日付 2009年10月1日
参加者 サンシャイン、プルメリア、ハリネズミ、カワセミ、セシ
テーマ 学校

読んだ本:

クラウディア・ミルズ『わすれんぼライリー、大統領になる!』
『わすれんぼライリー、大統領になる!』
原題:BEING TEDDY ROOSEVELT by Claudia Mills, 2007
クラウディア・ミルズ/著 三辺律子/訳
あすなろ書房
2008.12

版元語録:いろいろなタイプの子どもたちが、ひとつの教室で共に学ぶことのすばらしさを描いたユニークな学校讃歌の物語!
ドロシー・キャンフィールド・フィッシャー『リンゴの丘のベッツィー』
『リンゴの丘のベッツィー』
原題:UNDERSTOOD BETSY by Dorothy Canfield Fisher, 1917
ドロシー・キャンフィールド/著 多賀京子/訳 佐竹美保/絵
徳間書店
2008.11

版元語録:1917年にアメリカで刊行され、百年近く読みつがれてきた名作古典児童文学。孤児の少女ベッツィーが田舎の農場にひきとられ、たくましく温かい家族を得て、すこやかに成長していく姿を描いた物語。『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』が大好きな読者へ贈ります!
笹生陽子『世界がぼくを笑っても』
『世界がぼくを笑っても』
笹生陽子/著
講談社
2009.05

版元語録:主人公・北村ハルトは浦沢中学の2年生。母親はハルトが3歳のときに家を出ていき、父親と二人暮らしの生活を送っている。そのかわり、父の友人で、ニューハーフのアキさんが家の手伝いに来てくれている。ハルトが1年生のとき、学校は”破壊神”を気取る山辺たちのグループが学級崩壊を起こしていた。そんななか、新学年になって、転任してきた小津ケイイチロウという教師が、ハルトたちの2年D組の担任となって現れる。この小津先生がとんでもないダメ教師。新任の挨拶で緊張のあまり倒れたり、社会科見学の引率をして道に迷ったり……。


わすれんぼライリー、大統領になる!

クラウディア・ミルズ『わすれんぼライリー、大統領になる!』
『わすれんぼライリー、大統領になる!』
原題:BEING TEDDY ROOSEVELT by Claudia Mills, 2007
クラウディア・ミルズ/著 三辺律子/訳
あすなろ書房
2008.12

版元語録:いろいろなタイプの子どもたちが、ひとつの教室で共に学ぶことのすばらしさを描いたユニークな学校讃歌の物語!

サンシャイン:楽しく読ませてもらいました。アメリカの小学校での授業のあり方っていうんですか、伝記を読んで、みんなその人に扮装して集まってパーティーをやるっていうのは、日本にはないですね。アメリカでは、いかにもありそうな話です。サックスがほしいけれど、貧乏で、思うようにいかなくて、でも最後は手に入れるというストーリーもいいと思います。日本の子どもから見ると、なんだかピンとこない話かもしれないけれど、よく書けていると思います。

プルメリア:私は、すごくおもしろかったです。小学校で6年生の担任をしていますが、ライリーのような子どもっているなと思いました。教師が言った忘れ物の回数をライリーがしっかりおぼえている場面では、自分のことに置き換えてドキッとしました。くじをひいて、当たった人物に関する本を探し、見つけた本を読んでレポートを書き、人物になりきって仮装パーティーに参加するという活動、うらやましいなって思いました。私のクラスの子どもたちは、歴史上の人物というと聖徳太子はよく知っていますが、他の人物になると何をしたのかがわからなくなり、ごちゃごちゃになってしまいます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の中から好きな武将を調べ、新聞を作る活動では、ほとんどの子どもたちが年表を書きました。「なぜ年表を書くの」と聞くと「一生がわかるから」と答えます。子どもたちにとって何年に何をしたかが大変興味あることのようですが、何をしたかだけでなく、どうしてそうしたかを調べてほしいなと思いました。グラントがライリーに18ドルをさらりとあげてしまったこと、日本では考えられないと思うのは、金銭感覚の違いかな。

