、マルセロが言っていればそう思わないで素直に受け取れる。発達障碍をもった人を主人公にした本だと『夜中に犬に起きた奇妙な事件』(マーク・ハッドン著 小尾芙佐訳 早川書房)がおもしろかったし、目を開かれた気持ちになったんですけど、この本はまた趣が違っておもしろい。本文では「リアルな世界」となっていますが、書名は「リアル・ワールド」なんですね。一つ気になったのは、マルセロは定期的に脳をスキャンされてますけど、どういう方法でなんでしょうか? 普通のCTスキャンだと健康に害がありますよね。

ajian:第3章での父との会話。マルセロの父親は息子のためを思って、法律事務所で働くようにいうわけですが、マルセロにはそれが通じず、かえってストレスに思う。このすれちがう感じは、すごくよくわかる気がして、この辺りからぐっと引きこまれましたね。ラビとの会話は、最初原書で読んだときはちょっと難しくて、読むのに苦労したのですけど、翻訳で読んでみてかなりクリアになって、よかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年9月の記録)


怪物はささやく

パトリック・ネス&シヴォーン・ダウド『怪物はささやく』
『怪物はささやく』
パトリック・ネス /作, ジム・ケイ/絵 シヴォーン・ダウド/原作, 池田 真紀子/訳
あすなろ書房
2011.11

レジーナ:私はこの作品を、翻訳される前に読みました。原書を読むときは、距離をとって冷静に読むことが多いんですが、この作品は違いました。コナーが、不条理な現実に怒っているがゆえに素直になれないことを、「ちゃんとわかっているし、それでいい」と、母親が語る場面など……。電車の中で読みながら、涙が止まりませんでした。圧倒的な力を前に、どうすることもできない深い無力感や、行き場のない憤り、声にならない叫びが、漆黒の深遠で待ち受ける正体不明の怪物との対峙に表わされています。一方、話をするようせまる怪物は善悪を超えた存在です。大きな問いをぶつけ、私たちを根底から揺るがすんですね。そして受け入れまいと抗う中で、怪物は突然、コナーを外側から脅かすものではなく、内側から支えるものに変容します。「12:07」を待つ耐えがたい苦しみのときこそ、最後の恵みのときであり、愛する人がのこすことのできる全てなのだと感じさせます。そのことに、人間はそれぞれの「12:07」を繰り返すことでしか気づけませんが、この物語は、目をそらすことなく勇気をもって、その真実を描いた力強い作品です。人生に対する作者の誠実な向き合い方を感じますね。善と悪、弱さと力強さ、正義と過ち、人間は多面的な存在ですが、それでも怪物が人間に注ぐまなざしは率直で曇りなく、厳しくも温かく、人間に対する作者の信頼そのものだといえます。物語というのは、火を囲んでいた太古の昔からあるもので、そこには真実が含まれているんですね。コナーは怪物に自分の物語を語り、「早く終わってほしい」という本当の気持ちを話すことで、目に見える現実の奥にある真実を知り、自分の物語を生きる、いわば本当の人生を生きはじめます。p40の「わたしが何を求めているかではない。おまえがわたしに何を求めているかだ。」という台詞からは、怪物とは、人間が自ら働きかけてはじめてこたえる存在であることがわかります。p44の「飼いならされない」というのもそうですが、ナルニアのアスランを思い出しますね。冒頭の「その過ちをいますぐ修正することをおすすめする」という翻訳は、少し不自然に感じました。

クプクプ:挿絵と構成に工夫が凝らしてあり、気迫のこもった本だと、まず感じました。挿絵も、集中して見るうちに見えてくるものがあり、物語創りの一端を担っています。母さんの死を前にした少年コナーが、その不安を受け止めきれず、怪物を呼び出してしまう。かならず12時7分に登場する怪物は、「私はこれから三つ物語を語るが、四つ目はおまえが真実を語るのだ」といい、それが物語の外枠を作り上げています。この少年の真実とは、心の中の秘密とは、一体なんなのだろう、と好奇心を強くそそられました。怪物の語る二つの物語の中では、正義だと思えたことが結末でひっくりかえる。タイプは違う本だけれど『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳 早川書房)を思い出しました。意外な結末のほうが、「えっ、こんなのあり? なぜっ」て、読者に考えさせる力が大きく働くのかもしれませんね。そして二つ目の物語のあと、怪物はコナーの現実の中で破壊を行い、三つ目の透明人間の物語では、結末が出る前に怪物がコナーに絡むハリーを殴り飛ばす展開となる。それはすなわちコナー自身の衝動的な暴力を意味していて、ここで、物語そのものが壊れて現実の行動に取ってかわられる。ほんとに上手い作家です。「12時7分」の持つ意味も、最後に符号がぴたっと合うようにできている。ただ、コナーの隠していた真実が、私の予想通りだったことが、残念といえば残念だったかな。異形の者が登場する点、家族の死と生がテーマになっている点で『肩甲骨は翼のなごり』(デイヴィッド・アーモンド著 山田順子訳 東京創元社)に通じるものも感じたけれど、料理の仕方が違いますね。暴力も破壊も描き、人間の心の暗闇、ダークな面にまで踏み込んでいているけれど、葛藤を越えて母さんの死の瞬間を受け入れるまでを、ものすごく丁寧にすくいとっています。めったに無い作品で、感動しました。タイムファンタジー的な部分、時空を越えた物語のスケールの大きさも楽しみました。

夏子:これと『ふたつの月の物語』(富安陽子作 講談社)を2冊続けて読めたということが、よかったです。共通点と違いが見えて、両方の本への理解が深まったという気がします。『怪物は〜』は圧倒的におもしろくて、めったに出会えない傑作だと感じました。最初はやや読みにくかったな。「怪物」というのはつまり少年コナーが感じている恐怖や孤独が樹木の形をとっているのだろう、とつい思って読んでいました。こういう普通に心理的な読み方は、つまんないですよね(と反省)。それにしても3つの物語はストンと心に落ちるものがない、ヘンだなあと読み進んでいくうちにクライマックスへ。コナーは厳しい状況のなかで、疲れています。過大な負担から逃げたい、つまり「早く死んでほしい」という気持ちが心の奥にあって、それが自分で許せない。クライマックスは、私には衝撃的でした。クプクプさんは、コナーが隠していた真実が予想どおりだったと言っておられたけれど、私は予想していなかったのです(笑)。自分で自分が許せない気持ちを持つことがあること、でもその気持ちは心の全てではないわけで、つまり心は多面体なんですよね。この事実が圧倒的な力で迫ってくると同時に、多面体であることを知って、読者も深く慰撫される。子どもたちにぜひ読んでもらいたい本です。ところでこの本は、イラストがたくさん入っています。イラスト入りの小説というのは、斬新な試みですよね。文章はどんどん先を読みたくなりますが、絵はゆっくり見たいという気持ちを起こさせます。つまりイラストのおかげで、本のページをめくる速度が落ちるので、読みに独特なリズムが生まれていると思います。ただ文を縦書きにしたために、絵が裏焼きになっているんですよね。裏焼きになったがために、原書と印象が違っているものもあるように思いますが、皆さん、いかがですか?

ルパン:衝撃的な作品ですね。でも、最終的には、コナーの心の葛藤って、「早く死んでほしい」っていうことだけじゃないって思いました。後ろめたさを感じてるのは確かだけど、「終わってほしい」ということと「お母さんに死んでほしい」っていうことはイコールではないと思います。「行っちゃ嫌だ」ってストレートに言いたくても言えなかったのが、葛藤だったんじゃないでしょうか。「死んじゃだめ」って面と向かって言えない。そっちの方がつらいんじゃないかなって。すべてつらい状況ですね。やっぱり「ぼくを遺して死なないで」って言うのが、この子の本当の気持ちなんだと思います。大人が老人を見送るのとは違うので。母の死と向き合わなければならない子どもの悲しみをリアルに壮大に描いた作品だと思います。

アカシア:怪物は、意識下にあるものが夢として現れるんでしょうね。ある意味、少年が自分でつくりあげているわけなんでしょうけど、主人公の心の中にそういうものが登場する穴があいてるんですね。母と離婚した父親にはまったく理解されず、学校ではいじめられ、面倒を見てくれる祖母のことは好きになれない・・・この少年が、これ以上ないほどの孤独を感じているのがわかります。この絵がなくて文章だけだとまたずいぶんと違った印象になるでしょうね。その絵まで含めて、大した作品です。無意識から立ち現れた怪物ですが、受け入れるところから少年の心も少しずつ解放されていく。他の作家が書き残したアイデアから、ネスはどんなふうにこの物語を紡いでいったのでしょうね。それを知りたいです。

「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


ふたつの月の物語

『ふたつの月の物語』
富安陽子/作
講談社
2012.10

夏子:力のある作品だな、と楽しく読んでいたのですが、最後で拍子抜けしてしまいました。おもしろかったのは、ふたりの性格の違う女の子がビビッドに描写されている前半です。里親に返されてしまい養護施設で育って、心を閉ざした美月と、愛されて育った月明(あかり)。美月がどうやって心を開いていくのかと、期待しました。しかし後半は、事件の謎解きが中心となります。孫を亡くして悲しんでいる津田さんというおばあさんの後悔の気持ちには、充分に共感を寄せることができます。とはいえ『怪物』の感想でも言ったとおり、後悔は、人間の心の一部ではないでしょうか。魂を呼び寄せる儀式をするあたりから、津田さんの後悔が身勝手に思えるようになってしまいました。心を閉ざした子どもが置き去りにされて、津田さんの物語になってしまったようで、そこが不満でした。とはいっても、独特の民俗的な雰囲気のなかで繰りひろげられるサスペンスは、酒井駒子さんのイラストの魅力もあって、楽しかったです。

レジーナ:活動的な月明とおとなしい美月という対照的な双子には特別な力が備わっていて、出自には秘密がある。こういう設定のファンタジーは陳腐になりがちですが、この作品は、最後まで読者をぐいぐい引っぱっていきますね。情景が目に浮かぶように描かれているからでしょうか。サスペンスの要素もあります。取り乱してわめく江島さんの姿は常軌を逸し、山んばのようにおそろしくて、先へ先へと読んでしまいました。結末はひっかかりました。愛する人を失って、それでも生きねばならないのが人生ですし、児童文学もそうした視点で書かれるべきものだとすれば、つらいのはわかりますが、津田さんの選択が「逃げ」のように感じられて……。

クプクプ:美月と月明のふたりを主人公とする世界に、すぐに引き込まれました。孤児院に誰かがやってきて、条件付きで子どもを引き取るという設定や、外界から離れた山荘を舞台にした設定はよく見かけますが、富安さんはお話作りがとにかく巧い! 美月には、人にはわからないにおいを感じ取る不思議な力があって、月明にお調子者のポップコーンのにおいを感じたり、津田さんには悲しみのにおいとして、梅雨のころの雨上がりの地面のにおいを感じたり。そういうディテールの部分で、何度もはっとさせられました。そんな数々の工夫が、全体を豊かにしていますね。また月明は、危ないところまで行くと、別の場所に飛んでしまう力があるんです……。でも自分たちが引き取られた本当の理由を調べていたふたりは、津田さんの悲しみの原因を見つけ、そちらの物語のほうがだんだん大きくなっていく。愛しい孫を死なせてしまった津田さんが、よみがえりのために夜神神社の真神の力を借りようとするんですが、ふたりの祖父も息子を蘇らせようと真神の力を借りていて、ここで話が響きあい、重なりあう。そのあたりが見事ですねえ。津田さんの儀式のなかで、美月と月明はただ石の笛を吹くだけ、というのは、少し物足りない気がしましたが。ふたりのお母さんで、真神の贄となった小夜香がどんな結婚生活を送ったのか、書かれていない部分も知りたいです!

アカシア:おもしろかったです。夏子さんは、美月を「里親に返されてしまい養護施設で育って、心を閉ざした」っておっしゃったけど、そう心を閉ざしているわけではないでしょう? 最初からずっと謎があって、それで読者をひっぱっていくのは、うまいですね。生き返るということについての安易ではない扱い方もいいし、どんでん返しもあって、読者を飽きさせません。私は、美月と月明がふたごだっていうところで、ちょっととまどいました。ふたごである必要があったのかな? それから最後に、景山の目が青く光るという描写があります。とすると、景山は、この子たちのお父さんなんでしょうか? 読み終わってもまだ謎が残って考えてしまうところが、またすごいです。

クプクプ:なにをテーマにしたかったんでしょうね。

アカシア:生と死じゃないでしょうか。

クプクプ:取りもどせない時間かな。

夏子:津田さんを描きこんでしまうと、女の一生になってしまって、すごく重いものになりますよね。わたしはやはり、ふたりの少女を描きたかったんじゃないか、と思います。ただそれがちょっと中途半端に終わった印象です。でも、あの、『怪物はささやく』の迫力とつい比べてしまって、申しわけない。こちらはこちらで充分おもしろく読めるのですが……

アカシア:石笛は、縄文の昔から神事などに使われているんですね。

プルメリア:次の展開が見えてくる部分がたくさんありますが、わかっていてもなぜか読ませる作品でした。二人にはなにかあるって予想を持ちながら、読んだのがおもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


サースキの笛がきこえる

エロイーズ・マッグロウ『サースキの笛がきこえる』
『サースキの笛がきこえる』
エロイーズ・マッグロウ/作 斎藤 倫子/訳 丹地 陽子/絵
偕成社
2012.06

ルパン:最後まで読んでいないんですけど、今までのところで一番気になっているのは、取り替えられて妖精の国に行かされた子はどうなったんだろう、っていうことです。

夏子:そこは、読めばわかるようになっていますよ。アメリカで出版されたのが1996年で、確かニューベリー賞候補になったんですよね。そのころ英語で読みました。でも今回翻訳で読んだ方が、印象がよかったです。まわりから浮き上がってしまう子どもは、今のほうがリアリティがあるのかもしれない。翻訳がだいぶおくれて出版されたおかげで、タイムリーになったところがあるかもしれませんね。

レジーナ:自由な魂を持ち、人間の世界になじめない妖精のサースキは、自分をもてあましているようで、すぐにかんしゃくをおこし、自分でもどうしていいのかわからないんですね。この作品では、荒れ地という土地に力があり、精霊が住んでいて、トポスともいうべき特別な場所です。そうした荒れ地と強く結びついているサースキの、心の奥底に押し込められた不安や孤独が、丁寧に描かれています。この作品の魅力のひとつは、サースキという人物像にあるのではないでしょうか。クモの巣のプレゼントに、けげんそうな顔をした母親に対し、「おばあちゃんにあげる」ととっさに言うサースキは、機転が利き、とても魅力的な女の子です。アンワラもヤノも、とまどいながらもサースキを愛し、バグパイプをもたせてくれます。妖精のサースキには、本来は感情がないはずですが、両親の気持ちにこたえ、恩がえしをしようとするんですね。そのように考えると、これはアイデンティティをテーマにした作品であると同時に、母と子の物語でもあるのではないでしょうか。感情がなく、享楽的な妖精と対比することで、人を愛したり憎んだり、さまざまな側面をあわせもつ人間の複雑さが浮き彫りになっているように感じました。ところで、デビルという名のヤギがでてくるのが不思議でした。悪魔とヤギが結びつくのはわかりますが、自分のヤギにデビルという名前をつけるものでしょうか。

クプクプ:お父さんはお父さんなりに、お母さんはお母さんなりに、サースキのことを愛していて、例えばバグパイプを持たせてくれるところにその愛情を感じました。サースキは、みんなの役に立ちたいと願い、例えばおばあちゃんのために薬草を摘む。お父さんのためには移動するミツバチを必死で追いかける。さまざな薬草に名前があり、薬効があり、ミツバチにはミツバチの生態があり、自然と共に生きる、こんな暮らしもいいなって感じます。異端として生まれた子が、自分の場所をどうやって見つけていくかというテーマとあいまって、時代を超えた作品になっているって思いました。派手ではないけれど、また読む力のない子はお話に入っていくのに時間がかかるかもしれないけれど、読みはじめたら、絶対にいい作品だと感じてくれるはず。

アカシア:いい作品です。まずはなにより、半分人間で半分妖精という存在を、人間の社会の中で描くのは難しいと思うんですけど、この作品では説得力のある描写になっていますね。物語世界にきちんとしたリアリティがある。妖精の世界に行ってしまったお父さんも、その心情がわかるし、「取り替え子だ」と言っているおばあさんのベスも、最後にはサースキに愛情を注いでいる。自然とともに生きているようなタムが、外見にとらわれずにサースキに理解を示すのもいいですね。ベスは最初から勘づいているんですけど、だんだんに確信をもっていく過程、そしてそれにもかかわらずいとしさを感じるようになる過程も、うまく書かれています。音楽の楽しさについても、読者にうまく伝わってきます。今は自分の居場所がないと感じている子どもがかなりいると思うので、そういう子たちの手に渡って読んでもらえるといいな。

夏子:物語世界が美しく構成されていて、作者の力を感じました。そういえば今回読んだ3冊には、どれもおばあさんがでてきて、存在感がありますよね。児童書には魅力的なおばあさんがつきものですが、また3人も増えた!

クプクプ:奇をてらわず、描写がきちんとして、人物像がきわだっていて。力のある作品ですね。

夏子:人間の世界で育った子どもだから妖精の世界には戻れないだろうなあ、と心配していましたが(笑)、放浪の民になる終わり方は、文句のつけようのない素晴らしいエンディングでした。

プルメリア:すっきりした感じで透明感のある作品だなって思いました。挿絵がよかったです。今回の3冊の中では、私は『怪物がささやく』が一番おもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年7月の記録)


シーラカンスとぼくらの冒険

『シーラカンスとぼくらの冒険』
歌代 朔/作 町田尚子/挿絵
あかね書房
2011.09

プルメリア:シーラカンスの登場という作品の設定に惹きつけられました。また、挿絵がいいなって思いました。内気でおとなしい少年の心情に寄り添いながら、話が自然に展開していく。シーラカンスのしぐさがかわいかったです。海底トンネルで上を見上げる場面「世界は限りなく広がっている」ようでいいなと思いました。また、終末に、子どもの未来像がでていたところがよかったです。

レジーナ:シーラカンスが地下鉄に住んでいるのに、だれも気にとめず生活しているという設定にリアリティがなく、違和感をおぼえました。研究所から救出したシーラカンスを自転車のかごに入れて、追っ手の大人から逃げる場面は、映画の「E・T・」そのままですね。

ルパン:出だしは村上春樹っぽいテイストでしたが…。語り手の子どもが妙におとなびていて、小学生だということがしばらくぴんときませんでした。地下鉄にシーラカンスがいる、という設定はユニークだと思ったんですけどね…物語が進むにつれてどんどんつまらなくなってしまって残念でした。

ハリネズミ:最初の部分は、おもしろくて何だろうと引きつける力がありますね。でも、だんだんストーリーに無理が出てきて、残念ながらその力が弱まってしまう。たとえば、保護区といっていながら地下鉄を通しちゃってるし、シーラカンスは銘板があるくらいだから知っている人は知っているのに、これまでは研究する人がいないという設定にも引っかかる。それからファンタジーといっても、この物語の中では現実界とまったく切り離された法則が働いちゃってますよね。シーラカンスが日本語を流暢に話すとか、宇宙空間に飛び出していくというのは、身体構造上無理だと思うんですね。「宇宙に行くには、空を、真上に向かって突きぬけるように飛んでいけばいい」(p108)ってあるけど、子どもだってシャトル打ち上げのシーンなんかをテレビで見てるわけだから、信じろって言っても無理だと思うんです。単体で何億年と生きているとか、プラネタリウムの映像にシーラカンスの若いときの姿が映るのも、どうなんでしょう? これがシーラカンスでなくて謎の生物だったり、舞台が異世界だったりすれば、あまり違和感を感じなかったかもしれませんが。その物語世界の中での決まり事をもう少しきちんと作ってくれるとよかったなあ。

ルパン:「お約束通り」ってわりときらいじゃないんですけどね。おもしろければ。でも、これは残念ながら「お約束」というより「ありきたり」だったかな。最初が良かっただけに、もったいないですね。

ハリネズミ:というより、「お約束」の世界がきちんとできていないのが残念。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年6月の記録)


12分の1の冒険

『12分の1の冒険』
マリアン マローン/作 橋本 恵/訳 佐竹美保/挿絵
ほるぷ出版
2010

プルメリア:図書館で見つけてタイトルがおもしろかったのですぐ読みました。学級の子ども(小学校5年生)にすすめましたが、なかなか読めないようでした。ちょっと読みにくい部分があるのかなって思いました。2冊とも私が読んでから少し時間がたっているのであまりよく覚えていない部分がありますが、鍵がキーワード、体が小さくなること、その時代の社会・生活様式がわかること、トマスが発明家になることなどがおもしろかったです。また、おばあさんの設定が謎めいていました。2巻は、残念ながら1巻に比べて出来事や人物などあまり心に残っていません。

ルパン:翻訳が読みにくかったですね。読みごこちの悪さを感じながら、最後までいってしまいました。ルーマー・ゴッデンの『人形の家』が好きだったから期待したんですけど、これは全然ちがいましたね。正直、おもしろくなかったです。続編もいっしょに借りたんですけど、結局読みませんでした。

ハリネズミ:これも、ずいぶんとご都合主義的なストーリーのつくり方ですね。最初にミニチュアルームの裏に入るときには、たまたまドアがちゃんと閉まっていなかったのだし、2度目に入るときも、たまたまベビーカーの子どもが鼻血を出して警備員がその場を外してしまう。また夜になると美術館の照明は消えるのにミニチュアルームだけはついてるんですよね。p324では、警備員が錠に鍵を差し込んでロックされてるかどうか調べてるみたいですが(誤訳でなければ)、普通はそんなことしないですよね。それから、この子たちがミニチュアルームにあった鍵や本を勝手に持ってきてしまったり、ミスター・ベルの鍵をひそかに持ち出したりするんですけど、あまり気分はよくないですね、目的のためには手段を選ばず、っていうところが。それと、タイムスリップして出会う人たちの個性が立ち上がってこない。ぼんやりとした印象しか持てません。ゴキブリが声を上げるのも、どうなんでしょう。
翻訳もいくつか引っかかるところがありました。たとえばp6に「クレアは卒業を一年後にひかえた高校生で」とありますが、p8では「お姉ちゃんが大学に進学するまで、あと六百三十五日」となっています。p15には「母親のスタジオ」とありますが、画家なんだからアトリエくらいにしないと。またミスター・ベルについてですけど、p20では「美術館の警備員」だけど、p21では「この階の責任者として、ミニチュアルームのメンテナンスを担当している」となっています。警備員は普通メンテナンスを担当しないので、もっと別の訳語にしたほうがいい。p24の「しゃべりこんでいて」とか、p120の「このガラス窓は“フランス戸”も兼ねていて」も変です。p335の「なんて、願うわけにはいかない」は、どうしてそうはいかないのかが、わからない。それと、日本からのおみやげでもらったお弁当箱を日本のミニチュアルームの応接間においてぴったりだ、というところも、日本人が読むとおかしいですよね。
子どもたちがミニチュアの世界で冒険して時間を超えるという設定はとてもおもしろいのですから、子どもには本物をあたえようと思って、もっとしっかり作り、もっとしっかり訳してほしいと思いました。せっかくの素材がうまく活かされていないもどかしさがあります。

レジーナ:p158の戦闘シーンをはじめ、時代の描写が平面的です。タイムトラベルを扱った物語のおもしろさは、そこに生きていた人びとを生き生きと描くことにあると思うので……。ミニチュアルームにつながる扉がどこにあるのか、はっきりイメージできないのは、原文か翻訳に問題があるのでしょう。翻訳についてですが、p113の「その本を書いた人や、所有していた人たちと、いま、会話している……本気でそう信じるんだ」は、「本気でそう思えるんだ」ということでしょうか。p37の「興味、あるもん!」をはじめ、この年代の子どもの言葉づかいとしては、不自然な箇所がありました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年6月の記録)


見習い幻獣学者ナサニエル・フラッドの冒険1〜フェニックスのたまご

『見習い幻獣学者ナサニエル・フラッドの冒険1〜フェニックスのたまご』
R.L. ラフィーバース/作 ケリー・ マーフィー/絵 千葉茂樹 /訳
あすなろ書房
2012.12

ハリネズミ:まず翻訳者の力ってすごいな、と思いました。千葉さんの訳は、『1/12の冒険』と比べると、訳文のリズムからいっても、言葉の使い方からいっても、段違いにじょうずなんじゃないかしら。それに最初から「ありえない話なんだな」ってわかって読めるから物語世界に破綻がないですね。グレムリンのグルーズルっていうのがとても変ですが、登場するどのキャラクターもくっきりとしていて翻訳でもそれが明快なので、はっきりイメージできます。この幻獣学者のおばさんも、とんでもないけど素敵な人だし、おもしろく読みました。それに、訳文にユーモアがありますよね。でも、なぜか図書館にはあまり入ってないですね。タイトルがおぼえにくいのが、ハンデになってるのかも。今日の3冊の中では、とにかくこれがダントツにおもしろかったです。

レジーナ:おもしろく読みました。ミス・ランプトンはひどい人なのに、それに気づかず一緒に暮らしたいと願う主人公は、おっとりしているというか、人がいいというか……。ところでこの幻獣観察の目的は、なんなのでしょうか。

ルパン:とってもおもしろかったです。「しこたま」っていう訳語もツボにはまりました。翻訳がいいですね。こちらは4巻まで読破してしまいました。最後まで「読ませる」作品でしたよ。

プルメリア:場面展開が早く、ぱっと変わっちゃうのが気になりました。

ハリネズミ:そこは、ファンタジーだからいいんじゃないですか。特に気になりませんでしたよ。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年6月の記録)


旅のはじまりはタイムスリップ

『旅のはじまりはタイムスリップ』 (妖怪道中膝栗毛1)

三田村信行/著 十々夜/挿絵
あかね書房
2011.05

プルメリア:登場人物三人のキャラクターがそれぞれ個性的でおもしろかったです。

アカシア:私はステレオタイプだと思ったけどな。

プルメリア:ステレオタイプだけど、それぞれ個性が違うという意味で。

アカシア:このシリーズの、ほかの作品もお読みになった?

プルメリア:4巻まで読みましたが、最初がいちばんおもしろかったです。子どもの大好きな妖怪、笑いが出る弥次さん喜多さん、なぞの虚無僧などが次々に登場してきて飽きさせない。ふしぎなのは子どもだけで旅をするので、設定が不自然だったりするにもかかわらず、いろんなものが登場し、また事件がおきるので、その不自然さを感じさせない。江戸時代の生活のようすが子ども目線でわかりやすく読めます。この作品はエンタメですかね。

アカシア:そうでしょうね。

プルメリア:私は学級(5年生)の子ども達に紹介するとき、見返しの五十三次の地図も紹介しました。

アカシア:この作品、子どもは好きですか?

