日付 | 2003年5月22日 |
参加者 | 愁童、羊、ケロ、きょん、ブラックペッパー、トチ、すあま、アカシア、ねむりねずみ、裕、ペガサス、カーコ、ウェンディ |
テーマ | 少年の現実 |
読んだ本:
原題:BUD, NOT BUDDY by Christopher Paul Curtis, 1999
クリストファー・ポール・カーティス/作 前沢明枝/訳
徳間書店
2003.03
<版元語録>ニューベリー賞受賞 バドが六つの時にママが死んだ。10歳になったある日、バドはひとりで、まだ見ぬお父さんを捜しにでかけることにした。ママが遺してくれたジャズバンドのチラシを手がかりにして。一九三〇年代の大恐慌のまっただなか、もちまえの明るさと知恵で困難を乗りこえていく黒人少年の姿を、ユーモア溢れる語り口で描いた感動的な物語。
阿部夏丸/作
ブロンズ新社
2002.06
<版元語録>父親不在?母親失格?いや父親だって母親だって頑張っています! 今だからこそ考えたい家族のリアル。2児の父でもある著者が、家族の中でおきる小さな事件を等身大で描き出す。
原題:TELL ME NO LIES by Malorie Blackman, 1999(イギリス)
マロリー・ブラックマン/作 冨永星/訳
ポプラ社
2002.12
<版元語録>学校でも家でも居場所のない少女ジェンマと、重すぎる過去を隠して学校にとけこもうとしている転入生マイク。たがいに好感を持ちながらも、ふとした言動から思わぬ誤解が重なり、思いもよらないいじめがはじまる…。
バドの扉がひらくとき
原題:BUD, NOT BUDDY by Christopher Paul Curtis, 1999
クリストファー・ポール・カーティス/作 前沢明枝/訳
徳間書店
2003.03
<版元語録>ニューベリー賞受賞 バドが六つの時にママが死んだ。10歳になったある日、バドはひとりで、まだ見ぬお父さんを捜しにでかけることにした。ママが遺してくれたジャズバンドのチラシを手がかりにして。一九三〇年代の大恐慌のまっただなか、もちまえの明るさと知恵で困難を乗りこえていく黒人少年の姿を、ユーモア溢れる語り口で描いた感動的な物語。
トチ:ニューベリー賞をとったときから、おもしろそうな本だなと思っていました。『穴』(ルイス・サッカー作 幸田敦子訳 講談社)や『シカゴより怖い町』(リチャード・ペック作 斎藤倫子訳 東京創元社)と同じような、ストーリーと歯切れのよい文章で読ませる本。トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンのころから脈々と続いている、アメリカ文学の伝統のようなものを感じました。深刻な内容なのに、ほら話のノリで、読者をじめじめさせない。いまのアメリカの児童文学は元気がいいと思います。「バドというのは、つぼみという意味なのよ」と主人公の母親が語るところで、ジーンときました。
カーコ:とても楽しく読みました。まず、どこまでも子どもの視点で書かれていることが目をひきました。「バドの知恵」で、大人の世界のたてまえと本音をユーモラスに指摘しているのもおもしろかった。それから、大人の人物がとても魅力的ですよね。バドを車に乗せてくれるおじさんもすてきだし、ジャズバンドの人たちもいい。訳も、歯切れがよくてよかった。作品のおもしろさを、よく引き出していると思いました。
ケロ:『穴』に似てたんですね。鉛筆を鼻につっこまれたり、蜂にさされたり、辛い状況にいるのだけれど、運を自分の味方につけちゃう。励ましてもらえる。どんどん辛いまま落ちこんでいく作品もあるけれど、こういうふうに元気づけられるのもいい。
羊:施設からいろんな家に送られたりすると、「バドの知恵」というようなのが身に付くようになるんですね。おもしろかった。
ブラックペッパー:私はあまりのれなかった。10歳というのはどういう年齢なんだろうとか思ってしまった。自分突っ込み型の一人よがり。『はいけい女王様 弟を助けてください』(モーリス・グライツマン作 唐沢則幸訳 徳間書店)のときと同じように、のれなかった。6歳で母親は死んでしまったのに、こんなにおぼえているのも不思議でした。
