日付 2021年07月20日(オンライン)
参加者 ネズミ、ハル、虎杖、ルパン、ハリネズミ、エーデルワイス、アンヌ、コアラ、しじみ71個分、さららん、カピパラ、ニャニャンガ、マリンゴ、雪割草、ヒトデ、まめじか、(鏡文字)
テーマ いろんな家族のかたち

読んだ本:

『スーパー・ノヴァ』表紙
『スーパー・ノヴァ』
原題:PLANET EARTH IS BLUE by Nicole Pnteleakos, 2019
ニコール・パンティルイーキス/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2020.11

<版元語録>ノヴァとブリジットの姉妹はスペースシャトル・チャレンジャーの打ち上げを心待ちにしていた。でも、その日を前にブリジットは姿を消した…。ひとりの少女の、小さくて大きな一歩を描いた物語。
岩瀬成子『おとうさんのかお』表紙
『おとうさんのかお』
岩瀬成子/作 いざわ直子/絵
佼成出版社
2020.09

<版元語録>父の単身赴任先を訪れた小3の利里は、口やかましい父に幻滅した。だが、新たに出会った友と「石の友だち」で遊ぶうちに素直な気持ちを取り戻す。利里が描く父の似顔絵も変化が生まれ…。不器用な父娘の愛情物語。


スーパー・ノヴァ

『スーパー・ノヴァ』表紙
『スーパー・ノヴァ』
原題:PLANET EARTH IS BLUE by Nicole Pnteleakos, 2019
ニコール・パンティルイーキス/著 千葉茂樹/訳
あすなろ書房
2020.11

<版元語録>ノヴァとブリジットの姉妹はスペースシャトル・チャレンジャーの打ち上げを心待ちにしていた。でも、その日を前にブリジットは姿を消した…。ひとりの少女の、小さくて大きな一歩を描いた物語。

まめじか:本当に好きな本です。いい本をいい訳で読める幸せを感じました。周囲からなかなか理解されない状況が、酸素がなくて息苦しく、静謐で孤独な宇宙空間に重ねられています。里親の家から脱出したい気持ちがチャレンジャー号の打ち上げにつなげられていたり、ノヴァが母親のもとから連れ出されるとき心の中でカウントダウンをしたり、そうした描写もうまいな、と。この本の大きな魅力の1つは、一貫してノヴァの視点で描かれていることです。感覚が鋭いノヴァが抱えている生きづらさ、妙を得たあだ名をつけるような聡明さも十分に伝わってきました。ブリジットがいない中で自分は楽しいと思っていいのか、新しい家族と幸せになっていいのか悩むなど、ノヴァが胸の内で感じていることには普遍性があり、多くの人が共感できるのでは。1か所、p77の「色のときとおなじことをするから」で、「色のとき」というのがなにを指しているのか、わかりませんでした。

虎杖:とてもおもしろく読みました。三人称とモノローグが交互に出てくる構成が、秀逸ですね。それにしても、これだけの知性の持ち主である主人公が、自分の思いを周囲に伝えられない悲しさと悔しさは、想像を絶すると思いました。帰ってこないブリジットと、宇宙船の打ち上げの日が刻々と迫るスリリングな展開も素晴らしい。チャレンジャー号のことは、アメリカの子どもたちはよく知っていると思うけれど、日本の読者はどんなふうに読んでいくのか、ぜひとも知りたいと思いました。表紙は、私は好きです。違う表紙だったら、本全体の印象がずいぶん違ってくるでしょうね。

ネズミ:とてもおもしろかったです。虎杖さんがおっしゃるように、三人称とモノローグを組み合わせた構成がみごとだと思いました。モノローグの部分が、実は落書きのようにしか見えない字で書かれているというのが途中でわかって、衝撃を受けました。ほかの人には見えない豊かな内面の見せ方がうまい。一方で、読者を選ぶというのか、ある程度読書慣れしている子どもでないと読みにくいかなという気もしました。表紙のかわいらしさにひかれて手にとるとギャップがありそう。アメリカの子どもにとっては、宇宙開発とかチャレンジャーなどに親近感を持つのかもしれませんが、日本の子どもだとそれほどでもないのかなというのもあって、間に立つ図書館員などがうまく手渡してほしいです。

さららん:冒頭からブリジットの不在を知らされて、なにか大変なことが起きているのがわかりましたが、ノヴァの里親のあたたかさが救いとなり、安心して読み進められました。チャレンジャーのカウントダウンへまっすぐに向かう現実の時間と、三人称の過去の描写、ノヴァの手紙を通して思い出を語る部分がうまく絡まりあっているのは、回想への入り方が巧みだからでしょう。ノヴァは「考える」子どもで、手紙には整理された文章が書かれています。けれども、ほかの人の目にはただの落書きにしか見えない、という状況はすごくおもしろいフィクションの作り方ですが、理解するには相当の読解力が必要です。p254~256はゴシック体なので、ブリジットへの手紙という前提ですが、実際には現実の緊迫する時間を書いているので、ここは普通の書体で地の文にしてもよかったのでは、と思いました。

