日付 | 2019年03月26日 |
参加者 | アンヌ、鏡文字、カピバラ、さららん、サンザシ、西山、ネズミ、ハル、まめじか、マリンゴ、(エーデルワイス) |
テーマ | 世界が変わる |
読んだ本:
原題:FUZZY MUD by Louis Sachar, 2015
ルイス・サッカー/作 千葉茂樹/訳
小学館
2018.07
<版元語録>その学校は、立ち入り禁止の森にかこまれていた。森には、人知れずサンレイ・ファームという農場がある。クリーンなエネルギーを育てているらしい。学校で、森で、農場で、少しずつ、少しずつ、なにかが起きている予感が・・・。近未来パニック小説?!
森川成美/作
小峰書店
2018.10
<版元語録>第二次世界大戦期のアメリカ・ハワイ。日系二世の少年マレスケは、よろず屋を営む祖父の元で貧しくも平和に暮らしていた。だが、1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃を境に環境は激変してしまう・・・。
原題:ME&MR.BELL by Philip Roy, 2013
フィリップ・ロイ/作 櫛田理絵/訳
PHP研究所
2017.02
<版元語録>数学は得意な一方、読み書きが困難なエディと、世界一の発明王・ベル。2人を通して、何事にも屈せず、挑戦を続ける大切さがわかる。
泥
原題:FUZZY MUD by Louis Sachar, 2015
ルイス・サッカー/作 千葉茂樹/訳
小学館
2018.07
<版元語録>その学校は、立ち入り禁止の森にかこまれていた。森には、人知れずサンレイ・ファームという農場がある。クリーンなエネルギーを育てているらしい。学校で、森で、農場で、少しずつ、少しずつ、なにかが起きている予感が・・・。近未来パニック小説?!
さららん:『穴』(幸田敦子訳 講談社)以来、久しぶりのルイス・サッカーの作品です。動きの描写がきっちりした翻訳のおかげで、安心して読み進めることができました。同じ学校に通うマーシャル、タマヤ、チャドの3人の人間関係を核に、森の中である事件が起こります。チャドのいじめを避けようと、マーシャルがタマヤと入った森で、パンデミックが始まるのです。フランケン菌とあだ名のつい「エルジー」の不気味な増殖と、帰ってこないチャドを救いに森に戻るタマヤ、タマヤを追って森に戻るマーシャル。単純なからみあいだけれど、説得力がありました。物語には、事件の前から始まる大人たちの聴聞会での証言が織り混ざり、現実の描写と、最初は意味不明の過去の証言が交差して、初めのうちは?だらけですが、途中から、聴聞会の時間が現実の事件を後追いする形になって、真相が明らかになっていきます。巧みな構成です。説明抜き、視点が刻々と変わるところなど、サスペンスのようですが、ホッとするところ、クスっと笑ってしまうところもあって楽しめました。結末はオープンエンディングで、やや不気味。でもこのぐらいの軽さ、辛さがちょうどよく、文明への警告として今の十代にすすめたい作品です。私自身、どっぷり物語に浸って楽しみました。
まめじか:環境問題とサスペンスをくみあわせたのがおもしろいですね。社会派エンターテイメントというか。日本の作品にはなかなかないです。徐々に数が増える掛け算の数式は、正体不明のものと向きあう恐怖をかもしだしています。この本では、若い力が立ちあがり、それが世界を変えていくんですね。今、アメリカでは銃規制、欧州では環境問題をめぐる若者のデモがひろがっています。先日は、JBBYの子どもの本フェスティバルで、作家の古内一絵さんが、福島について考えるだけでなく、行動を起こさないといけないと語っていました。読んでいて、そんなことを考えました。いろいろと思いをめぐらすことのできる本でした。
ネズミ:構成や書き方がうまい。アメリカの売れるYAというのは、こういうところ、抜かりないですね。人物造形がそれほど深いわけではないけれど、物語とからみあって人物像が見えてくるからか、とってつけた感じはせず素直に納得できました。泥にはまっていくシーンと、そこから抜け出すところの臨場感は、作者も訳者も見事です。文学好きの読者にとってもおもしろいし、あまり物語を読み慣れていない読者も、どうなるのだろうとひきこまれるのでは。いじめっ子がいじめていた理由や、いじめを放っておいてしまう周囲など、日本の子どもも共感できそうです。はじめての海外文学の一冊にいい、間口の広い作品だと思いました。
カピバラ:やはり構成が緻密でうまいと思いました。たとえば計算式とか、途中途中にはよく意味がわからないところがあるけれど、あとになってだんだんわかってくるというおもしろさがありました。どうなっていくのか、先へ先へと読ませるんですけど、聴聞会の部分など難しいので、私はむしろ読書力が必要ではないかと思います。
ネズミ:聴問会の部分は、私は最初の1つ2つを読んだ後は、飛ばしてしまって、あとで最初から読み返しました。
さららん:子どもたちの描写の部分だけ読むんだと、飛ばしすぎでは?
