日付 | 2008年12月19日 |
参加者 | ハリネズミ、みっけ、メリーさん、ウグイス、ネズ、カプチーノ、ジーナ |
テーマ | 子どももいろいろ悩むんです |
読んだ本:
原題:DEAF CHILD CROSSING by Marlee Matlin, 2002
マーリー・マトリン/作 日当陽子/訳 矢島眞澄/絵
フレーベル館
2007-08
版元語録:アカデミー賞主演女優賞史上最年少受賞女優の、自伝的小説。耳が聞こえない少女ミーガンと、聞こえる少女シンディが交互に語る手法で、ふたりの心の成長をいきいきと鮮やかに描きます。
濱野京子/作
講談社
2008.02
版元語録:2本の縄に包まれて、高く、軽やかに、跳ぶ。ダブルダッチって最高!/何なの、これ? 何やってんだよ、あいつら。それが、あたしとヤツらの、そして、あたしとダブルダッチの出会いだったーー/いま人気のスポーツを題材に、少女たちの交流と成長を描いた、感動のYA青春小説!
原題:LYCKAN AREN RATTA by Birgit Lonn, 2001
ビルイット・ロン/作 佐伯愛子/訳 いちかわなつこ/絵
徳間書店
2008.03
版元語録:トーベは小学校2年生の女の子。親友の誕生日パーティで皆に笑われてこっそり抜け出した後、迷子になってしまいます。女の子の成長を楽しく描く。
耳の聞こえない子がわたります
原題:DEAF CHILD CROSSING by Marlee Matlin, 2002
マーリー・マトリン/作 日当陽子/訳 矢島眞澄/絵
フレーベル館
2007-08
版元語録:アカデミー賞主演女優賞史上最年少受賞女優の、自伝的小説。耳が聞こえない少女ミーガンと、聞こえる少女シンディが交互に語る手法で、ふたりの心の成長をいきいきと鮮やかに描きます。
ハリネズミ:シチュエーションはおもしろいし、ミーガンという耳の聞こえない子と、となりに引っ越してきたシンディとの気持の交流もよく書けている。ただ、一番大事なキャラクターのミーガンがあまり魅力的に描かれてないのね。心の起伏はあって当然だし、いい子である必要もないんだけど、魅力的に書かれていないと、子どもの読者は入り込みにくい。ストーリー的にも、話の山場がなんなのか、どこがクライマックスでどこが解決点なのか、もっとはっきりしてる方がよかったかな。そして、もう少し翻訳を工夫してもらうとよくなる点もありました。たとえば地の文ですけど、基本的には三人称で書いてあるのに、一人称も頻出します。それが整理されてないので、小さい子が読むとわかりにくい。それと、会話体にもミーガンとシンディの差があまりないので、よけいどっちがどっちだかわからなくなっちゃう。細かいところではp130《「大きな声でうたって、シンディ。あたしたち、耳が聞こえないとでもいうの?」ミーガンがいうと、みんな笑った。》がピンときません。p145には、リジーがミーガンに、シンディへの手話の通訳をたのんでいますが、シンディは一応手話がわかるという設定ですから、何かの間違いかな。