プルメリア:学校の図書館にはまだ入っていないので、公立図書館で借りてきたのを、たくさんいる希望者にじゃんけんしてもらって貸し出しています。希望するのは、どちらかというと男子が多いです。女の子は青い鳥文庫の「若女将シリーズ」とか「黒魔女さんシリーズ」が多い。今は、テレビでも時代劇の放送があまりないので、江戸時代を学習した6年生の子が読むと、もっとよく時代背景や文化・人々の暮らしがわかると思います。

アカシア:エンタメですけど、作者がベテランの三田村さんなので、安心して読めますよね。舌長姥、朱の盤、蒼坊主、ろくろっ首など、次々にいろいろな妖怪が登場してくるのも楽しい。唐突にやじさん、きたさんが出て来たり、おじさんが子ども三人だけで危険な旅をさせたりするのは、ご都合主義的な設定と言えますが、エンタメなので、まあ仕方がないか、と。印籠、関所、五右衛門風呂など、江戸時代の暮らしについての知識も得られるように物語がつくられていますね。

レジーナ:おもしろく読みました。妖怪の居場所をなくすために、町を明るくしたという設定も、よくできていますね。一度、過去にタイムスリップして、五郎左衛門を捕まえたから、妖怪の被害は現代の歴史に残っていないというのも、筋が通っています。未来や過去を行き来する物語としては、『時の町の伝説』(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作 田中薫子訳 徳間書店)を思い出しました。でも『時の町の伝説』ほど複雑でないので、読みやすかったです。

ルパン:おもしろかったです。ただ、シリーズということに気づかないで読んでいたので、終わりに近づいてきたとき心配になりました。まだまだ旅の途中なのに、って。あとで見たら小さく書いてあるんですけど、わかりにくいなあ。2巻からはどうなっているんだろう。子どもが続編から先に読まないか心配です。あとからつっこまれないように考えたのか、ちょっと先回り的に説明しすぎるきらいがありましたが(p31とか)、それ以外は楽しく読めました。

レジーナ:私も同じ疑問を感じたので、この箇所は必要だと思いました。ただ、教科書のように説明的なので、書き方を工夫すればよかったのでしょうね。

ルパン:三田村さんの作品を小さいときに読んだときは、かなりシュールな感じがしてたんですけどね。それもおもしろかったけど、こういうのも明るくていいですね。著者はかなりのご高齢だと思うのですが、それを感じさせない若々しさがある作品ですね。すごいと思います。

レジーナ:エンタメでも内容はしっかりしているので、勤務先の中学の図書館にも入れたいと思いました。

ルパン:昔は水戸黄門とかテレビで見ていたので江戸時代にもなんとなくなじみがありましたけど、最近はそういう番組も少ないし、見る子もあんまりいないと思います。こういう作品で昔の風俗を知るのもいいんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年5月の記録)


シフト

『シフト』
ジェニファー・ブラッドベリ/著 小梨直/訳
福音館書店
2012.09

レジーナ: p54の「歯ブラシの柄に穴を空けて、荷物を軽くする」や、p147の「コウモリ少年」など、意味の分からないところが、いくつかありました。p137の「ヒルクライマー」に、「山登りサイクリスト」という読み仮名がついていますが、何か特別な意味があるのではないかと読者に思わせてしまうので、ない方がよいと思いました。はく製が苦手だったり、強がっているけど、弱いところのあるウィンの性格が、よく描かれています。いなくなってはじめて、ウィルとの関係を心のどこかで窮屈に感じていたのだと、それまで気づかなかった感情を自覚する場面や、自分たちで友情に区切りをつける最後の場面も、心に残りました。ヤコブと天使の相撲や、旅路を見守る聖クリストファーなど、聖書を題材にしていますね。

ルパン:おもしろかった。時系列が行ったり来たりするので、慣れるまでちょっと時間がかかりましたが。p156にクリス・マッカンドレス事件のことが書いてあるんですが、この作者はそれに触発されてこの作品を書いたのかも、と思いました。何年か前に、その事件を題材にした『イントゥ・ザ・ワイルド』っていう映画を見たことがあるんです。事実に基づいて作られた映画なのですが、わかりにくい事件で、クリス・マッカンドレスはせっかく救われて幸せになれるチャンスがあっても、結局それをふりきってアラスカの荒野に入って命を落としてしまうんです。見てるとイライラするっていうか・・・人の愛に気づかないで、何やってるんだろうって、思うんですが、この作者はその事件に対する世間の消化不良感を、新しい作品にして解決したのかもしれません。もう一つのマッカンドレスの人生を用意した、というか。

レジーナ:若さゆえの傲慢さでしょうか。他者性が欠落しているので、自分がどれほどまわりの人に心配をかけているのか、気づかないんでしょうね。

ルパン:ウィンのこのあとの人生はどうなるんでしょうね。

アカシア:そのうち帰ると書いてありますよ。

レジーナ:展開が速いから、映画向きの作品かもしれませんね。

アカシア:私もおもしろく読みました。さわやかな青春小説ですね。読んでいるとき、本の開きが悪くてすぐ閉じてしまうのが残念。翻訳はp24の「あの子のことはね、自分の息子だったらと思うくらい、お母さんも大好きだけど」の「お母さん」に引っかかりました。母親が自分のことを指して「お母さん」って言うのは日本では一般的ですけど、それを良しとするのかどうかってところに、翻訳者のジェンダー観が出るのかもしれません。日本の女性も、もっと自分を持ったほうがいいと考えている翻訳者は、たぶんこうは訳さない。p25のマーシャルプランは、ただマーシャル大学にかかってるだけじゃないから、注があったほうがよかったかも。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年5月の記録)


サラスの旅

『サラスの旅』
シヴォーン・ダウド/著 尾高薫/訳
ゴブリン書房
2012.07

レジーナ:ダウドは力のある作家ですね。p186で、チャルイドラインに電話する場面で、思わず自分が住んでいた場所を口にしてしまったり、どこかで止めてほしいと願いながら、どうしていいか分からず、自分の本当の気持ちに気づいていないサラスの姿にはリアリティがあります。子どもをよく見て、知っている人の書いた作品ですね。しかし、妥協せずに書いているので、読み手に伝わらない部分があります。p70で、彼女の名前を飛行機で空に描く男の歌を聞いたレイが、「自分の名前が空に描いてあると、想像してごらん」という場面も、よく分かりませんでした。悪い子になろうとするサラスにも、共感しづらく感じました。そうせざるをえなかったんでしょうが、すぐに嘘をついたり、服を盗んだり……。p235に「短くかんだ爪」とありますが、かみ続けた結果、深爪になってしまったということなので、少し不自然な翻訳に感じました。

ルパン:私は、今日の3冊のなかでいちばんよかったです。たしかに最初のところでは感情移入しにくいですが。でも、この子の自分勝手さも感じ悪さも、だんだん絡まった糸がほぐれるように解明していって、親にちゃんと育ててもらわなかったことで傷ついていたこともわかり、親以外の人たちの愛情を得られるプロセスも見えてきて、読ませます。出会った人たちがみんないい人であるところも好感がもてます。菜食主義者のフィルとか。危ないシーンもあるけれど、運良く切り抜けていくし。ラストのp359で、この旅でいろんな人にたくさんのことを教えてもらったと気づくところに好感がもて、感動しました。何かにつけて里親のことを思い出すところも、ふつうの少女らしくてかわいい。レイのことも、「きみの名前が雲になる」と言われたことを何度も思い出しているし。最後はちゃんと里親のところにもどり、読者も安堵感と幸福感を味わえます。『サラス』の今後を想像するのは、『シフト』の続きを考えるよりずっと楽しくてわくわくしました。ウィッグをかぶると別人になるという設定もうまくできています。

アカシア:ホリーは14歳なのに、リアルな現実をまだ受け止められずに母親を理想化しているのが、不思議でした。『ガラスの家族』(キャサリン・パターソン著 岡本浜江訳 偕成社)のギリーも同じような境遇で、突っ張ってます。でも、あっちはまだ11歳で虐待はされてないみたいだから、母親を理想化するのもわかるんですけど。それと、ホリーの内省的な部分がちっとも書かれてないので、最後になって急に内省的になるのがなんだかしっくりこなかったんです。劇画みたいでね。

ルパン:ずっと会っていない母親をどんどん理想化していくのはむしろ自然に思えますが。

アカシア:でも、ホリーの場合は、母親から熱いアイロンを頭に押しつけられるという虐待も受けてる。それなのにここまで理想化できるのかな? ソーシャルワーカーたちも言うだろうし。

ルパン:言われても、受け入れられないんでしょうね、きっと。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年5月の記録)


オレたちの明日に向かって

『オレたちの明日に向かって』
八束澄子/著
ポプラ社
2012.10

サンザシ:保険屋さんにはあまりいい印象をもってなかったんですけど、こういう人もいるんだな、と見方が変わりました。子どもの視点と、保険屋さんの業務日誌の両方の視点から書かれているのもいいなと思います。おもしろく読みました。

トム:ジョブトレーニングにあまりいいイメージを持てなかったのです。例えば幼稚園や保育園に高校生が来ても、短い期間では、どこまでわかってもらえるだろうという保育者の声も聞いていましたし。でもこの物語に関してはいい人との出会いが続いて、すっと読んでしまいました。老々介護が出てきたり、当り屋、シングルマザー、子育て放棄、若者の農業離れ、農業を担う人の高年齢化、過労死、暴力団がらみの保険金詐欺、虐待と、たいへんな問題がたくさん描かれて、それぞれ難しいことばかりなのに、読んだ後気持ちがささくれないのはなぜかな? ひとつひとつの出来事にかかわってくる人たちの温かみに救われるのかも。勇気のジョブトレーニングがベースにありますけど、いろいろな人がそれぞれに一生懸命暮らしを紡いでいる物語とも読めました。「将来何になりたい?」と、大人はよく聞きますけど、聞かれて困る子も多いでしょうね。将来の夢イコール職業と直結させるのは何とかならないものかといつも思います。好奇心の先に何が見つかるか誰にもわからないし、ゆっくりジグザグしながら大人になればいいのに。

レン:お話としてはおもしろく読めましたが、このくらいやさしく書かなければならないのかな、って一方で思いました。車を川に沈めてしまうところでおばあさんと出会うとか、あまりにも都合よくいく部分があって、エンターテイメントだなと思います。八束さんって、もう少し固いイメージがあったんですけど。『青い鳥文庫ができるまで』にも、感動のインフレーションを感じて、中学生が読めるようにするには、このくらいしなきゃいけないのかなと思ってしまいました。ジョブトレーニングは、この10年くらいやっていますね。私の地元の中学校では中学2年生が5日間やっています。事業者もさまざまだし、中学生もさまざまで、賛否両論飛びかっているようです。最近は、中学生か、ひょっとすると小学生から職業、職業って言われるけれど、学校でそこまでやらなきゃいけないのでしょうか? いい意味で刺激を受ける子もいるんでしょうけど。中学生の子が職業を考えるには、いいきっかけになる本だと思いました。

レジーナ:数日間の職場体験でわかることなんて、たかが知れていますし、社会とのつながりを感じるところまでは、なかなかいかないと思います。この作品の主人公は、ジョブトレーニングをとおして、しだいに家族や友人への感謝の気持ちをもつようなりますよね。自分のつつがない日常が、まわりの人たちに支えられて成り立っていると気づくことに、職場体験のひとつの意味があるのではないでしょうか。監督の髪型がくずれたのを茶化して怒られたときに、「バーコードの模様が違っていたらレジが通らない」というせりふには笑ってしまいました。クリスマスにひとりでファミリーレストランに来た子どもに、プレゼントのお願いをされて、お姉ちゃんは保育士を目指したとありますが、赤い服を着たお姉さんがサンタクロースのかわりにプレゼントを持ってきてくれると子どもが考えるのは、不自然です。

ルパン:すみません、今回はこれ1冊しか完読できませんでした。3冊のうち、これだけがストーリー性があるようだったので、まずはこれから、と読み始めましたが、とてもおもしろかったです。よく書けているな、と思いました。リアリティという面では、ここまで中学生におとなが何でもさらけ出すのはありえないのでしょうが、あんまり気になりませんでした。まじめなテーマなのだけどユーモアもあり、エンタメ的なところもあるけれど考えさせられるところもあり。盛りだくさんだけどバランスがいいと思いました。数日間でものすごくいろんなことが起こるのですが、それにわざとらしさや不自然さを感じないですっと読めました。今井さんには幸せになってほしいなあ。あと、事故で亡くなった若い女性はほんとうに気の毒で悲しくなりました。わたしは普通の企業で働いたことがないのですが、たまたま『シューカツ!(石田衣良/著 文藝春秋)』や『何者』(朝井リョウ著/新潮社)とか読んで興味を感じていたので、今回の「仕事について考える」というテーマは個人的にもタイムリーでした。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年4月の記録)


青い鳥文庫ができるまで

『青い鳥文庫ができるまで』
岩貞るみこ/著
講談社
2012

サンザシ:これは、講談社の中の、しかも「青い鳥文庫」編集部プロパーの話だなと思いました。児童書編集部がみんなこうだと思ったら間違い。まず「青い鳥文庫」なので、「かわいい」というキーワードが頻繁に出てくるし、ただ今現在の子どもたちに受けるかどうかが大きな問題になってます。でも、児童書の出版社の中には、「かわいい」では子どもの心の奥までは届かないと思ってるところもあるし、「今の子どもに受けるか」より、「今の子どもには何が必要か」を優先して考える出版社もあるでしょ。クリスマスセールに間に合わせて、売れるように最大限かわいくするというのだから、本でもほかの商品とあまり違わない。それがいけないっていうんじゃなくて、いろいろな本作りがある中の一部だっていうふうに思います。それに、講談社は大出版社なので、いろいろな仕事が分業になってますけど、小さな出版社では、編集者がひとりでみんなやるのよ。それからこの編集者は、とにかく急ぎだということで、著者の原稿の構成や文章について相談しながら改善していくことはほとんどしていない。まあ、この場合は出す本がエンタメだしシリーズなので、最初にコンセプトが決まってるってこともあるんでしょうけど。どっちかというと右から左に流してるって感じです。今はそういう編集者も多くなったけど、もっといろいろやりとりして、本当に質の高いものを生み出そうとしてる編集者もいますよ。それから、p150の「ノックアウトさせるのに」は、「ノックアウトするのに」じゃないかな。

トム:途中、数回休んで一息入れないと疲れて……。きっと読んでいるうちに いつの間にか編集現場にいる気持ちになっていたのかも。その意味では、完成するまでの臨場感があるお話になっているわけですね。モモタはすでに独り立ちした編集者! 実際、編集者になりたい人は少なくないので、そもそも、モモタが編集者になりたいと思った気持ちや、なってからの日々、初めて一冊の本を任された時のことなども語られたら、興味をもつ人も多いのでは、と個人的に思いました。それから「子どもに何を手渡そうか」とみんなで考えたり話しあったりする状況も知りたかったなと。本を投げてはいけない!跨いではいけない!と小さい頃言われたことを思い出しました。今「子どもに受けるのは何か」、「子どもに必要なのは何か」という視点をうかがって、ハッとしています。

レン:子どもの本をよく読んでる人が、とっかかりは「えっ」と思うような本だけど本のつくり方がわかっておもしろいと言っていたので、期待して読んだんですけれど、私にはちょっと期待はずれでした。広い読者層に向けて書くと、こんなにやさしくしなきゃならないのかって。雑誌のようなつくられ方だなって思いました。1冊の本を作るにも、いろんな人たちのプロの技があってできているのを読めば、子どもはこんなに大変なのかって思うのかもしれないけれど、私からすると、これでできちゃうのか、という感じでした。人物も一面的ですよね。

ジラフ:児童文学作品として考えると、今おっしゃったような問題がたしかにあると思うんですけど、子どものための実用書ととらえて、内容をわかりやすく伝えるためにフィクション仕立てにしたもの、と考えれば、けっこうおもしろく読めるんじゃないかな。いま、編集を担当しているフランスのファンタジーを、とある高校の図書館委員の生徒たちに、「スチューデント・レビュアー(先行読者)」として読んでもらっていて、ちょうど今日、ゲラ(校正刷り)を届けたところなんですけど、本づくりの過程のゲラというものに初めて接して、みんな大喜びでした。そんなふうに、さまざまな職業の現場にふれることって、子どもたちにはすごくわくわくすることだろうし、ここに書かれていることは、かなり誇張はあるにしても、取材もよくできているし。プロの仕事の現場の雰囲気を知るにはおもしろいのかな、と思いました。ただ、「出版の裏側がわかっておもしろかった」とか、帯に読者の声が引用されていますけど、読者層はわりと幼いんですね。子どものおこづかいでは、「青い鳥文庫」を月に1冊しか買えないから、売れ筋の本が、同じ月に2冊重なったら困る、なんていうくだりにも、リアリティを感じました。

サンザシ:講談社のような会社だと分業システムがちゃんとできてるから、それがいい意味でも悪い意味でも編集者の守備範囲を狭くしてますよね。小さい出版社だと、本作りの1から10まですべてを見届けて、製版所や印刷所の担当者とも直接相談したり、印刷立ち会いにいったりもしますよ。私自身はそっちのほうが好きだけど。

プルメリア:今までにない本のつくり方で、子どもたちの好きな青い鳥文庫だから、子どもたちは手に取るでしょうね。

レジーナ:本が出版されるまでの過程を、物語としておもしろく描いています。子どもにとって魅力的な装丁なので、軽い読み物しか読まない子どもが知識を増やすためのステッピング・ストーンとしてはよいのでしょうか。「前野メリー」さんは、おそらく仕事に没頭すると前のめりになることから、このあだ名になったのでしょうが、説明がないので、子どもの読者にはわからないでしょうね。セントワーズのようなシステムは、他の出版社にもあるのでしょうか。青い鳥文庫では、ひげ文字の「八」の字は使わないなどの豆知識は、興味深く読みました。37ページで、石崎洋司のコラムが挿入されていますが、物語の流れが妨げられるので、最後に持ってきた方がよかったのではないでしょうか。あとがきで、東北の製紙工場が被災したときの状況に触れていますが、東日本大震災後、紙の値段が上がったのにともない、本の単価もあがったと、出版社の人が言っていたのを思い出しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年4月の記録)


スティーブ・ジョブズの生き方

『スティーブ・ジョブズの生き方』
カレン・ブルーメンタール/著 渡邉了介/訳
あすなろ書房
2012.03

サンザシ:まだ全部は読めてないんですけど、前半を読むかぎりジョブズはすごく嫌な奴ですよね。こんなに鼻持ちならない人だとは思わなかった。この後魅力が出てくるのかな?

トム:天才肌と一言で括れないし人格的にどうとらえたらいいのか……。20歳で、アップルコンピュータをたちあげた時、一緒に仕事をしたウェインはジョブズを竜巻と言っていますが、ほんとうに竜巻のように周りを巻き込んで遠く運んで行く激しさと、その一方で内面的には強い不安を抱えていた姿が描かれているのが印象的でした。p57にあるように「幼いころに深く刻みこまれた心の問題を、絶叫して心の痛みを吐き出すことで解決しようとするというオレゴン・フィーリング・センター」の原初絶叫療法コースに申し込んだり、p77にも禅寺に行こうかと考えたことも書かれて心の闇に立ち向かおうとするジョブズがいます。でもこの複雑で気難しいジョブズを受け入れて助ける人があらわれるのがまた不思議なところ。養父母はもちろんですが、悩みを聞いて事業への専念は出家と同じことと諭してくれる日本人老師、そして、融資という形で長髪で裸足のジョブズを応援する投資家。それから、ウォズニアックとジョブズの個性の違う二人が出会って仲良くなってゆく様子もとても興味深く読みました。何を人が欲しがっているか見抜いて実現する強い力を持つ人と天才的な技術の力を持つ人との出会い——ある時期までは、二人の強い個性がうまく釣り合っていたのかもしれません。2部で書かれている、競争や権力争い、必要ないと決めた人を解雇して、有能な人を余所から強引に引き抜いて仲間にして、次々、新しいものに挑戦して、ゼロックス社のアイディアを盗んだと言われても流してしまうジョブズの姿をどう思うか? 彼の陰でどれだけ泣いた人がいたのか、二度と立ち上がれないほど傷ついた人もいただろうと思いました。でも ジョブズは世界を変えた人として残るのでしょうね。強烈なこの人を生かしたアメリカという国もすごいなと思います。3部のp281にあるスタンフォード大学のスピーチの中で「他人の期待でがんじがらめになったり、他人の意見に流されてはいけないとさとし」た、と書かれていますが、こういうところも、若い人の気持ちを掴んでしまうのでしょうね。ジョブズのiPodのなかにボブ・ディラン、ビートルズ、ヨーヨー・マの演奏が入っていたそうですが、何かちょっとほっとしました。用語解説はもっと多くあるとわかりやすい。p299の株式スキャンダルはチンプンカンプンでした。

レン:亡くなったときに、スタンフォード大学の卒業式のスピーチを見て感動したのですが、この本を読んでみたら、ハチャメチャな人だということがわかりました。翻訳はこなれていますが、書き方自体がいかにも翻訳物ですね。中学生とか高校生で、この人がどういう人か知るにはいいなって思いました。もしもこういう人が目の前にいたら、怖くて近寄れないかも。天才肌というか。でも、こういう人は、日本の学校教育では生まれてこないだろうなって思いました。干渉されずに、やりたいことを貫いて、好きなことは徹底的にのめりこんでやっていく。今日の日本の学校では、なかなかこういうことはできないですね。

レジーナ:何かを一から築き上げ、新しいことを始めるときのわくわくした雰囲気に満ちた作品ですね。バチカン教皇に電話をしていたずらをするなど、おもしろいかどうかの価値基準だけで物事を考え、自分の信念にしたがってぐんぐん進めていく生き方は特異なものですが、人としての魅力は全く感じませんでした。人を許したり、他の考え方を受け入れることができず、人間としてのバランスがとれていないので、他者と生きることができないのでしょう。亡くなる前に、「死ぬというのは、オン・オフのスイッチのようなものじゃないか」と語る場面では、ジョブズが心をひらき、弱い部分を見せているようで、はじめて彼の心に触れた気がしました。ジョブズは、ヒッピーの考え方に、強く影響を受けていたのですね。アップルの名前の由来や、ビートルズとの訴訟は、これまで知りませんでした。スティーブ・ジョブズが若いころに、カリグラフィーを学んだことは、高校の英語の教科書 CROWN に載っています。ジョブズが好きだった “The Art of Animation” の本は、私も小さい頃よく眺めていた本です。専門用語の索引がついているのは評価できますが、「現実歪曲空間」という造語を、「BASIC」と同列に扱っているので、混乱を招きます。

ルパン:完読はできなかったのですが、一部まで読んだところです。ただ、この研究会でノンフィクションを扱うのが私は初めてなので、どう感想を述べていいか迷っています。この人の生き方についての感想、ということでいいのでしょうか? それとも本の構成とか翻訳について感じたことを言うのでしょうか? ともかく、あすなろ書房から出ているということは子ども向け、ということなのでしょうが、これ、「偉人の伝記」にはならないですよね。人としてはあんまり見倣ってもらいたくないし。ただ、若いとき、かっこよかったんだなあ、と、妙なところに感心してしまいました。p175の写真なんか、トム・クルーズみたい。あと、まだ途中ですけど、これを読んだおかげで、ようやくスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの区別がつくようになりました。

みんな:えっ?

ジラフ:この本は、ざっとしか読めていなくて。でも、ジョブズが亡くなったときにムックとか雑誌の別冊特集がいくつも出て、それを読んでいたので、ジョブズの人生や人柄ついてのあらましは知っていました。この人の人生を見ていくと、生い立ちも、いろんなことを干渉されずにやれたという環境も、こんな性格破綻者のようなすごい人柄でも、そういう人がちゃんと市民権を得て、生きていかれる場所があったということも、発想の大胆さやチャレンジ精神も……。いろんなことをひっくるめて、ここにはアメリカが凝縮されてる、という印象を持ちました。私は、15〜16年前にパソコンを使い始めたころから、ずっとMacユーザーで、仕事なんかでいやおうなくWindowsを使わなければいけないことがあると、なにか機械に支配されているような不快感があって嫌なんですけど(笑)、それにくらべると、Macはすごくシンプルで、使っていて、フレンドリーな感覚があるんですね。製品がそんなふうにフレンドリーなことと、ジョブズのものの考え方とが、どこかでリンクしてるかな、というようなことにも、興味を引かれながら読みました(ざっと流して読んだので、具体的に、ここがそうだ、という箇所は、見つけられませんでしたけど)。あと、私は仕事で、ヴィクトリア時代から1920〜30年代くらいが中心の、古い絵本コレクションに接する機会があるんですけど、それとの対比で考えると、その本たちはまさに、五感をフルに使って受け取るフィジカルブックで、いっぽう、パソコンや、iPadやiTunesは世界をがらりと変えてしまったわけで、電子ブックの台頭なんかも含めて──思ったほどの速度では、浸透していってないようですけど──そんなふうに世界が変わってしまったことが、本を読むという行為に、どんなふうに影響する(している)んだろう、これからどうなっていくんだろうと、漠然とながら考えさせられました。

トム:完璧主義のジョブズは、人が求めている物を工夫を重ねて作ったのだと思いますが、欠点も残ったまま売り出す場合もあるようで、もし日本だったら欠点のあるものは認められなくて、足を引っ張られてしまうのでは?

(「子どもの本で言いたい放題」2013年4月の記録)


おじいちゃんのゴーストフレンド

『おじいちゃんのゴーストフレンド』表紙
『おじいちゃんのゴーストフレンド』
安東みきえ/著 杉田比呂美/絵
佼成出版社
2003.07

トム:今回の3冊を読んで、日本と北欧の日常の家族関係の違いをあらためて思いました。この作品には、おじいさんの孤独とか、主人公たちの気持ちとかにシンパシーを感じました。今の日本には、このような状況を抱えて一生懸命暮らしている家族があちこちにいるということだと思います。ヘルパーさんの現実的な対応と、お母さんの「楽しい思い出の中にいる方が幸せ」と思う気持ちは、どちらがいいときめられない。物語の中でも決めつけていないところがよかったと思います。そこから考えられるから。ゴーストフレンド(ふうさん)の存在を受け入れられるのは、あちらとこちらの世界の垣根が低い子どもなのかもしれません。それに、テッちゃんと主人公の“ぼく”は、とても気の合う友達であることも、おじいさんのふうさんへの気持ちを自然にわかる土台になっている気がします。この物語は、何だかいつまでも心に残って、思い出すたびに、何層も何層も重なった物語の事実から大事なことが、時々ちらっちらっと顔を出します。たとえば、「ふうさんはなくなったんだって、教えてやるだろ。そうしたらおじいちゃんったらびっくりするんだよ。そのあとまた頭かかえこんじゃうんだよ」(p31)には、大切な友達を失ったことを受け入れることがどんなにたいへんかが表現されています。また「水の中の魚がいっせいににげていくように、ただよっていたものがちっていく。おだやかでやさしく、幸せなものが消えていく」(p59)は、目に見えないところに優しく幸せなものはあるかもしれないと思わせてくれる。「ふしぎだな。この世にあるものは、みんな夢をもって生まれてくる。一生けんめいりっぱなものになりたいって、ねがいながら生まれてくる」(p83)という箇所では、おじいさんがふうさんとの思い出のなかに生きながら、テッちゃんと“ぼく”に、生きる力の秘密を伝えています。だからおじいさんは、ちゃんと未来をテッちゃんと“ぼく”の中にみている気がします。それに、作品の中でちゃんとおじいさんの死を伝えて、テッちゃんと主人公が何とか受け止めようとするところまで作者は描いています。またいつか読み返すと別の何かがみえてくるかもしれません。
 あと、鉄とずっとつながってゆく鉄塔と、東西南北に正中する鉄塔の中心に龍、龍の時計=時を埋めることで、作者は何を伝えようとしたのか、知りたいと思います。

レジーナ:会話をしたり、自力で動いたりするのが困難な老人ですが、個性もリアリティもあり、人物像がちゃんと伝わってきますね。鉄塔をつくったというおじいちゃんは、ちょうど日本の高度成長期を支えた世代でしょうか。湯本香樹実の『夏の庭』に登場するおじいさんは、戦争で人を殺してしまったという過去がにじみでていましたが、その点、『おじいちゃんのゴーストフレンド』も、あと一歩、おじいちゃんの人生に踏みこんで描いていれば、よかったのではないでしょうか。日本の児童文学によくあることですが、全体を通して湿っぽく、センチメンタルにおちいっているのが残念です。

アカザ:なかなかいい作品だなと思いました。最初は「ほんとの古びたおじいさん」になじめなかった主人公が、テッちゃんを通じて徐々に理解を深めていく過程を丁寧に描いていると思います。時々まぼろしを見るおじいさんに対する態度が、テッちゃんをはじめとする家族とヘルパーさんで違うところなど、作者は介護の現場を良く知っている方ではないかと思いました。「昔のことばかり気にするのはよくない」といって、おじいちゃんのゴーストフレンドを否定する黒井さんはいい人に違いないけれど、いいヘルパーさんかどうかは疑問ですね。「考えてみたけれど、ぼくにもわからない」と主人公に言わせているのは、正解だと思います。センチメンタルな作品といわれれば、そうかもしれないけれど、私はこの作品に漂う抒情を感傷というより奥行きと取りました。

ルパン:部分ごとに「いいなあ」と思うところはあったのですが、全体的には印象がうすかったです。筋の一本通ったテーマが見えてこなくて、どこにフォーカスを当てているのかがわかりにくかったです。少年のおじいさんに対する思いなのか、鉄塔への思い入れなのか、おじいさんの「ふうさん」への友情なのか…。ところで、このおじいさんは昔鉄塔を作ってたんですね。うちの亡父もそうなんですよ。子どもの頃旅先で山の中で鉄塔を見ると「あれはお父さんが作ったんだ」って自慢していたことを思い出しました。実は経理だった、って知ったのはずっとあとのことで(笑)。

アカザ:鉄塔を熱愛している人たちがいて、そういう文学作品も出ていますよね。高圧線のそばに住むと健康被害があるということは以前から言われていて、ヨーロッパなどではそばに住宅を建てることを禁じられていると聞いたことがあるけれど……。

トム:だんだん、身近な親しい人が旅立っていって、取り残されてゆく老人の寂しさ心細さ。おじいさんはふうさんと幼なじみだったのかも、きっと子ども時代にかえって話したり、笑ったり、とても気の合う友達だったのではないでしょうか。いっしょに釣りをした時を思い出すとからだも気持ちも自由になって幸せなのかも。

ルパン:語り手の男の子が、「ぼくたちはしんじている。おじいさんはこのとき生きる力を取りもどせたんだ」(p84)というところとか、いまひとつ感情移入できませんでした。そう信じていたのはテッちゃんだと思うし。最初は老人をいやがっていたこの子の心境の変化の過程が激しすぎる気がして。

アカザ:亡くなった友だちの写真の話をして、おじいちゃんが涙ぐんだときにショックを受けたり、テッちゃんの頭をポカンとやったお母さんを「子どもの頭をぶっちゃいかん」とたしなめるのを聞いて、「意外としっかりしてるんだな」と思ったり、おじいちゃんを理解していく過程を丁寧に描いていると思いましたけどね。

サンザシ:おじいさんの様子はかなりリアルに書かれていますね。たとえばp20「うしろ向きになったテッちゃんのお母さんは、おじいさんの両手を引いて部屋に入ってくる。ちょうど、赤ちゃんの手を引いて歩かせるかっこうだ」とか、p23の「おじいさんはうなずいて、こまったみたいに頭をなでた。わずかにのこっている白い髪が、ひよひよとさかだった」なんて、よく観察してないと書けないですよね。子どもたちがおじいちゃんを車いすに乗せて鉄塔まで連れていくところで、フィリパ・ピアスの「ふたりのジム」(『まよなかのパーティ』所収)を思い出しました。あっちもおじいさんと孫息子というコンビだけど、おじいさんのほうが、自分の意志で故郷の村に連れていってもらい、また帰りは困る警官をうまく説得して車いすをパトカーに引っ張ってもらって意気揚々と帰ってくる。それに比べると、日本の作品に出て来る老人は保護の対象になっていることが多い気がします。今回の『世界一かわいげのない孫だけど』は、ちょっと違いますが。

アカザ:『はしけのアナグマ』(ジャニ・ハウカー著 三保みずえ訳 評論社)に出てくるおばあさんなんか、憎たらしいくらいしっかりしていて、すごい!