まめじか:読んだ中学生が、すごくおもしろいと言ってましたよ。それまでファンタジーなどは読んでなかった子ですけど。
カピバラ:計算式は何かを表してるんだな、と思いながら読んでいき、先へ先へと得体の知れない恐怖が増してきます。ひりひりする感じがあり、私はあまり好きになれない作品でした。いじめっ子が、実はだれにも愛されていない子だった、という設定はちょっとありきたりかな。
ネズミ:そこが初心者向けかなと。
カピバラ:でも初心者だと、やっぱり聴聞会の部分を理解するのは難しいんじゃないかな。
マリンゴ:架空の世界なのにリアルに描かれているのが、さすがだと思いました。少しずつ悪くなっていく症状が、手に取るようにわかりました。私は、実は聴聞会の部分がとてもおもしろかったんです。対応の遅さや隠蔽しようとする行動がうまく表現されていて。これらを読んで、東日本大震災や第二次世界大戦中のさまざまなことを連想してしまいました。でも、児童書だから、ここから一気にハッピーエンドに持っていきます。その筆力がすごいです。そして最後に、こんなひどい事故が起きたというのに、製造をやめない、今度こそは大丈夫と言い張る・・・これも何かを想起させる象徴的なシーンですよね。大人にとっても読み応えのある作品でした。
サンザシ:私もとてもおもしろかったです。本を読み慣れた子だったら、聴聞会の部分もおもしろいと思います。読み慣れているかどうかというより、社会問題に対する視点があるかどうか、かもしれないけど。今の問題と重ね合わせて読めますからね。バイオテクノロジーの怖さもよく出ています。安易に技術開発して使うことのおそろしさや落とし穴がちゃんと書かれている。人物は、厚みがあるというよりは、状況のなかで動くものとして描かれています。展開のおもしろさにぐぐっと引っ張られました。すべて解決したと思ったところで、p218にまた2×1=2がまた出てきます。これ、また同じことがくり返されるという暗示ですよね。怖いです。今はバンパイアとか妖怪を持ち出して変に怖がらせるだけの作品も多いので、そういうのよりよっぽどいい。聴聞会とタマヤたちの話が無関係だと思っていると、だんだんつながってくるのにワクワクしました。テキストみたいな文章ではなく、このくらいおもしろい物語で環境問題を考えると、社会に意識をむける中高生も増えるのではないかと思います。
アンヌ:子供の時からSF好きなもので楽しく読みました。取り返しがつかない発明の恐さは、アレクサンドル・ベリャーエフの『永久パン』(西周成訳 アルトアーツ刊)を思いださせます。皮膚炎の描き方はかなり怖いなと思います。チャドのいじめの原因を家族から疎外されているからだと説明していますが、チャドのふるう暴力場面もかなり怖いです。p157、p160あたりですね。助けに来てランチを食べさせてくれるタマヤがここまで我慢する描写に、作者はタマヤが女の子だからそうさせたのかなと、ちょっと怒りを覚えました。男の子だったらここまで世話を焼くようには書けなかったでしょう。
サンザシ:いじめっ子だったら、これくらいするんじゃないですか? これが現実なんじゃないかな。タマヤをがまんさせると言うより、むしろタマヤを冷静な存在として描いているのではない?