メリーさん:とても読みやすくて一気に読みました。障害を持った子どもの物語というと、日本の創作の場合、暗くなったり、不自然にシリアスになりがちなのですが、この本は主人公がとにかく明るい。自分のほうから「私、耳が聞こえないんだよ」と言って、友だちにアプローチするというところがおもしろいなと思いました。途中で訳文の主語がはっきりせずに、どちらがどちらの言葉かわからなくなるのは、ちょっと問題だなとは思いましたが……。キャンプのシーンで、シンディが、自分は耳の聞こえない子のグループに入るのか、健常者のグループに入るのか悩むところがありますが、あの場面はもっと盛り上がってもいい。もう少し彼女のゆれる心情を書き込んでもいいのではないかと思いました。
ウグイス:女の子2人の友情物語っていうのはよくあるけれど、このシチュエーションは珍しい。障碍も1つの個性であるっていう視点で書かれているのは好感が持てるわね。けれども、ハリネズミさんも言ってたけど、書き方にわかりにくいところがあるの。かぎカッコで書かれた会話部分と、地の文の中に一人称で書かれた部分があり、読みにくいんです。ミーガンの側から書いている部分とシンディの側から書いている部分が交互なんだけど、それが同じ調子なので、区別がつかないんですよね。もっと個性の差が出ていれば読みやすいんだけど。会話がこれだけ多いと、翻訳の文体に左右されちゃうと思うんですよね。しゃべり方に性格が表れるから。それに、明るい感じはいいけど、ミーガンの性格としゃべっている言葉に違和感がありましたね。ミーガンに今ひとつ魅力が感じられないのは、言葉づかいからくるのかもしれません。手話で会話しているところがたくさん出てくるんだけど、活字で書いてあるのを手話でやっていると想像するのも、ちょっとわかりにくいかな。
カプチーノ:私は5年生を担任しています。この本は高学年課題図書の1冊です。「読んでみない」と子どもたちに勧めたところ、子どもたちは順番を決めて喜んで手にしていましたが、「先生、なんかわかりにくい。」「絵はいいのに、読みにくい。」と不評でした。「話がおもしろくないの?」と聞くと「むずかしい。」「言葉がわからない。」「だれが言っているかわからないから……。」私も読んでみたところ、子どもたちが言っていたことがわかりました。主人公のことが書いてあると思ってたら、友だちの方から見て書いてあったりするから、わかりにくかったのでしょうね。主人公が前向きな明るい女の子だというところには、好感をもちました。手話が太字でわかりやすいです。書名と内容の関係も、よくわかりませんでした。そういえば『耳がきこえないエイミーのねがい』(ルー・アン・ウォーカー/著 マイケル・エイブラムソン/写真 偕成社)という本もありましたね。この本を読んでいて思い出しました。表紙の絵がいいと思います。
ネズ:課題本の3冊のうちで、この本だけタイトルを知っていて期待して読んだのですが……。実は、最初の何ページかを読んでやめてしまったんです。とにかくつまらなくて! 他の2冊を読んでから、もう一度トライして、最後まで読みましたけどね。みなさんがおっしゃるように、大人が読んでもミーガンとシンディのどっちが耳が聞こえないのか、わからなくなっちゃうんですよね。翻訳に問題があると思いました。こういう内容だったら、ですます調でわかりやすく訳しても、よかったんじゃないかしら。それに、1章ごとにミーガンの視点、シンディの視点と代わりばんこになっているでしょう? そのへんで何か編集の工夫はできなかったのかしら。テーマや内容はとても良いのに、残念です。課題図書になったという話ですけど、先生に「読め、読め」とプレッシャーをかけられる子どもたちもいると思うと気の毒。もっとも、読みにくいものを頑張って読むと、読む力がつくかも!
