青いつばさ

『青いつばさ』表紙
『青いつばさ』
原題:DE BLAUWE VLEUGELS by Jef Aerts, 2018
シェフ・アールツ/作 長山さき/訳
徳間書店
2021.09

〈版元語録〉ジョシュはいつも、まるで子どものような兄の面倒をみているが…?  家族の深い絆を描いた物語。オランダ・銀の石筆賞受賞。

ヤドカリ:映画でも本でも「ロードムービー的」なお話に弱いので、熱中して読みました。兄弟が移動していくなかで、主人公が考え、いろいろなことに気づいていくという構成が、よくできているなと思いました。最後のママの決断については、驚くと同時に、これでいいのかしら、とも思いましたが、この物語のなかでは、説得力のある終わり方だったように思います。物語をとおして「翼」や「飛翔」というモチーフが、効果的に使われていたことが印象的でした。読めてよかったです。

ルパン:おもしろくて一気に読んだのですが、気になるところが多すぎて入りこめない部分もありました。まず、ヤードランのことがそんなによくわかっているなら、翼をつけて一緒に高いところに登ったら危ない(そもそも登ること自体が危ないし)でしょうし、10メートルの高さから落とされて骨折だけですむというのもちょっとリアリティがない。奇跡的にそういうことがあったとしても、ギプスをつけて座った姿勢で長時間トラクターに乗って長旅をするなんて考えられない。私も足にギプスをつけたことがあるけれど、ずっと下におろしていたら鬱血してしまうので、読みながら気が気じゃなかったです。こんな大事件があったのに、弟の体よりもツルを野生に帰すことのほうを優先しているヤードラン、そのヤードランを愛情をもって受け入れてくれる施設があるのにまだ家庭においておく決断・・・あまりにもヤードラン・ファーストな気がして、ジョシュのこれからの人生はどうなるのかな、母親はどう考えているのかな、と思ってしまいました。

さららん:2回読み返してみました。作者はベルギーの人で、舞台もベルギーかオランダ、そのあたりか。スウェーデンやフランスにもツルを見にいったと「作者より」に書いてありますので、いろんな土地の要素が混じっているのかもしれません。ともあれジョシュとヤードランのロードムービーとして移り変わる景色が見え、どんどん読み進められました。ジョシュは障碍のあるヤードランを決して嫌わず、自分が守ってあげなくちゃと思い続けている。すごい愛の物語だと思います。11歳というジョシュの年齢の設定(思春期に入る直前?)も巧みですね。兄弟が暮らすのは、障碍のある子をそのまま受け入れる学校や社会があるところ、インクルーシブ教育の進んだ国という印象を受け、ツルの子どもを連れて2人が旅に出る、という設定はもちろん、ジョシュの心の動き、ヤードランの障碍の在り方も含めて、この物語は日本では絶対に書けないものを書いている、と思いました。ヤードランの通う施設の指導員ミカ、ママの再婚相手のムラットやヤスミンも温かい人たちなのですが、ヤードランは「兄弟はいっしょにいなきゃダメなんだ!」(p102)という考えに縛られています。思いこみに加えて、ヤードランはいろんな人の言葉を口移しのように話すタイプで、例えば「ごめんね、ごめんね、ごめんね」と何度も子どもっぽく謝ったあと、「……だぜ」という男っぽい口調になります。昔、パパとママがお芝居で歌っていた歌も丸ごと覚えています。荒っぽいようで、実は繊細なヤードランが初めて見えてきました。ミカの語調が少し変わっていて、最初は男っぽいように感じたのですが、あとで、女らしい口調になっています(p73「みんなに提案があるの」など)。この人物の造形はあえてトランスジェンダー的にしているかな、と思いましたが、どうでしょう?

しじみ71個分:私はとてもおもしろく読みました。弟が兄のケアをするという設定は、韓国ドラマにもあります。お母さんに兄の面倒を見るように言われて、滅私奉公のように世話をするというのは、洋の東西を問わずテーマに取りあげられているのですね。物語の中に流れている感情が本当にやさしくて、いい話だなぁ、と思いました。弟のジョシュが兄のヤードランのことを本当に好きで、いやがりもせず、兄の性質を理解して献身的に世話をしますが、その兄のせいで大怪我をしてしまうというのはつらい。でも、愛情の裏付けがそこにあるので、つらくなく読めました。寝るときに落ちつけるように、息を合わせていく遊びを「呼吸の橋」と呼ぶのもとてもすてきだと思いました。離婚したお父さんがロシア人、お母さんの恋人がトルコ系ベルギー人などなど、家族関係が複雑だったり、国籍や人種の違う人がさまざま登場したりするのがごく自然にあたりまえのように描かれているのは、大変にヨーロッパっぽいなと思った点です。また、私もミカは最初男の人かと思い、ヤードランはゲイの要素も持っているのかなと勘違いもしたのですが、支援施設で働くしっかりした女性で、オオカミの入れ墨を入れているなんていうのもかっこよく、魅力的です。2人の南への冒険を黙って見守りながらついてくるところも、信頼がないとできないことだと思うのですが、ヨーロッパ式のなんというか、個を大事にする視点を感じました。日本だったらすぐ通報されて、連れもどされてしまうだろうなぁ。また、支援施設の名前が「空間」という名前なのも象徴的で、オープンな感じを与えるのもいいなと思いました。そういう文化的な背景の違うところをたくさん感じた物語です。2人は、ツルの子のスプリートを群れに戻すためにあてもなく南に向かいます。ゲーテの詩「ミニヨンの歌」に「君よ知るや南の国」と歌われるのはイタリアですが、この物語の中ではスペインですね。南というのは、ヨーロッパ北部の人にとっては、暖かくて豊かで幸せのあるところみたいな、特別な意味があるのですね。

コアラ:カバーの絵が、なんとなく昔の物語風に思えました。トラクターの絵というのがよくわからなくて、1920年代の車のように見えてしまいました。それで、読みはじめてみると、スマホが出てきて現代の話だったので、びっくりしました。さらさらっと読んでしまって、訳者あとがきのp226の「〈南〉は(磁石の南のことではなく)、いま自分がいる場所よりもっとよいどこかのことです」というところが、いちばん印象に残りました。そういう意味合いがあったんだなと。物語の中では、美しい場面はいろいろあったと思うのですが、ツルの子が糞まみれになる、という場面が強烈で、あまりきれいな印象をもてずに読み終わってしまいました。とにかく、最後に家族でまた暮らすことになってよかったと思いました。それから、私もミカが男性か女性かあやふやに感じました。フィンランドには、「ミカ」という男性がいますよね。登場した最初のほうでは、ミカ先生が男性だと思ってしまいました。

コマドリ:圧倒的な兄弟愛というか、どんなことがあろうともお互いのことが大好き、という気持ちが貫かれているのがよかったと思います。『拝啓パンクスノットデッドさま』(石川宏千花著 くもん出版)のほうも、兄弟がそういう絆で結ばれているので、共通しているところがあり、今回一緒に読めてよかったです。ツルがトラクターの後ろから飛んでくるシーンは映像を見ているようで好きでした。タイトルの「青いつばさ」が象徴的に使われており、ツルの翼と、お母さんの舞台衣装の青い翼が、どちらもヤードランにとっては大きな意味を持っています。またヤスミンが、壊れた翼を縫い合わせて再生させるのも、象徴的な感じがしました。表紙の絵は、たしかに古めかしい感じがしますね。兄弟の顔がリアルに描かれていますが、自分の想像とは違っていたので、ここまでリアルな顔ではないほうがいいように思いました。