きょん:私はすっきりとおもしろく読めた。「バドの楽しく生きる知恵」は、サイコーだと思う。うまくごまかしながら、適当に合わせて、でも自分の価値観やプライドを失わずに、自分なりにユーモアで大波をのりこえていく。マーク・トウェインの『ハックルベリーフィン』と似てるといわれて、そうだな、と思った。そういうのがアメリカンスタイルなのですか? また、バドが、純粋に誠実に生きている姿は好感が持てます。全体に流れる「臨機応変に困難を乗り越え、まわりの人々ともうまくやりながら、大波を乗り越えて生きる」という思想にとてもひかれました。今の子どもたちには、いいメッセージだなあと思って。どこにいても、「潔癖にいい子」を求められて、過剰に干渉され、管理されているのが今の子どもたち。そんな子どもたちも、「適当に」「臨機応変に」でも「誠実に」生きていってほしいというメッセージが感じられますね。でも、「ママの持っていたチラシから、バンドマンがおとうさんだと確信して、遠路旅に出る」ところとか「バンドマンがおじいちゃんだったところ」「家出した娘を思って悲嘆にくれるおじいちゃん」などは、ちょっと安易だなあと思いました。その後、ハーマンがどうなったのかもちょっと気になりました。
ねむりねずみ:魚の頭と出くわすところなんか、かなり大げさに書いているんだけれど、それがいかにも子どもの早とちりのドタバタらしくていい。いろいろ苦労していて、それなりに抜け目がなかったりたくましかったりするのに、それでいて純情だったり言葉づかいがていねいだったりと、この主人公の作り方がおもしろいですね。ぎっちょさんとのやりとりで、労働組合のことを知って危ないところに近寄るまいとなんとか逃げようとがんばるあたりも、リアリティがあります。人がよくしてくれると、うまくそれに乗っていつもその場に居場所を確保する。とてもじょうずにその場にとけこむのに、その一方で決してかばんを手放さずいつも放り出されることを覚悟しているあたりも、主人公の苦労がしのばれます。だから、最後にかばんの中身を広げるところで、ぐっと胸に迫るものがあるんですね。同じ作家の『ワトソン一家に天使がやってくるとき』(唐沢則幸訳 くもん出版)も読んだけれど、たいへんなことをおもしろく書いてしまう人だなあと、好感を持ちました。作者のあとがきでモデルがあると知ってびっくり。大変な時代のリアルなモデルを土台にして、明るい雰囲気のフィクションを作り上げたところにひたすら感心しました。
アカシア:『ワトソン一家〜』は英語で読んで、新しい作家だと感じました。文体がとても軽快でユーモアたっぷりなのだけど、歴史とか家族とか人種などのこともまじめに考えているのがわかる。アフリカ系アメリカ人の作家ですけど、差別とか抑圧を声高に言ったりはしない。『ワトソン一家〜』では、黒人の教会が爆破される事件が登場しますけど、エピソードとして出していて、糾弾したりはしない。この作家は、むしろ誰もがかかえる日常を書いていくのだけれど、文体のリズムだとか、生活の描写に、アフリカンアメリカンらしさが強く出ています。それに、この作家は、しかつめらしい顔をして書くのじゃなくて、自分も笑いながら書いているんじゃないかってところがありますね。こういう作品は、ユーモアにしても文体のリズムにしても、翻訳でその雰囲気を出すのは難しいですよね。この日本語訳も、最初だけ重いなあと思いましたが、だんだんに軽くなって読みやすくなりました。
ペガサス:久しぶりに、子どもらしい楽しい本を読んだなあと感じました。子どもらしい感覚をもとにした記述が随所にあるところがいいですね。p102の4行目、ママが持っていたチラシが気になってどうしようもなくなるというのを、カエデの大木にたとえているが、どのくらい高い大木になっていくかを子どもらしい表現で書いています。p154の後ろから4行目、お父さんに会いに行って、いよいよ扉をあけたと思ったら、「なんだ、中にまた扉がある」なんて、とてもユーモラス。そういうところも楽しかった。最後は、単におじいちゃんとバドの感動の対面という形で終わるらせるのではなく、素敵なバンドの仲間たちに一人前に扱ってもらって、仲間にしてもらうという形にしたのがよかったです。このように扱われるのは子どもにとってとても満足のいくことだし、読者には、ここで終わりではなく、この子のこれからの人生までが目の前にぱーっと見えてくる感じがします。訳は、名前で「ネボスケ・ラ・ホーネ」とか、うまく日本語にしているなと思いました。
愁童:すごく微妙な感じ。いいお話だなと思う反面、「ユーモア」って感じはぜんぜんしなかった。苛酷な環境を生きてきたということが、どんな場面でもきちんと読者に感じられるように書かれているのは、すごいなって思った。最後、いい大人ばかり出てきて、調子いいなって感じもあるけど、そこに到るまでのパドの描写に説得力があるので、素直にほっとしちゃうね。ほっとして読み終われる本て、今、必要なのかもな、って思いました。
トチ:孤児院にいても、プライドを失わない主人公の生き方とか、歴史的な背景は知らなくても、日本の子どもにじゅうぶん伝わるところがあるのでは?