アンヌ:32章のp197「カメ」で、あ、助かるんだと未来を見せハッピーエンドを予感させるところはうまい。ユーモアのある作風とはこういうところかと思いました。気になったのはp232「風船を膨らませる方法」の活字です。らの字がとても読みにくいので、なぜこの書体を選んだのかと。
サンザシ:手書きっぽくしたいんでしょうね。そういえばp233に誤植が。
ハル:あとがきに「パニック小説」という言葉もありましたが、まさにそういう、パニック映画を見るような感覚で、読んでいるときは純粋に楽しみました。2×1=2、2×2=4の数字の意味に気づいたとき、見出し回りの泥がどんどん増えていくことに気づいたときの、うわぁぁぁと背筋にくるような気持ち悪さ。ラストもお約束的で(これは、雪が解けたら、そこには突然変異でさらに進化したバイオリーンがいるんですよね?)、もう、きたー!という感じ。だけど、読み終わってから、ただ「おもしろかった」だけでは済まないものがついてくる。そこがいいですね。やはり、ていねいにつくられた本は、読者にも伝わるんだなと思いました。
西山:7章の最後から登場する数式が、エルゴニムが36分毎に倍に増える様を表しているのだけれど、「2×〇〇」という数式になっています。「〇〇×2」とした方が倍々に増える恐怖が出ると思ったのですが・・・。
サンザシ:アメリカの計算式の書き方なのかしら? でも2つに分裂したものが〇〇個あると考えれば、同じかも。
西山:まさかパンデミックものだとは思わずに読み始めたので、皮膚のただれる様子とか想定外の怖さでした。再読する時間がなかったので、ていねいに読みかえしたら、あらためて気づく絶妙な伏線とかあるのだろうなと思っています。
鏡文字:雪解け後のことを考えた時、園子温監督の『希望の国』のラストシーンを思いだしました。逃れて海辺に出てマスクをとり、晴れやかな気持ちになる。と、手元の線量計がピーピーと鳴ります。あの怖さにちょっと類似したものを感じました。この本は、物語そのものはおもしろく読みました。ただ、p131の聴聞会の記述で、瀕死の状態とあって、そこで死ななかったとわかる。前半の緊張がここで一気に緩んでしまいました。それから、バイオリ-ンの設定。これがファンタジーになってしまったかな、と。ファンタジーが悪いわけではないのだけれど、ちょっと説得性が不足してしまうというか。ところで、ラストの風船をふくらませる方法は、みなさんはどう感じましたか。
サンザシ:助かると思うと緊張が途切れる、というのは、大人の読み方かも。それに、いったんはほっとさせますが、それで終わりではないし。
アンヌ:天才のフィッツマンの頭の中にあるものと実際に生まれてくるものの違いでしょうか? 言葉で表していても、実際はその発明を実現する技術は追いついていない。突然変異に対処できるのか不安が残ります。
さららん:恐ろしい話として読んでいても、これは創り話だから、と、どこかで安心していられます。やっぱりファンタジーっぽいのかも。
鏡文字:人間関係はリアルな緊張感があるのに、バイオリーンがファンタジーなので、怖いんだけど、そんなに怖くない。という感じがしました。
サンザシ:私は逆に、バイオリーンが今の社会のもろもろを象徴的に表しているような気がして、逆に怖かったです。
さららん:装丁もいいですね!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
エーデルワイス(メール参加):私はこの作家とどうも相性が悪いようです。『穴』も読後感が悪かったのを思い出しました。この作品も、内容はおもしろいし主人公が魅力的なのですが、構成が懲りすぎているように思いました。
(2019年3月の「子どもの本で言いたい放題」)
マレスケの虹
森川成美/作
小峰書店
2018.10
<版元語録>第二次世界大戦期のアメリカ・ハワイ。日系二世の少年マレスケは、よろず屋を営む祖父の元で貧しくも平和に暮らしていた。だが、1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃を境に環境は激変してしまう・・・。
ハル:文学で戦争を伝えていくことの意義は、この「虹」を探すことにあるのかなと思いました。戦争の恐怖、悲劇、残酷さを伝え、絶望を知り、だからもう2度と繰り返さない、というところからさらに1歩踏み込んで、その恐怖や絶望の芯に何があったのか、戦争による恐怖の本質をいろいろな角度から考え、学び、簡単には言えないけど、やはり未来の希望へつなげていかなければいけないんじゃないかと、そんなことをこの本を読みながら考えました。
