エリアセル・カンシーノ『ベラスケスの十字の謎』
『ベラスケスの十字の謎』
原題:EL MISTERIO VELAZQUEZ by Eliacer Cansino, 1998
エリアセル・カンシーノ/作 宇野和美/訳
徳間書店
2006.05

オビ語録:あの絵の中に「足を踏み入れた」日のことをぼくはけっして忘れない……/異国の宮廷で生きる少年が語る、画家ベラスケスの絵の謎とは……

アカシア:今回は3冊とも、最初は状況がよくわからない謎の部分から入っていく本でしたね。この本ではまず少年が上げ底の木靴をはかされる場面がでてきて、え?と思っていると、読んでいるうちにだんだんとわかってきます。子どもが読む物語として、主人公の少年にくっついて興味をつなげて読んでいける、よくできた作品だと思いました。訳者の方はご苦労なさったようですが、とてもわかりやすい形になっているなあと感心しました。おもしろかったです。ベラスケスの絵に描かれている赤い十字架の謎を解くというプロットもいいですね。また、本の後ろに人物紹介があって、「ラス・メニーナス」の絵には登場しない人までいくつか絵が入っています。日本の読者にとってはありがたい工夫だと思いますが、これは日本語版だけなのでしょうか。

ウグイス:日本の子どもにはベラスケスといってもわからないし、この表紙の絵も知らない。スペインの宮廷の話で、まして17世紀ともなれば、時代背景は日本の読者には非常に遠い。読者対象はどうしても中学生かなと思います。でも、この本は、状況設定がそれほど遠いにもかかわらず、読者が最初から主人公にくっついていける構造をもっているので、意外にすらすら読めますね。まずお母さんが死んで、かわいがってくれるのは乳母だけ、それなのに引き離されて、父親に売られて、見知らぬ人ばかりの船に乗って……と、これはどうしたって主人公の味方にならざるを得ない始まり方。そして、船に乗ったところからは、何か途轍もないことが始まるという予感がして、次のページをめくらずにはいられない。その上、主人公の感情や気持ちに忠実に書かれているから、ぴったりついていきやすいと思います。しっかりした冒険ものとしての枠組みがあり、一気に読めます。長さも程よくて読みやすく、日常とまったく別の不思議な世界に連れて行ってくれる作品だと思います。

ミラボー:この絵は実物を2回見たことがあります。著者はスペインの子に向かって書いているから、前提としている知識が二つあると思いました。一つは絵の中の十字架は、王様がベラスケスの功績を称えて、死後に書き加えさせたといわれていること。二つ目は、当時のスペイン宮廷には矮人がいっぱい集められていて、ベラスケスは矮人に対してあたたかい愛情をもって描いていること。エル・プリモなどはとても有名です。なお私は絵の右の子(ニコラスに相当)は普通の女の子だと思っていたのですが、それも矮人だったのかとこの本を読んで初めて知りました。この二つのことはおそらくスペインではよく知られていることなので、日本の読者に向けては、それをどこかで補った方が親切かもしれません。ネルバルが悪魔で、ベラスケスは魂を売っても永遠の命を作品に求め、最後に十字架でベラスケス自身の救いを得て大逆転というのは、フィクションとしてよくできていると思います。私の中学では全員に読ませてみようと思っています。まず絵を解説しスライドを見せておいてから本を渡すつもりで、そうすれば基礎知識が得られて、お話に入りづらい子も減ると思います。

ネズ:アニメやゲームには、悪魔に魂を売るという話がけっこう出てきそうな気がするけれど……「悪魔」とはっきり言い切っていないところもいいですね。

ミラボー:どこにも書いていないけれど、やっぱりネルバルは「悪魔」であると読むんでしょうね。十字架を描き加える時に、ろうそくを消したりして抵抗しているわけですよね。