愁童:一人称で書かれているのに、客観描写のようにジャズマンや運転手の人物像がはっきりとイメージ出来る。うまいなって思いました。
アカシア:アフリカ系の作家だと、ミルドレッド・テーラーが『とどろく雷よ、私の叫びをきけ』(小野和子訳 評論社)のシリーズで、同じ時代を舞台にしてますよね。そっちは深刻な差別を、まなじりを決してえぐり出すように書いています。でも、カーティスは若い世代ということもあって、差別は随所の記述から推し量れるけど、それを正面から糾弾するわけではない。原文はもっとユーモアがあるのかも。でも、同じ質のユーモアを日本語で表現するのは無理ですよね。
すあま:気持ちよく読めたし、読んでいて楽しかった。安心して終わるしね。「何かが閉じても新しい扉が開く」と信じて進んでいくから、ロードムービーのように、どこに行きつくかなと思いながら読み進めていきました。現代の本だと、大人も不安定で自信がなく描かれていますが、時代が前のものだと、大人がしっかりしていて、子どもたちにきちっと接しています。バンドの人たちの子どもとの距離感がいいですね。最後は、うまくいきすぎかもしれないけれど、謎解きのようになっていて、すっきりとして読み終えられました。装丁の絵もいいな。
(2003年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)
父のようにはなりたくない
阿部夏丸/作
ブロンズ新社
2002.06
<版元語録>父親不在?母親失格?いや父親だって母親だって頑張っています! 今だからこそ考えたい家族のリアル。2児の父でもある著者が、家族の中でおきる小さな事件を等身大で描き出す。
トチ:子どもの本かな、大人の本かなと首をかしげながら読んでいたのですが、後書きをみて納得。子どもと親の両方が対象だったんですね。対象にあわせてうまく書くという、職人技のようなものは感じたけれど、内容はねえ・・・作者の言いたいことがまず先にあるようで、物語よりもエッセイにしたほうが良かったのでは。それと、なんでこんなにつまらない母親ばかり書くのかしら。ナイフを子どもに持たせるとキャアキャア騒いだり。それに、周囲にはいろいろな事件が起こっても主人公の家庭にはさほど影響がないという物語の展開も、フェアではないような気がしました。だから、エッセイみたいな感じがするのかも。
ケロ:私はちょっとだめでした。軽いという意味では、「バド」と似ているかもしれないけど、一緒にしないでって感じ。父親は釣りからいろんな人生訓を学んじゃって、息子に教えたがるんだろうな。その言いたいことが地で出てる感じ。浅田次郎みたいだけど、そこまでいってない。ちょっといいシーンもあるんだけどね。子どもは、「うちも、こんなこと、あるある」みたいに読むのでしょうか。
羊:みなさんおっしゃったとおり。タイトルと表紙で期待して、いいところを探そうとしたんですけど、お父さんが出てきて「これかよ!」と、がっかり。お母さんは、みんな同じふうで。
裕:私も、これは困ったな、と思いましたね。タイトルは普遍的な命題なのに、この本の中のどの話にも問題提起がない。なぜかというと、一つ一つの家族にリアリティがない。大人の側の言い訳と押しつけがある。小説なら小説を世界をきっちり構築しなければならないのに、言い訳が勝っている。同じ世代のお父さんたちを代弁しているんでしょうね。気弱というか、意地もなく、言葉も持たないお父さんたちね。
きょん:同じ作者の『ライギョのきゅうしょく』(講談社)や『見えない敵』(ブロンズ新社)がなかなかよかったので、今回この作品を読んでみようと思いました。まじめな作家なんだと思うけど、お父さんのエッセイみたいな内容でしたね。