アンヌ:すぐには物語に入り込めなかったのですが、裸足で学校に通う描写のあるp25のあたりから、ハワイでの戦前の移民の生活が感じられてきました。一見封建的なおじいさんもハワイで生きてきた人だから、ハワイ人を差別しアメリカに勝つと言っている日本語学校の校長先生とは違う。p88「じいちゃんはたしかにぼくのじいちゃんだ」の意味が、だんだんわかっていきました。疑問なのが母親で、姉や兄に連絡を取らないのはなぜかと思っていたら、実はスパイと一緒だった。時代の緊迫感を感じました。「何人も令状なしに逮捕されないと、憲法に書いてあるでしょう」とp136でミス・グリーンが口にする憲法の下での人権の話がとても心に残ったのですが、戦争が始まると超法規的なFBIが子どもにまで手をのばす。こんな仕組みを作ってはいけないと思います。ハワイの海にかかる「雨の後の虹」をめぐる思いが美しい物語でした。
サンザシ:ここには、白人も日系人もハワイ人もいるという設定ですが、周りの人たちをちゃんと観察して分析しているところがおもしろかったです。たとえばマレスケはハオレ(白人)について「怒れば怒るほど、一歩ひいて、冷静になろうとする。皮肉を言っておしまいにするのも、文句を言うより、相手に響くと考えるからだろう」と思う一方で、日系一世のおじいちゃんについては、「直情径行で、頭にきたらかっかとして、自分の気のすむまで、どなりちらす」と見ています。日系人でも一世と二世はメンタリティが違って「一世はまじめで、やることはとことんやる」けれど、二世についてはもっとのんき。でも二世でも「シェイクスピアを読んでもすごいなって関心はするけど、ハオレのものだという気持ちがどうしてもぬぐえなかった」り、「俳句を読むと、ところどころ意味はわからなくても、なんとなく気持ちがわかるもんなあ。しっくりくる、って感じだ」とハジメさんに言わせたりもする。先住民のレイラニには「私たちハワイ人は、いつだって、あせらないのよ。雨が降れば雨があがるのを待つし、風が吹けばやむのを待つの」と言わせる。それがステレオタイプになるのはまずいと思うけど、いろんな人が混じり合って暮らしている場所ならではの描写だと思うと、おもしろかったです。パールハーバーの事件があって、日系の人たちが右往左往するというところも、よく描かれています。ただ私はマレスケの母親が一体何だったのかがよくわかりませんでした。スパイだったのか、だまされたのか。本の中で明かされないので疑問として残りました。一か所ひっかかったのは、p157で、マレスケが「ぼくは日本人を見殺しにしてしまった」と言ってるんですが、別に見殺しにしたわけではないのでは? マレスケが服をとりにいったあいだに、いなくなっただけなのでは?
まめじか:p124に「生きて虜囚の辱めを受けず、という男の言葉が、ぼくの頭の中をかけめぐった。捕まるぐらいなら死ね、ということだ」とあるので、このあと自ら命を絶ったと、主人公は思ってるんですよ。
さららん:その日本人を助けられなかったことを、見殺しにしてしまったとマレスケ本人が強く感じているんじゃないですか?
ハル:でも、p121に「ぼくらといっしょに、カヌーで戻ります?」とも誘っているので、たしかに曖昧な感じもします。
サンザシ:マレスケの心自体が揺れているように思い、迷っているのかなと思っていたんですけど。
マリンゴ:児童書で、ハワイの日系人の戦争関連の物語。切り口がとてもいいなと思いました。全体の3分の1のところで、パールハーバーが始まるのもとてもいいバランスだと感じました。それ以前とそれ以後と、空気の変わり方がとてもよくわかります。とても読み応えありました。ただ、最後は作者の言いたいことが全部書かれ過ぎていて、余韻が消されている気がしました。正直、p239「美しい虹だった。」で終わってくれたらよかったのにと思うくらい。あと、風景描写がほとんどないのが残念でした。読み始めて序盤で1度ストップして、本当にこれハワイの物語なのかな、と確認してしまったほどです。美しい海とヤシの木と・・・そういう美しい風景があれば、戦争とのコントラストがよりくっきりしたかと思うのですけれど。
カピバラ:戦争中の話で、暗く厳しい現実を描いていますが、主人公がまわりのいろいろな大人たちをよく見て、14歳という年齢なりに考えていく姿に好感がもて、明るい気持ちで読めました。2つの祖国の間でアイデンティティに悩むというのは、どの国の移民もかかえている問題ですが、どちらかに決めることはない、という考え方は納得ができました。現在の日本でも外国籍の子どもが多くなっているし、今の子どもたちの問題でもあるので、ぜひ読んでほしいと思いました。ただ、この表紙の絵はどうなんでしょう。何だかとっても素敵な男の子が描かれていて、ちょっとこっちを向いて、と言いたくなるような感じなんですが・・・。
ハル:足の付け根あたりの描き方がちょっと変・・・?
カピバラ:物語の中身と合っていないと思います。
サンザシ:書名の後ろじゃなくて前に虹が来てるのはわざと?