雪割草:人への作者のあたたかなまなざしが感じられる作品で、ぐいぐい読ませる語りでした。母親がジョシュに甘えすぎかなと感じたのと、障碍をもった兄とその弟であるからかもしれませんが、兄弟の絆の強さに驚きました。ヤードランが、自分のせいで家族と離れ離れになってしまったツルのスプリートを、家族の元に連れていこうと躍起になるのが、父と母の離婚も自分のせいだと心の傷として負っていたからだったのだということが後半でわかり、胸に迫ってくるものがありました。気になった点としては、装丁がひと昔前のようで、伝えたいポイントがわからなかった(トラクターの絵は必要でしょうか?)のと、「大男」や「チビ」という訳語もイメージに合ってない気がして、古く感じられたのが残念でした。

花散里:障碍を持った兄とその弟という関係ですね。ヤングケアラーが今、いろいろととりあげられていますが、障碍をもつ兄弟がいるとき、親に何かあったときには兄弟に負担がかかっていくので、社会が保障していかなければならないということが言われています。そのあたりのことを考えさせられました。兄のことを「大男」という言い方は気になりました。母親と暮らすことになる新しい男性とその娘である女の子を受けいれて新しい家族を作っていくという感覚も新鮮で、こういう新しいスタイルの家族というのが児童文学の中でも描かれていくのかと感じました。

ネズミ:おもしろく読みました。障碍のある兄弟をもつ子どもの視点から描かれている作品は多くないと思い、いろいろ考えさせられました。お母さんは、『背景パンクノットデッドさま』の母親と対照的で、どこまでも子どものことを思っていて、それでも見えていないこともある。10メートル上から落ちて足を折るだけですむとか、トラクターで公道を走るとか、外国の話だからそれもありかと思って、このテーマに目を向けることができる気がしました。この物語では、最後にヤードランは施設に行かず、家で暮らすことになるわけですが、私は、それが最良だと作者が言おうとしているのではなく、人にも条件にもよる難しい選択を当事者が迫られることを示唆し、読者に問題を投げかけているように思いました。

まめじか:ヤスミンは、兄弟が築いてきた親密な世界に入っていけないさびしさを感じていたと思います。そんなヤスが、ヤードランが壊した青い翼を直し、鉄塔の上にいるヤードランのもとに、はしご車に乗って届ける。あざやかなイメージが強く心に残りました。それまでジョシュがヤードランの世話をしていたのが、ジョシュが怪我をしたり、また2人で旅に出たりしたことで、ヤードランがジョシュの世話をするのも印象的です。p140でジョシュは、車椅子が置きっぱなしになっているのに、だれも心配して見にこないなんておかしいと感じるのですが、そんなふうに思える社会っていいなあと。ムラットとヤスミンはトルコ系だと後書きにありますが、本文には書いてないですよね。もし作者に確認してわかったことなら、それも後書きで説明したほうがいいのでは?

しじみ71個分:私は、ムラットという名前と、ヤスミンについて、p53に「黒い髪の毛と眉毛」とあったので、金髪碧眼ではないからアラブ系の人かなと思って読んでいました。

オカリナ:原書を読む子どもにとっては、名前でどういう人かのイメージがわくのだと思います。私はアラブ系の人かと思いましたが、日本の子どもの読者はわからないので、トルコ系の人だと後書きで書いてあるのはいいな、と思いました。異文化を背負っている人だということがわかれば多様な人たちの家族というイメージを、日本の子どもも持てるので。

まめじか:「大男」という呼びかけや、「空間」という場所の名前は、日本語で読むと、ちょっとぴんときませんでした。

ハル:私は、読んでいてとっても苦しかったです。障碍のある人の自立をどう考えるかという問題については、当事者でないとわからないことも多いでしょうし、口を出すのは気が引けるような思いもどうしてもあるのですが、それでも、「兄弟や家族は絶対に離れてはいけない」なんて、特に本人の強い希望として言われたら、とても苦しくなる人も、少なからずいるのではないかと思います。施設で、家族以外の人とも暮らせるようになることも、自立のひとつだと思いますし、施設で暮らすギヨムたちの家族に愛がなかったとも思いたくありません。ほとんど死人が出てもおかしくない状況ですし、2人に連れまわされたツルの子・スプリートが下痢をしてしまうのもいやでした。お母さんが「ヤードランのことはジョシュが見ていなきゃだめじゃない」といった態度なのもいやでした。ただ3か所、家族に愛があるところ、特に「呼吸の橋」はいいなと思いましたし、p65でムバサ先生がジョシュに「あなたのお兄さんはとても特別な人だけど、あなただってそうなんだからね」と言ったところ、p210でジョシュが「脚が治ったら、たとえヤードランがどんなにうらやましがっても、潜水クラブに通うことにしよう」と心に誓うところ、その3点だけが救いでした。

アンヌ:私も、ミカが、名前だけでは男性か女性かわかりませんでした。でも、ヤスミンがスカーフをかぶっている場面で、今の時代の女の子でスカーフをしているのはイスラム系なんだろうと気がついて。こんなふうに推理しながら読むところも、海外小説のおもしろさだと思います。実は、野生のツルが頭上で飛んでいるのを見て、なんて大きいのだろうと驚いたことがあるので、ギプスの足の上に雛とはいえ、ツルを抱いての道中は大変だろうなと思いました。いちばん驚いたのは、ママの決断です。それでも、ヤードランがママと2人でミュージカルを演じる箇所を読むと、ヤードランには、施設に入って農業をする以外の道や能力が、まだいろいろあるのかもしれない。それを見つけるためにも施設ではなく、家族で暮らすという道も必要なのだろうなと思いました。

マリンゴ: ツルの子どもが登場して、途中からその子を群れに返そうとするロードムービーになることもあって、非常に視覚的で美しい作品でした。障碍をもつ家族が登場する他の多くの本と違うのは、どれだけ愛情があっても、手に負えないほど体が大きくなり力も強くなってしまったとき、リスクが伴う、ということを描いている点だと思います。その解決法は難しくて、外部の専門的な団体に委ねるのが最もいいと思われますが、主人公ジョシュは違う選択をします。ハッピーエンドのように見えるけれど、ハッピーエンドではない。これからどうなるのか、続編を読みたくなる物語でした。特に胸に残った言葉は、p187の「自分の気持ちを話すのは、脱皮するようなものよ」です。一つ気になったのは、ツルの描写です。途中、ツルが車に乗ったり降りたりするシーンで、描写がなくて、今、ツルはどこで何をしているのか、と気になる部分が何か所かありました。もう少し描写が加えてあるとなおよかったかもしれません。

