アーモンド

ソン・ウォンピョン『アーモンド』表紙
『アーモンド』
原題:아몬드 by 손원평 , 2017
ソン・ウォンピョン/著 矢島暁子/訳
祥伝社
2019.07

<版元語録>扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない16歳の高校生、ユンジェ。そんな彼は、15歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記させることで、なんとか“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。だが、母は事件によって植物状態になり、ユンジェは、ひとりぼっちになってしまう。そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物”、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく――。怪物と呼ばれた少年が愛によって変わるまで。

マリンゴ:非常に読み応えがありました。主人公と、ゴニ。どちらも、非常に極端なキャラで、一歩間違えれば非現実的な物語になりそうなのに、現実のなかに落とし込んでいるのがすごいと思います。人それぞれに成長のしかたやスピードは違って、考えることをあきらめなければ、少しずつ変わっていけるのだと、感じられる本でした。ただ、実在の本と架空の本を取り混ぜているのは、あまり好ましくない気がしました。p125で、『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著)とおぼしき内容の本が登場します。でも、p126のP.J.ノーランという作家は架空の人物なんですよね。注釈はついているのですが、別ページにあるため、それを見る前に、ノーランの名前を一生懸命検索してしまいました。少しくやしいというか腹立たしいですね(笑)。

サークルK:タイトルを見たとき、何のことだろうと不思議に思いました(読み進むうちに解明されましたが)。挿絵が斬新で、モダンな感じでした。(皆さんがおっしゃっていた、男の子の顔色が明るく変わっていくことには気づきませんでした。)始まりが衝撃的なシーンで、映画を見る思いで読みましたが、あとがきで作者が映像関係にも造詣が深いことを知り、納得しました。脱北者を扱った韓国映画では「クロッシング」(2008)があり、(「母をたずねて三千里」の父子・悲劇版とお考えいただければと思います)今回の3作品を読んで、その映画のことも思い出しました。

ルパン:おもしろく読みました。まず、プロローグがいい。「アーモンド」が何をさしているのかわからないのだけど、「あなたの一番大事な人も、一番嫌っている誰かも、それを持っている」という一文に心ひかれました。そしてp29でそれが脳の中の「扁桃体」であることがわかると、「アーモンド」が物語全体を支えるキーワードとなり、作者の言いたいことがひとことで言い表されている気がしました。ストーリーは映像的というか、殺人事件など非日常な場面がまるでテレビドラマか映画を見ているように目に浮かんできました。そういう意味ではエンタメなのかもしれませんが、この主人公がゴニに対する友情や、自身が生きるよろこびを感じ始めるところはとてもいいと思いました。

ハル:私自身も読んでおもしろかったし、YA世代の子が読んだらよりいっそう感じるものは多いと思うのですが、積極的にYAとしてその世代の子にすすめたいかというと、そうでもないのかなぁと思います。設定だったり、突然の悲劇だったり、ラストのもっていきかただったりが、うーん、これは一般文芸かなと思いました。いつも読む英米の翻訳の本とは違う文化に触れられたのも、新鮮でおもしろかったです。

さららん:どんどん読めてしまった。エンターテイメントとして見事でしたね。冒頭で、「怪物である僕がもう一人の怪物に出会う」との断りがあり、そのあと「その日、一人が怪我をし、六人が死んだ。・・・・・・」と事件の描写から、第1章が始まったので、猟奇的な物語かな?と覚悟をきめて読み出しました。でもすぐにトーンが変わり、むしろ感情のない少年の透明な悲しみに包まれた物語でした。p50-p51の描写(意味が心に響かない少年には、本の楽しみ方もほかの人とは違う)のところなど、この少年の感覚を表していて、リアリティを深めるのに役立っていたと思います。余談になりますが、私には、韓国の小説や映画は血が出て終わる、という印象があって、この作品もやはりそうでした。