西山:最初に何の情報もなく本を手に取って、このおしゃれな表紙に「マレスケ」、またまたなんでこんな古くさい名前と思いながら読み始めると、主人公自信がこの名前が嫌だと語っていて、その由来やハワイの日系の世代間の感覚の違いまでそこで伝わってきて、かゆいところに手が届く感じで、うまいなぁと、すっと作品の中に入って行けました。日本の児童書の中で、日系移民のことを正面から書いた作品は、私は思い出せません。こういうドラマで現代の子どもに史実をお勉強的でなく伝えています。ただ、過去の伝達だけでなく、たとえばp37あたりの、マレスケが自分の進路を考えるところなど、今の子にとっても、自分はこれからどう生きていくのかという普遍的な14歳の不安につながっています。戦争についても、p136の後半の部分は、非常時は人権が制限されるという、戦争を過去の出来事としての戦闘だけでとらえない、本質を伝えてくれています。移民のアイデンティティの複雑さを象徴的に伝えてくれる、p161~162にかけての露店のシーンも印象的です。あっち、こっちと立場を2分できない複雑さに沖縄を重ねて思いを馳せました。貴重な過去のことを題材にしているけど、現代的なことも描いていて、大事な1冊が書かれて良かったと思います。先にご指摘があったように、五感に訴える描写があったら、もっとよかったのでしょうね。
カピバラ:最後のお兄さんの手紙、この時代にこんな手紙文は書かないと思ったのですが、これは英語で書いてある設定のものを日本語にしているからなんだと気づきました。
さららん:日本とアメリカでは状況が違うので、なんともいえないけれど、こんな内容の手紙を、軍人のお兄さんが自由に家族に出せたんでしょうか? 検閲にひっかからなかったのかな。
ネズミ:意欲的な作品だと思いました。戦時中の北米の日系人の状況もそうですが、100年前の移民政策によって海を渡った人々の歴史を書いた本はとても少ないので。同じ北米でも、ハワイとアメリカ大陸では違ったのでしょうか。ハワイの日系人はこうだったのかと、興味深かったです。カピバラさんと西山さんがおっしゃったように、マレスケには、今の同世代の子どもも自分を重ねられそうなところがありますね。将来どうしようとか、自分は何をしたいんだろうとか、迷っていて。なので、最後まで目が離せないところがうまい。アイデンティティについて、ありのままの自分でいい、どちらでもいい、と着地したのがいいなと思いました。ひとつだけどうなのだろうと思ったのは、p100のJAPS GO HOMEという言葉。「日本人は国に帰れという意味だ」と書いてあるだけですが、JAPSに差別的な意味合いはなかったのでしょうか。
サンザシ:最初は略語だったのが、戦争の中でどんどん日系人迫害に使われるようになって、蔑称として定着したんじゃないでしょうか?
ネズミ:解説がほしいなと思いましたが、創作だとつかないのでしょうか。翻訳ものでこういう内容だったら、必ずつきますよね。
マリンゴ:たしかに日本の本だと、巻末にあとがきを入れるかどうかは、作家次第ですね。入れたとしても、だいたいは謝辞が中心でしょうか。
まめじか:伝えたいことがあって書かれた、意味のある作品だと思うんですけど・・・。静かなドキュメンタリー映画を観ているようで。入り込めなかったのは、主人公が、思ったことをぜんぶ言葉にしていて、撓めがないからでしょうか。作家をめざすのも、先生の言葉だけでそうしたように読めて、私は納得できませんでした。
さららん:マレスケはあるとき日本人スパイとの関係を疑われ、マレスケの立ち寄ったホテルにFBIが調べに行きます。でもドアボーイは、そんな少年は知らないと答えたんです。それを「かばってくれた」としっかり感じたところに、ハワイという多民族社会の戦争時代に生きるマレスケを感じました。
まめじか:そうした場面で、主人公が自分の特性に気づく様子が書かれていたらいいんですけど、それがないので、最後がちょっと唐突に感じました。
さららん:戦争中の日系人の話は関心のあるテーマです。収容所に入れられた一家の話かなと思ったら、そうじゃなかった。私自身は、物語に起伏がないようには思いませんでした。「しかたがないものは、しかたがない」というのがおじいちゃんの口癖。戦争をテーマにした別の作品で、愛犬が連れていかれたあと、母親が子どもに「戦争なんだからしかたがないのよ」と言う場面があり、その「しかたがない」に強い反発を覚えたことがあります。でも、ハワイに移民したあと苦労を重ねてきたおじいちゃんの「しかたがない」には、人生の重さを感じました。前に読書会で読んだ『ミスターオレンジ』(トゥルース・マティ作 野坂悦子訳 朔北社)の主人公にも、出征した兄さんがいて、『マレスケの虹』の時代や状況と共通するものがあります。今の日本の子どもたちに必要な点を与える、良い作品だと思いました。
アンヌ:小峰書店のサイトでは、読者対象が小学校高学年・中学生向けとなっていますね。
鏡文字:再読です。私はこの本のオビが好きです。色もいいな、と。表紙はオビがあるとないとで、だいぶ感じが違いますね。オビの1941年12月、ハワイという言葉で、描かれる世界がすっと入ります。カバーをとった中もいい感じです。物語としては、まず、題材がとてもいいなと思いました。共感できることがたくさんあります。森川さんの作品の中では一番好きです。が、再読でちょっと気になるところが出てしまって。さっき西山さんが言ったp136。グリーン先生の問いかけに、マレスケ本人がすべて答えを持ってしまっている。「それは、戦争になったからだ」以下の記述です。ずいぶん達観しているな、と。たしかにいろいろ考える子ではあるけれど、他の記述からとりたてて早熟さは感じないタイプです。おそらく作品を描くためにいろいろ調べたことのだろうと思うけれど、「調べました感」が顔を出しているという印象もありました。それと風景描写や身体的な表現も少ないから、潤いがない。冒頭からそのことでつまずきました。p9の「14歳にしてはじめての失恋だ」以降の3つの文はいらないと思います。
さららん:「マレスケは」と三人称で書いてあったら、どんな印象になるでしょう?