オカリナ:ハードな内容ですが、ツルの子スプリートがそれを和らげているし、トラクターに乗って南を目指すのが冒険物語になっていて、おもしろく読みました。ジョシュとヤードランとお母さんという一つの家族と、ムラッドとヤスミンというもう一つの家族が一つにまとまろうとしている、もともと誰もが不安定になっている時期に、ヤードランが青年期になって力も強くなり意図しなくても暴力の加害者になりうるようになって、さらに不安定になっているという設定です。なので、最後にみんなが一つの家族になっていこうという方向性で安定感を出しているのは、作品としては納得がいく結末なのだと思います。ただ、現実を考えると、ヤードランをどうすれば家族が幸せになるのか、というのは難しい問題だと思います。障碍を持っている子どものきょうだいというのは、丘修三さんの『ぼくのお姉さん』(偕成社)をはじめいろいろな作品で書かれていますが、たいていは世話係や我慢をさせられている方がどこかで切れて、障碍を持っている子にひどいことを言ったりしたりする。そこを乗り越えて次の段階にいくという姿を描いています。でも、この作品では、p143に、ジョシュがスケートボードをしている中学生を見て「一瞬、ぼくはいっしょにやりたくなった。ヤードランのめんどうばかりみるのではなく、自分と同じようなふつうの男の子たちと、ふつうのことをしてみた……」と出てくるだけ。これって不自然じゃないか、と思ってしまいました。それと、障碍を持っている者は、愛情をもった家族が世話をするのがいちばん、という間違った印象を子どもの読者にあたえるのではないかという危惧も感じました。
細かいところでは、p187に「ヤードランにひどいことをしようとしていたママに、ぼくは猛烈に怒っている」とあるのですが、p184ではジョシュも、ヤードランは「空間」に行くのがいちばんいいと悟った後なので、文章の流れとしてあれ? と思ってしまいました。

西山:読み始めて最初に、『ぼくのお姉さん』、『トモ、ぼくは元気です』(香坂直著 講談社)を思い出して、障碍のあるきょうだいを持つ子どもの葛藤が出てくるのかなと思ったんですが、そうではありませんでしたね。冒険がはじまってスプリートを死なせちゃうんじゃないのか、とか、ひやひやしながら先へ先へと読み進めたわけですが、全体としてうーんどうなのかなと思わなくはないです。p23の「お兄ちゃんが困っていたら、助けてあげてね」と母親は言うわけですが、いいのかなこれは、と。この家族は、ヤングケアラーや共依存じゃないのと思いもしました。p143に「ヤードランのめんどうばかりみるのではなく、自分と同じようなふつうの男の子たちと、ふつうのことをしてみたい……」と考えるシーンもあるにはあるのですが、そこだけで、こういう思いが主題となる日本の先の作品とは方向が違っています。ミカがすごくすてきだったから、最終的に施設におちつくんだろうなと思っていたのですが……。ただ、『ぼくのお姉さん』や『トモ、ぼくは元気です』の弟が障碍を持つ姉、兄を負担に感じるのは、周りのからかいやいじめがあったからで、オランダだとそういうことはないのかなと、社会全体の違い故かもとも思いました。あと、ヤードランがソーラーパネルの向きで南を知ったり、いろいろできてしまうのは、物語としてはおもしろいのですが、危うさを感じます。いろいろできない人だったらどうなのか、とても負担を与える症状をもっていたらどうなのか。それでも共に生きる姿を見たいと思います。

しじみ71個分:私は、それまでは、幼いジョシュに甘えて、主に家族だけでなんとかしようとしていたのが、ジョシュの大怪我や2人の南への逃避行という大事件をとおして、さらにもっと、みんなで助けあおうという方向に行くのだと漠然と感じていました。そう思ったのは、p184ページのミカの「うまくいかなかったのは、わたしたち全員の責任だよ」「たとえだれかがいやだと思っても、みんながお互いを守る天使なのよ。全員がね。」というせりふや、p217のお母さんの「ミカがきっとじょうずにたすけてくれるはずよ」というせりふがあるからです。具体的には方法は示されませんが、家族で暮らすという選択肢を大事にしつつ、もっとオープンに「空間」やミカ、ムラットやヤスミンほかたくさんの人の助けを借りて、自分たちの希望を実現していくんじゃないかなという期待をもって読みおわりました。日本だとどうしても、家族だけで頑張るような、閉鎖的な印象を受けがちですが、そうではないと思いたいですね。

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エーデルワイス(メール参加):障碍をもつ16歳ヤードランの面倒を見る弟の11歳のジョシュが主人公。ママがジョシュに兄『大男』の面倒を見てあげてなんて、なんてことだろうと、腹がたちましたが、兄弟愛の強さに胸を打たれました。ヤードランが魅力的。ツルの子スプリートを『南』にいる群れに帰そうとするトラクターでの冒険の旅も臨場感にあふれています。盛岡にツルではありませんが、白鳥が越冬する『高松の池』(湖のような大きさ)があり、たくさんの白鳥でにぎわっているので、ツルの集まる湖の様子が身近に感じられました。ママの恋人の娘のヤスミンの気持ちもよくわかりました。ママが最後に、ジョシュがヤードランの面倒をみてきたのだからと、もう何もしなくてよいというところにホッとしました。

(2022年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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青いつばさ

ヤドカリ:映画でも本でも「ロードムービー的」なお話に弱いので、熱中して読みました。兄弟が移動していくなかで、主人公が考え、いろいろなことに気づいていくという構成が、よくできているなと思いました。最後のママの決断については、驚くと同時に、これでいいのかしら、とも思いましたが、この物語のなかでは、説得力のある終わり方だったように思います。物語をとおして「翼」や「飛翔」というモチーフが、効果的に使われていたことが印象的でした。読めてよかったです。

ルパン:おもしろくて一気に読んだのですが、気になるところが多すぎて入りこめない部分もありました。まず、ヤードランのことがそんなによくわかっているなら、翼をつけて一緒に高いところに登ったら危ない(そもそも登ること自体が危ないし)でしょうし、10メートルの高さから落とされて骨折だけですむというのもちょっとリアリティがない。奇跡的にそういうことがあったとしても、ギプスをつけて座った姿勢で長時間トラクターに乗って長旅をするなんて考えられない。私も足にギプスをつけたことがあるけれど、ずっと下におろしていたら鬱血してしまうので、読みながら気が気じゃなかったです。こんな大事件があったのに、弟の体よりもツルを野生に帰すことのほうを優先しているヤードラン、そのヤードランを愛情をもって受け入れてくれる施設があるのにまだ家庭においておく決断・・・あまりにもヤードラン・ファーストな気がして、ジョシュのこれからの人生はどうなるのかな、母親はどう考えているのかな、と思ってしまいました。

さららん:2回読み返してみました。作者はベルギーの人で、舞台もベルギーかオランダ、そのあたりか。スウェーデンやフランスにもツルを見にいったと「作者より」に書いてありますので、いろんな土地の要素が混じっているのかもしれません。ともあれジョシュとヤードランのロードムービーとして移り変わる景色が見え、どんどん読み進められました。ジョシュは障碍のあるヤードランを決して嫌わず、自分が守ってあげなくちゃと思い続けている。すごい愛の物語だと思います。11歳というジョシュの年齢の設定(思春期に入る直前?)も巧みですね。兄弟が暮らすのは、障碍のある子をそのまま受け入れる学校や社会があるところ、インクルーシブ教育の進んだ国という印象を受け、ツルの子どもを連れて2人が旅に出る、という設定はもちろん、ジョシュの心の動き、ヤードランの障碍の在り方も含めて、この物語は日本では絶対に書けないものを書いている、と思いました。ヤードランの通う施設の指導員ミカ、ママの再婚相手のムラットやヤスミンも温かい人たちなのですが、ヤードランは「兄弟はいっしょにいなきゃダメなんだ!」(p102)という考えに縛られています。思いこみに加えて、ヤードランはいろんな人の言葉を口移しのように話すタイプで、例えば「ごめんね、ごめんね、ごめんね」と何度も子どもっぽく謝ったあと、「……だぜ」という男っぽい口調になります。昔、パパとママがお芝居で歌っていた歌も丸ごと覚えています。荒っぽいようで、実は繊細なヤードランが初めて見えてきました。ミカの語調が少し変わっていて、最初は男っぽいように感じたのですが、あとで、女らしい口調になっています(p73「みんなに提案があるの」など)。この人物の造形はあえてトランスジェンダー的にしているかな、と思いましたが、どうでしょう?

