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ふしぎ草紙〜あやしくもふしぎな八つの物語

夜空に月と雲、いくつもの黒い影が浮かんでいる
『ふしぎ草紙〜あやしくもふしぎな八つの物語』
富安陽子/作 山村浩二/絵
小学館
2023.04

キマリテ: 最初の2つのお話にあまり引き込まれなくて、よくある物語のパロディーな感じがして大丈夫かなと思ったら、残りの6つが面白かったのでホッとしました。順番、これでよかったのか、あるいは、大して怖くない話が序盤にあるのがいいのかしら? 小学2年生の女の子が主人公のお話がある一方で、大人の物語もあって、バリエーション豊かなのが面白かったです。漢字が多めですが、ターゲットは中学年以上という感じでしょうか? 全体的に自然への畏怖や他の生きものとのかかわりのお話が多くて、余韻が残りました。ひとつ気になったのが、p116「ごくりと息をのみました」という表現です。ごくりとつばを飲むか、ハッと息をのむ、ならわかるのですが、これはわざとなのか、見落としなのかどちらなんでしょうね。

ANNE:あまり読んだことがない毛色の変わったお話が並んでいました。アンソロジーは好きなので楽しめました。恥ずかしながら不勉強で「草紙」と「草子」のちがいを知りませんでしたので、「草紙」をまずイメージしてしまいました。ストーリーに関係ないのですが、スズカケノキやすずかけ台という地名がいくつかの作品に登場して、あまんきみこさんの「すずかけ通り三丁目」(『車のいろは空のいろ』 ポプラ社所収)を思い出しました。挿絵の山村浩二さんは絵本作家としても著名な方ですが、この物語の雰囲気にぴったり合ったイラストで、ぞわぞわっとした恐怖感が増してくるように思いました。

花散里:富安さんはやはり上手だなあ~と思いながら、読みました。最初の章から、どんどん引き込まれて「えっ!象?」っと、いう感じで…。「あやしくもふしぎな」8つの章、どれも物語の展開が巧みで、次の章は、どんな怖いストーリーが、っと、ぞくぞくしながらも、先が読みたくなるようでした。怖い話が好きな子どもたちだけでなく、どの子どもたちにも読みやすい作品なのではないかと思いました。表紙も、挿絵も、山村さんの絵がいいですね。

かはやぎ:最初は、ちょっとゾクッとするお話なのに、どんどん怖いお話になっていきますね。最初のピアノのお話は、哀しさの漂う、いい物語で、学校を舞台にしていることから読者がすっとこの本に入っていける、見事な構成になっていると思いました。「注文の多い料理店」を思わせる「猫谷」など、名作へのオマージュのような話もいくつかありますね。
月影を掬うおばあちゃんの話を読んで、エイキンの「からしつぼのなかの月光」(『心の宝箱にしまう15のファンタジー』所収 ジョーン・エイキン 著 三辺律子 訳 竹書房)の月夜に孫娘と不思議な問答をするおばあちゃんを思いだしました。私がいちばん怖かったは「魔女の家」で、特に人形のイラストが恐ろしい。「その人形、ずっと持っていないほうがいいよ!」と、思わず主人公に言いたくなりました。恐ろしい反面、認知症のお年寄りの心のなかに入っていくところがユニークだし、作者の温かい心を感じられてよかったです。
この本を手にとる読者は、いままで起承転結のある、きちっとした物語に親しんできたと思いますが、オープンエンデッドというか「めでたし、めでたし」で終わらない物語の形を学校の怪談みたいな安手な話でなく、こういう上質な文学で知るのはとても良いことだと思います。詩人の長田弘さんが『読書からはじまる』(ちくま文庫)のなかで述べているように、本が培ってきた文化は、書かれていないことを想像する力ですから。