サンザシ:老人って、ちょっとずるかったり、悪知恵があったり、ユーモアでうまくかわしたり、長く生きてきて人生経験が豊富なだけに、もっといろんな側面がありますよね。ドイツの『ヨーンじいちゃん』(ペーター・ヘルトリング著 上田真而子訳 偕成社)なんかも、強烈ですもんね。

トム:主人公は、初めて病気のおじいさんに会ったとき、大好きなゲームにボロ負けしてしまうほど、その姿にショックを受けるけれど、だんだんにテッちゃんのおじいさんへの気持ちや暮らしに接しておじいさんを受け入れてゆく。テッちゃんも主人公もほんとうに素直でやさしい! あんまりやさしくて素直ないい子でそこがちょっと気になってきて・・・ 。この物語を読む子どもたちが、病気の老人の様子に何だか変だなーと思ったり、ちょっと気持ち悪いなーと思ったりする感情を抑えこまないで、ゆっくり、テッちゃんや主人公といっしょに考えてほしい。

サンザシ:鉄塔から力をもらって、それで片付くというふうにとれるのは、ちょっとまずいかな。読んだ後も何か残って続けて考えるっていうところがなくなりますよね。

プルメリア:以前読んだことがあって今回読み直しましたが、ほかの作品に比べてさっと読めました。以前担任した男子ですが、イライラしていることが気になってたんですね。家庭訪問のときに母親に話したところ、同居しているおじいちゃんが急に暴れだす、それも急に人格が変わるということがあったんです。その子は、その影響をうけていたんですね。いろいろなおじいちゃんがいますが、この作品のような優しいおじいちゃんって、子どもにはすんなり入っていけるのかなって思いました。

レジーナ:先ほど話に出た結末のことですが、私は、子どもたちが「鉄塔の下に連れて行ったからおじいちゃんの寿命がのびた」と心から思っているわけではないと思います。大切な人に死なれたとき、大人も「あのようにして、それでよかったのだ」と、自らの気持ちを納得させることがありますよね。この作品の子どもたちも同様で、本心から信じているわけではないように思うのです。そう考えると、登場人物の子どもたちに、大人の視点が入り過ぎているといえるかもしれません。

げた:10年ぐらい前に出た本で、ちゃんと読むのは初めてでした。とってもいい男の子ふたりが、今は体のどっかが始終ゆれていて、左手がまだらでおそろしく思えるような老人だけど、その「生きる力」をとり戻させようとがんばる。とってもいい話だと思います。現実にはなかなかいないと思いますけどね。それに、ヘルパーの黒井さんも、しっかり老人の人格を尊重していて、名前もちゃんと「長谷川さん」って呼んでいる。ゴーストフレンドのふうさんに関しても、「今の人生を生きなきゃだめよ」というところもいいなって思いました。周囲にこういう人たちばっかりいたら、安心して年とれるなって思いました。

サンザシ:介護の現場では、死んだ人が見えるとか、どう考えてもおかしいことを言ったりするのを無下に否定しないほうがいいって言われてるんじゃないかな。だから、黒井さんの対応はちょっとまずいんじゃない?

げた:なるほど、そうですか。介護される人の気持ちを否定するのはまずいのか。そういわれてみると、そこも現実的じゃないんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


世界一かわいげのない孫だけど

『世界一かわいげのない孫だけど』
荒井寛子/著 勝田文/挿絵
ポプラ社
2012.09

トム:美波、ショウコ、ルミの3人の迫力に圧倒され、はじかれました! でも、文章から離れられなかったからそう思ったのかも。アニメとかドラマのように耳と目から楽しむ気分になれば、すっとこの中に入れたのかも。物語の中で大事な役目をする“なぞかけ”や落語の間。お話全体もその味なのかもしれません。今風の女の子に見えて、彼女達の生活背景はそれほど変わっていないように思いました。

レジーナ:登場人物の言葉づかいが気になりました。長谷川町子の漫画の『いじわるばあさん』のように、ぎらぎらするようなアクの強さや人間としての魅力が感じられません。

アカザ:テンポが良くて、軽く読めましたけれど、なんだかお決まりの展開で……。転校して友だちとなじめないところとおばあちゃんのことが、うまくからみあっていないような感じがしました。あまりおもしろいとは思いませんでした。

ルパン:今回の3冊のなかでは一番印象に残りました。が、やはりいろんなところが気になりましたね。主人公の言葉づかいや態度が特に。さいごまで担任の先生を呼び捨てとか。一方、友だちはこの子に親切すぎてリアリティがない。最後はうまくもっていくんだろう、とは思いつつ、読んでいるあいだは「老人をばかにする話になったらいやだなあ」、というきわどさがあり、無条件に楽しめる感じではなかったです。

サンザシ:私は最初からエンタメだと思って読んだので、おもしろかったです。美波の口調も、アリじゃないですか。何にでも腹が立つ思春期の子どもだし、地方でのんびりと暮らすルミちゃんたちとの差を際だたせる意味でも、これでいいと思います。かわいくないおばあちゃんには、孫娘に負けないだけの威勢のよさがあって、嫌みの言い方やずるいところもユーモラス。とんがってる孫娘と、嫌みなおばあちゃんの勝負がどうなるのか、と楽しく読みました。美波は、最初はルミのことをアヒル、ショウコのことをアズキとしか呼ばないんですが、徐々にその距離が縮まって最後は仲間意識をもつというお定まりのストーリー。でも、そこに毒のあるおばあちゃんの存在がアクセントになって出てきます。ただ、いくら田舎だとはいえ、今時ルミやショウコのような屈託のない少女たちがいるのか、と考えるとリアリティはないかもしれませんね。あと、物語の山場である発表会で演じた落語が、文字だけで読んでももっとおもしろかったらいいのに、と思ってしまいました。それと、この書名は、祖母目線なんじゃないですか?

プルメリア:私は、この作品おもしろいなと思いました。突飛なおばあちゃんだしおもしろいんですが、最近のおばあちゃんはけっこう若いので、この作品の中のおばあちゃんの行動は小さい子どもたちにイマイチわかりにくいかも。もう少し上の学年だとおばあちゃんのしぐさや言葉のおもしろさがよくわかるんじゃないのかなって思いました。

げた:タイトルは、「かわいげのない孫だけど、でもかわいがってね」という美波の気持ちではないでしょうか。中身的には無責任なところもあるんですけど、エンタメということですすめてみました。若い子の斜にかまえた感じも、ちょっと心配なところもあって。文中に登場する子どもたちの、おそらく中国地方の方言も元気があって、東京に負けない感じがいいなって思いました。アズキちゃんに対してひどいことも言ってるんですけど、結局最後に、ルミたちの想いも理解して、ひどいままで終わっているわけではないので、読ませていいのか?とは思いませんでした。祖母と孫が、似た者同士の組み合わせで、最後まで妥協しないところがいいなって思いました。子どもたちに楽しんでもらえたらいいな。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


三つ穴山へ、秘密の探検

『三つ穴山へ、秘密の探検』
ペール・オーロフ・エンクイスト/著 菱木晃子/訳 中村悦子/絵
あすなろ書房
2008.11

トム:親子の様子も、年とった人の暮らしも、男女の関係も日本と違うなって思いました。でも、小さなミーナが夢を恐ろしがるのは、誰にもあること。その子ども時代をくぐってゆくときに、お父さんでもお母さんでもなく、おじいちゃんが登場して寄りそってくれるっていうのは説得力があるし、いいなって思いました。日本的には、年とるにつれて、人は保護者になることを期待されることが多いようですけど、このおじいちゃんのスタンスが保護者じゃないのが面白い。グニッラが「女ならできる」って言うけど、スウェーデンでは「女ならできる」っていうスローガンをかかげる時代はもう過ぎたんじゃないのかしら。どうなのでしょう? 物語のなかに色々な要素が詰まっています。野生の狼親子・密猟者・熊、それぞれがひとつの物語になりそうなのに、ちょっとおなかいっぱい感がありました。おじいちゃんが、一人では登れない山へ小さな孫4人連れて行く・・・?エーッそれはあまりに無謀! たぶん大反対されていたのに探検の夢がどんどんふくらんでこのおじいちゃんは突っ走ったんでしょうね。おじいちゃんはそもそもどうして三つ穴山に登りたかったのか? よく考えるとわからないことが出てきます。ハラハラドキドキ、ほんとうに無事でよかったけど。
 物語の背景になる大きな自然にはとても惹かれました、ヨーロッパの深い森も歩いてみたいです。でもこのあこがれは、おじいちゃん的無謀さにならないようにしないとレスキュー隊のお世話になるかもしれません! 風に吹かれながらミーナが冒険を回想する最後の場面は、ほんとうにホッとします。ミーナの年を考えるとちょっと大人っぽい感じもしますけど。

レジーナ:とても好きな作品です。私が子どもの時に読んでも、やはりひきつけられたと思います。クマやオオカミ、密漁者など、つぎつぎに事件が起きるにもかかわらず、リアリティがあるのは、作者に力があるからでしょう。おばあちゃんに内緒で、犬にミートボールをやったり、車いす競争をするなど、両親でもおばあちゃんでもなく、おじいちゃん特有の遊び心やユーモア、子どもたちとの特別な関係をよくとらえています。「ヒマラヤ」を「ヒラヤマ」と間違えるなど、ユーモアもきいています。山の中でのびのびと冒険する子どもたちが、しだいにけんかをしなくなったり、互いに助け合う様子が、いきいきと描かれていました。弱気になったおじいちゃんに対して、「人は思っているよりじょうぶなものよ」と胸をはって言う姿に、最初は夢に出てきたワニをこわがるような小さな女の子だったミーナの成長を感じました。挿絵も物語の雰囲気にあっています。ただ、ミーナが6歳でイーアが8歳なのに、表紙ではイーアの方が幼く見えるのが気になりました。「手伝うって言っちゃいけない」という男女同権の価値観は、非常に北欧的ですね。

アカザ:エピソードのひとつひとつがとてもおもしろくて、楽しく読みました。魅力的な自然や、子どもたちのキャラクターもよく描けているなと思いました。ただ、対象年齢はどれくらいなんでしょうね? さすが菱木さんの訳だけあって、訳そのものはすばらしいと思いましたが、もう少しやさしい言葉だったら小さな子どもたちも楽しめたのかな。主人公も6歳ということだし。ただし、男女平等論者とか、外国から来た密猟者の話とか、向こうの子どもたちにはなじみのある事柄でも、日本の子どもたちには理解できないことが出てくるし……。難しいなと思いつつ読みましたが、訳者のあとがきで大人向けの作品を書いていた作家が、初めて子どもたちに向けて書いた物語と知って、「なるほど!」と納得がいきました。

ルパン:私は凡人なので……この話はだめでした。子どもをこんなに危険な目にあわせちゃだめですよ(笑)。クマもオオカミも密猟者も、一歩まちがえれば死の危険がありますからね。女の子ひとりで6時間も山道を歩かせたり、もうむちゃくちゃだなあ、と思いました。最初ちょっと期待感があったんですけどね。このおじいちゃん、小説家という設定なので、小説家ならではの想像力というか空想力でミーナを救っちゃうのかな、って。でも全然ちがったうえに、子ども連れて山に入って自分が動けなくなっちゃうなんて、がっかり。

サンザシ:私はユーモア児童文学だと思っておもしろく読みました。このおじいちゃん、愉快です。ワニにお尻をかまれたミーナに、もっと大きな冒険をさせればと思って山登りに誘うわけですが、p35には「でも、ひとつ、おじいちゃんがミーナに話さなかったことがある。じつは、おじいちゃんはずっと前から、別荘の東側にある〈三つ穴山〉に登ってみたかったのだ。ただ、ひとりでは登れずにいたのだ」なんてあって、笑っちゃいました。また退院したおじいちゃんのためにマッツおじさんが買った車いすで、みんなでタイムレースをするのもおかしい。自信満々のマッツおじさんもスピード出し過ぎて転倒し、妻に「あのおじいちゃんの息子だから」なんて言われてるところも。ただ、ちょっとご都合主義的にうまく行きすぎるところが気になりました。オオカミやクマだけでなく密猟者まで出てきたうえに、骨折したおじいちゃんを助けに来たヘリコプターに密猟者まで逮捕されるとか。あと、オオカミの子どものマーヤ・ルベルトとシュナウザーの子どものエルサはキャラがかぶるんですね。エルサはこの物語の中でどういう役割なんでしょう? なくてもいいのに、と私は思ったんですが。それにしても、おじいちゃんが年端もいかない子どもたち4人を連れて山に登り、次々に危険な目にあうなんて、日本の作家が書いたら、非難囂々でしょうね。

プルメリア:「ワニにおしりをかまれた」っていう書き出しがとてもおもしろかったなって思います。探検後、おじいさんから「ワニにかまれたことを覚えているか」と聞かれたミーナは「あたし、夢を見ただけよ。まだ、あたしが小さかったとき。ずっと前にね」と言います。日本だと6歳は小学校の一年生、こんなに成長してしまうのは、ちょっと行き過ぎてるかな、それとも最初が幼なすぎ? 登場人物の年齢が全体的に小さすぎるかなって思いました。スウェーデンの自然が美しく描かれています。日本とは異なることは男女平等という考え方、クマが身近に出てくる自然に囲まれていること。

サンザシ:密猟者まで出しちゃって……。

げた:私も、最近「おじいちゃん」になったんですけどね。孫とこういう形でつきあえたらなって思いで、今回読む本に取り上げたんです。ワニにおしりをかまれた女の子を成長させるために、山のぼりを計画し、実行、とんでもない目にあうが、目論見は成功するという展開で、意外性があっておもしろいなって思いました。登場するおじいちゃんのパートナーは、日本だっていなくはないんだろうけど、子どもたちにとって他人なんですよね。「女ならできる」という言い方も、ちょっとひっかかって、逆差別じゃないかって。

サンザシ:いくら北欧では女性の権利が認められてるっていっても、グニッラが若いころは、まだ大変だったんじゃないですか。だから、「女ならできる」って呪文みたいに唱えて、自分を励ましてきたんじゃないかな。

げた:探検とかサバイバルとか、つめこみすぎなのかもしれないけれど、クマやオオカミが出てきて、どうなっちゃうんだろうって、ひきつけられ、私はドキドキしながら最後まで読むことができました。リアリティがなさすぎといわれれば確かにと思うけど、基本、実話なわけで、大きく逸脱しているとは思いません。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年3月の記録)


発電所のねむるまち

『発電所のねむるまち』
マイケル・モーパーゴ/著 杉田七重/訳 ピーター・ベイリー/絵
あかね書房
2012.11

ジラフ:同じモーパーゴの『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)同様に、現在から過去にさかのぼって、丹念に語り起こしていくスタイルで、とてもよくできたお話だと思いました。同時に、本のつくりやボリュームにしては、内容とか、書かれている感情が、ずいぶん大人っぽいな、という印象も受けました。とにかく、上質の物語ということに尽きるんですけど、身近に子どもがいないので、どのくらいの年齢層の子どもにこの本を手渡せるのか、ちょっとイメージしづらくて、過去からたんねんに書き起こしていく、こういう、ある意味「大人っぽい」物語を子どもがどう読むのか、興味をひかれました。p35で、ペティグルーさんが、夫のアーサーを亡くしたことを話す場面は、「ある日事故が起きて、終わってしまいました。(中略)まだあの人はずいぶん若かったのです」と書かれていますが、ちょっと抽象的で、これで子どもの読者にはっきりと「死」が伝わるかな、と思いました。あと、p71で、アイルランド人労働者がプッツン・ジャックに「自国の歌を教えていた」というくだりでは、わざわざ「自国の」という表現を使っていることに、ヨーロッパらしいアイデンティティの表明を感じて、はっとしました。

ルパン:私もいいお話だなと思いました。読み始めてしばらくは、ペティグルーさんが男の人だと思って読んでいました。日本語にすると性別がわからないんですね。列車のおうちはすごく素敵なんですけど、この絵がなかったら、船上生活者やトレーラーハウスみたいに思えるかもしれません。あと、ロバが乱入してくる場面がありましたが、その後どうなったかが気になりました。ペティグルーさんが教会で発表するところは、ぐっときました。それから脇役なんだけど、このお母さんはいいなあ。お母さんが「あんな変わった人とつきあうな」と言ってしまったら、こうはならなかったわけで。重要人物だと思います。ところで、子どもに手渡すとしたら、横書きってどうなのかな。『カイト』も横書きだったけど、同じ出版社なんですね。横書きの本は、渡す年齢を考えてしまいますね。縦書きだったら、小学校高学年におすすめだと思いますけど、この装丁でも読むかなあ?

紙魚:私も縦書きに慣れてしまっているので、ちょっと読みにくい感じがありました。とはいえ、この本が横書きなのは、原書が左開きで、どのイラストも左から右へという方向で描かれているからだとも思います。この挿絵をそのまま使って縦書き・右開きにすると、挿絵の方向が逆になってしまいますよね。そう考えると、長い時間の経過を表現するには、横書きの水平ラインが有効に働く、横書きならではの利点もありそうです。
この本が刊行されたのは、2012年の11月。日本での東日本大震災後を意識しての刊行だったと思います。震災後、子どもの本がどう力を発揮できるかということを考えさせられましたが、あの時分、私の目が向いたのはやはり国内、東北のことで、原発を扱った翻訳書というのは、思い至りませんでした。遠いイギリスの地での物語が、日本の子どもたちに、どの程度、当事者意識を持たせるかはちょっとわからないですが、伝わるといいなあとは思います。日本の作家からも、こうした社会的な背景をもりこんだ作品が生まれるといいなあとも思います。

関サバ子:生活のディテールがよく書きこまれていて、主人公マイケルの思い出もディテールを感じられます。そのことが、“最悪”をより鮮明に浮かび上がらせると感じました。これは本当に個人的な希望なんですが、ペティグルーさんには死んでほしくなかったです。こういうかたちで亡くなってしまったことが、悲しみを際立たせているのかもしれないですが……。なぜ著者はこのような結果にしたのか、なんとなく腑に落ちない感じがありました。横書きという体裁については、もしかしたら、子どもはすんなり読んでしまうかもしれません。絵と文章の位置関係もよいので、あまり違和感はありませんでした。60代くらいの人が回想した話なので、子どもがそれをどう受け止めるのか、難しいところもあるかもしれません。福島第一原発の事故のあと、ドイツが原発全廃を決めました。そのときに、「原発は倫理的に許されない」ということを言っているのが印象的で、本作もそのときと同じシンプルな人間性を感じることができて、とてもいいなあと思いました。声高すぎないし、かといって“したり顔”でもない。子どもがどう受け取るかわかりませんが、最善の見せ方のひとつという感覚があります。

きゃべつ:表紙が牧歌的で、絵としてとてもきれいだと思いました。話は明るいとはいえないけど、発電所ができる前の幸せな日々を表紙に選んだのだなと思いました。表紙が示しているとおり、この作品で作家が書きたかったことは、原子力のことではなく、郷愁や、子どものころの記憶だったのではないかと感じます。また、本のかたちと対象年齢についてですが、これを読ませるのだったら、小学校高学年、もしくは中学生だと思います。それくらいでないと、この物語の背景にある原子力についての問題などは分からないでしょうから。その場合、横書きだと手渡すのが難しい気がします。日本では横文字だと、どうしても携帯小説や大人が読む絵本の印象が強いですよね。

ジャベーリ:私はきゃべつさんとは違って、原発の稼働が終わった後も、結局、元には戻らないということを言いたかったのだと思うんです。ペティグルーさんの存在を通して、その人の住んでいた場所に起きたことを伝えたかったのではないかな。原発をつくる場所についても、ペティグルーさんのようなマイノリティーが大事にしている土地をターゲットにして、おそらくイギリス人の住んでいる場所には白羽の矢は立てないということも。つまりイギリス人にとって影響のなるべく少ないところを選ぶという話にしているのではないかと思うんです。原発というのは、40年経つと廃炉になって、コンクリートで囲うんだけど、もとの美しい自然に戻ることがないということを言いたいのではないかと思います。ペティグルーさんが愛した自然は戻らないと、ダイレクトに言っているのでは? 原発をつくると、営業停止になっても決して元には戻らないということが中心的な主題だと思ったんです。

関サバ子:この物語の原題Singing for Mrs. Pettigrewは、「ペティグルーさんに捧げる歌」という意味なんですよね。

アカザ:短編集に入っていたっていうから、もしかしたら、単行本にするときに書き直したのかもしれないわね。

ハリネズミ:このお話の題と短編集の書名が同じだから、これがメインの作品なんでしょうね。私は、ペティグルーさんがよく書けているなあと感心しました。今、日本の人たちが原発を取り上げると悲惨な事故抜きにしては書けないでしょうけど、この作品は、たとえ事故が起こらなくても、弱い立場の人の暮らしが破壊されるってことを言ってるんだと思うんです。ペティグルーさんは外国からやって来て夫を亡くし、村でも孤立している。でも、努力して自分なりの楽園を作り上げ、主人公のお母さんという友達もできた。そういう自分なりの幸福感や充足感を書いて、それが根こそぎやられてしまうことと対比してるんじゃないかな。だから郷愁とは違って、読者の子どもたちに対してはもっと考えてもらいたいというメッセージが込められていると思います。それから横書きに関してですけど、教科書も今は国語以外みんな横書きなので、子どもたちはあまり抵抗感がないのかもしれません。原著は読者対象がもう少し下かもしれないけど、日本語版はルビを見ると小学校高学年くらいからを対象にしているのかな。

アカザ:すばらしい作品で、感動しました。なぜ、日本でこういう作品が出ないんでしょうね? ぜひ、大勢の子どもたちに読んでもらって、話しあってほしいと思いました。昨年の夏にイギリスに行ったとき、汽車で隣の席になったドイツの大学生とずっと原発の話をしていたんです。日本では事故のあと原発を再稼働しはじめて、これからもそういう動きになっていると話したら、「どうして日本人は怒らないんですか?」と言われました。ドイツでは、小学生のときから原発はいずれ無くしていかなくてはならないものだと繰り返し教えられるし、自分もそういう教育を受けてきた、と。日本でも、今からでも遅くないから、この作品のように原発は廃炉になっても自然を破壊しつづけ、けっして元通りにはできないんだということを、いろいろな形で、いろいろな作品で教えていかなければと思います。私自身は、ぜひとも子どもに伝えておかなければという作者モーパーゴの熱い気持ちを感じたし、けっして郷愁を描いた牧歌的な作品ではないと思うけど、もしそういう感じを読者に与えるのなら、モーパーゴが上手くなりすぎちゃったのかもね。ペディグルーさんの人柄や暮らし方など、本当に心に染み入るように書いていますものね。ただ、子どもには難しいなと思ったのは、村の人たちが原発反対から賛成に変わっていき、ペディグルーさんと主人公の母親だけが残されていく過程があっさりしすぎていて、なぜそうなるのかが分からないのではと思いました。原発でも沖縄でも、ある地域の人々の犠牲の上に成り立っているという現実を、手渡す大人が少しフォローしたほうがいいかなと思います。ペディグルーさんをイギリス人ではなくタイ人にしたり(事実、そうだったのかもしれませんが)、原発の下請け労働者のアイルランド人が自国の歌をうたう場面を書いているところにも、目に見えない差別を作者が意識して書いているのだと思えて、いっそう深いものを感じました。訳はなめらかで、とても良くできていると思いましたが、あとがきで主人公が故郷になかなか戻れなかったのを「声をあげなかった子どものころの自分を後ろめたく感じているから」と捉えているのは疑問に感じました。原発の問題は大人の問題であり、けっして子どものせいにはできない。こう書いてしまうと、作品が矮小化されるように感じました。

レジーナ:モーパーゴは、自身の問題意識が作品に強くあらわれる作家ですね。子どものころの思い出を語る形式の物語は、さまざまな作家が書いていますが、それを原発と結びつけた作品は初めて読みました。本の形態ですが、横書きであることに、何らかの意図があるのでしょうか。P6に「『昔はふりかえるな』ということわざ」とあり、同じページの後ろにまた「同じことわざ」とありますが、「同じことわざ」という表現が不自然に感じられました。このことわざは、聞いたことがありませんが……。

アカザ:日本語にすると、ことわざって感じではないわね。

レジーナ:ことわざというより、歌でしょうか?

