オトフリート・プロイスラー『小さい水の精』
『小さい水の精』
原題:DER KLEINE WASSERMANN by Otfried Preussler, 1958
オトフリート・プロイスラー/著 はたさわゆうこ/訳
徳間書店
2003.03

版元語録:水車の池の底にある小さな家に生まれた小さい水の精は、髪も目も緑色の、元気な男の子。毎日池じゅうあちこち探検します。コイのおじいさんの背中に乗せてもらったり、人間の子ども達と友達になったり…。ドイツを代表する作家が、元気な男の子をいきいきと描く作品。原書の絵を忠実に収録し、新訳でお届けします。

ウグイス:ほのぼのとして、安心して読めるファンタジーで、すごくよく読まれた本なんですよね。私は同じプロイスラーの『小さい水の精』と『小さい魔女』だと、『小さい魔女』のほうが好きだったんだけれど、水の精が大好き、という人もたくさんいます。『この湖にボート禁止』のような本と違って、ファンタジーなので古びないですね。旧版が手に入らなくなっているから、こういうのを出してくれるのはうれしい。3、4年生の読めるものは少ないからね。大塚勇三さんの訳は独特の暖かさがあって大好きだけど、新訳も、水の精のあどけなさとか、雰囲気をとらえて訳されていると思います。

エーデルワイス:いかにもドイツのお話というとらえ方でいいんでしょうか。かわいらしい感じ。

アカシア:ドイツはもっと理屈っぽい作品も多いから、プロイスラーの楽しさはむしろ例外かもしれませんよ。今回読んだ3冊の中では、今の子どもにもお薦めっていうのはこれ1冊ですね。訳も悪くなかったし、学研版と比べてそんなに変わっていない感じがしました。大塚さんとは持ち味が違うけど、新たに読めるようになってよかったなと思います。いたずらっ子で、危ないことまでやってしまうところも、子どもたちの共感を得るでしょうし、いやな釣り人をこらしめたりするところも、痛快に思うんじゃないかな。1章ずつばらばらでも読めるので、短いのしか読めない子にもいいですね。

ウグイス:大塚さんの訳って、「ええ」っていうのをよく使うじゃない? 古いほうのp94「……と、かんがえましたが、それもなんにもなりませんでした!……ええ、どうやってもだめでした」っていうふうに。そこは新訳でも「……とも思いましたが、それもなんにもなりません。……そうです、なにをどうやっても、だめでした。」となっている。これを見ると、プロイスラーが、もともとこういう語りかける口調を使っているようですね。

カーコ:昔小さいときに学研のシリーズをたくさん持っていて読みました。当時「ヤツメウナギ」がとても不気味だったのや、お祝いのごちそうがすごく不思議だったのをおぼえています。今読み返すと、家族がとてもいいですね。お母さんは心配するけれど、お父さんが水の精をどんどん連れ出す。だけど、肝心なところでは、しっかり守ってくれているんですよね。それと、端々の文章がおもしろかったです。たとえばp54、「空気」の話をしているところで、「空気っていうのは、その中では、泳げないものなんだ」とか。水の中から見るとこう見えるというところがいっぱいあって。小さい水の精はいたずらっ子で、次から次へといろいろなことをするので、だいじょうぶかなあ、と読者はハラハラすると思うんだけど、最後は、必ずおうちに帰って丸くおさまるので、安心感があるんですね。

ウグイス:表紙の絵はあまりかわいくないけど、中の絵はお話のほのぼのした感じが良く出ていて、かわいいと思う。

きょん:子どもの頃にうちにあって読んだんですけど、おぼえてなかった。今回あらたに読んでみて、とてもおもしろかったです。小さな水の精の感動が新鮮で、みずみずしく、読んでいて楽しかった。仲良しのコイのチプリヌスおじさんとのやりとりもおもしろい。読者対象は3,4年生かしら?

ウグイス:内容から言ったら低学年だけど、漢字も多いし、1,2年生には読めないわよね。あと、うちの近所の図書館には、旧版はあったけど、新版はなかったの。最近は図書館の予算も限られているから、古い版に問題があれば別だけど、まだ読める状態ならば新しいのは入れないのね。書名が変わったりすれば買うと思うけど。新しい書名でリクエストがくると、古い版を使うことはできないからね。この場合は書名がまったく同じだし、学研版にも問題はないから買い換えなかったのでしょう。そうすると、出版社は本が動かなくてたいへんよね。

ミッケ:現実の中での男性らしさとか女性らしさといった問題、ジェンダーの問題とは別に、原型としての父親の役割、母親の役割というのがあると思うんだけれど、この本には、それがちゃんと機能している世界が書かれている。そのなかでは、子どもが安心して子どもらしく育っていけるわけで、そういう世界がちゃんと書けている本は、幼い子どもが読む本として貴重だと思います。だからこの本は、時代を超えて古びずに生き残っていく本だろうなあと思いました。今時のこの本を自分で読める年齢の子からしたら、ちょっと幼稚すぎる感じもありそうだから、むしろ、おとなが1章1章語り聞かせるといいような気がします。アカシアさんが言ってたたみたいに、この本はひとつひとつの章が独立している感じだから、そういう読み聞かせも可能だと思う。訳は、両方ともよかったです。なんといっても主人公のいたずらなところがいいですね。それと、たとえば人間の子に、焼いた石(ジャガイモのこと)をもらって、お返しに食べ物を持って行くんだけれど、人間の子どもは決して口をつけない。それで、あきらめて今度は貝やなにかを持っていくというところなんかも、うまくするっと書いてあって、さっぱりした印象で進んでいくのがいい。おとなはこういうところで変にこだわりがちだけど、それがない。あと、最後に氷が張って冬眠するという終わり方もよかった。

ウグイス:今思ったんだけど、お父さんは外、お母さんは内を守るっていうような古めかしい役割分担なども、これがリアリズムの話だと、今の価値観と違うってことになるけれど、これは水の精の世界のお話で、人間世界とは違うということで、あまり目くじらたてないで読めるのかも。ファンタジーはそういう制約を受けないってこともあるんじゃない?

ミッケ:たとえば、主人公が粉屋さんの船にひとりで乗っていたら、見つかったものだから水に飛び込む。青くなった粉屋さんが、必死で主人公を探し続けるのを見て、主人公がp87で「…ずっと、さがしていればいいや! 粉屋さんが、木の箱をひとりじめしてるから、こんなことになるんだ!」って言うでしょう。この終わり方が、いかにも子ども目線でいいですよね。傘を持った男の人を池にはめちゃって、最後はミジンコなんかもいっしょにけらけら笑っていました、という終わり方も、子どもにすれば大喜びだと思う。

(「子どもの本で言いたい放題」2006年11月の記録)