しじみ71個分:私はとてもおもしろく読みました。弟が兄のケアをするという設定は、韓国ドラマにもあります。お母さんに兄の面倒を見るように言われて、滅私奉公のように世話をするというのは、洋の東西を問わずテーマに取りあげられているのですね。物語の中に流れている感情が本当にやさしくて、いい話だなぁ、と思いました。弟のジョシュが兄のヤードランのことを本当に好きで、いやがりもせず、兄の性質を理解して献身的に世話をしますが、その兄のせいで大怪我をしてしまうというのはつらい。でも、愛情の裏付けがそこにあるので、つらくなく読めました。寝るときに落ちつけるように、息を合わせていく遊びを「呼吸の橋」と呼ぶのもとてもすてきだと思いました。離婚したお父さんがロシア人、お母さんの恋人がトルコ系ベルギー人などなど、家族関係が複雑だったり、国籍や人種の違う人がさまざま登場したりするのがごく自然にあたりまえのように描かれているのは、大変にヨーロッパっぽいなと思った点です。また、私もミカは最初男の人かと思い、ヤードランはゲイの要素も持っているのかなと勘違いもしたのですが、支援施設で働くしっかりした女性で、オオカミの入れ墨を入れているなんていうのもかっこよく、魅力的です。2人の南への冒険を黙って見守りながらついてくるところも、信頼がないとできないことだと思うのですが、ヨーロッパ式のなんというか、個を大事にする視点を感じました。日本だったらすぐ通報されて、連れもどされてしまうだろうなぁ。また、支援施設の名前が「空間」という名前なのも象徴的で、オープンな感じを与えるのもいいなと思いました。そういう文化的な背景の違うところをたくさん感じた物語です。2人は、ツルの子のスプリートを群れに戻すためにあてもなく南に向かいます。ゲーテの詩「ミニヨンの歌」に「君よ知るや南の国」と歌われるのはイタリアですが、この物語の中ではスペインですね。南というのは、ヨーロッパ北部の人にとっては、暖かくて豊かで幸せのあるところみたいな、特別な意味があるのですね。

コアラ:カバーの絵が、なんとなく昔の物語風に思えました。トラクターの絵というのがよくわからなくて、1920年代の車のように見えてしまいました。それで、読みはじめてみると、スマホが出てきて現代の話だったので、びっくりしました。さらさらっと読んでしまって、訳者あとがきのp226の「〈南〉は(磁石の南のことではなく)、いま自分がいる場所よりもっとよいどこかのことです」というところが、いちばん印象に残りました。そういう意味合いがあったんだなと。物語の中では、美しい場面はいろいろあったと思うのですが、ツルの子が糞まみれになる、という場面が強烈で、あまりきれいな印象をもてずに読み終わってしまいました。とにかく、最後に家族でまた暮らすことになってよかったと思いました。それから、私もミカが男性か女性かあやふやに感じました。フィンランドには、「ミカ」という男性がいますよね。登場した最初のほうでは、ミカ先生が男性だと思ってしまいました。

コマドリ:圧倒的な兄弟愛というか、どんなことがあろうともお互いのことが大好き、という気持ちが貫かれているのがよかったと思います。『拝啓パンクスノットデッドさま』(石川宏千花著 くもん出版)のほうも、兄弟がそういう絆で結ばれているので、共通しているところがあり、今回一緒に読めてよかったです。ツルがトラクターの後ろから飛んでくるシーンは映像を見ているようで好きでした。タイトルの「青いつばさ」が象徴的に使われており、ツルの翼と、お母さんの舞台衣装の青い翼が、どちらもヤードランにとっては大きな意味を持っています。またヤスミンが、壊れた翼を縫い合わせて再生させるのも、象徴的な感じがしました。表紙の絵は、たしかに古めかしい感じがしますね。兄弟の顔がリアルに描かれていますが、自分の想像とは違っていたので、ここまでリアルな顔ではないほうがいいように思いました。

雪割草:人への作者のあたたかなまなざしが感じられる作品で、ぐいぐい読ませる語りでした。母親がジョシュに甘えすぎかなと感じたのと、障碍をもった兄とその弟であるからかもしれませんが、兄弟の絆の強さに驚きました。ヤードランが、自分のせいで家族と離れ離れになってしまったツルのスプリートを、家族の元に連れていこうと躍起になるのが、父と母の離婚も自分のせいだと心の傷として負っていたからだったのだということが後半でわかり、胸に迫ってくるものがありました。気になった点としては、装丁がひと昔前のようで、伝えたいポイントがわからなかった(トラクターの絵は必要でしょうか?)のと、「大男」や「チビ」という訳語もイメージに合ってない気がして、古く感じられたのが残念でした。

花散里:障碍を持った兄とその弟という関係ですね。ヤングケアラーが今、いろいろととりあげられていますが、障碍をもつ兄弟がいるとき、親に何かあったときには兄弟に負担がかかっていくので、社会が保障していかなければならないということが言われています。そのあたりのことを考えさせられました。兄のことを「大男」という言い方は気になりました。母親と暮らすことになる新しい男性とその娘である女の子を受けいれて新しい家族を作っていくという感覚も新鮮で、こういう新しいスタイルの家族というのが児童文学の中でも描かれていくのかと感じました。

ネズミ:おもしろく読みました。障碍のある兄弟をもつ子どもの視点から描かれている作品は多くないと思い、いろいろ考えさせられました。お母さんは、『背景パンクノットデッドさま』の母親と対照的で、どこまでも子どものことを思っていて、それでも見えていないこともある。10メートル上から落ちて足を折るだけですむとか、トラクターで公道を走るとか、外国の話だからそれもありかと思って、このテーマに目を向けることができる気がしました。この物語では、最後にヤードランは施設に行かず、家で暮らすことになるわけですが、私は、それが最良だと作者が言おうとしているのではなく、人にも条件にもよる難しい選択を当事者が迫られることを示唆し、読者に問題を投げかけているように思いました。

まめじか:ヤスミンは、兄弟が築いてきた親密な世界に入っていけないさびしさを感じていたと思います。そんなヤスが、ヤードランが壊した青い翼を直し、鉄塔の上にいるヤードランのもとに、はしご車に乗って届ける。あざやかなイメージが強く心に残りました。それまでジョシュがヤードランの世話をしていたのが、ジョシュが怪我をしたり、また2人で旅に出たりしたことで、ヤードランがジョシュの世話をするのも印象的です。p140でジョシュは、車椅子が置きっぱなしになっているのに、だれも心配して見にこないなんておかしいと感じるのですが、そんなふうに思える社会っていいなあと。ムラットとヤスミンはトルコ系だと後書きにありますが、本文には書いてないですよね。もし作者に確認してわかったことなら、それも後書きで説明したほうがいいのでは?