鏡文字:そう、三人称にした方がよかったのかも。一人称で描かれている割には、距離があるというか、客観的すぎるんですよね。だからドラマチックなことがあるのに、平板な印象になってしまう。あ、でも、再読で新たに思ったのは、グリーン先生がいいなということで、「本を貸してあげるから」というところは、ちょっとグッときます。最後のお兄さんの手紙、p229「だけどね、ぼくらが殺そうとしている相手は親も子もいるんだ」というのは、日本兵には書けなかったことかもしれない、と思いました。アメリカの兵隊はこういうことを書けたのだとしたら、やっぱり日本の軍隊は・・・と思ってしまいます。ただ、「お母さん ぼくはあなたをあいしています」というのがラストに来て、それが実感なのかもしれないけれど、私は「母か・・・」と少し引いてしまいました。
サンザシ:翻訳だと『そのときぼくはパールハーバーにいた』(グレアム・ソールズベリー著 さくまゆみこ訳 徳間書店)というのもありましたね。その本でも、日系ハワイ人のおじいちゃんやお父さんが収容所に入れられていました。
西山:植民地下の朝鮮人が、日本軍の兵士として戦地に立った皮肉な悲劇も重なりますね。長崎源之助『あほうの星』を思いだします。
サンザシ:アメリカの海兵隊に入る人たちも、貧しくて自分のお金では大学に行けないような人たちが多いと聞いています。そういう人たちが、自分たちはB級市民じゃなくて一人前だと認められたいがために、志願するようですね。
西山:最初に上陸して戦闘に入っていく人たちなので、洗脳というか感情をもたない人間に改造されるんですよね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
エーデルワイス(メール参加):とても印象に残る作品でした。日本とアメリカの間に戦争が始まり、その最中のハワイでの日系人の生活が書かれています。主人公マレスケの心の軌跡もていねいに書かれていて、伝わってきます。母親への思慕と嫌悪感が切ないですね。兄の広樹のような気持ちで戦争に参加する日系人が多いと思うと、それも切ない。「ノーレイン、ノーレインボウ」という言葉が印象的です。希望がある終わり方ですがすがしいです。
(2019年03月の「子どもの本で言いたい放題」)
ぼくとベルさん〜友だちは発明王
原題:ME&MR.BELL by Philip Roy, 2013
フィリップ・ロイ/作 櫛田理絵/訳
PHP研究所
2017.02
<版元語録>数学は得意な一方、読み書きが困難なエディと、世界一の発明王・ベル。2人を通して、何事にも屈せず、挑戦を続ける大切さがわかる。
カピバラ:描写が細かくていねいで、情景が伝わってきました。ディスレクシアがどういうものが理解できてよかったと思います。両親がそれぞれのやり方で、息子を理解しようとしていくのが嬉しかったです。
西山:時代が時代だからが、父親がエディに障碍があると思って接しているからなのか、エディの父親に対する口調が敬語なのに違和感を覚えて最初はなかなか物語に入れませんでした。なんの話なのだろうと。読み進めたら、いろんな情報が入ってきて、それぞれを興味深く読むことになりましたが、ライムの説明はなかなかむずかしいですよね。p70〜77あたり、興味深いけれど、ついていくのが大変。こういうの、訳すの大変なのではないですか? 今回「世界が変わる」というテーマを得て、エディ本人の抱えているものが変わるわけではないけど、ベルさんという理解者との出会いからエディを包む世界が劇的に変わって開かれた。そういう作品なのだということがクリアになったと思いました。
ネズミ:小学校高学年向けの読み物として、ドキドキしながら読めるよい作品だと思いました。自分はだめだと思っていた少年が、ベルさんやヘレン・ケラーとの出会いのなかで、好きなものを見つけて前に進んでいくのを応援したくなります。少年と大人との出会いは、『ミスター・オレンジ』(トゥルース・マティ作 野坂悦子訳 朔北社)を思い出しました。ただ、話し言葉は全体に古風で、ところにより説明的な感じがしました。特に気になったのは家族の中でのお母さんの口調。「書いてごらんなさい」などは、時代感を出すために、わざとていねいにしたのでしょうか。お行儀のよい感じになりすぎるのは、もったいない気がしました。
まめじか:昔の上流階級だからじゃないですか?