プルメリア:放射能についてはていねいに書かれていませんが、いい本だなあと思って、学級の子ども達(5年生)に紹介しました。手に取る子どもはいなくて紹介が悪かったのかなと思い、近くにいた男子に「読んでみない。」と手渡しました。読み終わった後「どうだった?」ときいたら、「わからなかった」って。むずかしい本かなと思い全員の子どもたちに「今住んでいる市に原発があったらどうする?」と聞くと、「災害とか地震があったらこわい。」とか、「遊ぶ場所がへるのでいやだ。」とか「大きな建物はうっとうしい。」などの答えがもどってきました。「原発ってどういうものなの?」と聞くと、「電気をつくるところ」との答え。原発について知識がない子たちにとっては、わからずにすらっと流れてしまったり、内容を補足しないと作品の意図が伝わらない本なのかもしれません。大人の読みと子どもの読みの違いに気づきました。

レジーナ:チェルノブイリの原発の事故を扱った作品には、『あしたは晴れた空の下で : ぼくたちのチェルノブイリ』(中沢晶子作 汐文社)がありましたね。

関サバ子:放射能は、目に見えないですものね。

紙魚:この本は、書かれていないところが多いので、行間から読み取らなければいけない分量が多いですね。

アカザ:だから、いろいろな形で読まなければだめなのよね。ドイツでも『みえない雲』(グードルン・パウゼバング著 高田ゆみ子訳 小学館)のような作品がずっと読まれてきたっていうし。

ハリネズミ:ドイツはずいぶん前から、原発に限らず環境教育には熱心だし、ゴミの分別収集も早くからやってましたね。

アカザ:日本では、原発の危険性については教えまいとしてきたから。

関サバ子:自然のなかで過ごす気持ちよさを知らない人が読んでも、伝わらないかもしれませんね。あの気持ちよさは体感で得るものですし、それが楽しいと思えるまでには、ある程度の時間が必要な気がします。もちろん、レジャーで自然豊かなところへ行って、瞬間的に楽しいということはあります。これはあくまで私の経験に基づいた感覚ですが、それだけでは、心も体も開いていく気持ちよさまではなかなか体感できないような気がします。ですから、子どもたちの身体感覚によって、このお話の受け止め方は違うような気がしますね。「ここの自然? 別になくなってもいいよ。森や海はほかにもあるわけだし」という感性だと、厳しいですよね。あと、このテーマは原発だけでなく、いろいろなことにあてはまりますよね。理不尽に土地を追われた人は世界中のあちこちにいるわけで、そういう想像力を広げられる余地があるのは、とてもいいなと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


夜の小学校で

『夜の小学校で』
岡田淳/著
偕成社
2012.09

ジラフ:ファンタジーで遊べる世界が、とても楽しく描かれていると思いました。ひたすら楽しんだ、という以外、あまり意味のある感想を述べられないのですが……(苦笑)。去年の春まで、母校の短大図書館につとめていまして、夜、閉館後の見回り当番にあたると、館内の電気を消しながら、地下3階まで書架の見回りをするんです。真っ暗になったフロアにはものすごい「気配」があって、何かあるんじゃないか、何か起こっているんじゃないか、と空想をかきたてられたことを思い出しました。作品の中でも、不思議なことが当たり前のように起こっていて、そのことが、とても自然に描かれています。私はぼうっと妄想をしていることが多いので、そういう世界にすうっと入っていけて、自分の感覚に近いものがありました。クラフト・エヴィング商會の本で、『じつは、わたくしこういうものです』(平凡社)という、架空の職業案内があるんですけど、そのなかに、「(冬眠図書館の)シチュー当番」というのがあって、それも夜の図書館という設定で、そちらともイメージがつながりました。実は、岡田淳さんの作品を読んだのは初めてだったんですけど、作者が長年小学校に勤めていたことが生きていると思いました。

ルパン:私も岡田さんの本は今回初めて読みました。自分の子ども時代よりは後の方で、子どもが育ち上がったあとではすでに有名で、読みそびれてしまってたんですね。今回はいい機会をいただきました。挿絵がうまいなあ、お話とぴったりだなあ、と思ったら、ご本人が描いてたんですね。

レジーナ:挿絵のパパゲーノがちょっと太りすぎな気もしましたが……。

ルパン:絵と文がマッチしていていいな、と思いました。ちょっと不思議な感じもいいですね。カエルの王様の話はツボにはまりました。わたしもまったく同じことを思っていたので。

紙魚:小さな小箱を並べたような構成なので、なかなか大きな感想が言いにくい本です。これまで読んだ岡田淳さんの物語は、子どもたちのにぎやかな歓声がきこえてくるような、昼間の印象のものが多かったですが、これは、夜の、しかもおとなの警備員のお話。ふつう、日中の学校のようすがメインになるものですが、その部分については、あまりにも素っ気なく扱われている。これまでの岡田作品すべての、夜の部分という感じがしました。小さなおもしろい小箱が並んでいるという意味では楽しめる本だと思います。全部読み終えると、小学校のちがう顔が見えてきたような心地になりました。

関サバ子:不思議な話だと感じました。なりゆきで3歳半の息子に読み聞かせするはめになりましたが、息子よりむしろ、音読している私が熱中してしまって。

アカザ:それだけ、うまく書けてるってことよね。

関サバ子:絵だけでなく、デザインも岡田さんの要望があったのかな、と思うくらい行き届いていますね。章タイトルやノンブルの位置など、本文組も読みやすいです。

きゃべつ:岡田さんの本は大好きで、ほとんど読んでいると思います。「こそあどの森」シリーズのようなふしぎな世界観を持った作品が多いですよね。また、人間が主人公だと、学校を舞台にして、『二分間の冒険』(偕成社)や『ふしぎの時間割』(偕成社)など、ちょっとはみだした時間に起きるふしぎなできごとを描いているものがあります。ご自身が図工の先生をされていたときにも、図工準備室を工夫して、子どもたちを楽しませていたとおっしゃっていたことがあります。この作品も、放課後というはみだした時間に起きるふしぎなできごとを扱っていて、人を楽しませたいという岡田さんの姿勢がよく出ていると思いました。この中では「わらいっこ」が好きですが、先生をされていた岡田さんならではのお話ですよね。最近、あまりご自身の作品を出されているイメージがなかったので、これを読んだときは感慨深かったです。

アカザ:連載しているうちに変わってくるっていうのはないんでしょうね。

きゃべつ:半分はつながりのある話、というふうに学校以外の縛りもあったほうが、よりよかったんではないか、とは思いました。斉藤洋さんの『あやかしファンタジア』(理論社)も、連続短編で夜の学校のお話だったので、なにかふしぎな重なりを感じました。

レジーナ:楽しく読みました。登場人物ひとりひとりに個性があって、もっと読みたくなります。岡田さんのは『雨やどりはすべり台の下で』(偕成社)が私は好きですが、一話一話があの程度長ければ、なおよかったな。中学生が登場する場面は、死んだ人のようで、少し気味悪く感じました。そのほかの箇所は、ホラーになりそうな要素も、現実とファンタジーのあわいに上手に落としていると思います。言葉の選び方も、さすが岡田さんですね。子どもに向けて書いているからといって甘い言葉でごまかすのではなく、「投網」など、本当に美しい言葉を織りまぜつつ、子どもに分かるように書いています。蛍の場面ですが、蛍の光の点滅の周期は、タンゴのリズムに似ているのでしょうか。

ジャベーリ:お話が進んできて最後のオチがうまいなあと思いました。最初からここまで構想が出来ていて書かれたのかな? それから挿絵がよかった。マッチしています。パパゲーノもそうだけれど、いろんな知識がある作者ですね。それからいきなり大きな人が出てきてもなぜか違和感がなくて、スッと受け入れられた。

プルメリア:岡田さんの作品は大好きでほとんど読んでいます。この作品は『願いのかなうまがり角』(偕成社)と似ていると思って読みました。私はどちらかというと岡田さんの長編作品が好きなんです。短編はすぐ終わっちゃう!ので少々さみしかったです。近くの図書館では人気があるらしく全冊貸し出し中で、リクエストをしたあと2週間ぐらいかかって手元に来ました。私が勤務している小学校の教室は3階の真ん中なので、夜、職員室からだれもいない教室に行くのが怖くておっくうです。だけど、この本は夜の学校の怖さを感じさせず、楽しい雰囲気がいいです。いろんな登場人物が出てきますが、どれも子どもたちにとってもおもしろいキャラですね。この本を読んだ子どもは「『ボールペン』が面白かった。」と言っていました。ボールペンは『びりっかすの神さま』(偕成社)と似ているかな。最後のまとまりも岡田さんらしい終わり方。この本から「月明かり」って改めて素敵だな思いました。また、「ドウダンツツジ」漢字では「満天星」だということをはじめて知り、大発見した気持ちになりました。

ハリネズミ:本好きの人には、この長さじゃ物足りないと思うんですけど、この長さだから読めるっていう子もいるんじゃないかな? どうですか?

プルメリア:あまり本を読めない子どもたちからすると、ちょうどいい、読みやすい長さだと思います。

ハリネズミ:たしかに大きな感想は言えないのでこれが岡田さんの代表作とは言えないと思うけど、構成や文章がうまいし、こういう「ちょっと読める」ものを必要としてる子もいると思うんです。語り手はおとなの警備員ですけど、お話は子どもが読んでもおもしろいし。今は、学校になかなか行けなかったり、学校が嫌いな子も多いと聞きますが、そういう子どもたちに対して岡田さんが書く学校ものは大きな貢献をしてるんじゃないかって思ってるんです。一見つまらない学校にも、こんな不思議なことがあったり、こんなおもしろいことがあるかもしれないって、思わせてくれるから。

アカザ:長い物語が読みたいと思っている子どもにとっては物足りないかなと思いましたが、大人の読者の私としては、大好きな作品です。岡田淳さんって、本当に小学校が大好きで、子どもたちが大好きで、ハリネズミさんがおっしゃったように、子どもたちにも小学校を大好きになってもらいたいなあって思っている……そういう気持ちがひしひしと感じられました。この本の語り手は、小学校で夜警をしているんだけど、作者は図工の先生ですよね。個人的な感想になるんですが、私の小学校の時の図工の先生が、画家の堀越千秋さんのお父さんなんですが、いつも校庭の隅の日だまりで絵を描いていたんですね。図工の時間も、子どもたちにあまり話しかけないし、話しかけられても照れくさそうにしているだけであまり答えない。でも、この先生は小学校が大好きなんだろうなと、子ども心に感じていましたし、私もそんな先生が好きでした。図工の先生って、おそらく担任もないし、子どもとの距離や子どもたちを見る角度も、ほかの先生たちとは違うのかもしれない。そういうところが、夜警のアルバイトをしている主人公と似通っているような気がして、おもしろく感じました。

ジラフ:私は、ほんとにただただ楽しくて、意味のある感想が言えないので、ひょっとして、結びの「これは、あなたが書くはずの本なのですよ。」というアライグマのセリフに、深い意味が込められているんじゃないか、自分はオチを読み取れていないのでは、と焦りました。

ルパン:私もいろいろ考えました。

アカザ:最後の部分は、私が子どもの本を書くのはこういう理由なんですよと言っているように感じました。あと「ウサギのダンス」ですが、湿っぽいものが多い童謡の中では明るくて大好きだったので、いま歌われなくなっているのだったら残念。メロディだけは、CMで使われてますよね。

ルパン:これは毎日新聞大阪本社版の「読んであげて」が初出なんですね。「読んであげて」は、「お母さんが子どもに読んであげて」、というコンセプト。小学生新聞ではなく、通常の毎日新聞の朝刊なんです。お母さんが小学校低学年の子どもに向けて読むためのお話として掲載されています。一か月一話完結だから、壮大なお話はなかなか書けないと思います。

ハリネズミ:書き直したっていうけれど、そうとう足さないと……。

ルパン:かなり書き足さないと難しいでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


オクサ・ポロック1 希望の星

『オクサ・ポロック1 希望の星』
アンヌ・プリショタ&サンドリーヌ・ヴォルフ/作 児玉しおり/訳
西村書店
2013

レジーナ:フォルダンゴの独特な言葉づかいは、慣れるのに時間がかかりました。フォルダンゴのせりふではない部分に関しても、いくつか気になりました。たとえば350ページの「半透明のひげ」というのは、白髪まじりということでしょうか。444ページの「髪の垢」も、「フケ」と書くのが一般的な気がします。登場人物の描き方については、47ページに「恐れおののいた。でも興奮でどきどきしていた」とありますが、イメージがしづらかったです。物語全体を通して、感情の描写をもっと細やかに描いてほしかったです。また85ページに「奇妙な先生の授業」とありましたが、先生という人物が奇妙なのではなく、先生が何事もなかったかのようにふるまったのが気味が悪いということなので、もう少し表現に工夫が要るかもしれません。長さのわりには、あっという間に読みましたが。

関サバ子:まず、残念ながら、設定についていけませんでした。いきなり、変な生き物たちが出てきて、それについてなんの説明もありません。おばあさんが不思議な力を持っていることになっているけれど、それが説明になっているのか……。主人公のオクサも、忍者が好きで、空手を習っている女の子という設定で、日本でも変人扱いされておかしくないキャラクターです。ただ設定だけがあって、有機的につながっている感じがしなかったのです。そういったところは驚いてしまいましたが、制服の描写など、趣味性のところは盛り上げてくれる雰囲気があって、よかったです。あと、ネーミングがとにかく変わっていますね。炭素組とか……。フランス語だときれいな響きだったり、おもしろかったりするんでしょうか。

ルパン:私の娘が今高校生ですが、一年のときはF組で、「フッ素組」でした。となりはC組で、これは炭素組。6組あるけれど、組名がぜんぶ元素記号なんです。だから、本の中に炭素組が出てきたときはびっくりしました。私はこの本は途中で挫折しそうになったのですが、ちょうどそのとき「本は最後まで読まなければ」とレジーナさんに言われたので、奮起して読み続けました。ただ、読んでいて分からなかったのは、この翻訳者は、どのくらいの子を対象にこの本を訳したのだろうということです。文体がおかしいし。「戦いで応酬することにした」など、とても13歳の女の子に思えない発想ですよね。話し言葉もすべて固い印象だし。大人の言葉も子どもの言葉も同じに訳されているからとっても不自然です。わざとらしく変に古めかしい喋り方をしているフォルダンゴの台詞が、かえっていちばん活きている気がします。

ジャベーリ:フランス語は、知的レベルが高い文章ほど名詞構文を好む傾向があります。それを日本語として、こなれた文章に訳すのは難しいですね。

ルパン:物語としてみても、ハリー・ポッターに類似するところが多々あって、二番煎じの感が否めません。最初からキャラクターがたくさん出てくるので、訳がわからなかったし。あと、せっかくフランスのファンタジーなんだから、舞台はやっぱりフランスがよかったですねえ。

アカザ:読むのにとても苦労したので、正直いって作品を楽しむまでにはいたりませんでした。作品自体と翻訳の両方に読みにくい原因があると思うんですね。作品自体の問題としては、普通は登場人物が初めて出てくるときに、どんな見かけの、どんな感じの人なのか説明があると思うんですが(特に子どもの本の場合)、この本ではだいぶたってから説明している。たとえば主人公のお母さんも最初から登場するのに、p104になって初めて姿かたちの説明が出てくる。読者としては、それまでに自分なりのイメージを作って読んでいるから、「えーっ、こういう感じの人なの!」って、受け入れるのにとても大変になっちゃう。つぎつぎに出てくる、ふしぎな生き物についても同じですね。それから、オクサの周囲の大人たちは、オクサが子どもだからと気づかって、情報をチマチマと小出しにしてくる。だから、すっごくいらいらするんですね。以上が構成上の問題。それから、いじわるな友だちを「原始人」とか「野蛮人」と呼ぶのも、なんだか無神経で嫌だったなあ。ロシアというと、すぐにKGBが出てくるところも、なんとなく差別的なにおいを感じてしまいました。それから、ハリポタにはイギリスの暮らしが垣間見えるという楽しみがあったけれど、この作品はフランスにいた主人公がイギリスに行ったのはいいけれど、インターナショナルスクールに入ったという設定なので、フランスの生活も、イギリス暮らしのあれこれも、ちっとも出てこない。翻訳ものの楽しみがないですよね。

ルパン:もったいないですね。

アカザ:翻訳については、「大急ぎでやっつけちゃったな」って一言につきると思います。1行空きがやたらあるけれど、単純な1行空きと***が入っている空きは、どう区別しているんでしょうね? 登場人物の会話についても統一がとれていないので、「これは誰がしゃべっているの?」とか、「この人はとちゅうで性格が変わってしまったの?」と思ってしまうところが、たくさんありました。翻訳って、これは誰の目線で書いているのかなってところが大事なのに、「行く」と「来る」の使い方が変てこだったり。それから、フォルダンゴとフォルダンゴットがカップルだということは、フランス語を知っている読者にはわかるのかもしれないけれど、わたしは後のほうになるまでわかりませんでした。原文にはなくても、読者にわかるような細かい配慮が必要だと思いました。

ハリネズミ:まずプロローグの、新生児のオクサの描写に引っかかってしまいました。「しわくちゃのかぼそい腕を力いっぱいにのばし、起き上がろうと必死にもがいている」。こんな新生児、いませんよね。オクサが特別な存在だということをここで表しているのかな、とも思ったけど、そういう記述もないので、誤訳なのかな、と思ったりしてすっきりしません。フランスは、イギリスや北欧の国の児童文学にあるような児童文学の書き方というか文法というか、そういうものが確立してないんだと思います。特にファンタジーでそれを感じます。たぶんそれはフランスの子ども観から来るもので、大人の文化に重きをおくあまり、子どもの文化を重視せず、おざなりのものでよしとしてきた歴史があるんじゃないかと私は考えています。この作品については、原文の問題と翻訳の問題と両方あると思います。
原文のほうですが、今言ったように子どものためのファンタジーの文法が定まっていないので、ほかの国の子どもが読むと読みにくい。たとえばキャラクター設定にもぶれがある。ギュスは最初の方ではとても模範的ないい子という設定のようなのですが、途中からやたらに嫉妬したりする場面が出てきて、あれっと思います。またオクサも、あまりにも軽率で上っ調子(もしかしたら翻訳のせいかもしれないけど)。簡単に盗みをはたらいたりもする。子どもって大人より倫理観が強いので、これだと子どもの読者はオクサに感情移入しにくい。たとえばイギリスの作品だったりすると、主人公にそういうことをさせたら、著者が理由付けをするなどかなりフォローする。この作品でもちょっとはそういう部分がありますが、申し訳程度です。しかも盗みをはたらくのは、まだ相手が本当に悪いヤツかどうかわからない段階ですからね。それに、オクサは自分で道を切りひらいていくより、超能力を使うとか、まわりの人に助けられることが多い。それもつまらない。能力を高めるためにキャパピル剤というのを飲んだりもしますが、これって下手するとドーピングにもつながりますから、もっと慎重に扱わないといけないのに、安易に使っています。それにたとえば、p75にトイレの個室に駆け込んだオクサが「戸を閉める余裕はなかった」というのに、その後2行思索する部分があって、その次の行に「野蛮人が近づいてきた」とある。これだと緊迫感がありません。だったら、個室のドアくらい閉められただろう、と思ってしまいます。
この作家の世界観とか価値観はどうなんでしょう? いまだに善と悪の二項対立で、階級社会も肯定しているらしい。この先はまだわかりませんが、この巻だけを読むかぎりでは、新たなものを提示しているようには思えません。
訳は、地の文もフォルダンゴの台詞かと思うくらい随所に硬いところがあり、とても読みにくかったです。例えばオクサの台詞でp65に「典型的なロシア的過剰さね」、p209「『研ぎすまされた精神』は大急ぎで言わなきゃね。あたしのみじめさを見てよ」とありますが、よくわからないし、子どもの台詞とは思えない。大人だってこうは言わないでしょう。P156には「自分の身内が殺人を犯した」とありますが、身内と仲間はニュアンスが違います。p176にはこれもオクサの台詞ですが、「涙があふれておぼれそう。悲しい。悲しくて……腹が立ってる。怒りが爆発しそう……」とありますが、悲嘆にくれているのと、憤慨とは普通ちょっと距離がある感情なので、直訳でなくもう少し日本の子どもにわかるように工夫してほしかった。p282ではレオミドが「仕事が順調になるにつれ、エデフィアはわたしの記憶から遠のいていった。もちろん、心の中にはエデフィアはずっと残っていたよ。だから、心はかき乱され、ノスタルジーにさいなまれた」と言いますが、記憶から遠のいているのに、心がかき乱されるほどのノスタルジーにさいなまれるのでしょうか? キャラ設定の揺らぎは、もしかしたら訳のせいかもしれません。もうちょっと文章にリズムがあったり、ユーモアがあったりするとよかったのに。
訳文を読むかぎりでは、登場人物の感情がころころ変わるようにとれるのですが、原文もそうなのでしょうか? ついていけないし、感情移入できないです。

関サバ子:フランス人の国民性として、感情がころころ変わるということがあるんでしょうか?

ハリネズミ:たとえラテン系の国民性から原文がそうなっているとしても、日本の子どもにはわからないから、訳者が日本語で読む子どものために言葉を補うなりしないと。学問的な著述じゃなくて子どもが読む物語なんですから、それは訳者の仕事の一部ですよね。まあ、でも私はハリー・ポッターの訳についても、読みにくさを感じていたんです。だけど売れたってことは、子どもはあまり気にしないで読むってことなんでしょうか? とはいえ子どもはこういう本から日本語を学んでもいくわけですから、ていねいに訳してほしい。たとえばp397ですけど、「みんなが盛大な拍手をし、ギュスはピューと大きく口笛を鳴らした。オクサの顔がパッと明るくなり、にっこりとほほえんだ。しかし、その感情には苦さも混じっていた。というのは、あの攻撃が成功したのは、ギュスのおかげだと言ってもいいからだ」とありますが、こういうふうに訳しちゃうとますますオクサに感情移入しにくくなるんじゃないかな。それより、「自分ひとりでは無理だったからだ」という視点で訳したほうがいいんじゃないかな。

関サバ子:私も、ある翻訳物を手がけたときに、主人公の子どもの行動に不可解な点があって、学習障害などがある設定なのですかと、著者に問い合わせたことがありました。

ジラフ:訳者は、フランス在住20年で、ライターやコーディネイターをしている人です。

ハリネズミ:それは、とっても危険なことじゃないですか。私も、外国に長く住んでいた方に翻訳をお願いして苦労したことがあります。ずっと外国に住んでいると、日本語の微妙な言い回しとか細かいニュアンスとか心地よいリズムといったことが、どうしても抜けていってしまいますからね。

ジラフ:原書の問題もあると思いますが、読みやすくするため、編集部でもいろんな段階で、複数の人間が訳稿に手を入れているので、最終的には、訳者の方に全体の仕上げをしてもらったものの、キャラクターのイメージや会話のトーンにぶれがあるのは、そのせいもあるかもしれません。ご指摘のとおり、訳文に粗さがあることも否めません。いっぽうで、原書でも500ページ近くある作品を、子どもたちが夢中になって読んでいて、もともとは自費出版だったものを、読者の子どもたちが口コミで広めていった、という出版の経緯があります。編集部では、よりなめらかな訳文にするために、すべて音読して文章に手を入れていきましたが、たしかに、声に出して読んでいくそばから、場面がどんどん頭に浮かんできて、コミック感覚の作品なのかな、と思いました。実際、フランスでは、コミック化されることが決まっています。発売から3ヶ月ほどになりますが、意外だったのは、思いのほか小さい子にも読まれていることです。メインターゲットは中学生以上のYA世代と思っていたんですけど、小学5、6年生からもけっこう感想が寄せられていて、小学4年生の子から読者カードが届いたこともありました。ファンタジー作品に親しんでいる読者からは、厳しい言葉もいただいていますが、逆に、中学生のくらいの読者から、読みやすかった、楽しく読んだ、といった声もたくさん届いています。評価がくっきり分かれている感じですね。この手の作品では、ほんとうなら、もっとイラストを入れられたらよかったんでしょうけど、原書の版元のほうで視覚化されているキャラクターが少ないうえに、映画化やコミック化とのからみもあって、キャラクターのビジュアルがちがってしまうとマズいので、日本でオリジナルのイラストを描き起こすことがむずかしかったんです。コミックですべて具体的に視覚化されたら、日本語版でも、もっとふんだんにイラストを入れられるかもしれません。

レジーナ:共著ということですが、具体的にはどのように分担したのでしょうか。

ジラフ:ふたりでプロットを話し合って、キャラクターの肉付けをしたあと、アンヌ・プリショタが第1稿を仕上げています。そのあと、またふたりで1章ずつ検討して、いっぽうが納得のいかないところは、徹底的に話し合って、相手を説得したうえで先に進んでいく、というスタイルだそうです。ふたりで物語をふくらませているせいで、ついつい大仕掛けになったり、クラスの名前なんかも、もともとはなかったクラスが唐突に出てきたり、原書にも、つじつまの合わない部分がけっこうあります。

関サバ子:私も、絵本しかやったことない方に長編をお願いして、なかなか難しいなと感じたことがありましたが……。

ジラフ:フランス語の理解はすごくある方なので……。

ハリネズミ:翻訳は、原文の内容をきちんと伝えることと同時に、日本の子どもにわかりやすく、おもしろく伝えるという二つの側面があると思います。そのどっちがより大事かというと、とくに子どもの本の場合日本語のほうの比重のほうが大きい。一般的に言って、外国に20年暮らしたままで日常生活も外国語という方だと、どうしても二つめの側面が無理になってきます。

ジラフ:なかなかむずかしいですね。「ハリー・ポッター」との比較については、フランス本国の雑誌や新聞にも、「オクサはハリーの妹」とか、「次なるJ・K・ローリングは、フランス人の彼女たち」なんて見出しの記事が出たりしていて、そのことについて、著者に尋ねてみたことがあります。本人たちは、「ハリー・ポッター」をライバル視しているわけじゃなく、むしろ、「J・K・ローリングは、ファンタジーの扉を大きくひらいてくれた先達で、『ハリー・ポッター』に背中を押された」と話しています。でも、「ハリー・ポッター」みたいな作品を書きたかったわけじゃなくて、たとえば、ファンタジーのお約束としてよく、つらい境遇の子が主人公になりますけど、「オクサ・ポロック」では、家族や友人に恵まれて、愛情いっぱいに育った女の子が主人公です。それは、負のエネルギーよりも、大切な人を守るため、といったポジティブなモチベーションのほうが、よりオリジナルな物語の展開を描けるのでは、と思ったからそうです。

ハリネズミ:私はハリー・ポッターに似ているかどうかは、どうでもいいと思うんです。だって子どもにとっては、オリジナリティがあるかどうかより、その物語自体がおもしろいかどうかなんですから。ただ、日本ではハリポタブームの後、三流ファンタジーまでどんどん翻訳されてしまったので、ファンタジーには食傷しているという読者も多い。そのときにまたファンタジーを翻訳出版するのであれば、よほど特徴があるとか、よほどおもしろいというものでないと売れないんじゃないかな。

アカザ:エンタメの命は、読みやすさとおもしろさですものね。

ハリネズミ:ハリー・ポッターの訳は好きじゃなかったんですけど、売れた理由はわかるんです。ナルニアやホビットは、1つの場面が長く続くので、読むスピードが遅い今の子はまだるっこしくなる。でも、ハリポタは場面転換が早いので入り込めるんだと思うんです。

アカザ:『ダヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著 角川書店)は原作より邦訳のほうが正確で、ずっと素晴らしいっていわれてますよね。

ハリネズミ:日本には、とくに子どもの本の場合、原著以上にいいものを作ろうという編集者や訳者がいます。原著の間違いを見つけて著者に問合せをしたことは、私も何度もあります。よく見つけた、と著者にほめられたことも。

アカザ:私は、作者に間違いを指摘したのに、どうしても相手が認めないから、しかたなくあとがきにその顛末を書いたことがあったわ。

ルパン:『縞模様のパジャマの少年』(ジョン・ボイン著 千葉茂樹訳 岩波書店)のあとがきにもびっしりと書いてありましたね。

ハリネズミ:アウシュビッツやナチスのことは、大人だったらある程度知ってますけど、子どもは知らないので、うっかりするとこれが事実だと思って読むかもしれない。だから事実と違う点を訳者の方がていねいにあとがきで付け加えたのでしょうね。ジャベーリさんも、途中まででも読んだのでしたら、ご感想を。

ジャベーリ:漫画的イメージを持って、作者が書いた作品なんだろうなと思いました。これがアニメで受けるなら、それでいいのでは? 映像的な作品でしょう。

アカザ:アニメだったら、理解するのに苦労しないかも。

ハリネズミ:オビに「100年目のファンタジー」ってあったんですけど、何から100年目なんですか?

ジラフ:19世紀の終わりの、ジュール・ヴェルヌから100年ということです。厳密にいえば、ヴェルヌは科学ファンタジーというか、空想科学小説ですけど、フランスの児童文学はリアリズムが主流で、じゃあファンタジーは、っていうと、『星の王子さま』とか、寓話的なものになってしまいます。そんななかで、久々の壮大な空想物語という意味です。

関サバ子:イギリスとフランスで、こんなにも文化がちがうとは知りませんでした。

アカザ:イギリスと張り合って、フランスでもって気持ちがあったんでしょうね。

ハリネズミ:ジュール・ベルヌはファンタジーというよりSFですよね。知的に構築されているものなので、空想を自由にはばたかせるファンタジーとは少し違うと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年2月の記録)


アヴァロン〜 恋の〈伝説学園〉へようこそ!