雪割草:とてもいい作品だなと思いました。言葉によらないコミュニケーションの深みを感じることができました。「ムン」という言葉1つをとってもいろんな意味があり、この言葉の響きも気に入ってしまいました。ノヴァというキャラクターも、ユーモアがあり想像力もあり、親しみがもてました。それから作者のモチーフの使い方も上手だと思いました。宇宙への1歩と里親からの脱出、チェレンジャーの事故とブリジットの事故、それでも諦めない宇宙計画と生き続けるノヴァ。生還し、スーパー・ノヴァからノヴァとして生き続ける描き方も巧みだと思いました。少し気になった点としては、後半の展開が早く感じられ、前半とテンポに差があるかなというのと、原書のタイトルがデヴィット・ボウイの歌詞から引用していると思うのですが、‘planet earth is blue’の後に続く言葉の、人間の限界を示唆する含みが、タイトルを変えることで消えてしまわないかということです。答えは出ていないのですが考えています。

カピバラ:同じ訳者による『ピーティ』(ベン・マイケルセン作 鈴木出版)を思い出しました。脳性麻痺で重度の知的障碍と他者から思われている主人公の豊かな内面世界を描いた作品です。『スーパー・ノヴァ』も、ノヴァの一人称部分を読むことによって、自閉症といわれる人たちがどんな世界にいるのかについて理解を深められる本でした。言葉がわからないと思われて、簡単な言葉をゆっくり話しかけられたり、幼児向けの絵本を使われたりすることの辛さ。字が読めるし、書けるのに、理解されない辛さ。パニックを起こすことを、フランシーンは「メルトダウン」と表現していますが、どうしてそういう状態になるのか、ノヴァの一人称部分を読むとよくわかりました。父も母も亡くし、ついには最愛の姉まで亡くしたことが最後にわかるのはとても辛いですが、里親のビリーとフランシーンの愛情のこもった態度に救われます。特に娘のジョーニーは、今後ノヴァにとってブリジットの穴を埋めてくれる存在になるだろうという希望がもててホッとしました。またこの作品はやはり時代性が色濃く、チャレンジャーの打ち上げや、デビット・ボウイの歌や、ドクター・スースの絵本など、80年代の雰囲気が出ています。障碍者への理解やソーシャルワーカーの姿勢が、今から見るとずいぶん遅れているのもこの時代だからこそと思います。その点、今の日本の子どもたちには最初のうちピンとこないのではないかなと、ちょっと心配しました。タイトルと表紙の絵からイメージしていたのとは全く違う内容でした。

ニャニャンガ:自閉症の人たちのことが自然にわかる良本だと思います。ノヴァをいとおしく感じ、感情移入して読みました。里親家族がいい人たちで、本当によかったです。スペースシャトル・チャレンジャー号の発射のカウントダウンとともに、ブリジットがノヴァの前から姿を消した理由にたどりつくまでを、読者が予想しながら読み進めるのがつらいです。私はあまりにつらくて結末を先に読んでしまいました。子どもがどのように読むのか知りたいです。とくに好きな場面は、p240から241にかけての、ノヴァが自分から同じクラスのマーゴットの手をにぎる場面で、ノヴァがさらにいとおしくなりました。

マリンゴ: 障害をもつ子のお話は、何かができるようになっていく、あるいはできることを周りが気づいていくという物語が多いと思います。でも、この作品は真逆で、何かを失うことを自覚する場面がクライマックスになっています。そのため、とてもひりひりするけれど、引き込まれました。チャレンジャーの事故の当日、主人公が「姉ブリジットはもういない」と気づく、という構成なのだろうと予想はできます。でも、打ち上げまでのカウントダウン、という形でストーリーが進んでいくので、緊張感がありました。日本の小学生の場合、チャレンジャーのことを知らない子も多いですよね。そうすると、事故の描写のところで、え?と驚いて、史実を調べたりするのかな、と思いました。