ジーナ 私は飽きることなく、けっこうおもしろく読みました。ミーガンとシンディが、お互い内心いやだと思うことをうまく伝えられなくてぎくしゃくしてしまうところがおもしろかったです。ひっかかったのは、「クール」とか「セクシー」という言葉。どちらも日本の小学生には意味が伝わらないんじゃないかしら。
ウグイス:「こうまんちき」っていうのも最近使わないわよね。
みっけ:私は、かなり元気のよい話でおもしろいな、と思いました。確かに途中でどっちがどっちかわからなくなる、と思いましたが。後ろの作者紹介を見ると、作者自身が聾であるということで、なるほどなあ、と思わせられるところがいろいろありました。たとえば、キャンプでみんなが笑っているんだけれど、自分はなぜみんなが笑っているのかがわからなくて疎外感を感じ、ついつい疑心暗鬼になってしまうとか、そういった細かい実感があちこちに埋め込んであるのがいいなあ、と。聾の子どもが聾同士で固まってしまいがちだ、という話を聞いたことがあるんですが、そうなるのも無理はないなあとか、けっこう発見がありました。それと、冒頭がミーガンから始まっているのが、おもしろい。今までに私が読んだ本では、障碍がある子の友達の視点から書かれているものが圧倒的に多かったんだけれど、この本は耳が聞こえない子の視点から入っていくんですよね。そこでちょっとドキッとする。そういうふうにいろいろと魅力的なところがあるんだけれど、物語としての印象がなんとなく散漫なのは、エピソードを盛り込みすぎているからかもしれませんね。さらにふくらませればおもしろくなりそうなエピソードがいくつもあるのに、全部駆け足で紹介している感じで、ちょっとあわただしい。もったいない気がしました。ただ、ミーガン自身のキャラクターについていえば、元気が余って乱暴、みたいに描かれているのを読んでいて、『リバウンド』(エリック・ウォルターズ、福音館書店)に登場する車いすの転校生デーヴィッドを思い出しました。まあ、デーヴィッドほど鬱屈してはいないにしても、やはり、とんがるぐらいにがんばっていないと、押しつぶされそうになるのでしょうし、ミーガンがそれほど魅力がない子どもだとは思いませんでした。たとえば、電話が大嫌いだというエピソード一つとっても、耳が聞こえる人たちに囲まれて暮らしていると、自分が感じていることをわかってもらえずに、いらだつ場面はたくさんありそうだから。
ハリネズミ:大人は作者自身が聾者だとわかって共感するかもしれないけど、子どもにはおもしろくないと。そうじゃないと、「聾者のことをわかってあげなさい」というメッセージばかりが全面に出てしまうと思うのよね。
ウグイス:主人公が9歳だから、中学年向きの本だけど、読みにくかったら致命的。読みなれている子なら、薦められれば読めるかもしれないけど、このくらいの年の子が読むもので読みにくかったら、本を閉じてしまうでしょうね。
(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)
フュージョン
濱野京子/作
講談社
2008.02
版元語録:2本の縄に包まれて、高く、軽やかに、跳ぶ。ダブルダッチって最高!/何なの、これ? 何やってんだよ、あいつら。それが、あたしとヤツらの、そして、あたしとダブルダッチの出会いだったーー/いま人気のスポーツを題材に、少女たちの交流と成長を描いた、感動のYA青春小説!
ネズ:「また例のヒリヒリ系かな、いやだな」と思いつつ読みはじめたのですが、とってもおもしろかった! 特にダブルダッチのおもしろさに引き込まれました。最初は、ヒリヒリ系によくあるように、母親のことを自分の敵のように書いているし、家出したお兄さんの消息がわかったのに両親に知らせなかったりしているけれど、お兄さんの友だちが出てきて、そんな風に頑なに考えるのは良くないと言われるあたりから、ちょっと違うなと思って、ほっとしました。ただ、喫茶店をやってるおじさんっていうのが、ちょっとはっきりしない。まあ、中学生の目から見たら魅力があるんでしょうけどね。
カプチーノ:読みやすく、わかりやすい内容だと思いました。ダブルダッチは小学校でも3学期になると高学年の女の子たちが校庭でよくやっていますが、いろんな飛び方があることをこの作品から知りました。美咲という女の子に似た2面性をもつ子は最近よくいます。中心人物4人の性格や家庭環境は違いますが、バラバラだけどまとまれるのがこの作品の魅力なのかな。類というおじさんは、この子たちにとって憧れ的な存在じゃないかな? お兄さんが携帯メールを送ってくるのは、現実的だし、お兄さんの友だちが登場してお母さんとの関係も変わっていくんですね。中学生に手にとってほしい1冊です。