ハリネズミ:私もおもしろかった。私が子どもの頃に読んだ伝記は、偉い人が成し遂げたずばらしいことしか書いてなくて、あまりおもしろくなかったんですけど、今は、偉いだけじゃなくて人間的な側面も書かれたのがたくさん出ているから、いいですね。それにしても小学校4年生で、100ページ以上の本を読んで、参考資料を3つは使って5枚のレポートを書くっていうのは、すごい。自分で調べたり、考えたりする力がつくでしょうね。ところで、エリカっていう子は、自分がしたいことしかしないんですね。そういう障碍を持っているのか単に性格なのかは、よくわかりませんが、みんながそういう子はそういう子として自然につきあっていくのも、いいですね。伝記の主人公を雲の上の偉人ととらえるのではなく、子どもに結びつけて、自分だってがんばってできるんだという方向にもっていくのは、おもしろいなあ、と思いました。

カワセミ:私も子どもたちが偉い人たちになりきるっていうのがまずおもしろかったです。扮装をして、普段からその人になりきっているところがおもしろいし、先生も親も友達も、その子がなりきることに協力して、すべてがそのことに結びついていくっていうところがすごくいいな、と思いました。まず図書館にいって本を読んで、そのことについて調べ、たくさんの本を読んで準備する。日本の学校ではそこまでやらないと思うので、おもしろいなと思いました。でも、ここに出てくる偉い人って、日本のこの年齢の子どもはどのくらい知ってるのかな。その偉人のことを知らなければ日本の子どもたちにはおもしろさが伝わりにくいですよね。今は学校に伝記のシリーズなどはあるのかしら。

プルメリア:まんがの伝記がありますね。お姫様みたいな表紙が女の子に大人気です。

カワセミ:子どもって本当にあった話が好きだから、偉人の話って興味があると思うんですよね。ヘレン・ケラーやナイチンゲールは知ってる子がいても、肝心のルーズベルト大統領とか、オルコットとか、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといわれても、わからないとちょっと残念ですよね。でも、登場する子どもたちが個性的だし、楽しく読める本だと思います。

セシ:ストーリーがはっきりしていて、中学年向けとして読みやすいお話だと思いました。主人公が忘れんぼうなのも親しみやすいです。ただ、ときどき翻訳調というのか、文章がぽんぽんと飛んで流れがつかみにくいところがありました。たとえば、75ページの最後の行から次のページにかけての「…ライリーにとっては今日のほうが最低だった。三十枚のメモがみつかった! 急流をひとつ、わたったぞ! あと必要なのは、サックスだけだ。」のようなところ。また金銭感覚でアメリカと日本の違いを感じました。『がんばれヘンリーくん』(クリアリー/著 松岡享子/訳 学研)にも、ミミズでお金をかせぐというのが出てきて、子どもの頃うらやましく思ったものです。アメリカでは子どもが頭を働かせて小遣い稼ぎをするのを親はむしろ喜ばしく思って見ている部分があるけれど、日本人には、いいことをやっても代償にお金をもらうのはよくないという感性がありますよね。子どもだけでフリーマーケットなんてとんでもないことだし。ガンジーになった子が頭をそってきてしまうなんてびっくりだし、登場人物が優等生ばかりじゃないこういう本は間口が広くて、いろんな子が楽しめる本だと思います。

カワセミ:子どもがお金を稼ぐシーンは、日本の物語にはほとんど出てこないんですよね。日本ではお手伝いは当然無償でやるべきことという考えがあって、文化が違うんでしょうね。

サンシャイン:アメリカに住んでいたとき、雪がふると、「10ドルで雪かきします」なんて、子どもが来ましたよ。

プルメリア:夏休みに上映していた映画『ナイトミュージアム』の2に、ルーズベルトが出てきたような気がします。この映画を見た子どもたちはルーズベルトについてはわかると思います。ガンジーを調べた子どもが、最初は無関心だったのにだんだんが変わっていくのはおもしろいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


リンゴの丘のベッツィー

ドロシー・キャンフィールド・フィッシャー『リンゴの丘のベッツィー』
『リンゴの丘のベッツィー』
原題:UNDERSTOOD BETSY by Dorothy Canfield Fisher, 1917
ドロシー・キャンフィールド/著 多賀京子/訳 佐竹美保/絵
徳間書店
2008.11

版元語録:1917年にアメリカで刊行され、百年近く読みつがれてきた名作古典児童文学。孤児の少女ベッツィーが田舎の農場にひきとられ、たくましく温かい家族を得て、すこやかに成長していく姿を描いた物語。『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』が大好きな読者へ贈ります!