コアラ:私は大泣きしました。p179の、ノヴァがブリジットのカードを胸に抱いてふるえるところとか、ノヴァは自分の感情を言葉にして出すことができないから、体にあらわれるんですよね。読んでいて本当に胸にせまってきて、ブリジットがいなくなってノヴァがどんなにつらいだろうと、涙が止まりませんでした。ノヴァがブリジットの十字架のところに行く場面のp286も、涙なしでは読めませんでした。この本を読み始めるときに、カバーの袖の部分を読んだのですが、「スペースシャトル・チャレンジャーの打ち上げを心待ちにしていた」とあって、私も皆さんと同じように、チャレンジャーの爆発事故のことを覚えていたので、この本のどこかで悲劇が起こる、ということが初めから分かっていた状態で、読んでいてずっと気持ちが重かったんです。それに、タイトルが「スーパー・ノヴァ」なので、この子が超新星のように爆発するんじゃないかと、本当に心配していたのですが、この子は生き延びて、いい家族にも巡り合ったので、それだけはホッとしました。チャレンジャーの事故を知らない今の子どもが読んだら、また別の読み方をするかもしれません。あとがきを読むと、著者はアスペルガー症候群かもしれないと診断されたということですが、ノヴァの圧倒的な存在感というかリアリティは、当事者としての感覚からくるのかもしれないと思いました。自閉症スペクトラム障碍のことを知る上でも、いろんな人に読んでもらいたいです。

ハル:この本の好きなところ、心に残ったところはたくさんありますが、ひとつは表現力です。ノヴァが初めてプラネタリウムを見たときの感動や、初めて想像の宇宙に飛び出した、その平穏な世界、安心感が、真正面から迫ってくる感じ。ノヴァの空想の宇宙の真ん中に自分がいるような、表現がサラウンドで迫ってくるような感覚がありました。これは、原文はもちろん、きっと翻訳の力もとても大きいのだと思います。そして、自閉症(だと思いますが)や障碍のある子のことをもっと知りたいと思わせてくれるところも良い点ですが、私にとっては、里親や養子について考えさせてくれたという点も大きかったです。p108のラスト、ノヴァが姉のブリジットから自分の名前の由来を聞いた場面ですが、「自分がスーパーなんだって知ってからは、もうあんまりこわいものはなかった」という一文が心に残りました。障碍のありなしもどんな家庭に生まれたかも関係なく、人生は何があるかわかりません。突然ひとりぼっちになるかもしれない。けれども、特に子どものころに、特定の誰かに守られ、愛されていた記憶、自分が誰かのスーパーだった記憶があるということは、きっと大きな助けになるんだと思いました。もちろん、施設に携わる方たちは精一杯に子どもたちを見守っているのだと思いますが、やはり、子どもには愛情のある家庭が必要なんだと思うようになりました。

ハリネズミ:著者が自分も広範で多様な感覚障碍と言われていたという体験に重ねて書いているせいか、リアルで、ノヴァに感情移入して読めました。日本でも、今は施設より里親を奨励するようになっていると聞いています。この物語に登場する里親のフランシーンとビリーは白人と黒人のカップルですが、そういう設定もいいですし、その娘のジョーニーもノヴァをあたたかく受け容れてくれる。真剣に理解しようとしてくれる人が少数いるだけでも、ノヴァのような子どもが強くなれるということを示しているのだと思いました。お姉さんのブリジットは、学校の成績もよく、ノヴァやお母さんの世話をし、まわりの偏見と闘い、しかも妹の分まで背負って里親との諍いや、里親への期待や、失望にもてあそばれてきた存在です。それなのに、ろくでなしのボーイフレンドにふらふらと休息の場所を求めてしまったのですが、それはそれでリアルなのかもしれません。先ほどチャレンジャー事故を知らない日本の子どもにとってどうなのか、という疑問も出ましたが、私は、知らなくても読めるのではないかと思います。ノヴァがいろいろな人からお姉さんは亡くなったと聞いても、どうしても現実のこととして向き合うことができない。でも、ノヴァもチャレンジャー事故によって「死」と直面し、人は死ぬ存在だということを受け容れられるようになっていくというストーリーなので、爆発事故をあらかじめ知らなくても、物語にはついていけるんじゃないでしょうか。また先ほどから出ていますが、ノヴァが、スーパーなんだと聞かされて育ったのは自信をもつうえで大きいと思います。でもスーパー・ノヴァだったら超新星爆発を起こして終わるのですが、最後のところで、自分はスーパー・ノヴァじゃなくてノヴァだ、というふうに思うところがあります。そう思って生きのびていくという点も、とてもいいと思いました。それと、チャレンジャーの事故で亡くなった教師の地元では、子どもたちもみんな学校のテレビでリアルタイムの実況を見ていたんだとわかって、子どもたちのショックの大きさが並大抵ではなかったのだと知りました。