カピバラ:ここは口調が変わっていくところです。最初は「書いてごらんなさい」だけど、次は「じゃあ、書いてみて」そのあと「さあ、書いて」になってますよ。
西山:エディがおつかいに行ったところは、字が書けないなら口で言えばいいのに、と思ったりしました。
ネズミ:数字の8を書いたっていいのに。
まめじか:おもしろく読みました。p134「思いちがいをされているんでしょう」など、父親への言葉遣いはていねいすぎるような・・・。昔の話だとしても。ところどころ、わからないところはありました。p13で、お父さんは主人公の字が読めとれず遅れて到着します。hとnをまちがえたようですけど、どうまちがったら、8時が9時半になるのか・・・。翼の形について友人と議論しているベルさんに意見を求められ、エディは「よくわかりません。もしぼくが飛行機で空中にうかんだとしたら、たぶん次に知りたいのは無事に地上にもどれるかってことです。でもぼくも、あの見た目はすごくかっこいいと思います」と言います。私は、エディがどちらの側についているのか、このせりふからはわかりませんでした。次のページで、ベルさんが「二対二で同点だな」と言っているので、エディはベルさんに同意し、その形の翼では飛べないと言っているんでしょうが。それと、畑の石を掘りだすのは、「大人の男がするような仕事」みたいですが、父親は、なんでそんな大変なことをエディにさせたんですか?
ネズミ:そんなに石が大きいとは思ってなかったんでしょう。
サンザシ:お父さんは、この子は勉強もできないから畑仕事のプロにしなくちゃと思ったんじゃないかな。
さららん:テーマも、出会いの描かれ方もすごくいいし、応用数学を使って、主人公が大きな岩を滑車とロープで運び出すところなども、大変おもしろかったんですが、例えばp122、p208のロープと滑車のつなぎ方は、文章だけでは想像できない。だからp125に挿絵があって、ほっとしました。ただp124に「馬たちは丘を上り始め」とあるのに、挿絵の絵は平地に見えます。またp103の「馬房」はなじみの薄い言葉ですね。p126の「主はアルキメデスだ」という文章も、スッとわからない。対象年齢を考えると、少し言葉を補ったほうがよいのかもしれません。
まめじか:アルキメデスの原理で、石を動かしたからですよね。
サンザシ:アルキメデスはp113-114にかけてずっと出てきていますよ。滑車の法則を発見した人だっていうのも出ています。もう一度ここでも補うってこと?
さららん:メッセージもストーリーも素晴らしいだけに、訳語でひっかかるのが残念だったんです。物語の魅力をさらに輝かせるためには、p70-72にかけての「ライム」についてヘレンが話す場面も、もう少しわかりやすくなるといいな、と思えました。
鏡文字:正直なところ、前半が読みづらかったです。物語に入れないな、という感じで。冒頭から、プツンプツンプツンと言葉を投げられているような気がしてしまったんです。物語そのものはいい話だなと思いましたし、エピソードもいいんです。なんというか幸福感のある話ですよね。ただ、表現面でいろいろひっかかりを感じてしまったんです。『マレスケの虹』(森川成美作 小峰書店)はちょっと改行が多すぎると思ったのですが、この本は、ここ改行なしにつなげちゃうの? と思うところが何か所かありました。それから、p20の終わりに、「そんなある日、ある人との出会いが、すべてを変えたのだった」とあり、p43には「そしてこの本が、ぼくにとってすべてを変えるきっかけとなった」とあります。すべてを変えるのがそんなにあるの? とか。それから、ベルさんって、今の子たちにピンとくるのでしょうか。
サンザシ:p4に、「世界じゅうでその名を知られる発明家、アレクサンダー・グラハム・ベル」とか、お父さんのセリフで「ベルさんは、この世でいちばんかしこい人なんだぞ」と、書いてありますよ。
まめじか:電話を発明した人って、どこかに書いてありましたっけ?