アンヌ:主人公は扁桃体異常と言われるし、目の前で祖母も母親も襲われるし、この子はどうなっちゃうんだろうと思いながら読み始めましたが、意外に母親が周到に彼を守る方法を考えていてくれたので、ほっとしました。脳の異常ならば、成長と共に変わって行くだろうと推測がついていたので、ゴニが出て来てからは、そっちの方が心配でした。せっかく再会した親に、また捨てられていますよね。作者は最初にバーンと映像を出すような描き方がとてもうまくて、映画のようにぞれぞれの場面が目に浮かんできます。おばあさんが襲われるところとか、映画だったらここで、不意に無音になるだろうな、なんて思いました。けれど、逆にそれがちっとも怖くなかったりすることもあって、たとえば、不良の親玉のようなまんじゅうはともかく、針金の顔が美しいのは、ありきたりに思えてつまらない気がしました。ぼくは死んだと言いながら話が続いて行って、最後はちょっと拍子抜けという感じもしました。

木の葉:おもしろく読みました。主人公のユンジェと思われる表紙の少年が、章タイトルにも描かれてますが、だんだんと背景の色が明るくなっていくことに、今気がつきました。社会のありようは日本とさほど変わりなく、祖母を失い母を植物人間状態にするクリスマスイブの殺傷事件やそれへの反応なども、日本でもありうると感じたのですが、この物語のようなタイプの作品は日本では見かけない気がしました。タイトルのアーモンドは、扁桃体のことを差しますが、食べ物のアーモンドが上手く使われています。翻訳書も茶やオレンジが基調でどことなくアーモンドトーン。作者は映画関係ということで、視覚的にイメージしやすかったように思います。対比的に描かれるユンジェとゴニの緊張が終盤に向かって加速し、ちょっとドキドキしました。暴力シーンは苦手なので、つらいところもありましたが。ただ、ラストの母親のエピソードはやりすぎというか、快復の兆しぐらいで抑えてくれたほうが私の好みです。

ネズミ:入りづらかったです。感情を持たない主人公の1人称で書かれていますが、自分が幼かったときの出来事を、他人のせりふも再現しながら、3人称のように書いているのが、どうもしっくりこず、どうとらえていいかわからない感じでした。ゴニとの関係はおもしろく、こういう題材をとりあげることは、なるほどなあと思いましたが、かなり読者を選ぶ作品でしょうか。

西山:作者が映画畑の人だからということもあるのでしょうか、映画を観ているようでした。映画にすれば結構流血シーンの多い映画になるでしょうけれど、人は人との関係の中で変わるんだというところが作品の芯になっていると思うのでYAとして非常に好感を持って読みました。脳ってわからないから、身長が9センチ伸びたら「頭の中の地形図がかなり変わったんだと思う」(p198)というところや、「自分でも気付かないうちに僕の頭を追い抜いてしまった体が、夏に着る春のコートのように不必要でうっとうしく感じられた」(p199)といったところが、1年間で10センチぐらい軽く延びてしまう年頃の子どもにとって、とてもしっくりきます。おもしろいなと思ったところは、数々あるのですが、たとえば人の心がわからないから、根本的な問いを発する。「ほかの人と似てるって、どういうこと? 人はみんな違うのに、誰を基準にしてるの?」(p71)と、スマホとの対話アプリで質問しているところ、その行為自体が切ないのですが、ものすごくプリミティブな問いかけですよね。あと、p244で、テレビでとても不幸なニュースが流れていても、平気でチャンネルを変えたり、笑えるのはなぜかという疑問。これも、そもそも共感って何?という根源的な問いで、『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/著 原田勝/訳 徳間書店)のフィギスの逆パターンなんだなと思いました。フィギスは異様に高い共感能力で憑依を招くわけですから。設定の奇抜さで目を引くということではなく、深く読める作品だと思います。あと、中学生くらいで共感をよぶんじゃないかと思いまして、p87の心ない質問に「別に何ともないよ」と答えてしまうところ、いかにも中学生のリアクションだと思いながら読みました。その直前、レンギョウの芽に日が当たるように枝の向きを変えてやる場面に、なんてやさしい!と思いました。感情が分かるとか、優しさって何?と考えさせる場面があちこちにあって、ハッとすることが多かったです。ゴニもいい子で、たとえばp142の最後のところで、「褒めてるんだ。商売上手だって」と。「ぼく」に分かるように説明を加えるなんて! 蝶を使った感情教育のところ、―あれ、対人間の暴力シーンより怖かったんですけど―そういうことを思いつくゴニが愛しい! ティーンエイジャーにいいなと思った作品でした。