しじみ71個分:私は、ムラットという名前と、ヤスミンについて、p53に「黒い髪の毛と眉毛」とあったので、金髪碧眼ではないからアラブ系の人かなと思って読んでいました。

オカリナ:原書を読む子どもにとっては、名前でどういう人かのイメージがわくのだと思います。私はアラブ系の人かと思いましたが、日本の子どもの読者はわからないので、トルコ系の人だと後書きで書いてあるのはいいな、と思いました。異文化を背負っている人だということがわかれば多様な人たちの家族というイメージを、日本の子どもも持てるので。

まめじか:「大男」という呼びかけや、「空間」という場所の名前は、日本語で読むと、ちょっとぴんときませんでした。

ハル:私は、読んでいてとっても苦しかったです。障碍のある人の自立をどう考えるかという問題については、当事者でないとわからないことも多いでしょうし、口を出すのは気が引けるような思いもどうしてもあるのですが、それでも、「兄弟や家族は絶対に離れてはいけない」なんて、特に本人の強い希望として言われたら、とても苦しくなる人も、少なからずいるのではないかと思います。施設で、家族以外の人とも暮らせるようになることも、自立のひとつだと思いますし、施設で暮らすギヨムたちの家族に愛がなかったとも思いたくありません。ほとんど死人が出てもおかしくない状況ですし、2人に連れまわされたツルの子・スプリートが下痢をしてしまうのもいやでした。お母さんが「ヤードランのことはジョシュが見ていなきゃだめじゃない」といった態度なのもいやでした。ただ3か所、家族に愛があるところ、特に「呼吸の橋」はいいなと思いましたし、p65でムバサ先生がジョシュに「あなたのお兄さんはとても特別な人だけど、あなただってそうなんだからね」と言ったところ、p210でジョシュが「脚が治ったら、たとえヤードランがどんなにうらやましがっても、潜水クラブに通うことにしよう」と心に誓うところ、その3点だけが救いでした。

アンヌ:私も、ミカが、名前だけでは男性か女性かわかりませんでした。でも、ヤスミンがスカーフをかぶっている場面で、今の時代の女の子でスカーフをしているのはイスラム系なんだろうと気がついて。こんなふうに推理しながら読むところも、海外小説のおもしろさだと思います。実は、野生のツルが頭上で飛んでいるのを見て、なんて大きいのだろうと驚いたことがあるので、ギプスの足の上に雛とはいえ、ツルを抱いての道中は大変だろうなと思いました。いちばん驚いたのは、ママの決断です。それでも、ヤードランがママと2人でミュージカルを演じる箇所を読むと、ヤードランには、施設に入って農業をする以外の道や能力が、まだいろいろあるのかもしれない。それを見つけるためにも施設ではなく、家族で暮らすという道も必要なのだろうなと思いました。

マリンゴ: ツルの子どもが登場して、途中からその子を群れに返そうとするロードムービーになることもあって、非常に視覚的で美しい作品でした。障碍をもつ家族が登場する他の多くの本と違うのは、どれだけ愛情があっても、手に負えないほど体が大きくなり力も強くなってしまったとき、リスクが伴う、ということを描いている点だと思います。その解決法は難しくて、外部の専門的な団体に委ねるのが最もいいと思われますが、主人公ジョシュは違う選択をします。ハッピーエンドのように見えるけれど、ハッピーエンドではない。これからどうなるのか、続編を読みたくなる物語でした。特に胸に残った言葉は、p187の「自分の気持ちを話すのは、脱皮するようなものよ」です。一つ気になったのは、ツルの描写です。途中、ツルが車に乗ったり降りたりするシーンで、描写がなくて、今、ツルはどこで何をしているのか、と気になる部分が何か所かありました。もう少し描写が加えてあるとなおよかったかもしれません。

オカリナ:ハードな内容ですが、ツルの子スプリートがそれを和らげているし、トラクターに乗って南を目指すのが冒険物語になっていて、おもしろく読みました。ジョシュとヤードランとお母さんという一つの家族と、ムラッドとヤスミンというもう一つの家族が一つにまとまろうとしている、もともと誰もが不安定になっている時期に、ヤードランが青年期になって力も強くなり意図しなくても暴力の加害者になりうるようになって、さらに不安定になっているという設定です。なので、最後にみんなが一つの家族になっていこうという方向性で安定感を出しているのは、作品としては納得がいく結末なのだと思います。ただ、現実を考えると、ヤードランをどうすれば家族が幸せになるのか、というのは難しい問題だと思います。障碍を持っている子どものきょうだいというのは、丘修三さんの『ぼくのお姉さん』(偕成社)をはじめいろいろな作品で書かれていますが、たいていは世話係や我慢をさせられている方がどこかで切れて、障碍を持っている子にひどいことを言ったりしたりする。そこを乗り越えて次の段階にいくという姿を描いています。でも、この作品では、p143に、ジョシュがスケートボードをしている中学生を見て「一瞬、ぼくはいっしょにやりたくなった。ヤードランのめんどうばかりみるのではなく、自分と同じようなふつうの男の子たちと、ふつうのことをしてみた……」と出てくるだけ。これって不自然じゃないか、と思ってしまいました。それと、障碍を持っている者は、愛情をもった家族が世話をするのがいちばん、という間違った印象を子どもの読者にあたえるのではないかという危惧も感じました。
細かいところでは、p187に「ヤードランにひどいことをしようとしていたママに、ぼくは猛烈に怒っている」とあるのですが、p184ではジョシュも、ヤードランは「空間」に行くのがいちばんいいと悟った後なので、文章の流れとしてあれ? と思ってしまいました。

西山:読み始めて最初に、『ぼくのお姉さん』、『トモ、ぼくは元気です』(香坂直著 講談社)を思い出して、障碍のあるきょうだいを持つ子どもの葛藤が出てくるのかなと思ったんですが、そうではありませんでしたね。冒険がはじまってスプリートを死なせちゃうんじゃないのか、とか、ひやひやしながら先へ先へと読み進めたわけですが、全体としてうーんどうなのかなと思わなくはないです。p23の「お兄ちゃんが困っていたら、助けてあげてね」と母親は言うわけですが、いいのかなこれは、と。この家族は、ヤングケアラーや共依存じゃないのと思いもしました。p143に「ヤードランのめんどうばかりみるのではなく、自分と同じようなふつうの男の子たちと、ふつうのことをしてみたい……」と考えるシーンもあるにはあるのですが、そこだけで、こういう思いが主題となる日本の先の作品とは方向が違っています。ミカがすごくすてきだったから、最終的に施設におちつくんだろうなと思っていたのですが……。ただ、『ぼくのお姉さん』や『トモ、ぼくは元気です』の弟が障碍を持つ姉、兄を負担に感じるのは、周りのからかいやいじめがあったからで、オランダだとそういうことはないのかなと、社会全体の違い故かもとも思いました。あと、ヤードランがソーラーパネルの向きで南を知ったり、いろいろできてしまうのは、物語としてはおもしろいのですが、危うさを感じます。いろいろできない人だったらどうなのか、とても負担を与える症状をもっていたらどうなのか。それでも共に生きる姿を見たいと思います。