アンヌ:この本を読む直前に、脳梗塞で失語症にかかった人の記事を週刊誌で読んでいたので、相手が言う言葉も自分で話したい言葉もわかっているのに、それを話せないノヴァのもどかしさやつらさが、いつ大人の自分にも起こるかもしれなという思いがしてドキドキしながら読みました。ブリジットへの手紙で、これまでの経過とブリジットがいない絶望感がわかっていきます。それでも、特別支援学級での友人や高校生のボランティアとのコミュニュケーションが少しずつ取れていき、最後には、里親にも文字が書けることにも気づいてもらえるようになる。よかったとホッとしたところで、チャレンジャー号の爆発事故が起こり、ブリジットの事故の記憶が同時に蘇るところは圧巻でした。それでも、爆発後も生き残る白色矮星ノヴァという終わり方は静かで詩的で、ノヴァという一人の人間の力を感じられて読み終えることができました。

ヒトデ:はじめは、どうしてデヴィッド・ボウイのこの曲を使ったのかわからなかったのですが、読み進めていくうちに、曲のもつ「よるべなさ」のようなものが、ノヴァの状況とリンクしてきて、物語を象徴する1曲として使われることに、説得力を感じました。物語の最後に光の見える、巧みな作品だと思いました。「チャレンジャー」のエピソードは、おとなの読者でしたら、知っている話ですが、子どもたちは、これをどう読んでいくのか、気になりました。描かれているモチーフが、どれも好きな作品でした。

エーデルワイス:はじめ、映画の「スーパーノヴァ」と同じ話かと思いましたが違いました。表紙の絵と内容がこれまた違いました。読み進めていくうち主人公のノヴァの気持ちがズンズン伝わってきて、息苦しくなりました。最近認知症本人の視点から描いた「ファーザー」を観ましたが、発達障碍をもつ本人から見た世界を描いたのだとすると、映画のシナリオのように読めばよいのかと思いました。ラストはデビッド・ボウイの歌で締めくくられたなら決定的。ノヴァを母親のように守り育てたお姉さんにとても惹かれます。

しじみ71個分:今日は奇しくもアポロの月面着陸の日でしたね。図書館関係でも、欧米では自閉症への意識が高いです。自閉症の子ども専用の図書館利用日を設けるなど、さまざまな自閉症の子たちと本を結ぶ活動をしています。イギリスの司書さんが東田直樹の『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部, 2007)を挙げて自閉症の人の内面がよくわかる本として紹介していたことも印象的でした。それくらい、自閉症の人たちの内面を言語化するのは非常に難しいことなのだろうと思います。それをものすごく丁寧に描きこんでいるところに惹かれました。話せないために重い知的障害があると思われている主人公の葛藤から、おはなし会で、特別支援学校関係者から、2歳くらいの知能だから赤ちゃん絵本を読んでください、と言われた事例を思い出し、ますます悩ましさが深まりました。外見と内面のギャップを周囲の人がどう理解するのか・・・。とても素晴らしい視点を与えてくれた本でした。1つ気になったのは、こういった自閉症やアスペルガー、ディスレクシアなど障碍のある子どもを主人公とする物語の傾向として、外見からは分かりにくかったり、コミュニケーションが取れなかったりするけれど、みんないつも内面が賢くて、理解のある大人の助けを得てさまざまな問題を乗り越えていくというパターンが多いことです。自閉症の場合、重度の知的障碍がある場合ももちろんあると思うし、実際はいろんな子たちがいると思うので、そこはちょっと気になるところです。スーパー・ノヴァについては、ネットの辞書で、大質量の恒星が一生の最後に一気に収縮して大爆発を起こす場合と、主星が伴星から移ってきったガスの重さに耐え切れずに大爆発を起こす場合があると書かれていましたが、ノヴァが影のようにいつも一緒で、頑張り続けたブリジットがはじけてしまい、結果事故死するというストーリーなので、スーパー・ノヴァはブリジット、ノヴァは生き続けるノヴァを象徴しているのかなと思いました。また、ちょっといい加減な引用ですが、スーパー・ノヴァは、爆発した後に水素より重い元素を放出して、それが新しい星の元になるというようなネットの説明もあり、ブリジットの事故がきっかけで、ノヴァが里親と出会い、新しい家族が始まるという結末もスーパー・ノヴァはブリジットを象徴しているようです。通奏低音になっているデヴィッド・ボウイのSpace Oddityの歌詞も不穏じゃないですか。これもブリジットを象徴しているのかなぁとか思ったり。いろいろ考えさせられる要素の多い本でした。

ハリネズミ:ノヴァのお母さんはどうなっているんでしたっけ? 亡くなっているのかもしれないし、施設に入っているのかもしれない。書いてないので、子どもの読者は気になるんじゃないでしょうか。