カピバラ:感情がないっていうのがどういうことか、なかなかすぐには理解できず、私も最初は違和感があったんですけど、次第に主人公の独特の世界に入り込んでいくという不思議な感じがあり、それがほかの本にはない体験でした。章の切れ目に、次を読まずにいられないような予告的な表現があるんですよね。p54で、母さんの顔にしわを見つけ、「母さんも、これからは歳をとっていくだけってことよ」と母さんが言いますが、そのあとに、「でも母さんの言ったことは間違っていた。運命は、母さんにそんな機会を与えなかった」と書いてあります。これはもう、母さんに何が起こるんだろうと、次を読まずにいられないじゃないですか。そういった予告的な表現が次へページをめくらせる効果を出していると思います。また、季節の変わり目を表す描写がとても美しく、記憶に残りました。例えばp151「季節の女王は五月だというけれど、僕の考えは少し違う。難しいのは、冬が春に変わることだ。凍った土がとけ、芽が出て、枯れた枝に色とりどりの花が咲き始めること。本当に大変なのはそっちのほうだ。夏は、ただ春の動力をもらって前に何歩か進むだけで来るのだ」 こういった美しい描写が節目ごとに書かれていて時の流れを伝えてくれます。また、章のはじめの絵のバックの色が変わったのには3章くらいで気づき、おもしろいなと思いました。これは原書にはなくて日本の装丁者の工夫なのかな。センスがいいですね。

さららん:1カ所だけ疑問に思ったところがありました。p65で「こうしてぼくは十七になった」と書いてあったけれど、p82で、アーモンドは高校に入学していますよね。17歳で入学なのでしょうか?

ルパン:数え年だからじゃないですか? 12月にうまれたときが1歳で、年が明けてすぐに2歳になるから、満年齢と2歳の差ができるのでは。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):文学的に質の高い作品。児童書ではなく一般書の棚にありました。村上春樹、カズオ・イシグロのような印象を受けます。好きな作品としか感想がかけないのですが、この作者を今後も読みたいと思いました。

サンザシ(メール参加):とてもおもしろく読みました。ユンジェとゴニはどちらも怪物と呼ばれる人間で、足りないものを持っています。その2人が対立し、理解しようとし、友だちになっていきます。リアルであると同時にエンタテイニングで、先へ先へと読ませる力があります。しいてテーマを示すとするなら、愛による変化・成長といったところだと思いますが、フィクションだからこそ書ける作品かもしれません。文学が持つ力をひしひしと感じることができました。訳もとてもいいと思います。

(2020年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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アーモンド

マリンゴ:非常に読み応えがありました。主人公と、ゴニ。どちらも、非常に極端なキャラで、一歩間違えれば非現実的な物語になりそうなのに、現実のなかに落とし込んでいるのがすごいと思います。人それぞれに成長のしかたやスピードは違って、考えることをあきらめなければ、少しずつ変わっていけるのだと、感じられる本でした。ただ、実在の本と架空の本を取り混ぜているのは、あまり好ましくない気がしました。p125で、『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著)とおぼしき内容の本が登場します。でも、p126のP.J.ノーランという作家は架空の人物なんですよね。注釈はついているのですが、別ページにあるため、それを見る前に、ノーランの名前を一生懸命検索してしまいました。少しくやしいというか腹立たしいですね(笑)。

サークルK:タイトルを見たとき、何のことだろうと不思議に思いました(読み進むうちに解明されましたが)。挿絵が斬新で、モダンな感じでした。(皆さんがおっしゃっていた、男の子の顔色が明るく変わっていくことには気づきませんでした。)始まりが衝撃的なシーンで、映画を見る思いで読みましたが、あとがきで作者が映像関係にも造詣が深いことを知り、納得しました。脱北者を扱った韓国映画では「クロッシング」(2008)があり、(「母をたずねて三千里」の父子・悲劇版とお考えいただければと思います)今回の3作品を読んで、その映画のことも思い出しました。

