原題:UNDERSTOOD BETSY by Dorothy Canfield Fisher, 1917
ドロシー・キャンフィールド/著 多賀京子/訳 佐竹美保/絵
徳間書店
2008.11
版元語録:1917年にアメリカで刊行され、百年近く読みつがれてきた名作古典児童文学。孤児の少女ベッツィーが田舎の農場にひきとられ、たくましく温かい家族を得て、すこやかに成長していく姿を描いた物語。『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』が大好きな読者へ贈ります!
カワセミ:すごく古い話なんですよね。昔翻訳されていた『ベッチー物語』っていうのは聞いたことがあるけど、読んだのは初めて。いろいろなおばさんや大おばさんが入れ替わり立ち替わり出てきて名前がおぼえらえないんだけど、佐竹さんの具体的な挿絵のおかげで、とても読みやすくなっていると思いました。昔の本だからかもしれないけれど、書き方がわかりやすくて、主人公の女の子の目線できちんと描写されているので、最初から主人公の気持についていけるし、楽しく読める。子どもらしいものの考え方が描かれているのがよかった。最初に一緒に暮らしていたおばさん、大おばさんとはまったく違う環境に行くんだけれど、それをこの子が、1つ1つじいっと見て、全部自分の小さな頭の中で、これはどういう意味なんだろうと考えていく。子どものものの考え方に即して書いているところが、大人は興味深いし、子どもは「そんなふうに思うよね」って共感できるんじゃないかと思いました。それとやっぱり、最初の家庭ではすべて大人が先へ先へと手をまわしてくれたので、自分から着替えることすらしなかったんだけれど、次の家では自分のできることはさせるので、やがてはモリーを小さなお姉さんのように守ってやれるようにもなるし、この子なりに成長していくのがわかる。そして、農場の暮らしを楽しむ、楽しく毎日をすごせるようになるっていうのが、読んでいて心地よかったです。そういう子どもになっていくっていうのが、うれしく思えるんですね。訳文と挿絵を新しくしたおかげで、古めかしさもそんなにないし、よくなったんじゃないかなと思います。
セシ:昔懐かしいような感じの本で、時代的にも『大草原の小さな家』や『赤毛のアン』を思い出させる作品でした。古い作品でも、本の作り方でこんなに読みやすくなるんですね。翻訳文は今の言葉だけれど、ときどきちょっとお行儀のいい言葉が使ってあるのがいい感じでした。アンおばさんならどう考えるかしらと自問しながら、ベッツィーの考え方がどんどん変わっていくところ、ダメなことがあってもそこから何とかしようというポジティブな発想に変わっていくところが好きでした。また、農場の暮らしは町の暮らしより大変だけれど、昔はもっと大変だったんだよと言って、道具がないのにうまく工夫していた昔の人のすばらしさをたたえるところで、たくましさや生きる力を教えられる。お誕生日のエピソードでは、この子がいかにたくましくなったかが如実に表れていてよかったです。でも男の子はなかなか手にとらない本かな。
サンシャイン:オビを読むと話の先がわかってしまいますが、たまたま私はオビをはずして読み始めたのでよかったです。両親のいない子を面倒見る親戚が、違う側の親戚のことをひどく悪く言っているので、もっともっと辛いことがあるのかと思って読み始めました。違う親戚のもとに預けられて、もちろん苦労やつらさはあったには違いないけれど、印象としてはすっとアジャストできた感じです。頭のいい子で、それまで一方的に守られていたけれど実は柔軟性もあったということでしょうか。早く適応できています。そういう意味で本全体に悪意がない。ドロドロしたところ、辛いところ、苦しいところがない。そう思いながら読んでいったら20世紀前半のことだとわかり、ああそうだったのか、と納得しました。現代だともっと辛いことがあり、それでもなおそれを克服する話になるでしょうけど。日本でも最初は50年代に翻訳されたそうで、悪意のなさがいい感じでもありますが、現代的にみるとちょっと刺激が足りないのかな、とも思いました。「いいお話」という感じです。話の結末も、迎えに来た人の気持ちを主人公が察してお互いに思いやりながら本心を理解し合って農場に残る、それぞれめでたしめでたしとなる。今ではまれな作品なのかもしれませんね。アメリカの素朴な生活の様子も出てきたし、昔の古き良き時代のお話として心温まる作品です。
プルメリア:佐竹さんの絵が好きなので、表紙を見てすぐ読みました。まわりの人々に守られながら生きていた主人公が、環境が変わり大自然の中で自分で考え行動しながらたくましく成長していく姿は読んでいてとてもほほえましい。二人の女の人の生き方も対照的です。バター、メイプルシロップ、ポップコーンなど手作りの楽しさも伝わってきます。自給自足、ものをとても大切にすること、まわりの大自然が美しいことに読んでいて心がほっとします。私はこの作品が大好きで学校の図書室にも入れて、いちばん目立つ場所に表紙を見せて並べています。3年生の女の子が数人楽しそうに本を手にとったんですが、本の中を見ると「あー」と言って戻してしまいました。字が小さいので、もう一歩進めないようです。高学年でも同じかなと思います。そこを克服することができる工夫をしないと読み始めることができないので、本を手に取ることができるような紹介を考えたいと思っています。
ハリネズミ:大人の暮らしを子どもがきちんと見ていますよね。そのことが、変ないじめなどがないことにつながっていくのかもしれません。大人もぶらぶら生きているわけでなく、まっとうに暮らしているんですから。図書館では何冊も借りられていて人気がありました。ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズは、ふつうの子どもには長すぎる。大学生でも、「描写がこまかすぎて話がなかなか前に進まないので、うざったい」と言ったりします。かといってプロットばかりの本は読ませたくないと思うと、このくらいの長さでまとまっているほうが手にとりやすいかもしれません。
セシ:メイプルシロップを作るシーンの描写は、ようすがよくわかってすてきですよね。こういう文章を読むおもしろさに、今の子どもはなかなか気づかないのかもしれませんね。映像や音に慣れてしまって、見てすぐわかることしか味わえなくて。おもしろいところを2、3ページでもいいから読んでやって紹介すれば、読んでみようと思うんじゃないかしら。
サンシャイン:詩の場面はとてもよかった。夕食後の団欒の場面で大おじさんが自分の気に入っている詩を子どもに読んでもらう。覚えているところはともに唱和する。テレビのない時代のすばらしさ。こういう文化があるのがいいなと思いました。日本は詩というと主に抒情詩なので、こういうドラマチックなものはないのかな。国民詩人みたいな方がいたり、好きな詩を暗唱・朗誦したりということ、いいですねえ。
カワセミ:テレビも何もない時代の家族の楽しみはこうだったのね。
ハリネズミ:衣食住だけでなく、娯楽もみんな自分たちで作り出していくのよね。
セシ:週末農園がはやってきているのも、生きる手ごたえが求められてきていることの表れかもしれませんね。
(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)