アンヌ:怪談や幻想文学というものは、推理小説のように大抵いったん謎の解き明かしがあるけれど、読者が主人公のその後について悩んだり、つい続きを考えたり、あれ変だなという不安感を覚えるものだと思っています。だから、この短編集も最初はホッとできる感じで始まって、だんだん怖くなっていくのだろうなと思いながら読みました。例えば最初の「ピアノ」は、怪談のお決まりの不穏な音で始まるのだけれど、美しい音楽が出てくることで恐怖が薄まります。ましてや、象が調律してほしい音を引いているという謎解きで、ますます解決したような気になってしまう。けれど、象牙の鍵盤という残酷な仕組みを考えると、象は、歯痛のような痛みを感じていたのではないかと想像してしまいます。「霧の町」は、百鬼夜行に出会う話だけれど、ちょっと怪談になりきらない。ボールも戻ってくるし。でも、霧の怖さと魅力を感じます。「猫谷」になるとちょっと怪談度が進む感じで、読者は危ないよ危ないよと異常性に気づいているのに、主人公は気にせずどんどん進んでいくところなど、先ほどかはやぎさんもおっしゃったように『注文の多い料理店』を思い浮かべました。でも、どちらかというと異界のものを食べてはいけないという、ローマ神話のプロセルピナのザクロや、日本神話の 黄泉竈食(よもつへぐい)のような感じですね。ホットケーキの描写が見事で、添えられたジャムの正体を知っても、後味が悪いどころか実においしそうでした。「月の音」は実にきれいな話でした。月をすくった池には月がいなくなるというところが、不思議な出来事にリアリティーを与えている感じがします。都会を離れて一度は月の音を聞いてみたいと思いました。「魚玉」は、少し物足りない。荘子の「胡蝶の夢」(『荘子 全現代語訳(上)』所収 講談社学術文庫)のような感じの魚バージョンですが、魚の吐き出すものというところがグロテスクで、今後、焼き魚の目玉を見るたびに思い出してしまいそうで、ゾクッとします。「魔女の家」は後半の謎解きがなんというか切ない物語だけれど、人形をもらっちゃって大丈夫なのかと読者が読後悩む仕組みが、いかにも、怪談という感じになってきています。「よろず池」は、天女かもしれないお母さんとか、天女の子かもしれないコースケがちっともこの世ならぬ感じに書かれていないのが物足りないというか残念。コースケを女の子にしたらもう少し切ない感じになったかもなどと思いました。「藤棚」はもう、まさしく怪談という感じです。不思議な尼さんが現れて「お母さんの命がつきないようにしてあげますよ」というのを読んでよかったと思いつつ、つきない命って危険じゃないかなと思いながら読み進むと、「話してはいけない」という禁忌を掛けられているのにお父さんは話してしまっているんだと読者は気づく。そこで、むすめが「誰にもしゃべっちゃだめ……」というので、娘に猫か尼が憑依したんだとぞっとする感じを受けて物語が終わる。さらに最後に「お母さん」であるおばあちゃんの死が描かれて、よかったなとホッとすると同時に、いやいいのかと愕然とするという二重の仕組みになっていて見事です。でも、もしいちばん好きなのは何かと聞かれたら「月の音」です。次の日、水をまいた畑から月のかけらを拾ってにっこり微笑むおばあさんの顔が見えてくるような気がします。

ハル:うー。ちょっと申し上げにくいのですが、私は、すごく面白かったかというとそうでもなく、ちょっと入り込めなかったです。なんででしょう。どこがというわけではないのですが、読点の位置が気になったり……あ、ここに点を打つんだな、みたいなのとか、ん? とつっかかるところもあったりして、これは読解力の問題かもしれませんが、目がすべってしまいました。「こうきたか」という斜め上の展開もあって、民話や昔話とは異なる厚みは感じましたが、なんというか、心をつかまれるものがなかったなと、私は思いました。挿し絵はとても素敵でした。

西山:さらぁっと読んでしまいました。私も「月の音」がいちばん好きでした。視覚的にも聴覚的にも、清澄なイメージがとても素敵でした。「よらず池」、たんすの引き出しにぼんやり光る布が見つかったとき、ああ天女の羽衣、と思いましたけれど、今の子はどのぐらい羽衣伝説を知っているのかなと思いました。最近、昔話や神話、伝説などをあまり知らないという学生も多いようだと気づくこともあって、今回の作品に限らず、さまざまなファンタジー作品を味わう土台としても、幼少期にたくさんの伝承文芸に触れたほうがいいんじゃないかという気がしています。

エーデルワイス:この本は絵本ではありませんが、挿絵が多くて絵も重要な役割を担っていると思いました。印象に残った言葉は、「魚玉」のp101で「…うそは、自分のためにつくもの。ホラは、人を楽しませるために吹くものだからね」とか、「魔女の家」のp144で「魔女は、町の子どもをカラスに変えていたのではなくて、このお人形を人間の子どもに変える魔法をかけていたんだな…」です。ユタカ、アリサ(人形)、トオル、コースケと、子どもの名前がカタカナなのはなぜでしょう? 「よろず池」は、羽衣伝説を思わせますが、コースケのお母さんは羽衣伝説に思わせて、実は失踪したのではと、深読みしてしまいました。コースケも良い男の子とは思えませんでした。