ルパン:おもしろく読みました。まず、プロローグがいい。「アーモンド」が何をさしているのかわからないのだけど、「あなたの一番大事な人も、一番嫌っている誰かも、それを持っている」という一文に心ひかれました。そしてp29でそれが脳の中の「扁桃体」であることがわかると、「アーモンド」が物語全体を支えるキーワードとなり、作者の言いたいことがひとことで言い表されている気がしました。ストーリーは映像的というか、殺人事件など非日常な場面がまるでテレビドラマか映画を見ているように目に浮かんできました。そういう意味ではエンタメなのかもしれませんが、この主人公がゴニに対する友情や、自身が生きるよろこびを感じ始めるところはとてもいいと思いました。

ハル:私自身も読んでおもしろかったし、YA世代の子が読んだらよりいっそう感じるものは多いと思うのですが、積極的にYAとしてその世代の子にすすめたいかというと、そうでもないのかなぁと思います。設定だったり、突然の悲劇だったり、ラストのもっていきかただったりが、うーん、これは一般文芸かなと思いました。いつも読む英米の翻訳の本とは違う文化に触れられたのも、新鮮でおもしろかったです。

さららん:どんどん読めてしまった。エンターテイメントとして見事でしたね。冒頭で、「怪物である僕がもう一人の怪物に出会う」との断りがあり、そのあと「その日、一人が怪我をし、六人が死んだ。・・・・・・」と事件の描写から、第1章が始まったので、猟奇的な物語かな?と覚悟をきめて読み出しました。でもすぐにトーンが変わり、むしろ感情のない少年の透明な悲しみに包まれた物語でした。p50-p51の描写(意味が心に響かない少年には、本の楽しみ方もほかの人とは違う)のところなど、この少年の感覚を表していて、リアリティを深めるのに役立っていたと思います。余談になりますが、私には、韓国の小説や映画は血が出て終わる、という印象があって、この作品もやはりそうでした。

アンヌ:主人公は扁桃体異常と言われるし、目の前で祖母も母親も襲われるし、この子はどうなっちゃうんだろうと思いながら読み始めましたが、意外に母親が周到に彼を守る方法を考えていてくれたので、ほっとしました。脳の異常ならば、成長と共に変わって行くだろうと推測がついていたので、ゴニが出て来てからは、そっちの方が心配でした。せっかく再会した親に、また捨てられていますよね。作者は最初にバーンと映像を出すような描き方がとてもうまくて、映画のようにぞれぞれの場面が目に浮かんできます。おばあさんが襲われるところとか、映画だったらここで、不意に無音になるだろうな、なんて思いました。けれど、逆にそれがちっとも怖くなかったりすることもあって、たとえば、不良の親玉のようなまんじゅうはともかく、針金の顔が美しいのは、ありきたりに思えてつまらない気がしました。ぼくは死んだと言いながら話が続いて行って、最後はちょっと拍子抜けという感じもしました。

木の葉:おもしろく読みました。主人公のユンジェと思われる表紙の少年が、章タイトルにも描かれてますが、だんだんと背景の色が明るくなっていくことに、今気がつきました。社会のありようは日本とさほど変わりなく、祖母を失い母を植物人間状態にするクリスマスイブの殺傷事件やそれへの反応なども、日本でもありうると感じたのですが、この物語のようなタイプの作品は日本では見かけない気がしました。タイトルのアーモンドは、扁桃体のことを差しますが、食べ物のアーモンドが上手く使われています。翻訳書も茶やオレンジが基調でどことなくアーモンドトーン。作者は映画関係ということで、視覚的にイメージしやすかったように思います。対比的に描かれるユンジェとゴニの緊張が終盤に向かって加速し、ちょっとドキドキしました。暴力シーンは苦手なので、つらいところもありましたが。ただ、ラストの母親のエピソードはやりすぎというか、快復の兆しぐらいで抑えてくれたほうが私の好みです。