カワセミ:すごく古い話なんですよね。昔翻訳されていた『ベッチー物語』っていうのは聞いたことがあるけど、読んだのは初めて。いろいろなおばさんや大おばさんが入れ替わり立ち替わり出てきて名前がおぼえらえないんだけど、佐竹さんの具体的な挿絵のおかげで、とても読みやすくなっていると思いました。昔の本だからかもしれないけれど、書き方がわかりやすくて、主人公の女の子の目線できちんと描写されているので、最初から主人公の気持についていけるし、楽しく読める。子どもらしいものの考え方が描かれているのがよかった。最初に一緒に暮らしていたおばさん、大おばさんとはまったく違う環境に行くんだけれど、それをこの子が、1つ1つじいっと見て、全部自分の小さな頭の中で、これはどういう意味なんだろうと考えていく。子どものものの考え方に即して書いているところが、大人は興味深いし、子どもは「そんなふうに思うよね」って共感できるんじゃないかと思いました。それとやっぱり、最初の家庭ではすべて大人が先へ先へと手をまわしてくれたので、自分から着替えることすらしなかったんだけれど、次の家では自分のできることはさせるので、やがてはモリーを小さなお姉さんのように守ってやれるようにもなるし、この子なりに成長していくのがわかる。そして、農場の暮らしを楽しむ、楽しく毎日をすごせるようになるっていうのが、読んでいて心地よかったです。そういう子どもになっていくっていうのが、うれしく思えるんですね。訳文と挿絵を新しくしたおかげで、古めかしさもそんなにないし、よくなったんじゃないかなと思います。

セシ:昔懐かしいような感じの本で、時代的にも『大草原の小さな家』や『赤毛のアン』を思い出させる作品でした。古い作品でも、本の作り方でこんなに読みやすくなるんですね。翻訳文は今の言葉だけれど、ときどきちょっとお行儀のいい言葉が使ってあるのがいい感じでした。アンおばさんならどう考えるかしらと自問しながら、ベッツィーの考え方がどんどん変わっていくところ、ダメなことがあってもそこから何とかしようというポジティブな発想に変わっていくところが好きでした。また、農場の暮らしは町の暮らしより大変だけれど、昔はもっと大変だったんだよと言って、道具がないのにうまく工夫していた昔の人のすばらしさをたたえるところで、たくましさや生きる力を教えられる。お誕生日のエピソードでは、この子がいかにたくましくなったかが如実に表れていてよかったです。でも男の子はなかなか手にとらない本かな。

サンシャイン:オビを読むと話の先がわかってしまいますが、たまたま私はオビをはずして読み始めたのでよかったです。両親のいない子を面倒見る親戚が、違う側の親戚のことをひどく悪く言っているので、もっともっと辛いことがあるのかと思って読み始めました。違う親戚のもとに預けられて、もちろん苦労やつらさはあったには違いないけれど、印象としてはすっとアジャストできた感じです。頭のいい子で、それまで一方的に守られていたけれど実は柔軟性もあったということでしょうか。早く適応できています。そういう意味で本全体に悪意がない。ドロドロしたところ、辛いところ、苦しいところがない。そう思いながら読んでいったら20世紀前半のことだとわかり、ああそうだったのか、と納得しました。現代だともっと辛いことがあり、それでもなおそれを克服する話になるでしょうけど。日本でも最初は50年代に翻訳されたそうで、悪意のなさがいい感じでもありますが、現代的にみるとちょっと刺激が足りないのかな、とも思いました。「いいお話」という感じです。話の結末も、迎えに来た人の気持ちを主人公が察してお互いに思いやりながら本心を理解し合って農場に残る、それぞれめでたしめでたしとなる。今ではまれな作品なのかもしれませんね。アメリカの素朴な生活の様子も出てきたし、昔の古き良き時代のお話として心温まる作品です。