アカシア:どの短編も作品世界のリアリティがしっかりできていますね。私は、この作品は怪談話ではないと思っているのですが、怖くしようと思えばいくらでも怖くできるところを あえてセーブして不思議を残す作品にしているのだ思いました。
「ピアノ」で象が出てくるところで、大人の本だったらここは象じゃないな、と思いました。この象の登場で恐怖がマイルドになっています。「霧の町」 もホラーではなく、ちょっと怖いけど不思議な物語です。日常の隙間に垣間見える不思議を描いているところが、マーガレット・マーヒーの『魔法使いのチョコレートケーキ』(石井桃子訳 福音館書店)を思い出しました。「猫谷」では、私も『注文の多い料理店』を思い出しました。でも矢島さんは猫梨を食べたのに猫に変わらずにすんだのはなぜ? 「月の音」は、きれいなイメージの奥に、都会の明るさは想像力にはマイナスになることを匂わせています。「魚玉」だけは、第三者から聞いた話になっています。その話をしているのもホラ吹きと呼ばれているおじさんなので、虚実の境があいまいになっている。「魔女の家」は、ちょっと恐ろしくて、p123で「さ、こっちへおいで」というところでヘンゼルとグレーテルを思い出して怖くなりました。「よらず池」は羽衣伝説を下敷きにしているとは思いますが、伝説を知らなくても、p175からp176にかけてかなりていねいな説明があるので、子どもにもわかると思います。読者の子どもは、お母さんが蒸発したのか、それとも天に帰ったのかわからずに、逆に想像力をふくらますことができるようにも思います。「藤棚」は、猫が自分の娘なのか、という怖さと、秘密を話してしまったので死を迎えるという怖さの両方がありました。
子ども時代の私は、こういうちょっと怖い話とか不思議な話がいつまでも心に残り、そこからいろいろな想像をめぐらせていたものでした。なので、ただ怖がらせるための物語ではなく、こういう作品がもっとあるといいな、と思っています。

しじみ71個分:これは職場でも選書の候補になったのですが、怪談にしてはゾッとしない、何か中途半端な印象ということで購入しないことになった本でした。でも、タイトルは『あやしくもふしぎな物語』なので、別に怖くなくてもいいのにと思ったので、みなさんのご意見を聞きたいと思って選書させてもらいました。短編集の形になっていますが、どの話も、日常の中に見えるちょっとした怖さ、あれっ?と普段の生活の中からエアポケットに入ってしまったような、ふだん見えないものが見えてしまったようなゾクッとする感覚を描いていて、とても面白かったです。短編集ということで、『夜叉神川』(安東みきえ 著 講談社)をつい思い出して比較してしまいますが、『夜叉神川』で日常の中でふと垣間見えたのが人の悪意であるという点が違っていると思いました。あっちは、読んでいて、実は怖くて怖くてたまりませんでした。ですが、この『ふしぎ草子』は、不思議さの先に優しさや温かみが感じられました。象の幽霊が音楽室でピアノを弾くというのは大変シュールですが、象が鼻でピアノをポロンポロンと鳴らす姿に、かわいらしさや愛おしさを感じました。「月の音」では、おばあちゃんと一緒にした不思議な体験が描かれていますし、「魚玉」では、おじさんに聞いた話 というようになっていて、富安さんご自身が子どもの頃に、おばあちゃんや親戚のおじさんに、ちょっと怖い話を聞いた体験が反映されているのではないかと思いました。「人をだますのがうそ、人を楽しませるのがホラ」という茶目っ気も感じられるような気もします。盤石な日常に、非日常がちょっと顔を出したときの怖さというのは、ある意味、誰しもが感じることなのではないかなと思いました。「魔女の家」は人形が仲介する物語で、認知症のおばあちゃんの世界に入ってしまうのですが、これは出られなくなっちゃったらどうしようと思って、ちょっと怖くなりました。視点を変えるとゾクッとするかもしれない、日常をひっくり返してみるような感覚が全編から伝わって面白かったです。「よらず池」は少年たちが光る布を見つけたあと、友だちのお母さんが失踪する話ですが、羽衣を見つけられたお母さんが、天女に戻って天に帰ったのかもしれないし、実は昔キャバクラとかで働いていたときのきらびやかな服が出てきて、お父さんとは嫌々結婚したので、いいきっかけになって、とうとう家を出たのかもしれないですし、真実はまったく分からないわけで、どうとでも読み取れますよね。理由や原因が分からないことが起きるというのはままあることと思います。そういった日常の怖さを、奥底に人の温かさやユーモアをしのばせて書いてあるのが本当に面白くて、素晴らしいと思いました。