ネズミ:入りづらかったです。感情を持たない主人公の1人称で書かれていますが、自分が幼かったときの出来事を、他人のせりふも再現しながら、3人称のように書いているのが、どうもしっくりこず、どうとらえていいかわからない感じでした。ゴニとの関係はおもしろく、こういう題材をとりあげることは、なるほどなあと思いましたが、かなり読者を選ぶ作品でしょうか。

西山:作者が映画畑の人だからということもあるのでしょうか、映画を観ているようでした。映画にすれば結構流血シーンの多い映画になるでしょうけれど、人は人との関係の中で変わるんだというところが作品の芯になっていると思うのでYAとして非常に好感を持って読みました。脳ってわからないから、身長が9センチ伸びたら「頭の中の地形図がかなり変わったんだと思う」(p198)というところや、「自分でも気付かないうちに僕の頭を追い抜いてしまった体が、夏に着る春のコートのように不必要でうっとうしく感じられた」(p199)といったところが、1年間で10センチぐらい軽く延びてしまう年頃の子どもにとって、とてもしっくりきます。おもしろいなと思ったところは、数々あるのですが、たとえば人の心がわからないから、根本的な問いを発する。「ほかの人と似てるって、どういうこと? 人はみんな違うのに、誰を基準にしてるの?」(p71)と、スマホとの対話アプリで質問しているところ、その行為自体が切ないのですが、ものすごくプリミティブな問いかけですよね。あと、p244で、テレビでとても不幸なニュースが流れていても、平気でチャンネルを変えたり、笑えるのはなぜかという疑問。これも、そもそも共感って何?という根源的な問いで、『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/著 原田勝/訳 徳間書店)のフィギスの逆パターンなんだなと思いました。フィギスは異様に高い共感能力で憑依を招くわけですから。設定の奇抜さで目を引くということではなく、深く読める作品だと思います。あと、中学生くらいで共感をよぶんじゃないかと思いまして、p87の心ない質問に「別に何ともないよ」と答えてしまうところ、いかにも中学生のリアクションだと思いながら読みました。その直前、レンギョウの芽に日が当たるように枝の向きを変えてやる場面に、なんてやさしい!と思いました。感情が分かるとか、優しさって何?と考えさせる場面があちこちにあって、ハッとすることが多かったです。ゴニもいい子で、たとえばp142の最後のところで、「褒めてるんだ。商売上手だって」と。「ぼく」に分かるように説明を加えるなんて! 蝶を使った感情教育のところ、―あれ、対人間の暴力シーンより怖かったんですけど―そういうことを思いつくゴニが愛しい! ティーンエイジャーにいいなと思った作品でした。

カピバラ:感情がないっていうのがどういうことか、なかなかすぐには理解できず、私も最初は違和感があったんですけど、次第に主人公の独特の世界に入り込んでいくという不思議な感じがあり、それがほかの本にはない体験でした。章の切れ目に、次を読まずにいられないような予告的な表現があるんですよね。p54で、母さんの顔にしわを見つけ、「母さんも、これからは歳をとっていくだけってことよ」と母さんが言いますが、そのあとに、「でも母さんの言ったことは間違っていた。運命は、母さんにそんな機会を与えなかった」と書いてあります。これはもう、母さんに何が起こるんだろうと、次を読まずにいられないじゃないですか。そういった予告的な表現が次へページをめくらせる効果を出していると思います。また、季節の変わり目を表す描写がとても美しく、記憶に残りました。例えばp151「季節の女王は五月だというけれど、僕の考えは少し違う。難しいのは、冬が春に変わることだ。凍った土がとけ、芽が出て、枯れた枝に色とりどりの花が咲き始めること。本当に大変なのはそっちのほうだ。夏は、ただ春の動力をもらって前に何歩か進むだけで来るのだ」 こういった美しい描写が節目ごとに書かれていて時の流れを伝えてくれます。また、章のはじめの絵のバックの色が変わったのには3章くらいで気づき、おもしろいなと思いました。これは原書にはなくて日本の装丁者の工夫なのかな。センスがいいですね。

さららん:1カ所だけ疑問に思ったところがありました。p65で「こうしてぼくは十七になった」と書いてあったけれど、p82で、アーモンドは高校に入学していますよね。17歳で入学なのでしょうか?