ねむりねずみ:みなさんのおっしゃったとおり。読んでいて、前にこの会で取り上げられた『ハッピーバースデー』(青木和雄作 金の星社)を思い出しました。著者のメッセージがベタでぶわーっと出ている。作品世界になっていないし、フィクションになっていない。こんな事が言いたいんだろうなあというのが見え見え。作品を書く動機はとてもいいのだけれど、ちゃんとした作品世界を作り上げられなければ、せっかくの善意も空回りになってしまうのでは?「泣き虫のままでいい」だけがお母さんの立場なんだけど、それだからといってたいした工夫があるとは感じられませんでした。
ペガサス:これは1編だけしか読んでいないんですが、ほかの2冊が構成などとても工夫されていて、新しい児童文学だという気がしていたのに、これはなんの工夫もない。この第一話の父と息子の会話からして、こんなこと言うかしらと思いました。
愁童:少し前なら、「こんな甘いお話!」って切り捨ててしまったかもしれないけど、まわりを見ると、この本読ませたい親がいっぱいいるんだよね。短編の作り方としてはうまい。ちょっと読み手の虚をついておいて、最後ぽんと落とす。説得力あると、ぼくは思うけどな。野球の話の、コーチと子ども達の関係なんか、いいとこついてると思う。
きょん:野球の試合で、三振しても「ドンマイ」「がんばったね」っていうのが、今の子どもたちを取り巻く現状だけれど、やっぱり試合には勝たなければ意味はないし・・・とか、メッセージには共感をおぼえました。言ってることは、とってもシンプルでわかりやすい。そこのところが優等生的なんだと思います。
(2003年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)
うそつき
原題:TELL ME NO LIES by Malorie Blackman, 1999(イギリス)
マロリー・ブラックマン/作 冨永星/訳
ポプラ社
2002.12
<版元語録>学校でも家でも居場所のない少女ジェンマと、重すぎる過去を隠して学校にとけこもうとしている転入生マイク。たがいに好感を持ちながらも、ふとした言動から思わぬ誤解が重なり、思いもよらないいじめがはじまる…。
トチ:おもしろく読みました。ジェンマとマイクが交互に出てくる構成がうまいし、坂道をころげおちていくようなスリリングな展開が楽しめる。ただ、どんな風にまとめるのか、読んでいる最中から気になっていましたが、結末がちょっと苦しい感じがしました。この本でいちばん迫力があって、光っているのは冒頭の部分ね。バドといい、この本といい、子どもの本の翻訳者はいい仕事をしていると思う。
カーコ:最近英米で賞をとるものは、たいがい構成がしっかりしているというか、どこか「おっ」と思わせるような構成の工夫があると常日ごろ感じているのですけど、これも、しっかりとした構成がある作品。2人の主人公が、どんどん追いつめられていく感じがうまく出ていておもしろかったですね。
ケロ:追いつめられていく側や追いつめる側を一方的に書いているものはよくあるけれど、これは両側から、ある一つの言葉がどうして出てきたかまでが書かれていますね。バドと対照的で、マイクっていうのがどういう子なのか、最初はつかみにくかった。お母さんと子どもとの関係が、オーバーラップしながら見えてきます。母親から捨てられたんではないかとか、母親から離れるという体験は今は多いから、読者が自分にひきよせて読めるかな。
羊:今回のテーマは男の子の気持ちでしたよね。マイクに感情移入して読みました。「ありがたいって思ってるんだろうな」とおじいちゃんに言われるシーンでは、どんなに傷ついたかと思って、読んでいてズキリときました。大人にとってちょっとした誤解でも、子どもにとっては全世界になってしまうんですね。いろんな現象があって、子どもがかかえている問題の重さはなかなかはかれない。カバー袖に「互いに好感を持ちながらも」とあるけど、この子たちはどこでひかれあったのか疑問でした。マイクもジェンマにひかれてたんですか?