ルパン:わたしは正直言ってこの本はおもしろくなかったです。でも、みなさんの楽しい感想が聞けたので、今日参加してよかったなと思いました。 ところで、p33に2か所出てくる「見回わす」、p51に2か所出てくる「回わったり」の「わ」は要らないのではないでしょうか?

きなこみみ:自分のすぐ背後にあるような、不思議な怪しい世界。こういうのを書かせたら、富安さんほど上手い人はいないんじゃないか。五感に訴えてくる文章の構成がすごいなあと思います。デジャブのような、誰しも体験があることを手掛かりに、ふっと物語に引きずり込んでいく。例えば、「猫谷」。ナビにぽつんと表示される温泉って、いかにもありそう。そこで出されるホットケーキの、これまた美味しそうな音に触感。うっとりしたところに、「猫梨」なんていう、不協和音がぽおんと放り込まれて、気が付いたら食べてしまって引き返せない。
その次の「月の音」も、たらいに月を掬い取る、という、これ、多分、月を、たらいに水を張ったのに映して和歌を詠んだりしたことがベースになっていると思うんですが、月をひしゃくでぱりぱりと割る、というのが非常に五感に訴えてくるんですね。また、それを畑にまく。ジブリのトトロのシーンなんかも連想させます。そういう、馴染みがあったり、国民的な記憶から、うまく物語を引っ張り出して、自分のものにしている感じが、まさに自分の隣にある怪しさ、という不思議な快感、なつかしさも感じさせる面白さに繋がっているんだと思います。ぞくっとするんだけれど、この恐怖は、人間が作り出す恐怖とはずいぶん肌合いが違って、人間の傲慢とか、やりすぎとか、思い上がりを制御してくれるような、優しさにも思えてくる。それは、今の世界があまりに恐ろしすぎるからでしょうか。自分の立っている足元って、そんなに確かなものですか?この世界のもろさを、知ってますか?って、そっと背中をひっぱるように教えてくれているようです。

(2024年01月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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なずずこのっぺ?

『なずずこのっぺ?』表紙
『なずずこのっぺ?』
カーソン・エリス/作 アーサー・ビナード/訳
フレーベル館
2017

『なずずこのっぺ?』(絵本)をおすすめします。

春になって地面から顔を出した小さな緑の芽が、ずんずん伸びて、花を咲かせ、しおれ、枯れてなくなる、という四季の移り変わりにあわせて、さまざまな虫たちや自然のドラマが展開していく。絵を細かく見ていくと、季節の変化にしろ虫たちのやりとりにしろ、さまざまな発見があって楽しい。「昆虫語」の言葉は、声に出してみると、不思議なリズムがあってとても愉快。ひとつひとつの言葉の意味を考えてみるのもおもしろいし、絵も美しい。

原作:イギリス/3歳から/昆虫 四季 自然 ふしぎ

(JBBY「おすすめ!世界の子どもの本 2018」より)

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キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし(岩波少年文庫版)

さくまゆみこ編訳『キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし』岩波書店
『キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし(岩波少年文庫版)』 岩波少年文庫 247

さくまゆみこ/編訳 太田大八/挿絵
岩波書店
2019.03

あまたあるアフリカの昔話の中から、私が「ふしぎ」をキーワードにおもしろい話を選び出し、翻訳したもので、以下の13の昔話が入っています。

・恩を忘れたおばあさん(ガーナ)
・山と川はどうしてできたか(ケニア)
・魔法のぼうしとさいふと杖(チャド)
・カムワチと小さなしゃれこうべ(ケニア)
・動物をこわがらせた赤ん坊(セネガル)
・力もちイコロ(ナイジェリア)
・キバラカと魔法の馬(スワヒリ)
・ヘビのお嫁さん(タンザニア)
・悪魔をだましたふたご(リベリア)
・ニシキヘビと猟師(コートジボワール)
・ワニおばさんとの約束(ナイジェリア)
・村をそっくり飲みこんだディキシ(ボツワナ)
・あかつきの王女の物語(スワヒリ)