ウグイス:女の子が5人出てくるんですよね。どれも漢字2文字のきれいな名前で、ごちゃごちゃになりそうなところだけど、ひとりひとりが書き分けられているので、おもしろかったです。主人公の一人称で、主人公が他の子たちをどう見てるかという視点で一定しているから、わかりやすいんでしょうね。語り手とそれぞれの子との関係がよくわかるし、どういう子かもわかってくる。だからおもしろく読めるんだろうな。いろんな友だちとのいろんな力関係とか、相手が自分をどう思っているのか、探り探り近づいていくっていう付き合い方が今の子どもらしい。この子が親に対して何が不満なのかっていうのがちょっとわからなかったですね。自分でも何に不満かわからないけどすべてが嫌、という年頃なのかもしれないけれど。またお兄さんが、どうしていなくなったかよくわからないから、ちょっとひっかかる。お兄さんのことはこの話にとって必要なのかな。お兄さんからメールが来ているのを親にも言わないっていうのもどうかなあと思っていたので、最後にお兄さんの友人が、言わなきゃと言ってくれてほっとした。物語の雰囲気は印象に残るけれど、ストーリーの山場があるわけではないので、内容はすぐに忘れそう。この年代の女の子の気持ちっていうのは、よく書けてるかな。
メリーさん:野球、陸上、飛び込みとスポーツを題材にしたYAはいろいろあるけれど、今回は大縄跳びか!と思って読みはじめました。主人公をとりまく女の子たちの会話はとてもリアルだなと感じました。特徴的だなと思ったのが、69ページのところ。お互いのプライベートな面には興味がなく、ただ、ダブルダッチをすることだけに集中するという彼女たちの関係性。少し前の話だったら、表面では世の中のことを何一つ考えていなさそうで、実は考えている子、というのが多かったような気がします。でも今は、社会にうまく順応しているように見せて、実は心の中では他人に本当に無関心。実際の中学生はどうなんでしょう? 自分以外の人やものごとに無関心なのか、聞いてみたいと思いました。好きな場面はラストの学園祭ジャックのシーン。主人公と美咲はきっとお互いが似ているということをわかっていたのだと思います。鏡のような存在だから嫌で、でもそれがまた相手を理解するきっかけになる、というところがよかったです。
ハリネズミ:今メリーさんは、この子たちは他人に無関心だって言ったけど、この作者の書き方はそうじゃないですよ。逆だと思うんです。だって、朋花が出場できそうにないと見てとると美咲は家にまで乗り込んできて一芝居打つわけだし、玖美も玲奈をかばって大騒ぎしたりする。一見クールだけど中は熱いというふうに作者は書いてます。私は、いろんな意味でとてもリアルだと思いました。お兄さんが、客観的に見ればちょっとしたことで家出してしまうのもわかります。私のまわりにも、そういう高校生、いましたよ。類さんは漫画のキャラみたいですが、不思議な雰囲気で時々いいことを言ったりしてて、しかもゲイだなんて、中学生の女の子には魅力的ですよ。
この4人はタイプが違うから、普通だったら付き合いがないだろうのに、ダブルダッチを通じてわかり合う。ベタな友情を結ぶっていうんじゃなくて、それぞれを異なる存在として理解し合うっていうのが、いいなあと思いました。言葉遣いも自然な感じでいい。ひっかかったのは、表紙の絵ですね。私は古い感じがしちゃったんですけど、今の中学生には魅力的なんでしょうか? ダブルダッチはYouTubeでパフォーマンスを見てみましたが、奥が深そうですね。
ネズ:今の児童文学には、いろいろな世代の人が子どもとかかわって、お互いに影響されていくっていうのが、なくなってきたわね。断絶されちゃって、子どもは子ども、大人は大人っていうふうに……。
ハリネズミ:いい大人っていうのが、出てこなくなりましたよね。
みっけ:子どもたちを取り囲む大人が、非常に限定されてきているせいなんでしょうね。だって最近の子どもにとっては、大人といえば親か教師になってしまうでしょう? 盆正月など、節目節目に大家族が全員集合して、そのときに、親戚のおじさんやおばさんに会うとか、そういったこともなくなってきているし、隣近所との関わりというのも、少なくなってきているし。だから、こういう作品にも、大人が登場しにくくなっているんじゃないかな。日本のこの年代の子を対象とするリアル系の本は、わりと暗くて心が痛くなるようなものばかりが目についていたんですが、この本は暗い感じで終わらずに、ちゃんと成長があって、明るく終わっているのがいいなあ、と思いました。古典的というか、安心して読めるというか。それというのも、主人公をはじめとする子どもたちが、たがいに異質な存在である同級生を認め合えるようになって、何かを成し遂げているからなんでしょうね。自分とは異質な存在を認めるというのは、実はそう簡単なことではない。