しじみ71個分:私は、それまでは、幼いジョシュに甘えて、主に家族だけでなんとかしようとしていたのが、ジョシュの大怪我や2人の南への逃避行という大事件をとおして、さらにもっと、みんなで助けあおうという方向に行くのだと漠然と感じていました。そう思ったのは、p184ページのミカの「うまくいかなかったのは、わたしたち全員の責任だよ」「たとえだれかがいやだと思っても、みんながお互いを守る天使なのよ。全員がね。」というせりふや、p217のお母さんの「ミカがきっとじょうずにたすけてくれるはずよ」というせりふがあるからです。具体的には方法は示されませんが、家族で暮らすという選択肢を大事にしつつ、もっとオープンに「空間」やミカ、ムラットやヤスミンほかたくさんの人の助けを借りて、自分たちの希望を実現していくんじゃないかなという期待をもって読みおわりました。日本だとどうしても、家族だけで頑張るような、閉鎖的な印象を受けがちですが、そうではないと思いたいですね。

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エーデルワイス(メール参加):障碍をもつ16歳ヤードランの面倒を見る弟の11歳のジョシュが主人公。ママがジョシュに兄『大男』の面倒を見てあげてなんて、なんてことだろうと、腹がたちましたが、兄弟愛の強さに胸を打たれました。ヤードランが魅力的。ツルの子スプリートを『南』にいる群れに帰そうとするトラクターでの冒険の旅も臨場感にあふれています。盛岡にツルではありませんが、白鳥が越冬する『高松の池』(湖のような大きさ)があり、たくさんの白鳥でにぎわっているので、ツルの集まる湖の様子が身近に感じられました。ママの恋人の娘のヤスミンの気持ちもよくわかりました。ママが最後に、ジョシュがヤードランの面倒をみてきたのだからと、もう何もしなくてよいというところにホッとしました。

(2022年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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青いつばさ

『青いつばさ』表紙
『青いつばさ』
原題:DE BLAUWE VLEUGELS by Jef Aerts, 2018
シェフ・アールツ/作 長山さき/訳
徳間書店
2021.09

ヤドカリ:映画でも本でも「ロードムービー的」なお話に弱いので、熱中して読みました。兄弟が移動していくなかで、主人公が考え、いろいろなことに気づいていくという構成が、よくできているなと思いました。最後のママの決断については、驚くと同時に、これでいいのかしら、とも思いましたが、この物語のなかでは、説得力のある終わり方だったように思います。物語をとおして「翼」や「飛翔」というモチーフが、効果的に使われていたことが印象的でした。読めてよかったです。

ルパン:おもしろくて一気に読んだのですが、気になるところが多すぎて入りこめない部分もありました。まず、ヤードランのことがそんなによくわかっているなら、翼をつけて一緒に高いところに登ったら危ない(そもそも登ること自体が危ないし)でしょうし、10メートルの高さから落とされて骨折だけですむというのもちょっとリアリティがない。奇跡的にそういうことがあったとしても、ギプスをつけて座った姿勢で長時間トラクターに乗って長旅をするなんて考えられない。私も足にギプスをつけたことがあるけれど、ずっと下におろしていたら鬱血してしまうので、読みながら気が気じゃなかったです。こんな大事件があったのに、弟の体よりもツルを野生に帰すことのほうを優先しているヤードラン、そのヤードランを愛情をもって受け入れてくれる施設があるのにまだ家庭においておく決断・・・あまりにもヤードラン・ファーストな気がして、ジョシュのこれからの人生はどうなるのかな、母親はどう考えているのかな、と思ってしまいました。

さららん:2回読み返してみました。作者はベルギーの人で、舞台もベルギーかオランダ、そのあたりか。スウェーデンやフランスにもツルを見にいったと「作者より」に書いてありますので、いろんな土地の要素が混じっているのかもしれません。ともあれジョシュとヤードランのロードムービーとして移り変わる景色が見え、どんどん読み進められました。ジョシュは障碍のあるヤードランを決して嫌わず、自分が守ってあげなくちゃと思い続けている。すごい愛の物語だと思います。11歳というジョシュの年齢の設定(思春期に入る直前?)も巧みですね。兄弟が暮らすのは、障碍のある子をそのまま受け入れる学校や社会があるところ、インクルーシブ教育の進んだ国という印象を受け、ツルの子どもを連れて2人が旅に出る、という設定はもちろん、ジョシュの心の動き、ヤードランの障碍の在り方も含めて、この物語は日本では絶対に書けないものを書いている、と思いました。ヤードランの通う施設の指導員ミカ、ママの再婚相手のムラットやヤスミンも温かい人たちなのですが、ヤードランは「兄弟はいっしょにいなきゃダメなんだ!」(p102)という考えに縛られています。思いこみに加えて、ヤードランはいろんな人の言葉を口移しのように話すタイプで、例えば「ごめんね、ごめんね、ごめんね」と何度も子どもっぽく謝ったあと、「……だぜ」という男っぽい口調になります。昔、パパとママがお芝居で歌っていた歌も丸ごと覚えています。荒っぽいようで、実は繊細なヤードランが初めて見えてきました。ミカの語調が少し変わっていて、最初は男っぽいように感じたのですが、あとで、女らしい口調になっています(p73「みんなに提案があるの」など)。この人物の造形はあえてトランスジェンダー的にしているかな、と思いましたが、どうでしょう?

しじみ71個分:私はとてもおもしろく読みました。弟が兄のケアをするという設定は、韓国ドラマにもあります。お母さんに兄の面倒を見るように言われて、滅私奉公のように世話をするというのは、洋の東西を問わずテーマに取りあげられているのですね。物語の中に流れている感情が本当にやさしくて、いい話だなぁ、と思いました。弟のジョシュが兄のヤードランのことを本当に好きで、いやがりもせず、兄の性質を理解して献身的に世話をしますが、その兄のせいで大怪我をしてしまうというのはつらい。でも、愛情の裏付けがそこにあるので、つらくなく読めました。寝るときに落ちつけるように、息を合わせていく遊びを「呼吸の橋」と呼ぶのもとてもすてきだと思いました。離婚したお父さんがロシア人、お母さんの恋人がトルコ系ベルギー人などなど、家族関係が複雑だったり、国籍や人種の違う人がさまざま登場したりするのがごく自然にあたりまえのように描かれているのは、大変にヨーロッパっぽいなと思った点です。また、私もミカは最初男の人かと思い、ヤードランはゲイの要素も持っているのかなと勘違いもしたのですが、支援施設で働くしっかりした女性で、オオカミの入れ墨を入れているなんていうのもかっこよく、魅力的です。2人の南への冒険を黙って見守りながらついてくるところも、信頼がないとできないことだと思うのですが、ヨーロッパ式のなんというか、個を大事にする視点を感じました。日本だったらすぐ通報されて、連れもどされてしまうだろうなぁ。また、支援施設の名前が「空間」という名前なのも象徴的で、オープンな感じを与えるのもいいなと思いました。そういう文化的な背景の違うところをたくさん感じた物語です。2人は、ツルの子のスプリートを群れに戻すためにあてもなく南に向かいます。ゲーテの詩「ミニヨンの歌」に「君よ知るや南の国」と歌われるのはイタリアですが、この物語の中ではスペインですね。南というのは、ヨーロッパ北部の人にとっては、暖かくて豊かで幸せのあるところみたいな、特別な意味があるのですね。