ブラックペッパー:私はジェンマにひかれた。たくさんのお母さんの記事をスクラップをするところから、ひかれて。構成が細切れなので、途切れたところでどうなってしまうのかと心配になってしまう。みんなたいへんで、痛々しい。最後、ジェンマがみんなに告白するところは、ちょっと人間が変わりすぎかなと思ったし、マイクのおじいちゃんが最初すごいことを言っていたのに、どの辺からこんないいおじいさんになったのかと疑問に思いました。
ペガサス:マイクの側から書いているからじゃない? マイクの心の動きで、変わって見えてきている。
愁童:老人夫婦はとてもうまく書けていると思う。マイクに対して、きついことを言ったりするおじいさんの後で、おばあさんがマイクをやさしくフォローしたりして、長年連れ添った老夫婦が、ごく自然に書かれているね。
すあま:急いで読んでしまったのですが、お母さんを失った男の子と女の子の話で、それぞれに傷の深さは違います。特に、ジェンマはぼろぼろという感じで始まって、その後お互いに傷つけあうのがなまなましくて、読んでいて辛かったです。最後のハッピーエンドを求めて読んでいくという感じでした。楽しい本ではないから、好き嫌いはあるでしょうね。最後、ジェンマの解決が簡単すぎると思ったけど、傷ついている子どもが、ちょっとしたことで立ち直ることもあるので、安易とも言いきれないですね。二人の両方の立場で書かれているので、場面がぱっぱっと切り替わる感じがよかったです。
裕:この本は、大人の小説でも扱えるくらいテーマがありますね。大人の本だともっと書き込めるだろうけど、子どもの本だから難しかったんでしょう。大人の本だと、言葉に限定して表現できないことは、メタファーを使って表現する手法を使えますが、子どもの作品だとそれが難しい。作者は、構成が見えて書いているから、途中、加減をしながらほのめかしていく。両方の側から見ていけば読者は受け入れられるけれど、マイクの立場だけで見ていくと、ジェンマにされていることは理不尽。えぐいですよね。不自然なところが出てくる。チャレンジングな作品だけれど、そういうところに疑問が残りますね。
きょん:いじめる側といじめられる側の心理が描かれていて、対話のように交互に入っていく構成がおもしろかった。早く解決を見たくて読み進みました。マイクとジェンマの心のすれ違いが、なんともいえずイライラしました。子どもの心の描写、移り変わりが、しつこいくらい細かく書かれています。ジェンマの心のゆがみは、あまりにひどくて救いようがないし、こんな子っているのかもしれないけど、あまり好きになれませんでした。ジェンマは、マイクを脅迫したある日、「誰のせいでもない自分のせいなんだ」って気づきますが、何が自分のせいなのかがはっきりしてこないのが気になります。また、子どもの気持ちと、ちょっとずれがあると思いました。高学年の子なのに、お母さんの手紙を読んだときお母さんは会いたくないと思っていると考えてしまうところとか。ジェンマとマイクの関係が深みにはまっていく姿は、説得力があって、すごくいやでした。最後、川のほとりで話すとき、「お互いが安全弁になってくれた」というのは、すっきりきませんでした。また、ジェンマは「自分のせい」だから、自分を変えようと行動するけど、最後にあまりにもガラッと積極的に変わりすぎるので、それもどうなんだろう、と・・・。
アカシア:ちょっと前に読んだので、細かいことを忘れてしまっているのですが、翻訳は会話のところが特に、いきいきしていていいなと思いました。でも、作品の中で作者の視点がずれるんじゃないかな。おじいちゃんが嫌みを言って、その後いいおじいちゃんに変わるように取れるというところも、このおじいちゃんが最初にどうしてこんな言い方をしたのか、作者はきちんと考えているのかどうか気になります。考えているのなら、ちゃんと書いておいたほうが読者も納得します。山場の、マイクがジェンマにそそのかされて盗みを犯すところも、ジェンマは自分の心の内を探っているだけで、マイクに対してはどう思ったのかきちんと描かれていません。母親が祖父にあてた手紙をマイクが読んでしまったところも、手紙そのものは誤解される余地なく愛情あふれるものとして書いているのに、読んだマイクの方は「会いたくないんだから、ぼくを責めてるんだ」と思ってしまう。母親の手紙がどちらにもとれるようなものであれば、マイクの誤解もわかりますが、そうでないので読者はとまどうでしょうね。ジェンマとマイクの関係も、ひかれあうというなら、もう少し読者に納得できるようにそこも書き込んでほしいと思いました。