サンザシ:それは別になくてもいいんじゃないですか。この作品の本筋にはかかわらないから。
マリンゴ:作家はカナダ人ですけど、カナダではだれでもベルを知ってるんでしょうね。
鏡文字:これってまるっきりフィクションなんですか? それとも、エディにモデルがいるんでしょうか。それを知りたいと思いました。
ハル:奥付ページの上のほうに、「この物語は、史実を考慮して書かれたフィクションです」と書いてありますよ。
カピバラ:「考慮する」って微妙ですね。
ハル:まだp108までしか読めていなくて、そこまでの感想ですみません。ヘレン・ケラーに会って「かしこさの正体」に気づいた場面がぐっときました。子どもの頃には「この授業が、実生活でなんの役にたつのか」「なんでこんな勉強をしてるんだ」なんて、つまらなく思うこともあると思いますが、自分の中で賢さとは何かという答えが出ると、世界がガラッと変わるんじゃないかと思います。エディは、賢さとはp68「ぜったいにわかってやるという強い想い」だと知りますが、はたして読者はどう思うか。それぞれの答えが見つかるといいなと思います。なんて偉そうに言いますけど、私ももっと勉強しておけばよかったと今になって思っています。一か所、勉強ができないことの引き合いに、過去に事故にあったフランキーという少年が登場しているのは、嫌だなと思いました。最後まで読んだら、違う意図があるのでしょうか。
アンヌ:以前に読んだ時は、実在の人物ばかりが気になっていたのですが、今回は主人公の気持ちになれました。読み書きがうまくできないということだけで、差別されたり、何を言っても「うそだね」と否定されたりするのが読んでいてとてもつらかった。けれど、数学や問題が解けた時のさわやかさを主人公と一緒に感じられて、再読できてよかったと思います。私も左利きで矯正された世代なので、この視察員には不快さを感じました。お父さんが怒ってくれてよかった。
鏡文字:100年以上も前の1908年に、左で書くことを親が認めてくれるというのは、うらやましいことですね。
アンヌ:p68のヘレン・ケラーの知りたいという強い思いを感じるところも素晴らしいと思いました。主人公の語り口が大人っぽいのは、ディスクレシアではあるけれど、内面にはすぐれた知性があるという事を示すためなんだろうと思います。
サンザシ:これ、読書感想文の課題図書なんですね。感想文が書きやすいのかな、やっぱり。会話とかあんまり気にせずに読んだけど、そういえばそうですね。エディは10歳の子で、何も習っていないのに滑車の道具を考えだしたりする、ものすごく賢い子なんですね。普通のディスレクシアの子は、もっと大変なんだろうなと思いながら読みました。家族の外にいる人との交流の中で、子どもが自信を得ていくというテーマはいいですね。現地音主義で言うとグレアム・ベルでは? ケネス・グレアムはグレアムになってますけど、この人はずっとグラハムですね。
一同:もうそれで定着してるから。
アンヌ:ベルが飛行機まで発明していたとは知りませんでした。
マリンゴ:今回のテーマは「世界が変わる」なのですが、選書をする段階で、「史実とフィクションのさじ加減」というテーマでもいいかなと、担当者で話し合っていました。この本はまさに、史実とフィクションの混ぜ方が興味深い作品だったのです。グラハム・ベル、ヘレン・ケラーという実在の人物が重要な役割を果たす一方で、エディという主人公はどうやらフィクションらしい、と。その辺の作り方がとてもおもしろいなと思いました。カナダ人にとっては、ベル氏は英雄だし、ヘレン・ケラーは世界的に知られている人だし、どちらも一切悪く書かないで、物語にうまく取り込むのは難易度が高い気がしたのです。もっとも、著者もカナダの方なので、リスペクトする気持ちがもともと高いのでしょうけれど。先ほど、ディスレクシアの症状をつかみにくいという話がありましたが、大人になってからディスレクシアだと気づいた人が主人公の漫画があります。やはり絵で表現されると、伝わりやすくて症状がよくわかるんですよね。活字で症状を語るのは難しいのだなと思いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
エーデルワイス(メール参加):主人公のエディと発明王ベルさんの友情がさわやかです。ベルさん、魅力的ですね。普通の人には理解できない、ディスレクしあの人の苦労がていねいに書かれていました。エディの観察力の鋭さと数学的な思考の優秀さも。
(2019年03月の「子どもの本でいいたい放題」)