『アヴァロン〜 恋の〈伝説学園〉へようこそ!』
メグ・キャボット/作 代田亜香子/訳
理論社
2007.02

みっけ:この3冊の中では、一番苦手だった気がします。なんかもう、いかにも女の子があこがれそうなアメリカの富裕層の生活そのものという感じで、高校生がヨットを持っていたりする話の展開に、げんなりしてしまいました。それと、アーサー王の生まれ変わりがどうとかこうとかと、アメリカ人は因縁めいた話や新興宗教めいたことが好きなんだなあと思い、それもあって「またか……」という気分になりました。別に、読みにくかったわけではないんですが、全体としては、あまりおもしろいと思えませんでした。すみません。

ルパン:私、3冊のなかで、これ一番好きだったなあ。この男の子のベタさがたまらない。絶対いないような、こういうリアリティのないキャラ、好きなんですよ。アーサー王のことあまり知らなかったんですけど、おもしろかったです。『アーサー王と円卓の騎士』(シドニー・ラニア編 石井正之助訳 福音館書店)は最後まで読めたことがなかったんですけど、うちの本棚にあるから今度こそ読みます。それを最後まで読めていたら、この本もっとおもしろかったのかな。日本で言うと「義経の生まれ変わり」みたいな設定なのかもしれませんね。それにしても、結構ゴシップ記事的要素満載。後妻が本当のおかあさんだったとか。児童文学でここまでやっちゃっていいのかな、って思うくらい。その前の夫を危ないところに行かせちゃうなんていうのは、旧約聖書のダビデとウリヤを連想しましたが、欧米のほうではアーサー王のほうが浸透しているのかな。ともかく一気に読みました。つっこみどころ、色々あったかもしれないけど、楽しかったから全部忘れちゃいました。

レジーナ:ひとりよがりにならずに読者をひきつけるユーモアというのは難しいものですが、キャボットはユーモアにすぐれていて、絶妙な味わいがありますね。たとえば「パーティーでワカモレサラダの横は背の高い女の子の定位置」や「(主人公のようなスポーティーな女の子たちが)(学園のアイドルである)チアリーダーの同級生の前を水着で歩くなんてありえナイ」など……。「キモチワルい」などカタカナを多用した表記が、少し不自然でした。高校生の会話だからそうしたのかもしれませんが、かえって現代的でなくなっているように感じました。

シア:今回選書係で入れさせていただいたんですが、2007年でちょっと前の作品になりまして、1巻で完結の本です。学校でも人気があります。アーサー王が題材ということで読んでみたのが、私とこの本との出会いですね。話はわかりやすいので先の展開などは読めてしまうんですが、とにかくテンポがよくて、女の子が好きそうな本です。キャピキャピしているので、『カッシアの物語』とは対照的ですね。なごむなー、という感じでした。絶対いないんですけど、転校先にこんな人たちがいたら明るい世界ですよね。いいなーと思いますね。挿絵はがんばってほしかったな。とくに、中がいまいちですよね。海外アニメっぽい絵ですよね。口語訳の言葉使いはちょっと古臭いところはありますが、『八月の暑さの中で』(金原瑞人/編訳 岩波書店)ほど古臭くはないかな。今でも聞かない訳ではないので。

プルメリア:副題の『恋の伝説学園へようこそ』はどうかな、ちょっと違うかなって思いました。主人公の家がプール付きの家に住むお金持ち。男の子が主人公の家に遊びにいくのが自然体で、ガールフレンドもいるのに、フレンドリーな性格なのかな。

ハリネズミ:なにしろアーサー王なんだから、何でもありなんじゃないの?

プルメリア:どんな時にも自然体で入っていけるウィルの性格がいいな。ウィルがアーサー王伝説のエレインじゃなくって、湖の姫なのには驚き、ホッとしました。この作家の想像性はおもしろいなって思いました。ウィルがいい方向にすすんでいくのが、漫画的でもあり、読み手を読ませるのもよかったです。題名がちょっときびしかったです。

シア:生徒が「アーサー王って何?」って聞いてきたりするので、円卓の騎士の話をしたり、関連図書を貸してあげたりしていますね。

ハリネズミ:アーサー王やその周辺の人物たちは、イギリスの子どもたちにはおなじみだけど、日本の子どもにはわからないですよね。それに、あまりにもリアルじゃないから、どう読んだらいいのか、日本の子はとまどうんじゃないかな。私はあんまりおもしろくなかったな。本が好きな子にとっては、ほかのアーサー王ものを読んでみる入り口になるかもしれませんね。でも、この作品自体はマンガですよね。物語の中のリアリティもぶつぶつ切れてるし。かといって、エンタメだとすると、日本の子には背景がわからない。中途半端なんじゃないかな。

シア:妙なライトノベルよりいいかなって。たとえばクトゥルフ神話とかマニアックなものに詳しいのに、逆に当たり前の神話を知らないような子が多くて、変なところが抜けているっていうか。お母さんたちに読んでもらっていないのかなって。

ハリネズミ:お母さんたちも古典的なファンタジーはもはや読んでないんじゃないですか? でも、こんなリアリティのないものを読んで恋を夢見たりすると、とんでもないことになりそうですね。

シア:『レッドデータガール』とか文庫で出ているものは、文庫で図書館に入れてくれって生徒に言われますね。やはり、荷物が多いので小さいほうが持ち歩きやすいようです。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


カッシアの物語

『カッシアの物語』
アリー・コンディ/著 高橋啓/訳
プレジデント社
2011

プルメリア:この作品から『ザ・ギバー〜 記憶を伝える者』(ロイス・ローリー作 掛川恭子訳 講談社/『ギヴァー : 記憶を注ぐ者』島津やよい訳 新評論)を思い出しました。マッチバンケットとかファイナルバンケットとか。自分の考えもセーブしなきゃいけない。こういう管理社会ってすごいなって思いました。カイは冒険心があり危ないことをするのがスリリングです。また生き方や考え方が魅力的、主人公がカイにひかれていくのがよくわかりました。今の社会とは違いますが、まったく違うわけではない気がします。いろんなことを考えさせてくれたこの作品に出会えてよかったと思います。

あかざ:3・11以降、書き手も読み手も、意識が完全に変わったんじゃないかと思いますね。『ザ・ギバー』を読んだころは、ディストピアは漠然と未来にあるかもしれないものだと思っていましたが、いまでは現実そのものじゃないかと感じています。この物語も、高齢者などの弱者切り捨てとか、情報管理とか、仕分けとか、読んでいるうちに今の日本のことを書いているようで……。もちろん作者の意図は別のところにあるのかもしれませんが。ただ、近未来の或る社会を描こうとしたのであったら、それほどしっかり構築されているとはいえない……。

シア:近未来物というより、現代物っぽいなって思いました。『トワイライト』(ステファニー・メイヤー著 小原亜美訳 ヴィレッジブックス)シリーズを読んでいて、その次に読む本と銘打たれていたんで読んでみました。カッシアたちと同じくらいの年代の子が、自由の本当の意味を考えてもらうにはいい本だなって思いました。ただ、一人称でぶつ切りの言葉が多いので、文章として読みにくく、そこは少しつらかったですね。全体として起伏にかけるのは第1巻だからでしょうか。果たして日本の子どもにはこれが読めて、そして売れるのかなと心配になりました。それに、装丁がいただけないですよね。カバーがないほうが素敵です。この挿し絵、考えているのでしょうか? 服も未来っぽくないですよね。いい雰囲気のシーンでも、この挿し絵でムードぶち壊しです。話のところどころに古典作品の引用があって、感動しました。本が失われていく社会というのは、『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ著 宇野利泰訳 早川書房)を思い出しました。作者や主人公が文学的な物が好きで、こういう風に扱ってもらえると、読み手側、とくに若い子に好意的に受け入れてもらうようになるので、ありがたいなって思います。それにしても、女の子がカイを探しにいくというのは、アンデルセンの『雪の女王』みたいでいいですね。

ルパン:今日の3冊の中では、私は読むのが一番大変だったかな。全体のテーマとしては、新しいんですかね。『ザ・ギバー』は読んでいないのですが、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を思い出しました。ちょっとわかりにくいところが多かったかな。エアトレインとか、あまりイメージが浮かんできませんでした。最後のあとがきを読んで、そうだったのか、って思ったところもたくさんあったし。「逸脱者」とか「異常者」とか、あまり具体的な説明がなくて、物語に入っていかれない部分もありました。おじいさんの最後も、どんな風に生き返るのか、とか。社会の仕組みそのものがわかりにくい、というのが足をひっぱっちゃったかな。ただ、読むのは大変だったけれど、続きは気になります。続編が出たらぜひ読んでみたいです。

みっけ:SFはあまり得意でありません。というのは、まったく新しい世界を舞台にしたお話は、書く側も背景を構築するのが大変だろうけれど、それにつきあう側もかなりエネルギーがいるので、あまり手に取らないんです。映画なんかで視覚的に見せられるのであればまだ楽なんだろうけれど、今自分がいる世界とはまったく違う世界を書いてある文字から立ち上げて頭の中に思い描くというのはそうとうエネルギーのいる作業でしょう? この作品は、どなたかがおっしゃっていたように、そのあたりにあまりエネルギーを使っていなくて、社会の仕組みこそ違え、舞台設定はほとんど現代と変わらない感じになっている。(ちょっと近未来的な乗り物は出てきますけれどね。)すべてを管理してすばらしい世界を作るというディスユートピアの話もあまり好みではないけれど、この作品は、ふたりの男の子の間で揺れる女の子の心に焦点が合っているのであまりディスユートピアに引っ張られず、それなりにさくさくと読めました。恋模様が結構丁寧に書かれているのがおもしろくて、つづきはどうなるのかな、と思いました。これは3部作の1冊目なので、ここには書かれていないことも、次の2冊で書き込んでいくのかもしれませんね。一見ソフトだけれど、実は恫喝も含めてかなり徹底した管理がなされている社会で、それ以外の状況を知らない人々が別に歯をむくこともなく暮らしていくというシチュエーションは、私たちが暮らす現代とかなり重なりますよね。こういう本は、課題にでもならなければ自分からは手に取らなかっただろうから、読む機会があってよかったと思います。

プルメリア:岡田淳さんが講演会で「子ども達は最初、本の背表紙、次は表紙、最後に厚さを見て本を選ぶ」と言ってらっしゃいましたね。

みっけ:これって、デビュー作なんですよね。だからやっぱりまだまだうまく書けていないところがあるんじゃないでしょうか。ひとつの世界をリアルに再構成するにはまだ力が足りないのでは?

ハリネズミ:『ザ・ギバー』は物語世界がきちんと構築されてて、読者もそこに入って行けたけど、この作品は、よくわからないところがたくさんあります。たとえば、管理する側が、わざとこの主人公を動揺させる仕掛けを設定するんだけど、なんでそんなことをするのか、わからない。だから謎ばっかりで世界に入っていけない。

みっけ:人工遺物を回収するというのは、人々の物語をうばっちゃうということなのではないかしら。ここに書かれている社会では、個人に固有なものはいっさい許されず、それをソフトな形で排斥しているんじゃないでしょうか。

ハリネズミ:文字は書けないという設定だけど、コンピュータでは文章をつくっているわけよね。だから筆記体は書けなくても活字体なら書こうと思えば書ける。だけど、だれも書かない。それはなぜなのかな? 詩をおぼえておこうとか何か意志があれば、人間は工夫するはずなんですよね。薬を飲まされて忘れるって設定かもしれないけど、この子は薬を飲まなかったりするわけだし。訳もしっくりこない。たとえばp445に「ベンチは石をくりぬいて作ったものだった。博物館の薄暗がりに何時間もいたせいで、冷たく固く感じられた」ってあるけど、どうして薄暗がりに長くいると、このベンチが冷たく固く感じられるの? 原文のせいか訳のせいかわからないけど、そういうしっくり来ない描写を延々と読まされてちょっとうんざりしてきました。

みっけ:この作品は、どちらかというとディスユートピアよりも恋愛に力点があるような気もします。恋愛は不自由で障害物が多いほうが盛り上がるから。オーウェルなんかは管理社会そのものを書こうとしていたけれど、この作者の力点は社会にはないのかもしれない。

レジーナ:ポプラの木の描写がとても美しく、私もはじめて英国でポプラを見たときに、「あの光っている木はなんなのだろう」と心うたれたのを思い出しました。テニソンの詩の引用も効果的でした。たきぎの墨で字を書いたり、本が燃やされた図書館の跡地にたたずむ場面では、土を耕したり、物語を分かちあうという人間の本質を想いました。「字を書く」というのは、自分の考えをあらわすことであり、ときには恥や痛みをともなう行為です。そうした身体に根ざした感覚を、人の生きる意味につなげようとする試みが、この本の根底にあるのではないでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


RDGレッドデータガール〜 はじめてのお使い

『RDGレッドデータガール〜 はじめてのお使い』
荻原規子/著
角川書店
2008.07

みっけ:この作家の本は、基本的に好きです。日本の昔の出来事やなにかをうまく取り入れて、違和感のない作品を書く人ですよね。この作品でも、修験道や万葉集など日本古来のものを取り入れているんだけれど、それが単なる表面だけにとどまらず、うまく物語に取り込まれ、織り込まれている。いいなあと思いました。泉水子が無意識に作り出して結局はもてあましてしまう式神にしても、なるほどと思えました。自然やなにかの描き方が上手で、読み手を独特の雰囲気にひきこんでいく腕前はさすがですね。それにこの作品は泉水子の成長物語にもなっている。まったく無自覚だった女の子が、最後のところで自分が作ってしまったものの力関係をもとにもどすわけで、この先どう成長していくのだろうと思わせる。ちなみに私はこれに続いて第5巻まで読んじゃいました。

ルパン:おもしろかったけど、主人公の女の子が私の好みではなかった。目立たなくておとなしくて、とくに取り柄もないのに、まわりのお友達にすごくよくしてもらえる、って、なんだか少女漫画みたい。かえって、リアリティのない登場人物のほうが魅力的でした。たとえば和宮君とか。

シア:今回読んだ3冊の中では一番まとまって、やはり荻原さんだなって思いました。その先が読みたいなって思える作品になっている。自然の描写が少ない『カッシアの物語』に比べ、日本の自然は美しいなと改めて思いました。男の子も魅力的なんですよね。荻原さんの作品でひねくれた男の子って珍しいような気がしたので、驚きながら読みました。巫女とか山伏とかマニアックな要素をふんだんに盛り込んでいるんですけれど、上手にこなしていますね。

あかざ:とってもおもしろかったです。第2巻も読みたい! エンタメとして、見事に書けていると思いました。主人公の泉水子も、それほどうっとおしいとは思いませんでした。これから変わっていくところを描くのなら、これくらい強調しておいたほうがいいのでは? 最初は『十二国記』(小野不由美著 講談社・新潮社)とちょっと似てるかなと思ったのですが、こちらは日本の、それも都会で平凡に暮らしているものには見えてこない自然や、山伏のような日本の地に根ざしたものを描いているところが、とても魅力的でした。泉水子が山頂で舞を舞うところが素敵ですね。あの歌は、万葉集にあるものなのですね。

プルメリア:思ったことをなかなか言えずどうしようかと迷っている子どもは結構いるので、そういう性格を持っている主人公がいてもいいなと思いました。また、そういう子たちにとって自分と似ている性格の主人公がいる作品に出会うこともいいなって思いました。ふだんの生活では知らない神社のしきたりがたくさんあり、かなり山奥の大自然が舞台。山伏は普通の子ども達にはわからない存在ですが、このように意味深なものとして書かれているのもいいなって思いました。主人公の両親の職業は他の仕事とはかけはなれていたり、男の子のお父さんがヘリコプターで学校に来たり、以前読んだことのある荻原ワールドではないなって思いました。東京の商店街で主人公が帽子を買うシーンが、かわいいなって思いました。和宮くんが座敷童とは驚きました。この辺りから荻原ワールドがいよいよ出てきた感じ、作品がおもしろくなってきました。主人公の好き嫌いというよりも、作品のおもしろさ。わくわくしました。次作をはやく読んでみたいです。

レジーナ:それまで人まかせだった主人公が、「自分から知ろうとしなければ、見過ごしてしまう」と感じたり、また「(舞を踊る姿を)見られるのが怖いのは、傷つくのがこわいから、自分で自分を否定しているから」だと気づく場面に、成長を感じました。最後の対決は、あっけなく終わってしまったように思いましたが……。人品(じんぴん)」など、普通の女の子の言葉にしては難しい表現もありました。

ajian:漫画というか、若い女性向けの、Chik-Litみたいだなって思いました。自分に全然自信のない地味な女の子には、じつは魅力的な背景があって……っていうところから、強気で、なんだかんだと自分を守ってくれる男の子が登場するところまでふくめて。ベタな設定と展開が女性向けの通俗小説にのっとっている感じですよね。別にそれはそれで、個人的には大好物で、まったくかまわないんです。ただ、そういう小説で、いわば型を書いていても、どうしてもはみだしてしまう人間性や作家性というのがあって、そこがおもしろいところだと思うんですが、その点、これは少し物足りないなと思いました。あと会話が地の文に比べるとこなれていない。たとえばp10。「山奥に居つづけなくてはならない理由はないと思うよ。義務教育のあいだは、保護者と住むのはしかたないけれど、高校生にもなったらね。ご両親には、なにか言われているの?」ですが、いかにも説明という台詞ですよね。いや、基本的にはおもしろいし、うまく書かれていると思います。設定で、日本の民間信仰をとりいれているところも、いい着眼点だなと思いました。最近ずっと内向きだといわれていますが、裏を返せば、ナショナルなものへの関心が高まっているということだと思います。そういうものを取り入れて魅力的な物語に仕立てているから、これは売れているんじゃないでしょうか。

ハリネズミ:私は今回の3冊の中でおもしろかったのは、これだけなんです。エンタメではあるけど、世界がしっかり構築されてるし、それぞれのキャラもしっかりつくってある。ラノベ読むんだったら、このシリーズ読んだほうがよっぽどおもしろいと思うな。やっぱり荻原さんはうまいですよ。山伏みたいなものを持ってくるのも、さすがです。エンタメだって、ふにゃふにゃしたのじゃなくて、しっかり考えてつくってあるのを読んでほしいな。

ajian:アヴァロンは、これこそ Chik-Lit だなって思いました。アーサー王伝説がモチーフになっていますが、一般の人はあまり詳しくないと思うので、「湖の姫」っていわれても、遠いんじゃないかなと思いますね。この語りの調子は・・・中身がなくても、文体だけで魅力的な本ってあるじゃないですか。そうなってくれるとよかったんだけど、はっちゃけてるだけで、どうも乗れませんでした。あとは、ベオウルフとか、アレックス・ヘイリーとか、せっかく出てくるんだから、注があるとうれしい。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年1月の記録)


レガッタ! 〜水をつかむ

『レガッタ! 〜水をつかむ』
濱野京子 /著 一瀬ルカ/挿絵
講談社
2012

ajian:今回これを選んだのはぼくなんですが、実はすべて読まないで選んでしまいました。女子の部活もので、あまり読んだことがないので面白そうだなと思ったんですが、結果いまいちでした。すみません。

ハリネズミ:どういうところが、いまいちでしたか?

ajian:取材して書いたのはわかるんですけど、頭で書いているというか、今ひとつ伝わってくるものがなかったんですよね。部活になじんで、レースに出て、全国選抜と、物語の流れは一応あって、いろいろ書いてあるんですけど、それが一つにこうまとまって立ち上がってこないというか。あと、この軽い男の子の登場も余計ですね……なんだか、頭のいい感想が言えなくて、まとまってなくてすみません。あと思ったのはですね、登場人物がいっぱい出てくるんですけど、キャラクターが立ってない上に名前が似ているから、誰が誰だか、読んでてわからなくなるんですよ。そこはもうちょっとそれぞれのキャラクターを立ててほしかった。いいな、と思ったのは、ボート部のなかに、嫌いなヤツがいるでしょ。特に前半ちょっと苦手で、ぎくしゃくしてしまうヤツ。集団でやるスポーツのすばらしさは、そういうヤツとも一緒にやれるってことですよね。会社もそうですけど(笑)。苦手だろうが何だろうが、同じ船に乗った以上は、そこでそれぞれの持ち場で力を発揮してやっていくしかない。その辺りは共感しやすいし、王道だなぁと思いました。

カイナ:高校の部活動のボート部を取材して書いたお話ですね。マイナーな部なわけで、多くの人に知ってもらうという意味では、よく取材できているというか、情報がよく書けていると思いました。お姉ちゃんと対比した妹の持ち味もよく書けています。ですが絵がどうも。小説というのは文章からイメージするものでしょう、全くイメージが合いません。もっとたくましいはずだし、陽にやけているはず。どうしてこんな漫画にするのかな? 絵は駄目でした。がんばってる高校生を等身大で描くというか、よく現実を取材して、高校生の女の子をそのまま書けているのに。今の若い読者には、こういう絵が好まれるんでしょうか?

ハリネズミ:みんな同じ顔に描かれてるので、よけい誰が誰だかわからなくなりますね。

プルメリア:戸田が出てきましたが、「戸田市は競艇があるのでその収益で公共施設の設備がいい」と聞いています。表紙の絵はいいと思いましたが、登場人物の人間関係が複雑で、読むのに時間がかかりました。デートをしに動物園に行く場面あたりでちょっと息抜きが出来た感じです。パンダはネコ科で、クマ科ではないはず(のちにパンダ科と判明)。ボートを一生懸命やっている姿が高校生らしい。私も左利きで中・高とテニスをしていましたが、家で筋トレはしなかったので主人公とは意気込みが違うなと思いました。この作品からボートに関しての知識を得られました。まあ、「青春もの」かな。男の子が出てきたところで、ちょっと読みやすくなりました。

みっけ:判型やこの絵から見て、軽く読めるように作られているんだな、と思いました。前にこの会で取り上げた同じ作者の『フュージョン』(濱野京子著 講談社)も、グループでの競技スポーツを通して女の子が成長する話だったけど、あちらのほうが登場人物もいろいろで、脇役もしっかりしていて、物語として厚みがあった気がします。それに比べるとこれは定型というか、お決まりのコースという感じで、読みやすいけれど全体として軽くて薄い感じ。たぶん、あまり本と仲良しでない子どもたちに向けた作りなんでしょうね。そういう意味では『フュージョン』とは作る姿勢がまるで違う。この長さの割に登場人物が多いので、書きわけもあまり丁寧にできなかったのかな。美帆という女の子にもいろいろと事情があるんだな、と主人公が察する場面など、書きわけよう、キャラを立てようという姿勢はあちこちに見えるけれど……。たしかにどの子がどの子かわかりにくかったですね。人物の書きわけが難しいのは、優等生が集まった学校のエリートクラブの内輪の話だということもあるのかもしれない。それと、この絵は私は評価できませんでした。まるで勢いがない。でも、ボート競技のことは私も知らなかったので、へぇと思いました。

レジーナ:勤め先の区立中学校には、公立図書館が選書した本をまとめて貸してもらえる制度があって、その中にこの本も入っていました。挿絵に惹かれて、子どもたちは手に取っているようです。この本をきっかけに、『フュージョン』等に読み進めてくれればいいと思うのですが……。登場人物が多く、名前も似ているので、ひとりひとりを覚えるのが難しかったです。数か月前にこの会の課題図書になった『鷹のように帆をあげて』(まはら三桃著 講談社)には、「向かい風の方が鷹は飛びやすい」など、作者が子どもたちに伝えたいメッセージが根底にありました。スポーツを扱った作品の面白さは、その競技をしている人だけが知っていることや感じたことを、人間が生きていく上での姿勢や人生になぞらえて語る点にあると思います。『レガッタ!〜水をつかむ』も、「水をつかむ」という言葉と、主人公が葛藤を越えていく過程を結びつけられたら、もっと味わい深い作品になったのではないでしょうか。

ルパン:選んだご本人がいまいち、とおっしゃったので、ほっとしました(笑)。前半がボート競技の説明文みたいな感じで、物語に自然に入っていかれませんでした。読書会の課題図書でなければ、10ページでギブアップだったかも。p45の図も理解できなくて。これがわかんないとストーリーを追えないのか、と思ったらちょっとあせりました。一般の人に馴染みのない世界を伝えようと思うとこんなに大変なのかと、作者がお気の毒になったりもしましたが。あと、ところどころに同時代的なこと(例 AKB48など)が出てくるのが気になりました。短いスパンで古臭くなりそうなのが心配です。共感したのは共働きのお母さんの台詞、「(食事を)作るのが面倒くさいときは、刺身にする」。私もそうだから(笑)。「水をつかむ」という言葉はとてもいいので、これをクライマックスにもってくればいいのに。ボートがわからない女の子が、これがボート競技なんだ、ということをつかむ瞬間がくる設定にすれば感動的だったと思います。副題に使ってしまったのはもったいない。そもそも、全体的に臨場感というか、ボートで揺られている感触やオールがすうっと水に入った瞬間の感覚などをもっと書いてもらいたかった。

カイナ:ボート部というものを、客観的に取材して書いているという弱さもありますね。ご本人自身の経験ではない。水をつかむという話ですが、ボート部は、大学3年くらいになって、水がつかめるようになると本当にきつくなる。1、2年の頃の方が水をつかみきれないから実は多少楽だったと気づく、というのを聞いたことがあります。それをつかむために練習しているわけですね。

プルメリア:大勢でやると動きます。数年前、榛名湖の高原学校でカッターボート体験をしました。子ども達に「力をいれて!」と声をかけると、水面をスムーズに動くことができました。

カイナ:項目の取材はしたけれど、体験の取材はそれに比べると浅いかな。そこが書けていないとも言えますね。

ルパン:そこが書けていないのが、とても残念。もったいない。

みっけ:逆にいうと、ストーリーを作ろうとして盛り込み過ぎかもしれない。一年をずっと追わなくても、たとえば水をつかんだ瞬間がクライマックスにくるようにして、そこまでの過程をもっとリアルに実感を持って描くというやり方もあったんじゃないかな。腕力も体力もやる気もある主人公が、それでも水をつかめなくて、それがある瞬間に水がつかめるようになるという、それだけでも十分感動的なんじゃないかな。

カイナ:ボートという珍しい世界を書きました、ということ。

ルパン:焦点が分散しちゃった感じがもったいない。

ハリネズミ:この本は、YA! ENTERTAINMENTシリーズの一冊なので、最初からエンタメとして書かれているんじゃないでしょうか? 文章もいわゆる「立っている」文章ではなくて、情報を伝えるような文章だし。だから、文学として足りないところを見ていっても始まらないと思うんですね。私がうまいな、と思ったのは、稔一の書き方なんです。ただ軽いだけの男の子だったら有里が部活をさぼってまでデートする気にならないし、本当に魅力的な男の子にも書けないし。そのあたりの案配がうまいな、と。

ルパン:「沈する」エピソードはとてもよかったです。

ハリネズミ:表紙はともかくとして、中の絵は私も残念。

カイナ:前に読んだ弓道の話がありましたね、(『たまごを持つように』(まはら三桃/著 講談社))弓道のほうが精神性が伴うからまたちょっと違いますね。

ハリネズミ:今は本を読まない子もふえているので、そういう子を読書にひきいれるための本も必要だと思うんです。この手の本が、そういう入り口をつくってくれるといいな、と思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


もういちど家族になる日まで

『もういちど家族になる日まで』
スザンヌ・ラフルーア/作 永瀬比奈/訳
徳間書店
2011.12

ルパン:最初は主人公の女の子が好きじゃありませんでした。自分のことでいっぱいいっぱいで、まわりの人まで思いやる余裕がないし、あんまり「いい子」じゃないですよね。でも、途中からぐいぐい引き込まれて、この年齢でこんな目に遭ったらこう感じるのが当たり前だ、って思うようになりました。最後はすっかり感情移入して、電車の中で読みながら悲しくなって号泣しちゃいました。いちばんぐっと来たのが、お母さんと会えたときに初めて言う言葉。お母さんに「私より妹のほうがかわいかったの?」って言うシーンです。死んだ妹をなつかしんでいたけれど、私がいるのに、妹が死んだことがそんないつらかったの、と。そのひとことで、もう泣けて泣けて。

レジーナ:ずっと気になっていた作品です。読むまでは、経済的に困難な家庭でネグレクトを受けた少女の話かと思っていましたが、そうではないのですね。亡くなった妹のために買っておいていたプレゼントを、誕生日の日に写真のそばにそっと置いたり、お母さんが見つかったことを知らせに学校に来たときに、可愛がっている金魚を車に乗せて連れてきたり、押しつけがましくなく主人公の気持ちに寄り添うことのできるおばあちゃんが心に残りました。感謝祭の前に、主人公が、家族の思い出のスイートポテトを作りたいと言い出した時も、失敗したらどれだけ傷つくかを考えたら、私だったら一緒に作ると思います。その子を信じて委ねるのはなかなかできないことなので、子どもを根底から信じようとするおばあちゃんの強い姿勢を感じました。親友の妹が病院に運ばれたとき、それまで悲しみの殻に閉じこもっていた主人公が初めて友だちのことを思いやる描写も、心に響きました。誕生日の日に、年の数より1本多くろうそくを灯す習慣について、あとがきで触れてありましたが、物語の中では詳しく述べられていなかったので、その点に関してはもう少し説明がほしかったです。