プルメリア:佐竹さんの絵が好きなので、表紙を見てすぐ読みました。まわりの人々に守られながら生きていた主人公が、環境が変わり大自然の中で自分で考え行動しながらたくましく成長していく姿は読んでいてとてもほほえましい。二人の女の人の生き方も対照的です。バター、メイプルシロップ、ポップコーンなど手作りの楽しさも伝わってきます。自給自足、ものをとても大切にすること、まわりの大自然が美しいことに読んでいて心がほっとします。私はこの作品が大好きで学校の図書室にも入れて、いちばん目立つ場所に表紙を見せて並べています。3年生の女の子が数人楽しそうに本を手にとったんですが、本の中を見ると「あー」と言って戻してしまいました。字が小さいので、もう一歩進めないようです。高学年でも同じかなと思います。そこを克服することができる工夫をしないと読み始めることができないので、本を手に取ることができるような紹介を考えたいと思っています。

ハリネズミ:大人の暮らしを子どもがきちんと見ていますよね。そのことが、変ないじめなどがないことにつながっていくのかもしれません。大人もぶらぶら生きているわけでなく、まっとうに暮らしているんですから。図書館では何冊も借りられていて人気がありました。ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズは、ふつうの子どもには長すぎる。大学生でも、「描写がこまかすぎて話がなかなか前に進まないので、うざったい」と言ったりします。かといってプロットばかりの本は読ませたくないと思うと、このくらいの長さでまとまっているほうが手にとりやすいかもしれません。

セシ:メイプルシロップを作るシーンの描写は、ようすがよくわかってすてきですよね。こういう文章を読むおもしろさに、今の子どもはなかなか気づかないのかもしれませんね。映像や音に慣れてしまって、見てすぐわかることしか味わえなくて。おもしろいところを2、3ページでもいいから読んでやって紹介すれば、読んでみようと思うんじゃないかしら。

サンシャイン:詩の場面はとてもよかった。夕食後の団欒の場面で大おじさんが自分の気に入っている詩を子どもに読んでもらう。覚えているところはともに唱和する。テレビのない時代のすばらしさ。こういう文化があるのがいいなと思いました。日本は詩というと主に抒情詩なので、こういうドラマチックなものはないのかな。国民詩人みたいな方がいたり、好きな詩を暗唱・朗誦したりということ、いいですねえ。

カワセミ:テレビも何もない時代の家族の楽しみはこうだったのね。

ハリネズミ:衣食住だけでなく、娯楽もみんな自分たちで作り出していくのよね。

セシ:週末農園がはやってきているのも、生きる手ごたえが求められてきていることの表れかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)


世界がぼくを笑っても

笹生陽子『世界がぼくを笑っても』
『世界がぼくを笑っても』
笹生陽子/著
講談社
2009.05

版元語録:主人公・北村ハルトは浦沢中学の2年生。母親はハルトが3歳のときに家を出ていき、父親と二人暮らしの生活を送っている。そのかわり、父の友人で、ニューハーフのアキさんが家の手伝いに来てくれている。ハルトが1年生のとき、学校は”破壊神”を気取る山辺たちのグループが学級崩壊を起こしていた。そんななか、新学年になって、転任してきた小津ケイイチロウという教師が、ハルトたちの2年D組の担任となって現れる。この小津先生がとんでもないダメ教師。新任の挨拶で緊張のあまり倒れたり、社会科見学の引率をして道に迷ったり……。

サンシャイン:読んでいて、知らない言葉が出てくるんです。「おなしょう」、「セフレ」、「わきキャラ」、サブキャラでしょうか。「たっぱがある」「こてはん」。今どきの本なんでしょうけど、こういうのを今の子は喜んで読むのでしょうか。これが今の普通? ところで、すごい先生がやってくるっていううわさを受けて話が始まるんですが、それってこのほぼ主人公の先生のことなんですか。違いますよねえ。