*スワヒリというのは、スワヒリ語で語り伝えられてきた物語という意味です。ロンドンでお目にかかったこともあるヤン・クナッパートさんが編集したMYTHS & LEGENDS OF THE SWAHILIという本から選んだ昔話なので、こうなっています。

*この本は、もともと冨山房で出版されていました。原稿を冨山房に持ち込んだ時の私はフリーの翻訳者でしたが、なかなか本にならないので、何度も問い合わせをしているうちに、なぜか編集者として冨山房に入社することになりました。そして編集者の私が最初に手掛けた本が、この作品だったのです。

(編集:須藤建さん)

ちなみに、冨山房版はこちら

 

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<あとがき>

アフリカというと、どこかとても遠いところで、人びとの生活や考え方も、日本人とは全然違うと思っている方もあるかもしれません。たしかにアフリカは地理的にも近くはないし、私たちとは違った文化や風習ももっています。けれどもそれ以上に、同じ地球の上に暮らしている人間として、共通していることもたくさんあります。

たとえば、日本でも昔は、子どもたちが、いろりばたで、おじいさんやおばあさんの話す物語に耳を傾けました。アフリカでも、夜になると、子どもたちは火のまわりに集まって、お年寄りやおとなが話してくれる物語を聞きます。そんな時、物語に引きこまれて夢中になった子どもたちの目が、きらきら輝いているのは、世界のどこでも同じだと思います。

この本には、アフリカ大陸のあちこちで語られてきた物語の中から、魔法の話や、ふしぎな精霊や魔神の出てくるものを集めて、まとめてあります。

どの物語が、どの国に住んでいる人たちのものか、ということについては、八頁に載っているアフリカの地図を見てください。

ただし、スワヒリの物語と書いてあるものについては、ちょっと説明がいるでしょう。地図を見てもおわかりのように、スワヒリという国はありません。スワヒリの物語というのは、スワヒリ語という言語で語り伝えられてきた物語、という意味です。スワヒリ語は、アフリカのバンツー語に、アラビア語の影響が入ってできた言葉です。もともとは、東アフリカのインド洋沿岸で話されていましたが、今ではもっと広い地域に普及しています。

スワヒリの物語を読んで、『千夜一夜物語』などのアラビアの物語を連想した方もあるでしょう。それも、もっともです。スワヒリ人と呼ばれる人びとは、アラビア文化の影響を強く受けています。昔、アラビアの人たちは、紅海やインド洋を越えて海からアフリカへ入り、また砂漠を越えて、北アフリカや西アフリカまでも入って行きました。ですから、チャドの物語『魔法のぼうしとさいふと杖』にスルタンが出てくるのですね。

テレビやラジオや映画など、受身の娯楽が少ない地域には、自分たちで積極的に娯楽をつくり出していく良さがあります。そこでは、踊りや歌や楽器の演奏などと並んで、物語(ストーリーテリング)が人びとの生活になくてはならない楽しみになっています。

アフリカでは物語といっても、本を棒読みするように抑揚なく話すわけではありません。歌を混じえたり、物まねや踊りを入れたり、身ぶり手ぶりを加えたりしながら話すのです。

またアフリカには、職業的な語り部(西アフリカではグリオ、ジェリ、ジャリなどと呼ばれています)もいます。この人たちは、物語を聞かせることを専門の仕事にしていて、民族の歴史や、王の系譜や、伝統的な行事歌や褒め歌、叙事詩などを語り聞かせています。自分で楽器を弾きながら、それにあわせて歌い語りをすることも多いようです。また聞き手のほうも、合いの手を入れたり、かけ声をかけたり、熱が入ってくれば踊り出したりします。

アフリカの日常生活の中では、たいてい一日の仕事が終わって日も暮れたころに、語りが始まります。「昼間話すと、語り手の母親に死が訪れる」という言い伝えがあって、物語は夜のものと決まっている地方もあります。

時が夜というのは、大事なことかもしれません。夜の闇は、人間の想像力をとき放ち、昼間の太陽の下では見ることのできない世界へと、私たちを導いてくれます。昼間はふつうの木が、夜見るとふしぎな力をもった魔物のように思えたことはありませんか? 人間がものを思い描いたり、想像したりする力は、夜の闇の中で無限に広がってゆくものです。この本の中に出てくる、ふしぎな力をもった魔性の者たちも、きっとそうした闇の中から生まれてきたのでしょう。