まめじか:施設にいたら「いたむ」という言葉は使わないから、亡くなっているんじゃないかな。

ハル:私は、お母さんは亡くなっていると思っていました。p85の最後から始まる場面で、ブリジットは里親から「養子にならないか」と言われることを期待しています。もしお母さんが生きていたら、里親と「ほんものの家族」になりたいとは思わなそうですし、アメリカの法律はわかりませんが、お母さんが2人を手放さないんじゃないかなと思います。

ハリネズミ:ああ、たしかに。なるほど。

ニャニャンガ:ところで、この作品は謝辞が長いですが、基本的にすべて訳さないといけないのでしょうか? 大量の個人名は、日本の読者に必要な情報なのかなと思うことがあります。今、訳している作品も謝辞に人名が多いので伺いたくなりました。

ハリネズミ:本によって違うと思います。省いてもいいと著者や原著出版社が言う場合もあるし、契約によってはすべて載せなければいけない場合もあります。

ルパン(遅れて参加):ブリジットがかわいそうでなりませんでした。ノヴァのよき理解者で、優しい心の持ち主なのに。生まれてきた親によって人生がこんなに大きく変わってしまうなんて。ノヴァにはブリジットの分も幸せになってもらいたいです。ブリジットもいっしょにビリーとフランシーンの子どもになれたらよかったのに。「ときには、約束をまもれないこともある」「ときには、宇宙飛行士も星に手がとどかないこともある」ということばに涙が出ました。子どもがみな幸せに過ごせる世界にしていかないと、と思いました。

(2021年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)


おとうさんのかお

岩瀬成子『おとうさんのかお』表紙
『おとうさんのかお』
岩瀬成子/作 いざわ直子/絵
佼成出版社
2020.09

<版元語録>父の単身赴任先を訪れた小3の利里は、口やかましい父に幻滅した。だが、新たに出会った友と「石の友だち」で遊ぶうちに素直な気持ちを取り戻す。利里が描く父の似顔絵も変化が生まれ…。不器用な父娘の愛情物語。

マリンゴ: 自分の子どもの頃の記憶が引っ張り出されるような作品でした。小さいことの連続なのですが、環境になじめなかったり、期待して裏切られた気になったり、想像をふくらませて変なことやったり、年の近い子と、いわゆる仲良しこよしじゃないけれど、独特の関係を持ったり、そんなことを思い出させてくれるような、生活感のある物語だと思いました。小学生の子が「あのねあのね」と言ってきて、その話を聞いているような感覚ですね。ストーリーはじきに忘れてしまうだろうけれど、また読み返したくなる気がしています。

ニャニャンガ:ほんものの小学3年生の子どもが書いた作文のように感じながら読みました。主人公の利里の視点で描かれているので、そのまま受け止めようと思ったものの、雪ちゃんの友だちが石で、その石に書いたのがマジックではなく絵の具でなければならない理由を知りたかったです。また、母子家庭という設定から背景を考えていたのですが、よい友だちとして終わったので、勘ぐりすぎでした。余談ですが、娘(成人です)に概要を伝えて主人公の年齢を聞いたところ小学3年生と答えたので、中学年のありようを的確にとらえる作者はすごいと思いました。

カピバラ:小3から小4くらいの女子を主人公にしているのがこのところあまりなかったのでそこがまずおもしろかったです。この年代の女子は、自分で結構いろんなことを考える力があるし、大人の言動に敏感なところがありますよね。お父さんは、突然やってきた娘を楽しませようと、無理して仕事を調整して、アスレチック公園や花見に連れていこうとしたり、本を買ってくれたりするけれど、利里はお父さんの思い通りには楽しめないんですね。それどころかお父さんときたら、留守中に部屋を片づけてあげたのに気づかないし、「本はね、さいごまで読まなきゃだめだよ。集中力と根気をやしなうことはだいじだよ」(p44)とか、「おいおい、きょうだいなかよくしなきゃだめだよ」(p44)、「花を見たらきれいだなあって思える心がそだってくれればなって、おとうさんは思うんだよ」(p67)とか、つまらないことしか言わず、利理の気持ちとは随分ずれているのが、よくありそうな感じで、おもしろいと思いました。公園で偶然出会った雪は石に顔を書いて友だちにしている変わった子ですが、利里とはすぐに仲良くなります。随分大人っぽい考え方もするのに、石の人形が本当に生きているみたいに感じて夢中で遊ぶところは、とても子どもらしい。小3でも、まだごっこ遊びを真剣にやったりするので、そういったギャップもよく描けています。ナイーブで傷つきやすいところもあるけれど、ちょっとしたことで気分が変わり、楽しく過ごすこともできる、そんな年頃の主人公が生き生きと感じられました。特に大きな出来事もないし、結末らしい結末もないのですが、日常の細かいところを淡々と描いて共感を得るタイプの作品で、岩瀬さんらしい世界観だと思いました。