では、何がきっかけになるのかというと、ひとつの目標を共有したり、あるいはなにかの作業に一緒に取り組むといったことが、きっかけになるんだと思うんです。そういう中で、次第に相手を理解することができるようになる。正面衝突したのでは、一杯一杯で相手を理解するだけのゆとりがなくなるけれど、なにかを一緒にするという形であれば、ある程度のゆとりが持てて、相手のことも理解できるんじゃないかな。だから装置としての学校でも、そういう作業をわざといろいろ設定して、子どもたちが互いをわかり合えるように持っていくんでしょうけれど。理解という点でいえば、少し前にこの会で取り上げた『スリースターズ』(梨屋アリエ/著 講談社)は、一見この作品とはまるで違うように見えますが、やはりあの中でも、集団自殺をする、という目標を共有する中で、いわゆる優等生タイプの女の子といわゆる崩壊家庭で保護遺棄されたような状態にある女の子が、互いを少しだけ理解できるようになる。それと同じように、この作品では、ダブルダッチを通して主人公たちが互いを理解するようになる。きっかけとして、ダブルダッチは理想的だと思うんです。たかが縄跳び、されど縄跳びで、難しくて、かっこいい。ストリート系の魅力があって説教くさくない。しかも、回す人たちと飛ぶ人たちとが呼吸を合わせないといけないから、共同作業としてもかなり高度だし。
主人公の親は、物わかりがよさそうで、理知的な姿勢を見せながら、最後のところで、子どもに向かって「まあやってごらん」と言い切れない、そういう親の弱さに対して敏感になる年頃だから、あちこちにこういう家庭があるだろうな、というリアリティを感じました。今時の、たとえばいじめを題材にした読後感が暗めになるYA作品と比べて、この作品に出てくる子どもたちは、それぞれがいくつもの世界を持っていて、その場面場面で見せる顔を変えてはいても、一つの人間としてきちんとまとまっていて、分裂していないような気がします。タフというか、確固たる一人の人間がいるという感じがする。だからこそ、異質な存在を認めることもできれば、つながることもできるんだろうし、前向きにもなれるのかな。今時のいじめを題材にした作品だと、そのあたりがもっとひ弱な感じがするんですよね。とにかく、ようやくヒリヒリするだけではない作品があった、と思いました。作者の年齢とも関係しているんでしょうかね。
ジーナ:この年代の子たちに、私は普段比較的よく接しているんですけど、あの子たちは友だち関係が希薄になってると言われるけど、やっぱりだれかとつながりたいという気持ちがすごくあるんですね。うちの子も中学生の頃、制服のポケットの中にいつも紙をおりたたんだ手紙がどっさり入っていて、友だち関係のことで毎日感情がアップダウンしていました。クラスはもちろん、部活動には異質な子も集まっているから、毎日がぶつかり合い。だから、玖美が友だちをかばって謹慎になるところなどは、とてもリアルだと思いました。母親の描き方が前半はすごく嫌でしたが。友だちとの関係がいろんな人とのかかわりの中でだんだんに変わってきて、最後は今までよりこの子たちの世界が少し広がるようなところがいいと思いました。
(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)
つぐみ通りのトーベ
原題:LYCKAN AREN RATTA by Birgit Lonn, 2001
ビルイット・ロン/作 佐伯愛子/訳 いちかわなつこ/絵
徳間書店
2008.03
版元語録:トーベは小学校2年生の女の子。親友の誕生日パーティで皆に笑われてこっそり抜け出した後、迷子になってしまいます。女の子の成長を楽しく描く。
カプチーノ:カバー袖に低学年にぴったりと書かれてありますが、友達とのかかわりはもうちょっと学年が上でないとわからないのではないのかしら。トーベに対するお母さんやお父さんのあたたかい愛情いっぱいの接し方や家庭での様子、木登り、消防自動車は低学年にぴったりの内容です。が友だち関係の複雑さは中学年以上の子どもの方が心情がよくわかり、共感できるのではないでしょうか。
ネズ:とっても好きな作品で、おもしろかった。自分の子どものころのことも、思いだしたりして。低学年の子どもの心の動きがていねいに書かれているし、赤ちゃんの描写やお父さんとレストランごっこをするところなども、ユーモアがあって。エンマの誕生会のところも、大人にとっては何でもないことで傷つく子どもの心がちゃんと描いてあるし、ネズミを飼いたいという子どもに反対するのがお父さんで、お母さんは見に行きたがる……日本の児童文学では、たいていお母さんのほうが反対するわよね。するとお父さんが「この裏切り者。こういう人と僕は結婚してたのか……」などとぼやくところもおもしろかった。低学年では読めないのかしらね?