特に、テレビとかラジオもなく、電灯さえないようなところでは、人間がむき出しの自然に接することも多くなり、夜のもつ魔力も、都会とくらべるとずっと強いといえそうです。

一九七五年、私はナイジェリアで、たまたま夜行の貨物列車で旅をしなければならなくなったことがありました。その時の風景は、今でも忘れられません。ナイジェリアは、当時アフリカではいちばん人口の多い国だったのですが、夜の風に吹かれながら屋根なしの貨車に乗っていると、まるで無人の荒野を走っているような気がしたものです。日本なら、へんぴなところでも、必ずどこかに人家のあかりが見えたり、走ってゆく車のヘッドライトが見えたりして、ああ、あそこに人がいるんだな、とわかりますが、そのころのナイジェリアは、まだ大都市以外には電灯がなく、もちろん、照明看板やネオンが見えるわけではありません。夜行貨物列車は、闇の海の中を、ゴトンゴトンとどこまでも走っていきました。あの時は、だれにもじゃまされずに、夜そのものと向かいあっているような気がしましたし、この本に出てくるようなふしぎなものたちが、あそこにもここにも、身をひそめているように感じたものです。

その後、私は東京であわただしい毎日を送っています。あの時のように、夜のもつふしぎな力を感じることも少なくなってしまいました。都会というのは、たしかに便利ですが、その反面、私は大事な忘れ物をしてしまっているようです。

読者のみなさんには、なるべくなら夜、窓をあけ放って、そして、アフリカのおじいさんやおばあさんに話してもらっているような気持ちになって、この本を読んでいただければ、と思っているのですが……。

本書は最初、冨山房から出版されて版を重ねましたが、その後長いこと入手できなくなっていました。思えば、この本の出版がきっかけになって、様々な出会いがありました。「アフリカ子どもの本プロジェクト」というNGOも、そんな出会いが重なって生まれたものです。このNGOでは、アフリカの子どもたちが必要としていれば本を送ったり、ケニアに二つある図書館を支えたり、日本の子どもたちに本を通してアフリカの文化や子どもの状況を伝えたりする活動を、仲間といっしょに行っています。私はその後も、さまざまなアフリカについての本を翻訳してきましたが、この本はそんな活動の源にあるような、自分にとってはとても大事な本です。今回、岩波書店さんが再刊してくださることになり、とてもうれしく思っています。気に入ってくださって、しっかり見てくださった須藤さん、ありがとうございました。

二〇一八年十一月     さくまゆみこ

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ふしぎの国のレイチェル

エミリー・ロッダ『ふしぎの国のレイチェル』さくまゆみこ訳
『ふしぎの国のレイチェル』
エミリー・ロッダ著 さくまゆみこ訳
あすなろ書房
2004.12

オーストラリアのファンタジー。「リンの谷のローワン」シリーズでおなじみのロッダさんが書いた、おかしなおかしな物語。風邪をひいて退屈していたレイチェルは、いつのまにかユニコーンに乗って、空にブタが浮かぶふしぎな次元に入り込んでしまいます。おまけに出会ったおばあさんも、おじいさんも、どこかおかしい! ロッダさんのユーモアのセンスが全開になり、謎解きもあって、たのしく読める一冊です。
(絵:杉田比呂美さん 装丁:高橋雅之さん 編集:山浦真一さん、佐近忠弘さん)

*オーストラリア児童図書賞・最優秀賞
*SLA夏休みの本(緑陰図書)選定


キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし

さくま編訳『キバラカと魔法の馬』表紙
『キバラカと魔法の馬〜アフリカのふしぎばなし』
さくまゆみこ編/訳 太田大八/画
冨山房
1979.09

アフリカ各地に伝わる昔話から、不思議なおはなしを自分で選んで訳しました。「恩を忘れたおばあさん」「魔法のぼうしとさいふと杖」「山と川はどうしてできたか」「ヘビのお嫁さん」「力もちイコロ」「動物をこわがらせた赤ん坊」「カワムチと小さなしゃれこうべ」「ワニおばさんの約束」「あかつきの王女の物語」「村をそっくりのみこんだディキシ」「ニシキヘビと猟師」「悪魔をだましたふたご」が入っています。

この本がきっかけで、私は冨山房に入社し編集部で働くようになりました。つまり入って最初に編集したのがこの本だったのです。