雪割草:お父さんが前半うるさくて主人公の気持ちに共感でき、お父さんの描き方がある意味上手だと思いました。お父さんの睨んだような顔を描き直しておどけた感じにすると、お父さんが後半良いところもある感じがしてきて、切り返しがうまいなとも思いました。こういうちょっとしたことが日常に影響を与えたり、自分が変わることで何かできたりすることはあるのだろうなと改めて思いました。

さららん:利里の気持ちになりきって読み終えました。すこーしいろんなことがわかってきて、大人のイヤなところが気になる子どもの目線から見えるお父さんを、実に的確に描いています。たとえば単身赴任の自分の家に泊まりにきた利里に、お父さんこう言います。「・・・会社を休まなきゃいけなくなっただろ。それは会社のほかの人にめいわくをかけることにもなるんだよ。そういうことも、だんだんわかるようにならなきゃだめだ」(p46-47)。利里が泊まることを許した時点で、お父さんは腹をくくらなきゃいけないのに・・・子どもへの甘えを感じます。「利里はこうならなくちゃだめだ」と言える親の立場を使って、子どもに理解を強要しているようです。そんなおかしなことをしている大人に、利里は「しーらない」といえる子で、ほんとによかった。利里は正しい、と思いました。大人って変だな、と思いはじめた利里と同じ世代の読者は、うんうん!と思うでしょう。大人と子どもが少し視点を変えあうことで、お互いが違って見える。そんなテーマと、雪ちゃんという友だちの存在もしっかり結びついています。子育てに関して近視眼的だったお父さんが、かつて自分の言った言葉を、利里の口から聞くことで、自分が何を考えていたかふたたび気づかされる、という結末も、大人と子どもの関係の相互性がくっきり浮かび上がっていて、いいなと思いました。

ネズミ:おもしろかったです。子どものころ私は、日本の児童文学を読むと、「うそ」「こんな楽しいことばかりのわけがない」と思うことが多かったのですが、この作品ならリアルに感じただろうと思います。カバー袖に、(お父さんが)「やたらと口うるさくて、うんざりしてくる」と書いているのですが、本文で利里は、肩に手をのせられたとき「わたしはその手をはらいのけました」「ふーんだ、とわたしは思いました」「あーあ、と思いました」などと言うだけで、「うんざり」とは言っていないんですね。あいまいなまま描いてあるのを、こんなふうにまとめるのはどうかなと思いました。何もかもいいことばかりじゃないけれど家族は家族でいいこともある、と自然に思わせてくれる作品で、いいなあと思いました。

虎杖:岩瀬さんの作品はとても好きなのですが、描くのに難しい年頃の子どもたちのことを、こんなふうに生き生きと、リアルに描けるなんてすばらしいと思いました。単にあたたかいとか、ほのぼのとした物語というのではなく、岩瀬さんの作品には、なんというか頭の上がすうすうしているような寂しさというか、奥深いものを感じています。特に利里ちゃんと雪ちゃんが公園で初めて出会うときの会話がいいですね。子どもっぽいところが十分に残っているのに、自分ではまったくそう思っていない年頃の理屈とか感情がよく描かれていると思いました。雪ちゃんが石ころを集めて、友だちにしているっていうのも。子どもに石ころは付き物って、私は思っているんだけど! お父さんについては、私はそれほど嫌な感じは持ちませんでした。いいお父さんになりたくって、悪戦苦闘しているっていうか、じたばたしているっていうか。最後に、自分が言ったのに忘れていた言葉を娘に言われて、ふたりの気持ちが通じ合う場面もいいですね。「子どもは大人の父である」という、ワーズワースの詩を思いだしました。

まめじか:親という存在を1歩離れたところでとらえはじめるのが、10歳くらいなのではないかと思います。そうしたことを考えると、父親の絵をなかなかうまく描けず、その後部屋に貼った絵がにらんでいるように感じるのは象徴的だと思いました。この本の主人公は父親と離れて暮らしていることもあり、なんとなくお互いぎこちなくなってしまっているのですが、そんな2人があらためて関係を結びなおす過程がたくみに描かれています。利里が部屋を掃除したことには気づかないくせに、「利里にはよく気がつく人になってもらいたい」と言ったり、かわいらしい絵本を押しつけてきたりする父親には、大人の身勝手さがよく表れています。この子は昔、自転車の練習中に「遠くを見ろ」とお父さんから言われたことをふと思い出します。そんなふうに、大人が子どもを支えるようなことを何気なく言って、それがずっと子どもの頭の片隅に残っているのもリアリティがあると思いました。石に顔を描くのはユニークでいいですねえ。石の友だちをつくるのも、父親の絵を描くのも、自分が感じたこと、考えたことを大切にすることでは。そして利里はその価値を知っていくのですよね。

