『ぼくの嘘』
藤野恵美/著
講談社
2012

版元語録:オタク男子の笹川勇太は密かに親友の彼女に恋している。ある日、彼女が置き忘れていったカーディガンを見つけて届けてあげようと手にとるが、つい、そのカーディガンを抱きしめてしまったところを、誰かに写メに撮られてしまう。ケータイを手にそこに立っていたのは、クラスのリーダー格の世慣れた美少女、結城あおいだった。

アカザ:これを読んだのは、ちょうど特定秘密保護法が参議院を通るかどうかという時だったので、「こんなことを書いている場合かよ!」と、腹が立ちました。誤解のないように言っておきますが、べつに児童文学作家全員が社会派の作家になれって言っているわけではないのです。登場人物の周囲1マイルくらいのことしか書いてなくたっていいし、もちろん恋や友情の話だっていい。別に戦争や原発の話を書けっていってるわけじゃない。でも、大人の作家が子どもに向けて書いているんだから、もう少しなにかがあっていいんじゃないの? たしかに、登場人物の語り口は「いまどき」だし、読者もすらすらと、それなりに面白く読めると思うけど、3:11以降、大人の文学の世界が確実に変わってきていると思うのに、子どもの本の作家がこれでいいのかなあ? 家庭に多少の問題は抱えているとはいえ、女の子も男の子も大金持ちで(服に20万円も使うなんて!)、お父さんは医者で、お母さんも美人で頭が良くって……リカちゃん人形か! いちばんびっくりしたのは、最後の1行です。大人になってからのふたりのこと、なんで書きたかったんでしょうね?

アカシア:会話のやりとりはなかなかおもしろいと思ったし、オタクの男の子が「更新」とか「ストレスゲージ」なんていくコンピュータ用語で心理描写をしているのもおもしろかったんです。ただ、登場人物やシチュエーションが、あまりにもステレオタイプですよね。絶世の美女のレスビアン、オタクのさえない男の子、金銭で解決しようとする父親、表向き完璧主義者の打算的な母親、親友のカノジョが好きになるとか不倫とかもね。それに、大人が書けてないですね。と言うことは、人間が書けていないので、リアリティが稀薄で薄っぺらくなってしまいました。p247には、「生身の人間に慣れてしまったら、情報量の少ないアニメ絵に不自然を感じてしまうのだ」とありますが、この作品自体がアニメ的だな、と思ってしまいました。社会的な視野の広がりがないのも残念です。

レン:私には20歳前後の子どもがいますが、高校生から大学生くらいの若者の空気感はとてもよく出ていると思いました。だけど、それ以上のものは感じられませんでした。私は本というのは、「漫画やゲームや映画のようにおもしろい」ではダメだと思うんです。文学でしかできないおもしろさがないと、がんばって文字を読む意味がない。要するに、読者に何を投げかけたかったのか疑問です。私はむしろ、役割とかキャラの呪縛から読者を解き放ってくれるような物語を読みたいな。

アカザ:すばらしい作品って、登場人物が作者の思ってもみなかったような動きかたをし始める。この作品は、最後まで作者の掌の上にあるって感じ。

プルメリア:読み始めてからすぐ、男の子が屋上で友だちの彼女のカーデガンを抱きしめる場面がうーんって感じ。内容がぐちゃぐちゃしていて、もういいよと思ってしまいました。表紙はインパクトがなくて、あまり好きな絵ではなかったです。

ルパン:ハッピーエンドにしては後味が悪かったです。とくに最後が・・・いきなり30代半ばになっていて、それで唐突に結ばれるわけですけど、その間10年以上も何もないまま経っているわけだし。この展開にはびっくりでした。しかも、この主人公、彼女が不幸になって落ち込むタイミングをずっとねらって待ってたみたいで、ちょっとコワい。高校生の言葉づかいとかはよく描けていると思いましたし、私はけっこうおもしろいと思いながら読んでいたんですが、そもそもこれは児童文学なんでしょうか。子どもや若い人が読むことを思うと、登場人物にはもうちょっと別の成長のしかたを見せてもらいたい気がしました。

(「子どもの本で言いたい放題」2013年12月の記録)