ルパン:数え年だからじゃないですか? 12月にうまれたときが1歳で、年が明けてすぐに2歳になるから、満年齢と2歳の差ができるのでは。

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エーデルワイス(メール参加):文学的に質の高い作品。児童書ではなく一般書の棚にありました。村上春樹、カズオ・イシグロのような印象を受けます。好きな作品としか感想がかけないのですが、この作者を今後も読みたいと思いました。

サンザシ(メール参加):とてもおもしろく読みました。ユンジェとゴニはどちらも怪物と呼ばれる人間で、足りないものを持っています。その2人が対立し、理解しようとし、友だちになっていきます。リアルであると同時にエンタテイニングで、先へ先へと読ませる力があります。しいてテーマを示すとするなら、愛による変化・成長といったところだと思いますが、フィクションだからこそ書ける作品かもしれません。文学が持つ力をひしひしと感じることができました。訳もとてもいいと思います。

(2020年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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アーモンド

ソン・ウォンピョン『アーモンド』表紙
『アーモンド』
原題:아몬드 by 손원평 , 2017
ソン・ウォンピョン/著 矢島暁子/訳
祥伝社
2019.07

マリンゴ:非常に読み応えがありました。主人公と、ゴニ。どちらも、非常に極端なキャラで、一歩間違えれば非現実的な物語になりそうなのに、現実のなかに落とし込んでいるのがすごいと思います。人それぞれに成長のしかたやスピードは違って、考えることをあきらめなければ、少しずつ変わっていけるのだと、感じられる本でした。ただ、実在の本と架空の本を取り混ぜているのは、あまり好ましくない気がしました。p125で、『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著)とおぼしき内容の本が登場します。でも、p126のP.J.ノーランという作家は架空の人物なんですよね。注釈はついているのですが、別ページにあるため、それを見る前に、ノーランの名前を一生懸命検索してしまいました。少しくやしいというか腹立たしいですね(笑)。

サークルK:タイトルを見たとき、何のことだろうと不思議に思いました(読み進むうちに解明されましたが)。挿絵が斬新で、モダンな感じでした。(皆さんがおっしゃっていた、男の子の顔色が明るく変わっていくことには気づきませんでした。)始まりが衝撃的なシーンで、映画を見る思いで読みましたが、あとがきで作者が映像関係にも造詣が深いことを知り、納得しました。脱北者を扱った韓国映画では「クロッシング」(2008)があり、(「母をたずねて三千里」の父子・悲劇版とお考えいただければと思います)今回の3作品を読んで、その映画のことも思い出しました。

ルパン:おもしろく読みました。まず、プロローグがいい。「アーモンド」が何をさしているのかわからないのだけど、「あなたの一番大事な人も、一番嫌っている誰かも、それを持っている」という一文に心ひかれました。そしてp29でそれが脳の中の「扁桃体」であることがわかると、「アーモンド」が物語全体を支えるキーワードとなり、作者の言いたいことがひとことで言い表されている気がしました。ストーリーは映像的というか、殺人事件など非日常な場面がまるでテレビドラマか映画を見ているように目に浮かんできました。そういう意味ではエンタメなのかもしれませんが、この主人公がゴニに対する友情や、自身が生きるよろこびを感じ始めるところはとてもいいと思いました。

ハル:私自身も読んでおもしろかったし、YA世代の子が読んだらよりいっそう感じるものは多いと思うのですが、積極的にYAとしてその世代の子にすすめたいかというと、そうでもないのかなぁと思います。設定だったり、突然の悲劇だったり、ラストのもっていきかただったりが、うーん、これは一般文芸かなと思いました。いつも読む英米の翻訳の本とは違う文化に触れられたのも、新鮮でおもしろかったです。