アンヌ:内容紹介に「不器用な父と娘の愛情物語」と書いてあったんですが、どうも父親の勝手な思い入れとか押し付けとかが気になってしまいました。お兄ちゃんが好きそうなアスレチックに連れて行こうとしたり、女の子はこういうものと思い込んでいるような本を買ったり、洗濯物を入れるくらい気を利かしてほしいと言ったり、一緒に暮らしているのに娘のことを全然見ていない。あげくに、桜の花の美しさのわかる人間になれとか。ここまで書かれると最後の「どこまでも考えつづける」とかの長いセリフを素直に受け取ることはできなくなってしまいます。主人公の利里の話はおもしろいのになあと残念に思いました。

ハリネズミ:岩瀬さんの本はどれも好きで、日本からの今の国際アンデルセン賞候補にもなっておいでなのですが、この本、外国語に翻訳するの、きっと難しいですね。この子の心情にぴったり寄り添って訳していくのには、相当な腕前が必要かと思います。それに、物語の焦点がどこにあるのかも、わかりにくいし。岩瀬さんの作品は1+1=2といった式からはずれたりこぼれたりする繊細な部分がおもしろいと思うので。お父さんと娘の利里ちゃんの間には気持ちの行き違いがあって、それが徐々にほどけていく様子が描かれています。昔、自転車の乗り方を教えてくれたときのお父さんの言葉が、ほどけていくきっかけになるんですけど、「目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ」とか、「利里、遠くまで行くんだよ」「おとうさんも、遠くまで行きたいと思うよ」なんていう言葉ですね。利里がそれを思い出し、お父さんもその時の気持ちを思い出して、ああ、忘れてたなあと思ってそこから関係が変わっていく。ここは、うまいと思ったし、いいなあと思いました。ただ、p92あたりで、お父さんが道徳の教科書のようなことを言っているのは、どうなんでしょうか? 教育ママらしい母親をもつ雪ちゃんは、将来何になりたいかと聞かれて、「郵便局強盗」と言います。雪ちゃんが石をイマジナリーフレンドにして遊んでいるのも、即物的な世界を押しつけてくる母親に無意識のうちに抵抗しているのかもしれないですね。それと、オビに「近づきすぎると見えなくなる」って書いてあるんですけど、これはいいんでしょうか? 本質をとりこぼして的を射てないような気がしますが。あと、表紙ももう少しなんとかならなかったでしょうか?

ハル:お父さんの長台詞は、もしかしたらお父さんが、ここでもズレてる、ってことを表しているのかなと思いました(笑)。素直に読むべきか、おもしろがってしまっていいのか、ちょっと迷います。

まめじか:やっぱりちょっと口うるさくて、言うことが教訓くさい。急に変わらないところもリアルだなと。

ハル:はじめて岩瀬成子さんの作品を読んだときは、好きだなぁと思いながら、でも、読者は子どもじゃなくて、児童文学が好きな大人かな? なんて思っていました。もしその時の私がこの本のオビ文を書いたら、こういう感じになっていたと思います。でも、岩瀬さんの作品は、読めば読むほど、主人公と同じ年齢くらいの小さい人たちにこそ、ぜひ読んでほしいと思うようになりました。今回の『おとうさんのかお』も、わかるー!!! というくらい、思い出の中の自分との共感が半端ないです。作者はどうしてこんなに鮮明に覚えているの⁉ と驚いてしまうくらいです。このお父さんと利里のすれ違い、お父さんにそんなこと言ってほしいんじゃないんだよな、とか、そうじゃないんだけどなっていらいらする気持ちが、私もそうだった‼ と、ほんとはそんな経験なんてなかったとしても錯覚してしまうほどリアルに響きます。お父さんと娘なんて、もうまったくすれ違っているようなんだけど、ラストで、お父さんは自分が過去に娘に言った言葉に、自分ではげまされて、ふっと肩の力がぬける。娘もお父さんの言葉やそのときの思い出にふっと心がやわらぐ。とてもいいラストですね。何が大きく変わるわけではないけれど、家族ってこんなふうに近づいたり離れたりしながら、子どもも大人も成長していくんだなぁと思いました。