みっけ:これは原書が出た頃に買って1度読みました。不思議な感触の本だなぁ、静かな本だなぁと思いました。今回訳を読もうと思ったのですが、冒頭で日本語にひっかかって、その後もかなり気になる箇所が多く、結局原書を読み直しました。初めのうちはこの子に感情移入できなくて、嫌な子だと思った、という感想がありましたが、まさにそう思わせるくらい丹念にこの子の心の動きを掬っているのがすごいと思いました。主人公の見たもの、感じたものをごく細かいところまで丁寧に掬っているんだけれど、ただ拾うだけでなく、ポイントをしっかり押さえているから、主人公が細かく揺らぎながら喪失感や何かに向き合っていくのがリアルに伝わってくる。その実感が感じられるから、ベタになってしまわずに、読んでいて、この子に静かに寄り添っているような感じがするんだと思います。それと、最後のところでお母さんが、一緒に住める気がするから家に帰ってきたら、と言い出したときに、この子が返事をペンディングするところがいいなぁと思いました。それがこの本の大きな魅力だと思う。この子がすぐに一緒に住む,と言わなかったことで、おばあちゃんや隣の女の子と過ごした時間、そこで培った関係をこの子がどれだけ大事にしているかがよくわかる。いわば、お母さんとは別の時間や関係がどれほど大切なものだったかが浮かび上がってくるわけです。それがなくて、この子がほいほいと家に帰ったら、あのおばあちゃんや隣の子との時間はなんだったの?という話になる。それと、おばあちゃんやブリジットなどのこの子を取り巻く人たちの接し方がすばらしいと思いました。大前提はとんでもなく深刻な状況なんだけれど、この本に描かれている時間の中では、別にドラマチックですごく大きな出来事が起きるわけではない。その意味ではかなり地味な本なのに、丹念に細かく日常を積み上げていってこういう作品を作れるのは、すばらしい才能だと思いました。

ルパン:タイトルが残念ですよね。センスが感じられない。

みっけ:訳は全体にベタな感じですね。それと、原著がかなり綿密に言葉を選び、情景のイメージを作っているのに、訳が粗いのが残念。細かいことを積み上げていくタイプの作品だけに、それが大きく響いてしまう。でも、作品としてはとても好きです。

カイナ:この題名を見て読むと、お母さんと娘がもう1度一緒に住むようになるんだろうな、と予想して読んでいったら、そうならなかったので意外でした。パターソンの『ガラスの家族』(キャサリン・パターソン作 岡本浜絵訳 偕成社)を思い浮かべました。ちょっと違うけど母親に捨てられた娘。お母さんがヒッピーで、里親の愛を受ける。あっちに行くか、こっちに行くか迷うという話。

ハリネズミ:『ガラスの家族』は、ギリーがお母さんと会ったときに、それまでずっと抱いていた幻想が壊れるんですね。パターソンは、お母さんがカバンを間にはさんでギリーを抱きしめた、と書いて、そこをうまく表現しています。

カイナ:ちょっと批判になりますが、マーカスという男の子が出てきます。「ぼくのせいでお父さんが消えちゃった」という子。その子が、あとどうなったかが書かれていなかったような。それから、変な話なんだけど、家庭に問題があって最後に主人公が立ち上がってきた話というテーマは多いですね。またその話か、と思ってしまいました。自分の中では正直食傷ぎみ。そんなこと言うと怒られるかな。

ハリネズミ:日本の状況からすると遠い感じがしますけど、欧米には、親が離婚・再婚を繰り返す家庭なども多いので、そういう立場にいる子どもへの応援歌も必要なんですね。だから作品もいろいろと書かれていますが、それぞれ特徴がありますよ。

みっけ:この子は最後のやりとりで、決してお母さんを拒否していない。そしてこの本は、お母さんを拒否していないということがきちんと伝わるように書いてある。それでもこの子は揺れていて、お母さんがいないところで紡いできた時間のことを考えると今すぐは無理、というわけだけれど、こういう選択肢はなかなか子どもには考えにくい。どうしても二者択一になりがちだから。でもこういう選択肢があるということを示して、それでいいんだよ、というのは、現実にもみくちゃにされている子どもたちへのひとつの応援歌だと思います。

ajian:すごく気持ちを丁寧に書いてあって、それで読むのが大変でした。感情移入してしまって……。こういうことは、なかなか簡単に癒されたり、解決したりすることではないと思うんですよね。お母さんのところに戻らないっていう選択肢を物語として示してあるのは、すごくいいと思いました。子どもには回復力があると思いたいけれど、この子ーーまあ小説の登場人物なんですがーーはむしろ、これからなんだろうなと思います。トラウマっていうのは、自分ではすっかり平気だと思っていても、何かの拍子に思い出したりするんです。いつか変わる、普通に戻れると思っているとダメで、むしろ変わらないし忘れられないんだってことを受け入れてかないとキツいと思うんですよね。ここまでひどいことが起きなくても、子どもは結構大変なことを抱えているもので……。個人的にも最近いろいろあって、ついそのことを重ねつつ読んでしまいました。

プルメリア:重たいテーマなのに、『レガッタ! 〜水をつかむ』に比べて私は読みやすかったです。主人公のそばにいつもいるおばあさん、隣に住む少女や家族、そして出会う人たちがとてもあたたかくていいなと思いました。お母さんに対しての思いが、周りの人達と関わることによって、だんだん冷静に見られるようになって、よかったなと思いました。食事の場面がたくさんありました。食事の場面が出てくるとあたたかい感じがするなと思いました。

ハリネズミ:最後のところでオーブリーはこう書いています。「ママがもういちど、家族になりたいって思ってるのはわかるよ。わたしも同じ気持ち。だけど、ここにいる家族を置いていく気には、今はまだなれません」。この「ここにいる家族」の中には、おばあちゃんだけじゃなくて、ブリジットやブリジットの家族や、マーカスや、エイミー先生も入ってると思うんです。英米の児童文学を見ると、「家族というのは血のつながりより、一緒に紡ぐ時間の積み重ねのほうが大事なんだ」という思いが強い。イギリスのジャクリーン・ウィルソンの作品なんかも、それが前提になっている。それと、私はこの作品を読んで、アメリカのジャクリーン・ウッドソンの『レーナ』(ジャクリーン・ウッドソン著 さくまゆみこ訳 理論社)を思い出しました。あの作品でも、主人公マリーのお母さんが夫と子どもを置いて家を出てしまうし、マリーはそのお母さんに宛先のない手紙を出し続けています。

みっけ:この子とスクール・カウンセラーとの関係は、決してメインではないんだけれど、それでもきちんと書いてあって、たとえば、最初はずいぶん突っぱっていて、M&Mをどうぞと言われて、「いえ、けっこうです」みたいに断る。ところが4回目に会ったときには、思わずまたM&Mをどうぞって言われるのかな、と入れ物のほうを見ちゃう。そしてカウンセラーにどうぞといわれると、膝の上に入れ物ごと置いて食べ始める。しかもその日の面談が終わるときには、なんと入れ物を戻すのを忘れて、カウンセラーに「M&Mは(持って行っちゃわないで)置いていってね」と言われる。この展開ひとつで、この子がカウンセラーに対して次第に心を開いていっているのがわかるし、最後の「置いていってね」のところには独特のユーモアがある。作者の目線にユーモアがあるからこそ、深刻な状況で揺れる心に寄り添っていても、こちらがあまり息苦しくならない。そこがいいですね。

ハリネズミ:ちょっとしたところの描写がうまいですよね。

ルパン:これを20代の人が書いたというのもすごい。若いのにすごい筆力だと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


プリンセス・アカデミー

『プリンセス・アカデミー』
シャノン・ヘイル/作 代田亜香子/訳
小学館
2009.06

みっけ:王子様がそのために教育を受けた娘たちのなかからお嫁さんを選ぶ、という設定はあまり好みではないな、と思ったのですが、苦手なわりにはさくさくと読めました。タイトルがプリンセス・アカデミーとあったから、きらびやかな都会の話かと思って読み始めたら、なんとへんぴな石切り場の話で、へえ、と思いました。それと、最後の結末の付け方は、おやまあ、こうきたか、という感じでした。実は王子様と昔からの知り合いだったなんて、想像していなかったから。主人公がなぜ石切場で働けないのかとか、自分に対するコンプレックスなどが最初にさらっと提示されていて、その理由をはじめとするいくつかの謎で物語を引っ張っていく造りなので、その意味では面白く読めました。でも、盗賊が少女を宙づりにするのは、実際にはちょっと時間が長すぎるんじゃないかと思いました。それと、石切り場では、「クウォリースピーチ」で声を出さなくても呼びかけられるという話が出てきて、え?と思ったけれど、それは石が血肉になっているから、というふうに理由づけているのは、ある種物語の論理なんでしょうか。ちょうどテリー・プラチェットの「ティファニー」シリーズ(テリー・プラチェット著 冨永星訳 あすなろ書房)で「チョークの大地に暮らす人々の背骨はチョークでできている」というのと同じ発想だな、と。最後のところで、この子がお姫様願望に落ち着くのではなく、学ぶ機会を作ることで村の人たちの役に立てるんだ、ということに目覚めるのもいいと思いました。

ajian:この、王子様が学校を建てて、わざわざ自分のための嫁選びをする、みたいな設定が呑めるか呑めないかってとことで、まず意見が分かれるんじゃないかと思うんですが、ぼくは全然呑めるんですね。すごく楽しく読んでしまいました。訳者あとがきにもありましたが、タイトルから想像するのと、内容が全然違いますね。しかも石のこと、クウォリースピーチっていう設定や、外交交渉を身につけるみたいな話から山賊の登場まで、随分盛りだくさんなんですが、それを面白い物語としてうまくまとめていると思います。長いと言えば長いんですが……。

プルメリア:この作品は出版されたときに手にし、すごく楽しく読めました。小学校の図書室にいれたところ、6年生の女子が「絵が好き」と言って読んでいました。

ハリネズミ:手に入ったのが遅くて、まだ半分しか読んでないんです。今の時点で感じているのは、学びと生活の関係がよく描かれているな、ということ。それから、いくら普通のプリンセスものとは違うといっても、作者の中にプリンセスへの憧れを是とするシンデレラ・コンプレックスがあるな、ということです。それから、この本はファンタジーではないので、石がコミュニケーションの媒介になるという非科学的な点は気になりました。訳には、もう少していねいにしてほしいと思う箇所がいくつかありました。たとえばp177の「ペダーってば、こんなにきらわれるなんて、ゆうべなにをしでかしたんだろう」とか、p185の「リンダー石を飲んだり吸ったりしているからよ」なんていうところです。表紙や挿絵はちょっと不気味だったんですけど、今の中・高生は気に入るのかな?

みっけ:そこの部分は、踊りのときに、ペダーがミリーと踊らずに、その二人と踊っていたことを指しているのかと思いましたが。

ハリネズミ:それを指すのだとしても「しでかした」は違うかと。

シア:地域の図書館でもやたらと人気があったみたいで、昨日やっと私の予約が回ってきました。というわけで、読み込んでいません。ラストは読み飛ばし状態です。テキトーなことしか言えなくて申し訳ありません。ニューベリー・オナー賞ということで、すごい作品だなと思いながら読んでいましたが、心にくるものがないというか、いまいち腑に落ちない思いで読んでいました。結局、教育や知識っていうのは重要なんだ、ということが言いたいのかなと思ったりしました。「后の位も何にかはせむ!」といった感じで、『更級日記』を彷彿とさせるような作品でした。しかし、プリンセスに選ばれた女の子が個人的に気に入らなくて、これではとんだ茶番ですね。こんな大冒険までしたのに。まあ、村は発展したけれど……。こういうお馬鹿な女の子を選んでしまう王子がいるなんて、この国の未来は大丈夫でしょうか? 心配だなぁと思った一冊でした。

ルパン:この表紙、このタイトルのわりに、読み応えがありますよね(笑)。児童書版ハーレクインだと思ったら、意外や、そうではなくて。私はリアリティに根ざしたファンタジー作品だと思いました。あっ、(選書係として)重くて、大きくて、ごめんなさい。

レジーナ:各章の冒頭の言葉は「クウォリースピーチ」のようですが、物語とのつながりが見えづらかったです。主人公がプリンセスを目指すようになる心の動きについても、家族が立派な家に住めるようにしてあげたいという気持ちや、美しいドレスへの憧れや、山の出身であることを見下されたくないという反発心など、いろいろと挙げられていましたが、決め手となった理由がはっきりとは描かれていませんでした。舞踏会の時にドレス姿の先生を見た主人公が、先生もここに来るために多くのものを捨ててきたのだと気づく場面が印象的でした。一方的な見方しかできなかった主人公が、このときはじめて他者の立場から物事を見ようとする場面なので、もっと掘り下げて描いてほしい箇所です。

シア(遅れて参加):『プリンセス・アカデミー』というタイトルは、ディズニーの子ども用プログラムであるので、それと勘違いして借りる人もいるのではないかと思います。後から来たので、ほかの2冊についても言いますね。
 『もういちど家族になる日まで』は謎めいた出だしで、気になりました。おばあちゃんとあまり性格の良くない子が出てきます。11歳の女の子が乗り越えるには、あまりにもつらい現実です。周りの人がすごくいい人ばかりで、隣の女の子がとても可愛く描かれています。『西の魔女が死んだ』(梨木果歩著 楡出版・小学館・新潮社)、『ハッピーバースデー』(青木和雄作 金の星社)との類似性を感じました。でも、主人公が空想の友達に手紙を書いたり、自分の力で立ち直っていく力強さが先ほどの二作とは違うかなと。とはいえ、ラストが子どもの目線なので仕方がないけれど、これで解決になっているのかなと。この落としどころでいいのか、腑に落ちなくて『西の魔女が死んだ』のような感動はありませんでした。日本と外国の差が大きく出た一冊のように感じました。ちょっと暗かったかな。子どもはどう思うのかな、と思いました。中高生だと、お母さんの方に共感するのかもしれません。
 『レガッタ!〜水をつかむ』は図書館で簡単に手に入ったので、しっかり読めました。少女漫画風の挿絵で、びっくりしました。こういう絵柄を喜ぶのは、中学2年生くらいまでではないでしょうか。高校生くらいになると、逆にこういうのを嫌う子が多いと思いますよ。内容が高校生なのに、絵で損をしている部分があるように感じます。よっぽどアニメとか好きじゃない限り、手に取りにくくなるんじゃないかと思いますね。心理的に難しい部分があります。それに、親や先生が漫画本風の絵をすごく嫌う傾向があるので、いくら中身が良くても見た目への抵抗が激しく、学校図書館に入れにくかったりします。

ajian:一応少女漫画を擁護したいんですけど、これは少女漫画としてもあまりいい出来の絵じゃないですよ。

ハリネズミ:先生たちは、どうして嫌うんですか?

シア:こういうのをすごく嫌がる年配の人もいるし、「オタク系」といって嫌がる人、それから、ライトノベルを排除したがる人もいますね。そういう先生は、ラノベは時間の無駄で、本じゃないと言っています。教養のある本を読んでほしいと言う先生は、漱石や鴎外を読んでほしいのでしょうね。子どもたちとの間に大きな温度差があります。

カイナ:高1『羅生門』高2『高瀬舟』高3『舞姫』は教科書に必ず載っていましたね。

ハリネズミ:本を読まない子をどうすくい取るかという視点も必要です。それと今は発達障がいといわれる子も増えているので、そういう子どもたちにはまた別の視点から本を選ぶ必要がある。いろいろな種類の本が必要だと思います。

カイナ:作家はこの絵を承認しているんでしょうかねぇ?

シア:『レガッタ!』は、絵のせいというわけではないのですが、漫画のノベライズを読んだような印象を受けました。これは講談社のこのシリーズのなかでも、トップクラスに軽いものでしたね。スポーツものによくある、先が気になるハラハラ・ドキドキ感がいまいちありませんでした。女の子がいっぱい出てくるので恋愛のシーンがあるかと思ったら、女の先輩のほうがかっこよかったりしましたし。スポ根をイメージしたわりに話に山がなく、決め手になるシーンがなかったように思います。ボートについては知らなかったので、そういうところは楽しめましたが。女子の友情も書けてたかなぁ? お兄ちゃんの描写もひどかったなぁ。藻にからまってどろどろしたイメージで、まさに「沈」。

ハリネズミ:エンタメはエンタメで難しいですね。本を読まない子にとっては、むしろステレオタイプでお涙ちょうだいみたいな本のほうが魅力的だったりするのかな?

シア:髪型のことなど細かく書かれていますが、誰が誰だかわからないですね。この描写はなんなのでしょうか? どっちつかずかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2012年12月の記録)


少年少女飛行倶楽部

加納朋子『少年少女飛行倶楽部』
『少年少女飛行倶楽部』
加納朋子/著
文藝春秋
2009.04

御茶:おもしろいですし、愛情や友情もしっかり描かれていていいと思いました。すごくさわやかです。絵もいいです。主人公の心のツッコミがツボにハマりました。「るなるな」が最後にピンチになっていた所は、最後を盛り上げるために作為的な感じがして、もう少しひねりがほしかったなと思いました。

トム:一番はじめ表紙を見て「劇画風物語かな?」という印象。色々なキャラクターを演じるように、若者たちが次々登場しますけれど、お互いに気を使いあう関係が痛々しい気がして……。他の2冊で描かれる友だち関係とはずいぶん違う。時代も国も違うけれど……やはり今の日本の若い人の物語なのかな。飛行というテーマで進んでゆきますが、最後はちょっと無理があるかも。

ルパン:「道具や乗り物を使わない」というのがクラブの規約なんですが、最後は熱気球を使って飛びますよね。気球は道具じゃないのかなあ、と思っちゃいました。風船おじさんの話が出てくるのですが、その行動の愚かさ、切なさは語られてなくて残念。でも、作家はもしかしたら風船おじさんをヒントにこのお話を書いたかもしれないと思いました。登場人物のなかでは、イライザが一番よくかけていたし、いいですね。お母さんも良かったです。『ロケットボーイズ』がおもしろすぎたせいか、ちょっとうーんと思いましたが……。あと、どうして題名だけ漢字を使っているのかなと思いました。文中はぜんぶ片仮名で『飛行クラブ』だったので。

プルメリア:本を手にしてもあまり進まなかったです。現実的に書かれている内容なのですが、非現実的な感じで、ちょっと読みにくい本だった。飛ぶという設定はわかりますが……。登場人物それぞれの性格がわかりやすく書かれているように見えますが、気球が飛ぶところは、なんだか現実から離れた感じがしました。

サンザシ:文庫本で読みました。お互いの関係を探り合う中学生の関係とか、いろんな立場の子どもの思いなどが出て来て、悪くないと思いました。熱気球はなかなか魅力的なアイテムなので、もっと詳しく書いてくれると地に足のついた作品になったと思います。日本の作家は人間同士のやりとりとか微妙な心模様を書くのはうまいし、身のまわりの隅々にまで目が行くと思うけど、それから先にまでは広がらない。他の2作品とは視点が違うなと思いました。

げた:科学好きの子どもっていう題材の本が、日本の本ではなかなかみつけられなかったんですよ。ちょっと、テーマからはずれちゃったって感じですね。科学的な探究の末に空を飛ぶ、なんてことにはなっていないですもんね。でも、空を飛ぶという目的の部活を通して、中学生がお互いの人間性をみつめて、仲間のもうひとつ別の人間性をみつけ、成長していく様子はおもしろく読めました。最初に登場人物のおもしろい名前の紹介をつかみにして、読み進みやすい感じだと思いますよ。最後の部分は荒唐無稽で、あり得ない話になっているけれど、映画にしたらよさそうですよね。青春小説として楽しく読めました。

モフモフ:おもしろく読みました。ちょっと本を読んでみようかという若い読者にはちょうどよいのではないでしょうか。最初の飛行倶楽部の宣言(理想の飛行は、ピーターパン!?)を見てどうなるんだろうと思ったけれど、現実にできそうな熱気球に落ち着いて、なるほどと思いました。連載をまとめた本ですが、最初から熱気球と決めていたのか気になります。

メリーさん:加納朋子さんの作品は大好きでけっこう読んでいます。日常の謎を解く、コージーミステリーがとてもおもしろい。そんな中で、今回はちょっとこれまでと路線が違うなと思いました。子どもたちの青春群像という感じ。主人公は「ちびまる子ちゃん」のような性格で、世の中をちょっと斜めから見ている感じがするけれど、やはり心は素直。部長が、自分は姉の面倒をみるために生まれてきたということに対して、泣きながらそれは違うと言うシーンは、とてもよかったです。結末はリアルではないけれど、部活ならではの一体感があって、やった!という達成感を感じました。全体的にさらっと読めておもしろかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


ロケット・ボーイズ(上・下)

ホーマー・ヒッカム・ジュニア『ロケットボーイズ』
『ロケット・ボーイズ(上・下)』
ホーマー・ヒッカム・ジュニア/著 武者圭子/訳
草思社
1999/2000

モフモフ:作品の密度が濃くて読み飛ばせなかったので、読み終わるまでに時間がかかりました。知らなかったのですが、ロケット開発の最初の時期はアメリカよりもロシアのほうが先行していたのですね。作品中で描かれているように、アメリカの学校ではカリキュラムを変更したりして、ロシアに後れをとったことがそんなにショックだったのかと感慨深かったです。上巻と下巻では主人公の立ち位置がおちこぼれから、みんなに認められる町のヒーローに変わっていって、立身出世の物語のような感じもあり、ぎくしゃくしていた父親と主人公の関係も、どうなるんだろうと思いながら読み進めました。お父さんは、たたき上げの炭鉱の監督で、炭鉱で起きるすべてのことに責任を感じるような人。肺の病気もあるし、落盤事故の怪我もあるし、満身創痍ですよね。当時の炭鉱町の様子、そこで生きる人間は、こんなふうに考えていたのかと新鮮でもありました。

げた:たまたま、なんですけどね、今回のとりあげた本の年代は大体50年きざみになっています。この本の時代は今から50年前です。アメリカとソ連が鎬を削りあっている頃で、アメリカがソ連には負けないぞという頼もしさが伝わってきました。ここのところ、この会でとりあげられている本が、厳しい状況におかれた子どもたちを扱ったものが続いたので、楽しく生き生きとした子どもを扱ったこちらの本を選書係として選ばせてもらいました。最初はプラスチックの模型飛行機に癇癪玉を詰めただけのロケットから、最後の微分積分などで計算して作られたロケットにまで到達したというのがすごいな。しかもこれは実話なんですよね。考えてみると、2、3年の間にこんなことができたのがすごいですね。この年代の普通の男の子らしく、女の子に対する興味もおもしろく描かれていましたね。ドロシーに寄せる恋心も興味深かったな。とにかくおもしろかったです。上下巻2冊で分量はそこそこあるけど高校生くらいなら読めるし読んでほしいな。

サンザシ:すごくおもしろかった。映画も本も知らなかったんですが。下巻は2か月で7刷りまでいっているので、売れているのかなと思います。どこまで自伝なのかわかりませんがノンフィクションだから書けるところや重みもあるんでしょうね。この人は技術者だからお鍋やストーブをだめにしちゃうのもリアルに書かれているし、そういうのを許すお母さんはすごい人だなと思いました。仲が悪そうなのに良いところもあるし、お金も貯めていてすごい、なかなかこうはいかないだろうなと思いました。大人らしい大人がいっぱい出てくる作品だと思いました、今は大人らしい大人は少ない。ロケットのノーズコーンはこうだ、お酒はこうだ、とアドバイスをくれたり、大人が反対してくれたり、子どもにとっても良い時代だったと思ったりもしました。アメリカだけじゃなくてアフリカにも、学校に行けなくなったけど自分でゴミ捨て場から拾ってきた材料で風車をつくった少年がいて、『風をつかまえた少年』(ウィリアム・カムクワンバ&ブライアン・ミーラー著 田口俊樹訳 文藝春秋)という本を書いています。子どもはそういう力を持ってるんでしょうけど、常識的な親が芽を摘んじゃうこともあるでしょうし、環境も良かったんだろうなと思います。最後のお父さんの残したのも良かった。

プルメリア:上・下の2巻構成 活字もたくさんですが、作品に入り込み、一気に読みました。実話だったからこそ内容がわかりやすくとてもおもしろかったです。主人公の父親の責任感ある行動力がすばらしく、偉大さがあり、立派だなと思いました。周りの人々が少年たちの実験をなんとなく見守ってくれるのもこの時代だからこそだなと感じました。今の子ども達はやりたいことがあってもなかなか実行できず終わってしまうケースが多いですが、この少年たちからは周りの人々に支えられながら頑張っていく意欲や熱意が伝わってきます。一つ一つの積み重ねの実験が大きな成功に結びついていくんだなと思いました。スペースシャトルに関する土井さん(素敵なマスク!)の話はわかりやすく、全体のストーリー構成のつながりも良く、スケールの大きな話でした。

ルパン:めちゃくちゃおもしろかったです。この会に参加させていただくようになってから、読んだことない本をたくさん読む機会ができてうれしいです。この作品を読んで、ボブ・グリーンの『十七歳』(文藝春秋)を思い出しました。実話ゆえのドキドキ感がちょっと似ています。主人公はこんな素敵な男の子なのに、好きな女の子を最後まで振り向かせられないところも。この作品もお母さんがいいと思いました。昔のBFが現れ、かつての恋敵が立派になって帰ってきたのを見たお父さんが「選び方をまちがえたな」と言ったとき、「ちゃんと正しい方を選んだわ」というシーンは素敵でした。ちょうど、最近になって理系のおもしろさに目覚めたところでもありました。理系の人はたぶん、文系の人よりもロマンティストですよね。『ロケットボーイズ』のような息子がいたら、きっと息子が恋人になっちゃうと思います。

トム:ソ連とアメリカの国の競争が炭鉱の町に住む少年にまで響いていることにびっくり! 同じころ日本も石炭がエネルギー源で、炭鉱の落盤事故ニュースにくぎづけになったことを思い出しました。あ〜アメリカもそうだったんだなぁと思いました。お父さんの危険と背中合わせの強い生き方、不安を見せないお母さんの逞しさも強い! ロケットボーイズのまわりで、彼らを押さえようとする人がいるなかで、やがて皆応援していくのはアメリカなんだろうなと思いました。おもしろかったです。物語を読んでいくと、エネルギーの変化やアメリカのロケット開発にドイツ人のブラウン博士がかかわっていること、それから炭鉱でひっそり働くバイコフスキーさんはユダヤ人らしいことなど時代の波を感じました。本は何度でも手にとれるので、いつか読み返した時、またいろいろ考える手がかりが埋まっている良い本だと思いました。この少年がもし物理の先生にだったら私は赤点取らなかったかも。

御茶:すみません上巻しか借りられていないのですが、17ページのペンテコステ派、メソジスト派、バプティスト派など、宗教がころころ変わっていくのはすごいことだなと思いました。戦争の時に石炭を必要とするのはどこも一緒なのだなと思いました。日本も女性を炭坑にかりだして女炭夫さんという方々もいたなと思い出しました。上巻まではロケットを飛ばすための助け合いや、友情は少なく、『少年少女飛行倶楽部』の方が描かれているなぁと思いました。男の子の視点で書かれているのですっきりしているなと思いました。

メリーさん:上下とボリュームのある物語ですが、とてもおもしろかったです。炭鉱の街の描写を背景に、主人公たちのロケットにかける青春を描く重層的な物語。文章は映像的で、特に下巻、主人公がチームを引っ張っていくようになってからぐいぐい引き込まれました。個人的に興味を持って読んだのが、父親との関係。父子というのは、ある意味で永遠の課題です。息子は父親のことが目の前に立ちはだかっている壁のように見えるのだけれど、父親も息子との距離をはかりかねている。父は、次男である主人公にかなりつらくあたるのだけれど、自分が命をかけている炭鉱を見せたり、主人公が行き詰っているときにはぽんと材料をくれたりと、気にかけている様子がところどころにはさまれる。一面的ではなく、善悪両面があるという描写にリアリティを感じました。息子は、最終的に父親を乗り越えるわけではなく違った道を見つけ出して選ぶ、そして父親を理解していくというのがとてもいいなと思いました。

すあま:映画を先に見ていて、あらめて読みました。スプートニクショックというのがアメリカにとってどうだったかというのを授業でも習っていたのですが、本当に大きな衝撃だったのだなと分かりました。科学コンテストの話は『ニンジャx ピラニア x ガリレオ』(グレッグ・ライティック・スミス著 小田島則子&恒志訳 ポプラ社)を思い出しました。科学をやらねばということで学校でも教育が見直されて国をあげてやっていったことが分かります。どんどん不景気になっていく炭鉱の町では、ロケットが未来に向けた希望だったのでは。馬鹿にしていたのに意外と上手くいって希望の光になっていったんだなと感じました。いろんな人がで登場しますが、親子、夫婦、兄弟、友達の関係もていねいに書かれていました。この作品は子ども時代の話ですが図書館では伝記の棚に入っていました。だけど、フィクションや小説、文学作品と言って良いのではないかな。『ロケットボーイズ2』というのも出ていますよ。

モフモフ:NASAの技術者の自伝的な作品ですが、ゴーストライターがいるのかと思うほど、細かな描写や構成がうまいです。下巻では自分のことを人気者でヒーローという感じで書いていますが、日本なら謙遜が入りそうなところだと思いました。

げた:この作品を教えてくれた人がいるんですけど、『ロケットボーイズ2』はあんまりおもしろくないって話だったので、まだ読んでません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