コアラ:カバーの絵が、なんとなく昔の物語風に思えました。トラクターの絵というのがよくわからなくて、1920年代の車のように見えてしまいました。それで、読みはじめてみると、スマホが出てきて現代の話だったので、びっくりしました。さらさらっと読んでしまって、訳者あとがきのp226の「〈南〉は(磁石の南のことではなく)、いま自分がいる場所よりもっとよいどこかのことです」というところが、いちばん印象に残りました。そういう意味合いがあったんだなと。物語の中では、美しい場面はいろいろあったと思うのですが、ツルの子が糞まみれになる、という場面が強烈で、あまりきれいな印象をもてずに読み終わってしまいました。とにかく、最後に家族でまた暮らすことになってよかったと思いました。それから、私もミカが男性か女性かあやふやに感じました。フィンランドには、「ミカ」という男性がいますよね。登場した最初のほうでは、ミカ先生が男性だと思ってしまいました。

コマドリ:圧倒的な兄弟愛というか、どんなことがあろうともお互いのことが大好き、という気持ちが貫かれているのがよかったと思います。『拝啓パンクスノットデッドさま』(石川宏千花著 くもん出版)のほうも、兄弟がそういう絆で結ばれているので、共通しているところがあり、今回一緒に読めてよかったです。ツルがトラクターの後ろから飛んでくるシーンは映像を見ているようで好きでした。タイトルの「青いつばさ」が象徴的に使われており、ツルの翼と、お母さんの舞台衣装の青い翼が、どちらもヤードランにとっては大きな意味を持っています。またヤスミンが、壊れた翼を縫い合わせて再生させるのも、象徴的な感じがしました。表紙の絵は、たしかに古めかしい感じがしますね。兄弟の顔がリアルに描かれていますが、自分の想像とは違っていたので、ここまでリアルな顔ではないほうがいいように思いました。

雪割草:人への作者のあたたかなまなざしが感じられる作品で、ぐいぐい読ませる語りでした。母親がジョシュに甘えすぎかなと感じたのと、障碍をもった兄とその弟であるからかもしれませんが、兄弟の絆の強さに驚きました。ヤードランが、自分のせいで家族と離れ離れになってしまったツルのスプリートを、家族の元に連れていこうと躍起になるのが、父と母の離婚も自分のせいだと心の傷として負っていたからだったのだということが後半でわかり、胸に迫ってくるものがありました。気になった点としては、装丁がひと昔前のようで、伝えたいポイントがわからなかった(トラクターの絵は必要でしょうか?)のと、「大男」や「チビ」という訳語もイメージに合ってない気がして、古く感じられたのが残念でした。

花散里:障碍を持った兄とその弟という関係ですね。ヤングケアラーが今、いろいろととりあげられていますが、障碍をもつ兄弟がいるとき、親に何かあったときには兄弟に負担がかかっていくので、社会が保障していかなければならないということが言われています。そのあたりのことを考えさせられました。兄のことを「大男」という言い方は気になりました。母親と暮らすことになる新しい男性とその娘である女の子を受けいれて新しい家族を作っていくという感覚も新鮮で、こういう新しいスタイルの家族というのが児童文学の中でも描かれていくのかと感じました。

ネズミ:おもしろく読みました。障碍のある兄弟をもつ子どもの視点から描かれている作品は多くないと思い、いろいろ考えさせられました。お母さんは、『背景パンクノットデッドさま』の母親と対照的で、どこまでも子どものことを思っていて、それでも見えていないこともある。10メートル上から落ちて足を折るだけですむとか、トラクターで公道を走るとか、外国の話だからそれもありかと思って、このテーマに目を向けることができる気がしました。この物語では、最後にヤードランは施設に行かず、家で暮らすことになるわけですが、私は、それが最良だと作者が言おうとしているのではなく、人にも条件にもよる難しい選択を当事者が迫られることを示唆し、読者に問題を投げかけているように思いました。

まめじか:ヤスミンは、兄弟が築いてきた親密な世界に入っていけないさびしさを感じていたと思います。そんなヤスが、ヤードランが壊した青い翼を直し、鉄塔の上にいるヤードランのもとに、はしご車に乗って届ける。あざやかなイメージが強く心に残りました。それまでジョシュがヤードランの世話をしていたのが、ジョシュが怪我をしたり、また2人で旅に出たりしたことで、ヤードランがジョシュの世話をするのも印象的です。p140でジョシュは、車椅子が置きっぱなしになっているのに、だれも心配して見にこないなんておかしいと感じるのですが、そんなふうに思える社会っていいなあと。ムラットとヤスミンはトルコ系だと後書きにありますが、本文には書いてないですよね。もし作者に確認してわかったことなら、それも後書きで説明したほうがいいのでは?

しじみ71個分:私は、ムラットという名前と、ヤスミンについて、p53に「黒い髪の毛と眉毛」とあったので、金髪碧眼ではないからアラブ系の人かなと思って読んでいました。

オカリナ:原書を読む子どもにとっては、名前でどういう人かのイメージがわくのだと思います。私はアラブ系の人かと思いましたが、日本の子どもの読者はわからないので、トルコ系の人だと後書きで書いてあるのはいいな、と思いました。異文化を背負っている人だということがわかれば多様な人たちの家族というイメージを、日本の子どもも持てるので。

まめじか:「大男」という呼びかけや、「空間」という場所の名前は、日本語で読むと、ちょっとぴんときませんでした。

ハル:私は、読んでいてとっても苦しかったです。障碍のある人の自立をどう考えるかという問題については、当事者でないとわからないことも多いでしょうし、口を出すのは気が引けるような思いもどうしてもあるのですが、それでも、「兄弟や家族は絶対に離れてはいけない」なんて、特に本人の強い希望として言われたら、とても苦しくなる人も、少なからずいるのではないかと思います。施設で、家族以外の人とも暮らせるようになることも、自立のひとつだと思いますし、施設で暮らすギヨムたちの家族に愛がなかったとも思いたくありません。ほとんど死人が出てもおかしくない状況ですし、2人に連れまわされたツルの子・スプリートが下痢をしてしまうのもいやでした。お母さんが「ヤードランのことはジョシュが見ていなきゃだめじゃない」といった態度なのもいやでした。ただ3か所、家族に愛があるところ、特に「呼吸の橋」はいいなと思いましたし、p65でムバサ先生がジョシュに「あなたのお兄さんはとても特別な人だけど、あなただってそうなんだからね」と言ったところ、p210でジョシュが「脚が治ったら、たとえヤードランがどんなにうらやましがっても、潜水クラブに通うことにしよう」と心に誓うところ、その3点だけが救いでした。