ペガサス:構成がすごい。ちょっとずつちょっとずつしかわからないから、どんどん先を読みたくなります。ただ、2人がとことんすれ違って、とことん傷つけあうところはひじょうにうまく書けているのに比べて、回復していくところが弱いかも。だから、これほどまで痛めつけられたマイクが、最後にジェンマとここまで急に好意的に話ができるというのはどうかと思っちゃう。話なんてしたくもないだろうと思うのに。またp165で、ジェンマがガラスに映る自分の顔を見て、急に、こうなったのは自分のせいだと気づくところは唐突に感じました。書名の『うそつき』というのは、ジェンマがマイクに言っていることなんでしょうか? 途中でわからなくなりました。ジェンマが、クラスの子の前でマイクをかばうために勇気をもって発言しますが、自分がゆすっていたことは言わなかったし、本当のことを言っていないのですっきりしません。ジェンマもうそつきなわけだから、書名の意味は両方のこと?
愁童:父親もうそをつき、母親もうそをつき、みんながうそをついている中で四苦八苦し、結果として自分たちもうそをつかざるを得ないところへ追い込まれる子ども達の真実を書きたくて『うそつき』という題名になったのでは? ジェンマとマイクを交互に書いているから、女性はマイクに肩入れし、男性はジェンマに肩入れする傾向があるかな?
複数:男性だからどっち、女性だからどっちとは言えないのでは。
アカシア:終わり方はどう?
愁童:何も解決はしていないよね。でもそれでいいんだと思う。
ペガサス:どちらかに肩入れするというより、どちらも読んでいくところにおもしろさがある。
ウェンディ:マイクが、父親を殺したのは自分だということを隠している(したがって読者にも明かされない)とわかった時点で、マイクの気持ちや言動をふりかえると、しっくりしません。それに、ラストで2人があそこまであっけなく考え方や行動を改められる点も、みなさんがおっしゃるように、できすぎのようにも思います。けれど、ふとしたすれ違いが積もり積もって、思いもよらない事態に発展してしまったり、逆に、ひょんなことがきっかけでわだかまりが解けたりとなんていうことは、現実には意外とあるのかもしれませんね。それにしても、結末を知ってから読み返しても、2人がどんどんすれ違っていってしまうあたり、もどかしくてたまらなかったんです。でも、いろいろ粗削りのところはあるけれど、一人一人の心の動きみたいなものをここまで丁寧にリアルに書けていて、書ける作家だなあ、価値のある作品だなあと思いました。
ねむりねずみ:特に中学ではいじめは日常茶飯事で、学校では一番の問題なんだけど、いじめを扱うのは非常に難しくて、児童文学でいじめを正面から扱って成功しているものにはほとんどお目にかかったことがありません。いじめの本質をついていなかったり、単なる舞台背景になっていることが多くて。実際のいじめでは、半分は自分自身の思いこみから子どもが勝手に追いつめられ、極端な行動に走ることで状況が突然悪化するというケースが多いわけだけど、この作品はそのあたりがよく描けていると思いました。いじめる側からといじめられる側からの二つの視線が平行して進んでいくことで、両者のすれ違いがはっきり見えるのは、着想の勝利だと思います。結末も、実は何も解決していないというところがリアルじゃないですか。ひょっとしたら、ジェンマは自分の行動を変えようとがんばりすぎて破綻するのかもしれないけど、ジェンマが何とかしようと思ったという一点が救いになって、読後感が暗くならずにすんでいます。細かく見ていくといろいろと不自然なところもありますが、正面からいじめを取り上げつつ、暗いままで終わらせず、リアリティを保っているところは評価できるんじゃないかな。
(2003年05月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)