パウル・ビーヘル『ドールの庭』
『ドールの庭』
原題:DE TUINEN VAN DORR by Paul Biegel, 1969
パウル・ビーヘル/著 野坂悦子/訳
早川書房
2005

版元語録:すべてが枯れはてたひっそりとした町に来た女の子。魔法で花に変えられた仲良しの男の子を救うため、秘密の庭を探しています。失われた都に来たお姫様の話。

ハマグリ:お姫様の本というので選んだのですが、コビトノアイが本当はお姫様だったというだけで、他の2冊にくらべて、お姫様の特徴は少なかったですね。私は『夜物語』に見られるような、この作家独特のおとぎ話的雰囲気が好きなんですが、これはまたちょっと違う雰囲気。枠物語になっていて、中にいくつもの扉があり、1つ1つ扉をあけてはちょっと楽しみ、あけては楽しみという形。それぞれの話のつながりが、最後まで読まないとよくわからないので、途中で飽きてしまう人もいるかも。誰に焦点をあてて読むのか、その話によって変わるので、ついていきにくいところもある。寓話みたいな感じですよね。その裏に何かがある、という。それが伝わりにくいから、だれにでも楽しめるわけではない。読み手を選ぶ本でしょう。面白いよ、と手軽に手渡せるものではないですね。

アカシア:文学としての構造は面白いんだろうなと思ったけれど、最後まで読ませる物語としての魅力は物足りなかったな。読者対象は、やっぱり高校生以上かしら。

ハマグリ:最初の、渡し守の小人の場面の雰囲気がとても魅力的で、引き込まれたけど、途中からだんだん変わってくる。

カーコ:構成がしっかりしている本だなと思ったのですが、正直言ってあまり好きになれませんでした。お話の中にお話がある、その意味が最後につながってくるというのは面白いのだけれど、枠に入った肝心のお話一つ一つが、あまり面白いと思えなかったんです。味わいがないというか。コビトノアイがいなくなったあとに、いつも道化がやってくるという、追いかけっこがひっぱってはくれるけれど、それだけでは読み進んでいかせる原動力として弱い。下品な歌があったり、魔法使いのおかしな言葉遣いがあったり、原書の読者はそれだけで笑えてしまいそうですが、日本の読者にはこのユーモアは伝わりにくそう。訳者は苦労したと思うのですが…。また、もう一つ気になったのは、善と悪の対立がはっきりしていること。「悪=魔法使い」という構図が最初から最後まで変わりません。主人公のコビトノアイの成長よりは、ドールの庭をめぐる出来事のとっぴさが中心の作品なので、そうなってしまったのでしょうけれど。

(「子どもの本で言いたい放題」2005年7月の記録)