ユッタ リヒター『黄色いハートをつけたイヌ』
『黄色いハートをつけた犬』
原題:Der Hund mit dem gelben Herzen by Jutta Richter, 2000
ユッタ・リヒター/著 松沢あさか/訳 陣崎草子/絵
さ・え・ら書房
2007

版元語録:イヌという名の犬が語る「創世記」。あなたの知らない楽園のこと、創造主のこと、そして人間誕生の話

サンシャイン:正直、あまりよくわかりませんでした。グ・オッドがゴットなんだって後書きに書いてありましたが、どうもスッとは心に入ってきません。ロボコヴィッツは、神様のアンチテーゼ的存在として出てきたのかなとは思いましたが、関係性もうすっぺらな感じです。日本の子どもが読んで、この本を楽しめるのか疑問です。

マタタビ:創世記がもとになっているので、ヨーロッパの子どもにとっては示唆に富んだ話なのかなと思います。ロブコヴィッツって人の存在もおもしろいですね。ロボットではないのかな? この本は2回読みました。間にネズミとの戦いとか入ってくるんですけど、そうしたエピソードを入れた作者の意図はなんなのでしょう。だめだと思ったけど、立ち向かってみたらできたというイヌの成長? それとグ・オッドとロブコヴィッツの本筋とのあいだのからみがよくわかりませんでした。人が神様を待っている話っていうのはよくあるけど、これは神様が人を待っているっていうのかな。いまだに神の門は閉じているようなので、ある種の哲学書かな。今の子どもたちで、読める子がどれくれいいるんでしょう? 児童書という位置づけが適当なんでしょうか?

クモッチ:たしかに、だれに向けて訳された本なのか?という疑問が浮かぶ本でした。「だれにも愛されない犬が、子ども二人に心を開いて、かけがえのないものになっていく」っていう筋が一つあるけれど、読み進めていくと、どうもそれがこの物語の本筋ではないように思えます。犬が語る話が、後半ボリュームを増していくので。で、こちらの話が、犬が本当に経験した話なのか、犬の創作した話なのか、わからない。読者が立ち位置をどこに置いたらいいのか分からない感じがします。そのため何度か前に戻って読んだりしたのですが、疑問が渦巻きました。

ジーナ:ロッタの視点で物語が始まったかと思うと、次にノイマンぼうやの視点に移り、次に犬になりと、だれに寄り添って読み進めればいいか、わかりにくかったです。私はあとがきを先に読まなかったので、犬の語る物語が始まったところで、「この本は、犬の話すとてつもないファンタジー、おかしな人物を楽しむ本か」と思ったのだけれど、だんだんその内容が難しくなってきて。ロッタ自身の葛藤はあまり描かれていないので、中学年向けくらいの本かなと最初思ったけれど、犬の話を読むと高学年でないとわかりそうにないし、視点をずらしていく構成はかなり大人っぽい。でも、高学年にしても、この文体はかたくて、難しいと思いました。もしかしたら原書は、それぞれの人物の語り口がすごくおもしろかったりするのかなとも思いましたが、わかりませんね。

たんぽぽ:大人が読む分には、最後まで読めたけど、子どもはロブコヴィッツが出てくる時点でやめるだろうなと思いました。酔っ払いの3人が出てくるのが、ほかのコピーだったらよかったのになって。最後読みおわって、なんだか欲求不満でした。

ハリネズミ:これは寝る前に読む本にしてたんだんだけど、すぐ寝ちゃうのね。ぜんぜん進まなくって。それで、ちゃんと机に向かって最後まで読んだんですけど、疲れましたね。日本で出すんなら、もっと編集や翻訳の人が工夫しないと無理ですね。日本の子どもに届かない。この本、二人称がみんな「あんた」なんですよ。幼いノイマンぼうやが犬に「あんた」って言うんです。ドイツ語のduをすべて「あんた」にしちゃったのかな。さえらの本って、科学書はいいのに、物語はもう少し工夫してほしい、と思うことがよくあります。グ・オッドは、G.Ottなんですね。原書では明らかに神を示唆する言葉ですが、グ・オッドじゃあ日本の子どもには伝わりません。お酒の名前がいっぱい出てきますが、キャンティはチャンティになってるし……読んでいくうちに、変だな、と思う気持ちばかりがふくらんでいきました。

クモッチ:結局、だれに向けた、なんの本なんでしょうかね?

マタタビ:黄色いハートに意味があるんだろうな、だれかのオンリーワンになれるという話なのかなと思ったら、そうでもなくて。

ハリネズミ:もともとの本がこうなんでしょうか? それとも日本語版の問題なんでしょうか?

マタタビ:今回の3点のうち、この本だけは犬の視点ですよね。

クモッチ:おじいちゃんが、ロブコヴィッツを知ってるんですよね。ここで犬の世界とシンクロしている? その意味も知りたいですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2008年3月の記録)