さららん:どんどん読めてしまった。エンターテイメントとして見事でしたね。冒頭で、「怪物である僕がもう一人の怪物に出会う」との断りがあり、そのあと「その日、一人が怪我をし、六人が死んだ。・・・・・・」と事件の描写から、第1章が始まったので、猟奇的な物語かな?と覚悟をきめて読み出しました。でもすぐにトーンが変わり、むしろ感情のない少年の透明な悲しみに包まれた物語でした。p50-p51の描写(意味が心に響かない少年には、本の楽しみ方もほかの人とは違う)のところなど、この少年の感覚を表していて、リアリティを深めるのに役立っていたと思います。余談になりますが、私には、韓国の小説や映画は血が出て終わる、という印象があって、この作品もやはりそうでした。

アンヌ:主人公は扁桃体異常と言われるし、目の前で祖母も母親も襲われるし、この子はどうなっちゃうんだろうと思いながら読み始めましたが、意外に母親が周到に彼を守る方法を考えていてくれたので、ほっとしました。脳の異常ならば、成長と共に変わって行くだろうと推測がついていたので、ゴニが出て来てからは、そっちの方が心配でした。せっかく再会した親に、また捨てられていますよね。作者は最初にバーンと映像を出すような描き方がとてもうまくて、映画のようにぞれぞれの場面が目に浮かんできます。おばあさんが襲われるところとか、映画だったらここで、不意に無音になるだろうな、なんて思いました。けれど、逆にそれがちっとも怖くなかったりすることもあって、たとえば、不良の親玉のようなまんじゅうはともかく、針金の顔が美しいのは、ありきたりに思えてつまらない気がしました。ぼくは死んだと言いながら話が続いて行って、最後はちょっと拍子抜けという感じもしました。

木の葉:おもしろく読みました。主人公のユンジェと思われる表紙の少年が、章タイトルにも描かれてますが、だんだんと背景の色が明るくなっていくことに、今気がつきました。社会のありようは日本とさほど変わりなく、祖母を失い母を植物人間状態にするクリスマスイブの殺傷事件やそれへの反応なども、日本でもありうると感じたのですが、この物語のようなタイプの作品は日本では見かけない気がしました。タイトルのアーモンドは、扁桃体のことを差しますが、食べ物のアーモンドが上手く使われています。翻訳書も茶やオレンジが基調でどことなくアーモンドトーン。作者は映画関係ということで、視覚的にイメージしやすかったように思います。対比的に描かれるユンジェとゴニの緊張が終盤に向かって加速し、ちょっとドキドキしました。暴力シーンは苦手なので、つらいところもありましたが。ただ、ラストの母親のエピソードはやりすぎというか、快復の兆しぐらいで抑えてくれたほうが私の好みです。

ネズミ:入りづらかったです。感情を持たない主人公の1人称で書かれていますが、自分が幼かったときの出来事を、他人のせりふも再現しながら、3人称のように書いているのが、どうもしっくりこず、どうとらえていいかわからない感じでした。ゴニとの関係はおもしろく、こういう題材をとりあげることは、なるほどなあと思いましたが、かなり読者を選ぶ作品でしょうか。