アンヌ:私も、ミカが、名前だけでは男性か女性かわかりませんでした。でも、ヤスミンがスカーフをかぶっている場面で、今の時代の女の子でスカーフをしているのはイスラム系なんだろうと気がついて。こんなふうに推理しながら読むところも、海外小説のおもしろさだと思います。実は、野生のツルが頭上で飛んでいるのを見て、なんて大きいのだろうと驚いたことがあるので、ギプスの足の上に雛とはいえ、ツルを抱いての道中は大変だろうなと思いました。いちばん驚いたのは、ママの決断です。それでも、ヤードランがママと2人でミュージカルを演じる箇所を読むと、ヤードランには、施設に入って農業をする以外の道や能力が、まだいろいろあるのかもしれない。それを見つけるためにも施設ではなく、家族で暮らすという道も必要なのだろうなと思いました。

マリンゴ: ツルの子どもが登場して、途中からその子を群れに返そうとするロードムービーになることもあって、非常に視覚的で美しい作品でした。障碍をもつ家族が登場する他の多くの本と違うのは、どれだけ愛情があっても、手に負えないほど体が大きくなり力も強くなってしまったとき、リスクが伴う、ということを描いている点だと思います。その解決法は難しくて、外部の専門的な団体に委ねるのが最もいいと思われますが、主人公ジョシュは違う選択をします。ハッピーエンドのように見えるけれど、ハッピーエンドではない。これからどうなるのか、続編を読みたくなる物語でした。特に胸に残った言葉は、p187の「自分の気持ちを話すのは、脱皮するようなものよ」です。一つ気になったのは、ツルの描写です。途中、ツルが車に乗ったり降りたりするシーンで、描写がなくて、今、ツルはどこで何をしているのか、と気になる部分が何か所かありました。もう少し描写が加えてあるとなおよかったかもしれません。

オカリナ:ハードな内容ですが、ツルの子スプリートがそれを和らげているし、トラクターに乗って南を目指すのが冒険物語になっていて、おもしろく読みました。ジョシュとヤードランとお母さんという一つの家族と、ムラッドとヤスミンというもう一つの家族が一つにまとまろうとしている、もともと誰もが不安定になっている時期に、ヤードランが青年期になって力も強くなり意図しなくても暴力の加害者になりうるようになって、さらに不安定になっているという設定です。なので、最後にみんなが一つの家族になっていこうという方向性で安定感を出しているのは、作品としては納得がいく結末なのだと思います。ただ、現実を考えると、ヤードランをどうすれば家族が幸せになるのか、というのは難しい問題だと思います。障碍を持っている子どものきょうだいというのは、丘修三さんの『ぼくのお姉さん』(偕成社)をはじめいろいろな作品で書かれていますが、たいていは世話係や我慢をさせられている方がどこかで切れて、障碍を持っている子にひどいことを言ったりしたりする。そこを乗り越えて次の段階にいくという姿を描いています。でも、この作品では、p143に、ジョシュがスケートボードをしている中学生を見て「一瞬、ぼくはいっしょにやりたくなった。ヤードランのめんどうばかりみるのではなく、自分と同じようなふつうの男の子たちと、ふつうのことをしてみた……」と出てくるだけ。これって不自然じゃないか、と思ってしまいました。それと、障碍を持っている者は、愛情をもった家族が世話をするのがいちばん、という間違った印象を子どもの読者にあたえるのではないかという危惧も感じました。
細かいところでは、p187に「ヤードランにひどいことをしようとしていたママに、ぼくは猛烈に怒っている」とあるのですが、p184ではジョシュも、ヤードランは「空間」に行くのがいちばんいいと悟った後なので、文章の流れとしてあれ? と思ってしまいました。

西山:読み始めて最初に、『ぼくのお姉さん』、『トモ、ぼくは元気です』(香坂直著 講談社)を思い出して、障碍のあるきょうだいを持つ子どもの葛藤が出てくるのかなと思ったんですが、そうではありませんでしたね。冒険がはじまってスプリートを死なせちゃうんじゃないのか、とか、ひやひやしながら先へ先へと読み進めたわけですが、全体としてうーんどうなのかなと思わなくはないです。p23の「お兄ちゃんが困っていたら、助けてあげてね」と母親は言うわけですが、いいのかなこれは、と。この家族は、ヤングケアラーや共依存じゃないのと思いもしました。p143に「ヤードランのめんどうばかりみるのではなく、自分と同じようなふつうの男の子たちと、ふつうのことをしてみたい……」と考えるシーンもあるにはあるのですが、そこだけで、こういう思いが主題となる日本の先の作品とは方向が違っています。ミカがすごくすてきだったから、最終的に施設におちつくんだろうなと思っていたのですが……。ただ、『ぼくのお姉さん』や『トモ、ぼくは元気です』の弟が障碍を持つ姉、兄を負担に感じるのは、周りのからかいやいじめがあったからで、オランダだとそういうことはないのかなと、社会全体の違い故かもとも思いました。あと、ヤードランがソーラーパネルの向きで南を知ったり、いろいろできてしまうのは、物語としてはおもしろいのですが、危うさを感じます。いろいろできない人だったらどうなのか、とても負担を与える症状をもっていたらどうなのか。それでも共に生きる姿を見たいと思います。

しじみ71個分:私は、それまでは、幼いジョシュに甘えて、主に家族だけでなんとかしようとしていたのが、ジョシュの大怪我や2人の南への逃避行という大事件をとおして、さらにもっと、みんなで助けあおうという方向に行くのだと漠然と感じていました。そう思ったのは、p184ページのミカの「うまくいかなかったのは、わたしたち全員の責任だよ」「たとえだれかがいやだと思っても、みんながお互いを守る天使なのよ。全員がね。」というせりふや、p217のお母さんの「ミカがきっとじょうずにたすけてくれるはずよ」というせりふがあるからです。具体的には方法は示されませんが、家族で暮らすという選択肢を大事にしつつ、もっとオープンに「空間」やミカ、ムラットやヤスミンほかたくさんの人の助けを借りて、自分たちの希望を実現していくんじゃないかなという期待をもって読みおわりました。日本だとどうしても、家族だけで頑張るような、閉鎖的な印象を受けがちですが、そうではないと思いたいですね。

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エーデルワイス(メール参加):障碍をもつ16歳ヤードランの面倒を見る弟の11歳のジョシュが主人公。ママがジョシュに兄『大男』の面倒を見てあげてなんて、なんてことだろうと、腹がたちましたが、兄弟愛の強さに胸を打たれました。ヤードランが魅力的。ツルの子スプリートを『南』にいる群れに帰そうとするトラクターでの冒険の旅も臨場感にあふれています。盛岡にツルではありませんが、白鳥が越冬する『高松の池』(湖のような大きさ)があり、たくさんの白鳥でにぎわっているので、ツルの集まる湖の様子が身近に感じられました。ママの恋人の娘のヤスミンの気持ちもよくわかりました。ママが最後に、ジョシュがヤードランの面倒をみてきたのだからと、もう何もしなくてよいというところにホッとしました。

(2022年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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