アサギ:悪魔を封じる十字架というふうには出てきますよ。この絵は、プラド展に来ていましたね。あそこではマリバルボラについておかしな解説が付いていたので、この本で初めてこびとだったのだとわかりました。とてもおもしろく読みました。ストーリーそのものもミステリアスで興味深かったし、宮廷にこういう道化がいることは知っていましたが、こんなふうに人買いのように集めていくことや、その宮廷での立場など、かれらをとりまく史実を知らなかったので、とても新鮮でした。未知の世界に入りこむおもしろさがいちばんだったかな。もちろん、ストーリーもうまくできていて、最初、え?と思っていたら、すとんと落ちるべきところに落ち、なるほど、という感じでした。翻訳もすらすら読めて、よかったですね。スペインのことだけでなく、宮廷画家という存在についてもあまりよく知らなかったので興味深く読みました。子どもはベラスケスや宮廷についてなどむろんぴんとこないでしょうが、ストーリー展開のおもしろさでついていくと思います。

ネズ:とてもおもしろくて、私も一気に読みました。ベラスケスの絵のことや、スペインの宮廷の知識がなくても、じゅうぶんに楽しめると思います。異文化や、知らない世界の遠い時代のことを知るというのも翻訳本の楽しみのひとつですが、この本はそういった楽しみを存分に与えてくれる。それに、いわゆるフリークの悲しさもとても上手く書けている。差別的な感じや、自分を高所に置いた哀れみの視線をまったく感じさせないのは、そういう子どもを主人公にして、その子の視線で書いているからだと思いますが、作者の配慮が感じられ、見事だと思いました。『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著 角川書店)の影響で、古典的な芸術や、いわゆる名画に興味を持つようになった子どもも大勢いると思うので、そういう子にぜひ読んでもらいたい。訳文も美しく、p63の真ん中あたりの訳など、本当にうまいなあと思いました。

驟雨:なんというか、私が小さい頃になじんでいた、岩波や福音館の児童図書みたいな、これぞ児童図書正統派という感じでした。豊かな感じがして、自分の知らない世界をじょうずに見せてくれる。文章も構成もきっちりしているし、とてもいいなあと思いました。この題材になった絵は、プラドでも暗くした特別な部屋に一つだけ飾ってあって、見ている人がその絵のなかに入ったような感じがするのだけれど、それに通じるものがこの物語にはある気がしました。謎めいたムードがあって、それが決して安っぽくない。伝統をきっちり踏まえている感じですね。あと、最初のところが木靴の話で、え?という感じで入るからこそ、子どもたちは、矮人である主人公の気持ちにすっと入っていける気がしました。これが最初から矮人だとわかってしまうと、子どもたちは自分とは違うと感じてしまって、なかなか入れないかもしれないけれど。とにかくおもしろかったです。

愁童:『少年アメリカ』と続けて読んだので、双方の作者の立場の違いみたいなものが、作品に反映されていて興味深かったですね。小さい子が主人公で、その子は父親が嫌い、というあたりは『少年アメリカ』にも通じるものがあるけれど、聖体拝受のエピソードで、坊さんを倒してしまうといったとても印象的な場面をぽんと置いて、少年像がきっちり読者の心に残るような配慮をしながら作品を作っている点など、童話作家としての巧みさを感じました。

げた:次はどうなるんだろう、という感じで読み継いでいけるので、読みやすい本です。歴史知識が必要なので、中学生向きかと思います。ニコラの出世物語ということで、中身自体はそれほど難しくないし、分量的にも中学生で本を読み慣れていない子にも読めると思います。

ミラボー:表紙で犬とニコラスだけに色がついていますが、これは、犬と少年が主人公ですよ、ということですね。
ひとしきり、ベラスケスの絵の話で盛り上がる。

ミラボー:冒頭の、ガブリエル・マルセルの言葉については、どう思われました?

アサギ:最後につながるんじゃない。ベラスケスの作品が完成したことが神秘なのかしら?

ウグイス:私は素直にふうん、そうなんだ、と思って読んだけど。

ネズ:神秘というのは運命のことかしら。

驟雨:この言葉がここにあるために、この本には不思議なことが出てくるぞ、という感じが醸し出されているんですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年8月の記録)