ダーウィンと出会った夏

ジャクリーン・ケリー『ダーウィンと出会った夏』
『ダーウィンと出会った夏』
ジャクリーン・ケリー/著 斎藤倫子/訳
ほるぷ出版
2011.07

トム:近くの図書館の蔵書11冊がすべて貸出中でした。ダーウィンの『種の起源』がこういう時代の中に登場したのかと知りました。各章のはじめにある文章は言い回しがむずかしい。虫の名前などは、可能ならば日本名があるとよいのでは。キャルパーニアが自分の好奇心をどんどんふくらませてゆく姿と、求められる生き方への疑問と2つのテーマが拮抗していきますが、主人公の自然との出会いとその生き生きした様子にズンズン惹きつけられました。いつのまにかキャルパーニアを応援していたのかも。お祖父さんの存在は巨きくて深い! 主人公が「この世界のどこに私の居場所があるのだろう」と考えた時に「なにかを好きだと思うことより理解することの方が大切」というお祖父さんの言葉を思い出す場面がありましたが、よくかみしめてみたい言葉です。

ルパン:すみません、まだ途中までしか読めていないんですが……最初はちょっとおもしろくないような気がしたのですが、どんどんおもしろくなってきています。またまたですが、この作品でも、お母さんがいいなと思いました。こういう女の子になってほしい、という願望を押しつけてくるところがあるけれど、このお母さんの気持ちもわかるなぁと感じました。

プルメリア:今年の夏休みに読みました。題名と表紙が目につき、手に取りました。読みやすかったです。おじいさんと少女の交流の中で、身近な自然科学に関する話がたくさんあるのですが、コウモリが登場している部分は楽しく読みました。戦争の悲惨さ、人種差別などアメリカの時代背景、当時の人々の生活スタイルも分かりやすく書かれていました。今現在、アメリカは女性の地位が確立されていますが、主人公が子どものころはまだそういう姿はなく、これからの時代は女性も前に出て地位を作っていこうとするたくましい生き方が表れているところがとても素敵で、ぜひこの生き方を読者に知ってもらいたいなと思いました。作者はお医者さんだけれど、虫や植物が好きで、自然に目がいく人。いろいろな物をよく観察していて、私たちも見たことのある身近な自然界の生き物が登場してくる作品なので、長編でも読ませるものになっていると思いました。

サンザシ:翻訳がうまいなと思いました。女の子は思い切って好きなことができない時代で、親たちは刺繍や料理を習得しろと行ったり、社交界にデビューさせようとするわけですが、コーリー(キャルパーニア)がなんとかがんばって自分の道を歩こうとする様子がよく書けていました。私の友人に、息子と一緒にチャボを卵から育てた人がいるんですね。その人の話がとってもおもしろいんです。子どもの好奇心をお母さんである友人がとてもうまくのばしていく。それでとうとう卵から孵化して家族同様にそのチャボと暮らし、死まで看取るんです。その話を聞いていると、私にはとてもできないな、と思うわけです。時間も知識も忍耐力も必要になりますもんね。その友人のようなお母さんや、この本に出て来るおじいさんのような人がいて初めて、子どもの科学への好奇心は育つのかもしれないなあと思います。この作品に出て来るおじいさんは、時間的にも自由で、精神的にも縛られていない。しょっちゅう自然の中に出かけていき、ついてきた孫娘に、目に触れる生き物についていろいろな話をしてくれる。そういう家族がそばにいて、コーリーは幸せでしたね。おじいさんだけでなく、兄弟たちそれぞれのエピソードにもユーモアがあり、楽しく読めます。コーリーが祖父の話を聞いて、どんどん科学的な見方を獲得していく過程もリアルに書かれています。自然科学の分野はとっつきにくいと思っている子どもでも、こういう物語から入れば大いに興味をもつようになり、理科離れも食い止められるのかもしれませんね。

げた:この本の扱っている年代は今から100年前で、この時代の女性は良妻賢母になることが求められているのだけど、それから解放されて、自立した女性になることが一つの重要なテーマになっているんですね。アメリカで国内の戦争といえば、南北戦争で、この本の時代の30数年前に起こったのだけど、主人公の女の子を科学に導いたおじいちゃんも南北戦争に従軍してたんですよね。意外だったのは、アメリカで女性参政権が得られたのは1920年でそんなに前じゃないということですね。日本語のタイトルは原題よりもおしゃれですね。キャルパーニアは7人きょうだいなんだけど、おじいちゃんが科学の道に導こうとしたのは、たまたまキャルパーニアだったわけで、キャルパーニアでなくてもよかったのかもしれないですね。科学の道に進むのは男も女も関係ないんだよということかな。いやいやながら、共進会の作品展に出品した手芸品が3位になっちゃった話がおもしろかったな。科学好きの女の子をテーマにした本ということで選びました。

モフモフ:この作品で、おじいさんが主人公の協力者になっていますが、子どもの好奇心や才能の芽生えには、それに寄り添って伴走してくれる人が大切なのだと思います。必ずしも親や家族でなくていいのですが。

すあま:お母さんと子どもの関係でいうと、自分が舞踏会に行けなかったからそれを娘に託してしまっている。ユーモアもたくさんあって、刺繍のコンテストのエピソードもおもしろかった。世紀が変わるということで、考え方が変わっている時代をとりあげているんですね。とても読後感が良いです。

メリーさん:自然とそこで暮らす人々の細部までが描かれていて、とても楽しく読みました。私自身はまったくの文系で、自然科学には詳しくないのですが、主人公の考え方に共感できるのは、主人公が物ごとを本当によく観察しているからではないかと思いました。季節、自然、友人のことも、科学の目は物ごとをきちんと観察することから始まります。それが、ディテールをきちんと描くことにつながっているのではないかと。主人公の台詞「自然界では美しくするのはオスの方なのに、人間はなぜ女性の方が着飾らないといけないのか」なんていうセリフはとてもおもしろい。物語の最後の場面で、彼女は外の世界を見て家の外へ飛び出していきますが、またすぐに家をみつめて帰ってくる。この物語の心地よさは、この、家を大切にして地に足をつけている感覚なのかなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年11月の記録)


父さんの銃

ヒネル・サレーム『父さんの銃』
『父さんの銃』
ヒネル・サレーム/著 田久保麻里/訳
白水社
2007.06

おから:私小説やエッセーのようなものかなと思って読みました。出来事を中心に書いているように思えますが、それによる心理描写は少ない。たとえば序盤で兵隊に殴られた後の気持ちの所です。その場面の後すぐに事件があったのは分かるのですが、事件が起こったことで自分がどう感じるのかもっと出さないと、ただの歴史を見るような気がしてしまうので、もう少し心理描写がほしいと思いました。また、プロットをぼんぼん見させられているように感じました。あとは作品中には権力の強さが表れていて、人が家畜のような扱いをされていることに何度も吐き気がしました。79ページの母の写真撮影はなぜ目が見えなくなっていたのかと疑問に思いました。年や栄養失調なのか、あるいは身体検査で殴られたり刺されたりしたのなら、目に痣なり傷なりあるはずなので、前者かなと思います。

ダンテス:クルド人の話を日本で読める機会は少ないです。こういう作品によって日本人が、遠い場所の知らないことを知ることができるというのは素晴らしいと思いました。家族の話も主人公の目からの視点で、記述に統一感があります。サダム・フセインの話や家族が離れ離れになっていく話もそうだったんだ、と勉強になりました。こういうことを経て今日の状況があるのかと分かりました。実話なんだけど、たとえば最後の出国する場面などかなりドキドキすることができた。読ませる力があります。徳間のBFT(Books for Teenagers)とサイズも似ているし、若い人向きに作られているのかな。

サンザシ:大人の本だろうなと思いました。主人公は子どもとして訳されてますけど、成長していくのも書かれているので。しかし場面の展開があっち行ったりこっち行ったりしているので普通の中学生だと読みにくく、読みなれた子にはおもしろいのでは。18、19ページのところは、大人の読者だとおもしろいですね。20ページになると、18ページとつながっているのかもしれないけど、中学生には難しいかも。大人は解明する楽しさがあるけど。ただ、クルドの人たちがどんなに大変なのか知ることができて、読んで良かったと思います。これは自伝的小説なので、149-151ページあたりまでこの人がどうなったか書いてある。これはノンフィクションの書き方で、映画だとよくある手法ですね。どこまでがフィクションでどこからがノンフィクションなのかもう少し分かった方が良いなと思いました。映像的な作り方だと感じました。12ページのはどういう意味ですか(田久保さんからどの程度の認識があるのかですねという返答あり)フセインはコミュニティを破壊したんですものね。

アカザ:この本は、児童書として出版したのか、それとも一般書なのか分かりませんでした。児童書でしたら、地図があると良かったし、訳注なども、もう少し配慮が必要だと思いました。でも、作品そのものはとても面白かったし、今までこの本の存在すら知らなかったので読んでよかった。作者が実際に体験したものということですが、緊迫感があって、最後まで一気に読みました。そのなかにとてもおおらかなユーモアもあり、さすがに映画を作っている人だと思ったのですが、ザクロの赤とか映像的にくっきりと記憶に残るところもあり、とてもいい作品だと思いました。

すあま:地図があれば、という話がありましたけれど、登場人物たちの関係も頭の中でこんがらがってしまいました。大人の小説だと思って読んでいましたが、難しかった。そして読み終わった後にクルドのことを知りたくなった。そういう意味では興味深く読みました。主人公が若く、映画監督になりたい、ヨーロッパに行きたいといった将来に対する希望を持っているので明るいイメージもあります。楽しいはずの子ども時代が台無しになっているのに明るさを持って書いているのが良いし、読後感も良い。そこが大事だと思います。読んでもらうのは中高生かなと思いますが、手に取りにくい装丁とタイトルなのでブックトークで紹介するとよいと思います。

トム:民族って、と考えました。日本は今、同じような一つの民族のように暮らしているけれど、アイヌの人も、琉球の人もいるのに…。以前、中村哲さんが「アフガンの人は自分の命を盾にして人を守ろうとする、今の日本にそういう熱いものがあるだろうか」という意味のことを話されていたことを思い出しました。このクルドの人々の命をかけた戦いの熱い血にはドキドキします。一人の少年が生きてゆく生々しくて率直な日々の描写が、読む人を次々起きる民族のドラマに引きずりこむと思います。その一方で、鶏2羽と金のイヤリングで少年の年が4歳も変えられるなんて! ほんとうに色々な民族がいて地球は広い! 若きフセインがあのように登場していたというのも興味深く読みました。トルコの地震がずっと気になっていましたが、この本で出会ったクルド人たちもどうしているだろうと思います。

ぼんた:主人公の少年は、冒頭では自分の身に何が起きているのか一切理解できない幼い子どもですが、成長するにつれて、クルド人がどういう歴史をたどってきたか、自分のまわりで何が起きているのかを少しずつ理解してゆきます。私は中東に関する知識がほとんどありませんでしたが、主人公の成長とともにクルド人について学ぶことができたように思いました。主人公は次第にクルド人としてのアイデンティティに目覚めてゆきます。国を持たないクルド人がなぜ自分を「クルド人」だと誇りを持って言えるのか、その根拠はなんなのか、これは日本人も考えさせられる問題だと思います。文章は淡々としていますが、映画監督らしく映像的で、詩的な感じを受けるところもたくさんありました。私は以前、日本在住のクルド人のお祭りに参加したことがあるのですが、この小説に出てくる人たちと同じように歌や踊りが大好きな方々でした。ちょっと日本の盆踊りのようで親近感を持ちましたが、こうした歌や踊りもクルド人のアイデンティティのひとつになっているのかもしれません。

ダンテス:母の話は主人公が知っている部分でしか知らされないという視点の狭さも中学生くらいとして読めるし、大人になるに従って政治的な理解が進んでいるように読めます。日本の子どもたちに教育的には良い作品でしょう。地図があると良いですね。クルド人の誇りを保つには、やはりクルド語を話すことが大事なのでしょう。イランでもイラクでも時代によってクルド人に対する扱いが違うということも分かりました。

プルメリア:作品を読んでどうしてページを進めることができなかったのかなと考えたところ、著者が自分の体験を書いているから、作品を読んでいても場面場面で止まってしまって考える感じになっているためではないかと思いました。

三酉:とても良かったけれど地図が欲しかった。原著にはなかったのかもしれませんが。

ぼんた:原著には地図がついています。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


木槿(むくげ)の咲く庭〜スンヒィとテヨルの物語

リンダ・スー・パーク『木槿の咲く庭:スンヒィとテヨルの物語』
『木槿(むくげ)の咲く庭〜スンヒィとテヨルの物語』
リンダ・スー・パーク/著 柳田由紀子/訳
新潮社
2006.06

すあま:おもしろかったです。兄と妹がそれぞれの視点で語る形式になっているのがよいと思いました。どちらかに共感しながら読むことができるので。創氏改名について取り上げ、当時日本政府が行ったことを子どもでも読めるような本として書いた本として、大事だと思います。スンヒィの気持ちもよく伝わってきました。著者は子どもの本を書いている人なので、せめてヤングアダルト向けとして手にとりやすい形で出版してほしかったと思います。

サンザシ:これも、子どもが主人公でも大人の本だろうなと思いました。事件が起こって読者をひきつけるのはかなり後ろになってからのこと。それまでは背景が書いてあって、大人は胸の痛い思いをして読むけど、歴史を知らない今の子どもたちに読ませるのは難しいかもしれません。メッセージ性のあるものは、それだけだと読ませるのが難しいですね。おもしろさで引きつけないと読まない。だから大人の本として出さざるを得ないという面もあるのかもしれません。それにしても、日本の作家はこういう問題についてなかなか書きませんね。なぜなんでしょう? こわいのかな? 韓国系アメリカ人のこの作家の本は、前に『モギ』(あすなろ書房)も読みましたね。あっちはもっと文学的でしたが。今、童心社で「日・中・韓平和絵本」というシリーズを出しています。先日、従軍慰安婦をテーマにした絵本をつくった韓国の画家が話されていたのを聞いたのですが、早く日本でも出るといいですね。史実と違うところがあると言われたりして、出版社はなかなか慎重になっているようですが。

アカザ:まず最初に感じたのは、日本の児童文学作家がどうして今までこのことを書かなかったのかということです。歴史の時間に習っただけでは、人間の痛み、苦しみや、体温のようなものが伝わって来ない。やはり文学として表現しないと…。日本の子どもにぜひ読ませたい作品です。まさに児童文学作家が、児童文学作品として書いた物語だと思います。子どもを主人公にすると、どうしても子どもが見たり、聞いたりする範囲のことしか書けなくなり、社会の全体像がとらえにくくなると思うのですが、この作品は語り手を兄と妹の2人にしたことで世界が少し広くなっていて、児童文学の手法としてとても上手なやりかただと思います。文学としては『父さんの銃』のほうが物語にふくらみというか、香りのようなものがあり優れていると思うのですが、日本の子どもたちだけでなく、大人にとっても大切な作品だと思いました。

トム:この話を若い人はどう読むのかな? 小学生の頃、長期欠席の友達(在日韓国人)を誘いに行った時に、彼女のおじいさんが日本の学校へは通わせないと怒った真っ赤な顔と、隣に居た彼女の苦しい表情が忘れられないでいます。今思えば、韓国の人の日本への恨みの深さを肌で感じたはじめての時だったと思います。登場人物の中で、アンさんというおばあさんが好きです! 日本語は使わぬまま、抗日運動をする人をかくまったり、食糧のない時に庭の柿を干してそっと隣人に渡したり、傍目には年をとった弱さと見えるものが、ほんとうはしなやかな強さになっている! 中学生の女子が集められるのは慰安婦ということでしょうか? 北へ行ったおじさんはその後どう暮らしているのか…今につながる問題を感じます。お兄さんが特攻隊を志願する動機は、私には今一つわかりにくかったけれど。

おから:スンヒィの視点とテヨルの視点で物語を書くことで位置関係が分かりやすくなっていますし、物語の深みが増していると思います。文化を守ることに何の意味や意義があるのか、なぜそこにプライドがあるのかというところは、私にはわからなかったので考えたのですが、それは先祖や家族を守るということにもつながっているのではないかなと思いました。

ルパン:すごくおもしろかったという言葉が合っているかは分からないですが、一気読みをするくらい「この先どうなるのかな」と思わせる本でした。本筋とは直接関係ないところですが、女子学生が校庭に集められるワンシーンが重くて…。主人公のお兄ちゃんは無事に帰ってきたのに、あの女の子たちが2度と帰ってこなかったことがとても悲しかったです。また、こんなに仲良い兄妹があるんだなぁ、と思いました。自分ももっと兄と仲良くしなくては(笑)。全体的に、日本人に気を遣って書いているのかな、と思わせるものがありました。実際はもっと日本人を憎む状況だと思うのですが…この子どもたちは寛大だと思いました。それから「どうせ朝鮮人には勇気がない」という会話を耳にしたあと、兄がむきになって特攻隊に志願したのは、日本の軍人の策略にはまってしまったんでしょうか? それともたまたまだったのかな…?

ぼんた:原語は英語でも、「アボジ(父)」や「オモニ(母)」といった言葉は韓国の言葉を使っているところがまず印象に残りました。英語で小説を書いていても、「父」や「母」といった身近な言葉は英語にはできないのかな、と。また、この小説の主人公は『父さんの銃』と同じように子どもですが、その子どもたちが親から何を受け継ぎ、何を伝えていくのだろうかということを読後考えさせられました。

ダンテス:日本軍にお兄ちゃんが志願するところは不自然に思われるかもしれませんが、飛行機が好きという伏線を張ってあります。文章全体が感情を抑えて淡々と書いたように見受けられました。日本人の立場からするとひどいことをやったのだと思います。学校では日本語を強制されるけれど、家では韓国語で話すという表現としてアボジという言葉を出したのかなと思いま す。むくげを刈り取れと言われる、食べ物もとられる、ひどい話です。日本人の憲兵などは何でも天皇陛下の御ためと言っていたのでしょうか。従軍慰安婦の問題もさりげなく書かれています。北朝鮮と韓国に別れ別れになった離散家族の問題も声高ではなく作品に出ています。日本語訳の本になると子ども向きではないかもしれない、けれど私の中では大人の本ではないと感じます。読書好きの中学3年生になら読ませられるでしょう。やはり作者は民族の誇りを失わないために書いているのでしょう。

三酉:とても良い作品で、日本人としては身につまされる。改めて、ここまでやったのかというのがあって、この年にして教えられてしまった。日本では、日韓併合の36年間について教えていません。中国との関係と含めて考えさせられた。『父さんの銃』も含め、こういう本があると大人に対してもある地域、ある歴史への入門書のような感じで本当に勉強になります。我々が世界を知っていくことにこういう方法があったかと思いました。お兄さんが帰ってきてお父さんが帰ってきて、めでたしめでたしで、しかしその数年後に朝鮮戦争が始まってますよね。そのきっかけを作ったのは日本だったと、ズシーンときますね。

プルメリア:厚い本の割には読みやすく、日本人が韓国の人たちに対して行った行為がひしひしと伝わり、苦痛の日々だったのだろうなと思いました。韓国の人が特攻隊になれた事実を初めて知りました。戦争が終わり戦死したと思われたお兄さんが帰ってきたことにほっとしました。物語が明るく終わりました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


八月の太陽を

乙骨淑子『八月の太陽を』
『八月の太陽を』
乙骨淑子/著 滝平二郎/挿絵
理論社
1978

アカザ:昔読んだときには感じなかったのですが、いま読んでみると講談のような語り口で書かれた作品だなあと感じました。そういえば、私が子どものころに読んだ物語は、こういう書き方をしていたものが多かったように記憶しています。語り口の力強さというか、もう一度見直してみてもいいのでは? 今回はテーマにあった本ということで、この作品が選ばれましたが、わたしは『ぴいちゃあしゃん』のほうが好きです。ぜひ、読み継いでいってもらいたい作家だと思っています。

トム:乙骨さんが心に描いた社会というものがどのようなものだったのか他の作品も読みながら考えてみたいです。

おから:すみません、あまり読めていなかったです。色がよく出てくる作品だなと思いました。何人種かというだけではなく物などの描写にも色が多用されているなと思います。人種の違いと利用価値があるかどうかということだけで待遇が違うのはおかしいと思います。あとはキリスト教の何の宗派なのかなど、そういう思想や文化的な面についても知りたいですし、読んでいて気になりました。

ルパン:今回は、この作品があるならぜひ来たいと思って来ました。乙骨淑子さんは私にとって特別なイメージのある作家です。子どものころ通っていた「ムーシカ文庫」では、大きい子向け本に茶色いシールが貼ってあったのですが、その代表格のひとつが乙骨作品でした。子ども心に、あれを読めるようになったら大人になれるんだ、というあこがれをもって見上げていました。今も傾きかけた午後の日ざしがさす文庫の部屋で見上げた、本棚の上の段の光景が目に浮かびます。なんだか『フランダースの犬』でネロが教会の礼拝堂で覆いのかかった絵を見上げているシーンみたいに(笑)。そのわりには、高学年になってついに読んだ『ぴいちゃあしゃん』のディティールは全然覚えていないんですが、今回この作品を読んで、「本当に女性が書いたのか」という骨太な感じを思い出しました。ここでまた乙骨作品と再会できてほんとうに良かったです。

ぼんた:乙骨さんのことは名前しか存じ上げなかったのですが、この小説を読んでもっと知りたくなりました。月報では映画監督のルイス・ブニュエルの手法を子どもの本に取り入れようとしていたと書かれていますが、そのような発想ができることにとても驚きました。

ダンテス:楽しく読ませて頂きました。内容的には明治時代にあったものをベースに調べて書いたそうで、それもすごいと思いました。黒人そして混血、白人の三つ巴ともいえる状況もよく書けているし、フランス革命などもからめてあって、大きな作品だなと思いました。ハイチという国についても新しく知ったことがたくさんありました。

三酉:私もハイチがこういう出自だったのか。還暦を迎えても勉強になりましたが、作品としては講談調というよりは紙芝居みたいだなと感じました。

すあま:タイトルの印象が堅く、手に取りにくかったです。実在の人物だったことにびっくりしました。フランス革命の話をよく子ども向きに書いたな、ということにも改めて驚かされました。今こういうのを書く人は少ないかもしれない。昔は子どもたちが伝記や大人向けの小説を子ども向けに書き直した本、骨太な作品を読んでいたと思いますが、今は子ども向けというと甘い感じの本が多い。今出したら違和感があるかもしれません。今使わなくなっている言葉もたくさん出てきますし。こういった、子どもたちの目が世界に開かれていくような本を誰かに書いてほしいです。

プルメリア:タイトルを見て日本の終戦の話かと思いましたが、目次で外国の話と分かりました。ハイチにおいての黒人と白人と混血の力関係というのが分かりましたし、みんなすごく力強く生きているのだなと思いました。目次がたくさんあるので作品を読ませていくのだなと思いました。ハイチについて情報がない中見てないことを書くのはすごいし、男性の考え方で書いたりするのはまたまたすごいなと思いました。紹介しないと子どもは読まないので歴史と一緒に手渡していきたいなって思いました。

サンザシ:私も乙骨さんの偉さはじゅうぶんわかっているつもりです。でもね、と今回思いました。皆さんは、学ぶことができたとおっしゃってますけど、この作品は、スローガンにとどまっているような気がします。もっと肉付けしてほしかったです。アフリカ語という言葉もおかしいし、登場人物が生きているリアルな人のように感じられないのでもっと生き生きと書いてほしかった。当時は情報もないし、乙骨さんが実際に現地にいらっしゃったわけではないので仕方ないとはいえ、どうしても絵空事。乙骨さんが自分も知りたいと思って書いおいでなのはわかるし、この時代に社会的視野を広くもたれているのはすごいと思いますが、私は、子どもが読むという視点を忘れたくないです。これを子どもの本として称賛してはいけないように思います。人間が人間として書かれていませんもの。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年10月の記録)


ゴハおじさんのゆかいなお話〜エジプトの民話

デニス・ジョンソン‐デイヴィーズ再話  ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エルーサイード・アハマド絵『ゴハおじさんのゆかいなお話:エジプトの民話』
『ゴハおじさんのゆかいなお話〜エジプトの民話』
デニス・ジョンソン・デイヴィーズ/再話 ハグ‐ハムディ・モハンメッド・ファトゥーフ&ハーニ・エル‐サイード・アハマド/絵、千葉茂樹/訳
徳間書店
2010.01

ajian:とてもおもしろかったです。このぐらいの幼年向けのものはまだ編集したことがないので、勉強の気持ちで読みました。エジプトの民話といわれてもあまり思いつかないし、日本の子どもにとっては、距離があるのではないかと思ったけど、そんなことは全くなく、親しみやすい、どこかなつかしいお話がいっぱい入っていた。おじさんのキャラクターがとてもいい。話も短く読みやすいし、この布の原画が味わい深い。原書は絵本だったというのを今日知ってよかった。そういう作り方も出来るのかと思いました。

優李:読んで、ホジャどんの昔話のようだと思いました。ゴハおじさんとホジャどんが同じ人とは後書きを読んで初めて知りました。とぼけた味わいが楽しい。こういう絵だと、男の子も好きそうですね。これを読んだある男の子が「ある話の中ではとぼけたおじさんなのに、別な話(「ロバの木を数える話」)ではすごく頭いいし、同じ一人の人とは思えない」と言ってました。確かに(笑)。刺繍が男性の作で、その地域では男の人の普通の職業ということも驚きでした。

わらびもち:他の民話集でこういうのを読んだことがあります。ロバを持ち上げる話や市場へ行く話なんかを。でも、別の話があることは知りませんでした。その時はイラストのようなものがなかったのですが、あると明るくなるし、親しみもわきますね。縫物の絵が温かみがあって良いですね。ゴハおじさんと3人の賢者の話では答えた内容で相手を困らせれば相手は何も言えなくなったり、出来なくなったりするのでこれはいつか自分がピンチになった時に使えたら使ってみようと思いました。

トム:愉快でした、すごく! 天真爛漫で笑いがこみあげる感じ。日本には無いカラリとしたスパイスもきいて心を閉じ込めない。アップリケは女の人がしているのかと思ったら厳つい男の人でびっくり。それぞれ技巧的でなく布や針の跡が残るようにざっくりとして、それもこの話の大事な味のよう。ゴハさんのギョロッと大きな目はずっと忘れないと思う

ルパン:興味しんしんで読みました。なんといってもエジプトは今いちばん行ってみたい国なので。ゴハおじさんは、きっちょむさんみたいですね。エキゾチックな部分と親しみやすい部分があって、とってもおもしろかったです。最後の「まともの答えられないしつもんには、どんなふうに答えても、正解なんですよ!」という一文が気に入りました。

けろけろ:日本にもとんち話は多くて、小さい子にはとても親しみやすいお話なので、とてもおもしろかった。きっちょむさん話と似てる部分があるけど、お国が違うと、落とし方も独特です。良くわからないものもあるけど、それもまた日本にはないテイストとして、味わい深いと思いました。

サンザシ:おもしろく読みました。私は原書を持っているんです。でも、絵本なので、これを日本で出すのはむずかしいなと思っていたら、こういう絵物語みたいな幼年童話で出たので、なるほど、と思いました。これなら読みやすいですもんね。私もナレスディン・ホジャのお話に似てるな、と思ったんですが、アラブ圏にこういう話は広く散らばっているんですね。時代を超えて、いろんな人がエピソードをつけ加えていったんでしょうね。アップリケや刺繍の絵もとてもユーモラスで楽しめます。ゴハおじさんにひげがあったりなかったりするのも、許せちゃいます。

たんぽぽ:とても、おもしろかったです。子どもたちに、読んでもらいたいなと思いました

うさこ:子どものころ、きっちょむさんや一休さんのようなとんち話が大好きだったので、この本を書店で見つけたときはすごくうれしかった。トルコではホジャおじさんだったり、他の国にいくと名前が変わるんですね、おもしろい! 主人公のとぼけぶりやひょうひょうとしているところがとてもいいな。生活者としての知恵がいい場面できいていて、読んでいて痛快。教訓ぽくなくて、笑えた。お風呂屋さんに行くところはただの間抜けさだけではなくて、知恵比べで、そこが意外でドキッとしました。1年生の男児と読んだのですが1回読んだだけではちょっと理解できないようだったので、すこし補足説明しないといけなかったかな。2〜3年生になって読んだら、ストレートに笑えるかも。

三酉:おもしろい! ゴハおじさんは、トルコではナスレッディン・ホジャと言われているようで、こちらの本も読んでしまいました。選書に感謝したいですね。知恵とユーモアと荒唐無稽と、実に多彩で豊か。その豊かさにつれて、読み手も大笑いしたり、しみじみ考え込んだりする。この刺繍の挿絵ものどかでよいのと、巻末に刺繍した人の写真が載っているが、ジャン・レノみたいでちょっと愉快でした。