ハリネズミ:読む子は読むと思いますけど、この文字の大きさでこの量では普通は無理じゃないかな?
ウグイス:逆に中学年でこれを読むと、主人公が幼すぎるんじゃないかな?
カプチーノ:今日仲がよかったのに明日はぷつんと別れてしまうなんていうところは、高学年で経験するんですね。低学年では、それがわかるかどうか。
ジーナ:私は読みにくく感じました。絵がかわいいし、表紙も読んでみたい感じになるけれど、子どもたちの言葉づかいが、実際の年齢より上の感じがしました。男の子から好きといわれたことがあるとかないとか、2年生の子がそんなに話題にするかしらと思ったし。仲がいいのに、ちやほやされているのを見て嫉妬心を感じるエンマとの関係がどうなるかが、このお話の中心だと思いこんで読んでいったので、最後にそのあたりが解決されたのかどうかすっきりしないのが不満でした。ネズミをもらいにいったとき、お母さんが同級生と再会して盛り上がるといった類の、わき道にそれたエピソードも、話を拡散させるようで、どうなのかな、と思いました。
ネズ:最後、なわとびのなわを持つところで解決してるんじゃないの?
ハリネズミ:エンマがこの子のことを少し見直したというだけだから、解決してないんじゃないの?
ジーナ:もうちょっとはっきり書いてくれてもよかったかな。
みっけ:私は、年齢の低い人たち向けの本としてどうなのか、といった目配りはできないものだから、結果としては結構おもしろく読みました。さくさくと、ああ、こういうことってあるだろうなあ、と思いながら。この本は、何かすごく深いものを追及するとかいうのではなく、ちょっとおかしなことや、ちょっと嫌なことや、すごく嬉しいことなどがたくさんちりばめられた小学校低学年の子どもの日常を、明るい感じで書いた作品だと思うんです。友達の誕生会で、大人から見ればささいなことでドーンと落ち込む様子や、バスに乗ったらどこだかわからないところへ連れて行かれちゃって焦る様子や、木に登ったまではいいけれど降りられなくなったり消防車に乗って意気揚々と帰ってくる様子とか、おもしろいなあ、こういう感じだよなあ、と思いながら読んでいました。それと、この作品の親の書き方が、いかにも北欧の作品の親の書き方だなあ、と思いました。日本の作品なんかにもよく出てくる、いかにも親らしい対応しかしないのっぺらぼうな親ではなく、ごく普通に個性がある血の通った人間としての親が描かれていて、それが子どもへの対し方からもわかる。そのあたりが、気持ちよかったです。
ハリネズミ:話はおもしろかったんだけど、この文字の大きさでこの量では、対象年齢にはなかなか難しいんじゃないかな。話自体も細かく見ていくと、たとえば1ページ目に「のろのろあるきなのは、先生がくるまえに、教室につきたくないからです」と書いてありますが、どうしてそうなのかがわからない。訳も、ところどころ引っかかりました。自転車の男の子たちがトーベを追い越そうとして発した言葉は「気をつけろよ」って訳されてますけど、「どけ、危ないぞ」くらいのほうはいいのでは? エンマの夢は歌手だけどトーベの夢は空をとびたい、というのはおもしろいですね。エンマに圧倒されているトーベがだんだんに自分らしさを取り戻していく、というのが話の核ですが、同じような味わいの作品はラモーナ・シリーズ(ベバリイ・クリアリー/著 学習研究社)とかクレメンタイン・シリーズ(サラ・ペニーパッカー/著 ほるぷ出版)とかあるわけですから、それらと比べると、ちょっと弱いと思います。