コアラ:お父さんと利里の会話が、大人と子どもの立場を本当によく表しているなあと、どちらの気持ちもよく分かって、おもしろかったです。皆さんもおっしゃっていましたが、p42からの「しーらない」の章は、お父さんは大人の立場でものを言っているし、利里は子どもの立場で考えていて、それがよく表れていました。私が特に好きだったのは、p46の利里の「おにいちゃんがわるいの」というセリブでした。私には姉がいて、よく「おねえちゃんががわるいの」と言っていたので、利里にすごく共感しました。あと、p90あたりもいいなと思った場面です。子どもは、親の言ったことを後々までよく覚えていて、親にそれを伝えることで、親も昔の自分を思い出すことができる。そういうのっていいなと思いました。ただ、この本で一番気になったのは、カギカッコが字下げになっていないことです。字下げされていない、ということでは統一されているんですが、たとえば、p9の1行アキの後の、「木にのぼっちゃいけないのよ」とか「ほら、ここに書いてあるでしょ」というところのカギカッコが字下げされていなくて、とても違和感がありました。字下げしていないのはどうしてなのかなと気になりました。

ルパン:私はこの本は、あんまり印象に残らなかったんです。岩瀬成子さんに期待しすぎたのかもしれないし、大人目線で読んでしまったからかもしれません。はじめ、雪ちゃんがリアルじゃないって思っていました。おばけか宇宙人か何か異世界の子だって。ふつうに隣の子でしたね。私も石ではないけれど何かに名まえつけてかわいがってたり、心の中で自転車とかと話したりしていましたが、そのことを人には言わなかったなあ。雪ちゃんと利里は初対面の日からうまく共有できてよかったな、と思いました。

しじみ71個分:読み終わって、本当に「岩瀬さんになりたい!」って思いました。この家族の中には、誰も変わった人がいなくて、お父さんが単身赴任しているっていう事情だけで、どうしてこんな物語を書けるんだろうって、もう本当に衝撃です。お父さんが単身赴任で離れて暮らしていることから、お父さんとほかの家族との間にちょっとしたずれが生じたり、かみあわなくなったりする。子どもの期待と現実のずれが生じてしまうのだけれど、同時に、自転車の練習のエピソードを思い出して「遠くを見る」ことについて語りあったり、ちょっとした宝物のような瞬間も見つけたり。だけど、きっとそれもまた、日常に埋もれたり、見えなくなったりするのだろう、という家族の間の機微が、子どもの気持ちに立って、子どもの視点から非常にリアルに書けているのがすごいです。3月のJBBYの講演のときに「子どものときのことをおぼえている」って岩瀬さんがおっしゃっていたのが印象的でしたが、それがこんな表現になるんだなぁと改めて思い知ったというか、衝撃的でした。最後の最後で「おとうさんのところに行ってよかったなと思いました」なんて、本当に絵日記の終わりみたいにサクッと落としちゃうんだというのも「ヤラレタ!」という感じでした。本当におもしろかったです。

エーデルワイス:単身赴任中の普通のお父さんと娘の一コマ。大きな事件はないけれどその時々で思うこと、モヤモヤを描いているようです。幼い子どもでも普段から家族以外の誰かに心のうちを話せたらいいと思います。私の文庫に1年生から来ている女の子がいて、よくいろんなことを話していましたが4年生なってあまり話さなくなりました。いろいろな日常があって、思うことを話して、そして少しずつ大人になっていくのかな・・・と思いました。

ヒトデ:子どもの心情の描き方の巧みさが、さすが岩瀬さん、というべき作品でした。子どものころに感じたいろいろな心情、おとなになるにつれて忘れてしまうあれこれを、思い出してしまうような、そんな作品でした。お父さんが、どうしても好きになれないキャラクターだったので、最後の「自転車のエピソード」で、いい感じにまとめなくてもいいのにな・・・という気がしました。表紙は、これがベストだったのかは、やや疑問です。

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鏡文字(メール参加):岩瀬さんの作品を読んでいつもすごいなと思うのは、語りの目の位置です。作家というのはおおむね大人なので、どうしても目の位置が上にある状態で書いていると感じる(善し悪しではなく)のですが、岩瀬さんは子どもとフラットだな、と感じることが多いです。この作品もそうで、なかなかこういうふうには書けないと思います。それはキャラ設定(こういう言い方が岩瀬作品には馴染まないのですが)でもそうで、利里のある意味利己的な感じがおもしろかったです。少しの変化は描かれているのですが、家族との間でも疎通が深まったりしているわけでもないところがリアルでした。私の感覚としては、もうすぐ4年生という年齢の割に、少女たちは幼く感じました。(おまけ)挿絵で見る利里の絵は初めからうまいなあと思いました(画家さんが描いているからある意味当たり前ですが…)

(2021年07月の「子どもの本で言いたい放題」より)