プルメリア:出版されてすぐ読んだ作品です。表紙も挿絵も心温まるような刺繍がお話にとけこみ、とってもすてきだなと思いました。ほんわかしている雰囲気がなんともいえないいし、ゴハおじさんの味がいいです。学級の子どもたち(小学校4年生)に「地球の真ん中はどこ?」と聞いたところ「マグマ」とか「アメリカ?」などの答えがかえってきました。「ゴハおじさんの答えは『この下です。そこが地球のどまんなか』です」と教えると、みんな「あ、なるほど!」と笑っていました。1話のお話が短いので子どもたちとって短い休み時間に読める本になりました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


スタンプにきた手紙〜チュウチュウ通り10番地

エミリー・ロッダ『スタンプに来た手紙』さくまゆみこ訳
『スタンプにきた手紙〜チュウチュウ通り10番地』
エミリー・ロッダ/著 さくまゆみこ/訳 たしろちさと/絵
あすなろ書房
2011

たんぽぽ:チュウチュウ通りのシリーズは、おすすめのシリーズです。どの巻からも楽しめまて、それぞれがおもしろいです。本が苦手な子も全巻読んで達成感を味わうことができます。対象年齢も、幼児から小学生高学年まで幅広いかと思います。娘の子が幼稚園の時、ひとりで、「クツカタッポと三つのねがいごと」を読んでいました。読み終わってから私に「おばあちゃん若くなりたい?」と聞くのです。私は 「おばあちゃんは、あなたに会えたからもう若くならなくてもいいわ 」と答えました。すると小さい人は「ぼくは、おばあちゃんの若い時をみたいな」と言ってくれました。孫との会話、心に残っています。

Ajian:10巻のシリーズですが、どの巻から読んでもいいと思いました。2番目のクツカタッポの話がとくに好きです。足るを知るという感じで……。絵も話にぴったりで、ふんだんに入っていて、贅沢なつくりだなという印象。お話のバリエーションもあるし、うちの子どもが大きくなったらぜひ読ませたいと思っています。

優李:好きなシリーズです。字の大きさ、絵、本の厚さ、体裁、中身どれも低学年の児童が読みすすめやすい。私も、2巻目の「クツカタッポ」が好きです。お金は欲しくない、というところで、子どもたちが「え〜、なんで?」と声を出すのだけれど、その後の意外な理由に「なるほどね」と納得させるのがすごい。読んだ子が友だちにすすめるのに「地味だけど、あったかいし、おもしろいし」と言っているのをきいて、思わずニコニコしてしまいました。

わらびもち:この作家のは、ローワン、デルトラ、フェアリーレルムなど楽しく読ませて頂いています。このお話の主人公は、手紙というコミュニケーションにおいて自分と人と比べ、広告を出すという行動に出るんですね。自分で自分の首をしめてますけど、普段のコミュニケーションによってたくさんの人に助けられ、ことなきを得る。手紙というものは、特別な祝い事や距離がない限り普段会って会話をしている人には送らないものだと思います。スタンプは仕事として手紙を届けながら色々な人と会うことが出来て、手紙かそれ以上のコミュニケーションがとれているのでとても羨ましいなと感じました。個人的には、ローワンのような自然があふれるような世界観のほうが好きだけど。ネコイラン町やクツカタッポなど、ネーミングがとてもおもしろくていいな、と感じました。絵もとってもかわいらしくて素敵だと思います。

トム:シリーズを通して、子どもの好きなものが話のあちこちにちりばめられていて目が離せない感じ。子どもはお話を楽しんだら、必ずその後、遊びの中で自分がその主人公になったり、楽しかった場面を表現してお話の世界に自分をすうっとすべりこませるでしょう。手紙や郵便屋さんも子どもたちの憧れ! 例えば、保育の場なら お話を発展させてチュウチュウ通りを空き箱で作ったり、大型積み木で町を作って自分の好きなチュウチュウ通りの住人になって遊ぶのもとても楽しそう。新しい住人を考えだす子も出るかもしれない。チュウチュウ通り・スタンプ・クツカタッポなど名前が一つのお話になっていてスッと心に入ってきます。10番地では、スタンプの正直な人柄が友だちを呼んでいるよう。

ルパン:クツカタッポのお話には感動しました。スタンプの巻もよかったです。小さいころ、私は手紙を書くのが好きで、出す相手を探していたことを思い出しました。このお話しを読んで、また手紙を書きたくなりました。うちの文庫の、幼稚園くらいの子どもたちに読んであげたいです。

けろけろ:今回、みんなで読む本になったので、1巻から10巻まで読んで楽しみました。お話のバランスや体裁もとても良いと思った。手軽に楽しめるのだけれど、そうきたかという意外な展開が用意されていていいですね。6年生の子どももおもしろがって読んでいて、さすがエミリー・ロッダさんだなと思いました。チーチュウカイという海が出てきたり、翻訳の苦労話を聞きたいと思った。ひとつ、不可解だったのは、9巻目の島においてあった靴。どうしてこんな大きな靴が小さな島にあるのか、読んでいるうちにわかるかと思ったけれど、わからなくて残念でした。

うさこ:ネコイラン町のチューチュー通りに暮らすねずみさんたちのお話!という設定がシンプルで、低学年の子が手にとりやすいシリーズだと思います。1巻ごとに男児と読んだのですが、小さい判型の本のなかで、小さくてかわいいねずみたちのいろいろなドラマが展開されている。それが、どれも楽しく、次々にチューチュー通りのお宅に邪魔している感覚で読める。田代さんの絵もとても良いですね。物語を読むのに不慣れな年齢の子どもが読むのにお薦めのシリーズだと思います。1巻のゴインキョの話が特に好き!

サンザシ:このシリーズは、短い分量の中でまとまりもあるし、意外性もあるので私は大好きです。幼年童話なのに、作者がこれまで生きてきたなかで獲得した人生のスパイスが入ってるんですね。絵は、原書だと味気ないのですが、たしろさんが描いて、とても楽しくなりましたね。

三酉:良い本ですね。手紙のことは笑わせられます。みんなさびしいんですねえと、しみじみさせられる。

プルメリア:手にとりやすいサイズ、また作品の中の町名、通りの名、登場人物の名前がおもしろくシリーズの出版を楽しみにしながら読みました。勤務している小学校には1、2話が入っていますが、人気があり戻ってきてもすぐ貸し出しになる本です。1話では「チーズって、ねずみにとっては大切なものでとってもおいしいんだね。」と子どもが言っています。この巻では、手紙を出しきれなくなって周りの人が助けてくれる心温まるような終わり方が良いですよね。登場人物と題名をあてっこするゲームにするのもおもしろいかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


ピンクのチビチョーク

新藤悦子『ピンクのチビチョーク』
『ピンクのチビチョーク』
新藤悦子/作 西巻茅子/絵
童心社
2010.03

うさこ:読んでいて切なくなりました…。このくらいの年齢の子どもがおばあちゃんに名前を間違えられたりするとどんな思いなんだろう…すごくショックだろうな。最後は、主人公が大好きなおばあちゃんに、また一緒にお絵かきしようねと終わっているけど、この完結のしかたでいいのかなと、ちょっと疑問に思いました。読者対象年齢には、このテーマのこの内容のものをこれだけのボリュームで伝えようとするのは、ちょっと無理があるような気がします。幼年もので取り上げる題材の難しさを感じました。中学生くらいを対象として、設定やドラマをもっと練り上げて書くのもひとつの方法かもしれません。

たんぽぽ:低学年の子にはわかりにくいかなと思いました。

ajian:おばあちゃんが呆けてしまう話と、チョークの話と、2つの題材が走っていて、うまく解け合っていないように感じました。難しいテーマだと思いますが、おばあちゃんの痴呆という現実を、子どもがどう受け止めるのかと思っていたら、ファンタジーっぽい感じでごまかしてしまって、すっきりしない。おばあちゃんがお母さんに怒られる場面などは、なんだかやけに現実感があって、胸が痛くなりました。

優李:なんだか読んでいると悲しくなる。それに中途半端感があって、これを誰にどう手渡せばよいのか難しい気がします。読後元気が出ないのが残念。主人公のおじいちゃんが亡くなったところとか、小さい子の言葉じゃないように思える部分も引っかかって、すっきりしないのかなと思いました。

わらびもち:チョークと呪文があれば誰でも魔法を使えるという設定なのだなと思いました。チビチョークとしているのは使い込んでいるということを表しているのだと思います。ピンクとしたのはチョークさんにつなげる為だと思います。おじいさんや犬が原因でおばあちゃんの元気がなくなっているので、チョークでおじいさんと犬を書いてお話をするなり思い出を作るなりすることもできたのではないかという疑問が浮かびました。それを解決しようとか思い出を作るとかも出来たはずです。あと、空飛ぶ船の話がいきなりでてきたのでちょっと抵抗があります。

トム:子どもに手渡す前に、自分がこの重いテーマをどう受けとめたらいいのかと思いました。何歳くらいの子どもに読めばよいのか…それから、おばあさんとお母さんの気持ちが行き違う場面がでてきますが、これは更に複雑な気持ちが潜んでいるわけで、どうしてここで描かなければならなかったのか? 作者に同じ様な経験があったのでしょうか? この話を書きたいと思われた気持ちをうかがってみたいとも思います。ただ、チビチョークで絵を描くところはメロディをつけて読むと楽しいと思いましたが…。あと、おとまりとか「お」のつく言葉が幾つかでてくるのが気になりました。もっとさっぱりした語り口の方が自然な気がします。

ルパン:私は学校の先生なので、チョークは仕事道具です。おばあさんがいっぱいチョークを持っているので、元は学校の先生をしていたのかなと思いましたが、そういう話ではなかったですね(笑)。おもしろくなりそうだったのですが、老人問題も出てきたり、テーマが分散した感じがありました。

けろけろ:皆さんと同じような感想を持ちました。身内がボケてしまう話はあいかわらずすごく多い。そのなかで、最後まで読んでよくできているな、と思える作品は、残念ながらなかなかない。同じようにおばあちゃんの認知症について書かれている低学年向けのよみもので、『むねとんとん』(さえぐさひろこ作 松成真理子絵 小峰書店)という作品がありますが、あれはとても良くできていたように思います。この作品は、ちょっとばらばらな感じで、一本筋の通ったところが欲しかった。低学年ものであれば、胸に響くヒトコトが、あったらいいのにな、とも思います。低学年でもすっと入っていくやり方がきっとあるのでしょうね。

サンザシ:どこかで読んだ話をつなぎ合わせたような話だと感じました。おばあちゃんとの日常の結びつきがあまり描かれていないので、無理があるのかもしれません。たとえば『おじいさんのハーモニカ』(ヘレン・V・グリフィス作 ジェイムズ・スティーブンソン絵 あすなろ書房)では、前段でおじいさんと孫がいっぱい楽しいことをする様子が描かれています。だから、元気をなくしたおじいさんを何とかして元に戻したいと思う子どもの気持ちがこっちまですっと伝わってくるんですね。この作品にも、そのような部分があればもっとよかったのに。難しいですね。

三酉:残念ながら楽しめませんでした。お母さんの描き方ですが、ボケたおばあちゃんとお母さんとの関係性とか、もっとあたたかい視点が必要だったのではないかと思います。

プルメリア:最近あまりやらなくなったけど、子どもはチョークを使って絵や字を書くことが大好きです。おじいちゃんが亡くなっておばあさんが小さくなるのは、おばあちゃんの心にさびしさがあり絵から分かる部分かなと思いました。子どもがポーズをとる部分は子ども雑誌に出ている小学生モデルのポーズ、登場人物の髪型も最近人気のある流行の髪型を取り入れている。挿絵が少しずつカラーになっていくのはおばあちゃんが同じように元気になっていくのと比例しているような感じがします。船じゃなく空飛ぶ鳥というのがおもしろい。子どもって飛ぶの好きなので。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年9月の記録)


レヴォリューションNo.O

金城一紀『レヴォリューションNo.0』
『レヴォリューションNo.O』
金城一紀/著
角川書店
2011.02

メリーさん:『レヴォリューション No.3』(金城一紀/著 角川書店)を読まずに『〜No.0』を読んだので、キャラクターについて前もってわかっていれば、もっと楽しめたのかなと思いました。金城一紀の作品では『GO』がとても面白くて、高校生の男くさい感じは似ているなと感じてました。ただ、今回の登場人物たちは、少し型にはまったキャラクターのような気が。アギーなどもちょっと説明不足。物語というより敵を倒すゲームのような感覚で、ちょっと物足りなさを感じたのですが、最後の脱出のところはやはり引き込まれました。昔は映画をやると、原作とともにノベライズ版が出ていましたけれど、最近は小説自体が会話中心の、シナリオのようなものになっている感じがします。(現にノベライズがあまり出ていない)。この本もそういう意味では映像化しやすいのかなと思いました。ただ、なかなか物語の世界に入っていけない、高校生たちには手に取りやすいのではないかと思います。

かぼちゃ:青春もの、一瞬一瞬の情動。すっきり読みやすい。男子校は未知の領域なので興味深く読めました。女の子を助けたりと、ヒロイズムを満たせる。脱走は本来なら悪いことですが理不尽な行為を受けているので悪いこととは言えない。「自分で考えて理不尽にどう対応するか」ということを考えるのに良い作品。流れに沿ってやめたり転校したりするのは反抗するより簡単なこと。今の日本には反抗したり戦う意欲を持った人が少ないように思えるので、日本にもレヴォリューションが起きれば良いなと、この作品を見て思いました。

シア:『レヴォリューションNo.3』が出たときに読みたいとは思っていたのですが、機会がないままでした。この作品は『~No.3』のボーナストラック的な本のようなので、あちらを読んでからの方がいいのではないかと思います。読んでみて『バトルロワイヤル』のギャグ版のような感じを受けました。石田衣良や東野圭吾も青春ものを書いていますが、それとは何か違います。金城さんの作品は『GO』(金城一紀/著 角川書店)でもそうでしたが、社会とか体制への憤り、うずまく憎悪に近い激しい感情を感じるので、少し怖いと思ってしまいました。日本の作品にはお国柄でしょうか、この焼けた石のような感覚はあまりないですね。文章自体は短文で進むところが中高生には読みやすいと思いますが、学園ものとしては設定がちょっと古いですよね。一昔前の不良漫画みたいで。この時代感覚のギャップをどう埋めるかが気になります。映画『パッチギ』(井筒和幸監督 2005年 日本映画)を思い出しました。登場人物が熱いところが似ていると思います。韓国から留学生が来たときに、「クラスの子たちの元気が足りずつまらない」と言われたことがありますが、前へ前へ進む積極性とでも言えばいいのか、そういうところが日本とは違うのかなと思いました。

ハマグリ:『GO』は以前読書会でやって好評でしたが、これはおもしろくなかったですね。『〜No.3』を読んでいないせいもあるけれど、人物像がうまくつかめなかった。子どもたちが何に反抗しようとしているのか、よく伝わってこない。学校に対する怒り、親に対する不満などは書かれていますが、それはどこにでもあると思います。教師・猿島の暴力が極端すぎて、戦時中の軍隊のしごきの場面のように思え、ここまでする教師が本当にいるのかと真実味が感じられなかった。それにしては、生徒たちがその場ではそれに耐えてしまっているのも納得がいかない。男子校には男子校の良さがあると思うけど、ドロドロしたところがだけが書かれていて、後味が悪かった。

アカシア:リアルなスクールライフを書いているのではなく、漫画のようにある部分を拡大して書いているじゃないかな。読み始めて、「あ、これ読んだことあるな」と思ったのは、前に『〜No.3』を読んでたからだったんですね。前の巻が頭にまだ残っていたせいか、私はその流れて読むと悪くないな、と思いました。猿島のような、ここまでひどい教師は実際にはいないかもしれないけど、それに近い教師はまだいますよね。うちの子どもの中学時代にもまだいましたよ。主人公は、自分の父親のほうがもっと悪いと思っているわけですね。それがよくわかります。今の時代、決まった路線を歩けという社会に対して、男の子は迷いが大きいと思います。この作品は、そんな男の子たちに対する応援歌になってます。ただ、この作品だけ単独で読むと、人物描写を薄っぺらに感じるのかもしれませんね。文章はわかりやすいし、読みやすいけど。

プルメリア:図書館で検索したところたくさんの予約があり驚きました。多くの人が読んでいる人気作品の1冊なんだと思いました。いろいろな場面になぐられ血が出てくるところがあり、私立高は体罰がゆるされているのかな? なんて! 登場人物それぞれの性格がわかりやすく、また暴力の場面はかなり書きこまれていますが、全体的に軽い感じがしました。主人公を取り巻く環境の中に抑圧は2つあるような感じがします。1つは行動面として暴力をふるう猿島という教師、もう1つは精神面として主人公の父親。集団山登りで猪が出てくる場面はリアルではないです。最後の「世界を変えてみたくないか」とっても素敵なフレーズですが、この作品からは伝わりにくいなと思いました。

ダンテス:読者層を限定して書いた作品でしょう。とくに現代の高校生。成績があまり振るわず、内心劣等感をもちながら、やりたいことは特にないという、白けている世代。燃え上がるところのない学生たち。内面にもやもやを抱えているのだが、何をするわけではない高校生たちに向けての作品だろうと思う。155ペー ジ「退屈なのは、世界のせいではない〜」というアジテーション、励まし。猿島先生の部分も誇張して書かれている。ただ一方で、私立が定員より多く人数をとるということは現実的にあることで、学級の人数が増えるということはありえます。生徒が自分が大事にされていないと感じることはあるかもしれない。ただし、そこは誇張して漫画のように書いているので、現実をベースにしながら、まったくありえない話ではないように設定し、無気力な高校生に向けて、なんでもいいから、もっと大人も思いつかないようなことをやって、反抗しろというアピールをしているのでしょう。『GO』の方は、在日韓国人・朝鮮人という社会的な視点が入っているので、より広い読者に受け入れられています。それよりはこの作品のターゲットは狭い。ストーリーとしては、 大げさだなと思いつつ、さらっと読んでしまったという感じです。

ジラフ:金城一紀は初めて読みました。キャラクターがいまいち立ち上がってこなくて、前作を読んでいれば、もう少し楽しめるのかなと思いましたが、シリーズのボーナストラック的な作品とうかがって、納得しました。それでも、会話の中にはきらきらした箇所がいっぱいあって、男の子たちの気高さを感じさせるフレーズとか、落ちこぼれの男子校で、無気力に生活する子たちの気持ちがふいに高まっていく部分や、反対に、燃え上がってもすぐに、その気持ちを引っ込めてしまう繊細なところなんかの、描き方がすごくよかったです。会話が紋切り型だったり、展開が端折られてるようなところは、テレビドラマみたいでしたが、実際、「SP」の作者なんですね。ただ、読みながら、自分が当事者だったらきついだろうな、とひしひし感じました。現実には、学校をドロップアウトしたら、その先はかなり厳しいので。どんな世代の人が読むのだろうと考えたとき、同じ世代だったらつらいのではないかとも思いました。現状への反発や怒りを表現した作品への共感という点では、音楽なら、そこからストレートに力を得られる気がしますけど、本の場合もそうなのか、と(主人公の)同世代が読んでいると聞いて、意外な感じがしました。

シア:『池袋ウエストゲートパーク』(石田衣良 文藝春秋)の方が、もっとぐっとくるし、子どもの視点でも、大人の目線になる瞬間があります。この本には、それがないですね。山田悠介に毛が生えた感じ。最近思いますが、ここまでして高校へ行く意味がないと思います。授業を聞きたくないのでしょうか?それなのに変に反抗する姿には共感できません。

アカシア:そういう子たちも、自己肯定感がほしいと思ってるけど、どこからも得られないんですよ。この本が、そういう子にとってのきっかけになれば、いいんじゃないかな。

シア:絵本なんかでも、子どもは野菜が嫌い、という偏見を植えつけている感があると思います。先生だから嫌い、というステレオタイプを増やしそう。

ダンテス:そういうステレオタイプでしか物を見ない人たちが気に入る本かもしれません。

アカシア:本を読まない人たちを引っ張る力はあると思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


円卓

西加奈子『円卓』
『円卓』
西加奈子/著
文芸春秋
2011.03

ハマグリ:区内の図書館全館で貸し出し中でした。

アカシア:おもしろかったけど、子どもの本じゃないですよね。視点が大人だもの。おとなの本として読めば、文章の書き方が独特で、おしゃまな女の子の成長物語としておもしろい。最後の円卓の部分も、あざとくはあるけど泣かせます。

プルメリア:この作品も大変人気があり、区内の図書館2区ともすべて貸出し中でした。大阪弁で書かれ、主人公の姉達が三つ子の設定面白いです。七福神がでてくるところはファンタジーの世界にいきそう。大阪弁はテンポよくやわらかく伝わります。主人公は子ども、日常生活も子ども中心社会ですが、子どもの視点で書かれていない。子どもが手に取って読む本とは違い大人向き作品かな。

ダンテス:関西人のノリで楽しく書かれています。人物造形はそれなりによくできている。おじいちゃんが文学的 で、一方お父さんは全然違っていることなど面白い。眼帯してみたい気持ちとか無理なく納得できます。ですが読み終わってすぐ内容を忘れてしまいました。軽かったです。

ジラフ:とってもおもしろく読みました。どういう人が読者対象なのかと思いましたが、みなさんのご意見をうかがって、やっぱり大人の視点なんだ、とわかって安心しました(笑)。作者がテヘランで生まれて、カイロと大阪で育った人だというバックボーンも関係しているのかもしれませんが、生きていることの実感がすごく濃厚に、具体的に書かれている感じがします。たとえば、(主人公の)こっこのお姉さんが、刺繍をしたくてたまらず指がうずうずする、といった表現には、強い身体性も感じました。全体として、いいお話をくぐりぬけた、という充実した読後感が残りました。物語の後半で、こっこが変質者に出くわす場面があって、そのことはこっこを、ほんの少し大人に成長させる出来事であると同時に、危険な出来事でもあります。でもこっこは、怖い目にあったと家族には言えなくて。そのことをずっと、自分ひとりの胸の内に抱えていくんだったらどうしよう、と気が気ではありませんでしたが、心から信頼する友だちに打ち明けられる、という救いがちゃんと用意されていて、ほっとしました。これもなんだか、NHKあたりでテレビドラマになりそうな作品ですね。

メリーさん:電車の中で読みながら、噴き出すのをこらえていました。主人公のこっこのつぶやきがとてもおもしろい。友人のぽっさんも小学生とは思えない老成ぶりで、でもランドセルに「寿」と書いているところはまだ子ども。そして彼らを取り巻く、騒がしくも温かい家族。真の意味での理解者である祖父。大阪弁だからこそ成立する世界だなと思いました。後半に行くにしたがって、こっこが自分の感情を言葉にするのが難しくなってきているところも、彼女が確実に大人になっているのがわかり、とてもいい。ただ、やはりこれは大人の本だと思いました。風変わりな彼らは、端から見ると滑稽だけれど、それは子ども時代から時間が経って、客観的な笑いにできる大人だからこそ。大人になって振り返ってみると共感できる物語だと思います。でも、当事者である子どもたちは真剣だから、本人はそれが滑稽だとは少しも思っていない。大人になれば、あの頃の自分は変な妄想にとりつかれて、意地を張っていたのだなとわかるのだけれど……やはりそれは子どもの目線とは違うと思いました。それでも、同世代の読者としては、西加奈子の作品はとてもいいなと思います。

アカシア:P152の「子どもらの〜」という部分など特にそうですね。大人の視点になってます。

プルメリア:うさぎをのっける行動は好奇心旺盛な子ども達は実際にやりそう。

かぼちゃ:入手できませんでした。

ダンテス :確かに性的な表現が多いので、大人向きに書かれているという意見には、なるほどと思いました。大人は余裕を持って楽しめる。大阪弁である意味ぼかして書いているところもいい。

ハマグリ:P8に「こわごわしかられた」とあるが、大阪弁ではこういう言い方をするのだろうか?

シア:保健室の先生がレズビアンというのはすごい。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)


きみに出会うとき

レベッカ・ステッド『きみに出会うとき』
『きみに出会うとき』
レベッカ・ステッド/著 ないとうふみこ/訳
東京創元社
2011.04

ダンテス:あとがきにあるように読み終わってからもう一度読み 直そうと思いました。舞台はニューヨークの街中。お金持ちのドアマンがいるアパートに住んでいるお嬢さんがでてきたり、母子家庭のお母さんの緊張感や街中におかしな人や危険な人がいるという辺り、ニューヨークがよく書けていると思う。手紙が届き、内容は未来を暗示するもので、読者をうまい具合に引っ張っていきます。そういう意味で読ませる力がある本だと思う。ただ推理小説とは違って、現実の中で、ああこの人がそうだったのかと納得する話ではない。現実に起きていることだけではなくファンタジーもある。時間のズレとかもある。作中に度々出てくる本もそれを読んでいるという前提で書かれているようだ。なるほど、と納得するべきなのかどうなのか、難しい作品だった。確かに読み直してみるとお金持ちのアンヌ・マリーのてんかんを暗示するP49のピザの食べ方 や、アンヌの父が与えないジュースの部分など伏線がたくみに張ってあった。ジュリアの存在なども構成としては良くできていると思います。

ジラフ:入手できませんでした。ニューベリー賞を取った作品ということで、最近の受賞作がどんなものなのか、興味があったのですが。

メリーさん:売り文句にファンタジーと書いてありますが、これはSFですよね。以前よりSFが読まれなくなった今、こういう作品が評価されていることがおもしろいなと思いました。構成がよく、最後まで読んで、それまでの伏線が一気につながった感じがしました。あとがきにも書かれていますが、最後まで読んで、そうかあれはここにつながっていたのかともう一度最初から読み直しました。そう言われてみると、タイムスリップしたときに、自分のことが見えるかどうかということにずいぶんこだわっていたなと。最後の最後でおじさんとマーカスがつながるという結末になんとかつなげたかったのだなと思いました。ただ、その論理的な説明がちょっと難しいのと、友だちを殴るということがわかりづらかったので、子どもたちにはちょっと手に取りにくいかなとも思いました。

かぼちゃ:クイズやパズルのような話。謎解きですね。本当の主人公はマーカスで、ミランダは語り手のような存在なのかなと思いました。多分、サルははじめの人生では死んでいたのでは。後のマーカスはサルを殴ったことや追いかけたことを悔やんでいて過去を変えようとした、それにより過去が変わってサルを助ける笑う男が出現するのかなと思いました。贖罪として助けたのだろうなぁと思います。全体的に伏線、謎が多いけれどそんなに謎が気にかからない、のっぺりして盛り上がりがなく感動もなかったですし、テーマも何かよくわからなかった。タイトルの「きみ」は誰なのか? 差異的に見ればマーカスのことで、恋の要素を含ませて考えれば後の妻となるジュリアのことかもしれないけど分からない。56項目とエピグラムの2文に分かれていますね。

シア:時間がなくてあまり読めませんでした。これをまず先に読みたかったです。

ハマグリ:私も最初のほうしか読めていないので、物理的な印象だけですが、この表紙の絵では女の子しか手にとらないのではないでしょうか。タイトルも恋の物語のように受け取れる。読者を減らしてしまっていて、もったいないです

アカシア:1回読んだだけじゃわかりにくいですよね。5次元だとしても過去を変えるの は禁じ手とされてるはずなので、こんなふうに書くのはずるい。主人公にわけのわからないメモが届くわけですが、原題のWHEN YOU REACH MEは「あなたが私にコンタクトするとき」というような意味なんでしょうか? このYOUは本文では「あなた」となっていると思うんですけど、日本語の書名は「きみ」。この書名が、よけいわかりにくくしてますね。私は、ちっともおもしろくなくて、本当にこれがニューベリー賞なのかしら、と疑問に思いました。謎が解決されてもいないし。もう一度読むともっとわかってくるのかもしれませんが。

ダンテス:ローカル性のある作品のようです。アメリカの中でよくわかる作品なのかもしれない。ニューヨークの街を舞台にしているのも、行ったことがあれば、あるいは住んだことがあれば分かるということが多くかかれているようです。それからお母さんの正義感 がアメリカ人に共感を呼びそうです。

プルメリア:お母さん人気のあるクイズ番組に出るストーリーかなと思って読み始めましたが、手紙のほうが主でした。題名『きみに出会うとき』ひきつけられる題名で表紙も恋の話のように見えましたが「きみ」がよくわからなかったです。子ども達の日常生活から日本社会にはない自由さが伝わります。タイムスリップは今いち謎です。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年7月の記録)