ネズ:私はのんびりしているところが好きなんだけどな。お母さんが幼なじみに偶然出会うところなんかも、小春日和みたいにほっこりしていて、いい感じだったわ。
メリーさん:女の子同士の関係って本当にむずかしい。ちょっと華やかな子と地味な子が友だちで、その関係に悩むというのは日本の物語にもよく出てくるテーマです。その上でこの本の特徴は何なのか、考えながら読みました。最後の場面で、主人公が、けんかした女の子の悪口を他の友だちから聞くところがありますが、いろいろ学んだ主人公は、そこでその友だちのことをあまり相手にしない。ほんの少しだけ成長したわけですが、そんな主人公の変化の部分をもう少し読みたかったなと思いました。内容は低学年なのですが、このくらいの文章量だったら、この大きな判型ではないほうがいいのではないかと思いました。
ハリネズミ:日本人が書くのなら同じようなものがたくさんあってもいいと思いますが、学校や家庭環境そのものが日本とは異なる外国の作品だと、よほどちゃんと選んで出さないと。
みっけ:外国の作品の中でも、対象年齢が低いリアル系のものは、日本で翻訳を出すのがとりわけ難しいんじゃないでしょうか。というのも、年齢の低い読者はかなり狭い世界しか知らないわけで、そういう読者を対象とした作品は、当然、狭い日常の世界で話が展開されることになる。しかも作者は、読者がその狭い世界の細々したことを熟知しているという前提に立って、説明抜きで話を展開していきます。そうでないと、話がまだるっこしくなって、台無しになるから。ところが、そういった日常生活のささいな点に限って、外国と日本とではひどく違っていることが多い。それで結局、そんな違いなど知るよしもない日本の幼い子どもたちにすれば、ちんぷんかんぷんになりかねないわけですから。
ウグイス:私は低学年向けって頭で最初から読んでしまったので、クレメンタインやラモーナと比べてみることはなかったんですよね。むしろスウェーデンなので、やかまし村と比べていました。あれは男の子と女の子がはっきりわかれていて、「男の子ってどうしてこうなんでしょう、まったく困ったものです」って女の子たちが言ったりして、時代的な男女観も出ているんだけど、こっちは男の子が、高いところに登った女の子をかっこいいと思ったりする。そこが、今の子の感じ。読み始めはあまりおもしろくなかったんだけど、木に登るところくらいからぐっとおもしろくなった。高いところに登ったことを男の子たちが感心し、トーベはそれに対して「夏になるまでいるつもり」って言ったりするのもとてもおもしろかったです。それから、あとで電話番号を教えてもらって電話がかかってくるとき、私のことが好きだって告白するのかしらって思うところや、エンマに男の子2人とつきあってるのとびっくりされて、そういうふうに思わせとこうと思うところとか、生き生きとしていた。お父さんとお母さんの書き方もありきたりではなく、ネズミを飼うところでも、予想に反してお母さんが賛成するのがおもしろい。消防車に乗って帰るところも子どもとしてはとても楽しい場面。やっぱりこれは、低学年が楽しいものだと思うんですよね。絵は低学年向けなんだけど、もう少し低学年に読みやすい本づくりにしてくれたらよかったのに残念ですね。「挿絵が豊富で低学年の子が読むのにぴったりです」って書いてあるけど、挿絵が豊富なだけではね。読んでもらえば低学年でも楽しめるけど、やっぱりこの本は自分で読んでもらいたいわよね。
(「子どもの本で言いたい放題」2008年12月の記録)