西山:作者が映画畑の人だからということもあるのでしょうか、映画を観ているようでした。映画にすれば結構流血シーンの多い映画になるでしょうけれど、人は人との関係の中で変わるんだというところが作品の芯になっていると思うのでYAとして非常に好感を持って読みました。脳ってわからないから、身長が9センチ伸びたら「頭の中の地形図がかなり変わったんだと思う」(p198)というところや、「自分でも気付かないうちに僕の頭を追い抜いてしまった体が、夏に着る春のコートのように不必要でうっとうしく感じられた」(p199)といったところが、1年間で10センチぐらい軽く延びてしまう年頃の子どもにとって、とてもしっくりきます。おもしろいなと思ったところは、数々あるのですが、たとえば人の心がわからないから、根本的な問いを発する。「ほかの人と似てるって、どういうこと? 人はみんな違うのに、誰を基準にしてるの?」(p71)と、スマホとの対話アプリで質問しているところ、その行為自体が切ないのですが、ものすごくプリミティブな問いかけですよね。あと、p244で、テレビでとても不幸なニュースが流れていても、平気でチャンネルを変えたり、笑えるのはなぜかという疑問。これも、そもそも共感って何?という根源的な問いで、『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/著 原田勝/訳 徳間書店)のフィギスの逆パターンなんだなと思いました。フィギスは異様に高い共感能力で憑依を招くわけですから。設定の奇抜さで目を引くということではなく、深く読める作品だと思います。あと、中学生くらいで共感をよぶんじゃないかと思いまして、p87の心ない質問に「別に何ともないよ」と答えてしまうところ、いかにも中学生のリアクションだと思いながら読みました。その直前、レンギョウの芽に日が当たるように枝の向きを変えてやる場面に、なんてやさしい!と思いました。感情が分かるとか、優しさって何?と考えさせる場面があちこちにあって、ハッとすることが多かったです。ゴニもいい子で、たとえばp142の最後のところで、「褒めてるんだ。商売上手だって」と。「ぼく」に分かるように説明を加えるなんて! 蝶を使った感情教育のところ、―あれ、対人間の暴力シーンより怖かったんですけど―そういうことを思いつくゴニが愛しい! ティーンエイジャーにいいなと思った作品でした。

カピバラ:感情がないっていうのがどういうことか、なかなかすぐには理解できず、私も最初は違和感があったんですけど、次第に主人公の独特の世界に入り込んでいくという不思議な感じがあり、それがほかの本にはない体験でした。章の切れ目に、次を読まずにいられないような予告的な表現があるんですよね。p54で、母さんの顔にしわを見つけ、「母さんも、これからは歳をとっていくだけってことよ」と母さんが言いますが、そのあとに、「でも母さんの言ったことは間違っていた。運命は、母さんにそんな機会を与えなかった」と書いてあります。これはもう、母さんに何が起こるんだろうと、次を読まずにいられないじゃないですか。そういった予告的な表現が次へページをめくらせる効果を出していると思います。また、季節の変わり目を表す描写がとても美しく、記憶に残りました。例えばp151「季節の女王は五月だというけれど、僕の考えは少し違う。難しいのは、冬が春に変わることだ。凍った土がとけ、芽が出て、枯れた枝に色とりどりの花が咲き始めること。本当に大変なのはそっちのほうだ。夏は、ただ春の動力をもらって前に何歩か進むだけで来るのだ」 こういった美しい描写が節目ごとに書かれていて時の流れを伝えてくれます。また、章のはじめの絵のバックの色が変わったのには3章くらいで気づき、おもしろいなと思いました。これは原書にはなくて日本の装丁者の工夫なのかな。センスがいいですね。

さららん:1カ所だけ疑問に思ったところがありました。p65で「こうしてぼくは十七になった」と書いてあったけれど、p82で、アーモンドは高校に入学していますよね。17歳で入学なのでしょうか?

ルパン:数え年だからじゃないですか? 12月にうまれたときが1歳で、年が明けてすぐに2歳になるから、満年齢と2歳の差ができるのでは。

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エーデルワイス(メール参加):文学的に質の高い作品。児童書ではなく一般書の棚にありました。村上春樹、カズオ・イシグロのような印象を受けます。好きな作品としか感想がかけないのですが、この作者を今後も読みたいと思いました。

サンザシ(メール参加):とてもおもしろく読みました。ユンジェとゴニはどちらも怪物と呼ばれる人間で、足りないものを持っています。その2人が対立し、理解しようとし、友だちになっていきます。リアルであると同時にエンタテイニングで、先へ先へと読ませる力があります。しいてテーマを示すとするなら、愛による変化・成長といったところだと思いますが、フィクションだからこそ書ける作品かもしれません。文学が持つ力をひしひしと感じることができました。訳もとてもいいと思います。

(2020年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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