ハリネズミ:そういう言葉は、今の中学生ならわかると思いますよ。それから、すごい先生っていうのは、最初は担任のオヅちゃんかと思うのですが、実は違って別の女の先生だったというふうに書いてあります。

サンシャイン:家庭にニューハーフの人が出入りするとか、話の展開に利用しているんでしょうけど、安易じゃありません? あまり中学生には読ませたくないなって思いました。

プルメリア:笹生さんが書くものは、いつも日常生活に起きているような話、現実的な話が多く心に残る作品がたくさんあります。この作品では、学級崩壊したらどうしようって心配していましたが、子どもたちのチームワークが最後に出てきてほっとしました。携帯メールが頻繁に使われる日常生活や、それが子どもたちの中でわだかまりになっていたのが徐々にそうでなくなり、1つにまとまっていく姿を読んでいて、人間っていいなと思いました。父子家庭や現代的な風潮も書き込まれ、この作品も今までの作品同様おもしろく読めました。

ハリネズミ:この作品は、今風の言葉づかいがたくさん出てくるので、しばらくすると逆に古くなっちゃうかもしれないとは思います。でも、先生が薦める名作ものにはそっぽを向いている子どもたちにとっては、窓があいてる感じがすると思うんです。現代の状況を取り上げた作品は、暗い方向に行くことが多いけど、この作品はリアルでありながらそう行かないところが新しい。まずどう見てもだめな先生が出てきて、裏サイトでも先生の悪口の言い放題になる。そこで、この先生はつぶれちゃうのかな、と思うと、子どもたちは「こんな先生でもいいところもある」と思うようになる。普通、中学生は先生に反発するだけで、生徒の方から歩み寄ったりしないかもしれませんが、でも子どもにはやさしさもありますからね。人間のだめな面だけじゃなく、いい面だって実は見てるんですよ。ただ、その辺を嘘っぽくなくリアルに書くのはむずかしい。笹生さんはうまいです。ハルトのお父さんも世間的にはりっぱな人間とは言えなくて、ギャンブルやったり子どもをだましたりしてる。でも、中学生を「中坊」って呼ぶところなんかからもわかるように、大人としての存在感は持ってる。ユーモアも随所にあります。お父さんの言葉もなかなかおもしろいし、p24-25の親子のやりとりも絶妙だし、p34の鉄道マニアの長谷川の会話も笑えます。
書名の『世界がぼくを笑っても』の「ぼく」は、この頼りない先生「オヅちゃん」なんですね。p137でオヅちゃんが「だれかにひどく笑われた時は、笑い返せばいいんです。自分を笑った人間と、自分がいまいる世界に向けて、これ以上なというくらい、元気に笑えばいいんです。そうすると胸がすっとして、弱い自分に勝てた気がします。いままで、さんざん笑われて生きてきたぼくの特技です」って言ってます。このあたりは、作者から中学生に向けての応援歌になってるんじゃないかな。
学校の裏サイトなどをうまく利用して、いろいろな子どもに言い合いをさせたり……とうまくつくってあります。多様な人間を描いていておもしろいです。

カワセミ:この作者の作品はわりと好きだけど、これは今まで読んだものにくらべるとちょっと勢いがないというか、スケールが小さいというか、少し期待はずれでしたね。携帯サイトのこととか、今の子どもたちの言葉とか、上手に盛り込んでいるんだけど、この本っておもしろいところはどこなのかな。いろいろな相手との会話はおもしろかったですね。出てくるのは、小津先生にしても、友達の長谷川にしても、ニューハーフのアキさんにしても、本人とちょっと波長のずれた人たちばかり。本人の意図と関係なくつきあわなきゃいけない、こういった人たちとのずれた感じがおもしろいなと思いました。きわめつけはお母さんで、ハルトがお母さんに会いに行く場面は、どっちも言葉少なで、ぎこちない感じがよく表れていた。でもこの主人公はいったいどんな子なのかっていうのが、あまりつかめなかったです。表紙のかっこいい感じとも、ちょっと違ってたし、今一つつかみきれないところがあったかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年10月の記録)